2010年08月04日

柴田光滋著『編集者の仕事』

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 私が思っていた編集者の仕事とはどんなものだろうと、自分で思い浮かべてみた。それは出版の企画から作家の選定、原稿の依頼、その原稿を本にしていく程度しか思い浮かばない。大方はそれで間違いはないのだろうけど、この本を読むまで編集者は本に、それこそ印刷された文字一文字一文字、余白まで、ここまでこだわるのかと正直びっくりした。

 「たしかに内容は第一です。しかし、だからと言って形はただあればいいというものではないでしょう。読者はともかく、もし書籍の編集が形を軽視するとすれば、それは仕事の半ば放棄しているに等しい。書籍の編集とは、言わば一次元である原稿を獲得し、その内容にふさわしい本という三次元のモノに仕上げて読者に届ける作業だからです。
 タイトルは内容を示せばそれでいいものなのか。書名著者名がわかるだけでジャケットや表紙は要件を満たしているのか。本文の体裁は読めさえすればそれでかまわないものなのか。本文紙は白っぽければ何でも同じものなのか。・・・・」

 と著者は書いている。本の内容に見合う本を本という形まで作り上げるのが編集者の仕事だというのである。もちろん校正には校正する人、印刷は印刷業者、装丁は装丁者と、それぞれ専門の担当者がいるのだろうが、原稿が一冊の本になるまでの過程にいるこれらの人々を仲介し、自分たちが思い描く原稿の内容と出来上がった本が一致しているかどうか。あるいは読者が読みやすい文字サイズか、配列か、とか、紙質や紙の色までこだわるのだと知った。そして予算にあった装丁であるかどうか。だからといって貧相でないかどうか。帯の内容はちゃんと読者の目を捕らえるかどうか。それこそとことん原稿から本になるまで、あらゆるところに目を光らせるのだ。 こうして編集者が一冊の本になるまで、細部にこだわったものは、もう一つの作品にまでなっている。だからいい本は、その存在だけで実在感があるのだと思い至る。
 そう、内容もそうだけれど、一冊の本をものとして見れば、時には芸術作品的な要素させ感じさせる。私はこれまで何度か言ってきたけれど、本は内容だけに限らず、その本を持っているだけで豊かな気持になれる時があるのも、そういう理由からなんだなと思ったのである。
 特に本文が読者に読みやすいかどうかのこだわりは、へぇ~、ここまで考えているのかとさえ驚いた。たとえばこの本は新潮新書だけれど、読者はサラリーマン多い。そしてそのサラリーマンは電車の中で本を読むことが多い。その際一行の文字数を40文字にすると、片手で吊革に掴まっているから、もう一方の手でこの新書の地(下の方)を指で支えて読む事になる。その時40文字だと親指が本文にかかって読みにくい。だから余白のバランスを考えて一文字減らし、39文字にしたという。本当なら一文字でも多く入れ、コストを抑えたいところであろうが、読者の利便性を考えてあえてそうするのである。とにかく読者が本を読んでいて、本文に集中出来る心地よさを提供してくれている。そして多分そのことは読んでる側は意識しない。そのくらい配慮されているのだ。

閑話休題
 
 先日三宅理一さんの『秋葉原は今』を読んだ。この本は内容はかなり面白い。私は興味深く読ませてもらったのだが、いくつか気になる点があった。明らかにワープロの変換ミスによる誤字がいくつか見つかるのである。私の読み方はかなり荒い方なので、普通の人が気がつくであろう誤字などわからない方なのだが、そんな私でもいくつかそうした誤字を見つけた。読んでいて、あれ?何かおかしいなと、そのおかしな点が何なのか、考えてしまう。その分先に進めない。読むリズムが崩れる。そしてやっとそれが変換ミスによる誤字だと気がつくのである。
 また英字のフォントがそれだけ変わっているのである。これは見た目にも違和感を感じ、何でだろうと思っているうちに、やだなとさえ感じた。些細なことかもしれないが、気になり始めると、結構後を引くものだ。こういうことがないように心配りするのが、編集者の仕事の善し悪しになるのだろう。

 印刷で思い出すことがある。
 学生時代アルバイトをしていた頃に、共産党系の業界新聞を印刷しているところへ、ここで活字をひろっている職人さんが注文した本を配達していたことがあった。その職人さんはインクで汚れた制服とやはりインクで汚れた軍手姿だった。私が頼まれていた本を手渡すと、その軍手をを外して、ズボンのポケットにある財布からお金を取り出した。軍手を外しても手は結構インクで黒かった。職人さんはうれしそうにいつも本を受け取るのが印象的だった。インクの匂いが漂い、薄暗い感じのところだったという記憶があるが、机には組まれた活字の版でいっぱいであった。
 今の会社で本屋をやっていた頃、大手町で小さな本屋にいたことがある。店では文房具、印鑑、印刷も扱っていた。印刷はただの窓口で、名刺や挨拶状、年賀はがきなど印刷の注文があると、その原稿を持って、神田村にあった小さな印刷屋さんに持って行く。
 その印刷屋さんは細長い間口に一台の輪転機を置いてある程度の印刷屋さんである。しかし壁全体が活字の棚であった。ここから活字をひろって、版を作っていたのである。いわゆる活版印刷であった。私は出来上がりを待っている間に、何度もその金属活字の精巧さをながめたものであった。この組み合わせで、名刺になり、はがきになるのである。その過程を見てきたものだから、こうした手間のかかる印刷には、どこか暖かみを感じてしまう。何と言っても一文字一文字の金属活字がいい。
 かなり古い本などのページを指でなぞってみると、文字が僅かに、多分インクの分浮き上がっているのを感じることができるものがある。あれなど間違いなく印刷されたものなんだなと思える。

