2011年10月29日

小路幸也著『オブ・ラ・ディオブ・ラ・ダ』

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 毎年出るのかどうか知らないが、楽しみにしているシリーズの新刊が出るのはうれしい。その新刊を書店の平台に見つけたときは、やっぱり本は書店で買うべきだよな、とつくづく思う。新刊の情報はネットでも取れるのだけれど、すべてを網羅出来る訳じゃない。しかも本として見てみないとよくわからないものも多いので、どうしても書店にほぼ毎日足を運ぶこととなる。それが楽しいし、今日はなかったか、と寂しい感じになることもある。

 で、この本である。シリーズ第6弾である。例によってさちさんの堀田家家族構成の説明から始まる。シリーズも進むうちに家族も多くなり、その関係も複雑になるので、見開きにある「登場人物相関図」がないと誰だかわからなくなる。これだけ多くの人たちが堀田家を中心にがやがやわいわいやっていくわけだから、話は面白くなって当たり前だ。小難しい小説と違って、微笑ましく読めるのがいい。
 今回もドタバタホームドラマを展開してくれる。東京バンドワゴンの店を使って映画撮影が行われることになり、その時帳場の机に古本を積み上げて、古本屋さんの風景を演出しようとした場面がある。それを見て勘一が怒ってしまうのである。
 勘一が怒った理由が次のようなのだ。もちろんサチさんが説明してくれる。


 これは、しょうがないですね。古本を乱雑に積み上げたのは、いわゆるステレオタイプな古本屋のイメージを出そうとしたのでしょう。けれども、我が家ではそんなことはしません。積み上げた古本はただ本を傷めるだけで何の得にもなりません。古本はただでさえ年月を経て痛んでいるのです。それをできるだけきれいな状態に戻して、我が子のように慈しんで、それを求める人に丁寧に手渡しするのが<東京バンドワゴン>なのです。


 これを読んで確かに古本は古本と呼ばれれば呼ばれるほど、年月が経っているわけでその分経年劣化をどこかに起こしている。そのことを、身を持って感じている人であれば、積み上げることは出来ない。なるほど、と思った。
 また<本棚の飾り>という言葉を教えてもらった。これは金持ちが見栄で書斎や応接間に飾る全集とか特装本のことを言う。
 それで思い出したことがある。たぶん以前どこかで書いたかと思うけれど、私が学生時代本屋でアルバイトしていた頃、筑摩書房などの高額な個人全集を、会社に配達したことがある。購入者はそこの社長さんである。領収書を会社の受付か経理の人に渡したとき、その人がぼそりと「社長の書棚を飾る本だね」と言ったのをよく覚えている。この人は社長さんが実際この全集を読まないことを知っているのであった。この社長さんは数種類の全集を予約していたし、言われれば確かに見栄えのする本ばかり買っていた。

 サチさんと勘一の言葉がいい。まずはサチさんから。堀田家のドタバタが終わって、毎度話を締めくくる時に出てきた言葉。


 人は弱いですから、いろいろ間違いを起こしますよ。それは誰にでも、大なり小なりあることです。
 でも、それに囚われていては、生きている甲斐がなくなってしまいます。大きな過ちでも、小さな過ちでも、それを償うためにしなければならないことは同じですね。
 しっかりと自分の足で歩いて行くことですよ。周りの人に支えられても、それが恥ずかしくても、自分が情けなくても、歩いていかなきゃならないんです。
 人間は、動物ですからね。そして動くから動物というんでしょう。だから歩かなきゃ、動かなきゃ駄目です。止まってはいけません。
 そしていけばきっといつか、傷は癒えるものです。

 勘一の言葉いい。


 人ってやつはね、失ったもんをいつまでも抱えてちゃあ荷物になって歩けなくなっちまう。忘れなきゃならねぇんだ。自分の中できちっりケリをつけて、そこに置いていかなきゃならねぇ。そいつが喪の仕事さ。


 甘っちょろい言葉だけど、こういうのに弱いのである。もともとホームドラマである。これでいいのだ。
 連続ドラマだろうから、このシリーズはまだまだ続くことを願う。私の楽しみとして、このシリーズを読んでいきたい。


評価
★★★★


書誌
書名:オブ・ラ・ディオブ・ラ・ダ ― 東京バンドワゴン
著者:小路 幸也
ISBN:9784087754001
出版社:集英社 (2011/04 出版)
版型:302p / 20cm / B6判
販売価:1,575円(税込)

2011年10月25日

大沢在昌著『絆回廊』

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 新宿鮫を読むのは久しぶりだ。このシリーズは最初からずっとつきあってきているが、もうシリーズ10巻目のなったんだ。本の帯によると、五年ぶりの最新刊とある。新刊が出るたび毎度毎度ハラハラ、ドキドキしながら、スピーディな展開に、時間を忘れてきた。今回もそうであった。やっぱり長いこと読み続けているシリーズ物はいいものだ、と思う。土曜日の夜から読み始め、日曜日テレビを見るのも忘れ、読み続けた。

