2009年05月27日

阿刀田高著『リスボアを見た女』

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 この小説は『怪談』、『海の挽歌』と同じスタイルをとる小説で、主人公が昔知った、あるいは学んだ歴史について、後に調べてみようとするやつである。
 野々村二郎は小学校の時、夏休みの登校日に行われた「鉄砲伝来」というテーマに友人に誘われ出席する。話をした教師は、1543年に種子島においてポルトガル人から鉄砲が伝わり、それを模倣して日本人が自らの手で鉄砲を作ろうとするのだが、鉄の筒を作ることはできても、片方を閉じることができない。どうしてそれを閉じたらいいのか、教えてもらうために職人は自分の娘を泣く泣くポルトガル人にやって教えてもらったということを思い出し、時々古銃に関して調べていた。そうしていつの間にか四十代になった野々村は有給休暇の消化のため、種子島へ旅に出る。
 とにかく鉄砲に興味のある野々村は当時の領主であった種子島時堯がポルトガル人から譲り受けたと言われる火縄銃とそれを元に刀鍛冶八板金兵衛清定に作らせたという火縄銃が展示してある鉄砲館へ向かう。しかしここで鉄砲伝来にはいくつかぼやけた部分があることを知る。ちなみにWikipediaで調べてみると次のようにある。

 『鉄炮記』によれば、種子島への鉄砲伝来は天文12年8月25日 (旧暦)(ユリウス暦1543年9月23日)の出来事で、大隅国(鹿児島県)種子島西之浦湾に漂着した中国船に乗っていた「五峰」と名乗る明の儒生が西村織部と筆談で通訳を行う。同乗していたポルトガル人(「牟良叔舎」、「喜利志多佗孟太」)が鉄砲を所持しており、鉄砲の実演を行い種子島島主である種子島恵時・時尭親子がそのうち2挺を購入して研究を重ね、刀鍛冶の八板金兵衛に命じて複製を研究させる。その頃種子島に在島していた堺の橘屋又三郎と、紀州根来寺の僧津田算長が本土へ持ち帰り、さらには足利将軍家にも献上されたことなどから、鉄砲製造技術は短期間のうちに複数のルートで本土に伝えられた。

 しかしその伝来は1543年と言われているが、1542年という説もあるらしく、しかもここに展示されている火縄銃はその時種子島時堯がポルトガル人から譲り受けた銃ではないという。時堯が譲り受けた銃は西南戦争の時焼失してしまったという。ではここにある銃はどこからきたものなのか。実は「五峰」と名乗る明の儒生と筆談した西村織部も鉄砲を一挺入手していたらしく、西村家の子孫が西南戦争で種子島家の銃が焼失してしまったものだから、それを種子島家に献上したのがこの銃だと言われるらしい。
 そして伝わった銃から刀鍛冶の八板金兵衛が模倣して作る時、その製造上わからないところを教えてもらうために自分の娘をポルトガル人に与えたという謎の女は誰か?八板家の家系図によれば、“若狭”という娘がポルトガル人船長に与えられたとある。
 話は土地の人からいろいろ聞いていくうちに、鉄砲の技術と引き替えにポルトガル人に渡された女性は“はな”という名前の女でポルトガル人の間には“アンナ”と呼ばれていたとなっていく。
 ところで日本人で初めてヨーロッパの土を踏んだとされる天正少年使節団は1584年にリスボンに到着しているが、出航は1582年である。となると鉄砲の技術のためにポルトガル人に渡された“若狭”もしく“はな”の方が、鉄砲伝来が1543年であるとすれば、約40年ほど早くヨーロッパの土を踏んでいておかしくないことになる。

 もともと野々村は自分の興味から歴史の現場に立ってみたいということで、ここ種子島に来た。しかし実際現場に来て、知っている事実と違う話がごろごろしている。それはあくまでも伝承の世界かも知れない。だからこの話は幻想的になっていくのだが、いろいろ考えていくと私たちが直線的に知っている歴史というのは、一つの方向からすべて説明できないものじゃないかと思わせてくれる。
 ものごとの始まりを記録に残ったもので決定してしまうと、そうじゃないんじゃないかという部分がどうしても出てくる。たとえば鉄砲伝来を1543年と1542年の説があるというより、種子島には1542年に最初にポルトガル人が漂流してきて、その後翌年の1543年に意図的に日本を目指して来たとした方が何となくすっきりする。
 また伝わった鉄砲が二挺といわれているが、実際二挺とも西南戦争で焼失してしまい、もう一挺あったことで、それをもって二挺のうちの一挺とするより、実際何挺も日本に伝わっていた可能性がある。そうであればこそ、その後日本に鉄砲が普及する速度があまりにも速いのも説明できる。直線的に種子島に初めて鉄砲が伝わり、ここから日本全国に普及していったと言い切れないのかも知れない。日本は回りが海である。どっからでも外国からものが入ってきておかしくないはずだ。たまたま記録が種子島にあって、その後の記録もあるものだから、ここが初めとなっただけかも知れない。その伝わった銃もポルトガル製といわれているけれど、マラッカあたりで作られたものではないかとも言われている。
 そして日本人が初めてヨーロッパの土地を踏んだのは天正少年使節団とされているが、もしかしたら鉄砲の技術と引き替えにポルトガル人に渡された“若狭”もしくは“はな”だっておかしくはない。ただ記録に残らなかっただけかも知れないのだ。
 野々村が蒐集した話はすべて伝承である。これを歴史としてしまったら、歴史が成り立たなくなってしまう。だからこうした幻想小説で語られる。それがこうした小説を成り立たせ、お話として面白くさせてくれる。話としては若干雑さを感じないでもないが(先の『怪談』、『海の挽歌』の方が歴史と話がうまく渾然となっていた)、読んでいて「こういうことも言えるぞ」、「こんなのもあり」と主人公が推理するのが面白かった。


評価
★★★


書誌
書名:リスボアを見た女
著者:阿刀田 高
ISBN:9784560045626
出版社:白水社 (1992/09/10 出版)
版型:235p / 19cm / B6判
販売価:入手不可

