2008年11月18日

吉村昭著『羆嵐』

2008_11_18_01.jpg


 この本は、1915年(大正4年)12月に北海道留萌苫前村(現:苫前町古丹別)三毛別(現:三渓)六線沢で発生した日本最大最悪の熊害(ゆうがい)事件を扱った作品である。
“穴持たず”という冬ごもりの穴を見つけ損なった羆が当時の開拓民7名を殺し、3名の重傷者を出した。詳しくはWikipediaにある。


三毛別羆事件


 六線沢に入植した人たちはそれよりも北方三十キロの山間部に東北地方から入植した人たちであった。彼らは国から与えられたわずかな奨励金で草囲い小屋を建て、不毛の地に鍬を入れ、種を蒔いた。しかし蝗の襲来でわずかな農作物は全滅し、六線沢に移ってきた。
 新しい土地は以前の土地よりましではあったが、やはり自然環境は過酷であった。ここに巨大な羆が現れた。羆の存在は「草がこいの小舎に住むかれらは、穴居生活をしていた時代の人間たちと大差ない生活をしている。それは、地上に棲息する動物の一種属として、自然の変化に容赦なくさらされた生活であった。穴居していた人間たちは、強大な力をもつ肉食獣の食欲みたす存在にすぎなかった」ことを思い知らせるのである。

 12月9日、島川の妻と息子が羆に襲われた。息子の遺体はそこにあったが、島川の妻の遺体がない。羆が持ち去ったのである。「島川のおっかあをとりもどさなくちゃ」と村の男たちは遺体を山林の中でさがす。遺体を見つけた男が「おっかあが、少なくなっている」と目を血走らせて言った。島川の妻の遺体は頭蓋骨と一握りほどの頭髪、それと黒足袋と脚絆をつけた片足の膝下の部分のみしかなかった。
 それでも彼らは羆におさわれた島川の妻と息子の遺体を懇ろに回向し、埋葬しなければならない義務が生じた。なぜなら遺体を土に帰すことは、入植者であるかれらが土に根を張ることを意味しているからだ。

 「かれらの生活は、その土地の土壌に仮の根をのばしはじめていたにすぎなかった。植物は、冬の訪れとともに地表から姿を消すが、種子は土の割れ目に入って春の訪れとともに多くの芽をふき出す。それは土壌との毎年約束された合意によるものだが、かれらはそこまで土の信頼を得るに至っていなかった」
 だから、自然と彼らの信頼は彼らの身内の死体を埋葬されることの深まることができる。「土との融合は、植物の種子が地表に落ちるように死体を土に帰すことによって深められる」のである。彼らはここに入植して四年目なのでまだ一人も死者を埋葬することがなかったのだ。

 翌日男たちは、羆が明景の家を襲っているところに出くわす。

「今、中でクマが食っている」

 「音がした。それは、なにか固い物を強い力でへし折るようなひどく乾いた音であった。それにつづいて、物をこまかく砕く音がきこえてきた。
 区長たちの顔が、ゆがんだ。音はつづいている。それは、あきらかに羆が骨をかみくだいている音であった」

 男たちは銃を撃った。その後家の中へ入る。その凄惨な光景を見て、男たちの中からすすり泣きが起こる。殺されたのが誰だかわからなかったが、村落の者が無惨な肉片と骨に化していることに耐え難い悲しみを感じたのであった。

 「人々は、未開の地に村落を形成した。かれらは、荒地をひらいたが、土地は、逞しく張った木の根や石塊でかれらの鍬をこばもうとし、冬の寒気と積雪でその生活をおびやかした。それを当然のこととしてかれらは苦痛に堪え、自然にさからうこともなく生きてきた。
 しかし自然はかれらに大きな代償を強いた。先住者である羆を擁護する立場に立ち、村落の者たちを容赦なく死におとし入れた。それは、村落の者に対して加えられた制裁のように思えた。
 男たちは、自分たちのつつましい努力が自然の前に無力であることを感じた。土地を開墾し草囲いの家の中で寒気をしのいできた日々が、結局は無為なものであることを知らされたのだ」

 奇跡的に助かった明景の家の十歳の長男は、明景の家にいた臨月である斎田の妻が、羆に「腹、破らんでくれ」という羆に懇願する声を聞いた。
 わずか二日間で六名(胎児をいれれば七名)の者が殺害され、三名が重傷を負わされた。村民は村を放棄すべく、そこから非難し始める。遺体は羆が他に移動しないように、餌として村に放置された。
 
 救援に来た警察や銃を持ったたくさんの男たちは、最初自分たちの力を過信していたが、村の被害を目の当たりにする従い、恐怖におののきはじめる。屋根の雪が落ちただけで、羆の襲来だと勘違いし、怯える始末であった。区長は救援の警察や男たちがまったく役に立たないことを知り、熊撃ち銀四郎に応援を依頼する。銀四郎と区長は熊狩りに加わるが途中、彼らと別行動をする。羆がいる風上に彼らがいると、羆は彼らの存在をにおいで感じ取るからだ。銀四郎たちは風下に回り、羆を仕留める。銀四郎は二発で羆の急所を打ち抜いたのだ。
 仕留められた羆は頭の先から足先まで九尺(二.七メートル)体重百二貫(三八三キロ)の巨体であった。仕留められた羆を運ぶとき、吹雪が吹き荒れる。「クマ嵐だ。クマを仕とめた後には強い風が吹き荒れるという」一人の男が言う。

 とにかく読んでいて恐ろしさがひしひしと感じる本であった。北海道の開拓民たちが過酷な自然の中で生活している描写だけで、自然の恐ろしさを感じるのに、さらに体重383キロの羆が、人を襲い、骨を折り、肉を食いちぎる光景を想像すると、ぞっとしてしまう。話が事実に基づいているだけに、下手な恐怖小説より恐ろしかった。風や音が恐怖をさらに広げていく感じだった。


評価
★★★★


書誌
書名:羆嵐
著者:吉村 昭
ISBN:9784103242130
出版社:新潮社 (1977/05 出版)
版型:204p / 20cm / B6判
販売価:入手不可

2008年11月15日

山口瞳著『男性自身』

2008_11_15_01.jpg


 「男性自身」は「週刊新潮」に1963年(昭和38年)年から1995年(平成7年)に死去するまで31年間、延べ1,614回、一度も穴を開けることなく連載を続けたコラムである。この本は男性自身シリ-ズの第一巻目の作品である。
 私は書店員時代、毎週、「週刊新潮は本日発売です」と聞くたびに、今日は週刊新潮の「男性自身」シリーズを読んできた。自分の本棚にもこれをまとめた単行本や文庫本がある。ただ気合いを入れて集めてこなかったので欠本がある。この第一巻も持っていなかった。
 私はこのシリーズは途中からの読者である。だから最初このシリーズはどんな感じで始まったのか知りたかった。だからどうしても第一巻は読んでみたかった。そのためこの巻を探しに神田古本まつりにも行った。ないことはなかったけれど、値段が高かった。で、アマゾンのマーケットプレイスで買った。それを今回読んだ。以後このシリーズも読んでいこうと思っている。
 で、途中からの読者として、へぇ~山口さんは最初、こんな文章も書いていたんだと思ったことだ。そもそもこのシリーズが何故“男性自身”というかである。その目論見が次のように書かれている。

 「もしそれ、非常に注意ぶかい読者ならは、私が、この随筆ともオトギバナシとも精神訓話ともつかぬもので何を目論でいるかをすでに察知せられることであろう。
 私自身の心構えとしては長篇小説を書いているつもりなのである。もし私に幸運にもかの「白樺派」の如き長寿が許されるならば、実にこれは大河小説ともなるはずのものである。
 すなわち、現代に於いて一穴主義(女房だけしか女を知らない男)は果たして可能であるか、というのがこの大河小説に課されたテーマなのである。従ってこれは『日常生活における華麗な冒険もしくはサムワン氏の悲しき生活』と題されてしかるべきものであるが、誰かさん小説の題名に似てしまうので、いさぎよく、きっぱりと、簡潔に『男性自身』とした。男性自身とは考えようによってはかなりキワドイ題名である。今様にいえばそのものずばりである。吾人は清く正しく美しくこれを保たなければならぬ」

