2010年11月29日
酒井順子著『金閣寺の燃やし方』
三島由紀夫の『金閣寺』を読んでいて、不可解な部分が私にはあった。それは主人公の溝口が生きるために金閣寺を焼いたとされていることである。あれほど死に対して陶酔的な美を感じていただろう三島が、この作品に関しては、主人公に“生きる”ことを選択させ、そのための手段として金閣寺に火をつけさせるのが、不思議であったのだ。普通なら溝口は金閣寺が火に包まれる中で、死んでいってもおかしくなかったのではないか。少なくとも事実として林養賢は金閣に火をつけた後、服毒自殺を図ろうとして失敗しているのである。
自衛隊の駐屯地で檄を飛ばし、割腹自殺をやってのける三島である。なら溝口は死んでいいはずである。そう感じたのである。その答えがこの著者によって明かされている。そのことは後で書く。
この本は、書名はかなり過激なものだが、内容は金閣寺放火事件という事実を三島由紀夫と水上勉がどう小説として書いたか、それを比較しているものである。三島と水上が同じ事件をどのように小説としたか、その違いを問うことで、三島と水上の取り組み方の違いを明らかにしていておもしろい。
実際には三島の『金閣寺』は純粋な小説としてとらえることが出来るが、水上の『金閣炎上』は小説のスタイルをとってはいるが、どちらかと言えばノンフィクションに近い。著者も「全く違う個性を持つ二人が、なみなみならぬ思いで金閣寺放火事件に注目したのは、一体何故なのか。金閣寺を通して二人の作家を見る私の試みは、ここから始まりました」と書いている。
では二人の作家が金閣寺放火事件をテーマにした小説を書くに当たり、そのスタンスの違いは何なのか、それを書いてみたい。まず最初に三島由紀夫の『金閣寺』が発表され、それを読んで水上勉がちょっと違うんじゃないのと感じ、『五番町夕霧楼』、『金閣炎上』を書いたという経緯をしっかり把握しておかなければならない。つまり先に三島の作品が先にあり、その上で水上の作品があるということが重要なのだ。その上で著者は次のように書く。
水上勉は、三島の「金閣寺」を読んでいたことでしょう。「金閣寺」が出版された時、水上勉は三十七歳。四十歳が見えてきたものの、社会の中枢にいるわけでもなく、未来の希望があるわけでもない。水上はその状態で「金閣寺」を読んだのでした。私生活も仕事もうまくいかない水上が、お坊ちゃま育ちのエリートで、文壇の寵児でもある年下の三島由紀夫が書いた「金閣寺」を読んだ時、一体どう思ったのか。
結果的に言うならば、水上の「五番町夕霧楼」と「金閣炎上」は、三島の「金閣寺」に対するアンサー、ということになるのだ思います。金閣寺が燃えた時水上が感じた、「林養賢は自分だ」という感覚と、三島「金閣寺」において描かれた小僧の像は、全く違うものだった。その落差があまりに大きいものであったからこそ、水上は金閣寺にまつわる二つに作品を書いたのではないでしょうか。
これは読み比べてみると明らかにわかることなのだが、三島の『金閣寺』は主人公が金閣を燃やすその動機が美への嫉妬につきる。両者を比較するため、まず三島由紀夫のスタンスを著者の考えから見てみよう。
三島由紀夫は、林養賢の生い立ちや性質に対する共感は抱かなくても、「美への嫉妬」ただその一点において、養賢という人物の中に入っていくことができると思ったのです。
三島は、自ら思想地図を説くのに最も適当な狂言回しとして、林養賢をピックアップしました。三島は、金閣寺放火事件という出来事のガワを借りて、底に自らの思想を充填したのであり、だからこそ「金閣寺」は、小説なのです。
燃える前の金閣寺を特に美しいと思っていたわけではなく、上空から見たような観念上の美の物語として「金閣寺」を書いた。
だから実際の犯人である林養賢などどうでもいい。林の行動や供述で小説として使えそうな部分だけを拝借して、『金閣寺』を書いたといっていい。三島は他のところで、「あれはね、現実には詰ンない動機らしいんですよ。見物人が来る、若いやつがきれいな恰好してね、アベックで見物に来たりする、それがシャクにさわる、自分は冷飯食わされてて、みじめな恰好しているしね、自分の青春は台なしになってしまう」と語り、その後も養賢のことを、「ああいうやつ」とか「キチガイ」といった呼び方しているのである。
一方水上勉は林養賢の生い立ちから、その境遇、家族関係、金閣寺での徒弟生活などを克明に追うことに重点を置き、彼の人生の不遇さをその動機と見ている。いわば林養賢に寄り添ってその物語を書いている。それは林養賢が水上と似たような境遇であったことに由来する。
