2009年04月17日
吉村昭著『回り灯篭』
この随筆は著者最後の連載随筆をまとめたものである。やっぱり初期の随筆より後期の方がいい。なんていうのかな、とにかく読んでいてこころが落ち着くのが感じるのである。
この本の書名になっている「回り灯篭」という随筆の最後に「それらが、今でも回り灯篭のようにつぎつぎに浮かび上がる」と書かれているのがある。そうなのだ。吉村さんの随筆、特に後期の随筆には「回り灯篭」のように、今まで吉村さんがそれまで出会ってきた人々、経験したこと、あるいは旅で感じたことが、次々と描かれる。そこには長い人生の中からわき出るような感じがする。しかも時間という濾過を通しているので、角がない。まるで回り灯篭のほのかな明かりのようである。こういうのがいいのである。時間を通しているだけに、その分奥深さもあるし、話の内容も風化していないのを感じることができる。こういう穏やかな随筆を好むようになってきたということは、私も歳をとったことの証明なのだろうが、仕方がない。
一つ気になった随筆がある。
吉村さんが中学校に入学した年の夏に友人が死んだ。通夜に行って焼香しようと担任の教師から連絡があり、それを母親に言うと「絶対に行ってはなりません」と言われる。それは子を失った悲しみは親にしかわからない。学校の先生は安易な感傷でお通夜に行こうと言うが、それは親に亡くした子供と同じ姿を見せるだけで、親の悲しみ増すだけであるというのだ。配慮が足らなすぎるというのだ。
よく幼い子供が事故や事件で亡くなり、その葬儀の映像がよくテレビで流される。そこには親に連れられてくる同じクラスや学校の友人たちが通夜や告別式などに出席している姿が映し出される。確かに考えてみると、亡くなった自分の子供と同じ年齢の子供たちが焼香や手を合わせていれば、それを見た遺族である親はたまらないだろうなと思う。何で自分の子だけが死ななきゃならないのかと思うに違いない。
けど一方で、友人や同級生が出席しない葬儀も寂しいものもがあるような気がする。あるいは出席されなければされないで、うちの子は学校で、あるいはクラスでどんな立場にいたのだろうと思うかもしれない。それを思えばそれだけで悲しみも生まれるかもしれない。このあたりは難しい。でもどうなんだろう。吉村さんのお母様が言われることもよくわかるけれど、やはり亡くなった自分の子供の友人が来てくれるのは有り難く思えるんじゃないだろうかとも思う。もちろんそれもケースバイケースだろうけど。
ただこの場合、安易な感傷だけで、簡単に子供を葬儀に参加させるのではなく、それなりの配慮もした上で、子供たちを葬儀に出席させるかどうか考えなければならないだろう。いずれにしても親が自分の子供の葬儀するというのは悲しいものだ。
評価
★★★
書誌
書名:回り灯篭
著者:吉村 昭
ISBN:9784480814852
出版社:筑摩書房 (2006/12/20 出版)
版型:216p / 19cm / B6判
販売価:1,470円(税込)
- by kmoto
- at 18:48
comments