 要するにここでは山口さんは自分を含めて、貧乏人根性の持ち主で、生活を一番大事にしている人種であるとして、そういう人たちがどう生きているか、半ばちゃかして書いているのである。仕事にも、人間関係にも、女性の誘惑に負けず、一穴主義と呼ばれようが、軽石(カカトスルバカリ)と呼ばれようが、1DK(寝る所も排泄するところもひとつだけ)と呼ばれようが、ミシン(ひとつ穴ばかりつつく男)と呼ばれようが、とにかく、自分の生活を守ることを身上としている男が、どうやってこの世の中を生きていけばいいか、その処世訓を教えてくれている。
 ただひたすら生活を守ることがいつも頭にあるわけじゃない。ここは戦争体験者である。「どうせあのとき死ぬ運命にあったんじゃないか、いつ死んでもいいや、という気分と、戦時に育ったための極端な臆病とが交互する。どうせ変な具合に生き残ったんだから、こんな世の中は笑いとばしてやれというヤケッパチと、せっかく生き残って、切望した戦争のない世界にいるのだから、父と妻子の小さなかたまりを大事にしようという気持が交互する」と男の切ない欲望も吐露する。
 それにしても女房至上主義者をちゃかすのにいろいろな言い方があったんだなと笑ってしまった。でもこういう小市民的な部分は個人的には好きだなぁ。


評価
★★★


書誌
書名:男性自身 男性自身シリ-ズ
著者:山口 瞳
ISBN:9784103226048
出版社:新潮社 (1985/05 出版)
版型:255p / B6判
販売価:入手不可

2008年11月12日

司馬遼太郎著『司馬遼太郎が考えたこと』2

2008_11_12_01.jpg


 続いてこのシリーズの二巻目を読む。面白いもので、確かにこうしてまとめられた司馬さんのエッセイを読んでいると“司馬遼太郎が考えたこと”が生き生き伝わってくる。それはいわゆる司馬さんの歴史観だけでなく、私生活の一部も描かれていて、結構興味深く読ませてもらった。しかももうこの頃の文章になると、私が知っている司馬さんの文章で、わかりやすく、初期の文章のような堅苦しさもない。
 さてまずは司馬さんの歴史観で面白いと思ったことを三つあげる。一つは「歴史を変えた黄金の城」というエッセイで大阪城をテーマにしたものである。
 大阪冬の陣で大阪方は秀吉恩顧の大名に応援を求めたが、ほとんどの大名は来なかった。が、牢人は来た。関ヶ原で敗北したために主家を失った武士が生活に困窮し、変の起こるのを待っていた。その大半が大阪城に馳せ参じた。司馬さんはこの決戦を「徳川、豊臣の政権争奪戦という性格のほかに、サラリーマン対失業者の決戦であった。これほどおもしろい性格をもった合戦は、世界史上類をみない」と書く。
 そして時代は徳川末期の鳥羽伏見の戦いに至る。この戦いで将軍慶喜が大阪城にいたが城を抜け出した。それを司馬さんは「大阪城をとって天下を得た徳川氏は、大阪城をすてて天下をうしなった」という。そこから司馬さんは大阪城を「信長以来、つねにあたらしい権力者の目標となり、史上数度もその総攻撃の前にさらされた。しかも、武力によって陥ちたことは一度もなく、つねに政治情勢の変化のために前時代の主権者は、この城を、出ざるをえなかった。この城が開城するとき、日本史はそのつど、つねに一変した。ふしぎな城ではないか」と書くのである。思わず“なるほど言われみれば確かにそうだ”と思ってしまった。
 もう一つは関ヶ原の合戦で、なぜ秀吉子飼いである福島正則、加藤清正、浅野長政らは家康についたのかということである。これは先の巻でも書いたことだけど、こっちの方がより現実的わかりやすかった。曰く「かれらは、感傷としては豊臣への恩義を思っているが、現実では数十万石の大大名である。家来も多い。もし政治的に失敗すれば、多数の家来を路頭に迷わさなければならない。一片の感傷で自分の処世を決するわけにはいかなかったのである。家の保存のためには、何よりも安心なのは徳川家康につくことであった」と。これが現実である。大義名分は美化されやすいけど、それだけじゃ生きてはいけない。いつの時代でも現実無視の行動はただの無茶で、そうした現実を保障する力をもっていた家康が勝つべくして勝ったということなのだろう。
 最後に司馬さんは次のように言っている。「ある種の宗教的ふんい気をもった英雄がいます。たとえば関羽、八幡太郎義家、楠木正成、上杉謙信、西郷隆盛など、もしこういう人達を主人として選んで、しかもその人物に魅力を感じてしまったばあい、人は多く命をすててしまいます」と。司馬さんの歴史小説を読んでいるとこのことがひしひし感じられるので、これもそうかもしれないなと思った。ただ幸か不幸か現代はそういう英雄がいない時代なので、本の中でしか感じられないのだけれど。

 この本には司馬さんの小説の題材がどう選ばれるのか、その小説作法がいくつか書かれている。それをいくつかピックアップして書いておきたいが、その前になぜ司馬さんが“司馬遼太郎”と名乗るようになったのか、その経緯が書かれている文章があったのでまずはそのことを書いておきたい。
 司馬さんが懸賞小説を書いたとき、ペンネームが必要となった。ちょうどその時司馬さんは司馬遷の「史記」を読んでいられた。司馬さんは史記こそ世界最大の文学と信じていたから、司馬遷の姓を借りた。名を遼とした。それは司馬ヨリモ遼(ハルカニトオシ)としゃれたらしい。しかし司馬遼では国籍を間違えられると思い、太郎をつけたという。
 その“司馬遼太郎”という名前が気に入っているかといえば、必ずしもそうでもないらしいが、名前は符丁のようなものだと悟りきっている。ただ「このフチョウに慣れてしまうと、不意に本名でよばれたりしたとき、ふりむかないことがある。本名ではもはや反応力がにぶくなっている。この本名には私は入学試験に失敗したり、兵隊にとられたり、いまでも税金をとられたりして、ずいぶん厄介をかけているのだが」と自分の本名よりもペンネームの方が世間でも自分の中でも一人歩きしていることを書いておられる。
さて司馬さんが何故歴史小説や時代小説を書かれるかである。司馬さんはまず次のように言う。「ある人間が死ぬ。時間がたつ。時間がたてばたつほど、高い視点からその人物と人生を鳥瞰することができる。いわゆる歴史小説を書くおもしろさはそこにある」と。そして「時代小説というのは、一にも二にも男の魅力、悲しさ、おかしみをえがく小説だが、私自身、そういう理由こえて、男を見物するのがかぎりなく楽しい」とも言う。
 なぜ人生を完了した男がおもしろいか。それを「すこし語弊のある言い方がゆるされるとすれば、女性は、その人生の進行中にとらえるほうがおもしろく、男性はその人生が終了してから彼をながめるほうがおもしろい」と説明するのである。
 ただ誰でも男であればいいというわけじゃない。作家として男の魅力を感じさせる男でなければならないのである。その舞台となるのが歴史の中であり、その中で男の魅力をプンプンさせる男(肉体美ではない)でなければならない。それを司馬さんは「男という生きものが、その特質のもっともおもしろい部分を発揮するときは、かれが野望に燃えたときだ。権力慾、栄達慾、求道慾、復讐慾、攻撃慾に燃えたときである。その行動がきわめてダイナミックになり、美しさも醜さもいきいきと出てくる。こういう男をえがくためにはやはりこんにちの舞台ではまずい。一時代前の「歴史」を舞台にしなければ大きく動いてくれないのである。
 しかも、変動期でなければならない。戦国時代とか、幕末とか、そういう舞台がいい。そういう時代こそ、男のアクをふんだんにもった男が時代の主流に出てくるわけで泰平の世ではだめである」と説明する。
 なるほどと思う。しかし野望や権力慾、栄達慾、求道慾、復讐慾、攻撃慾だけではダメなのだ。そこには面白くかつ美しくなければならない。だから司馬さんは坂本龍馬や西郷隆盛などは描くけど、例えば山県有朋は絶対に書かないだろうと思うのだ。山県には“美しさ”がないからだ。
 そうして選ばれた主人公はすべて魅力的なのである。司馬さんが「文学のはたらきのなかで、もっとも大きな光栄の一つは、人間の典型をつくることである」と言っているが、司馬文学の主人公は、それぞれ人間の典型を表現したと思う。


評価
★★★


書誌
書名:司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10
著者:司馬 遼太郎
ISBN:9784106467028
出版社:新潮社 (2001/11/15 出版)
版型:407p / 19cm / B6判
販売価:1,890円 (税込)

