2010年03月06日

若桑みどり著『イメージを読む』

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 ちょっと図像学(イコノグラフィー)の一端を知りたくなった。図像学とは我々が知っている有名画家の作品には何らかの意味が込められていて、それを読み解こうとするものである。それがどんなものなのか、この本は教えてくれる。読んでいて、なるほどこれら絵画にはそうした思想的背景があって、それが絵に反映していたのかと知った。
 私が絵画展など行って、その会場に入れば、まず最初にその画家たちの生まれた場所、時代背景の説明が必ずあるが、だいたいそこは、飛ばしてしまう。何故なら、もうそこで人混みが出来ていて、先に進めないからだ。さっさとお目当ての絵を見始める。そして絵を見て、きれいだとか、すばらしいとかいった直感で感じたことしか思わない。それで通り過ぎてしまう。
 しかしよく考えてみれば、そうした時代背景は画家の作品から出てくる思想を読み解く上で重要だ。本当はおろそかにしてはいけないものだ。画家がその絵を描くに当たり、画家が生きた時代にどうしても縛られてしまうことが必ずあり、そことが絵に反映することとなるからだ。そのことを著者は次のように言っている。

 「たとえばある画家を考えてみてください。その画家は特定の社会に生まれて、その社会のなかで生活し、そこにいる人やそこにある作品から学び、そこにいる人たちに絵を売って生きているわけですから、自分の生きている社会や時代から無関係ではいられません。その先生や、見た作品から教えられた技術や、その当時のテクノロジーから生じたテクニックやメディア、ものの考え方や共通のイメージで絵を描くわけです。
 そういうわけで、すべての画家は、個人的な様式と同時にその時代、十二世紀なのか二十世紀なのか、そういう時代の特徴を否応なくもち、また、西洋人なのか日本人なのかという、ある民族や文化の長い底深い伝統からくる特徴をもっています。それらを全部ふくめて様式といっているわけです。したがって、様式とは、個人的なものであると同時に社会的なものであり、また歴史的なものなのです」

 だから「美術史は、文化人類学や考古学や歴史学や宗教学や神話学や文献学や、その他のもろもろの学問と結びついています。こういうふうにもろもろの学問と関連しながら、個々の学問の領域をこえて幅広く研究することが必要な学問のことを学際学といっていますが、美術史は学際学的な学問だ」と言っているのは、なるほどそうだなと思う。
 そして描かれた絵には、描かれる理由が必ずある。絵画も彫刻も創作である以上、それを創り上げなければならない理由が芸術家たちにはあったはずだ。

 「また絵というものが、芸術家の芸術についての理論の実践の場であり、思想の表現の場であり、いずれにせよ闘争的なものでもあった」

 それを読み解こうとするのが、図像学(イコノグラフィー)なのである。この本で著者が言う美術史なのである。「美術というものは言語ではなく、非言語的な「表現」(なんらかの目に見えない感情や思想やメッセージを、目に見えるかたちによって表現すること)の行為であり、またその結果としての作品」なのだと言う。それをどう読み取るか、そのサンプルとして出されたのが、ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂天井画、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」デューラーの「メランコリアⅠ」、ジョルジョーネの「テンペスタ(嵐)」である。

 以上を踏まえて、時代による“図像の変化”で考えてみる。たとえば「最後の審判」を例に取る。
 信仰が安定していた時期(九世紀から十五世紀までの東方ビザンティン帝国の芸術や十二世紀頃までの西ヨーロッパの芸術)は、この「最後の審判」の構図は、真ん中に裁判官であるキリストがいて、左右にとりなし(弁護役、仲介役)をする聖母と聖ヨハネがいて、祝福された魂と罰せられた魂がいるという公式で、それらは神の最終的な意志の実現を厳かに知らせていて、それほど恐ろしいドラマチックな表現じゃなかった。それを何百年にわたって表現していた。ところが何かの関係で図像の公式が変わる。十三~十四世紀になると様子が違ってきて、善人が祝福されて行く天国の安らかさに比べて、罪人が罰せられて落ちる地獄がどぎつく描かれるようになる。地獄では非常に残忍な拷問や虐殺のような情景が描かれる。
 さらに初期資本主義が盛んになってくる時期になると、キリスト教が禁じている様々な現世利益の追求や富や地位を築く信者が増えてくると、さらに地獄は生き生きとした残忍なものになっていく。
 そしてミケランジェロの「最後の審判」となると、それまで善人と罪人との構図がはっきりしていた頃から比べると、その隔たりが不明確になって行く。ミケランジェロの「最後の審判」のイエスの姿を見ると、はそれまであった安定や平和や秩序はすでになくなり、はかりしれれぬ激変と破局が読み取れるという。ちょうどこの絵が描かれた頃はカトリックとプロテスタントが争っていた時期であり、カトリックの教えが揺らぎ始めた頃だからだ。


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 このように一つの絵の題材であっても時代によって図像の変化があり、その変化となった社会的背景や思想の変化を読み取らなければならないことを教えてくれるというのだ。


 さて個人的に言って、やはりデューラーの記述が一番興味がある。デューラーはこの本であげられているミケランジェロやダ・ヴィンチとほぼ同世代の人であったが、決定的に違うことがある。デューラーはドイツ人であることである。ミケランジェロやダ・ヴィンチが活躍した地域はアルプス以南で、ギリシア・ローマ世界であり、古代文明に接ぎ木されたキリスト教世界である。ローマカトリックの神学者たちによって築き上げられた壮大な形而上学的世界であった。ミケランジェロやダ・ヴィンチが活躍したルネサンスはカトリックと結びついたものであった。
 ところがドイツはルターによる宗教改革が起こった地域である。ルターはカトリック教会を否定した。ということはドイツではイタリアで起こったルネサンス閉め出したことになる。そしてデューラーはルターの共鳴者でもあった。
 当然ミケランジェロやダ・ヴィンチの作品とは違うものがデューラーの作品の背景にあることになる。彼らとは違ったイデオロギーを持っていた。(もしかしたらダ・ヴィンチとは似ているところはあるのかもしれないが)そこで著者はデューラーの「メランコリア」をあげてその異質の背景を探ることとなる。これが興味深かった。

 この「メランコリア」が示す内面の不思議さはかなり面白い。


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 版画が否定的なものの考え方を示していたり、そうかといって肯定的見られるところもあって、その絵を見る見方によって大きく変わってしまうようである。
 まず否定的な面を見てみる。メランコリーとは憂鬱質のことをいう。ところでアリストテレス以来の万物は火、空気、水、土という四つの元素から成り立っている考えがあった。そして人間の個性を作っている気質もこの四つの元素の支配によるものと考えられた。すなわち軽くて陽気な多血質は空気、激しく怒りっぽい胆汁質は火、怠惰で不活発な粘液質は水、暗くて冷酷な憂鬱質は土が支配していると考えられていた。
 もともとこの四気質論(四性論)は医学の一種で、中でも憂鬱質はそれだけでも立派な病気と見なされていた。また中世では憂鬱質は七つの大罪中の一つである吝嗇の罪と結びついて考えられていた。それはどうしてか?
 この「メランコリア」の人物のポーズはロダンの「考える人」と同じポーズである。このポーズは物思いに耽る分、元気なポーズとは言えない。すなわちこのポーズは外側の現象にダイナミックに対応しようとするアクティブな姿勢ではなく、むしろ外側からの刺激を一切遮断して、自分の内部の心の動きに省察を凝らそうとしている。じっとしていることは究極の吝嗇な人間の姿である。そして吝嗇の極みが高利貸しである。中世キリスト教では、高利貸しは、怠惰で、人の金をくすねる犯罪者扱いであった。だから憂鬱質は吝嗇の罪と結びついて考えられていたのである。実際この版画には人物のスカートのところに高利貸しの象徴である鍵束と財布が描かれている。
 しかし一方でこの版画には大工道具が描かれている。半ば放り投げ出された感じである。無用に見える。手に持っているコンパスさえ、何も描いていない。そのことがこの人物が物思いに耽るというか、考え込む姿勢を、こうした道具を使う仕事よりも、優位にあることを示しているともいえるのである。さらにこの人物に翼をつけたことで、その人物が思考する姿勢を、人間の思考を潜在的能力として表現していることにもなるのだという。
 驚いたことにこの「メランコリア」の人物は男ではなく女であるということだ。

 デューラーといえば「人体比例理論」(人体の比例が大宇宙と小宇宙を結びつけているという理論)が有名だが、そういう考え方が出来るのは、ダ・ヴィンチ理論を吸収したものとはいえ、宇宙を作っている元素と人間を作っている元素が同じものであり、人間の運命は宇宙が関連しているという哲学がかなり影響したんじゃないかと思えてくる。
 芸術というのは見た目だけでなく、その奥にあるものを考えることが出来れば、さらに興味深いことを我々に提供してくれているんだと改めて感じた。一人の芸術家の作品を鑑賞するには、その奥底に流れるものを分からないと、真の意味で作品を鑑賞したことにならないのだろう。これから何度芸術作品を見る機会があるか分からないが、このことちゃんと踏まえておければと思った。


評価
★★★


書誌
書名:イメージを読む
著者:若桑 みどり
ISBN:9784480089076
出版社:筑摩書房 (2005/04/10 出版)ちくま学芸文庫
版型:254p / 15cm / A6判
販売価:924円(税込)

2010年03月04日

ダン・ブラウン著『ロスト・シンボル』

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 やっとラングドンシリーズの三作目が日本で発売された。期待して読んだ。が・・・・、あまり面白くなかった。というか少々この手の話に食傷気味なのかもしれない。それと今回は前作二作と比べて、いくらダン・ブラウンがワシントンというところがローマなどと比べても引けを取らない魅力的な場所と言っても、読む側が最初からそれほど魅力的なところと思っていないから、「そうかな?」と感じてしまう。

 話はラングドンが恩師で親友であるフリーメイソン最高幹部のピーター・ソロモンから急遽講演を頼まれ、ワシントンにある連邦議会議事堂に駆けつける。しかしそこにあったのはピーターの切断された右手首であった。指先にはジョージ・ワシントンを神格化した天井画があった。ピーターを人質に取った全身刺青の男のマラークは、古来フリーメイソンに伝わる究極の知恵―"古の神秘"―へ至る門を解き放て、とラングドンに命じる。
 ここからラングトンはピーターの妹キャサリンとともに、以前にピーターから預けられたフリーメイソンのピラミッドの一部から前作同様さまざまな暗号を解きながら、CIAにあらぬ疑いをかけられて追われながら、"古の神秘"の正体を明かすべくワシントン一帯を駆けまわる。

 その預けられたピラミッドを入れた箱に1514の後にAとDをデザインした記号があった。これである。


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 それを見たとき私はすぐ分かった。これはアルブレヒト・デューラーが自分の作品に書いたものであった。これを見たとき正直言ってドキッとした。なんでここでデューラーが出てくるんだ?と思った。これはデューラーの「メランコリア」を示していた。


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 この版画は実は30年前に池袋にあった西武美術館で実物を見ている。思わずその時買ったカタログを本棚から取り出した。そして「メランコリア」を眺める。確かに版画の右上に魔方陣がある。気がつかなかったなぁ。そしてここに書かれている数字を縦でも横でも斜めでも足してみると34になる。しかもこの版画が作られた1514年の数字が一番下の2番目と3番目に入っている。本当にそうなのか思わずこのカタログを繁々と見てしまった。
 実を言うと私はデューラーに興味を持っている人なので、デューラーが使われただけでちょっとポイントが上がりそうになったけれど、結局大した役目を負っていなかったので、“残念!”

ここからはネタバレ注意!

 さて"古の神秘"とは何か?全身刺青の男のマラークとは誰か?そしてマラークは何故古来フリーメイソンに伝わる究極の知恵を求めるのか?まずマラークはピーターのどら息子のザカリーだろうとすぐ予想がつく。ソロモン家は代々長男にその財産を譲る。財産はお金かそれとも知恵か、どちらかを選択させる。ザカリーはお金を選択したが、紆余曲折の上、フリーメイソンの知恵も求めるようになる。
 フリーメイソンが代々伝えてきた知恵が"古の神秘"であった。ピーターがラングトンに預けたピラミッドにはその"古の神秘"が隠されている場所が印された地図でもあった。
 例によって比喩が多くて、何が何だかよく分からない部分があるのだけれど、多分こう言っているんじゃないかと思うことを書いてみる。
 "古の神秘"とは「失われたことば」であった。だいたいどんな文化にも、独自の“ことば”があり、それを印したものが書物であった。その書物はキリスト教徒にとってみれば聖書であった。そう、聖書に"古の神秘"が印されていたのである。
 救出されたピーターは最後にラングトンに言う。

 「聖書は、歴史を通じて古の神秘を受け継いできた書物のひとつだ。その文面はわれわれに秘密を懸命に教えようとしている。分からないか?聖書の“暗き語”とは、秘密の智恵のすべてを密かに伝えようとする古代の人々のささやき声なのだよ」

 そこに書かれている本当の意味は、人間の果てしなき潜在能力を象徴として神を讃えたことであった。言ってみれば古代の人々は「人間≒神」と考えていたといっていい。人間は神の“被造物”ではなく、神と同じ“造物主”であるのだ。だから人間は神と同じくらいの能力を有することとなる。そして人間はその精神によって物質を変容しうるエネルギーを生み出せるというのである。
 ところがいつの頃からか、そうした人間の潜在能力を認めていた古の考えはいつの頃からか失われた。だから私たちは人間は神が作った“被造物”だということになってしまった。そのことは古の象徴は時とともに失われてしまったことを意味する。
 聖書は本来の人間の姿、能力を正しく導いていたのである。だから聖書はフリーメイソンの至宝であったのだ。聖書には人間の潜在能力を"古の神秘"として書かれていたのであった。

 多分こんなことを言っていたんだろうなと思うが、基本的に図像学(イコノグラフィー)というのはよく分からない。そうそうこの本を予約しておいたらこんなピンバッジがついていた。ついでにあげておく。


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評価
★★★


書誌
書名:ロスト・シンボル〈上〉
著者:ダン・ブラウン 越前 敏弥【訳】
ISBN:9784047916272
出版社:角川書店 角川グループパブリッシング(2010/03/03 出版)
版型:351p / 19cm / B6判
販売価:1,890円(税込)

書誌
書名:ロスト・シンボル〈下〉
著者:ダン・ブラウン 越前 敏弥【訳】
ISBN:9784047916289
出版社:角川書店 角川グループパブリッシング(2010/03/03 出版)
版型:356p / 19cm / B6判
販売価:1,890円(税込)

2010年02月24日

山口治子著『瞳さんと』

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 この本は山口瞳さんの奥様治子さんから、山口瞳さんとのなれそめから、夫婦生活、そして別れまでを聞き書いたものである。一応便宜上山口治子著と書いてあるが、あくまでも便宜上そうしたまでである。

 私にとって、山口瞳という人は『男性自身』がすべてであった。この30年以上も続いたエッセイが好きで、週刊新潮はよく読んでいたのである。どこかで書いたかもしれないが、『男性自身』は昭和38年(1963年)12月2日号から始まり、平成7年(1995年)8月31日号まで1、614回、一度も休みなく続いたエッセイである。
 山口さんは平成7年8月30日に亡くなられた。この日は水曜日であった。そして週刊新潮は毎週木曜日が発売なので、もし山口さんが8月31日以降亡くなられたら、連載を休載していたことになる。だから『男性自身』は連載開始から一回も休まず書かれたことになる。
 この本を読むと、もともとこの『男性自身』の原稿は1回3万円で、月4回で12万円になるので、それで生活の保証ができた。だからそれでそれまで勤めていたサントリーを退社することができ、作家として独り立ちできるようになったらしい。連載開始から新潮社にこの原稿を書くことで生活の保証のお墨付きをもらったからできたことなのだろう。
 しかしだからといって、いい加減な気持でこの連載を続けてきたわけではない。

 「一週間をなんとなくすごす人もいるけれど、一週間のうち全力投球できる場を持っていることを幸せとしなければなりません。僕にとって『男性自身』は大河小説なんです」

 と『男性自身』を書きつづける意味を山口さんは言っている。つまりそれだけ力を入れていた。だから「『男性自身』を書かなければ、山口瞳はもっといろいろな短篇を書けたはずだ。あの中には、短篇の原石のようなものがたくさんつまっている」と言われたのである。

 私は自分の好きな作家が亡くなり、奥さんなどがその作家について、夫婦しか知らない姿を書かれたものを読むのが好きで、今までも結構読んできた。だいたい男というものは、世間体がいいから、本当はどうなんだろうと思う。もうちょっと、生々しい姿があるはずだと思うのだ。だから今回もそんな気持からこの本を手に取った。二人出会いから、生活のあり方、当然作家として独り立ちできるまでの間の苦しい生活、夫婦間や家族との葛藤など、人間味ある姿を知りたいのだ。
 山口瞳さんの母親の生家は遊郭であった。このことはどうやら母親は長いこと隠していたようであるが、そこに流れる血は山口瞳さんにも流れており、そこが原点であった。
 また山口さんの父親も山師みたいなところがあって、景気のいいときはお大尽様みたいな生活をする一方、金に無頓着な部分もあって、その没落も早い。浮き沈みの激しい人生を送っている。そういう両親を持ったためか山口さんの生き方には、一般人とは違う価値観があるように思える。山口さんには“遊び”に徹し、破滅の臭いを放しつつ、一歩手前で止まるようなしたたかさやルールを求めるところがあるが、それらはこんなところから生まれたのかもしれない。こういう生い立ちがあったからこそ、礼儀作法や生き方の指南など、山口さんが書かれるもに妙に説得力を感じるのかもしれない。それまでの苦労が生々しいから、その中で生き抜かれてこられたから、そうした立場に立った人には、いい励ましとなるのだろう。

 全体に奥様は山口さんに対して、いつまでも少女のような思いを持たれていて、山口さんとの昔を語るときでも、好きで好きでたまらず、それで嫉妬したことなど書かれていると、なんか素直でいいなあと思った。
 山口さんが昔京都市立病院に入院したとき、奥様に宛てた手紙の中に次のように書いている。

 「ぼくは幸福な夫だ。それから、きみは世界でいちばん素適な夫を持った妻なんだよ。信じてください」

 こんなことなどそうそう書けるもんじゃない。山口さんだから書けたのだと思う。でもなかなか素適な文句だと思う。だから奥様も山口さんが亡くなられても、「瞳さんのことが好きで好きでいっしょにすごしてきただけの私でしたが、私の一生は幸せいっぱいだったと思います」と書けるのだろう。


評価
★★


書誌
書名:瞳さんと
著者:山口 治子 中島 茂信【聞き書き】
ISBN:9784093876124
出版社:小学館 (2007/06/09 出版)
版型:271p / 19cm / B6判
販売価:1,680円 (税込)

2010年02月19日

久坂部羊著『破裂』

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 思惑、野望、恨みを晴らしたいと思う人が何人かがいる。それがからみ合いこの話は展開する。
 松野公造はそれまで勤めていた新聞社を退職し、ノンフィクション作家をめざしていた。社会部の記者時代、吐血し、進行性胃がんと診断された。再度別の病院で検査を受けたときは、今度は胃潰瘍と診断され、最初の医者の診断は何だったんだと怒りを覚えるし、それをその医者に言えば、「結果よかったのだからいいじゃないか」という無神経さに腹をたてる。さらに妻が妊娠し、子供がお腹の中で育たないと言われ、別の医者に行けば妊娠は可能と言われ、娘が生まれた。松野夫婦が受けた心の傷は筆舌に尽くしがたく、医者に対する不信感が医療の問題に目を向けることとなる。
 松野の医療ノンフィクションにネタを提供したのが大学病院の麻酔科の医師江崎俊であった。江崎は医師の公にされないミスを聞き回り、それを「痛恨の症例」として松野に提供していた。
 そん中、中山枝利子の父親が医療ミスで死亡したということを知る。枝利子の父親は心臓の僧帽弁置換手術を受けたが、五日後出血性心タナポナーデ(心臓を包む袋の中で出血し、その圧迫で心臓が止まること)で死亡した。その後枝利子のもとに父親は医療ミスで死亡したという内部告発文書を受け取り、父親の手術に医療ミスがあったのではないかと疑い始める。
 江崎は枝利子と会い、枝利子の父親の手術を調べ始め、父親が死亡したのは手術の際、置き忘れた縫合針が刺さって出血死した疑いがあることを知る。
 枝利子の父親を手術したのが心臓外科の助教授香村鷹一郎であった。香村は次の教授選候補であった。その選挙で香村は日々苛立っていた。手術のときもそうであった。
 香村のライフワークは“ペプタイド療法”というものであった。これは心不全に陥った心筋細胞を甦らせるものであったが、重大な副作用があった。それは心筋の再生はそれにつながる血管の内膜も増殖させ、血管が狭くなって、心臓が破裂してしまうのであった。 一方で厚生労働省大臣官房主任企画官佐久間和尚という人物がいる。彼は“厚労省のマキャベリ”と呼ばれるほど、強引な政策をそれまで推し進めてきた。そして佐久間は日本の超高齢社会へ抜本的解決策を画策する。それがプロジェクト《天寿》であった。
 プロジェクト《天寿》は人口ピラミッドも正常化、少子少老化社会の実現、政府による「寝つかない死、苦痛のない死」の保障、平均寿命の引き下げと、健康寿命との僅差化をめざすものであった。佐久間ははっきりと言う。

 「日本は超高齢化社会はなぜ発生したかおわかりですか。医療が無軌道に進歩したからですよ。医者には病気を治して命をのばすという単純な発想しかなかった。その結果、高齢者が増えすぎて、介護危機、年金破綻、老人の医療費問題、世代間のいがみ合いなどを生み出したのです。医療は進歩さえすればいいというあさはかな発想、唾棄すべき長寿礼賛の結果です。このまま老人が増えれば、日本は国を維持できなくなります。なのに医者どもは今も漫然と寿命をのばしつづけている」

 「医者は世間知らずで幼稚ですから。日本の超高齢社会だって、医者が創り出したも同然でしょう。平均寿命が世界一だなんて浮かれていますが、おかげで国がつぶれそうですよ」

 「一部ではこれを若肉老食と呼び、老人が若者を食い物にしている状況を揶揄している」

 「少子化はいいのです。問題は高齢化です。少子少老化にすれば、規模は縮小します」

 このプロジェクトには不完全な香村の“ペプタイド療法”が必要であった。不完全な“ペプタイド療法”が老人の抹殺に役立つのであった。なぜなら年寄りの心臓を一時的に元気し、若返らせ、ある日突然心臓が破裂する。何の痛みもなく、ぽっくり死なせることができるからである。そのため佐久間は香村を呼び寄せる。幸い中山枝利子が香村を訴え、裁判を起こしたのをいいことに、大学の教授職より新しくできるネオ医療センターの副所長として招く。佐久間が職権を乱用して、莫大な予算を餌にして香村を副所長にそえる。 ネオ医療センターの研究テーマは、老人に望ましい死を保障することで、確実で、苦痛で、苦痛がなく速やかで安全な、誰でも求める死を提供することあった。佐久間は医療に老人の死の落とし前をつけろと次のように言う。

 「若い世代は長生きを望みますが、それは老化の苦しさを知らないからです。現実の高齢者は大半が老いの苦しみに苛まれています。こんなにつらいのならいっそ早く楽になりたい。なのに死ねない。そんな人に生きろというのは残酷です。むかしはだれでも自然に死ねた。今は死ぬのがむずかしい時代です。医療のおかげで、苦しい長寿を生きなければならない。その落とし前をつけることも、医療の責務ではありませんか」

 この本は香村の裁判で、香村が犯した医療ミスの実体が大学という“白い巨塔”でどう隠されていくか描く一方、日本の超高齢社会の極端な解決策の恐ろしさを描いていく。医療ミステリーという立場を取りながらも、日本が今突きつけられている現実を、特に医療の進歩の極端な礼賛の落とし穴をうまく描いている。先の『廃用身』もそうだったけれど、ここまで考えないと、日本は滅びる可能性が大きいというのは、恐ろしい。佐久間の言うことを果たして簡単に押しのけることができることなのだろうか、と思う。
 ゼウスの時代から人間は増えすぎて、ゼウス自身焦っているわけだから、こういう結果になることに必然性があったのかもしれない。マルサスの人口論を持ち出すまでもなく、生物としての「人間」のあり方をどう考えればいいのだろうか。この本で「医療は反自然」と言っている部分があるが、現実を見るとまさにその通りだ。医療の進歩を手放しで喜んでいいものかどうか、考えてしまう。だから佐久間が画策するプロジェクトを単に小説の中の話として片づけられるものじゃない。


評価
★★★★


書誌
書名:破裂
著者:久坂部 羊
ISBN:9784344006980
出版社:幻冬舎 (2004/11/25 出版)
版型:450p / 19cm / B6判
販売価:入手不可 文庫本有り

2010年02月17日

久坂部羊著『廃用身』

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 この本も読もう読もうと思って、今日まで来てしまった。帯などに書いてある本の内容を読むと、ちょっとためらっちゃう部分があって、気が重くなっていたのである。しかし読んでいるうちに引き込まれてしまい、一気に読んでしまった。
 主人公の漆原糾は老人デイケアを中心とした神戸の「異人坂クリニック」の雇われ院長であった。このクリニックのデイケアに通う老人たちと接していて、廃用身である手足に苦しめられているお年寄り、そのお年寄りの介護に苦しんでいる親族、介護士を見ると、介護の未来に大きな不安を感じていく。廃用身とは脳梗塞などの麻痺で回復の見込みのない手足のことである。
 ある時脳梗塞で下半身と左上肢が完全に麻痺してしまった人がいた。この人は体重が九十キロもあり、親族も介護士もこの男の人を介護するのが大変であった。身体が重い分床ずれも起こし、それがひどくなっていく。もし廃用身の両脚と左腕がなければ、体重が五十キロくらい減らせるし、介護の負担も半分近く減る。「廃用身の切断」を選択肢が漆原の頭の中にむくむくと起き上がってくるのであった。それまでもこんな廃用身がなければいいのにと思っていたから、ますますその思いが強くなり、切断してはいけない合理的な理由がどこにあるんだろうかと考えていく。
 この男の人は親族の虐待にあって、足が壊疽を起こし、必然的に切断したほうがいいという話になって、両脚を切断した。そしてこの人が変わったのである。何か憑きものが落ちたみたいに、明るくなったのである。漆原は廃用身の切断が麻痺を起こした人に生きる希望をもたらすこと、介護する側にもその負担を軽減することを確信する。
 更に廃用身を切断することで、血流が変わったためか、脳に多くの血が流れるためか、それまでしゃべることもままならない人が言葉をしゃべるようになったりする効果を発見するのである。
 漆原は廃用身の切断にに介護の未来を見出すようになって行く。廃用身の切断はお年寄りのQOL(生活の質)を高めるものであると考えていく。そのため廃用身の切断を彼は「Aケア」と呼ぶようになる。「Aケア」のAは切断の英語「Amputation」の頭文字を取ったものである。
 廃用身はお年寄りを苦しめており、それからの解放は生活を一変させるほどの歓びだった。それまでは病気を悔い、麻痺した手足を嘆き、報われないリハビリに苛立っていたお年寄りたちが「Aケア」のあと、別人のように明るくなっていくのを確信していく。その「Aケア」の状況改善点を挙げると以下の通りになる。
・物理的に身軽になること
・気持が前向きになること
・介護者に気兼ねしなくてよくなること
・廃用身に対する嘆きが吹っ切れること
・廃用身の痛みや疼き、しびれ感、だるさなどが消えること

 しかしいくら廃用身とはいえ、人間の身体を不要だからといって、切断していいものかどうか。漆原は超高齢化社会の到来で、介護を維持していくには、何かを犠牲にしなければならないと考え、次のような詭弁を言う。

 「構造改革ばやりの昨今、企業は不要になった部門を切り捨て、効率アップを余儀なくされています。情やしがらみで成績の悪い部署や職員を温存していたのでは、全体の体力が落ちて倒産してしまいます。
 『Aケア』を身体のリストラと考えることはできなでしょうか。
 長年、働いてくれた手足を切断するのは、忠実な社員を解雇するのに等しい痛みを伴うでしょう。しかし、そうしなければ会社が倒産してしまうように、お年寄りも介護者も共倒れになってしまいます」

 「異人坂クリニック」は廃用身を切断した人が多くなり、当然それは社会の目にさらされ、非難、バッシングが始まる。それは人間の尊厳を大上段に構えているが、そのほとんどがその異様さを面白がるものばかりであった。いくら介護の破綻が目に見えていても、その解決策の一つとして廃用身の切断は受け入れられない人々の興味の対象となっていく。

 この本はそうしたバッシングに対する、「Aケア」の意味、すなわち「Aケア」が介護負担を軽減し、ひいては高齢者へのサービス向上につながり、危機的な老人介護の未来に貢献するものだという、漆原の考えを世に問おうとする原稿があって、それを本にしようとした編集者の矢倉俊太郎の「編集部註」の二部構成となっている。
 その「編集部註」で、なぜ漆原が廃用身の切断の考えに至ったのか、その彼の資質を生い立ちから追うことになった。そして「Aケア」の発案の根底には、漆原糾は合理主義者で不要なものは、徹底的排除しなければおさまらない頑なさがあったこと。さらに漆原の歪んだ嗜虐性があったことも矢倉は知るのである。漆原は患者の考えを一番に尊重して「Aケア」を勧めたが、どうもそこに追い込んでいく姿勢が明らかになって行く。患者に明るい未来を言い、人生の再出発を言うことで、患者に「Aケア」を選択させる姿が浮かび上がってくる。
 漆原もそうした自分の姿を段々認めていくこととなり、最後は「頭は わたしの 廃用身」という書き置きをして自殺するのである。
 更に「Aケア」が必ずしも明るい介護の未来ばかりをいうものではないこともわかってくる。すなわちたとえ廃用身であっても、手足がないことの不完全さに悩まされる人たちが少なからずいたことがわかってくる。

 廃用身の切断は超高齢化社会に介護という問題を考える上で究極の選択なのかもしれないが、だからといって「身体のリストラ」として受け入れていいものかどうか、考えてしまう。むしろそこまで考えないと介護の未来はないということに、危機感を感じてしまう。どちらかと言えばストーリーの怖さより、介護の未来を考えるとそっちの方が怖くなってくる。


評価
★★★★


書誌
書名:廃用身
著者:久坂部 羊
ISBN:9784344003408
出版社:幻冬舎 (2003/05/25 出版)
版型:323p / 19cm / B6判
販売価:入手不可 文庫本有り

2010年02月09日

阿刀田高著『Vの悲劇』

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 古い阿刀田さんの推理小説を読む。この本は講談社創業八十周年記念推理特別書下ろしで、当時日本で活躍する推理作家を集めて、シリーズにしている。帯によると、阿刀田さんが本格推理に挑戦されたようだが、はっきり言って面白くなかった。
 というか、この本を読んでいて今まで阿刀田さんの作品にムラがある理由がわかった。私は阿刀田さんのエッセイや歴史小説の大ファンなのだが、現代物や恋愛小説を読むと、どうしてこうも面白くないのだろうかと思っていた。どこか無理みたいなものを感じてしまっていた。それがこの本を読んでやっとわかった。
 この本の主人公は庄野安津子という30代の主婦で、不倫相手に会いに行った先のコテージの箪笥の中から愛人の男の死体を発見してしてしまうところから始まる。不倫相手は安津子の友人の夫であった。
 当然不倫相手の死体から、証拠を残さずその場を去らなければならないし、警察の捜査が自身に及ばないように、あれこれアリバイを作り上げる。一方で、何で相手の男が殺されたのか、その理由を知りたくなる。安津子がそのコテージついたとき、覚えのある香水の香りがかすかにする。男は安津子が来る前に他の女と会っていたことを確信するが、そこから安津子の両親の過去、特に父親の過去が段々事件に関係していることがわかってくる。
 まぁ、ストーリーとしては平凡単純なのだが、それよりも主人公が女性なのに、関係者と会って事件を考えるとき、あるいはあれこれ推理するとき使われる言葉が、妙に馴染まないのだ。無理に女言葉を使っているという感じが拭えなかった。ただ感じたり、考えたりするときに、女性でもここまで女言葉を使うだろうか、と思ったのである。いくら主人公が女性だからといっても、もっと断定的な言い方をしてもちっともおかしくないような気がしたし、その方が自分の言葉としてしっくりくるような気がしたのである。
 これは明らかに男性作家が女性の描いたという、無理がそうさせているような気がした。そして私が阿刀田さん作品で、違和感を覚える作品は、そのほとんどが女性が主人公になっている場合じゃないか、と思ったのである。
 それを発見したとき、この人は女性を描くことはうまくないのだな、と思ったのである。女性らしい機微を自然に表現できない人ではないかと思った。その不自然さが妙にひっかかってしまうのだ。そのため読後どこかざらざらした感じが残ってしまう。トリックもアイデアが先走っていて、人間関係も陳腐で、話の展開も強引であったため、これはきっと失敗作だと感じた。
 

評価
★★


書誌
書名:Vの悲劇
著者:阿刀田 高
ISBN:9784061939837
出版社:講談社 (1989/06/28 出版)
版型:294p / 19cm / B6判
販売価:入手不可

2010年02月05日

本多孝好著『ALONE TOGETHER』

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 これで本多さんの著作は全部読んだことになる。この本は不思議な本であったが、面白かった。

 人は義務や責任や、世間体、あるいは世間の常識などに縛られて、本当はしたくない、関わりたくないのに、やらなければならない、あるいは関係を持たざるを得ないところがある。それらから解放されればどんなに楽であっても、それを許さない型どおりの義務や常識、責任などに縛られやむなくそうしている。そうしなければ家族が、社会が成り立たないからである。もしそれをすれば自分に対する言い訳を求める。
 本意は関わりたくない、やりたくなくても、それを放棄することが出来ない。放棄するにはそれなりの訳や理由が必要となる。あるいは形だけの義務を果たす姿を演じなければならない。それが人間そのものをある意味歪ませる。それを取り除いてやれば、本来ある姿になれるのにである。たとえそれが非常識で、非人間的であっても、それがその人が本来望んでいる姿なのだ。
 主人公である柳瀬の父親は次のように言う。

 「誰もが何かを胸の中に抱え込んでいる。みんながみんな、自分の思いのすべてを口にし始めれば社会が回らなくなる。外にぶちまけることのできない思いは、内側に溜まって澱になる。人はいつだってその澱を吐き捨てる穴を探している」

 柳瀬は父親から譲り受けた特殊な“能力”があった。

 「人はそれぞれ波長を持つ。その波長は谷を作り、山を作り、ときに揺れ、ときに震え、その人の怒りを作る。喜びを作る。悲しみを、楽しさを作る。僕はその波長を感じることができる。その波長に自分の波長を合わせることができる。そして波長が重なれば、その人にとって、僕は他者でなくなる。鏡に向かって独り言を言うようなものだ。隠す必要も、偽る必要もなくなる。けれど、それは能力と呼べる代物ではなかった。むしろ反射作用に近い。相手の波長を感じた途端、僕の意思とは無関係に僕の波長はシンクロを始めてしまう。その力を完全にコントロールするのは難しかった」

 つまり柳瀬は相手の本音を聞き出し、しがらみから解放してやれる能力があった。それは相手の波長に自分の波長をシンクロさせ、本音を引き出すことなのである。言葉を引き出された相手は、嘘で固められていた自分の本音、本来求めていた姿を語り始める。それを語った相手は、自由になり、ほとんど破滅への道を歩むこととなる。

 この本の怖さはそうした本音の解放が、いかに恐ろしい姿を見せるのかという点にある。そしてそうした本音の部分を隠すのが義務や責任や、世間体、常識などで、それらが社会をうまく機能させているかを知る。けれどそれは本来の姿ではないから、当然歪んでくる。そういうことなのだ。

 私は柳瀬の持つ特殊な“能力”と物語の展開がどうなっていくんだろうと思いながら、結構楽しんでこの本を読ませてもらった。けれどやっぱり、解放を望んでいる人間の心が、様々なしがらみに縛られ、それらが解放できずにいること。それが社会を成り立たせていること。解放された心のままに行動すれば、非社会的という烙印を押されてしまうこと。だからせめて少しでも本音の解放しようとすれば、絶対に言い訳が必要になること。それでなければ世間が、社会が許さないからだ。

 三年前に医大を辞めた柳瀬はそこの教授が立花サクラという14歳の守って欲しいと言われ、それを引き受けた。そして立花サクラが最後に逃げ込んだのは閉鎖した教会であった。そこに元司祭がいた。柳瀬はその元司祭とシンクロし、聞き出した言葉がものすごく気になった。それは司祭のもとにある男が来て言った言葉である。最後にそれを書き出す。

 「祭りを司って祭司。宗教とは本来お祭りです。だから、あなたのお考えは本末転倒です。祭りはその昔宗教的なものであった、のではなく、宗教はその昔お祭り的なものであった、のです。我を忘れるほどの高揚感。そこにもたらされる一瞬の陶酔。それこそが宗教なのではないか?」

 「ですから、宗教とは説くものではありません。授けるものです。授けた相手が要らぬと言うのなら、それ以上の無理強いは意味をなしません。わかりますか?ですから、宗教などとうの昔になくなっているのですよ。情によって授けられない教えは、理を持って説かれる。ときに権力という後ろ盾を得てね。それがあなたの言う、宗教、です。陶酔に訴えるのではなく、強迫観念に訴えるのです」

 “これってすごい!”