2009年05月26日

小路幸也著『東京バンドワゴン』

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 結局ブックオフに売り飛ばしてしまったこの本を再度購入するはめになった。最初にこの本を読んだきっかけは、何かで本屋さんを舞台にした小説の紹介を読んで、いくつか続いて読んだ中にこの本があった。まとめて本屋さんを舞台にした小説を読んだものだから、いいものも悪いものも一緒になってしまったのだろう。だいたいこの手の本の紹介は手前味噌が多く、業界関係者がこぞって自分の職場が舞台になっているというだけで、“いいよ”となってしまうところがある。実際この時何冊か読んだはずだが、それほどよかったというものはなかったと思う。
 この本にしても、再度読み直してみても単独で読んだら大したことはない。ただこれがシリーズになって何冊が話が続いていると、いつの間にかその話に毒されちゃって、面白いじゃないかと思うようになってしまった。そのほのぼのとした大家族が繰り出す話が、その人間関係を伴って、話を面白くしてくれる。しかも肩の凝らない人間関係の話だから、読んでいて心地よい。それがわかったからこのシリーズは自分の本棚に収めておこうと思ったし、きっと続編も出版されるだろうから、それも楽しみにできる。
 ただ売り飛ばした第一弾が自分の本棚にないのはどうにもまずい。泣く泣く買い求め、再度読んで本棚に収めた。これでシリーズ全巻揃ったので、安心である?
 さて、再度このシリーズ第一弾を読み終えて、以後ホームドラマ的話の展開になるこのシリーズなのだが、まだこの巻は多少ミステリー的要素がちょっとしたスパイスとして利いていて、面白かった。潰れた旅館にある大量の蔵書の整理を頼まれ、値付けに行くのだが、翌日その本が全部消えていて、整理を頼んだ人物もいなかった話も、大した話に展開しなかったけれど、どたばたホームドラマの中でスパイスとなってよかったと思う。
 とにかくもう売った本を再度買い求めるなんてバカなことはやめて、自分の目利きをしっかりしたいなと思う。とにかく増え続ける本の整理が一番最初にあるものだから、読んでつまらなければすぐ売っちゃえと考えちゃうけれど、少々考えなければならない。


評価
★★★


書誌
書名:東京バンドワゴン
著者:小路 幸也
ISBN:9784087753615
出版社:集英社 (2006/04/30 出版)
版型:277p / 19cm / B6判
販売価:1,890円(税込)

2009年05月25日

吉村昭著『ポ-ツマスの旗』

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 以前読んだ吉村さんの随筆にも確か書いてあったと思うのだが、吉村さんのお父様が日露戦争の日本海海戦の話。その後ロシアとの屈辱的講和に納得できないとして東京で大暴動が起ったという話。そして全権大使の小村寿太郎が非難された話が吉村さんの記憶に残っていることが書かれていた。今回この記憶がこの小説を書く動機となったことをあとがきに記している。
 そうなのだ。この歴史小説は、日露戦争後、日本がロシアとどのような講和条約を結んだか。何故暴動が起こるほどの屈辱的講和条約を結ばざるを得なかったのか。そしてその暴動がその後の日本の進路を決定づける意味を持つようになったと考えられるのか。それらを日本の全権大使小村寿太郎という人物を描くことで、それらの疑問を解き明かしてくれる。
 日露戦争は旅順攻略、奉天会戦、日本海海戦で確かに日本が勝った。それらの経緯は司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』に詳しい。しかし日本はロシアに勝ったことは勝ったけれど、元々ロシアに宣戦布告をすると同時に、軍部はどうやって戦争を終わらせるかを進めていた。つまり日本は長期間、大国ロシアと闘う力がなかったのである。日本は明治維新からやっと国らしい形になってきたにせよ、まだ外国と戦争ができるほど経済力、軍事力が成熟していなかった。
 たまたま先の戦いで日本はロシアに辛うじて勝ったにせよ、それ以上先に軍を進める力がなかった。従ってロシアがその国力をフルに使って、この極東に軍を動かせば、日本はどうすることもできず、壊滅してしまう運命でもあった。ただロシアには革命が起こり始め、国内も不安定な状態であったから、一気に日本を押しつぶすことができなかっただけであった。
 日本の軍部はそのことをよくわかっていた。だから第三国に仲介してもらって、早く講和条約を結んでしまう必要性があった。その仲介役を取ったのがアメリカのルーズベルトであった。日本は小村寿太郎を全権大使に、ロシアはウイッテが全権大使となって、ポーツマスで会議がもたれた。
 当時の日本は誰を全権大使にするか、そのなり手がないことでもめていた。当時桂首相は日清戦争の講和条約に伊藤博文が当たったので今回も伊藤に全権大使を要請した。しかし幕末から維新という激動の時代を生き残ってきた伊藤である。今回全権大使になれば自分が非難の矢面に立たされることをわかっていたから断っていた。
 どういうことかと言えば、日本は国力、兵力がかなり弱体化していた。話が決裂し、じゃあ戦争を続けましょうなんて言われたら、破滅の道を歩むことになる。だから早く戦争を終わらせたい。そのため日本が強硬的態度が取れないことをロシアは見抜いていた。
 一方でこの戦争で明治国家は国民に家族を兵隊に出させ、戦費捻出のため多大な負担をさせることとなった。だから国民はロシアに勝ったことで領土の拡大、賠償金の請求が当然なされるものと思っていた。それが本質的なところできない状況である以上、最初から日本はロシアに及び腰で交渉せざるを得ない。それは当然国民の不満を招くことになる。それを伊藤博文はわかっていたから全権大使を引き受けなかったのである。
 あの西南戦争の熊本鎮代の長官でもあった谷干城は「もし老台(あなた)がおだてられて全権になれば、必ず槍玉にあげられる。この度の会議は、だれが全権になっても好結果は得られない。老台が出掛けてゆくことはなく、桂首相、小村外相で沢山である。いたずらに馬鹿者のうらみを買うのは愚かである」と忠告の手紙を伊藤博文に出している。結局貧乏くじを引いたのが小村寿太郎であった。元老の井上馨は小村が全権大使になって送り出される時、「君は実に気の毒な境遇に立った。今まで得た名誉も地位も、すべて失うかも知れない」と涙ぐんだ。

 小村はロシアが日本の現状を知っている以上、日本が要求する条件をすべて呑むことは考えられない。だから条件をある程度限定して会議に臨んだが、最後の樺太譲渡、賠償金の請求は完全に拒否された。
 小村とウイッテとの駆け引きが息を呑む。しかしウイッテの方はしたたかである。敗戦国という不利な立場であるにも関わらず、アメリカのマスコミを巧妙に操作し、ロシアを好印象に持っていく。そうすることで自分たちの立場かなり有利にすることができるからである。日本が出した交渉条件をマスコミ流さないという約束をしたにもかかわらず、平気でそれを流す。そうすることで日本はロシアにこんな過酷な条件を出してきて、会議を決裂させる可能性があると言わせるのである。
 小村は日本が外国に対して交渉下手であることを自覚していた。

