
渋沢さんの他の本を探しているのだけれど、手に入らない。で、自分の本棚で何かトルコの歴史や風俗などの本がないかと探していたら、この本があった。ざっと眺めていたら、トプカプ宮殿のハーレムの生活が書かれている。ちょっと読んでみようと思い、手にした。
思うのだけれど、たとえば政治システム、法律、あるいは習慣、風俗などは人間の脳が異常に進化した結果もたらされた、架空のものであって、それが人間らしさという名の下で、ある意味非生物的拘束を要求しているものじゃないかと考えるときがある。もちろんそれは善悪をいっているんじゃない。ただそういうことなんじゃないかと思うだけである。
脳の進化が宗教を生み、言語が生まれ、文明が生まれ、芸術が生まれる。本来宗教や思想などは形のないものなのだけれど、それが言葉や絵画芸術などで形あるものとして考えられるようになった。そこから歴史が生まれる。
そうした人間が作り出した虚構は、時代と共に進化し、人間社会を構築するために、さらに非生物的虚構を作り上げてきた。何もかも取り払ってしまえば、生きるか死ぬかその一点に尽きるだろうし、勝者は敗者の殺傷与奪権を自由に握れる。じゃまになれば殺せばいいし、欲しければ手元に置けばいい。自分の利益になるなら、利用するだろうし、自分に危害を加えそうなら、取り除けばいい。そういうことだろう。
時代が進み、誰にも生きる権利が平等にあり、生きたいように生きれる自由があることを認め合うようになる。しかしそれぞれ所有するそれらの権利を主張しあえば、まとまりがつかなくなるから、それらの権利の一部を放棄して、法律を成文化してきたのだろう。人間社会とはそういう形で成り立っている。
もっと言えば、禁欲主義(この場合人間のあらゆる欲望を言っている)は、人間が人間らしくあるべき節度として考えられているところがある。つまり欲望のままに行動することは、動物と同じであって、人間のすることじゃないということだ。ある意味それはそれで、人間社会を成り立たせているところがあるから、真理であろうが、行き着くところそのはけ口がなければ息苦しい。みんなが聖職者というわけじゃないのだ。
何を言いたくてこんなことを書いているかというと、いわゆるハーレムという響きが甘美な響き誘うところがあるのではないかということを言いたくて、書いている。
この本にもB.R.レッドマンという人の『アラビアンナイトの愉しみ』という本だかなんだか知らないが、そこのある序文をが“ハーレムが何故魅惑的なのか”を物語っている。
「そこは視覚、聴覚、臭覚などありとあらゆる感覚を狂おしくさせる、めくるめく陶酔の世界である。香ぐわしい果実や花、きらめく宝石、人を酔わせるワイン、舌にとろける甘い菓子、男と女のしなやかな肉体、その比類なき美しさ、そこはまさに冒険に満ちた、なまめかしい愛が出会う世界・・・・閉ざされた窓の背後にロマンスがひっそりと身をひそめ、ヴェールの下のまなざしは謀を秘めている。召使の手には、香水がふりかけられた逢瀬を願う紙片が握られて・・・・そこはどんな大それた望みでも叶わぬものはないといった、明日という日が約束されていない世界。そこはサルと人間が張り合ってもおかしくないと思わせる、荒唐無稽な世界でもあり、一介の肉屋が王の娘と結婚できるかもしれない世界でもある。ダイヤモンドの王宮があり、王冠にはルビーそのものから彫り出される。そこでは、日常生活につきまとう煩わしさがみごとに一掃され、個人としての責任も義務も、喜ばしいことに一切存在しない。そこは伝説のダマスカスであり、伝説のカイロであり、伝説のコンスタンチノープルである・・・・つまるところ、それは永遠のお伽噺の世界なのだ-だからこそ、人を魅つきつけてやまないのだ」
そこには西欧人のあこがれである“オリエンタルリズム”がさらにハーレムを艶めかしい世界へとかき立てる。「それは18世紀の西欧社会における抑圧された欲望の隠喩であった」のだ。ジャン=オーギュスト・ドミニク・アングルの作品『オダリスクと奴隷』、あるいは34歳の時に描いた代表作『グランド・オダリスク』がそうした雰囲気をうまく描いている。


これを見ても、何か退廃的な気分のあこがれを感じられる。そこに男の欲望でもある閉ざされた世界での性的願望もそれを増長させるのであろう。どこか性的倒錯を望んでいる部分があるような気がする。
この本は著者の親族がハーレム出身であったことから、著者はハーレムに興味を持ち、その知られざる世界をこの本であらわしたものである。多くの貴重な写真、絵画がちりばめられており、本そのものが美術書みたいな感じになっている。いかにもハーレムの華々しい世界をそのまま再現したみたいになっている。ここにはハーレムの起源から、その王宮の日常生活、さらに市井でのハーレムの実体、さらにハーレムを通して西洋との出会い、それが残したものに言及している。
著者によると、ハーレムの起源を次のように考えている。人類が狩猟生活から農業生活に移るに当たり、この初期の段階では女性は穀物を育成する大地母神の権化と見なされ、特権的地位を占めていた。いわゆる女系社会であった。
