2008年10月28日

ジョルジュ・シムノン著『メグレ罠を張る』

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 このメグレシリーズは昔から読みたいと思っていた。いわゆる推理小説で、マンハントをする側が警察である方が好きなのだ。たとえば、マルティン・ベッグもいいし、キャレラもいい。日本でいえば鳥飼刑事も渋くていい。(ビートたけしはミスキャストだと思うが)
 さて今回も推理小説だから、あまり内容に関しては詳しく書いちゃいけないのだろうが、書いてしまう。のでもしこの小説を読もうと思う方はここでやめてください。(というように、こんな感じでネタバレしてしまうから以後読まないでね、という文章をよく見かけるけど、皆さん本当にそこでやめられます?少なくとも私は読んじゃうだな)

 パリで五人の女性がナイフで刺され、衣服が引き裂かれた殺人事件が発生する。その捜査をメグレ警視が陣頭指揮をして行う。物語はもう五件の殺人事件が発生してしまっており、犯人と思われるべき人物は登場しない。従って、「こいつが犯人だろう」という推測を読んでいて楽しめない。
 この物語を面白くしているのは、どうやって殺人事件の犯人をあぶり出すかにかかっている。題名にもあるように、メグレ警視は罠を張るのである。最初から罠を張ることから物語は始まっており、どのような罠で、なぜそうした罠をメグレ警視は張ったのかが、まず興味の対象となる。
 友人で医師のパルドンに食事を招待されたメグレ夫妻は、そこで有名な精神科医のティソオを紹介される。メグレはその精神科医のティソオと今回の捜査に当たって、犯人像を語り合う。そこに今回の罠のからくりが隠されている。
 メグレは犯罪者たちが遅かれ早かれ自分のやった行為を自慢するという欲求に駆られると語る。そしてティソオもメグレが捜している連中は、自分でも知らぬ間に捕まえられようという欲求に駆られている。それは自尊心の表れで、自分(犯人)は周りの人々に何の変哲もない人間だと思われることが我慢がならないのだ。自分の力を大声で言いたいのだ。だからといってわざわざ捕まりたいわけじゃない。彼らが捕まるのは犯行を重ねる内に身辺に払う注意が少なくなってきて、警察や運命をなめることで逮捕されてしまうというのである。
 そしてメグレは「かりに誰か他の人間が逮捕されて、いわばまあわれわれの殺人犯の地位におさまりかえり、犯人が自分の栄誉のように考えているものを横どりしたらどうでしょう・・・・」と言うのだ。
 これがメグレの作戦であり、犯人の自尊心を奪うことで、逆に犯人を挑発し、もう一度犯罪を起こさせ、犯行を行う前に捕まえようと罠を張る。
 そして一般市民に扮した婦警を襲われるが、警察は彼を取り逃がす。しかし彼の衣服についていたボタンと服の生地の一部をその婦警はもぎ取る。そこから面が割れ、一人の男が逮捕される。しかし彼は自供しない。
 被疑者を尋問している間、また一人の女性が襲われ殺される。しかしこの犯行は私でもその男をかばうための犯行だとわかる。少なくともこの殺人事件の犯人は彼の妻あるいは母親のどちらかだ。

 ざっと書いてしまうたわいのない小説のようになってしまうが、犯人逮捕のための心理作戦は結構面白かった。で、一つ知ったことは、日本の警察では取り調べ室で犯人あるいは被疑者の食事にカツ丼をよく出すシーンがテレビで映し出される。しかしフランスではビールとサンドイッチらしい。


評価
★★★


書誌
書名:メグレ罠を張る
著者:ジョルジュ・シムノン 峯岸久訳
ISBN:9784150709518
出版社:早川書房 (1991/09 出版) ハヤカワ・ミステリ文庫
版型:233p / 16cm / 文庫判
販売価:546 円(税込)

2008年10月27日

穂村弘著『本当はちがうんだ日記』

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 私はエスプレッソが好きだ。カップをそっと口につける。目を閉じて、ゆっくりと一口啜ってみる。苦い。舌が苦い。苦くて、とても飲めたものではない。痺れた舌を空中でひらひらさせながら、私はカップを置く。
 私のエスプレッソがこんなに苦いのは何故なんだろう。果実の薫りとキャラメルの味わいの飲み物が、地獄の汁に感じられるのは何故か。それは、おそらく、私自身がまだエスプレッソに釣り合うほどの素敵レベルに達していないからだ。

 私の本棚の一角カバーをかけた本たちが並んでいる。全てがいわゆる自己啓発本である。素敵な自分になるためだ。

 コートや上着やズボンのポケットから小銭が出てくる。レジでお釣りを受け取るときに、その場で落ち着いて小銭入れに収納することが出来ず、ポケットのなかにばっと放り込んでしまうしまうからこうなるのだ。

 小学校六年生のとき、卒業文集を作ることになり、その記入用紙に「名前」「誕生日」「血液型」「好きな食べ物」「趣味」「将来の夢」の中に「あだ名」という項目がありショックを受ける。私にはあだ名がなかった。私は記入欄に素直に「特になし」と書けばいいものを「ホムラ」と書いてしまった。
 文集が出来上がって、隣の席の「かーくん」に何気なく「これ、おまえの、名前じゃん」と云われたとき、私の世界は張り裂けそうだった。「だって、ないんだ、ぼくには、あだ名、ないんだ」と絶叫したかった。だが私は「ふふふ」と笑っただけだった。何がふふふなんだ。

「なあ、トースケ、この三年間(高校の)にバスのなかで女の子から何通手紙貰った?」
「え、わかんない、二十個くらい?」
 それは「がーん」でありつつ「やっぱり」なのだ。
 勿論私は一通も貰ったことはなかった。ラブレターを「個」で数えるような奴が二十個貰えて、ちゃんと「通」で数えられる俺は0通。羨望と嫉妬と納得で、私は混乱していた。
 彼女たちにとって、私は、バスの車内の吊革や椅子と同じ存在なのである。いや、掴まったり座ったり出来ない分、それよりも価値がない。

 私は自分の方から女の子に手紙を出すことなど考えてもいなかった。
 それがどんなジャンルの事項であれ、例えば、六十七勝七十三敗からの一敗は何ということもない出来事だ。そこから三連敗してもなんとか耐えられるだろう。だが、0勝0敗からの一敗は恐ろしい。三連敗などしようものなら、自分はこのまま生涯一勝もできずに終わるのではないか、という恐怖に囚われてしまう。その予感が私を動けなくする。

 マネキンが着ている服をかっこいいなと思う。
 早速買って帰って自分で着てみると、余りにも印象がちがって驚く。マネキン着用時にあんなに素敵だったシャツが、鏡のなかでへたっと死んでいる。これは、と私は思う。やはり僕のせいなんだろうな。

 最初から書き出したらきりがない。気持としてはよくわかるし、誰だって見栄を張ったり、人をうらやましがったりするだろう。似たような経験や感じを持ったこともあるだろう。だけど不思議なもので、人生、そういう不幸?からいつの間にか解放されちゃう気がするし、まして年齢を重ねれば、だんだんそういうことを考えることさえ鬱陶しくなってくるのではないかと思うのだ。むしろ著者みたいに四十過ぎてもまだ自分は本来の素敵な姿になっていないと感じる方が、私にすればおかしいのではないかと思うのだ。若々しいといえばそう言えちゃうのかもしれないけれど、四十過ぎてもこれじゃ、どうなのだろうか?
 別に人生論をぶちかまそうなんてさらさらないが、読んでいて面白かったし、「うん、うん」とうなずけちゃところはあるけれど、それは昔の自分を振り返ってそう感じるだけであって、今はそんなことどうでもいいじゃんと思う方が普通なんじゃないかと思う。むしろ若い頃の不幸をさらりと語れる方がかっこいいような気がするのだけれど。
 この本は三浦しをんさんの本で知った。私は著者がどういう経歴の人なのか知らなかった。この本の見開きに著者の紹介があって、それを読んでいると、なるほど、著者は歌人でなんだ。だからいつまでも若い気分を持てあましているんだと思ったのである。世の中にはいろいろな人がいるもんだ。それでいいような気がする。私は穂村さんのこのエッセイを読んでそう思ったのだけれど、穂村さんはそれでは済まない人なのだ。そういうことだろう。