 「小村は、長い外交官生活で、日本の外交の歴史の浅さを身にしみて感じていた。幕末に試練に立たされた日本の外交政策は、鎖国政策を唯一の盾に徹底して受身の姿勢に終始したものであった。それは、欧米列強の植民地拡大政策の激烈さに逆に救われて、各国間に牽制し合う空気を醸成させ、それらの国から浸蝕をまぬがれる結果を生んだ。
 受身の外交は維新後もそのまま引きつがれたが、欧米との交流が増すにつれて攻めの外交も身につけなければならぬという動きが、一種のあせりをともなって顕著になり、実行されるようになっていた。しかしそれはきわめて未熟なものであり、多彩な術をそなえるまでにはかなりの時間がかかりそうであった。
 小村は、欧米殊にヨーロッパ各国の外交に長い歴史の重みを感じていた。国境を接するそれらの国々では、常に外交は戦争と表裏一体の関係にある。外交が戦争の回避を功を奏したこともあれば、逆に多くの人々に血を流せたことも数知れない。そのようなことをくりかえしている間に、外交は、攻めと守りの術を巧妙に駆使し、自国の利益を守るため他国との間でむすばれた約束事を一方的に破棄することすらある」

 つまり欧米の外交の歴史の中で、交渉では日本は絶対に勝てないことを小村は自覚していた。このことは今現在の日本の外交下手を思えば、未だに未熟なままである。いったいいつになったら日本という国は他国と外交交渉がうまくできるようになるのだろうかと思ってしまう。
 日本は回りを海に囲まれている。もうそれだけで国が守られていた。この点地続きの地形で、生きるか死ぬかの長い歴史を繰りかえしてきたヨーロッパとは決定的に違う。海に囲まれているということだけで自国内でのほほんと過ごすことを可能にしてきた。他国との交渉事は不要なものと勘違いさせ、それを放棄してしまった。
 そして日本が世界の中の一つの国となったときにはもう交渉ができなくなってしまい、いつも受身の立場で過ごさざるを得なかった。ただ単に交渉事は誠実に対応すればなんとかなる程度の発想しか持てないのである。しかしこのロシアの全権大使ウイッテの態度を見てしまうと誠実だけでものごとに対応できるもんじゃないことを思い知らされるのである。したたかさがどうしても必要である。

 会議はほとんど決裂状態に陥ったが、日本はここで絶対に講和条約を結ばなければならない。結局譲歩に譲歩をして、樺太の半分を日本領土として、賠償金の請求は放棄して、なんとか講和条約はなった。
 しかしこの講和条件を知った日本国民は黙っていなかった。苦労や負担を強いられ、家族が兵隊として取られ、戦死して帰ってくれば、不満は爆発する。何のための戦争であったのかと思ったに違いない。東京の各地で暴動が起こる。この本の解説者は「人間というものは何をしでかすかわからないという暗い好奇心と、何をやってもタカが知れているという無常観をはらんだ徒労の意識」を吉村さん自身に育てて来たと書いているが、多分それは吉村さんだけではあるまい。思うような結果が得られなければ、人間何をしでかすかわからない生き物であり、期待が裏切られれば、何をやっても同じという意識は特に日本人には強い気がする。
 このポーツマスでの会議における結果は、日本にとって国家的に屈辱としか国民には映らなかったし、その不満が昭和の敗戦までくすぶり続けることになった。極端なことを言えば、日本の軍国主義を、意識しようとしまいと影で支えてきたのは、こうした国民であった。それは国家の運営は一部の指導者がやればいいのであって、私たち国民はその指導者がもたらした結果を享受できればいい。現実がどういう状況であろうとそれはうまく隠されているから現実を知らないまま平気でいられる。しかし政治家も軍指導者も国民に美味しいところぶら下げておかなければならないから、後は泥沼化していくだけである。
 ポーツマスの暴動以後、日本の政治家、軍幹部はどうやって国民の前に人参をぶら下げるか。あるいはだましていくかしか考えなくなり、それを一番安易な戦争という暴力で国家運営をしていく。それでも国民が文句を言えば今度は権力という力でねじ伏せていく暗い時代を演出していく。しかし元を正せば国民の欲望が生んだことかもしれない。そう言う意味でこのポーツマスの会談は日本近代史、現代史のターニングポイントとなったとも言えそうである。


評価
★★★


書誌
書名:ポ-ツマスの旗
著者:吉村 昭
ISBN:9784101117140
出版社:新潮社 (1983/05 出版)新潮文庫
版型:372p / 15cm / 文庫判
販売価:579円(税込)

2009年05月21日

池波正太郎著『江戸切絵図散歩』

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 実は池波正太郎さんの本は初めて読む。歴史小説は好きなのだけれど、時代小説は受け付けない部分が私にはあって、よく人から池波正太郎さんは面白いよといわれるのだが、そのまま今日まで読まずに来てしまった。どうしても時代小説は年寄りが読むもんだというイメージが払拭できないところがある。オレはまだそこまで老けこんでないぞという意識がどこかにあるのかも知れない。しかし池波さんは名エッセイシストと聞いていたから、それでは読んでみようとこの本を手にした。
 池波さんは小説を書く場合、江戸時代の町の雰囲気をイメージするため、切絵図を頼りにして背景を作り上げているという。そんな切絵図を眺め、そこに描かれている地形と現在とを比較して、今現在どうなっているか、切絵図を頼りに町を歩き回る。池波さんによると「東京は台地が多く、つまり凹凸の多い地形で、いたるところに坂道がある。したがって、景観は変わっても、道筋はあまり変わっていなかった。もっとも現代は坂道も台地も恐るべき機械力で押し崩してしまうようになったが、それでも意外に地形は変わっていないのだ」という。つまり池波さんがこの本を書くまでは、まだ開発という暴力にさらされていない部分が多く残っていて、切絵図にある面影が偲ばれたのだ。おそらく今はだいぶ変わっちゃっているんだろうなと思う。
 それでも昔あった川や橋が消えてしまったりしているところ多く、昔の町名もどんどん消えてなくなっていることを池波さんは嘆いておられる。

 「橋や川ばかりではなく、むかしの町名も消えてしまった。戦後の町名改変の流行は、昭和十年代までは辛うじて残っていた町名を、ほとんど抹殺してしまったのだ。
 東京のみではなく、地方でも町名改変が流行して、私のように時代小説を書いている者は、まことに困った。何となれば、町名や村名は、いずれも、その土地の歴史をもっているからだ」

 今まで歴史に息づいた、あるいは由緒ある歴史から名付いた名前を平気で変えてしまうのは、確かに如何なものかと思う。今は市町村合併などといって町や市が経済的理由で一緒になってしまい、おかしな名前を平気で付けてしまうご時世だから余計である。そこにあった名前そのものが歴史であり、過去の生きてきた人々の遺産でもあるはずなのだから、それを単に経済的理由で壊せるものなのだろうか。今まで連綿と続いてきたのは、変化を折り込んできて生き残ってきたものだろうから、どうしてそれが現在できないのだろうか。なんでもスクラップアンドビルド的発想なら、ことは簡単だ。しかしその発想そのものが貧相なことを知るべきじゃないだろうかと思う。歴史の面影が残る町並み、歴史を感じさせる建物が残る町に、新しいものを作れないのだろうか?変化は昔もあったはずだ。それでもその町は残ってきたのだ。

