2009年06月26日

阿刀田高著『朱い旅』

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 主人公の“私”は、妻の房子からモリエールの「アンフィトリオン」という芝居のキップをもらい、それを見にいく。“私”はアンフィトリオンという題名の本を昔父親の本棚で見たことがあった。アンフィトリオン、それはギリシア神話であった。アンフィトリオンはテーベの武将で、その妻はアルクメーヌであった。新婚まもない二人は相思相愛の仲なのだが、オリンポスの大神ジュピテル(ゼウス)はアルクメーヌを見初め、わざわざ戦争を起こして、アンフィトリオンを戦場に追いやり、その間に自らアンフィトリオンの姿に変えてアルクメーヌの寝室に忍び込む。そして交わる。その子がエルキュール(ヘラクレス)であった。
 モリエールの劇はこのアンフィトリオン伝説を基に当時のフランス宮廷風俗を諷ししたものであった。しかしこのアンフィトリオン伝説はいろいろな劇作家がそれを基にして劇を作っていた。ローマ時代にはプラウトス等が諸神賛歌として表現したし、17世紀にはこのモリエールやロトール等の手によって宮廷風俗の風刺として、そして二十世紀に入りジロドゥーが「アンフィトリオン38」として実存主義の表現として演じられた。
 問題はこのジロドゥーが「アンフィトリオン38」である。この作品が“私”の両親の秘密と出生の秘密とからみ合って物語は進む。“私”は国立中央図書館で司書として働いていたが、両親はいずれも亡くなっていた。
 あるとき“私”は図書館連盟の親睦会でギリシア旅行へ行くこととなった。そこで“私”の父親の友人だという田辺という人物に声をかけら、結婚前の父親と母親が一緒に写っている鎌倉での集合写真を渡される。その写真を眺めているうちに自分に似た顔の男に目がとまる。
 翌日田辺に男の名前を聞くと不二草薫という経済学部の助教授だと知らされる。しかし不二草は自殺していた。不二草は萩の人であった。そして“私”の母親も萩の生まれであった。さらに母親の遺品から古い本を取り出してみると、そこには“不二草薫”という名前が書かれていた。
 以来“私”は不二草薫と両親の過去を調べ、両親の秘密と自分の出生を推理し始める。
 “私”の母親は上京して、二十歳の時に大学の経済学部の事務員として勤務した。そこに将来を嘱望された不二草がいた。やがて二人は同郷のよしみで近づき、関係が生まれた。しかし不二草は人間的に歪みのある人物で、“私”の母親はこのままでいいのか不安に駆られる。そんな時大学の図書館に勤務する父親と知りあう。次第に二人はお互い好意を持ち始め、愛を育んでいく。父親はこのままではまずいと思い、自分たちの関係を不二草に話そうとする。母親はそんなことをする必要はない。自分は不二草の持ち物でもないし、妻でもない。自分に意志で行動すると言い、大学を辞め、父親の元へ走る。それを知った不二草は自尊心を傷つけられ、もともと精神的に問題があったこともあり、奇行を示すようになり、自殺する。
 父親と母親が同棲を始めた頃、父親が交通事故に遭い、子供を得られない身体となったのに、母親に子供が宿ったことを知る。果たしてその子は自分たちの子供であろうかと疑いを持ち始める。しかし父親は決然と「私たちが信じれば、(その子は)私たちの子だ」と言い、“私”が生まれた。そう推理したのである。
 まさしくこれは漱石の『それから』と『門』の世界である。
 そして“私”の父親が修士論文として、アントフィトリオンをテーマにして書いていたことを知り、その論文を手に入れる。“私”はそれを読んで、ジロドゥーの「アンフィトリオン」にふれている章に至って、「入れ込んでいる」と感じ始る。
 ジロドゥーの「アンフィトリオン」ではジュピテルがアルクメーヌにエルキュールは自分の子で、神の子だと言うのだが、アルクメーヌはそれを認めない。エルキュールは自分の子で、神ではなく人間の子だと言い切るのである。ジュピテルが神としての能力を披露しても、「それが何なの?」と徹底的に否定的である。自分がアンフィトリオンとの間の子で、人間の子だと言えば、そうなのだと言い切るのである。そこには事実はどうであれ、生まれてくる子供が何であるか、その決定は神ではなく、アルクメーヌにかかっている。わが子の誕生はアルクメーヌとアントフィトリオン、つまり人間の夫婦の認識にすべて委ねられる。ここには明らかに実存主義の影響が読み取れる。
 19世紀までは混沌とした世界であっても神が調和の道を用意してくれるというよな思想が一般的であったが、20世紀になると“神が死んだ時代”であり、あるいは“神の否定”がそのまま“人間賛歌”と変わっていく。神であるジュピテルが何と言おうと、人間であるアルクメーヌとアントフィトリオンがまず自分たちがあって、そして自分たちの意志ですべてを決めていく、そういう姿勢が何より大切なのだとジロドゥーの「アンフィトリオン」では言っているのである。
 それを感じた“私”の父親の論文は、当然自分たちの境遇とクロスするところがあるから、必然的に入れ込むしかなく、“私”がそう感じても少しも不思議ではない。そして両親が“私”を自分たちの子だと決意したのだから、“私”は両親の子なのだと思うようになる。

 この作品はギリシア神話を基にした劇の中に隠されている思想と、漱石の作品かと思わせる物語がうまくミックスして、なかなか面白い作品であった。


評価
★★★


書誌
書名:朱い旅
著者:阿刀田 高
ISBN:9784877280468
出版社:幻冬舎 (1995/04/26 出版)
版型:277p / 19cm / B6判
販売価:1,528円(税込)

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