評価
★★


書誌
書名:本当はちがうんだ日記
著者:穂村 弘
ISBN:9784087463538
出版社:集英社 (2008/09/25 出版)集英社文庫
版型:213p / 15cm / A6判
販売価:479 円(税込)

2008年10月25日

司馬遼太郎著『司馬遼太郎が考えたこと 』1

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 司馬さんが亡くなられてから、未発表のエッセイや評論、あるいは対談、講演集などが次から次へと刊行された。この本もその手のもので、単行本未収録作品を集めて、何と全15巻のシリーズにしている。なんせ国民的作家なので、司馬遼太郎と名前がつけば売れないことはない。亡くなられても、とにかく司馬さんの書いたもの、あるいは話したものをどこからか探しだし本にした感じだ。私もいくつか司馬さんが亡くなられてから刊行されたシリーズ本をもっている。まずはこのシリーズから読んでみようと思ったわけである。幸い続けて読まなければ話の内容が忘れてしまうものでもないので、適当に間隔を置いて読んでみようと考えている。
 このシリーズは書かれた期間ごとに巻数わけしてあるので、第一巻は1953年(昭和28年)10月から1961年(昭和36年)10月のエッセイである。たぶんここに収録されたものは、復員後産経新聞の記者時代から、直木賞受賞後までのものであろう。実際初出を見ると本名の福田定一の名前で書かれているものもいくつかある。
 読んでいて、へぇ~、司馬さんもこんな言い回しの難しい文章を書いていたんだと思った。というのも私は司馬さんの膨大な知識を小難しく語るのではなく、わかりやすい文章で表現される人だと思っていたので、少々意外でもあった。
 さらに、歴史に関するエッセイだけでなく、身辺雑記やルポみたいなものもある。このあたりは初めて接したものだから新鮮でもあった。ただルポは読んでいて、開高健さんの『ずばり東京』みたいな感じを受けた。いかにも関西人が書いた文章なのである。

 この巻で面白かったのは「家康について」というエッセイである。まぁ、司馬さんがわかりやすく書いた家康の人物評みたいなものだ。司馬さんによると家康という人物を次のように評する。

「もともとこの人は、信玄や謙信のような戦術的天才もなく、信長のような俊敏な外交感覚もなかった。かれら右の三人より長じた才があるとすれば、部下の官僚(家康の部下だけが近代的官僚のにおいがする)に対する卓抜した統率力ぐらいのものだろう。かれがもし今日にあれば、律儀に受験勉強をし、律儀に東大に入り、律儀に公務員試験をうけてまず有能な局長クラスにゆくに相違ない」

 つまり家康は高級官僚だといい、官僚は自ら自分の偉さを発揮できない。上級官僚なり政治家の引き立てを必要とする。家康の場合の引き立て役が信長であった。家康は徹底して信長に従った。それこそ命を賭けて信長に律儀なまでに従った。当然信長の信頼は厚くなる。徳川家は信長の下請会社のようであった。ただ下請会社は親会社大きくなれば、自らも大きくなる。
 ところが本能寺の変で信長は明智光秀に討たれる。この時家康はわずかな家来を連れて泉州堺を見物していた。慌てて岡崎城に戻り、尾張まで来たとき、秀吉が中国から急遽軍を旋回して光秀を破った。司馬さんは家康が秀吉を「運のいいやつだ」と思ったに違いないと書く。
 なぜ秀吉が運がいいかといえば、この時秀吉は毛利討伐の司令官として、信長よりおびただしい軍勢を貸与されていたから、そのまま大軍勢を旋回し、光秀を討てた。そしてそのまま天下を取ってしまったのである。逆に家康はそういう好条件に恵まれていなかった。だから待つしかなく、「やがて運はまわってくるさ」とその間自分がすべきことを着々と行うことになる。
 天正十二年四月長久手の戦いで、家康は秀吉と戦い、大いに破ったが、秀吉と和睦する。これは家康自身天下に自分の威厳を見せつけるのと同時に秀吉に恩をきせることになる。以後家康は秀吉に仕えるが、その間関東に移封され二百四十万二千石の大大名となった。
 秀吉に死後天下分け目の関ヶ原の合戦があるがこの合戦の勝利を家康にもたらしたのは、関東二百四十万二千石の巨大な身上による。つまり家康に信用があったということである。この二百四十万二千石から振り出される信用と江州佐和山十九万四千石の石田三成の信用とどっちが信用度が高いかといえば、当然家康の方である。だから東軍の諸将は恩賞を期待して憂いなく戦ったのである。一方西軍に与する諸将は戦場に来ても三成に猜疑心を持ち、破れた。
 関ヶ原の勝利の後、家康は江戸に幕府を開き征夷大将軍となったが、まだ大阪には秀吉の遺児秀頼がいる。家康はこれを潰さないとならなかったが、大阪夏の陣は関ヶ原の合戦から15年待って戦われた。ただこのとき家康は今までみたいに気長に待つわけにもいかなかった。もうこの時点で家康は高齢であったから、いつ死ぬかもしれないという自覚がある。自分が生きている間に秀頼を討たなければならないという焦りがあった。だから家康は狡知にみちた策謀家に自ら変じ、大阪方を挑発する。司馬さんはそれを「この気のながい男が、気短かな老人に一変し、律儀者が陰謀家に化した。人生の残りわずかな持ち時間と競争するために、家康は半生もちつづけたそのパターンをなげすてなければならなかったのだ。あわれにも、そのために後生の不評を得た」という。

 もうひとつこのエッセイで面白かったのは、“東海道”に関する記述である。
 東海道は頼朝以来日本史の権力街道であった。鎌倉以来幕末までの日本史で、東海道以外の場所から起こって天下をとった者いない。
 信長、秀吉、家康の三人は今で言えば愛知県人であり、愛知県内にはその東海道が通っている。しかも東海道の中ほどに位置する。つまり彼らは京に近く、しかも多少離れている。つかず離れずの位置にいた。
 たとえば武田信玄や上杉謙信のような東国の英雄が上洛するためには、その沿道に気の遠くなるほどの豪族がおり、それらをいちいち潰して進むしかなく、それだけで一生が終わってしまう。信長、秀吉、家康はそういう意味で好条件立地にいたことになる。このことは大きいし、実際歴史は彼らを天下人にした。
 これを読んだとき、なるほどと思った。やっぱり司馬さんの視点は我々凡人とは違うなと思ったのである。


評価
★★★


書誌
書名:司馬遼太郎が考えたこと 〈1(1953.10~1961.〉 ― エッセイ
著者:司馬 遼太郎
ISBN:9784106467011
出版社:新潮社 (2001/09 出版)
版型:397p / 20cm / B6判
販売価:入手不可 但し新潮文庫であり