 私は元々大した行動範囲を持っている方じゃないので、基本会社のある神田界隈にしか興味がわかなかった。この本の最初にある「上野下谷外神田辺切絵図」を眺めてみると、確かに道筋は現在とほぼ同じで、この道が昭和通りだなとか、こっちが清洲橋通りだなと追うことができる。大きな通りはよほどのことがないと変えられないのだろう。こうして現在と江戸時代の切絵図に描かれている地図が比較できると面白い。
 へぇ~と思ったことは、今須田町に「万惣」という昔からあるフルーツパーラーがある。池波さんのこの本によると、昔からこの界隈には果物屋が多かったらしい。だから青物問屋も多かったという。今秋葉原の再開発地区は元はやっちゃ場があったところであるが、青果市場がここにあったのもそのためだろうという。


評価
★★


書誌
書名:江戸切絵図散歩
著者:池波 正太郎
ISBN:9784101156682
出版社:新潮社 (1993/12/20 出版)新潮文庫
版型:204p / 15cm / A6判
販売価:619円(税込)

2009年05月20日

小路幸也著『マイ・ブルー・ヘブン』

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 東京バンドワゴンの最新刊を読み終える。この本は今までのシリーズとは違い、現在の三代目の勘一と亡くなられて幽霊になって登場しているサチさんとの出会いを中心に、堀田家の歴史なども明かされて、どちらかと言えばストーリーの内容より面白い。お話の世界とはいえ、へぇ~そうなんだ!と感心しちゃった。“東京バンドワゴン”という古本屋さんはそこいらにある街中のしがない古本屋さんとは違うこと知らされる。
 話は終戦直後のアメリカによる占領時代である。子爵五条辻家にGHQが乗り込んでくる。慌てた当主政孝は長女の咲智子に秘密の文書が入った小さな木箱を渡し、静岡の伯母さん家へ逃れろというところから始まる。
 なんとか咲智子はGHQから逃れ、上野の駅に向かうがそこでGHQの関係者に捕まってしまう。それを助けたのが、キングス・イングリッシュを流暢にしゃべる勘一であった。

 えっ、勘一さんがキングス・イングリッシュをしゃべれるの?

 とにかくそこから咲智子を助け出し、勘一の実家である“東京バンドワゴン”という古本屋に連れてくる。ここで咲智子と勘一のお父さん、つまり“東京バンドワゴン”の二代目草平は自己紹介をする。なんと勘一のお父さんはケンブリッジ大学を卒業したらしく、その関係で勘一にキングス・イングリッシュを教え込んだという。
 そして草平の父親、つまり“東京バンドワゴン”創業者である達吉は、三宮達吉といい、明治の頃、財閥の娘さんと結婚し、鉄道事業で一時代を築いた政財界大物であった。三宮達吉はある日突然引退し、三宮とも縁を切り、堀田の性に戻り、古本屋をこの地で始めたという。そのため“東京バンドワゴン”には達吉の関係ですばらしい蔵書が蔵にたくさん在庫している。草平はケンブリッジにいた頃、二年下の五条辻政孝と友人であった。勘一はその頃医学生だった。

 えっ、勘一さん医学生だったの?!

 とにかく機密文書を持っている咲智子には危険が迫ってくるから、ここは咲智子を勘一の嫁として迎えたことにして、名前を堀田サチと変えることとなった。

 何かすごいことになってきた。

 “東京バンドワゴン”の創業者達吉は明治に鉄道事業で一時代を築いた政財界大物。そしてその息子二代目の草平はケンブリッジ大学を出ていて、さらに三代目となる勘一がキングス・イングリッシュをしゃべる、医学生。そしてあのサチさんが子爵の娘さんである。今までこのシリーズを楽しんで読んできた者にとっては、このシチュエーションは驚きである。それだけで話の展開より面白くなっちゃう。
 一応話の内容にも触れておかないといけない。この頃“東京バンドワゴン”には今と同じように多様な人が集まるのは同じであるが、時代が時代だけに、終戦直後の時代を反映する人々が集まってくる。戦災孤児のかずみさん。後に女医になる人。混血の若き貿易商高崎ジョー、日本陸軍の情報部の軍人であった和泉十郎、ジャズシンガーのマリアさん。
 草平と勘一、そして“東京バンドワゴン”に集まった彼らは、サチさんの親を助けるために活動するのである。そしてなんとかサチさんの両親を助け出す。勘一はサチさんを守るために偽装結婚をしたのだけれど、焼けぼっくりに火がついて、サチさんと結婚し、この“東京バンドワゴン”で暮らすことになるのである。
 勘一とサチさんの一人息子の我南人の名前の由来もここで明かされる。名付け親は勘一で、南の国住みたかったからだという。我南人がミュージシャンになった影響は、ジョーやマリアや十郎さんの影響だということになっている。

 すごいぞ、“東京バンドワゴン”と思った本であった。


評価
★★★


書誌
書名:マイ・ブルー・ヘブン―東京バンドワゴン
著者:小路 幸也
ISBN:9784087712902
出版社:集英社 (2009/04/30 出版)
版型:305p / 19cm / B6判
販売価:1,575円(税込)

2009年05月18日

小路幸也著『スタンド・バイ・ミー』

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 第三弾を読み終える。今回も案外いけた。実を言うと今ちょっと後悔している。というのはこのシリーズは我が家の本棚に置いておこうと決めたのだが、第一弾は読後それほどでもないなということでブックオフに売り飛ばしちゃったのだ。ということはこのままだと第一弾がないことになる。これはちょっとまずいなと思い、なんとかしないといけなくなる。

 さて、今回もこの大家族に様々な問題が起こる。しかし問題といってもそれほど大したことではないのだが、主に人間関係のこじれから生じるものが多い。もともとこの家族、訳ありの人間関係から一つの絆で結ばれた家族なので、最初から問題を抱えていると言っていい・本人たちはそれほど気にせず、わきあいあいと過ごしているのだけれど、他人様からすれば面白いネタを提供してくれる。そこを突っつく輩がいて、それが時には問題となる。しかしこの家族のそんなことより、みんなと楽しく暮らしていることで、いつの間にかそういう問題は些細なことになってしまう。
 さらにご近所さんも、古本好きの人の様々な問題をこの家族に持ち込んでくる。当主の勘一は<文化文明に関する些事諸問題なら、如何なる事でも万事解決>という壁に貼ってある家訓を示し、「なぁに、ご覧の通り、我が家はあれこれ変なことを抱え込むのが家業みたいなもんでね。どうぞ、かまわんですよ」と何でも相談に乗る。
 これがこの話を面白くしてくれる。問題もすべてハッピーエンドで終わるのも、昔のホームドラマの鉄則で、それだから読んでいて安心できるのだ。
 またサチさんのナレーションもいい。様々な問題が解決した後、サチさんの存在を感じることができる紺さんがいつも仏壇の前に座り、サチさんと問題が解決してよかったねといった感じで会話するのもいい。この本の最後にも「わたしもいつかまた皆にさようなら言うときが来るのでしょうけれど、それまではもう少し、ここに居させてもらいましょうか」と次作につながる言葉は、それが出版されることを楽しみにさせてくれる。


