2010年12月30日

東野圭吾著『どちらかが彼女を殺した』

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 まず事件のあらましを書いてみる。東京でOL生活をする和泉園子から愛知県に住む兄康正に電話がある。康正は園子の様子が変なので詳しく聞いてみると、園子は信じていた相手に裏切られた。信じられるのは結局兄だけだという。傷心した園子は実家に帰ると言った。康正は園子の帰りを待っていたが、帰って来ない。電話を入れてみても電話に出ない。不安を感じた康正は園子の部屋まで慌てて行くが、そこには感電自殺をしたと思われる園子の死体があった。
 康正は愛知県の交通課の警官で、自らの仕事が自己の痕跡や状況から事故を推理する人間であったため、園子の部屋を見回して、園子は自殺ではなく、殺されたのだと確信する。ただ康正はそのまま警察に園子が死んでいること連絡しない。園子を殺した犯人を自ら捜し出し復讐しようとする。そのため地元の警察に連絡する前に、園子の部屋にあった証拠を隠してしまう。一通り証拠を確保した上で加賀恭一郎のいる警察に連絡する。
 ここから康正と加賀の犯人捜しが始まる。ただ加賀は康正が隠し持っている証拠となるものが何であるのか、事件の謎と一緒に解かなければならないハンデがあった。
 今までこのシリーズを読んできて、加賀恭一郎はいつも脇に置かれた感じで描かれる。むしろ犯人や事件関係者のその後の行動を描くことで、逆にしっぽをつかむ設定が多い。今回も康正の行動を監視しながら、自らが残ったものから事件の真相に迫っていく。

 園子が自らの身体に貼り付けた、電源コードはキッチンで包丁を使って皮膜を削っていた。その際にその皮膜は、包丁に右側についていたことを確認し犯人は右利きであることを知る。また飲んだ睡眠薬袋の破り方が右利きの人間が破るやり方であった。園子は左利きである。加賀はこの時点で園子は自殺でないことを確信する。
 では犯人は誰か。容疑者は二人あがってくる。一人は園子の親友であった弓場佳世子で、もう一人は佃潤一であった。園子は潤一を自らの恋人として親友の佳世子に紹介したが、潤一は園子から佳世子に鞍替えしてしまう。園子が信じていた相手に裏切られた、というのはこのことであった。
 康正はいろいろ調べているうちにこの二人のいずれかが犯人であることを確信するが、特定はできない。加賀も同様であった。事件は最初潤一が園子に睡眠薬を飲ませ、自殺に見せかけて殺そうとしたが、そこに昔アダルトビデオに出演していたことを知った園子に脅された(裏切られたことの腹いせに)佳世子が来て鉢合わせになる。二人は一端園子を殺さず部屋をである。そのあと二人のうち一人がまた園子の部屋に入り、自殺を装って殺すのである。
 この本は最後まで犯人を特定していないで終わっている。要するに読んでいる人間が考えろ、ということらしい。証拠となる物件、状況はとことん明らかにしているから、後は読者が考えればいいということになっている。なかなか面白い。得意のネットで調べてみると、犯人は佳世子だ、いや潤一だと意見が分かれているが、私は潤一だと思う。
 問題は佳世子の利き手が右か左かである。この文庫には袋とじがあって、犯人捜しの手がかりを教えてくれるが、そこでも、また本文でも佳世子の利き手が曖昧だ。佳世子が右利きだと犯人の可能性があるが、それはわからない。ちなみに佳世子が園子の葬儀の時署名した時は右手で書いていたと書かれてはいる。ただこの場合園子と同じように普段の生活では矯正された右利きであったが、ふとしたことから本来の左利きに戻ることもあり得る。
 この小説は最初ノベルズ版で発表されたもので、そこには佳世子が左手で睡眠薬の袋を破った書いてあるそうだ。しかし文庫版ではその一文は削除されていて、佳世子の利き手がわかりにくくしているので、余計に犯人の特定が難しくなっているという。確かにそうだ。もしこの文章が残されていたら、簡単に犯人が潤一だと特定できてしまう。
 でも佳世子の利き手がわからなくても、園子の身体に貼り付けた電源コードを固定した絆創膏が、佳世子の身長では届かないところに置いてあった救急箱にあったこと。
 さらに康正が園子の復讐のために佳世子と潤一を呼び、動けないようにしてから、園子と同じように電源コードを身体に貼り付けるた。最後になって加賀に説得された康正はヤケになってスイッチに指をかけた。そのとき「犯人は絶叫し、犯人でないほうも悲鳴をあげた」と書いてある。これを読んだとき私は絶叫するのは男の方で、悲鳴は普通女が上げるものだと思ったので、この時点で犯人は潤一だろうと思ったのである。

 犯人を明らかにせず読む側に考えさせるものは、さっきも言ったように面白い。それこそ本当に犯人捜しをするかのように、読み終えても、もう一度必要な箇所を読み直し、あれこれ考えさせてくれる。こういう解答なきミステリーも“楽しみ”としていい。


評価
★★★


書誌
書名:どちらかが彼女を殺した
著者:東野 圭吾
ISBN:9784062645751
出版社:講談社 (1999/05/15 出版)講談社文庫
版型:355p / 15cm / A6判
販売価:619円(税込)

2010年12月29日

万引きに関する私なりの意見書

 書店組合から“「古物営業法施行規則」の改正案に対する意見(パブリックコメント)提出のお願い”とうFAXが入った。これは何かというと、書店で万引きされた本が新古書店に売られ、換金される傾向が強く、そのため書店における万引きを放置できない状況にあるから、新古書店で本を買い取るときに、今まで以上に規制を求めるものだ。今回の改正案は、(たぶん買い取り金額のことだろうが)一万円未満の場合、本人確認を免除されているのを取引金額の多寡にかかわらず、強制的に本人確認を義務づけるものである。 まあとにかくどんな業種であろうと万引きは看過できるもんじゃないので、それを抑制するのなら、この改正案に反対する理由はない。
 でこのFAXは意見書を求めているのだけれど、それを考えるのも大変だろうから、文章を用意しましたから、それに賛同できるなら住所と氏名を記入してFAXで送り返して下さい、という親切なものであった。もちろんこれに関しても基本的に文句を言う理由もない。どのように書かれているかというと次のようにある。

 万引き(窃盗罪)は青少年とってより悪質な犯罪への「ゲイトウェイ犯罪」といえるもので、これを撲滅することは社会にとって大きな課題です。
 日本出版インフラセンター(JPO)が調査を行い、2008年3月に「書店万引き調査報告書」として公表しておりますが、このJPO報告書によれば、全国書店の万引き被害の総額は約193億円、書店売上の1.41%と推定され、書店における売上高対経常利益率の平均は、日販が0.49%、トーハンが0.24%であることから、その3倍~6倍が万引きにあっているという計算になります。
 また、万引きの目的が最終的に新古書店での換金というのが7割を越しています。被害にあった書籍をジャンル別に分類すると、金額及びコミック、写真集・高額本で「換金目的」を裏付ける数字となっており、書店の被害は甚大です。
 警視庁が、平成21年11月1日から万引き被害の全件届出の徹底と被害届や捜査書類の簡素化を図ったことと併せて、中古図書の買取り段階で、本人確認の徹底を図るという今回の改正案は、盗品の流入を抑制する効果ができるので賛成です。