2008年10月21日

阿刀田高著『花のデカメロン』

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 この本はボッカチオの『デカメロン』の入門書というか、解説書である。もちろんそこいらにあるその手の類の本ではない。例によって阿刀田流のスパイスをきかてある。
 『デカメロン』自体14世紀の作品だから素朴だけど、荒削りであり、時には話のつじつまがおかしい部分もあるらしく、それを20世紀(この本が出たときはまだ21世紀にはなっていない)の現代風に直せばこのようにした方がいいと、阿刀田流にアレンジしたものも添えられている。
 ご存じの通り、『デカメロン』は当時ヨーロッパで大流行したペストを逃れて、上流階級の七人女性と三人の男性が別荘で14日間過ごすかたわら、毎日みんなでお話をしましょうということで、その語られた話をまとめたものである。もちろんボッカチオの創作だが。こういう舞台装置を作って物語をはじめるのを“枠物語”というらしく、あの『千夜一夜物語』もタイプとしてこれに属する。
 で、当時の上流階級というのは腐敗しきっており、しかもペストでいつ自分たちが死ぬかもしれないという状況であったから、生きている間に享楽を満喫しようという風潮であった。
 だから毎度毎度不倫の話ばかりだ。どうしても人間は腐敗するとそっちの方面であれこれうごめくのである。上流階級の貴婦人を恋いこがれる輩がなんとかしてものにしたくて、あれこれ策を弄して近づくとか、あるいは貴婦人自体が若い男に恋いこがれ、なんとか近づきたいとする話ばかりである。おそらく原作だときっと読み切ることの出来ないだろう話を阿刀田さんは今風におもしろおかしく語ってくれる。だから読んでいてくすっと笑える。その点こういう解説書はいい。『デカメロン』には、こんな話があるんだよという雑学的知識が残る。
 ところでこの本の初出は女性雑誌「JJ」だとある。へぇ~、「JJ」を読むというか見る女性がこの阿刀田さんの作品を読むかなと正直思った。「JJ」の読者にはこの作品のユーモアやエスプリはちょっと高尚過ぎないかなんて思ったのだ。だって「JJ」の読者って、3月まで制服を着ていた女子高生が、4月になって短大に入り、制服から私服になり、着ていく服にあれこれ悩み、この雑誌で紹介されるファッションをそのまま着こなす女性をターゲットにした雑誌でしょ?どう考えても無理があるような人でも、“かわいい”ということでこの雑誌を地のままでいっちゃう女性たちである。そんな女性がこの阿刀田さんの作品を読むとは思えない。
 せめてスーツでシャツのボタン二つ外して颯爽と歩くOLさんたちが、この作品を読んでくすっと笑うのがいいと思うのだけれどなぁ。雑誌でいえば「MORE」を二つ折りにして脇に挟んで歩く世代の女性がいい。でも「主婦の友」じゃまずいよな。(もっともこの雑誌も休刊になっちゃったけど)やめよう!これ以上書くと私の品性が疑われちゃう。


評価
★★


書誌
書名:花のデカメロン
著者:阿刀田 高
ISBN:9784334712358
出版社:光文社 (1990/11/20 出版) 光文社文庫
版型:267p / 15cm / A6判
販売価:入手不可

2008年10月20日

須賀敦子著『須賀敦子全集』〈第1巻〉

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 多分須賀さんの本は一冊は読んでいると思うのだが、なんていう題名だったか忘れてしまった。当時は文章の内容がよくわからなかった。イタリアの作家など知らないものだから余計である。
 最近イタリアに少々興味があって、歴史もそうだけれど、現在の日常生活がどのように営まれているのか、その普段の姿が知りたいところがある。だからイタリアで暮らした人のエッセイなど興味深く読んでいる。その関係で須賀さんの本を手にした。ただ須賀さんが描くイタリアは若干古くはあるのだが、その雰囲気は味わえるんじゃないかと思って読んでみた。
 私は須賀さんがどんな人生を過ごされてきたのか詳しくは知らないので、ネットで調べてみた。略歴は以下の通り。

須賀敦子(すがあつこ)
作家・翻訳家(1929-1998)

 兵庫県芦屋市に生まれ、聖心女子大学卒業後、パリのソルボンヌ大学に3年間留学。帰国後、知人から送ってもらった会報誌などによって、イタリア・ミラノのコルシア書店のことを知り、強く惹かれる。コルシア書店は、二人の神父を中心にしてできたグループで、書店を拠点として、出版活動、講演会、ボランティアなど、多岐にわたる活動をしていた。須賀さんはイタリアに留学すると同時に、コルシア書店へ向かう。やがて、書店の運営を担当していたジュゼッペ・リッカと結婚するが、夫と死別し帰国。その後、数十年経て作家活動を行う。作家活動は10年に満たない短いものだった。イタリア在住時から翻訳家としても活躍した。またキリスト教徒としても様々な活動を行っていた。1998年、心不全で死去。享年69歳。

 この第一巻には「ミラノの風景」、「コルシア書店の仲間たち」、「旅のあいまに」という数編のエッセイが収録されている。いずれも須賀さんがイタリアで夫を亡くされ、帰国して書かれたもののようである。それを須賀さんは「純粋な時間として考えると、六十年の人生のなかの十三年は、さして長い時間ではないかもしれない。しかし、私にとってイタリアで過ごした十三年は、消し去ることのできない軌跡を私になかに残した。二十代の終りから、四十代の初めという、人生にとって、さあ、いまだ、というような時間だったから、なのかもしれない」といい、自分の人生の中でイタリアでの濃厚な生活をここで書きつづるが、これらの文章が書かれる頃になると、その時を振り返る分、時間がたってしまっている。すべてが衰退へ向かいはじめている。人もそうだし、書店もそうである。だからかもしれないが、そこにはどこか“死”がつきまとう感じがする。そこには須賀さんのイタリアでの生活や交友関係などが書かれているのだが、元気で活動的な時代を振り返るのと同時に、その後が必ず描かれる。その後が死であったり、消滅であったり、あるいは音信不通であったりして、もの悲しさが漂う。

 須賀さんをミラノで生活させたコルシア・デイ・セルヴィ書店とはどんな書店だったのだろうか。その成り立ちを次のように書く。
 コルシア・デイ・セルヴィ書店は司祭で詩人のダヴィデ・マリア・トゥロルドが戦争末期には、ドイツ軍に占領されたミラノの、知識人が中心になって組織した地下活動をおこし、戦後、親友のカミッロ・デ・ピアノといっしょに数人の若者をまじえて、都心にあるサン・カルロ教会の場所を借りうけて始まった。

 せまいキリスト教の殻にとじこもらないで、人間のことばを話す「場」をつくろうというのが、コルシア・デイ・セルヴィ書店をはじめた人たちの理念だった。ちゃんとした資金があったわけでもなく、都心の目ぬき通りの教会からほとんど無償で借りた場所だけが財産で、開店したころは、本をならべる棚もろくになかったという。だれかが買おうと思って手にとった本のページにダヴィデの手で書き込みがあったこともある。彼が自分の蔵書まで売っていたからだ。

 そうして出来上がった書店にはさまざまな階級の人々が集まり、サロン化して活気を呈していた。どちらかといえば反体制側の思想の持ち主が多かったようであるが、侯爵や伯爵といった階級の人々もパトロンとなって集まっていた。須賀さんは彼らを「ヨーロッパ史のエッセンスのような家族や招待客たち」とか「美術書を通してあこがれているルネッサンスの邸宅を日常の場に使っている人たち」などと表現しているが、こういう貴族がいるという社会も目をみはる。面白いのは彼らの生活意識である。

 この町の伝統的な支配階級の人たちは、表通りのぎらぎらした宝石店と、この女主人の店(いっけんしもたやふうの店)を見事に使い分けている。彼らの家には先祖代々の宝石類があるから、自分たちがふだん身につけるものは、こういう店でいろいろと手を加えさせたりするのだろう(ちょうど私たちが母の形見のきものを仕立てかえさせたり、染めかえたりするように)。(略)あたらしい貴金属を「終始」買うということはその家に先祖代々伝わったものがないからだ。

 それは私たちは新興貴族や成り上がりとは違うんだというものであろうか?