 今我々が信じている宗教がたどってきた歴史の本質を突いているように思えたのである。


評価
★★★


書誌
書名:ALONE TOGETHER
著者:本多 孝好
ISBN:9784575508444
出版社:双葉社 (2002/10/20 出版)双葉文庫
版型:302p / 15cm / A6判
販売価:579円(税込)

2010年02月03日

本多孝好著『MISSING』

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 また本多さんの本を読む。この文庫と次に読もうと予定している文庫を読めば、一応本多さんの本は全部読んだことになる。いつの間にか息子に感化されて、こういうことになってしまった。
 さて、この文庫は短編5編、「眠りの海」、「祈灯」、「蟬の証」、「瑠璃」、「彼の棲む場所」である。そしてこの本は2000年「このミステリーがすごい!」の第10位になっており、「眠りの海」は第16回小説推理新人賞受賞作である。詳しいことは知らないが、どうやらこの本は本多さんの最初の本みたいだ。
 個人的には「眠りの海」、「祈灯」がよかった。本多さんの作品でいつも感心するのは、会話の面白味である。ある意味村上春樹さんより、シニカルだと思ってしまう。だから登場人物の会話には思わず吹き出してしまうことが多かった。
 ただそうした皮肉的で冷笑的な考えをする人物たちが若すぎないかと思うのだ。いくら何でも中学生や高校生が言うような言葉じゃない。そんな年齢でこんなにひねた会話ができるかな、とそれだけが気にかかった。
 あるいは今の若い奴らはこういう会話ができるのかなと思ったりするが、やっぱり無理があるような気がする。かといって登場人物の年齢を上げてしまえば、話の質が変わってしまいそうだから、この点は難しいところだ。
 でも、その点に目をつぶれば、斜に構えつつも、言っていることは至極まともで、言葉が心にしみるところがいくつかあった。

 「目茶苦茶なんだと、思うな」

 「情緒とか、感受性とか、考え方とか、その人がその人である理由みたいなものが、全部目茶苦茶になってるんだと思う。誰も悪くない。忘れなきゃいけない。そう思いながら必死で社会生活して、何とか普通でいようと歯を食いしばって。それが家に戻ってきて、一番安心できる場所で、一番安心できる人の顔見た途端に崩れちゃうんじゃないかな」(「祈灯」)

 「他の人よりずっと重い時間を過ごしちゃったんだ。十九年が、四十年にも五十年にも感じられるくらい」(「祈灯」)

 「どちらか一方がもう少し短気か器用であればよかった」(「蟬の証」)


 「正直と不器用との区別できない人だった」(「蟬の証」)


評価
★★★
 

書誌
書名:MISSING
著者:本多 孝好
ISBN:9784575508031
出版社:双葉社 (2001/11/20 出版)双葉文庫
版型:341p / 15cm / A6判
販売価:630円(税込)

2010年02月02日

有本紀明著『スペイン・聖と俗』

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 個人的なことを書けば、私は大学時代ヨーロッパ中世史に興味を持っていた。その関係で、778年シャルルマーニュのスペイン遠征から始まるレコンキスタ(Reconquista)というキリスト教国によるイベリア半島の再征服活動に興味を持っていたし、さらにサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼なども一時興味があっていくつか調べたことがあった。
 さらに大航海時代を走った国、その後の南米などへの植民地政策を進め、スペイン・ハプスブルク帝国による「太陽の沈まない国」とまで言われたこの国の面白さは今でも興味がある。もっと言えば、ゴヤやベラスケスといった宮廷画家のしたたかさなど私が知っているだけでも、今でも興味が尽きないところがある。かなり昔読んだ五木寛之さん『戒厳令の夜』などあれも三人のパブロフなど、あれも面白い作品だっただけに、連想して思い出す。
 この本は司馬遼太郎さんの『街道を行く』の中で紹介されていた本で、その中でなかなか興味深い本だと司馬さんが書かれていて、それで買った。
 読んでみて面白いなと思ったことはスペイン人が持つ民族性がその歴史から生まれたことがうまく書かれていて、なるほどと思った次第だ。イベリア半島にあるこの国は古来様々な民族がこの地を通ってきて、中には定着し、追い出されいった。ユダヤ人、ギリシア人、カルタゴ人、ローマ人、ゲルマン人、イスラム教徒等である。中でも、キリスト教徒とイスラム教徒の闘争は、最後にキリスト教徒の勝利で終わったことにより、この国がカトリックの守護国を任じ、伝統的主義の立場を取るようになって行く。ガチガチのカトリックであるこの国ならではの凄まじい異端審問の嵐が吹き荒れたのもそうした歴史的背景があったからだ。

 「スペインが成立の時点からさまざまの要素の混合であることは前に見た通りである。特にユダヤ人、モーロ人とキリスト教徒の葛藤はスペインの歴史に、またスペイン人自身の肉体的・心理的特質に消すことのできない刻印を押している。キリストとマホメットの宗教戦争でスペインが条件づけられたように、ここから正統と異端という根本的二率背反が生まれた」

 言ってみれば血の純潔をカトリックという立場で主張するとこういう歴史になっていったと言っていい。血の清浄を求めるがために、社会が歪んでいった。スペインが「太陽の沈まない国」から没落して、その他のヨーロッパ諸国が近代化の道に進んでいるのに、遅れを取った理由もここにある。
 そしてスペイン人がスペイン人であることのアイデンティテーを求める余り、その民族性にも固定化が生まれていく。この本の「スペイン人罪」という章は、スペイン人が持っている気質を語っていて面白いのだが、そこにはスペイン人の自己中心的で、傲慢であり、特殊な超越主義で、私は私であることを徹底的に主張しつづける姿が例を挙げて書かれている。そのため外国文化に対する無関心でさえある。一方でというか、だからというべきかその妬みと嫉妬の激しさも指摘している。

 「妬み、不服従、それに不和はスペイン人の烙印である。だからその産物である分離指向という癌、救世主的狂気、てんかん性政治的反動、またその社会的構造の停滞ということも容易に理解できよう」というカミロ・ホセ・セラという人の言葉をここで著者は挙げている。
 ベラスケスが描く王一族の肖像画を見ていると、本来ならその華麗さを前面に感じていいはずのもが、どこかそこに描かれる人物たちのグロテスクさを先に感じてしまうのも、あるいはゴヤのように最高地位の宮廷画家であって、一方であのような風刺画や版画を描くのが、何となく理解できそうな感じがしてくる。ピカソやダリの自己主張の強さ、あるいはあくの強さもスペインでしか生まれなかったのではないかとさえ思えてくる。あるいは日本史で登場するイエズス会にしても、あの融通に気かなさはこのあたりに求められそうな気もしてしまう。
 ただこの本が書かれたのが今から約30年ほど前だから、今はだいぶ変わってはいるのだろうけど、でもテロの話は度々耳にするから、どこかはこの当時と変わっていない部分があるのかもしれない。余裕があるならもう少しスペインについて知りたいところである。


評価
★★


書誌
書名:スペイン・聖と俗
著者:有本 紀明
ISBN:9784140014301
出版社:日本放送出版協会 (1983/01 出版)NHKブックス
版型:248, / 19cm / B6判
販売価:入手不可

2010年01月28日

池澤夏樹著『異国の客』

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 もう一冊買った池澤さん本を読む。池澤さんの文章が自分には合わないなと思いつつ、前回読んだ。しかし読み切ったら、今度は慣れたものだから、文章の内容がスムースに入ってくるようになった。
 今回池澤さんがフランスのフォンテーヌブローに移住して、この地から見える世界情勢に言及する部分は政治的意見が強く現れている。日本から離れて自らの国の政治やマスコミの姿勢を批判する。あるいはアメリカのブッシュ政権の姿勢、特に9.11以降の軍事的姿勢に強く反応している。それはそれで正論なのだろうけど、私は池澤さんがこんなに強く政治的意見を強く主張する人とは思っていなかったので、少々驚いてこの本を読んだ。そしてそうした政治的意見より、もっと違う部分を期待していただけに少々興醒めな感じが否めなかった。
 私が期待していたのは、池澤さんがフランスのフォンテーヌブローに移住されて、どうヨーロッパを自らに中で消化していったかを知りたかったのだ。フォンテーヌブローの地域性やヨーロッパの歴史、更にヨーロッパの人々の心性にどう感じたかを、その方に興味があったのだ。
 もちろんそこで暮らしているわけだから、ヨーロッパの人々の心性に触れないわけにもいかないし、ヨーロッパで直に感じることも当然ある。そっちの方が私には興味があるのでそれを書き出してみる。
 たとえば食材について。様々な地方特産の食材があるのだが、「ワインやチーズについて言えば、製造そのものに時間がかかる。本来の品質を維持するのが作る立場の人たちの面目であって、客の方も新製品というだけで飛びつきはしない。全体として現在を構成する要素の中で過去が占める部分の比率が高くなる。過去という重い荷を負っているから急カーブは曲がれない。その必要はないと人々は思っているらしい」
 頑なにその製品を作り続け、製品の品質にこだわる姿勢がそこにあり、消費者もそれを求める。新しもの好きで、安ければ、農薬が入っていても買ってしまう日本人には頭が痛い。
 街の景観維持にしても、「なりゆきとか、はびこり放題とか、そういう緩い部分、放任された部分がない。そして住民の総意に個々人の好みが反映される余地は少ない。
 つまり、全体と個人の発言権において、全体がずっと強いということだ。ある意味では言葉の本来の意味において『社会』主義である。社会そのものが主役。フランス革命で『自由、平等、友愛』を謳った国おいて、実は『自由』は勝手放題を意味するわけでなかった。むしろ自由と規制がせめぎあう前線がはっきりと見える。規制によって自由が際だつと言っていい」と池澤さんは言う。まぁこれも日本ではよく言われていることで、歴史的価値がある建物であっても、生活しづらいとなれば、簡単に壊してしまうお国柄とは違う。街の景観など一切お構いなく、勝手に自分好みの家を建ててしまう国には、結局理解できないことなのだと思う。たとえそれが頭の中にあって、一様の理解をしていても、個人を主張して憚らない。それが自由だと勘違いしているのである。

 さてこれ以外に私が興味深かった記述は三点ある。一つはローマ法王ヨハネ・パウロ二世の死に接し、ヨーロッパの人々が悲しみにくれる姿を見て池澤さんが感じたことである。池澤さんは次のように言う。

 「法王はおそらく、遠い神と心弱い信徒をつなぐ仲介者の一人なのだろう。神は絶対であるから、いかなる意味でも具体的でないから、日々個人の心からは遠くなる。『創世記』に言うように神は『言葉』である。つまり言葉で定義されるものであって、実体ではない。旧約の神は厳格な妬みの神であった。素朴な人々が父と慕おうにも手がかりが少ない。だからキリスト教では、まずキリストが神と人を仲立ちし、それでも届かないところは聖母マリアが取りなし、それでも残る隙間を多くの聖者たちが埋める。そして、法王をはじめ司教も司祭たちも、この神との遠い距離を仲立ちするものとしてある。
 人は生きた人を愛することはできるけれど、抽象を愛するのはむずかしい。神に顔を与えるために、尊厳を損なうことなく相貌を与えるために、村の教会の神父に始まって天に到る長い連鎖がある。そして法王はこの連鎖の人間界側の最終的な束ね、いわば砂時計のようなくびれのような存在、ではないのか?不信心者の憶測ではそう見える」

 この記述はうまいなと思った。キリスト教の本質が理解しがたい我々みたいな者は、キリスト教がどうしてこれほどの信者を獲得することができたのか、いや信者の心を捉えたのかその構造をうまく言い表していると思ったのである。

 もう一点が、須賀敦子さんのシャルトルへ巡礼の旅についての記述である。須賀さんが長いこと歩いてやっと大聖堂の針の先のような尖塔が見えたときの感動を語っている部分がある。私はミラノの大聖堂の記述に以前触れたことがあるが、とにかく長いこと歩いてきて地平線から教会の塔の先が見えたときの感動は、言い表せないほどの感動を呼ぶらしい。私はその感動を多分中世の旅人も味わったことだろうとも書いた。池澤さんも車であったけれど、その感動を味わったことが書かれたいた。

 「フランス国土は全体としてとても平らだ。ごくわずかな起伏を越えて広大な畑の真ん中をまっすぐ伸びる道を車で走っていると、次の集落の印として最初に目に入るのが、たいていの場合、教会の塔である。水平という原理が優越する空間でもっとも垂直的なものが教会なのだ。ぼくがシャルトルに行った時も、東側から近づいてまず地平線に見えたのが二つの塔だった。車を運転していたから拍手はしなかったけれど、(須賀さんたちはそれが見えたときいっせいに拍手が起こったと書いている)しかしそうしたいくらいの感動はあったと思う」

 と書いている。こういう描写を読んでいると、私も同じような場面にいたいなと思う。
 最後の一点が、ラ・トゥールである。まさかここでラ・トゥールが出てくるとは思わなかった。(これだから本を読むのは楽しい)池澤さんがロレーヌ地方を旅していて、市内の美術館に入った。「一枚の絵が目に入った。近世から近代の絵を並べた一角で、それだけが際だっていた。他の絵が照明によってようやく見えているのに、その一枚だけは自分で光を放っているかのようだ。二人の人物が描かれているだけの単純な構図に、見る者を引き込んで放さない力がある。ぼくはしばらくの間、そこを動けなかった」と書いている。
 池澤さんが見た絵は「妻に嘲笑されるヨブ」であった。私はラ・トゥールの「大工の聖ヨセフ」に魅せられた。ちょうど上野でそれが展示されていたので、すぐ見に行ったのである。ここでは子供であるイエスが持つローソクの火がその絵を際だたせ、そこから外に向かって、見る者に光を放つような衝撃があった。そしてこの「妻に嘲笑されるヨブ」も確かローソクが効果的な魅力を醸し出していたはずだと思った。実はラ・トゥールに興味を持ったとき、彼の他の絵もネットで調べていた。改めてその絵を見てみると、ここでもローソクの炎がこの絵を際だたせているのを知る。


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 池澤さんはその魅力を次のように言う。

 「まずは精緻なリアリズム。蝋燭一本の光で描くという技法が見る者の視線をひたすら細部に向け、そこからこの二人の実在感がひしひしと伝わる」

 「ラ・トゥールではこの二人の人生の一瞬を切り取っている。まるで写真のようだ。絵の中に会話がある。言っている言葉が聞き取れるかのようだ。宗教画一般が真理を求めるために超時間になろうとするのに対して、この絵は永遠を放棄した上で、代わりに一瞬をきっちり捕らえようとしている」

 思わずラ・トゥールの魅力にとらわれた人がここにもいたといった感じで、うれしかった。


評価
★★


書誌
書名:異国の客
著者:池澤 夏樹
ISBN:9784087464689
出版社:集英社 (2009/08/25 出版)集英社文庫
版型:243p / 15cm / A6判
販売価:550円(税込)

2010年01月25日

池澤夏樹著『明るい旅情』

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 風邪が治ったかなと思っていたら、ここのところの寒暖の差が激しい気候に身体がついて行けず、またぶり返してしまった。何故か年明け早々体調があまり良くなく、そのためか読んでいる本が最後まで読み切れずに、投げ出してしまうパターンがここのところ多く、この本もそんな感じになっていた。どこか自分の感覚と合わない。これもダメだなと思っていた。
 この休みはとりあえず休養が必要ということで、ひたすら横になっていた。録画しておいたテレビを見たりしていたのだが、私は長時間テレビを見ることが出来ない人なので、しばらくしたらテレビを切ってしまう。しかし次に何することもないので、読むのを諦めていたこの本を再び読み始める。「まぁいいや。読めるところまで読んでみよう」と思ったのである。
 読んでいるうちに、池澤さんの硬質な文章が頭になじんできて、何とか読める。いやむしろこうしてごろごろしているときに、海外の話は、ちょっとそこへ行った気分になれるので、かえっていいかもしれないと思い始めたのである。
 私が池澤さんのこの紀行文をうまく受け入れられない理由は、この硬質な文章にある。くだらない笑いを誘う比喩など一切ない、ありのままの感想をストレートに書かれるものだから、読む方はいつも緊張を強いられ、長いこと読んでいられないのである。まして今の私にはきつい。それが今の私には向かない理由であった。しかしさっきも言ったように、半ば諦め、半ば我慢していると、その几帳面なほど真面目な文章に“もっともだよな”と思えてくるから不思議であった。

 「どうも人間はものごとの運びをすべて自分たちの意思の表れ、理知的な選択の結果と見る傾向がある。ことがすべて決着した後で、なぜその道を選んだのかと問われたとしよう。問う人の顔には、整然たる回答が返ってきて当然という期待の表情が浮かんでいる。しかし、実際の話、たいていのことはなりゆきというか、多くの力が時をおいて作用し、それら複数の効果の最終的な成果として実現するのではないだろうか。理知の力を信じるのはいいけれども、世の中を動かしているのは人知の制御を超えた無数の力の共同作業である。結婚などという最も人間的な、誤謬に満ちた愛すべき行為を例にして思い浮かべてみれば理解しやすいかもしれない。百人の候補について数百の項目を計測、数値化し、それを統計学を用いて厳密に比較検討した上で相手を選ぶ者はいない。なりゆきというのは美しい言葉だ」

 「誰にとっても現在は楽園ではない。現在には苦い要素がいろいろ混じっている。それでも子供時代のような質のよい過去から苦い要素を時間の作用で洗い流すことはできるし、精神が元気であれば最初から苦い要素を入れない未来を描くこともできる」
 
 「うわついたところが一つもない。完成されている。しかし、若い身でこの国にいたとしたら自分などたまらないだろうとも考える。東京の軽薄もやりきれないが、ロンドンの重厚も決して居心地のいいものではない。英語の言い回しに『バターを口に入れても溶けないような顔をして・・・・』というのがあるが、道行くみながそういう顔をしている。漱石がノイローゼになった理由がよくわかる」

 「ここ何十年かの間にこの国(日本)では社会の重心をずっと若い層にシフトしてしまった。街に出れば若い人々ばかりがあふれているし、商品もすべて若い購買層に向けて開発され、それを買いにゆくと対応に出る店員はみな二十代。社会そのものがかわいいニコニコ顔をしている。それは結構なのだが、実際のサービスは大雑把でいい加減、誰もが無責任、しかもみんなそれが普通だと思っている。若いというのは困ったものだ」

 ロンドンの街のことを書き記したのは、漱石の記述があったからだが、他の3つの文章は私ももっともだと思ったので書いた。いささか几帳面さ鼻につかなくもないが、でも几帳面であるが故に、逆に説得力があると感じた。

 本当ならもう少しまともな感想を書くべきなのだろうが、私はこの著者の生真面目さから、正論を言っている部分が好きになったので、あえてそれだけを書き残した。早く風邪を治さなきゃ・・・。


評価
★★


書誌
書名:明るい旅情
著者:池澤 夏樹
ISBN:9784101318189
出版社:新潮社 (2001/06/01 出版)新潮文庫
版型:246p / 15cm / A6判
販売価:入手不可

2010年01月22日

池澤夏樹著『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』

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 興味は尽きない部分はあるのだけれど、信仰という問題はどう扱っていいのかわからない。ましてキリスト教徒として信仰を持たない人間としては、キリスト教徒や聖書を単に学問や雑学の部分でしか扱えない。そのため、知識として頭に残るものはあっても、それがどう信仰と係わってくるのか、その関連がまったくといって理解できない。
 私にはキリスト教が及ぼした人類への多大な影響は歴史や知識だけで推しはかれない部分が多すぎる。まして個人の心性の問題から発生して、それが民族の生活モラル、政治システム、文化、文明まで幅広く及ぶこととなると、どこから取り扱えばいいのか、皆目見当がつかない。そのためこの本の信仰に係わる問題は、私にははっきり言って難しすぎた。
 で、聖書のそのもの実態はどうであったか、その内容は別として、聖書がたどってきただろう歴史は多少理解できたので、そのことを書きたい。あともう一点、気候が及ぼす影響というのは面白かったのでそれも書いてみる。

 単純に思っていたことなのだが、いわゆる聖書というのはそれ自体そのものの確実な原典があって、それが訳され現代に残っていると思っていた。確かに歴史ではいろいろな教会議が催されたことは知っているが、そこで聖書に残すべきかどうか、取捨選択が行われ、それが現代に残ったものだと教えられれば、なるほどそうだったなと思い出す。
 しかしそれ以前聖書の原点とは何だったのだろうという疑問をこの本のように提示されると、果たしてそれは何だったのだろうかと思う。どういう訳であれ、とりあえず文字として表されているその原点は、いまからおよそ二千五百年前、古代のイスラエル諸部族の間で語りつがれてきた物語やリスト(テクストといっていいだろう)を広く集めて編集して、一巻のスクロール(巻物)に書き写したものであったという。つまり各部族で言い伝えられた来たことを、ただ単に巻物に書き写していったものが、その始まりであったというわけだ。従ってその時点で消えてしまった物語もあっただろうし、書き写されなかった物語もあったはずだ。
 ただそうして言い伝えられた物語が文字に介されることで、その物語を語りついている人だけのものであったものが、その個人の人格を離れ、空間的にも、そして時代もを超えることとなる。つまり保存だできるようになったのだ。
 最初はそうしてまとめられていった物語は、時間の流れや、おのおの物語の関連性など、お構いなしに、単に言い伝えられて来たことを、まとめただけであった。 
 そもそもこの本によると、古代ヘブライ語には過去形というものがないらしく、動詞の形を見て過去と未来の区別することができないらしい。だから文章の状況で判断していく。
 過去形がないということは時間の遠近法がないということで、そこにはすべての時代が何の脈絡もなく、一巻の巻物に収められていることとなる。こういうのって、昔話や言い伝えなどによくあるパターンで、いつが新しい時間なのかわからないことがある。おそらく聖書の原点もこれと同じであったのだろう。
 ところが聖書がギリシア、ローマに伝わるとそうはいかなくなる。言葉のシステムが古代ヘブライ語と違う。ギリシア語には時制があるため、それまで直線的にあった物語は、時間の軸によって整理された。時制があるということは、過去、現代、未来という思考方法になり、物語をクロノロジカルにしていく。整合性を求められることとなる。本当は時制に関係なく、言い伝えられていたことだったのに、ギリシア語に訳されたとたん、そうせざるを得なかったのだ。これは聖書の性質さえ変えてしまう出来事であった。
 違う側面からも聖書が最初に持っていた性質を変える出来事があった。
 本来語り手の言うがままに一巻の巻物につづられた物語は、語り手が録音テープみたいに朗読していったようなもので、聞く方はそれを耳と脳と体で吸収していく性質のものであった。この時点ではまだ神聖さが充分感じられたことだろう。
 ところが、そうして文字化された物語は、巻物からコデックス(冊子本)へまとめられ、つまり本となるわけだ。そうなるとページやインデックスがつく。時にはタイトルがついたりする。それまで語り手が話し始めたら終わるまで待つしかなかったものが、いつでも途切れていい状態を可能する。
 またそれまでは音読していたものが、本となった時点から黙読できるようになる。黙読がすることが常態化すれば、物語が本来持っていた神聖性が薄れていく一方となる。朗読によるリズムがもたらす一種の恍惚感さえ失われる。
 さらにページごとチャプターごとに収められ、中身の細分化が進み、必要とする人間が必要な箇所を都合よく引用することが可能になる。物語性はどんどん薄らいでくる。さらに細分化が進めば進んだらで、今度は俯瞰できなくなってしまう。これが聖書の変質といっていいとが書かれていた。
 なるほど昔から言葉で語りつがれた物語は、耳で聞き、脳が感じ、体で覚える性質のものであったんだなと思ったし、それが訳がついて、形を変えることによって、変質していく過程の言及は面白かった。おそらくそれは聖書に限らず、たとえばホメロスの作品だってそうかもしれない。

 さてもう一点なるほど思ったことがある。先ほどの古代ヘブライ語には過去形がないということにも多少関連するかもしれない。どういうことかと言えば、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教が生まれた地帯の気候の問題である。気候が砂漠地帯で生まれたこれらの宗教の性格の決定づけている点があるのだ。
 たとえば、我々のようなモンスーン地帯に住んでいれば、一年が同じサイクルで考えられる。雨期があり、乾期がある。暑くなれば、寒くもなる。そこにはサイクルがあって、次が予想できる。だから歴史の記述もそうした法則性の下でまとめられる。編年という思考方法が生まれる。
 ところが、砂漠で暮らす遊牧民の間では、気候がそうした思考方法を許さない。気候の周期性というものがないから、その思考方法も同じ平面で相互の関係性を欠いた形になる。私にはそれが古代ヘブライ語に過去形がない理由に思えてならなかった。おそらく最初の聖書に書かれた物語はそうした性質のものが色濃かったに違いない。多分コーランも似た点があるのではないかと思う。

 気候で思い出したことがある。昔読んだ遠藤周作さん本である。この本は紀行文で、遠藤さんが若い頃この地域を旅したことも書かれていた。多分そこに書かれていたと思うのだが、こうした気候の厳しさをを肌で感じ、キリスト教が父性的な厳しさがあるのはこの気候の厳しさによるのではないかと書かれていたと思う。(この本自分の本棚にいくら探しても見つからず、もう一度読んでみたいと思い、古本屋で探していたのだが、先日それを見つけて手に入れた。近々読んでみようと思っている)
 気候と聖書の関連は、和辻哲郎の『風土』を通して、この本で語られているが、なるほどあの本からなら、そう言えそうだなと思った。まさか和辻哲郎の『風土』を持ってくるとは以外だったので、ちょっと懐かしかった。


評価
★★★


書誌
書名:ぼくたちが聖書について知りたかったこと
著者:池澤 夏樹
ISBN:9784093878470
出版社:小学館 (2009/11/02 出版)
版型:284p / 19cm / B6判
販売価:1,680円(税込)

2010年01月18日

吉村昭著『生麦事件』

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 薩摩藩主島津忠義(当時茂久)の父・島津久光は、公武合体を幕府に認めさせるため勅使を江戸に派遣する必要があると、朝廷に建言した。その建言が認められ、公卿大原重徳が勅使に任命された。久光もそれに同行し、江戸で目的を一応達成し、薩摩へ帰る。その途中、文久2年(1862年)、大行列を率いた久光の大名行列が武蔵国橘樹郡生麦村(現・神奈川県横浜市鶴見区生麦)付近で、前方を横浜在住のイギリス人4人(ウィリアム・マーシャル、ウッジロップ・チャールズ・クラーク、チャールズ・レノックス・リチャードソン、マーガレット・ボロデイル)が乗馬のまま横切った。薩摩藩士達は言葉が通じないため、身振り手振りで下馬し道を譲るように支持したが、道が狭かったために行列の中に馬を誤って進めてしまう。それにより乗馬が興奮して久光の列を乱した。これに怒った奈良原喜左衛門ら一部藩士が斬りかかり、リチャードソン1人が死亡し、2人が負傷した。これが世に言う「生麦事件」である。

 「大名行列は、藩の威信をしめすもので、藩士たちは身なりを整え、定められた順序にしたがって整然とした列を組んで進む。それは儀式に似たもので、その行列を乱した者は討果てもよいという公法がある。日本に居住する外国人たちは、日本で生活するかぎり、その公法を十分に知っているべきであるが、殺傷された外国人たちは下馬することもなく、馬を行列の中に踏みこませるという非礼を働いた。それは断じて許されるべきではなく、斬りつけたことは当然と言える」

 この本は生麦事件だけを扱った本ではない。どちらかと言えば、事件後たどった経緯に重点が置かれているといってもいい。つまりこの事件がその後大きな影響の及ぼしたことが書かれているのである。この後起こる薩英戦争や長州藩が自ら攘夷決行し、下関の海峡で西欧列強の船を攻撃したことに怒った英・米・仏・蘭の4カ国連合艦隊と長州藩が戦争が大きな思想転換を生み、それが倒幕運動となり、明治維新となって行く、一つのきっけけとしてこの事件を扱っているのである。

 まずは薩英戦争である。イギリスは自らの国民が斬り殺されたことに怒った。幕府にもその責任があると迫り、賠償金を要求し、幕府は渋々その要求を飲むが、薩摩藩はその要求を一切拒否する。久光は、家臣が外国人を斬りつけたのはやむを得ぬこととその行為を是認していた。しかしイギリスとの戦争は免れないと思い、その準備を全藩あげて取り組む。西欧の兵術にしたがって武器を保有し、厳しい操練も繰り返した。
 文久3年戦いは始まった。薩摩は五分五分の戦いをしたと思っていたが、イギリス艦隊と対戦し、武器と技術に天と地の差があることを実感した。その旧式兵力では太刀打ちできないことをここで思い知らされれたのである。
 攘夷を実行するにはあまりにも兵力に差があり過ぎることを身をもって知った薩摩藩は、攘夷論がいかに愚かしいものであるかを思い知らされるのである
 結局イギリスを和議を結び、さらに友好関係を強め、イギリスから新式の軍艦や兵器を輸入することで、藩を旧式兵器から最新兵器に転換を図っていく。
 一方長州藩の動向も問題となる。当時京では、長州藩を中心とする急進攘夷派が勢力を伸ばし、朝廷は幕府に攘夷決行の勅命をが伝えられた。その決行日、文久3年(1863年)5月10日に、長州は下関海峡を通過する外国船を無差別に砲撃する攘夷に打ってでたのである。それに怒った英・米・仏・蘭の4カ国連合艦隊と長州藩が戦争となるが、圧倒的な欧米諸国に近代兵器に完膚無きまでに叩かれた。長州藩もその力の差を見せつけられ、攘夷など馬鹿げた行為が実行不可能なものであることを思い知らされるのである。

 ところで倒幕運動は薩摩藩と長州藩が一緒になって行われた。しかしこの両藩は対立していた。薩摩藩は公武合体論を主張し、長州藩は徹底した尊王攘夷論の立場を取った。最初は京で長州藩が朝廷を擁して、薩摩藩の公武合体論を失敗に帰させた。その長州藩の過激さを恐れ薩摩藩は京都に入り、禁門ノ変で長州藩を京都から排除する。
 その後長州藩は自ら攘夷を決行したが、そんな中、間違って薩摩藩の「長崎丸」砲撃事件してしまい、それに乗っていた有能な藩士を薩摩藩は多数失った。当然長州藩に対する憤りの声がたかまった。
 しかし長州藩も薩摩藩も西欧列強と戦い、その力の差が歴然としていることを悟り、攘夷論の転換、軍備を強化して開国を推し進めるべきだという意見が主流となっていく。
 こうなっていくと両藩が進むべき道が同じ方向に向かっていくこととなる。しかしそれでもまだ両藩は反目する点が多かった。この後幕府による長州征討が行われるが、薩摩藩の西郷よる周旋で幕府の第一次長州征討が寛大な処置によって結着をみた。このことで薩摩藩に対する積年の恨みもうすらいだ。さらに西郷が、禁門ノ変で捕虜になった長州藩士たちを藩に送還し、長州にのがれていた急進攘夷派の三条実美ら公卿たちを、江戸に護送せよという幕命にそむいて、九州の筑前に身柄を移した配慮に感謝の念もいだいた。これらの事柄によって、薩摩、長州藩の間にはひそかに融和の気配がきざしていたのである。
 しかしそれでも長州藩は朝敵であり、薩摩藩はそう簡単に長州藩と手を結ぶわけにはいかなかった。下手に長州藩とむすびつけば、幕府はもとより勅許を下した朝廷へ敵対する結果となり、全国諸藩を敵にまわすことにもなって、藩は重大な危機にさらされる。しかし一方で長州藩に薩摩藩を通してイギリスからの武器の調達をさせていた。
 ここに坂本竜馬が登場する。坂本は自ら商業をやりたいと考えていたので、それをスムースに行うためには日本が幕府と諸藩に分かれていてはダメだと考えていた。薩摩藩と長州藩が一緒になって幕府を倒し、日本を一つの国としてまとめるべきだと考えていた。だからこの両藩が同盟を結ぶべきと考えていて、その斡旋をする。
 長州の木戸を京に呼び、薩摩の西郷、小松帯刀と会合させる。しかし両藩とも同盟を結ぶには問題があった。薩摩藩にすれば長州藩と手を結ぶことは、火中の栗を拾うような冒険であり、長州藩にすればこのままでいれば幕府の征討軍によって滅亡は必死の状態にあり、薩摩藩と提携すれば死地を脱するのも可能になるが、それは薩摩藩を危険な立場に追いこむことになる。さらに意を決して薩摩藩に提携を懇願するのは憐れみ乞うのと同様で、藩の面子としてそれはできかねていた。
 そんな双方の思惑があって、論議は十余日に及んでもなんの進展もみられなかった。木戸は話が進展しないことで帰藩しようとするが、それに驚いた坂本竜馬は「薩長両藩はお互いに猜疑心や面子を捨てて天下のため真情をもって協議すべきである」と両藩の間を取り持つのである。この坂本の発言は潤滑剤にも似た効果があって、これによって薩長同盟がなる。

 ところで司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』では、坂本のその独創性、行動力、交流の広さによって、薩長同盟がなったように書かれていたと思う。もしかしたら違うかもしれない。なにせ、この『竜馬がゆく』を読んだのは、私が高校三年の夏だから、それからだいぶ時間がたっているので、自信がない。(何でこんなに詳しくその本を読んだ時期を覚えているかと言えば、当時大学受験の夏期講座に出ていて、授業を聞かずに、この本に夢中になったことを覚えているからだ)
 しかしこの吉村さんの本を読むと、坂本竜馬の独創で薩長同盟がなったのではなく、そうなるべくしてなって行ったことを知った。確かに坂本の斡旋があってなったことは間違いないだろうが、そうなるべく雰囲気が両藩に生まれていたから、多少のメンツはあったにせよ、吉村さんの言うように坂本は単に「潤滑剤」の役目をしただけであり、薩長同盟が坂本の力だけでなったわけじゃないと知った。
 こういうのは見る人の視点によって変わるものだと思うが、多分司馬さんの小説は坂本竜馬を主人公にしているだけに、その思いが熱く伝わり、坂本の力を過大評価させる記述になっていて、私がその通り受け取ってしまったのだろう。だから長いこと薩長同盟は坂本竜馬の力だと思っていたのだ。
 それにしても生麦村で薩摩藩士の一人がイギリス人を斬ったことから、これが後に大きな流れとなっていくとのは、歴史の不思議さを感じてしまう。何がきっかけで時代が変わるのかわからないものだ。それを思うと面白い。


評価
★★★


書誌
書名:生麦事件
著者:吉村 昭
ISBN:9784103242260
出版社:新潮社 (1998/09/25 出版)
版型:423p / 21cm / A5判
販売価:入手不可。文庫ならあり

2010年01月07日

森まゆみ著『彰義隊遺聞』

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 著者の森さんは地域雑誌「谷中・根津・千駄木」(谷根千工房)を創刊し、編集人である。そしてこの地域は上野に近い。雑誌の取材なんかしているときなど、町の古老から彰義隊の話を聞くこともあったんじゃないだろうか。おそらくそうした古老からの聞いたことがこの本を生むことになったんじゃないだろうか。
 そんなことを思いつつ、森さんが集めた彰義隊に関する話を楽しんだ。ここにあるのはいわゆる逸話である。足で集めた話と自らが彰義隊に関わる資料を調べて、うまく聞いた話と照らし合わせていく。通史として物語であったが、吉村さんの『彰義隊』を読んでいるので、この本は伝え聞いた彰義隊に参加した人々の個々の経緯、その後が語られている。言ってみれば吉村さんの『彰義隊』の肉付けみたいな感じで読んだ。

 彰義隊と朝廷軍の戦いは“必要悪”のところがあったようだ。どういうことかというと、たとえば勝海舟や山岡鉄舟、高橋泥舟ら所謂「幕末の三舟」は、彰義隊の「君恥ずかしめらるれば臣死すとき」などといって内乱を起こせば、外国にいいように乗じられ、国そのものの存亡に関わることだと考えていたけれど、

 「しかし同じ幕臣として、彰義隊の主唱者たちのやむにやまれぬ思いも、彼らは理解していた。いや勝などは、二百六十年の徳川政権に一挙区切りをつけるためには象徴的な、しかし大勢に影響のない市街戦が江戸でも必要である、多少、死んで貰おうかぐらい考えていたのではないか。
 大村や西郷も同様だったかもしれない。窮鼠猫を噛んではわが軍の被害も大きい、とわざと上野の山の芋坂口を退き口として開けておいたことも、幕府瓦解の象徴として上野戦争の限定的な性格が表れている。すでに幕府は倒れており、そのことを民衆に周知徹底させねばならぬ。実際、鳥羽伏見の戦いは京都の民衆への実物教育になった。もはや政権をめぐる戦争でも、領土をめぐる戦争でもないのである」

