2009年08月17日

吉村昭著『旅行鞄のなか』

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 またまた吉村昭さんの随筆を読む。もう完全に吉村さんの随筆にはまってしまっているのだが、まだ読んでいない随筆がだんだん少なくなってきているので、それを思うとゆっくりと味わいたい気分になる。もう新しい吉村さんの随筆は望めないなのだから。
 今回も吉村さんの身の回りのこと、あるいは小説のこと、そして旅のことなどがいつものように書かれているのだが、こうして同じ身辺雑記を読んでくると、なんか吉村さんの私生活がはっきりとわかってきて、それはそれで面白い。ああ、この人こうやって暮らしているんだな、と思えてくるのだ。その分身近に感じられ、もともと吉村さんの考え方や生きざまには共感する部分が多いだけに、ついつい「なるほど!」と思ってしまう。私はこの人みたいな一途で頑固な人が好きである。もちろん実際近くに接すことがあれば、ちょっと付き合いにくそうだけど、本の世界ではそういう現実がない分、気分だけを感じていればいいので、楽と言えば楽である。

 さてそんな中で「小説家と銀行」という文章で、吉村さんが家を購入するために、銀行にお金を借りに行くことが書かれているが、そこでには小説家は銀行の融資先として信用できないブラックリストに入っていると書かれている。だから銀行が小説家にお金を貸す場合、小説家の預金内に限られるというのだ。
 まぁ、小説家はいつも売れる本が書けるというわけじゃないからというところなのだろう。要するに当てにならないものにはお金は貸せないということだ。吉村さんは小説家はカタギじゃないから仕方がないし、それも当然と思われているようだ。
 でもカタギじゃないけれど、税金は収入のすべてが源泉課税され、それが税務署に報告される仕組みになっているから、脱税はできないといっているのがおかしかった。
 さらに小説家と税金の話をすれば、小説家が死ぬと遺された作品が今後どれほど売れるかを国税局で査定し、それが遺産に加算され遺族に相続税が課せられるという。
 カタギでない小説家は退職金はもらえないのは当然だけど、死後、その死によって逆に税金を払わないといけないのだと自虐的に書かれているのもおかしかった。
 有名作家が死ぬと追悼集とかその死を忍んで、生前の作品が大々的に売り出されるけど、あれも国税局は、作家の生前の人気で織り込み済みで、課税しているのかと思うと、薄ら寒く感じてくる。それがどれだけ正確なものなのか知りたくなってくる。もし国税局の予想に反して大いに売れちゃったりしたら、相続税は追徴課税されるのだろうか?逆の場合はちゃんと還付してくれるんだろうな・・・・。まあ思うに税金の徴収の仕方として、さっくりと多めに査定しておいて、その分先に税金を納めさせる。で、後で正確な数字がわかった時点で、「それじゃ、還してあげましょうかね」と言ってゆっくりと還付するのではないかと思ったりする。

 もう一つ気になる文章があった。「通夜、葬儀について」では、吉村さんが自分が死んだときは、これまで世話になった仕事の関係者に、死後までお世話になるのは申し訳ないから、葬儀は親族だけで済ますように遺書に書いていたという。その考えを菩提寺の僧に言ったら反対されたと書かれている。
 その僧は、葬儀は単なる仕来りにすぎず、お線香の一本でも、と言ってわざわざやってきてくれるのだ。その労力は並大抵じゃない。そういうことなのに、葬儀を営まぬ場合、死後も迷惑をかけたくないという故人の遺志とは逆に人に迷惑をかけることになると言ったという。
 確かに生前お世話になったから、心から冥福を祈りたい気持ちでお線香をあげに見える方がいれば、その気持ちはどうなるのだろうかと思う。またいわゆる冠婚葬祭として、お付き合いの葬儀の時もこういうのは困ることが多い。
 たとえば会社でお付き合いのあった人が亡くなられ、その葬儀はどうなっているんだとまず騒ぎ出すし、密葬だとわかれば、じゃどうすればいいんだと次に問題となる。
 会社としても知らぬ顔はできない部分があって、たとえつきあいとはいえ、できれば何とか葬儀に行って、お線香の一本でもあげれば形として済むのに、故人の遺志ということで、それに出席できないとなれば、会社としての体面をどうもっていけばいいか悩んでしまうことがたびたびある。そういうときははっきり言って迷惑だなと思う。
 故人としては、あるいは遺族としては、余計な迷惑を他人様にかけたくないというつもりであっても、それで済まない人も確かにあると思う。そういう意味では密葬というのは考えものかもしれない。この僧が言うとおり仕来りなんだから仕方がないと考えるべきなのかもしれないなんて思ったりした。
 もっともそういうのは有名人や会社のお偉方の話で、我々のような平凡な一般人で、平のサラリーマンである場合は、そんなに悩まなくてもいいかもしれない。
 私が死んだら葬式などいらないし、戒名なんていうのもいらない。焼いた後そのまま墓に放り込んでくれればいいと思っているし、家族にもそう言ってある。私は有名人でも何でもないので、私が死んで葬式をあげないということで、困る人はそれほどいまい。困るのは葬儀屋と寺の坊主だけだろう。
 でもふと考えたことがある。私が他人様の葬儀に出席するのは、そのほとんどが“お付き合い”からで、心底お線香の一本でもあげたいと思って葬儀に出席したことがない。逆に言えば、そういう気持ちを持たせる人がまだ亡くなっていないということだろうから、そう思えば喜ばしいことではあるかもしれない。


評価
★★★


書誌
書名:旅行鞄のなか
著者:吉村 昭
ISBN:9784167169244
出版社:文芸春秋 (1992/08/10 出版)文春文庫
版型:237p / 15cm / A6判
販売価:入手不可

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