 確かに最近書店に行くと、「万引きは犯罪です!」と大きく書いてあるポスターをよく目にする。そしてここにも記されているように、書店での万引き被害は甚大であることはよく耳にする。だから今回の改正案は、万引きして換金しようとしても、足がついちゃうよ、だから万引きはやめようね、というものである。何にしてもそれが抑制されるなら反対する理由はないのだが、どうもこの意見書は数字ばかり並べて、被害の甚大さを訴えているが、今ひとつインパクトがない。私ならどう書けるだろうか?
 ちなみにこの「書店万引き調査報告書」というのをネット調べてみた。なんとこの報告書は131ページもあるので、この暮れの忙しい時に読んでいられないので、ここにある文章の数字をそのまま信用することにする。

 万引きによる被害額が約193億円というのはあまりにも大きな金額なので、あまりピンと来ない。それが書店の売上の1.41%を占めるといわれちゃうと、それが多いのかどうか余計にわからなくなる。問題は書店の売上高対経常利益率である。ここからものを言った方がわかりやすいのではないか、と思うのだ。
 ここに記されている売上高対経常利益率がこんなに低いものと思われるかもしれないが、ホンと書店にはそんだけしか利益が出ないのだ。しかしこうしてパーセンテージに表されちゃうと、やっぱり愕然とする。ただ一つ素朴な疑問のなのだけれど、日販の報告だと0.49%あるけれど、トーハンとなるとさらにひどくて0.24%になるのは何故なんだろう?日販と取引している書店より、トーハンと取引している書店の方が儲からないということなのだうか?そもそも本の粗利は日販であろうとトーハンであろうと変わらないはずなので、トーハンと取引している書店の方が経営状態が悪いお店が多いということなのだろうか?
 まあいい。経営状態を問題にしているんじゃない。売上高対経常利益率である。ネットで調べていたらこの意見書を裏付ける面白いグラフが見つかったのでちょっと拝借する。


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 ここでデータを出している書店はちょっと異質といえば言える。たとえばヴィレッジヴァンガードは本屋というより雑貨の売り上げが大きいだろうから、このような高経常利益率が出ていると思われるし、ブックオフはものすごく安く買い叩いて、新刊に近いものを定価の半額で売るから、やっぱりこのぐらいの数字が出るのだろう。本当はもう少しあるんじゃないのと疑ってはいるが・・・。
 未来堂書店はイオングループの中核企業だ。あおい書店はシャノワールやカフェ・ベローチェなど経営している会社がやっている。だから数字管理は厳しそうだし、スーパーが客を寄せてくれるだろうし、コーヒーのついでに本をといった感じで、それなりの数字を出しているんじゃないだろうか?ということは一般の本屋さんの数字はやっぱりこの意見書の通りなんだろう。
 そして万引き被害の実情をもっとリアルに知るためには、日販の出した売上高対経常利益率から算出する。たとえば1,000円の本が売れたとすると経常利益は約5円である。5円ですよ。そしてこの1,000円の本がかっぱられたとすると、1,000円の売上を回収するためには同じ1,000円の本を200冊売らないとならない。すごいでしょ!このぐらい書いた方がいい。こう書けば書店での万引きは絶対に許せん、ということになるのではないか。
 
 万引きは若い奴がするものと思われるだろうが、確かに万引きははしかみたいなところもなきにしもあらずだ。だからといって許せるものじゃないのだが・・・。しかし最近は万引き犯は高齢化しているという。そうの背景には不況の波が上げられるのだろう。しかし一方で盗んだ本を簡単に換金できるところがあるということが大きいのではないか。昔はブックオフに代表される新古書店などないから、本を売るなら昔からある古本屋さんしかない。古本屋というのはどこか近寄りがたいところがあるが、新古書店はそうした入りづらいところがない。むしろあっけらかんとしていて、大きく窓口を開けて、本を買い取りますよ、といわれれば行きやすい。先に読んだ池谷伊佐夫さんが書いていたけれど、「気軽さが」そこにはある。それがチェーン店化して全国どこでもあるのだから、盗んだ本を持って行き換金すればよい。そうした気軽な換金システムがあるなら、盗んだ本を簡単に換金させないようにするのも一つの手であることは間違いない。
 そういえば、写真集もよく盗まれるらしいが、先日秋葉原のブックオフで川島なお美の写真集がワゴンにたくさんあり、105円でたたき売られていたのを思い出しちゃった。これを見たとたん笑っちゃったね。天下の川島なお美も鮮度が落ちればこんなもんだ。ブックオフもこういう本を抱えることも多いだろうから、ある意味同情もするけどね。でも、万引きの抑止力になる本人確認はきちんとやって欲しいし、実際先日私のつまらない本を売るときも身分証明書を求められた。これでいいと思う。

横田順弥著『古書狩り』

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 著者はSF作家でもあり、小説を書くかたわら、資料集めなどで古書も詳しい。だから古書に関する本も何冊か出されているはずだ。そのためこの本もかなり期待して読んだのだけれど、はっきり言って肩すかしを食らった感じであった。
 古本を集めるマニアックな人たちの姿を描くのはいいのだけれど、そこにSF的要素を加えちゃうと、おいおいそこまでいっちゃ話がおかしくならないか、と思ってしまった。たとえば紙魚という紙を食べる小さな虫が古本にいることがある。「本の虫」という短編では、和本についた紙魚を大切な本をダメにしてしまうと、それを見かけると憎みようにつぶす人物が、ついに自分も巨大な紙魚になってしまうという話。カフカの『変身』グレゴリー・ザムザ風の話だ。あるいはパラレルワールドから来た人物があちらの世界で買った古本がこちらの世界では稀覯本となっていたので、それを売って生活の糧にする話もある。さらに宇宙船が故障して、また旅立つためのエネルギーを人間の精神エネルギーを求める美人の姿をした女宇宙人が、偶然稀覯本を安く買い求めて興奮して、精神エネルギーをバンバン発していた男に近づく話などである。
 確かに古本を求める人々は通常の人から見れば異常なところがあるから、それを発展させれば、こういうのも有りかな、とは思うが、でもやっぱりそれは、私の求めている世界ではない。
 古本の世界のマニアックで病的な姿を描くことは、もうそれだけで別世界の話になっている訳だから、それを現実にこういう人たちがいるんですよ、と知らしめして、はじめて関心が引けるんじゃないかと思うのだ。それをSF的要素でまとめてしまうと、もうそれだけでますます非現実的になってしまう気がする。もともと著者はSF作家だから仕方がないのだろうけど、せっかく古本の世界が持ち得る異常さ描くなら、それは排除すべきじゃないかと思う。もしこの発想を使えば稀覯本の存在すべてをそこから簡単に求められてしまう。
 古本を強く求める人たちは、その本の貴重さからそれを求めるわけで、そのため様々なドラマを生む。時には考えられない奇行をする。その世界が異常であるから話は面白いし、呆れるのである。本当にこいつら馬鹿じゃないかと思わせるから、私は好きなのである。そして現実的には古本を巡って殺人事件など起こったとは思えないけれど、でもそれが高じれば殺人事件になってもおかしくないと思わせるからこういう話は読めるのである。私が紀田順一郎さん古書を巡る推理小説を読むのも、ジョン・ダニングの推理小説を読むのが好きなのもこういう理由による。決して古本のSF的世界を求めた訳じゃないのだ。そういう意味で、この本は期待はずれであった。
 それは私がSFを好まない所に起因するから、このように批判してしまうのかもしれないが、もしかしたらこういうジャンルの好きな人にとっては、変わっていて面白いのかな、とは思うが、やっぱり私には受け入れられない。残念であった。

