2008年12月31日

吉村昭著『縁起のいい客』

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 実はこのエッセイ集は文庫版で持っていたのだが、先日ブックオフで単行本を見かけ、それがコンパクトでやさしい感じで、さらに手になじむ装丁が気に入ってしまい買ってしまった。そしてこのエッセイが今年最後の締めくくりとなる。
 私は今年はじめて、吉村さんのエッセイを読んだのだが、以来完全にファンになってしまい、今は吉村さんを名エッセイシストだと思い始めている。
 今まで何冊か吉村さんのエッセイを読んできて、この人はいつも小説になる材料を探しているんだな知らされた。そしてそれが小説になりそうだとと思えば一人で資料を探し求めて、それこそ日本全国を歩き回っておられる。しかしその素材探しの中で、小説にはなりそうもない事実や事柄、人とのふれあいがエッセイとして生まれ変わる。吉村さんは次のように言われる。

「小説家である私は、自分の周囲に多くの触手をのばしていて、小説の素材になるものはないか、と絶えず探っている。その触手に、小説の素材にならぬもののエッセイの材料として格好だというものがふれることがある。ダイヤモンドを探していて、エメラルドを見出すような感じである。
 この場合、エッセイの素材であるエメラルドを決して加工してはならない。エメラルドそのものに美しさがあり、それを尊重すべきなのである」

 たとえば吉村さんが、自分が通われるお店が景気が悪くて一軒一軒つぶれていくのを残念がる。普通こう景気が悪いのは政治のせいだとか言ってしまいそうだけれど、そうした野暮なことは一切書かれない。ただひいきにしているお店がつぶれていくのを寂しがるだけなのである。しかし読む方としてはその方がかえって切実さが感じられる。
 そうなのである。ありがままにあったことを描写する。ただしそれを見る吉村さんの視点はぶれない。ある意味これは吉村さんが頑固な性格なのかなと感じられる。
 また自身のことを書かれるときも、吉村さん流の無理をしない自然体の生き方が書かれる。それは歳相応の常識で判断されたものであって、これはこれで安心できてしまう。無理して若ぶってみたり、背伸びしてみたりはしない。今の自分が感じるまま、あるいは考えるままを書かれる。それでいて押しつけがましいところは一切ない。
 得てして人は自分の生きてきた人生を過去の遺産みたいに後生大事にして語るものだから、どうしても説教くさくなるし、もっと言えば人生訓みたいな話し方になってしまうところがある。そういうのって嫌だと常日頃思っているものだから、こうした素直な歳相応な感覚でさりげなく語れる手法がなんか心地いいのである。うまいなとさえ思ってしまう。
 心地よいエッセイというのはいいなと思う。だから来年も吉村さんエッセイを読みたいと思う。さらにここに紹介されている吉村さんが書かれた歴史小説も読んでみたいなと思っている。

 今年も残すところ後二時間あまり。本当は今日読んだ本のことは翌日書くのが私の流儀なのですが、明日はもう年が変わってしまうので切りのいいところで今日書いてしまおうと思い、一気に書いてしまいました。なんか慌てた感じがしないでもないが、何とか書き上がりました。
 今年一年間このブログに付き合ってくださった方がどれほどいるのかわかりませんが、もしお付き合いしてくれた方がおりましたら、お礼申し上げます。ありがとうございました。来年もこんな感じで書きつづっていくつもりでおりますので、このままお付き合い願えれば幸いです。


評価
★★★


書誌
書名:縁起のいい客
著者:吉村 昭
ISBN:9784163592909
出版社:文芸春秋 (2003/01/15 出版)
版型:261p / 19cm / B6判
販売価:1,249 円(税込)

2008年12月30日

海堂尊著『イノセント・ゲリラの祝祭』

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 今回の話は、病院内で事件が起こる話ではない。ここではニュースなどで報道される医療事故で簡単に医師を司法が裁く、その現状を憂いているのだ。
 そもそも手術などリスクの大きい治療で、患者が死亡した場合、そのリスクを医師に背負わせるのに問題がある。手術が成功すれば“名医”となり、失敗なり、患者が死んでしまえば、“犯罪者”になってしまう。医師は患者を治したいとして治療しているのに、それが不幸にも死という結果になった場合、訴えられるのだから医師も大変だ。そんなリスクを負ってまで医師になる方がおかしい。最近の小児科医や産婦人科の医師不足の問題点は多分ここにあるのだろう。それでなくてももともとお産は危険なところがあるだけに、死に結びつく可能性が他の診療科と比べて大きいに違いない。
 ここでは“社会制度の奴隷と化した勤務医”とか書かれているけれど、それだけでなく好意の治療が犯罪にされちゃうわけだから、今の制度的問題や、何でもかんでも訴えるアメリカ的思想はある程度排除すべきじゃないかなとも思う。医療と司法の切り離しはある程度必要かと思う。もちろんとんでもない医師も存在するだろうから、誰でも医師なら犯罪者にならないというわけにもいくまい。医師側にも医師としての能力があるかどうか、いつも目を光らせて欲しいと思う。
 “医者も労働者だ”という意見はもっともだと思う。医師なら誰でも“赤ひげ先生”にならなきゃいけないと思っている我々の方がおかしいのである。人の志だけに頼って、お金も出さなきゃ、失敗すれば文句もいい、挙げ句の果てに訴えるんじゃどうしようもない。

 この本では医療事故となった場合、解剖となるが、その解剖の施行率が二パーセント台と書かれている。それを聞くといったい日本人の死亡原因はいったいどのように決定されているんだろうかと疑問を持ってしまう。ここでは日本の死因の九割以上が死因不明だと書かれる。
 よく死亡診断書に書かれる死因のの一つとして“心不全”があるが、その“心不全”とは、状態の記述だというのだ。それはただ心臓の機能が不全状態を示しているだけで、それを死亡診断書に書くことは実は死因不明と書いたのに等しいらしい。
 しかしだからといって、その死因を究明するために、病理解剖が行われているわけでもない。先に書いたとおり施行率が二パーセント台なのである。何故か?何と解剖は一体当たり、二五万円かかり、それがほとんど病院側の持ち出しで行われるらしいのだ。厚労省は医療費削減のため、その費用を認めていないらしい。まぁ、最近よく言われる医療費のシーリングのためだろうけど、ただ昔からそうらしい。
 医療費削減も結構だけれど、必要なところに拠出すべきじゃないかと素人の私でもそう思う。メタボなんかにお金をかけるより、もっと必要とすべきところにお金をかけるべきだと、これだけでもそう思う。