 話は長いこと刑務所から出てきた大男が、ベテランの薬売りに、「チャカは手に入るか」とたずねるところから始まる。男は警官を殺すために、銃が必要だと言う。男は自分の妻と息子を切り離したのは、その警官であって、その警官を殺すだけを考えて長い刑務所生活を耐えてきた。
 それを聞いた鮫島は、男の正体を探し、警官殺し防ごうとする。男は一体誰なのか?そして男のターゲットである警官とは誰なのか?
 男は今は解散した須藤会に貸しがあるとも言っていた。鮫島は須藤会の元組長の家を訪ねたが、詳しい情報を得ることができなかった。しかしその組長はその後撲殺されて、埋められていた。
 鮫島の捜査が進むなか、中国残留孤児の二世、三世で構成される「金石」というグループが浮かんでくる。須藤会の元組長を撲殺したのは「金石」ではないかと鮫島は思い始める。
 解散した須藤会の後、違う会に移り、今は若頭補佐に成り上がっている吉田という男に、その大男は銃の手配を依頼する。しかし吉田は銃の手配を「金石」に振った。そして大男と「金石」メンバーが言い争いになり、メンバーの一人が殺された。
 
 その「金石」に薬を流していた中国側の男に陸永昌という男が来日する。この男こそ、刑務所から出てきた男の息子であった。永昌は「金石」を捜査している鮫島を殺してくれと依頼を受け、ヒットマンを手配する。

 一方、鮫島の恋人、人気ロックバンド「フーズ・ハニイ」のリードボーカル晶から、バンドメンバーに薬をやっている奴がいて警察が内偵に入っていることを聞かされる。もちろん晶は薬をやっていないことを鮫島は分かっていたが、晶がいるバンドメンバーが薬をやっていたことになると鮫島の立場も危ういことになっていく。だが鮫島は晶との関係が途切れてしまうなら、警官を止めてもいいと思っていた。

 そんな中、男が殺したいという警官が鮫島の上司桃井であることが判明し、鮫島は晶の関係で警官を止めるわけにはいかなくなってしまう。恋人の晶を取るか、唯一鮫島が心を許せる桃井を取るか、板挟みになるが、晶はマスコミに鮫島との関係はとっくに終わっていて、今は関係ないと言い、鮫島との関係を終える。

 大男の身元引受人となってくれた、ゲイバーのママの店に陸永昌が訪れ、ママは陸永昌が大男の息子であること確信し、その男を呼び出す。鮫島と桃井は、その店に男が現れるものと、その店に入った。桃井と大男が、大男と息子がここで鉢合わせることとなる。鮫島と桃井は大男を逮捕しようとする。しかしゲイバーのママは大男を逃がそうとして、男から預かったマカロフを発砲し、玉は桃井に当たり、桃井は死んでしまう。あの桃井さんが殺されてしまった。この後鮫島はどうなるんだろう、と心配してしまう。まして晶との関係もなくなってしまったから、余計である。
 それでも鮫島は「金石」の逮捕に向かうのである。

 鮫島と晶との関係。大男と陸永昌との関係。大男とゲイバーのママとの関係。鮫島と桃井の関係。それぞれの絆が事件に複雑に絡み合い物語は一気に進んでいった。なかなか読み応えがあった。事件の展開のスピーディーさも今回堪能した。
 次作が気になるとともに、楽しみだが、また5年後なのか・・・と思うと、ちょっと長いなと思ってしまう。


評価
★★★★


書誌
書名:絆回廊 ― 新宿鮫10
著者:大沢 在昌
ISBN:9784334927585
出版社:光文社 (2011/06 出版)
版型:433p / 20cm / B6判
販売価:1,680円(税込)

2011年10月22日

えどコレ

 江戸川区の広報に江戸川区名産品として「えどコレ」というのが掲載されていた。何だろうと思い記事を読んでみると、江戸川区に住んでいる伝統工芸品の職人さんが作ったものを、ネットで販売しているという記事であった。そしてそこにブックカバーもあり、これは面白そう、いいものがあれば欲しいなと思ってサイトに行ってみた。そこには日用雑貨からファッション、インテリア、小物と伝統職人がその技術を生かしながら作られたものが掲載されていた。


えどコレ!〔江戸川区名産品〕


 私はとにかくブックカバーにしか興味がないので、そこを見てみた。粋なデザインのカバーがあってこれはよさそうだ。材質は布の裏に和紙を張り付けたもので、「裏打ち」という技術で生まれたものらしい。これは表具(書や絵画を鑑賞したり保存するために生まれた東洋の文化で、作品に布や紙を張り、掛け軸、巻物、屏風、襖などに仕立てたもの)を作る過程で作品の裏に和紙や布で補強する技術だそうだ。さっそく気に入ったデザインのブックカバーを二つ注文してみる。


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 なるほど、紙のようで紙でない。布のようで布でない不思議な感触である。でもどちらかというと紙に近い感じで、これで強度はどうなんだろうと不安になるが、何せ伝統工芸である。そんなちゃちなものじゃないんだろう。デザインも色も気に入ったので、これが長持ちすればいいなぁと思う。ちょっと文庫を持ち歩くのが楽しくなりそうである。