 この本は散歩の途中でブックオフで求めた。出版社はあの一太郎のジャストシステムだろう。最初は、へぇ~、ジャストシステムでもこうした文芸書を出しているんだと思った。もっとジャストシステムは自社のソフトのマニュアルを自ら出版しているから、別にこの手の本を出版することは簡単であろう。
 とにかく期待はずれだったので、またブックオフに戻そうかと思っている。


評価
★★

書誌
書名:古書狩り
著者:横田 順弥
ISBN:9784883094363
出版社:(徳島)ジャストシステム (1997/03/31 出版)
版型:285p / 19cm / B6判
販売価:1,680円(税込)

2010年12月28日

本多孝好著『at Home』

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 この本は、「at Home」、「日曜日のヤドカリ」、「リバイバル」、「共犯者」の4編を集めた短編集である。しかしそれぞれには共通していることがある。それは壊れた家族がそれぞれ再生を目指すことである。時にはまったく別々の家族の一人が集まり、新たな家族を作る。あるいは主人公が離婚し、新しい妻を求め、家族再構築する。そこで妻の前の夫と問題が起こったり、または別れた夫婦が、あることがきっかけに再生を予感させるものもある。あるいは父親が急に失踪したが、その父親と息子が会って、妹の家庭で起こる幼児虐待から甥っ子を救うことなど、ちょっと変わった家族愛を描いている。

 実は最初の「at Home」のシチュエーションに戸惑ってしまった。最初に息子の僕と母親の会話がものすごく不自然であったのだ。だから“なんだ、この話は?”と違和感を感じながら読み続けると、家族がそれぞれまったくの他人であり、父親役が出来る男が父親をやり、母親の年齢の女が母親をやる。そして息子である僕と、妹と弟がそれぞれ集まって、疑似家族を作っていたのだ。
 僕の本当の両親は自分たちの仕事のことで頭がいっぱいで、仕事に没頭し、息子のことに一切関心を持たなかった。僕の話を聞いてくれと言った時、その時時間がないからと後にしてくれと言う。その約束の時間にも両親は帰ってこなかった。そんな両親を僕は殺そうと思い、包丁を振り上げる。殺すつもりでいたが、「殺さないでくれ」という悲鳴が行為を止めた。彼らは「殺さないでくれ」と悲鳴を上げる。それはお前は親である私を殺すなというのでもないし、まして息子が殺人者になることを止めている訳でもなかった。それは「小さな頃から必死に努力し、苦労してここまで実現してきた俺という自己を抹殺するな。お前にそんな権利はないだろう?」とそう言っていた。それが僕にはわかり、醒めた。僕は包丁を置き、家を出た。そのとき偶然泥棒に入った父さんと出会い、一緒に逃げた。
 妹の明日香は実の母親がずっと前に家を出て行ってしまい、父親も不在がちであった。妹がいたため明日香はその妹の親の役を務めたが、もともと心臓に疾患があったため、ある朝目が覚めると妹は死んでいた。
 母さんと出会ったのは、早朝のホームで、自らも夫の暴力に疲れ果て家を出ていたときであった。そのとき母さんは自分と同じ目でホームから線路を見ている少女に気がついた。少女は自分以上に疲れ果てているように見え、母さんは死んでる場合じゃないと思う。同じ死ぬならせめてこの少女を生かしてから死んでやろうと思う。
 弟の隆史は空き巣に入った父さんがその家の柱に縛り付けられていた一人の小学生を連れてきたのであった。
 こうして4人が疑似家族新しく作り始めた。本当の血のつながった家族ではないから、変な会話が出来る。母さんは男をだまし、金を巻き上げるのが仕事であったが、その付きっていた男と金を巻き上げて別れる時期を模索していたとき、

 「ま、いいの。二週間でけりつけるから」

 「できるの?」と明日香が聞いた。

 「どうせ、そろそろ一発やらせてあげなきゃってとこだったし、まあ、いいタイミングだわ」

 「そういうこと、中学生の娘の前で言う?」と明日香が声を上げ、「あら、中学三年なら、色々とご存じでしょうに」と母さんは笑った。

 そう言った母さんの「テク」はすごいのだろう。少なくと今日まで同じ手でやってこられたことを思えば・・。しかしあんまり想像したくないが、と僕は思うのであった。
 その母さんが男に逆にゆすられた。監禁され、身代金一千万を要求される。母さんは明日香を身元のばれない私立の高校にやるためのお金を稼いでいたのであった。
 僕は印刷屋で偽造パスポートを作る仕事をしていたが、そこに一緒に働いていたゲンジさんがいつか精巧な偽札を作りたいと思っていたことを思い出し、身代金を偽造してもらい、父さんと一緒に男に会う。そこに隆史が母さんが殴られて監禁されていることを知り、以前父さんが盗み出したピストルで男の足を撃ってしまう。母さんを殴ったことに対して怒ったためであった。このままだとこの偽装家族は崩壊してしまう。父さんは一人で罪をかぶるため、男を殺し、刑務所に入る。
 出所後、僕は父さんを迎えに行き、新しい家族を紹介する。僕は奥さんを迎えていた。明日香であった。そして母さんは明日香の母さんとなり、隆史は明日香の弟で、父さんは今度僕の父さんとなって、ゼロから始めるのであった。

 それぞれがそれぞれの家族で問題を抱え込み、逃げ出して、まったく別の家族を作った。そしてその疑似家族に本当の家族以上につながりが出来たとき、みんなで家族を守ろうとする。もしかしたら血のつながりがない分、あるいは本当の家族に裏切られた彼らだからこそ、より強い精神的つながり出来たのではないか、と思ってしまう。嘘でも古傷から身を寄せ合い、したたかに家族と共に生きているのだけれど、あっけらかんとしている分、むしろさわやかであった。

 「at Home」のことを詳しく書いたのは、この4編短編の中で一番気に入ったからだ。その次に良かったのは「リバイバル」であった。
 男は息子の翔太の塾代などの工面のため、サラ金で百五十万を超える金を借りた。しかし翔太は大学受験に失敗し、自殺してしまった。そして妻の昭子と別れた。
 残ったのは借金だけで、男は居酒屋で働き毎月五万八千円の返済を続けてきた。男はもう五十三であった。文句も泣き言も言わず、体がきつくても毎月期限に返し続けてきた。男は「返すために働く。働いて返す。それがくり返される日常。私はその日常に慣れていた。借金というくびきが私を働かせていた。私を生かしていた。その生活が地獄というなら、私の体は地獄に適応していた」と思うのであった。むしろその地獄を追い出されると生きていけるかとさえ思うのであった。
 そんな返済日にサラ金の矢島が来て、私をよくやっていると言い、優良顧客だとも言う。が、ここいらで手じまいにしようと提案する。条件は妊娠したブラジルの女と結婚し、子供を籍に入れる。ただし一年一緒に暮らして、その後別れていい。その際の条件は一切ない。そして残っている借金を棒引きにするという話であった。
 借金がなくなるということは男にとって生きいるためとはいえ、地獄からの解放であった。そして男は矢島の提案を受け入れ女と結婚する。
 一方男が働いている居酒屋に昭子が客として来るようになった。

 今日も昭子は、ビールを飲み、軽い食事をして、小一時間ほどで席を立った。レジに立ち、私は財布を持つ昭子の細い指を見るともなしに見ていた。かつてあった指輪を探したわけではない。私はいつも無意識に、自分の知らない指輪をそこに探してしまう。それがないことにホッとする自分がいて、それがないことに落胆する自分もいた。幸せになって欲しいと思う。そこには嘘はない。けれど、幸せになった昭子を素直に祝福することはないだろう。それもわかっていた。