 と森さんは書かれている。将軍慶喜が政権を返上し、謹慎したことで徳川幕府が終わったことを示すが、それに不満をもつ幕臣たちは一矢報いるため彰義隊として集まる。兵を挙させれば、それがガス抜きにもなる。朝廷軍はそうした彰義隊の気分の高揚をある程度歓迎していた観がある。それを一気に叩く。朝廷軍が持っている当時の最新兵器で彰義隊を壊滅させれば、朝廷軍の威光を示すことになるし、同時に民衆に時代は変わったのだとわからせることにもなるのだ。だから上野戦争は必要悪だったのである。森さんは「上野戦争がなかったなら、旧幕に心を寄せる人びとや、江戸の町っ子は憤懣やるかたなかったにちがいない。彰義隊は一つのカタルシスであった。彼らは江戸最後の日を花火のように彩り、長い徳川という時代を一瞬のうちに回想してみせた」と書く。
 こうなると君を辱められたという、臣としての取るべき態度が、指揮官や戦略家、あるいは時代を見据える人にいいように利用されたことになるわけだ。崇高な志さえこんな風に使われるのだから、時代というのは残酷である。

 ところで、吉村昭さんは最初彰義隊の物語を書こうと思ったが、戦いが半日で終わってしまったことで、小説にはしにくいと一時執筆を断念したことを書かれている。(結局その後の輪王寺宮の逃避行を書くことで、この物語は成った)しかしあくまでも“みせしめ”なら、戦いを長引かせる必要はない。早く決着がつくならそれに越したことはない。だから逆に半日で終わったことに重大な意味があることになる。もし上野での戦いが長引いた場合、江戸城がせっかく無血開城となって、民衆の安全が保証されたのに、町が血の海に変わったかもしれないのだ。

 「上野の戦が二、三日もつづけば、夜に入って市中はの町民たちまで、例のヤジ馬で何かやらかしそうな塩梅だった。たった半日で決着がついたので安穏におさまり、江戸市中も修羅の巷となることを免れ、ありがたいことだ」と当時の人たちが思っていたことは本音だろう。

 本音と建て前といえば、彰義隊に参加した人々のなかには、徳川の恩顧に報いるために参加した人たちだけで構成されたわけじゃないことをこの本を読んで知らされる。もちろんこういう話はどこでもあるのだろう。

 「彰義隊の数は三千人とも四千人ともいう資料がある。あわよくばこの機に一旗揚げようとしたものもあったにちがいない。旗本の長男は官軍へつき、次、三男は彰義隊に入る。どっちへ転んでも何とか家だけは残すという両天秤で、談合の上で敵味方に分かれた家もあった。本気で山を死守しようとする武士などごく少数だった」という話もある。

 「彰義隊は、兵糧も資金もそう困っていなかった。(困っていたという話もある)どうせ戦いになれば命はないものと思っているから、毎夜のように吉原へ通っていたという。(そうして実際戦争になった時は帰って来られなくなってしまった武士も多くいた)そうだとすれば上野の山の出入りは、夜もかなり自由だったと思われる」

 彰義隊に参加した兵士の思惑はさまざまであった。本当に志あるものだけの集まりではなかった。時に彰義隊が「烏合の衆」と呼ばれる所以はこのあたりにあるのかもしれない。ただ彰義隊と朝廷軍の上野の山での戦いは幕末最後のあだ花だったと思えなくもない。戦に敗れ、死んでいった彰義隊の隊員は、しばらくの間遺体を見せしめのため放置されたことを思えば、余計にそう感じてしまう。悲しくない戦争なんてないだろうけど、戦う個人に意味はあっても、全体としてさらしものみたいなところがある戦いだったし、滅びていくのが宿命であったのに、それでももがいているように思えたから、そういう意味でむなしく、悲しい戦争だった。


評価
★★★


書誌
書名:彰義隊遺聞
著者:森 まゆみ
ISBN:9784101390239
出版社:新潮社 (2008/01/01 出版)新潮文庫
版型:418p / 15cm / A6判
販売価:619円(税込)

2010年01月04日

吉村昭著『彰義隊』

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 まずは新年の挨拶から。

 新年あけましておめでとうございます

 本年もよろしくお願いいたします


 去年も吉村さんの随筆から始めたが、今年の第一発目も吉村昭さんのこの本から。
 徳川慶喜は鳥羽・伏見の戦いから江戸へ逃げ出した。慶喜が“朝敵”となり、自ら上野寛永寺で謹慎する。しかし一方で皇女和宮や寛永寺山主輪王寺久能親王にも恭順の意を朝廷に伝えてもらいたく画策する。徳川家にとって和宮と輪王寺宮が唯一の朝廷とのパイプであった。和宮は仁孝天皇の皇女で兄は孝明天皇である。徳川幕府は公武合体の最も有効な政策として皇女和宮を将軍家茂と結婚させることとして進めた。当時和宮は有栖川宮熾仁親王と婚約が決まっていたのを破棄されて、徳川家に嫁いできた。その有栖川宮熾仁親王は東征大総督として任じられ江戸討伐軍としての最高幹部となっていた。従って有栖川宮熾仁親王にとってみれば徳川幕府は和宮を奪っていった敵であった。当然感情的に徳川幕府を許せるわけがないのである。

 和宮は慶喜の恭順の申し立てを受けいれ、使者を立てたが、これといった結果を得られなかった。そして次に白羽の矢がたったのが、寛永寺山主輪王寺久能親王であった。輪王寺宮は明治天皇の叔父に当たる。宮は十二歳で勅命により輪王寺の後継者となり、幕末日光と上野の山主となっていた。輪王寺宮にとって慶喜の恭順や徳川家の存続の嘆願よりも、江戸に対する思いの方が強かった。宮は寛永寺山主になって十年近く江戸にいた。そのため江戸が自らの故郷に近い存在になっていて、町民に対する愛着も強くなっていた。
 朝廷軍が江戸に入ってくれば、当然幕府と戦争になる。戦争になれば宮の愛する町民は逃げまとうことになる。そのことが宮にとって心配であった。だから宮は慶喜の使者となって有栖川宮と会うが、けんもほろろに扱われる。しかもここまで来る間に高貴な身分である宮に対して薩長軍を主流とする朝廷軍は、宮の御輿を止めたり、遮ったりし、近づいて扉を無造作に開け、覗くなど無礼な態度をとるのであった。そこには単に好奇の目しかなかった。この行為が宮や宮の執当である覚王院に深く屈辱的な記憶として残ることとなった。特に覚王院にはそれが甚だしかった。

 さてその彰義隊である。慶喜は朝敵にされるのはかなわんという気持ちから、恭順という態度をとった。将軍慶喜は水戸の出身であり、水戸藩といえば皇国史観のかたまりの藩である。天皇を重きに考える。そんな藩の出身である慶喜が自らが朝敵とされることにはどうしても耐えられなかったに違いない。だから恭順という態度をとった。
 そんな慶喜を君としている臣は、慶喜が終始朝廷に忠義の志あつく、二百年続いた幕府の政権を朝廷に奉還したにもかかわらず、朝廷に巧みに入り込んだ策士どもの陰謀によって、追討を受ける身となったことに耐えられなかった。君を辱められた臣は、死を覚悟して戦うものであるとして一橋家ゆかりのものが会合を持ち、そのうち諸藩の藩士や旧幕府を支持する志士までもが参加して、会合は組織へと変化し尊王恭順有志会が結成された。会は正式名を持つ必要性があるとして彰義隊と名変えた。
 彰義隊はどんどんその人数を増やしていく。しかし彰義隊が大きくなればなるほど、慶喜の謝罪を朝廷に認めてもらうのに大きな障害となる。旧幕臣は頭を悩ませる。本当からいえば彰義隊の解散が望ましいが、それを強行すれば、彼らは激怒し予想を絶した行動を取りかねない。そこで彼らを江戸の治安を守るために利用した。
 大政奉還以来幕府の権力は低下し、それによって盗賊が横行し、治安が乱れていた。彰義隊は町の治安維持のために働くようになる。そこに朝廷軍が入ってきて、戦勝気分で大胆な行動で町をのし歩き、横暴さが目立つため、朝廷軍と彰義隊が衝突するようになっていく。当然江戸の町民からすれば彰義隊は江戸の治安を維持してくれる存在であったから、支持した。

 「町民たちは彰義隊の提灯の列が近づくと家々から出て来て頭をさげ、隊員が休息のために足をとめると、茶や甘酒を出して感謝の言葉を口にする。上野の山にも食料を手にしたり大八車に積んだりして、彰義隊の屯所にとどける者がひきもきらなかった。正装し、連れ立って金を寄進する者が多かった」

 朝廷軍は、江戸城を掌中におさめ、江戸に入る諸街道を封鎖していたものの、広大な江戸の町は町民のもので権勢は及んでいなかった。江戸の治安は彰義隊員によって維持されている趣があった。
 東征大総督府の目的は、むろん江戸城を接収することによる江戸の完全占拠であった。江戸の完全掌握には町民が支持している彰義隊の存在が邪魔であった。その状況を打ちくだくためには、彰義隊と町民の間に深いくさびを打ち込み、彰義隊を自然消滅させる以外になかったのである。
 東征大総督府はたびたび彰義隊の解散を要求し始める。山岡鉄舟は彰義隊の解散を促すために、上野に行くが、覚王院は慶喜謝罪の使者として輪王寺宮と一緒に道中を旅したときの屈辱感が思い出されていた。

 「朝廷軍と言っても、所詮は薩摩、長州の軍勢に過ぎず、貴殿が上使としてこられたのは、薩摩の策略に乗ったにすぎない」

 「当寺は古くから徳川家が経営し、皇族を山主と仰ぐ寺であり、徳川家に恩を感じる者たちが集まって守護しようとするのは当然のことである。そのような忠義の者たちである彰義隊を解散せよ、と言われる貴殿は、徳川家の恩を忘れた逆臣である」
 
 と声を荒げて言うのであった。

 その間に、彰義隊に加わる者は日を追って増し、その勢力は侮りがたくものになっていた。江戸城を接収しながら、江戸には朝廷軍に反抗する彰義隊が市中を歩きまわり、朝廷軍の藩兵に威圧感をあたえている。そのような状況が地方にも波及すれば、各地で朝廷軍に抵抗する動きが活発化することが予想された。そのような懸念から、大総督府内では彰義隊を一挙に武力をもって殲滅すべきだという声がたかまっていく。

 そして遂に慶応4年(1868年)5月15日(7月4日)未明、大村益次郎が指揮する政府軍は、寛永寺一帯に立てこもる彰義隊を包囲し、雨中総攻撃を行った。新政府軍は火力で優り、また肥前藩が保持するアームストロング砲の威力もあって、午後からは優勢に戦闘をすすめ、一日で彰義隊を撃破、寛永寺も壊滅的打撃を受けた。
 戦いは半日で終わった。輪王寺宮は寛永寺から逃れ、関東にある寛永寺の支寺へ逃れるが、朝廷軍の追っ手が迫り、遂に品川沖に停泊していた榎本武揚が率いる艦隊に乗り込み、奥羽へ逃れる。
 当時東北では官軍に対抗して奥羽越列藩同盟がなっていた。彼らの士気を高めるために輪王寺宮を盟主に仰ぐ動きとなり、輪王寺宮は奥羽越列藩同盟の盟主となるが、歯が欠けるように一つ一つ同盟の藩が朝廷軍に降っていく。最後は宮にはもう帰順しか残っていなかった。結局宮も朝廷軍に降った。
 宮はこれで江戸に帰れると思ったが、朝廷は宮を京都に謹慎させる。しかも有栖川宮熾仁親王のもとでである。威厳もへったくれもない。まさに「勝てば官軍、負ければ賊軍」である。

 宮は後に罪を許され、日清戦争で台湾征伐の総指揮を任されるまでになる。当時朝廷に反抗した徳川家ゆかりの人間は罪を許され、明治新政府に重職に就いている者もかなりいた。結局彰義隊に加わった、一心に君を思う者だけが死に、遺体を回収されないままさらされてしまっただけであった。貧乏くじを引いただけであった。

 この本を読んでいて、力にものを言わせ、それまであった威厳や秩序などをまるでローラをかけるように挽きつぶしていく感じがものすごく不愉快な気分として残った。確かに時代の流れとしてそうなっていくのは仕方がないことなのかもしれないが、たとえそれは粗にして野だが卑ではあってはならないと感じた。新しい時代が生まれようとするのである。そこには荒々しい力があっても当然であり、粗であり野であってもかまわない。ただ碑であれば、どこか醜い。そんな感じがどうしてもつきまとった。
 この時代、歴史に名を残した人間が多くいるが、一方で虎の威を借りて、横暴な態度をとる人間も新体制側に多くいたのであった。維新の話を読む度にいつもこういう輩の横暴さに腹が立ってしまう。
 一方で輪王寺宮や榎本武揚など、朝廷軍と相反して戦ってきたのに、戦いに敗れ、その罪が許されれば、明治政府の要人として生きていく姿にもどこか疑問を感じてしまう。彼らは盟主であり、指揮官であった。多くの無名の人が彼らを慕って、戦い、死んでいった。それなのに“転向”が簡単にできるほど生き方で、盟主や指揮官をやっていたのかと、どこか腑に落ちないところも私には残ってしまう。少なくとも“転向”に大きな苦悩があって欲しいと願うところである。何故なら彼らのために多くの人が死んでいったからだ。


評価
★★★


書誌
書名:彰義隊
著者:吉村 昭
ISBN:9784022500731
出版社:朝日新聞社 (2005/11/30 出版)
版型:395p / 19cm / B6判
販売価:1,890円(税込)

2009年12月30日

吉村昭著『熊撃ち』

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 この本は読みたかったが、本屋で入手できなかったので、探していた。やっと見つけたのでさっそく読み始めた。
 吉村さんには『羆嵐』という作品があるが、これを読んで羆の恐ろしさが身に迫るほど恐ろしく感じたのを今でも思い出す。今回読んだこの本は『羆嵐』を書く前に書かれた本である。猟師やハンターの取材から生まれたものだった。つまりこの『熊撃ち』は『羆嵐』を生むきっかけとなった作品なのである。吉村さんも『羆嵐』は『熊撃ち』の副産物として生まれたものだったと言っている。
 この作品は七話からなり、一話一話主人公の猟師の名前をタイトルにしている。しかも主人公は実在し、物語も実際あった話だという。だからだろうか、とにかく北海道にいる羆(一話だけ内地の熊の話だ)の恐ろしさがひしひし感じられる。
 だいたいが羆に襲われた人がいて、その後羆狩りが行われるパターンなのだが、まずはその羆に襲われた現場の無惨さである。

 「娘が行方不明になってから五日目の十一月二十三日、捜索隊は、楢の木の根本にころがる無残な娘の遺体を発見した。衣服はひきむしられ、隆起していた乳房も荒々しく食いちぎられている。さらに腹部や腿や臀部など、肉のついている部分はすべて食い荒らされ、頭部にも鋭い歯の跡があり地下足袋もかじられていた」

「青年が、大鎌をふりあげた。羆と青年の体が、接近した。鎌の刃が、ひらめいた。と同時に、ゴキッという音がした。羆の掌が青年の頭部をうち、その衝撃で首の骨が折れたのだ」

 「老女を襲って肉を喰べた羆が射殺されて解体された。すると胃のなかから消化されなかった人体の表皮が出てきた。両掌に乗る程度の量だったので水でよく洗ってビニール袋に入れ、遺族に渡すことになった」

 「娘を喰い殺した羆が射殺された。解体すると胃のなかの肉は完全に消化されていたが、奇妙なものがとけずに残っていた。それは赤く固い拳のようなもので、ほぐしてみると都腰巻の繊維と毛髪のからみあったものだった」

 吉村さんの文庫版のあとがきで、「内地の月の輪熊は植物性のものを主食とするが、北海道の羆は、植物性のものを食べると同時に肉食でもある。牛、緬羊など家畜を襲い、人間も食い殺す」と書かれているが、まさにこれが証明している。その力はものすごい。とにかく羆は猛獣なのである。
 息子が羆に襲われ、その敵討ちとして一緒に猟師と山に入り、目の前にその羆が迫ってきたとき、息子を襲われた男はライフルを発砲し、絶叫しながら逃げ出してしまう。それほど素人には恐ろしい生き物であった。しかし猟師はそうした羆の恐怖に立ち向かえるほどの強靱な精神力で引き金を引き、羆を倒すのである。彼等はだいたいが寡黙であり、自然の怖さ、羆の怖さを充分に知っており、決して自然や羆を軽んじない。用意周到であり、狩りのためには、何日も山には入り、待ち続ける忍耐力を持っている人たちであった。 そんな恐ろしい羆であるが、一方で羆狩りが村の収入源であり、食糧でもあったため、羆狩りの時期が待ち遠しいところもあった。毛皮と胆嚢は高く売れたのである。
 とにかく羆がどこにいて、どうやって追い詰めていくか、その自然の厳しいさとともに、緊迫感がずんずん伝わってくる作品であった。


評価
★★★★


書誌
書名:熊撃ち
著者:吉村 昭
ISBN:9784167169268
出版社:文芸春秋 (1993/09/10 出版)文春文庫
版型:205p / 15cm / A6判
販売価:入手不可

トルーマン・カポーティ著『ティファニーで朝食を』

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 どうもよく分からない小説だった。だいたいアメリカ現代文学というのは取っつきにくくて、苦手なのだ。この本は村上春樹さんの新訳ということで買って、読んでみたが、イメージが自分の頭の中でうまく結びつかなかった。
 この本は『ティファニーで朝食を』、『花盛りの家』、『ダイヤモンドのギター』、『クリスマスの思い出』の四編で成り立っているが、やっぱり有名なのは映画にもなった『ティファニーで朝食を』であろう。
 ホリー・ゴライトリーという自由奔放な女性の生き様の一部がここに書かれているのだけれど、この女性がうまく頭の中でイメージできないのだ。はっきり言っちゃうと、「どういう女なんだ」という気持の方が強いのだ。

 「人は誰しも、誰かに対して優越感を抱かなくてはならないようにできている」

 といったしたたかさも身につけている一方で、

 「そして私も彼のことが好きよ。あなたの目には年寄りで、むさくるしく見えるかもしれない。でも彼の心にはとてもとても温かいものがあるの。鳥や子どもたちやそういう弱いものたちには、惜しみなく愛情を注げる人よ。そしてそういう思いやりを受けたら、相手が誰であれ、その恩義は忘れちゃいけない。私はお祈りするときに、いつもドクのことを思っているわ。ねえ、にやにや笑いはよしてちょうだい!」

 といった面もある。もっともこれは自分を相手に引きつけておくための、ホリー・ゴライトリーの処世術の一つとも言えなくないが・・・。
 とにかく好き勝手に、思うまま生きていく彼女に主人公の売り込み作家の僕は翻弄されるのだけれど、私から言わせれば、こんな女を好きになったのだから諦めるしかないだろう。
 映画ではホリー・ゴライトリーをオードリー・ヘプバーンが演じているが、どうもこの小説のイメージとヘプバーンとはまったく違うんじゃないかと思える。そんないい女に思えなかった。まぁ小悪魔的というのなら、これもありかなというところである。


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 個人的には『クリスマスの思い出』がかろうじて理解できたが、それでも面白かったというにはほど遠い。要するによく分からなかったということだけだ。


評価
★★

書誌
書名:ティファニーで朝食を
著者:トルーマン・カポーティ 村上 春樹【訳】
ISBN:9784105014070
出版社:新潮社 (2008/02/25 出版)
版型:223p / 19cm / B6判
販売価:1,260円(税込)

2009年12月24日

本多孝好著『FINE DAYS』

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 前回読んだ『正義のミカタ』がそれほど面白くなかったので、次に本多さんの本を息子から借りようかどうか迷っていたのだが、やはり借りて読んだ。その本がこれである。紀伊國屋書店のサイトでこの本のデータを取り出してみると、サブタイトルに恋愛小説とついている。本にはそれがついていないが、確かに読んでみれば恋愛小説の短編集であった。
 書名になっている「FINE DAYS」、「イエスタデイズ」、「眠りのための暖かな場所」、「シェード」の四編である。個人的には最後の「シェード」が好きである。
 主人公の僕が彼女のためにクリスマスプレゼントのために買おうと思っていた、骨董店ガラスのランプシェードが、売れてしまっていてショウウィンドウから消えていた。もしかしたら店内に移された可能性があると思い、初めて骨董店の店内に足を踏み入れた僕はそこにいた老婆からそれが売れてしまったことを知らされた。しかし老婆はそのシェードを作ったガラス職人の話を僕に聞かせてくれた。その話が僕と彼女の関係と入れ違いながら、話が進む。話の最後で老婆は次のように言う。

 「光がなければ、闇もまた存在しません。けれど、一度、光を生み出せば、闇もやはりそこに生まれます。たった一つの光から無限の闇が生まれるのです」

 「その闇の深さに怯える前に、それを照らす光に目を向けるべきだったのです。闇から生まれる闇などないのです。すべての闇は光から生まれます。違いますか?」

 「挑むのですよ」

 「ええ、挑むのです。彼女にでもなく、その男にでもなく、ただ自分の中の闇に挑むのです。そこにまだ光があるのなら」

 「挑み続けること。闇から光を守るには、それしかないのです」

 ここまで読んで、多分そのランプシェードは彼女が買っていったんだろうなと思えるようになる。いや老婆がそのランプシェードの話を始めたときから、そう思っていた。
 老婆の話が終わって老婆から買った蝋燭を持って彼女が待っているマンションへ急ぐ。僕が見てしまった幸せそうな彼女と前の夫との結婚式の写真と、その夫を失ってからもいつもしていた結婚指輪がチェストに上に置かれていた。
 やはりランプシェードは彼女が僕のためにプレゼントして買っていた。そして僕はその老婆から買った蝋燭に火をともす。

 僕にともせるのは呆れるほどにか弱く、頼りない火だ。ささやかな風にも揺らいでしまうその火は小さな光を本当に守り続けることができるのか、それも今の僕にはわからない。ただ、やってみようと思う。僕の持ちうるすべての力を使って。

 と思うのである。なかなかいい話であった。こんな話に酔ってしまうなんて、甘くなったなあとは思うが、たまにはいいであろう。 私は本多さんが作り出す言葉が好きである。この老婆の光と闇の関係もうまいことを言うもんだ感じたし、「FINE DAYS」の僕が言う言葉もいい。

 安井は背中を手すりにもたれさせ、ふうとため息ついた。
 「生きていることの意味って、考えたことある?」

 「あのな、どうして自分が生きているかなんて、そんなの悩みじゃない。悩みっていえば、解決しなきゃならないことに思える。けど、俺が思うにそんなのはもう高尚な哲学だ。哲学だから、答えなんてない。一生かかったって、答なんかきっと見つからない。そんな風に悩まない奴も人間として信用できないけど、それに対して答を見つけたなんていう奴とも俺は友達になりたくない。きっと水晶玉とか壺とか売りつけられるのがオチだ。だから、答えなんてないままに悩んでいればそれでいい、と俺は思う」

 “あのさぁ、高校生がこんな大人びたことを言えるか?”と横槍を入れたくなるけれど、言っていることは至極まともだ。大賛成だ。


評価
★★★


書誌
書名:FINE DAYS ― 恋愛小説
著者:本多 孝好
ISBN:9784396632229
出版社:祥伝社 (2003/03 出版)
版型:321p / 20cm / B6判
販売価:1,680円(税込)

2009年12月17日

吉村昭著『史実を歩く』

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 今度の新書の方は一般向けである。なんかここに書かれている史実に忠実に向き合う吉村さんの姿勢を読むと、安心できる。それは文章を読んでいてもそう感じる。やっぱり書かれたことにしっかりと裏付けがある文章は安心できるのだ。
 しかしここまでこだわる必要性など読む側は感じているのかなと思った。たとえば桜田門外の変で、この日、安政七年(1860年)3月3日は夜明け前から雪が降り、乱闘があったときは大雪になっていたと言われている。乱闘後、井伊大老を討った水戸藩士らは品川宿に向かっている。この時には雪はやんでいたらしい。吉村さんは、では雪はいつやんだのだろうと疑問を持つ。読む側にとっていつ雪がやんだのかどうでもいい感じだ。実際昔読んだ吉村さんの『桜田門外ノ変』でそんなことちっとも気にならなかった。しかし物語を書く吉村さんにとってはそうもいかないことだったらしい。どうしても知っておきたいことなんだそうだ。たぶん物語を書く上で乱闘と乱闘後を続いて書く上で、イメージとしてそれはどうしても必要なことだったのだろう。わかるような気がするが、でもそこまでこだわらないと小説が書けないというのは厳しい。

 さらに生麦事件でもそうだ。文久二年(1892年)八月に生麦村で薩摩藩藩主島津久光の行列にイギリス人商人が接触し、リチャードソンが薩摩藩の人間に斬られた。吉村さんはイギリス商人が乗っていた馬は日本の馬とは違い上海から持ってきたアラブ系の馬だったことを知っている。当然日本の馬より大きい。となると、斬られたリチャードソンの身体は斬った武士よりかなり高い位置にあったことになる。記録ではリチャードソンは脇腹を斬り上げられ、さらにそれより高い肩から斬り下げられている。そんなことが可能なのかと疑問を持つのだ。言われてみれば確かにそうだ。
 そこでその疑問を解消するために吉村さんは鹿児島に調査に行く。その結果、リチャードソンを斬った奈良原の剣は野太自顕流という流派の剣で、戦陣用の長大な大太刀で刀身が長く、幅が広い剣だと知るのである。そして奈良原はその剣法の達人だったのだ。だから自分より高い位置にいるリチャードソンを肩から斬り下げることが可能だったのだ。
 すごいと思いませんか?史実ではリチャードソンは脇腹を斬り上げられ、さらにそれより高い肩から斬り下げられているとわかっている。普通ならそうか、そうして斬られていたんだなで終わってしまう。でも吉村さんはそれで終われなかった。満足出来なかったのである。それは物語の細部にこだわりを持って出来る限りリアルに事件を描きたいという意識だけじゃない。
 この生麦事件が、その後薩英戦争となり、薩摩藩は徹底的にイギリスに痛めつけられ、それまで持っていた攘夷論がいかに現実を無視した愚かしいものであったかを思い知らされる。以後薩摩藩はイギリスと親好を結び、積極的にイギリス式兵法を取り入れ近代化していく。それが倒幕運動でも力を発揮していくのである。そう考えるとこの生麦事件は一つのエポックメイキングとなったわけで、そうであるからこそ、些細なことでもこだわらないわけにはいかないのである。そういう視点でこの生麦事件を吉村さんは見ているからこそ、こだわったのである。
 その経緯がここに書かれている。一つの事件だけを細かく描写するだけでなく、それを書く理由が、視点が、その先を見据えていることを知るのである。そういう吉村さんの歴史小説の裏側がここには紹介されていて、それだけでも楽しい。これだけ細かいことにこだわり、綿密な取材をされているからこそ、吉村さんの書かれる小説は面白いのだと思う。
 年明けはこの生麦事件を扱った小説もそうだけど、いくつか吉村さんの歴史小説を読もうと思っているので楽しみである。


評価
★★★


書誌
書名:史実を歩く
著者:吉村 昭
ISBN:9784166600038
出版社:文芸春秋 (1998/10/20 出版)文春新書
版型:214p / 18cm
販売価:714円(税込)

2009年12月16日

吉村昭著『事物はじまりの物語』

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 ちくまプリマー新書とはネットで調べてみると「高校生・ヤングアダルト向けの新書である,筑摩書房の「ちくまプリマー新書」のリストです。『岩波ジュニア新書』に比べると,薄手ですがそれほど堅苦しくなく気楽に読めるものが多いのが特徴です。逆に言うと重厚感には欠け,淡泊な感じもしますが,切り口は伝統的な「岩波ジュニア」よりも新鮮です」とある。だからこの本もわかりやすく、しかも簡単に書かれている。その分物足りなくもあることは事実だけれど、吉村昭さんの随筆だから読んでみた。
 ここでは吉村さんが歴史小説を書くために集めた史料から得た“はじめて”を語っている。内容は日本で初めて解剖をやった人は誰か。スキーを始めて日本でしたのは誰かとかいった感じで、以下石鹸、洋食、アイスクリーム、傘、国旗、幼稚園、マッチ、電話、蚊帳・蚊取り線香、胃カメラ、万年筆の初めてを紹介している。その中で私が興味を持ったというか、へぇ~そうなんだと思ったことが国旗と電話と万年筆の話である。

 日本の国旗はどうして日の丸なのか。日の丸は「江戸時代の廻船にかかげられた幟、旗の船印からはじまっている。
 日本各地に幕府が管理する天領と称された地があって、そこで産した米が、御城米(年貢米)として江戸の幕府に船で運ばれた。
 この船には御城米以外に銀や銅なども積まれ、一般の廻船と区別するため、白地に朱色の丸印をえがいた船印がかかげられていた」という。
 幕末薩摩藩は「昇平丸」という西洋型帆船を完成させ、その頃渡来する外国船と区別するため、「昇平丸」が日本船籍の船であることを示すため、日の丸の船印をかかげた。この船は幕府に献上されたが、その時藩主島津斉彬は、日本のすべての船に同一の船印を立てるべきと老中阿部正弘に建言した。つまり日の丸を最初に掲げたのは「昇平丸」であり、その元となったのは、江戸幕府の御用船すべての船に掲げられていた日の丸の船印だったのである。

 電話で我々は「もし、もし」と言うけれど、これはどうしてなんだろうか。言われてみれば不思議である。この本によると、日本で最初に電話が引かれたのは明治で、役所と役所の間だった。そして当時の役人は武家あがりが多く、「もうし、もうし、そこを行かれる方」などという武家の使った呼び方のもうしという言葉から「もし、もし」という言い方が使われたという。ちなみに広辞苑 第五版で“申し”という言葉を意味を調べてみると、「敬意をこめて呼びかける時にいう語」とあるし、三省堂の大辞林でも「人に呼びかけるときの言葉」とある。「申し、申し」から「もし、もし」となったわけだ。

 万年筆はへぇ~というより、懐かしいといった感じであった。ここには学生の頃上着のポケットに万年筆をさしたときの興奮を吉村さんは書かれているが、これはよく分かる。私も中学生になって学ランのポケットにさした万年筆に興奮したものだった。入学祝いにその万年筆を買ってもらったのである。なんかそれだけで勉強するみたいなところがあった。
 その興奮が今でも残っているものだから、私は万年筆が好きである。確かに今は使わないのだけれど、丸善や伊東屋でショーケースに並んでいる万年筆を見るとぞくぞくする。
 今モンブランの太いやつを持っているが、これにインクを入れる時、インク瓶にペン先をさしてインクを入れていく時の感覚が大好きである。そして必ず手にインクをくっつけてしまうのだけれど・・・。それもそれでいいのだ。
 というわけで、今回この原稿の下書きをこの万年筆で書いてから、パソコンで入力してみた。(すぐ感化されちゃうのだ)


評価
★★★


書誌
書名:事物はじまりの物語
著者:吉村 昭
ISBN:9784480687050
出版社:筑摩書房 (2005/01/25 出版)ちくまプリマー新書
版型:124p / 18cm
販売価:714円(税込)

2009年12月15日

石原千秋著『漱石と三人の読者』

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 夏目漱石はお札にもなったくらいの“国民的作家”になっている。しかし漱石の生前に売れた部数は作家活動十二年間の全作品をあわせて十万部程度だったらしい。
 これでは生前、売れっ子作家とは言い難いが、でも漱石の死後ものすごい勢いで売れていく。それに一役を買ったのが、中学では『坊っちゃん』、高校では『こころ』が夏休みの課題図書となって、所謂そういった学校空間で漱石を半ば強制的に読まされたことで、漱石を“国民的作家”に仕立てていったと著者は分析している。これはなかなか面白い。なるほどと思う。
 では何故漱石のそれらの作品が学校での課題図書として取り上げられるのであろうか?それは漱石の小説に“道徳教育”を求める背景があるからだ。漱石のそれらの作品を課題図書として選定する側に、漱石の作品を読ませるのは、それを読むことで“エゴイズムはいけません”と教えたいのである。友人を裏切って、自分も友人も好きであった女性を、先手を打って奪い取ってしまうことはいけませんとか、友人に譲りその妻となった女性を今度は奪い取るとか、そういった自分勝手なエゴイズムはダメですよと教えたいわけである。
 でもちょっと不思議である。小説にそうした効能?がいったいあるのだろうか。実はあるのである。漱石は「文学は矢張り一種の勧善懲悪であります」と言っており、それは「道徳上の好悪」も勧善懲悪と言っているのである。つまり「文学」は「道徳」の問題にも触れるべきという姿勢を漱石は持っていた。当然そういう考えは漱石の小説にも反映されている。そこに目をつけたのは課題図書を選定する人たちであった。そうして課題図書となった漱石の作品は、少なくとも一度くらいは学校で触れたことのある作品となって、誰しも漱石を知ることとなっていくのである。これは漱石を“国民的作家”として押し上げていた背景であったのだ。
 さらに漱石が読まれる背景を『彼岸過迄』にある「彼岸過迄に就いて」からも読み取ることが出来るというのだ。

 「東京大阪を通じて計算すると、吾朝日新聞の購読者は実に何十万といふ多数に上っている。其の内で自分の作物を読んでくれる人は何人あるか知らないが、・・・・・(略)・・・・自分は是等の教育ある且尋常なる士人の前にわが作物を公にし得る自分を幸福と信じている」

 当時漱石が対象とした読者は「教育ある且尋常なる士人」である中流市民のみから成る狭く一様で閉ざされた社会にいる“中流階級”であった。その“中流階級”は漱石の時代少数派だったのが、現在はその“中流階級”が底上げされ拡大したことによって漱石を読む人が増えたというのだ。
 まさか『彼岸過迄』にあるまえがきみたいなものがそんなに意味を持つものとは正直思わなかったけれど、なるほどそういう考え方もあったのか、と思い知らされる。

 この本はこのような例みたいに、漱石の作品に隠されている文化記号を、その作品をテクストして読み解こうとしたものである。それを読み解くことで、漱石が行ったのではないかと思われる実験を読んでみようというものである。漱石の作品にはそうした実験が隠れていて、それを読み解くことで、別な側面で夏目漱石が読めるという試みである。仮説である。
 そう考えたのは著者の石原さんである。その仮説はあるいは著者の思い込みかもしれない。私から言わせれば、「それは深読みのし過ぎじゃないの」と思えなくもないが、ただ一種の推理小説風に読むと、この本は面白い。こういう本の読み方もあるんだな、と思ったわけだ。

 著者に言わせると「書き手にとっての読者とは、顔のないのっぺりとした存在のとして読者、何となく顔の見える存在の読者、具体的な何人かの『あの人』がいる」という。この本の書名に三人の読者と言っているのはこの点にある。そして漱石の作品にも「このような三層に分節化され、それが構造化されて小説に組み込まれていた」というのである。では漱石のとってこの三人の読者を意識して、どう作品が書かれたのであろうか。
 最初に書いた通り、漱石は売れっ子作家と言えるほど作家ではなかった。もともと純粋に作家としてその人生を歩んだ人じゃない。漱石は熊本の第五高等学校教授、第一高等学校嘱託、東京帝国大学講師だったのである。その漱石が明治四十年に朝日新聞社の専属作家となったのである。朝日新聞が漱石を招聘したのは、新聞の目玉にしたかったという魂胆があったからだ。
 朝日新聞社の専属作家となった漱石は朝日新聞を読む読者を意識しなければならなくなる。それが三人の読者のうち、「顔のないのっぺりとした存在のとして読者」となるわけだ。それでは「具体的な何人かの『あの人』」である読者とは誰のことをいうのであろうか。それが漱石の弟子たちであった。
 漱石は先に言った通り、文壇から出てきた人間じゃない。そうしたつながりを持っていなかった。だから弟子たちを持つことで、自分の作品を弟子たちに「どうだ!」と見せつけたかったのである。それでなくても漱石の弟子たちは師匠の漱石の作品を批判することで、逆にその存在をアピールしたかったところがあるので、その批判に対して、「お前たちにはこんな作品は書けんだろう」と言いたかったのであるという。
 そして朝日新聞を読む読者、弟子たち以外の漱石を読む一般読者を「何となく顔の見える存在の読者」として意識したのである。漱石の作品にはそうした三人の立場である読者を意識して作品を重層的に書かれているというのである。

