2010年05月26日

吉村昭著『三陸海岸大津波』

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 今年の2月27日チリで大地震があった。その地震により、津波が発生し、それが翌日日本に到達する事態となった。気象庁は日本沿岸でも最大3メートルの高さの津波が到着する恐れがあるという津波警報を発した。テレビでも1日津波警報が画面を占領した。最初は注意深くテレビを見ていたのだが、その警報が一日中画面から消えず、いつの間にかその警報がテレビの画面を占領していることが鬱陶しくなり、苛立った覚えがある。
 結局津波は予測を下回り、同日午後に岩手県久慈港と高知県・須崎港で1.2メートルの津波が観測されただけであった。次の日からマスコミは気象庁の警報に問題があると非難し始め、気象庁も大津波警報が過大であったと謝罪し、今後の改善を表明したのであった。
 一方で一日中警報が発せられ、避難勧告が出ていたにもかかわらず避難しなかった人が多くいたことも報道された。

 この本は明治29年と昭和8年に三陸沖で起こった地震による津波の被害と、昭和35年チリで発生した地震による津波の被害を記録した本である。記録の仕方は、吉村さんが足で集めたものであった。
 三陸沿岸は海底地震の頻発する場所を沖にひかえ、しかも南米大陸の地震津波の余波を受ける位置にある。しかもここはリアス式海岸という狭く入り組んだ海岸のため、そこに津波が押し寄せるとその威力を増幅させる地域であった。つまり本質的に津波の最大災害地としての条件を十分すぎるほど備えている地域であった。

 明治29年の3月頃からこの地域では小さな地震が続いていており、井戸水が枯れたり、水位が下がったり、鰯の大群が連日押し寄せ、マグロの大漁が続くなど、異常現象が起こっていた。このことはよく聞かれる、大きな天災が起こる前の異常現象であろう。
 6月15日は、日清戦争に従軍していた兵士たちの凱旋で、三陸の村々で祝賀式典が開かれ賑わっていた。しかもこの日は旧暦の端午の節句でもあり、多くの村民が集まっていた。
 そんな中午後7時32分、小さな揺れを感じた。しかしその地震は三陸沖約150Kmを震源とするマグニチュード8.5という巨大地震だったのである。地震発生後約30分あとに津波の第一波がこの沿岸を襲う。津波が押し寄せる前には、海水が沿岸の海底がのぞくまで引き始め、今度は屏風のように立ち、山のように盛り上がり轟音とともに村をのみ込んでいったのであった。人々は「津波だ!、津波だ!」と叫びながら、それにのみ込まれないように必死に高台に逃げる。
 津波の高さは10メートルとも、20メートルとも言われているが、吉村さんが村の古老に聞いた話から、その高さは50メートルにも及んだ可能性があると書いている。この津波による死者は26,360名になった。

 昭和8年3月3日午前2時30分、岩手県沖250Kmの海底を震源とするM8.1の巨大地震が発生した。そしてこの時も地震発生後約30分後に巨大津波が押し寄せた。地震があった時間が夜中の2時ということもあって、人々は一端様子を見て、それほど異常がないことを確認し、また寝床に入っていたあと、津波が押し寄せたのである。
 この時も明治29年と同じように鰯の大群が海岸近くに殺到し、各漁村は大漁に沸いた。例年三陸沿岸の鰯漁は11月いっぱいで終わるのだが、この時は年を越しても大漁が続く異常現象があった。井戸の渇水も各地で見られた。
 この時の津波の高さも10メートルとも、20メートル以上とも記録がある。死者は2,995名であった。この本では、この時津波を体験した小学校の生徒が書いた作文がいくつか掲載されていて、津波と、そこから逃げる模様が描かれている。子供が書いた文章だけれど、子供の目で見た津波だけに、それだけリアルに感じられた。

 昭和35年チリで大地震が起こり、その地震で津波がこの三陸沿岸に押し寄せた。当時人々は津波は地震の後にやってくるものと思っていた。実際昭和8年に起こった津波の後、県庁から出された「地震津波の心得」の中にも、地震があったら津波がくる恐れがあると警告している。また津波の前に必ず起こる異常現象がなかったことも、住民たちに地震がなくても津波が襲ってくるものだと思わせなかった。気象庁でさえ、チリで大地震が発生したことはつかんでいても、その地震のよる津波が太平洋沿岸に来襲するとは考えておらず、津波警報さえ発令しなかった。津波は22時間30分をかけてこの三陸沿岸にやって来たのである。それこそ住民たちが言うように「のっこ、のっことやって来た」のであった。ただこの時の津波による死者は105名と激減している。もうこの時には住民たちに津波の恐ろしさが認識され、津波防止の施設も沿岸に備えられていたからであった。
 今年の2月の津波警報もこの時のチリの地震と同じである。幸い津波が小規模であったからよかったものの、中には津波の恐ろしさを忘れて、避難さえしなかった住民がいたことは、大きな問題であろう。過去に津波を甘く見て、大災害なった事実があるのだから、その点は考えないとならないような気がする。
 マスコミもマスコミである。気象庁の警報が過大だったと非難する方にしか目が向かず、警告が出ているにもかかわらず避難しなかった人が多くいたことを問題視しない。馬鹿としか言いようがない。気象庁もわざわざ謝る必要などないと思う。問題はあったにしても警報は正しかったはずだ。後はその精度を高めてくれればいいだけのことだ。オオカミが来たと叫んで、本当にオオカミが来たとき、いったいどうするのだろうか?ここでも自己責任という言葉を持ち出して、勝手放題にさせるつもりなのだろうか?私もテレビの警報を鬱陶しく思ったことを反省した。


