2009年03月30日

森まゆみ著『不思議の町 根津』

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 森さんの八根千続きで、今度は「根津」について書かれた本を読む。今回は前回よりかなり詳しくその歴史について突っ込んで書かれている。しかし私はこの地域と縁もゆかりもないし、ただこの地域に興味があるだけ人間だから、ここに書かれる歴史に深く感動できないところがある。つまり身近じゃないということが、実感として感じられないのである。その分が私にとって面白みが欠けてしまう。
 その歴史にはあまり興味がわかなかったが、ただこの地域も一昔前まではたとえば「この通りの中だけで生活できた」商店街があったことを知らされるのは、どこでも同じのようだ。

 今みたいにスーパーで食材、日用品などすべて揃ってしまうのと違い、ちょっと前までは、野菜や果物は八百屋、魚は魚屋、肉は肉屋、米は米屋、雑貨は雑貨屋みたいに、一つのものを扱っている店が一店舗して独立していた。しかしそれでいて通りでそれそれの店はつながっていた。だから通りが今で言えばスーパーの通路みたいだったわけだ。
 それぞれ専門店があって、それがうまくつながり、また買い物客ともつながりがあって、顔見知りであったところが、今とは違うのだろう。相手の顔を見えるというのは、下手に裏切る行為などできないことを意味するだろうし、長いつきあいが信頼関係を築くであろう。もちろん今のスーパーだっていい加減なことをやっていれば、手痛い目にあうことは同じであろうが、そこにはだれがそれをやっているか顔が見えない。ところがお店は明らかに店主やそこで働く人の顔が見える分、今以上にいい加減なことはできなかったのではないかと思ったりする。

 つい最近、久しぶりに昔子供の頃亡くなった母親と一緒に買い物に付いていった商店街を通った。昔あった多くのお店はなくなっているし、シャッターが下りているところがいくつもあり、ああ、ここも同じだなと感じたのだが、考えてみれば私がこの商店街に行かなくなったのと同様に多くの人がこの商店街に魅力を感じなくなったから、必然的にそうならざるを得なかったのだろう。
 しかしそれはこの商店街の人々の努力のなさを責めているのでなく、利用していた私たちがいつの間にかここにあった人とのつながりをわずらわしく感じ、またある意味融通の利かない不器用さにもわずらわしさを感じ始め、便利で、きれいで、値段が安いということだけで、大手スーパーに移っていったことが最大の原因だろうと思うのだ。
 だけどふと思うのだけれど、たとえば小学生の頃、塾の帰りに寄り道をして、肉屋さんで揚げたてのコロッケやメンチにたっぷりのソースをかけてもらったのをフウフウいいながら頬張ってたべたあの味は、絶対に今のスーパーにあるコロッケやメンチでは味わえないだろう。もちろんそこには“思い出”というスパイスもきいちゃっているから、多少大げさになってしまうのかもしれないが、でも間違いなくおいしさでは昔の肉屋さんコロッケのほうが美味しかったと思うのだ。
 だからなんなんだと言われてしまうかもしれないけれど、森さんがこの本のまえがきで「生活の細部を大事にした時代の一つ一つの物へのいとおしみ」を「近代合理主義とともに流し去ってしまったたらいのなかの水のうち、一すくいくらいは、やはりそれがなくては人間生きていけないようなのである」というのが、何となくうなずけちゃのである。それが今、私のとって一部は、子供の頃にあった商店街であり、近所の人づきあいであり、肉屋のコロッケやメンチカツのような気がするのである。そしてそんな郷愁みたいなものがこの八根千のどこかにあると噂やテレビで聞いたものだから、妙に心が動かされ、森さんの本を手に取ったのである。


評価
★★


書誌
書名:不思議の町 根津―ひっそりした都市空間
著者:森 まゆみ
ISBN:9784480032676
出版社:筑摩書房 (1997/05/22 出版)ちくま文庫
版型:303p / 15cm / A6判
販売価:756円 (税込)

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