2009年08月25日
阿刀田高著『旧約聖書を知っていますか』
この本以前から気になっており、読んでみたいのだけれど、一方で手に負えない感じがしてしまい、手には取るのだけれど、また本棚に戻してしまうことが続いた。要するに昔から聖書について、どこから手をつけていいのかわからないところがあって、その気持が読むことに尻込みさせるのである。
大学時代西洋史学を専攻しておきながら、根本的なところで聖書に手をつけずにきてしまった負い目みたいなところが自分にはあるのだ。聖書も読まずに何が西洋史学だと言われそうなのが嫌だったのである。で、ここで気を新たにこの本を読むことにした。それでこの本かよとも言われそうだが・・・。だってお恥ずかしい次第だが、この本を読むまで預言者を予言者と同じだとずっと思っていたのだ。ちなみに聖書の世界では預言者と書き、決して予言者とは書かないそうで、予言者は易者のように未来に起きることを予め言う者であって、預言者とは神の言葉を預かって言う者なんだそうだ。
まずこの阿刀田さんのこの本を読んで知ったことを時系列的にまとめると次のようになるようだ。
旧約聖書は天地創造から始まり、アダムとエバを作る。(エバはアダムのあばら骨を取って作られた)そして有名な禁断の実を食べてしまい、楽園を追放される。
楽園を追放されたアダムとエバはカインとアベルを生む。カインは土を耕す者となり、アベルは羊を飼う者となるが、ところがカインはアベルを殺してしまい、神の怒りを買い、エデンの東をさまよう人となる。アベルは殺され、カインもどこかへ行ってしまったので、アダムとエバはまた子供を作り、その系図が続いてノアに至る。
ノアの時代になると、どいつもこいつも悪事を企み、神をないがしろにする。神は失敗したと思い、世界をもう一度作り直そうとするが、ノアの一族は神を敬うことを忘れなかったので、神はノアに大きな箱船作らせ、洪水に備えさせる。そして洪水が去った後、ノアの一族、連れてきた家畜を外に出させた。神はノアの子孫の繁栄を約束し、この流れからアブラハムに至る。
ノアの時代には地上の人間は同じ言葉を話していたが、人々は神に近づこうとして天まで届く塔を建てようとした。神はこのまま放っておけば人間は何をしでかすかわからないから、それまで話していた言葉を通じないようにした。当然共同作業の塔作りはできなくなり、作りかけのまま人々は四散する。こうして世界にはさまざまな言語が生まれたという。塔はバベルの塔と呼ばれたが、バベルとは“乱れる”という意味である。
さてアブラハムの子がイサクで、イサクの子がヤコブ、ヤコブの子がヨセフと続く。そしてその四代あとに生まれたのがモーセである。
モーセは“出エジプト”で有名だけど、なんでイスラエル人がエジプトいて、そこから脱出しなければならなかったのかとかねがね不思議に思っていた。この本によると、ヤコブは子沢山で、その中にヨセフがいた。こいつが兄の気持ちも察せずに、兄たちが自分にひれ伏す夢を見たことを伝え、それが生意気だと喧嘩になり、穴に突き落とされる。それを通りかかった隊商が見つけ、隊商たちの手でヨセフはエジプトに売り飛ばされたのだった。
ところがヨセフはその得意な才能を発揮し、エジプト王に重用され、その一族はナイルの地で住みつく。そのうちイスラエル人は力を蓄え始め、あなどりがたい勢力となっていく。それがエジプトの反感を買い、迫害にあう。その生き残りがモーセであり、彼は仲間を救いだし、エジプトを出て、カナンに行けという神の声を聞く。その脱出行が映画の“十戒”の有名な場面となるわけだ。エジプトを出て三ヶ月後、モーセはシナイ山麓で神の言葉を聞く。それが十戒である。それを石版に刻み、それを納めた箱が聖なる箱として以後鄭重に扱われる。関係ないかもしれないが、これがインディージョーンズの『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』なんだろう。
さて、イスラエル人はシナイ山麓でヤコブの子孫を祖先にして十二の部族に分かれて生活し、その後モーセの後を継いだのがヨシュアであり、ヨシュアはカナンの地を征服する。
その後十二の部族は王を一人立てまとまろうとし、預言者サムエルに神の声を聞き、ベニヤミン族のサウルを選び王とする。しかしサウルは奢り、予言者サムエルはサウルを王にしたことを後悔し、再度神の声を聞く。神はベツレヘムにいるエッサイの息子に王となるべき者がいる言い、それがダビデであった。ダビデは末っ子ということもあって、弱そうであったが、ある時ペリシテ人との戦いで豪傑ゴリアトと誰もが戦いを尻込みしているところに「なにびびってんの?僕がやっつけてやる」と言い、石を紐に結びつけ、それをゴリアトに投げつける。それが額に命中し、ゴリアトは崩れ落ちる。すかさずダビデは剣を抜き、首を斬り落とす。この石を投げる前の姿があのミケランジェロのダビデ像である。右肩に石を持っているでしょう。

私は知らなかったがヴェロキオのダビデ像は足元にゴリアトの首が転がっているやつがある。