 で、今回は主人公の田口公平が、厚生労働省の白鳥圭輔にそそのかされて、医療事故調査委員会・創設検討会の委員にされ、厚労省のその会議に参加し、日本人の死因を確定させるのに役立つエーアイ(死亡時画像検査)の導入に積極的に意見を言わされるはめになる。多分これは著者の海堂さんが積極的に主張するエーアイの有効性を示したいから、こうして物語にされたのだろう。詳しいことはわからないけれど、何でもかんでも解剖しなきゃ死因がわからないのなら(しかもほとんど解剖されることもないのなら)、このエーアイ導入はいいんじゃないのと思う。遺族も家族が解剖されるより、遺体を傷つけないエーアイなら、心証的に受け入れやすいような気がする。

 それにしてもなんだかんだと委員会を作り、その実何も改善しようとしない役人の姿勢は呆れるばかりである。その点白鳥圭輔は異質ではあるけれど、その白鳥でさえ厚労省では本来存在してはならない役人だと思われている。厚生労働省の事務次官は次のように言う。

「官僚には不動点や特異点は存在してはならない。特異点は取り替えが利きません。官僚の大いなる美点は、いつでもどこでも誰とでも相互互換ができること。システム運営する誰かが、取り替えの利かない存在に成り果てたら、その人と共にシステムは滅びる。だから我ら官僚は、顔のない、誰もが同じ造作の、無限増殖を繰り返す存在に徹しなければならないのです」と。
 多分これは厚労省の役人だけでなく、日本の官僚の姿勢なんだろなと思った。


評価
★★★


書誌
書名:イノセント・ゲリラの祝祭
著者:海堂 尊
ISBN:9784796666763
出版社:宝島社 (2008/11 出版)
版型:373p / 20cm / B6判
販売価:1,575 円(税込)

2008年12月26日

東野圭吾著『ガリレオの苦悩』

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 続いて「ガリレオ」シリーズの新作を読む。今回は短編だ。しかし前回もそうだったけれど、はっきり言って「ガリレオ」の短編はつまらなかった。どうして長編はおもしろいのに短編はつまらないのだろうか。
 それはたぶんトリックの材料に物理や科学の実験道具を使うからだろう。つまり最新のそうした器具を犯罪道具として使ってしまえば、極端な話、何でも完全犯罪が可能になってしまうのではないか。しかもそうした器具は我々素人にはよくわからないから、現実性が薄い。一般的じゃない。その分リアリティーがなくなってしまう。だから読んでいてつまらないのだ。犯罪は現実の社会で起こりうるものなのだから、我々が直に感じ取れるものを使ってトリックを駆使して話を展開してもらいたい部分がある。その方が読んでいてもおもしろい。
 だから「ガリレオ」の短編は読まない方がいいのではないかと思う。だって長編で充分堪能したのに、短編で興醒めしてしまえば、もったいないではないか。


評価


書誌
書名:ガリレオの苦悩
著者:東野 圭吾
ISBN:9784163276205
出版社:文藝春秋 (2008/10/25 出版)
版型:339p / 19cm / B6判
販売価:1,600 円(税込)

2008年12月24日

東野圭吾著『聖女の救済』

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 この「ガリレオ」シリーズが映画化されるためか、新刊として2冊このシリーズが発売された。というわけで、まずは長編のこの本から私も読むことにする。おもしろかった。
 毎度ミステリーに関して書くのに苦労する。どこがどのようにおもしろかったのかを書いちゃうと、ネタバレしてしまうから、これから読もうとする人が、もしかして私のブログを読んで、おいおいここまで書いちゃ、読む気が起こらんだろうと文句を言われかねない。でも、ある程度話の内容を書かないと、私にとって備忘録にならないので、ここは我慢してもらわなければならない。

 綾音は夫の真柴義孝から一年以内に子供ができなかったので別れようと言われる。それは二人の結婚時の約束でもあった。そもそも綾音は子供が産めない身体であったから、一年後綾音は義孝から捨てられる運命でもあった。
 そして一年後のために綾音は義孝の運命を握るべく、義孝殺害のトリックを仕掛ける。それは綾音が子供が産めなくても、義孝が綾音を必要とすれば、それを破棄すればいいし、結婚時の約束を義孝が言い出せば、それを実行すればいいだけであった。「綾音にとっての結婚生活とは、絞首台に立った夫を救済し続ける毎日であった」。そしてその救済が終わったとき、義孝は殺されるのであった。
 この小説は犯人が最初からわかっている。だから犯人がどのようにしてトリックを仕掛け、犯罪を遂行していくか、その部分の謎解きがこの本の醍醐味となる。さすがにそれはちょっと書けない。でも、トリックがわかったとき、「すごい!」と思ってしまった。こういう動機なら、またこういうトリックなら完全犯罪は可能であろうと思われた。そういう意味では充分楽しめた。

 それはそうと、ガリレオこと湯川学がどうしても福山雅治と完全に結びついちゃって、ちょっとまずいなと思った。テレビドラマを見なきゃよかったなぁと思った次第だ。
 また、内海薫がi-podに福山雅治の曲を入れて聴いているという描写は、おいおいちょっとテレビや映画を意識しすぎじゃないのと思ったが、まぁ、話は充分楽しめたのだから、許すことにする。続いて短編の方も読み始める。


評価
★★★★


書誌
書名:聖女の救済
著者:東野 圭吾
ISBN:9784163276106
出版社:文藝春秋 (2008/10/25 出版)
版型:378p / 19cm / B6判
販売価:1,699円 (税込)

2008年12月20日

井原万見子著『すごい本屋!』

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 すごい本屋とは井原さんのイハラ・ハートショプのことである。お店のあるところは和歌山県。お店までJR和歌山駅から在来線で六〇分。御坊駅というところで降りて、路線バスで川原河めで五〇分。そこからコミュニティバスに乗り換えて二〇分の平橋で下車とある。つまり和歌山駅から二時間以上かかる山奥である。この本の最初に多分お店のある村の全景の写真だろう。それがあるが、まわりを山に囲まれている。川の流れる水の音、山桜、山藤、ホタル、秋の月、神社のイチョウが黄色くなる。冬には雪。イノシシ、鹿にも出くわすらしい。
 とにかく自然が豊かなところとは想像がつくが、いったいどこにあるんだろうと思ってしまう。Google Earthで調べてみて、「えっ~、こんなところで本屋さんなんてやっていけるの?」と思ってしまった。

