2011年11月25日

梶山季之著『せどり男爵数奇譚』

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 書店に『ビブリア古書堂の事件手帖』の新刊と一緒にこの文庫本が並んでいるのを何度か見た。まあ、古本に関するミステリーを店頭に一緒に並べるなら、この本は欠かすことはできまいと思う。私も気になって、自分の本棚にあるこの本を取り出して再度読むことにした。この本は文庫として発売されたとき買って読んだ。まあまあ面白かったという記憶があるが、それ以上は忘れちゃっているので、また読み直してみてもいいかな、と思ったのである。
 さてこの本はどんな本かというと、解説にうまいことこの本の紹介をしている部分があるので、それを書き出してみる。


 『せどり男爵数奇譚』は古書と古本屋をめぐる連作短編小説集である。愛書家、書痴、書狂、ビブリオマニア、異常なほど古書に取り憑かれた人々が登場するだけでなく、古書業界のさまざまなルールや逸話などが小説に織り込まれている。古書ミステリー、古書ホラーであると同時に、いわば古書に関する情報小説でもある。


 せどり男爵こと笠井菊哉の父親は戦前の成金で、いわゆる多額納税者で、それで爵位を買った。昭和16年にその父親が妾宅で腹上死して、世襲で男爵となった。父親の財産が転がり込んできたことで、古書に現を抜かすことなった。
 大学時代和本の魅力に取り付かれ、全集もので欠けている巻数を地方の古本屋で探す。その古本屋してみれば全集の端本はただのクズ本にしか過ぎないが、欠本を探している古本屋では、それが全巻揃うことで、高く売れるため、重宝された。こうして笠井菊哉は古書店主から一目を置かれる存在となっていった。

 「せどり」とは、彼が「せどり男爵」と呼ばれる所以は、


 古本屋仲間で、厭がられる商売の仕方に、新規開店の店に行って、必要な古本だけを買うのを、続に「抜く」とか「せどり」と云うですよね・・・・
 あたしはこの「せどり」の名人でしてねえ。まあ、本の値打ちを知らない未亡人なんかが、主人の蔵書を資本に、古本屋を開業すると、目星しい本をあらかた抜いて、神田や本郷の店に売りつけるわけです。
 まあ、背中を取る・・・・と云うような意味から来たんでしょうが、それで「せどり男爵」と渾名されたんですよ。


 である。とにかく古本狂うと、ミステリーにもなるし、ホラーにもなる。


 これに魅入られたら-そうですな、本の虫といいますか、こいつが取り憑いたら、もう逃れようがない。


 たとえば世界で一冊しかない本を手に入れたと思ったら、もう何冊かあった場合、どんなことをしてもその本を手に入れる。そしてその本を手に入れたら、さっさと燃やしてしまう。そして自分の手元に残った一冊を世界で一冊しかない本としてしまう。そのためには他の本を高額な値で買い取ったり、人を殺したりすることも辞さない。こうして本を破損する人を“ビブリオクラスト”と言うらしい。
 あるいは古書の持ち主が“ワ印”と呼ばれる春本を隠し持っていたりする。それをとんでもないところに隠していたりする。だからこれがミステリーとなる。
 一方ホラーとしては、世界で一冊しかない本にするために特殊な装丁にする。
 ここでは装丁に人間の皮膚を使うことで、世界で一冊しかない本としてしまう装丁家の話である。この場合本の内容よりその外観が価値を生む。
 聖書の「汝姦淫するなかれ」が印刷ミスで“not”が抜けてしまい。「汝、姦淫せよ」となってしまったものがある。これを『姦淫聖書』という。
 物語はこのミスプリントの聖書を人間の皮膚で暖かく包んでやりたいという中国人の話から始まる。皮膚を提供する女は麻酔をかけられて、男に犯されながら背中の皮膚をメスで切り取られる。まさしく「汝、姦淫せよ」を地で行った装丁の素材である。その光景を見てしまったある装丁家はその怪しい光景に魅了され、以来人の皮膚を使って装丁することに夢中となる。「人間てえものは、なにかのキッカケがあると曲がっちまう」である。
 人の皮膚で何かを飾るというのは、昔五木寛之さん小説でナチスがユダヤ人の皮膚を使ってランプシェードを作った話を読んだことがあるが、究極を極めるとこういうことになる。

 さて、最近私が聞いたことと経験したことを二つ書いておしまいにする。この本で次のようなことが書かれている。


 「また、不況が訪れそうですね」
 笠井は、セドリー・カクテル(笠井が好む変なカクテルのこと)を飲みながら小柳に云った。
 「そうなると、われわれの商売が繁昌する時だ。不況の時ほど、アレレと思うような逸品が出てくるからね。大体、“古”と云う文字のつく商売は、不況の時に強いんだ・・・・」
 小柳は、そう云って微笑した。
 不況になると、不要品を売却する人が出てくる。骨董品、書画などを、売る気になるのである。
 おそらく先祖譲りの品だとか、亡夫の残した蔵書なのであろうが、不況のさなかだから値下がりしている。
 だから売り手は、損をするのだ。
 買った側は、値打ちを知っているから、店頭に出さず、不況の嵐が通り過ぎるのを、じっと辛抱して待っている。


