2009年03月31日

吉村昭著『私の好きな悪い癖』

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 極上のエッセイとは読んでいて、何となく心が和んでいき、気がついたらページが終わっていたというものでいいと思う。だからそこから何か一言半句でも得ようなんて思っても、これというものが見出せないのではないかと思う。
 本を読んでいると、何か得るものがないかと文章をそうなめするみたいに探し回るところが私にはある。ましてこうして本について書いていると、「おっ、これいいじゃん」と思い、後で使わせてもらうつもりで付箋を付ける。
 でも思うのだけれど、こういう本の読み方って、どこか打算的なところがあり、本全体を楽しんでいるように思えない気がする時がある。別に何となく読んでいる訳じゃないが、心をさらにして本を読むこともあってもいいような気がするのだ。私は本を読むことに疲れたときは、こうしたエッセイを読むことで、心をリセットしている。だからエッセイは大好きなのだ。そこには書かれる方が自由に思うままに感じるままのことを書かれているから、読む方も心が解放される気分になれる。

 今回は吉村昭さんのエッセイで気持をリセットさせてもらった。ここには“人”、“旅”、“歴史の四方山話”など吉村さんが感じたこと、考えたことなどありのまま書かれている。それがいい。
 吉村さんは歴史小説家でもあるから、そんな小説を書くために日本全国旅に出て、取材してこられている。このエッセイはそんな吉村さんの旅から、人とのふれあい、あるいは埋もれてしまった歴史の一こまなど紹介されていて、読んでいて楽しい。もちろん素顔の吉村さんの生活ぶりも描かれる。
 こういう書き方にはあこがれる。とにかくさりげなく日常が描けるというのはいい。小難しいことなどついつい書きたくなるけれど、そればかりじゃ疲れてしまう。むしろ日々の日常をさらりと書く方が好感が持てる。私もできる限り文章を書くに当たり、その時の気持を素直に書くことを目標としているので、こうした文章はいい参考になる。

 吉村さんが長崎にはよく行かれるらしく、ここにも長崎の旅が書かれている。その時長崎で初めて自転車に乗っている人に気がつき、乗っていたタクシーの運転手さんにそのことを口にすると、その運転手さんは「長崎は坂が多いからあまり自転車は使わない」ことを言う。吉村さんはそこから「長崎を熟知していると思っていた私は、あらためて他者者でるのを知った、他者者はあくまでも他者者であり、その土地で生まれ育ち暮らしている者しか、土地の息づかいは知り得ないのだろう」と気がつく。「だよな」と思う。
 先週まで私は谷中、根津、千駄木という土地にあこがれをもって、森まゆみさんのエッセイを読んでいた。そこにあったのは少しでもこの町の息づかいが感じられればという気持であったが、結局何も実感として感じられなかった(それは森さんの文章の善し悪しを言っているんじゃない)ことを思い出し、吉村さんと同じ気持だと思ったのである。生活の重みは旅や文書から感じるより、はるかに重みがあるということだろうか。よくわからないということは、それだけ謙虚になっていることである。


評価
★★★


書誌
書名:私の好きな悪い癖
著者:吉村 昭
ISBN:9784062738972
出版社:講談社 (2003/11/15 出版)講談社文庫
版型:241p / 15cm / A6判
販売価:519円(税込)

2009年03月30日

森まゆみ著『不思議の町 根津』

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 森さんの八根千続きで、今度は「根津」について書かれた本を読む。今回は前回よりかなり詳しくその歴史について突っ込んで書かれている。しかし私はこの地域と縁もゆかりもないし、ただこの地域に興味があるだけ人間だから、ここに書かれる歴史に深く感動できないところがある。つまり身近じゃないということが、実感として感じられないのである。その分が私にとって面白みが欠けてしまう。
 その歴史にはあまり興味がわかなかったが、ただこの地域も一昔前まではたとえば「この通りの中だけで生活できた」商店街があったことを知らされるのは、どこでも同じのようだ。

