
多分須賀さんの本は一冊は読んでいると思うのだが、なんていう題名だったか忘れてしまった。当時は文章の内容がよくわからなかった。イタリアの作家など知らないものだから余計である。
最近イタリアに少々興味があって、歴史もそうだけれど、現在の日常生活がどのように営まれているのか、その普段の姿が知りたいところがある。だからイタリアで暮らした人のエッセイなど興味深く読んでいる。その関係で須賀さんの本を手にした。ただ須賀さんが描くイタリアは若干古くはあるのだが、その雰囲気は味わえるんじゃないかと思って読んでみた。
私は須賀さんがどんな人生を過ごされてきたのか詳しくは知らないので、ネットで調べてみた。略歴は以下の通り。
須賀敦子(すがあつこ)
作家・翻訳家(1929-1998)
兵庫県芦屋市に生まれ、聖心女子大学卒業後、パリのソルボンヌ大学に3年間留学。帰国後、知人から送ってもらった会報誌などによって、イタリア・ミラノのコルシア書店のことを知り、強く惹かれる。コルシア書店は、二人の神父を中心にしてできたグループで、書店を拠点として、出版活動、講演会、ボランティアなど、多岐にわたる活動をしていた。須賀さんはイタリアに留学すると同時に、コルシア書店へ向かう。やがて、書店の運営を担当していたジュゼッペ・リッカと結婚するが、夫と死別し帰国。その後、数十年経て作家活動を行う。作家活動は10年に満たない短いものだった。イタリア在住時から翻訳家としても活躍した。またキリスト教徒としても様々な活動を行っていた。1998年、心不全で死去。享年69歳。
この第一巻には「ミラノの風景」、「コルシア書店の仲間たち」、「旅のあいまに」という数編のエッセイが収録されている。いずれも須賀さんがイタリアで夫を亡くされ、帰国して書かれたもののようである。それを須賀さんは「純粋な時間として考えると、六十年の人生のなかの十三年は、さして長い時間ではないかもしれない。しかし、私にとってイタリアで過ごした十三年は、消し去ることのできない軌跡を私になかに残した。二十代の終りから、四十代の初めという、人生にとって、さあ、いまだ、というような時間だったから、なのかもしれない」といい、自分の人生の中でイタリアでの濃厚な生活をここで書きつづるが、これらの文章が書かれる頃になると、その時を振り返る分、時間がたってしまっている。すべてが衰退へ向かいはじめている。人もそうだし、書店もそうである。だからかもしれないが、そこにはどこか“死”がつきまとう感じがする。そこには須賀さんのイタリアでの生活や交友関係などが書かれているのだが、元気で活動的な時代を振り返るのと同時に、その後が必ず描かれる。その後が死であったり、消滅であったり、あるいは音信不通であったりして、もの悲しさが漂う。
須賀さんをミラノで生活させたコルシア・デイ・セルヴィ書店とはどんな書店だったのだろうか。その成り立ちを次のように書く。
コルシア・デイ・セルヴィ書店は司祭で詩人のダヴィデ・マリア・トゥロルドが戦争末期には、ドイツ軍に占領されたミラノの、知識人が中心になって組織した地下活動をおこし、戦後、親友のカミッロ・デ・ピアノといっしょに数人の若者をまじえて、都心にあるサン・カルロ教会の場所を借りうけて始まった。
せまいキリスト教の殻にとじこもらないで、人間のことばを話す「場」をつくろうというのが、コルシア・デイ・セルヴィ書店をはじめた人たちの理念だった。ちゃんとした資金があったわけでもなく、都心の目ぬき通りの教会からほとんど無償で借りた場所だけが財産で、開店したころは、本をならべる棚もろくになかったという。だれかが買おうと思って手にとった本のページにダヴィデの手で書き込みがあったこともある。彼が自分の蔵書まで売っていたからだ。
そうして出来上がった書店にはさまざまな階級の人々が集まり、サロン化して活気を呈していた。どちらかといえば反体制側の思想の持ち主が多かったようであるが、侯爵や伯爵といった階級の人々もパトロンとなって集まっていた。須賀さんは彼らを「ヨーロッパ史のエッセンスのような家族や招待客たち」とか「美術書を通してあこがれているルネッサンスの邸宅を日常の場に使っている人たち」などと表現しているが、こういう貴族がいるという社会も目をみはる。面白いのは彼らの生活意識である。
この町の伝統的な支配階級の人たちは、表通りのぎらぎらした宝石店と、この女主人の店(いっけんしもたやふうの店)を見事に使い分けている。彼らの家には先祖代々の宝石類があるから、自分たちがふだん身につけるものは、こういう店でいろいろと手を加えさせたりするのだろう(ちょうど私たちが母の形見のきものを仕立てかえさせたり、染めかえたりするように)。(略)あたらしい貴金属を「終始」買うということはその家に先祖代々伝わったものがないからだ。
それは私たちは新興貴族や成り上がりとは違うんだというものであろうか?