評価
★★★


書誌
書名:スタンド・バイ・ミー
著者:小路 幸也
ISBN:9784087712292
出版社:集英社 (2008/04/30 出版)
版型:301p / 19cm / B6判
販売価:1,575円(税込)

2009年05月15日

小路幸也著『シー・ラブズ・ユー』

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 前作を読んだのは三年前ぐらいっだっただろうか?この本がシリーズになるなって思わなかったが、もう四作も出版されている。今回は第二作目で、次の三作も続いて読もうかと思っている。
 前作はなんとなくいいなぁという程度の感想だったと思うが、今回は“ちょっといいじゃん”という感じである。案外私はこういうホームドラマ的小説は好きかも、なんて思ったのだ。読んでいてほのぼのとしてくる。特にここのところ堅苦しい本や、読んでいても面白くない本が続いたので、何か気持がリフレッシュできた感じだ。
 大きな感動はないけれど、これはこれでいいと思った。まさしく昔あったテレビドラマの世界がここにある。近所づきあいの多様さ、大家族と、とにかく人が多いものだから、そこには様々なドラマがあって、事件がある。そしてそうした多くの人々が集まる家族にはやっぱり昔から連綿と続いてきた生活がほとんど変化せずに息づいているのがいい。時にはそれが古臭い部分があるけれど、かえって人々を集まらせるサムシングがあるんじゃないだろうか。
 舞台は下町の三代続いた<東京バンドワゴン>という屋号の古本屋。そしてその店の隣にあるカフェは若い家族がやっている。その古本屋の三代目堀田勘一がひいおじいちゃんで昔どこでもいた頑固で情にもろい、わがままなオヤジ。いかにも下町の古本屋のオヤジといった感じで、いい味を出している。そしてその息子我南人。“永遠のロックシンガー”と言われる61歳で現役ロックシンガーが自由に振る舞っているのもいい。そしてその我南人の長女藍子さんと息子の紺。紺の奥さんである亜美さんと藍子さんが隣のカフェをきりもりしている。さらに我南人と大女優と呼ばれる池沢百合枝の間で生まれた青。青の奥さんのすずみさんが勘一の古本屋を手伝っている。藍子には中学生なったばかりの一人娘花陽。紺と亜美さんには小学生の研人と生まれたばかりのかんながいる。そして青とすずみさんにはかんなと同じ日に生まれた鈴花がいる。藍子さんはイギリス人画家マードックさんという旦那さんいる。さらに猫と犬が数匹いて、これらの人や犬猫が一つ屋根の下でがやがや毎日を過ごす。そこに常連客、勘一の幼なじみ、あるいは我南人の仕事の関係者、いつも行く小料理居酒屋の<はる>の若女将などが訪ねてきて、まぁとにかくやかましい。
 そうしたやかましい家族のナレーション役をするのが、亡くなった勘一の奥さんサチさんで、あの世に行かずにこの家族の周りにいるという設定になっている。
 もうこれだけ聞けば、昔あったテレビドラマだと思うでしょう!今みたいに洗練されたドラマじゃないことがわかると思う。そういうのを私は子供の頃見てきたから、懐かしくもあるのだ。だからこの本を読んでいて心が和む。三作目も楽しみだし、四作目はまだ買っていないけれど、今日仕事が終わったら書泉さんに買いに行こうと思っている。最近“書泉ブッタワー”で本を買っていないしね・・・?


評価
★★★


書誌
書名:シー・ラブズ・ユー―東京バンドワゴン
著者:小路 幸也
ISBN:9784087753776
出版社:集英社 (2007/05/30 出版)
版型:277p / 19cm / B6判
販売価:1,575円(税込)

2009年05月13日

山之内靖著『マックス・ヴェーバー入門』

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 だいぶ以前に長部日出男さんの『二十世紀を見抜いた男』を読んで、私はプロテスタンティズムと富の蓄積は矛盾するじゃないか、と書いたことがある。長部さんの本にはそれが矛盾しないことを書かれているのだが、どうも私はすっきりとしない部分があった。しかし今回山之内さんの本を読んで、完全にすっきりしないまでも、ある程度納得できるところがあった。

 この本はマックス・ヴェーバー入門とあるように、マックス・ヴェーバーの著作をどう読むか、解説されている。主に『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』と『古代農業事情』第三版をどう読めばいいか教えてくれる。私は興味が『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』にあったので、こちらの部分が面白く読めた。はっきり言って『古代農業事情』第三版の解説は難しくてよくわからなかった。
 で、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をどう読めばいいのか。特に私がかねがね疑問に思っていた、プロテスタンティズムと富の蓄財がどうして矛盾せずに、受け入れられるのか、それを教えてくれる。
 
 それでは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』にどうアプローチすればいいのだろうか?ヴェーバーは市場メカニズムの歴史的成立を可能にした主観的動機に注目した。つまりヴェーバーは宗教がもたらした魂のあり方、救済が行為が動機となり、それが倫理的・道徳的生活態度として社会的に形成されたはずだから、ここに注目していく。
 しかしこのままではあまりにも多様であり、不確定である。そこには民衆の感情世界が一貫した倫理性帯びなくては、社会科学を社会科学としてあらしめる基準が見出せない。
 具体的に言うと、人々はいつ終わるとも知れない苦難が理由もなく続くことには耐えられない。けれど苦難が宗教的救済の約束と結びつき、苦難そのものが聖なる意味を持ったとき、苦難が生きがいを感じることができるとする。こうした宗教による観念の力が歴史において偉大な作用を果たしたとき、それが“合理化された「世界像」”となる。それをヴェーバーは社会科学の内部に方法として組み込んだ。
 ちなみにアダム・スミスやマルクスは市場メカニズムが価格という記号化した非人格的な指標によって財の社会的交換と配分が行われため、価格のみが手がかりであり、生産者・商人・消費者を事前に差異化した社会的属性は意味がない。社会的交換を決定するのは、非人格的・匿名的な記号としての価格であって、それを制作した人の倫理・道徳でもなければ、趣味や教養でもないから、市場メカニズムが社会科学の手法を提供するとしたのである。
 さらにもう一つアプローチの仕方を説明する。世の中には社会的な言説は、それが伝播してゆくうちに元の意味とはかけ離れたものへとズレていくことがある。たとえばある人がAという命題を語ってそれを誰かに伝える、この誰かはその命題をさらに第三の人に伝える、というふうに命題はは人々の間に拡がっていくが、その間にAという命題はいつの間にか変質してしまい、AではなくてBだ、と言わざるを得ない別のものになってしまう。こういうことを踏まえて、最初に提示された言明が、宗教から経済へ、あるいは非日常性の領域から日常性の領域へその性格を変え、伝播していきついには主観的な意図とは別に客観的結果もたらす。“予期せざる結果”、“意図せざる結果”を生んだというのだ。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』にはこの手法というか変化をフルに使っているというのだ。