 具体的な例がこの本では示されている。使用した作品は『三四郎』である。その『三四郎』で、三四郎がはじめて美禰子と出会う場面である。
 私もそうだったが、この場面を「三四郎と美禰子が一目惚れする場面と読んだろう。そして、美禰子が先に誘惑したのだと思っただろう。その結果『三四郎』を三四郎が美禰子に翻弄されながらその恋心を育てて行く、三四郎と美禰子の淡い恋の物語と読んだ」。そう読み取った読者は「何となく顔の見える存在の読者」である。
 ところが、三四郎が美禰子と出会う場面の近くには野々宮いた。その野々宮のいた位置と美禰子のいた位置は東大構内をよく知っている読者でないとわからないところがある。それをよく知っている人なら「この場面では直接には三四郎を挑発しているが、美禰子が本当に挑発しているのは、それを後ろで見ているはずの野々宮だったということである。ではなぜ美禰子はそんなことをしたのかと言えば、それが重松の言う結婚問題で『煮え切らない野々宮への<挑発>』だったからである」と読めるらしい。これが「具体的な何人かの『あの人』」たちに向けた手法であったというのだ。
 そして「顔のないのっぺりとした存在のとして読者」、すなわち朝日新聞の読者には、庶民には高嶺の花の東大構内はこうですよと「東京遊学案内」の役割を果たしているというのだ。
 いずれの立場でこの『三四郎』を読んでも、その感想を聞いて漱石はニヤリと出来るわけだ。

 要するにどうのようにでも立場によってさまざまに読み取ることが出来るということである。たとえばその後の作品だって、美禰子のような“誘う女”の物語ととればとれるだろうし、一方“遺産相続”ともとれるというのは、なるほどと思った。それをある程度漱石は計算していたことを著者は言いたいのであろう。そのことは漱石以前に一世を風靡していた、小説には構成など不要だ。事実を切り取るが如く描写すればいいという自然主義文学=写実的文学に対する漱石の批判であり、実験だったと著者は言いたかったのだろう。
 まぁこれだって著者の仮説だろうし、こんなに深読みしなければ小説を楽しめないのも、文学者というのは悲しい商売だなと思った。何となくダン・ブラウンのラングトンがダ・ヴィンチ絵の奥底を語るようだな、とそんな感想を持った。少々小難しいかったけれど、わかれば、それなり面白かった。


評価
★★★


書誌
書名:漱石と三人の読者
著者:石原 千秋
ISBN:9784061497436
出版社:講談社 (2004/10/20 出版)講談社現代新書
版型:252p / 18cm
販売価:777円(税込)

2009年12月09日

森まゆみ著『とびはねて町を行く』

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 この本は先に読んだ『「谷根千」の冒険』の番外篇といっていいのかもしれない。「谷根千」を始めた森さんを含め三人の主婦たちが合わせて10人の子育て、その子の成長をつづっている。母親は「谷根千」の編集・出版で忙しいものだから、事務所の谷根千工房で子供たちはみんな一緒に育ってきた。手の空いている仲間が他の仲間の子供の世話をするのである。一緒に食事をしたり、お風呂まで仲間の家で入ってくる。その上町が10人の子供たちの面倒を見ている。「谷根千」を通して、町の人々とつながりが出来、そのつながりから、森さん達の子供も町の人とつながっていくのである。
 母親が「谷根千」の仕事で忙しいものだから、子育て一辺倒というわけにもいかない。それで子供たちは子供なりに自立いていくのである。親の目が届かないことをいいことに、好き勝手にやっていく。それこそ自由奔放にだ。親が「まったく子どもっていいもんだ。際限なく無駄な時間が使える」と感じられるくらい、子どもなりに生きていく。そんな中しっかりと自我に目ざめ、自立していくのである。
 確かに仕事で忙しいけれど、だからといって子供ことを心配しないわけじゃない。親として当然心配する子供将来など、寄り添ってあげられない分、それこそ真剣そのものだ。でも子供の方はそうした環境の中でしっかりと育っていく。その分みんなで協調して生きていく。たくましく育っていく。
 おそらく一昔前の親と子供の関係というのはこういうものであったのではないか。今はいつでもどこででも親が子供についてくる。ただ心配で心配でという気持だけなのだ。そこにあるのは親の気持ちだけであって子供の自立なんか関係ない。

 話はちょっとずれてしまうけれど、昨日かみさんからおもしろい話を聞いた。我が家では今長男が就活中である。だから夫婦の会話として就活の話が話題となる。なんでも会社の合同説明会に子供の親がついていくそうである。そのため会社側は親の控え室を設けなければならないとか。
 これを聞いて、この親たちはいったい何を考えているんだろうかと思った。また子供も子供でここままで親がかりでないと生きていけないのかと思った。就活をしている子供もその親も、そんな自分たちを会社が雇ってくれると思っているのだろうか。親がいないと生きていけない子供をどうして会社が雇うか。そんなボランティアみたいな会社がこのご時世あるわけがないじゃないか。一人で自立できない人間を雇うわけがないじゃないか。
 ちょっと考えればわかりそうなものだと思うが、それでも親は自分の子供が心配だからここまでついていく。子供も親が側にいれば安心なんだろう。
 そういう世の中になっているのである。だからこの本に書かれている子供と親との関わり合いがものすごく自然な姿に映るのである。
 
 一方で親の方もそうして自立いていく子供たちを、心配ではあるけれど、成長の一過程として見る心構えも必要なことも知らされる。

 「一年ほど前、娘が『社会主義』に興味を持った。見ていると図書館に行って、マルクス、レーニン、向坂逸郎、不破哲三、安東仁兵衛、とにかく社会主義と名をついた本をあれこれ借りて読んでいる。
 このラインナップでは頭が混乱するゾーとは思ったが黙っていた。玉石混淆、くだらないものを含めてとんでもない順序で乱読し、考えるからこそ自分が鍛えられるはずだ。子どもに上から精選した優良図書を『正しい』順序で与えても力がつかない。
 進む道も読書と同じで、遠回りしたり、寄り道したり、行き止まりでひき返したらいい。
 そう思うのは、仕事柄、無駄なくエリート校を卒業して良い地位についた人に会う機会が多いが、たいていは面白くないし幸せそうでないからである。むしろ町の工場主や商店のおばさんや職人、芸人の方がずっと世渡りの智恵もあるし、人間として魅力的だ」

 このくらいの心構えがなければ本当はいけないのではないか。親もそうだし、学校の教師だってそうだ。子供たちをどう育てて行っていいかわからない。どう教えていけばわからないものだから、なんでも無難な方法をとる。あるいは多少の危険も子供には冒険として楽しいはずだし、身をもって堪えれば、次から同じことをやらなくなる。多少痛い目にあう方がいいのだ。だけどただ危険だからといって、すべてを禁止してしまう。多少人に迷惑をかけてもいい。それで怒られれば、しちゃいけないんだなと思えるはずだ。
 いきおいなんでも禁止しちゃうものだから、今は子供の方は森さんの言うように「人はより個人主義になり、かかわりを恐れるようになった」のだ。

 ところで男親は娘の成長にどきっとすることがある。特に母親と娘の会話に、男としてむやみに触れちゃいけないものを感じたことがある。ちょっとドキッとするのだ。

 「最近、中学生の娘の胸のふくらみが気になる。母親にそんなことをいわれるのは嫌だろうな、と思いつつ、
『そろそろブラジャーをしたほうがいいんじゃない?』
 と、おずおずと提案すると、娘は、
『お母さんこそ、そろそろブラジャーしても無意味じゃない』
 フンと鼻で笑った」


評価
★★★


書誌
書名:とびはねて町を行く―「谷根千」10人の子育て
著者:森 まゆみ
ISBN:9784087477719
出版社:集英社 (2004/12/20 出版)集英社文庫
版型:279p / 15cm / A6判
販売価:入手不可

2009年12月08日

阿刀田高著『街のアラベスク』

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 私は阿刀田高さんの本を読むようになってそれほど月日は経っていない。一度おもしろいと思って、それ以来昔の本をせっせと集めて読んでいるのだが、やはり私は阿刀田さんの歴史ものや古典の解説書の方が、現代短編よりおもしろい、と今のところ思っている。もちろん現代物もはあまりまだ手をつけていないので、これから先どうなるかわからないが、どうもこの手の物語はどこかもの足りなさを感じてしまうのである。どうしてもこの話はこのアイデアがあったから書かれたんだなと思ってしまい、純粋に話を楽しめないでいる。今回もそうであった。残念だけど、どこかあざといところを感じてしまったのである。

 今回は東京の“街”がメインになっている短編連作集である。そしてこれらの話に共通するのは、主人公がかつて住んでいた、あるいはそこで昔の恋愛関係があった場所を、ふと今ぽっかりと時間が空いて、どううっちゃっていいのかわからない、半ば中途半端な時間が出来てしまったとき、思い出すところから、だいたい始まる。
 この感覚よく分かる。特に私も五十近くなってから、その傾向がよく出て来る。私の場合恋愛とか昔住んでいた場所ではなく、どちらかと言えば一時関係していた場所といっていいかもしれない。あそこは今どうなっているんだろう、とか、もう変わちゃって、あの建物はないだろうな、とかいった感じである。もちろんそれぞれの場所は私に何らかの関係があった場所ではある。

 「もしかしたら、だれしもがそんな場所を一つか二つ、持っているのではあるまいか。子どものころに、青春時代に、あるいはサラリーマンになりたてのころにサムシングのあった場所。今の生活と関わっているわけではないから、たまに思い出して、
-いつか行ってみるかな-
 でも実際にはほとんど足を運ぶことがない。人生のあちこちに飛び地みたいに点在して、孤立して、そのままになっている場所と時間。近かったり遠かったり。そこで費やした時間も短かったり、それなりに長い歳月であったりして・・・・」

 そう、こんな感じである。かつて何らかの関係があった街は、その関係が現在続いていないこと、つまりすべて過去形になっている分、時間がある程度美化しているところがある。たとえその街で苦しかったこと、悲しかったことが多くあっても、それが終わってしまっているなら、時が「そんなこともあったなあ」と他人事のように思えるようにさせてくれる。あるいは単に思い出だけでなく、妙に輝かせちゃったりしちゃう。

 「ううん。これでいいの。馬鹿な話、聞いてほしかったの。昔はいろいろあったなあ、って。馬鹿なことでも、若いころは、一つ一つ輝いていたわ。あんた、言ってたわね。トイレの百ワットだって」

 「なんだ、それ」

 「無駄に輝いているだけだって」

 そしてそれがある程度歳を行ってくると、そういうことを思い出すことが楽しくなってくる。

 「二年後には五十歳になる。五十歳を超えて、女にも恋のチャンスはあるだろうけれど、実感として詩子には薄い。これからのことより、これまでのことを考えるほうが楽しい」

 まあそれだけ若くなくなったという証明なんだろうけど、それはそれで老後の楽しみの一つと考えていいのではないかと思う。

 この短編集に出て来る街で、新宿十二社というところがある。ここには温泉がある。昔大手町の売店の本屋で働いていた頃、売店仲間でここで忘年会をやったことがある。
 今では温泉の掘削技術が発達しているから、東京の至るところに○○温泉と名をうっているけれど、当時は新宿のど真ん中で温泉なかあるのかと思ったもんだ。真っ黒いお湯が印象に残っている。今みたいスパなんてシャラ臭い名前じゃなくて、「新宿十二社天然温泉」というのもいい。いかにもヘルスセンターみたいなところであった。あの頃は若かったこともあって、飲めないお酒を飲んで、寝込んでしまったようで、気がついたら横で寝かされていた。今はどうなっているんだろうか。当時と変わっているのか、いないのか、ちょっと知りたいところである。


評価
★★


書誌
書名:街のアラベスク
著者:阿刀田 高
ISBN:9784103343257
出版社:新潮社 (2007/12/20 出版)
版型:331p / 19cm / B6判
販売価:1,680円(税込)

2009年12月03日

松本健一著『増補 司馬遼太郎の「場所」』

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 また松本さんの司馬遼太郎論を読む。一部は前回読んだ本と重なる部分があるが、なかなかおもしろかった。それに自分の好きな作家について批判されると、頭にくる時があるが、松本さんの場合そういう心配がないので安心して読めるので有り難い。
 おもしろいと思ったのは、司馬さんは純文学畑ではあまり評価されていなかった事実である。著者は次のように言う。

 「司馬の生前に文芸雑誌でかれを特集したものは、たしかほとんどなかったのである」

 「この扱いは、純文学とか文壇というような世界では、司馬遼太郎が文学者としてはあまり評価されてこなかった実態を物語っているのではないか」と言っている。つまり司馬文学は純文学とは違うということなのだろう。言われれば確かにそうなのかなと思う。司馬さんの書かれる小説は純文学雑誌にはなじまない。
 では司馬さんの書かれる作品はどこに位置するのだろうか。それを著者は大衆文学に位置するものと考えられる。大衆文学というと純文学と比較すると一つ格下のように思われるが、大衆文学が果たす役割の重要性、その持つ性格を松本さんは次のように言う。

 「明治以後の史学が最終的にたどりついたのは、右に皇国史観であり、左に日本的な唯物史観であった。前者が、明治国家を伝統的な権力であると位置づければ、後者は、その半封建的なブルジョア国家から権力を奪取することをいうのである。とすれば、つねに権力から裏切られつづけた民衆は、そのどちらにも拠ることもできない。このとき、大衆文学は、右に寄ることも左に走ることもできない民衆の生活のなかのエトス(肉声)を汲みあげて、「その日その日の出来心」で権力にむきあうヒーロー像を描いたのである。そのことによって、在野史学のかぼそい継承者となったのである」

 「大衆文学はたしかに、伝統や習慣や既成文化といったものを無視できない。民衆の生活が、これらに大きく規制されているからだ。しかし、これらを無視できず、それらの現実のありようとして描くことは、民衆にこび、へつらうということではない。プロレタリア文学運動における芸術大衆化運動のテーゼは、この点を見誤っているのだが、それはともかく、こういった伝統や習慣や既成文化に入りこみつつ、かれらを紙のうえで解放してやることが、大衆文学に課せられた課題なのだ。
 とすれば、大衆小説作家が伝統や慣習や既成文化にしばられた民衆の生活のなかのエトスを汲みあげる回路をもっているかどうか、これが大衆小説作家の資格として問われることである。そのかぎりでいえば、司馬遼太郎という歴史小説作家は、在野史学、大衆文学の正統を踏んだ作家ということができよう」

 つまり大衆文学はがちがちに権力に縛られた民衆が、物語の中で心を解放する役割を負ってきたと言うのである。そして「司馬遼太郎の歴史小説は、こういった在野史学なり大衆文学の正統を踏んでいる」というのである。司馬さんの作品が「一般うけがするということの意味は、時代の雰囲気を呼吸している大衆がその時代に応じて読み換えられる、ということである」というように、時代時代に応じて支持された。それは司馬さんが大衆の表情や動向を巧みに分析できることを意味している。
 民衆に支持された大衆文学は時代を反映するから、司馬さんの前には吉川英治がいたが、大きく括れれば同じ路線であるけれど、その姿勢は決定的に違う。吉川英治は戦争を支持し、司馬さんは戦争を忌み嫌った。それは時代が求めた結果と言っていいだろう。
 また塩野七生さんが司馬遼太郎さんを「高度成長期の日本を体現した作家」と評したことがあるらしいが、確かに司馬さんの作品は彼等の心証として心地よい感覚を与えたに違いない。
 また司馬さんが描く“気概”ある男たちは、男の美学として、美しく映るから、心地よい。そこに滅びの美学も加わるから、余計である。
 司馬さんはそうした大衆が今何を求めているのか、それに敏感に反応した。時代に反応した。そのための分析は鋭かった。しかし単に時代に反応し大衆が求めている作品を書けばいいというものでもない。あくまでも徹底的にディテールとして事実にこだわった。でもそこに登場する人物の心は司馬さんの心であろう。時にはそれを無批判的に信じ、受け売りする人々も出たくらい、司馬さんの作品は支持されたきた。だから逆に司馬さんは余計に史実にこだわらなければならなくなる。その資料調べのすさまじさは有名だ。一時神田の古本屋街で資料を買いあさったため、その資料が古本屋街でなくなったという逸話がある。

 司馬さんは時代に敏感であった。だから時代とともに自分も変わらざるを得なかった。それを松本さんはうまく振り分けて指摘されているので、それを書いて終わりにしよう。

 「司馬さんの文学的遍歴を、私は四つの段階に分けて捉えています。まずは『梟の城』に代表される、伝奇ロマン的色彩を持った大衆小説作家としての時代。次に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』といった、歴史上の人物にスポットをあてたヒーロー小説作家としての時代。そして『坂の上の雲』のように歴史そのものを鳥瞰して描く、歴史小説作家の時代を経て、最後は、小説家というよりは、むしろ文明批評家としての仕事をなさっていた。その遍歴は、作家そのもの転変であるとともに、それぞれ1950年代~60年代、60年代末から70年代、80年代20世紀末までの、日本の大衆のエトスのおおよその移行に見合った作家活動になっていると思われます」

 こうして司馬さんの作品を紹介され、その背後のあるものを指摘されると、また司馬さんの作品が読みたくなる。私は高校時代から司馬ファンであるが、まだまだ読んでいない作品がたくさんある。それをじっくり読んでみたいなという気持にさせられた。


評価
★★★


書誌
書名:増補 司馬遼太郎の「場所」 (増補新版)
著者:松本 健一
ISBN:9784480423115
出版社:筑摩書房 (2007/02/10 出版)ちくま文庫
版型:266p / 15cm / A6判
販売価:798円(税込)

2009年11月27日

ジャック・ル・ゴフ著『子どもたちに語るヨーロッパ史』

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 この本は著者の『子どもたちに語るヨーロッパ史』と『子どもたちに語る中世』の二編を一冊にまとめた本である。いずれも書名からもわかる通り子供に読ませるためにわかりやすく、簡単に書かれたヨーロッパの通史、ヨーロッパ中世史といったものであり、読む側に多少知識があると、なんだそんなことしか書いていない本かというもの足りなさある。
 著者のル・ゴフはEUの支持者のようで、ヨーロッパが現在一つにまとまろうとしているのを支持し、そうあるべき背景がヨーロッパには元々あるのだから、そうなって然るべきことだという考えが中心にある。またこの人はフランスの中世史の大家であるそうで、中世という時代のそれまであった偏見をなくそうとする意思で『子どもたちに語る中世』を書かれている。

 まずは、『子どもたちに語るヨーロッパ史』から。大体この手の通史を書く場合、まずはヨーロッパの地形的特徴から入るのが王道のようで、この本もそのようになっている。著者が言うにはヨーロッパ大陸は世界の中で一番小さい大陸で、面積は1000万平方キロメートルで地球上の地表面7%を占める。ちなみにアジア大陸は30%、アメリカ大陸28%、アフリカ大陸20%である。それほど小さな大陸だから、人の行き来も他の大陸から比べれば簡単で、古代ローマの将軍は馬に乗ってローマを出発し、ガリア、ゲルマニア、イスパニア、ブリタニアへの遠征を生涯のうち何度も成し遂げたという例を出している。現在でも飛行機がなくても自動車と高速鉄道で簡単に移動出来る大きさなのである。
 さらに広すぎない面積、海が近いこと、比較的平坦なこと、ほどほどに厳しい気候、大部分の土地が良好な経済的適性をもつこと(砂漠はなく、原生林ははるか昔に消失した)などヨーロッパ大陸の特徴といえる点を合わせて考えると、ヨーロッパがほかの大陸とちがって、非常に早くからほとんどいたるところに人が住み、利用されていたことを教える。
 このことからヨーロッパは昔から人の行き来が比較的楽にできたし、河川も日本の川のような狭くて激しい流れの河川ではないことから、その往来を更に楽にする。
 そしてここにはギリシャ・ローマ時代の文化的遺産やキリスト教という宗教がヨーロッパの基盤となり、共通認識みたいなものを生んできた。それでいる民族は違う。共通と個別が同居する地域であることを特徴として言う。だから共通を元にして統一をしようとすると、個別が反発することとなる。ナポレオンやヒットラーが政治的暴力でヨーロッパ統一しようとしても出来なかったのは、そのためであった。逆にヨーロッパは国と国民の自発的意思によって統一出来る証明だというのである。
 現在のEUとしてヨーロッパの国々が一つになろうする一方で、地方の独自性も維持するという姿勢がここにもあることを暗に示している。一つの大陸としての歴史を見ることで、それぞれ個性や地域性はあるにしても、我々は共通の歴史的要素を共有しているから、それを大きな枠としてまとまり、その中で地域性を維持するのがEUの性格だというのであろう。そのためにヨーロッパは未来があるわけだ。
 著者は最後に「どうか忘れないでください。記憶なしではよきことは起こりえないことを。歴史は公正な記憶をさしだすためにあり、そうした記憶こそが過去を通してみなさんの現在と未来を照らし出すのだということを」と言っているが、EUという歴史的実験を可能にするのは歴史であると言っている。

 『子どもたちに語る中世』ではヨーロッパ中世は五世紀から十五世紀までの千年も続いた時代であり、その前後にあったギリシャ・ローマと近世の間にある単に中間の時代で、暴力に満ち、あいまいで無知な<悪しき>時代だったと考える人がいる。しかしそうじゃないと言う。まぁヨーロッパ中世史をやる人は必ずこのことを言うのだが、その長い時間の中で、古代を脱し、近世を生む母体を作った時代であったことは間違いない。著者も「中世はヨーロッパが出現し、形成された時代でした。文明の各時代にはそれぞれ役割があり、歴史の発展の総体のなかで、ある使命を担っているのだとしたら、中世の使命はヨーロッパを<生む>ことであったといえます」と言っている。ギリシャやローマみたいに華々しさはないし、ルネサンスみたいな豪華さはないけれど、いい意味でも悪い意味でもホンと人間的であった時代だったのだ。個人的にいえばその素朴さが好きなんだけれど・・・・。

 最初に書いた通りこの本は子供たちに聞かせるための歴史本だから、通史にしてもものすごくアバウトに書かれているし、中世史にしても質問に答える形で歴史を語っているので、ある程度歴史を勉強してきた人には物足りない。しかしいくら子供向けとはいえ、もう少し“驚き”が欲しかったなと感じた。これじゃ子供たちにとってあまりおもしろくないのではないかと思った。


評価
★★


書誌
書名:子どもたちに語るヨーロッパ史
著者:ジャック・ル・ゴフ 前田 耕作【監訳】 川崎 万里【訳】
ISBN:9784480092465
出版社:筑摩書房 (2009/09/10 出版)ちくま学芸文庫
版型:278p / 15cm / A6判
販売価:1,155円(税込)

2009年11月25日

森まゆみ著『「谷根千」の冒険』

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 「谷根千」とは谷中、根津、千駄木のコミュニティー雑誌のことで、著者によるとミニコミ誌とは違うらしい。そもそもコミュニティー雑誌とミニコミ誌の違いがよく分からないが、とにかく単に情報誌とならず、この地域の特有の文化や歴史を語りながら、ここで暮らす人達のための雑誌を自分たちで作りたいということから、この谷根千に住む著者をはじめ三人の主婦が始めた雑誌である。
 この本はその「谷根千」がどうして生まれるようになったか、その創世記の苦労を主に語っている。彼女らは子育てをしながら、地域に根ざした雑誌作りをモットーとし、この地域の文化や歴史をここに住む人達から取材する。幼い子供を抱いて取材し、子供を負ぶって出来上がった雑誌を自転車で雑誌を置いてくれるお店に配達するのである。時にはお腹の中に子供がいる状態で、近所の人に危ながられながら、自転車に乗って配達していた。多分こういう時は自分たちが苦労して作った雑誌が出来上がり、早くお店に置いて欲しいという気持ちから、危険とかいう意識より、とにかく意識が高揚していたんだろうなと思う。雑誌作りは大変だけど、楽しくて仕方がないという気持がよく伝わってくる。利益とかそんなことより、とにかく自分たちが作った雑誌を読んで欲しいという気持の方が強かったに違いない。
 今ではこの谷中、根津、千駄木という地域は、震災や戦災にもそれほどあわず、古き良き時代の下町の面影を残しているといって、結構話題になっている。谷中墓地があるものだから、多くの寺が残っているし、鴎外や漱石など明治の著名人も多く住んだ場所なので、その文化的話題性に事欠かない。だからテレビなどよく特集番組を放映している。
 ただそれは現在の話で、森さん達が雑誌作りを始めようとしていた頃は、「谷中と上の桜木は台東区、根津・千駄木・弥生は文京区、日暮里は荒川区、そして田端は北区とここは四区の区境。それだけに区役所からは遠く、行政サービスは薄く、おもしろいことにどの区の人も「○○区のチベット」とよんでいるよう」な地域なのであった。またそうした区境だから、行政上統一的な文化保存が行われない。でもここにはたくさんの文化や歴史もあり、そこで暮らしている人達からさまざまなことを聞いていけば、おもしろい雑誌が出来るだろうなと思う。

 昔書店員だった頃、仲間で雑誌を作ったから置いてくれませんかというのがよくあった。私は自分が仕入の権限を持っていたから、仕入条件さえ合えば、出来るだけ置いていた。けれどこの手の雑誌は大体続かないようで、最初のうちは新しい号が出たら前の号の精算に見えるのだが、いつの間にか新しい号も出なくなり、精算さえ来なくなるパターンが多かった。こっちもいつまでも古い雑誌を置いておくわけにもいかないし、かといって商品を預かっているわけだから、捨ててしまうことも出来ず、処理に困ることが多かった。
 森さん達はとにかく三年間は持ち出しであっても、続けよう。雑誌を置いてくれているお店にこうした迷惑をかけないようにしようと決めているところは立派だなと思った。
 資本も何もない主婦が地域のための雑誌作り、確かに大変だろう。けれど自分たちの雑誌を作るというのはきっと楽しいに違いない。それにこの地域はとにかく歴史がある。だから雑誌のテーマにことを欠かない。しかも当時を知っている古老も多くいる。だからおもしろい雑誌が出来てくるのも、肯ける。森さんも次のように言っている。

 「私たちのささやかな『谷根千』にしたってわれながら自費出版でよく続くと思う。そして出版そのものが目的でなく、それによって利益が上がるというものでもなく、やはり本を出すプロセスの楽しさつらさ、取材して調べることの新鮮なよろこび、人との出会い、自己形成というものが私たちにこれをやらせている」

 ちなみに1984年に始まったこの「谷根千」は2009年94号で終わっている。詳しくは以下のURLで見て下さい。


http://www.yanesen.net 谷根千ねっと


 さてこの本で興味を持ったことがいくつかある。まずこの雑誌の性格から、その地域に住む人達のことを聞き回って記事を書いている。けれどそういう聞き書きではよく誤解が起こる。実際雑誌が発売されてから、記事の内容に苦情が来たらしい。だから新しい号が発売されて一週間ぐらいはどこからか苦情の電話が鳴るんじゃないかと不安に駆られたという。まぁそれはちょっとした誤解から生じたことだろうと思われるが、やはりそういうことはいくら校正の時に神経を使っていても起こりうるだろうなあと思う。まして地域雑誌だから、雑誌の内容にはかなり神経を使われたことだろう。

 この雑誌の名物に「自筆広告」というのがあるらしい。自分たちの町のことが載った本をどう紹介したらいいのか悩んだ末、著者自身に広告を作ってもらうコーナーらしい。そこで日暮里に住んでおられた吉村昭さんに「自筆広告」を依頼した。広告料は無料なのだが、吉村さんは広告原稿とともに、一万円が同封され「無料広告代、ご笑納下さい」と添え書きがあったという。これを読んだとき、いかにも吉村さんらしいなと感じたのである。いくら無料とはいえ、吉村さんには広告料を出さずにいられなかったに違いない。「無料広告代」がいい。

 「谷根千」で鴎外の特集を組んだとき、『青年』に出てくる色川国士というどこかの議員さんの家はどこかという疑問に答えてくれた色部義明という人を訪ねたことがここに書かれている。色部?どこかで聞いたことがあるなと思って読んでいたら。協和銀行の頭取だった人だと思い出す。実際森さん達は大手町の協和銀行本店の役員室を訪ねている。
 どうしてこの会長のことを知っているかといえば、うちの会社がこの本店の売店に本屋さんを出していたことがあって、確か頭取が書いた本を売らせてもらったのを、当時の店長から聞いていたからである。それが記憶にあったのだ。妙なところでつながっていることに驚いた次第だ。

 最後に谷中の五重塔のことを書く。谷中には五重塔があった。その塔は1793年に建てられ、江戸の四大塔の一つと言われた。江戸の大火、彰義隊の戦争、関東大震災、戦災にも耐えて谷中墓地に建っていたのである。ところが昭和32年7月6日未明不倫の清算のため、放火心中のため全焼してしまった。その心中者は未だに悪く言われているという。

 「高い薪をつかいやがって」

 「何も心中するなら枝ぶりのいい木も鉄道も近くにあったのに」

 「でも不謹慎ないい方だが、塔が五色の炎を飛ばし、身もだえして昇天するさまはそれはそれは美しかった」

 以来ここには塔の跡はあるが、未だ塔は再建されていない。私は何で塔が再建されないんだろうと思っていた。よく昔あった建物が再建される例をよく聞くので、ちょっと不思議であった。でもこの本を読んで、五重塔再建運動はあったことを知った。
 しかし再建には何十億ものお金がかかる。そのためにはきちんとした体制を作っておかなければ、再建など覚束ない。それにたとえ塔の再建がなったとしてもそのときに再開発や地上げ、あるいは跡継ぎがいないという理由で、この町に住んできた人たちがいなくなったら、住民のシンボルであった塔の再建の意味がない。それよりもこの町に普通の人々のコミュニティーを残すことに時間を使いたいと森さんたちは思ったらしい。
 なるほどそういうことだったんだと納得した。


評価
★★★


書誌
書名:「谷根千」の冒険
著者:森 まゆみ
ISBN:9784480037237
出版社:筑摩書房 (2002/05/08 出版)ちくま文庫
版型:287p / 15cm / A6判
販売価:756円(税込)

2009年11月09日

本多孝好著『正義のミカタ』

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 どうもよく分からない話だった。どういう展開になるのかな、と思いつつページを進めるのだが、読み終わった後、いったい何だったのだろうと思ってしまった。展開が予想がつかない分、ページは進むのだが、どうしてこの物語が書かれなければならなかったのかよく分からなかった。

 話は、蓮見亮太は三流大学の飛鳥大学に入学した。高校時代亮太はいじめられっ子であった。それでも何とか自分を変えたくて、自分なりに努力して大学に入る。大学に入れば、亮太をいじめていた奴もいなくなるから、自分は変われると考えていたが、ところが高校時代亮太をいじめていた畠田も入学していた。そしてその畠田と再会してしまい、またいじめにあう。亮太は入学して間もないのに、もう大学を辞めようと考えながら、畠田の暴力に耐える。その時高校時代ボクシングで全国大会三連勝した桐生友一(トモイチ)に窮地を救われる。トモイチは亮太を自分も入部している“正義の味方研究部”に連れて行き、入部させる。
 正義の味方研究部とは、ふざけた名前の部ではあるが、飛鳥大学において正式なサークルであり、伝統のあるサークルでもあった。大学内で不正や困っている人がいれば、それを助けるというものだ。当然こうした問題を解決するに当たり、力がものを言う世界であるが、亮太にはそうした能力がない。だって「生粋の、筋金入りのいじめられっ子」なのだ。悪者と戦う能力などあるはずがないと思っていた。ところが亮太は長い間いじめられ続けたため、自分の身体に与えられる暴力から出来るだけダメージを少なくしようとする能力が身についていた。ボクシングで言う“デフェンス”である。無意識のうちにその能力が身についていた。それをトモイチに見出され、正義の味方研究部に入部することが出来たのだ。後は攻撃を身につければいいということで、トモイチにボクシングの攻撃の基本を教わる。
 そうこうしているうちに、亮太は、大学で友人も仲間も、憧れる女性も、正義の味方研究部で尊敬出来る先輩も出来、しかも畠田からのいじめからも解放され、大学に入ってよかったと思い、キャンパスライフが薔薇色に見えてくるのであった。
 ある時“スイート・キューカンバーズ”というサークルの内偵を亮太はトモイチともにやってくれと、正義の味方研究部の先輩から頼まれる。このサークルは大学内のイベントを企画するサークルで、亮太はさえない企画を担当する間先輩のもとで、その手伝いをすることとなった。
 内偵しているうちに、このサークルはネズミ講をやっているらしいということがわかってくるが、しかしその金額がちゃっちい。もっと奥深いものがあるのではないかと更に内偵を続けると、間先輩が大麻を大学内でさばいていることがわかる。間先輩は亮太を可愛がり、自分のやっていることを亮太に明らかにするが、それは亮太が裏切らないと思っていたからだ。しかし亮太は正義の味方研究部に密告する。そして正義の味方研究部は間先輩のいるアパートへ乗り込んでいく。
 結局、すべては焼け出され、証拠は何も残らず、間先輩も飛鳥大学の学生でも関係者でもない、誰だかわからず、事件は終わる。
 間先輩はいじめの対象である下層部から上層部に違うレールで、半ば違法性の高いところで這い上がろうとしなければならない。お金も、学力も何もない自分たちが、這い上がるためにはそうするしか方法がないんだと間先輩に言われ、亮太もそう思い始めたのだけれど、「何かが違う」と感じ始める。
 自分は大学に入り、正義の味方研究部に入部し、自分は変わろうと思い続けたが、どこかしっくりこなかった。このままじゃいけないと思い続けるが、どうしていいのかわからなかった。そうこう悩んでいるうちに、「何でこのままじゃ駄目なんだ?」と思い至る。 
 亮太は自らが悪事を制裁する側の人間じゃないと自分で思い始める。長いこといじめにあってきた自分だからこそ、困っている人の側に立つべきだと考える。自らのいじめから解放されるために、制裁する側に回るべき人間じゃないと思い始め、正義の味方研究部の退部を決意する。
 それに100%の正義ってあり得るのか?そこに間違えはまったく存在し得ないのか?そう先輩達に問う。もし100%の正義があり得ないなら、間違えられる側の人間はたまったもんじゃない。たとえ困っている人を助けられても、そのために誰かを取り返しのつかないくらい傷つけてしまう可能性があるなら、制裁する側には立てないとも言う。
 いつも自分が他人に利用され、踏み台にされても、それを肯定すると亮太は言い切る。そうして今までやってきたのだから。少なくともこうすることで他人を傷つけてはいなかったのだから。それを誇りに思うのだ。正義の味方である自分に酔っているよりはるかに自分らしいと思うのであった。

 う~ん、ここまで来て著者が何を言いたいのか漠然と見えてきたような気がするが、どうも回りくどい。下手をするとただの解釈の違いに陥る可能性がある。
 「今までこうであったから、それは肯定出来ない」、「こうであったから、これからもこうであり続けるのが自分らしさだ」ということで、自らの存在感を示しているのか?どうなんだろう?よく分からないな。それとも今まで単にいじめられっ子で、何も言わずやられっぱなしであったけれど、多少自己主張することができるようになった“亮太らしさ”をそのまま認めればいいのかな。
 というか個人的には亮太の考え方が受け入れがたい部分がある。確かに弱い側に徹底的に立つのは結構だけれど、これじゃ宗教になっちゃうのではないか。現実を見据えれば、多少の犠牲はやむを得ないだろうし、現実問題として考えれば、明らかに正義の味方研究部の先輩達の考えが真っ当な気がするのである。ここに超越という考えを持ち込むと話がただ面倒になるだけである。


評価
★★


書誌
書名:正義のミカタ―I’m a loser
著者:本多 孝好
ISBN:9784575235814
出版社:双葉社 (2007/05/25 出版)
版型:413p / 19cm / B6判
販売価:1,575円(税込)

2009年11月01日

三浦しをん著『まほろ駅前番外地』

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 この本が出たことを知ったときは、すぐ読みたいと思っていたのだが、あいにく読んでいる本があったので、今日になってしまった。あの多田便利軒の続編となれば、読みたくもなる。ただ悲しいことに詳しい内容は覚えていないが、とにかく面白くて大笑いしたことだけはよく覚えている。
 ちなみに自分のブログで検索してみると、前作を読んだのは3年前だ。3年前読んだ本の内容を忘れちゃうのもどうかと思うけれど、まぁそれだけ私の頭が老化していることなのかもしれない。幸いこうして読んだ本をブログでその感想を書き込んでいるので、検索さえすれば、当時のことがすぐ思い出せるので有り難い。早速当時書き込んだ内容を読んでみた。
 私はこの本を前作の続編と書いたが、実は続編とは違う。読んでみると、なるほど今回は、前作で多田便利軒に仕事を依頼した人の関係者の話であることがわかる。だから“番外地”と名をつけたのだろう。でも依頼者と違う視点で多田便利軒の多田や行天の姿が描かれていて、それはそれで面白かった。
 本の帯にも前作の登場人物のスピンアウトストーリーと書いてある通り、前作と同じ登場人物であっても話が別の方面のジャンルへの展開していく。そんなもんだから私は読んでいるうちに前作の依頼主や関係者の名前を思い出し、そうそう、そうだったと思いながら読んでいた。それはそれで結構楽しかった。こういう本の読み方も出来るんだなと感じた次第だ。
 私としては、地元のやくざである星とちょっと頭が温かい感じの女子高生(今風の女子高生はこんな感じなのかもしれないが)の清海との関係がアンバランスでおかしかった。その清海が携帯の充電を忘れたり、持ち歩くのを忘れたりするものだから、便利屋の多田が清海と連絡を取るのに、星の携帯に電話をかける。ちょうどその時星はやくざとしてとりこんでいるところなので、電話を取った星が「べーんーりーやぁあ!」と怒鳴るあたりは、間が悪いというか、何でやくざの星の携帯に便利屋の多田の名前が登録されているのか、おかしくて仕方がなかった。
 今回は笑いだけでなく、多田や行天のちょっと悲しい過去の部分も話の中でのぞいていて、これからどうなるのかなと思わせるところもあって、もしかしたらもう少し話が続くのかなと思わせる。私としてすぐにとは言わないけれど、もう何年かしたらその後の話が読みたいなと思う。でもシリーズものにして、話が陳腐になるのも、もったいないから(外の作家の作品でいくつも知っているので)、適当なところ話が終わるのがいいな。だってせっかく面白く、好きな物語なので、余計にそう思うのである。
 
