2008年11月26日

吉村昭著『わたしの流儀』

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 吉村昭さんの小説は今まで何冊か読んできた。しかしエッセイは今回初めてである。でもいい感じのエッセイを書かれるなあと思った。肩の張らない吉村さんの日常がさりげなく語られ、しかもお説教臭さもなくていい。ただ吉村さんが当たり前と思うことを思うままに書かれている。
 しかし吉村さんにとって当たりまでも、最近世の中全体的におかしくなってきているので、それが当たり前じゃなくなってしまっている部分がある。それを理屈抜きでおかしいのだからおかしいと言える態度が凛としていていい感じだ。
 例えば「赤信号」という随筆では、「横断歩道で赤信号になっている場合、車が全く通っていなくても渡ってはいけない、ときびしく教えるのが幼児教育である。理屈ではない。してはいけないことは、決してしてはいけないということを教え込む」べきだと言う。
 最近何でも、どこでも、理屈にかなっていないと、おかしいんじゃないのというのが当たり前のようになっている気がする。だから理屈じゃないんだということが通らない。なぜ、どうして、ということが最前提にある。その答えがちゃんと用意されていて、納得してもらって、初めて意思疎通ができるという世の中になっている。“そんなことぐらいわかれよ”思っていても、相手がまったくわからないのだから話にならない。
 しかし世の中にはしてはいけないことはたくさんあって、それは理屈で説明できないものだと私も思う。ダメなものはダメでいいものも多くあるはずだ。それを押し通せない嫌な世の中になっていると思うのだ。

 さて、「卒業生の寄付」では吉村さんの学歴が公的にどのようなものかを知らされたにが国勢調査だという記述があった。吉村さんは戦後旧制高校に入学したが、中学時代の肺結核が進行し、絶対安静の身となり高校を退学した。幸い手術などをして回復し、三年後新制大学に入学する。しかし体力的に学業に堪えられず、大学を中退した。
 国勢調査には最終学歴を記入する欄があって、そこには中退の文字はない。従って吉村さんは中卒となった。息子さんと娘さんは大卒、奥さんは短大卒、お手伝いさんは高卒なのに、自分は中卒かと多少嘆いている。
 これと同じことを他の人が書かれている文章で読んだことがある。五木寛之さんのエッセイであった。五木さんも早稲田中退である。だから国勢調査の記入欄に、中退がないから中卒だ、といやみな言い方する奥さんに文句をつけていた。結局後で五木さんがその国勢調査を見たとき、最終学歴は夫婦とも未記入となっていたという文章である。(五木さんの初期のエッセイは奥様が出て来るのが面白い。五木さんは奥様は半ば五木さんを小馬鹿にした感じで書かれていて、そのためか奥様を“配偶者”といって書かれる)

 吉村さんのこの文章はどうでもいい文章かもしれないけれど、そこに書かれていることが昔読んだ五木さん文章と同じだと思ったことが楽しかった。お二人とも公的には自分たちは中卒だというのには、ちょっと待ってくれよという感じが出てて、言い意味でも悪い意味でも面白い。なんだかんだ言っても、学歴が気になるのは小市民的でおかしい。
 また吉村さんの違うエッセイを読みたいと思ったし、五木さん昔読んだエッセイも読み返したくなった。


評価
★★★


書誌
書名:わたしの流儀
著者:吉村 昭
ISBN:9784101117409
出版社:新潮社 (2001/05/01 出版)新潮文庫
版型:246p / 15cm / A6判
販売価:420円 (税込)

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