2009年09月12日
吉村昭著『お医者さん・患者さん』
この随筆ちょっと期待したところがあったのだが、どうも期待はずれであった。私が期待したこととは、吉村さんが医者や患者を実際問題、どう考えているかということである。確かに吉村さんによる医者というもの、あるいは患者たるもの、こうあるべきだと書いてはあるのだが、どうも私には一般論としか読み取れなかった。
ということで、ここは本から離れて、今の私が病気である患者(自分)が医師をどう考えているか書いてみる。その前にこの随筆に「医師は、医師である以前に人間でなければならないはずである。それも人間の生死をあずかる職業人だけに、高度な人格をもつ人間であることが要求される」と書かれていることから始めたい。
この論理はおそらく大方の日本人が持っている意識じゃないかと思う。そしてそこから医師はそうであらねばならぬ、という思いに変わっていく。図式で書けば医師=人格者=名医ということだろう。そこから医師は人格者であるから、どんなときでも自分のことより患者のことを最優先に考えなければ医師じゃないということになっていく。しかしこの考え方は患者の優位性を自己主張させることになる。つまり自分は病人で弱者であるから、当然それなりに扱ってくれなきゃ困るという考えが生まれてくる。医師は人格者なんだから、そのように扱うのは当然というものである。ここにモンスターペイシェントが生まれる背景があるような気がする。そうしてモンスター化した患者は、医師は病気を治して当たり前という考えが頭から離れない。自分の病気がなかなか治らなければ、今度はその医師に藪医者というレッテルを貼り、吹聴するのだ。
実は私もちょっと前までそうであった。しかしここ数年胃腸で通院し、最近はぎっくり腰、そして歯医者と病院通いが続くと少しずつ考えが変わってくる。特に胃腸に関してはその思いは複雑だ。私はこの病気で三回、病院を変えてきた。病院を変えた理由は簡単である。“治らない”からだ。やりたくもない検査をやって、複数の薬を毎日飲んでも一向に良くならなかったからだ。その結果、その医師はダメだということになり、その医師は力不足と思ってきたのである。違う先生のところへ行けば、もっと良くなると思うのである。そこには病院に行けば病気は必ず治るものだという考えがあるからである。
でも最近はそうじゃなくて、病気は治るものもあれば、治らないものもあるんじゃないか、と思うようになっている。それは諦めみたいなところもあるけれど、どうしようもない状態だってあるのではないか。だからあとは、少しでも気分が良くなるような状態が維持できるようすればいいのではないか。
医師は病気というものを必ずしてくれるものではないということを感じ始めたのである。あるいは薬は完全に病気を治してくれるものじゃないのではないかと思い始めたのである。断っておくがそれは医師の力とか薬の効能にいちゃもんをつけているんじゃない。ここは素人の考えだけど、多分病気から治ろうとするのは自分の身体であって、医師の力とか薬とかはあくまでもそうした自己回復力をサポートするものなのではないかと思うようになったのである。
そして自分の身体の回復力が衰えていたら、治りは遅いか、あるいは治らないというか、以前のようにはなれないと思うようになってきた。そうなのだ。自分の身体の衰えや老化、生活環境、生活習慣などを差し置いて、病気が治らないというのはおかしいんじゃないかと思うようになったのだ。
人間歳をとれば体力も落ちるし、身体のあちこちにがたが来るのは当たり前である。そのように酷使してきたんだから当然である。それで治らないと言ってしまうのはおかしな話だろう。人間の身体はパソコンのパーツをスコンと丸ごと変えて、元の状態にするのとはわけが違う。死ぬまで自分の身体と付き合うしかないのだ。衰えたら衰えたなりに付き合っていくしかないのである。調子が悪いなら、悪いなりに付き合って行くしかない。生活環境など変えられれば、多少違うかもしれないけれど、そうそう今生きている環境を変えることなどできない。無理をしても生きていかなければならないのだから仕方がない。
となればあとはどうやって自分の身体と折り合いをつけていくか、それしかない。その上で以後どうしていくか、それを考えてくれる医師が信用できる医師なんじゃないかと思うようになってきている。
今通っている胃腸の科の先生ははっきりとそのことを言ってくれた。だからあとは日々いかに少しでも楽に過ごすことができるか、それを薬でサポートしようということに、私の場合なっている。だから今後いくら病院を変えても、多分意味がないのだろうと思っている。
歯医者にしてもそうであった。やっと自分が安心して任せられる歯医者さんが見つかって、ホッとしていたところ、その歯医者さんが廃業された。このあとどうすればいいのか途方に暮れ、今日まで来てしまった。当時先生から厳しく言われていた日々のケアを怠らなかったので、幸いにも以後歯痛に悩まされることはなかったが、差し歯のぐらつきはどうしようもない。ネットいろいろな歯医者さんを検索しているうちに、その先生がまた歯医者さんを開業したことを知り、メールで連絡を取れば、すぐ来なさいと言ってくれた。
そして差し歯を直してもらい、また問題のあるところを治療してもらうことになったのだが、そんなことはちっとも苦じゃなかった。それよりまた自分の歯をこの先生に診てもらえるというだけで、安心であった。
胃腸科の先生にしても、歯の先生にしても、その技量は個人的に絶大な信頼を置いているけれど、それよりこんな私のことでもきちんとサポートしてくれるという安心感が今の私にはある。それで気持ちが楽になる。それが人格者云々のなせるわざと言うのだというなら、それでもいいけれど、でもそんな大上段に構えた言い方はあまりしたくない。むしろ先生の方は淡々と治療されているだけじゃないかと思うし、それでいいのではないかと思うのだ。弱っている患者は投げかけられる言葉の一つ一つに過剰反応をしてしまう。対応如何でえらいことになる。そう考えると医師という
職業は大変だ。でも医師=人格者=名医という考えは間違いなく患者の奢りのような気がする。
今日は変な文章になっちゃったな。何度書き直してもいい感じになれない。書かなきゃよかったかな?
評価
★★
書誌
書名:お医者さん・患者さん
著者:吉村 昭
ISBN:9784122012240
出版社:中央公論新社 (1985/06 出版)中公文庫
版型:221p / 16cm / 文庫判
販売価:619円(税込)
- by kmoto
- at 07:41
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