 最近メイド・イン・ジャパンに興味がひかれている。ことの発端は毎日仕事に持って歩く鞄である。この鞄はヨドバシのパソコンバック売場で買った。極端に安物じゃないが、けれど高かったというものではなかった。主にサイズだけを考えて買った。値段からすれば多分中国製か東南アジア製のものだろう。
 ところがこの鞄、根性がない。パソコンバックではあるが、もう少し堅さがあるものだと思っていたのに、置くとヨレヨレになってしまう。鞄の体をなさないのだ。やっぱりちゃんとしたものを買った方がよかったのだ。一応ビジネスバックも兼ねると書いてあったから買ったのに、これじゃずだ袋みたいだ。
 で仕方なしに、鞄を買い換えることにして、物色していた。まぁそんなに高いものは買えないけれど、ほどほどの値段で、ある程度がっしりした上に軽いものがいい、と思っていた。
 たまたま近くのヨーカー堂にメイド・イン・ジャパンの鞄コーナーがあり、高いんだろうなと思いつつ、見てみるとそれほどでもない。しかも作りがしっかりしているし、軽い。さすがメイド・イン・ジャパンである。これはいいと思ったものを買った。これが今、気に入っている。
 値段的に素材はどこまでメイド・イン・ジャパンか疑わしいけれど、作った人は写真があったので間違いなく日本人の方だろう。そこまで疑う必要はあるまい。天下のイトウヨーカー堂がいい加減なことはしないだろう。少なくとも堅さもあって、軽いのはいい。
 ということでやっぱりメイド・イン・ジャパンは違うな、と実感していたところなので、この記事を読んで、どうしてもこのブックカバーが欲しくなっちゃったのだ。次に文庫本を読む時が楽しみだ。

2011年10月18日

司馬遼太郎著『司馬遼太郎が考えたこと』〈7〉

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 また司馬さんの本を取り出す。このシリーズは全14巻だったと思うが、とにかくそれだけある。そしてやっと半分読み終えたことになる。とにかく気の向いた時に読んでいるものだから、一向に終わらない。いずれ気合いを入れて読んでみようとは思っているのだが・・・。

 司馬さんはこの本の中で身辺雑記を書けない人と自分を位置づけている。確かに司馬さんの随筆は、個人的な生活感が薄い。いつも論文調になってしまっているといえば言えるかもしれない。だけれど、それが司馬さんの文章の魅力だと思っているし、それを期待している。でもそうは言っても今回は珍しく司馬さんの交友録みたいなものがあって、司馬さんとそれらの人たちの関わり方が面白かった。
 それでもやっぱり司馬さんの文章の楽しみは、歴史に関する認識である。そしてこの本を読んでいて、どうしても“震災”と関連して考えてしまう。それが正しい本の読み方なのか、どうかわからないが、でもこの“震災”後のどう歩んでいけばいいのか、みんなが不安を抱えている中で、本来なら政治が率先して行かなければならないのに、それが出来ていないことにものすごく苛立ちを感じてしまう。まして被災者の人々にとっては余計にそうであろう。
 とにかく政治がどうしようもない。もともと野党しかやったことのない政党が、与党となって、日本の政治を動かしているものだから、やることなすことちぐはぐである。ちょっと前まで政治主導と言って格好いいスローガンをぶち上げたけれど、専門の官僚を無視して、行政の素人である彼らに一体何が出来るというのか、考えればわかることである。結局震災ですべてが露呈し、自らの無能ぶりをさらけ出しただけであった。つまり彼らは以前から“健全な野党じゃなかった”ということである。

 司馬さんは日本に健全な野党が成立しえなかった理由を「竜馬像の変遷」で述べている。
 われわれはいま、坂本竜馬という人物像を思い浮かべることが出来るが、実は1907年(明治40年)ごろまでは竜馬に触れることはタブーだった。もちろん明治の統一国家をつくるために果たした彼の功績は大きい。しかし明治国家が薩長のものであり、明治国家の目的は富国強兵であった。それ以外の思想の持ち主である坂本竜馬を含む人物たちは、歴史のなかの困りものにすぎなかった。
 特に西南戦争(1877)である。司馬さんは次のように言う。
 
 「西南戦争というのは、西郷の人望と、薩摩の土俗的な士族の軍事的な強さが中核になっている反政府運動ですが、自由民権の芽も濃厚に混じっていますから、いまで言う野党連合だった。近代の日本に、ついに健康的な野党が成立しなかったのは、それがこのとき、完全に軍事的に制圧されたからだとも言えるでしょう。このとき、坂本竜馬および竜馬的人物というものもまた、国権的祭壇におさまらなくなってしまった」

 こうした明治国家が昭和の終戦まで基本的に続いていたため、日本には健全な野党が育つ余地がなかった。そして戦後も連合国から押しつけられた国家であったために、未だに健全な野党が育たないで来たのである。
 その野党であった政党が政権与党となって、実際政治をやってみると「これはなんか違うぞ?」と戸惑ったまま、この震災にあった。だからどうしていいのかわからないのである。あるのは野党時代に培った“怒鳴り倒すこと”である。それを震災直後にやった“脅し”になっただけのことである。
 もっともその政党に政治をやらせてみたら、と与党にしたのは国民である。国民は何かが変わると思ったのだ。けれど何も出来ないことに、失望しただけであった。そんなことを考えながら、司馬さんの意見を読んでみた。
 