 それと須賀さんがある年の初夏にサン・ジュリアーノ・ミラネーゼという、ミラノ市から南に20キロほどの町に行っての帰り、何となく心細い気持で歩いていたとき、「ちらちらと白く光っているのが、ミラノの大聖堂の尖塔だとわかるのに、それほど時間はとらなかった。あ、ミラノだ。とっさにそう思ったのだったが、そのことで心がはずんだことに、私は小さな衝撃を受けた。ふだんは日常の一部になりきっていて、これといって感慨も持たなかったミラノだったのが、朝の陽光に白くかがやく大聖堂の尖塔のイメージに触発されて、いいようもなくなつかしい、あれが自分の家のあるところだ、といった感情がよびさまし、ほとんど頬がほてるほどだった」と書く部分が非常に興味深かった。
 昔、阿部謹也さんか誰かが言ったか、あるいは書かれた文章を読んだか忘れたけれど、ヨーロッパの教会の大聖堂がどうしてあんなに立派なのかということで、中世の旅人、たとえば遍歴商人が年季明けして自分の町へ帰っていくとき、遠くから見える大聖堂の尖塔が、自分たちがふるさとに帰ってきたという意識をもたらしたのだというのを思い出した。彼らが歩いているうちにだんだん、見慣れた大聖堂の尖塔が見えてくる感覚というのはきっと感慨深いものがあっただろうと当時は思った。それを須賀さんの文章を読んで、ああ、これだなと思ったのだ。

 須賀さんの文章に出てくる言葉はなんていっていいのかよくわからないけれど、どこか心に残る。この本の解説を書かれている池澤夏樹さんは「須賀敦子はたいへん言葉に長けた人だった」というのはよくわかる。こうして前後関係なく抜き出してみてもうまい言い方をする人だなと思うのだ。

「しかし何年かたついちに、(博物館に収められた)いくつかの真珠が光沢失いはじめる。(チェデルナはここでは“appassire”という、花などが「凋れる」という意味の言葉をつかっている。他でも耳にしたことのある表現であるが、うつくしいと思った)真珠は人肌にふれないと徐々に死んでしまう」

「生きるだけでも骨の折れたあの日々」

「生きるための争いを終えた人々が横たわる墓地と、まだ闘いのさなかにある市場の人々と」

「昔『ヴェニスに死す』を読んだのは、本を脳の筋肉(そんなものがあるとすれば)でただ噛み砕いているにすぎないような若いころのことで、あたまに残っているのは、だれもが知っているストーリーだけだった」

「彼がどうやって染料会社の仕事の合間にあれほど質の高い読書ができるのか、私には奇跡のように思えた」

「孤独で透徹した哀しみが、私には尊いものに思えた」

「彼は、いちど見えなくなった自分の人生をつかまえようとして、やっきになっていたのだ」

「人生は、どうしても妥協するわけにはいかない本質的に大切なものがすこしと、いいよ、いいよ、そんなことはどっちでも、で済むようなことがどっさり、とでなりたっていて、それを理性でひとつひとつ見きわめながら、どちらかをえらんでいくものだ、といった生き方を、あらためて、彼女のなかに見た気がしたのだった」

 やはり人生を振り返ってみて書かれた文章は、言葉だけをとっても重みがあるし、まして須賀さんのように言葉に長けた人が書くと余計にそう感じてしまう。


評価
★★★


書誌
書名:須賀敦子全集〈第1巻〉
著者:須賀 敦子
ISBN:9784309420516
出版社:河出書房新社 (2006/10/20 出版)河出文庫
版型:453p / 15cm / A6判
販売価:997 円(税込)

2008年10月15日

阿刀田高著『続ものがたり風土記』

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 続いて続編を読む。この本は前回日本各地にある昔話、伝説、民話、物語などストーリーを訪ねる旅だと書いたが、それだけでなく、明治・大正・昭和の名作で、それら作家たちの生誕地や活躍の場所がそこにあれば、作品を含めてここで紹介している。この本自体文芸雑誌「小説すばる」が初出誌だからだろう。
 それが結構面白い。作品のあらすじや、小説の舞台となった背景など詳しく語られ、思わず読みたくなるのである。私は本を探す場合、こうした本の中で紹介された本を読むことが多く、今回も何作か気になる作品があった。で、それをリストアップすると、正編も含め以下の通り。

1.松本清張著『万葉翡翠』角川文庫

2.松本清張著『秀頼走路』(所有済み)

3.南条範夫著『灯台鬼』(ゲット)

4.長尾宇迦著『幽霊記-小説・佐々木喜善』文藝春秋

5.安部公房著『榎本武揚』中公文庫

6.吉村昭著『熊嵐』新潮文庫

 ただ、ここに記されて本はなかなか手に入らないようだ。新刊書店で探すとなると難しいかもしれない。手始めはブックオフで探してみようかと思っている。(南条範夫著『灯台鬼』は近所のブックオフでさっそく見つけた)

 阿刀田さんはこの本の最後に、「小説にはストーリーとモチーフがある。モチーフとは、作家が読者に伝えたいメッセージの核心にあたるもの、読者の側から言えば『この小説、何が言いたいの?』と問うときのその“何か”に相当するものだ。
 ストリーがボディーであるとすれば、モチーフは小説のマインドだ。体と心である。
 風土はこのどちらとも関わっている。風土を見て、思い立つストーリーがある。風土に接してモチーフを獲得するケースもある。ある風土を舞台にしなければ成立しえないストーリーもあるし、風土と密接に結びついたモチーフもある。それぞれの関係は、あるときは深く、あるときは淡く、すこぶる複雑だ。作者の立場と、読む人の立場とで見えてくるものが異なったりもする。
 私の<ものがたり風土記>(正続)は風土とストーリー、風土とモチーフ、それぞれの関わりを、現実の旅の中で捜してみよう、という試みであった」と書く。
 確かに小説を読む場合、その作品が書かれた背景を知れば、さらに作品は面白くなるだろうし、その舞台に行けるならもっと小説を面白く読めるかもしれないなとも思う。しかしそんな読書はかなりむずかしいだろう。だからこの本のような小説の舞台を教えてくれる本はある意味貴重かもしれないと思った。


評価
★★


書誌
書名:続 ものがたり風土記
著者:阿刀田 高
ISBN:9784087745214
出版社:集英社 (2001/06/30 出版)
版型:337p / 19cm / B6判
販売価:1,890円 (税込)

2008年10月10日

阿刀田高著『ものがたり風土記』

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 また阿刀田さんの本に戻る。この本は紀行文である。阿刀田さんは次のようにこの旅の目的をいう。

「昔話、伝説、民話、物語、小ばなし、小説、言い方はいろいろあるにせよ、これらを支えている大切な要素にストーリーがある。稚拙なもの、巧みなもの、単純なもの、複雑なもの、レベルは多様だが、ずいぶんと古い時代から人間はストーリーを珍重して来た。事実から変形したもの、想像が生んだもの、だれかが語り始め、だれかが伝え、だれかが添削をして今日に残っているものが無数にある。名もない語り部が、愛すべき小説家(ストーリーテラー)が実在していあたはずだ」

 その物語、あるいは昔話、伝説、民話などを日本各地を探し歩き、それらのゆかりの地で物語の由来を探るのである。それは必ずしも事実だけが大切なわけではない。フィクションにはそれを創った理由、創った人の願望が潜んでいるから、それを探るのである。それがたとえ作り話であっても、百年たてば、りっぱな伝承的真実になっているものがたくさん日本にはあるから、それを訪ね歩く。
 従って名もなき語り部や有名な作家の作品、あるいは世界中に散らばる作品のも同様なものがあるとして紹介していく。それが結構面白く、紹介された作品を思わず読んでみたくなってくる。
 阿刀田さんは松本清張さんの作品に造詣が深く、いくつかここでも紹介しているのだが、今ちょうど夜な夜な清張さんの短編を読んでいるので、思わず、どれどれと作品集から該当の作品を探してしまう。
 さて、伝説といえば私は高木彬光さんの『成吉思汗の秘密』が懐かしかった。ここでは死んでほしくないヒーローたちはいろいろな形で生き続ける例としてあげている。実際はどう考えてもあり得ないのだけれど、物語だと面白く語れる例として話している。
 高木さんのこの本はいつ読んだであろうか?多分高校時代だと思うが、結構面白く読んだ記憶があり、未だにばかばかしいけど面白かったという記憶がある。
 話は名探偵で検事である神津恭介が怪我か病気か忘れたけれど、とにかく現場に復帰できない状態で、病室で暇を持てあましている。その暇つぶしに、源義経が衣川で憤死しないで、海を渡って中国に逃れ、ジンギスカンになったという話を確かめてみようという話である。いわゆる義経伝説を神津の部下かなんかが探してきて、それを追っていくと、義経が中国に渡り、ジンギスカンになっていくのだ。