彼が養賢と同じ若狭の貧しい家に生まれ、小さい頃から口べらしのために京都の寺に修行に出され、臨済宗相国寺派の寺において小僧としての生活を送っていた。寺の徒弟として生活することが、いかにつらく厳しいことかを、身体を知っている。還俗後も仕事を転々とし、四十歳過ぎてからやっと作家として一本立ちしたのが水上勉であった。作家として一本立ちした後も、生まれた土地と深いつながりを、人間としての存在証明としていた。
一方養賢はそのつながりを断たれていた。水上は同郷であるし、若い頃養賢とも出遭っているということも伴って、養賢に、深く同情した。だから水上は「情」をもって裏から養賢へと歩みよっていったというのである。
水上は、実在の人物である林養賢の隣に、自分が降りていきました。林養賢が立っていたのは、日本の、仏教界の「下」であり「底」であり「裏」。そんなじめじめした地帯にこよなく親しみを抱く水上は、養賢の脇に立って事件を追体験したのであり、だからこそ「金閣炎上」はノンフィクション(であると私は認識しております)なのです。
と著者は言うのである。
だから、水上は「三島の華麗なテクニックによって、林養賢という放火犯が、美に復讐する抽象的な犯罪者・溝口という存在に変わったのを見たことが、水上にとって執筆の一つのきっかけになったことは、間違いない」と著者が言うのはよくわかる。水上は三島「金閣寺」に対する違和感を強く覚えたのである。著者は次のように言う。
水上勉が三島「金閣寺」に不足していると思ったものは、そして自分でなければ書くことはできないと思ったものは、京都の寺の生活の底に澱んだ、暗い部分であると同時に、そんな「どろどろしたもの」に幼い頃から心身を浸さざる得ない、貧しい少年達の気持ちでした。
そして金閣寺を見ても、「どんな人がどんな苦労をしてこれを作ったのか」と思い、下から金閣を支えていた庶民の労苦に美を見る、水上。
水上がエッセイで「ここで三島由紀夫さんの名作を持ち出すのもどうかと思うが、『金閣の美への反感』といったものは確かに林君にもあろう。そのことについては林君は似たようなことをいっている。然し、それらのことは、すべてことばにすぎない。美しいものを焼いても死ななくてもよい場合もある。むしろ、ここは死にたい気持ちが先にあって、金閣がいわばまきぞえだったのではないかという気がするのである」と言っているのをあげている。
さらに著者は養賢と似た境遇の水上と三島の境遇をさらに比較する。三島を「作家という職業ににたどりつくまで、日の当たる表の道を歩いてきた」あるいは、「学習院から東大、そして大蔵省へ。三島が歩んだのは、まさに陽のあたる道。それは、東京という“表日本”の中でも、最も燦々と光が降り注ぐ道」を歩いてきたと言い、「三島は常に中央の人」であったという。
一方水上を「裏街道をはいつくばるように進んできた」人生と言い、「裏日本の作家」と言い、水上を「端っこの人であった」と言うのである。要するに三島と水上をいちいち正反対だった言うのである。養賢を表から近付いたのが三島であり、情をもって、裏から養賢を理解しようとしたのが水上であったのだ。その正反対のスタンスの作家がすれ違ったのが金閣寺であった。同じ事件をテーマにしても、扱う作家がその境遇や考方の違いでこうも違った小説になるのはおもしろい。
さて最後に三島の『金閣寺』で溝口を殺さなかった理由を著者は、実録にとらわれた」からだけではなく、この頃三島は人生の転換期いたからだという。すなわちお坊ちゃま育ちのエリートでうらなり時代から、心身のバランスが最も高いレベルで調和して、今までの分を取り返すが如く肉体改造をする意欲に満ちた三島は「生きる」気持ちに方向が向いていたことによるのではないか、と考察している。当時の三島はそうだったんだと知った次第。しかし著者も言っているが、その三島の肉体改造の行くつく先が「死」であったことは、結果として物語の中では死を望まなくても、自らの人生で死を望む羽目になるには、皮肉と言えば皮肉と言えまいか、そんなことを思った。
評価
★★★★
書誌
書名:金閣寺の燃やし方
著者:酒井 順子
ISBN:9784062166195
出版社:講談社 (2010/10/28 出版)
版型:257p / 19cm / B6判
販売価:1,680円(税込)
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- by kmoto
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