 今回も前回同様まわりくどい感想など何もいらない、ただ単に物語を楽しんだ。笑ったり、おっ、どうなるんだと思ったり、気がついたら本が終わっていた。
 ということで、私もくどいことは書きません。ただ面白い。それだけです。私だっていつも堅苦しい本ばかり読んでいるわけじゃありませんって。いろいろ考えるのも好きですが、いつも小難しい感じでいられませんって。実はこういうのが大好きなのです。こういう話が楽しめるから本が面白のです。ハイ・・・。


評価
★★★★


書誌
書名:まほろ駅前番外地
著者:三浦 しをん
ISBN:9784163286006
出版社:文藝春秋 (2009/10/15 出版)
版型:286p / 19cm / B6判
販売価:1,575円(税込)

2009年10月30日

小沢信男著『東京骨灰紀行』

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 一風変わった東京散歩である。歴史散歩、文学散歩とも言えそうだけど、巷にあるよくある歴史散歩でもないし、文学散歩でもない。東京に地下に埋まった骨、それも無数の骨が埋まった地帯を歩いているのだ。以前有名人のお墓を訪ね歩いた本があったような気がするけれど、ここでは無数の骨が埋まっている、あるいは埋まっていた場所を訪ねている。無数の骨という以上無名の人々たちが半ば打ち捨てられた場所と言っていい。
 そんな場所が東京にはいくつかある。たとえば両国、日本橋、千住、谷中などである。両国は明暦の大火、いわゆる振袖火事の犠牲になった人々を供養した回向院とあの関東大震災で多大な犠牲者を出した被服廠跡地、またその人たちと東京大空襲の被害にあった人たちを供養する東京都慰霊堂がある。
 日本橋は小伝馬町牢屋敷でばんばん首を斬られて処刑された場所。かの吉田松陰もここで処刑された。また吉原の遊郭も最初ここにあった。
 千住では明暦の大火のあと日本橋にあった吉原の遊郭が引っ越してきた。ここで春を売っていた遊女達が心身を病んで自殺や変死すると、総墓という大きな穴に投げ込まれた。その数二百余年でざっと二万五千体という。変死体は裸にされ菰に巻かれ投げ捨てられた。
 ここには江戸時代に火葬場もあり、とりわけ流行り病であるコレラ、赤痢、チフスで数多くの死亡者がここで焼かれた。さらに小塚原の処刑場もあり、回向院では「観臓記念碑」がある。すなわちかの杉田玄白・前野良沢、中川淳庵たちがここで処刑された青茶婆という五十歳ほどの女性の腑分けを見て、解体新書を訳そうと思った場所なのだ。とにかくこの地はものすごい数の人骨が埋まっており、あのつくばエクスプレスが地下を通る時の工事では、人骨の山だったというくらいなのだ。
 谷中ではまず上野の彰義隊がある。官軍に敗れた旧幕府側の犠牲者が打ち捨てられたままであった。また谷中といえば墓地ということになるだろうが、ここにはたくさんの歴史上の有名無名の人物達が葬られている。さらに「千人塚」というものがあって、大学病院で解剖された人々を慰霊碑がある。往年の古老が語っていることがすごい。曰く「あの辺を投げ込みっていって、大学病院などの研究材料で解剖した身元不明者や罪人を土葬で葬ったところです。土がやわらかく栄養もきいているのか、ふかふかで春はつくしんぼがいっぱい。いっちゃいけないといわれると怖いものみたさでいくと、白骨なんかころがっていて、むしろや樽棺で運んでこられた遺体をカラスがつついたりしてほどけたのなんかぞっとするほど怖かったです」と。
 ちょっと前までは遊女、罪人、行き倒れの身元不明者、賊軍の兵などの死体は、ゴミを捨てるが如く、打ち捨てられていたことを思い知る。

 この本では両国を最初と最後に取り上げているのだが、最後の被服廠跡地は私も行ったので興味があった。横網町公園の中に慰霊のためにある東京都慰霊堂も見てきた。ただ私はこの公園がその跡地なのかなと思うほど狭い気がして、公園の片隅にある東京都復興記念館の受付のおばちゃんに確認したくらいなのだ。
 この本によると被服廠跡は六万七千平方メートルだったそうで、横網町公園は二万平方メートル弱。大正12年の惨劇の三角地の、北側三分の一ほどを公園にしたとのこと。実際は横網町公園とその横にあるNTTドコモのビルと第一ホテル両国、日大一高墨田区立両国中学校があるところが被服廠跡地なんだそうだ。ちょっと前に行った両国を思い出しながら、なるほどと、思った。著者はこれらの高層ビル群は死屍累々を礎石としてそびえたっているのですねと言っているが、私も公園内の敷地のベンチでここで亡くなっていった人たちの数やその阿鼻叫喚とした状況を想像するに、ただただ呆然としていたのを思い出した。
 東京都慰霊堂には関東大震災の犠牲者五万八千体、戦災十万五千体の骨が弔われている。


評価
★★★


書誌
書名:東京骨灰紀行
著者:小沢 信男
ISBN:9784480857927
出版社:筑摩書房 (2009/09/10 出版)
版型:251p / 19cm / B6判
販売価:2,310円(税込)

2009年10月28日

篠田謙一著『日本人になった祖先たち』

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 この本を読んでみたいと思ったのは日経の9月6日の「SCIENCE」の記事を読んだからである。その記事は宮城県の前知事浅野史郎さんが成人T細胞白血病という聞き慣れない病気で入院したことから始まる。この病気母子間で感染する「成人T細胞白血病ウィルス(HTL-V1)」が原因らしい。この病気は九州南部、沖縄、そして東北地方の三陸海岸や北海道に多く発症者が出るという。つまり感染者の分布に地域的な偏りがあるというわけだ。
 HTL-V1はアフリカでは今も多くの感染者が見つかっていることから、アフリカで誕生した現生人類の子孫が一万年前以上に日本に到達したことを示しているという。つまり縄文人はアフリカからの来たことを示している一例ということなのだろう。
 ところが日本には紀元前5世紀から紀元後3世紀に朝鮮半島から弥生人が渡来し、縄文人を日本の南北に追いやったために、この地方にHTL-V1の発症者が多く出るということらしい。
 おもしろいもので、このHTL-V1はアンデス山脈の先住民からも日本人と同じタイプのHTL-V1を持つ人が多くいるという。つまりアフリカから生まれた現生人類の子孫は南アメリカまで旅を続けたことになる。
 一方弥生人も渡来してきたときに、病原体を持ち込んでいる。それが結核である。結核菌に感染すると脊椎カリエスになることがある。(正岡子規が冒された病気だ)つまり骨に結核の証拠が残るわけだ。ところが縄文時代の人骨を調べてみると一つもその病気の痕跡が見つからず、逆に弥生時代の人骨を調べると、その痕跡が見つかるという。このことから結核菌は弥生人持ち込んだものだろうと推測されるらしい。それは「今の新型インフルエンザと同じように大きな被害を受けただろう」とその記事は結んでいるが、インフルエンザと結核を一緒にしていいのかなと素人ながら思うが、まあいい。私はアフリカで誕生した現生人類の子孫が一万年以上前に日本に到達したことに多大な興味を覚えたのだ。それでそんなことを書いた、素人の私でもわかりそうな本を探していたら、この本を見つけたわけだ。ただやっぱり素人だから、いくらやさしく解説されていても難しい。

 ところでものすごく驚いたことがある。私たちが世界史で学んだ頃の人類の進化とは、アフリカで生まれた人類の祖先であるアウストラロピテクスから、原人と呼ばれるピテカントプロスエレクトウスやシナントロプスペキネンシスと進化し、ネアンデルタール人に至り、そしてもっとも今の人類に近いクロマニヨン人となって進化してきたと教わってきた。(しかし今でもよくこんな学術名を覚えているなあ。それだけ受験勉強した証拠?)絵で描けばこんな感じだ。多分教科書にもこんな感じで載っていた気がする。


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 ところがこれは違うらしい。この本によると私たちが教わってきた人類の進化は「多地域進化説」と呼ばれるもので、それは100万年以上前にアフリカを旅立った原人が各地で独自の進化進めてそれぞれの地域の新人に移行したという説である。しかし最近の科学はその説を否定し、現生人類はすべて20万~10万年前にアフリカで生まれ、7万年~6万年ほど前にアフリカを出て全世界広がったというのである。従ってこの説に従えば、北京原人やジャワ原人、あるいはネアンデルタール人といった各地の先行人類はすべて絶滅したことになる。
 200万年前以降にアフリカで生まれた人類はアフリカを旅立ち、旧大陸の各地に先行人類が分布したのだが、これらの先行人類はすべて絶滅し、再びアフリカで生まれた私たちの直接の祖先が世界を席巻したことになるのだ。要するにヒトが各地で段階的に進化して、今に至っているのではなく、アフリカで誕生した新人が世界に広がっただけのことらしい。これを「新人ホモサピエンスのアフリカ起源説」といいい、今ではこれは常識となっている。
 アフリカってすごい。高等類人猿からヒトへの第一歩を踏み出したのもアフリカなら、私たちの直接の祖先が生まれたのもアフリカなのだ。でも、何でアフリカなんだ。これに関しては未だ説明が出来ないらしい。

 これにを知ったとき、私たちが詰め込まされてきた知識って何だったんだ!と思ちゃったね。この説が常識となるのには、DNAを解析する分子生物学が1970代から爆発的に発展したことからわかったことらしい。推定される新人の移動経路がこの本に載っているけれど、これを見るとその旅路はものすごいことだなと思う。ものすごい時間と距離を改めて感じるのである。今みたいに飛行機で一気に飛べる訳じゃないんだよ。一歩一歩、歩いて世界を席巻したんだからすごい。こうして移動する訳って何だろうと思うのだが、それに関してはこの本には何も記述がない。だからこれは勝手な素人の想像だけれど、生きるために狩りをするうちに、餌を見つけるため移動していった結果、ここまで来ちゃったということなのかなと思う。

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 著者は「私たちは学校で新大陸を発見したのはコロンブスだと教わります。しかし、それはヨーロッパ人から見た発見であって、彼らは新しい大陸を発見した最初の人類だったわけではありません。実際には、人類の最初の旅がすでに終わっていたことを確認しただけだったのです」と書いているが、まさしくその通りだなと思う。ヨーロッパ中心の歴史書の記述と人類学が教えるものと大きく違うことを教えてくれる。
 さらに彼らの進出はポリネシアの島々まで行って完結するけれど、その先には南米大陸がある。中にはそこから南米に渡った新人がいたかもしれない。そうなると北から北米へ渡り、南米に至った同じ自分たちの子孫と出会い、再会した可能性がある。ここでも著者は「ミトコンドリアDNAの拡散の歴史から見れば、非常に劇的なものだった」と言っているが、もしそれが本当にあったとしたら、すごいことだ感じいっちゃう。

 それにしてもこの分子生物学ていうのはすごい。こんなことがわかってくるのだから。
 私たちはその歴史の変遷(あるいは文化の伝搬など)を知るには、残された遺跡や考古学的資料など、ぽつんぽつんと発見される事実を、その変化を目に見える範囲内で、同じものや似たものをつなぎ合わせて、たぶんこんな感じでつながっていったんじゃないかと想像することで、歴史を語ってきたような気がする。特に文書として記録がない時代はそうであろう。
 ところが科学は動かしがたい事実をそこに突きつける。それまであった歴史の常識さえ覆してしまうのだ。もしかしたら科学というのは、歴史を本当の意味で書けるんじゃないかと思ってしまう。もう歴史学は文系のものではなく、理系の範疇に組み入れられるものに変わってしまうのではないかと思ったりする。

 ではこのアフリカで誕生した新人がどのように世界に広がっていったのか、それを裏づける証拠となるものは何なのかというと、ミトコンドリアDNAからわかるという。たとえば私を作っている遺伝子は両親の卵と精子の結合から生まれている。そして両親はさらにその親の卵と精子の結合から生まれている。ということは私を作っている遺伝子はそれまでバラバラに集団の中にあった遺伝子から偶然組み合わされて出来たことになる。つまり数百年前には今の私を作っている遺伝子は影も形もなかったことになる。そしてその逆も言えるわけだ。この私において結実した遺伝子の組み合わせは、たとえ子孫を残しても世代を経るごとに散逸し、数世代すればまた元のようにバラバラとなる。これだと遺伝子からその祖先を探ることが不可能となる。
 ところが親の持つDNAがそのまま子孫に伝わるものがある。それがミトコンドリアDNAである。ミトコンドリアDNAは母系に伝わる。つまり常に娘が生まれて子孫を残していけば、母系の系列は絶えないのから、子孫のミトコンドリアDNAは先住者のものと同じとなる。一方父系にはY染色体のDNAが継承される。(この本は基本的にミトコンドリアDNAで人類の歴史を語っている)
 一時、天皇の皇位継承権で愛子様が女帝になるという話があり、それを認めようかどうか問題になった。そのとき反対意見としてそれまで男子に皇位継承権を与えてきたから、Y染色体が代々継承されてきた。しかしここで愛子様が天皇になるとそのY染色体が断絶するということがあったが、それがこれなんですね。著者もDNAを血統とか家系と結びつけて捉える考え方があり、場合によっては特定の家系を特殊なものであると考える際の生物学的なバックボーンと利用されることもあると、暗に当時騒がしていた皇位継承権の問題を批判しているような気がした。
 そもそもY染色体の「最大の機能は言うまでもなく男性を作る作用なのですが、その部分は非常に小さく1000塩基対程度しかありません。Y染色体の大部分は意味のないDNA配列で埋められていて、実情はそれほど威張れるものでもないようなのです。ことさら男子の系統を大切にする風潮は、DNAから見れば何か滑稽な感じすらします」と著者は言っている。

 さてそのミトコンドリアDNAである。詳しいことはよく分からなかったけれど、ミトコンドリアDNAは一つの細胞の中に多数のコピーを持っているので、核のDNAより人骨などに壊れないで残っている可能性が大きい。その上PCR法でそれを簡単に増幅できるらしく、解析にはもってこいなんだそうだ。しかもその構造の中で、「D-ループ」という狭い領域に異変が集中しているので、そこを解析すればいいという利点があるらしい。
 その解析の結果、ミトコンドリアDNAの多様性は大きく四つのグループに分けられる。それぞれA~Dの記号をつけられ、これを専門用語で「ハプログループ」と呼ぶ。このハプログループがさらに細かく分岐していく過程を見ていくと、アフリカで生まれた新人がどのように移動していったかが、わかるというので、結果さっきあげた分布図となっていく。(かなり端折っちゃたけれど、正直あまりにも細かくてよく分からなかった)
 日本人の祖先もこの分布図に示される人類の移動経路で考えなければならない。ただ書名の割には日本人の祖先はどこから来たのか、結論を明確にしていない。
 日本人の成立に関しては、形質人類学の立場から、旧石器時代につながる東南アジア系の縄文人が居住していた日本列島に東北アジア系の弥生人が流入して徐々に混血して現在に至っているという二重構造論が唱えられていることを、DNAの解析からある程度これを認めて終わっている。著者は「現代日本人が在来系の縄文人と渡来系の弥生人の混血によって成立したという、混血説(二重構造論)を強く支持しています」と書いている。ここでは結論しているんじゃない。あくまでも「支持している」と書いているだけだ。それを断定できるほど、ことは簡単じゃないらしい。

 ところで、著者は「日本人の祖先集団の成立に際しては、大陸の広い地域の人々が関与したために、私たちの持つDNAは、東アジアの広い地域の人々に共有されています」と書いている。これは日本という国家だけを考えるのではなく、アジアの広い地域の人々と共有するDNAがあるのだから、そのDNAを共有する民族同士もっと仲良くなっていい。隣接した国同士ほど、いがみ合いを持っているというのも普遍的な現象としてあるけれど、それを超越する共有のDNAがあるのだから、このことを認識すれば、お互いを信じることが出来るんじゃないかと言っている。それはアジアだけでなく世界でも通用するのではないかとも言っている。
 でも、こうした結論はちょっと陳腐過ぎるような気がする。たとえ生物学的共有物をお互いの国の人々が持っていても、だから仲良くなりましょうとはいかないのが現実で、こんなことを言っても「だから?」と言われそうな気がする。生物学的なことと実際の人間が持つ考え、宗教思想、あるいは政治思想とはまったく別問題だからだ。それに人が自分を認識するのは、他人と比べていかに自分は優れているか(劣っているか)、違うのかで、そう思うわけで、異なる他者がどうしても必要なところがある。悲しいけれどそれが事実だ。そういう比較は、仲良くなりましょうという考えから、明らかなに相反する。だからこの本の結論としては、せっかく面白く、ワクワクさせてくれたのにちょっともったいないなと思ったわけだ。
 この本の最後には、科学や技術の発達は、これまでにないヒトの移動を可能にする。経済のグローバル化はボーダレス社会を築き始めている。そのことはそれまで人類が長いことかけて蓄積してきた地域に固有のDNAの組織が解消する可能性がある示唆している。だろうな、と思った。このことはそれまで固有であったものがそうでなくなることを示している。さらに国の、社会の、民族の、あるいは特定の家系の固有性を示すバックボーンとして成り立たなくさせることにもなる。当然遺伝子の分野でも大きな変化を起こすのだろう。でも一方でなんとかしてその固有性にこだわるということも出てきそうだ。だからDNAの共有だけでは世界平和は生まれないのではないかとも思う。

 この本を読み始めたのは、日本人はどこから来たのか。それを知りたくて読んだのだけれど、予想に反して人類の歴史を知ることになってしまった。専門的な分子生物学の記述は難しかったが、けれど面白かった。新しい事実を知って驚いたし、日本人の祖先がアフリカから歩いて、代々来たというだけで、壮大なロマンを感じた。


評価
★★★


書誌
書名:日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造
著者:篠田 謙一
ISBN:9784140910788
出版社:日本放送出版協会 (2007/02/25 出版)NHKブックス
版型:219p / 19cm / B6判
販売価:966円(税込)

2009年10月20日

本多 孝好著『WILL』

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 続いて『MOMENT』から7年たって、最近出版されたこの本を読む。今回は神田の話ではなく、彼の幼なじみで実家の葬儀屋を継いだ森野の話である。彼女が請け負った葬儀から生まれたその後の話とでも言えばいいのだろうか。
 大体葬儀屋が葬式を請け負って、しめやかに終われば、それで葬儀屋の仕事はおしまいとなるだろう。後は葬式を行った遺族の問題であり、そこまで葬儀屋がケアするのも妙なものような気がするが、それを言ってしまったら、この物語は始まらない。そこまで首を突っ込むのは森野の性格からであり、そこからこの連作が始まる。

 死んじゃった人はもうそれ以上何も語れない。残された家族はその生前を忍び、いろいろなことを思い出し、死者の生前の姿を改めて作っていく。さらに死者が残していった遺品は、時にはとんでもない過去をあらわにしかねない部分がある。邪推が生まれる。
 人の死がそれまであった関係をすべてきれいさっぱりとなくすものであるなら(そんなことはたぶんないのだろうけど)この物語は生まれない。人間一人では生きていけないから、さまざまなものを残された人間に残していく。そこに物語が生まれる要素があるわけだが、それがいつもいい思い出ばかりじゃないところが厄介である。
 この本はそうした死者が残した厄介なものをテーマにして、連作として描かれる。一つは森野の友人佐伯杏奈の父親の葬儀の後送られてきた一枚の絵であり、死んだ男の愛人と称する女が自分を喪主として葬儀をやり直したい言ってきたり、杏奈の父親が請け負った葬儀の喪主が夫の生まれ変わりと言って、中学生がその老女のところに来ることを相談受けたりする。
 
 物語はミステリーを帯びていて面白いのだけれど、私は人の死って、それですべてが完全に終わるものではないんだなと改めて思わされた。出来れば自分の場合そうあって欲しいと個人的に思っている。だからもし自分の死に時間的余裕があるなら、身の回りをきれいさっぱりとして完全に消去しておきたいと常々思っているくらいなのだ。
 でもそうもいかないだろうなとも思う。なぜなら私という存在は私一人である訳じゃなくて、さまざまな人と係わっていることであるわけだから、ことそう簡単にいくわけがない。だったらせめて、それに近い形で自分の死というものを迎えたいとは思う。そしてその後も人に余計な迷惑や面倒をかけない方法を選びたい、と物語とは直接関係なけれど、そんなことを思ったのである。
 人は死者に対してその後もいろいろな形で装飾していき、いい意味でも悪い意味でも記憶に残していくものなのだ。そうすることで、時それは残された人が悲しみを乗り越える糧にもなるだろうし、その後の人生に何らかの意味を求めていく。死者はそれでおしまいだけれど、残された人は死者からまだ何かを望むのだ。そういうものなのだろう、きっと。自分だって今までそうだったのだから、これからもそうであるに違いない。
 この物語の中で森野の父親が“リビング・ウィル”という言葉を森野に説明する場面がある。このリビング・ウィルとはもともと自分の死に際して施される治療について、生前判断能力がある間に、その意思を文書化したもののことを言うらしいが、森野の父親は次のように言う。

 「このときのウィルってのは、意思のことなんだぞ。知ってたか?」

 「そのウィルが未来を表すってことは、だから、あれだ。未来という意思と一緒にあるってことだな」

 “ウィル”が死に際して意思であるなら、その後の未来においても、死者の意思は残された人々と一緒にあり続けることとなる。なるほどうまいことを言うものだ。結局それが人間なんだろう。人は亡くなった人に対して、その人がかけがえのない人であればあるほど、その存在に意味を持たせたいのだろう。ただその人はもう主役ではない。残された人が生きていく上でのサムシングとなるわけだ。決してサムワンではないだろう。

 ところでこの本は森野のが係わってきた葬儀の死者が残した意思が物語となっているのだが、一方で『MOMENT』で出てきた神田との関係も発展する。言ってみれば、幼なじみから恋人へ、そして一緒に暮らしたいと御互いの気持ちが、そうなっていく。
 ただ私は神田くんがちょっとかっこよすぎないかと思えた。『MOMENT』ではなげやりで、ちょっと世の中を小馬鹿にした感じだったのが、森野を求めるがあまり“いい人”になりすぎていないか、と感じた。出来れば『MOMENT』での神田くんでいて欲しかったな。妙にキザっぽくなっちゃているのが気にかかった。
 さて、『MOMENT』とこの『WILL』は息子から借りた本だ。やつはどうも本多孝好さんのファンみたいで、本多さんの本を全部読んでいる。また何か借りて読もうかなと思った。そうそうまず、ネットにあった「STORIES-もう一つの『MOMENT』」と、「青春と読書」の11月号に「エースナンバー」という本多さんの読み切り小説読んでから、近いうちに何か他に借りることにしようか。


評価
★★★


書誌
書名:WILL
著者:本多 孝好
ISBN:9784087713220
出版社:集英社 (2009/10/10 出版)
版型:322p / 19cm / B6判
販売価:1,680円(税込)

2009年10月18日

本多孝好著『MOMENT』

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 「釈迦は成仏したかったんだ。古代インドでは、生き物は死ぬと生まれ変わると信じられていた。輪廻転生だね。彼はその輪廻を断ち切りたかった。どうしてか?二度と生きたくなってななかったからさ。二度と、こんな辛いものを味わいたくなかったからさ。彼を支えたのは信念じゃない。恐怖だ。また生まれ変わる。また生きなければいけない。そこから生まれた恐怖だ。彼は痛切なまでに虚無になることを求めたんだ。そうだろう?」

 神田は幼なじみの葬儀屋森野が紹介してくれた病院で清掃夫として働いていた。たぶんこういう縁の下の働く人にはその職場、この場合病院で、さまざまな噂が耳に入ることだろう。まして病院である。言ってみればそれまでの人間の生きざまがあからさまに表れる場所である。
 そんな病院で死ぬ前に願い事を一つだけ叶える黒衣の男の話を聞いた。そして神田はひょんなことからその仕事を引き継ぐことになった。ただ必殺仕事人ではない。
 たぶん回復の見込みのない患者、死を待つしかない患者が究極に望むことは安らかな死であろう。しかし神田は大学生のアルバイトとしてここの病院の掃除夫として働いているだけである。患者に安らかな死を与えることは出来ない。それをやっていたのは神田が引き継ぐ前の必殺仕事人であった。神田に出来ることは、死を前にした患者が思い残したことをかなえてあげることであった。それが噂となり、「この病院には死を前にした患者の願い事を何でもかなえてくれる人がいるっていう噂です。それは掃除夫の人だって、そういう噂なんですけど」といって密かに広まっていった。

 ことの発端は、ある老女の願いを学費分二十三万九千円で請け負ったのだが、老女は死後神田の口座に百万円振り込んできた。つまり仕事四回分。だから神田には残り三回分仕事をしなければならないことになった。それがこの連作となっている。最後は請け負った仕事ではなく、神田の思い、気分で起こった話である。
 「ACT.1 FACE」は戦争中、裏切り者を殺せと支持した家族の動向を探る仕事であり、「ACT.2 WISH」は修学旅行で車に乗せてくれた大学生を捜す仕事であり、「ACT.3FIREFLY」では乳がんの再発で入院することになった女性のそれまでの人生を一所にたどる仕事であり、「ACT.4 MOMENT」は特別室にいる男を神田の気分で必殺仕事人から守ることであった。
 私は「ACT.3FIREFLY」が良かった。良かったというか、悲しいかったというべきなのかもしれない。乳がんを再発した女は留守番電話に自分の状態を報告する電話を入れていた。愛する男のところかもしれないと神田は推測した。しかし誰も彼女を見舞いに来る者がいなかった。
 神田はその女性がたどってきた人生の“場所”のドライブに連れて行ってくれと頼まれる。女は九州の田舎から東京に出てきた。喜びに満ちあふれて。けれど周りについていけず、野暮ったい大学生をやっていて、彼氏も出来ず、その後建設会社に入社する。上司と不倫関係になり、妊娠したが、堕ろして、会社を辞め、コンパニオンとして働く。

 「もっと派手に、パーッとね、生きてやろうと思ったの。生まれ変わったつもりで。それで、あの店に勤めた。化粧の仕方を勉強して、流行りの服と髪型を教わって、まあ、驚いたね。これが自分かって。男がわらわらと寄ってきてさ。今までの自分は何だったんだろうって思うくらい。生まれて初めて、モテたのよ、私」

 「指名なんかもばんばん取れちゃってさ。ナンバーワンにはなれなかったけど、結構いい線いってたのよ。お金を、会社に勤めていたときの給料が馬鹿馬鹿しくなるくらいいっぱい入ってきたし」

 「悪い人生だったとは思わない」
 
 「後悔がまったくないとは言わないけれど、それでも、まあまあ、よくやったと思うよ、私」

 その後彼女は両親に連れられ、実家の近くの病院に転院していったのだが、神田に彼女のマンションの鍵が預けられていた。神田はマンションに行き、部屋に入ると留守番電話にメッセージが入っているランプが点滅しているのに気がつく。一瞬躊躇したが神田はボタンを押した。

 「私です」

 「今日、検査の結果が出て、再入院ということになりました。また電話します」

 そう。彼女は自分の部屋にある電話に病院から近況を伝えていたのであった。いくつかメッセージが流れたあと、「もしもし、神田くん?」

 「わかったでしょ?私は誰も待ってなんかいなかった」

 「今日実家に戻ります。そう決めていたの。黙ってて悪かったけど、君に止められでもしたら、私、きっと泣いちゃうから。止めてくれる人が君しかいないなんて、情けなくて、きっと泣いちゃうから。君のまで止めてもらえなかったら、それはそれで泣いちゃいそうだし」

 「最後のお願い。もしも今年と同じような夏がきたら、そのときは私を思い出して。バイト代は出せないけど」

 「思い出して」

 「きっとよ」

 電話が切れたとき、神田は彼女の部屋を見渡す。「クローゼットに入り切らないような服も、大き過ぎる食器棚を埋める食器も、ひょっとしたら上田さんはそこに生まれる空っぽの空間を消すためだけに揃えたのかもしれない。一人で暮らすにはこの部屋広過ぎる」と思うのであった。
 彼女が働いていた店に自分の持ちものを取りに行った神田は、その店の男に言われたのであった。

 「向いてなかったんだよな、最初から」

 「だいぶ、キツそうだったもんな。早く仕事を辞めろって言ってたんだけどな」

 「よろしく伝えてくれ。早く元気になれって。元気になってこんなところには戻ってくるなって」

 一人の悲しい女性の生きざまが眼に浮かんだ。

 私は神田の考え方が結構気に入っている。なげやりでありながら、それでいてしっかりと根拠のある生き方が好きである。たとえば「エリートは貸しを作ることは気にしないけれど、借りを作ることは嫌う。資本主義というシステムを知り尽くしているからだ。借りには必ず利子がつくことがわかっている」という考え方は、まさにその通りだ。
 また病人を慰める言葉をかけるときでも「ただ力で押しつけるだけの、こういう根拠のない慰め」だとわかっていてもその言葉をかけざるを得ない状況があるのだということを自覚するあたりは、神田らしい。
 続いて、最新刊の続編を読もうと思う。


評価
★★★


書誌
書名:MOMENT
著者:本多 孝好
ISBN:9784087746044
出版社:集英社 (2002/08/30 出版)
版型:317p / 19cm / B6判
販売価:1,680円(税込)

2009年10月15日

松本健一著『司馬遼太郎を読む』

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 ちょっと漱石に疲れたので息抜きとして違う本を読む。
 書店の棚には司馬さんの解説本が数多くある。さすが“国民的作家”だけある。(これに匹敵するのが村上春樹さんであろうか)それこそ司馬さんの作品を一つでも読んだら、解説本を書きたくなるんじゃないかというくらいある。でも私にはこれらの解説本には胡散臭いところが感じられる。そもそも解説本まで読んで、司馬さんの作品を読みたいと思わないし、司馬さんの作品に限らず解説本というやつには、どこまで信用していいのか疑問にさえ思っている。
 しかし松本さんは違う。私が松本さんを知ったのは、「週刊『街道をゆく』」の解説でであった。その解説のわかりやすさは司馬さんの作品にかなり精通されているからこそ、出来るんだなと思い、結構楽しみにして毎週読んでいた。以来松本さんの司馬作品の解説に興味を持つようになった。

 さてこの本の最初にまえがきとして、松本さんの講演が収録されていて、面白いことが書かれている。
 
 日本の近・現代文学、とくに小説はといえば「私小説」、「わたくし小説」でして、極端にいえば「わたしを見てくれ」(look at me)という文学です。
 ところが、司馬さんは「私を見てくれ」という形で小説を書いていないのですね。じゃあ、どういう形で書いているのかというと、「私のことなんかよりも歴史を見てください、歴史の中にはこんなにすてきな漢達(おとこ)がいる、こんなに素晴らしい人間達がいる、こんなに光を放っている歴史上の人物がいるじゃないか」というのです。
 つまり「私を見てくれ」ではなく「彼を見てくれ」という小説であります。ですから、彼の物語り、つまり「his-story」は「history」、すなわち「歴史」の小説が多い。多いというよりも、それが司馬文学の本質である、ということができるだろうと思います。

 しかし司馬さんの作品は単なる無味乾燥の「歴史」じゃない。そこには漢達の血が通うかのように、確かにその時代に人が生きていた、という感じを読む側に持たせてくれる。つまり司馬さんは日本の「もう一つの物語」を書いたと松本さんは言うが、「私の見てくれ」をもっと具体的に言えば、「私の好きなあの人物、あの漢達の物語を聞いてくれ」なのだと松本さんは言う。そこには司馬さんの「私」がそれを熱く語らせているのであろう。司馬さんがそこにある人物たちにあこがれ、美学、いきざまに感動を受けているから、物語自体が最初は抑えが利いていても、次第に熱くなる。まさにその思いがその人物たちの一番クライマックスと呼応しているから、読んでいて感動もさらに大きくなるのである。

 司馬さんの「もう一つの物語」は、それまであった歴史上の人物の人気を変えた。たとえば30年前まででは、歴史上人気のあった人物は西郷隆盛であったのが、司馬さんの『竜馬がゆく』が書かれれば、西郷を抜いて、坂本竜馬が一番の人気となった。あるいは新撰組と言えば近藤勇であったのが、『燃えよ剣』が新撰組の副長であった土方歳三を人気に持ち上げた。さらに日露戦争では東郷平八郎から秋山好古、真之兄弟に光を与えた。一方乃木希典をそれまであった“軍神”からただの軍人として“無能”、あるいは“狂人”と位置つけた。光を与えたと言えば高田屋嘉兵衛や河井継之助など、数多くいる。
 個人的なことを言えば、私が日本史に興味を持ったのも司馬さんの作品を読んできたためと言っていいし、日本人である自分が自分の国の歴史をないがしろにしていたことを反省したのであった。今ではもう少し日本史を勉強すべきだったと後悔さえしている。
 それくらい司馬さんの作品から日本を、日本人を愛していることを感じられるのである。むしろ愛おしいと言っていいくらいだ。だから後半生はそういう思いから日本を憂う批評をしつづけてきた。警句を発し続けてきた。

 私はそれなりに司馬さんの作品や批評文を読んできたつもりだけれど、まだまだ読みたい本があると思った。小説にしたって、ここに紹介された作品で読んでみたい本がいくつもあった。これから先が楽しみである。
 またこの本の後半は『街道をゆく』の解説となっているが、そこには「司馬さんの『街道をゆく』の面白さは、かつてそこに生きていた人びとが、いまもそこに生きている、とでもいった風韻が伝わってくるところにある。学者だったら、かつてあった人といま生きている人とは同じではない、時代がちがう、などと真面目に(バカ正直に)いうことだろう。
 そういう学者を尻目に、司馬さんは読者を時空をこえて、連れさる」と松本さんは言っているが、これも全巻読んだものとして、まさにその通り!と諸手を挙げて賛成してしまう。また読み直したいほどだけど、全巻はきつい。でも興味のあるところ読み直してもいいかなぁと思ってしまう。
 そんなことを思っていたら、ふと先日神田の古本屋さんで、「司馬遼太郎全集」全巻がワンセット17万円で出ていたの思い出した。それを見たとき思わず足が止まってしまったが、17万はすごい。とてもじゃないが手を出せる金額じゃない。さらに全68冊をどこに置けばいいのか、それも考えなきゃいけない。ただ「いいなぁ!」と思いつつ、その店を後にしたのであった。


評価
★★★


書誌
書名:司馬遼太郎を読む
著者:松本 健一
ISBN:9784101287317
出版社:新潮社 (2009/10/01 出版)新潮文庫
版型:224p / 15cm / A6判
販売価:420円(税込)

2009年10月01日

阿刀田高著『おとこ坂 おんな坂』

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 どうしても読んでいて気になってしまうのは、ひとつひとつの物語のモチーフや使われる言葉など、多分阿刀田さん思いついたアイデア帳から取られたんじゃないかなということである。
 阿刀田さんはよく自分の創作現場を“小説工房”といっているが、普段ちょっと思いついたアイデアや気になったフレーズなどをノートに記して、小説を書くときに、使えそうなものがあればそれを使って書くと言っておられる。それが私の中に記憶としてあったものだから、ここにある短編は「多分これがアイデア帳にあって、使われたんだな」と思えたのである。
 どうしてそんなことを感じるようになったかというと、たぶん今まで阿刀田さんの多くのエッセイや紀行文などを読んでいるからかもしれない。それぞれこれじゃないかなと感じられたものはあったが、一部例をあげれば次のようである。

 「独りぼっち」
 傾斜がきつい男坂、なだらかでトロトロ登れる女坂

 「鯉づくし」
 鯉づくしの最後は、恋

 「ルビコンという酒場」
 私、本当にルビコンを渡ったの(シーザーがポンペイスを倒すために国禁をおかし、軍と共にルビコン川を渡った故事にちなんでいる)
 
 やきもちというのは、まん中に大きな餅を一つ置き周囲に小さな餅を五、六ケ置いておく。火であぶると小さな餅が先に焼け、膨らんでやぶけて手を伸ばし、一つがまん中の餅にくっつき、負けじともう一つがまん中の餅にくっつく。それでやきもち言うのだとか