閑話休題
 ちなみにこの本確かカッパノベルスで読んだ記憶があるが、もちろん手元にはない。もう一度読んでみたいななんて思ったけれど、手に入らないだろうなと思ったら、何と、角川書店を追い出された角川春樹さんが作った出版社でハルキ文庫で読めるらしい。

 こういう話は松本清張さんにもあり、義経ではないけれど、豊臣秀頼が大阪城で死なずに生き延びたという話らしい。(さっそく読みたくなり短編集で調べてみる)

 考えてみたら、いわゆる物語はたとえ史実であっても、それが語られると同時に、語る者、あるいは話を作った者の主観が入ってくるし、わからない部分は推測し、勝手に都合良く話の整合性を整えるところがある。いや整合性を整えなくてもいい。はちゃめちゃでもいいのである。要は聞く者、読む者が面白ければそれでいいのだ。だから人類は洞窟の中で暮らしていた当時から、火をくべながら物語を語り、聞いてきたのであろうと想像する。もちろん言葉や文字なんてなかったから、手振りや、絵など描いて、それを伝えてきたのではないか。そのうち言葉が出来、文字が生まれるまで、人々は物語を代々語り伝えてきたのである。そして柳田国男みたいにそれらを採取して文字に表す。
 ただこうした物語は確かにその地に根付いたものであるである場合もあるが、得てして世界中に似たような物語があること教えてくれる。私はそれは人類共通の思考回路から生まれたものかもしれないなんて思ったりするのだが・・・。でもそういう類似性は面白い。改めて世の中にはいろいろな物語あるんだなあと思ったし、それを読んでみたいなという気持にさせられた。


評価
★★


書誌
書名:ものがたり風土記
著者:阿刀田 高
ISBN:9784087744545
出版社:集英社 (2000/02/29 出版)
版型:342p / 19cm / B6判
販売価:1,890 円(税込)

2008年10月06日

その他西郷隆盛のこと

 以前たまたま家の物置の整理をしていたら、「読売カラー百科145 歴史の旅 西郷隆盛」という小冊子が出てきた。多分読売新聞の販売所が集金の時にもってきたものだろう。それを亡くなった義父が取って置いたものだと思う。生前義父はNHKの大河ドラマであった「翔ぶが如く」のことを自分の出身地も近い関係で、楽しみに見てたから、これも読んだかもしれない。捨てるのもなんなのでそのまま取っておいたのを思い出し、取り出して読んでみた。


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 この小冊子は歴史小話を盛り込んだ観光ガイドといっていいかもしれない。書かれている歴史小話は大したことはない。いかにも読売新聞販売所が購読者に洗剤と一緒にサービスで配るといったものだ。ただ、逸話として面白いのは、「西郷の妻たち」である。
 これによると西郷は三人の妻を娶っている。最初の奥さんとは離婚し、二人目が奄美に隠れていたとき島の娘、竜愛可那と暮らしていたが、帰藩命令が出て鹿児島に戻った。竜愛可那はそのまま奄美に残った。そして小松帯刀の媒酌で後家老座書役岩山八郎太の次女イトと結婚した。明治三十一年高村光雲作の上野の西郷像の除幕式にイトも出席したそうだが、その時、「主人はあんな見苦しいなりで人前に出る人ではない」といって泣いたという。
 西南戦争に関する写真は興味深い。二枚ほど借りてみる。最初が私学校跡地と西郷終焉の地城山である。


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 次があの田原坂付近の写真。田原坂旧道の写真を見ていると、地形がよくわかる。道に政府軍、小山の上に薩軍がいたのであろうか?


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 もう一冊西郷に関する雑誌がある。小学館の『週刊新説戦乱の日本史』7巻の「新説西南戦争」である。今もシリーズとして刊行されているので先の小冊子とはちがい写真はきれいだ。またどこでどのような戦いがあったのか図版もわかりやすい。『翔ぶが如く』の7巻の時に使用した西郷たちの逃避行の地図はここから借りた。


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 ここでは可愛岳(えのだけ)の写真を借りる。


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 この写真を見ていると司馬さんが描いている西郷たちの可愛岳越えが、いかに鹿児島に戻るためとはいえ、壮絶な逃避行であったか想像できる。
 ところで薩軍は財政的戦略が一切なかった。このことは以前書いた。そのため戦いが長期化すると資金不足となった。そこで「西郷札」という紙幣を日向の佐土原で自ら作り発行した。これで戦略物資を調達しようとしたのである。しかしこれを使われた方はたまったもんじゃない。なぜなら他の紙幣や金銀と交換できない不換紙幣であったため、紙幣に信頼が一切なかったからだ。それを薩軍は力をもって通用させた。この「西郷札」は当時16万円ほど発行され、通用する期間が3年であった。


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 当然西南戦争後、紙屑同然となり、日向の人々に多大な損害を与えた。被害を受けた人々はその補償を政府に申請したが、賊軍の発行した紙幣に補償などできるかということで、政府がその申請をはねつけた。
 松本清張さんの初期の短編に『西郷札』というのがある。昔読んだことが確かあるはずだが、背景がよくわからなかったため、何となく読んだ記憶があるという程度にしか頭に残っていなかった。それで、松本清張全集の35巻を引っ張り出し読んでみた。


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 要は紙屑同然となった「西郷札」を集めて、政府に高値で引き取ってもらおうと企む輩の話である。その前例があったらしい。
 あの三菱の創業者岩崎弥太郎が廃藩置県でやはり紙屑同然となった藩札集め、政府に引き取ってもらい、莫大な資金を調達して、三菱を発展させたことの二番煎じを企んだのである。
 話の結末は歴史の通り、政府が買い取りを拒否したため、「西郷札」を集めた輩は破産する。それを関係者の嫉妬心など若干を加えてエンターテイメント化した作品で、読んでみて面白かった。やっぱり物語の背景がよくわかると、話も面白くなる。
 で、この話が面白かったので、この巻に収録されている他の短編もちょっと読むことになっちゃった。

2008年10月04日

三浦しをん著『三四郎はそれから門を出た』

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 この本というか、この書名は朝日新聞で見て気になっていた。面白い題名をつけるもんだなと思っていたのである。もちろんこれはすべて夏目漱石の小説である。三浦さんによれば、遠い昔文学史の授業で夏目漱石の代表作を語呂合わせで覚えるために使ったものだそうだ。ちなみにこれは漱石前期三部作といわれる。後期三部作は『彼岸過迄』『行人』『こゝろ』となる。
 さて、この本は今まで三浦さんがいろいろなところで書いてきたエッセイを一冊の本にまとめたもので、朝日新聞に掲載されたこのエッセイも含まれ、そのまま本の書名となった。主に三浦さんの書評といっていいだろう。
 ただ三浦さんの読まれる本は私が読む本と系統がかなり違うので、私としてはいろいろな本があるんだなというぐらいで、いくつかは除いて今後ほとんど読まない本だろうなと思う。ただ、ちょっと気になる本はいくつかあったので、さっそくメモして、後日読んでみようかと思っている。
 でもそれぞれの本の内容は別として、その内容について三浦さんが語る語り口は最高に面白い。
 基本は自分がしている“ゆる~い生活”を棚に上げて、その分ポジティブシンキングになり、過激なつっこみをいれる。それが大いに笑えるのである。ときに、この人本当に女性なのかなと思うくらい、男性的な過激さでものを言っている。出演者たちが楽しんじゃっていて、視聴者を置いてきぼりにしている最近のバラエティーよりはるかに面白かった。久々に笑わせてくれたという感じだ。
 たとえば、穂村弘さんの『本当はちがうんだ日記』を題材にして次のように語る。