 もともと中世キリスト教神学の中では、人間が日常生活そのものの中に宗教的な救済があり得るなどとは考えられていない。原始キリスト教の中にも民衆の世俗の生活そのものの中に、その営みだけによって神によって善しとされるような領域があるとは考えられていない。つまり世俗的日常労働の中には宗教的意味を認める思想は、本来、キリスト教思想の中には存在していなかった。
 特にカルヴァンの唱えた予定説においては、永遠の昔から、ある人間には救いが予定され、他の人々は堕落に予定されている。このことは、神の永遠の決断によってすでに決まっていることであり、人間の側の善行や、信仰のよってさえも、そうした事実を変えることはできない。まして人間は神によって作られた被造物であるから、神の意志を勝手に変えたりすることはあり得ないし、あってはならない。これほど宗教上の神観念の中で、これ以上ラディカルなものはない。これは私が思っていたとおりである。ここからどうして富の蓄財が肯定されるのであろうか。それは次の通りである。
 神はとうの昔に救われるかどうか決めてしまっているので、その神さえも聖典礼も教会も個人の救いに役立たないことになる。カルヴァニズムの説教にいったん接した信者は、心理的緊張を免除されるチャンス(救済)を予定されたいた人物以外剥奪される。このことは西欧の孤立した個人を生み出すこととなった。
 カルヴァニズムの予定説は、救いの確証を得るための魔術的な手段を一切排除してしまったために、信徒たちはただひたすら自らの職業労働に専念することによってしか、内面的な不安を排除することができなくなってしまったのである。絶えざる自己管理を強要されることとなったのである。著者はそれを「人々は今日は肉の欲に負けなかったか、禁欲的職業労働によって神の道具として徹したかどうか、と問いかけ、まるで一人の人間が日々の生活について、信仰上の貸借対照表厳密に作成してゆく作業」をせざるを得なかったというのだ。こうしてカルヴァニズム的な信徒生活の聖なる成果は、ほとんど事業経営と同じ性格のものへと近づいてゆく。ここから「人間は委託された財産に対して義務を負っており、管理する僕、いや、まさしく『営利機械』として財産に奉仕する者とならねばならぬという思想は、生活上冷ややかな圧力をもってのしかかっている」という禁欲的合理化を生むこととなる。
 まさしく大どんでん返しの発想と転化するのだ。本来持っていたカルヴァニズム思想が資本の肯定になったことは、“予期せざる結果”、“意図せざる結果”をだったわけで、それをヴェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で言ったまでのことだと著者は説明する。なるほどこれだとある程度納得できるし、この著者の考え方は面白い。
 そして著者は「こうした禁欲的合理化は個々人の合理化にとどまらず、社会的生活諸領域まで徹底して合理化推し進めるという結果を伴うが故に、皮肉な自己破壊的結末招く」として、今世界が行きすぎた資本主義や商業主義が招く当然の帰結を警鐘するのである。

評価
★★★


書誌
書名:マックス・ヴェーバー入門
著者:山之内 靖
ISBN:9784004305033
出版社:岩波書店 (1997/05/20 出版)岩波新書
版型:246,2p / 17cm
販売価:819円(税込)

2009年05月11日

小玉武著『「係長」山口瞳の処世術』

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 この本は前著「『洋酒天国』とその時代」の第2弾である。著者の小玉さんがサントリーに入社したときの直属の上司が係長であった山口瞳さんだったという。
 私は「洋酒天国」という小雑誌に強い興味を持っているので、どうしてもこの本に触手が伸びてしまう。その上、開高さんと山口瞳さんのことをもっと知りたいという思いもあって、その二人の関係者が書かれた本はどうしても読みたくなるのだ。
 しかし今回も前作同様ものたりなさを感じて終わってしまった。思うに小玉さんはどうしても「洋酒天国」が発売されていた時代風俗、特に昭和30年代がどういう時代であったか、その時代を顧みると同時に、山口瞳さんの小説『人殺し』を語りたかったようだ。その小説の裏にある思想的背景をかなり詳しくつっこんでいる。私は山口さんが書かれた小説の解釈と鑑賞には今のところ興味がないので、どうしてもこの本は自分が求めていたものと違うなと感じた。
 私は山口さんが亡くなられるまで書かれた『男性自身』のファンで、そこに書かれる山口さんの姿勢が好きなのだ。まじめ一本槍で、不器用で、融通のきかない一人の男がどのように生きてきて、今の世の中に不平不満を愚痴るのが好きなのだ。あるいはそれでも自分の姿勢を崩さない頑固さが好きなのだ。そうした山口さんの知られざる部分がたくさんここにあればいいのにと思うのである。まぁそれでも山口瞳さんをうまく言い当てているんじゃないかと思われるところを書き出してみる。

 「山口瞳は不思議な作家である。権威や権力を嫌う<無頼>でありながら、生きていく上での『型』を大事にする。仕事のやり方も、人とのつきあいも、酒の飲み方も、そして礼儀作法も、生きるためには『型』こそまずもって大事だと思っていた。この『型』が定まらなくては、人生は、迷惑を繰りかえすだけで、と言うのである」

 「山口瞳にせよ、伊丹十三にせよ、身辺雑記風のことを書きながら、それを超えた普遍的な生活技術を明らかにするワザの持ち主だった。<リアルな眼>を持っていた、といった方が正確なのかもしれない」

「開高健が『女』の内面と感性と官能に関心を示したのに対して、山口瞳はどちらかというと、『女』の属性、生き方その能力と特性に鋭い観察眼を働かせた。開高健が描こうとする女はどちらかというと抽象化された『女』であり、山口瞳が凝視する女は、職場や街中で見られる具体的な属性を持つ『女』であった」

 最後に山口さん自ら自分自身を語ったことが、よかった。

 「こんど新しくサラリーマンになられる方々へ忠告とか教訓とか書けというご注文ですが、私は、実を申しますと、お恥ずかしい話ですが『教訓』をたれたりするのが、割と好きなタチなのです。
 『ねえ、キミ、ぼくなんか苦労したんだよ」』
 といって額にシワを寄せて、自分もいい気持ちになりたいタチなのです」