 「黄色い子びん」
 ビーチコーミング(beach-coming)とは海岸を櫛ですくように、熊手で漂流物を集めること

 これらのアイデアやフレーズを使ってこれらの短編は書かれたと私は思っている。しかし読む側の私がそちらの方が気になってしまっているから、本当の意味でそれぞれの物語が楽しめなかった。つまりこれらのアイデアやフレーズが創作側に最優先にあって、それが勝ってしまっている気がしたのである。あまりにもそれらが目立ってしまうものだから、それだけが際立ってしまっていて、話全体の統一感が損なわれている。それらはさりげない使い方をすればちょっとしたスパイスになって、話にしまりが出てくると思うのだが、そうではなく、たとえればスパイスの利きすぎた辛いカレーを食べている感じだ。
 そうしたアイデアやフレーズを嫌が上でも使わなければならないのと、物語の展開場所を日本各地を舞台にした短編小説でなければならないというのもあって、どこか全体に無理な感じが漂う。

 阿刀田さんの文章によく「つきづきしい」という言葉が出てくる。あまり聞き慣れない言葉なんでどんな意味か気になっていた。パソコンに組み込まれている広辞苑ではこれに該当する言葉が変換できない。で、三省堂の大辞林で調べてみると、漢字で「付き付きしい」と書く。意味は①ふさわしい、似つかわしい、好ましい②いかにももっともらしい、という意味だ。
 ここにある短編にも二度ほどこの言葉が出てきたと思うが、私には話の内容が「つきづきしくない」気がする。どうもそれぞれの舞台が仰々しい。それに大体が酒場で話が展開するやり方はちょっと安易すぎはしないかなと思う。なぜならお酒が入ればどうしても人間感傷的になりがちだから、そこで話を作れば、悲しい話にもなる。思い出話にもなる。ある意味阿刀田さんらしくない。

 強いていいフレーズだなと感じたものを書き出してみる。

 「人生はいろいろですよ。どんなに執念を燃やしても、できないことがある。願ったことの、すぐ隣くらいのことができたら満足すべきでしょう。事実、満足できます。そこで充分に自分を燃焼させられればいい」

 人生少し余して生きるのはよいのかもしれない。きっとそうだ。余して生きれば逆によいものを発揮できる。
 

評価
★★


書誌
書名:おとこ坂 おんな坂
著者:阿刀田 高
ISBN:9784620107035
出版社:毎日新聞社 (2006/07/15 出版)
版型:357p / 19cm / B6判
販売価:1,785円(税込)

2009年09月28日

村上春樹著『村上春樹全作品』〈3〉

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 先に読んだ『ノルウェイの森』のもとになった短編『蛍』を読みたくなり、この短編集を取り出して読んでみた。多分ここに収録されているのは、村上さんの初期の短編なんだと思われる。『中国行きのスロー・ボード』と『蛍・納屋を焼く・その他の短編』に収録された作品がここには収録されている。もちろんいずれも昔読んでいる。個人的には「午後の最後の芝生」、「シドニーのグリーン・ストリート」、「蛍」が懐かしく、よかった。
 「午後の最後の芝生」は主人公の僕がアルバイトで芝刈りのアルバイトをやっていて、アルバイトして最後の仕事の風景を描いている。僕はとにかく徹底して自分が納得するまで仕事をする。だから機械よりも手作業が多くなる。必然的に他の人より時間がかかるが、その分仕事は丁寧なのだ。
 中年の女がいる庭の芝生を刈りに行くのだが、その芝生はそれほど延びてはいない。けれどとにかく刈ってくれと頼まれる。結構うるさそうな女なのだ。でも僕が刈った芝生を見て、彼女の死んだ亭主のように芝生を刈るという。そして彼女は僕を部屋に入れ、ビールとサンドイッチをご馳走し、多分自分の娘の部屋を僕に見せ、僕にどんなイメージが湧くか尋ねる。ただそれだけの話なんだけれど、なんかいい感じの物語であった。
 暑い日差しのなかで、ラジオかけ、ショートパンツ一枚で芝生を刈る情景。その後の彼女にご馳走されたサンドイッチとビールが美味しそうであった。そして仕事が終わり刈り上がった芝生の表面が絨毯のようになめらかになっている情景など、素直に頭の中に浮かんでくる。
 僕はその時彼女と別れたばかりであった。彼女から来た別れの手紙の内容を休憩中思い出す。

 「あなたのことは今でもとても好きです」

 「やさしくてとても立派な人だと思っています。これは嘘じゃありません。でもある時、それだけじゃ足らないんじゃないかという気がしたんです」

 これ言われたり、感じたりしたことありません?若い頃間違いなく相手が好きであっても、どこか相手にもの足りなさを感じることって、あるでしょう・・・。

 「シドニーのグリーン・ストリート」は、羊男が趣味で探偵をしている僕に、羊博士にかじり取られた耳を取り返してくれという依頼をしにくる。羊男が懐かしい。また羊男の話を読みたくなちゃったなぁ。

 「蛍」は僕がいる学生寮の同室人が近所のホテルで放された蛍を捕まえた。それを彼女に渡せば喜ぶよということで僕に渡す。『ノルウェイの森』ではワタナベ君の同室で、国立大学で地図学を専攻し、国土地理院への就職を希望する生真面目で潔癖症の突撃隊”になる。
 この「蛍」でも『ノルウェイの森』もその蛍を彼女にあげることはできなかったのだけれど、『ノルウェイの森』もよかったけれど、この「蛍」ももの悲しくていい。(当たり前か!だって『ノルウェイの森』はこの短編を肉付けして書かれたものなんだから)

 思うのだけれど、村上さんの小説はいわゆる“ムラカミワールド”として非現実的な舞台設定で物語が始まるけれど、でもそこに登場する人物たちは我々と同じ現実で生活している人と同じである。きわめて現実的で、生活感あふれる人たちなのである。だから舞台は非現実的であっても、ものの考え方、感じ方はストレートに読む側に入ってくる。いや、舞台が非現実的だからこそ余計に私小説的部分は心に響いてくるような気がする。ごく普通にあることなのだ。それが強調されて読む側に届くといっていいのかもしれない。妙に納得しちゃったりしてね。特に喪失感はずんと心に響くし、そのやるせなさはよくわかる。むなしさといってもいいかもしれない。そしてそういった喪失感は誰しも経験しているだけに、つらさがよくわかる。


評価
★★★


書誌
書名:村上春樹全作品 〈3〉 ― 1979~1989 短篇集 1
著者:村上 春樹
ISBN:9784061879331
出版社:講談社 (1990/09/20 出版)
版型:56p / 21cm / A5判
販売価:3,150円(税込)

2009年09月15日

ローレンス&ナンシー・ゴールドストーン著『古書店めぐりは夫婦で』

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 この本は発売されたとき買ったものだが、そのままお蔵入りになってしまった。もちろん気になっていたのだが、外国ものの古本エッセイって、うまく頭の中でイメージできないものだから、ついつい億劫になり今日まで来てしまった。確かに読んでみると、日本の古本業界とは違う。本もいかつければ、売る方もなんか仰々しい感じだ。
 ゴールドストーン夫妻が古本に興味を持ったきっかけは、二人の誕生日にプレゼントが始まりだった。二人の誕生日は八日違いと、お互いの誕生日が近いものだから、プレゼントの交換を毎年やっているのだが、そのプレゼントにお互い不満があった。プレゼントの要する金額は毎年つり上がっていき割には、双方がそれほど満足しないことがあるからである。
 そこで、プレゼントに要する金額を20ドルに制限したのである。20ドルといえば、今の日本円で2,000円ちょい。当時はもう少し価値があっただろうけど、それでも安い。あとは創意工夫でプレゼントを考えなければならならない。そこでナンシーは夫にトルストイの『戦争と平和』を贈ろうと決めるが、今ある『戦争と平和』は、夫にはいまいちである。そこで図版たっぷりの古本を見つけ、それを贈る。以来この夫婦は古本の魅力にとりつかれ、近郊の古本屋を制覇し、子供をベビーシッターに預け、シカゴ、ボストン、ニューヨークと古本漁りを始めるのであった。いつの間にかこの夫婦は稀覯本収集に目ざめていく。
 古本屋さんの目星をつけるためにイエローページを使って、めぼしい古本屋さんに電話をかけて、約束をしてからお店に行く。わざわざ古本屋さんに行くのに、コンタクトを取ること自体、日本とは違う。それに、まぁそうした一癖もあるような古本屋さんだからか、とにかく古本に対して語ること語ること。店に行けば店員がついて回ってくるのだ。これじゃ本を選ぶ余裕もなくなるのではないかと思ってしまう。
 ここに出てくる古書店の在庫はどちらかと言えば“個人の持ち物”といった感じで、それが店の個性となっている。だから「どうやら古書店の在庫はは、ペットとおなじで、持ち主の人格を反映する傾向にある」と言わしめる。だから本について語らずを得ないのだ。それもうるさいくらいに。

閑話休題

 ところで日本の本屋さんや古本屋さんは基本的に無口である。無愛想である。今でもそうした傾向はある。だからこの本の古本屋さんのように、多くを語ることに驚きを感じてしまう。日本の場合無口なのは、本を読むことは知的作業だから、おしゃべりするもんじゃないというところかもしれない。
 本のセールトークをしないものだから、今度はPOPを書いて平台の本と一緒に飾る。これがやたら乱立していて、かんじんの本が見えない本屋もあるのもよく見かけるが、これは麻生総理(まだ元じゃないよね)じゃないが「いかがなものか」と思う。うざったくてしょうがない。
 まぁ最近の本屋の店員はマックの店員と同じくらいマニュアル通りにしか仕事ができないから、クオリティーが低下している。せいぜいレジに客を誘導するために手を挙げるしか能がないのだから仕方がない。まだPOPを書けるだけでもマシかもしれない。
 最近はコンシェルジュなんてシャラ臭い名前をつけて、本の紹介などする役目の店員もいるらしいが、どうしてそんなやつに紹介された本を読む気になるのだろうかと思う。きっと薦められた本を目の前に出されれば、たとえ躊躇してもありがたがって買ってしまうんだろうな。もし薦められた本が面白くなかったら、こいつら責任を取ってくれるのか、と思う。(そういう人はいないのだろうか。ネットでは結構ありがたがっているコメントを読むが、文句を言っている人のコメントが読みたいな)
 だいたい人が何を読みたいのか。何を要求しているのか。そのコンシェルジュというやつはそれがわかっちゃうのかと言いたくなる。本を求める人は、それぞれの理由があるだろうし、考えや感じ方もそれぞれ違うはずだ。それをちょっと話を聞いただけで、“この人にはこの本と”わかっちゃうものなのだろうか?そのコンシェルジュというやつが得意とする分野と違う本の内容のことを聞かれたら、どこまで答えるのだろうかと思うのだ。だからといって多くの分野を網羅するため、たくさんのコンシェルジュを置いているとも思えない。ましてこう不景気な時代だよ。人件費削減が当たり前の時代に、そういうことは考えにくい。ということは、せいぜい差し障りのないところしか言わないのではないかと思うのだ。だからこそそんなやつの意見がどこまで信頼できるかと思うのだ。あくまでも本を探す一つの手段と考えればいいのだろう。そうすればコンシェルジュという存在に腹を立てることもないはずだ。
 私に言わせれば、自分の読む本ぐらい自分で探せと言いたくなる。それでなくても今は昔と違い、本の情報などネットを使えばごろごろしているじゃないか。それも面倒で、自分で探すのも時間がかかるから、効率的に、薦めてくれる本読むのだろうが、大体本を読むこと自体“非効率”な行為なんだから、仕方がないじゃないかと思う。何度も失敗してみるもんだ。こんなことを書くと勝間和代みたいなやつは怒るんだろうな。でも本を読むスタンスが違うんだからしょうがない。

 さて、この夫婦、古本に関しての知識に飢えているものだから、熱心に店員の言葉に耳を傾ける。それがちょっとしたうんちくになっていて、この本を面白くしている。
 とにかくここに出てくる本はすごそうである。たとえ現代作家の初版本であっても、やはり英米文学の作家の初版本と聞くだけで、どこかたじたじになる感じがする。名前を聞いたことがある作家の初版本だよ。どんな装幀の本なんだろうと思うのだ。
 まして稀覯本となると、それこそ博物館におさめられて、防弾ガラスと何人かの警備員がいてもおかしくない本が、そうした古本屋さんにあり、手にできるのだからすごい。もちろんそうした本は値段も相当なものになる。
 ゴールドストーン夫婦が訪ねた古本屋さんにあまりにも値段が高いことに文句を言うと、「最高品質ということがすべてです。本の収集は完璧なものを探すこと、唯一無二のもに近づくことだから」と言い切るのだ。私など見てもなんの本かわからないだろうけど、話を聞いてその本を見るだけでも、目の保養になるよなぁと思ってしまう。
 また古本にもはやりすたりがあり、本来もっと評価されていい作家の本が、それほどの扱いされていないことを、ある古本屋さんは本にも旬があると言うのだ。そして「旬の本にはロマンスがある。古書業界はロマンスを売る商売だ。ときに業者はロマンスを演出するときもあるが、一般的にいうと、適当な本にはすでにロマンスが付随している」とも言う。
 確かに古本は時代を生き抜いてきたものだから、それだけでロマンがあるし、歴史がある。私が古本屋さんで探し歩き、手にした本でさえ、もうそれを手にしているだけで、ワクワクするのだから、ましてそれよりはるかに古い本であればなおさらだろう。

 最近はネットで簡単に日本全国の古本屋さんの在庫が確認でき、値段と相談で、そのまま購入することができるが、やっぱりこうして古本屋さんを歩き回り、目的の本以外のお宝があるかもしれない。そうした楽しみはネットでは味わえない。時には思いもしなかった発見があるのも、やっぱり古本屋さんを歩くことだろうと思う。だからこの夫婦の古本屋さん巡りは楽しいだろうなと思った。


評価
★★


書誌
書名:古書店めぐりは夫婦で
著者:ローレンス&ナンシー・ゴールドストーン 浅倉 久志【訳】
ISBN:9784150502348
出版社:早川書房 (1999/09/15 出版)ハヤカワ文庫NF
版型:342p / 15cm / A6判
販売価:777円(税込)

2009年09月14日

田中栞著『古本屋の女房』

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 著者が大学時代本屋でアルバイトをしていたときの、一般文芸書担当の人が偶然著者の実家に近くで古本屋を開業した。店名は“黄麦堂”という。以来黄麦堂は著者のお気に入りとなり、結局再婚するに至り、はれて古本屋の女房となった。この本はそんな“黄麦堂”の日々を、著者の育児と仕入れをつづったものである。

 どうやら著者の仕入れのラインアップは見ていると、“黄麦堂”はごく普通の街中にある古本屋さんのようである。つまり格式高い専門書を扱う古本屋さんではないようだ。だから売れ筋のコミック、ボーイズラブ(女性向けの小説や漫画で10代の少年、特に美少年の同士の間での恋愛もの、いわゆるホモもの)ハーレクイーン、フランス書院文庫(エロ小説)、時代小説などが仕入れる本として必ず書かれる。と言うことはこの手の本を簡単に仕入れるにはブックオフがもってこいなのである。だから全国各地仕入れ先に必ずブックオフが登場する。そこでセドリを行うわけだ。
 セドリとは古本屋さんが他の古本屋さんで自分のところで売る本を買い入れることである。古本屋さんが古本屋さんで本を買うわけだから、いわゆる社員割引なみたいなあるかというか、そんなものは一切ない。売値で買ってくるのである。できるだけ安いやつを見つけてきて、それに自分のところの利益を乗っけて、売るのである。
 この本は著者が何かの用で全国各地を訪れるとき、ついでに自分の欲しい本と店用の仕入れを「趣味と実益」を兼ねた古本屋行脚である。それを面白くしているのは著者が二人の子供を連れて、古本屋巡りをすることである。それがこの本の特色かと思う。ベビーカーを押しながら、むずがる子供なだめ、仕入れをする光景など、そうそうないだろうから、それがかえって珍しいく、面白い。子供連れだとトイレの問題がある。ところかまわず、「おしっこ」、「うんち」となる。だいたい古本屋さんにはお客用のトイレなどないのが普通である。だからわざわざ断ってトイレをかりるはめになる。またブックオフに頻繁に行くものだから、子供の方が、「本を売るならブックオフ♪」という歌を覚えてしまい、鼻歌にしてしまうくらいなのだ。
 しかしこのセドリは古本屋には嫌がれるという。だっていくら売値で売れても、下手をすれば売れ筋商品をごそっと持って行かれる可能性も充分ある。それはブックオフでも同じ。だからあからさまに大量に本を買うと、同業者だなということがわかり、「ご遠慮願いませんか」と言われるという。で、仕方がないので大きくなった娘さんを使って、仕入れをさせるという。
 しかし知らなかったなぁ。ブックオフにもゴールド会員のカードがあるなんて・・・。この本によると、これはブックオフで5万円以上買わないともらえないものらしい。このカードを娘さんが持って、本を買うというのには笑ってしまった。

 この本がほのぼのと感じさせるのは著者のイラストである。子供たちが古本屋さんにいるときの姿がかわいらしく描かれている。なかなかうまいものである。
 しかしこの“黄麦堂”の商品のために、著者の全国古本屋での仕入れ模様を読んでいると、特にその仕入れ内容を見ると、この古本屋の危うさを感じる。大丈夫なんだろうかと思ってしまい、そして最後に“やっぱりな”となってしまう。だいたいその仕入れがブックオフを頼りにするところは、どうしても不安を感じる。
 昔、インターネットで古本屋さんを始めた人の本を読んだことがあるが、ネット販売だから店舗を持つ必要がない。必要なのは警察に古物商の届を出すぐらい。後はどうやって仕入をするかである。それをこの人は各地のブックオフで仕入をし、自分のところの商品としてアップするのである。確か簡単な損益計算書みたいなものが掲載してあって、それを見るとせいぜい“小遣い稼ぎ”程度の利益しかなかったはずだ。
 もちろんこの“黄麦堂”は古本屋として店舗を構えているれっきとした古本屋さんだから、小遣い稼ぎとはわけが違うだろうが、ブックオフでのセドリに頼るところは、やっぱりまずいんじゃないかなと思わせる。
 さらにそのセドリを奥さんにやらせるところは、どうなんだろうと思う。旦那の方は他の仕事があって、そうした仕入ができない事情があるのだろうが、なんか奥さんの方がたくましく生きていて、旦那の方はそれに頼っている感じがしてしまう。
 実際問題、売上が低迷して、生活費さえ家に入れられない状態に陥るし、店をたたむときの旦那の対応は、まさに世間ズレしていない、浮世離れしたところがある。いいように業者にお金をふんだくられる。最後は結局こうなるのかと思いつつ、この本は終わる。
  結局“黄麦堂”はインターネット専門の絶版文庫販売の古本屋さんになっている。これだって余計なことかもしれないけれど、このご旦那にやらせているといつまで続くのかなと思ってしまう。ここでも単に本好きと商売とは違うということを思い知らされる。

 本自体、装幀も凝っているし、イラストもいいと書いた。また著者が校正のテクニック持っているので、その道の多くの人にこの本の校正を手伝ってもらっているようで、かなり手間暇かかっているらしい。が、その割には内容のてんまつが貧弱だったのは寂しい限りだ。


評価
★★


書誌
書名:古本屋の女房
著者:田中 栞
ISBN:9784582832426
出版社:平凡社 (2004/11/04 出版)
版型:217p / 19cm / B6判
販売価:1,575円(税込)

2009年09月12日

吉村昭著『お医者さん・患者さん』

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 この随筆ちょっと期待したところがあったのだが、どうも期待はずれであった。私が期待したこととは、吉村さんが医者や患者を実際問題、どう考えているかということである。確かに吉村さんによる医者というもの、あるいは患者たるもの、こうあるべきだと書いてはあるのだが、どうも私には一般論としか読み取れなかった。

 ということで、ここは本から離れて、今の私が病気である患者(自分)が医師をどう考えているか書いてみる。その前にこの随筆に「医師は、医師である以前に人間でなければならないはずである。それも人間の生死をあずかる職業人だけに、高度な人格をもつ人間であることが要求される」と書かれていることから始めたい。
 この論理はおそらく大方の日本人が持っている意識じゃないかと思う。そしてそこから医師はそうであらねばならぬ、という思いに変わっていく。図式で書けば医師=人格者=名医ということだろう。そこから医師は人格者であるから、どんなときでも自分のことより患者のことを最優先に考えなければ医師じゃないということになっていく。しかしこの考え方は患者の優位性を自己主張させることになる。つまり自分は病人で弱者であるから、当然それなりに扱ってくれなきゃ困るという考えが生まれてくる。医師は人格者なんだから、そのように扱うのは当然というものである。ここにモンスターペイシェントが生まれる背景があるような気がする。そうしてモンスター化した患者は、医師は病気を治して当たり前という考えが頭から離れない。自分の病気がなかなか治らなければ、今度はその医師に藪医者というレッテルを貼り、吹聴するのだ。
 実は私もちょっと前までそうであった。しかしここ数年胃腸で通院し、最近はぎっくり腰、そして歯医者と病院通いが続くと少しずつ考えが変わってくる。特に胃腸に関してはその思いは複雑だ。私はこの病気で三回、病院を変えてきた。病院を変えた理由は簡単である。“治らない”からだ。やりたくもない検査をやって、複数の薬を毎日飲んでも一向に良くならなかったからだ。その結果、その医師はダメだということになり、その医師は力不足と思ってきたのである。違う先生のところへ行けば、もっと良くなると思うのである。そこには病院に行けば病気は必ず治るものだという考えがあるからである。
 でも最近はそうじゃなくて、病気は治るものもあれば、治らないものもあるんじゃないか、と思うようになっている。それは諦めみたいなところもあるけれど、どうしようもない状態だってあるのではないか。だからあとは、少しでも気分が良くなるような状態が維持できるようすればいいのではないか。

 医師は病気というものを必ずしてくれるものではないということを感じ始めたのである。あるいは薬は完全に病気を治してくれるものじゃないのではないかと思い始めたのである。断っておくがそれは医師の力とか薬の効能にいちゃもんをつけているんじゃない。ここは素人の考えだけど、多分病気から治ろうとするのは自分の身体であって、医師の力とか薬とかはあくまでもそうした自己回復力をサポートするものなのではないかと思うようになったのである。
 そして自分の身体の回復力が衰えていたら、治りは遅いか、あるいは治らないというか、以前のようにはなれないと思うようになってきた。そうなのだ。自分の身体の衰えや老化、生活環境、生活習慣などを差し置いて、病気が治らないというのはおかしいんじゃないかと思うようになったのだ。
 人間歳をとれば体力も落ちるし、身体のあちこちにがたが来るのは当たり前である。そのように酷使してきたんだから当然である。それで治らないと言ってしまうのはおかしな話だろう。人間の身体はパソコンのパーツをスコンと丸ごと変えて、元の状態にするのとはわけが違う。死ぬまで自分の身体と付き合うしかないのだ。衰えたら衰えたなりに付き合っていくしかないのである。調子が悪いなら、悪いなりに付き合って行くしかない。生活環境など変えられれば、多少違うかもしれないけれど、そうそう今生きている環境を変えることなどできない。無理をしても生きていかなければならないのだから仕方がない。
 となればあとはどうやって自分の身体と折り合いをつけていくか、それしかない。その上で以後どうしていくか、それを考えてくれる医師が信用できる医師なんじゃないかと思うようになってきている。

 今通っている胃腸の科の先生ははっきりとそのことを言ってくれた。だからあとは日々いかに少しでも楽に過ごすことができるか、それを薬でサポートしようということに、私の場合なっている。だから今後いくら病院を変えても、多分意味がないのだろうと思っている。
 歯医者にしてもそうであった。やっと自分が安心して任せられる歯医者さんが見つかって、ホッとしていたところ、その歯医者さんが廃業された。このあとどうすればいいのか途方に暮れ、今日まで来てしまった。当時先生から厳しく言われていた日々のケアを怠らなかったので、幸いにも以後歯痛に悩まされることはなかったが、差し歯のぐらつきはどうしようもない。ネットいろいろな歯医者さんを検索しているうちに、その先生がまた歯医者さんを開業したことを知り、メールで連絡を取れば、すぐ来なさいと言ってくれた。
 そして差し歯を直してもらい、また問題のあるところを治療してもらうことになったのだが、そんなことはちっとも苦じゃなかった。それよりまた自分の歯をこの先生に診てもらえるというだけで、安心であった。
 胃腸科の先生にしても、歯の先生にしても、その技量は個人的に絶大な信頼を置いているけれど、それよりこんな私のことでもきちんとサポートしてくれるという安心感が今の私にはある。それで気持ちが楽になる。それが人格者云々のなせるわざと言うのだというなら、それでもいいけれど、でもそんな大上段に構えた言い方はあまりしたくない。むしろ先生の方は淡々と治療されているだけじゃないかと思うし、それでいいのではないかと思うのだ。弱っている患者は投げかけられる言葉の一つ一つに過剰反応をしてしまう。対応如何でえらいことになる。そう考えると医師という
職業は大変だ。でも医師=人格者=名医という考えは間違いなく患者の奢りのような気がする。

 今日は変な文章になっちゃったな。何度書き直してもいい感じになれない。書かなきゃよかったかな?


評価
★★


書誌
書名:お医者さん・患者さん
著者:吉村 昭
ISBN:9784122012240
出版社:中央公論新社 (1985/06 出版)中公文庫
版型:221p / 16cm / 文庫判
販売価:619円(税込)

2009年09月06日

阿刀田高著『プルタークの物語』〈上〉〈下〉

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 この本も発売される出版社は違うけれど、阿刀田さんの一連の入門書的古典シリーズになるのだろう。阿刀田さんもこの本の紹介を自分で次のように言っている。

このエッセイは古代ローマの時代に書かれた著名な古典<プルターク英雄伝>の翻案である。ややこしい内容を私なりに平易に綴って紹介する試みである。プルタークは(ギリシャ名はプルタルコス)は歴とした伝記作者であり、卓越した教養人として地誌、歴史、風俗、言語、哲学にも広い目配りをほどこして大著を著した。一般に<プルターク英雄伝>と呼ばれているいるが、正しくは<対比列伝>。ギリシャとローマの英雄二十二組のべ四十六人を比較対照して伝えるページが中核をなしている。(ほかに比較をしない四人がいる)内容的には稗史(民間の伝承物語)のたぐいを排除していないが、むしろ学術的な著述であり、一方、私の紹介はストーリー性の重視に傾く。

 ちなみに日本語訳は岩波文庫(今でもあるのかな?)と筑摩文庫、それに潮文庫であるらしい。実は私は筑摩文庫の『プルターク英雄伝』をもっている。


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 この本は上下本なのだが、上巻の方はあまり面白くなかった。というのも私がほとんど知らない人物たち(伝説の英雄もあるが)の記述だったからである。せいぜいスラぐらいか。そのスラを阿刀田さんは「善悪けた外れスラ」と評し、やたら決まり事に忠実であるが故にそれのよって物事を判断する、あるいは善悪を決める、堅物、融通のなさを面白く伝えている。

 少し話は脱線するが、私は西洋史をやっていたにもかかわらず、興味が西洋中世史向いちゃったものだから、ギリシア史いつの間にか頭の中から抜けちゃった部分がある。その地形さえ、そうで、改めて地図を見て、そうだったと思い出す始末だ。
 この本を読んで「オストラシズム」という言葉が出てきた。思わず懐かしい!と思ったのだ。そうだったそういう政治システムが古代ギリシアにはあったよなと思ったのだ。ちなみにオストラシズムとは阿刀田さんの言葉を借りれば次のようになる。

 貝殻追放と訳されることも多いが、これはむしろ誤訳であり、陶片追放が正しいようだ。
 古代ギリシャでは、とりわけアテネでは一人の有力者に権力が集中するのを嫌う傾向が強かった。
 「独裁者が出るのはよくないなからなあ」
 「まったく」
 そこで危険人物の名を陶片に記して投票し、一定数を超えたら、その人物を数年間国外に追放したのである。陶片を貝殻と取りちがえたため長く貝殻追放と言う言葉が用いられてしまった。


 さて私はやっぱり下巻の方が面白く読んだ。なぜなら下巻はアレキサンダー大王、カエサル、ポンペウス、小カトー、キケロ、ブルータス、アントニウス、クレオパトラ、オクタビアヌスとかが出てくるからである。なんかそれら、特に古代ローマ時代のゴシップを読んでいるみたいで、確かにそれも“歴史”なんだろうけど、あまりにも品行のあまりよろしくない行動を、裏面とでも言うのか、隠された部分とでも言うのか、ちょっとしたエピソードとして読んでみると面白かった。
 阿刀田さんの言うとおり、「プルタークの<英雄伝>は、英雄たちの表舞台での活躍を語るばかりでなく、こまごまとした個人的エピソードを綴ることにおいても際立っている」。たとえばカエサルの女癖の悪さを、「カエサルは戦の名人でもあったが、女性方面にもなかなか堪能の人で“カエサルの行くところ敵もいなければ処女もいなかった”とか」と言ってみる。(もちろんこれは阿刀田さんが面白く言っているのだろう)
 またローマでカエサルを殺そうと企んでいる雰囲気があるので、周りのものが護衛をつけましょうと勧められても、「いや、いつもびくびくして死を恐れてるくらいなら、ひと思いに暗殺されたほうがいい。人々の好意に包まれているのが一番の護衛だ」と言ったとか、書かれている。
 ポンペイウスに関しても、当人の才能、勇気もさることながら、ポンペイウス自身微妙に運がよかったと言い、ポンペイウスの行くところ不思議に相手が“こけて”しまうから台頭できたと言うのである。当然そうした運のよさは、ポンペイウスの後半生にそのつけを払わなければいけなかった。
 あるいはカトーの堅苦しさを「カトー(ここでは小カトーのこと。ちなみに大カトーはあのカルタゴを滅ぼせと声高に主張した人物。小カトーは大カトーの曾孫)は身内の女性の不品行に悩まされることが多く、この異父妹のみならず、もう一人の妹も、カトー自身の妻も、よくない評判を立てられる。正義一徹の家長のもとでは、ほかの者たちは息苦しく、ついつい踏み外してしまうのかもしれない。カトーが愛した弟も(若くして死んだが)『兄さんのような質素な生活はできない』とこぼしていた」として紹介している。
 キケロの弁舌のうまさも、彼が死刑を宣告するとき「その人たちは、生きた」と過去形で宣言したそうだ。それはローマでは不吉な言葉を避け、“死んだ”とは言わず、“生きた”と過去形を用いて言ったのである。“生きている”ではなく“生きた”という修辞法を用いて死を伝えたわけだ。

 私は筑摩文庫版の「プルターク英雄伝」を持っているので、有名な人物だけでもつまみ読みしてみようかなと思っている。というのもこれを最初から読めるかどうか自信がないからだが、でも原本も面白そうに思えたので、今本棚から出して手元に置いている。

評価
★★★


書誌
書名:プルタークの物語〈上〉
著者:阿刀田 高
ISBN:9784267018015
出版社:潮出版社 (2008/07/05 出版)
版型:369p / 19cm / B6判
販売価:1,785円(税込)


書誌
書名:プルタークの物語〈下〉
著者:阿刀田 高
ISBN:9784267018022
出版社:潮出版社 (2008/09/05 出版)
版型:385p / 19cm / B6判
販売価:1,785円(税込)

2009年08月29日

北尾トロ著『ぼくに死刑と言えるのか』

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 トロさんの新しい裁判傍聴記をお店で見かけたので、さっそく読んでみる。この本の最初にトロさんは次のように言う。

 初めて裁判を傍聴してから、かれこれ6年になる。その間、ぼくが好んで見てきたのは、新聞にも載らないような小さな事件の数々だった。有罪になってもせいぜい刑期が3年とか5年で、ときには執行猶予もつくレベルのものだ。

 そうだった。そんな小さな事件だったからこそ、その犯罪を犯した被告たちも人間的にその程度人間で、だからこそ茶々も入れられるし、呆れて笑えたのであった。そんな事件の裁判だからこそ、裁判そのものがコメディーにもなっていて、読む方はそれが面白かったのだ。
 ところが前振りでトロさんが今までの傍聴した事件をわざわざこのように言うのは、今回は違うと言いたいがためである。今回は自分が裁判員制度のよって裁判員に選ばれた場合、どう対応したらいいのか。そのための準備として、今度は殺人事件のような重大事件の裁判を傍聴してみようというのが、今回の企画である。
 まあ企画はいい。ところがトロさんの態度が今までのトロさんとはまったく違う面を見せる当たりは少々驚いた。

 「おいおい、どうしたんだ!」

 「今までのようにびっしと言ってやれ、こいつはやっていると!」

 「何ゆれてんだ!」

 確かに今回は今までのようなせこい事件じゃない。殺人事件である。場合によっては無期、死刑だってあり得る裁判である。また自分が裁判員になったと思ってシミュレーション的に裁判を傍聴している。だからトロさんは検察、弁護士、あるいは証人、被告の意見をじっくり聞いている。今までのような被告のいい加減な態度で「こいつは懲役5年だな」と勝手に刑期を決めるわけにはいかない。
 まして被告が事件を否認していて、見方を変えることによってどうにでも解釈できる事件は、そう簡単に有罪か無罪か、あるいは無期か死刑か言うのは難しいだろうなとは思う。有罪だと言うためには、確信が必要なのだ。確信なしに有罪と言うことに、かなり抵抗を感じてしまう。人間の心理として、迷いがあると言いにくくなるのだ、とトロさんは言っているが、まさにその通りだろう。
 しかも傾向としてトロさんは被告人に肩入れしがちなところがある。その上情にもろい。被告の父親が涙を見せて謝罪するのを聞けば、自然と涙腺がゆるんでしまうというくらいなのだ。
 いくら有罪判決を下す意味は重いからといって、裁判員制度では3名いる裁判官のうち最低1名が有罪としないかぎり、裁判員全員が有罪だとしても、その通りにならいというシステム(無罪は別で、裁判官、裁判員含めて、多数決で決まるらしい)があっても、ここで自分の意見を確信を持ってはっきりと言えるのはかなり難しい。だってそこで今後の人の一生が決まってしまうのだから余計であろう。だからトロさんも真剣にならざるを得ない。
 トロさんは裁判員制度による模擬裁判にも参加している。その時同じように参加していた人はびっくりするほど自分の意見にこだわり、曲げようとしなかったという。それはいい加減なことを口にしてただその場をやり過ごし、後で後悔したくないという意識が働いたんじゃないかとトロさんは言っている。

 そうだろうな。

 はっきり言って裁判員なんかに選ばれたくはない。だけどもし選ばれちゃって逃げようがないなら、いい加減なことは言いたくない。きちんと意見を聞いて判断したいと思うのは当然であろう。野次馬的に「こいつは死刑だ!」と簡単に言うわけにはいかない。
 裁判員制度では刑が重くなる。あるいは死刑判決が多くなるんじゃないかと言われている。それは今までの裁判が判例主義の基づいて、市民感情を反映していないからだと言うことなのだろうけど、でもトロさんの言うことを聞いていると、そう簡単に人を死刑にすることはできない気がしてくる。感情があるからこそ逆に、死刑を回避できないだろうか。または死刑という決定を自分の中で持ちたくないという意識が普通の人間なら働くはずである。だから巷で言われているような刑が重くなる、あるいは死刑判決が多くなると言えない気がする。もちろんそれは判決の結果であって、その統計をとって言えるわけであって、しかもそれはたまたま統計を取ったらそうなったということなんじゃないかと思う。基本的にいくら裁判であっても人を殺したくないはずだ。

 一方で被害者の家族や遺族はそうじゃないだろう。被告が何人殺したって、大切な家族が殺されれば、被告を死刑にして欲しいと思うのは当然である。殺された家族の悲しみから、自分たちの気持ちを少しでも癒そうとするには、被告を恨むのが一番手っ取り早い。そしてたぶん人はそうすることで人の死から癒されようとするのだろう。だから二人以上殺せば死刑というのでなく、一人でも大切な家族が殺されれば、その償いとして死刑を望むのだ。非常な言い方かもしれないけれど、被害者家族が被告に死刑を望むのは、結局自分の悲しみから少しでも開放されることを望んでいるからだ。それを望めば少しは気が晴れるからである。死から癒されるからである。
 でも殺されたという事実はそこにあるわけだから、それはどういう形であれ償ってもらわなければ、社会が成り立たない。私はこの本を読んでいて思ったのは、日本の裁判は被告の更正を最優先にしているんじゃないかと思うのである。その可能性が少しでもあれば無期もしく有期刑なのだ。刑務所で更正しろというのだ。そしてその望みがまったくない場合死刑となる。けれどそうじゃないだろうと思う。まずは罪を償うことが先だろう。そう思うのだ。更正させるのはその次である。絶対に罪を償わなければならないという意識を持たさなければならないと思うのだ。そうでなければ被害にあった家族や遺族はやりきれない。私は遺族や家族が被告に対して死刑を望むのは極めて自然な姿だと思っている。