 読んでいて、なんだか他人事とは思えない。たとえば私は、見知らぬ男女が親しく言葉を交わして飲み食いするという「合コン」なるものを心から憎んでいるが、そのくせ自分で出会いを演出する技にも気力にも努力にも欠け、現在使用中の化粧水は、タンスの奥に眠っていた試供品だ。
 問題は「過剰な自意識」だ。自意識が邪魔をして、「私も仲間に入れてほしい」と率直に表明することができない。楽しそうな人々をモジモジと遠巻きに眺めるのもである。
 こういう心性を、一言で表す言葉がある。「思春期」だ。この欄をお読みの中高生は、思春期まっただなかで、さぞかし生きにくい日々を送っていることだろう。しかし、いずれは思春期も終わり、楽しい青春が待ち受けているはず、と希望を抱いていると思う。残念ながら、その希望は捨てた方がいい。恐るべきことに、思春期は一生つづくものだからだ。
 その、つらくもあり情けなくもある真実が、笑いと鋭さに満ちたエピソードとなって、『本当はちがうんだ日記』に克明に記されている。

 この「三四郎はそれから門を出た」は中高生のための本の紹介ということになっているから、その年代の合わせてこのようにいっているのだ。他にも、次にようにある。

 え、もしかしてもう夏休み?いいなあ。海、山、恋、冒険と休み中の予定が目白押しかしら?いや案外夏期講習の予定だったりして。ははは、ざまあみろ(と、夏休み自体がないくせに喧嘩を売ってみた)

 気になる文章がある。

 本を売る店で働いていると(三浦さんはアルバイトして古本屋さんで働いていたらしい)、気がつくことがある。新刊、古本問わず、とにかく「本」というものを求めて集う人間は、総じてキャラクターが濃いのだ。お客さんも店員も、浮世離れしていたり、逆に欲望におもむくままに行動しすぎていたりで、見ていて飽きない。

 そうかなぁ、私も以前書店員であったからキャラが濃かったのかなぁ。そして今はどうだろう・・・・?確かに本好きにはどこか世間離れしていて、胡散臭い部分もあるので、個性的なキャラクターの人が集まる可能性は充分ある。そして本好きが本屋に勤めるというパターンが多いだろうから、買う方も売る方も似たようなキャラクターになる可能性も充分ある。まぁそれもそれで面白いと思うのだが、最近の大書店では女性には制服、男性にはネクタイを強制して、個性的なキャラを無臭化しようとしている。その結果書店員もその辺のOLやビジネスマンと何ら変わらないようになっちゃって、機械的で面白くない。検索機械の扱いは詳しいけど、本のことをまるで知らない馬鹿書店員が増えている。
 一方読む側もおかしな(あるいはつまらない)人間が増えているような気がする。三浦さんは次のように憤る。

 「趣味は読書」と、てらいなく履歴書に記入できる人々がうらやましくてならない。いや率直に言って、うらやましさが高じて憎しみすら覚える。
 「私、けっこう本読むんだ-。『冷静と情熱のあいだ』はすっごくよかったよ」なんて言う、おまえらなんてみんな死ね。合コン中の男女を横目に、居酒屋で一人、苦しい思いでビールを飲んだことが何度あっただろう。私にとっちゃあ、読書はもはや「趣味」なんて次元で語れるもんじゃないんだ。持てる時間と金の大半を注ぎ込んで挑む、「おまえ(本)と俺との愛の真剣勝負」なんだよ!

あるいは、

 私は読書を通してお役立ち知識を仕入れたいわけではなく、励ましを期待したためしはなく、癒されたくもなく、自己を肯定してもらいたくもないんじゃ!だいたいそんな甘えた精神で本を読んで、はたして楽しいのか?

 私は三浦さんのこの意見には大賛成で、趣味を「読書」と平気で言えたり、履歴書に書ける神経はちょっと私にも理解しかねる部分がある。あるいは最初から打算的に知識を得ることを期待したり、癒しを求めたりするのはどうかと思う。そんなもの読んでみなきゃわからないだろう。

 さて、ここに収録されている三浦さんのエッセイは本のことだけではない。旅、食事、映画、美容など女性らしい文章もあるのだが、やっぱり三浦節が出てしまう。「『大江戸温泉物語』へ行く」では、

 さっそく大きな風呂場に向かう。光差す真っ昼間の広大な風呂場には、大勢の裸の女性(老いも若きも)が集まっていた。あんまり裸体の数が多いから「風呂に入る」という日常的な行為も、なんだか非日常的な行為に変わる。私は湯船につかりながら、「なんかこう・・・・アウシュビッツのガス室を連想させる不吉さがあるんだよな」と思った。無数の裸体の、無防備さゆえの迫力に圧倒されたのだ。

 ここを読んだとき、飲んでいたアイスコーヒーを噴き出してしまった。何となく想像できちゃうからおかしかった。


評価
★★★★


書誌
書名:三四郎はそれから門を出た
著者:三浦 しをん
ISBN:9784591093566
出版社:ポプラ社 (2006/07/25 出版)
版型:305p / 19cm / B6判
販売価:1,680円 (税込)

2008年10月03日

池谷伊佐夫著『東京古書店グラフィティ』

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 池谷さんの本を入手したのでまた読んでみる。読んでみるというより古本屋さんの店内のイラストや書き込みにある店の蔵書を目をこらして見ているといった方がいいかもしれない。それが楽しいのである。今回は都内のおもだった古本屋さんがここに登場している。池谷さんがこうして古本屋さんのイラストの本を描くのは、新刊書店が品揃えに個性感がないため、面白味がないという理由だ。だから必然的にターゲットは古本屋さんになってしまうという。(もちろん池谷さん自身が古本好きというのが一番の理由だろうが)
 例外的に個性的な新刊書店を最後に紹介している。銀座のイエナと書肆アクセスがなどである。ただ二軒とも今はない。個性的であるが故に潰れちゃったのかもしれないなんて思う。
 都内でもこれだけ面白そうな古本屋さんがあることを改めて知らされるのだが、如何せんお店の場所がまちまちで、しかも私の生活範囲から結構離れている。たとえば神保町のように一カ所にいくつもの古本屋さんがあれば、たとえ一つのお店に入って本がなくても、違うお店に入って本を探すことが出来るから、行ってもいいかなと思う。
 だけれど、スポットであるお店にわざわざ訪ねて行って、何も収穫がなかったら身も蓋もないなと考えちゃうのだ。確かに古本屋さん巡りは楽しいしだろうし、お店の棚を眺めるのも面白そうと思うけど、欲しい本を探しに出かけて何もなかったと考えると「ちょっとなぁ」と二の足を踏んでしまう。
 まして、ネットで探せば簡単に在庫の検索ができる時代である。その便利さを享受してしまっているので余計である。だから面白そうなお店だなということで、ただそれだけで足を運ぶことはないと思う。だから仮に何かの用で近くまで行ったときに寄ってみたいと思うのだ。

