2008年08月19日

ドナルド・キーン著『明治天皇』〈4〉

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 やっと全巻読み終える。この巻は日露戦争、日韓併合、伊藤博文暗殺、そして崩御と描かれる。日露戦争は司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』に詳しく書かれているのを読んでいるので、若干その記述に物足りなさを感じてしまうけれど、この本の性格上仕方がないことだろう。それよりも面白いなと思ったのは、この戦争で勝ったことよりも、国民の多大な犠牲にもかかわらず、戦果が大して得られなかったことによる、「煩悶的厭世思想」がはびこったことである。その結果日本国民が不機嫌になり、現状への憂鬱感、幻滅となって表れ、精神の弛緩となり、軽佻浮薄に流されることとなったというのである。このことは明治天皇も心配するようになる。ただこうした世の中に幻滅感や憂鬱感がはびこると、文学が開花してくる。「(日露戦争終結後十年間で)夏目漱石は、この時期に彼が最高の(そして最も沈鬱な)作品を書いた。森鴎外、石川啄木、島崎藤村の名を留めている傑作群は、主としてこの時期に登場した。この時期はまた、永井荷風、志賀直哉、芥川龍之介、谷崎潤一郎が彼らに最初の名声をもたらした作品を発表した時期でもあった」という。やはり文学というのは「あだ花」的要素があって、世の中に不平不満が強くなってくると、名作が生まれるのだろう。(だったら今も名作が生まれていい素地があるような気がするが、果たして名作といわれるものが生まれているのかどうか、疑問がわく)

 さて、私が興味があることは明治天皇が崩御したあと、乃木希典が殉死したことである。乃木の殉死は、やはり司馬さんの『殉死』に詳しいし、漱石の『こころ』にも重要なテーマとなるのだが、そもそも何故乃木は殉死しなければならなかったのか?
 西南戦争の時軍旗を失ったことを、いつまでも恥と思い、死してその償いをしようとしたが、その機会を得ることが出来ず、また日露戦争では旅順攻撃で数万人の兵士を死なせてしまったことで、慚愧の念に駆られたいたからだと言われている。
 乃木は旅順で多くの兵士を死なせてしまったことを償うために、割腹して詫びたいと明治天皇に申し述べたが、天皇は最初何も言わなかった。ただ乃木が退出するとき呼び止めて「卿が割腹して朕に謝せんとの衷情は朕能く之を知れり。然れども今は卿の死すべき秋(とき)に非ず。卿若し強いて死せんならば宜しく朕が世を去りたる後に於いてせよ」沙汰したという。
 この本によれば、確かに旅順攻撃に対して、たくさんの兵を失ったことを明治天皇は快く思っていなかったと書かれているが、それでも戦後乃木は学習院長に選ばれた。ただ乃木の殉死は、最初当時の知識人に受け入れられなかった。志賀直哉などは「馬鹿な奴だ」と言い切る。確か司馬さんも乃木という人物の対して、快く思っていなかったように思うし、人物としても能力のある人物とは見ていなかったのではなかったかと思う。(この辺は昔読んだ本なので、忘れてしまった。もう一度読んでみようかなとも思っている)いずれにせよ、「乃木は天皇に対する忠誠の権化となり、批判することが許されない伝説的英雄となった。乃木の忠義と皇室に対する献身の完璧な体現者として崇拝されることになった」わけで、この思想は昭和に持ち越されることになった。

 この本はキーンさんが明治天皇の伝記を書くことで、必然的に明治という時代を描くことになり、それはとりもなおさず、読む側に明治という時代がどういう時代であったかを教えてくれることにもなった。
 こうして読んでみると、この激動の時代にたとえカリスマ的存在であって明治天皇という人物が、いかに大きな意味を持った人物であったかよく知らされた。ヨーロッパ文化がどんどん入ってきて、西洋化、近代化する日本にあって、日本人が本来持って「日本的な部分」を失わずにいたのは、ある意味明治天皇のお陰と言っていいかもしれない。だから明治天皇が好きになった。
 そんなことをこの本で感じたものだから、北京オリンピックで「君が代」が流れるのを聞いていると私は妙に感動してしまうのだ。 
 最後に、この本の終章に明治天皇の素顔がまとめて書かれているので、それを書きたい。