 今みたいにスーパーで食材、日用品などすべて揃ってしまうのと違い、ちょっと前までは、野菜や果物は八百屋、魚は魚屋、肉は肉屋、米は米屋、雑貨は雑貨屋みたいに、一つのものを扱っている店が一店舗して独立していた。しかしそれでいて通りでそれそれの店はつながっていた。だから通りが今で言えばスーパーの通路みたいだったわけだ。
 それぞれ専門店があって、それがうまくつながり、また買い物客ともつながりがあって、顔見知りであったところが、今とは違うのだろう。相手の顔を見えるというのは、下手に裏切る行為などできないことを意味するだろうし、長いつきあいが信頼関係を築くであろう。もちろん今のスーパーだっていい加減なことをやっていれば、手痛い目にあうことは同じであろうが、そこにはだれがそれをやっているか顔が見えない。ところがお店は明らかに店主やそこで働く人の顔が見える分、今以上にいい加減なことはできなかったのではないかと思ったりする。

 つい最近、久しぶりに昔子供の頃亡くなった母親と一緒に買い物に付いていった商店街を通った。昔あった多くのお店はなくなっているし、シャッターが下りているところがいくつもあり、ああ、ここも同じだなと感じたのだが、考えてみれば私がこの商店街に行かなくなったのと同様に多くの人がこの商店街に魅力を感じなくなったから、必然的にそうならざるを得なかったのだろう。
 しかしそれはこの商店街の人々の努力のなさを責めているのでなく、利用していた私たちがいつの間にかここにあった人とのつながりをわずらわしく感じ、またある意味融通の利かない不器用さにもわずらわしさを感じ始め、便利で、きれいで、値段が安いということだけで、大手スーパーに移っていったことが最大の原因だろうと思うのだ。
 だけどふと思うのだけれど、たとえば小学生の頃、塾の帰りに寄り道をして、肉屋さんで揚げたてのコロッケやメンチにたっぷりのソースをかけてもらったのをフウフウいいながら頬張ってたべたあの味は、絶対に今のスーパーにあるコロッケやメンチでは味わえないだろう。もちろんそこには“思い出”というスパイスもきいちゃっているから、多少大げさになってしまうのかもしれないが、でも間違いなくおいしさでは昔の肉屋さんコロッケのほうが美味しかったと思うのだ。
 だからなんなんだと言われてしまうかもしれないけれど、森さんがこの本のまえがきで「生活の細部を大事にした時代の一つ一つの物へのいとおしみ」を「近代合理主義とともに流し去ってしまったたらいのなかの水のうち、一すくいくらいは、やはりそれがなくては人間生きていけないようなのである」というのが、何となくうなずけちゃのである。それが今、私のとって一部は、子供の頃にあった商店街であり、近所の人づきあいであり、肉屋のコロッケやメンチカツのような気がするのである。そしてそんな郷愁みたいなものがこの八根千のどこかにあると噂やテレビで聞いたものだから、妙に心が動かされ、森さんの本を手に取ったのである。


評価
★★


書誌
書名:不思議の町 根津―ひっそりした都市空間
著者:森 まゆみ
ISBN:9784480032676
出版社:筑摩書房 (1997/05/22 出版)ちくま文庫
版型:303p / 15cm / A6判
販売価:756円 (税込)

2009年03月17日

森まゆみ著『谷中スケッチブック』

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 昔、本屋で配達をしていた頃、本郷当たりまで行っていたことがある。とにかく坂道が辛くて、荷台に多くの雑誌や本を積んで、立ちこぎで自転車で坂を登っていった。しかし少しずつ荷台が軽くなってくると、その坂道につけられた名前が、どこかで読んだ小説にあった坂道だったりして、坂道の由来を書いたプレートを自転車を停めて読んだことがある。それがなんか懐かしい。
 ネットで手に入れた地図を眺めていると、谷中は本郷の北に位置するようで、ここにもたくさんの坂道がある。そしてたくさんのお寺がある。この本にもたくさんのお寺が紹介されている。どうしてこんなにお寺が多いのかよくわからないけれど、お寺が多くあるということは、それほど時代の流れに流されない部分がかなり残っているのではないだろうかと思ってしまう。
 お寺には有名人のお墓が多い。この本の面白いところは、そのお墓を語ることで、歴史が語られるところである。ただ単に谷中の紹介だけではないのである。谷中の墓地にある有名人のお墓の一覧がこの本にはあるが、それを見ていても、思わず「へぇ~」と思ってしまう。