 この本によると、イハラ・ハートショプの前身は井原さんの伯父さんが二十二年前にはじめた本屋さんである。その時はここには図書館もなければ、本屋も車で一時間近くかけていかなければならなかったという。村の人たちは伯父さんが大阪で本屋を開業したことを聞いて、この村にも本屋さんがあればいいなあという要望に応えてできたお店だそうだ。そしてその後を井原さんが継いだ。名前のイハラ・ハートショプとは井原さんの兄弟が自動車修理工場のイハラ・ボディーショップを開いてるので、ボディーがあるから今度はハートということで決まったそうだ。
 イハラ・ハートショプは現在集落に残るたった一つの小売店になってしまっているので、村人の要望を聞いて本だけでなくお菓子や日用雑貨、味噌や醤油なども置いている不思議な本屋さんである。アイスクリームもパンも、タバコもお線香も置いている。
 本の荷物が届くのは午後一時頃。新刊配本は受けていないという。要は注文品だけということなのだろう。お客さんもその点は心得ていて、きちんと入荷を待ってくれるという。だから「この書籍の入っている箱を開ける瞬間は、とてもわくわくします。茶色いダンボール箱の横に、青い文字で顔をデザインしたトーハンマークがついているだけのシンプルな箱なのですが、私にはリボンのついたプレゼント箱のように見えます。そして開いてみて、お客さんが楽しみに待ってくれている本が入っていると、小躍りしてしまうのです」と井原さんは書く。
 店に置いてあるのは絵本各種。「文藝春秋」や「現代農業」などここでの売れ筋の雑誌。文庫、コミックもあるという。久しぶりに「現代農業」という雑誌名を聞いた。もちろん農文協の農業書も置いてあるという。思わず、「へぇ~、農文協の本とはなるほどね」と思った次第だ。農文協という出版社は農業書はもちろん、食に関する本、児童書など、意外とおもしろい本をだしている。昔、どぶろくの作り方の本をよく売ったものだ。

 とにかく山奥にある小さな本屋さんである。本の流通も都会の本屋さんみたいなわけにはいかない。流行のものや話題の本などそう簡単に手に入るわけじゃないだろう。しかしだからこそ、はやりすたりの激しい本など追いかけずに、お客さんの要望に応えられる本を置く。この店は競合店の心配もなく、顔見知りのお客さんとゆっくり対応したりして、懐かしい書店だと井原さん自身言われる。人はイハラ・ハートショプは周回遅れの最前線の本屋さんと称したらしいが、周回遅れでも、何事にも乗り遅れまいとして走りまくってきた都会の書店がどんどん潰れていく中、この和歌山の山奥で存在価値がある本屋さんが元気に頑張っておられるというのがうれしくなってしまう。
 特に子供の本には井原さんは力を入れておられる。なぜ子どもの本に力を入れるのか、この本では詳しく書かれていないが、井原さんの同級生が子供を残してわずか二年半の闘病生活後亡くなられた。その同級生は自分が子供のそばにいて何も助言できないことで、一冊の絵本に子どもたちの成長を見守って欲しいと願いを託していったことが、絵本に取り組むきっかっけとなられたようだ。
 だから村の子供たちにもっともっと本とふれあってほしいという気持になり、児童書の見本を持って、小学校に出かけ、先生ではなく子供たちに本を選ばせる。ここではあくまでも子供が主役だ。子供が自ら絵本を選び、座り込んで夢中で読む姿が描かれるけど、そこには強制された読書では見られない光景がある。ホント強制された読書はつまらない。子供が本嫌いになるのはそうした強制された読書や感想文なんか書かされるからだと井原さんは言っておられるけど、まさしくその通りだと思う。
 そうした絵本の魅力を村の子供たちにさらに伝えたくて井原さんは絵本の原画を出版社から借りて展示したり、絵本作家を山奥に招いて朗読会やサイン会などを行い、子供たちと本のふれあいの輪を広げていく。絵本の原画を見る子供たちや作家のサイン会に参加する子供たちの目がきらきら輝いているのが見えそうな気がする。
 そうした絵本の原画を借りに行くため、あるいは作家さんにこの山奥に来てもらうために、井原さんは水曜日の定休日を利用して火曜日の夜に夜行バスに乗り、東京にある絵本の出版社に協力を得るため訪ねるのである。井原さんは「田舎で暮らしていますと、あきらめなければならないことが多すぎて・・・・。それでも、本と本屋に関わっていることで、著者に会い、絵本原画を見る機会が作ることができるんだと、知りました」という。あるいは「業界が厳しいと言われるようになった時代じゃなくても、当店は最初から厳しい環境にありました。ただ黙って待っているわけにはいかないなと動いていたら、イベントを開催できました」とも言っている。そうしたイベントを通して井原さんは「子どものころの体験が、大きくなってからの自分の進む道に影響するのだな」と思うのである
 ここを訪れた作家さんは「そうか、本はラーメンやパンや醤油と同じ日用品なのだ!」と店の品揃えを見て納得するのを読んで、本は特別なものではなく、そうした日用品の一部であることに案外意味があるのではないかと思えてくる。
 都会のようにたくさんの本が氾濫していると、あまりにも情報がありすぎて、その子にとって本当に必要な一冊が見つからないのではないかと思ったりする。本との出会いも一期一会であって、それは都会であってもイハラ・ハートショプのような山奥にある本屋さんでも関係ない。どこで自分が読みたい本に出会えるか。あるいはそれを提供してもらえるかにかかっているのではないかと思う。そういう意味では井原さんは村の子供たちに本の出会いを提供しているわけだから、それだけでもすばらしいことだと思うのだ。
 何でもかんでも流行を追いかけることで疲れはて、本当に自分は何を求めていたのかさえ忘れてしまう現代にあって、いいものに出会わせることに力を注いでおられる井原さんに敬意を表してしまう。
 井原さんののそうした行為と、子供たちの輝く目が見えるいい本であった。またこの本を読んでいて絵本の持つ魅力もあらためて考えさせられた。


イハラ・ハートショプ
http://www5.ocn.ne.jp/~i-heart/


評価
★★★★


書誌
書名:すごい本屋!
著者:井原 万見子
ISBN:9784022504050
出版社:朝日新聞出版 (2008/12/30 出版)
版型:220p / 19cm / B6判
販売価:1,680円 (税込)

