2008年11月07日
須賀敦子著『須賀敦子全集』〈第2巻〉
須賀さんの全集第二巻を読んでみる。この巻は『ヴェネツィアの宿』『トリエステの坂道』が収録されている。『ヴェネツィアの宿』は須賀さんの日本での生い立ちなどが回想され、『トリエステの坂道』では須賀さんの夫ペッピーノ家を取り巻く人々とのふれあいがつづられている。
前回もそうだったけれど、今回も須賀さんの文章に魅力を感じていた。それが何故なのか考えてみた。うまく言えないのだけれど、たぶんそれは回想というスタイルをとるためではないかと思う。つまりそこに書かれた文章はある程度時間がたったことであり、その分充分考え抜かれた感じがするのである。そしてそこには何か失った者への哀惜というのか、全体に“喪失感”を感じるのである。
この二つのことは、あるときは苦しく、悲しい時代のことであっても、それを強調せずに済んでいるし、楽しく、豊かな時代では、浮かれることなく、冷静に描写することになるのではないだろうか。つまりかなり抑制のきいた文章になっている感じだ。それは時間がたっていることで冷静な思考が出来ることからくることだろうし、あるいは描かれた人々が今はいないという“喪失感”が、懐かしさを醸し出しているような気がする。そんなところが私が好きなところなのではないかと思う。それに表現や言葉の言い回しが本当にうまいと思う。こういう文章が書けること自体うらやましい次第だ。
今回も須賀さんの書かれた文章から気になる言葉を拾ってみた。
つい何ヶ月かまえまで、空襲の下をかいくぐりながら、今日は死ぬか、明日は家が焼けるかと覚悟ばかりしていた暮しにくらべると、いのちの尺度が変わっただけでも、なにもかもが愉しかった。
橋をわたったあたりで、カテドラルが、夏の早朝の張りつめた空気のなかにその全容を見せはじめた瞬間、どうしたことか、私は、とつぜん、この中世の建造物と自分が、ずっといっしょに連れだって日本からやってきたのではないかという、奇妙な錯覚にみまわれた。それまで自分のなかではぐくみそだててきた夢幻のカテドラルと、目のまえに大きくそびえわだかまる現実のカテドラルとが、きらきらとふるえる朝の光のなかで、たがいに呼びあい、求めあって、私の内部でひとつに重なった。腕に鳥肌がたったのは、あきらかに冷たい空気のせいだけでなかった。
「昼間から寝たりして、ごめんなさい。夜汽車でエクス・ラ・シャペルから来たものだから」
「エクス・ラ・シャペル?」
どこかで聞いたような土地の名だったが、思い出せない。
「そうよ。ドイツ語だとアーヘン」
「アーヘン?シャルルマーニュの?」
「そうよ、そうよ」よくできましたねえ、というように彼女は大きくうなずいてから、つけくわえた。「フランス語ではエクス・ラ・シャペルっていうのよ。いまはドイツの町だけど」
死に抗って、死の手から彼をひきはなそうとして疲れはてている私を残して、あの初夏の夜、もっと疲れはてた彼は、声もかけないでひとりで行ってしまった。
『用途のない備忘録』
(そのころ、麻布あたりでも、冬の朝、庭中の土が、霜柱でざくざくにささくれた)
カード好きのやさしいおじさん、と私が勝手に決めこんでいたあの人物は、残りすくない時間の中で必死に後輩をそだてようとする、山の村のおごそかな長老でもあったのだ。
彼女の死に衝撃をうけるほど、自分と彼女とのあいだに親密なつきあいがあったわけではなかった。そう思ってみても、どうしようもない喪失感が、ほとんど私の意志とは関係なく、大切な本につけてしまたとりかえしのつかないインクのしみのように、私のなかに、黒い翳りをひろげていた。
もたつきながら自分達の苦しみを見つめ、それに腹を立て、それに泣かされながらも試行錯誤をつづけていく社会、より自己充足的でない施設を目指していきたい。そうでないと、人類が人類として、生き残れないと思うからだ。政治も勿論、福祉政策を、そのような方向にもっていくべきだと思うし、それ以前に、私たち一人一人が、毎日の生活のひたすらな能率主義を、自分よりゆっくり歩いて行く人と歩調をあわせるために、少しずつ崩していく以外、私たちが、もう少しゆっくり歩こうとする以外、どうにもならぬのではないか。
それにしても、なにかひとりよがりの匂いの抜けきらない「やさしさ」や「おもいやり」よりも、他人の立場に身を置いて相手を理解しようとする「想像力」のほうに、私はより魅力をおぼえるのだが。
今日のローマには、自由をもとめて流れついた難民と、フィリピンやアフリカ、東欧などからの、出稼ぎの人たちも多くて、暗い活気のようなものが、この都会の目にみえない部分で、激しく流れているような気がすることがあります。
難民なんて、なにも今日始まったことじゃない。トラステヴェレの町はそんな、あきらめと、おおらかさがまざった気持で、彼らを受け入れているようです。
文章というのは、かなりそれが書かれた時代に似ているものである。内容だけでなくて、文の組みたて具合、といったものが、同時代の建物や道路の配置によく似ていることがある。
パリの合理性(合理性は知性のほんの一面でしかない)に息がつまりそうになっていた自分には、イタリアの包容力がたのもしかった。なにも、かたくなることはないのだ。そう思うと、視界がすっとひらけた気がした。
評価
★★★
書誌
書名:須賀敦子全集〈第2巻〉
著者:須賀 敦子
ISBN:9784309420523
出版社:河出書房新社 (2006/12/20 出版) 河出文庫
版型:606p / 15cm / A6判
販売価:1,050 円(税込)
- by kmoto
- at 16:04
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