 私は先ほど自分の本棚の整理を大々的に行い、文庫本などほとんど処分がてら古本屋さんに売り飛ばした。そのとき、古本屋さんに聞いた。

 「今年の神田の古本市にはお宝本が豊富な年だったですってね?」

 私は何処かのタウン誌の特集で神保町の古本市に書いてあった見出しを目にしていたので、そう言ったのである。しかし来てくれた古本屋さんの社長さんは、それは今年に限らずここ数年そうだと言うのであった。理由は不景気による。景気が悪くなって、手元不如意なって、貴重な蔵書売る人が増えたというのだ。だから今まで市に出なかった本が続々出てくるようになっているという。そしてそういう人たちが増えたことによって、価格が下落して、お宝本が手に入りやすくなっているらしい。
 そして古本が買い手市場になっているものだから、引き取り価格も下落しているだけでなく、もうだぶついてか、引き取りをやめてしまっている古本屋さんもあるとも言っていた。古本屋さんも売り手の言い分を聞くことをしないで、値をふっかけられたら「だったら引き取りません」と強気にも出ているとも言っていた。
 だからであろうか?私の本の引き取り価格も低かった。けれど私が出した本は駄本ばかりなので、当然とはいえば当然なのだが・・・。むしろ私は最初から引き取り価格は気にしていなかった。引き取りに来てくれるだけで有難かったのである。
 そんな駄本ばかりの中には、多少古本的価値のある本をその社長さんは別により分けていた。これがこの本は多少値が付くだろうと思っていたものだった。この本にも「わたしには、どの本が本命なのか、わかるんです」と帳場に数冊持ってくる客の話をしている。
 そう、別に古本屋さんじゃなくても、ある程度本にふれていると、これはちょっと価値があるなとわかってくるものである。結局本に関していつもどこかに気にかけているものだから、そういったことがわかってしまうのだ。たとえば時代のニーズとか、人気があっても肝心の本が品切れや絶版になっている作家さんの本などは、多少値が付くだろうな、とわかるのである。

 もう一つが「せどり」である。この本の解説に最近はせどりが新古書店で行われていることが書かれている。実は私はそれらしき人をブックオフで見かけたのである。その日は単行本500円均一というセールが行われていた。私はそれを見たとき、しめしめ何かいい本がないかなと思い棚を見たが、棚がガタガタなのである。そして床にはいくつものカゴが置かれ、そこにごっそりと本が入っていた。どう考えても一人の人間が欲しい本を引っ張り出したようには見えなかった。そこには人が座り込んで、スマホでカゴの中の本を確認している。たぶんそこには求めている本のデータが入っているんだろう。私はこの人はここでせどりをしているんだな、と思った。
 昔ネットで古本屋さんをやっている人の本を読んだことがある。仕入れ先の一つにブックオフをあげていた。いくつも駆け回って仕入れをしていると書いてあった。これがそうなのか、と思ったのである。
 しかし本業かサイドビジネスか知らないが、こんな仕入れの仕方で商売をし、金を稼ぐのも大変そうだ。


評価
★★★


書誌
書名:せどり男爵数奇譚
著者:梶山 季之
ISBN:9784480035677
出版社:筑摩書房 (2000/06/07 出版)ちくま文庫
版型:299p / 15cm / A6判
販売価:819円(税込)

2011年11月22日

吉村昭著『魚影の群れ』

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 本の内容の話に入る前にこの本のことを書きたい。実はこの本ちょっと探していた。本は初版が1983年だから、今から28年前に出版されている。しかしもう28年も経ってしまうと、よほどコンスタントに売れていないと、品切れ重版未定、あるいは絶版になって、お決まりの“手に入らない”状態になっている。まして文庫本となると、古本で探すのも大変だ。アマゾンのマーケットプレイスで探せば簡単に出てくるけれど、本の値段はそれほどでもなくても、送料を考えると、それほど安くない。結局携帯にメモを残し、古本屋を歩いている時や、ブックオフへ行ったときに目についたとき買うことにした。
 こういう時携帯は便利だ。さすが“携帯”である。いつも持って歩く以上、そこにメモとして残しておけば、自分の探している本は何だったか、あるいは見かけたときすぐ確認ができる。重複して買うこともない。
 で、この本も神田の古本屋さんを歩いていた時、ワゴンの中で見つけた。間違いないか携帯を開き、「うん、これだ」確認する。3冊まで100円のワゴンにあった。こういう時欲しい本が3冊あれば、お得なのだろうけど、大体にしてそんなことはない。今回もこの1冊だけだったので、100円を出して購入する。多少傷んではいるが、問題はない。

 さてこの本は吉村昭さんの「動物小説」のジャンルに入る1冊である。これまでこのジャンルの小説は何冊か読んできているが、やはり自然相手の話は、厳しい。またその中で生きている人々も当然厳しい。我々のようにのほほんと暮らしている人間が予想する話の展開にはならない。気持ちとしてはハッピーエンドで終わって欲しい部分があるのだが、すべてにおいて無惨な結果で終わる。そんな甘っちょろいもんじゃないよ、教えてくれる。そうであることで、自然を相手にして暮らしている人々の暮らしの厳しさを伝えていく。
 この文庫は、「海の鼠」、「蝸牛」、「鵜」、「魚影の群れ」の4編が収録されている。
 「海の鼠」は島に「鼠が湧きました」、「磯も足元の路上も鼠で充満している。鼠を踏みしゃぐ」というほどの大量の鼠が島を襲った。もともとこの島は漁と、急な段々畑で農業をする、貧しい島であった。しかも台風も毎年襲ってくる。それでも島の人々はそうした自然の厳しさの中で堪え忍んで生きてきた。それが彼等の習性であった。
 そんな中、大量の鼠が島を襲い、わずかな農作物を食い荒らしていく。それでも鼠に食い荒らされることが、分かっていても、島の人々は生きるために、農作物を植えていく。
 人間にとって島は厳しい自然であるが、鼠にとってはいい環境であり、どんどん増え、太っていく。郡事務所の久保はさまざまな対策を講じるが、一向に効果がない。猛毒性の薬剤はある程度の効果を生むが、それだけでおさまらず他の動物をも殺してしまうし、自然環境を破壊してしまう。
 結局なすすべもなく、7年後、鼠が減って行く。島民は鼠が島を襲う前までは、自然が襲う様々なことに堪え忍んで生きたが、鼠が及ぼす被害には諦めだけで済まなくなり、畑を耕さなくなったり、漁を放棄した人々が減っていく。島を離れていく。そうしたことで鼠の食糧不足が生じた。これが鼠のいなくなった理由であった。鼠が去ったあと久保は次のように、無力感に襲われる。


