2012年01月30日
日垣隆著『電子書籍を日本一売ってみたけれど、やっぱり紙の本が好き。』
この本は書名通り、電子書籍と紙の本について書かれたものと、著者の日々の思考作業を様々な事例を元に書かれている。後半は私にとって、それほど興味は湧かなかったけれど、電子書籍と本に関する意見は面白かった。
ここで著者は「2010年は電子書籍元年」と言われ、これからはこうしたデバイスが主流になり、紙の本が駆逐されるような風潮、それって、本当にそうなの?と疑問を呈する。
そして電子書籍やipad関連の本がよく売れていることあげ、「微笑ましいのは、『紙の時代は終わる!』という趣旨を強調しすぎるこれらの読み物が、ほぼ例外なく「紙の本」で売られていることだ」と笑い飛ばす。
確かに電子書籍、電子書籍と騒いで取り上げているのは紙の本や雑誌だ。そして電子書籍のコンテンツはそれ専用のオリジナルではなく、本として出版されたものをわざわざデジタル化して売り出していることに、意味があるのか、と言うのである。
著者は仕事柄、多くのデバイスを使い、電子書籍に接してきて、次のように言う。
私は電子書籍を読むデバイスを10種類以上買って実際に読んできました。あんなもの使って、長い本を最初から最後まで読まないでしょ?というのが率直な感想です。iPhoneやキンドルで『カラマーゾフの兄弟』を最初から最後まで読むのは、拷問以外の何ものでもありません。
さらに、
『源氏物語』をiPhoneで読んでいる人がいたら「なにかの罰ゲームですか?」と訊いてしまいそう。
とまで言う。
アマゾンで出しているキンドルは目に優しい設計らしいが、それでも普段パソコンで仕事をしていて、なおかつデバイスで本を読んでいたら、日本人の視力はますます悪くなることは間違いない、とも言い切る。
要するに本としてのメディアが存在するのに、それをわざわざ電子書籍用のデバイスで読んでも、ただ目を悪くするだけだと実際に使ってみた感想を言うのである。
キンドルやiPadを“黒船”みたいに扱う日本の出版業、あるいは「これからは電子書籍だよ」という一辺倒なニュースを垂れ流すマスコミに、ちょっとおかしいんじゃないの、言うのである。著者は一部ITバブル評論家が言うように電子書籍は急激には進行しない。その理由を著者特有の皮肉を交えて言う。その言い分を聞いてみよう。
まず1日は24時間しかない。8時間寝て、10時間働き、通勤に2時間。食事や飲み会、おしゃべりが3時間だとすれば、合計23時間。残りは1時間しかない。メディアは、たった1~2時間の細切れの時間を争奪しているだけだ。メディアはそうした可処分時間の奪い合いしているだけで、本やテレビ、新聞は所詮ニッチ産業ではないか、と言うのである。
Wikipediaによると、ニッチ( Niche )とは直訳すれば「隙間」や「くぼみ」の事であり、もともとは生物学で生態的地位を表す用語である。ニッチ市場(にっちしじょう)とは市場全体の一部を構成する特定のニーズ(需要)を持つ規模の小さい市場のこと、と書かれている。要するに隙間市場ですね。元々その程度の市場である。そこに既存のメディアが競い合っているだけで、それがキンドルやiPadに取って代わるといっても、その程度の話なのである。
さらに本をきちんと自分で選んで読める人は、日本に総勢で(各分野で多く見積もって)20万人くらいしかいないのではないか。電子書籍とそのデバイスの普及は、せいぜい本のヘビーユーザーたちに行き渡ればそれでおしまい、という市場規模であることは忘れないほうがいい。と言う。
しかもそうしたヘビーユーザーたちが好む本は、おおむね頁数が多い。文学書、歴史書、専門書、学術書、古典・・・・すべて電子より紙の方が読みやすい。もともと本としてあるのだから、わざわざ電子書籍を読む必要性がどこにあるというのか?わずかな可処分時間の為に読みづらい本を読むよりも、そのものを手にした方がいいに決まっている。しかも高い金を投資しなければならないのだから、ユーザーが大規模にすぐ増えるとは思えないと言うのである。
著者は「先走りも結構だけれども、習慣的な楽しさや、年齢や好奇心による違いも、決して小さく見積もってはいけません」とも言っている。たとえばこういうツールに早めに手を出すかどうかは、50歳が境目だそうで、それ以降の年齢になれば、既存の本や雑誌で充分だ、と言いそうである。私もそうだ。
