2009年02月05日

門田隆将著『なぜ君は絶望と闘えたのか』

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 この本も出版されているのを知ってから、読んでみたいと思っていた。光市母子殺人事件の遺族である本村洋さんが被告である当時18歳と1カ月の少年に死刑を求めて裁判で戦ってきた記録である。
 ものすごく不謹慎な言い方かもしれないけれど、私はテレビで見る本村さんの発言や態度、ぶれない姿勢が格好いいと感じていた。いや人間としてすばらしいとさえ感じている。もし自分の家族がこのように惨殺されたら、ここまで出来るだろうかと思ってしまう。茫然自失に陥ってしまい、その先何をどのようにしていいのかさえわからなくなるに違いない。しかも日本の司法制度の壁にぶち当たってしまい、何も出来ないことにさらに愕然とするに違いない。
 しかしこの本を読んで、本村さんも絶望の淵に立ち、日本の司法の壁に阻まれ、何度も自分の気持ちが萎えることがあったことを知らされる。いつもテレビで映し出される、凛々しい姿だけじゃなかったのだ。そうした本村さんを陰で支えてきた人たちがいたことを知らされる。そしてそういう人たちがいたからこそ、本村さんは裁判に立ち向かえたのだ。「人を殺めた人間がその命で償うという当たり前のこと」を実現するため、多くの人に支えられ、勇気をもらいながら、やってきたことを知らされる。
 本村さんは「家族の命を守れず、助けを呼ぶ家族に何ひとつできなかった自分は、変わり果てた妻を発見した時、妻を抱きしめることさえできなかった。そればかりか、娘を捜し出してやることもできなかった」自分に得たいの知れない「罪悪感」にとらわれつづけた。自己嫌悪に陥り、自殺を考え、遺書まで書いた。ふさぎ込む毎日を送って自暴自棄になったことも何度もあるという。
 そうした本村さんを裁判という場所に引き戻してくれたのは、支援してくれた人々がいたからで、そうした影で本村さんを支えてきた人たちに、この本は光をきちんと与えている。
 たとえば本村さんが働く会社の上司さんである。家族を失った本村さんは仕事をする意味を見出せず、退職願を提出しようとする。しかし本村さんの上司さんは「この職場で働くのが嫌なのであれば、辞めてもいい。君は特別な経験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。でも、君は社会人として発言していってくれ。労働も納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は、社会人になりなさい」と言うのである。社会人として、仕事をしながら発言していけと言うのである。これはすごいと思った。こんなことそう簡単に言えるものではない。すばらしい上司さんだ思った。
 初公判の判決が出る前、被害者が二人で、犯人は十八歳になったばかりの少年。判決は、無期懲役だろう。それ以上、つまり「死刑」を望むのは無理だと言われていた。しかし本村さんには、一人であろうと二人であろうと、人を殺めた者が、自らの命でそれを償うのは当たり前だという信念があった。だから判決が出る前に、もし少年に死刑の判決が出なければ、本村さんは自殺するとつもりで遺書を書いていた。それほど数字にこだわるなら、自分が死ねばこの事件に関して死んだ人間は三人になるから、少年を死刑にできると考えたのである。両親に当てた遺書には「先立つ不幸をお許しください。死刑の判決が出ない時は、命をもって抗議するしか私にはできません」と書かれる。あるいは奥さんの母親宛には「せっかく結婚させていただいたのに弥生に苦労ばかりかけた上に、守ることもできませんでした。本当に申し訳ございませんでした。僕にはこういう方法しかとるしか手段はありません」と書かれていたという。 本村さんの態度に不審を抱いた上司は、遺書の原稿をパソコンのファイルから見つけ、バカなことをするんじゃないと、自殺の無意味さを説く。
 また、初公判が始まり、後に全国犯罪被害者の会(あすの会)に発展していく会合がもたれ、そこに参加した本村さんは家族を守ってやれなかったこと、裁判になっても何もしてあげれれない自分を責める。たとえば二人の遺影を裁判所に持ち込もうとしたら、その遺影を持ち込むことが出来ず、荷物として預けさせられた。
 そのことを悔しがっていると、その会の顧問弁護士が「本村君。それは、法律がおかしんだ。そんな法律は変えなければならない」と言われる。その言葉は本村さんにとって、新鮮な驚きをもたらす。市民が法律を変えることが出来るのかと。でも「おかしいのは法律の方だ。間違っているものは変えていけばいいんだ」と思うとき、本村さんは妻と娘に何かしてあげられるかもしれないという希望を見出す。
 しかし一審の判決は少年に改善更生の余地があるということで、無期懲役の判決が下され、本村さんは「裁判とは被害者に配慮する場所でない」と思い知らされることとなる。この判決後本村さんは記者会見に臨み、あの言葉を発する。