 島に発生した鼠の数が減少したのは、駆除方法が成果をおさめたわけではない。鼠の食糧が乏しくなった島を放棄しただけにすぎないのだ。
 人間の力は、遂に鼠の群れになんの影響もあたえなかった。むしろ久保たちの行為は島の鳥類を絶滅させ、多くの鼬、猫、犬を殺してしまっただけだった。そして、その間鼠は、村人たちの食糧をむさぼり食い交尾し妊娠し無数の仔をまき散らしていった。
 かれは、鼠課長という言葉を耳にするたびに、物悲しい無力感におそわれた。そして鼠すら見捨てた島にしがみついて生きつづける村の者たちの生活を思い起こした。かれらは強靱な人間なのか、それとも土地を離れることのできぬ無器用な人たちなのか、かれにはいずれともわからなかった。

 この話は実際にあった話だそうだ。

 「蝸牛」はそれほど面白くなかった。
 
 「鵜」は鵜飼いの父と娘の話である。松次郎は自分の家庭よりも鵜飼い中心の人間だった。松次郎には一人娘千代子がいて、千代子の子供の頃は鵜に興味を示し「川の匂いがする」と言って敬愛心を感じていた。しかし千代子が歳を経て、一人歩きするようになると鵜飼いに見向きもしなくなる。松次郎は千代子に婿養子をとらせ、鵜飼いを継がせようと考えていて、松次郎の元で働く時雄を候補と考えていた。
 けれど千代子は男と不倫の末、家を出て行き、頼りにしていた時雄も事情で松次郎も元もとを去っていく。松次郎は自分が飼育している老獪な鵜に半ば八つ当たりして、えさなど与えないでいたが、逆にその鵜に顔を突かれてしまう。鵜にしてみれば、えさをもらえるかどうかが、すべてであり、もともと鵜飼いの鵜は完全に飼い慣らせないらしい。だから鵜は生きるためにそうしただけであり、逃げ出しただけなのだ。そう考えると人間というのは、生きものの自分の感情を移入してしまうけれど、結局それは思い込みであって、何ら関係ない。生きるためには生きるための手段、野生の本能があれば、その中で生きていくだけのことなのだろう。

 「魚影の群れ」は確か映画にもなったはずだ。青森のマグロ漁師房次郎は逃げた女房が置いていった娘登喜子と暮らしていた。登喜子には恋人俊一がいた。俊一は房次郎について、マグロ漁師になるつもりでおり、登喜子に頼んで房次郎の舟に乗せてもらう。しかし房次郎はずっと一人でマグロを追ってきた。そして俊一にはマグロ漁師とは異質な部分を感じており、どうしても俊一を受け入れることが出来なかった。
 あるとき房次郎の舟にマグロがかかったが、一緒に乗っていた俊一の額に釣り糸が巻き付いてしまい、皮膚を破り肉に食い入ってしまった。房次郎は一時糸を切って、俊一を助けようとするが、マグロ漁師たるもの、マグロがかかったらどんなことがあっても糸を切ってはならない。マグロを追いつつけなければならない、という教えを優先した。それでなくても房次郎は俊一にはいい感じを持っていない。
 何とか俊一は命を取り留めたが、登喜子は俊一と去っていった。二人とも房次郎に反感をいだいていた。
 俊一と登喜子は和歌山でマグロ漁の修得に努めているという噂が房次郎に入る。そして二人は戻ってきた。戻って来たとき俊一の容貌は漁師の顔つきとなっていた。俊一は房次郎と漁で争うこととなった。房次郎は大物のマグロを釣り上げていたが、俊一はなかなか成果が上がらなかった。
 その俊一の乗った船が戻って来ない。遭難した。1ヶ月後漂流している船が発見され、船中に白骨化した遺体が横たわっていた。俊一であった。船には釣り糸がついていて、引き上げると長さ三メートルを越すマグロの骨がついていた。一見して三百キロ近い大物であった。


 かれは、ようやく事情を理解することができた。俊一の鉤にマグロがかかって、かれはマグロを追った。漁獲に恵まれないかれは、その大物をのがすまいと釣糸をにぎりつづけた。しかし、未熟なかれはマグロの疲れを誘うこともできず、マグロとともに海上遠く進んだ。
 深い疲労と飢えが、かれを襲った。が、房次郎が傷ついた俊一を無視してマグロを追いつづけたと同じように、かれも釣糸をはなそうとしなかった。
 房次郎は、俊一のその行為は自分に対する憎しみによるものだということを知っていた。が、魚骨を見つめているかれの眼には、ただ物悲しい光が浮かんでいるだけであった。
 俊一に死が訪れ、マグロも死んだ。俊一の体は陽光と潮風にさらされて白骨があらわになり、マグロの体もむらがる魚に食い荒らされて骨だけになってしまったのだろう。
 房次郎は、海に眼を向けた。洋上を白骨化した俊一をのせた船が、魚骨をひいて漂い流れる光景が思い描かれた。
 かれは、吏員に深く頭をさげて礼を言うと町の家並みの方へ歩いて行った。

 
 私は房次郎の生き様に感動を覚える。長いこと一人でマグロだけを追ってきた。根っからの漁師である。そんな房次郎が俊一を受け入れたくても受け入れることが出来ずにいた。無器用なのである。結局意地の張り合いとなり、俊一は死に、房次郎はただ事実を受け入れるしかないのである。それしかできないのであった。

 物語はすべて物悲しく終わっていく。


評価
★★★


書誌
書名:魚影の群れ
著者:吉村 昭
ISBN:9784101117157
出版社:新潮社 (1983/07 出版) 新潮文庫
版型:300p / 15cm / 文庫判
販売価:入手不可

2011年11月16日

三上延著『ビブリア古書堂の事件手帖』〈2〉

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 栞子さんのシリーズ第2巻が出たので、早速買ってみた。前回は漱石全集に絡んだ大輔の祖母の話を縦糸にして話が進んだが、今回は栞子の家族、特に母親の秘密がこの巻の縦糸となって、横糸を古本に関わる人間模様を栞子が謎を解いていく。
 とにかくこの栞子は謎の多い女性で、好意を寄せている大輔にとっては、知りたいこと部分が多い。それでなくても大輔が昔付き合っていた女性と再会するにあたり、自分はこの女性に関して何も知らなかったし、その分相談相手にもなれなかったこと改めて思い知り、悔やんでいたので、栞子とは、そうありたくないという気持ちが強く働くのであった。