それと須賀さんがある年の初夏にサン・ジュリアーノ・ミラネーゼという、ミラノ市から南に20キロほどの町に行っての帰り、何となく心細い気持で歩いていたとき、「ちらちらと白く光っているのが、ミラノの大聖堂の尖塔だとわかるのに、それほど時間はとらなかった。あ、ミラノだ。とっさにそう思ったのだったが、そのことで心がはずんだことに、私は小さな衝撃を受けた。ふだんは日常の一部になりきっていて、これといって感慨も持たなかったミラノだったのが、朝の陽光に白くかがやく大聖堂の尖塔のイメージに触発されて、いいようもなくなつかしい、あれが自分の家のあるところだ、といった感情がよびさまし、ほとんど頬がほてるほどだった」と書く部分が非常に興味深かった。
昔、阿部謹也さんか誰かが言ったか、あるいは書かれた文章を読んだか忘れたけれど、ヨーロッパの教会の大聖堂がどうしてあんなに立派なのかということで、中世の旅人、たとえば遍歴商人が年季明けして自分の町へ帰っていくとき、遠くから見える大聖堂の尖塔が、自分たちがふるさとに帰ってきたという意識をもたらしたのだというのを思い出した。彼らが歩いているうちにだんだん、見慣れた大聖堂の尖塔が見えてくる感覚というのはきっと感慨深いものがあっただろうと当時は思った。それを須賀さんの文章を読んで、ああ、これだなと思ったのだ。
須賀さんの文章に出てくる言葉はなんていっていいのかよくわからないけれど、どこか心に残る。この本の解説を書かれている池澤夏樹さんは「須賀敦子はたいへん言葉に長けた人だった」というのはよくわかる。こうして前後関係なく抜き出してみてもうまい言い方をする人だなと思うのだ。
「しかし何年かたついちに、(博物館に収められた)いくつかの真珠が光沢失いはじめる。(チェデルナはここでは“appassire”という、花などが「凋れる」という意味の言葉をつかっている。他でも耳にしたことのある表現であるが、うつくしいと思った)真珠は人肌にふれないと徐々に死んでしまう」
「生きるだけでも骨の折れたあの日々」
「生きるための争いを終えた人々が横たわる墓地と、まだ闘いのさなかにある市場の人々と」
「昔『ヴェニスに死す』を読んだのは、本を脳の筋肉(そんなものがあるとすれば)でただ噛み砕いているにすぎないような若いころのことで、あたまに残っているのは、だれもが知っているストーリーだけだった」
「彼がどうやって染料会社の仕事の合間にあれほど質の高い読書ができるのか、私には奇跡のように思えた」
「孤独で透徹した哀しみが、私には尊いものに思えた」
「彼は、いちど見えなくなった自分の人生をつかまえようとして、やっきになっていたのだ」
「人生は、どうしても妥協するわけにはいかない本質的に大切なものがすこしと、いいよ、いいよ、そんなことはどっちでも、で済むようなことがどっさり、とでなりたっていて、それを理性でひとつひとつ見きわめながら、どちらかをえらんでいくものだ、といった生き方を、あらためて、彼女のなかに見た気がしたのだった」
やはり人生を振り返ってみて書かれた文章は、言葉だけをとっても重みがあるし、まして須賀さんのように言葉に長けた人が書くと余計にそう感じてしまう。
評価
★★★
書誌
書名:須賀敦子全集〈第1巻〉
著者:須賀 敦子
ISBN:9784309420516
出版社:河出書房新社 (2006/10/20 出版)河出文庫
版型:453p / 15cm / A6判
販売価:997 円(税込)