2008年12月18日

松本健一著『司馬遼太郎が発見した日本』

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 この本は松本さんが「週刊『街道をゆく』」の巻頭に載せたそれぞれの街道の解説を一冊にまとめたものである。だから私は少なくても読んでいることになる。が、読んでいて、こんなにつまらなかったけ?と正直思った。「週刊『街道をゆく』」を読んでいた頃は、結構松本さんの解説がためになっていたし、実際司馬さんの『街道をゆく』を読んでいたときは、かなり参考にさせてもらった記憶がある。しかしこうして一冊にまとまってしまうと、大したことは言っていないなと感じてしまった。
 ただおもしろいと思ったことが一つある。三島由紀夫事件と『街道をゆく』の関係である。たぶんこれは松本さんの仮説なんだろうけど、仮説としてはおもしろいと思った。
 1970年11月25日に三島由紀夫は「盾の会」のメンバーと自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入し、「天皇陛下万歳!」と叫んで割腹自殺した事件がいわゆる三島由紀夫事件である。
 一方司馬さんのこの「街道をゆく」の連載が始まったのは1971年1月1日号からで、当然この連載の原稿は前年の11月か12月の初めではないかと松本さんは推測されている。ということは、この三島由紀夫事件が「街道をゆく」の執筆に何らかの影響を与えているのではないかというのである。
 その根拠として松本さんは三島由紀夫が自決してからすぐ「異常な三島事件に接して」という三島由紀夫を痛烈に批判した文章を書いていることをあげている。
 三島由紀夫は昭和天皇が戦後「人間宣言」をして天皇が神でなくなってしまった日本を問題視した。三島にとって気概を持った美しい日本の象徴は天皇であるべきであって、だから自分は天皇が神であることを信じ、天皇陛下万歳と叫んで死んでいくんだとした。松本さんは三島由紀夫は天皇原理主義だったというのである。
 それを司馬さんは「私が考えている日本とは違う」ということを批判文章で言い表したというのである。司馬さんは思想に淫してはいけないし、あるいは思想のために死ぬことはあってはならない。たとえ仮にその思想が一時支持されても、所詮一種の「狂気」でしか支えられないものだというのである。
 司馬さんは三島由紀夫の思想を「美」に置き換えた方がわかりやすいとし、三島が求める「美」が戦後日本にはなくなってしまったから、自衛隊員にその絶対的な価値(天皇)の復権を促した。
 司馬さんが求める日本とは、三島が言う天皇が神である社会でもないし、高度成長期の「豊かな社会」でもない。松本さんは司馬さんは「日本人が長い歴史をかけて歩いてつくってきた『道』や『土(くに)』に、そうしたモノ(づくりの文化)に詩を、いや『美しい日本』を見出しているのである」という。
 つまりある意味この『街道をゆく』は三島が求める日本の美に対してのアンチテーゼであったのではないかというのである。そしてそれがこの『街道をゆく』の執筆の動機の一つであったのではないかというのである。

 あるいは三島由紀夫事件とこの『街道をゆく』の執筆時期が重なっていることを考えれば、そんなことも言えるかもしれない。けれどたとえそうであっても、この『街道をゆく』は高度成長期社会に作り上げてきたモノとは違い、本来日本あった、日本を日本たらしめている「不合理」的な「文化」を求め、それが高度成長という名の下に壊されつつあるから、こうした失いつつある原郷を求めて出た旅ではないかというのがしっくり来るような気がする。
 もちろん司馬さんが経験した戦争が、三島が求める天皇を神とした戦前の思想や政治体制を批判することをこのシリーズでも忘れてはいない。ということは結果として三島の思想を批判していることにもなるのだろう。何となくそう考えた方がいいような気がするのだがどうであろうか?


評価
★★


書誌
書名:司馬遼太郎が発見した日本―『街道をゆく』を読み解く
著者:松本 健一
ISBN:9784022502315
出版社:朝日新聞社 (2006/10/30 出版)
版型:232p / 19cm / B6判
販売価:1,365 円(税込)

2008年12月16日

本多孝好著『チェーン・ポイズン』

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 駅で息子と会った。彼は大学へ行く途中、私は新宿へ本を買いに行くために、おなじ地下鉄に乗る。久しぶりに息子と話す。それまで何か気分が晴れなくて、気晴らしに本でも買いに行くかと出かけたのだが、しばらく息子と話している内に、気分が晴れ、いい心地になった。私は彼の感性、繊細さが好きなのである。
 最近なんかおもしろい本を読んだか?と聞いたら、この本を教えてくれた。持っているなら貸してくれと頼み、翌日貸してもらった。さっそく読み始める。一気に読んでしまった。最後に「あれ、おかしいじゃん?なんで?」と思った。しばらくわけがわからなかった。そして気がついたのである。私は作者のトリックにまんまとだまされていたことを。それがわかったとき、「やられた!」と思った。

 この本は高野章子が自分と同じ名前の人物が二十歳で自殺した高野悦子の『二十歳の原点』を手に取るところから始まる。

 そして誰も待っている人間がいない、単調な一日を送る女がいた。彼女は会社に行く気が起こらなくなった。行った公園のベンチに座り「もう死にたい」と呟いたとき、「本当ですか?」と声をかける人物がいた。その人物は、死ぬのを一年待ってくれたら、一瞬で楽に、眠るように死ねる薬を褒美として差しあげるという。
 女はその言葉を信じ、自分が勤めていた会社を辞る。時間つぶしに住宅街をふらふら歩いているときに児童養護施設のボランティア募集張り紙を見て、そこで一年間を過ごすことにする。

 週刊誌の編集部にいる山瀬は以前取材した突発性難聴にかかったバイオリニスト如月俊と妻と娘を無惨に殺された持田和夫がアルカロイド系毒物で自殺したことが気にかかっていた。如月俊は発病から一年半で、持田和夫は妻と娘を殺した犯人の死刑が執行されて一年後服毒自殺した。二つのキーワード、アルカロイド系毒物、一年という時間が気にかかった。何故同じ毒物なのか?なぜ一年という時間を置いての自殺だったのか?
 そして彼らと山瀬と何ら関係ない元OLの高野章子がやはりアルカロイド系毒物で、会社を辞めて一年後服毒自殺したことを知る。山瀬は高野章子のことを調べ始める。山瀬は彼ら三人にアルカロイド系毒物を売ったセールスマンがいるのではないかと推理し始めるが、それでも何故一年なのかわからなかった。
 物語は山瀬が高野章子の生前の生活を調べるのと、女がボランティアで一年過ごすことが同時に書き進められる。私は読んでいるうちに、この女が高野章子だと思いこまされてしまった。
 しかし私は山瀬が高野章子の生前付き合いのあった人物に会ったり、章子の両親に会ったりしているのに、章子が児童養護施設でボランティアをしていることが調べられないのが不思議であった。ここで高野章子と女は別人と気づくべきだったのかもしれない。

 女は施設でボランティアをしている内に、そこにいる子供たちと深い関係が築きあげられいくのを感じ始める。自分は一年後自殺をする覚悟でいる。約束の日まで今日も頑張って一日を潰した。近づいたと思っていた女が、いつかここにいる子供たちの将来も見てみたいという気持にもなる。
 そこへ園長が病気で死んでしまい、施設が解散される事態に陥る。園長の息子は施設の土地を売って、それを選挙資金にして区議会議員に打って出ようとしていた。そこで女は自分が自殺して入る保険金で子供たちの将来を保障してやろうとする。
 一方同じ施設で働く工藤たちは施設の存続を求めるホームページを立ち上げ、区政に打って出る園長の息子の中傷をそこに書き込む。怒った息子は女を襲うが、この時この女が高野章子でないことを知らされる。

