2008年12月30日
海堂尊著『イノセント・ゲリラの祝祭』
今回の話は、病院内で事件が起こる話ではない。ここではニュースなどで報道される医療事故で簡単に医師を司法が裁く、その現状を憂いているのだ。
そもそも手術などリスクの大きい治療で、患者が死亡した場合、そのリスクを医師に背負わせるのに問題がある。手術が成功すれば“名医”となり、失敗なり、患者が死んでしまえば、“犯罪者”になってしまう。医師は患者を治したいとして治療しているのに、それが不幸にも死という結果になった場合、訴えられるのだから医師も大変だ。そんなリスクを負ってまで医師になる方がおかしい。最近の小児科医や産婦人科の医師不足の問題点は多分ここにあるのだろう。それでなくてももともとお産は危険なところがあるだけに、死に結びつく可能性が他の診療科と比べて大きいに違いない。
ここでは“社会制度の奴隷と化した勤務医”とか書かれているけれど、それだけでなく好意の治療が犯罪にされちゃうわけだから、今の制度的問題や、何でもかんでも訴えるアメリカ的思想はある程度排除すべきじゃないかなとも思う。医療と司法の切り離しはある程度必要かと思う。もちろんとんでもない医師も存在するだろうから、誰でも医師なら犯罪者にならないというわけにもいくまい。医師側にも医師としての能力があるかどうか、いつも目を光らせて欲しいと思う。
“医者も労働者だ”という意見はもっともだと思う。医師なら誰でも“赤ひげ先生”にならなきゃいけないと思っている我々の方がおかしいのである。人の志だけに頼って、お金も出さなきゃ、失敗すれば文句もいい、挙げ句の果てに訴えるんじゃどうしようもない。
この本では医療事故となった場合、解剖となるが、その解剖の施行率が二パーセント台と書かれている。それを聞くといったい日本人の死亡原因はいったいどのように決定されているんだろうかと疑問を持ってしまう。ここでは日本の死因の九割以上が死因不明だと書かれる。
よく死亡診断書に書かれる死因のの一つとして“心不全”があるが、その“心不全”とは、状態の記述だというのだ。それはただ心臓の機能が不全状態を示しているだけで、それを死亡診断書に書くことは実は死因不明と書いたのに等しいらしい。
しかしだからといって、その死因を究明するために、病理解剖が行われているわけでもない。先に書いたとおり施行率が二パーセント台なのである。何故か?何と解剖は一体当たり、二五万円かかり、それがほとんど病院側の持ち出しで行われるらしいのだ。厚労省は医療費削減のため、その費用を認めていないらしい。まぁ、最近よく言われる医療費のシーリングのためだろうけど、ただ昔からそうらしい。
医療費削減も結構だけれど、必要なところに拠出すべきじゃないかと素人の私でもそう思う。メタボなんかにお金をかけるより、もっと必要とすべきところにお金をかけるべきだと、これだけでもそう思う。
で、今回は主人公の田口公平が、厚生労働省の白鳥圭輔にそそのかされて、医療事故調査委員会・創設検討会の委員にされ、厚労省のその会議に参加し、日本人の死因を確定させるのに役立つエーアイ(死亡時画像検査)の導入に積極的に意見を言わされるはめになる。多分これは著者の海堂さんが積極的に主張するエーアイの有効性を示したいから、こうして物語にされたのだろう。詳しいことはわからないけれど、何でもかんでも解剖しなきゃ死因がわからないのなら(しかもほとんど解剖されることもないのなら)、このエーアイ導入はいいんじゃないのと思う。遺族も家族が解剖されるより、遺体を傷つけないエーアイなら、心証的に受け入れやすいような気がする。
それにしてもなんだかんだと委員会を作り、その実何も改善しようとしない役人の姿勢は呆れるばかりである。その点白鳥圭輔は異質ではあるけれど、その白鳥でさえ厚労省では本来存在してはならない役人だと思われている。厚生労働省の事務次官は次のように言う。
「官僚には不動点や特異点は存在してはならない。特異点は取り替えが利きません。官僚の大いなる美点は、いつでもどこでも誰とでも相互互換ができること。システム運営する誰かが、取り替えの利かない存在に成り果てたら、その人と共にシステムは滅びる。だから我ら官僚は、顔のない、誰もが同じ造作の、無限増殖を繰り返す存在に徹しなければならないのです」と。
多分これは厚労省の役人だけでなく、日本の官僚の姿勢なんだろなと思った。
評価
★★★
書誌
書名:イノセント・ゲリラの祝祭
著者:海堂 尊
ISBN:9784796666763
出版社:宝島社 (2008/11 出版)
版型:373p / 20cm / B6判
販売価:1,575 円(税込)
- by kmoto
- at 11:22
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