 さて、この本を読んでいてへぇ~、そうなんだと思ったことを書く。

 スピンという紐のしおりである。これを付けないと一冊当たり定価十円は低く抑えられるという。

 本のサイズの話では、単行本で多いのがB6判と四六判。しかしその見分けがしにくい。B6判は128×182ミリ、四六判は127×188ミリとされている。ただ四六判は出版社によって微妙にサイズが異なるらしい。何故四六判と呼ぶかというと、江戸時代の代表的なサイズ美濃判を八倍にしたものを「大八ツ判」と呼び、これを32面取り、つまり32頁分取ると、四寸二分×六寸二分の紙がとれたとろから四六判と呼ばれたそうだ。明治以降イギリスの判型に近いこともあり、出版物にはよく使われてきた。今でも単行本の代表的なサイズである。
 紙のサイズはA判とB判があるが、A判はもともとドイツの規格でA全(A1)に始まり、その半分がA2、そのまた半分がA3となり、それが我々がよく使うA4となり、更にその半分のA5が処方せんサイズである。
 一方B判は江戸時代の美濃紙に由来する日本独自のもので、B全(B1)に始まり、B4,B5となっていく。面白いのはA全が841×1189ミリm、すなわちほぼ1㎡であるのに対して、B全は1030×1456ミリでほぼ1.5㎡、つまりA全の1.5倍になる。縦と横の比率が1対ルート2(1.414)になり、半分に切っていてもその比率は変わらない。

 書籍の本文紙は大雑把に言えば白であるが、実際は真っ白くない。ほぼ真っ白な紙と言えば、コピー用紙が身近であるが、光の反射が強いので、長時間読んだり書いたりするのには向いていない。原稿用紙にイエロー系が多いのも何より目が疲れないからである。

 以前に最近函入りの本が少なくなったと書いたが、それには理由があるという。一つは定価を抑えるためであり、もう一つは長期保存の必要のない本には無用だからという。定価を抑えるという理由はわかるが、長期保存の必要ない本には無用だからというのは、どういうことなんだろう。今流通している本のほとんどが函入りじゃないところを見ると、それらの本は長期保存の必要ない本ばかりということなのか。あるいは本は今や長期保存するものじゃないということなのだろうか。

 日本の近代出版史から見れば、昭和という時代は文学全集の時代とすら言える。その果たした歴史的役割は、1.出版社、印刷所や製本所、取次や書店を含む出版界全体の経済的基盤を作ったこと。2.印刷や製本といった技術面が一新され、紙の大量調達や本の大量輸送が可能になったこと。3.出版と新聞広告との間に密接な関係が生まれたこと。4.文学の大衆化が始まったこと。があげられ、全国の家庭に小説が広く普及するのはここからである。
 全集を企画し発売するにあたり、「巻立て」に苦労するという。「巻立て」とは全集の時代区分、全何巻とし、そこにどの作家や作品を割り振るか、基礎設計をいう。これは言わば人事と同じで、波風が立ちやすい。一巻に複数の作家を収める場合、「あの作家とは一緒になりたくない」と言われたり、文壇の人間関係にも慎重に配慮しなければならないという。
 また配本順(発売順)も難しい。配本順は売れそうな順、要するに人気の順番で決まる。どんな全集でも部数は次第に落ちてくるので、当然ながら印税に関わって来るので、作家にとって早い配本の方が望ましい。実際したたかな老作家は収録を認めるに当たり、配本は十番以内にしろと条件を出したという。いるんだね、こういうの・・・。
 そうそう、昔小学館から出した「昭和文学全集」に村上春樹さんのが収録されなかったので、業界では話題になった。今から思えばあれはやはり片手落ちだったと思う。これだけでもこの全集の価値は落ちてしまいそうだ。よく古本屋さんの均一本コーナーにこの全集の端本を見かけるが、それもそんことが関係しているんだろうか?
 いずれにせよ、たかが一冊の本でも、そこには様々な配慮がなされていることを知っただけでも、この本を読んだ価値があったし、そこには普段意識ないことが多くあるんだな、と言うことを知った。一冊の本を手にするとき、今までと違う目で本を見るようになる。まずは読む前にしみじみ本の状態を眺めてしまう気がする。

評価
★★★


書誌
書名:編集者の仕事―本の魂は細部に宿る
著者:柴田 光滋
ISBN:9784106103711
出版社:新潮社 (2010/06/20 出版)新潮新書
版型:206p / 18cm
販売価:735円(税込)

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