 これを読むと、女の指はいろいろ語るんだな、と思う。

 半ば偽装結婚した男はだんだん女に情が移っていく。生まれてくる子供を翔太の時と重ね合わすようになる。それは男がかつてした家族の生活を思い出せるが、矢島は女を強引に連れ出してしまう。そのとき争いになり、男は鼻の骨が折れるほど殴られる。女がいなくなり、昭子がまた店に来ているのを知ったとき、男は昭子に翔太の写真が欲しいと頼む。昭子は翔太の写真もって男のアパートを訪ねる。「翔太の写真が飾られた部屋。そこに私と昭子がいる。静かに流れる時間の中で、幸せでないことだけをわけ合っているわけでない私たちがいる」ことを実感出来るようになる。息子はいないが男に再出発を予感させる話であった。


評価
★★★


書誌
書名:at Home
著者:本多 孝好
ISBN:9784048741361
出版社:角川書店 角川グループパブリッシング〔発売〕 (2010/10/31 出版)
版型:276p / 19cm / B6判
販売価:1,575円(税込)

2010年12月26日

東野圭吾著『眠りの森』

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 続けて加賀恭一郎のシリーズを読みたくなったので、手にする。
 今回は高柳バレエ団の事務所に強盗が入り、それに出くわした斎藤波瑠子がもみ合い、近くにあった花瓶で強盗を殴りつけた。そしておきまりの打つどころが悪くて殺してしまった。いわゆる正当防衛である。警察は波瑠子の正当防衛に疑いの余地がないのか?警察はしばらくの間波瑠子を拘留して調べる。
 波瑠子の幼なじみで同じバレエ団に所属する浅岡未緒は波瑠子のことを心配続ける。そんな心配な未緒に加賀は惹かれ始める。捜査に関わる以上に未緒に関わっていく。
 そもそもなぜバレエ団の事務所に強盗が入るのか?そしてそれは本当に強盗なのか?強盗の身元が不明だあったが、失踪届を出した恋人から身元が明らかになる。風間利之という人物であった。風間は二年ほど前からニューヨークに絵の勉強のため渡り、一年ほどそこに滞在し、そこが気に入ったためか、帰国後またニューヨークに渡るつもりであった。強盗に入り殺されたのは渡航二日前だった。
 加賀達は、そんな風間が強盗に入るのか。また聞き込みでも風間が強盗に入る人間ではないし、金にも困った様子がない。段々波瑠子の正当防衛に疑問が浮かび上がってくる。
 そんな中、高柳バレエ団の演出家梶田康成がリハーサル中、客席ど真ん中で指導中に毒殺される。梶田を調べているうちに風間がニューヨークのいた頃、彼もニューヨークにいたことがわかってくる。強盗の風間と演出家の梶田に接点が見つかる。ニューヨークに何かあるはずであった。警察がこの接点を調べ始めたのと同じようにバレエ団にもそれに気がついた男性バレエ団員がいた。それを調べていた柳生謙介は自分の入れておいたコーヒーを飲んだ時倒れた。水筒に梶田が殺された時と同じ毒が入っていたのだ。
 そして演出家の梶田が毒殺された方法がわかり、その仕掛けを作るために買った注射針の代わりにした軟式テニスのボールに空気を入れるための針を買ったことがわかる。調べているうちにやはり同じバレエ団の森井靖子の名前が上がる。しかし靖子は風邪をひいたと言ってバレエの練習を休んでいた。
 加賀たちは急いで靖子のアパートに駆けつけるが、靖子は自殺をしていた。そして梶田を殺した凶器が冷蔵庫から見つかる。梶田を殺したのは靖子であった。
 
 ニューヨークに事件に関係があるなにかが存在する。それはニューヨークで高柳バレエ団のプリマドンナである高柳亜希子が同じニューヨーク在駐の画学生青木一弘と恋に落ちたことから始まる。亜希子が帰国間際になると青木ともめ、ナイフで襲ってきた青木を亜希子は逆に刺してしまった。それを知った梶田康成は、バレエ団のプリマドンナである亜希子に傷がつくことを恐れ、刺したのは亜希子と一緒にいた森井靖子だと嘘の証言をする。
 以後青木一弘はニューヨークで荒んだ生活をし続けた。そこに青木からニューヨークで知り合いになった風間利之に連絡があり、自分にはもう未来に希望がないから死ぬつもりだと言われる。それを聞いた風間はもう一度青木に会ってやってくれと亜希子に頼むために、バレエ団に忍び込んだのであった。その時一緒にいたのは波瑠子ではなく、未緒であった。未緒にはバレエ団のプリマドンナを守らなければならないという殺意があった。
 しかし未緒の身代わりとなったのは波瑠子であった。ここにも過去の事件が尾を引くこととなる。波瑠子は以前未緒と一緒に乗っていた車で事故を起こし、自分も怪我をしたが、未緒には後遺症が残り、耳が聞こえなく鳴りつつあった。未緒にとって亜希子と一緒に踊る舞台は今回が最後になるかもしれないという思いもあって、亜希子に言い寄る風間を花瓶で殴ったのも大きな理由であった。
 そこに波瑠子は来て、未緒に借りがあるものだから自分が身代わりとなったのであった。
 一方梶田を毒殺した森井靖子は梶田の言うことをすべて受けいれてきた。演出家の梶田に気に入られるようなダンサーになることしか考えていなかった。全幅の信頼を梶田に置いていた。その梶田にニューヨークで青木を刺したのは自分だと言われ、もうその時点で梶田に裏切られていたことを知ったので、梶田を殺害したのであった。

 これが今回の連続殺人事件および一人のダンサーの自殺の全容であった。今回は話のつながりが複雑であるため、わりとじっくり読んでいかないと途中で話がつながらなくなる。この謎解きは過去の事件の多さで誤魔化している感がぬぐえなかった。けれどそれなりに面白かった。加賀恭一郎はこの事件を捜査をしているうちにどんどん浅岡未緒に惹かれていき、風間の殺害を認めた未緒に、耳が聞こえなくなる未緒を「俺が守ってみせる」と告白してこの話は終わる。この後二人の関係はどうなるのであろうか?次の話以後、展開はあるのだろうか?ちょっと気にかかる。
 ということでシリーズ第三弾も手に入れたので、近々読むことになるであろう。


評価
★★★


書誌
書名:眠りの森
著者:東野 圭吾
ISBN:9784061851306
出版社:講談社 (1992/04/15 出版)講談社文庫
版型:328p / 15cm / A6判
販売価:579円(税込)

2010年12月25日

池谷伊佐夫著『神保町の蟲』

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 私は池谷さんのイラスト付きの本が好きだ。かなり丁寧に描かれたイラストは、この人の性格を表しているものと思われるが、そこには本が本当に好きなんだな、と感じさせるものがある。
 内容を楽しむことより、イラストを含め本全体を眺める感じで手に取っている。ちょうど中途半端に余った時間をうっちゃるときに、読むとはなしに眺めて時間を過ごすにはいい本だ。