2008年11月07日

須賀敦子著『須賀敦子全集』〈第2巻〉

2008_11_07_08.jpg


 須賀さんの全集第二巻を読んでみる。この巻は『ヴェネツィアの宿』『トリエステの坂道』が収録されている。『ヴェネツィアの宿』は須賀さんの日本での生い立ちなどが回想され、『トリエステの坂道』では須賀さんの夫ペッピーノ家を取り巻く人々とのふれあいがつづられている。
 前回もそうだったけれど、今回も須賀さんの文章に魅力を感じていた。それが何故なのか考えてみた。うまく言えないのだけれど、たぶんそれは回想というスタイルをとるためではないかと思う。つまりそこに書かれた文章はある程度時間がたったことであり、その分充分考え抜かれた感じがするのである。そしてそこには何か失った者への哀惜というのか、全体に“喪失感”を感じるのである。
 この二つのことは、あるときは苦しく、悲しい時代のことであっても、それを強調せずに済んでいるし、楽しく、豊かな時代では、浮かれることなく、冷静に描写することになるのではないだろうか。つまりかなり抑制のきいた文章になっている感じだ。それは時間がたっていることで冷静な思考が出来ることからくることだろうし、あるいは描かれた人々が今はいないという“喪失感”が、懐かしさを醸し出しているような気がする。そんなところが私が好きなところなのではないかと思う。それに表現や言葉の言い回しが本当にうまいと思う。こういう文章が書けること自体うらやましい次第だ。

 今回も須賀さんの書かれた文章から気になる言葉を拾ってみた。

 つい何ヶ月かまえまで、空襲の下をかいくぐりながら、今日は死ぬか、明日は家が焼けるかと覚悟ばかりしていた暮しにくらべると、いのちの尺度が変わっただけでも、なにもかもが愉しかった。

 橋をわたったあたりで、カテドラルが、夏の早朝の張りつめた空気のなかにその全容を見せはじめた瞬間、どうしたことか、私は、とつぜん、この中世の建造物と自分が、ずっといっしょに連れだって日本からやってきたのではないかという、奇妙な錯覚にみまわれた。それまで自分のなかではぐくみそだててきた夢幻のカテドラルと、目のまえに大きくそびえわだかまる現実のカテドラルとが、きらきらとふるえる朝の光のなかで、たがいに呼びあい、求めあって、私の内部でひとつに重なった。腕に鳥肌がたったのは、あきらかに冷たい空気のせいだけでなかった。

 「昼間から寝たりして、ごめんなさい。夜汽車でエクス・ラ・シャペルから来たものだから」
「エクス・ラ・シャペル?」
 どこかで聞いたような土地の名だったが、思い出せない。
「そうよ。ドイツ語だとアーヘン」
「アーヘン?シャルルマーニュの?」
「そうよ、そうよ」よくできましたねえ、というように彼女は大きくうなずいてから、つけくわえた。「フランス語ではエクス・ラ・シャペルっていうのよ。いまはドイツの町だけど」

 死に抗って、死の手から彼をひきはなそうとして疲れはてている私を残して、あの初夏の夜、もっと疲れはてた彼は、声もかけないでひとりで行ってしまった。

 『用途のない備忘録』

 (そのころ、麻布あたりでも、冬の朝、庭中の土が、霜柱でざくざくにささくれた)

 カード好きのやさしいおじさん、と私が勝手に決めこんでいたあの人物は、残りすくない時間の中で必死に後輩をそだてようとする、山の村のおごそかな長老でもあったのだ。

 彼女の死に衝撃をうけるほど、自分と彼女とのあいだに親密なつきあいがあったわけではなかった。そう思ってみても、どうしようもない喪失感が、ほとんど私の意志とは関係なく、大切な本につけてしまたとりかえしのつかないインクのしみのように、私のなかに、黒い翳りをひろげていた。

 もたつきながら自分達の苦しみを見つめ、それに腹を立て、それに泣かされながらも試行錯誤をつづけていく社会、より自己充足的でない施設を目指していきたい。そうでないと、人類が人類として、生き残れないと思うからだ。政治も勿論、福祉政策を、そのような方向にもっていくべきだと思うし、それ以前に、私たち一人一人が、毎日の生活のひたすらな能率主義を、自分よりゆっくり歩いて行く人と歩調をあわせるために、少しずつ崩していく以外、私たちが、もう少しゆっくり歩こうとする以外、どうにもならぬのではないか。

 それにしても、なにかひとりよがりの匂いの抜けきらない「やさしさ」や「おもいやり」よりも、他人の立場に身を置いて相手を理解しようとする「想像力」のほうに、私はより魅力をおぼえるのだが。

 今日のローマには、自由をもとめて流れついた難民と、フィリピンやアフリカ、東欧などからの、出稼ぎの人たちも多くて、暗い活気のようなものが、この都会の目にみえない部分で、激しく流れているような気がすることがあります。

 難民なんて、なにも今日始まったことじゃない。トラステヴェレの町はそんな、あきらめと、おおらかさがまざった気持で、彼らを受け入れているようです。

 文章というのは、かなりそれが書かれた時代に似ているものである。内容だけでなくて、文の組みたて具合、といったものが、同時代の建物や道路の配置によく似ていることがある。

 パリの合理性(合理性は知性のほんの一面でしかない)に息がつまりそうになっていた自分には、イタリアの包容力がたのもしかった。なにも、かたくなることはないのだ。そう思うと、視界がすっとひらけた気がした。


評価
★★★


書誌
書名:須賀敦子全集〈第2巻〉
著者:須賀 敦子
ISBN:9784309420523
出版社:河出書房新社 (2006/12/20 出版) 河出文庫
版型:606p / 15cm / A6判
販売価:1,050 円(税込)

2008年10月28日

ジョルジュ・シムノン著『メグレ罠を張る』

2008_10_28_01.jpg


 このメグレシリーズは昔から読みたいと思っていた。いわゆる推理小説で、マンハントをする側が警察である方が好きなのだ。たとえば、マルティン・ベッグもいいし、キャレラもいい。日本でいえば鳥飼刑事も渋くていい。(ビートたけしはミスキャストだと思うが)
 さて今回も推理小説だから、あまり内容に関しては詳しく書いちゃいけないのだろうが、書いてしまう。のでもしこの小説を読もうと思う方はここでやめてください。(というように、こんな感じでネタバレしてしまうから以後読まないでね、という文章をよく見かけるけど、皆さん本当にそこでやめられます?少なくとも私は読んじゃうだな)

 パリで五人の女性がナイフで刺され、衣服が引き裂かれた殺人事件が発生する。その捜査をメグレ警視が陣頭指揮をして行う。物語はもう五件の殺人事件が発生してしまっており、犯人と思われるべき人物は登場しない。従って、「こいつが犯人だろう」という推測を読んでいて楽しめない。
 この物語を面白くしているのは、どうやって殺人事件の犯人をあぶり出すかにかかっている。題名にもあるように、メグレ警視は罠を張るのである。最初から罠を張ることから物語は始まっており、どのような罠で、なぜそうした罠をメグレ警視は張ったのかが、まず興味の対象となる。
 友人で医師のパルドンに食事を招待されたメグレ夫妻は、そこで有名な精神科医のティソオを紹介される。メグレはその精神科医のティソオと今回の捜査に当たって、犯人像を語り合う。そこに今回の罠のからくりが隠されている。
 メグレは犯罪者たちが遅かれ早かれ自分のやった行為を自慢するという欲求に駆られると語る。そしてティソオもメグレが捜している連中は、自分でも知らぬ間に捕まえられようという欲求に駆られている。それは自尊心の表れで、自分(犯人)は周りの人々に何の変哲もない人間だと思われることが我慢がならないのだ。自分の力を大声で言いたいのだ。だからといってわざわざ捕まりたいわけじゃない。彼らが捕まるのは犯行を重ねる内に身辺に払う注意が少なくなってきて、警察や運命をなめることで逮捕されてしまうというのである。
 そしてメグレは「かりに誰か他の人間が逮捕されて、いわばまあわれわれの殺人犯の地位におさまりかえり、犯人が自分の栄誉のように考えているものを横どりしたらどうでしょう・・・・」と言うのだ。
 これがメグレの作戦であり、犯人の自尊心を奪うことで、逆に犯人を挑発し、もう一度犯罪を起こさせ、犯行を行う前に捕まえようと罠を張る。
 そして一般市民に扮した婦警を襲われるが、警察は彼を取り逃がす。しかし彼の衣服についていたボタンと服の生地の一部をその婦警はもぎ取る。そこから面が割れ、一人の男が逮捕される。しかし彼は自供しない。
 被疑者を尋問している間、また一人の女性が襲われ殺される。しかしこの犯行は私でもその男をかばうための犯行だとわかる。少なくともこの殺人事件の犯人は彼の妻あるいは母親のどちらかだ。

 ざっと書いてしまうたわいのない小説のようになってしまうが、犯人逮捕のための心理作戦は結構面白かった。で、一つ知ったことは、日本の警察では取り調べ室で犯人あるいは被疑者の食事にカツ丼をよく出すシーンがテレビで映し出される。しかしフランスではビールとサンドイッチらしい。


評価
★★★


書誌
書名:メグレ罠を張る
著者:ジョルジュ・シムノン 峯岸久訳
ISBN:9784150709518
出版社:早川書房 (1991/09 出版) ハヤカワ・ミステリ文庫
版型:233p / 16cm / 文庫判
販売価:546 円(税込)

