2009年06月18日
村上春樹著『1Q84』〈book 2(7月-9月)〉
舞台はジョージ・オーウェルが1949年に書き上げた『1984年』の東京。青豆という女性と天吾という男性の話が交互に語られる。
最初この二人はクロスすることはなく、1984年の生活がそれぞれ描かれる。青豆はスポーツジムのインストラクターで、“必殺仕事人”みたいな裏の顔を持つ。天吾は予備校で数学を教えていて、かたわら小説を書いていた。
青豆はその“仕事”に向かう途中で首都高の渋滞に巻き込まれる。青豆の乗ったタクシーの運転手はこの渋滞から抜け出す方法が一つあることを伝える。高速道路の非常階段。青豆はタクシーを降り、その階段を使って渋滞の高速から抜け出す。タクシーを降りるとき運転手から覚えて欲しいことがあるといって次のように言われる。
で、そういうことをしますと、そのあとの日常の風景が、なんていうか、いつもとはちっとばかし違って見えるかもしれない。私にもそういう経験があります。でも見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです。
そして青豆は高速道路の非常階段を下りた。この時から青豆は1984年という世界からもう一つ別の新しい世界に飛び込んでしまった。青豆が名付けた1Q84年という世界へ。Qはquestion markのQだ。疑問を負ったものだ。
一方天吾は知り合いの出版社の編集者の小松から、ふかえりという十七歳の少女が書いた『空気さなぎ』のリライトを持ちかけられる。天吾はその小説にもともとひかれる部分があったので、それを引き受ける。そしてその『空気さなぎ』は世に放たれ新人賞を受賞し、ベストセラーとなる。この時から天吾も1Q84年という世界へ足を踏み入れてしまった。
読売新聞の6月16日から19日かけて村上春樹さんの独占インタビューが掲載されている。私はこれを面白く読んだ。そこには「罪を犯す人と犯さない人とを隔てている壁は我々が考えているより薄い。仮説の中に現実があり、現実の中に仮説がある。体制の中に反体制があり、反体制の中に体制がある。そのような現代社会のシステム全体を小説にしたかった」と村上さんは言っている。
さらに9・11のテロでツインタワーがあれだけあっけなく崩壊する映像を何度も見せられるとふとした何かの流れで、あの建物がない奇妙な世界に自分が入り込んでしまったと感じる人がいてもおかしくないと言う。特に日本の場合、1995年に阪神淡路大地震、オウム事件が立て続けに起こり、「自分はなぜ、ここにいるんだろう?」という現実からの乖離を、世界よりひとあし早く体験したんじゃないかとも言う。
そうなのだ。自分では確かな現実だと思っていても、何かの拍子でそれが不確かなものに感じてしまうことがある。今日は2009年6月18日の木曜日という確かな日であっても、感覚的に昨日とは違う一日になってしまうことだってあり得る。あるいはちょっと前とは何かが違うと感じることだってある。青豆や天吾が1984年から1Q84年という世界に入り込んでしまうこの奇妙な小説は実はちっとも奇妙じゃないのではないかと思わせる。
この小説はちょっとした非日常から新しい世界に紛れ込んでしまった男女のラブストーリーである。だから面白い。ちょいとそこらにごろごろしているラブストーリーでない。
二人には二十年前に接点があった。同じ小学校のクラスメイトであった。しかし青豆は母親が加入している『証人会』という宗教団体の布教活動に日曜日の度引き回されていた。一方天吾の父親はNHKの受信料の集金人で、やはり日曜日の度に引き回されていた。どちらも子供連れの方がやりやすかったからだ。二人は同級生が日曜日に楽しく遊んでいるのにと思うとそれが辛く、恥ずかしかった。そのためクラスのは友人がいなかった。通りでお互いすれ違ったこともあった。
あるとき教室で二人だけになった。青豆は何も言わず、天吾の手を強く握る。しかしそれで終わり、青豆は転校していき、以来二人は交わることがなかった。が、この時の情景を忘れることが出来ず、以来二人は二十年間お互い求めあっていた。捜していたのである。
言葉ではうまく説明はつかない意味を持つ風景。俺たちはその何かにうまく説明をつけるために生きているという節がある。
それでは何故青豆が1Q84年という世界に引き込まれたのか?そのことを知るのは、青豆が「さきがけ」という宗教団体の教祖を抹殺する依頼を受け、その行動に移ったとき、その教祖から知らされる。教祖はすべてを知っていた。その上で青豆を招き入れ、すべてを語るのである。
それは天吾がふかえり(教祖の娘)の『空気さなぎ』をリライトして世に出してしまったことで、リトル・ピープルなるものが世間に知れ渡ることとなり、リトル・ピープルが天吾を危険人物とみなした。
青豆の方は天吾の物語を語る能力によって、レシヴァ(受け入れるもの)の力によって1Q84年という別の世界に運び込まれてしまったと言うのであった。なぜなら青豆と天吾がお互い強く引き寄せあっていたからだ。リトル・ピープルのとって青豆を1Q84年に引き込むのは簡単で、単に1984年から1Q84年に路線を切り替えるだけでよかった。
もともとリトル・ピープルなるものを導き入れたのふかえりで、リトル・ピープルを知覚する「パシヴァ」となった。そしてふかえりの父親である教祖(リーダー)がリトル・ピープルを受け入れるもの(レシヴァ)になった。そのためリーダーはリトル・ピープルの代理人となり「さきがけ」という宗教団体の教祖のような存在となる。