評価
★★★


書誌
書名:三陸海岸大津波
著者:吉村 昭
ISBN:9784167169404
出版社:文芸春秋 (2004/03/10 出版)文春文庫
版型:191p / 15cm / A6判
販売価:459円(税込)

2010年05月20日

北尾トロ著『全力でスロ-ボ-ルを投げる』

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 気がついたらだらだら読んでいた。トロさんの本はちょっと過激なことや冒険的な行動が魅力で、それが面白くて一気に読んでしまうのだが、今回それが影をひそめている感じがしたのだ。

 どうしてなんだろう?

 今回の本は大手出版社の文藝春秋で出版されていて、今までの路線にブレーキがかかったのかな、と思ったのである。つまり今までのトロさんのばかばかしく過激なルポや挑戦的な行動をむしろ率先して認めていた出版社からの本では今回ないということである。文春から出すにはちょっと控えてねといったことがあったのかなと邪推したのである。あるいはもともと企画の時点で却下されてしまうから、こうしてゆるいものになってしまったのではないか、と思っていた。
 けれどどうもそれだけじゃないような気がしてきた。過激な企画、冒険的な企画に影をひそめたのは、トロさんの“年齢”があるのではないかと思いはじめたのである。若い頃のトロさんなら、その若さ故、出来たことや、無謀さが、年齢を経たことでそれが体力的に出来なくなった。あるいは気持の上で躊躇するようになってしまったのではないか、と思ったのである。
 これは、トロさんのほぼ同じ年齢な私に取っても、深く納得する部分があるのだが、一方で歳をとることで、それが出来なくなったということを突きつけられているようで、どこか砂をなめるような気分にもなった。若い頃のトロさんの本を読んでいるだけに余計であった。
 それは仕方のないことなのかもしれないが、やはりどこか寂しい。今まで若さ故の無謀さを笑ってきた。若さ故の“けっ!”という発想が面白かったのに、それが今度は歳をとったことで出来なくなったと実感する記述が多くなった。そのことは我々が日々実感していることであって、改めて突きつけられれば、おいおい勘弁してくれよと言いたくなるのである。せめてトロさんだけは過激なオジサンであって欲しいと思うのである。多分この本が今までの路線で押し通せなかった理由はここにあるのだろう。だいたい書名からしてそういう雰囲気が漂っている。
 笑いが呆れた笑いから、悲しい笑いに変わってしまっている。たとえば、すごく腹が減っていて、蕎麦屋に駆け込んで「カツ丼!大盛りで!!」と何の迷いもなく、今までの流れで当然注文したのに、異変を感じる。

 ところが食べ始めてしばらくすると、ぼくを異変が襲う。メシが思うように入っていかないのだ。気持は前向きなのに、中盤あたりですでに満腹感がある。味に問題はない。むしろうまい部類だろう。
 おかしい、こんなはずじゃ・・・・。あせって箸を動かしてみるが、どうにもならない。そして、とうとう1/3ほど残すはめに。 ショックだった。
 食べ残したことにではない。大盛り?軽くイケルよ、と思っていた気持ちに肉体がついていけてないことにである。そのときはすぐリターンマッチに挑んで強引に雪辱を晴らしたのだが、かつてのような爆発的な食欲は二度と戻ってこなかった。

 他にも集中力が落ちていること、徹夜などうっかりすれば、翌日は使いもにならないこと。改札を通ったところで電車はホームに滑り込む気配がしたので、OK、余裕だよと階段を駆け上がるのだが、目の前でドアが閉まり、シャットアウト。驚くほど息が上がっている。視力も落ち、老眼鏡を買わざるを得なくなったことなど、ここには気持は若いのだが、身体が思った以上に衰えていていることを思い知らされる現実に、戸惑いを感じる記述が多いのだ。

 とまあ、年々若さとは距離が大きくなるばかりなのだが、ときどきそのことを忘れてしまうのである。普段はそんなことはない。おとなしくしているんだけれど、周囲の状況や自分自身の盛り上がりによって、“気分は18歳”になってしまうのだ。

 と、現実はこの通りなのだが、それを少しずつ実感し始める一方、まだ完全に自分が“オジサン化”していることを悟りきっていないことも、逆に憐れさを感じさせる。思わず“わかる、わかる”と賛同してしまうところもあるのだが、その分寂しさも伴うのだ。これ、結構やりきれない。人間こうして歳をとっていくんだろうなと思わせるけれど、今はそれを素直に受けいれられない自分がそこにある。多分トロさんもそうなのだろう。
 だからそうした体力の衰えが、トロさんの視線を優しくしてしまっている。対象に同情さえ感じてしまっている。それが面白くない。無茶振りだけど、そう思う。
 後はトロさんの記述の仕方を楽しむしかないのか。あるいはたとえトロさんがオジサンになっても“気分は18歳”という視線での企画に期待するしかないのか、と少々悲しくなってくる。頑張って欲しいな。家族や子供の記述が多くなってきているのもやむを得ないのかもしれないが、これもほどほどに願いたい気分だ。