2008年10月27日

穂村弘著『本当はちがうんだ日記』

2008_10_27_01.jpg


 私はエスプレッソが好きだ。カップをそっと口につける。目を閉じて、ゆっくりと一口啜ってみる。苦い。舌が苦い。苦くて、とても飲めたものではない。痺れた舌を空中でひらひらさせながら、私はカップを置く。
 私のエスプレッソがこんなに苦いのは何故なんだろう。果実の薫りとキャラメルの味わいの飲み物が、地獄の汁に感じられるのは何故か。それは、おそらく、私自身がまだエスプレッソに釣り合うほどの素敵レベルに達していないからだ。

 私の本棚の一角カバーをかけた本たちが並んでいる。全てがいわゆる自己啓発本である。素敵な自分になるためだ。

 コートや上着やズボンのポケットから小銭が出てくる。レジでお釣りを受け取るときに、その場で落ち着いて小銭入れに収納することが出来ず、ポケットのなかにばっと放り込んでしまうしまうからこうなるのだ。

 小学校六年生のとき、卒業文集を作ることになり、その記入用紙に「名前」「誕生日」「血液型」「好きな食べ物」「趣味」「将来の夢」の中に「あだ名」という項目がありショックを受ける。私にはあだ名がなかった。私は記入欄に素直に「特になし」と書けばいいものを「ホムラ」と書いてしまった。
 文集が出来上がって、隣の席の「かーくん」に何気なく「これ、おまえの、名前じゃん」と云われたとき、私の世界は張り裂けそうだった。「だって、ないんだ、ぼくには、あだ名、ないんだ」と絶叫したかった。だが私は「ふふふ」と笑っただけだった。何がふふふなんだ。

「なあ、トースケ、この三年間(高校の)にバスのなかで女の子から何通手紙貰った?」
「え、わかんない、二十個くらい?」
 それは「がーん」でありつつ「やっぱり」なのだ。
 勿論私は一通も貰ったことはなかった。ラブレターを「個」で数えるような奴が二十個貰えて、ちゃんと「通」で数えられる俺は0通。羨望と嫉妬と納得で、私は混乱していた。
 彼女たちにとって、私は、バスの車内の吊革や椅子と同じ存在なのである。いや、掴まったり座ったり出来ない分、それよりも価値がない。

 私は自分の方から女の子に手紙を出すことなど考えてもいなかった。
 それがどんなジャンルの事項であれ、例えば、六十七勝七十三敗からの一敗は何ということもない出来事だ。そこから三連敗してもなんとか耐えられるだろう。だが、0勝0敗からの一敗は恐ろしい。三連敗などしようものなら、自分はこのまま生涯一勝もできずに終わるのではないか、という恐怖に囚われてしまう。その予感が私を動けなくする。

 マネキンが着ている服をかっこいいなと思う。
 早速買って帰って自分で着てみると、余りにも印象がちがって驚く。マネキン着用時にあんなに素敵だったシャツが、鏡のなかでへたっと死んでいる。これは、と私は思う。やはり僕のせいなんだろうな。

 最初から書き出したらきりがない。気持としてはよくわかるし、誰だって見栄を張ったり、人をうらやましがったりするだろう。似たような経験や感じを持ったこともあるだろう。だけど不思議なもので、人生、そういう不幸?からいつの間にか解放されちゃう気がするし、まして年齢を重ねれば、だんだんそういうことを考えることさえ鬱陶しくなってくるのではないかと思うのだ。むしろ著者みたいに四十過ぎてもまだ自分は本来の素敵な姿になっていないと感じる方が、私にすればおかしいのではないかと思うのだ。若々しいといえばそう言えちゃうのかもしれないけれど、四十過ぎてもこれじゃ、どうなのだろうか?
 別に人生論をぶちかまそうなんてさらさらないが、読んでいて面白かったし、「うん、うん」とうなずけちゃところはあるけれど、それは昔の自分を振り返ってそう感じるだけであって、今はそんなことどうでもいいじゃんと思う方が普通なんじゃないかと思う。むしろ若い頃の不幸をさらりと語れる方がかっこいいような気がするのだけれど。
 この本は三浦しをんさんの本で知った。私は著者がどういう経歴の人なのか知らなかった。この本の見開きに著者の紹介があって、それを読んでいると、なるほど、著者は歌人でなんだ。だからいつまでも若い気分を持てあましているんだと思ったのである。世の中にはいろいろな人がいるもんだ。それでいいような気がする。私は穂村さんのこのエッセイを読んでそう思ったのだけれど、穂村さんはそれでは済まない人なのだ。そういうことだろう。


評価
★★


書誌
書名:本当はちがうんだ日記
著者:穂村 弘
ISBN:9784087463538
出版社:集英社 (2008/09/25 出版)集英社文庫
版型:213p / 15cm / A6判
販売価:479 円(税込)

2008年10月25日

司馬遼太郎著『司馬遼太郎が考えたこと 』1

2008_10_25_01.jpg


 司馬さんが亡くなられてから、未発表のエッセイや評論、あるいは対談、講演集などが次から次へと刊行された。この本もその手のもので、単行本未収録作品を集めて、何と全15巻のシリーズにしている。なんせ国民的作家なので、司馬遼太郎と名前がつけば売れないことはない。亡くなられても、とにかく司馬さんの書いたもの、あるいは話したものをどこからか探しだし本にした感じだ。私もいくつか司馬さんが亡くなられてから刊行されたシリーズ本をもっている。まずはこのシリーズから読んでみようと思ったわけである。幸い続けて読まなければ話の内容が忘れてしまうものでもないので、適当に間隔を置いて読んでみようと考えている。
 このシリーズは書かれた期間ごとに巻数わけしてあるので、第一巻は1953年(昭和28年)10月から1961年(昭和36年)10月のエッセイである。たぶんここに収録されたものは、復員後産経新聞の記者時代から、直木賞受賞後までのものであろう。実際初出を見ると本名の福田定一の名前で書かれているものもいくつかある。
 読んでいて、へぇ~、司馬さんもこんな言い回しの難しい文章を書いていたんだと思った。というのも私は司馬さんの膨大な知識を小難しく語るのではなく、わかりやすい文章で表現される人だと思っていたので、少々意外でもあった。
 さらに、歴史に関するエッセイだけでなく、身辺雑記やルポみたいなものもある。このあたりは初めて接したものだから新鮮でもあった。ただルポは読んでいて、開高健さんの『ずばり東京』みたいな感じを受けた。いかにも関西人が書いた文章なのである。

 この巻で面白かったのは「家康について」というエッセイである。まぁ、司馬さんがわかりやすく書いた家康の人物評みたいなものだ。司馬さんによると家康という人物を次のように評する。

「もともとこの人は、信玄や謙信のような戦術的天才もなく、信長のような俊敏な外交感覚もなかった。かれら右の三人より長じた才があるとすれば、部下の官僚(家康の部下だけが近代的官僚のにおいがする)に対する卓抜した統率力ぐらいのものだろう。かれがもし今日にあれば、律儀に受験勉強をし、律儀に東大に入り、律儀に公務員試験をうけてまず有能な局長クラスにゆくに相違ない」

 つまり家康は高級官僚だといい、官僚は自ら自分の偉さを発揮できない。上級官僚なり政治家の引き立てを必要とする。家康の場合の引き立て役が信長であった。家康は徹底して信長に従った。それこそ命を賭けて信長に律儀なまでに従った。当然信長の信頼は厚くなる。徳川家は信長の下請会社のようであった。ただ下請会社は親会社大きくなれば、自らも大きくなる。
 ところが本能寺の変で信長は明智光秀に討たれる。この時家康はわずかな家来を連れて泉州堺を見物していた。慌てて岡崎城に戻り、尾張まで来たとき、秀吉が中国から急遽軍を旋回して光秀を破った。司馬さんは家康が秀吉を「運のいいやつだ」と思ったに違いないと書く。
 なぜ秀吉が運がいいかといえば、この時秀吉は毛利討伐の司令官として、信長よりおびただしい軍勢を貸与されていたから、そのまま大軍勢を旋回し、光秀を討てた。そしてそのまま天下を取ってしまったのである。逆に家康はそういう好条件に恵まれていなかった。だから待つしかなく、「やがて運はまわってくるさ」とその間自分がすべきことを着々と行うことになる。
 天正十二年四月長久手の戦いで、家康は秀吉と戦い、大いに破ったが、秀吉と和睦する。これは家康自身天下に自分の威厳を見せつけるのと同時に秀吉に恩をきせることになる。以後家康は秀吉に仕えるが、その間関東に移封され二百四十万二千石の大大名となった。
 秀吉に死後天下分け目の関ヶ原の合戦があるがこの合戦の勝利を家康にもたらしたのは、関東二百四十万二千石の巨大な身上による。つまり家康に信用があったということである。この二百四十万二千石から振り出される信用と江州佐和山十九万四千石の石田三成の信用とどっちが信用度が高いかといえば、当然家康の方である。だから東軍の諸将は恩賞を期待して憂いなく戦ったのである。一方西軍に与する諸将は戦場に来ても三成に猜疑心を持ち、破れた。
 関ヶ原の勝利の後、家康は江戸に幕府を開き征夷大将軍となったが、まだ大阪には秀吉の遺児秀頼がいる。家康はこれを潰さないとならなかったが、大阪夏の陣は関ヶ原の合戦から15年待って戦われた。ただこのとき家康は今までみたいに気長に待つわけにもいかなかった。もうこの時点で家康は高齢であったから、いつ死ぬかもしれないという自覚がある。自分が生きている間に秀頼を討たなければならないという焦りがあった。だから家康は狡知にみちた策謀家に自ら変じ、大阪方を挑発する。司馬さんはそれを「この気のながい男が、気短かな老人に一変し、律儀者が陰謀家に化した。人生の残りわずかな持ち時間と競争するために、家康は半生もちつづけたそのパターンをなげすてなければならなかったのだ。あわれにも、そのために後生の不評を得た」という。

