2008年08月19日

ドナルド・キーン著『明治天皇』〈4〉

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 やっと全巻読み終える。この巻は日露戦争、日韓併合、伊藤博文暗殺、そして崩御と描かれる。日露戦争は司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』に詳しく書かれているのを読んでいるので、若干その記述に物足りなさを感じてしまうけれど、この本の性格上仕方がないことだろう。それよりも面白いなと思ったのは、この戦争で勝ったことよりも、国民の多大な犠牲にもかかわらず、戦果が大して得られなかったことによる、「煩悶的厭世思想」がはびこったことである。その結果日本国民が不機嫌になり、現状への憂鬱感、幻滅となって表れ、精神の弛緩となり、軽佻浮薄に流されることとなったというのである。このことは明治天皇も心配するようになる。ただこうした世の中に幻滅感や憂鬱感がはびこると、文学が開花してくる。「(日露戦争終結後十年間で)夏目漱石は、この時期に彼が最高の(そして最も沈鬱な)作品を書いた。森鴎外、石川啄木、島崎藤村の名を留めている傑作群は、主としてこの時期に登場した。この時期はまた、永井荷風、志賀直哉、芥川龍之介、谷崎潤一郎が彼らに最初の名声をもたらした作品を発表した時期でもあった」という。やはり文学というのは「あだ花」的要素があって、世の中に不平不満が強くなってくると、名作が生まれるのだろう。(だったら今も名作が生まれていい素地があるような気がするが、果たして名作といわれるものが生まれているのかどうか、疑問がわく)

 さて、私が興味があることは明治天皇が崩御したあと、乃木希典が殉死したことである。乃木の殉死は、やはり司馬さんの『殉死』に詳しいし、漱石の『こころ』にも重要なテーマとなるのだが、そもそも何故乃木は殉死しなければならなかったのか?
 西南戦争の時軍旗を失ったことを、いつまでも恥と思い、死してその償いをしようとしたが、その機会を得ることが出来ず、また日露戦争では旅順攻撃で数万人の兵士を死なせてしまったことで、慚愧の念に駆られたいたからだと言われている。
 乃木は旅順で多くの兵士を死なせてしまったことを償うために、割腹して詫びたいと明治天皇に申し述べたが、天皇は最初何も言わなかった。ただ乃木が退出するとき呼び止めて「卿が割腹して朕に謝せんとの衷情は朕能く之を知れり。然れども今は卿の死すべき秋(とき)に非ず。卿若し強いて死せんならば宜しく朕が世を去りたる後に於いてせよ」沙汰したという。
 この本によれば、確かに旅順攻撃に対して、たくさんの兵を失ったことを明治天皇は快く思っていなかったと書かれているが、それでも戦後乃木は学習院長に選ばれた。ただ乃木の殉死は、最初当時の知識人に受け入れられなかった。志賀直哉などは「馬鹿な奴だ」と言い切る。確か司馬さんも乃木という人物の対して、快く思っていなかったように思うし、人物としても能力のある人物とは見ていなかったのではなかったかと思う。(この辺は昔読んだ本なので、忘れてしまった。もう一度読んでみようかなとも思っている)いずれにせよ、「乃木は天皇に対する忠誠の権化となり、批判することが許されない伝説的英雄となった。乃木の忠義と皇室に対する献身の完璧な体現者として崇拝されることになった」わけで、この思想は昭和に持ち越されることになった。

 この本はキーンさんが明治天皇の伝記を書くことで、必然的に明治という時代を描くことになり、それはとりもなおさず、読む側に明治という時代がどういう時代であったかを教えてくれることにもなった。
 こうして読んでみると、この激動の時代にたとえカリスマ的存在であって明治天皇という人物が、いかに大きな意味を持った人物であったかよく知らされた。ヨーロッパ文化がどんどん入ってきて、西洋化、近代化する日本にあって、日本人が本来持って「日本的な部分」を失わずにいたのは、ある意味明治天皇のお陰と言っていいかもしれない。だから明治天皇が好きになった。
 そんなことをこの本で感じたものだから、北京オリンピックで「君が代」が流れるのを聞いていると私は妙に感動してしまうのだ。 
 最後に、この本の終章に明治天皇の素顔がまとめて書かれているので、それを書きたい。

「天皇は自分に対して厳しい人間で、めったに好き嫌いを見せることがなかった」

「暑さ、寒さ、疲労、空腹など普通の人間を悩ます類のことで天皇が不平を洩らしたことなど絶えてなかった」

「天皇は、ほとんど不自然なまでに何事に対しても平然としていた」

「父孝明天皇と違って、明治天皇は怒りに身をまかせることがめったになかったし、勝手気儘や無責任と思われる振舞いに及んだこともなかった」

「明治天皇には何か内なる精神力といったものが備わっていたようで、そのため自らが作り出した行動の規範にあまり逸脱することもなく従うことができた」

「明治天皇は全国津々浦々へ難儀な巡幸にも不平を洩らすことがなかった。また心身とも疲れ切っている時もなお、天皇は義務感に駆られて地方の物産や遺跡をつぶさに見て歩いた。特に道が悪く難渋した時など、天皇は『これが朕の国だ』と自分に言い聞かせていたかもしれない。今通り過ぎている国を統治してきた万世一系の歴代天皇の自分は末裔である、という事実を天皇は片時も忘れることはなかった。天皇は古代の『国見』の慣例に従って、国の隅々まで検分する義務があると感じていた。自分の祖先たちが作った先例に従うという決意を、天皇は一瞬たりともおろそかにしたことがなかった。天皇は細心の注意を払い、ひたすら祖先たちにの目から見て恥じない行動をするように努めた」

「天皇は例えば伊藤博文のような出自の低い人間を見下すようなことはしなかった。だから有能な人間は出自がどうであれ、立身出世することができた」

「外国人と接するにあたって明治天皇は常に丁重で、そこには誠意さえ感じられた。拝謁を賜る相手が誰であれ、天皇はいつでも進んで微笑みかけ、手を差し出すのだった」

「天皇はその治世の間に日本に洪水のように入ってきたヨーロッパ文物には反感を抱かなかったが、天皇は常に自分自身のためには金を使いたがらなかった」

「天皇は軍服を好んで着たことや陸軍演習を統監することが好きだったということとは裏腹に、天皇は心底戦争が嫌いだったという事実である」

「することなすこと他人の指示に従って動くことを、天皇は嫌ったのだった。しかし大体において、天皇は最後は説得に従った。従わなかった時は、後で謝った」

「恐らく天皇の最大の功績は、かくも長きにわたって君臨したことだった」


評価
★★★


書誌
書名:明治天皇〈4〉
著者:ドナルド・キーン/角地 幸男訳
ISBN:9784101313542 (4101313547)
出版社:新潮社 (2007-05-01出版) 新潮文庫
版型:501p 15cm(A6)
販売価:740円(税込) (本体価:705円)

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