2009年06月22日

吉村昭著『暁の旅人』

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 この本は松本良順の生涯を描いた小説である。司馬遼太郎さんの『胡蝶の夢』も良順を主人公にした長編小説だが、この時も確かあるイメージが頭にこびりついていて、違和感があったことを思い出す。今回もそうであった。
 私が松本良順に対して思い浮かべるイメージとは子母澤寬さんの『勝海舟』に出てくる松本良順なのである。というのも、私が松本良順という人物を知ったのはこの小説が最初だったからだ。そこには奥医師として将軍のそばで、勝海舟と同様にベランメエ調でやりとりする姿があった。そのため良順という人物も海舟と同じように、なかなか自己を曲げないタイプで、わがままでやりたい放題の人物だったと思っていたのである。
 ところが吉村さんの描く良順像は、確かにそういうところもあるけれど、どちらかといえば当時としては最先端の医療技術を身につけた良順で、律儀で恩義に厚く、それが良順の行動指針となっている人物であった。
 良順は洋医学の大家佐藤泰然の子として生まれ、幕府の奥医師松本良甫の婿養子となり、幕府の医官として長崎に遊学し、オランダ医師ポンペについて西洋医術を身につけた。
 当時は漢方医の力が圧倒的に強く、蘭方医などとんでもないという時代であった。それでもこれからは西洋医術を身につけなければならないと思った良順を幕府の高官たちは終始援助の手を差しのべ、長崎伝習生の名目でオランダ医師ポンペについて西欧の最新医術を身につけられるようした。五年間にわたる長崎遊学費用も幕府はすべて出した。
 江戸にもどって幕府の奥医師となり、医学所頭取となった。「奥医師として身近かに仕えた将軍家茂は、絶えず温情をもって接してくれて、それに対する感謝の念は忘れられない。その臨終に際して手をにぎり心音をうかがっていたことがせめてもの救いで、次第に冷たくなっていった家茂の手の感触は今でもはっきりとおぼえている」。
 幕府が崩壊しつつあるときでも、自分を手厚く扱ってくれた幕府に対して、恩義を感じないわけがなかった。だから幕府への忠誠をくずさぬ会津、庄内両藩のもとで戦傷者の手当につくした。江戸が新政府軍によって踏みにじられるのを眼にするのは堪えがたかったのである。自分は幕府とともにあり、それに殉じるのが人の道だと思う人物であった。
 しかし時代は明らかに変わりつつある。会津、庄内藩も新政府軍に敗れ、良順は仙台で榎本武揚と会う。榎本は良順に蝦夷に一緒に来て、戦傷者の手当をして欲しいと言うのだが、ここにそれを思い止まらせる人物がいた。土方歳三である。土方は次のように言う。
 「先生は、前途有為なお方です。蝦夷などに行かず、この地から江戸におもどりになられるべきです。戦乱に巻きこまれ、命を失うようなことあってはなりません。江戸にお帰り下さい」

 新政府軍が良順という優秀な人材をむやみに殺すわけがないと考えた上での言葉であった。さらに自分は榎本と共に蝦夷へ行くが、それは「私のような武事以外に能なき者は、力のかぎり奮戦し、国のために殉じるべきだと思っております。それがわれわれの定めなのです」から、新政府軍と戦い続けると言うのである。私は新撰組というのはごろつきの集まりだと思っていたので、このあたりはさすが土方歳三と見直しちゃった。
 ここでは生き様の差がはっきりと出ている。大きな時代の変化に必要な人物。滅びるしかない人物。日本という国の未来を考えると、このあたりの線引きははっきりしている。特に土方自身がそうした線引きをして、自分がどこにいるかはっきりと自覚しているところが悲しさを誘う。
 良順は江戸にもどり投獄されるが赦免され、山県有朋などの薦めで軍医総監となる。この時山県は人それぞれに国のために力をつくすべき時だと言ったが、明治新政府には人材がいなく、しばらくの間幕府の有能な人材を登用するしかなかったことを思うと、江戸幕府は本当に有能な人材を持っていたんだなと思う。その証拠に明治新政府に使えた旧幕府の人物たちが沢山いたことがいい証拠である。これらの人物たちがいなければ、明治という時代は成っていなかったかもしれない。そして無骨一辺倒な旧タイプの人物たちは滅びることで、その精神をいい意味でも悪い意味でも、新しい日本という国に残していったんじゃないかという気がする。
 

評価
★★★


書誌
書名:暁の旅人
著者:吉村 昭
ISBN:9784062128704
出版社:講談社 (2005/04/26 出版)
版型:298p / 19cm / B6判
販売価:1,785円(税込)

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