 もうひとつこのエッセイで面白かったのは、“東海道”に関する記述である。
 東海道は頼朝以来日本史の権力街道であった。鎌倉以来幕末までの日本史で、東海道以外の場所から起こって天下をとった者いない。
 信長、秀吉、家康の三人は今で言えば愛知県人であり、愛知県内にはその東海道が通っている。しかも東海道の中ほどに位置する。つまり彼らは京に近く、しかも多少離れている。つかず離れずの位置にいた。
 たとえば武田信玄や上杉謙信のような東国の英雄が上洛するためには、その沿道に気の遠くなるほどの豪族がおり、それらをいちいち潰して進むしかなく、それだけで一生が終わってしまう。信長、秀吉、家康はそういう意味で好条件立地にいたことになる。このことは大きいし、実際歴史は彼らを天下人にした。
 これを読んだとき、なるほどと思った。やっぱり司馬さんの視点は我々凡人とは違うなと思ったのである。


評価
★★★


書誌
書名:司馬遼太郎が考えたこと 〈1(1953.10~1961.〉 ― エッセイ
著者:司馬 遼太郎
ISBN:9784106467011
出版社:新潮社 (2001/09 出版)
版型:397p / 20cm / B6判
販売価:入手不可 但し新潮文庫であり

2008年10月21日

阿刀田高著『花のデカメロン』

2008_10_21_01.jpg


 この本はボッカチオの『デカメロン』の入門書というか、解説書である。もちろんそこいらにあるその手の類の本ではない。例によって阿刀田流のスパイスをきかてある。
 『デカメロン』自体14世紀の作品だから素朴だけど、荒削りであり、時には話のつじつまがおかしい部分もあるらしく、それを20世紀(この本が出たときはまだ21世紀にはなっていない)の現代風に直せばこのようにした方がいいと、阿刀田流にアレンジしたものも添えられている。
 ご存じの通り、『デカメロン』は当時ヨーロッパで大流行したペストを逃れて、上流階級の七人女性と三人の男性が別荘で14日間過ごすかたわら、毎日みんなでお話をしましょうということで、その語られた話をまとめたものである。もちろんボッカチオの創作だが。こういう舞台装置を作って物語をはじめるのを“枠物語”というらしく、あの『千夜一夜物語』もタイプとしてこれに属する。
 で、当時の上流階級というのは腐敗しきっており、しかもペストでいつ自分たちが死ぬかもしれないという状況であったから、生きている間に享楽を満喫しようという風潮であった。
 だから毎度毎度不倫の話ばかりだ。どうしても人間は腐敗するとそっちの方面であれこれうごめくのである。上流階級の貴婦人を恋いこがれる輩がなんとかしてものにしたくて、あれこれ策を弄して近づくとか、あるいは貴婦人自体が若い男に恋いこがれ、なんとか近づきたいとする話ばかりである。おそらく原作だときっと読み切ることの出来ないだろう話を阿刀田さんは今風におもしろおかしく語ってくれる。だから読んでいてくすっと笑える。その点こういう解説書はいい。『デカメロン』には、こんな話があるんだよという雑学的知識が残る。
 ところでこの本の初出は女性雑誌「JJ」だとある。へぇ~、「JJ」を読むというか見る女性がこの阿刀田さんの作品を読むかなと正直思った。「JJ」の読者にはこの作品のユーモアやエスプリはちょっと高尚過ぎないかなんて思ったのだ。だって「JJ」の読者って、3月まで制服を着ていた女子高生が、4月になって短大に入り、制服から私服になり、着ていく服にあれこれ悩み、この雑誌で紹介されるファッションをそのまま着こなす女性をターゲットにした雑誌でしょ?どう考えても無理があるような人でも、“かわいい”ということでこの雑誌を地のままでいっちゃう女性たちである。そんな女性がこの阿刀田さんの作品を読むとは思えない。
 せめてスーツでシャツのボタン二つ外して颯爽と歩くOLさんたちが、この作品を読んでくすっと笑うのがいいと思うのだけれどなぁ。雑誌でいえば「MORE」を二つ折りにして脇に挟んで歩く世代の女性がいい。でも「主婦の友」じゃまずいよな。(もっともこの雑誌も休刊になっちゃったけど)やめよう!これ以上書くと私の品性が疑われちゃう。


評価
★★


書誌
書名:花のデカメロン
著者:阿刀田 高
ISBN:9784334712358
出版社:光文社 (1990/11/20 出版) 光文社文庫
版型:267p / 15cm / A6判
販売価:入手不可

2008年10月20日

須賀敦子著『須賀敦子全集』〈第1巻〉

2008_10_20_01.jpg


 多分須賀さんの本は一冊は読んでいると思うのだが、なんていう題名だったか忘れてしまった。当時は文章の内容がよくわからなかった。イタリアの作家など知らないものだから余計である。
 最近イタリアに少々興味があって、歴史もそうだけれど、現在の日常生活がどのように営まれているのか、その普段の姿が知りたいところがある。だからイタリアで暮らした人のエッセイなど興味深く読んでいる。その関係で須賀さんの本を手にした。ただ須賀さんが描くイタリアは若干古くはあるのだが、その雰囲気は味わえるんじゃないかと思って読んでみた。
 私は須賀さんがどんな人生を過ごされてきたのか詳しくは知らないので、ネットで調べてみた。略歴は以下の通り。

須賀敦子(すがあつこ)
作家・翻訳家(1929-1998)

 兵庫県芦屋市に生まれ、聖心女子大学卒業後、パリのソルボンヌ大学に3年間留学。帰国後、知人から送ってもらった会報誌などによって、イタリア・ミラノのコルシア書店のことを知り、強く惹かれる。コルシア書店は、二人の神父を中心にしてできたグループで、書店を拠点として、出版活動、講演会、ボランティアなど、多岐にわたる活動をしていた。須賀さんはイタリアに留学すると同時に、コルシア書店へ向かう。やがて、書店の運営を担当していたジュゼッペ・リッカと結婚するが、夫と死別し帰国。その後、数十年経て作家活動を行う。作家活動は10年に満たない短いものだった。イタリア在住時から翻訳家としても活躍した。またキリスト教徒としても様々な活動を行っていた。1998年、心不全で死去。享年69歳。

 この第一巻には「ミラノの風景」、「コルシア書店の仲間たち」、「旅のあいまに」という数編のエッセイが収録されている。いずれも須賀さんがイタリアで夫を亡くされ、帰国して書かれたもののようである。それを須賀さんは「純粋な時間として考えると、六十年の人生のなかの十三年は、さして長い時間ではないかもしれない。しかし、私にとってイタリアで過ごした十三年は、消し去ることのできない軌跡を私になかに残した。二十代の終りから、四十代の初めという、人生にとって、さあ、いまだ、というような時間だったから、なのかもしれない」といい、自分の人生の中でイタリアでの濃厚な生活をここで書きつづるが、これらの文章が書かれる頃になると、その時を振り返る分、時間がたってしまっている。すべてが衰退へ向かいはじめている。人もそうだし、書店もそうである。だからかもしれないが、そこにはどこか“死”がつきまとう感じがする。そこには須賀さんのイタリアでの生活や交友関係などが書かれているのだが、元気で活動的な時代を振り返るのと同時に、その後が必ず描かれる。その後が死であったり、消滅であったり、あるいは音信不通であったりして、もの悲しさが漂う。