評価
★★
 

書誌
書名:全力でスロ-ボ-ルを投げる
著者:北尾 トロ
ISBN:9784163725901
出版社:文藝春秋 (2010/05 出版)
版型:303p / 19cm / B6判
販売価:1,680円(税込)

2010年05月17日

佐々木譲著『笑う警官』

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 先にマイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-のマルティンベックシリーズを読んだ。その中にこれと同じ書名がある。あって当たり前なのだ。何故ならこの本はこのマルティンベックシリーズを意識して、わざわざ単行本から改題しているのである。単行本は『うたう警官』である。この“うたう”というのが分かりづらいということで、改題したという。
 この“うたう”とは、警察内部の秘密を公表することを言う。内部秘密と言うからには、公にしてしまうとまずい内容のことであり、それが公になれば、世間の非難を浴びることとなる。

 話は、札幌市内のマンションの一室で女性の他殺死体が発見される。被害者の身元は道警本部の防犯総務課婦警であった。最初は所轄刑事たちが捜査にあたったが、すぐ道警本部が直接捜査をするということになり、事件を“さらわれた”形となる。死体があったマンションは警察が借り上げていた秘密のアジトであった。事件は異例の形で進み、犯人はその婦警と付き合いがあった、銃器対策課の津久井巡査部長だと断定された。津久井は覚醒剤中毒者で拳銃を持っている危険人物として、射殺命令が下された。

 道警には郡司問題が公となっていた。それは道警の郡司警部が数多くの拳銃を不法所持し、覚醒剤の密売にも手を染めていたというものであった。郡司は拳銃摘発数では日本一生活安全部のやり手捜査員であった。
 しかし郡司警部が覚醒剤の密売をしていた本当の理由は、拳銃摘発の協力者に渡す謝礼経費の不足を補うものであったのだ。本来捜査員に渡るべき経費や報償金が、幹部のポケットマネーや裏金としてプールされていて、実際捜査員に渡っていなかった。そのため郡司はめ覚醒剤の密売でその不足分を工面していたのである。刑事が覚醒剤の密売に手を染めていたことは警察にとってかなりの不祥事であるが、もう一つ警察内部で裏金がプールされ、幹部たちでいいように使われているということが公になることは何としても避けたかった。
 射殺命令が下った津久井はその郡司と一緒に仕事をしていて、道警幹部の裏金問題を直接知る者として、排除される形で射殺命令が出たのである。しかも津久井はそのことを議会で証言する、つまり“うたう”人間として証人として喚問されていた。

 その津久井と以前危険なおとり捜査を一緒にしたことがある佐伯宏一は津久井のことをよく知っており、津久井がその婦警殺害の犯人ではないと確信し、密かに仲間を募って、津久井の無実を晴らそうと非合法の捜査を始める。津久井が議会で証言するのは事件の翌日で、道警幹部は津久井をどんなことをしても射殺して、口をふさごうとするだろう。それまでに真犯人を挙げないとならない。
 道警内部でも自浄作用があって、津久井の証言で道警内部の腐敗がなくなればと思う人間も、現場にはいて、徐々に婦警殺害の真犯人捜しに協力する刑事が出てくる。

 婦警が殺害されたマンションには、双眼鏡、暗視装置、盗聴器、手錠、縄、革ベルト、婦警の制服があったが、アジトとして使われていたとすれば、おかしくないものであったし、婦警がここを逢い引き場所として使っていたことが判明していたので、制服があってもおかしくない。
 しかしこれはノーマルな性癖以外に使われてもおかしくないものでもあった。婦警と津久井の関係はほとんど冷めていたが、完全に終わらせてはいなかった。それよりも他に男がいた可能性があり、その男との関係を隠すために、まだ津久井と関係があるように装っていた可能性がある。その異常な性癖を持つ男が犯人であった。犯人は道警の幹部でキャリアであった。

 この本は先に書いた通り、マルティン・ベックシリーズと同じ題名の本であることを知ったので、どんな本だろうと思ったのが読むきっかけであった。あとがきで書いてあることをネットで先に知り、更に興味をそそられ読んだ。それほど期待はしていなかったが、以外と面白かった。津久井の無実を晴らそうとする佐伯の捜査の仕方にちょっとリアリティーが欠けなくもないが、時間をうっちゃるにはちょうどいい話であった。


評価
★★★


書誌
書名:笑う警官
著者:佐々木 譲
ISBN:9784758432863
出版社:角川春樹事務所 (2007/05/18 出版)ハルキ文庫
版型:448p / 15cm / A6判
販売価:720円(税込)