 さて、それ以外に司馬さんの意見で面白かったことを書き並べてみる。
 「歴史と風土」で現在の土佐と薩摩の風土を比べている。特に薩摩に来てみて「これが薩摩隼人の国か、それほどじゃない」と司馬さんは感じ、それがどうしてなのだろう?と考える。
 まず薩摩的なものというのは戦国の末期、島津家が意識的に訓練してつくりあげたもので、江戸時代もずっと訓練のし続けだった、考える。その薩摩的なエネルギーが西南戦争で尽きてしまったことにより、薩摩的なものが失われていったと思うのである。
 一方土佐はそうじゃない。歴史をひもといてみると、百姓の方がむしろ土佐人であって、藩をつくっていた山内侍は進駐軍に過ぎなかったから、今高知の町へいってみても、これはいかにも幕末ごろに出てきそうな人間だとか、長曽我部の足軽というのはおそらくこんなやつだったろうという雰囲気を猛烈にもった人が歩いている、というのである。そんなものなのだろうか?

 「“旅順”と日本の近代の愚かさ」では次のように書いている。

 「これらの作品(『坂の上の雲』)をかくときに、昭和十年代の陸軍大学校の教授内容をしらべ、それを経たひとにあたってきいてみたが、旅順攻撃の失敗についての解剖がほどよくしかおこなわれていないことに驚いたことがある。むしろ失敗とみとめず、成功とするようなふんいきがあり、そのふんいきのなかから、日露戦争後の軍部の体質ができあがって行ったのではないかとさえ思えた。この体質の軍部が昭和十年前後に日本を支配したとき、日本そのものを賭け物にして“旅順”へたたきこんだというのもむりがないような気もするのである」

 この戦争後生まれた土壌に関しては、以前にもどこかで書いたような気がするので、引用だけでとどめておく。次に司馬さんの著作で徳川家康のことを書いた小説『覇王の家』のあとがきがここに掲載されている。そこの次のように書かれている。

 「かれ(徳川家康)がその基礎を堅牢に築いて二百七十年つづかせた江戸時代というのは、むろん功罪半ばする。文化文政時代という特異な文化や、教養の普及という点で代表されるように功も大きかったかもしれないが、天文年間から慶長年間にかけての日本人にくらべ、同民族と思えぬほどに民族的矮小化され、奇形化されたという点では、罪のほうに入るかもしれない。室町末期に日本を洗った大航海時代の潮流から日本をとざし、さらにキリスト教を禁圧するにいたる徳川期というのは、日本に特殊な文化を生ませる条件をつくったが、同時に世界の普遍性というものに理解のとどきにくい民族性をつくらせ、昭和期になってもなおその根を遺しているという不幸もつくった。
 その功罪はすべて、徳川家という極端に自己保存の神経に過敏な性格から出ている。その権力の基本的性格は、かれ自身の個人的性格から出ているところが濃い」

 私は井上清さんが鎖国の功罪に関して、日本独自の文化を生んだことは事実であっても、それ以上に弊害の方が強いと断罪をしていることを知っているが、個人的には司馬さんの考え方の方がすっきりするような気がする。
 あと歴史上の中国とその周辺国に関する考察で、周辺民族というのは、文化さえ持てばよかった。(中国)文明という光源があれば、周辺にあっては文明を興す機能性を持ちえないか、あるいは持つ必要がなかった。つまり文化という村落内に通用するだけの秩序意識を背負っている身軽な立場であるため、時勢の必要に応じて他の文明を仕入れることが容易であるということである。明治以後、日本が欧米での普遍性をもっていた技術文明を人文科学ともに仕入れたということが、その好例といえるかもしれない、と書く。
 一方その胴元の中国など、文明を興したということは民族の偉大さではあるが、同時に、自己が興した文明を他のものと交換することができにくく、自己の文明によって自家中毒になるまでそれを持ちつづけざるをえず、ときに民族的衰弱を来すという深刻さがある、と書いているのは面白かった。


評価
★★★


書誌
書名:司馬遼太郎が考えたこと〈7〉エッセイ 1973.2~1974.9
著者:司馬 遼太郎
ISBN:9784106467073
出版社:新潮社 (2002/04/15 出版)
版型:379p / 19cm / B6判
販売価:1,890円(税込)

2011年10月11日

三上延著『ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち』

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 この本は大分以前からお茶の水の丸善に平積みになっていて、気になっていた。でも出版社を見るとメディアワークスとなっている。要するにこの出版社、日本のサブカルチャー系出版社でゲームメーカーである株式会社アスキー・メディアワークスが、IT系出版社のアスキー(新社)を吸収合併して出来た出版社であり、現在角川グループホールディングス傘下の企業である。
 まぁどこの出版社でも読みたい本なら一向にかまわないのだが、今回は気になってはいても、内容がサブカルチャー的だと困るな、と思い、尻込みしていた。著者もネットで調べてみると「三上延(みかみ えん、1971年)は神奈川県出身のライトノベル作家。作風は全般的にホラー風味」とある。
 カバーの表紙もそれっぽいでしょう。でも気になって、ついに買ってしまった。私は古本に関するミステリーが好きでたまらないので、我慢できなくなってしまったわけだ。
 しかし内容はサブカルチャーではない、しっかりした内容の古本に関するミステリーとなっていて、予想以上の出来であった。