 さて、今回も古本に関わる人間関係の解明である。古本は四冊。坂口三千代『クラクラ日記』、アントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』、福田定一『名言随筆 サラリーマン』、足塚不二雄『UTOPIA 最後の世界大戦』である。うち本編が坂口三千代『クラクラ日記』を除く三冊である。
 まずアントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』。女子高生の小菅奈緒がビブリア古書堂にいる大輔を訪ねてくる。彼女は前回窃盗事件を起こしていて、その関係で大輔たちと知り合いになっているのだが、その奈緒が大輔に妹の結衣の書いた感想文を持って、相談に来る。その感想文は大人びた、一種の危うさを持ったものであったので、奈緒は心配していたのである。読んでみると確かに女子高校生が書くような感想文ではない。そこで大輔は本のことなら栞子に相談するに限ると、その感想文を栞子に読んでもらう。そして栞子は結衣が「この本を読んでいない!」と言うのであった。
 この本は奈緒がネット書店で結衣の代わりに購入したものであったが、この『時計じかけのオレンジ』には二種類あって、旧版はアントニイ・バージェスが書いた最終章が削除された形で出版されていた。そして新版は完全版として削除された最終章を載せて出版され、旧版は絶版となっている。その最終章はあるなしでは、話の内容が変わってしまうものであり、感想文は明らかに旧版の本の感想文であった。
 それはまずネット書店で購入したものであるから、絶対に絶版になった旧版のものであり得ない。またその文庫にはスリップが付けたままになっていた。
 これはちょっと説明がいる。通常書店で本を買うとこのスリップは書店員によって抜かれる。このスリップが在庫管理にも、注文書にも使われるからだ。けれどアマゾンなどで本を買うと、そのまま付けた形で送られてくる。スリップを付けたままだと本文が読みづらいから、普通それを外すはずだ。それが付いたままになっているということは、結衣はこの本を読んでいないということになる。そして何よりもその感想文は栞子が高校時代に書いたものだったのである。それで結衣のウソがばれる。

 福田定一『名言随筆 サラリーマン』は、著者が福田定一となっていたことで、だいたい話が読めた。福田定一とは司馬遼太郎の本名なのである。私はそれを知っていた。そしてこの本は司馬さんが隠したい本だったらしく、今では稀覯本となっている。
 そんなことを知っていたので、たぶん古本の中にこの本が混じっており、それに栞子が気がつかず、話が展開し、最後にすべてが判明するのだろう、と思ったら、ほぼその通りとなった。
 話は大輔が学生時代付き合っていた高坂晶穂と久しぶりに再会し、亡くなった父親の蔵書を処分したいと大輔に依頼するところから始まる。栞子と大輔は晶穂の実家に赴き、本の査定を始める、そこにあるのは時代小説とビジネス書が中心であった。晶穂の父親は県内でレストランチェーンを経営していたが、若い頃は職を転々として苦労していた。
 晶穂の父親の本は時代小説で多少値が付くものがあったが、ビジネス書などは役立たず値が付けられなかった。しかし栞子はその本の中に何か気にかかるものがあった。何か忘れていることがあるのだ、と思うのだがそれが思い出せずにいた。結局値の付かない本を処分がてら新古書店に晶穂が持ち込むことになるのだが、栞子たちが引き上げるとき、引っかかることを栞子が思い出し、慌てて晶穂を追いかける。そして値の付かない本の中に福田定一の本を見つけるのである。しかも本には「福田定一」と署名してある。こうなるとこの本は大変価値のある本となる。
 父親はこの貴重な本を晶穂に直接手渡したかったのであった。晶穂の父親は一時期画廊の受付の仕事に就いていたことがあった。一方司馬遼太郎は産経新聞の文化部に勤めていたので、その頃晶穂の父親と知り合った可能性がある。晶穂の父親は一介のサラリーマンから大作家となった同郷の司馬遼太郎の著書は、仕事で苦労した父親にとって「お守り」だった。その「お守り」を晶穂に渡したかったのだと栞子は推理するのである。

 足塚不二雄『UTOPIA 最後の世界大戦』では、ビブリア古書堂に本を売りに来た男が、栞子が本の査定をしている間に、持ち込んだ本をそのままにして消え去っていく。古本を買い取るにあたり「買取表」に住所や氏名を記入するのだが、この男は住所を途中にして、氏名や電話番号は記入していなかった。しかし栞子は持ち込まれた本の状態から、その男の住んでいる家の状態を推理し、男を捜し出す。
 男は亡くなった父親と一緒に藤子不二雄の漫画をコレクションしていた。店に来たときに足塚不二雄の『UTOPIA 最後の世界大戦』をいくらで買い取ってくれるか訊ねていた。足塚不二雄とは藤子不二雄の若い頃のペンネームであった。足塚とは大先輩の手塚治虫にあやかって付けたという。そしてこの本は著者にとって最初の単行本で、現存するのは十冊ほどだと言われていた。1980年に初めて古書店に現れるまでマニアに間でも幻の一冊と言われていた。それを知っていた栞子はどうしても男を訪ねなければならなかった。
 男の父親は小学生の頃、この漫画を愛読していたので、どうしてもその本を見てみたいと思い、店を訪ねるが、本は万引きされた後であった。父親は恋い焦がれていた本と再開出来なかったことがショックで、しばらくの間酒浸りとなった。
 ところが父親がビブリア古書堂に本を売りに行った時に、棚にこの本が並んでいた。値段は二千円だった。父親は店員に代金を払い、持ち込んだ本をそのままにして逃げるように店を出た。その店員は栞子と同じように男の父親の家を探し出し、訪ねてきた。店員は栞子の母親であった。栞子の母親は預かった本を届ける目的でここを訪ねたのではなく、その本を買って突然飛び出したものだから、この本は貴重な古書であることに気がついた。二千円の値札の本じゃないと気がついたから、母親が教えを乞いに来たと男は言った。 しかし事実は違うと栞子は推理した。この漫画は男の父親が持ち込んだ段ボール箱に紛れ込んでいた。それを手にした母親はすべてを理解した。すなわち初めてこの漫画本が古書店に並んだとき、万引きにあって、父親はそれを見ることができなかったと言っていたが、実は万引きしたのは父親であったのではないか。だから男の父親は慌てて逃げ出すように店を出たのである。それを察した栞子の母親は、父親を訪ね、一計を案ずるのである。つまりこの盗まれた漫画を犯人から安く買取り、それを売ってしまったということにすれば、法的に罪は問われなくなる。架空の万引き犯をでっち上げ、その本を男の父親が安く買ったとすれば、父親も万引き犯となくなるわけだ。だからこの漫画にビブリア古書堂の値札がいまだ付いているのである。その代わり栞子の母親は父親が持っていた他の貴重な漫画本を安く譲り受けるのである。
 栞子は自分の母親について次のように言う。


