2009年12月08日
阿刀田高著『街のアラベスク』
私は阿刀田高さんの本を読むようになってそれほど月日は経っていない。一度おもしろいと思って、それ以来昔の本をせっせと集めて読んでいるのだが、やはり私は阿刀田さんの歴史ものや古典の解説書の方が、現代短編よりおもしろい、と今のところ思っている。もちろん現代物もはあまりまだ手をつけていないので、これから先どうなるかわからないが、どうもこの手の物語はどこかもの足りなさを感じてしまうのである。どうしてもこの話はこのアイデアがあったから書かれたんだなと思ってしまい、純粋に話を楽しめないでいる。今回もそうであった。残念だけど、どこかあざといところを感じてしまったのである。
今回は東京の“街”がメインになっている短編連作集である。そしてこれらの話に共通するのは、主人公がかつて住んでいた、あるいはそこで昔の恋愛関係があった場所を、ふと今ぽっかりと時間が空いて、どううっちゃっていいのかわからない、半ば中途半端な時間が出来てしまったとき、思い出すところから、だいたい始まる。
この感覚よく分かる。特に私も五十近くなってから、その傾向がよく出て来る。私の場合恋愛とか昔住んでいた場所ではなく、どちらかと言えば一時関係していた場所といっていいかもしれない。あそこは今どうなっているんだろう、とか、もう変わちゃって、あの建物はないだろうな、とかいった感じである。もちろんそれぞれの場所は私に何らかの関係があった場所ではある。
「もしかしたら、だれしもがそんな場所を一つか二つ、持っているのではあるまいか。子どものころに、青春時代に、あるいはサラリーマンになりたてのころにサムシングのあった場所。今の生活と関わっているわけではないから、たまに思い出して、
-いつか行ってみるかな-
でも実際にはほとんど足を運ぶことがない。人生のあちこちに飛び地みたいに点在して、孤立して、そのままになっている場所と時間。近かったり遠かったり。そこで費やした時間も短かったり、それなりに長い歳月であったりして・・・・」
そう、こんな感じである。かつて何らかの関係があった街は、その関係が現在続いていないこと、つまりすべて過去形になっている分、時間がある程度美化しているところがある。たとえその街で苦しかったこと、悲しかったことが多くあっても、それが終わってしまっているなら、時が「そんなこともあったなあ」と他人事のように思えるようにさせてくれる。あるいは単に思い出だけでなく、妙に輝かせちゃったりしちゃう。
「ううん。これでいいの。馬鹿な話、聞いてほしかったの。昔はいろいろあったなあ、って。馬鹿なことでも、若いころは、一つ一つ輝いていたわ。あんた、言ってたわね。トイレの百ワットだって」
「なんだ、それ」
「無駄に輝いているだけだって」
そしてそれがある程度歳を行ってくると、そういうことを思い出すことが楽しくなってくる。
「二年後には五十歳になる。五十歳を超えて、女にも恋のチャンスはあるだろうけれど、実感として詩子には薄い。これからのことより、これまでのことを考えるほうが楽しい」
まあそれだけ若くなくなったという証明なんだろうけど、それはそれで老後の楽しみの一つと考えていいのではないかと思う。
この短編集に出て来る街で、新宿十二社というところがある。ここには温泉がある。昔大手町の売店の本屋で働いていた頃、売店仲間でここで忘年会をやったことがある。
今では温泉の掘削技術が発達しているから、東京の至るところに○○温泉と名をうっているけれど、当時は新宿のど真ん中で温泉なかあるのかと思ったもんだ。真っ黒いお湯が印象に残っている。今みたいスパなんてシャラ臭い名前じゃなくて、「新宿十二社天然温泉」というのもいい。いかにもヘルスセンターみたいなところであった。あの頃は若かったこともあって、飲めないお酒を飲んで、寝込んでしまったようで、気がついたら横で寝かされていた。今はどうなっているんだろうか。当時と変わっているのか、いないのか、ちょっと知りたいところである。
評価
★★
書誌
書名:街のアラベスク
著者:阿刀田 高
ISBN:9784103343257
出版社:新潮社 (2007/12/20 出版)
版型:331p / 19cm / B6判
販売価:1,680円(税込)
- by kmoto
- at 10:14
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