2010年05月14日

吉村昭著『蚤と爆弾』

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 この本の親本を三省堂がやっている古本屋さん(三省堂がやっているというより三省堂が“胴元”みたいな形で、小さな古本屋さんを集めて上納金でも集めている感じのもの)で見た。原題は『細菌』という。私は吉村さんのこの本はこれを見たとき初めて知った。知らなかっただけに、買おうかなと思ったが、値段が高くてやめた。そして今回読んだ文庫はその『細菌』を改題し、文庫化したものである。
 話は、北満州のハルピンに作られた関東軍防疫給水部の創設者曾根二郎を主人公として、彼や関東軍防疫給水部が戦争中何をしてきたのかが書かれている。読んでいて“あれ?”と思ったのは、この曾根二郎という人物、もしかしたらあの七三一部隊の石井四郎ではないかと思ったのである。で、ネットで調べてみると、やはり曾根二郎は石井四郎をモデルにしたものであった。七三一部隊といえば、森村誠一さんの『悪魔の飽食』で有名になった細菌兵器の開発、製造、人体実験をした部隊である。
 この本は森村さんの本のように衝撃的で暴露本的要素を排除して、淡々と彼らが何をしてきたのかを記述していく。時系列として、日本が敗戦に向かっていく状況も記述し、関東軍防疫給水部が何故細菌兵器を製造していき、敗戦間際にきれいに消滅させていくかが書かれている。
 もともと関東軍防疫給水部はその名の通り、野戦で、特に南方で兵隊たちの飲料水をどう確保するため、その様々な菌で汚染された水を濾過する濾過器を開発するものであった。
 一方で全く逆の発想で、細菌が兵器として有用なものになり得ると曾根二郎は思いはじめる。日本軍にとって仮想敵国は中国、ソ連であり、特にソ連の兵力に対抗するには、日本軍が持っている通常兵器では太刀打ち出来ないところに、この細菌兵器が有効に力を発揮することを陸軍に提案するのである。
 曾根のこうした歪んだ行動は、曾根自身の個人的事情に由来していた。曾根は京都帝国大学医学部を卒業したが、当時陸軍の軍医として優遇されるのは東京帝国大学医学部出身者のみで、京都帝国大学医学部卒業の曾根には要職に就くことが望めなかった。そこで彼は軍の要職に就けないのなら、自分にしかできない仕事を確立したいと考えるようになる。それが細菌戦用兵器の開発であった。
 陸軍は曾根の提案を受け入れ、極秘にその開発を進めさせる。曾根は関東軍防疫給水部の中枢に京都帝国大学医学部卒業者を集め、研究を進める。そのため関東軍防疫給水部を別名で“加茂川部隊”などと自称していたという。
 さて、その細菌兵器である。ペスト菌やチフス菌、コレラ菌などを培養し、それを兵器とする。特にペスト菌を兵器とするために、中国中のネズミと蚤を採集していく。ペストに感染したネズミの血を蚤に吸わせ、その蚤を陶器製の爆弾につめるのであった。(通常の爆弾だと、爆弾が爆発するとき、その熱で蚤が死んでしまい、役に立たない)
 その試作品が出来上がったとき、人体実験として、中国人の捕虜、囚人、スパイなどを使う。彼らは“丸太”、“材木”などと呼ばれた。
 彼らを実験に使うため、それまで捕らえられ、拷問にあい、ろくに食事も与えられなかったのが、ここに連れてこられると、高栄養の食事が与えられた。健康体にさせられていくのである。そして細菌兵器の実験に使われていく。関東軍防疫給水部が人体実験に使った囚人の死亡数は三千名を超えた。(細菌だけでなく、他の実験に使われた)
 そして実際に中国大陸で上空から細菌を散布したし、撤収時には細菌ビスケットや細菌饅頭をばらまき、井戸や川、貯水池に細菌を投げ込み、細菌汚染地域とした。
 終戦間際、敗戦色が濃くなったとき、ソ連が参戦し、満州に進行を始めるが、この時こそ細菌爆弾を使いたい曾根は考えていた。しかしこの時にはもう日本軍は爆弾を投下する爆撃機さえなく、結局関東軍防疫給水部をきれいに抹殺し、撤退していく。その鮮やかさは開いた口がふさがらないといった感じである。
 戦後、戦犯がかり出されるが、彼らも三千人以上を実験と称して殺害し、実際に非人道的な細菌兵器を使用したわけだから、当然戦犯としてかり出されても仕方がなかった。しかし彼らは満州を撤退したときから、お互い顔を会わさず、目を背け、市民の中に息をひそめて隠れた。
 曾根二郎にしたって、当然重大な戦犯と扱われていいはずだったが、連合国は彼の行ってきた実験に多大な興味を持ち、特にアメリカは曾根から満州で行ってきた実験の資料の提出と引き替えに、身分を保障し、報酬さえ出す。アメリカは日本で軍部の解体、民主化などを推し進める一方、曾根が開発した細菌兵器の利用価値を見出しているのである。
 アメリカが身を潜めていた曾根の行方を必死に捜し、曾根がそれに応じるとき、曾根の言い分が気にかかる。