次にダビデ王の時代となる。ダビデは家臣のウリヤの妻パト・シェバの美しさに目を奪われ、彼女をものにするが、子供が出来てしまった。当然このことでダビデは神の怒りを買い、骨肉の争いが起こり、その罪を償わされる。ダビデはなんとか悔い改め、正式にパト・シェバを妻にし、また男の子を産む(先の子は神に怒りで死んでしまっていた)。それが英雄ソロモンである。
ソロモンは新進的な王であったらしく、イスラエルの神にこだわらず、他の民族の神の存在を認めた。また神殿や宮殿に多くの国費を費やし、奢侈に流れ、民衆の信頼も神の信頼も失い、以後イスラエルは北イスラエル王国と南ユダ王国の二つに分かれるが、北王国は紀元前722年にアッシリアに攻められ滅亡。南王国も紀元前586年新バビロニアのネブカドネザル王に攻められ滅亡する。この時多くのイスラエル人がバビロンに連行される。所謂“バビロン捕囚”である。イスラエル人が再びカナンの地に戻るのはペルシア王キュロスが君臨した紀元前538年からである。ヘロデ大王の紀元前40年イスラエル人の王国が再建されるが、これも分裂後紀元70年に第二神殿が炎上し、以後イスラエル人は拠り所となる国を失う。彼らが再び国を持つのは1948年イスラエル建国を待たなければならず、その間約二千年の長きにわたり世界の各地で流浪することとなる。
以上が旧約聖書をもとにしたイスラエルの歴史というところだ。この後阿刀田さんによれば、聖書の記述は複雑になるらしい。私が興味のある記述は、イザヤの書である。これは所謂預言の書というもので、バビロンの捕囚以後苦しい現実を前にして、ダビデの血筋から救世主が現れると言っているのである。それがイエス・キリストであり、そこから新約聖書が始まるので、旧約と新約の接点がここにあるのだと阿刀田さんは言っている。しかしユダヤ教では救世主の到来を預言しておきながら未だ現れていない。イエスを救世主として認めていないらしい。
しかし思うのだけれど、イスラエル人の信仰は厳しい。いや、神が自分以外の神を信じることを認めない。だから少しでもそれに背くと、罰が与えられる。ひたすら罰が恐ろしいから、一心に自分たちの神を信じる。その神を信じていれば自分たちだけは救われるということにもなる。そうした背景があるから“選民思想”は強くなり、イスラエル人の団結がいっそう強固になる。
ところがこうした融通の利かない民族は、多民族とうまくやっていけないのではないのかとも思ってしまう。他の民族からすれば、ひたすら自分たちの信じる神だけを信じ、自分たちだけが選ばれ、救われるといい続けられれば、やりにくて仕方がないだろう。協調性がないと思われても仕方がないような気がする。ユダヤ人の迫害が歴史上何度も起こっているのは、経済的理由によるものが大きかったと言われるけど、一方でこうした選民思想の塊である民族とうまくやれない関係が、そうした迫害のターゲットになっていった気がする。そしてそうした迫害が起これば起こるほど、ユダヤ人はさらに自分たちの団結を強める結果となり、それが他民族の憎しみをまた買うことになる、悪循環を生んだのではないかと思った。民族、その歴史は尊敬するけれど、偉大な民族は大変だね。
最後に阿刀田さんの言葉が気に入った。この本を書くに至った理由を次のように言う。
読書は楽しいことであり、大切なことでもあるけれど、人生にはほかにも楽しいことがたくさんあるし、大切なことはさらに多い。古典なんか読まなくたって、りっぱに生きていける。そういう人生もいくらでもある。
そういう考えに立ったとき、古典は原点をしっかり読むのがよいにきまっているのだが、現実問題としてそうそう読めるものではないし、不充分ながらも知っておけば、ほかのことを考えるときに役に立つ。軽いダイジェストのようなものがもう少しあってよいのではあるまいか。私の、このエッセイは、そういう目的で綴ったものである。
もう一度くり返して言うが、原典を読むのが一番よいのである。
だが、旧約聖書について言えば、簡単に読めるものではない。研究者でもない限り、全巻をきちんと読むことは不可能である。断言してよい。普通のサラリーマンが信仰もないのに、電車の中で旧約聖書を読んでいたら、
-狂ったのと、ちがうか-
と私はそう思いたい。理想は理想として、この古典について読めないのが普通である。
こういう風に書いてくれるとうれしくなる。人によって読める本と読めない本があって当然なのだと言ってくれるわけだから、私が聖書を手にしなかったことも、ある程度許されそうな気がする。
一方だからといってそれでいいかというとそうも行かない部分がある。こうして本を読むこと、あるいは絵画など鑑賞する場合、ある程度聖書の知識があった方が、その奥行きを知ることができる。そういう意味で阿刀田さんのこのシリーズは非常に助かるのである。
評価
★★★
書誌
書名:旧約聖書を知っていますか
著者:阿刀田 高
ISBN:9784103343158
出版社:新潮社 (1991/05/25 出版)
版型:290p / 19cm / B6判
販売価:入手不可 文庫本あり
- by kmoto
- at 12:35
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