2009年09月15日
ローレンス&ナンシー・ゴールドストーン著『古書店めぐりは夫婦で』
この本は発売されたとき買ったものだが、そのままお蔵入りになってしまった。もちろん気になっていたのだが、外国ものの古本エッセイって、うまく頭の中でイメージできないものだから、ついつい億劫になり今日まで来てしまった。確かに読んでみると、日本の古本業界とは違う。本もいかつければ、売る方もなんか仰々しい感じだ。
ゴールドストーン夫妻が古本に興味を持ったきっかけは、二人の誕生日にプレゼントが始まりだった。二人の誕生日は八日違いと、お互いの誕生日が近いものだから、プレゼントの交換を毎年やっているのだが、そのプレゼントにお互い不満があった。プレゼントの要する金額は毎年つり上がっていき割には、双方がそれほど満足しないことがあるからである。
そこで、プレゼントに要する金額を20ドルに制限したのである。20ドルといえば、今の日本円で2,000円ちょい。当時はもう少し価値があっただろうけど、それでも安い。あとは創意工夫でプレゼントを考えなければならならない。そこでナンシーは夫にトルストイの『戦争と平和』を贈ろうと決めるが、今ある『戦争と平和』は、夫にはいまいちである。そこで図版たっぷりの古本を見つけ、それを贈る。以来この夫婦は古本の魅力にとりつかれ、近郊の古本屋を制覇し、子供をベビーシッターに預け、シカゴ、ボストン、ニューヨークと古本漁りを始めるのであった。いつの間にかこの夫婦は稀覯本収集に目ざめていく。
古本屋さんの目星をつけるためにイエローページを使って、めぼしい古本屋さんに電話をかけて、約束をしてからお店に行く。わざわざ古本屋さんに行くのに、コンタクトを取ること自体、日本とは違う。それに、まぁそうした一癖もあるような古本屋さんだからか、とにかく古本に対して語ること語ること。店に行けば店員がついて回ってくるのだ。これじゃ本を選ぶ余裕もなくなるのではないかと思ってしまう。
ここに出てくる古書店の在庫はどちらかと言えば“個人の持ち物”といった感じで、それが店の個性となっている。だから「どうやら古書店の在庫はは、ペットとおなじで、持ち主の人格を反映する傾向にある」と言わしめる。だから本について語らずを得ないのだ。それもうるさいくらいに。
閑話休題
ところで日本の本屋さんや古本屋さんは基本的に無口である。無愛想である。今でもそうした傾向はある。だからこの本の古本屋さんのように、多くを語ることに驚きを感じてしまう。日本の場合無口なのは、本を読むことは知的作業だから、おしゃべりするもんじゃないというところかもしれない。
本のセールトークをしないものだから、今度はPOPを書いて平台の本と一緒に飾る。これがやたら乱立していて、かんじんの本が見えない本屋もあるのもよく見かけるが、これは麻生総理(まだ元じゃないよね)じゃないが「いかがなものか」と思う。うざったくてしょうがない。
まぁ最近の本屋の店員はマックの店員と同じくらいマニュアル通りにしか仕事ができないから、クオリティーが低下している。せいぜいレジに客を誘導するために手を挙げるしか能がないのだから仕方がない。まだPOPを書けるだけでもマシかもしれない。
最近はコンシェルジュなんてシャラ臭い名前をつけて、本の紹介などする役目の店員もいるらしいが、どうしてそんなやつに紹介された本を読む気になるのだろうかと思う。きっと薦められた本を目の前に出されれば、たとえ躊躇してもありがたがって買ってしまうんだろうな。もし薦められた本が面白くなかったら、こいつら責任を取ってくれるのか、と思う。(そういう人はいないのだろうか。ネットでは結構ありがたがっているコメントを読むが、文句を言っている人のコメントが読みたいな)