 須賀さんをミラノで生活させたコルシア・デイ・セルヴィ書店とはどんな書店だったのだろうか。その成り立ちを次のように書く。
 コルシア・デイ・セルヴィ書店は司祭で詩人のダヴィデ・マリア・トゥロルドが戦争末期には、ドイツ軍に占領されたミラノの、知識人が中心になって組織した地下活動をおこし、戦後、親友のカミッロ・デ・ピアノといっしょに数人の若者をまじえて、都心にあるサン・カルロ教会の場所を借りうけて始まった。

 せまいキリスト教の殻にとじこもらないで、人間のことばを話す「場」をつくろうというのが、コルシア・デイ・セルヴィ書店をはじめた人たちの理念だった。ちゃんとした資金があったわけでもなく、都心の目ぬき通りの教会からほとんど無償で借りた場所だけが財産で、開店したころは、本をならべる棚もろくになかったという。だれかが買おうと思って手にとった本のページにダヴィデの手で書き込みがあったこともある。彼が自分の蔵書まで売っていたからだ。

 そうして出来上がった書店にはさまざまな階級の人々が集まり、サロン化して活気を呈していた。どちらかといえば反体制側の思想の持ち主が多かったようであるが、侯爵や伯爵といった階級の人々もパトロンとなって集まっていた。須賀さんは彼らを「ヨーロッパ史のエッセンスのような家族や招待客たち」とか「美術書を通してあこがれているルネッサンスの邸宅を日常の場に使っている人たち」などと表現しているが、こういう貴族がいるという社会も目をみはる。面白いのは彼らの生活意識である。

 この町の伝統的な支配階級の人たちは、表通りのぎらぎらした宝石店と、この女主人の店(いっけんしもたやふうの店)を見事に使い分けている。彼らの家には先祖代々の宝石類があるから、自分たちがふだん身につけるものは、こういう店でいろいろと手を加えさせたりするのだろう(ちょうど私たちが母の形見のきものを仕立てかえさせたり、染めかえたりするように)。(略)あたらしい貴金属を「終始」買うということはその家に先祖代々伝わったものがないからだ。

 それは私たちは新興貴族や成り上がりとは違うんだというものであろうか?

 それと須賀さんがある年の初夏にサン・ジュリアーノ・ミラネーゼという、ミラノ市から南に20キロほどの町に行っての帰り、何となく心細い気持で歩いていたとき、「ちらちらと白く光っているのが、ミラノの大聖堂の尖塔だとわかるのに、それほど時間はとらなかった。あ、ミラノだ。とっさにそう思ったのだったが、そのことで心がはずんだことに、私は小さな衝撃を受けた。ふだんは日常の一部になりきっていて、これといって感慨も持たなかったミラノだったのが、朝の陽光に白くかがやく大聖堂の尖塔のイメージに触発されて、いいようもなくなつかしい、あれが自分の家のあるところだ、といった感情がよびさまし、ほとんど頬がほてるほどだった」と書く部分が非常に興味深かった。
 昔、阿部謹也さんか誰かが言ったか、あるいは書かれた文章を読んだか忘れたけれど、ヨーロッパの教会の大聖堂がどうしてあんなに立派なのかということで、中世の旅人、たとえば遍歴商人が年季明けして自分の町へ帰っていくとき、遠くから見える大聖堂の尖塔が、自分たちがふるさとに帰ってきたという意識をもたらしたのだというのを思い出した。彼らが歩いているうちにだんだん、見慣れた大聖堂の尖塔が見えてくる感覚というのはきっと感慨深いものがあっただろうと当時は思った。それを須賀さんの文章を読んで、ああ、これだなと思ったのだ。

 須賀さんの文章に出てくる言葉はなんていっていいのかよくわからないけれど、どこか心に残る。この本の解説を書かれている池澤夏樹さんは「須賀敦子はたいへん言葉に長けた人だった」というのはよくわかる。こうして前後関係なく抜き出してみてもうまい言い方をする人だなと思うのだ。

「しかし何年かたついちに、(博物館に収められた)いくつかの真珠が光沢失いはじめる。(チェデルナはここでは“appassire”という、花などが「凋れる」という意味の言葉をつかっている。他でも耳にしたことのある表現であるが、うつくしいと思った)真珠は人肌にふれないと徐々に死んでしまう」

「生きるだけでも骨の折れたあの日々」

「生きるための争いを終えた人々が横たわる墓地と、まだ闘いのさなかにある市場の人々と」

「昔『ヴェニスに死す』を読んだのは、本を脳の筋肉(そんなものがあるとすれば)でただ噛み砕いているにすぎないような若いころのことで、あたまに残っているのは、だれもが知っているストーリーだけだった」

「彼がどうやって染料会社の仕事の合間にあれほど質の高い読書ができるのか、私には奇跡のように思えた」

「孤独で透徹した哀しみが、私には尊いものに思えた」

「彼は、いちど見えなくなった自分の人生をつかまえようとして、やっきになっていたのだ」

「人生は、どうしても妥協するわけにはいかない本質的に大切なものがすこしと、いいよ、いいよ、そんなことはどっちでも、で済むようなことがどっさり、とでなりたっていて、それを理性でひとつひとつ見きわめながら、どちらかをえらんでいくものだ、といった生き方を、あらためて、彼女のなかに見た気がしたのだった」

 やはり人生を振り返ってみて書かれた文章は、言葉だけをとっても重みがあるし、まして須賀さんのように言葉に長けた人が書くと余計にそう感じてしまう。


評価
★★★


書誌
書名:須賀敦子全集〈第1巻〉
著者:須賀 敦子
ISBN:9784309420516
出版社:河出書房新社 (2006/10/20 出版)河出文庫
版型:453p / 15cm / A6判
販売価:997 円(税込)

2008年10月15日

阿刀田高著『続ものがたり風土記』

2008_10_15_01.jpg


 続いて続編を読む。この本は前回日本各地にある昔話、伝説、民話、物語などストーリーを訪ねる旅だと書いたが、それだけでなく、明治・大正・昭和の名作で、それら作家たちの生誕地や活躍の場所がそこにあれば、作品を含めてここで紹介している。この本自体文芸雑誌「小説すばる」が初出誌だからだろう。
 それが結構面白い。作品のあらすじや、小説の舞台となった背景など詳しく語られ、思わず読みたくなるのである。私は本を探す場合、こうした本の中で紹介された本を読むことが多く、今回も何作か気になる作品があった。で、それをリストアップすると、正編も含め以下の通り。

1.松本清張著『万葉翡翠』角川文庫

2.松本清張著『秀頼走路』(所有済み)

3.南条範夫著『灯台鬼』(ゲット)

4.長尾宇迦著『幽霊記-小説・佐々木喜善』文藝春秋

5.安部公房著『榎本武揚』中公文庫

6.吉村昭著『熊嵐』新潮文庫

 ただ、ここに記されて本はなかなか手に入らないようだ。新刊書店で探すとなると難しいかもしれない。手始めはブックオフで探してみようかと思っている。(南条範夫著『灯台鬼』は近所のブックオフでさっそく見つけた)

 阿刀田さんはこの本の最後に、「小説にはストーリーとモチーフがある。モチーフとは、作家が読者に伝えたいメッセージの核心にあたるもの、読者の側から言えば『この小説、何が言いたいの?』と問うときのその“何か”に相当するものだ。
 ストリーがボディーであるとすれば、モチーフは小説のマインドだ。体と心である。
 風土はこのどちらとも関わっている。風土を見て、思い立つストーリーがある。風土に接してモチーフを獲得するケースもある。ある風土を舞台にしなければ成立しえないストーリーもあるし、風土と密接に結びついたモチーフもある。それぞれの関係は、あるときは深く、あるときは淡く、すこぶる複雑だ。作者の立場と、読む人の立場とで見えてくるものが異なったりもする。
 私の<ものがたり風土記>(正続)は風土とストーリー、風土とモチーフ、それぞれの関わりを、現実の旅の中で捜してみよう、という試みであった」と書く。
 確かに小説を読む場合、その作品が書かれた背景を知れば、さらに作品は面白くなるだろうし、その舞台に行けるならもっと小説を面白く読めるかもしれないなとも思う。しかしそんな読書はかなりむずかしいだろう。だからこの本のような小説の舞台を教えてくれる本はある意味貴重かもしれないと思った。


評価
★★


書誌
書名:続 ものがたり風土記
著者:阿刀田 高
ISBN:9784087745214
出版社:集英社 (2001/06/30 出版)
版型:337p / 19cm / B6判
販売価:1,890円 (税込)