 話の内容は、主人公の五浦大輔が高校生のとき北鎌倉のビブリア古書堂で篠川栞子の姿に気をとめたころの話がプロローグとして始めている。
 
 大輔の祖母が亡くなり、その遺品に漱石全集があり、そこに次のようなサインがあった。

「夏目漱石
   田中嘉雄様へ」

 これを漱石のサインと勘違いした母親は一緒にはさまっていたビブリア古書堂の値札からここでこのサインを鑑定してもらい、高価なものであれば大事に取っておこうというのであった。全集は昭和31年判で、どう考えても漱石がこのときまで生きていたとは考えられないから、このサインは偽物に違いないと疑いつつ、大輔はビブリア古書堂に全集を持って行き、鑑定してもらうことになった。 ところがビブリア古書堂には彼女がいない。けがをして入院していると聞き、わざわざ病院まで訪ね、このサインの真相を聞くことになる。そこで篠川栞子はこのサインの真相を推理することになる。
 彼女が推理したサインの秘密は次の通りである。
 これは夏目漱石が田中嘉雄さんに献呈したように装っているが、実は田中嘉雄さんが大輔の祖母にプレゼントしたものではないか、と言うのである。なぜなら本を献呈する場合、本をあげる人の名前を中央に書いて、その後に著者の名前を書くのが普通であるが、これが逆になっている。ということは、大輔の祖母が田中嘉雄さんからこの全集の「それから」の巻のみプレゼントされたもので、それを隠すために、漱石の名前を書き加えたものだろう、というのであった。
 『それから』の主人公の名前は大介である。大輔の名前は祖母が付けたという。大輔は子どもの頃、祖母の部屋に入って祖母の本棚から読めそうな本を物色しているところを祖母に見つかり殴られた。そのとき祖母は「もう一度同じことをやったら、うちの子じゃなくなるからね」と言った。以来大輔は本が好きだけど、このことがトラウマになって本が読めなくなってしまった。しかしこの本は大輔の母の出生の秘密を解き開くことになっていく。

 大輔は栞子がきれいな若い女性であり、初対面の人や、本以外のことを話すことがうまくできない彼女が、本のこととなると途端に饒舌になるのに興味が引かれた。一方栞子は大輔が就活中であることを聞き、自分が今、足をけがして入院しているので、ビブリア古書堂で働いてくれないかと頼み込む。大輔はそれを当然引き受ける。ここから大輔と篠川栞子のコンビが古本の謎を解いていく。

 大輔は店番をし、持ち込まれる古本があれば、一時それを預かり、栞子に査定してもらうのと同時に、自分が本が読めないので、その本の内容を栞子に聞くことで、だんだん栞子に引かれていく。そして最終章の太宰治の『晩年』の話となる。

 大輔は栞子が階段を突き落とされたことでけがをしたことを知り、それが太宰治の『晩年』の初版本に原因があることを聞かされる。この『晩年』はビブリア古書堂で代々受け継がれてきたこの書店のコレクター品であった。
 そのとき大庭葉蔵と名乗る男がそれをゆずってくれないかと強く申し出てくるが、栞子はこの本は自分の所のコレクター本なので売ることが出来ないと言うと、暴力でそれを奪おうとして、栞子は突き落とされてしまったのである。
 そこで栞子はその男がどういう人間なのか突き止めようとし、罠をはる。大輔は協力を求められた。

 店にはせどりで貴重本を持ち込む志田という男がいるが、その仲間で二カ月前に知り合った“男爵”と呼ばれる笠原という男と一緒に店に来た。店にはあの『晩年』が並べられていた。しかし彼らはそれが復刻版の偽物と見破る。本物は栞子が病室に置いてあると大輔は彼らに言ってしまうのである。
 あとで二カ月前といえば栞子が突き落とされた頃だと大輔は気がつく。もしかしたら笠原が大庭ではないかと疑う。
 一方大庭は栞子のいる病院向かい、屋上で『晩年』を抱えた栞子栞子を追い詰めている。大輔は「たかが本のためにそこまでするかよ」と大庭に迫るが、栞子は『晩年』に火をつけ、屋上から投げ捨てた。大庭は捕まる。
 大輔らは大庭の本名が田中敏雄だと知る。もしかしたらこの男の祖父は田中嘉雄ではないかと聞くと、そうだという。祖母の恋人であり、大輔の母の本当の父親であった。田中嘉雄は古本のコレクターであり、あの『晩年』も祖父のコレクターだったと聞かされた。そして田中から栞子が火をつけた本は本物じゃないだろうとも聞かされる。本当に本が好きだったらそんなことなどできないというのである。
 それを栞子に問うと、栞子は大輔が本を読む人じゃないから、大好きな本を手元に置きたいという気持ちがわからないかもしれないと、大輔を最後で信用できなくなり、そうした芝居をしたというのであった。大輔は裏切られた気持ちになり、店を辞めた。
 大輔はまた就活活動に入るが、栞子の妹から電話があり栞子があれ以来本を読まなくなってしまい、退院しても心配だから、一度見舞ってくれないかと頼まれる。
 大輔はどうしようか迷ったが、就活の帰りに病院によると栞子がベンチで待っていた。栞子は『晩年』を大輔に預けるというのである。この本を預けることが、すなわち自分が大輔を信用するという気持ちだと言う。仲直りのつもりであった。