だいたい人が何を読みたいのか。何を要求しているのか。そのコンシェルジュというやつはそれがわかっちゃうのかと言いたくなる。本を求める人は、それぞれの理由があるだろうし、考えや感じ方もそれぞれ違うはずだ。それをちょっと話を聞いただけで、“この人にはこの本と”わかっちゃうものなのだろうか?そのコンシェルジュというやつが得意とする分野と違う本の内容のことを聞かれたら、どこまで答えるのだろうかと思うのだ。だからといって多くの分野を網羅するため、たくさんのコンシェルジュを置いているとも思えない。ましてこう不景気な時代だよ。人件費削減が当たり前の時代に、そういうことは考えにくい。ということは、せいぜい差し障りのないところしか言わないのではないかと思うのだ。だからこそそんなやつの意見がどこまで信頼できるかと思うのだ。あくまでも本を探す一つの手段と考えればいいのだろう。そうすればコンシェルジュという存在に腹を立てることもないはずだ。
私に言わせれば、自分の読む本ぐらい自分で探せと言いたくなる。それでなくても今は昔と違い、本の情報などネットを使えばごろごろしているじゃないか。それも面倒で、自分で探すのも時間がかかるから、効率的に、薦めてくれる本読むのだろうが、大体本を読むこと自体“非効率”な行為なんだから、仕方がないじゃないかと思う。何度も失敗してみるもんだ。こんなことを書くと勝間和代みたいなやつは怒るんだろうな。でも本を読むスタンスが違うんだからしょうがない。
さて、この夫婦、古本に関しての知識に飢えているものだから、熱心に店員の言葉に耳を傾ける。それがちょっとしたうんちくになっていて、この本を面白くしている。
とにかくここに出てくる本はすごそうである。たとえ現代作家の初版本であっても、やはり英米文学の作家の初版本と聞くだけで、どこかたじたじになる感じがする。名前を聞いたことがある作家の初版本だよ。どんな装幀の本なんだろうと思うのだ。
まして稀覯本となると、それこそ博物館におさめられて、防弾ガラスと何人かの警備員がいてもおかしくない本が、そうした古本屋さんにあり、手にできるのだからすごい。もちろんそうした本は値段も相当なものになる。
ゴールドストーン夫婦が訪ねた古本屋さんにあまりにも値段が高いことに文句を言うと、「最高品質ということがすべてです。本の収集は完璧なものを探すこと、唯一無二のもに近づくことだから」と言い切るのだ。私など見てもなんの本かわからないだろうけど、話を聞いてその本を見るだけでも、目の保養になるよなぁと思ってしまう。
また古本にもはやりすたりがあり、本来もっと評価されていい作家の本が、それほどの扱いされていないことを、ある古本屋さんは本にも旬があると言うのだ。そして「旬の本にはロマンスがある。古書業界はロマンスを売る商売だ。ときに業者はロマンスを演出するときもあるが、一般的にいうと、適当な本にはすでにロマンスが付随している」とも言う。
確かに古本は時代を生き抜いてきたものだから、それだけでロマンがあるし、歴史がある。私が古本屋さんで探し歩き、手にした本でさえ、もうそれを手にしているだけで、ワクワクするのだから、ましてそれよりはるかに古い本であればなおさらだろう。
最近はネットで簡単に日本全国の古本屋さんの在庫が確認でき、値段と相談で、そのまま購入することができるが、やっぱりこうして古本屋さんを歩き回り、目的の本以外のお宝があるかもしれない。そうした楽しみはネットでは味わえない。時には思いもしなかった発見があるのも、やっぱり古本屋さんを歩くことだろうと思う。だからこの夫婦の古本屋さん巡りは楽しいだろうなと思った。
評価
★★
書誌
書名:古書店めぐりは夫婦で
著者:ローレンス&ナンシー・ゴールドストーン 浅倉 久志【訳】
ISBN:9784150502348
出版社:早川書房 (1999/09/15 出版)ハヤカワ文庫NF
版型:342p / 15cm / A6判
販売価:777円(税込)
- by kmoto
- at 12:45
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