2009年05月27日
阿刀田高著『リスボアを見た女』
この小説は『怪談』、『海の挽歌』と同じスタイルをとる小説で、主人公が昔知った、あるいは学んだ歴史について、後に調べてみようとするやつである。
野々村二郎は小学校の時、夏休みの登校日に行われた「鉄砲伝来」というテーマに友人に誘われ出席する。話をした教師は、1543年に種子島においてポルトガル人から鉄砲が伝わり、それを模倣して日本人が自らの手で鉄砲を作ろうとするのだが、鉄の筒を作ることはできても、片方を閉じることができない。どうしてそれを閉じたらいいのか、教えてもらうために職人は自分の娘を泣く泣くポルトガル人にやって教えてもらったということを思い出し、時々古銃に関して調べていた。そうしていつの間にか四十代になった野々村は有給休暇の消化のため、種子島へ旅に出る。
とにかく鉄砲に興味のある野々村は当時の領主であった種子島時堯がポルトガル人から譲り受けたと言われる火縄銃とそれを元に刀鍛冶八板金兵衛清定に作らせたという火縄銃が展示してある鉄砲館へ向かう。しかしここで鉄砲伝来にはいくつかぼやけた部分があることを知る。ちなみにWikipediaで調べてみると次のようにある。
『鉄炮記』によれば、種子島への鉄砲伝来は天文12年8月25日 (旧暦)(ユリウス暦1543年9月23日)の出来事で、大隅国(鹿児島県)種子島西之浦湾に漂着した中国船に乗っていた「五峰」と名乗る明の儒生が西村織部と筆談で通訳を行う。同乗していたポルトガル人(「牟良叔舎」、「喜利志多佗孟太」)が鉄砲を所持しており、鉄砲の実演を行い種子島島主である種子島恵時・時尭親子がそのうち2挺を購入して研究を重ね、刀鍛冶の八板金兵衛に命じて複製を研究させる。その頃種子島に在島していた堺の橘屋又三郎と、紀州根来寺の僧津田算長が本土へ持ち帰り、さらには足利将軍家にも献上されたことなどから、鉄砲製造技術は短期間のうちに複数のルートで本土に伝えられた。
しかしその伝来は1543年と言われているが、1542年という説もあるらしく、しかもここに展示されている火縄銃はその時種子島時堯がポルトガル人から譲り受けた銃ではないという。時堯が譲り受けた銃は西南戦争の時焼失してしまったという。ではここにある銃はどこからきたものなのか。実は「五峰」と名乗る明の儒生と筆談した西村織部も鉄砲を一挺入手していたらしく、西村家の子孫が西南戦争で種子島家の銃が焼失してしまったものだから、それを種子島家に献上したのがこの銃だと言われるらしい。
そして伝わった銃から刀鍛冶の八板金兵衛が模倣して作る時、その製造上わからないところを教えてもらうために自分の娘をポルトガル人に与えたという謎の女は誰か?八板家の家系図によれば、“若狭”という娘がポルトガル人船長に与えられたとある。
話は土地の人からいろいろ聞いていくうちに、鉄砲の技術と引き替えにポルトガル人に渡された女性は“はな”という名前の女でポルトガル人の間には“アンナ”と呼ばれていたとなっていく。
ところで日本人で初めてヨーロッパの土を踏んだとされる天正少年使節団は1584年にリスボンに到着しているが、出航は1582年である。となると鉄砲の技術のためにポルトガル人に渡された“若狭”もしく“はな”の方が、鉄砲伝来が1543年であるとすれば、約40年ほど早くヨーロッパの土を踏んでいておかしくないことになる。
もともと野々村は自分の興味から歴史の現場に立ってみたいということで、ここ種子島に来た。しかし実際現場に来て、知っている事実と違う話がごろごろしている。それはあくまでも伝承の世界かも知れない。だからこの話は幻想的になっていくのだが、いろいろ考えていくと私たちが直線的に知っている歴史というのは、一つの方向からすべて説明できないものじゃないかと思わせてくれる。
ものごとの始まりを記録に残ったもので決定してしまうと、そうじゃないんじゃないかという部分がどうしても出てくる。たとえば鉄砲伝来を1543年と1542年の説があるというより、種子島には1542年に最初にポルトガル人が漂流してきて、その後翌年の1543年に意図的に日本を目指して来たとした方が何となくすっきりする。
また伝わった鉄砲が二挺といわれているが、実際二挺とも西南戦争で焼失してしまい、もう一挺あったことで、それをもって二挺のうちの一挺とするより、実際何挺も日本に伝わっていた可能性がある。そうであればこそ、その後日本に鉄砲が普及する速度があまりにも速いのも説明できる。直線的に種子島に初めて鉄砲が伝わり、ここから日本全国に普及していったと言い切れないのかも知れない。日本は回りが海である。どっからでも外国からものが入ってきておかしくないはずだ。たまたま記録が種子島にあって、その後の記録もあるものだから、ここが初めとなっただけかも知れない。その伝わった銃もポルトガル製といわれているけれど、マラッカあたりで作られたものではないかとも言われている。
そして日本人が初めてヨーロッパの土地を踏んだのは天正少年使節団とされているが、もしかしたら鉄砲の技術と引き替えにポルトガル人に渡された“若狭”もしくは“はな”だっておかしくはない。ただ記録に残らなかっただけかも知れないのだ。
野々村が蒐集した話はすべて伝承である。これを歴史としてしまったら、歴史が成り立たなくなってしまう。だからこうした幻想小説で語られる。それがこうした小説を成り立たせ、お話として面白くさせてくれる。話としては若干雑さを感じないでもないが(先の『怪談』、『海の挽歌』の方が歴史と話がうまく渾然となっていた)、読んでいて「こういうことも言えるぞ」、「こんなのもあり」と主人公が推理するのが面白かった。
評価
★★★
書誌
書名:リスボアを見た女
著者:阿刀田 高
ISBN:9784560045626
出版社:白水社 (1992/09/10 出版)
版型:235p / 19cm / B6判
販売価:入手不可
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- by kmoto
- at 12:18
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