2009年10月18日
本多孝好著『MOMENT』
「釈迦は成仏したかったんだ。古代インドでは、生き物は死ぬと生まれ変わると信じられていた。輪廻転生だね。彼はその輪廻を断ち切りたかった。どうしてか?二度と生きたくなってななかったからさ。二度と、こんな辛いものを味わいたくなかったからさ。彼を支えたのは信念じゃない。恐怖だ。また生まれ変わる。また生きなければいけない。そこから生まれた恐怖だ。彼は痛切なまでに虚無になることを求めたんだ。そうだろう?」
神田は幼なじみの葬儀屋森野が紹介してくれた病院で清掃夫として働いていた。たぶんこういう縁の下の働く人にはその職場、この場合病院で、さまざまな噂が耳に入ることだろう。まして病院である。言ってみればそれまでの人間の生きざまがあからさまに表れる場所である。
そんな病院で死ぬ前に願い事を一つだけ叶える黒衣の男の話を聞いた。そして神田はひょんなことからその仕事を引き継ぐことになった。ただ必殺仕事人ではない。
たぶん回復の見込みのない患者、死を待つしかない患者が究極に望むことは安らかな死であろう。しかし神田は大学生のアルバイトとしてここの病院の掃除夫として働いているだけである。患者に安らかな死を与えることは出来ない。それをやっていたのは神田が引き継ぐ前の必殺仕事人であった。神田に出来ることは、死を前にした患者が思い残したことをかなえてあげることであった。それが噂となり、「この病院には死を前にした患者の願い事を何でもかなえてくれる人がいるっていう噂です。それは掃除夫の人だって、そういう噂なんですけど」といって密かに広まっていった。
ことの発端は、ある老女の願いを学費分二十三万九千円で請け負ったのだが、老女は死後神田の口座に百万円振り込んできた。つまり仕事四回分。だから神田には残り三回分仕事をしなければならないことになった。それがこの連作となっている。最後は請け負った仕事ではなく、神田の思い、気分で起こった話である。
「ACT.1 FACE」は戦争中、裏切り者を殺せと支持した家族の動向を探る仕事であり、「ACT.2 WISH」は修学旅行で車に乗せてくれた大学生を捜す仕事であり、「ACT.3FIREFLY」では乳がんの再発で入院することになった女性のそれまでの人生を一所にたどる仕事であり、「ACT.4 MOMENT」は特別室にいる男を神田の気分で必殺仕事人から守ることであった。
私は「ACT.3FIREFLY」が良かった。良かったというか、悲しいかったというべきなのかもしれない。乳がんを再発した女は留守番電話に自分の状態を報告する電話を入れていた。愛する男のところかもしれないと神田は推測した。しかし誰も彼女を見舞いに来る者がいなかった。
神田はその女性がたどってきた人生の“場所”のドライブに連れて行ってくれと頼まれる。女は九州の田舎から東京に出てきた。喜びに満ちあふれて。けれど周りについていけず、野暮ったい大学生をやっていて、彼氏も出来ず、その後建設会社に入社する。上司と不倫関係になり、妊娠したが、堕ろして、会社を辞め、コンパニオンとして働く。
「もっと派手に、パーッとね、生きてやろうと思ったの。生まれ変わったつもりで。それで、あの店に勤めた。化粧の仕方を勉強して、流行りの服と髪型を教わって、まあ、驚いたね。これが自分かって。男がわらわらと寄ってきてさ。今までの自分は何だったんだろうって思うくらい。生まれて初めて、モテたのよ、私」
「指名なんかもばんばん取れちゃってさ。ナンバーワンにはなれなかったけど、結構いい線いってたのよ。お金を、会社に勤めていたときの給料が馬鹿馬鹿しくなるくらいいっぱい入ってきたし」
「悪い人生だったとは思わない」
「後悔がまったくないとは言わないけれど、それでも、まあまあ、よくやったと思うよ、私」
その後彼女は両親に連れられ、実家の近くの病院に転院していったのだが、神田に彼女のマンションの鍵が預けられていた。神田はマンションに行き、部屋に入ると留守番電話にメッセージが入っているランプが点滅しているのに気がつく。一瞬躊躇したが神田はボタンを押した。
「私です」
「今日、検査の結果が出て、再入院ということになりました。また電話します」
そう。彼女は自分の部屋にある電話に病院から近況を伝えていたのであった。いくつかメッセージが流れたあと、「もしもし、神田くん?」
「わかったでしょ?私は誰も待ってなんかいなかった」
「今日実家に戻ります。そう決めていたの。黙ってて悪かったけど、君に止められでもしたら、私、きっと泣いちゃうから。止めてくれる人が君しかいないなんて、情けなくて、きっと泣いちゃうから。君のまで止めてもらえなかったら、それはそれで泣いちゃいそうだし」
「最後のお願い。もしも今年と同じような夏がきたら、そのときは私を思い出して。バイト代は出せないけど」
「思い出して」
「きっとよ」
電話が切れたとき、神田は彼女の部屋を見渡す。「クローゼットに入り切らないような服も、大き過ぎる食器棚を埋める食器も、ひょっとしたら上田さんはそこに生まれる空っぽの空間を消すためだけに揃えたのかもしれない。一人で暮らすにはこの部屋広過ぎる」と思うのであった。
彼女が働いていた店に自分の持ちものを取りに行った神田は、その店の男に言われたのであった。
「向いてなかったんだよな、最初から」
「だいぶ、キツそうだったもんな。早く仕事を辞めろって言ってたんだけどな」
「よろしく伝えてくれ。早く元気になれって。元気になってこんなところには戻ってくるなって」
一人の悲しい女性の生きざまが眼に浮かんだ。
私は神田の考え方が結構気に入っている。なげやりでありながら、それでいてしっかりと根拠のある生き方が好きである。たとえば「エリートは貸しを作ることは気にしないけれど、借りを作ることは嫌う。資本主義というシステムを知り尽くしているからだ。借りには必ず利子がつくことがわかっている」という考え方は、まさにその通りだ。
また病人を慰める言葉をかけるときでも「ただ力で押しつけるだけの、こういう根拠のない慰め」だとわかっていてもその言葉をかけざるを得ない状況があるのだということを自覚するあたりは、神田らしい。
続いて、最新刊の続編を読もうと思う。
評価
★★★
書誌
書名:MOMENT
著者:本多 孝好
ISBN:9784087746044
出版社:集英社 (2002/08/30 出版)
版型:317p / 19cm / B6判
販売価:1,680円(税込)
- by kmoto
- at 08:00
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