 「それでは私の考えを述べさせていただこう。初めに申した通り、私は軍人であると同時に医学者だ。しかし、戦争にやぶれた現在、私は軍人でなくなり、医学者としての自分だけが残った。従って医学者として考え、行動すべきであると思う。私は、研究実験をかさね、世界に類のない貴重な資料を得た。医学者としては、それを私物化すべきではなく人類のために提供したい。日本は敗戦国となって荒廃し、私の研究成果を受けいれる素地はない。もしアメリカが所望なら、喜んで研究成果を提供したい」

 個人的な意見を言わせてもらえば、医学者としての曾根の言い分は、許し難い傲慢さだと思っている。医学者としてというよりは、まず人間として、非人道的なことをやってきた研究を成果として言えるものなのか、と思う。いくら戦争という極限状態の中で、行われたこととはいえ、その結果を医学者として研究成果と言うのがちょっと疑問を持つ。しかも自分たちはそれを研究と称してはいるものの、戦後戦犯としてかり出されることを恐れ、身を隠しているのである。ということは、自分たちがやってきた研究方法に非難されるべきものがあると意識しているのではないか。だったらもう少し言い方があるのではないかと思う。その研究に犠牲にされた数多くの人命あったことを意識していれば、こういう言い方は絶対に出来ないだろう。
 ただ一方で、その過程はどういうものであれ、通常では絶対に得られない研究成果であることも事実だろう。医学、いや科学や進歩はそういう意味では非人道的なもので成り立っている部分がある。

 曾根の葬儀のとき、焼香に来た客は、一部の者を除き複雑な表情をしていた。顔見知りであることはその表情で窺えたが、焼香を終えると、互いに目をそらし合って斎場を出て行き、喪章を外し思い思いの方向に足を早め去って行った。彼らは旧関東軍防疫給水部の関係者であったと記述して、この物語は終わる。


評価
★★★


書誌
書名:蚤と爆弾
著者:吉村 昭
ISBN:9784167169169
出版社:文芸春秋 (1989/08/10 出版)文春文庫
版型:221p / 15cm / A6判
販売価:入手不可

2010年05月12日

辻邦生著『遙かなる旅への追想』

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 今朝テレビのニュースでアメリカの運輸長官が日本が開発しているリニアモーターカーの実験車両に試乗して、その時速500キロを超えるスピードに興奮している模様が放映されていた。何でもこれが開通すれば、東京-大阪間を60何分で行くそうだ。
 それを見ていて、どうしてそんなに急ぐ必要があるんだろうと思ったのである。今でも新幹線で大阪まで3時間で行く。それを2時間速めたからといって、その2時間を無意味に過ごしたなら、何もならない。あるいはその2時間別の仕事で振り回されることになるんじゃないか、と思ったのである。だってたとえ今より2時間移動が短縮されたからといっても、労働している拘束時間が短くなるとは思えないのだ。
 旅にしたってそうである。移動の時間が短縮されて、その分多くの名所を回れるとしても、もともと短い時間で旅をしている以上、単に名所・名跡を詰め込むだけのことであって、それは情報でしかあり得ないのではないか、と思う。
 辻さんはこの本で次のように言っている。

 町々をただ突っ走って、写真をやたら撮って、あとに何一つ残らない最近の旅行のやり方を見ると、歩くということは、いまもなお、ものを真に味わう唯一の方法ではないかと思う。しかし現代は何はともあれ忙しい時代なのだ。一つのことに時間をかけるのもいいが、同一時間内にできるだけ多くのものを知る必要もある。事実、現代はしかるべき情報を持たなくては十分に生ききれない時代である。
 ただ問題なのは、この過剰な情報ゆえに、かえって何一つ真に知ることがなくなりはしないか、という点である。一方だけだと、視野のきかない独断になろうし、他方に夢中になれば無味乾燥な物知りになるしかない。

 現代人はどうしてこうもスピードばかり追求するのだろうか。それを追求することで効率化、能率化を求め、さらに他の分野でその時間を使うことにあくせくしている。そして気がついたときはヘトヘトに疲れている自分を見出すのだ。
 辻さんは自らの旅の経験から次のように言う。

 いや、むしろ旅とは本当はこうした<悠長な>ものでなければならないのだ、と思うようにさえなった。なぜなら生きるとは、この<悠長さ>以外の何ものでもなく、したがって<悠長な>態度でいる以外に生を理解する方法はないからだ。
 たとえば子供が生まれるまでの十ヶ月、人はそれを待たなければならない。すくなくともすべての女性は自然のこの<悠長さ>を知っているし、それに従うことも知っている。農夫ももちろん種播きから穫入れまでの自然の定める<悠長な>期間、じっと待つことを知っている。
 自然のめぐりというこの<悠長な>もの-それに身を託することが生きることに他ならない。現代文明がこの<悠長さ>に反抗し、勝手にスピードを発明し、能率崇拝をつくりあげたが、そのことによって得たものは多いとしても、そこから決定的なものを欠落させてしまった。つまり自然の持つこの<悠長さ>と一体となった<生>を失ったのだ。

