2008年08月29日
司馬遼太郎著『翔ぶが如く』 1
西郷隆盛のことを知りたいと思った。それでこの本を読みはじめる。実はこの本を手に入れてから三巻までは読んでいる。ところが明治政府の台湾出兵あたりから面白くなくなってしまい、頓挫してしまった。今回は気合を入れて読んでみようと思っている。
さて、この巻で気になる問題は征韓論と、明治維新を成し遂げ、新国家を建設した志士たちがどういう人物たちであったかである。
まずは征韓論である。征韓論がわき上がる背景にはいくつかの理由がある。征韓論は「日本の幸福」と「韓国の幸福」ももたすものだと考えられていた。
日本は明治維新をやって富国強兵をめざした欧化政策をとった。それを朝鮮に向かって「貴国もそうせよ」と迫ったのである。それは革命の輸出であった。「『韓国の幸福』とは韓国の国家組織も社会制度も世界から見れば老化しており、このままだと、ロシアの南下によって併呑されてしまう。そうなる前に韓国を開国させ、世界性をもたせ、ともに列強の侵略ふせぐことであった」。そのためには「朝鮮の政府を伐って朝鮮人民の目を醒ませ、この人民に維新政府をつくらせてそれと同盟するよりほかない」という考えに至るのである。
最初朝鮮側に対して、「日本側はあくまでも鄭重な折衝法をとった。しかもいささかの野心もなく、友好と親切から出た働きかけであった。しかし朝鮮にとっては余計なお節介であった。朝鮮国の支配者にすれば、開国すれば国内体制がくずれるのである。どの国の支配階級が、自分の支配体制の崩壊を賭けてまでして他国の変な親切をうけいれるであろう。
折衝は明治初年から足かけ六年つづいた。朝鮮側は毎度峻拒し、毎度罵倒した。結局は日本の壮士気分を激発させる結果をみた」。
日本のこの気分は秀吉の無知の段階から少しも出ていない。朝鮮人が「倭奴(ウエノム)」と呪いの言葉を持って日本人を見るようになったのは豊臣秀吉の朝鮮討入の「壬辰倭乱」以後であったが、加害者である日本側はその後朝鮮とその民族を知ろうとする努力怠っていた。
その上「日本における外交問題は、他の国におけるそれとはよほどちがった概念と性質をもっているといえるかもしれない。外交が技術であるよりも国民的情念の表現、もしくは情念によるヒステリー発作というにちかい性質をもっているのではないかとさえ思える」と司馬さんが言うように、特に「革命早々の日本国家の運営者たちは、むしろ感情で動いた。感情が政治を動かす部分は、論理や利益よりもはるかに大きかった」から、征韓論は日本における重要な課題となっていったのである。その急先鋒が西郷隆盛であった。
西郷は征韓論が「日本の幸福」をもたらすと考えていた。そもそも倒幕運動や明治維新はあまりにも短時間で達成してしまったため、薩摩軍人たちはふりあげたコブシのやりばもなくて鬱屈していたし、旧幕府側の士族階級もこの後行われる政策、「たとえば諸大名の版籍奉還があって、のち諸大名および士族階級が土地人民の支配権をうしなうという廃藩置県がおこなわれた。これらに並行して徴兵制度が布かれ、士族階級の最後の名誉であった武の特権までうばわれ、庶民に転落した」事実は当然不満の種となった。
変な言い方であるが、もう少し倒幕運動や明治維新に時間がかかっておれば、多くの志士や士族階級たる武士に犠牲が出ていただろう。そうなれば、彼らの存在そのもの数がぐっと減ってしまい、維新後起こる彼らの不平不満など少数意見になっていたかもしれない。もちろん会津などには多大な犠牲が出たけれど、総じてあっけなく明治維新がなってしまったことが、後で大きな問題を抱えることなったわけである。
西郷隆盛はそうした不満や悲鳴をある程度仕方がないと理性では思うのだが、一方でそれを見るに忍びなかった。それは司馬さんが言うように「西郷は『旧階級と旧階級の精神』というものを率いて幕府を倒した。ところがそれによって出来あがった新国家が自分を生んだ『旧階級と旧階級の精神』を圧殺した」ことの煩悶でもあった。
確かに革命にはある程度の犠牲はやむを得ないところがあることは事実であるが、その犠牲を単に仕方がないことだとは西郷は受けいられなかったのである。不満や悲鳴の声を西郷は聞いてしまったのであった。「西郷は革命の成功者でありながら、革命が当然ひきおこすおびただしい惨禍のほうを一身でひきうけよう」とし、「巨大な感情量をもって幕府を倒した西郷は、革命の成功で無用になったその超人的感情量を、維新によって没落した士族階級への憐憫にむけたのである」と司馬さんは言う。
そんな西郷の自己矛盾(革命には犠牲がつきものというのと、それを放っておけないという気持)と、志士たちの高揚した気分のはけ口と全国二百万人以上といわれる没落士族を救う解決策が征韓論であった。西郷はそれに飛びついた。
さらに言えば、明治新政府の誕生と、廃藩置県は薩摩藩の島津久光に対しての裏切りでもあった。事実久光自身、西郷や大久保を裏切り者と罵っていた。特に西郷は久光の罵倒に自分の身の置き場所がなく、絶えずそれを探していた。つまり西郷自身自分が死ぬことを望んでいた。自分が遣韓大使として朝鮮に渡れば、必ず殺される。それはそれでいいと思っていた。いやそうあって欲しいと願っていたところがある。西郷が朝鮮で殺されれば、日本の重鎮が殺害されたのだから、朝鮮出兵の大義名分も整うことにもなると考えていた。