2008年10月10日

阿刀田高著『ものがたり風土記』

2008_10_10_01.jpg


 また阿刀田さんの本に戻る。この本は紀行文である。阿刀田さんは次のようにこの旅の目的をいう。

「昔話、伝説、民話、物語、小ばなし、小説、言い方はいろいろあるにせよ、これらを支えている大切な要素にストーリーがある。稚拙なもの、巧みなもの、単純なもの、複雑なもの、レベルは多様だが、ずいぶんと古い時代から人間はストーリーを珍重して来た。事実から変形したもの、想像が生んだもの、だれかが語り始め、だれかが伝え、だれかが添削をして今日に残っているものが無数にある。名もない語り部が、愛すべき小説家(ストーリーテラー)が実在していあたはずだ」

 その物語、あるいは昔話、伝説、民話などを日本各地を探し歩き、それらのゆかりの地で物語の由来を探るのである。それは必ずしも事実だけが大切なわけではない。フィクションにはそれを創った理由、創った人の願望が潜んでいるから、それを探るのである。それがたとえ作り話であっても、百年たてば、りっぱな伝承的真実になっているものがたくさん日本にはあるから、それを訪ね歩く。
 従って名もなき語り部や有名な作家の作品、あるいは世界中に散らばる作品のも同様なものがあるとして紹介していく。それが結構面白く、紹介された作品を思わず読んでみたくなってくる。
 阿刀田さんは松本清張さんの作品に造詣が深く、いくつかここでも紹介しているのだが、今ちょうど夜な夜な清張さんの短編を読んでいるので、思わず、どれどれと作品集から該当の作品を探してしまう。
 さて、伝説といえば私は高木彬光さんの『成吉思汗の秘密』が懐かしかった。ここでは死んでほしくないヒーローたちはいろいろな形で生き続ける例としてあげている。実際はどう考えてもあり得ないのだけれど、物語だと面白く語れる例として話している。
 高木さんのこの本はいつ読んだであろうか?多分高校時代だと思うが、結構面白く読んだ記憶があり、未だにばかばかしいけど面白かったという記憶がある。
 話は名探偵で検事である神津恭介が怪我か病気か忘れたけれど、とにかく現場に復帰できない状態で、病室で暇を持てあましている。その暇つぶしに、源義経が衣川で憤死しないで、海を渡って中国に逃れ、ジンギスカンになったという話を確かめてみようという話である。いわゆる義経伝説を神津の部下かなんかが探してきて、それを追っていくと、義経が中国に渡り、ジンギスカンになっていくのだ。

閑話休題
 ちなみにこの本確かカッパノベルスで読んだ記憶があるが、もちろん手元にはない。もう一度読んでみたいななんて思ったけれど、手に入らないだろうなと思ったら、何と、角川書店を追い出された角川春樹さんが作った出版社でハルキ文庫で読めるらしい。

 こういう話は松本清張さんにもあり、義経ではないけれど、豊臣秀頼が大阪城で死なずに生き延びたという話らしい。(さっそく読みたくなり短編集で調べてみる)

 考えてみたら、いわゆる物語はたとえ史実であっても、それが語られると同時に、語る者、あるいは話を作った者の主観が入ってくるし、わからない部分は推測し、勝手に都合良く話の整合性を整えるところがある。いや整合性を整えなくてもいい。はちゃめちゃでもいいのである。要は聞く者、読む者が面白ければそれでいいのだ。だから人類は洞窟の中で暮らしていた当時から、火をくべながら物語を語り、聞いてきたのであろうと想像する。もちろん言葉や文字なんてなかったから、手振りや、絵など描いて、それを伝えてきたのではないか。そのうち言葉が出来、文字が生まれるまで、人々は物語を代々語り伝えてきたのである。そして柳田国男みたいにそれらを採取して文字に表す。
 ただこうした物語は確かにその地に根付いたものであるである場合もあるが、得てして世界中に似たような物語があること教えてくれる。私はそれは人類共通の思考回路から生まれたものかもしれないなんて思ったりするのだが・・・。でもそういう類似性は面白い。改めて世の中にはいろいろな物語あるんだなあと思ったし、それを読んでみたいなという気持にさせられた。


評価
★★


書誌
書名:ものがたり風土記
著者:阿刀田 高
ISBN:9784087744545
出版社:集英社 (2000/02/29 出版)
版型:342p / 19cm / B6判
販売価:1,890 円(税込)

2008年10月04日

三浦しをん著『三四郎はそれから門を出た』

2008_10_04_01.jpg


 この本というか、この書名は朝日新聞で見て気になっていた。面白い題名をつけるもんだなと思っていたのである。もちろんこれはすべて夏目漱石の小説である。三浦さんによれば、遠い昔文学史の授業で夏目漱石の代表作を語呂合わせで覚えるために使ったものだそうだ。ちなみにこれは漱石前期三部作といわれる。後期三部作は『彼岸過迄』『行人』『こゝろ』となる。
 さて、この本は今まで三浦さんがいろいろなところで書いてきたエッセイを一冊の本にまとめたもので、朝日新聞に掲載されたこのエッセイも含まれ、そのまま本の書名となった。主に三浦さんの書評といっていいだろう。
 ただ三浦さんの読まれる本は私が読む本と系統がかなり違うので、私としてはいろいろな本があるんだなというぐらいで、いくつかは除いて今後ほとんど読まない本だろうなと思う。ただ、ちょっと気になる本はいくつかあったので、さっそくメモして、後日読んでみようかと思っている。
 でもそれぞれの本の内容は別として、その内容について三浦さんが語る語り口は最高に面白い。
 基本は自分がしている“ゆる~い生活”を棚に上げて、その分ポジティブシンキングになり、過激なつっこみをいれる。それが大いに笑えるのである。ときに、この人本当に女性なのかなと思うくらい、男性的な過激さでものを言っている。出演者たちが楽しんじゃっていて、視聴者を置いてきぼりにしている最近のバラエティーよりはるかに面白かった。久々に笑わせてくれたという感じだ。
 たとえば、穂村弘さんの『本当はちがうんだ日記』を題材にして次のように語る。

 読んでいて、なんだか他人事とは思えない。たとえば私は、見知らぬ男女が親しく言葉を交わして飲み食いするという「合コン」なるものを心から憎んでいるが、そのくせ自分で出会いを演出する技にも気力にも努力にも欠け、現在使用中の化粧水は、タンスの奥に眠っていた試供品だ。
 問題は「過剰な自意識」だ。自意識が邪魔をして、「私も仲間に入れてほしい」と率直に表明することができない。楽しそうな人々をモジモジと遠巻きに眺めるのもである。
 こういう心性を、一言で表す言葉がある。「思春期」だ。この欄をお読みの中高生は、思春期まっただなかで、さぞかし生きにくい日々を送っていることだろう。しかし、いずれは思春期も終わり、楽しい青春が待ち受けているはず、と希望を抱いていると思う。残念ながら、その希望は捨てた方がいい。恐るべきことに、思春期は一生つづくものだからだ。
 その、つらくもあり情けなくもある真実が、笑いと鋭さに満ちたエピソードとなって、『本当はちがうんだ日記』に克明に記されている。

 この「三四郎はそれから門を出た」は中高生のための本の紹介ということになっているから、その年代の合わせてこのようにいっているのだ。他にも、次にようにある。

 え、もしかしてもう夏休み?いいなあ。海、山、恋、冒険と休み中の予定が目白押しかしら?いや案外夏期講習の予定だったりして。ははは、ざまあみろ(と、夏休み自体がないくせに喧嘩を売ってみた)

 気になる文章がある。

 本を売る店で働いていると(三浦さんはアルバイトして古本屋さんで働いていたらしい)、気がつくことがある。新刊、古本問わず、とにかく「本」というものを求めて集う人間は、総じてキャラクターが濃いのだ。お客さんも店員も、浮世離れしていたり、逆に欲望におもむくままに行動しすぎていたりで、見ていて飽きない。

 そうかなぁ、私も以前書店員であったからキャラが濃かったのかなぁ。そして今はどうだろう・・・・?確かに本好きにはどこか世間離れしていて、胡散臭い部分もあるので、個性的なキャラクターの人が集まる可能性は充分ある。そして本好きが本屋に勤めるというパターンが多いだろうから、買う方も売る方も似たようなキャラクターになる可能性も充分ある。まぁそれもそれで面白いと思うのだが、最近の大書店では女性には制服、男性にはネクタイを強制して、個性的なキャラを無臭化しようとしている。その結果書店員もその辺のOLやビジネスマンと何ら変わらないようになっちゃって、機械的で面白くない。検索機械の扱いは詳しいけど、本のことをまるで知らない馬鹿書店員が増えている。
 一方読む側もおかしな(あるいはつまらない)人間が増えているような気がする。三浦さんは次のように憤る。

 「趣味は読書」と、てらいなく履歴書に記入できる人々がうらやましくてならない。いや率直に言って、うらやましさが高じて憎しみすら覚える。
 「私、けっこう本読むんだ-。『冷静と情熱のあいだ』はすっごくよかったよ」なんて言う、おまえらなんてみんな死ね。合コン中の男女を横目に、居酒屋で一人、苦しい思いでビールを飲んだことが何度あっただろう。私にとっちゃあ、読書はもはや「趣味」なんて次元で語れるもんじゃないんだ。持てる時間と金の大半を注ぎ込んで挑む、「おまえ(本)と俺との愛の真剣勝負」なんだよ!