 この本は古本に関する小粒なミステリーだが、それでもなかなか面白かった。大輔が言ったように「たかが本のため」だから、古本に関してミステリーはそうそう大がかりになることは少ない。けれどコレクターの少々歪んだ心性が、一歩間違えれば事件を生むパターンは、それなりに面白い。


評価
★★★


書誌
書名:ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち
著者:三上 延
ISBN:9784048704694
出版社:アスキー・メディアワークス 角川グループパブリッシング〔発売〕 (2011/03/25 出版)メディアワークス文庫
版型:307p / 15cm / A6判
販売価:619円(税込)

2011年10月05日

佐野眞一著『津波と原発』

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 どうもこの本は読んでいて、とりあえず急いでルポを書いた、という感がぬぐえなかった。とにかく震災と原発の現場に急いで行って、被災者や原発で苦しんでいる人たちの話を聞き、後は著者がそれまでノンフィクションとして書き上げてきたものから、関係ある箇所を引っ張り出し、何とか本にまとめた。そんな感じが強く残った。こういうのはある意味“鮮度”が命のところがあるので、私みたいな馬鹿者が飛びつくのだ。
 しばらく佐野さんの本を読んでいなかったので、忘れていたのだが、そうだ、この人いつも自分が書いてきたノンフィクションを引っ張り出してきて、新しい話を強引に作り上げる人だったのだ。それが鼻持ちならずにいたのに、ついつい忘れていた。
 この本は福島に何故原発がこんなにできたのか?それを政治家の名声と政治的背景、さらに原発があるこの地が福島県のチベットと呼ばれたほど寂れて、不毛の土地であったことなど絡めて書かれている。ただとにかく急いで書いたもののようで、少々わかりにくい。ただ歴史的背景はある程度理解できたので、それを書いてみる。
 まずは天明の飢饉から話を始める。この天明の飢饉で、相馬中村藩は盛時の半分まで人口が減った。そのため人手不足による農地の荒廃がさらに進み、藩は北陸などから労働力を求めた。要するに移民を受け入れたのである。移住者は加賀、越中、越後、能登、因幡まで及んだという。ただ彼らは乞食同然であり、新しい土地に来ても、差別に苦しみ、さらに自然気候に苦しんできた。今回の原発事故でここを立ち退かざるを得ない人々の祖先は、そういう移民が多いという。
 そういう土地であることが原発誘致に適した土地であったということになる。原発誘致が一挙に町や村を裕福にする一発逆転策であったからだ。
 福島第一原発ができる前は、ここは長者原という陸軍の飛行機練習場だった。それが米軍の襲撃を受け、飛行場は全滅した。終戦後あの西武の堤康二郞がこの飛行場跡地の払い下げを受けた。そして塩田事業を始めたが、やがて事業も行き詰まり、また荒れ地になった。そして東電が原子力発電所の予定地として、ここでボーリング調査をしていることを聞いた堤康二郞は3万円で手に入れたこの土地を3億円で東電に売ったという。
 国は戦後復興から高度成長期を迎えるこの国の電力確保を目指していた。しかし世界で唯一原爆の被爆国である日本に、原発を導入することは、国民の感情から難しいところがあった。
 ここに正力松太郎が“原子力の父”として、政治家の名声を得ようと政治的力を発揮して、しかも自らの読売新聞をキャンペーンとして使い、国策として原発がこれからは必要だと画策していく。そのうち電力確保のためには原発の必要性がだんだん認識されるようになる。このあたりの過程は結構いろいろな人の思わくが絡んでいてわかりにくい。
 ただそれを作る場所は東京から遠いこと、人口密集地から離れていること条件となっていた。東電がここを調査していたのは、そういう条件をクリアする土地であったからだ。そしてここがチベットと呼ばれるほど不毛の土地であったことから、県も積極的に原発を受け入れていったのであった。原発を積極的に受け入れきたのが福島県知事であった木村守江(1976年土地開発に絡む収賄罪容疑で逮捕された)と東電の社長木川田一隆が東電福島第一原発を誕生させ「浜通り」を“原発銀座”と変えた立役者となった。貧しい土地が原発をやすやすと受け入れていったのである。そしていったん原発を受け入れてしまうと、それから抜け出せないものとなる。