 ここに書かれていることでいくつか思い当たることがあったので、それを書いてみる。昔古本を集め出したころ、「日本古書通信」という新聞みたいなものに、古本屋さんの在庫リストがあって、その中で欲しい本がある人ははがきを出して下さいといったものがあった。そして希望者が多い場合抽選で、当たった人に本を売りますというのだ。私も当時欲しい本がいくつかあったので、何枚かはがきを出したことがある。記憶では1回だけ抽選に当たり、その時欲しい本をゲットしたが、後はとことん外れた。
 だいたい他のなんでもそうだけれど、抽選なるものは公正に行われているのかなと感じている。そこには何か公正とは無関係の利害みたいなものがあるように思えるのである。だってそうでしょ。無作為の場合、どこのどいつに当たるかわからない訳で、当然リスクも伴うはずだ。だったら確実にお金が入る人に本を渡した方がいいに決まっている。
 池谷さんもこのあたりに疑問を感じておられるようで、抽選はきちんとされているか?と古本業者に聞いている。で業者曰く、「たくさん注文してくれる人と少ない人では当然前者が有利だし、業者間なら優先的にゆずる店もあれば、逆もあるんですよ。はじめての人や遠方で来られない人よりは、取りにきてくれる人のほうが断然有利でしょうね」だと。さらに「あのね、抽選というのは抽出して選ぶときことで、くじ引きという意味とは違うんですよ」だと言い切る。ですよね。世の中そんなもんだ。妙に当時のことを思い出して納得してしまった。
 また古書蒐集にかぎらず、趣味の継続には、金、時間、情熱、そしてなにより伴侶の理解が欠かせないものである。だから妻の目を誤魔化し、あれこれ言われないようにしないとならない。そこで古本屋さんは「秘密にして欲しい方は、申し込み葉書の指定欄に○を記入」して、注文してくれというコレクター心理に細かい配慮をしたものがあるという。
 それを読んだ時、昔本屋で働いていた頃のことを思い出す。お客さんが注文した本が入荷したので、電話でその旨を連絡するのだが、その時絶対に書名を言っちゃいけないと、当時の先輩に言われたことがある。お客さんにとってその本が他の人に知られてはまずい本である場合もあるからだ。その本が、ちょっと首をかしげてしまうような本の場合もあるだろうし、会社の同僚や上司には隠したいものの場合もある。奥さんに知られてはまずい本だってあるだろう。人にはいろいろな事情、様々な趣味があるので、あまりおおっぴらにできないところが誰しもある。そういう事情を考えろというのが先輩のアドバイスであった。本屋から「山田さんから注文頂いた『どうしたらあなたはあの時オトコになれるか?』(そんな書名があるのか知らないし、だいたいそんな本、本屋で注文するか!という突っ込みがありそうだが、たとえばの話だ)という本が入荷しましたので、恐れ入りますがお伝え下さい」なんて部下の女性が聞いたら、山田さんの立場がないはずだ。

 その先輩であるが、この人もともとデザイナーであった。それがどうして本屋で働くことになったのか細かい事情は知らないが、それでも完全に吹っ切れたわけでなく、デザイン関係の雑誌、女性誌、婦人誌など必要のあるものは買っていた。奥さんもデザイナーと聞いている。二人してそうした広告のいっぱい載った雑誌を集めていたらしい。だいたい写真広告の雑誌は重いものである。特にこだわりのある写真が載っている雑誌は紙質も厚く、一冊が結構な重量になる。たとえば家庭画報なんていう雑誌などそうだ。先輩夫婦は家庭画報のバックナンバーを押し入れに並べて置いたらしい。ある日押し入れからものすごい音がして飛び起きたという。そう、雑誌の重みで押し入れの床が抜けてしまったのだ。あれにはまいったといっていたが、そんなことを思い出したのは神保町にあった古書会館の建て直しの記述を読んだからである。
 前の建物はまだ36年しかたっていないが、見た目より老朽化していたらしい。古書会館というからには相当な本が集まる。当然たくさんの本が建物に相当の負荷をかける。だから以前の建物は築36年でも人間で言えば「疲労骨折」寸前であったらしい。池谷さんは「本は金の次に重い」もので、鉄筋の建物の寿命まで縮めてしまう、と書いている。確かに本は一冊ではどうってことないが、大量になるととてつもなく重い。本屋の店員の職業病であるぎっくり腰が蔓延しているのもこのためである。

 最後に池谷さんが古本蒐集やコレクターにおかしな目を向ける人々に批判めいたことを書いている。書き出して見る。

 世の中には、本というのは中身を知ることにその本質がある、と考えて疑わないご仁がまだまだ多い。「本はよめさえすりゃいいんだ。初版がどうの装丁がどうの函付きがどうのというのは本末転倒もはなはだしい」とのたまう。こういう方に限って、着られればいいスーツがイタリア製だったり、腹におさまればよい食事のために高級レストランに出かけたり、雨つゆしのげればすむ家庭に豪邸をもとめたがったりするものである。人の趣味に口をだすのは分別のある大人のすることではない。
 古書蒐集というのは、ある意味屈折した志向ともいえなくもない。蒐集分野によっては古書マニアにわかれる。文庫で読める本の初版本や特装本にしばしば客注がかさなることからもわかる。公園のベンチに置いてあればゴミ、古書店のショーケースにおさまっていればン百万円もする古書だってあるのだ。
 本を愛でることとは、本を物ととして慈しみ、限りない愛情を注ぐことと私は確信している。ただし、なんでも美しい造本ならいいかといえばそうではなく、やはり中身とのバランスが必要であることはいうまでもない。

 これは本や古本を愛する人にとっての言い分であって、こんなのわからない人にとっていくら説明しても基本的に理解できないことだ。何故なら関心外のことだからだ。しかし批判めいたことを言われれば、こう言い返したくなるのはわかるが、結局人の好みは様々だし、そしてその人にとって一番なのだから、批判されれば、じゃあおまえはどうなんだよ、と言われるのがオチである。またそういう自分だって本以外のことに関心のある人に、何で?と言っている時があるだろう。他人の趣味や関心事には口を出さないほうがいい。そういうことだ。


評価
★★★


書誌
書名:神保町の蟲―新東京古書店グラフィティ
著者:池谷 伊佐夫
ISBN:9784487799350
出版社:東京書籍 (2004/11/09 出版)
版型:183p / 21cm / A5判
販売価:1,785円(税込)

2010年12月21日

高倉美恵著『書店員タカクラの、本と本屋の日々。』

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 この本は次に読んでいる池谷伊佐夫さんの本と一緒に秋葉原のブックオフで買った。秋葉原のブックオフの四階のエスカレーターを降りたすぐ右側に本や出版関係の本がまとまっているコーナーがある。昔はエスカレーターを降りたすぐ近くの棚にそのコーナーがあったのだが、最近はコンビニで売っているサブカルチャーの本に押され、どんどん入り口から遠のいて行く感じである。
 まぁそんなことはどうでもいい。そのコーナーが好きで、行くたびにいつもここの棚の本を眺める。で、先日池谷さんの本を見つけ、その隣にこの本があった。『書店員タカクラの、本と本屋の日々。』はほぼ書名につられて買ってしまった本である。
 著者は高校卒業後、京都から一人で飛び出し、小倉で福家書店で働くようになり、出産育児の休暇を経て現在も勤めておられるようである。本屋で働くようになった動機は、自分の一番好きな場所が本屋であったことだという。この本はそんな高倉さんの本屋の日常、読んだ本の紹介、そしてミエゾウとムギの二人の子育てから考えたことなどがつづられている。ただ育児の中での読書コーナーは上下二段となっているのはいいが、上と下がもう少し余白を持って欲しかった。ちょっと狭いものだから文章が続いているものと勘違いしてしまうこと多かった。判型が多少小さめなのでこれは仕方がないのかもしれないが、老眼の進んだオッサンにはその方がありがたい。