 時間にしても空間にしても、この自然の定めた秩序(オルドル)がある。そのordreは秩序であるとともに、本来は命令(オルドル)なのだ。もしぼくらが自然のなかで生産的ありたいと思うなら、その命令に従うほかない。十ヶ月の懐妊期間を半分に短縮しようなどと考えても、それは自然の秩序=命令(オルドル)に反することだ。反すれば当然秩序は失われ、混乱が起こる。特殊栽培による季節はずれの果物や野菜の氾濫は、初もののよろこびを奪ってしまった。このよろこびの喪失は、生の荒廃の一つのシンボルと考えても差し支えないものだ。
 考えてみれば、現代文明がもたらされる以前、人々は、この自然の動きによって暮らしていた。水車の音はこの自然のリズムに他ならなかった。風車は風のままに粉をひいていた。海の旅は波まかせ風まかせであった。そして河の流れもこの自然の動きをなまなましく直截な形で人々に示していた。

 辻さんがそう思ったとき、「どうしてぼくらは自分でスピードをつくらなければならないのか。どうして自然の<悠長さ>に委ねてはいけないのか。女性たちが自然の秩序=命令(オルドル)に従っており、なお世界の大半の農民が季節のめぐりと一つになって生きているとき、一握り大都市と近代国家が生活を早くしても、人間は、苦しげに身を捩じるだけではないのか。一方は自然の<悠長さ>のなかにあり、他の半分は、それに反したスピードと能率化のなかにあるのだから」と思うのである。
 自然のもたらす速度との一致は自然の秩序=命令(オルドル)に従うことであり、それが文明の速度でもあったはずで、文明は実はこうして<悠長に>基本の速さと一致しながら進んできたのである、と思うのである。
 なぜなら文明は大自然のもつ荒々しさから人間を守る役割を果たしているからで、衣食住をはじめ文明がもたらしてくれる生活の快適さは、大自然の荒々しさを柔らげた結果と言えなくもないからだ。だから「文明はゆっくり進む。考えながら、手さぐりしながら、試行錯誤を繰返しながら、そして何よりも<快適さ>をつねに失うまいと努めながら」
 「文明が<快適さ>と結びついている以上、その速さが人間の不調和と混乱を招来したならば、やはりその進歩の速度は文明の本質に反するもの」となると考えるのである。

 現代人がヘトヘトに疲れているのはこうしたスピードに振り回されているからであって、それは何も仕事だけでなく、自分の時間でさえその姿勢が変わらないからである。結局必要以上のスピードというのは快適さを追求しているように見えて、ちっとも快適ではない。時間がかかるということは、それだけ距離が離れていることを実感させるし、それだけ手間がかかるということを教えてくれる。それを極端に短くしてしまえば、距離感も、存在感も、重量感も、有難味も希薄になってしまうし、実際そうなっている。私は辻さんが感じる自然の<悠長さ>が本来の人間の文明の速度ではないかという考えに深く同意してしまうのである。

 この本は旅という非日常だからこそ、普段見えない部分を深く掘り下げることなることを教えてくれる。が、その分思索的になるので、非常に理解しにくいところがある。もともと辻さんの書かれる本はとっかかりが難しいものだから、下手をするとこれは重すぎると感じてしまい、投げ出してしまいそうになるし、実際投げ出してしまった本もある。しかし今回は我慢して読んでいると“なるほど”と思ったのがこれらのことであった。

 さて、私にとって辻さんといえば、『背教者ユリアヌス』の著者というのがある。私はこの大作を高校時代夢中になって読んだ。面白くてやめられなかった覚えがある。
 西暦313年にコンスタンティヌス大帝よってキリスト教が公認され、それまでローマで信仰されていたギリシア以来の神々を捨ててキリスト教の信仰に変わった。ユリアヌスはコンスタンティヌス大帝の死後、その息子たちによる、醜い後継者争いから、生き残ってローマ皇帝となった人物であった。彼は思慮深く、学者肌であり、何よりもギリシア以来の神々を信仰していた。彼が皇帝になったとき、ギリシア以来の神々の復権が行われる。だから“背教者”なのである。
 ユリアヌスの治世はそれまで信仰されていたギリシア以来の神々からキリスト教へ転換の時代でもあり、その中で彼は揺り戻し役を演じたことになる。つまり時代の変わり目にいた人物であった。
 私はこの本がどういう意図で書かれたのかをこの本で知った。この『背教者ユリアヌス』を辻さんが書かれたのは60年代の終わりの頃で、世界各国で学生紛争があり、戦後から30年たち、20世紀の後半に入った時期であった。この時様々な形でイデオロギーが精神文化に何か新しいもの向かっているという感覚を感じさせる時代だったという。そのことがユリアヌスが生きた時代とアナロジーを感じ、それがこの700ページ以上もある著作となったというのである。
 私は単に波瀾万丈なローマ皇帝ユリアヌスという人物の生き様だけを読んできただけに、これを読んで、なるほどこの本にはそうした著者の意図があったんだなと思った。


評価
★★★


書誌
書名:遙かなる旅への追想
著者:辻 邦生
ISBN:9784103142140
出版社:新潮社 (1992/04/20 出版)
版型:339p / 19cm / B6判
販売価:入手不可