 地域雑誌「谷根千」というのがある。谷根千とは、谷中、根岸、千駄木をいい、「谷根千」とはこの地域の情報誌である。その雑誌を創刊した一人が森さんである。なお、この雑誌は今年終刊している。
 私はこの土地と何の関係もないところで生まれ育っているのだけれど、最近どういう訳か、この谷中、根岸、千駄木という場所が気にかかる。思い過ごしかもしれないけれど、ここには私が過ごした子供の頃の風景がまだ残っている感じがするのだ。
 この頃自分が子供頃の風景が懐かしく感じることがある。東京という変化の激しい土地に暮らしていると、いつの間にか昔あった風景が忽然と消えていて、そしてそれが当たり前になってしまう。そして気がついたら、あの風景はどこへ行っちゃったんだろうと懐かしくなる年代となってしまったからだろうか?
 とにかく再開発だなんていって、新しい背の高いビルがどんどん建って、ショッピングモールみたいなところがもてはやされるけれど、どうも私はそんなところへ行ってみたいという気が起こらない。行ってみてもただきらきらしているだけで、ちっとも落ち着かない。むしろうるさく感じてしまう。こんなところに来て何が楽しんだろうと思ってしまう。
 そんな気分になっているとき、噂で谷中、根岸、千駄木にはまだそんな一昔前の風景が残っていると聞いた。だから森さんの本を手にした。ちょっと郷愁に浸りたかったのかもしれない。
 でもこうして自分が暮らしている土地の昔をたどれるというのは何かいいなぁと思うし、昔をたどれる歴史がそこにあることがうらやましくもある。歴史も伝統もない根なし草みたいな生活をしていると余計にそう思う。だからせめて自分の子供頃の原風景に懐かしさを求めてしまうのかもしれない。ちょっと前までは鬱陶しかった人とのふれあいが妙に懐かしく思うのだ。
 結局私は新しいものについていくことに疲れてきたのかもしれないなと思うことがある。いや新しいものについていけなくなりつつある自分を自覚してきているんじゃないかと思う。それは歳をとったことの証拠かもしれないけれど、それは仕方がない。

 いずれにせよ、そのうちかみさんと一緒にネットで手に入れた地図を頼りにここ谷根千をぶらりと歩いてみてもいいかなと思った。

評価
★★


書誌
書名:谷中スケッチブック―心やさしい都市空間
著者:森 まゆみ
ISBN:9784480028556
出版社:筑摩書房 (1994/03/24 出版)ちくま文庫
版型:297,8p / 15cm / A6判
販売価:693円 (税込)

2009年03月13日

サミュエル・ハンチントン著『文明の衝突』

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 この本は実は以前からかなり気になっていて、読んでみたいと思っていた。しかし読んだ時期が悪く、花粉症で頭がぼーっとしているこの時期に読む本ではなかった。しかも元が悪文なのか、訳が悪いのかわからないが、とにかく読みにくい。だからたかが500ページの本を読むのに一週間以上もかかってしまった。その上読後の感想を書こうとして、気にかかった文章を引っ張り出し、書き出してみると結構な量となってしまった。これはどうまとめればいいのだろうと今度はそのことで悩み、一週間たってしまった。
 この本は冷戦後の世界に現実に起こっている数々の紛争を「文明の衝突」としてとらえ、それらの紛争を詳細に解説し、そこから見えてくるものを「共通項」として語る。その紛争の解説がいくら必要であるとはいえ、あまりにも細かく語られるため、読む方はそれだけで疲れてしまう。しかも数々の紛争から見えてくるものを、書き出してみると、結局同じことの繰り返しだと気がつく。だったらもう少し簡単なやり方があったんじゃないかなとも思える。
 で、この本に書かれていることをなんとか自分なりに消化してみると、まず今現在世界で起こっている紛争は何に由来するのか。そしてそれがどこで、どのような形で生じ、それが現在どんな形になっているのかという点で考えるとある程度まとめることができるようである。