あるいは、

 私は読書を通してお役立ち知識を仕入れたいわけではなく、励ましを期待したためしはなく、癒されたくもなく、自己を肯定してもらいたくもないんじゃ!だいたいそんな甘えた精神で本を読んで、はたして楽しいのか?

 私は三浦さんのこの意見には大賛成で、趣味を「読書」と平気で言えたり、履歴書に書ける神経はちょっと私にも理解しかねる部分がある。あるいは最初から打算的に知識を得ることを期待したり、癒しを求めたりするのはどうかと思う。そんなもの読んでみなきゃわからないだろう。

 さて、ここに収録されている三浦さんのエッセイは本のことだけではない。旅、食事、映画、美容など女性らしい文章もあるのだが、やっぱり三浦節が出てしまう。「『大江戸温泉物語』へ行く」では、

 さっそく大きな風呂場に向かう。光差す真っ昼間の広大な風呂場には、大勢の裸の女性(老いも若きも)が集まっていた。あんまり裸体の数が多いから「風呂に入る」という日常的な行為も、なんだか非日常的な行為に変わる。私は湯船につかりながら、「なんかこう・・・・アウシュビッツのガス室を連想させる不吉さがあるんだよな」と思った。無数の裸体の、無防備さゆえの迫力に圧倒されたのだ。

 ここを読んだとき、飲んでいたアイスコーヒーを噴き出してしまった。何となく想像できちゃうからおかしかった。


評価
★★★★


書誌
書名:三四郎はそれから門を出た
著者:三浦 しをん
ISBN:9784591093566
出版社:ポプラ社 (2006/07/25 出版)
版型:305p / 19cm / B6判
販売価:1,680円 (税込)

2008年10月03日

池谷伊佐夫著『東京古書店グラフィティ』

2008_10_03_01.jpg


 池谷さんの本を入手したのでまた読んでみる。読んでみるというより古本屋さんの店内のイラストや書き込みにある店の蔵書を目をこらして見ているといった方がいいかもしれない。それが楽しいのである。今回は都内のおもだった古本屋さんがここに登場している。池谷さんがこうして古本屋さんのイラストの本を描くのは、新刊書店が品揃えに個性感がないため、面白味がないという理由だ。だから必然的にターゲットは古本屋さんになってしまうという。(もちろん池谷さん自身が古本好きというのが一番の理由だろうが)
 例外的に個性的な新刊書店を最後に紹介している。銀座のイエナと書肆アクセスがなどである。ただ二軒とも今はない。個性的であるが故に潰れちゃったのかもしれないなんて思う。
 都内でもこれだけ面白そうな古本屋さんがあることを改めて知らされるのだが、如何せんお店の場所がまちまちで、しかも私の生活範囲から結構離れている。たとえば神保町のように一カ所にいくつもの古本屋さんがあれば、たとえ一つのお店に入って本がなくても、違うお店に入って本を探すことが出来るから、行ってもいいかなと思う。
 だけれど、スポットであるお店にわざわざ訪ねて行って、何も収穫がなかったら身も蓋もないなと考えちゃうのだ。確かに古本屋さん巡りは楽しいしだろうし、お店の棚を眺めるのも面白そうと思うけど、欲しい本を探しに出かけて何もなかったと考えると「ちょっとなぁ」と二の足を踏んでしまう。
 まして、ネットで探せば簡単に在庫の検索ができる時代である。その便利さを享受してしまっているので余計である。だから面白そうなお店だなということで、ただそれだけで足を運ぶことはないと思う。だから仮に何かの用で近くまで行ったときに寄ってみたいと思うのだ。

 池谷さんは中学生の頃江戸川乱歩に沈溺したらしい。それで近隣の町の古本屋さんを巡り乱歩の本を探したという。その数も相当量になったらしいが、全作品が集まった頃、江戸川乱歩の全集が刊行された。思わず「冗談じゃない。これまでの苦労はどうしてくれるのだ」と地団駄を踏んだという。「だろうな」と思う。全集というのはその名の通り、その作家の全作品が、それこそ絶版本であってもそこに収録されちゃうわけだから、昔の作品を読みたいと思って、苦労して古本を集める意味を失なわせる。しかも全集は統一された装丁できれいに並ぶわけだから、腹も立つ。
 けれど池谷さんは「負け惜しみでいうのではないが、発売当時の単行本は、値段、装丁、造本、はては活字にいたるまでその時代が表れており、ストレートに作品の世界へ入っていくことができる」という。これは私もそう思う。
 何度も書いたけど、私は開高さんの昔の単行本が欲しくて、古本屋巡りをはじめた。それはたとえば文庫でも読めるし、全集でも読める。だけど発売当時の単行本そのものの味わいはそこにはない。集めてみると、発売当時の単行本はいいのである。文庫で読んだ作品の親本である単行本がこれだったのかと、手に取り感慨深くなってしまうのである。池谷さんの言う通り、本にその時代のすべてが表現されているような気がしてしまうのである。好きな作家の作品だから、いろいろな意味でいとおしいのである。
 こうした私の行動を文庫にあるのだから内容は同じじゃないと馬鹿にする。「いやいや違うのだ」と言ってもなかなか理解してくれない。
 私が親本である単行本にこだわる理由は“発売当時の本”に価値があると思っているからである。といっても初版本にはこだわってはいない。少なくても“発売当時の本”の雰囲気を残している単行本であればいいと思っているだけだ。その雰囲気を味わいたいだけなのだ。だから私はビブリオマニアではない。
 先に読んだ『チャリング・クロス街84番地』のヘレ-ン・ハンフが17世紀の頃の本を探し求めたのも、これだったんじゃないかなと思っている。
 最近は阿刀田さんに凝っちゃっているところがあるが、その阿刀田さんの本だって出来れば発売当時の単行本が欲しいと思っているので、文庫では簡単に探せるけど、あえて単行本にこだわっているのも、そんな理由からだ。
 だからといって、文庫が悪いなんて全く思っていない。文庫も好きである。だけど時代の雰囲気を感じたければやっぱり単行本だと思うのだ。


評価
★★★


書誌
書名:東京古書店グラフィティ
著者:池谷 伊佐夫
ISBN:9784487754731
出版社:東京書籍 (1996/11/07 出版)
版型:163p / 21cm / A5判
販売価:1,528 円(税込)

2008年10月01日

YOMIURI PC編集部編『パソコンは日本語をどう変えたか』

2008_10_01_01.jpg


 私はWindows Vistaが搭載されたノートパソコンを使ってこのブログの文章を書いているが、最初Vistaの画面の文字を見たとき「あれっ、なんか違うな?」と感じた。普段フォントなどあまり気にしない方なのだが、そんな私でもそんなことを感じた。
 Vistaのシステムフォントを“メイリオ”ということをはじめて知った。私は知らなかったが、このフォントはVista発売前から結構話題になったらしい。“メイリオ”の語源は「明瞭」からきているらしいが、その語源の通り、確かにXPの文字よりスッキリしているかもしれない。そのねらいは①ディスプレイ上(特に液晶ディスプレイに)での可読性向上、②和文と欧文を違和感なく調和させるということにあるらしい。
 ところで漢字をコンピューター上で扱えるようにするためには、一定の数の漢字に番号を振ってソフトに組み込まなければならない。この組み込まれた文字の集合体を「文字セット」といい、多くはJISの文字コードを基準にしている。Vistaは「JIS X 0213:2004」(通称「JIS2004」)という文字コードを使っている。
 ところがVista以前のバージョン、例えばXPでは「90JIS」が組み込まれていて、ここで問題が生じるらしい。下の文字を見てほしい。「かつしかく」を漢字変換すると、上がXPの場合、下がVistaの場合である。違いがわかるであろうか?


2008_10_01_02.jpg

2008_10_01_03.jpg


 XPは「ヒカツ」であり、Vistaは「人カツ」なのである。それをこの本で知ったとき、実際試してみて「へぇ~、そうなんだ!」としげしげとその文字を見てしまった。
 これは大したことじゃないと思われるかもしれないけど、搭載している文字コードの違いがあるということは結構問題なのである。だって双方名前なのだから当然こだわりがあるはずで、いい加減に済ませられる問題じゃない。
 さらにVistaの「JIS2004」の文字コードにはあまり日常生活では使われない第3、第4水準の漢字が収録され