 池谷さんは中学生の頃江戸川乱歩に沈溺したらしい。それで近隣の町の古本屋さんを巡り乱歩の本を探したという。その数も相当量になったらしいが、全作品が集まった頃、江戸川乱歩の全集が刊行された。思わず「冗談じゃない。これまでの苦労はどうしてくれるのだ」と地団駄を踏んだという。「だろうな」と思う。全集というのはその名の通り、その作家の全作品が、それこそ絶版本であってもそこに収録されちゃうわけだから、昔の作品を読みたいと思って、苦労して古本を集める意味を失なわせる。しかも全集は統一された装丁できれいに並ぶわけだから、腹も立つ。
 けれど池谷さんは「負け惜しみでいうのではないが、発売当時の単行本は、値段、装丁、造本、はては活字にいたるまでその時代が表れており、ストレートに作品の世界へ入っていくことができる」という。これは私もそう思う。
 何度も書いたけど、私は開高さんの昔の単行本が欲しくて、古本屋巡りをはじめた。それはたとえば文庫でも読めるし、全集でも読める。だけど発売当時の単行本そのものの味わいはそこにはない。集めてみると、発売当時の単行本はいいのである。文庫で読んだ作品の親本である単行本がこれだったのかと、手に取り感慨深くなってしまうのである。池谷さんの言う通り、本にその時代のすべてが表現されているような気がしてしまうのである。好きな作家の作品だから、いろいろな意味でいとおしいのである。
 こうした私の行動を文庫にあるのだから内容は同じじゃないと馬鹿にする。「いやいや違うのだ」と言ってもなかなか理解してくれない。
 私が親本である単行本にこだわる理由は“発売当時の本”に価値があると思っているからである。といっても初版本にはこだわってはいない。少なくても“発売当時の本”の雰囲気を残している単行本であればいいと思っているだけだ。その雰囲気を味わいたいだけなのだ。だから私はビブリオマニアではない。
 先に読んだ『チャリング・クロス街84番地』のヘレ-ン・ハンフが17世紀の頃の本を探し求めたのも、これだったんじゃないかなと思っている。
 最近は阿刀田さんに凝っちゃっているところがあるが、その阿刀田さんの本だって出来れば発売当時の単行本が欲しいと思っているので、文庫では簡単に探せるけど、あえて単行本にこだわっているのも、そんな理由からだ。
 だからといって、文庫が悪いなんて全く思っていない。文庫も好きである。だけど時代の雰囲気を感じたければやっぱり単行本だと思うのだ。


評価
★★★


書誌
書名:東京古書店グラフィティ
著者:池谷 伊佐夫
ISBN:9784487754731
出版社:東京書籍 (1996/11/07 出版)
版型:163p / 21cm / A5判
販売価:1,528 円(税込)

2008年10月02日

ヘレ-ン・ハンフ著『チャリング・クロス街84番地』

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 昔開高健さんの古い本を探すために、神田や早稲田の古本屋さんを回ったが、それでも手に入るものは限られていた。「日本古書通信」に全国の古本屋さんが自分のところ在庫を広告として載せていているので、その中から開高さん未入手の本を探し、はがきで注文した。確か2冊ほどこの方法で手に入れたと思う。中には抽選というやつもあって、外れたのだろう。その本は入手できなかった。
 今ではネットで簡単に日本全国の古本屋さんにアクセスできるので、こんな面倒なことなどすることもなく、在庫の確認も注文も数度のクリックで簡単にできてしまう。後は数日待てば、本と請求書が送られてきて、後は郵便振替で送金すればいいし、アマゾンならそのままカード決済だから、本を受け取るだけでいい。ここには古本を売る人とそれを買う人の顔が一切見えない。
 たとえば昔やったはがきでの注文でも、注文する本の書名などを書くのは当たり前だし、最後には「よろしくお願いします」の一言ぐらいは書き添えるだろう。それだけでも何か見えてくるものがあると思いたいが、ネットの場合それが一切ない。確かにつまらんしがらみがないから、その方が楽といえば楽であるが、どこか寂しさがつきまとう。特に古本という手垢のついた本にかかわるものだから、ちょっとは人との関係が欲しいといえば欲しい気もするのである。

 なんでこんなことを書いたかといえば、この本を読んだからである。私の持っているこの本は昭和59年発売の初版本である。当時からもう24年経ってしまっている。本もほどよく日焼けして、赤茶けている。多分買ってすぐ読んだと思うけど、内容は覚えていない。先日読んだ池谷伊佐夫さんの本にこの本のことがちょこっと書かれていて、気になったものだから読み返すことにしたのだ。
 この本は、ヘレ-ン・ハンフが『サンデー・レビュー』で絶版本を専門に扱っているイギリスのチャリング・クロス街84番地にあるマークス社の広告を見て、手紙に添え欲しい本のリストと一緒に送ったことから始まる。時は1949年10月5日である。ハンフの担当となったのはマークス社のフランク・ドエルであった。ドエルはハンフの注文した本を探し出し、アメリカにいるハンフの元へ本を送る。
 ヘレ-ン・ハンフは自ら貧乏作家で、古本好きと称しているが、生計はテレビの台本を書くことで立てている。古本好きもこの本を読んでいる限り、主にイギリスの古典作家に興味があって、それらの作家たちの本をドエルに注文している。
 しかし注文した本がすぐハンフの元に届くとは限らない。結構やっかいな作家たちの本を注文しているので、ドエルはそれらの本を探し出すのに苦労している。そのためなかなかハンフの元に本が届かない。ハンフは注文した本はどうなっているの?とキャンキャン吠えるし、本を探さないで、店でぼーっとしてるんじゃないのと毒づく。
 しかしそれは悪意があるわけじゃない。私もハンフの気持はよくわかる。古本好きのとって自分が探している本がなかなか見つからないというのは、結構イライラするものなのだ。まぁその分目当ての本が見つかり、手元でその本をさわり、ページをめくり、読んでみると、うれしさはひとしおなのだが・・・。ハンフも届いた本を見て驚き、感激し、ページにペーパーナイフを入れて読み、また感動するのである。
 この本を読んでいると、当時イギリスでは食料の販売統制がおこなわれていたようである。多分戦争終了後だからだろう。ハンフはドエルに肉やハム、卵(乾燥卵というのもあるらしいが、どんなやつなのだろうか?)や缶詰などをクリスマスや復活祭などのプレゼントして送っている。それはマークス社のドエルたちが苦労してハンフが注文した本を探していることのお礼であった。
 送られてきたプレゼントはマークス社の従業員やドエルの家族に渡り、そのためハンフとの手紙のやりとりが、マークス社の従業員、ドエルの奥さんや子供たちと広がっていく。あるいはプレゼントのお返しとして、ドエルがハンフに送ったテーブルクロスは近所の老婆の手編みで、それをハンフはえらく気に入り、その老婆との手紙のやりとりもある。もちろんハンフから送られた食料品はその老婆にもお裾分けされている。
 ここではハンフとドエル関係が店とお客という商売関係で終わるのではなく、古本を介して人としての関係に変わっていくのが、心地いい。それはドエルがハンフを一番最初に“マダム”と呼び、次に“ハンフ様”に変わり、さらに敬称を省いて“ヘーレン”になっていくのでもわかる。それだけ手紙や本、そしてプレゼントやりとりがお互いを親密化していったのである。いつの日か、ハンフがイギリスに行って、チャリング・クロスにあるマークス社を訪れたいという気持にもなり、ドエルや彼の家族もそしてマークス社の社員もハンフがイギリスに来てくれることを望むようになる。
 しかしハンフのイギリス訪問はなかなか実現せず、1969年1月8日付けのマークス社の秘書からの手紙で、ドエルが死亡したことを知らされる。読む側としては、それまでハンフとドエルの手紙のやりとりが書かれていたのに、いきなり秘書からの手紙でドエルの死亡を知ることになったので、正直驚いてしまった。
 訳者である江藤淳さんは解説で次のように書かれている。

「二十年の歳月にわたってつづけられたこのほのぼのとした交友に終止符を打つのは、フランク・ドエルの突然の死である。私たちが、フランクの死を告げる手紙を見て愕然とし、もう二十年も経ってしまったのか、と思い、人はやはり死んでしまうのだな、と思わざるを得ない。この切断は鮮烈であり、ひとことのコメントも添えられていないためにかえって粛然と襟を正させられる。つまり死が、この往復書簡集に作品の輪郭をあたえたのだということができる」