 これ、なんか本当に言ってもおかしくなかったので、読んでいて笑ってしまった。


評価
★★


書誌
書名:「係長」山口瞳の処世術
著者:小玉 武
ISBN:9784480818294
出版社:筑摩書房 (2009/03/30 出版)
版型:311p / 19cm / B6判
販売価:1,995円(税込)

2009年05月09日

半藤一利著『幕末史』

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 この本はペリー来航から西南戦争までの通史である。あとがきによるとこの本は市民講座みたいところで半藤さんが話されたものをまとめたようである。前作の『昭和史』はかなり面白かったので、今回も多少期待したのだけれど、内容に目新たらしさがなかった。
 案外こんなもんである。前作が面白かったりすると、ついつい今回も、と思うのだけれど、前作に力を注ぎすぎているからか、あるいはネタが尽きてしまっているのか、二作目が面白いというのはなかなか難しいようである。そのため普段私は本を読むときは、何か気になる文章があれば、そのページに付箋を貼っておくのだが、今回は一枚も貼ることなく終わってしまった。ある程度幕末から明治の知識のある人ならこのくらいは語れるじゃないかと思う。

 それと著者の勝海舟好きが高じてしまって、それほど必要もないだろうに、至る所で「勝海舟は・・・」と出てくる。確かに江戸城無血開城の最大の貢献者だから、このとき前後は海舟の記述はあってもいいけれど、それ以後はいらないような気がする。「勝っつあんは・・・」なんて言われちゃうと、いささか辟易してしまう。
 それとよくあるでしょう。歴史の先生が自分の専攻したところ、あるいは興味のあるところを長々と語りすぎ、結果最後は急ぎ足になってしまい、時間不足のため、簡単に触れるしかなくなちゃうやつ。今回も西南戦争までというけれど、そこなどは簡単にしか触れられていない。海舟もいいけれど、もう少しうまい時間配分をして、西南戦争も詳しく語って欲しかったなと思った。


評価
★★


書誌
書名:幕末史
著者:半藤 一利
ISBN:9784103132714
出版社:新潮社 (2008/12/20 出版)
版型:477p / 19cm / B6判
販売価:1,890円(税込)

2009年05月06日

津村節子著『ふたり旅』

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 津村さんは吉村昭さんの奥様である。この本は津村さんの自伝的エッセイで、津村さんの生い立ちを語るうちに、吉村昭さんとの出会いや、一緒に作家を目指して、同人雑誌に参加し文芸活動をしたこと。あるいは吉村さんの弟さんの口添えで結婚に至ったことも書かれているし、まだ無名時代二人の苦しい下積み生活も語られる。これらは女性の目で、時には主婦の目で「吉村昭」を語ることになる。たぶん吉村さんが生きておられたら書かれることはなかったかもしれない作家吉村昭の生活臭がここにはある。もっともそれが知りたくてこの本を手にしたのだから、それはそれでいい。
 ところで吉村夫妻は、奥様の津村節子さんの方が芥川賞を受賞し、吉村さんは四度芥川賞の候補となるがいずれもだめで、結局芥川賞はとられていない。そして吉村昭さんを世に出したのは「太宰治賞」受賞がきっかけである。この点が何で「太宰治賞」なんだったんだろうと思っていた。しかしそれにはちゃんと訳があったようだ。吉村さんにとってみれば、芥川賞は新人賞だから四回以上も候補になっていればもはや新人じゃないと考えられていたらしく、そこで筑摩書房の懸賞に自らの作品二作を応募し、いずれも「太宰治賞」の候補となり、うち一作『星への旅』が受賞した経緯らしい。
 しかし戦争、そして終戦の混乱時代、作家ととして夫婦として津村さんと吉村さんは二人して歩いてこられた。その道のりは作品を書くだけでは生きていけない厳しい生活環境の下で、それでも文学の道を進むことだけを、それだけを目指していた半ば狂気化した生活は、ある意味すさまじい。生きることと文学が濃厚に結びついた世界がここにはある。文学というのはこうした世界で生まれるものなのかとさえ思った。津村さんは次のように書かれる。

 「夫婦とも小説を書くことに死物狂いだったあの頃。現在の文学の世界から思えば特殊な時代だったのだろう。そしてよく二人ともその時代を生きのびて来られたと思わずにいられない」

 それでも奥様の津村節子さんの方が芥川賞受賞と先に全国区でデビューしてしまい、吉村さんは何度も候補に挙がるけれどその都度落選。奥様の津村さんは作家として夫の吉村昭を尊敬しつつ、それでもなかなか世に出られない吉村さんを気遣う優しさこの本のあっちこっちで窺えた。
 しかし思うのだけれど作家吉村昭の“こだわり”はこうした苦労の中で、時には自分を見失うこともあっただろうけど、こういう苦しい下積み生活があったからこそ、生まれたものじゃないかと感じた。吉村さんの作品をまだそれほど読んでいないけれど、私は随筆で見られる舞台裏の取材風景を読むと、その一途さがひしひしと感じる。だから読んでみたいと思うのだけれど、そうした姿勢は吉村さんがこういう時代に生きてこられたことによるんじゃないかと思う。

 ところでこの本には敗戦で日本の指導者、軍人、知識人がいかに豹変し、その無節操ぶりが描かれていて、いささか嫌になるところがある。このことは確か吉村昭さんも随筆で書かれていたし、他の作家さんも似たようなことを書かれていたことを思い出す。

 東久邇宮首相が記者会見で、
『私は軍官民、国民全体が反省し懺悔しなければならぬと思ふ、全国民総懺悔をすることがわが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信じる』
 という談話が発表されたときことを私は覚えている。なぜわれわれ国民が懺悔しなければならないのだろう。私たちは月に一日だけ電休日以外、朝八時から残業して毎夜十時まで働き通し働き、牛馬の飼料のような芋がらや麬を食べ、大東亜共栄圏のため、東洋平和のための聖戦と信じて銃後を守って来たのだ。神風特攻隊や神潮特攻隊で、自ら爆弾となって死んでいった若者たちや、沖縄で重要な戦力となって死んでいった中学生や女学生も、懺悔せよというのであろうか。
 
 あるいは下宿していた少佐が軍服のままじゃ郷里に帰れないからと言うから伯父さんが一番いい背広を貸したが、そのままいつまでも返ってこないとか。佐官級の軍人たちは国民が物不足でいるのに、毎日士官学校から毛布や食料品運び出していた。
 敗色が濃くなってからも、新聞やラジオは赫赫たる戦果を報じ、有識人たちは、このいくさは東洋平和のための聖戦だと言っていたのに、臆面もなく侵略戦争だった、とまるでカメレオンのように保身のため色を変えた。
 米軍基地で働く男たちは米兵から煙草やウィスキーを買っては横流しをする。