 この本はミステリーの楽しみも充分堪能できたが、自殺を望む人間の絶望感にも考えさせられてしまう。山瀬が高野章子のことを調べているうちに、章子の性格がわかり始める。取材をしているうちに章子が「どんなに面倒なことでも、それで丸く収まるのなら、すべて自分が引き受けていた女性。その不器用な姿に、周囲は同情ともに、それよりも強い苛立ちを抱いてしまう女性。お線香を上げてあげたいという悼みより、お線香を上げてあげなきゃという義務感を覚えさせる女性」であることが浮かび上がってくる。そんな女が三十年以上も生きてきて、いろいろなものが溜まってしまい、自らの容量から溢れてしまったとき、自殺したのではないかという友人の言葉が重く響く。
 突発性難聴にかかったバイオリニスト如月俊にしても、、不遜で、傲慢で、けれど決して演奏に妥協しない過去の自分が、障害を乗り越えて演奏する自分をよしとしない。だから死ぬしかないという絶望感。
 妻と娘を轢き殺された持田和夫にしても、犯人が死ぬまで自分は一秒でも犯人より先に死ぬわけはいかない。犯人がいない世界を見届ける義務があると思っていた。けれど、犯人の弁護士がありもしない事実をでっち上げ、事実そのもを意識的にねじ曲げて弁護するのを見て、犯人みたいな化け物やそれを守ろうとする化け物が現実の社会にいることを知らされる。世界は何も変わらないという絶望感は、まさしく被害者や関係者でなければわからない、憤りのやり場のない絶望感がここに示される。
 そんな彼らの絶望感は何ともやりきれなかった。希望は人に生きる力を与えるかもしれないけれど、絶望はいった人に何を与えるのか。あるいは奪うのか。そんなことをふと考えさせられる本であった。


評価
★★★★


書誌
書名:チェーン・ポイズン
著者:本多 孝好
ISBN:9784062151306
出版社:講談社 (2008/11/01 出版)
版型:332p / 19cm / B6判
販売価:1,680円 (税込)

2008年12月12日

吉村昭著『光る壁画』

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 この本は多分昔読んだはずだ。でも、もう一度読みたくなって文庫本を購入する。今は私も毎年一回はお世話になっている胃カメラの開発物語である。初めて読んだときは、まだ胃カメラのお世話になっていなかったから、それほど身近なものとして感じられなかったが、今は「どれどれどのようにして胃カメラ誕生したのか?」、と興味があった。
 開発は戦後まもなくオリオンカメラ(モデルはオリンパスカメラ)の曽根菊男(モデルとなった人は深海正治)のところに東大医学部附属病院分院の副手宇野達郎という外科医が胃カメラの製作を依頼するところから始まる。
 それまで胃の中を見るには、レントゲン写真を撮る方法と、胃鏡という方法、それと胃内撮影(これは実用化されていないし、失敗していた)の三つの方法があった。
 恐ろしいのはこの胃鏡という方法である。なんと口から金属の管を胃の中まで差し込んで、上から見る方法なのである。しかし金属管を飲み込むことが出来る人たちがいるのである。大道芸人の呑刀師という人たちである、よくあるでしょう、剣を口に入れて奥まで呑み込む芸をする人たちである。その人に直径十三ミリの金属管を呑み込んでもらい、管の中に光を送って胃の中を覗いたのが最初であったという。その後この胃鏡は多少改良されて、一般の患者に使われたが、食道を破ってしまう事故などが起こり、結局使用が避けられていた。
 依頼された曽根は、まずは胃の中まで入る管を、金属管ではなく、患者の苦痛の少ない素材で作り、次に胃に入った管にカメラを付けて、胃の内部を撮影する方法を、試行錯誤しながら開発していくのである。
 今みたいにファイバースコープなどない時代である。管の先に直接カメラ、六ミリフィルムを入れるマガジン、光源となる豆電球を付けるのである。人間の咽頭の広さは平均十四ミリだそうで、管はそれ以下でなくてはならない。当然管にも厚みがあるし、しかもその中に光源である豆電球と、カメラを装置しなければならないのである。
 まずは管の素材を探し、次に管の中に入るカメラ。当然レンズも極小のもとなる。電球ももちろん小さい物でなければならない。電球は小さくなればその光量も少なくなる。それを明るくすれば、今度は中のフィラメントがすぐ焼き入れてしまい、耐久性がなくなる。
 驚くのは戦後間もないこの時期に、胃カメラに付ける小さなレンズを磨いて作る人や、極小の豆電球、しかも光量があって耐久性のあるものを作れる職人がいたことである。
 おもしろいのはこの胃カメラに使う素材を当時巷にあった素材から探し、あるいは応用して、試作器を作り上げていくことである。たとえば、マガジンに入った六ミリのフィルムを一コマずつ引っ張り出す糸(シャッターの役目をするもの)に三味線の弦を応用する。またレンズが固定焦点なものだから、カメラと胃壁に一定の距離が必要となる。しかしこの胃カメラは一端胃の中に入れてしまうと、管の先端がどこにあるのかわからなかった。そのため透明なコンドームをカメラのついた先端に付けて、ふくらまし、そのことでカメラと胃壁の距離を一定にするのである。物資の少ない時代だから余計にそうしたさまざまなものを応用していく。まさしく“手作り”の胃カメラであった。
 しかし根本的な問題があった。先に言ったように、胃カメラが胃のどの部分あって、どこを撮しているのかわからないということなのである。今みたいにモニターがあって、それを見ながら操作出来ないのである。試作器を使って犬の胃を撮影しているとき、実験室の電球が切れた。その時、犬の腹がうっすらと光るのである。そうなのだ。胃カメラの豆電球が内部で光っているのである。まさしく“光る壁画”であった。偶然が胃カメラの操作方法を教えてくれたのであった。
 こうして試作器の胃カメラを犬を使って実験し、ある程度成果が出た時点で、今度は人に使うようになる。しかし何せすべてが初めてのことである。胃カメラを入れても奥まで入っていなかったりして、うまく胃の内部が写らない。それでも病院内の外科医が自ら実験台となって、胃カメラを呑むのである。こうして日本で世界最初の胃カメラが誕生したのである。
 この小説のおもしろさは胃カメラ製作に当たっての試行錯誤していく過程が描かれていることと、彼らがいた時代風景がうまく描かれているところである。その時代背景がよくわかり、いかにも戦後だなと思った

 主人公の曽根は箱根の旅館の息子でもあった。奥さんに旅館経営を任せて、自らは実験の合間に帰る単身赴任であった。この本を読んで知ったのだけれど、戦後の箱根の旅館に宿泊する人たちは、宿泊の条件として一食一合のお米を持参して、それを旅館の女中さんが計って受け取っていたという。戦後の食糧難がよくわかる。また曽根たちが東大病院に実験に行くときは、胃カメラをリュックサックに入れて背負って行くところなど、よく戦後日本を映した映画などに見られる風景である。
 またこの本では堅苦しい実験の模様だけでなく、曽根と妻の京子との人間関係も、感情も生々しく描かれていて好感をもった。いい小説であった。
 いずれにしても、この人たちのお陰で、私の胃の健康も維持されているとことがあるわけだから、感謝しなければならない。でも来年春にはまた胃の検査があることを思うと、やっぱり憂鬱だなぁ~。