「天皇は自分に対して厳しい人間で、めったに好き嫌いを見せることがなかった」

「暑さ、寒さ、疲労、空腹など普通の人間を悩ます類のことで天皇が不平を洩らしたことなど絶えてなかった」

「天皇は、ほとんど不自然なまでに何事に対しても平然としていた」

「父孝明天皇と違って、明治天皇は怒りに身をまかせることがめったになかったし、勝手気儘や無責任と思われる振舞いに及んだこともなかった」

「明治天皇には何か内なる精神力といったものが備わっていたようで、そのため自らが作り出した行動の規範にあまり逸脱することもなく従うことができた」

「明治天皇は全国津々浦々へ難儀な巡幸にも不平を洩らすことがなかった。また心身とも疲れ切っている時もなお、天皇は義務感に駆られて地方の物産や遺跡をつぶさに見て歩いた。特に道が悪く難渋した時など、天皇は『これが朕の国だ』と自分に言い聞かせていたかもしれない。今通り過ぎている国を統治してきた万世一系の歴代天皇の自分は末裔である、という事実を天皇は片時も忘れることはなかった。天皇は古代の『国見』の慣例に従って、国の隅々まで検分する義務があると感じていた。自分の祖先たちが作った先例に従うという決意を、天皇は一瞬たりともおろそかにしたことがなかった。天皇は細心の注意を払い、ひたすら祖先たちにの目から見て恥じない行動をするように努めた」

「天皇は例えば伊藤博文のような出自の低い人間を見下すようなことはしなかった。だから有能な人間は出自がどうであれ、立身出世することができた」

「外国人と接するにあたって明治天皇は常に丁重で、そこには誠意さえ感じられた。拝謁を賜る相手が誰であれ、天皇はいつでも進んで微笑みかけ、手を差し出すのだった」

「天皇はその治世の間に日本に洪水のように入ってきたヨーロッパ文物には反感を抱かなかったが、天皇は常に自分自身のためには金を使いたがらなかった」

「天皇は軍服を好んで着たことや陸軍演習を統監することが好きだったということとは裏腹に、天皇は心底戦争が嫌いだったという事実である」

「することなすこと他人の指示に従って動くことを、天皇は嫌ったのだった。しかし大体において、天皇は最後は説得に従った。従わなかった時は、後で謝った」

「恐らく天皇の最大の功績は、かくも長きにわたって君臨したことだった」


評価
★★★


書誌
書名:明治天皇〈4〉
著者:ドナルド・キーン/角地 幸男訳
ISBN:9784101313542 (4101313547)
出版社:新潮社 (2007-05-01出版) 新潮文庫
版型:501p 15cm(A6)
販売価:740円(税込) (本体価:705円)