 双葉町の歴史を、財政の面からちょっと振り返ってみよう。福島第一原発ができたとき、双葉町は潤沢な電源三法交付金によって、全国でもトップクラスの豊かな自治体となった。
 だが、経済浮揚のカンフル剤だと思っていた電源三法交付金が、覚醒剤にかわるのは、あっという間だった。
 電源三法交付金は発電所の工事開始から運転開始の五年後まで正規に支払われるが、六年目以降は大きく減額する。新たに電源三法交付金を支給してもらおうとすれば、原発を新規に建設しなければならない。
 この双葉町のように原発は地元を全国でトップクラスの自治体とする。それによって場違いな箱物がどんどん建てられる。いたん生活が豊かになると、今度はその質を落とすことができなくなっていく。そして新たな原発建設で、それを維持しようとしてきたのだ。これが著者のいう「覚醒剤」なのである。これは敦賀でもそうだったと、以前の本で読んだ。
 自治体が原発で豊になり得たのは「原発は安全だという前提で成り立っているからね、福島県そのものが」という地元の意見が、原発を受け入れてきた住民の意識であった。それで豊になるんだったらいいじゃん、ということなのである。
 しかしこの震災と津波で原発は安全じゃないとわかると、根本的にその前提が崩れてしまった。電源三法交付金で自治体が豊かになっても、住民の人々は結局東電と国に騙されたことになってしまった訳である。その怒り、絶望感は推して知るべしだろう。
 町が村がそれで豊かになったのだから、そのくらいの被害はある程度しょうがないじゃないのとは絶対に言えない。その豊かさ以上大きな負担を今回強いることになってしまったのだからだ。
 そしてここが肝心なことなのだが、そうした危険性を東電や国はどこまで住民に説明してきたのか?もしかしたら多少危険性はあるけど、徹底的に管理すれば安全だからと言って、それを作らせてね。その代わりお金をあげるからというようなことであったのではないか?


 今回の大災害は、これまで通用してきたほとんどの言説を無力化させた。それだけでない。そうした言葉を弄して世の中を煽ったり誑かしたりしてきた連中の本性を暴露させた。


 今回の震災や津波は人間が作ったもので完全な「安全」というのはないことを教えてくれた。もちろんある程度のリスクは何事においてもつきものだ。だけどそのリスクは人の生命や生活を奪う可能性があるものなら、単にリスクと呼べる代物じゃないだろう。それを隠すために、お金で釣ったのだ。
 逆もある。いつ来るかわからない大災害のために費用がかかりすぎると言って堤防をやめちゃおうと言った馬鹿な大臣がいたが、震災後この大臣の影が薄くなった。この大臣スーパーコンピュータ開発でもいちゃもんをつけたが、そのスーパーコンピュータが世界一になったところでますます存在感がなくなった。インタビューでも言い訳がましいことを言っていた。日本の政治家はリスクを隠すためにお金をばらまき、リスクを回避するためのものにはお金を出さない。変なところで帳尻を合わせている。


 「原発というのは要するに、運転しているときが、つまり動いているときが一番安全なんです。逆にいえば、止めた後が大変なんです。」


 動いているときが一番安全。この言葉は原発の恐ろしさを最も正確に言い当てている。原発の稼働開始は、コンビニに終始明かりを灯させ、自動販売機を常夜灯のようにさせた。原発は無限成長という絶対にあり得ない神話をつくりだしたのである。結果的にいえば、その神話にほとんどの日本人は踊らされたことになる。


 このことを日本人はやっと自覚し始めたのである。これからは「絶対にあり得ない神話」をまだ追い続けるか、それともまったく違うシステムを作っていこうとするのか、継続か転換か、それが問われている。

 ここのところ3月11日に起こった東日本大震災と津波、そして原発事故に関連する本や雑誌について書いてきた。実を言うとこれらの本は震災後発売されてからすぐ読んでいる。だからこれらの本や雑誌について、下書きみたいなものを書いたのは、その直後である。そのため表現上、時間表現がおかしな部分がある。でもそれをあえて直さなかったのは、その方がいいと思ったからだ。
 今のところこれ以上震災関係の本や雑誌を読む予定はない。もう少しこの震災に関するあらゆることが検証され、それについて書かれた本が出たら、また読みたいと思う。


評価
★★


書誌
書名:津波と原発
著者:佐野 眞一
ISBN:9784062170383
出版社:講談社 (2011/06/18 出版)
版型:254p / 19cm / B6判
販売価:1,575円(税込)

2011年10月03日

堀江邦夫著『原発労働記』

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 この文庫本はこの震災による原発事故で、27年ぶりに緊急復刊された。もちろん今も予断を許さない状況下にある福島第一原発にも著者は加筆している。
 この本は原発労働者として著者自ら美浜原発、福島第一原発、敦賀原発で働き、“被ばく”の恐怖にさらされながら、過酷な労働に従事する人々を描く潜入ルポである。

 今回の震災で原発が安全でないことを日本のみならず、世界が実感した訳だが、この原発を維持するため働いている人々が、絶えず放射能の危険に曝されて仕事をしているからこそ、原発は維持されていたことを知る。
 最も近代技術や科学技術で支えられている原子力発電が、まるで前近代的な下請け制度支えられていたことは、皮肉としか言いようがない。とりわけ電力会社の社員より、“原発ジプシー”と呼ばれる下請け労働者の被曝量が高いことは、原発は電力会社の社員で維持されていたのではないことを証明する。
 “原発ジプシー”とは、手配師などが集めた日本各地の原発を渡り歩いている人々を言うが、彼等がいるからこそ、原発が維持できていた。彼等が電力社員のやらない危険で過酷な職場環境で仕事をしているから、原発がかろうじて動いていると言っていい。おそらく今必死に原発の暴走を止めようとしている人々で、実際に原発内部に入り込んでいる人々もこうした人たちではないか、と推測する。
 労災法などをかじっていると、下請け会社が親会社に気を使って、言うに言えない環境で仕事をさせられていて、一端事故などあると、労災を適用しない方法で、内部処理してしまうことをよく聞く。だからこうしたことは、どこの業界でも存在するのだろう。