「司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いて欲しい。私がこの手で殺します」

さらにこうも言う。

「判決の瞬間、僕は司法にも、犯人にも負けたと思いました。僕は、妻と子を守ることできず、仇を取ることもできない。僕は無力です。今は二人の遺影の写真を見るのも辛いです。妻と娘に何も報告してあげることができません。司法にこれほどまでに裏切られると、もう何を信じていいのかわからなくなりました。結局、敵は、被告人だけじゃなくて、司法だったように思います」

「遺族だって回復しないといけないんです。被害から。人を恨む、憎む、そういう気持ちを乗り越えて、また優しさを取り戻すためには・・・・死ぬほど努力をしないといけないんです」

 判決後検事室に入った本村さんは、担当検事から「このまま判決を認めたら、今度はこれが基準になってしまう。そんなことは許されない。たとえ上司が反対しても私は控訴する。百回負けても、百一回目をやります。これはやらなければならない。本村さん、司法を変えるために一緒に闘ってくれませんか」と凄まじい正義感で言われるのである。この判決を許してはならない。自分も控訴すべきだ。それが使命だと本村さん考えるようになっていく。

 二審も一審と同じ判決であった。個別の事情に目を向けず、先に結論ありきの判決であった。むしろ「この少年は、まったく反省もしていないが、日本の法体系や価値観からいえば、死刑にはできない。だから無期懲役にする」と言ってくれた方が納得はできないけれど、筋は通っている。それを「反省している」、「悔悟の念を抱いている」などと言って誤魔化してもらいたくない。それが本村さんは許せなかった。
 ただ判決後、被告や弁護人、検察官が退廷していく中、裁判長は退廷しなかった。それに気づいた本村さんは裁判長に頭を下げ、裁判長も本村さんに頭を下げる。そして退廷していった。裁判長はたった一人の傍聴人に頭を下げるためにすっと待っていたのである。ありえない光景だという。裁判長は遺族に対して、こんな不本意な判決を出して詫びているように取材していた記者たちには思えたという。その目には最高裁が動かなければ、どうしようもない。いわゆる「永山基準」と言われる死刑適用の基準の面からも、自分にはどうしようもないのだと訴えているように見えたという。裁判長も苦しんでいたのかもしれない。

 裁判は最高裁で「死刑を回避するに足りる特に酌量すべき事情があるかどうかについて更に慎重な審議を尽くさせるため」広島高裁に差し戻された。これは死刑を回避するに足りる特に酌量すべき事情がない場合は死刑だといっているのと同じであった。そして広島高裁で少年は死刑を言い渡された。しかしあの弁護団は即日控訴している。あとは最高裁がどう判断するかで少年の刑が決定することになるのだろう。

 とにかくこの事件の裁判は、現状の司法の不可解さを我々に教えてくれるし、この国では人として当たり前のことを主張することが、どうしてこうも大変なことなのかを教えてくれる。本村さんが言われるように、殺された人の数で刑を決める基準が未だにまかり通っているのもおかしい。さらに被告の弁護人というのはいったい何なのかもここでは考えさせられる。
 また被告の人権は徹底的に保証されるのに、被害者の人権は徹底的に無視される社会のあり方、マスコミ報道に疑問を感じてしまう。本村さんは「天国の二人には、ほんとは言わないで欲しいと思っているかもしれない。でも、私が天国へ行った時に、一生懸命謝るんで、私の事件に関しては、あったことは全て事実として報道してもらいたいと思っています」と言ってまで、奥さんが死姦されていることまで露わにして言うのは、少年が犯した犯罪の悲惨を伝えるためもあるだろうが、一方で少年法に守り、なにも明らかにしない、あるいは犯人だけの人権をひたすら守る国家、マスコミに対する痛烈な批判ではないだろうか。
 この本は我々がマスコミから得た情報のように本村さんだけをヒーローにすることなしに、本村さんを支えてきた人にきちんと光を当て、あるいは警察、担当検事、裁判官の苦悩も書かれているので、ある意味フェアーな立場で書かれていてよかったと思う。


評価
★★★


書誌
書名:なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日
著者:門田 隆将
ISBN:9784104605026
出版社:新潮社 (2008/07/20 出版)
版型:255p / 19cm / B6判
販売価:1,365円 (税込)

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