2010年02月21日

久坂部羊著『まず石を投げよ』

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 これで久坂さんの出ている小説を全部読んだことになる。(『無痛』は以前に読んでいる)ところが今回はどう読んでいいのか考えてしまった。
 話は、駆け出しの医療ライター菊川綾乃が世田谷医療センターの外科医三木達志が自ら医療ミスを告白し、患者の遺族に謝罪し賠償金まで支払ったことを知って、これは究極の誠意を感じ三木の取材に乗り出すところから始まる。三木への取材は困難を極めるが、何とか綾乃は三木と接触でき、話を聞くことが出来た。
 私は三木が言う言葉が正直、今まで考えたことがなかったので、ある意味衝撃的だった。

 「どうして医療ミスが起こるのか。うっかりミスであったり、医師の疲れが原因だったり、いろいろあるでしょう。でも、ほんとうはもっと深い理由があるのです。それは患者に対する医師の嫌悪です。医療ミスは、医師が患者を嫌っているときに、より高率に起こります。もちろんわざとじゃない。嫌いな患者に向き合うとき、医師は無意識に反感を抱き、集中力を低下させてしまう。深層心理がそうさせるのです。だから致命的なミスが起きるんです」

 「表面上は、医師も患者もうまくやろうとしています。しかし、深層心理はもっと複雑だ。医師はいくら治そうとしても治らない患者を無意識に憎み、患者も病気を治してくれない医師を憎んでいます。患者は、医師にとって手を煩わせるやっかいな存在であり、医師は、患者にとって頭を下げねばならない不愉快な存在です。そして最後には必ず、両者がともに忌避する“死”に至る。医師と患者は“死”という絶対の壁をはさんで、永遠に敵対する宿命にあるのです」

 我々は無意識のうちに医師は患者に対して好き嫌いで治療の差があるとは思っていない。言われれば医師にも患者に対して好き嫌いの感情があっても不思議じゃないと分かるが、だからといってそれで医療の差が出てくるとは思っていない。そんなことは許されることじゃないと思っている。
 しかしよく考えてみれば、三木の言うことは至極当然なのである。医師だって人間である。患者の態度に対して好感を持ったり、あるいは不快な気分になってもおかしくない。まして最近の患者は自分は病気なんだ。困っているいるんだ。苦しんでいるんだ。だからここに来たんだ。という意識がかなり強い。そうした横柄な態度で医師に接すれば、医師は好感情を持てるわけがない。そして一度そうした不快な気分にさせられた医師は、表面上は患者の立場に立っているけれど、腹の中では“この野郎!”と思っても当然である。医師だって人間である。そんな意識で患者と接すれば、医療ミスだって当然起こる。その確率が大きくなる。
 このことはホンと気がつかなかった。言われて初めて“確かにそうだよなぁ”と思った。たぶん先に言った前提で患者は医師に接しているし、しかも自分のことで頭がいっぱいだから、医師の気持ちなんて考える余裕すらない。
 患者が医師に対して“尊敬の念”を失った現在、三木の言うとおり、医師と患者は敵対してしまうのだと思う。そして簡単に医師の医療ミスを疑う姿勢もここから発生する。もちろんどう考えてもおかしい医師は最近いる。それはまた別問題だ。普通に治療していての不可抗力、何とかしてあげたいという気持ちで治療していて、ミスが起こった場合、それを揚げ足を取るようにしていていいのだろうか、とも思う。もちろん全神経、全能力を使って治療してもらわないと困るけど、でも医療に100%なんてあり得ないだろうと思う。まして手術となれば、どこかに危険はつきものだから、そうしたリスクを折り込み済みで、患者は医師に接するべきじゃないのだろうか。
 だけどそれが出来ない。だからすぐ裁判となる。医師を追求する。そうなったとき、医師はリスクの高い診療科を敬遠したって不思議じゃない。この本の中で次のようなインタビューがある。

 「最近、医療訴訟が増えすぎたせいで、若い医師が産科や脳外科など、訴訟のリスクの高い科を敬遠する傾向がありますね」

 「その通り。患者さんも少しは考えてもらわないと、自分で自分の首を絞めることになりますよ」

 実際そうなっている。今医師不足が騒がれているけれど、誰がすぐ訴えられる可能性の高い産科や小児科などに好んでなるのかと思う。

 もう一つ。今度は医療ミスを追求するマスコミの姿勢だ。この本はこの点が圧巻である。
 マスコミはいつも我々が弱者の意見を代弁している。あるいは世論の代弁者みたいに、横柄な態度を取る。誰がマスコミをそうした代弁者になってもらおうと思ったのか、と思うときが度々ある。勝手に自分が世論の代弁者だと勘違いしているのである。だから何でもやる。追求という“水戸黄門の印籠”を持って、何でもやってしまう。
 ここでマスコミは医療ミスの隠蔽体質を医師に実験する場面がある。しかも事後承諾で医師を試している。その結果医師には医療ミスを隠蔽する体質があったと断定するのだが、そのやり方が汚い。それくらいしないとインパクトがないからだ。ホントにこんなことがこの世界ではまかり通っているのだろうか、と思うけれど、たぶん大なり小なりここに描かれたマスコミの姿勢はあるのだろうと思う。何故なら最近のマスコミの奢りを見ていると、そう思わざるを得ない。
 そして無理矢理その実験に参加させられた医師が自殺した。自殺の原因は、嘘の医療ミスを突きつけられたことのよるものかどうか分からないが、とにかくその医師は自殺した。するとマスコミは医師の自殺と自分たちの取材と無関係と決めつけ、自分たちに都合のいい事実ばかり言い連ねてくる。医師の死を悼むのではなく、医療ミスを追求してくる人からの攻撃をどうかわすか、そのことで会議が始まるのである。これは患者が亡くなった事実から目を背け、患者の死と治療に因果関係がないことを説明しようと、やっきになる医師と同じなのである。
 まさに黒い笑いである。正義の味方を任じるマスコミだって、自分たちの都合の悪いことが起これば、医療ミスを隠蔽する医師と同じことをやっているのである。どこでも保身はあるのだ。
 それでもその実験のドキュメント作成したプロデューサーは聖書のエピソードを使って言うのである。

 「ファリサイ人がイエスに、娼婦マリアを石打ちの刑にすることを求めたとき、イエスは彼らにこう言います。『あなたがたのうち、罪のない者から、まずこの女に石を投げよ』。するとファリサイ人は一人去り、二人去りして、結局だれもいなくなった。この話は公平か。罪のない者以外は、他人の罪を非難する資格がないというのは、単なる、いえ、悪質な、口封じではないか。お互い罪深いのだからといって、黙っておこうという事なかれ主義。私が医療ミスを犯した医師と同じ心理になったからといって、医療界の隠蔽体質が許されるものじゃない」と。

 まったくマスコミの姿勢には反吐がでる。この本は医療だけでなく、それを追求するマスコミの姿勢をバッサリと切ってくれていて、マスコミは世論の味方でも、正義の味方でもないんだということを教えてくれる。勝手にそう思って自己満足している部分があるんだよと言ってくれて、ある意味気持ちよかった。
 結局我々には何かが欠けてしまい、こうしたおかしな世界にしてしまったのだと思った。


評価
★★★


書誌
書名:まず石を投げよ
著者:久坂部 羊
ISBN:9784022505101
出版社:朝日新聞出版 (2008/11/30 出版)
版型:411p / 19cm / B6判
販売価:1,890円 (税込)

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