評価
★★★★


書誌
書名:光る壁画
著者:吉村 昭
ISBN:9784101117171
出版社:新潮社 (1984/11 出版) 新潮文庫
版型:313p / 15cm / 文庫判
販売価:499 円(税込)

2008年12月10日

奥野宣之著『読書は1冊のノ-トにまとめなさい』

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 この本は三省堂の本店で購入した。レシートには「法律経済」と書いてある。へぇ~、この本はいわゆるビジネス書の範疇に入る本なんだと思った。まぁ、この手の分類分けは誰がやっているのか知らないが、いい加減なものだからあまり当てにできない。
 しかし予想通りというか、私にとってつまらない本であった。そもそもこうした効率的な本の読み方の勧めや速読の勧めなど、はなから馬鹿にしているのである。
 じゃあ何でこの本を読んだんだといわれそうだけど、読んだ本のことを一冊のノートに書き込むことはちょっと興味があったからだ。この本の帯には「なぜ、読んだのに覚えていないのか」とある。答えは簡単だ。その本がおもしろくないからだ。それなのにせっかく読んだ本なのだから、自分の血や肉にしないともったいない、効率が悪いというのである。そうかなあと思うのだけれど。
 とにかくそういうことだから、読んだ本について何でもいいから一冊のノートに分類せず書き込みなさいというのだ。著者の言う「インストール・リーディング」とは読んだ本を自分のものとして落とし込み、咀嚼して確実に自分のものすることを言うらしく、そのために本を探す、買う、活用するという流れを作り上げることを勧める。そのツールとなるのが一冊のノートということだ。
 
 結局本を何のために読むのかということが問題になってくるのではないかと思う。たとえばビジネスに生かすとか趣味のために、あるいは教養を高めるためとさまざまな理由が浮かびそうだけれど、少なくともこれらの理由全て私には関係のないことである。そもそもそういう理由のために本を読んでいないのだ。本を読むことが好きだから、あるいは本を楽しみたいから、読んでいるだけだ。だから本を読むための効率性など最初から頭にない。本を読むこと自体、効率が悪いとさえ思っている。だってそうでしょう。このインターネットをはじめ、いろいろな情報が簡単に、しかも短時間で手に入る時代である。そんな時代に、ページをめくって、時間をかけて本を読むなんて効率が悪いに決まっている。
 でも、だからこそいいんじゃないのと言いたいところがある。むしろそういう時代だからこそ、じっくりと腰を据えて本を読む価値があるように思えるのだ。
 読んだ本の内容を忘れたっていいじゃないの。人間歳をとれば物忘れもする。どうしても気になるなら、その本を取りだして読めばいい。それだけのことじゃん。本の内容を忘れたからといって、何か支障をきたすんですかと言いたくなる。
 何でも最近は効率、短時間でというのがビジネスだけじゃなくて、私生活でも求められている傾向がある。だからこんな本がもてはやされるのだろうし、情報に多大な価値を置いちゃっているものだから、読んだ本を自分にインストールしないともったいないなんていうのだろう。大体情報過多になっているところに、これでもかとさらに情報を詰め込んでどうなるというのだ。むしろそういうことから解放される本の読み方をしたらどうだと言いたくなる。本を読む動機は「何か面白そう」、それだけでいいと思う。
 笑っちゃうのは、著者の勧めるノートに書き込む情報が、何冊もなってしまったらどうするのだろうと思っていたら、それはパソコンで検索しやすいようにしなさいというのである。おいおい、結局パソコンかよと思ってしまった。
 この本で唯一役に立ったのは「探書リスト」というEXCELで作成された表で、これは便利だと思い、購入したい本をここに書き込んで、たたんで持ち歩くことにした。それだけの本であった。やっぱり読まなきゃよかったと後悔する本であった。


評価


書誌
書名:読書は1冊のノ-トにまとめなさい ― 100円ノ-トで確実に頭に落とすインスト-ル・リ-ディング
著者:奥野宣之
ISBN:9784901491846
出版社:ナナコ-ポレ-トコミュニケ-ション (2008/12 出版)
版型:211p / 19cm / B6判
販売価:1,365円(税込)

2008年12月09日

吉村昭著『わたしの普段着』

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 私はどうも一回気に入ってしまうと、凝るところがあって、続けてその作家の本を読みたくなるのである。吉村さんの本もそうである。
 実は以前にも何冊か吉村さんの小説を読んでいる。けれどどこか吉村さんの小説は堅苦しく感じていた。もちろん自分の興味のある歴史小説なので、読むことは読むのだが、続けて読みたいとはなかなかなれないでいた。
 たとえば司馬遼太郎さんの歴史小説と比べてみても、司馬さんの小説はどこかあそびがあって、話が重くなると“閑話休題”と称して、雑談ぽくなる。それがまたおもしろいのだが、吉村さんの歴史小説はそれがない。その分堅苦しいのである。もちろん司馬さんの小説も史実には忠実であろうとは思うが、司馬さんの場合いわゆる独特の司馬史観を通して物語が語られるため、その分取っつきやすい。
 その点吉村さんの小説は史実に忠実であろうという姿勢があまりにも強すぎるため、私が読後重々しく感じてしまうのであろう。 このエッセイには、「これは小説になる」と吉村さんが思ったことを、妥協を許さないほどの取材を重ねて小説として形作っていかれることが書かれている。「乗り物への感謝」というエッセイでは「私は小説の史料収集や現地踏査の必要からしばしば旅行し、全国で泊まらない県はない。遠隔地へ行く折は、もちろん飛行機に乗り、長崎には百回以上、札幌には百五十回以上、愛媛県宇和島には五十回前後行っている。
 これだけでも飛行機に乗ったは三百回になるが、南アフリカとアメリカへと、海外旅行に二度行っているし、日本各地に空路おもむくことが多いので、五、六百回になるはずである」と書かれている。
 これだけ徹底している。しかも出版社の人間に取材に行かせず、自ら出かけて行く。人任せにしない。疑問があれば、何度も取材に出かけ、その地方に残る資料をあさり、古老に話を聞き、小説を形作っていくことが書かれている。
 歴史の生き証人が吉村さんが戦史ものを書かれていた頃は、まだ何人か生存されており、その話を聞くことが出来たから、ストイックなまでに、古老の話を聞き、その事実から小説を作り上げていく。だからその古老たちが亡くなれるようになってきたら、吉村さんは戦史ものから手を引き、歴史小説の方へ転換していくのである。
 でも、歴史小説でも、徹底した史料調べは変わらない。だから吉村さんは「私は、史実そのものがドラマであると考えているので、フィクションをまじえることはしない」と言い切るのである。それだからこそどんな分野の小説でもリアリティーが最優先されているのであろう。だから吉村さんの書かれる小説にはそうした思いが詰まっているのだと知る。そうわかると、ここで何冊か紹介されている吉村さんの著作を読みたくなってくる。