 「わたしの母がどういう人間か、これで分かったでしょう?古書に詳しい、頭の切れる、得体の知れない人です。・・・・十年前に姿を消したきり、連絡もありません」


 その母親が残していった本が一冊ある。坂口三千代『クラクラ日記』である。母親は自分の気持ちを本に託すのが好きだった。『クラクラ日記』を見た後母親が何をしたかわかったという。


 「他に好きな人ができたんだと思います。『クラクラ日記』には、著者が幼い娘を家に残して、(坂口)安吾のもとへ走る記述があるんです」


 栞子はこの『クラクラ日記』を何冊も持っていた。栞子は母親が残していったこの本を古本市場に売りに出した。けれどあとになってこの本の中に直接自分宛のメッセージがあったのではないかと思い始め、その本を探し出すために古本市場でこの本が出品されると買い求めた。だから同じ本を何冊も持つことになってしまったのである。大輔はそう推理した。

 栞子さんの本は人気があり、どうやらシリーズ化されるようで、まだ続巻が出るようである。結構気に入っているので楽しみだ。そうそう秋葉原のヨドバシカメラにある有隣堂では、『ビブリア古書堂の事件手帖』の1巻と2巻が平積みにされていて、その横に栞子さんが推理した本、例えば今回の『クラクラ日記』や前巻の漱石の『それから』や太宰治の『晩年』の文庫本が一緒に並べられていた。この本を読んで、これらの作品を読もうという人のため配慮と売上アップを狙った作戦なのだろうが、なかなかやるものである。


評価
★★★


書誌
書名:ビブリア古書堂の事件手帖〈2〉栞子さんと謎めく日常
著者:三上 延
ISBN:9784048708241
出版社:アスキー・メディアワークス 角川グループパブリッシング〔発売〕 (2011/10/25 出版)メディアワークス文庫
版型:261p / 15cm / A6判
販売価:556円(税込)

2011年11月14日

藤原正彦著『日本人の誇り』

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 この本は最終章の「日本をとり戻すために」に歴史的記述にかなりのページを割いている。「日本をとり戻すために」とは、日本という国の誇りがどうしてこうも国民に失われてしまったのか、その経緯を書かざるを得ないという思いがここにはある。
 たとえば、日本政府の対中外交の弱腰を次のように批判する。

 とりわけ中国にはやられ放題です。尖閣諸島など、歴史的にも国際法的にも日本領であることは明白なのに、領海侵犯したばかりか海上保安庁の巡視艇に体当たりまでしてきた中国漁船の船長を、中国の恫喝に屈し釈放してしまいました。体当たりしてきた段階で中国漁船を撃沈してもよかったほどのものですが、日本政府首脳は目を泳がせたまま「私はビデオを見ていません」「釈放は検察の判断でされました」など平気で言い、中国に断固たる抗議もせず「領土問題は存在しません」と蚊が泣くような声で繰り返すばかりです。 すばらしい学習をした中国はこれからも東シナ海でやりたい放題の乱暴狼藉を働き、こちらが逮捕などの行動に出るや謝罪と賠償を世界中に聞こえるようにがなり立て、それでもダメならありとあらゆる報復措置をとるでしょう。台湾の李登輝さんが言うように中国とは「美人を見たら自分の妻だと主張する国」なのです。(別の章では「利益のためなら何でも主張するという中国の慣習」とか、政府への不満を外国への憎しみにすりかえるというのは中国が現在もっともよくとる手法」とも言っている)

 あるいは、

 それならまだ分かるのですが理解し難いのは、祖国への誇りを育むと軍国主義につながりかねない、戦前の愛国教育と同じではないのか、など心配したり、近隣諸国条項を考慮したりすることです。
 近隣諸国条項とは1982年(昭和57年)に起きた不思議な事件により生まれたものです。その年、新聞やテレビが、「歴史教科書の検定において文部省が『大陸侵略』という言葉を『大陸進出』に書き改めさせた」と報道し、文部省と政府を攻撃しました。すぐさま中国政府は不快感を表明しました。
(略)
 ところが不可解なことにその後になって、当時の宮沢喜一官房長官が「今後の教科書検定は近隣諸国の感情に配慮する」という談話を発表したのです。そしてこれは教科書検定基準として定められました。世界のどこにもない奇妙な、と言いますか奇想天外な基準です。
 これがきっかけでその後、何かあるたびに日本は中国や韓国や北朝鮮に「歴史認識」を問われることになりました。この三国は「歴史認識」が黄門様の印籠でありこれを口にしさえすれば直ちに日本が謝罪し、外交上優位に立てることをこの時学習したのです。そもそも、国家が謝罪するなどということは、私の知る限り日本だけです。主権国家というものは、戦争で降伏し賠償金を払っても、謝罪という心情表明はしないものです。それは自国の立場を弱くし、自国への誇りを傷つけるからです。そしてなにより、もはや弁護できない私たち父祖を否定し冒涜することになるからです。
 第二次大戦やそれ以前の歴史を外交に持ち出す国は私に知る限りこの三国以外、世界中のどこにもありません。(略)日本が謝罪と譲歩で応える世界唯一の国だからです。1990年以降ほとんど毎年、政府が謝罪し続けています。それより関係は改善するどころかむしろ悪化しています。
 近隣諸国条項とは平たく言うと「中国、韓国、北朝鮮を刺激しかねない叙述はいけない」という政治的なものです。子供の学ぶ歴史教科書において、歴史的客観性より「事を荒立てない」を優先する滑稽な代物なのです。

