2009年09月18日
ローレンス&ナンシー・ゴールドストーン著『旅に出ても古書店めぐり』
続いて、ローレンス&ナンシー・ゴールドストーンの2作目を読む。この本の原題は「SLIGHTLY CHIPPED:Footnotes in Booklore」(やや欠け傷あり-書物学の脚注)というらしい。読んでみると、結構古本に関して深く記述されていて、一冊の古本が持つ“いきさつ”にこだわるところは前作とは違っていた。原題がそういう書名だと聞いてある程度納得する。しかしこれじゃ堅苦しい書誌学の本みたいで、間違いなく売れないだろう。だからこの書名にしたのだろう。
ここで面白いのは、いずれ本の価値が上がるだろうと、その評価が確定しないうちに、先に見込んでその作家の新刊を買っておき、ど~んと価値が出てきたら、高額な値段で売り出すことである。これってそう簡単にいくもんじゃないと思われるけど、私が書店員時代にいわゆるコレクター目的(いずれは高く売るのだろうから、投資目的もあるだろう)で、大きな賞を取った作品の初版を求める人がいた。こういう人はそんな目的で本を買うものだから、もうそれは大変なのだ。まず初版であること。そして少しでもカバーが汚れや折れ目などないか、真剣に確認する
そしてレジに“選ばれた本”を持ってくるのはいいのだけれど、その本を扱う方も気を使う。こっちは他のお客さんと同じように本を扱うのだが、その人はぞんざいに扱ったように見えるらしく、何度か文句を言われたことがある。
とにかくそんな人がいるのだ。だから本を読むというより、その本の存在そのものに価値を見出す人がいて、この本に同じような感覚で本を扱う人のことが書かれている。特にミステリー分野の超現代作家市場はホットらしい。
この本によると、ミステリーの読者は変わっていて、探偵や刑事など、要するにナゾを解明する登場人物にファンがつく。だから例えばパトリシア・コーンウェルの新作でも、そこにケイ・スカーペッタが登場しないとなれば、読むのをちょっとためらっちゃうわけだ。
いくら作者が意欲的に新しい作品を書いても、その作者の作品にはこの登場人物でなければならないということになってしまうのである。つまり読者がその登場人物のファンになっているものだから、作者は“読者の想像力の奴隷”とならざるを得ず、いくら新作でもその人物が登場しない作品は読まれないのだ。作者の方が「もういいでしょう」といってシャーロック・ホームズを殺しても、また無理にでも復活させなければならなくなるのだ。だって、読者はホームズものを読みたいんだから・・・。
だから古書としてミステリーを売る場合、こういう事情を考えて、新刊時に初版を買っておけば、いいコレクションを持つことができる。そしてある程度時間がたてば、その登場人物がいる古本として価値が生まれちゃうのだ。
この読者の気持ちはよくわかる。私の場合ミス・マーブルよりポアロがいいし、メグレもいい。スティーブ・キャレラもいいし、マルティン・ベックもしかり。刑事クリフもいい。鳥飼刑事が『時間の習俗』に登場したときは、感動したね。(テレビで鳥飼刑事役をビート・たけしがやっていたが、あれはミスキャストだ。なんかこれどこかで書いたような気がするが・・・)そうなのだ。読者は贔屓にする登場人物のファンであれば、その人物がいる本を間違いなく求める。必然的にその本の初版でも持っていれば、古本として価値が出てしまうのだ。
さて、この本にもインターネットで古本を買うことが書かれている。私もインターネットをやるようになって、やはりネットの古本屋さんは重宝している。それは前作の感想を書いた通りである。
この著者も今までのようにイエローページを使って、古本屋の場所を探し、そこへ訪ねる方法だけが、古本を購入する方法だと言えなくなったと痛感している。そして古本屋の方も顧客拡大のためにネットの重要性を感じ、それに対応していることも書かれている。
著者はインターネットを便利で強力なツールであることを認めていて、それを使えるなら「なぜ正気の人間が時間をむだにしてまでも、“すべての古書店や稀覯本専門店にわざわざ自分で足を”運んだりするだろうか?」と言っている。まさにその通りで、古本購入にはインターネットはもってこいのツールなのである。
しかしそうであっても、「インターネットだけでは、けっして驚きを感じることができない」、「自分の探している本以外のなにかを見つけることができない」、「インターネットは本を手に入れたり、集めたりするのには役立つが、直接の体験には役立たない」、「インターネットは書店へじかに足を運ぶより機能的かもしれない。能率的かもしれない。人目を気にせずにすむかもしれない。安上がりかもしれない。また、はるかに便利なのはたしかだ。ただ、あれほどのおもしろさない」とも言う。
まぁ、これらはリアル書店(お店のある古本屋さんも含んで言っている)の存在価値を言うために使い古された言葉である。要はネットでは味わえない“手応え”をリアル書店で実物に触れることで味わうことができるという一点に尽きるわけだ。
それはまったくその通りだろうけど、私に言わせれば「だから?」と言いたくなる。実物を味わいたかったら、古本屋さんに行けばいいし、行く必要や時間的余裕などがなければネットを使えばいいことだけのことじゃないかと思う。利点や美点を主張したって、あまり意味はない。もちろん逆もしかりで、それぞれの悪い点を指摘しても仕方がないと思う。だってもうこれ以上本質を変えることができないんだから、いいわるいは、不毛の議論であろう。私みたいに新刊書店や古本屋さん巡りをするのが好きなやつもいれば、ネットを使って本を探している人がいても、別にいいじゃないかと思うのである。
それともう一つ。本を読むものと決めつける人もいれば、コレクターアイテムとして考える人もいても、何ら不思議じゃない。ただそれぞれ“おかしいじゃないか”と言い合う必要性がないということだけである。
評価
★★
書誌
書名:旅に出ても古書店めぐり
著者:ローレンス&ナンシー・ゴールドストーン 浅倉 久志【訳】
ISBN:9784150502485
出版社:早川書房 (2001/02/15 出版)ハヤカワ文庫NF
版型:338p / 15cm / A6判
販売価:756円(税込)
- by kmoto
- at 12:45
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