2010年05月05日

イアン・サンソム著『蔵書まるごと消失事件』

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 この本先に読んだ滝田務雄さんの『田舎の刑事の趣味とお仕事』と一緒に買った本である。個人的にこうした書名が付くと触手が伸びてしまうことは以前にも書いたような気がするが、今回もそれ以上の理由はない。なんか面白そう!と思ったのである。が、どうもテレビのドタバタ番組を見ている感じがしてしまい、書いている側が楽しんで書いているのは分かるのだが、読むこちらはちっとも楽しめずいた。有名な著作の本、特に最近話題になった本が出てくるのだけれど、なんか強引に結びつけた感じがしてしまい、わざわざここで持ち出すまでもないような気がしてしまった。むしろ、何とか気を引こうとして、そうした話題性のある本を引っ張り出しているような気さえしてしまった。どこかうざったいのである。
 そんな気持ちで読んでいたから、この本を読んでいる途中に、気になった本がいくつか出版され、あるいは別の本を読みたくなり、そっちに浮気した。そんな関係で、この本自体は大分以前に読み始めたのだが、やっと今日読み終えた。まぁ、正味読んでいる時間はそれほどでもないのだが、単に一冊読み終えるのには時間がかかったことにはなる。
 要するにだらだら読んでいたわけで、その程度の本と思ってもらっていい。この本の解説者が友人や知人に「この本面白いわよ」と勧めたいと書いてあったが、そうかな?と思ったわけである。
 というわけでどうやら続編が出そうだけど、この本も先の本同様、“これで打ち切り!”とする。
 さて、一応読んだ以上その内容など書いておかないとならない。こんな本でも読んだよ、という備忘録として意味もあるので。

 主人公のイスラエル・アームストロング青年はあこがれの図書館司書の仕事に就くべく、ロンドンから北アイルランドの田舎町タムドラムに来た。しかし勤めるべき図書館には図書館閉鎖のお知らせの張り紙があった。そして町が用意した彼の代わりの仕事が移動図書館の司書であった。ところが移動図書館の車に積むべき図書館の本、一万五千冊の本が消え失せていたのである。イスラエルはその本の行方を捜すことが、まずここでの重要任務となる。
 本はどこへ行ったのか?それとも誰かが本を盗んだのか?イスラエルは移動図書館の車を運転していたテッドやイスラエルの前の司書、あるいは町が図書館運営をしたくないから、役所が関わっているのか、拙い、そして単純な理由から犯人らしき人物を疑うが、すべてあざ笑われる結果となる。そして最後に町の古物商が図書館の本を盗み売り飛ばしたのではないかと、その古物商の倉庫に忍び込むが、盗品は見つかるが、肝心に図書館の本は見つからなかった。
 結局図書館の本を盗んだのは町の住人たちであった。彼らは町が図書館を閉鎖することは、住人たちの図書館を取り上げることだと考えていたのである。だから本まで取り上げられてはかなわないと思い、その蔵書を盗み、住民みんなで密かに別の図書館として管理していたのであった。
 これ、だいたい見えていた。多分そうじゃないかと読み進めるうちに感じていたので、やっぱりと思った次第。


評価
★★


書誌
書名:蔵書まるごと消失事件―移動図書館貸出記録〈1〉
著者:イアン・サンソム 玉木 亨【訳】
ISBN:9784488297022
出版社:東京創元社 (2010/02/26 出版)創元推理文庫
版型:461p / 15cm / A6判
販売価:1,260円(税込)

2010年05月04日

開高健著『直筆原稿版 オーパ!』

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 最近はそれほど読まなくなったが、以前は好きでよく開高健さんの本を読んでいた。あれもこれもと手を出していたら、気がついてみると私の本棚の六段ほど開高さんの本で占められている。とにかく何でもよかった。“開高健”という名前が付いている本ならすぐ買って読んだし、新刊書店で手に入らなければ、古本屋を歩いて、せっせと開高さんの本を探した結果であった。
 こうなってくると完全にコレクターである。たとえ読まなくても、まだ手に入れていない開高さんの本があれば、買わないとまずいと思い始めることになる。せっかくここまで集めたのだから、最後まできちんと集めたいということになってしまった。もう蔵書ではなくコレクションである。
 もう開高さん亡くなられて、20年以上たっているのだから、未発表の作品などそうそうあるはずがない。それでもちょこちょこ焼き直しみたいな本が出ていた。晩年の大がかりな釣り紀行の写真など載せて、ページ数を稼いでいるとしか思えない本がよく出ていた。当時はそんな本でも集めていたが、さすがにこんなものを集めているときりがないと思い、以降そうした本を買うのをやめた。
 ただまったく集めることをやめたかというとそうではない。しっかりしたコンセプトのある本は買っている。この本もそういう経緯で買った。もともとこのオーパ!は月刊PLAYBOYに1978年2月号から同年9月号まで連載された。