 ではどうしてこうなってしまったのか?それを著者は歴史から説明する。まずは幕末から明治維新から紐解き始める。

 日本はこの大きな世界史の流れに、幕末になって突然、心ならずも放りこまれてしまいました。
その当時、アジアの国々は諦念からでしょうか、激しい抵抗もほとんど示さず、片っ端からヨーロッパ勢力により蹂躙されてしまいました。強力な武器を手に高圧的に迫る白人を前に従順な羊のようでした。
 その中にあって唯一、独自の、人類の宝石とも言うべき文明を生んできた日本は、その気高い自負ゆえに、ぼんやり眺めているばかりの他のアジア諸国とは異なり、命をかけて独立自尊を守ることを決意しました。日本のような後進の小国にとって、実に大それた望みでした。幕末から明治維新の日本人が、満腔にこの決意を固めたと同時に、その後の流れは決まってしまったのです。

 日本は南下政策をとったロシアをひどく恐れた。そのために「清国に朝貢しつつ無気力のまま暗闇の底で蠢いている朝鮮」叩き起こして開国させ、明治維新のような改革をさせねばならない。同時にヨーロッパ列強の食いものとなり果てて恥じることのない「性根のすわっていない兄貴分の中国に正気を取り戻させ」、日中朝で協力しヨーロッパ列強、特にロシアの侵略に備えなければならない、と考えた。西郷隆盛の征韓論の思想的根拠はここにあった。
 考えて見れば日本防衛のために、朝鮮や中国にとって迷惑な話でもあるけれど、自国防衛のためにはあまりにも日本は小さすぎた。だから協力してヨーロッパ列強に対処しようとしたわけだ。問題はそうしたアジア主義が朝鮮や中国に理解が得られず、一人歩きしてしまったところであろう。その結果日本は日清戦争、日露戦争と進んでいくこととなる。そして勝利し、奢ってくると、もともとフライング気味のアジア主義が変質してくる。日露戦争前後から日本を盟主とする大アジア主義となり、昭和になって大東亜共栄圏となっていく。結局日本は帝国主義列強の仲間入りをしてしまった。
 世界恐慌から列強ブロック経済化により、日本は窮地に追い込まれ、ついにアメリカとの戦争へと突入していく。
 敗戦で、日本はGHQの支配下に置かれるが、その時GHQは「罪意識扶植計画」を日本人に実行していく。

 「罪意識扶植計画」は、日本の歴史を否定することで日本人の魂の空洞化をも企図したものでした。ぽっかりと空いたその空地に罪意識を詰めこもうとしたのです。そのためまず、日本対アメリカの総力戦であった戦争を、邪悪な軍国主義者と罪のない国民との対立にすり替えました。三百万の国民が殺戮され、日本中の都市が廃墟とされ、現在の窮乏生活がもたらされたのは、軍人や軍国主義者が悪かったのであり米軍の責任ではない。なかんずく、世界史に永遠に残る戦争犯罪、すなわち二発の原爆投下による二十万市民の無差別大量虐殺を、アメリカは日本の軍国主義者の責任に転嫁することで、自らは免罪符を得ようとしたのです。

 「罪意識扶植計画」に協力的でない人間は公職追放されたり、圧力を加えられたりする。そのため最初は生存のため仕方なく罪意識扶植計画に協力していたのが、次第にそれに疑いをはさまない姿勢こそが戦争への懺悔、良心と思いこむようになり、洗脳されていった。疑いをはさむ人は軍国主義者とか右翼というレッテルが貼られることになった。
 このようにGHQが種をまき、日教組が大きく育てた「国家自己崩壊システム」は、今もなお機能しているため、自らの国家としての意識が主張出来ない。単に国を思う気持ちが、増幅されて、戦前の軍国主義だという話になってしまうのである。そしてそれを恐れる余り、中国など言いたい放題、やりたい放題やられるのだ、というわけだ。それくらいあの戦争の罪意識を日本人に植え付けてしまったのである。
 著者はそこまで強く罪意識を持たなくてもいいし、ある意味あの戦争は列強からのアジアの開放を促し、帝国主義に終止符を打った部分もあるという。
 今や敗戦で押しつけられた欧米の思想である個人主義や経済至上主義はイデオロギー的に破綻しかねている部分があり、これの対処療法では何ら効果を生まないところまで来ている。だからこそ、かつて日本が持っていた個の尊重より、みんなを思う心から、その延長で国家を思う心の復活に期待を寄せるのである。今こそ日本人として誇りで国作りをすべきだと著者は主張する。
 タカ派的な愛国心鼓舞は、行きすぎると問題があるが、国民が自分の国を誇りに持てないというのは、確かに異常だ。ヨーロッパで生まれた個人主義が、日本を、強いては世界をおかしくしている以上、国としてのオリジナリティーを回復し、その中で世界の国々と折り合いをつけていくべきである。今の日本のような他の国に卑屈になりながら、抜け道を探し、生き抜こうとする方法をとっていると、いつまでも日本人の誇りなど持てない。そんな気がする。


評価
★★★


書誌
書名:日本人の誇り
著者:藤原 正彦
ISBN:9784166608041
出版社:文藝春秋 (2011/04/20 出版)文春新書
版型:249p / 18cm
販売価:819円(税込)

2011年11月08日

夏目漱石著『草枕』

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 山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。
 人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。矢張り向こう三軒両隣りにちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国に行くばかりだ。人でなしの国は人の世より猶住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容で、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。 住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、有難い世界をまのあたりに写すのが詩である。画である。あるいは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。只まのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。