 そんな吉村さんが自分自身聞き手になっているわけだから、あくまでも謙虚な姿勢であることが、ここに収録されたエッセイから感じることが出来るし、そうした吉村さんだからこそ、一人間として実生活でのさまざまな現実を素直に見つめておられる。
 たとえば「順番待ち」というエッセイがおもしろかった。そこには編集者から、吉村さんのファンである財界の団体役員と会った話が書かれている。その人は吉村さんの文庫本を見せた。図書館から借りたものだという。他に吉村さんの作品を読みたいと思っているが、貸し出されているので、今文庫本の順番待ちをしていると吉村さんに言うのである。
 それに対して吉村さんは釈然としない思いがしたと書く。彼は経済的にも豊かな人間であるはずなのに、五百円ほどの文庫本を何故書店で買おうとしないのか。そんな彼が順番待ちをしていることは、他の読書好きの人の利用をさまたげている。だからこの財界人は真の読書人の範疇から外れていると断罪する。その後彼はハイヤーで帰っていった。
 吉村さんは「私は学生時代三食を二食にしてまで書店や古書店で書物を手に入れた。書物を自分の物として所有することが、読書の喜びでもあった」と書くから、吉村さんは会わなきゃよかったと後悔するのである。

 この文庫本の紹介文に「気取らず、気負わず、殊更には憂いを唱えず。いつも心に普段着を着て、本当に知った人生の滋味だけを優々閑々と綴ってゆく」と書かれているが、まさしくその通り、自分自身、人、生活、旅、歴史、そのものをありのまま、感じたまま、言葉を紡いでいる感じであった。


評価
★★★★


書誌
書名:わたしの普段着
著者:吉村 昭
ISBN:9784101117492
出版社:新潮社 (2008/06/01 出版)
版型:324p / 15cm / A6判 新潮文庫
販売価:539 円(税込)

2008年12月04日

東海林さだお著『超優良企業「さだお商事」』

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 しばらく読んでいなかったが、私は東海林さだおさんのエッセイが大好きである。東海林さんが描かれる漫画より好きだと言っていい。だから自分の本棚にもかなりの冊数が東海林さん本が収まっている。
 久しぶりその東海林さんの本を手にした。といっても、この本は藤原あつこという人が聞き手になって、東海林さんの話を聞く。東海林さんの仕事をたとえば『さだお商事』のオーナーということにして、創業三六周年(2002年で)を迎えられるほどのアイデアの豊富な企業としてその秘密を探ろうとしている。
 次々とヒットを生み出す「さだお商事」にはどんな秘密があって、「さだお商事」のコンセプトが昨今苦戦を強いられる一般企業に生かせないかということらしい。また東海林さんのそこでの生活、あるいは生き方が企業で働くサラリーマンたちに自己啓発を促すようなかんじで構成されている。さすが発行元が東洋経済新報社である。一章ごとに“「さだお商事」を会社分析”として東海林さんの話す内容を企業やサラリーマンたちに役立つようにまとめられている。ただこれは無理があって、しかも非常に馬鹿らしい。
 東海林さんが話す内容をどこか自分の会社に生かせないか、あるいは社員の自己啓発に役立たないかとしてしまうと、どうも茶番劇ぽくなってしまう感じがする。しかもこの藤原という聞き手、恐ろしくへたくそなのだ。そこいらのOLか、こいつは、と思えるほど、頭が悪く、下手な相づちが鬱陶しいのだ。さすがにこれにはまいった。
 ただ、東海林さんが漫画を描く上で、自分の気持ち、あるいは精神を若く保っていることの苦労を知った。今まで読んできたエッセイや漫画は、オジサンが無理して若作りして、逆にそれが滑稽になっている。それがおもしろかった。
 しかしそのジェネレーションギャップが生み出すユーモアは、実際作者が体験するなり、感じていなければ描けないものだと、改めて知った。だから無理しても、若い世代の感覚に敏感になろうとしている。いやそうしなければならないのだ。東海林さんは次のように言う。

 漫画家の場合は、漫画がおもしろくない、時代遅れだ、感覚がヘン・・・・などとならないとも限りません。ぼくはその場面を想像すると、たまらなく怖いのです。肩たたきされるサラリーマンの心境がよくわかります。

 だから東海林さんは次のように考えるのである。

 ぼくは、デビュー以来ずっと、「世の中にウケるものは何か」というテーマを追い続けてきました。漫画は時代に合ったおもしろさでなければ、誰にも受け入れられません。時代とともに、人々の感覚も、読む人も、異なってきます。新しい感覚を持った読者が次々と生まれてきます。そうした人たちがおもしろいと感じてくれなくては、連載漫画は続きません。
 自分が若いときは、読者もおなじ年齢だから、そのままの感覚で描いていればよかったのですが、自分が年をとってくると、読者は自分より若い世代になってきて、自分の年齢との格差が広がってきます。こうしたときに、自分の感覚のままでいると、ぼくの読者層である若い世代の感覚とズレが生じてきてしまうのです。
 ですから、若い人たちの感覚を取り入れることは、必須であり最重要条件です。

 ぼくにとって、「若くある」ということは仕事を続けていくうえで不可欠です。自分を若く保って、最新の社会感覚を取り入れていかないと、漫画が時代に遅れてしまいます。必死に時流に遅れまいと、それなりの努力をすることが必須なのです。

 今まで東海林さん自身の文章や東海林さんが描く漫画を大笑いしていただけだったが、そこには自身の苦労があることを知らされた。オジサンが時代に遅れまいと、合コンに参加したり、プリクラをしたり、大変だなと思うけれど、幸い東海林さんはそうしたことを体験することに苦を感じていなく、むしろ楽しんでおられるから、明るい話題として提供されるのだろう。


評価
★★


書誌
書名:超優良企業「さだお商事」―ショージ君のイキイキ快適仕事術
著者:東海林 さだお【著】 藤原 あつこ【聞き手】
ISBN: 9784492041864
出版社:東洋経済新報社 (2002/12/05 出版)
版型:188p / 20cm
販売価:1,260円 (税込)

