2009年10月01日
阿刀田高著『おとこ坂 おんな坂』
どうしても読んでいて気になってしまうのは、ひとつひとつの物語のモチーフや使われる言葉など、多分阿刀田さん思いついたアイデア帳から取られたんじゃないかなということである。
阿刀田さんはよく自分の創作現場を“小説工房”といっているが、普段ちょっと思いついたアイデアや気になったフレーズなどをノートに記して、小説を書くときに、使えそうなものがあればそれを使って書くと言っておられる。それが私の中に記憶としてあったものだから、ここにある短編は「多分これがアイデア帳にあって、使われたんだな」と思えたのである。
どうしてそんなことを感じるようになったかというと、たぶん今まで阿刀田さんの多くのエッセイや紀行文などを読んでいるからかもしれない。それぞれこれじゃないかなと感じられたものはあったが、一部例をあげれば次のようである。
「独りぼっち」
傾斜がきつい男坂、なだらかでトロトロ登れる女坂
「鯉づくし」
鯉づくしの最後は、恋
「ルビコンという酒場」
私、本当にルビコンを渡ったの(シーザーがポンペイスを倒すために国禁をおかし、軍と共にルビコン川を渡った故事にちなんでいる)
やきもちというのは、まん中に大きな餅を一つ置き周囲に小さな餅を五、六ケ置いておく。火であぶると小さな餅が先に焼け、膨らんでやぶけて手を伸ばし、一つがまん中の餅にくっつき、負けじともう一つがまん中の餅にくっつく。それでやきもち言うのだとか
「黄色い子びん」
ビーチコーミング(beach-coming)とは海岸を櫛ですくように、熊手で漂流物を集めること
これらのアイデアやフレーズを使ってこれらの短編は書かれたと私は思っている。しかし読む側の私がそちらの方が気になってしまっているから、本当の意味でそれぞれの物語が楽しめなかった。つまりこれらのアイデアやフレーズが創作側に最優先にあって、それが勝ってしまっている気がしたのである。あまりにもそれらが目立ってしまうものだから、それだけが際立ってしまっていて、話全体の統一感が損なわれている。それらはさりげない使い方をすればちょっとしたスパイスになって、話にしまりが出てくると思うのだが、そうではなく、たとえればスパイスの利きすぎた辛いカレーを食べている感じだ。
そうしたアイデアやフレーズを嫌が上でも使わなければならないのと、物語の展開場所を日本各地を舞台にした短編小説でなければならないというのもあって、どこか全体に無理な感じが漂う。
阿刀田さんの文章によく「つきづきしい」という言葉が出てくる。あまり聞き慣れない言葉なんでどんな意味か気になっていた。パソコンに組み込まれている広辞苑ではこれに該当する言葉が変換できない。で、三省堂の大辞林で調べてみると、漢字で「付き付きしい」と書く。意味は①ふさわしい、似つかわしい、好ましい②いかにももっともらしい、という意味だ。
ここにある短編にも二度ほどこの言葉が出てきたと思うが、私には話の内容が「つきづきしくない」気がする。どうもそれぞれの舞台が仰々しい。それに大体が酒場で話が展開するやり方はちょっと安易すぎはしないかなと思う。なぜならお酒が入ればどうしても人間感傷的になりがちだから、そこで話を作れば、悲しい話にもなる。思い出話にもなる。ある意味阿刀田さんらしくない。
強いていいフレーズだなと感じたものを書き出してみる。
「人生はいろいろですよ。どんなに執念を燃やしても、できないことがある。願ったことの、すぐ隣くらいのことができたら満足すべきでしょう。事実、満足できます。そこで充分に自分を燃焼させられればいい」
人生少し余して生きるのはよいのかもしれない。きっとそうだ。余して生きれば逆によいものを発揮できる。
評価
★★
書誌
書名:おとこ坂 おんな坂
著者:阿刀田 高
ISBN:9784620107035
出版社:毎日新聞社 (2006/07/15 出版)
版型:357p / 19cm / B6判
販売価:1,785円(税込)
- by kmoto
- at 20:29
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