評価
★★


書誌
書名:ぼくに死刑と言えるのか―もし裁判員に選ばれたら
著者:北尾 トロ
ISBN:9784904676011
出版社:鉄人社 (2009/07/30 出版)
版型:255p / 19cm / B6判
販売価:1,365円(税込)

2009年08月27日

阿刀田高著『新約聖書を知っていますか』

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 今度は新約聖書である。阿刀田さんは「旧約聖書のほうはイスラエル建国史と読める部分もあるから、まだしもやりようがあるけれど、新約聖書は徹頭徹尾信仰と結びついている」と言っているように、この本を読んで、新約聖書は信仰をどう考えるかに尽きるような気がする。しかも私みたいに信仰を持たない人間にとって、新約聖書の言葉は基本的に理解しにくい部分がどうしても残ってしまう。

 ここにミケランジェロの「ピエタ」がある。


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 この本を読んで知ったのだが、ミケランジェロの「ピエタ」は四作あるそうだ。その中で一番有名なのがバチカンにあるこの「ピエタ」である。後の三作をネットで調べてみると、これがミケランジェロの作品?と思えるほど、見栄えが悪い。中には作成中といったものさえある。
 阿刀田さんは、処刑されたイエスを抱きかかえるマリアの姿に美しさと神々しさを感じているが、確かにこれが人が彫った彫刻なのかと思えるほど、この作品の完成度は言葉が出ないほどだ。
 この「ピエタ」から阿刀田さんはイエスが十字架に懸かり、復活する意味を次のように説明する。

 神が実在し、自分が神の子であることを証明する方法として、(それだけが目的ではなかったろうが)病人を癒したり、超自然的な技を演じて見せたりしたが、それだけではまだ迫力が足りない。伝聞であったり偶然と思われたりして、説得力を欠く。そんなイエスが、ある日、忽然と得た啓示が“十字架に懸かり、三日後に復活する”であった。預言書にもそんなことが記してある。それを実現することが神の子の証明であり、それによっていっさいのロジックが生きて意味を持つ。先に私が“復活はイエスとその信奉者にとって、このうえなく大切なことであった。信教の存亡にかかわる重大事であった”と書いたのは、このことである。イエスは絶対に復活しなければいけなかったのである。

 とにかくここに書かれるイエスが行う奇跡は私みたいに信仰を持たない人間にとって、ただ“胡散臭い”だけであって、これがどうして信仰に結びつくのかわからない。
 阿刀田さんも私同様信仰を持たない人と言っているので、イエスが行う奇跡、復活を推理小説家としてそのトリックとして説明する。私も阿刀田さんのこの説明の方が受け入れやすかった。
 例えばマリアの処女受胎にしたって、昔、ナザレという町にマリアという名の娘がいて、ヨセフと婚約していたが、よんどころない事情により、他の男と交わり身籠もってしまった。それを知ったヨセフはいったん婚約を解消しようと思ったが、マリアの人柄の良さや愛情の深さを感じ、さらに生まれてくる子供には何ら罪はないと考え、二人は結ばれ、そしてイエスが生まれた。
 イエスが手を触れれば、病気が治るというのも、その人が心因性の病気の人であった可能性が高い。湖の上を歩いたというのも、単に湖の浅瀬を歩いただけなのに水上を歩いたと宣伝されたか、あるいは湖の浅瀬を歩いていただけでも見る方向によって水上を歩いたようにだって見えるだろう。結婚式の酒が上等な酒に変わったのも、単にイエスのスピーチがすばらしかったから、それを聞いた出席者が大きな喜びを感じただけであって、酒が上等なものに変わった訳じゃなくて、気分がそう感じさせただけのことだ。
 イエスの復活だって、復活したイエスがその姿をあらわすのは弟子の前だから、口裏を合わすのは簡単だったろう。マグダラのマリアだって言い含めていたのだろう。
 イエスの墓には遺体がなかった。復活のためには遺体があっちゃまずいからだ。イエスのシンパがイエスが生前言っていた復活を画策し、それを実行しただけのことだ。遺体を他に移したのだ。だから復活は墓より遠く離れた場所のガリラヤである方がいいに決まっている。
 たぶんそういうことなんだろう。

 しかしイエスの奇蹟、復活がこのように説明がつくとしても、イエスを信じる人にとってはそれは意味をなさないのだろう。聖書に書かれたことを、そのまま信じることが意味をなすからだ。大切なことは「信じること」なのだ。それを「そんなことありえんだろう!」と言っちゃおしまいなのである。
 阿刀田さんが言うように、「大切なのは、原因がなんであれ人々に奇蹟を信じさせるような偉大なイエスが実存していたことのほうである。事実に近い奇蹟もあったろうが、まるっきり作り話もあっただろう。だが、いずれにせよ、奇蹟のエピソードは一つの比喩であり、イエスの偉大さを大衆に伝えるためには、こういう伝達方法が適していた、ということだろう。事実の報告だけが伝達の手段ではあるまい」。
 そしてイエスが人を信じさせるテクニックに優れていたことに尽きるんじゃないかと思ったりする。阿刀田さんは「イエスの言葉は、たとえ話であったり、質問に対する断片的な返答であったり、戒めであったりして、まっ正面から教義の中核を語っているものは思いのほか少ない」と言っている。このことはイエスの性格である皮肉屋で韜晦趣味的傾向から由来するにしても、何から何まで、至れり尽くせり説明はしない。適当なところで止めている、と言えないだろうか。意味深長な言葉を残されれば、後は自分で考えるしかない。そこがポイントなのだ。考える人が置かれている環境によっては、あるいは性格によっては、イエスは神の子ともなるだろうし、ペテン師にもなるような気がする。
 そうしてイエスの教えを最初に広めたオルガナイザー的存在のパウロがいたからこそ、キリスト教は広まっていった。それはローマという時代背景も大きな意味を持つ。キリストの教えにすがりつかなきゃ生きていけない民衆が多数いたからである。信じるしかない状況に置かれた人間が数多くいればいるだけ、その宗教は広まっていくはずだ。

 私は何度も言うように信仰を持たない人間である。だから信仰という問題にこれ以上は何も言えない。そしてたとえそれが一種のペテン的記述であっても、それを信じることで、生きる意味を見出し、思想、文学、哲学、美術、音楽等、いわゆるヨーロッパ文化が生まれているなら、それはペテンでも何でもなくなると思っている。実際偉大さも、尊敬も感じている。信仰がなければそんな文化など生まれるわけがない。


評価
★★★


書誌
書名:新約聖書を知っていますか
著者:阿刀田 高
ISBN:9784103343165
出版社:新潮社 (1993/11/15 出版)
版型:265p / 19cm / B6判
販売価:入手不可 文庫本あり

2009年08月25日

阿刀田高著『旧約聖書を知っていますか』

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 この本以前から気になっており、読んでみたいのだけれど、一方で手に負えない感じがしてしまい、手には取るのだけれど、また本棚に戻してしまうことが続いた。要するに昔から聖書について、どこから手をつけていいのかわからないところがあって、その気持が読むことに尻込みさせるのである。
 大学時代西洋史学を専攻しておきながら、根本的なところで聖書に手をつけずにきてしまった負い目みたいなところが自分にはあるのだ。聖書も読まずに何が西洋史学だと言われそうなのが嫌だったのである。で、ここで気を新たにこの本を読むことにした。それでこの本かよとも言われそうだが・・・。だってお恥ずかしい次第だが、この本を読むまで預言者を予言者と同じだとずっと思っていたのだ。ちなみに聖書の世界では預言者と書き、決して予言者とは書かないそうで、予言者は易者のように未来に起きることを予め言う者であって、預言者とは神の言葉を預かって言う者なんだそうだ。

 まずこの阿刀田さんのこの本を読んで知ったことを時系列的にまとめると次のようになるようだ。
 旧約聖書は天地創造から始まり、アダムとエバを作る。(エバはアダムのあばら骨を取って作られた)そして有名な禁断の実を食べてしまい、楽園を追放される。
 楽園を追放されたアダムとエバはカインとアベルを生む。カインは土を耕す者となり、アベルは羊を飼う者となるが、ところがカインはアベルを殺してしまい、神の怒りを買い、エデンの東をさまよう人となる。アベルは殺され、カインもどこかへ行ってしまったので、アダムとエバはまた子供を作り、その系図が続いてノアに至る。
 ノアの時代になると、どいつもこいつも悪事を企み、神をないがしろにする。神は失敗したと思い、世界をもう一度作り直そうとするが、ノアの一族は神を敬うことを忘れなかったので、神はノアに大きな箱船作らせ、洪水に備えさせる。そして洪水が去った後、ノアの一族、連れてきた家畜を外に出させた。神はノアの子孫の繁栄を約束し、この流れからアブラハムに至る。
 ノアの時代には地上の人間は同じ言葉を話していたが、人々は神に近づこうとして天まで届く塔を建てようとした。神はこのまま放っておけば人間は何をしでかすかわからないから、それまで話していた言葉を通じないようにした。当然共同作業の塔作りはできなくなり、作りかけのまま人々は四散する。こうして世界にはさまざまな言語が生まれたという。塔はバベルの塔と呼ばれたが、バベルとは“乱れる”という意味である。
 さてアブラハムの子がイサクで、イサクの子がヤコブ、ヤコブの子がヨセフと続く。そしてその四代あとに生まれたのがモーセである。
 モーセは“出エジプト”で有名だけど、なんでイスラエル人がエジプトいて、そこから脱出しなければならなかったのかとかねがね不思議に思っていた。この本によると、ヤコブは子沢山で、その中にヨセフがいた。こいつが兄の気持ちも察せずに、兄たちが自分にひれ伏す夢を見たことを伝え、それが生意気だと喧嘩になり、穴に突き落とされる。それを通りかかった隊商が見つけ、隊商たちの手でヨセフはエジプトに売り飛ばされたのだった。
 ところがヨセフはその得意な才能を発揮し、エジプト王に重用され、その一族はナイルの地で住みつく。そのうちイスラエル人は力を蓄え始め、あなどりがたい勢力となっていく。それがエジプトの反感を買い、迫害にあう。その生き残りがモーセであり、彼は仲間を救いだし、エジプトを出て、カナンに行けという神の声を聞く。その脱出行が映画の“十戒”の有名な場面となるわけだ。エジプトを出て三ヶ月後、モーセはシナイ山麓で神の言葉を聞く。それが十戒である。それを石版に刻み、それを納めた箱が聖なる箱として以後鄭重に扱われる。関係ないかもしれないが、これがインディージョーンズの『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』なんだろう。
 さて、イスラエル人はシナイ山麓でヤコブの子孫を祖先にして十二の部族に分かれて生活し、その後モーセの後を継いだのがヨシュアであり、ヨシュアはカナンの地を征服する。
 その後十二の部族は王を一人立てまとまろうとし、預言者サムエルに神の声を聞き、ベニヤミン族のサウルを選び王とする。しかしサウルは奢り、予言者サムエルはサウルを王にしたことを後悔し、再度神の声を聞く。神はベツレヘムにいるエッサイの息子に王となるべき者がいる言い、それがダビデであった。ダビデは末っ子ということもあって、弱そうであったが、ある時ペリシテ人との戦いで豪傑ゴリアトと誰もが戦いを尻込みしているところに「なにびびってんの?僕がやっつけてやる」と言い、石を紐に結びつけ、それをゴリアトに投げつける。それが額に命中し、ゴリアトは崩れ落ちる。すかさずダビデは剣を抜き、首を斬り落とす。この石を投げる前の姿があのミケランジェロのダビデ像である。右肩に石を持っているでしょう。



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 私は知らなかったがヴェロキオのダビデ像は足元にゴリアトの首が転がっているやつがある。



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 次にダビデ王の時代となる。ダビデは家臣のウリヤの妻パト・シェバの美しさに目を奪われ、彼女をものにするが、子供が出来てしまった。当然このことでダビデは神の怒りを買い、骨肉の争いが起こり、その罪を償わされる。ダビデはなんとか悔い改め、正式にパト・シェバを妻にし、また男の子を産む(先の子は神に怒りで死んでしまっていた)。それが英雄ソロモンである。
 ソロモンは新進的な王であったらしく、イスラエルの神にこだわらず、他の民族の神の存在を認めた。また神殿や宮殿に多くの国費を費やし、奢侈に流れ、民衆の信頼も神の信頼も失い、以後イスラエルは北イスラエル王国と南ユダ王国の二つに分かれるが、北王国は紀元前722年にアッシリアに攻められ滅亡。南王国も紀元前586年新バビロニアのネブカドネザル王に攻められ滅亡する。この時多くのイスラエル人がバビロンに連行される。所謂“バビロン捕囚”である。イスラエル人が再びカナンの地に戻るのはペルシア王キュロスが君臨した紀元前538年からである。ヘロデ大王の紀元前40年イスラエル人の王国が再建されるが、これも分裂後紀元70年に第二神殿が炎上し、以後イスラエル人は拠り所となる国を失う。彼らが再び国を持つのは1948年イスラエル建国を待たなければならず、その間約二千年の長きにわたり世界の各地で流浪することとなる。
 
 以上が旧約聖書をもとにしたイスラエルの歴史というところだ。この後阿刀田さんによれば、聖書の記述は複雑になるらしい。私が興味のある記述は、イザヤの書である。これは所謂預言の書というもので、バビロンの捕囚以後苦しい現実を前にして、ダビデの血筋から救世主が現れると言っているのである。それがイエス・キリストであり、そこから新約聖書が始まるので、旧約と新約の接点がここにあるのだと阿刀田さんは言っている。しかしユダヤ教では救世主の到来を預言しておきながら未だ現れていない。イエスを救世主として認めていないらしい。

 しかし思うのだけれど、イスラエル人の信仰は厳しい。いや、神が自分以外の神を信じることを認めない。だから少しでもそれに背くと、罰が与えられる。ひたすら罰が恐ろしいから、一心に自分たちの神を信じる。その神を信じていれば自分たちだけは救われるということにもなる。そうした背景があるから“選民思想”は強くなり、イスラエル人の団結がいっそう強固になる。
 ところがこうした融通の利かない民族は、多民族とうまくやっていけないのではないのかとも思ってしまう。他の民族からすれば、ひたすら自分たちの信じる神だけを信じ、自分たちだけが選ばれ、救われるといい続けられれば、やりにくて仕方がないだろう。協調性がないと思われても仕方がないような気がする。ユダヤ人の迫害が歴史上何度も起こっているのは、経済的理由によるものが大きかったと言われるけど、一方でこうした選民思想の塊である民族とうまくやれない関係が、そうした迫害のターゲットになっていった気がする。そしてそうした迫害が起これば起こるほど、ユダヤ人はさらに自分たちの団結を強める結果となり、それが他民族の憎しみをまた買うことになる、悪循環を生んだのではないかと思った。民族、その歴史は尊敬するけれど、偉大な民族は大変だね。

 最後に阿刀田さんの言葉が気に入った。この本を書くに至った理由を次のように言う。

 読書は楽しいことであり、大切なことでもあるけれど、人生にはほかにも楽しいことがたくさんあるし、大切なことはさらに多い。古典なんか読まなくたって、りっぱに生きていける。そういう人生もいくらでもある。
 そういう考えに立ったとき、古典は原点をしっかり読むのがよいにきまっているのだが、現実問題としてそうそう読めるものではないし、不充分ながらも知っておけば、ほかのことを考えるときに役に立つ。軽いダイジェストのようなものがもう少しあってよいのではあるまいか。私の、このエッセイは、そういう目的で綴ったものである。
 もう一度くり返して言うが、原典を読むのが一番よいのである。
 だが、旧約聖書について言えば、簡単に読めるものではない。研究者でもない限り、全巻をきちんと読むことは不可能である。断言してよい。普通のサラリーマンが信仰もないのに、電車の中で旧約聖書を読んでいたら、
 -狂ったのと、ちがうか-
 と私はそう思いたい。理想は理想として、この古典について読めないのが普通である。

 こういう風に書いてくれるとうれしくなる。人によって読める本と読めない本があって当然なのだと言ってくれるわけだから、私が聖書を手にしなかったことも、ある程度許されそうな気がする。
 一方だからといってそれでいいかというとそうも行かない部分がある。こうして本を読むこと、あるいは絵画など鑑賞する場合、ある程度聖書の知識があった方が、その奥行きを知ることができる。そういう意味で阿刀田さんのこのシリーズは非常に助かるのである。


評価
★★★


書誌
書名:旧約聖書を知っていますか
著者:阿刀田 高
ISBN:9784103343158
出版社:新潮社 (1991/05/25 出版)
版型:290p / 19cm / B6判
販売価:入手不可 文庫本あり

2009年08月20日

吉村昭著『昭和歳時記』

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 この文庫は平成8年に出版されているようだが、13年経った現在ではもう手に入らない状態になっているのは驚きである。確かに電化製品の部品が約5年から10年ほどでなくなる時代だから、13年経ってこの文庫本が手に入らないのは仕方がないのかもしれない。
 さてこの本は以前読んだ吉村さんの『東京の下町』の姉妹編である。書名に『昭和歳時記』といっている以上、昭和にあった風物詩がここでは描かれるが、その殆どが今、姿を消しているといっていいかもしれない。
 いやそれ以前に1955年(昭和30年)から1973年(昭和48年)の高度成長期が、それまであったものを時代遅れのものとして捨てていき、それが忘れ去られていったのではないかと思う。
 吉村さんは「衣服その他身につけるものは、明治、大正から昭和にうけつがれてきたが、昭和三十年頃に一挙に消え去ったものが多い。それは蚊帳が家庭から姿を消したのと一致している、と、なんとなくそんな風に思っている」と言っているところからも、それに間違いはなさそうである。
 ただいつも思うのだけれど、私の生まれた昭和31年はまだその高度成長期が始まったばかりだったから、自分の子供の頃にはまだ戦前・戦後の風物詩が多少残っていたのではないか。それが私の記憶にあるような気がする。しかも私は東京の下町育ちなので、高度成長期の波がまだここに全部きていなかったのではないか。だからここに書かれる風物詩を共有できるところがあるのである。
 もちろん昭和2年5月1日の生まれの吉村さんのように戦前・戦後を体験してきたわけじゃないから、私の記憶にあるのは戦後残されたものの一部というところだろう。

 一時“昭和ブーム”みたいなところがあって、そのレトロ感が郷愁を誘うような風潮があった。まぁ、平成元年生まれ私の息子が今年の1月に成人式を迎えたのだから、昭和が終わって20年経っているわけで、郷愁を誘うものになっても不思議じゃないかもしれない。
 ただ吉村さん「人間はとかく過去を美化しがちだが、『古き良き』などと軽々しく言ってもらっては困るのである」とそういう風潮に釘を刺している。過去がすべて古き良きものであったはずがなく、不便で非衛生的で、汚い部分もあったはずで、現代の方が圧倒的に社会生活が快適になっていると言っているのである。こういう客観的な比較がきちんとできて、この本は書かれているので、手放しで“あのときは良かった”と言われないところが読んでいて心地よかった。
 昔を振り返るとき、今から比べればおもちゃみたいなものであっても、必ず郷愁というものがそれを美化してしまうところがある。確かに何でもかんでも機械にやらせる今の道具から比べれば、この当時のものは基本的にマニュアルだったからどうしても人間の手や力がどこかで及ぶ。それを人間的だと勘違いする言い方は基本的に私は気にくわない。どう考えたって、今の方が便利はずで、その方が便利なら、あるいは楽だと思うなら、はっきりとそういえば言えばいいと思うのだ。
 私はそういうことを言う輩が、一昔前に戻ったら、果たしていつまでそれに堪えることができるだろうかと思う。当時が“良かった”というのは、視点を現在に置いているから言えるのであって、本当に当時は良かったのかどうかはまた別問題だったろう。当時はそんな方法しかなかったから、そうしていただけであって、もっと改良の余地があればそうしていたに違いない。限界がそこまでだったから、そんな粗末な(今から見れば)もので済ませていただけのことである。それを今復活したところで快適になれるはずがないと思う。
 確かに何でも過ごしてきた時代を懐かしむことはある。それはそれでいい。けれどそれを美化だけする傾向はおかしいと私も思う。ノスタルジーは所詮ノスタルジーである。それだけである。


評価
★★


書誌
書名:昭和歳時記
著者:吉村 昭
ISBN:9784167169312
出版社:文芸春秋 (1996/10/10 出版)文春文庫
版型:270p / 15cm / A6判
販売価:入手不可

2009年08月18日

吉村昭著『実を申すと』

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 何度も書いているが、最近私は吉村昭さんの随筆が気に入っていて、続けざまに読んでいる。どうして気に入っているかと、それなりに考えているのだけれど、要するに吉村さんの“やせ我慢”が好きなのである。その“やせ我慢”は吉村さんの見栄から発しているものなのだが、いかにも中年の無理がペーソスを醸し出していて、それが自分にも思いたるところがあって“よくわかるなぁ”と感じるし、“そうそう”と思い至るのだ。
 この本の「食」に関する文章で吉村さんが自分の姿がみじめったらしい姿に映ることを非常に気にされている。だから例えば食事のマナーにしても、たかが食べることなのになんでこんな窮屈な感じで食べなければならないのかと思いつつも、自分流に食べれば自分の姿がみじめに見えるかもしれないと思い、我慢する。でも本音はもっと好きに食べればいいのにと思っていることはちゃんと書き加えている。あるいはその方が美味しいはずだと言わんばかりである。
 吉村さんは戦前、戦中の人であり、その時苦労された経験があるところに、基本的にちょっと前までいた“一徹な生活人”であり、“律儀な人”なのである。ところが時代がそうした人を古臭い人間と見るようになってきているし、そんなに堅苦しいことを言わなさんなという風潮が当たり前ととなりつつある一方で、西欧的生活スタイルがあらゆる面で当たり前となってきているものだから、吉村さんの生き方や考え方がジェネレーッションギャップとなって、悲しい笑いを私に提供してくれるのである。笑うに笑えないところがよくわかり、読んでいて“そうなんだだよぁ”と思うのだ。あるいはよくぞ言ってくれたとも思うのだ。

閑話休題
 私は朝事務所の近くのドトールでコーヒーをテイクアウトして、会社に入る。毎日買うものだから、コーヒーチケットを買っておいて、それを出す。また、木曜日に社長と二人で仕事をしているときは三時にお茶をしているので、その時ドトールで買ったコーヒーを入れて飲んでいる。もちろん接客用にも使う。(これは会社出しではなく、私と社長と交互で負担している)
 あるとき店長からポイントカードを作ったらどうですかと言われ、いわれるままにポイントカード作った。それを作るに当たり私の名前や会社の住所などを記入したのだが、そのことでいつの間にか会員となってしまったらしく、毎月そのお店からはがきが来るようになった。
 このはがきはこれを持っていくとブレンドコーヒーを一杯サービスしてくれる。(はがきにはコーヒー一杯サービスしますとちゃんとかいてある)ところがこれがなかなか使えないのだ。これを使ってコーヒーをもらうのが恥ずかしいのだ。なんかせこいのではないのかと思ってしまうのである。あるいはなんか申し訳ないような気がしてしまうのである。儲けを減らしてしまうと思うのである。そういうサービスを期待して会員になったわけじゃないし、言われるままになっただけである。
 ポイントならそこで買ったものについて付加されるわけだから、そんなに気恥ずかしく使わなくても済むけれど、このはがきでコーヒーをもらうと、店の人間が私をせこい人間だと思うのじゃないかと思ってしまうのだ。どこかでちゃんと金を出して買えよと言っているんじゃないかと感じてしまう。だから堂々と使えない。
 最近は会社の同僚と飲まなくなったけれど、その彼と飲みに行くとお店の前で配っている割引券をしっかりもらったり、ぐるなびのクーポン券をちゃんとプリントアウトして、それを会計の時に出して、しっかりと割り引きしてもらう。私は酒を飲むときぐらいきちんとお金を払えよと思うのだが、彼にとってその行為は当たり前のことであって、権利としてそれを行使しているだけのことだから恥ずかしいことでもないみたいだ。それが今の人とっては当たり前であり、逆にそのくらいサービスしなさいよと言うところなのかもしれないが、どうもそういう感覚について行けないでいる。もちろん私だって割引は大好きである。大歓迎である。けれどそれをスマートに使えないだけなのだ。変な意地みたいなものがどこか自分の中にある。多分私の中にある融通の利かない古臭さがそうさせるのだろう。そして私が吉村さんの随筆を好むのは、そうした融通の利かない古臭さが吉村さんの文章には随所にあり、それが共感できるからじゃないかと思っている。結局小心者なのだ。

 さて、この本の解説を大河内昭彌さんが書かれている。この人がどういう人なのか知らなかったのだが、雑誌「食食食」の編集長だと知った。(この雑誌名「あさめし ひるめし ばんめし」という)実は私はこの雑誌二冊を手元に持っている。さっそく取り出してみると、確かに解説に書かれていたように吉村昭さんが連載している。しかも私の持っている35号には吉村さんの奥様も鼎談として参加されている。この雑誌今でもあるのかどうか知らないのだが、どうもネットで調べてみると、やたら古本屋さんの出品がヒットするので、もう出版されていないのかもしれない。でも面白い雑誌だと思ったので、そのままこの二冊は私の手元に残った。今、1983年(昭和58年)の雑誌のページをめくるのも楽しい。


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評価
★★★


書誌
書名:実を申すと
著者:吉村 昭
ISBN:9784480021526
出版社:筑摩書房 (1987/08/25 出版)ちくま文庫
版型:232p / 15cm / A6判
販売価:入手不可

2009年08月17日

吉村昭著『旅行鞄のなか』

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 またまた吉村昭さんの随筆を読む。もう完全に吉村さんの随筆にはまってしまっているのだが、まだ読んでいない随筆がだんだん少なくなってきているので、それを思うとゆっくりと味わいたい気分になる。もう新しい吉村さんの随筆は望めないなのだから。
 今回も吉村さんの身の回りのこと、あるいは小説のこと、そして旅のことなどがいつものように書かれているのだが、こうして同じ身辺雑記を読んでくると、なんか吉村さんの私生活がはっきりとわかってきて、それはそれで面白い。ああ、この人こうやって暮らしているんだな、と思えてくるのだ。その分身近に感じられ、もともと吉村さんの考え方や生きざまには共感する部分が多いだけに、ついつい「なるほど!」と思ってしまう。私はこの人みたいな一途で頑固な人が好きである。もちろん実際近くに接すことがあれば、ちょっと付き合いにくそうだけど、本の世界ではそういう現実がない分、気分だけを感じていればいいので、楽と言えば楽である。

 さてそんな中で「小説家と銀行」という文章で、吉村さんが家を購入するために、銀行にお金を借りに行くことが書かれているが、そこでには小説家は銀行の融資先として信用できないブラックリストに入っていると書かれている。だから銀行が小説家にお金を貸す場合、小説家の預金内に限られるというのだ。
 まぁ、小説家はいつも売れる本が書けるというわけじゃないからというところなのだろう。要するに当てにならないものにはお金は貸せないということだ。吉村さんは小説家はカタギじゃないから仕方がないし、それも当然と思われているようだ。
 でもカタギじゃないけれど、税金は収入のすべてが源泉課税され、それが税務署に報告される仕組みになっているから、脱税はできないといっているのがおかしかった。
 さらに小説家と税金の話をすれば、小説家が死ぬと遺された作品が今後どれほど売れるかを国税局で査定し、それが遺産に加算され遺族に相続税が課せられるという。
 カタギでない小説家は退職金はもらえないのは当然だけど、死後、その死によって逆に税金を払わないといけないのだと自虐的に書かれているのもおかしかった。
 有名作家が死ぬと追悼集とかその死を忍んで、生前の作品が大々的に売り出されるけど、あれも国税局は、作家の生前の人気で織り込み済みで、課税しているのかと思うと、薄ら寒く感じてくる。それがどれだけ正確なものなのか知りたくなってくる。もし国税局の予想に反して大いに売れちゃったりしたら、相続税は追徴課税されるのだろうか?逆の場合はちゃんと還付してくれるんだろうな・・・・。まあ思うに税金の徴収の仕方として、さっくりと多めに査定しておいて、その分先に税金を納めさせる。で、後で正確な数字がわかった時点で、「それじゃ、還してあげましょうかね」と言ってゆっくりと還付するのではないかと思ったりする。

 もう一つ気になる文章があった。「通夜、葬儀について」では、吉村さんが自分が死んだときは、これまで世話になった仕事の関係者に、死後までお世話になるのは申し訳ないから、葬儀は親族だけで済ますように遺書に書いていたという。その考えを菩提寺の僧に言ったら反対されたと書かれている。
 その僧は、葬儀は単なる仕来りにすぎず、お線香の一本でも、と言ってわざわざやってきてくれるのだ。その労力は並大抵じゃない。そういうことなのに、葬儀を営まぬ場合、死後も迷惑をかけたくないという故人の遺志とは逆に人に迷惑をかけることになると言ったという。
 確かに生前お世話になったから、心から冥福を祈りたい気持ちでお線香をあげに見える方がいれば、その気持ちはどうなるのだろうかと思う。またいわゆる冠婚葬祭として、お付き合いの葬儀の時もこういうのは困ることが多い。
 たとえば会社でお付き合いのあった人が亡くなられ、その葬儀はどうなっているんだとまず騒ぎ出すし、密葬だとわかれば、じゃどうすればいいんだと次に問題となる。
 会社としても知らぬ顔はできない部分があって、たとえつきあいとはいえ、できれば何とか葬儀に行って、お線香の一本でもあげれば形として済むのに、故人の遺志ということで、それに出席できないとなれば、会社としての体面をどうもっていけばいいか悩んでしまうことがたびたびある。そういうときははっきり言って迷惑だなと思う。
 故人としては、あるいは遺族としては、余計な迷惑を他人様にかけたくないというつもりであっても、それで済まない人も確かにあると思う。そういう意味では密葬というのは考えものかもしれない。この僧が言うとおり仕来りなんだから仕方がないと考えるべきなのかもしれないなんて思ったりした。
 もっともそういうのは有名人や会社のお偉方の話で、我々のような平凡な一般人で、平のサラリーマンである場合は、そんなに悩まなくてもいいかもしれない。
 私が死んだら葬式などいらないし、戒名なんていうのもいらない。焼いた後そのまま墓に放り込んでくれればいいと思っているし、家族にもそう言ってある。私は有名人でも何でもないので、私が死んで葬式をあげないということで、困る人はそれほどいまい。困るのは葬儀屋と寺の坊主だけだろう。
 でもふと考えたことがある。私が他人様の葬儀に出席するのは、そのほとんどが“お付き合い”からで、心底お線香の一本でもあげたいと思って葬儀に出席したことがない。逆に言えば、そういう気持ちを持たせる人がまだ亡くなっていないということだろうから、そう思えば喜ばしいことではあるかもしれない。


評価
★★★


書誌
書名:旅行鞄のなか
著者:吉村 昭
ISBN:9784167169244
出版社:文芸春秋 (1992/08/10 出版)文春文庫
版型:237p / 15cm / A6判
販売価:入手不可

2009年08月13日

松田美智子著『新潟少女監禁事件』

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 この本は平成2年11月13日に新潟県三条市で当時小学校4年生の女の子の行方不明となり、その後9年2カ月後、平成12年1月28日に同県柏崎市で発見され保護された事件の記録である。犯人は本ではSとなっているが、佐藤宣行(当時37歳)である。何故この男の名前をSとするのかよくわからない。たとえ精神的病気をかかえていたとしても、もう最高裁で責任能力ありとして刑が確定しいるのだから、Sとする必要はないと思うのだが・・・)

 基本的にこの著者は犯人の裁判を傍聴することで事件の真相に迫る手法をとっている。私はこの犯人が何故9年2カ月も少女を監禁し続けたのかその理由を知りたいと思ってこの本を読んだ。しかし得てして犯罪者の心理は理解できないのが、ここでもあった。我々正常な人間にとってこの犯罪が裁判所の判決(一審)が言うように「動機も自己中心的かつ身勝手極まりなく、酌量の余地は皆無」と感じても、犯人にとってはそんなの関係ないというところなのだろう。犯人が少女を長期間監禁したことを監禁と思っていないのだから話にならない。いけしゃあしゃあと女の子が自分を怖がっているとは思わなかったと言うのであるから、「どうして?」という疑問には答えてくれるわけがないのである。
 我々はことが起こる度にそのわけを知りたいと思うし、何故それが起こったのか、筋の通った理由があるものだと思うところがある。けれどその筋の通った理由というのは、我々一般の人たちの常識範囲内で説明され、その範囲内で理解できることなのだ。そこから逸脱した論理や理由は当然理解不能となる。もちろん犯人側にとってはそれが正当な理由であってもだ。
 そうすると次にどうするかといえば、犯罪者の生い立ちや生活環境に理由を見出そうとするし、病気の有無を確認し始め、そこに問題があれば、「それだ!」とわかったような感じになってしまう。どうしてもどこかでわかりたいのだ。しかし果たしてそれで本当にわかったことになるのだろうか?単純な恨みつらみならはっきりしているから、ことは簡単だろうけど、他人の内面なんて理解できるものなのか、私には疑問に思えてくるときがある。

 さて、事件は少女にとって残酷なものであったことは疑いのない事実だけれど、私はどちらかというとこの犯人の裁判の方が面白かった。裁判は最高裁までいく。一審では懲役14年の判決が出る。ただし当時逮捕監禁致死傷罪の最高刑が10年の懲役刑(現在は15年)だったので、それでは少女が9年2カ月監禁されていたことを考えれば、あまりにも刑が短すぎる。そこで窃盗罪を合わせて併合罪とすれば、逮捕監禁致死傷罪の10年から五割を加算して15年にできることから、検察は求刑を15年と要求し、それでもまだ足りないということで、「未決拘置日数を刑期に1日も加算すべきじゃない」と異例の意見を加える。裁判所はほぼ検察の意見を認め、逮捕監禁致死傷罪で懲役14年の判決を下した。(未決拘置日数は刑期に加えられた)
 ところが控訴審では、それが破棄され、懲役11年の判決が出る。高裁の言い分は、逮捕監禁致死傷罪の最高刑が10年である以上、それ以上の刑期を下すのは刑法上の解釈の誤りだとしたのだ。併合罪を構成する個別の罪について、その法定刑を越える趣旨のものとすることは許されないというのだ。だからあくまでも逮捕監禁致死傷罪は10年が最高刑であり、それに窃盗罪をその法定刑の範囲内で加算すべきで、逮捕監禁致死傷罪の1.5倍は間違いだとしたのだ。そしてこの犯人の窃盗罪は軽微なものなので1年とし、合わせて11年としたのである。
 面白いのは高裁はこの逮捕監禁致死傷罪が10年であることが国民感情として軽すぎるとするなら、法律を改正するしかないと逃げ道を作っているのである。
 当然検察は最高裁に控訴する。当たり前である。最高裁は今度高裁の判決を破棄して、改めて懲役14年の判決を下す。但しこれは刑期の14年は同じだが、一審の判決を完全に支持したのではない。
 最高裁は併合罪の解釈について、それぞれの罪に個別の刑を合算するのは誤りで、法律上認められない。あくまでも全体を統一して処罰すべきだとしたのだ。当たり前である。窃盗罪として、この犯人が盗んだものは監禁した少女に着せるためのキャミソールなのだ。こんなこと最高裁まで行かなきゃわからないのかと思ってしまう。その上で逮捕監禁致死傷罪と窃盗罪を併合罪加重を行った場合、懲役3月以上15年以下となるので、14年が相当という判決を出したのだ。
 法解釈というのは不謹慎かもしれないがおもしろいものである。同じ14年の刑期でも地裁と最高裁で解釈の仕方が違うのだ。裁判というのは我々一般人からすると“茶番劇”みたいなところがあるんじゃないかとこの本を読んでいて思ってしまう。例えば高裁での弁護側の言い分には呆れる。監禁が9年2カ月も続いたのは、警察の不手際であって、今回偶然事件が発覚したため9年2カ月で済んだというのだ。確かにそうかもしれないけど、だからといってそれで済む問題じゃない。さっさと犯人を捕まえれば刑が軽くなったという弁護はおかしい。いったい弁護というのは何のためにするのだ。被告の人権を擁護するのは結構だけど、どう考えても酌量の余地のない犯罪に弁護はおかしいだろうといつも思う。行きすぎを抑制するのが弁護の仕事なら、それをすればいいのであって、ただクライアントの要求で刑を否定したりするだけだったら、いる意味がないのではないか。いつもニュースを見てそう感じるのである。結局弁護士も商売なのであろう。クライアントの要求が通ってなんぼなんだな、きっと。


評価
★★★


書誌
書名:新潟少女監禁事件―密室の3364日
著者:松田 美智子
ISBN:9784022616081
出版社:朝日新聞出版 (2009/02/28 出版)朝日文庫
版型:322p / 15cm / A6判
販売価:777円(税込)

2009年08月12日

司馬遼太郎著『司馬遼太郎が考えたこと』〈3〉

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 読みかけていたこの本を読み終える。読んで面白いなと思ったことを書いてみる。
 それは司馬さんが小説を書く場合、どんなとき、どんな人物を小説として書いてみようと思うのか?ということである。その素材を見つける時はどんなときなんだろうと興味がある。その見つけ方というか、司馬さんの興味のあり方を次のように書かれる。