 1500年以来、ヨーロッパは大航海時代、植民地時代、二度の世界大戦、非西欧世界を支配していたといっていい。そして戦後、冷戦時代を迎え、中核国であるアメリカとソビエトが同じ政治体制や思想などを共有する国々をある程度まとめ、世界を支配した。つまり世界は冷戦以前まで、ある一つの文明(西欧文明)やそれに対抗する東方正教会(ソビエト)文明で支配される単純な形であった。当時はそれらの二つの文明は力があったから、支配能力が機能していた。さらにそれらの文明の力がある程度バランスがとれていたため、今ほどの紛争が生まれていない。
 ただヨーロッパがどうして世界を支配できたのかは、「理念や価値観、あるいは宗教(他の文明から改宗する者はほとんどいなかった)がすぐれていたからではなく、むしろ組織的な暴力の行使にすぐれていたからなのだ」とこの著者は言う。
 一方で、後進国は自国を西欧化することで、西欧のような近代化、工業化の道で模索していく。そうすることで、自分の国を進歩発展させると考えたからだ。このことは、西欧にとって自分のところの文明は「普遍的な文明」であると勘違いさせることにもなる。その勘違いを著者は「西欧文明が貴重なのは、それが普遍的だからではなく、類がないからである」と言い、その類がない点を次のように説明する。

「西欧が他の文明と異なるのは、その発展ぶりではなく、価値観や制度のきわだった特徴である。なかでもいちじるしい特徴はキリスト教、多元性、個人主義、法の支配であって、これがあったからこそ西欧は近代化することができ、世界中に広がって他の社会の羨望の的となったのである。これらが一つになって、西欧独特の特徴となったのだ」

 しかしその西欧文明の力も衰えてくる。それを「西欧が明らかに他の文明と異なっている点は、1500年以降に存在していた他のすべての文明に圧倒的な影響をおよぼしてきたことである。この文明はまた、世界的に広がる近代化と工業化の先陣を切り、その結果、他のすべての文明が西欧に追いついて富を獲得し、近代化を達成しようとつとめてきた。19世紀末のヨーロッパ勢力がほぼ世界的に広がったことと、20世紀末のアメリカが世界的に優勢になったことがあいまって、西欧文明の多くが世界中に広まった。だが、ヨーロッパのグローバリズムはもはや存在しない。また、たとえ冷戦型のソヴィエトの軍事的脅威からアメリカが守る必要がなくなったことが唯一の原因にしても、アメリカの覇権主義は後退しつつある」と言うのだ。それを具体的な数字で示すと以下の通りになる。

 「西欧は21世紀に入ってもなお数十年間は、充分に世界最強の文明圏の地位を守りつづけるだろう。その後は、科学技術、研究、開発力、民需、軍需技術の革新といった分野においては、他よりはるかに有力な立場を維持する。しかし、国力の源泉となる他の要素については、西欧の支配力はますます非西欧圏の中心的国家、指導的国家の手に拡散していく。西欧によるこれらの諸要素の支配体制は、1920年に絶頂期を迎え、その後は不規則ながらも大幅な衰退傾向つづけている。その絶頂期から100年後にあたる2020年代、西欧の支配領域は世界の全陸地の24パーセント(ピーク時は49パーセントであった)に低下し、支配下にある人口は世界総人口の10パーセント(ピーク時は48パーセントであった)に減少するだろう。そして、社会的な参加意識をもった人びとについては15~20パーセントが欧米圏に属し、世界の経済生産高の30パーセント(ピーク時70パーセントに達していたと思われる)を西欧が占めることになる。西欧は工業生産高の25パーセント(ピーク時は84パーセント)を占めるのみとなり、兵力総数では世界全体の10パーセントにもおよばない(ピーク時には45パーセント)」と予想する。
 これを見ても「西欧支配の時代は終わる。同時に欧米の力が低下し、他のいくつかの地域に権力の重心が移ることにより、世界的な自主性の復活という傾向が進んでおり、非西欧文化の復興が始まっているのである」。