2008年08月15日

ドナルド・キーン著『明治天皇』〈3〉

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 さすがに自分の興味が薄れてくると、読むのに時間がかかる。何か惰性で読んでいる感じがする。暑さもあって、なかなかページが進まない。
 さて、この巻を読んでいて悲しくなってくるのは鹿鳴館の存在である。
 明治政府は江戸幕府が結んだ安政五カ国条約(アメリカ、ロシア、オランダ、イギリス、フランスとの通商条約)を引き継いだが、これらの条約は列強に治外法権を認め、関税自主権が日本にはない、不平等条約だった。列強に治外法権を認め続けることは日本が独立国としての体面を持っていないことになるし、関税自主権を回復し関税収入を増やして国内産業を発展させる必要がどうしても起こってくる。
 日本は列強各国と交渉をするが、思うようにことは運ばない。ヨーロッパ人たちにとって、日本で捕まると拷問にあったり、虐待されるのではないかという不安がいつもあった。それはそうだろう。ちょっと前まで、江戸時代であって、刀を帯びている武士が闊歩していたのだから。それでなくても幕末・明治維新にかけて、政情不安定で暗殺などが横行していたのだから当然である。自分たちを守ってくれるのは日本ではなくて、自分たちの領事館だという意識がそこにはあった。だからこの治外法権の撤廃には応じられなかった。
 そのため明治政府は日本は野蛮な国じゃないということを示す必要性があった。そこで出てきたのが鹿鳴館である。鹿鳴館が持つ機能は、「日本人が過去の古臭い慣習を捨てて、今やヨーロッパ式の食事の行儀作法、舞踏会での礼儀作法を自由に駆使できるようになったことを外国人に証明してみせる舞台であった」。
 鹿鳴館で華やかな舞踏会が催されることは、日本はそれだけヨーロッパと同水準の文化を持っていることの証明となり、そのことでヨーロッパ人の不安を払拭し、ヨーロッパと日本人は対等に扱われるべきであるという意識が鹿鳴館の落成式を開いた外務卿井上馨にはあった。鹿鳴館は治外法権の撤廃を意識して作られたものであった。
 しかしこれは猿まねでしかなく、ヨーロッパ人は日本がヨーロッパの先進諸国と対等になったとは誰も思っていなかった。むしろ「この国民には趣味がないこと、国民的誇りが全く欠けている」と言われてしまうのである。つまり日本の西洋化、近代化はその程度のものであったのだ。その西洋化、近代化は基本的に根付いている訳じゃない。形ばかりのものをせっせと持ち込み、顔色をうかがい、それを持って西洋化、近代化したと認じているだけであった。
 それでも中にはしっかりした人物もいた。ロシア皇太子であったニコライ二世が襲撃された大津事件で、犯人の津田三蔵に極刑を言い渡さないと、日本のメンツがなくなるし、国際的に何が起こるかしれたものじゃないという不安があった。ところが、日本には刑法116条に「天皇、三后、皇太子に危害を加え、または加えようとするものは死刑に処す」という規定があるが、それがニコライに適用できるどうかの問題があった。大審院長児島惟謙は刑法116条は外国の皇太子に適用する理由は何もないとそれを突っぱねる。元老、閣僚はそれは危険だと児島を説得するが、児島は司法権擁護のため次のように言う。
「諸外国は常に日本の法律の不完全さ裁判官の不適性ついて不平を鳴らしている。今を措いて、日本人の法に対する尊厳を示す時はない」と。状況によって法律を変えてしまうのでは、諸外国からの信頼など得られるはずがないというのである。結局津田は無期懲役を言い渡された。日本が信頼を得るのは、単にヨーロッパ文化の猿まねだけじゃまずいということをわかる人はわかっていたのだと思うとちょっと安心しちゃう。

 さて、この巻のメインテーマはやはり日清戦争となるだろう。この本を読んでいると、日清戦争のきっかけとなるのが朝鮮半島の情勢である。明治維新後、日本にとって、朝鮮半島の動向は国内の動向と絡んで問題視される。本来なら他国のことなのだから、気にする必要性もないし、干渉する必要性もないはずだ。ところが日本は明治維新を達成したことによって、アジアで西洋化、あるいは近代化を成し遂げたという思い上がりから、未だ鎖国をしている旧体制化の朝鮮にちょっかいを出す。またそこには国内の不安的要素を一気に朝鮮半島で解決しようという意図も見られ(第二巻にそのことは書いた)、さまざまな形で日本は朝鮮に干渉する。
 当然朝鮮の宗主国として任じている清と衝突せざるを得ない。その上台湾の帰属問題も絡まっている。これが日清戦争へとつながっていくことになる。先を急げば、この後、朝鮮はロシアと接近し始めるものだから、次は日露戦争と続いていく。
 私は当時の明治政府がなぜこれほどまでに朝鮮半島にこだわり、なんだかんだと口を挟むのかよくわからない。どう考えても思い上がりとしか言いようない態度である。日本は明治維新を成し遂げ、アジアで西洋化、近代化を唯一成し遂げたという意識から、隣国である朝鮮がいつまでも鎖国を続け、旧体制のままであることではまずいと主張するのは一体どういう意識なのだろうか?内村鑑三でさえ、『朝鮮戦争(日清戦争こと)の正当性』という英語の論文で「日本は東洋の『進歩』の擁護者である。その不倶戴天の敵である清国(救いがたく『進歩』を嫌う者)を除いて、日本の勝利を望まない者がどこにあろうか!」と結論づけている。
 あるいは朝鮮がロシアの侵略下に置かれるという脅威があるのだろうか?また清が隣国で覇権を及ぼしているという脅威から、朝鮮に干渉せざるを得ないということなのだろうか?
 どっちにしても、自分の国内の充実を図れば、たとえ西洋列強国が干渉し始めても、跳ね返せるくらいの考えはなかったのだろうか?どうも視点の置き場所が違うような気がしてならない。
 が、とにかく日本は戦争に勝った。勝って日本は世界の名だたる「帝国」となった。その統治者である明治天皇の株がど~んと上がる。明治二十七年(1894)十二月二十七日付けの「ザ・ニューヨーク・サン」の論説でヨーロッパ、アメリカの君主あるいは大統領と比べて「天皇に比すべき者殆どなし」、「天皇は真に古今独歩の君」であると言われ、歴史上の名君、例えばローマ皇帝のアウグストゥス、英国のアルフレッド、フランスのナポレオン一世、ドイツのヴェルヘルム一世の統治も明治天皇には「遙かに及ばざる所なるべし」とヨイショされるのである。
 さすがにこれは持ち上げすぎという感じがしてしまうが、それでも明治天皇の成長は著しい。読んでいると、即位したての頃は、小さな声で勅令を発していたり、外国の要人と話していたのが、それが積極的に要人と会い、政治にも積極的に自分の意見を言い、あるいは元老、閣僚に意見を聞くようになって、明治天皇は日本の威厳ある統治者となっている。
 それにしてもここまで明治という時代が進むと、幕末・維新時にあれだけの数の人物を排出したのに、伊藤博文しか人物が残っていないのが悲しい。天皇は政局が不安定になると、いつも伊藤を呼び出し、何度も内閣総理大臣に任命する。一体伊藤は何度総理大臣になって、やめていったのだろうか?また伊藤自身も自分がうまく立ち回れないと、天皇に勅令を出してもらって、助けてもらう位しか出来ない人物なのだから、この後日本が二流の人物たちに翻弄されるのも仕方がないことなのかもしれないなんて思ったりする。