そのため青豆がリーダーの抹殺すると、リトル・ピープルにとっては代理人を失うことになる。リーダーの代わりがまだ見つかっていないから、リトル・ピープルは早々自分の代理人を捜す必要性が出てきてしまい、天吾を抹殺するどころでなくなる。すなわちそれが天吾を守ることとなる。
しかし「さきがけ」にとってリーダーが殺されれば、組織として黙ってられなくなる。どんなことをしても青豆を捜そうとするに違いない。
ここでリーダーは青豆に自分自身を守るか、それとも天吾を守るか、二者択一を迫る。一度1Q84年に引き込まれたら、1984年に戻る道はない。なぜならこの世界に入るドアは一方にしか開かないからだ。
青豆は予定通り、リーダーを殺し(リーダーもリトル・ピープルの代理人となっているため肉体的苦痛に悩まされており、自らの死で、そこからの解放を望んでいた)、天吾を守る。
“仕事”のあと、青豆は高円寺のマンションに身を隠す。高円寺には天吾とふかえりが一緒にいたが、二人は完全にクロスすることはなかった。かろうじて、青豆が自分を捜している天吾の姿をベランダ越しに見かけるだけであった。
そして青豆は自分を1Q84年に引き込んだあの高速道路の非常階段がある場所を訪れるが、そこには非常階段はなかった。the endである。青豆は自殺する。
私はこのようにこの物語をラブストーリーとして読んだ。しかしここで描かれる物語の中には、村上さん特有の存在感と喪失感がある。
天吾は言った。「小説を書くとき、僕は言葉を使って僕のまわりにある風景を、僕にとってより自然なものに置き換えていく。つまり再構成する。そうすることで、僕という人間がこの世界に間違いなく存在していることを確かめる。それな数学の世界にいるときとはずいぶん違う作業だ」
青豆は言った。「でもね、メニューにせよ男にせよ、ほかの何にせよ、私たちは自分で選んでいるような気になっているけれど、実は何も選んでいないのかもしれない。それは最初からあらかじめ決まっていることで、ただ選んでいるふりをしているだけかもしれない。自由意志なんて、ただの思い込みかもしれない。ときどきそう思うよ」
私も歴史の本を読むのが好きです。歴史の本が教えてくれるのは、私たちは昔も今も基本的に同じだという事実です。服装や生活様式にいくらかの違いはあっても、私たちが考えることややっていることはそれほどの変わりはありません。人間というものは結局のところ、遺伝子にとってのただの乗り物であり、通り道に過ぎないのです。彼らは馬を乗り潰していくように、世代から世代へと私たちを乗り継いでいきます。そして遺伝子は何が善で何が悪かなんてことは考えません。私たちはただの手段に過ぎないわけですから。彼らが考慮するのは、何が自分たちにとっていちばん効率的かということだけです。
たとえばこういうことです。ある年齢を過ぎると、人生というのはものを失っていく連続的な過程に過ぎなくなってしまいます。あなたの人生にとって大事なものがひとつひとつ、櫛の歯が欠けるみたいにあなたの手から滑り落ちていきます。そしてその代わりに手に入るのは、とるに足らんまがいものばっかりになっていきます。肉体的な能力、希望や夢や理想、確信や意味、あるいは愛する人々、そんなものがひとつまたひとつ、一人また一人と、あなたのもとから消えて去っていきます。別れを告げて立ち去ったり、あるいはある日ただふっと予告もなく消滅したりします。そしていったん失ってしまえば、あなたにはもう二度とそれらを取り戻すことができません。かわりのものを見つけることもままならない。こいつはなかなかつらいことです。時には身を切られるように切ないことです。川奈さん、あなたはそろそろ三十歳になる。これから少しずつ、人生のそういう黄昏れた領域に脚を踏み入れようとしておられる。それが、ああ、つまりは年をとっていくということです。その何かを失うというきつい感覚が、あなたにもだんだんわかりかけているはずだ。違いますかね?
それと喪失感に伴う無気力感もいい。
新聞は「起こった」ことについては積極的に取り上げるが、「続いている」ことについては比較的消極的な態度で臨むメディアである。だからそれは「今のところたいしたことは何も起こっていない」という無言のメッセージであるはずだった。
世界は世界で勝手に進ませておけばいい。用事があったらきっと向こうから言ってくるはずだ。
私はこれらの文章が好きだ。
最後にもう一度読売新聞の村上さんのインタビューから気になったところを書いておく。
ここには(ソ連崩壊後の)マルキシズムという対抗価値が生命を失い、マルキシズムに代わる座標軸としてカルト宗教やニューエイジ的なものへ関心が高まったんじゃないかと村上さんは言っている。原理主義も世の中がカオス化するにあたり、シンプルな原理主義は確実に力を増しているとも言われている。
さらにネットの普及は匿名で無責任な意見が集中する。そこにある知識や意見はカットアンドペーストされ使い回される。何よりもスピードとわかりやすさのために。
そんな時代だからこそ、村上さんは「物語」は力を持たなければならないと言いきる。まさしくその通りだろう。そして私はここに描かれた「物語」を堪能した。
評価
★★★★★
書誌
書名:1Q84 〈book 2(7月-9月)〉
著者:村上 春樹
ISBN:9784103534235
出版社:新潮社 (2009/05 出版)
版型:501p / 20cm / B6判
販売価:1,890円(税込)
- by kmoto
- at 13:45
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