 さて、私は自らも書店員であった関係上、本屋でのぼやきがよかった。いくつか書き出してみよう。

 10月20日発売された、CanCan、JJ,ViVi、Rayなどの女性誌が、「ナント12月なのであるよ。少しでも長く店頭に置いて欲しいという発行者の悲願が号数の先取り化に繋がったというのがもっぱらの定説だが、」と書いてある。そう、昔いつもどうしてこの手の雑誌は号数がふた月先なんだろうと思っていた。ここでは店頭に長く置いて欲しいからそうなったというのが定説だと著者は言っているが、それは意味がない。それは著者もこの後言っている。「書店の店頭においてはそれが来月号であろうが来年の号数であろうが次の号が発売となると同時に無慈悲に返品されてしまうのであまり意味がない」と。
 やっぱりこれは店頭よりも、季節を先取りすることに主眼が置かれているからじゃないだろうか?流行の先取りはこの手の雑誌には必要だからね。でも10月に12月号を手にするとなんか変な違和感を感じてしまったのを覚えている。

 いかにして「面白い本」に出会うかでは、「書評を読んで興味深くなり買い求めてみてガックリという経験は、読書にどん欲な(はずの)当欄の読者なら一度ならずおありであろう。そして本屋の店頭において胸ぐらを掴まれるようにして手に取った本にハズレがないという経験もあるはずだ。本にはそうした力が備わっている。残念ながら手足を持たない本のために、本自らの希望を聞き、胸ぐらを掴みやすい場所に、本をお連れする忠実な下僕ってのが本屋なのだ」
 うん。これは言えている。本屋が本の下僕というのはいい。

 高倉さんが本屋で初めて担当になったのが児童書だという。棚構成に力を注ぎ、「素晴らしい絵本をいっぱいお客さんに買って貰うのさ、ふふふ」と棚の配置や本の構成に工夫を凝らす。しかし「話はお座なり絵もい-かげん色なんざついてりゃいいんだろう的な安っぽい絵本シリーズの方がよく売れるのだった」そこで悟るのだ。「自分勝手な理想を押しつけでは本は売れない」と。
 これもよくわかる。棚を持たされると、自分の中であれこれ考え、これじゃなきゃダメよ、と本を置きたくなる。これがだいたい思うように売れないのだ。思い入れが強ければ強いほど売れない。要するに独り相撲しているとこうなる。自分が考えていることが、お客のニーズとかけ離れていることに気がつかないのだ。理想と現実のギャップを思い知らされる。というか、その理想が端から見ると、結構貧弱なのである。自分はそれほど崇高な人間じゃないということを思い知らされる。これ、結構リアルにキツイ。それでも私は思い上がりが強いので、けっ、客が馬鹿なのさ。オレの意図することがわからんのか、と思っていた。逆に棚の本が売れると、快感でもある。やったね、といった感じで。

 妊娠と出産のための雑誌というのがあって、「たまごクラブ」など数種類が毎月発売されている。関係のない人にとっては、なぜか手に取りにくい類の雑誌で、何が書いてあるか案外知られていない。
 確かにそうだ。高倉さんは当事者になって初めて購入してみて、「これがナカナカ脳天気で笑える記事満載だ」と書いている。胎児の超音波写真の投稿欄があるんだそうだ。胎児の超音波写真投稿に、高倉さんは生まれる前から胎児は性器部分の写真をさらされて、胎児の人権はどうなっているんだ、と書いてあって、これは笑った。
 そして子育てにおいて高倉さんが悟ることは、「子育てというのは、どうやら限りなく『自分のことを棚に上げて』ゆく作業かな考える」と。そうだ。子供をしかることは、結構自分では平気でやっていることが多いものだ。だから時たま怒れなくなったものだ。

 春に高倉さんは思う。
 「懐かしい」は「寂しい」と共にあるものだから、懐かしいが増えると寂しいも増えるけれど、それも人生の彩りだろう。本屋のお客さんも、春を境に少しだけ変化する。

 そうだね。確かに春には新しいお客さんを目にした。

 ベストセラーというものは、ランキングに入っているうちは読む気がしない。というへそ曲がりが本屋には多い。
 
 と書いてある。そうかもしれない。けっ、世間の話題に流されて、といった感じである。それは先の棚構成にも通じる。オレはちがうもんね、とわざとそれを避ける部分がある。でも気になるのだ。何でこんな本が売れているんだ?もしかしたら面白いのかもしれないと思ったりして、知らず知らず気になり、ついに手に取ってしまうのだ。

 最後にもう一つ。

 さて、元本屋のワタクシだが、現在は無職の妊婦である。「本屋でない自分」という立場になるのは十数年ぶりのことで、毎日が新鮮だ。この2カ月かそこらで感じたのは「本屋でない人々は、こんなに本の情報が少ない状態で、日々暮らしているのか」という驚愕である。本屋という本の情報の洪水みたいな場所から、水道すらない孤島に流されたような気さえしている。

 これよくわかる。私も現場を離れて一番感じたことはこのことであった。確かに本の情報は調べようと思えば手段はある。今はネットがあるから、以前から比べればはるかに本の情報を得やすくはなった。けれどそれらは「本屋の網羅性や視覚情報性と比べるべくもない」のである。だからこの飢餓感を埋めるために人々は「なんかイイ本は出ていないか」と本屋に来るわけだと書いている。
 そうかもしれない。いや多分そうであろう。事実私がそうだ。情報として得ているものはあっても、漏れていることが多々ある。情報の許容能力を超えてしまったものがたくさんある。本屋に行って初めて、こんな本が出ていたのか、と思うことが多いのだ。それに視覚的にもそうだし、現物を手にすることのリアルさは、何物にも代え難いのだ。
 本好きにとって本屋さんは一種の驚きとうれしさを提供してくれる場所なのだ。これはネットでは決して味わえない。だから帰りには必ず書泉さんに行くのもそのためである。


評価
★★


書誌
書名:書店員タカクラの、本と本屋の日々。 ― …ときどき育児
著者:高倉 美恵
ISBN:9784902108361
出版社:書肆侃侃房 (2006/11 出版)
版型:173p / 19cm / B6判
販売価:1,365円(税込)

2010年12月17日

紀田順一郎著『第三閲覧室』

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 この本はもしかしたら読んだかもしれない。読んだのはたぶん文庫だったと思うが、内容がまったく思い出せず、たまたまブックオフで見かけたので、再度読んでみた。でも意外におもしろかった。
 私の場合、新刊書店で買えない本や、値段の高い本などは古本屋やブックオフで買うことにしているのだが、いわゆるビブリオマニアというのは、一種の病気に近い。本が稀覯本あることに価値を置いている。この本はそうしたマニア化した人間の物語である。