ところが農業生活で余剰生産物が生まれ始めると、生活の安定を持たない者はそれを持つ者に支配されるようになる。社会は土地所有者と奴隷の二分化する。それは同時に女性が作物の豊穣を意味していた女系社会の崩壊でもあった。母親は家族の軸でなくなり父親が父系家族の家長となっていく。女性の地位が没落し始めたのである。女性は男の所有物となっていく。男が世帯を維持していくうえで一夫多妻が経済システムを維持していく要素となっていくのである。
さらに旧約聖書において女性の罪深さ、原罪は女の性にあるとまでされ、キリスト教においてさらにその思想は補強される。イスラムにおいても、女性は理に疎い者、精神力が希薄で、主人の愛欲を満たし、男の世継ぎを産むだけの価値のない者と見なされ、コーランには「女というものは汝らの耕作地。だから、どうでも好きなように自分の畑に手をつけるがよい」と書かれており、さらに大天使ミカエルがムハマンドに手渡した羊皮紙には「妻があなたに従わない場合、体罰を加えるがよい。1人の妻で足りない時は、4人まで妻を迎えるがよい」と書かれており、コーランでは4人まで妻を持っていいことになった。
これが形を変えたものがハーレムであった。ここではまずオスマントルコでハーレムの実体がどうであったのか。そこでの女性の生活の実態、あるいは王の生活などが詳しく描かれる。
我々はハーレムでは性的倒錯の世界を思い浮かべるところが多いが、ハーレムで囲われた女性にとって、そこで生きることはそうした世界のテクニシャンでもなければならなかっただろうし、かといってそれだけでいいというわけでもなかった。知性や教養も要求され、それがまた女性の魅力ともなり得たのであったことを知る。
さらにそこで生き延びていくには、陰謀、策略も必要であった。数いる女性の中から王の寵愛を受け、跡継ぎを産むためにの必要悪であった。跡継ぎを産めない女性は払い下げられたし、陰謀がばれれば、袋に詰められボスポラス海峡に沈められたから、このあたりはまさに生死をかけていたことになる。
現代でいう女性の地位などあったもんじゃない。そういう社会であった。人を人と思わず、ものと同様に扱うやり方は、今で言えば人権無視ということになるだろうが、それは今がのほほんと生きられる時代だからそう言えるのである。少なくとも人類にはそうした時代もあったことも認識しなければならないし、そもそもそれが人権無視だという主張は、あくまでも現代の視点から見ているからそう言えるだけのことだろう。少なくともハーレムいた女性達は、自分の人権など考えも及ばなかっただろう。西洋で生まれた人権はここでは通用しなかった。もともと閉ざされた世界だから余計である。
ところが1900年代にはいると、ハーレムでも西洋思想が入り込んでくる。それまで自分の人生をそうするしかない、あるいは自分の境遇をそういうものだと是認してきたものが、くずれていく。疑問を持ち始める。
「祖母たちの世代のように、父=男系社会を盲目的に信じていたなら、私たちはこれほど悩みもしないでしょう。しかし知識が増えるにつれ、私たち以前なら慰めになった信仰に疑念を持ち始めました。実際、そうなることが多いのです。女性の生き方をみてわかることは、女性への不公平さと残酷さ、悲惨さの強制以外の何ものでもないということです。服従と知識は両立しないのです」
「私が申し上げることを聞いてください。私は西洋の教育と文化が憎いのです。そのためにどんなに苦しんだことか。なぜ私はハーレムで生まれ、本で読んだ自由なヨーロッパ人として生まれなかったのだろうか。なぜ運命の神は他の人たちではなく、私たちを選んで永遠の苦悩をなめさせるのでしょうか」
どちらかといえば、この方が残酷なような気がする。自分の生き方が否定されるというのは、それこそ足下がくずれるものであっただろう。我々はそれが人間らしさであり、自由、平等が誰でもあり、当たり前の権利だと主張するけれども、それを知らない世界で生きてきた女性にとって、そのことを知ったことでますます不幸になった。あるいは自分の不幸を嘆くことになってしまったことを知らされる。知ることの悲しみを知らされるのである。
その後1909年にオスマントルコのハーレムは解散された。ただハーレムは一夫多妻を認めてきたイスラムの習慣や伝統の一部として今でも残っているらしく、イスラム原理主義では強化されているかもしれないと著者は言っている。中東やアフリカでは今でも盛んらしい。アメリカでもモルモン教の一部の宗派では一夫多妻を認めているし、ヒュー・ヘフナーの「プレイボーイの館」など形を変えたハーレムもある。驚くことにアメリカでは人口の5%にあたる者が何らかの形で一夫多妻を実践していると推定されるという。ここでは資産家が男の夢を実現しているのだろうか?
評価
★★★
書誌
書名:ハーレム―ヴェールに隠された世界
著者:アレヴ・リトル・クルーティエ 篠原 勝【訳】
ISBN:9784309222035
出版社:河出書房新社 (1991/09/30 出版)
版型:215p / 26cm / B5判
販売価:入手不可