 某という人物その人生というものは、その某の人生が完結したあと、時間がたてばたつほど、私にとって好材料になるのようである。時間が経たねば、俯瞰ができない。俯瞰、上から見下ろす。そういう角度が、私という作家には適している。たとえばビルの屋上から群衆を見おろし、その群衆のなかからその某の動き、運命、真理、表情を見おろしてゆく。この俯瞰法(つまり歴小説を書く視角)で某を見るばあい、筆者は某そのひと以上に某の運命とその環境、そしてその最期、さらに某の存在と行動がおよぼしたあとあとへの影響、というものを知ることができる。たとえば織田信長を書く場合、どのように粗雑な態度の筆者でも、信長自身が知らなかったたった一つのことだけは知っている。それは本能寺でかれが自分の部将に殺される、という運命である。

 従って、「私は同時代の人間を(もしくは私自身を)書く興味をもっていない。理由は、最初にいったように「現代」では人生が完結していないからである」という。
 その上で、なおプラスアルファが必要だともいう。その人物が時代の変革期にいることである。その条件を満たしたとき、「自然、書くことが歴史小説になる」というのだ。
 そういう姿勢のだから、違う文章では「私は小説家であって、おなじく人間に興味をもつ教育者や政治家とちがう。だから『おまえはどんな人間像を期待するか』と問われても、答えようがないのである。そう在るような人間を書いているのであって、そうあるべき人間を書いているのではない」と言いきる。なるほどなと思った。

 そうして見つかった素材を小説にしていくとき、次のように注意していると言う。

 それぞれの創作家によって意見はちがうとおもうが、私の場合は、小説家には歴史を曲げる権利はないとおもっている。歴史は国民の共有財産であり、いかに小説であってもそれを勝手に変形していいものではないであろう。だから、私の能力のあたうかぎりにおいて正確を期したい。

 となれば当然多くの資料に当たらなければならないだろう。何かで読んだけれど、司馬さんが『坂の上の雲』を執筆されたとき、司馬さんが資料を集めたため、日露戦争関係の資料が神田の古本屋街でなくなったというくらい、正確を期するために多くの資料を読んで歴史小説を書かれている。これは大変なことだろうなと思うのだが、どうやらそうでもないようである。

 その正確を期すために先人の書いたものを読んだり、史料にあたったりするのだが、この段階のおもしろさというのは、私にとっていかなる娯楽にも代えがたいものである。
 かといって歴史家でないというのは、その段階を科学的精神と方法でやり、それを完結させるというのがその分野のしごとであり、小説家の場合は、その段階は単に創作的刺激をもとめるための予備運動にすぎない、ということである。いいかえれば、作家にとって資料というのは想像の刺激剤にすぎない。小説のたねではなく、あくまでも刺激剤なのである。

 ところがそうして資料あさりをしているとみごとすぎる歴史書に出くわしてしまった場合、ひどく困るという。それがあまりにも完全であるため、しかも文学的感動さえ与えてくれる歴史書を読んでしまうと、刺激剤どころではなく、想像の余地さえなくなってしまうものもあるという。
 このことは先日読んだ吉村昭さんの随筆にも似たようなことが書かれていた。吉村さんも歴史小説を書く場合、資料として例えば人物の伝記などを参考にする。その参考にした伝記が類い希な名著であり、史実すべてがその著作の中に詰め込まれていて、たとえ精力的に歩き回ったとしても、これ以上何も出てこず、これ以上手も足も出ない名著に出会ってしまうと、この素材を放棄するしかないと思うというのだ。
 私は大学で史学部を出ているけれども、そうした感動的な資料に出会ったことがなかったので、そういう歴史書とはどんなものなんだろうなと思う。もっとも大学では仕方がないからやってきただけだから、そんな本に出会えるわけがないだろうけど・・・。

 ところで、今度の30日には衆議院議員選挙がある。最近各政党では世襲議員の制限をやかましくいっている。いわゆる二世議員というやつだ。彼らは親の地盤を引きついでいるから、大した素質がなくてもその地盤を使って国会議員になれるから、よくないというのだ。
 だけどどうなんだろうなと思う。二世議員が親の地盤を引きついで議員になるのと、まったく政治に疎い素人が、ただ興味があるというだけで国会議員になるとどちらが素質的にいいのだろうかと思うのだ。もちろん機会均等ということは大切である。けれどその二世議員が子供のときから国会議員である親を見てきている。あるいはたくさんの政治関係者の中で育ってきているはずである。となればその二世議員が育ってきた生活環境は、どこまでも政治がつきまとう環境ではないのかと思うのだ。代々政治家を輩出してきた家では、そういう伝統だってあるだろう。そう考えたとき、ずぶの素人と二世議員のどちらが次の政治家として力を発揮できるのだろうかと思うのだ。何はさておき人脈がものをいうに決まっている。
 何でこんなことを言うかといえば、司馬さんが「日本というのは徹底した大衆社会というべきであろう」と言い、日本がヨーロッパの貴族階級のような支配階級が長つづきしなかったが、ただ徳川時代は例外である。武士の支配階級が三百年も続き、その精神美を作り上げた。明治もある意味それを引きついだが、終戦後それらすべて滅びた。以後大衆一枚きり社会となったと説明する。
 このことはそれまで持っていた重厚な伝統や美意識など関係なく、あるものはいかにも薄っぺらで、インスタントになったという意味を言っているからである。
 司馬さんはそうした貴族階級や支配階級の存在を肯定しているわけではないが、ただそうした階級の人々には重厚な伝統や美意識が骨の髄までしみこんでいるはずで、それ随順しようが、たとえ反逆しようがその社会(世界)にはそれに対応できる実容量あったはずだ。歴史とか伝統というのはそういうものであると言うのである。
 そうなのだ。二世議員のいる環境には「政治」という実容量があるわけだから、単に親の地盤を引き継ぐだけで政治家になるのはけしからんと言い切っていいのかどうかと思うことがある。もちろんどうどようもないボンクラもいるだろうけど、地盤も環境も政治とかけ離れた世界に住んでいた人間がある日突然政治家になっても、いったい何ができるというのか。二世議員の家にはそれまでのしがらみがあるだろうけど、大衆社会一辺倒になった今、そういうしがらみがない分、ある意味自由であるが、内容は薄っぺらいだけである。だからそれが政治家になれば恥知らずとなり、選挙民は単に政治家にたかるだけの存在となるだけなのではないだろうかという司馬さんの意見にはうなずいちゃう部分がある。

 えっ、東国原知事がいるではないかと言う声が聞こえそうだけど、あれは政治家じゃない。宮崎県知事を利用して国会議員になるという野望が見え見えだ。どこまで宮崎県のためにと思って行動しているか疑問がある。今回それが露呈したではないか。どう考えたって政治家の器じゃない。単に大衆社会の落とし子、あるいはあだ花だとしか思えないのである。


評価
★★★


書誌
書名:司馬遼太郎が考えたこと〈3〉
著者:司馬 遼太郎
ISBN:9784106467035
出版社:新潮社 (2001/12/15 出版)
版型:397p / 19cm / B6判
販売価:入手不可 文庫ならあり

2009年08月10日

吉村昭著『私の引出し』

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 この随筆の題名が“うまいなぁ”と思った。吉村さんは多くの歴史小説を書かれている。そのため日本全国取材のため歩かれている。それだけじゃない。心臓移植の小説も書かれていて、世界ではじめて心臓移植をした南アフリカまで取材のため行かれている。そのため小説では描かれなかったエピソードがそれこそ吉村さんの引出しにはたくさんあって、それをここで披露される。
 それを最初の引出し―小説の周辺、二番目の引出し―歴史のはざまで、三番目の引出し―街のながめ、四番目の引出し―遠い記憶、五番目の引出し―書斎を出れば、六番目の引出し―お猪口と箸と分け、取材で印象深かった出会いや思いがけない事実、その土地で出会ったおいしい食べ物の話、あるいは吉村さん自身の思い出などをさまざまところで発表されたものを引出しに見立てたものにまとめ、いかにもそこから引き出している感じで描かれる。読んでいてほのぼのとしてくる。
 いい随筆はおいしいお酒や食べ物と同じで、読む人がそれぞれ味わい深く感じればいいものだと思ってしまう。先に読んだ『ジョン・レノンを殺した男』で少々気分的に陰になっていたので、気分転換に誰かのいい随筆やエッセイを読みたいと思っていたのだ。最初司馬遼太郎さんの単行本を手にしたのだが、腰を痛めてしまい分厚い本を持ち歩くのが苦痛になり、急遽文庫本の吉村さんの随筆に切り替えた。でもそれでよかったようだ。腰を痛めて余計に気分が滅入っていたところであったので、吉村さんの随筆はちょっとした気分転換になった。

 さて、戦後間もない頃、吉村さんお父様が病気になり、大学病院へ入院することになった時の話である。当時は自動車などなくて、大学病院まで長いリヤカー(大八車みたいなやつか?)に蒲団を敷き、そこに寝かせて運んだという。亡くなられたときは、遺体を焼くために燃料を持参して欲しいと火葬場から言われたという。火葬場では燃料が不足していた時代であったのだ。この時も遺体を納めた棺と、燃料をリヤカーで運んだという。そういう時代が六〇数年前にはあったのだ。
 そうしたリヤカーではないけれど、人が引き物を引いていた時代は、私の子供の頃にもあった。屋台を引いてものを売って歩いている人がいた。例えば金魚売りや風鈴売り、あるいは公園の入り口近くにいつも来るおでん屋さんの屋台など、いつも目にしていた時代であった。金魚鉢の水がゆらゆら揺れる様は懐かしいし、風鈴の涼しげな音色なども思い出す。小銭を握りしめて、おでんを物色していた頃も懐かしい。あれはあれで結構美味しいかったよなあと思う。
 バナナと卵のことも書かれている。今ではバナナはダイエット食品としてもてはやされているし、私もダイエットじゃないけれど、お腹にいいということで、一日一本は必ず食べている。
 卵にしても「物価の優等生」として、値段が大きく変動しない商品となっているが、吉村さんの若い頃はバナナも卵も高級商品だった。吉村さんの記述によると「戦前は、病気見舞いをはじめ他家を訪れる時など、手土産に卵を持っていくことが多かった。厚紙で作られた箱にモミガラを敷きつめ、そこに十個ほどの卵が埋められている。箱には鶏の絵が印刷された紙がかけられていた。手土産にしたことから考えて、今の価格で言えば卵一個三百円以上はしたことになる」と書かれている。卵がそんな高級品とは知らなかったけれど、私が子供の頃近所の商店で卵を売っていた頃を思い出すと、確かに卵はモミガラの中にあった。
 バナナにしても「家内が長男を産んだのは昭和三十年秋で、そのお祝いとして家内の親しい友人三人が、お金を出し合って一房のバナナを贈ってくれた。現在の価格で言えば、七、八千円でもあっただろう。高級メロンのような扱いをうけていたのである」と書かれている。
 これに似た記憶が私にもある。父親の会社の同僚が入院したので、そのお見舞いに一緒に行ったときのことである。父親が果物屋で大きな房のバナナをお見舞い用に包装してもらっていたのである。当時バナナはお見舞い用の果物だったのだ。大きな房にたくさんのバナナがついていて重そうであったのを思い出す。
 


評価
★★★


書誌
書名:私の引出し
著者:吉村 昭
ISBN:9784167169305
出版社:文芸春秋 (1996/05/10 出版)文春文庫
版型:316p / 15cm / A6判
販売価:入手不可

2009年07月31日

ジャック・ジョーンズ著『ジョン・レノンを殺した男』〈上〉〈下〉

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 この本は映画『チャプター27』の原案本である。訳者のあとがきによると、映画の方はこの本の上巻前半部分を使い、ジョン・レノン殺害にいたる3日間のマーク・デイヴィッド・チャップマンの行動に焦点を絞ったものだという。

 1980年12月8日、ニューヨーク・マンハッタン、ダコタハウスの前で、ジョン・レノンが5発の銃弾を浴びて殺害された。


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 犯人は世界一のジョン・レノンファンを自称するマーク・デイヴィッド・チャップマンであった。犯行の瞬間、彼が手にしていたのは、一丁の拳銃と『ライ麦畑でつかまえて』だった。


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 この本を読みたいと思ったのは、何故マーク・デイヴィッド・チャップマンはジョン・レノンを殺害しなければならなかったのか。それが知りたかった。確かにチャップマンが自分の心の中の“闇”を語る部分は興味深かったが、しかし読んでいるうちにだんだん吐き気を催すほどの怒りが私の中に生まれてくるのであった。
 それは自分が好きであったビートルズのメンバーであったジョン・レノンを殺したというファン意識からではなく、チャップマンが単に“ちやほやして欲しい”だけであって、そこには自己中心的で、被害妄想の塊であり、逃避癖がある人間でしかないことの怒りであった。彼は自分のすることにいつでも“正統性”を求めるだけの人間でしかなく、自己の中にある矛盾から自家中毒を起こしているだけの人間でもあった。そしてターゲットにされたのがチャップマンが子供の頃に憧れたビートルズであり、ジョン・レノンだったのである。
 チャップマンはビートルズというものが単なるミュージシャンであることをやめて、何百万ドルという規模の金を動かす一大事業になりはじめ、愛と平和をめぐる無垢の歌を自分たち個人の富と権力を求める堕落した強大な事業のために利用したと思い込んでいた。 それを偽善と考えたのである。チャップマンはそうした偽善がさまざまな問題の根源であり、さらに深刻なことにそうした偽善こそが自らの苦痛の原因にもなっているとチャップマンは考えていたのであった。
 チャップマンの友人が「マークがジョン・レノンの『イマジン』をあれは共産主義者の歌だと言っていたのをぼくは覚えています」と証言しているし、「そして、ビートルズがキリストより人気があるというあのレノンの発言には、彼は本当に頭に来てましたね」とも言っている。
 実際チャップマンが「天国もない宗教もない世界を想像してみろ」というレノンのメッセージが神への冒涜だとして『イマジン』を罰する抗議運動に参加していたし、彼はときには週に何度も宗派の祈祷集会やデモ行進に参加して、自らレノンの歌『イマジン』の預言めいた歌詞をつけて「ジョン・レノンが死んだと想ってごらん」と替え歌にして歌っていた。
 まぁこういうギャップに対して腹を立てるほど純粋だったと言えば言えそうだけど、そういうのっていつでも、どこでもある。現実は理想とは違うのだ。そのくらい分かれよと言いたくなる。

 しかし私がこのチャップマンに吐き気を催すほど怒るのは、そういうことじゃない。自分のやったことの正統性を主張するところが腹ただしいのだ。例えば何故ジョン・レノンを殺害に至ったのか、その説明を次のように言う。

 チャップマンは「自分が二十五歳の大人の男だが、いまだに子供の感受性を持っている」と言う。もっと彼の言うことを詳しく書くと、次のようになる。

 マーク・デイヴィッド・チャップマンは当時25歳という大人とホールデン・コールフィールド(サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の主人公)と同じ16歳の子供の内面を持っていたと言う。そしてジョン・レノンを殺したのはレノンが自分のヒーローであったその子供であるというのである。

 子供は自分の新しいおもちゃで遊びます。ところが、ある日、その新しいおもちゃを片づけようとして箱を開けると、もう何年も昔に遊んだおもちゃが出てきました。かつては自分のヒーローでしたが、いまはその面影もありません。子供はそれを見せかけの大人、偽りの大人に見せました。彼は言いました。「見てくれ!ぼくのおもちゃだったのに何だ、このザマは!」そして彼は癇癪を破裂させるのです。
 そして大人はなすべきことを知ったのです。大人には銃の知識がありました。飛行機の乗り方も知っています。お金を手に入れる方法も知っています。そうやって大人と子供はある種共謀をしたのです。自分のアイドルに対する子供の苛立ちと憤り。それは変わり果てたおもちゃに対するものでした。

「ダメだ!ダメだ!ダメだ!ダメだ。ぼくはヤツを殺したいんだ。ヤツをブッ殺してやりたいんだ。ヤツはぼくのものだ!ぼくはヤツの命が欲しいんだ!」

 ぼくは彼の背中に狙いを定めました。引き金を五回引きました。するともう頭の中は堰を切ったような状態になってしまいました。
 さらに「ぼくは自分がとてつもなくつまらない人間だという気がしていました。ですから、出かけていってその惨たらしい行為をすることで世の中がぼくを何者かにしてくれるのだというのは、ぼくにとっては、ひじょうに魅力的なことだったのです」と言うのである。
 つまり彼はジョン・レノンを殺害することで、人に相手にされない人間から、ジョン・レノンを殺した人間としてまた生まれ変わったとしてひとかどの人間(somebody)になれたことに満足するのである。
 というのも彼は絶えず人から自分の存在を認めて欲しいという願望が強かった。人にとって自分は意味ある存在であることいつも求めた。そこに自己満足を見出していた。
 実際彼はハイスクールを卒業した1973年からコヴェナント・カレッジに入学する1976年までの間、チャップマンはYMCAの国際的な特使として中東を旅し、歴代のふたりのアメリカ大統領と握手を交わしている。彼はまたジョージアでの恵まれない子供たち相手の仕事やヴェトナム戦争による難民のための仕事を評価される栄誉に浴している。レバノンのベイルートでは自分のいるすぐ近くの街路で勃発した内乱のさなかから生き還ってきた。それがチャップマンの栄光の時代でもあった。
 そういう体験をなまじしているものだから、いったんそうしたところから落ちてしまうと、こういう人間は弱い。何せ他人を通してしか自己を見出せないのだから。彼はその後精神的に病み、自らを次のように言うのだ。

 「ぼくは自分のいろんな問題から逃げて、自分を孤立させるという大きな過ちを犯してしまいました。
 自分を世界から切り離してしまうと、自分独自の世界を作り出さなきゃならなくなります。ぼくがやったのは、それだったんです。ぼくは自分の世界を編み出したのです。自分自身の中に引きこもり、もはや生きていく理由すらなくなってしまいました。ぼくはどんどん外の世界を遮断して、閉じこもり、パラノイアになっていきました。ますます敏感になり、傷つきやすくなっていきました。人間嫌いになりはじめ、みんなを軽蔑するようになりました」

 その時彼がやったことはけちくさい脅迫電話や、自分の妻に暴力を振ることだけだった。他人には何もできない人間であった。所詮その程度の人間なのである。後はそういう気持がどんどん鬱積しさえすれば、大きな力となり、あと何かの力が後押ししてくれれば大事件となる。彼の場合はジョン・レノン殺害であった。

 さらに腹立たしいのは、ジョン・レノン殺害に自ら怯えるに当たり、今度は自分が愛読してきたサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の普及を自分の裁判で主張することで、罪悪感に対処していくのである。この本はいい本だから是非皆さん読んでくださいねとひたすら言うことが自分の使命と思い、自分が感じる怖れや罪悪感とすり替えていくのである。自らを「ライ麦畑の補導員」と称するのである。
 ちなみに『ライ麦畑でつかまえて』の主人公ホールデン・コールフィールドは、今でいう“おちこぼれ”で、学校の寮を飛び出し実家に帰るまでニューヨークを3日間ぶらぶらする話なのだが、自らの夢を「自分は、広いライ麦畑で遊んでいる子どもたちが、気付かずに崖っぷちから落ちそうになったときに、捕まえてあげるような、そんな人間になりたい」と語り、それがこの作品の主題ともなっている。チャップマンはホールデン・コールフィールドが語る夢の人を「ライ麦畑の補導員」と言っているのだ。

 こうしてこの男は自分を美化し、問題をすり替えて行く生き方しかできなかった。そういう人間だったのである。またそういう人間に限って被害妄想が激しいときているからたちが悪い。そして彼らを精神病者に仕立てていく輩がいるのである。精神鑑定家ってやつだ。何でも加害者の生い立ちや育ってきた家庭環境などに原因を求めるのだ。そしていつの間にか責任をどこかに吹っ飛ばしてしまうのだ。
 この本の下巻はそういう話でいっぱいである。チャップマンの育った家庭環境や生い立ちからジョン・レノンの殺害に結びつく何かを捜そうとするのは結構だけれど、私から言わせれば「だから?」と言いたくなる。むしろジョン・レノンのファンから出されたチャップマンへの手紙に「娑婆に出てきたら殺すぞ」という意見の方が、私としては自然のように思えるのだ。

 チャップマンは20年から終身刑の判決を受けていて、現在も釈放されていない。2008年8月12日、5度目の仮釈放申請を却下されている。ニューヨーク州当局の声明文によると、仮釈放は「公共の安全と福祉に与える影響を懸念して」認められなかったと言っている。


評価
★★


書誌
書名:ジョン・レノンを殺した男〈上〉
著者:ジャック・ジョーンズ 堤 雅久【訳】
ISBN:9784594055134
出版社:扶桑社 (2007/11/30 出版)扶桑社ミステリー
版型:332p / 15cm / A6判
販売価:749円(税込)


書誌
書名:ジョン・レノンを殺した男〈下〉
著者:ジャック・ジョーンズ 堤 雅久【訳】
ISBN:9784594055141
出版社:扶桑社 (2007/11/30 出版)扶桑社ミステリー
版型:370p / 15cm / A6判
販売価:800円(税込)

2009年07月22日

村上春樹著『もし僕らのことばがウィスキ-であったなら』

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 最近ヨーロッパのどこに行きたいかと聞かれたら、アイルランドとギリシアとイタリアと答えるような気がする。大学時代なら間違いなくドイツ、特にバルト海に面した地域だったのだが、何故か今は当時の興味はない。
 特にアイルランド、J.M.シングの『アラン島』に描かれた景色を見てみたい。自然の荒々しさを間近に感じたい。その過酷な自然の中で生活している人々を見てみたいと思うのだ。わずかな土を大切に運び、強い風で飛ばされないように石垣を作り、作物を作っている姿を見てみたいと思う。妥協のない敬虔な祈りを捧げるカトリック世界を感じたい。よくそう思うのだ。
 そういう気分で自分の本棚を眺めてみると、村上さんの紀行文にこのスコットランド、アイルランドの紀行文とギリシア、イタリアの紀行文があるのを見つける。ギリシアの方は読んでいるのだが、当時はギリシア、イタリアにあまり興味がなかったためか、あるいは村上さんの本が記憶に残らないところがあるためか、とにかく内容がどんなものか覚えていない。ちょうど今ハルキフリークの状態なので、この2冊を読むことにする。手始めにこの本だ。

 この本はスコットランドとアイルランドでシングルモルトのウィスキーを飲みに行く旅である。私はお酒がほとんど飲めないので、ウィスキーに詳しくないのだが、それでも奥様の撮られた写真がいい雰囲気を出している。パブと前足を揃えた猫の写真がいい。猫の写真を見たとき、思わず指で頭をなでてしまった。
 昔本屋でアルバイトを始めたとき、先輩に新橋のパブに連れて行ってもらったことがある。もちろんパブなんて行ったのは初めてである。薄暗い店内のカウンターに座ったと思う。ウィスキーの瓶を逆さに吊してあって、そこからウィスキーをグラスに注ぐ。初めてバランタインを飲んだ。何年ものか忘れちゃったけれど、グラスにわずかに注がれ、大きな氷が溶けて、ウィスキーの琥珀色が氷が溶けた水になじむのが目に見えて不思議な感覚であった。当時は何でこんな少ししかウィスキーを入れてくれないのだろうと疑問に思っていたくらい、何も知らない時であったが、それでも店の雰囲気は今でも記憶に残っている。多分アイルランドでのパブもこんな感じなんだろうなんて思った。
 この先輩は私をいろいろなところに連れて行ってくれたが、連れて行ってくれたお店はみんないい雰囲気の店であったような気がする。薄暗く、騒がしくない、落ち着いてお酒が飲め、話ができた。今でもできるなら当時連れて行ってくれたお店に行ってみたいなという思いに駆られるけど、場所もわからないし、お店だってあるかどうかわからない。だってもう30年近くたっているから。でも私の中で静かにお酒を飲むなら(そんなに飲めないけど)、当時連れて行ってくれたお店であって欲しいと思う。今はやりのショットバーは狭く、やかましくてしかたがない。(いいところへ行っていないんじゃないのと言われればそうかもしれないけど・・・)
 本の中に、よれよれの背広を着てパブのカンターに座り、ポケットから一杯分のコインを正確に出し、バーテンダーが逆さに吊したボトルからシングルモルトのウィスキーをグラスに注ぎ、出されたお金を数えることなく取る。バーテンダーも男も一言も発しない。しかし男は出されたウィスキーをゆっくり飲む。村上さんはその男を見て次のように書く。

 老人はウィスキー・グラスを手に取り、静かに口に運んだ。水で割らなかった。チェーサーもとらなかった。店の中はひどくにぎやかだったのだけれど、それはほとんど気にならないようだった。多くの人がやるように、カウンターにもたれたまま後ろを振り向いて、店内をぐるりと見回したりもしなかった。そこに存在しているのは、彼と、彼の手の中にあるウィスキーだけだった。もしそのパブに彼以外にだれ一人客がいなかったとしても、おそらくまったく気にならなかったに違いない。
 見たところ、彼は話し相手や顔見知りの仲間を求めてこのパブに来ているわけではないようだった。というか、顔見知りの仲間というようなものがいるのかどうかさえあやしいものだった。でもひとつだけ、確信を持って僕に断言できることがあった。それは彼が完全にくつろいでいるということだった。こんなにくつろいでいる人を見かける機会は、長い人生の中であまりないだろう-と言えるくらいくつろいでいた。

 この手の話、なんか以前別の作家の本で読んだことがある。誰だったか忘れてしまったけれど。でもいい感じだなと思った。


評価
★★★


書誌
書名:もし僕らのことばがウィスキ-であったなら
著者:村上 春樹
ISBN:9784582829419
出版社:平凡社 (1999/12 出版)
版型:119p / 20cm / B6判
販売価:1,470円(税込)

2009年07月20日

村上春樹著『海辺のカフカ』〈上〉〈下〉

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 村上さんの本を一度読み出すと絶対にはまってしまうことはわかっていた。そしてその不可解なストーリーに魅了され、呆然とし、精神的に疲れて、その読感をどう書いていいのかわからずにいることも。
 15歳の誕生日に家出をして、「世界で最もタフな15歳になる」ことを決意した「僕」と、知事さんにホジョをもらいながら生活しつつ、猫と話すことができることから迷子の猫を探す副職で小遣いを稼いでいたナカタさんの物語が交互に進む。そしてこの二人は四国でクロスし、二つの物語はやがて「入り口の石」に近づいてゆく。

 まぁここまでは何とか大まかに話の展開をまとめることができるが、それ以降どう考えたらいいのかかなり迷う。でも、一つこの物語を考える上で参考になることがある。たとえばナカタさんが猫と話すときのこと。

 「そうです。ナカタと申します。猫さん、あなたは?」
 「名前は忘れた」と黒猫は言った。「まったくなかったわけじゃないんだが、途中からそんなもの必要なくなってしまったもんだから、忘れた」
 「それでは猫さんのことをオオツカさんと呼んでよろしいでしょうか?」
 「なんだい、それは?どうしてオレが・・・・オオツカなんだい?」
 「いいえ、たいした意味はありません。ナカタが今ふと思いついただけであります。名前がないと覚えるのに困りますので、適当な名前をつけただけであります。名前があるとなにかと便利なのであります」
 「よくわからないな。猫にはそんなの必要ない。匂いとかかたちとか、ただあるものを受け入れればいいだけだ。それで不自由ないね」

 「田村カフカというのが君の名前であれば、ということだけど」

 「わたしの名前はわかるだろうね?」
 「ウィスキーを嗜む人なら一目見てわかるんだが、まあよろしい。私の名前はジョニー・ウォーカーだ。ジョニー・ウォーカー。世間のだいたいの人は私のことを知っている。自慢するんじゃないが全地球的に有名なんだ。イコン的な有名さと言ってもいい」

 「ホシノちゃん」
 「あんたは-」
 「そうだ。サンダース大佐だ」
 「そっくりだ」
 「そっくりではない。わしがカーネル・サンダースだ」
 「そのフライド・チキンの」
 「そのとおり」
 「よう、しかしあんた、どうして俺の名前を知ってんの?」
 「わしは中日ドラゴンズのファンにはいつもホシノちゃんと呼びかけることにしている。たとえば何があろうと、巨人といえばナガシマ、中日といえばホシノじゃないか」

 「おじさんはほんとにカーネル・サンダースなの?」
 「ほんとは違う。とりあえずカーネル・サンダースのかっこうをしておるだけだ」
 「そうだと思ったよ」「それでおじさん、ほんとは何なんだよ?」
 「名前はない」
 「名前がないと困らないかい?」
 「困らん。もともと名前もないし、かたちもない」
 「屁みたいだね」
 「そう言えなくもない。かたちのないものだから何にでもなれる」
 「はあ」
 「とりあえず、カーネル・サンダースという、資本主義社会のイコンとでも言うべき、わかりやすいかたちをとっているだけだ。ミッキーマウスだってよかったんだが、ディズニーは肖像権についてうるさい。訴訟されるのはごめんだ」
 「まあ俺もあんまり、ミッキーマウスに女を紹介されたくないね」
 「まあそうだろうな」

 つまり問題となるのは“名前”である。人や物に名前や固有名詞が付加されることによって、人はそれをそれとしか思わなくなる。猫にオオツカさんという名前が付いたとたん、オオツカさんの個性がそこに植え付けられるし、田村カフカという名の少年はどこまで行ってもこの物語では田村カフカでなければならなくなる。ジョニー・ウォーカーにしてもカーネル・サンダースにしてもその名前が出てくれば、ウィスキーの名前であり、フライド・チキンの名前となる。中日ドラゴンズのファンはホシノである。一見名前を付けることによって、差別化し、その個性を浮きだたせるようであるが、その名前を付けられたとたんそれ以外であり得なくなる。そうすることで非個性化し、ただの代名詞となる。余計なものが不要なものとして、ただ単にそのものとなるのだ。それがわれわれの日常なのだ。それで世の中が回っていて、それ以外を受け入れなくて済むようなっている。
 しかしそれは誰も知っているだけの、単に一時的に付けられた名前や固有名詞であって、本当にそれ以外のものはないのだろうか?この物語はそうした日常当たり前の世界が実はちっとも当たり前でない世界の側面を持つのではないかということを教えてくれる。それらの名前の下に隠れた世界が実はどこでもあって、ただ付加された名前によって隠されてしまっている。そんなことを感じた。そこには真の姿があるときもある。それを表現するために村上さんはいつものようにたくさんのメタファーを使い、もう一つの別の世界を作り上げ、そこに登場人物を入れてしまう。田村カフカ君にしても、ナカタさんにしても。
 日常は決して現実的ではなく、非現実的な側面を本来持っている。隠れたものがある。隠れたものには時に暴力的で、残酷なことなどをあからさまにしてしまう部分があるのだけれど、単にその行為を言葉で表すと、その言葉でしかなくなる。
 だから自ら非日常の世界に入り込んで(それは森の中であったり、井戸の中であったりして)あるべき姿が見えるまで待つ。そうしているうちに真の意味が姿を現す。これが村上ワールドじゃないかなんて思っている。

 ところで先に読んだ『ねじまき鳥クロニクル』よりこの『海辺のカフカ』の方が私は好きである。前作は人の真の姿を追求することばかりであって、どこにも物語として救いがなかったからだ。今回はナカタさんやホシノくん、大島さん、そしてカーネル・サンダースと笑い提供してくれる分、楽しく読めた。
 たとえば大島さんは最高である。

 「実を言いますと、私たちの組織は女性としての立場から、日本全国の文化公共施設の設備、使いやすさ、アクセスの公平性などを実地調査しております」
 「それで結論からまず申し上げますと、この図書館には残念ながらいくつかの問題点が見受けられます」
 「つまりそれは女性的見地から見てということですね」
 「まずここには女性専用の洗面所がありません。そうですね?」
 「たとえ私立の施設とはいえ、パブリックに開放された図書館であれば、原則として、洗面所は男女別にされるべきではないでしょうか」
 「原則として」
 「残念ながら男女別の洗面所をつくるほどのスペースの余裕はありません。今のところ利用者から苦情は出ていません。幸か不幸か、うちの図書館はそれほど混雑しないのです。もしあなたがたが男女別の洗面所の問題を追及なさりたければ、シアトルのボーイング社に行かれて、ジャンボ・ジェットの洗面所について言及なさったらいかがでしょう。私ども図書館よりはジャンボ・ジェットのほうが遙かに大きいし、遙かに混雑していますし、私の知るところでは機内の洗面所はすべて男女兼用です」
 「私たちは今ここで交通機関の調査をしているわけじゃありません。どうしてジャンボ・ジェットの話が急に出てこなくてはならないのですか」
 「ジャンボ・ジェットの洗面所が男女兼用であることも、図書館の洗面所が男女兼用であることも、原則的に考えれば、生じる問題は同じじゃありませんか?」
 「私たちは個々の公共施設の設備の調査しています。原則の話するためにここに来たのではありません」
 「そうですか。僕はてっきり、我々は原則について語りあっていると思っていたんですが」

 「ただしこの図書館では、すべての分類において、男性の著者が女性の著者より先に来ています」
 「私たちの考えるところによれば、これは男女平等という原則に反し、公平性を欠いた処置です」
 「曽我さん」
 「学校で出欠をとられるときには、曽我さんは田中さんの前だし、関根さんのあとだったはずです。あなたはこのことに対して文句を言いましたか?たまには逆から呼んでくれと抗議しましたか?アルファベットのGは自分がFのあとになっているからといって腹をたてますか?本の68ページは自分が67ページのあとになっているからといって革命を起こしますか?」

 「いいですか、僕が申しあげたいのはこういことです-小さな町の小さな私立図書館にやってきて、あたりをくんくん嗅ぎまわって、洗面所の形態や閲覧カードあらを探しているような時間があれば、全国の女性の正当な権利の確保にとって有効なことは、ほかにいくらでもみつけられるはずだ、と。僕らはこのささやかな図書館を少しでも地域の役に立つものにするべく、全力を尽くしています。書物を愛する人々のために、優れた書物を集め提供しています。人間味あるサービスを心がけています。あなたはご存じないかもしれませんが、この図書館の、大正から昭和中期にかけての詩歌の研究資料のコレクションは、全国的にも高く評価されています。もちろん不備はあります。限界だってあります。しかし及ばずながら精一杯のことはやっているのです。僕らができないでいることを見るよりは、できていることのほうに目を向けてください。それがフェアネスというものではありませんか」

 ここまで言われても引き下がらない曽我さんたちに大島さんは最後に自分が性同一障害に悩む女性であることを公にする(これは私も驚いたけれど)。さすがにそうなると大島さんの言うことに引き下がらずを得なくなっていく。
 大島さんは想像力の足らない人間をいちいち相手にしていたら、身体がいくつあっても足らないことを田村カフカ君にわからせる。その上で、「想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ。ひとり歩きするテーゼ、空疎な用語、簒奪された理想、硬直したシステム。僕にとってほんとうに怖いのはそういうものだ。僕はそういうものを心から恐れ憎む。なにが正しいか正しくないか-もちろんそれもとても重要な問題だ。しかしそのような個別的な判断の過ちは、多くの場合、あとになって訂正できなくはない。過ちを進んで認める勇気さえあれば、だいたいの場合取りかえしはつく。しかし想像力を欠いた狭量さや非寛容さは寄生虫と同じなんだ。宿主を変え、かたちを変えてどこまでもつづく。そこには救いはない。僕としては、その手のものにここには入ってきてもらいたくない」と言い切る。これはある意味この本の重要なテーマかもしれないと思う。

 あと、なんと言ってもカーネル・サンダースとホシノちゃんとのやりとりは大笑いした。

 「実はな、石はこの神社の林の中にある」
 「<入り口の石>だよ」
 「そうだ。<入り口の石>だ」
 「おじさん、それってひょっとしていい加減なことを言っているんじゃないよね?」
 「何を言うか。たわけものものが。わしがこれまでひとつでも嘘をついたか?口からでまかせを言ったか?ぴちぴちのセックス・マシンだと言ったら、たしかにぴちぴちのセックス・マシンだったろうが。それも大出血サービス料金、1万5000円ぽっきりで厚かましく三回も射精しやがって、それでもまだ人のことを疑うか」

 「でもさ、この石っていちおう神様の持ちものでしょうが。勝手に持っていったらきっと怒られるよ」
 「神様ってなんだ?」「神様ってどんなことをしているんだ?」
 「おれはそういうこと、よく知らねえけどさ。でも神様は神様だよ。いたるところに神様はいて、俺たちがやることを見ていて、良いか悪いか判断するんだ」
 「それじゃまるでサッカーの審判員じゃないか」
 「そういう風に言えるかもしれない」
 「じゃあ何か、神様ってのは半ズボンをはいて、口に笛をくわえて、ロスタイムを計っておるのか?」
 「しつこいね、おじさんも」

 「いいか、ホシノちゃん。神様ってのは人の意識の中にしか存在