ここで面白いと思うのは、西郷は明治革命政府で陸軍大将、近衛提督で明治の陸軍を掌握していた。やろうと思えば、これらの軍事力をもっ自分の主張する征韓論を簡単に押し通すことが出来たのに、ただ自分を遣韓大使に任命してくれと閣議でひたすら哀願泣訴するのである。幕末あれほど根回し、策を弄し、力にものを言わせた人物がただ嘆願するのである。この豹変ぶりはどうしてなのだろうかと思うくらいである。
この巻では岩倉具視が参議木戸孝允や大蔵卿大久保利通らを伴って欧米諸国を巡っている間(いわゆる岩倉使節団のこと)、その留守を預かっていた三条実美に西郷が迫り、困り果てた三条は西郷を遣韓大使として派遣する旨を了解し、天皇の勅旨を得るまでで終わる。但しこれには岩倉らが帰国するまで待って、再度討議するという条件がついていた。西郷はそれでも天皇の許可が下りたのだから、自分は遣韓大使として派遣されるだろうと思っていた。
ところで明治維新で活躍した人物たちを司馬さんはどう書いているだろうか。例によってわざと話を逸脱したり、あるいは休んで登場人物たちについて語る手法でこの小説は書かれているが、それが面白いのでいくつか書きたい。
まずは西郷隆盛である。司馬さんは西郷を「幕末の西郷には維新後の国家設計の青写真などなかった。せいぜいうちに王道楽土をつくり、外は列強のあなどりを防ぐ、というだけの輪郭の不明瞭なものであった。倒幕についての政略ではあれだけ緻密で雄大な構想と着実で地道な実行形態をとりつづけたこの人物が、新国家設計については一見まるで手ばなしの無能な姿を見せる」と言い、「西郷は政治は才略より人格であるという考えをとった」と語る。
一方大久保利通については「大久保は、官僚専制思想家である。日本の町人百姓はまだ、欧米の人民ではない。未熟なること犬猫同然である。
と大久保は考えていた。犬猫を欧米なみの『人民』に向上させるまでに三十年かかる。憲法も自由も権利もそれからのことだ、それまでは有司(官吏)専制という指導主義でゆかざるをえず、内務省は犬猫的な日本を欧米なみの日本たらしめるための強力な権力機構たるべきである、というのが大久保の思想であった」と言う。
木戸孝允は「つねに大困りの憂鬱屋であったが、包容力もあった。木戸は意見の人であったが、しかしその意見に長者の風があったことは、これは一つの根から出ているとみていい」と評する。
三条実美に関しては、「その実歴からどういう抱負も器量も能力もひき出せない。ただ誠実であった。この誠実さは富家の婿養子に適いていたが、しかし一国の太政大臣としては悲劇的なほど無能であった」と手厳しい。
山県有朋や伊藤博文に関しては、司馬さんは結構厳しい評価を下しているように思える。司馬さんはまず、「(幕末)その奔走家としては西郷や大久保のほかに長州の木戸孝允、土佐の坂本龍馬などがいて、幕府をたおした。倒したあと、かれらのうごきがにわかに鈍くなり、代わってうごきが活発になるのはかれらの後輩たちで、そのうち頭をあげてくるのはみな議論下手だがしかし実務の才の横溢した連中であった。とくに長州人が多い。伊藤博文と山県有朋がその双璧であろう」と言う。半ば皮肉混じりで「革命期に最後まで生き残るのは、この種の実務的な出世主義者であるかもしれない」と自分の思いを語る。
特に山県に関しては「日本の三権分立の政体をやがて破壊するにいたる『軍人勅諭』を山県憲法発布に先立って明治十五年実現している。(これは)軍隊をもって天皇の私兵であるかのごとき印象をあたえしめている。(略)昭和期に入ってこの勅諭が政治化した軍人をして軍閥をつくらしめ、三権のほかの『統帥権』があると主張せしめ、やがて統帥権は内閣をも議会をも超越するものであるとして国家そのものを破壊せしめるもとをつくった」と言い、さらに「国権主義は山県がまず種をまき、大久保がそれを苗にした。やがて西郷・大久保・木戸の死後、権力を得た山県がおもう存分ふるまってそれを鬱然たる大樹に仕上げてしまったのだが、この国権主義というのは、国民を国家という鋼鉄のたがで締めあげ、締めあげることによって近代国家を速成でつくりあげようとする思想で、結局はこれが日本国家をつくり、太平洋戦争の敗北によって敵国から打ちくだかれるまでつづく」と言い切る。
これは多分司馬さんが常々言っている「あの馬鹿な戦争(太平洋戦争)を起こしたのは誰なんだろう?」と自分が体験した戦争経験を振り返ると、多分ここに突き当たるのではないかと思う。その思いが山県に批判的なるのではないだろうか。司馬さんが描いてきた幕末の志士たちには、志があって、熱い情熱があり、更に「滅びの美学」を持ち合わせた人物たちであった。決して伊藤博文や山県有朋などの実務家など描きたくもなかったのではないかといつも思う。
書誌
書名:翔ぶが如く 1
著者:司馬 遼太郎
ISBN:9784163617107 (4163617108)
出版社:文藝春秋 1984/02出版
版型:356p 19cm(B6)
販売価:1,600円(税込) (本体価:1,524円)
- by kmoto
- at 09:26
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