評価
★★


書誌
書名:明治天皇〈3〉
著者:ドナルド・キーン/角地 幸男訳
ISBN:9784101313535 (4101313539)
出版社:新潮社 (2007-04-01出版) 新潮文庫
版型:504p 15cm(A6)
販売価:740円(税込) (本体価:705円)

2008年08月08日

ドナルド・キーン著『明治天皇』〈2〉

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 2巻目を読み終える。この巻のハイライトは西南戦争であろう。西南戦争で西郷隆盛が死に、大久保利通も暗殺され、木戸孝允も病死することで、明治維新立役者が相次いで失われていく。以後、明治は西郷や大久保、木戸たちの腰巾着たちで運営されていくこととなる。
 実を言うと、私も幕末・明治維新の興味はこのあたりまでで、以後それほど興味がわかない。なぜなら彼ら維新の立役者以後出てくる人物たちは、明らかに品格の上でも、西郷や大久保、木戸たちに劣るからである。どうしても彼らより小さく感じてしまうのだ。彼ら以後出てくる人物の行動にはどこか小賢しい部分を感じてしまうし、それに威厳がない。明治天皇にしても、西郷や大久保、あるいは木戸に対する態度と明らかに違う態度で接しているし、中には小馬鹿にして、嫌っているところがここには記されている。
 確かに明治維新という大革命をなした人物たちと一緒に生きてきた天皇にしてみれば、彼らに頼るところは大きかったに違いないし、明治がある程度完成してくれば、今度はそれをどう動かしていくかに、移ってくるわけだから、実務的な政治能力が求められていく。いってみれば役人的存在感の人物が幅をきかせてくることになる。だからある意味人物が小さくなるのはやむを得ないのかもしれないが、その分つまらなくなる。
 明治はさまざまな問題をはらんでいた。まずは武士階級の没落である。この数の多さが明治のとりあえずの問題であった。そこで出てきたのが、朝鮮出兵である。朝鮮はまだ鎖国を続け、日本の度重なる要求にもかかわらず、開国をせず、日本を蔑んだ態度で接していた。そこへ西郷が乗り込んでいき、自らそこで殺されることで、朝鮮征伐の大義名分ができあがり、没落した士族をそこへ持っていくことで、士族の不満を解消しようとした。
 しかしその計画は却下され、西郷は鹿児島に去る。鹿児島では不満分子が西郷の元に集まり、政府にたてつくこととなる。これが西南戦争である。つまり明治という国家を完成するためには、どうしても士族の完全なる解消が必要であり、明治国家作り上げるに当たりどうしても通らなければならないものであったように思えてならない。江藤新平にしても西郷隆盛にしても、彼らと共に死ぬしかなかったように思えてくる。