「優れた機能」だけで、人は商品を選ぶものではない。案外、「慣れ」のほうが重要だったりする。その「慣れ」を充分凌ぐ、新しいデバイスなりグッズなりスペック搭載品が出たら乗り換える可能性はあるだろうけれど、何度も言うように電子書籍のコンテンツは現在紙で同じものが存在するのである。紙の本をただデジタルにしたところで、その代償として目が悪くなるくらいだ。だから「紙の本ではできなかったこと」を電子書籍はメインにしていくべきだと改めて思う、と言うのである。それであれば電子書籍は新しい、そして広大なフロンティアであることは疑いない。今のところそうなっていないのだから、騒ぎ立てる程のことじゃない。
著者はまえがきで、
デジタル化は避けられない。それどころか、便利さに満ち溢れている。
しかし同時に、習慣や伝統にも優れたものが無数にある。
我々は、その両方の継承者でありたい。そう思いませんか-。
まさしくその通りだ。むしろその二つの選択肢があることを素直に喜ぶべきで、“いいとこ取り”出来る。そもそも一つにしてしまう理由もなく、それぞれが読者を獲得出来ればいい。私は電子書籍の継承者にはなれないけれど、それが出来る世代の人は優れた既存のメディアを尊重しつつ、新しいメディアも使えばいいのではないか。むしろ新しいメディアしか使えないと、それに頼るしかなくなってしまう。
話はちょっと横道にそれるけど、先日久しぶりにタクシーに乗った。行く先を告げたら、運転手がカーナビでいいですか?と聞く。最初何のこと言っているのか分からなかったけど、カーナビの指示で目的地へ行くと言うことらしい。それがあるとないとではどう違うのかよく分からなかったので、いいですよと言うしかなかった。
そもそもこの運ちゃん道を知らないのだろう。いや知らなくてもいいのかもしれない。だってカーナビがあるからね。でも何でこんな道通るんだろうな?と乗っていて不思議には感じていた。まぁこの運ちゃんにとってカーナビの指示は絶対なのだろうし、私が不安を感じても、このまま乗っていれば目的地に着くんだろう、と思っていた。しかし最後の詰めで道に迷う。結局車を止めて、歩いている人を捕まえて道を聞いていた。
帰りもタクシーを捕まえて帰ったのだが、乗ったタクシーの運転手は年配の方で、こっちが目的地を言った途端、メーターを下ろし、発進する。カーナビはついていたが、使わない。これだよね。道を知っているからカーナビを使わなくてもいいのだ。
電子書籍の波で書店が生き残れるか、どうかは、著者は「書物に関する知識が豊富な書店員が『本のコンシェルジュ』化することが、リアル書店の最大の強みとなるはずだ」と書いている。そう書いた上で、「でもこれって、書店員の原点でもありますよね」とも言っている。
書店も最近は人件費の安いパートやアルバイトに仕事を任せ、後は客に検索機で在庫を確認させることしか出来ない書店が増えてきた。それで出来ちゃうのだ。先のタクシーの運ちゃんと同じだ。道なんか知らなくてもいい。カーナビが教えてくれるからだ。必要なデバイスを使いこなせれば簡単にプロになれちゃう時代なのだ。経験とか教育とか、スキルアップとかいうものは時間がかかるし、人件費の高騰を招くだけなので、経費的に省かれた。プロが軽くなったか、いなくなる所以だ。せめてリアル書店ではコンシェルジュでも何でもいい。とにかく本のプロがいることに、生き残り道があるような気がする。
生き残りといえば、音楽CDは凋落の一途だけれども、CDブックは静かなブームなのだそうだ。落語や有名経営者の講演会など聞かれる方が多いらしい。そうそう、音楽CDは何で74分なのか、知りました。CDソニーとフィリップス社が共同で開発・商品化したもので、顧問格のカラヤンがデジタル音源を絶賛し、彼が指揮する「第九」が収まる時間から、74分が決まった、そうだ。
評価
★★★
書誌
書名:電子書籍を日本一売ってみたけれど、やっぱり紙の本が好き。
著者:日垣 隆
ISBN:9784062169639
出版社:講談社 (2011/04 出版)
版型:262p / 19cm / B6判
販売価:1,365円(税込)
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- by kmoto
- at 13:11
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