2011年10月29日
小路幸也著『オブ・ラ・ディオブ・ラ・ダ』
毎年出るのかどうか知らないが、楽しみにしているシリーズの新刊が出るのはうれしい。その新刊を書店の平台に見つけたときは、やっぱり本は書店で買うべきだよな、とつくづく思う。新刊の情報はネットでも取れるのだけれど、すべてを網羅出来る訳じゃない。しかも本として見てみないとよくわからないものも多いので、どうしても書店にほぼ毎日足を運ぶこととなる。それが楽しいし、今日はなかったか、と寂しい感じになることもある。
で、この本である。シリーズ第6弾である。例によってさちさんの堀田家家族構成の説明から始まる。シリーズも進むうちに家族も多くなり、その関係も複雑になるので、見開きにある「登場人物相関図」がないと誰だかわからなくなる。これだけ多くの人たちが堀田家を中心にがやがやわいわいやっていくわけだから、話は面白くなって当たり前だ。小難しい小説と違って、微笑ましく読めるのがいい。
今回もドタバタホームドラマを展開してくれる。東京バンドワゴンの店を使って映画撮影が行われることになり、その時帳場の机に古本を積み上げて、古本屋さんの風景を演出しようとした場面がある。それを見て勘一が怒ってしまうのである。
勘一が怒った理由が次のようなのだ。もちろんサチさんが説明してくれる。
これは、しょうがないですね。古本を乱雑に積み上げたのは、いわゆるステレオタイプな古本屋のイメージを出そうとしたのでしょう。けれども、我が家ではそんなことはしません。積み上げた古本はただ本を傷めるだけで何の得にもなりません。古本はただでさえ年月を経て痛んでいるのです。それをできるだけきれいな状態に戻して、我が子のように慈しんで、それを求める人に丁寧に手渡しするのが<東京バンドワゴン>なのです。
これを読んで確かに古本は古本と呼ばれれば呼ばれるほど、年月が経っているわけでその分経年劣化をどこかに起こしている。そのことを、身を持って感じている人であれば、積み上げることは出来ない。なるほど、と思った。
また<本棚の飾り>という言葉を教えてもらった。これは金持ちが見栄で書斎や応接間に飾る全集とか特装本のことを言う。
それで思い出したことがある。たぶん以前どこかで書いたかと思うけれど、私が学生時代本屋でアルバイトしていた頃、筑摩書房などの高額な個人全集を、会社に配達したことがある。購入者はそこの社長さんである。領収書を会社の受付か経理の人に渡したとき、その人がぼそりと「社長の書棚を飾る本だね」と言ったのをよく覚えている。この人は社長さんが実際この全集を読まないことを知っているのであった。この社長さんは数種類の全集を予約していたし、言われれば確かに見栄えのする本ばかり買っていた。
サチさんと勘一の言葉がいい。まずはサチさんから。堀田家のドタバタが終わって、毎度話を締めくくる時に出てきた言葉。
人は弱いですから、いろいろ間違いを起こしますよ。それは誰にでも、大なり小なりあることです。
でも、それに囚われていては、生きている甲斐がなくなってしまいます。大きな過ちでも、小さな過ちでも、それを償うためにしなければならないことは同じですね。
しっかりと自分の足で歩いて行くことですよ。周りの人に支えられても、それが恥ずかしくても、自分が情けなくても、歩いていかなきゃならないんです。
人間は、動物ですからね。そして動くから動物というんでしょう。だから歩かなきゃ、動かなきゃ駄目です。止まってはいけません。
そしていけばきっといつか、傷は癒えるものです。
勘一の言葉いい。
人ってやつはね、失ったもんをいつまでも抱えてちゃあ荷物になって歩けなくなっちまう。忘れなきゃならねぇんだ。自分の中できちっりケリをつけて、そこに置いていかなきゃならねぇ。そいつが喪の仕事さ。
甘っちょろい言葉だけど、こういうのに弱いのである。もともとホームドラマである。これでいいのだ。
連続ドラマだろうから、このシリーズはまだまだ続くことを願う。私の楽しみとして、このシリーズを読んでいきたい。
評価
★★★★
書誌
書名:オブ・ラ・ディオブ・ラ・ダ ― 東京バンドワゴン
著者:小路 幸也
ISBN:9784087754001
出版社:集英社 (2011/04 出版)
版型:302p / 20cm / B6判
販売価:1,575円(税込)
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- by kmoto
- at 07:04
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