 世に住むこと二十年にして、住む甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏の如く、日のあたる所には屹度影がさすと悟った。三十の今日こう思うている。
 -喜びの深きとき憂愈深く、楽みの大いなる程苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片付けようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖えれば寐る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋も積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。・・・

 とまあ、この出だしは有名なのだが、よく読んでみると、屁理屈極まりない。要するに我がままの言い放題である。ああ言えばこう思う。否定すれば肯定する。思わず“どうしろと言うのだ?”と聞きたくなる。ひねくれ者の与太にさえ聞こえる。これが延々と続くのだ。超然としている、と言えば聞こえがいいが、結局どうしようもないことにつきそうだ。けだるさが全編に流れる感じだ。まるで世捨て人の戯れ言を読んでいる感じがした。

 とにかく読みづらい。主人公の観念的な思索が、仏教用語や中国の古典から引用され、表現される。そのため本文と注解をしょっちゅう行ったり来たりしなければならず、そのうち本文のどこを読んでいるのかわからなくなる。おかげでたかが170ページほどを読むのに4日もかかってしまう。途中で放り出したくもなった。

 いわゆる自分は画家で詩人であるので、一般人とは違う。世間一般の常識や考え、また情に流されずに、そこから超越した立場でものごと見ることを決めている。だから冒頭の言葉生きてくる。自ら「余はこの度の旅行は俗情を離れて、あくまでも画工になり切るのが主意であるから、眼に入るものは悉く画として見なければならん。能、芝居、若しくは詩中の人物として観察しなければならん」と言っている。
 だから那美に「御勉強ですか」と聞かれ、勉強じゃない。いい加減に開いた本読んでるだけだと主人公は答える場面があるが、それで面白のかと聞かれると、それでいいと答えるのである。

 「全くです。画工だから、小説なんか初から仕舞まで読む必要はないんです。けれども、どこを読んでも面白いのです。あなたと話をするのも面白い。ここに逗留しているうちに毎日話をしたい位です。何ならあなたに惚れ込んでもいい。そうなると猶面白い。然しいくら惚れてもあなたと夫婦になる必要はないんです。惚れて夫婦になる必要があるうちは、小説を最初から仕舞まで読む必要があるんです」

 「すると不人情な惚れ方するのが画工なんですね」

 「不人情ではありません。非人情な惚れ方するんです。小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。こうして御籤を引くように、ぱっと開けて、開いた所を、漫然と読んでいるのが面白いんです」

 主人公は人とあれこれ関わった姿勢で絵を描こうなんて思っていないのである。あらゆることから中立の立場で、何事にもとらわれずに事象を見ていこうとする。その瞬間が大切なのだ。主人公が言う非人情とはそういうことなのだろう。中立の立場と言えば聞こえがいいが、要は傍観者でありたいわけである。どうもイライラする。

 だからどうなんだ!、と言いたくなってしまう。

 それが芸術と言うものなのか?芸術だからこれほど昇華しないと表現出来ないとでも言うのであろうか?よくわからない。でもこういう屁理屈をこねる画家の絵などあまり見たいとは思わないないけどね・・・。


 ところでこの小説に神田松永町が出てくる。実は私は以前ここにあった店で働いていた。だから松永町と出てきたときは、おっ、と思った。でも床屋の親父は結構言いたいことを言っている。
 ちなみに千代田区にはよく町名や坂の由来を記したモニュメントが建っているが、松永町にも町の由来が書いたものが建っている。そこには次のように書かれている。

 ここはかつて松永町(まつながちょう)と呼ばれていました。この町名ができたのは今から三百年ほど前の元禄(げんろく)(1688~1704)のころです。

 元禄十一年(1698)、江戸城整備の一環として、鎌倉町(かまくらちょう)から西紺屋町(にしこんやちょう)(現・中央区)までの十五の町の一部を削って、外堀沿いの道が拡張されました。その翌年、これらの町に住んでいた人々が、現在の外神田一丁目(そとかんだいっちょうめ)周辺に代地(だいち)を与えられて移り住みました。このとき付けられたのが、「松永町」です。

 名前の由来については明確な記録が残っていません。明治三十三年(1900)刊行の『新撰東京名所図会(しんせんとうきょうめいしょずえ)』には、当時の人々が、新たな町に住むにあたって「松がいつも緑であるように、この町の賑(にぎ)わいも永久のものであってほしい」という願いを込め、「松永」という名を選んだのではないかと記されています。

 商人や職人の住む町として発展をとげた松永町ですが、幕府とのかかわりも深い土地でした。『文政町方書上(ぶんせいまちかたかきあげ)』によれば、町ができた当時、幕府お抱(かか)えの絵師・狩野探信(かのうたんしん)の拝領屋敷も町内にありました。狩野派は幕府や朝廷の御用絵師として栄え、探信の父の探幽(たんゆう)は、「鵜飼(うかい)図屏風」や二条城(にじょうじょう)二の丸の障壁画(しょうへきが)などで知られています。また、文政七年(1824)の『江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)』には、弓を射るときに用いる「ゆがけ(鹿革の手袋)」という道具をつくる御用職人・釘元又左衛門が住んでいたことも記録されています。

 明治時代には、文豪森鴎外(もりおうがい)の住居も町内にあったと伝わっており、夏目漱石(なつめそうせき)もまた小説『草枕(くさまくら)』の中で、この松永町にふれています。

 確かに書かれている。

 しかし主人公が顔を当たってもらっている髪結床の親父は次のように言っている。

 「親方じゃねえ、職人さ。所かね。所は神田松永町でさあ。なあに猫の額みた様な小さな汚ねえ町でさあ。旦那なんか知らねえ筈さ。あそこは竜閑橋てえ橋がありましょう。そいつも知らねえかね。竜閑橋ゃ、名代な橋だがね」