 明治天皇は西南戦争が起こったとき、大和巡幸をしていた。本来ならすぐ東京に戻り、国家の危機に対処すべきはずなのに、巡幸を続けた。それは「西郷隆盛は、天皇自身とりわけ贔屓にしている維新の英雄である。その西郷が率いる鹿児島軍と政府軍が一戦を交える恐れが出てきた。この可能性を知った時、天皇はどんな反応を示したか。思えば明治天皇が脇目もふらず巡幸の日程をこなすことに専心していたのは、これらの雑念を頭から振り払うための苦肉の策であったかもしれない。残りの京都滞在を通じて天皇が見せた無気力な態度もまた、同じ理由から出たことだったかもしれない」とキーンさんは書いている。大久保が暗殺された時も「朕深ク股肱ノ良臣(最も頼みにしていた家臣)ヲ失フヲ悼ム国家ノ不幸之レニ過ルコトナシ」と言った。

 ところで読んでいて嫌だなと感じたことがある。明治維新を遂行し、国家の大変革なし遂げた日本の役人たちは、その原因となった西洋列強が日本に対して行った高圧的な態度を自ら清国や朝鮮に行ったことである。自分たちは西洋列強の高圧的な態度で苦しんできたにもかかわらず、それを忘れて、自分たちは天皇を中心にして西洋化し、近代化した。だから“あんたちもそうしないといけないよ”いつまでも旧習にしがみついていてはならないという態度に出るのである。どこか自分たちはお前らとは違い、優秀なんだという傲慢な態度がのぞく。おそらくこうした態度は、以後増長する一方で、第二次世界大戦の敗北まで日本は持ち続けることになるのだろう。
 確かに西洋化の促進は加速した。例えば明治九年に天皇が青森の小学校を訪問した時、生徒が「演説 ハンニバル士卒ヲ励スノ弁」や「演説 アンドル、ジャクソン氏合衆国上院ニテノ演説」を英語で話した。明治がなってわずか九年で、しかも青森の小学校でハンニバルやアンドリュー・ジャクソンについて器用に英語で話すのである。これには天皇も不快に感じた。日本の伝統に無知でハンニバルはなかろうということである。
 これに対して明治天皇は「去年の秋、各県の学校を巡覧し、親しく生徒の学業を視察したが、例えば農商の師弟が、その発言が高尚な空論に終始するものもいる。甚だしきに至っては西洋語が達者であるにも拘わらず、それを日本語に訳すことが出来ない。こういう学生は卒業後、家に帰っても再び本業に就きにくい。高尚な空論では、公職に就いても役に立たない。それどころか博聞を誇って目上を侮り、県の官吏を妨げるものとなるに違いない」と言う。さすがである。形ばかりの西洋化、近代化は器を立派にするけれど、中身がお寒い限りであると見抜いている。
 ヨーロッパやアメリカの思想を受け入れる器の大きさを持ち合わせているのは結構だけれど、自分たちを見失ってするもんじゃない。本来それらの思想はその土地で生まれたものであって、確かに一部は普遍的な部分は持っているかもしれないが、それがどこでもそのまま通用するとは限らない。それを勘違いして、何でも新しいものはいいとして、それまでの日本が持っていた美徳を忘れてしまうのは、そのまま現在まで続いているような気がする。
 この時の明治国家は器ばかり西洋化、近代化しているだけであって、他国に誇れる国家ではなかった。それを勘違いして、大国ぶる傲慢な姿勢は不快感ばかりが残る。幕末・維新で活躍し、死んでいった人物たちはそんな国家を夢見ていたんじゃないと思うのだ。


評価
★★★


書誌
書名:明治天皇〈2〉
著者:ドナルド・キーン/角地 幸男訳
ISBN:9784101313528 (4101313520)
出版社:新潮社 (2007-03-01出版) 新潮文庫
版型:490p 15cm(A6)
販売価:740円(税込) (本体価:705円)