 三時のとき、西野さんとトイレへ行く。ドアを二つ抜けると、左手にガラス張りの部屋-原発の“頭脳”部分にあたる中央制御室だ。明るい照明の下、たぶん電力会社の社員であろう、カラフルなワイシャツ姿の男たちが、コーヒー・カップを片手に計器と向かいあっている。その部屋とガラス一枚隔てた廊下を、薄汚れたボロ布を顔に巻き、ホコリだらけの作業着を身にまとった私たちが歩きまわる。なんと対照的だ。


 あるいは著者が原発内で転落して肋骨を骨折しても安全責任者は治療費の件で次のように言う。


 「労災扱いにすると、労働基準監督署の立入調査があるでしょ。そうすると東電に事故があったことがバレてしまうんですよ。・・・ちょっとマズイんだよ。それで、まあ、治療費は全額会社で負担するし、休養中の日当も面倒みます。・・・だから、それで勘弁してもらいたいんだけど、ねえ」


 労災隠しである。労災扱いじゃないと嫌だと言えば、事故が公になり、マスコミが騒ぎ、東電に迷惑をかけ、その果てに会社に仕事が回ってこなくなり、行き着くところはあんたに仕事がなくなる、と暗にほのめかしているわけだ。

 そうまで電力会社に気を使いながら、原発内で危険な仕事を請け負っている。一方電力会社は“協力会社”として彼等に危険な仕事させている。
 下請け会社も高線エリアで仕事をしている従業員のアラーム・メーターが“パンク”すると、若いボーシンは「この分じゃあ、週300(ミリレム)の規定に引っかかっちゃうなあ」とボヤくが、彼が心配しているのは、労働者に一週間300ミリレムもの「被ばく」させてしまうことの心配ではなく、むしろ規定線量オーバーにより、別の労働者の確保しなければならない、という心配をする、状況下なのである。
 下請け労働者も、本当なら完全防護をしなければならないところを、不完全な、あるいは壊れているマスクなどを使いながら仕事をしている。また完全防護をして仕事をすれば、ちょっと動いただけで息苦しくなる。アラームは絶えずパンクし、必死でそこから脱出していく。

 「きのうの疲れがまだ残っていた。起き抜けに出た尿は、まっ赤だった。全身がだるい。仕事を休む」

 「だいぶ体調は回復してきた。しかし大事をとって、今日も休む。
 もし私が“本物”の貧しい下請け労働者だったら、生活は完全に破綻するだろう。なんら保障もなく、『体ひとつ』で生きていくことが、いかに苦しく、難しいかを身をもって痛感する」


 著者が原子炉内部に定期検査のために電源を確保するため、ケーブル引く作業に従事している時など(だいたい定期検査をするための電源が原子炉近くにはないのだ。これでどこが近代技術を駆使したものと言えるのだろうかと著者は言っている)、薄暗い中で、アラームが鳴りっぱなしであり、被曝量も他のところとは一桁違ってくる。それだけを読んでも、怖くなってくる。
 ここでは下請け会社で働く人たちと、正規社員との職場環境の格差は、どこにでもある格差ですまない。その格差が「つねに『死の影』がつきまとっているのだ」
 この本を読むと、原発で働く下請け会社の労働者の過酷な職場環境と危険性が単に労働問題だけでなく、原発そのものが危険なものであるというのを、我々に突きつけているのである。原発が最新テクノロジーで管理されているから、危険性はないのだ、というのは電力会社や国の嘘だったことを知らされる。そして奇しくもそれが今回の震災や津波であからさまになっただけのことである。
 いま我々は限りあるエネルギーと言いながら、一方で無尽蔵の如く電気を消費してきた。必要以上の快適さを求めるために、電気を使い続けた。原発が危険であっても、そのためにはその存在を認めざるを得なかった。我々は薄々感づいていたものを、突きつけられたのである。
 この本を読んで原発は怖いものだと改めて知らされたし、この震災で未だ先の見えない原発事故を、まるで人ごとのように淡々と説明する東電の社員を見ていると、原発は手を出しちゃいけないものだったのではないか、と思ってしまう。快適な生活の追求が原発のある地域に人が住めない場所に変えてしまったものなのだ。だったら我々は今までのライフスタイルをどう変えていけばいいのか、大きな課題を目の前に突きつけられてしまっている。


評価
★★★


書誌
書名:原発労働記
著者:堀江 邦夫
ISBN:9784062770002
出版社:講談社 (2011/05/13 出版)講談社文庫
版型:364p / 15cm / A6判
販売価:680円(税込)