 まさか町の由来に漱石の『草枕』で髪結床の親父が“小さな汚ねえ町”と言っているとは書けないから、「夏目漱石(なつめそうせき)もまた小説『草枕(くさまくら)』の中で、この松永町にふれています」と書いているのだろう。漱石の作品でもふれてますといえば、なんか由緒正しいような、格が高いような感じがしてしまうが実際はこのように書かれている。


評価
★★


書誌
書名:草枕 (改版)
著者:夏目 漱石
ISBN:9784101010090
出版社:新潮社 (2005/09/20 出版)新潮文庫
版型:242p / 15cm / A6判
販売価:420円(税込)

2011年11月03日

新田次郎著『強力伝 孤島』

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 私は新田次郎さんの本は今まで『武田信玄』、『武田勝頼』の歴史小説しか読んでいない。で、今回は新田さんの山岳小説であるこの本を読んでみた。「強力伝」、「八甲田山」、「凍傷」、「おとし穴」、「山犬物語」、「孤島」の6篇の短編が収められている。「強力伝」、「凍傷」は実在の人物を扱ったものである。「八甲田山」はたぶん後に「八甲田山死の彷徨」に書き換えられた作品ではないか、と思われる。
 「凍傷」は富士山山頂設立のために、予算を確保する必要があった。そのためには真冬でも富士山に登頂できることを証明する必要があった。その証明のため、真冬の富士山登頂や、山頂での気象観測、そして下山と、その過酷さの中で、主人公の技師の意地が描かれる。
 強力が凍傷になったとき、その技師が独自の凍傷の荒治療をしてくれる。その強力は、「こんなに苦労してまで気象観測を続けなければならない佐藤の行動を、単に学問のためというよりも、富士山を取りまく一群の信仰家達の業のような執着を持っているのではないかと思った。佐藤は富士行者の一人に見えてならなかった」と感じるのである。その感慨に技師の妄執が語られている。
 「おとし穴」、「山犬物語」は山犬(たぶんオオカミだろう)を扱った小説で、「おとし穴」は文字通りおとし穴に酔っぱらって落ちてしまい、その穴に山犬が先に落ちていて、落ちた男が山犬に襲われないように、穴の中で格闘する話である。
 「山犬物語」は山犬によって愛娘を失った主人公が、復讐のために山犬を殺す。しかし山犬の子犬を育てた妻も、主人公もやがて狂犬病のため死んでいく話である。

 個人的にはやっぱり「強力伝」が良かった。この作品は新田次郎さんの直木賞受賞作品である。この作品の主人公は新田さんが富士山頂観測所に勤務していたとき、当時炊事係をしていた小宮山正がモデルとなっているという。主人公の小宮正作は自分のことが新聞に書かれることが何よりも尊いものと感じていて、その記事を宝物のように持ち歩いて歩く強力であった。
 小宮はあるとき新聞に自分の名前が出るというので新聞社の誘いに乗って、50貫(187キロ)もある花崗岩の風景指示盤を背負って白馬山頂に登ることとなった。
 それを何とか止めようと石田は小宮のもとを訪ねる。石田は富士山山頂観測所の交代員として勤務していた頃、夜中に変なうめき声を聞いたことがある。
 
 「中央ホールに寝ていた荷上げの強力のうちで誰かが酷い夢にでもうなされているらしい。堤電灯を向けると、それが小宮であった。額に脂汗をぎらぎら光らせて、歯を喰いしばって身もだえしている様子は、毒でも飲んだかと思う程凄惨な感じがした。じっと立ってそこに寝ている他の強力の顔を見ても、どの顔も安らかな眠りではなく、互いに身体を反転しては楽になろうとしている様子は、何かから抜けだそうする動物のあがきのように心を寒くするものだった。日中の度を過ぎた労働が彼等の肉体を夜になって責めたてているに違いない」

 しかし小宮は石田の忠告を聞かずに花崗岩の風景指示盤を背負って歩き出した。187キロの石を標高2,932メートルの白馬岳の頂上に背負って運ぶのである。力自慢は結構だけれど、このことは当然身体にかなりの負担をかける。実際主人公のモデルとなった小宮山正はその時の無茶が原因で2年後には箱根で亡くなられたという。
 作品ではその石の重みが、小宮の背中、足腰にものすごい負担をかける感じが行間からにじみ出てくる。しかも足下は雪である。身体から悲鳴のような音が聞こえそうである。しかも休憩も取らないし、風呂も入らない。それは「小宮は今迄の経験から、重い荷とか苦しい道を続ける場合、呼吸の入れ方が最も重要であることを知っていた。大きな呼吸、つまり休憩時間を長く取ることはかえって身体をなますことになり、一気呵成にやっつけて後で充分休養を取るやり方が小宮の今迄の仕方であった。だから彼は風呂に入って筋肉をもむことより、睡眠と食事に重きを置いた。異常に緊張した筋肉に特別の休養を与えると、かえってそこが痛みだすこともよく承知していた」からであった。

 何かで高山に荷物を歩いて運ぶ人の話を聞いたことがある。その人達を“強力”という人たちだったのだ。実際に白馬山頂に50貫(187キロ)の花崗岩の風景指示盤があるらしい。ネット調べて見るとその写真があったので、ちょっと拝借した。


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 写真で見てみるとその石に太さ、大きさに驚いてしまう。これを人が運んだとは、思うだけでぞっとする。背負って運んだのである。運んだ人の身体をおかしくしても当然と思えた。
 いくら新聞に自分のことが載ることがうれしくても、そうまでしなければならないのは何故なんだろう?自分が新聞に載れるのは力自慢しかないから、「そうしたんだ」と言われれば、それまでだけれど、これをすれば自分の身体をこわすことくらいわかっていたはずである。それでも50貫もある石を運んだのである。天秤にかけるには、あまりにもバランスがとれない。無茶をわかっていてもそれをする。生物学的にただ「生きる」だけでは人間は生きていけないものであるらしい。ある意味人間の業を感じてしまう。


評価
★★★


書誌
書名:強力伝 孤島(改版)
著者:
ISBN:9784101122021
出版社:新潮社 (1983/07 出版)
版型:281p / 16cm / 文庫判
販売価:459円(税込)