2008年12月31日
吉村昭著『縁起のいい客』
実はこのエッセイ集は文庫版で持っていたのだが、先日ブックオフで単行本を見かけ、それがコンパクトでやさしい感じで、さらに手になじむ装丁が気に入ってしまい買ってしまった。そしてこのエッセイが今年最後の締めくくりとなる。
私は今年はじめて、吉村さんのエッセイを読んだのだが、以来完全にファンになってしまい、今は吉村さんを名エッセイシストだと思い始めている。
今まで何冊か吉村さんのエッセイを読んできて、この人はいつも小説になる材料を探しているんだな知らされた。そしてそれが小説になりそうだとと思えば一人で資料を探し求めて、それこそ日本全国を歩き回っておられる。しかしその素材探しの中で、小説にはなりそうもない事実や事柄、人とのふれあいがエッセイとして生まれ変わる。吉村さんは次のように言われる。
「小説家である私は、自分の周囲に多くの触手をのばしていて、小説の素材になるものはないか、と絶えず探っている。その触手に、小説の素材にならぬもののエッセイの材料として格好だというものがふれることがある。ダイヤモンドを探していて、エメラルドを見出すような感じである。
この場合、エッセイの素材であるエメラルドを決して加工してはならない。エメラルドそのものに美しさがあり、それを尊重すべきなのである」
たとえば吉村さんが、自分が通われるお店が景気が悪くて一軒一軒つぶれていくのを残念がる。普通こう景気が悪いのは政治のせいだとか言ってしまいそうだけれど、そうした野暮なことは一切書かれない。ただひいきにしているお店がつぶれていくのを寂しがるだけなのである。しかし読む方としてはその方がかえって切実さが感じられる。
そうなのである。ありがままにあったことを描写する。ただしそれを見る吉村さんの視点はぶれない。ある意味これは吉村さんが頑固な性格なのかなと感じられる。
また自身のことを書かれるときも、吉村さん流の無理をしない自然体の生き方が書かれる。それは歳相応の常識で判断されたものであって、これはこれで安心できてしまう。無理して若ぶってみたり、背伸びしてみたりはしない。今の自分が感じるまま、あるいは考えるままを書かれる。それでいて押しつけがましいところは一切ない。
得てして人は自分の生きてきた人生を過去の遺産みたいに後生大事にして語るものだから、どうしても説教くさくなるし、もっと言えば人生訓みたいな話し方になってしまうところがある。そういうのって嫌だと常日頃思っているものだから、こうした素直な歳相応な感覚でさりげなく語れる手法がなんか心地いいのである。うまいなとさえ思ってしまう。
心地よいエッセイというのはいいなと思う。だから来年も吉村さんエッセイを読みたいと思う。さらにここに紹介されている吉村さんが書かれた歴史小説も読んでみたいなと思っている。
今年も残すところ後二時間あまり。本当は今日読んだ本のことは翌日書くのが私の流儀なのですが、明日はもう年が変わってしまうので切りのいいところで今日書いてしまおうと思い、一気に書いてしまいました。なんか慌てた感じがしないでもないが、何とか書き上がりました。
今年一年間このブログに付き合ってくださった方がどれほどいるのかわかりませんが、もしお付き合いしてくれた方がおりましたら、お礼申し上げます。ありがとうございました。来年もこんな感じで書きつづっていくつもりでおりますので、このままお付き合い願えれば幸いです。
評価
★★★
書誌
書名:縁起のいい客
著者:吉村 昭
ISBN:9784163592909
出版社:文芸春秋 (2003/01/15 出版)
版型:261p / 19cm / B6判
販売価:1,249 円(税込)
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- by kmoto
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