2009年01月16日

北尾トロ著『ほんわか!』

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 この本はトロさんが雑誌「ダ・ヴィンチ」に連載している文章を一部まとめたもであるという。本のまわりにある謎を調べたものである。たとえば「読書好きはモテるのか?」とか、「処分された本の末路どうなるのか?」とか、「官能小説のタイトルは、誰がどのようにつけているのか」、あるいは「車内吊り広告はどうなっているのか」とかで、トロさんが調査隊を編成して調べたものである。
 まずは本の処分についてである。いらない本の処分というのは結構困る。古本屋に持っていくのも面倒だし、かといって資源ゴミとして処分するには忍びない。ちょっと前に朝日新聞に載っていた記事を思い出す。蔵書家のご主人が亡くなられて、その本の処分するに当たり、故人の気持もあるものだから、古本屋に売り飛ばしてしまうのに抵抗がある。だから図書館に寄付するというもので、寄付された図書館側がそうした本の寄付に困っているというものだ。寄付された本には偏りがあって、図書館向けじゃない場合多いというのだ。
 図書館も最近は公共の貸本屋化しているものだから、出来れば最近の本やベストセラーが欲しいらしい。だからたとえば故人が所有していた本が専門書の場合、とてもじゃないが寄付として受け取れないというのだ。
 まぁ本の処分のために図書館に寄付するというのは、一見美談のように見えるけれど、所詮それは本の処分のために利用しただけのことであって、そんなことをするなら古本屋さんに売ってしまった方がいいと思う。少なくとも古本屋さんに売られた本は、他の人に求められる可能性があるわけで、本が再流通することになる。
 一方たとえその本が貴重な専門書であっても、ベストセラーでないという理由で、寄付を受け入れられない図書館ってどうなんだろうかとも思う。
 昔神田村に鈴木書店という岩波書店の本など、結構かたい本を扱っている問屋さんがあった。そこで「まるすニュース」という書店向けに新刊の紹介を書いていた井狩春男さんのエッセイに、神保町界隈で古本屋さんが売れない本をゴミ置き場に軽く縛って出している本があって、それをほどいてそうっと持っていく人たちがいたということが書かれていたのを思い出す。場所が神保町である。それらの本の中にはおもしろい本もあったらしい。もともとそれらの本はゴミとして出されたものではあるけれど、“よかったら持っていっていいよ”という気持もどこかにあったのではないかという。
 トロさんこの本にもゴミとして出された本に気がつき、そうっと持っていく人がいることが書かれていたし、トロさん自身もそうした本や雑誌を持っていったことが書かれているけれど、もしそれらの本が必要なら持っていってもいいんじゃないかと私も思う。何でもかんでも資源ゴミにしてしまうよりはるかにましだ。
 私の場合、どうしようもない本はブックオフで処分してもらっている。ブックオフで値段がつかない本はそこで処分してもらっている。

 おもしろかったのは「官能小説のタイトルは、誰がどのようにつけているのか」であった。この本を読んで知ったのだけれど、本のタイトルは編集者が考えているらしい。しかも自分のところにあったタイトルをいくつも考えておくらしい。
 ここでは官能小説評論家の意見を聞いている。こんな評論家がいること自体笑ってしまうのだけれど、言っていることは結構まともだ。
 これらの本は、本の内容を吟味して選ぶというわけにもなかなかいかない。そのコーナーで立ち読みしているだけで、“変態”と思われかねないからだ。しかも著者のネームバリューでその本を選ばせるというものでもない。さらにこれらの本は“密かな楽しみ”本だから口コミなどは期待できない。となると、一瞬で読者に興味を持たせなければならない。だから版元にとってタイトルのインパクトは死活問題となるという。
 そこで力を発揮するのが漢字らしい。「表意文字である漢字は、それぞれに意味を持ち、組み合わせ方も豊富。しかも読者の妄想をかき立てる。淫という文字だけで、それぞれが頭の中に好みのシーンを思い浮かべることが可能なのだ」とトロさんはいう。なるほど。
 だから官能小説のタイトルには難しい漢字や造語が多いらしい。しかしだからといってそれらは決して文学的方向には行かない。それを官能小説評論家は「当然です。官能小説は実用書ですからね」と言い切るところは笑ってしまった。そうか、官能小説は実用書は実用書なのか!そういう考え方もあるのかとつまらぬことを思ってしまった。確かに官能小説は、それを読むことで性的満足感得るのだから実用書とも言えなくもない。官能小説のタイトルも時代の風潮や流行などに左右されるらしい。

 「車内吊り広告」の調査もおもしろかった。週刊誌や雑誌の車内吊り広告は山手線や京浜東北線、総武線に多いらしく、地方の路線になるとぐっと数が減るという。要は通勤電車に多いということだろう。満員電車の中では新聞も本も読めないから、頭の上にぶら下がっている広告を見るしかない。だからその広告は“読みたい”と思う気持を生むものでなければならず、各社それなりに苦労されているようだ。
 その調査の後、トロさんが後で付け加えた文章が気にかかった。「雑誌が売れなくなっている現状を短絡的にインターネットやゲームのせいにする気はないけれど、電車に乗っていると『なるほど』と思ってしまうときがある。多くの人が手元の携帯画面に目を奪われているのだ。視線が上を向かない」とある。確かに電車に乗っていると、携帯を広げている人の数が多いと思う。ということは、雑誌の吊り広告は以前のような効果がなくなりつつあるのかもしれない。

 最後にトロさんが阪神淡路大震災の一年後神戸を訪ねている。そこで本はどんな状況にあるのか?本屋さんはどうなっているのだろうかというのである。確かにあれだけの震災である。本を読むどころじゃない。それよりどうやって生きていくかの方が最優先であろう。それでも本屋さんが再開され、それを歓迎する人たちがいたのである。それを見てトロさんは「それは本や書店が役に立たない面を持つからだ。なくてもいい無駄なものにこそ、人々を引きつける力があった。ぼくはそう結論したい。書店は雑多な人間が時と場所を共にする。『欠かせないものじゃないけれど、なかったらたまらなく寂しい』場所なのだ」という。
 また別のところでは、「おもしろいことは無駄な動きが呼び込むもので、効率が良くなればなるほど無駄が排除されてしまうのだ」とも言っていっている。
 今年の新潮社の年賀広告で本を読むことは究極のスローライフだと書いてあったのを思い出す。手間や時間がかかるけど、本を読むことが生活を何らかの形でうるおいやメリハリをつけるものだと思うから、一見無駄や非効率であるかに見えるけれど、その分人の心に何らかの足跡を残すものだと思いたい。無駄を排除して、効率ばかり追いかけてきて、結果どういう社会になっているのか、今我々はその結果に唖然としている部分があるんじゃないだろうか。だからトロさん言い分には、その通り!と賛成してしまう。


評価
★★★


書誌
書名:ほんわか!―本についてわからないこと、ねほりはほり!
著者:北尾 トロ
ISBN:9784840126229
出版社:メディアファクトリー (2008/12/25 出版)MF文庫ダ・ヴィンチ
版型:253p / 15cm / A6判
販売価:579 円(税込)

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