2008年12月03日

沢木耕太郎著『旅する力』

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 久しぶりに沢木さんのエッセイを読む。この本はあとがきに書かれているように、沢木さんが「これまでも、『深夜特急』については断片的に書いてきたり話してきた。しかし、読者から直接さまざまな質問を投げかけられ、さまざまな答えを返しているうちに、いつかそれらをひとつにまとめておこうという気になってきた。それには、読者からの質問に答えているうちに、少しずつ『深夜特急』について、ひいては旅というものについて理解が深まっていったということが大きかったかもしれない」ということで、書かれた本である。いわばあの『深夜特急』の舞台裏と旅のその後と、その旅での沢木さんの変化が書かれている。
 そのため結構興味深く読んだ。
 『深夜特急』は第一、二、三便と全三冊に分かれている。第一、二便は1986年(昭和61年)に出版され、第三便が1992年(平成4年)に出版された。第一便の出版からもう22年も経っていることに少々驚いてしまうが、第三便だけが第一、二便が出版されて6年後に出たというのも忘れていた。
 そうだった。よくお客さんに第三便はいつ出るのと聞かれたものだった。一便、二便に続いてすぐ三便も出版されるものだと思っていたが、なかなか出版されず、この本にも書かれているけれど、なかには「三便は出版さません」という書店もあったという。6年もかかれば、そういいたくなるのもうなずける。

 さて、当時若者が外国を一人旅するのに、そのバイブルともなっていた本が、小田実さんの『なんでも見てやろう』だった。沢木さんも小田さんのこの本に大なり小なり影響を受けたことが書かれている。しかし沢木さんの『深夜特急』がされると、今度はこの本が若者たちのバイブルとなっているらしい。
 で、沢木さんが重い腰を上げて自分がしてきた旅を書くにあたり、まず頭に置いたのが、アクションではなくてリアクションだったという。沢木さんは「旅を描く紀行文に『移動』は必須の条件であるだろう。しかし、『移動』そのものが価値を持つ旅はさほど多くない。大事なのは『移動』によって巻き起こる『風』なのだ。いや、もっと正確に言えば、その『風』を受けて、自分の頬が感じる冷たさや暖かさを描くことなのだ。『移動』というアクションによって切り開かれた風景、あるいは状況に、旅人がどうリアクションするか。それが紀行文の質を決定するのではないか」と考えられたのである。
 だからこの『深夜特急』は旅の過程で沢木さん何を感じ、考えたのかがそのおもしろさとなっている。
 たとえば、バンコクで赴任まもない日本人夫妻と会い、その旦那さんが「外国というのはわからないですね」、「ほんとうにわかっているのは、わからないということだけかもしれないな。知らなければ知らないでいいんだよね。自分が知らないことを知っているから、必要なら一から調べようとするに違いない。でも、中途半端に知っていると、それにとらわれてとんでもない結論を出してしまいかねないんだ。どんなに長くその国にいても、自分にはよくわからないと思っている人の方が、結局は誤らない」という話を聞いて、なるほどと思う。その言葉が沢木さんにとって旅で学ぶことのできた最も大事な考え方の一つだったと思うのである。そして旅という学校で何を学んできたかを次のようにいって最後を締めくくる。

 「私が旅という学校で学んだことがあるとすれば、それは自分の無力さを自覚するようになったということかもしれない。もし、旅に出なかったら、私は自分の無力さについてずいぶん鈍感になっていたような気がする。旅に出て手に入れたのは『無力さの感覚』だったと言ってもいいくらいかもしれない。
 いま、私はいかに自分が無力か知っている。できることはほんのわずかしかないということを知っている。しかし、だからといって、無力であることを嘆いてはいない。あるいは、無力だからといって諦めてもいない。無力であると自覚しつつ、まだ何か得体の知れないものと格闘している。無力な自分が悪戦苦闘しているところを、他人のようにどこからか眺めると、少しばかりいじらしくなってきたりもする。おいおい、そんなに頑張らなくてもいいものを、と。
 しかし、そのように頑張ることができるのも、もしかしたら自分の無力さを深く自覚しているからかもしれないのだ。そこからエネルギーが湧いてくるからかもしれないのだ」

 とにかく沢木さんは二十六歳の時ユーラシアの旅に出た。この年齢がまた大きな意味があったことを実感しているのが、なるほどそうかもしれないと思ったのだ。沢木さんは次のように言う。

 「やはり旅にはその旅にふさわしい年齢があるのだという気がする。たとえば、私にとって『深夜特急』の旅は、二十代なかばという年齢が必要だった。もし同じコースをいまの私が旅すれば、たとえ他のすべてがおなじ条件であったとしてもまったく違う旅になるだろう。
 残念ながら、いまの私は、どこに行っても、どのような旅をしても、感動することや興奮することが少なくなっている。すでに多くの土地を旅しているということもあるのだろうが、年齢が、つまり経験が、感動や興奮を奪ってしまったという要素もあるに違いない」

 その理由を「つまり、あの当時の私には、未経験という財産つきの若さがあったということなのだろう。もちろん経験は大きな財産だが、未経験もとても重要な財産なのだ。本来、未経験は負の要素だが、旅においては大きな財産になり得る。なぜなら、未経験ということ、経験していないことは、新しいことに遭遇して興奮し、感動できるということであるからだ」という。
 「未経験という財産」ってうまいこと言うなと思った。得てして未経験であることは、マイナスイメージとして評価されしまう現在だが、未経験が逆に財産にもなりうるのだと教えてくれる言葉である。

 またこの旅の後遺症が書かれているのが面白かった。これだけ劇的な旅をしてきた後だから、そうなっちゃうんだろうなと思った次第である。

 「私が旅で得た最大のものは、自分はどこでも生きていけるという自信だったかもしれない。どのようなところでも、どのような状況でも自分は生きていくことができるという自信を持つことができた。
 しかし、それは同時に大切なものを失わせることにもなった。自分はどこでも生きていくことができるという思いは、どこにいてもここは仮の場所なのではないかという意識を生むことなってしまったのだ。
 私は日本に帰ってしばらくは池上の父母の家にいたが、すぐ経堂でひとり暮らしを始めた。
 夜、その部屋の窓から暗い外の闇を眺めていると、ふと、自分がどこにいるのかわからなくなる、ということが長く続いた。そこが自分の部屋であり、家なのに、旅先で泊まったホテルの部屋より実存感がないような気がしてならなかった」

 以前書いたことがあるが、私は昔新潮社の招待で香港に行ったことがある。そこに沢木さんもゲストとして加わった。夕食の時、私もミーハー的に沢木さんに新潮社からもらった文庫の『深夜特急』一巻にサインを書いてもらった。
 翌日、マカオに向かう船のブリッジに一人で寄りかかっている姿を見かけたが、なんか場違いなところに来てしまったなというかんじを受けたものだった。今にして思えば、沢木さんは「こんなの旅じゃないよ」と思っていたんじゃないか。そんなことを考えてしまう。


評価
★★★★


書誌
書名:旅する力―深夜特急ノート
著者:沢木 耕太郎
ISBN:9784103275138
出版社:新潮社 (2008/11/30 出版)
版型:289p / 19cm / B6判
販売価:1,680 円(税込)