2009年04月10日
遠藤周作著『深い河』
あるインドツアーに参加する男女の物語である。そこに参加する者は、妻を癌でなくした夫。神父になろうとする男をからかい、男女の関係を結んだが、その男の存在が気にかかり、フランスへ、そしてインドへ彼を訪ねる女。童話作家。戦争中ビルマのジャングルで九死に一生を得て生き残った男などが参加していた。
それぞれ訳ありでインドへ旅をするのだが、やはりここは神父になるための修行をしている大津と、学生時代、からかいでその大津と男と女の関係を結んだ美津子の話が一番気にかかった。
美津子が女学生時代女王様気取りで、神父になろうとしていたうだつの上がらない大津をそそのかすのだが、いつまでもその大津が気にかかる。
美津子は結婚し新婚旅行でフランスに行くのだが、その時大津が同じフランスにいることを知り、その大津を訪ねる。大津はここで神父になるために勉強していたのだ。しかし大津はここで語られる“神”について素直に受け入れられないでいた。
美津子と会った大津は自分の心境を語る。神についても語る。その話にあまりにも神が出てくるものだから美津子は「ねえ、その神という言葉やめてくれない。いらいらするし実感がないの。わたしには実体がないんですもの。大学時代から外人神父たちの使うあの神という言葉に縁遠かったの」イライラ感あらわにする。それに対して大津は「神という言葉が気障で嫌なら玉ねぎとよんでいい」と言い、その玉ねぎについての違和感を語り始める。「三年間、ここに住んで、ぼくはここの国の考え方に疲れました。彼等が手でこね、彼等の心に合うように作った考え方が・・・・東洋人のぼくには重いのです。溶けこめないんです。それで・・・・毎日、困っています」と言うのであった。
大津はヨーロッパ式のキリスト教だけが絶対だと思えずにいた。たまたま大津の母親がキリスト教徒だったから、生まれてからそのまま自分もキリスト教徒になったが、それが違う宗教であればその宗教の神を信じていたはずだと考えていた。神学校では大津がキリスト教徒になったことが神の恵みであり、神の愛だと思わないかと指導司祭に言われるが、大津は「神は色々な顔を持っておられる。ヨーロッパの教会やチャペルだけでなく、ユダヤ教徒にも仏教の信徒のなかにもヒンズー教の信者に神はおられると思います」と言う。
当然こうした考え方は異端視されるし、汎神論的だと批判される。しかし日本でキリスト教徒になった大津にとってみれば、ヨーロッパ式のキリスト教のみが絶対であるという考え方は受け入れがたかった。大津は悩み苦しみ、そしてここガンジス河のほとりで死を迎えるためにガンジスを訪れるアウトカーストと呼ばれる貧民たちをガンジスに運ぶ仕事をしながら、修行をしていた。そこに美津子が再び訪れたのである。
大津はここで「ガンジス河を見るたび、ぼくは玉ねぎを考えます。ガンジス河は指の腐った手を差し出す物乞いの女も殺されたガンジー首相も同じように拒まず一人一人の灰をのみこんで流れていきます。玉ねぎという愛の河はどんな醜い人間もどんなよごれた人間もすべて拒まず受け入れて流れます」と言うのであった。
美津子も美津子で、生と死が隣り合わせになっているこの河で、ガンジス河が「ヒンズー教徒のためだけでなく、すべての人のための深い河という気がしました」と思うようになっていく。河辺では死体が焼かれ、その灰が河に流され、一方で信仰のためガンジス河の水を口に含み、合掌している風景を見ると、「その一人一人に人生があり、他人には言えぬ秘密があり、そしてそれを重く背中に背負って生きている。ガンジスの河なかで彼等は浄化せねばならぬ何かを持っている」と思い、ガンジス河はそれらをすべて浄化してくれる河なのだと思うようになっていく。
私は自分の信じている神のみがすべてだという妥協のない考えが、おそらく過去から現在までの宗教間の対立を生んできた最大の原因だろうと思っている。その対立が仲間の連帯感を生んできた。神の愛などで生まれた連帯感よりは、非妥協的な態度がその仲間意識を高めたものじゃないかと思えるのだ。
美津子がここガンジスで感じた「人は愛よりも憎しみによって結ばれる。人間の連帯は愛ではなく共通の敵を作ることで可能になる。どの国もどの宗教もながい間、そうやって持続してきた」と言わしめるのもそんなことを思えば納得できる。
私はむしろ大津のように様々な宗教に神という顔を持ったものがあるというのが自然のような気がする。唯一絶対なんて言うから非寛容になるのであって、イエスも神なら、アラーも神であるし、仏陀も神だ。そして山や森が神ならそれも神なのだと思う。人には人の崇める神があっていいのであるなら、他の人も同様であって、それぞれの神を信仰すればいい。私は大津がヨーロッパでヨーロッパ式のキリスト教のみを信仰の対象に強要される苦しみは、歴史上自分たちがそれまで信仰してきた神とは別の神を強要されて信仰せざるを得なかった人びとの苦しみと同じように見えた。
私は大津の言う言葉「神は色々な顔を持っておられる。ヨーロッパの教会やチャペルだけでなく、ユダヤ教徒にも仏教の信徒のなかにもヒンズー教の信者に神はおられると思います」はいい言葉だと思った。
評価
★★
書誌
書名:深い河(ディープ・リバー)
著者:遠藤 周作
ISBN:9784062063425
出版社:講談社 (1993/06/08 出版)
版型:347p / 19cm / B6判
販売価:1,995円(税込)
- by kmoto
- at 17:27
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