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 そして同年11月には大判の本で出版される。



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 連載時も毎月楽しみに読んでいたし、単行本になってからも、すぐ買って読んだ。そして今回直筆版を購入して、32年ぶり読み返したことになる。
 最初はコレクションとして買ったつもりだったのだが、いつの間にかページをめくって読んでしまった。よく悪筆の作家がいて、編集者も読めないという話を聞いたことがあるが、開高さんの場合、暖かみのある丸文字は読みやすいし、書き直しも少ないものだから、普通に本を読んでいる感覚で読めるのである。



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 読んでいて久しぶりの開高健の語り口を懐かしく感じた。

 東京のバーで私はおよそ二十五年間、浮きつ沈みつを飽きもせずに繰返してきたけれど、自分の時間をサカナにして酒を飲んでいる男というものの姿態をついぞ見かけたことがない。東京の時間はいうなれば炭酸水の泡のように無味のままセカセカと泡だっているだけである。

 去年はよかったのに今年はどういうものか低調、不振だという言葉が出没しはじめた。またまた釣師の時制である。過去と未来があって現在がないのだ。あったとしても現在は稀薄である。聞いていて私はホロにがく微笑する。こんな地の涯でも萬国共通の原則と遭遇すると、憂愁と同時に、おかしな、うそ寒い安堵感もあたえられる。

 こうしてブラジリアはそこに、そのまま、おかれている。今日も輝いている。まるで昨日生まれたばかりのように輝いている。構造物たちはまだ細根も、地下茎も、気根もはやしていない。しかし、建築物も人とおなじように年令を知らずにはいられないし、体のあちこちにそれを分泌せずにはいられないものである。これまでの木造建築や石造建築は歳月や疲労がしるしづけられると同時に成熟の気品や威厳を身につけるすべを知っていて、不断に育ちつづけて数世紀、十数世紀を生きぬいてきた。しかし、現代建築というものはこれまで私が諸国で見聞してきたかぎりでは、歳月と添寝することができないのである。デザインの流行が変わるから“時代遅れ”になってそうなのではなく、どうやら、もともとそんな体質や気質に生まれついていないのである。らしいのである。どの傑作もちょっと歳月がたつとたちまち醜怪、卑称な不具者となってしまう。ある年令で成熟がとまってしまった美少年みたいなところがある。

 気に入った開高さんの文章をこうして書き写していると、だいたい言い回しが予想でき、本文を確認すると、その通り書かれているので、割と書き写しやすい。ということはそれだけ文章が平易であって、今我々が使っている言い回しをされているからである。
 だからといって軽いわけではなく、深みがあり、特に漢字の語句にはこだわっていると改めて感じた。漢字にこだわるというのは、読めない漢字や普段使わない漢字を使うのではなく、いつも使っている漢字をうまく組み合わせて、その雰囲気をだすあたりはさすがだなと思う。
 そしてここではパソコンで書き写しているから今の漢字になっているが原稿では書くのに大変な旧漢字が使われているところあって、このあたりは、そういう世代の人なんだと思わせる。こんなのは直筆原稿を見ないと分からないことである。それがちょっとした発見でもあった。
 32年ぶりに読み返したことになったが、色あせてはいない。それは開高さんの研ぎ澄まされた感性で書かれた平易な文章だから、32年という年月にも耐えたのかもしれないなと思った。

 開高さんのこの手の大がかり釣り紀行はこの後いくつか続くことになるが、その時は何も知らなかったから、エンターテイメントとして楽しんで読んだ。けれど、後年、開高さんのこうした釣りは、普通の人が入れる場所でも禁漁区にしてあるところを、開高さんだからといって、特別に入っていって釣りをしているのだという裏話を読んだことがある。そうなのかと思った。言われてみればそうだよなと思う。誰も行かない、誰も釣りができないところで釣りをすれば大物は釣れるだろうし、きちんとサポートする人がいればそれなりの釣果があるはずである。普通に釣りを楽しむ人にとって苦々しいものなのかと思い、以来開高さんの釣りに関する文章には冷めてしまっている。
 でも、今回はたとえ現実はそうであっても、文章は楽しめた。もしかしたらこれは写真が少ないからかもしれない。釣りの写真が多くあると、リアルに裏話がよみがえってきてしまう。それよりも生原稿の雰囲気が開高さんの文章、語句を楽しませてくれたのかもしれない。


評価
★★★


書誌
書名:直筆原稿版 オーパ!
著者:開高 健 高橋 昇【写真】
ISBN:9784087814392
出版社:集英社 (2010/04/30 出版)
版型:301p / 19×27cm
販売価:3,150 (税込)

2010年05月03日

閉鎖

 いつまでも更新できない「どんなことがあっても、本が好き」の番外篇を閉鎖します。できなことを無理してやろうとしても、できないものだと改めて知りました。頭の中にはそれなりの企画はあったのですが、如何せん気力がありませんでした。能力的にも無理だと考えましたし、それにどこか自慢話みたいに感じたものですから、やめることにしました。
 ここでいくつかアップした文章や写真はもったいないので、リニューアルして使うつもりでおります。その時は、はは~ん、これを使ったなと思って下さい。さっそく今さっき読み終えた本に使おうかなと考えています。