2010年04月14日
吉村昭著『わたしの取材余話』
吉村さんの新刊を読む。新刊といっても、もう吉村さんは亡くなられているので、新たに書かれた随筆ではない。以前どこかで寄稿されたものを寄せ集めて、未収録本として出された本だ。それまでいくつかある吉村さんが歴史小説を書く上で、取材されたことを小説とは別な形で書かれたものである。要するに“余話”だから、余った話である。
とはいっても、“ついでに”といったものではなく、小説の舞台裏や小説では使われなかった話など、それはそれで滋味があって、私は結構好きなのである。
この本で一番ページ数をさいているのが「『心臓移植』取材ノートから」である。これは日本で始めて心臓移植が行われた札幌医大の取材ノートである。吉村さんにはこの心臓移植を扱った『消えた鼓動』という著作がある。
札幌医大の心臓移植には様々な疑問点があり、純粋に医療という側面だけでなく、事件として扱われる側面がかなり多いことがここでも書かれている。
たとえば心臓を提供した山口義政さんは溺れて心肺停止の状態になり、救急車で運ばれた。その搬送中、救急車が前の車を追い越しカーブを曲がったとき、対向車が向かってきたので、救急車は急ブレーキをかけた。その時救急車の中で人工呼吸を施していた救急隊員がそのその急ブレーキで前につんのめり、自然と人工呼吸をしている手に力が入った。それによって山口さんの呼吸が回復したというのである。治療の当たった医師は「生命に関わることはない」と判断し、回復が期待されたという。
その後山口さんは札幌医大に運ばれたあと、心肺停止、脳波も平坦になったとして死亡が確認され、心臓が摘出されたのである。(実は脳波は取っていなかった)
山口さんは当然変死扱いとなるので、警察による検死が行われた。検死に当たった医師は心臓移植に立ち会った医師であった。警察は山口さんの胸部に大きな絆創膏が貼られているのをいぶかしく思い、それをはがしてみるとメスの切開痕があった。これは何かと立ち会った医師に聞いてみると、医師は心臓蘇生のため、胸部を切り開き直接心臓をマッサージしたための切開痕だと説明する。実はこの時山口さんの遺体には心臓がなかったのである。医師はこの時嘘をついていた。(後で訂正がある)
一方心臓の提供を受けた宮崎信夫さんの病状は、外科で軽い僧帽弁閉鎖不全症と診断されいた。心臓移植を執刀した和田寿郎教授は宮崎さんの心臓を「箸にも棒にもかからぬ絶望的な状態」ではなかったのである。
吉村さんは取材で、札幌医大の心臓移植にはこうした不可解な点が数多くあることで、功を焦った和田寿郎教授の不要な手術だったのではないかということを匂わすが、そうだとは言いきらない。ただこうした事実がありますよと、ここではあくまでも取材ノートとして明らかにしているだけである。これは吉村さんの姿勢である。この本の最後で吉村さんは自分が書いた歴史小説で自分が取る姿勢を次のように書いている。
「歴史小説は、その背景となった時代の性格を裁断するという役割りもになっている。方法としては、作者が表面に出て自ら解釈を明確にすることと、史実を記してその判断を読者にゆだねることの二つがある。
私は、後者の立場に身をおいているが、それは多分に自分の素質にもとづくやむを得ないものだと思っている。
あらゆる事象を分析し、それによって一つの解釈を生み出す能力は私にはなく、基本的に物事はすべて漠としたもので、割り切った解釈をすれば、必ずなにかの誤りが生ずる恐れがある、と考えるからである。その点、私は臆病であり、自ら語ることはせず、ひたすら読者の思い思いの判断に一方的にまかせるという、一種なげやりな姿勢をとっている」
これは多分吉村さんの歴史小説だけでなく、たとえばこの心臓移植の話にしても、表に出なかった事実を明らかにすることはするけれど、それをどう考えるかは吉村さんがしないのと同じであろう。
また歴史小説の小説としての折り合いのむずかしさがここに書かれている。吉村さんは学生の頃「事実の中には、小説は無い。事実を作者の頭が濾過し抽象化してこそ、そこに小説が生まれる。カミュの『異邦人』の価値は、二十世紀の抽象小説であることだ。川端康成の小説も、畢竟作者の頭脳によって抽象された美であり、断じて現実美ではない。秀れた小説は僕達の理性を納得させ、感性を納得させてくれる」と学生らしい青臭い文章で書かれている。けれど基本的に吉村さんは、今でも小説のあり方はそうあるべきと考えているという。
となると歴史小説はどうなってしまうのであろうか。歴史と冠するかぎり、歴史小説は史実に忠実でなければならないはずだ。もし史実のみに固執すると、その羅列に終始してしまい、小説としての性格は失われてしまうことになる。だからといって史実を動かしてしまうと歪みが出てくる。この点が歴史小説のむずかしさだというわけだ。そこで吉村さんが取られる姿勢は、史実にあくまでも忠実ではあるけれど、人物がその時何を思い、そうした史実にあることを行ったのか、それを人間として自然な形で表現をすることで、小説の持つ性格と歴史小説が負わざるを得ない史実との整合性をつけているのではないだろうか。それが歴史小説を書く醍醐味でもあるような気がする。だから史実では大して問題にならない細部が吉村さんには必要になり、それを取材で得ることで、人間味を加味していく。
余話として面白かったのは、吉村さんが江戸城のことを調べているときの話が面白かった。四谷で深夜、土木作業で働いていた人が酒を飲んで皇居のお濠端で寝入ってしまった。しばらくして皇宮警察が心配してその人のことを見に来た。昭和天皇がお濠を隔てて土手に横たわっている人を見て、「倒れている」と言って心配され、皇宮警察が走って来たらしい。
その人はお濠を隔てた皇居の石垣の上に昭和天皇がお立ちになっているのに気がつき、元霞ヶ浦航空隊の整備兵だった彼は、仰天して軍隊式に腰を折って最敬礼すると、天皇は手をふっておられたという。思わずあの天皇ならお濠の石垣に立ってこちらを見られていたこともあっただろうなと思えるエピソードである。最敬礼した後、手をふっておられたというのが、昭和天皇の人間性の一面を見るようである。
評価
★★★
書誌
書名:わたしの取材余話
著者:吉村 昭
ISBN:9784309019765
出版社:河出書房新社 (2010/04 出版)
版型:233p / 20cm / B6判
販売価:1,680円(税込)
- by kmoto
- at 11:33
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