 誠和学園大学という新設の大学の図書館で、学長が学校の経費を私物化して、貴重な古本を集め、図書館に納めている。図書館の充実が大学の格を上げるという口実を使って古本を集めていたのである。学長はその大学の創設者であったから、半ば独裁化しており、今まで自由に大学のお金を使って古本を集めていた。
 そんな貴重な本に虫が付かないようにするために、本を薬を使って燻蒸する。部屋を閉め切って行われる。燻蒸が終わって、業者が部屋を開けたとき、一人の女性が死んでいた。燻蒸の薬にやられたようであった。
 しかし燻蒸が行われる図書室に何故その女性がいたのか?そこに一冊の幻の本の存在があった。女はその幻の詩集を盗むために、図書館に忍び込んだ。
 問題はその詩集である。戦前あまり評価されてない詩人が、戦後にわかに話題となった。しかし詩人のその本は出版される予定であったが、出版社が倒産して出版されないことになり、しかもその詩人も戦地で死んでしまった。だからその詩集は世の中に存在しないものと思われていた。ところがその詩集がこの図書館にあったのだ。果たしてそれは本物なのか?それとも偽物なのか?その真贋がこの本のメインテーマになる。
 この図書館に元新聞記者であった島村は、大学の講師として勤務することとなった。彼は円本の論文を書くために、円本を求めたが、今ではそれを全巻揃いで求めるのは難しい。ちなみに「円本とは、1926年(大正15年)末改造社が刊行を始めた『現代日本文学全集』を口火に、各社から続々と出版された、一冊一円の全集類の俗称、総称。庶民の読書欲にこたえ、日本の出版能力を整え、また、執筆者たちをうるおした」ものである。今でも古本屋の均一本のワゴンの中にそのときの端本を見ることがある。
 その円本が表紙などない状態のものが多かったが、揃いで大学の図書館にあった。島村はそれを一括で借りていた。一方島村は大学の講師になったため、自らの蔵書を移動しなければならなくなり、その手伝いを結城明季子に依頼した。ところがその借りた円本が借りたものと違うことに気がつく。誰かが取り替えたのである。結城明季子がすり替えたのか?図書室で死んでいたのは結城明季子であった。明季子は死ぬ直前にダイニングメッセージらしきものをメモに書いていた。それは「見返してやる・・・」というように読めたという。
 さてその詩集である。この本が本当に幻の本であるのかどうか?犯人捜しは、この本の真贋を見極めることから始まる。ではその詩集は戦前に限定的に出版されたのか。出版社は倒産してないのだが、もしかしたら印刷、製本されていたのか?だったらこの図書館にある詩集は当時の紙とインクや活字を使われているはずであった。調べてみると紙質は戦前のものであり、インクや活字あるいは製本するに当たって使われる綴じ糸も当時のものように思われた。明季子は死ぬ間際に「見返してやる・・・」というように読めるメモを残している。そして島村が借りた円本の揃いは表紙などないものがほとんどであった。
 ところで本には“見返し”と言う部分がある。それは一般的には表表紙・裏表紙の内側に貼り付けて、本の中身と表紙をつなぎ合わせている役目をしているが、ちょっと高めのハードカバーの本には表紙をめくると何も印刷されていないものもあった。そして円本も同様であった。そう、島村の借りた円本の見返しを使ってまずはその詩集の紙を用意した。綴じ糸も同様である。では活字はどうしたか?この大学は印刷機械も町の印刷屋を吸収して持っていた。その吸収された印刷屋の印刷機械はそのその詩集を出版しようした印刷屋から買い取ったものであった。当然活字もそのときのものを持っていた。インクはカビなどを培養して古めかしく見せかけることが出来る。これでこの詩集は偽物であることが判明していく。そしてそれを知った結城明季子は自らの保身のために学長らを脅かそうとして、それを盗み出そうとしたのであった。では何故明季子は殺されなければならなかったのか。ここに大学内の権力闘争が絡んでくるのであった。

 私は古本に関するミステリーは大好きなのだが、だいたいが病的な収集癖が高じて殺人事件となるパターンである。しかしそのどこか病的なのか?それ故にどうして殺人事件となっていくのか?
 そういった本ばかりめられている場所は、異様な雰囲気醸し出す。本が古ければ古いほど、貴重であればあるほど、そこの部屋は異様になっていくようである。そして独占欲が高じて殺人事件となっていくのである。私はそんな本ばかりあるかび臭い部屋の雰囲気と一緒になって、ちょっとゾクゾクしてしまうのである。


評価
★★★


書誌
書名:第三閲覧室
著者:紀田 順一郎
ISBN:9784103063063
出版社:新潮社 (1999/07/20 出版)
版型:324p / 19cm / B6判
販売価:入手不可

2010年12月14日

東野圭吾著『卒業』

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 国立T大の女子学寮「白鷺荘」で、茶道部四年生の牧村祥子が自室で死んでいるのが発見される。発見者は祥子と同じ茶道部の相原沙都子と祥子の隣室に金井波香であった。沙都子は体調が悪いと言って途中で帰った祥子を気遣って白鷺荘にやってきて、祥子の部屋から光が漏れているのを不審に思い、管理人に祥子の部屋を開けてもらった。
 祥子は左手首を切り、腕を洗面器に突っ込んで出血多量で死んでいた。一見自殺に見えるが、祥子には自殺する理由が沙都子らに見あたらなかった。他殺の可能性もありそうだ。
 捜査は進展しないうちに、恩師の南沢雅子の誕生日を祝うお茶会が行われ、突然出席者の金井波香が倒れて死んだ。毒物死であった。
 沙都子の仲間が二人相次いで死んだ。加賀恭一郎はこの一連の事件の関連性を疑い始める。恭一郎と沙都子の仲間のうちに犯人がいる。二人は自ら仲間を疑わなければならない中、事件の真相に迫っていく。

 私は以前『新参者』を読んで楽しませてもらった。そして主人公加賀恭一郎は、シリーズものになっていることを知り読んでみたいと思いこの本を手に取った。加賀恭一郎が登場する第一作がこの作品である。
 なかなかおもしろかった。祥子は自殺なのか、それとも他殺なのか。他殺なら祥子の部屋は密室である。犯人がいるなら、簡単に祥子の部屋に入り込むことが出来ない。
 祥子には恭一郎と沙都子の仲間の一人である男を恋人に持っていた。しかし祥子はその男に内緒で違う男と遊び、病気をうつされてしまった、と勘違いする。そのことを恋人に打ち明けたが、冷たくされたことによる自殺であった。ちょうど祥子が死にかけているところに男が祥子の部屋に忍び込んできた。男には野心があり、祥子が病気だけでなく、他の男の子でも宿していたらたまらないと思い、まだ息のあった祥子をそのままにしてそこから立ち去った。
 さらにお茶会で波香が毒殺死した場合においても、波香だけを狙うには様々な障害がある。お茶会に参加していた沙都子たちにも毒が盛られているお茶を飲まされる可能性があったからだ。それを波香だけを狙う方法はどういう方法なのか?このお茶会にはお茶を飲むルールがあった。それは「雪月花之式」というもので、これはちょっと説明が難しい。というか本にも図式が書かれていて、これがないと読む側も理解できない。結局このお茶会で波香を殺害するには共犯者必要で、それも恭一郎と沙都子の仲間の一人であった。
 ことの発端は波香が剣道の試合の優勝決定戦破れたことから始まる。波香の対戦相手は波香実力からすれば当然勝てたはずであった。しかし対戦前に薬が入ったスポーツドリンクを飲まされたことで、敗れてしまった。波香は薬を入れた人間を追求し、今度は犯人がテニスの試合があるので、同じように薬を入れて、復讐しようとしていたのを、逆手にとられて殺されてしまったのだ。
 波香に薬入りのスポーツドリンクを飲ませた仲間も、自らの保身のために対戦相手から強要され拒むことが出来なかったのであった。
 この物語は就職先も決まり、大学の卒業を待つ仲間たちが、自らが未来における保身のために、犯行を行った。そういう意味では恭一郎と沙都子には大学の卒業がめでたくもなかった。