 確かに彼らも生きるためには仕方がなかったと言ってしまえばそれまでだが、この豹変ぶり付き合わされた一般民衆はたまったもんじゃない。そして津村さんも生活のために米軍基地の米兵のためのお店で働いた以上、彼らを非難できようかというのである。生きるということがそれだけでその人の精神さえも平気で変貌させるものだと改めて思い知る。


評価
★★


書誌
書名:ふたり旅―生きてきた証しとして
著者:津村 節子
ISBN:9784000246422
出版社:岩波書店 (2008/07/25 出版)
版型:253p / 19cm / B6判
販売価:1,995円(税込)

2009年05月01日

三木義一著『給与明細は謎だらけ』

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 仕事柄給与事務もやっているから、ここに書かれていることは基本的にわかっているつもりだ。だからというわけじゃないが、どうも納得できない部分もある。たとえば通勤費の扱いである。
 所得税の方は通勤費が10万円未満は非課税扱いなのだが、社会保険料計の算出に当たっては、これを給与に含めて算出する。つまり通勤費のぶんだけ社会保険料計が上がることになる。
 そもそも通勤費とは収入なのだろうかと思うのだ。社会保険料計は標準報酬月額から算出するのだが、その標準報酬月額のもととなる報酬は、賃金、給料、俸給、手当、賞与、その他どんな名称であっても、被保険者が労務の対償として受けるものすべてを含むとあるのだ。しかし通勤費は労務の対償なのかと思うのだ。だって仕事をするために移動する費用であって、決して労務の対償ではあるまい。少なくとも所得税の方で非課税としている方が合理的である。これも社会保険庁の陰謀なんじゃないかと思っている。

 しかし私はこうした事務仕事つくまでは、給与明細の仕組みなどどうなっているのか知らなかった。どのように手当が決められ、算出され、その上で社会保険料や所得税や住民税の額がどのように決められていてのかなんてわからなかった。結局気になるのは手取りの額である。最終的にいくら手元に残るかが、すべてであった。
 多分多くの方がそんなもんじゃないかと思う。それくらいややっこしくしてあるのだ。何故かと言えばわれわれサラリーマンに文句を言わせないためなのだ。税金や社会保険料の徴収に関心を持ってもらうとお役所としては困るのだ。徴収の仕組みをわざと複雑にして、煙に巻いているのだ。しかも納税の義務を本来個人にあるものを会社にさせる。税務署や社会保険事務所の仕事を会社の経理にさせること自体、職務怠慢だ。それに対して何も見返りがないのだ。あくまでも義務だとしてあぐらをかいているのである。
 そしてとにかく取ってしまえばいいわけで、そこには個人個人が税金や保険料を納めているという意識をなくさせれば、後はそのお金でやり放題というわけだ。
 だからこの著者はわれわれサラリーマンを“羊”と称するのである。これは読んでいて無性に腹が立った。専門家からすればわれわれサラリーマンはむしり取られるだけの“羊”に見えるのかもしれないが、どう考えても言い過ぎであろう。少なくと専門家であるなら、あるいはわれわれサラリーマンの立場に立つなら、こういう言い方はすべきじゃないだろう。これだけでこの人の品性が疑われる。減点★四つである。
 私はこうして給与事務をやるようになってから、あるいは自分で確定申告をするようになってから、税金や保険料を納めているという意識が生まれた。
 日本のサラリーマンはいつの間にか税金や保険料を納めているという意識を給与天引きというシステムで薄められてしまっている。だからそれがどのように使われているかなんて意識もほとんどない。もし個人で納税なりすれば、国民としての義務を果たしているという意識も生まれるだろうし、その使い道が気にかかるだろう。強いては日本の政治にも目を配るようになると思うのだ。そうなれば社会保険庁のいい加減さは絶対に許せないはずだ。
 逆にこうしたシステムをこのままにしておくと、本来義務を果たし者の対価として補償が受けられるという意識も希薄になり、いつの間にかお上がしてくれるんだから、もらえるものならもらわなきゃ損だという意識がだけが生まれてしまう。それが納税や保険料を納めた者の権利だということを忘れているのである。これらは意識の問題かもしれないが、結構こうしたことをきちんと自覚することは大切なんじゃないかと思うのだ。給与天引きという複雑で不明瞭な徴収はやめるべきだと思う。この著者がわれわれのことを平気で“羊”なんて言うのを許しちゃいけないと思うのだ。

 文句ばかりしょうがないので、読んでいて“なるほど”と“へ~え”と思ったことを書く。まずは“なるほど”とおもったことは、年末調整の話から。年末調整は年末の時点で判断する。従って婚姻届を出すなら年末に、離婚届を出すなら年が明けてからにしたほうがいいということ。つまり婚姻届を年末に出せば、その年はたとえば配偶者控除を受けることができるし、こぶつきであれば、扶養親族が増えることになる。逆にその年に離婚届を出せば、その年は配偶者控除や扶養親族控除が受けられなくなる。この論理から言えば子供も年末に生まれてくれた方が有り難いことになる。
 “へ~え”と思ったことは、最近派遣労働者が増えてきた理由というか促進した理由に「消費税」の存在が無視できないということ。通常派遣法が改正(改悪)されたことや、正規社員を少なくして派遣社員を使うことで人件費を抑制するために、派遣が増えた理由とよくされるが、それだけでなく消費税の問題も派遣が増えた理由だというのだ。
 どういうからくりかというと、消費税は事業者の売上に5%の税率で課税されるが、その際仕入をして負担した消費税は差し引くことができる。正社員の給与は仕入でないので、いくら社員に給与を支払っても消費税には何ら影響はない。しかし派遣会社に支払う派遣料は仕入となり、その分が会社の売上にかかる消費税から差し引くことができるというのだ。ということは、同じ人件費がかかるなら派遣社員を使用した方が会社としてはメリットがあるというものだ。しかもアホな社員よりもスキルの高い派遣社員の方が利益も効率も上がるしね。
 この手を利用して、派遣会社も自社の正社員の数を減らし、別の派遣会社を作り、そこから派遣してもらえば消費税負担が減る。しかもその新しい派遣会社は、設立して2年間は消費税納税義務がないので消費税がかからないのだ。そして2年たったら派遣社員を移動して、また別の会社を作る。そうすればまた2年間消費税がかからない。これを繰り返すというのだ。なるほどこれは脱法行為じゃない。頭のいいやつはうまいこと考えるもんだ。


評価


書誌
書名:給与明細は謎だらけ―サラリーマンのための所得税入門
著者:三木 義一
ISBN:9784334035044
出版社:光文社 (2009/04/20 出版)光文社新書
版型:248p / 18cm
販売価:798円(税込)