 たしかにハンフとドエルの往復書簡は読む側にとって、怒ったり、謝ったり、喜んでみたり、感謝してみたりして、素直な人間性とやさしさをそこに感じさせてくれた。だからそれがドエルの死によって終わってしまう残念さを余計に感じるのである。
 ハンフは最後にイギリスに行く友人宛に「イギリスのことは長い年月夢に見てきました。ただ、かの地の町のたたずまいを見るためだけに、よくイギリス映画を見にいきました。何年か前、私の知り合いのある男性が、イギリス旅行をする人は、見ようという目的のものが必ず見られる、って言ったのを覚えています。で、私ならイギリス文学のイギリスが見たいわって言ったら、彼、うなずいて、あるともって言っていたわ。
 あるかもしれないし、ないかもわからない。今私がすわっている敷物のまわりをながめると、一つだけ確実なことが言えます。イギリス文学はここにあるのです。
 ここにある私の古書を全部お世話してくださったありがたいお方は、数カ月前に亡くなってしまいました。その古書店の店主だったマークスさんももうこの世にはいらっしゃいません。でもマークス社は依然として残っています。もしチャリング・クロス街84番地の前をお通りになるようなことがあったら、私からよろしくって言ってくださいね。そうしてくだされば、大いに感謝いたします」と書いている。
 ここでハンフが注文したは、古さもあるけどきっとすばらしい装丁の本なのだろうなと思ってしまった。ウォルトンの『釣魚大全』や『ピープス氏の日記』(私のは岩波新書なのだけれど)などは、私も持っている本とは違い、まるで他の本のような感じがしてしまった。だってハンフがあれほど待ち望んだ本なのだから。
 いい本であった。


評価
★★★★★


書誌
書名:チャリング・クロス街84番地 ― 書物を愛する人のための本
著者:ヘレ-ン・ハンフ 江藤淳訳
ISBN:9784122011632
出版社:中央公論新社 (1984/10 出版) 中公文庫
版型:233p / 16cm / 文庫判
販売価:680円(税込)

2008年10月01日

YOMIURI PC編集部編『パソコンは日本語をどう変えたか』

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 私はWindows Vistaが搭載されたノートパソコンを使ってこのブログの文章を書いているが、最初Vistaの画面の文字を見たとき「あれっ、なんか違うな?」と感じた。普段フォントなどあまり気にしない方なのだが、そんな私でもそんなことを感じた。
 Vistaのシステムフォントを“メイリオ”ということをはじめて知った。私は知らなかったが、このフォントはVista発売前から結構話題になったらしい。“メイリオ”の語源は「明瞭」からきているらしいが、その語源の通り、確かにXPの文字よりスッキリしているかもしれない。そのねらいは①ディスプレイ上(特に液晶ディスプレイに)での可読性向上、②和文と欧文を違和感なく調和させるということにあるらしい。
 ところで漢字をコンピューター上で扱えるようにするためには、一定の数の漢字に番号を振ってソフトに組み込まなければならない。この組み込まれた文字の集合体を「文字セット」といい、多くはJISの文字コードを基準にしている。Vistaは「JIS X 0213:2004」(通称「JIS2004」)という文字コードを使っている。
 ところがVista以前のバージョン、例えばXPでは「90JIS」が組み込まれていて、ここで問題が生じるらしい。下の文字を見てほしい。「かつしかく」を漢字変換すると、上がXPの場合、下がVistaの場合である。違いがわかるであろうか?


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 XPは「ヒカツ」であり、Vistaは「人カツ」なのである。それをこの本で知ったとき、実際試してみて「へぇ~、そうなんだ!」としげしげとその文字を見てしまった。
 これは大したことじゃないと思われるかもしれないけど、搭載している文字コードの違いがあるということは結構問題なのである。だって双方名前なのだから当然こだわりがあるはずで、いい加減に済ませられる問題じゃない。
 さらにVistaの「JIS2004」の文字コードにはあまり日常生活では使われない第3、第4水準の漢字が収録されているが、XPの「90JIS」はそれが収録されていない。もしVistaで第3、第4水準の漢字を使って、例えばメールなどした場合、XPでは文字化けしてしまうのである。今のところ混乱がないのは、Vistaがまだそれほど普及していなし、そもそも第3、第4水準の漢字が日常生活であまり使われることのない漢字だからであるが、固有名詞にはこの第3、第4水準の漢字が使われる可能性が充分あるので、ネットの取引など支障をきたすおそれがあるという。

 アメリカ生まれのコンピューターはアルファベットしか扱えない。しかし日本でコンピューターを使うためにはどうしても漢字が使えないとその普及は進まない。当然である。しかしコンピューターで漢字が扱えるとなると、大変なシステムが必要になるし、ソフトも複雑になる。
 例えば英語の場合、基本的な文字数はアルファベット26文字と数字と記号だけで100字あれば事足りるし、しかもアルファベットは漢字に比べれば字形が単純だ。ところが日本語の場合、ひらがな、カタカナ、それにいくあるかわからない漢字を扱わないとならない。しかも字形が複雑ときている。さらに同音異義語が日本語にはたくさんある。それらの問題をどうやってクリアーして、パソコンに日本語変換を組み込んでいったかを、その歴史をこの本では書かれている。
 昔、日経新聞から出版された『パソコン革命の旗手たち』という本を楽しく読ませてもらった記憶があるが、まさにそれを日本語変換ということに限って再現した感じだ。
 ところでこの本の題名である「パソコンは日本語をどう変えていったか」が、私としては一番興味のあることがらである。この本ではこのことが最後の章にわずかしか書かれていないのは残念である。
 ここではパソコンで簡単に漢字変換できることが「きちんと漢字を使えない人が増えた」、「難しい漢字は読めるが、『手で』書けない」という状況を生み出したと指摘しているが、それは今までいわれてきたことだし、自分自身もそう感じているから、目新しいことではない。
 パソコンで簡単に漢字に変換してくれるものだから、個人のブログなど見ていると、時に、普段絶対に使わない漢字が使われていることに気がつく。あるいは個人の手記などまとめた本など読んでいると、多分パソコンで原稿を書いたのだろう。「ここでこんな難しい漢字を使うか?」と疑問に思うことがある。これらすべて、日本語変換ソフトの「お節介」から生じたことだろう。
 私はこのブログでよく本の中の文章を引用する。それをそのままパソコンに入力して、変換すると、本の文章では漢字が使われていないのに、ここでは漢字になってしまう。正確を期すため、本に書かれている通りにしたいので、漢字に変換されないようにするか、あるいは戻って直したりする。そのたびにイライラしする。無理に漢字に変換しなくてもいいのにとさえ思う。
 プロの文章家の文章を引用していると、気づくことがある。パソコンでは漢字になってしまうことばがひらがなで書かれることによって、やさしくなっているような気がする。やたら漢字が連なっていると、堅苦しいし、なんか文章にトゲがあるように感じてしまう。そして漢字を思い切って使う時はその漢字が端的に意味を言い表しているときに使われる。それが文章全体を引きしめる。
 それを感じたので、私も無理に漢字は使わないようにしようと思ったのである。もちろん大した文章など素人なので書けはしないのだが、それでもやさしい文章で、引きしまった文章は美しいし、見た目にもきれいだと思う。だから少しでもそうありたいと、パソコンまかせに文章を書かないようにしているつもりである。


評価
★★


書誌
書名:パソコンは日本語をどう変えたか―日本語処理の技術史
著者:YOMIURI PC編集部【編】
ISBN:9784062576109
出版社:講談社 (2008/08/20 出版)ブルーバックス
版型:253p / 18cm
販売価:945円 (税込)