 私は学園ものはどこか甘ったるいところがあって好きじゃないが、これは案外おもしろかった。
 『新参者』で加賀恭一郎のキャラクターが好きになったので、刑事でない恭一郎はおもしろかったし、この後恭一郎は大学を卒業して刑事になるのだろうか。
 それも気になるので、次も読んでみたいという気持ちになっている。幸い何冊か出版されているいるようなので、楽しみである。ちなみに加賀恭一郎シリーズは以下の通り。

『卒業』(講談社文庫)
『眠りの森 』(講談社文庫)
『どちらかが彼女を殺した』 (講談社文庫)
『悪意』 (講談社文庫)
『私が彼を殺した』(講談社文庫)
『嘘をもうひとつだけ』(講談社文庫)
『赤い指』 (講談社文庫)
『新参者』(講談社)

評価
★★★


書誌
書名:卒業 ― 雪月花殺人ゲ-ム
著者:東野 圭吾
ISBN:9784061844407
出版社:講談社 (1989/05 出版)講談社文庫
版型:371p / 15cmX11cm / 文庫判
販売価:619円(税込)

2010年12月11日

森まゆみ著『深夜快読』

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 ここのところ腰が痛いのと、寝不足も加わって、今ひとつ体調がよくない。しかも12月になって寒くなってきたものだから、休みの散歩、平日通勤前に歩くことを控えている。だからいつも休みに散歩がてらに行く近所のブックオフにもしばらく行っていなかった。
 天気もよく、多少暖かかったので久しぶりに歩いてそこへ行ってみた。以前来た時からちょっと時間が空いたので、品揃えが変わっているかもしれないという期待もあった。そこで見つけたのが森さんの本である。2冊棚に並んでいた。1冊は文庫本で読んでいたので、この1冊を買い求めた。
 表紙を開いて見るとサイン本であった。今回は前の持ち主の名前はなく、森さんの名前が丁寧に書かれている。これはいい。本自体も読んでいないものだから、ちょっとうれしくなる。
 先週いつもつきあうかみさんの買い物に行った時、ブックオフで不要な本を売り飛ばした。ほとんどがファイルマガジンで、あとは東海林さだおさんの昔から持っている本であった。雑誌はほとんど値がつかないと思っていたし、東海林さんの本にしても、同様だろうとは思っていた。けれど査定はそれ以上悪く、千円にも満たなかった。
 要するにファイルマガジンはゴミと化したわけで、査定対象にはならなかった。東海林さんの本もあまりにも古い本だから、ゴミと同じようだ。それでももう少し高く売れるとは思っていたが、まぁ仕方がない。向こうも商売である。ゴミみたいな雑誌を持ち込まれればある意味迷惑な話だろうし、古い東海林さんの本がそれほど需要があるとも思えないので、妥当なところだろう。でも今週そこのブックオフに行ってみると、辛うじて売れそうな東海林さんの本が並んでいた。それと以前に秋葉原のブックオフで買わされてしまった、吉村昭さんのサイン本(前の持ち主の名前入り)も850円で売っていた。秋葉原では105円で買ったのだけれど、おそらくサインに気がついていないのだろう。
 ということで、ちょっとブックオフにたたかれたことで、恨みもあったものだから、この森さんのサイン本はその見返りみたいなもんかな、と思いつつ読んだ。

 この本は森さんが読んできた本の書評集である。この手の本は著者がどういう分野の本を読まれるのか、そしてその作家さんの感想に興味がある。我々凡人とは違う本を読むように思えるし、またその感想も深いものがあると思いたい。
 確かにここに紹介されている本は明治の女性について書かれたもの、あるいは森さんが活動している地域、谷根千に関わる本が主に読まれ、紹介されている。その中で読んでみたいなという本が1、2冊あったが、一度その内容を見てみてから考えようと思っている。
 その中で「女性の読書は、なにも当時(樋口一葉の生活を綴っている)に限ったことではないが、やむを得ず深夜になる。私も子どもが生まれたころ、三時間おきの授乳の合間に本を読んでいた」とか、「ようやく家事が片づき、子どもたちが寝しずまる。さあこれからが私の時間、とワクワクしながら本を読んできた」と書かれている。だから『深夜快読』なのである。
 これを読んで女性、特に主婦の読書の時間というのは、家事の合間にしか都合がつかないんだな、と思った。主婦たちは家族の生活が第一に考えてくれるから、自分の時間は、そうした合間にしか見出すのが難しいのだなと思った次第。頭が下がる。
 
 さて、この本の中で紹介されている本のなかに、『ガリ版文化史を歩く』という本がある。その出だしが「小学生のころ、学級通信係でガリ版新聞を作っていた。家にヤスリ板と鉄筆と、ニスで黄色く塗った手動の刷り機を置き、休みの日にせっせと仕事をし、広げて乾かす」と始める。そんな経験を持った人には懐かしい一冊というにである。
 忘れていたな、ガリ版という言葉。確かに私も森さんと同世代なので、小学校時代、学級新聞の係であった。あの紙なんて言ったけ?、それの下にこれもなんと言ったか忘れたが、森さんはヤスリ板と言っているけど、とにかくそれをしいて、鉄筆でカリカリと文字を書く。出来上がったら、その紙を印刷室の謄写版にセットし、ローラーインクをまんべんなくひいて、わら半紙に一枚一枚印刷していく。何枚かやっているうちに、原稿の鉄筆で書いたところから破れてしまったりして、手をインクで真っ黒にして、印刷していた。あのインクの匂いは懐かしいな。確かにヨーチンみたいな修正液もあったはずだ。確かにガリ版印刷はそれなりの枚数が印刷できたけれど、いつまでもできるものじゃなかった。その点コピーとは違うし、パソコンの印刷とも違う。
 森さんは「一人一人と向き合って話すのがコミュニケーションの基本。しかし謄写版は一人が十人に、五十人に思いを伝える道具である。そこでアッという世界が広がる。しかし、それが五千人、一万人とならないところが、また謄写版の健全さである」と書いている。そうガリ版印刷には限界があって、それが適度な数字だった。小学校のプリントはみんなガリ版刷りのものだった。先生の字の上手い下手がもろわかってしまい、面白いものだった。わら半紙というのもいいな。

 最後に幸田露伴の『五重塔』をいつか読んでみたいと思っていた。この本のモデルとなった五重塔のモデルは谷中にあった五重塔である。これは、彰義隊の上野戦争にも、関東大震災にも、戦火にも耐えて残っていたが、放火心中によって焼失してしまった。私はどうもこうした貴重な建物が焼けてしまうところに、妙な興味を持つ傾向がある。しかもそれが人為的に燃えてしまったことに興味を持つ。何かやばい感じがしないでもないが、興味があるのだから仕方がない。この本ではその五重塔が燃やされた時の新聞記事が引用されている。気になるので書き残しておく。

 私の手元には新聞記事が集まっている。心中したのは目白の洋裁店ノーブルの店員長部達五郎さん(四十八)と若い針子の山口和枝さん(二十一)で、不倫の果てに女性が妊娠したのを苦にして塔に火を放ったのである。男性が持っていた裁縫用の指ぬきから、身元が判明した。

 今回はそれほど本の内容に入れなかった。というか、いくら書評とはいえ、人がどんな本を読んで、どんな感想を持っているのか知る本であるから、ただ「そうなんだ」といった感じで読んでいたから、こんな感じなった。


評価
★★★


書誌
書名:深夜快読
著者:森 まゆみ
ISBN:9784480816047
出版社:筑摩書房 (1998/05/25 出版)
版型:269p / 19cm / B6判
販売価:1,890円(税込)