 さらに「非西欧社会が西欧的な諸制度を取り入れることにより、地域主義者や反西欧的な政治運動が権力に近づくことを可能にし、容易にしてしまうのである。民主化が西欧化を逆行させる結果となる。なぜなら民主化は彼らの政治的参加をみとめるからだ」。その上「近代化によって社会全体の経済力、軍事力、政治力が増すと、その社会の人びとはそれに勇気づけられて自分たちの文化に自信を取り戻し、文化を主張するようになる」のである。
 自分たちのアイデンティティを西欧文明ではなく、自分たちの社会にある文明に求めるようになったのである。つまり支配されてきた国々が経済的に力をつけたことで、自分たちの文明や文化に目ざめ、自己主張をするようになってきたのである。たとえばアジア諸国は経済力を増したことで、人権や民主化にたいする西欧の圧力にますます動じなくなってきたし、「イスラム教徒たちも大挙してみずからの宗教に向きなおり、アイデンティティ、存在意義、安定性、正統性、発展、力、そして希望の源泉として見つめようとしている」のである。
 こうなってくるとそれまでのような二つの文明で世界がくくられてきたようには行かなくなる。複数の文明が世界で自己主張し始める。しかも厄介なことにいわゆる国境が文明単位で定められていないので、ある一つの国では異なる文明にアイデンティティを見出す民族が一緒にいることになる。この境を著者は「文明の断層線(フォルト・ライン)」という。
 今世界で起こっている紛争はこうしたフォルト・ラインで起こっているのだ。本来は狭い地域で起こっている紛争が、他の地域で同じ文明にアイデンティティを求める人びとに訴えて協力を求める。そのことで紛争は地域間から世界へ拡大していくのである。
 一方複数の文明が共存する国の支配者側が一部で敗北すると連鎖的に拡大することになり、それこそ破滅につながってしまうから、なんとかして死守しようとする。これが紛争を拡大、長期化、あるいは非人道的な行為となっていくのである。

 さらに続ければ、西欧化した非西欧諸国の社会が急激に変化すると、それまであった自己のアイデンティティは崩壊し、自己を新たに定義しなおし、新しい自己像を構築しなければならなくなる。「自分は何者か」、「自分はどこに帰属するのか」という問いを求める人にとってその答を用意してくれるのが宗教である。ここに宗教が力を持ち始める要因がある。
 たとえば湾岸戦争でイスラム世界の人びとが強く感じたことは、サダムが侵略したのは悪いが、サウジアラビアに非イスラム教徒の軍隊が駐留し、その結果イスラムの聖地を「冒涜」した西欧はもっと悪いということなのだ。
 イスラム諸国の自信は、社会の活性化と人口増加から発したもので、なかでも拡大しつつある15歳から24歳の年齢層から、原理主義、テロ活動、反乱、そして移民などの活動に人材を提供している。経済成長はアジアを強化し、人口増はイスラム諸国の政府と非イスラム諸国に脅威を与えているのである。しかも文明に中核国(中心となる国)があれば、文明内に秩序をもたらすことも、他の文明と交渉して秩序を保つこともできるが、イスラム世界には中核国がないため、イスラム教徒として意識をもちながら団結せず、内外で対立が広がり、それがこの世界の特徴となっているのである。

 著者は「文明とは人類を分類する最終的な枠組みであり、文明の衝突とはグローバルな広がりもった種族間の紛争である。新しい時代を迎える世界で、二つの異なる文明に属する国家や集団は一時的に限定的かつ戦術的な協力関係や連合をつくって、第三の文明にたいする自分たちの利益を追求したり、共通の目的を達成しようとしたりするだろう。しかし、異なる文明に属する集団間の関係が緊密になることは滅多になく、通常は冷淡で、多くの場合、敵対的である」
 である以上、アメリカのように自分たちの価値観と制度は普遍的であり、アジア社会の外交政策や内政を思いどおりにできる力がまだあると信じることはやめ、中核国が他の文明内の衝突への干渉を慎むこと。そして中核国が交渉を通じて文明の断層線(フォルト・ライン)で起こる戦争を阻止すること。その上で文明の多様性を受け入れ、あらゆる文化に見出される人間の「普遍的な性質」、つまり共通性を追求していくことが必要だとする。そうしたできた国際秩序こそが、世界戦争を防ぐ最も確実な安全装置だというのが、本書の結論なのだろう。

 まぁ結構苦労して読んだ本にしては、結論が少々陳腐すぎる気がしないでもない。


評価
★★


書誌
書名:文明の衝突
著者:サミュエル・ハンチントン 鈴木 主税【訳】
ISBN:9784087732924
出版社:集英社 (1998/06/30 出版)
版型:554P / 19cm / B6判
販売価:2,940円 (税込)