2008年06月24日

北尾トロ著『男の隠れ家を持ってみた』

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 正直あまり期待はしていなかったのだけれど、読んでみてちょっと考えさせられるところがあった。
 今回も「裏モノJapan」の企画もので、「どこかで、アパートを借りて、しばらく通ってみる」というテーマ。最初は企画に行き詰まって、こんな企画しか出てこないから、仕方がないかという感じでいたのが、いつの間にか知らない町で部屋を借りてみるというアイデアが頭から離れなくなる。
 トロさんは家庭もあり、西荻に仕事場をもっており、そこには仕事関係者や友人が多くいるのだが、今回そこから離れて、まったく関係ない土地である足立区のアパートの一室を借り、北尾トロではなく、本名でそこで人間関係を築きたいと考えるようになる。
 ことのきっかけは、トロさんに娘さんが生まれたことから始まる。友人達が娘さんの誕生を「おめでとう」と祝ってくれるのだが、そのお祝いに言葉にトロさん自身違和感を感じ始める。
 仕事も順調、夫婦仲も円満、欲しかった子供もできた。子供のために頑張らねばとモチベーションも上がるが、一方で「父親になってから急速に、この先の人生が見えてきちゃった感じがする」のである。つまり自分が“つまらないオヤジ”になりかけていて、このままズルズルと守備重視型の人生に突入していくことに、ものすごい恐怖感を感じ始めるのだ。しかしそれが普通なのだが、“つまらないオヤジ”、冗談じゃねぇ!と強がるところがあった。それは“北尾トロ”がそう思わせていた。トロさんには“北尾トロ”という虚構の人生がある。ライターとしてのペンネームが都合よかった。それに寄りかかっていれば、見たくない自分を見なくていいからだ。しかし生身のトロさんも“北尾トロ”も同じ人間である。生身のトロさんが感じる現実と、それに抵抗しようとする“北尾トロ”がいるのである。多分トロさんが感じる違和感はそこから生じるものなのだろう。
 本名でアパート暮らしをし、近所の人たちと人間関係を築きたいといったって、そう簡単にできるもんじゃない。だって、月に何回かこのアパートで暮らしても、基本ここがトロさんの定住地じゃないからだ。それにこのアパート暮らし自体雑誌の企画なのだから、周りの人間と本名でつきあえるわけがない。つきあいができたって、すぐ破綻する。だから基本何も起こらないで、この企画は終わる。
 ただこうした生活を続けた結果、「周囲が北尾トロとしか接しないのではなく、自分がラクをするために、北尾トロとしてふるまうことが日常的になっていたのだと思う。臭いものにフタをするように、私生活の部分まで北尾で埋め尽くせば、現実を先延ばしすることだってカンタンだから。
 それだけのことを理屈ではなく、実感としてわかるために十ヵ月かかったのかぁ・・・」と悟るのである。ペンネームを持てば、別人格の人間ができるところはあるかもしれないが、所詮それはペンネームしかすぎない。なまじペンネームで仕事をすると、それが生身の人間と同じようになってしまう誤解があるんだなと知らされる。現実は現実だし、同じ人間なのだから、そこから逃避することはできないのだとも改めて知らされる。もちろん逃げたくなる気持も分かるけれど・・・。むしろそれが“北尾トロ”という名前を持ったことでできたことが、逆にうらやましくも感じてしまう。


評価
★★★


書誌
書名:男の隠れ家を持ってみた
著者:北尾 トロ
ISBN:9784101282534 (4101282536)
出版社:新潮社 (2008-06-01出版) 新潮文庫
版型:171p 15cm(A6)
販売価:380円(税込) (本体価:362円)

2008年06月05日

開高健著『一言半句の戦場』

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 本当に久しぶりに開高健さんの文章にふれる。開高さんの死後、追悼の意味も込めて、さまざまな本が出版され、どこから探してきたにかと思えるくらい、開高さんが書かれた文章を引っ張り出し、あるいは以前書かれたものを再度収録し直して、本が出版された。だからもう未収録の開高さんの文章などないだろうと思っていたら、まだこんだけあったのかと驚いた次第だ。そしてこの未収録の文章を集めたNPO法人の開高健「単行本未収録作品集成」編集委員会なるものがあること自体驚きであった。
 A5版の3段組で590ページもある本に少々たじろきながら読み始める。確かに分厚いけれど、各ページにイラスト、カットがちりばめてあるし、写真も数多く載っているので、ページの割には内容はそれほどでもない。こんなにイラストや写真はいらないんじゃないかと思えるし、トリス時代のコピーを二ページにわたり大きく掲載しているけれど、まぁ遊び心として許してもいいかと思うことにした。しかしあの「『人間』らしくやりたいナ トリスを飲んで『人間』らしくやりたいナ 『人間』なんだからナ」と名コピーを大きく掲載されると、なんか相田みつをみたいな感じがしないでもない。
 さて、今まで出版された本に未収録のものばかり集めたものだから、全体として統一感がないのは致し方ない。また対談などには同じフレーズが何度も出てくるけれど、それもご愛敬ということで読み進める。しかし大学時代よく開高さんの本を読んでいたので、やっぱり懐かしい。当時は何でも開高さんの書かれた文章や言葉を受け入れていたところがあったが、さすがこの歳になってくると、警句や膨大な語彙から選び抜かれた形容詞や比喩は多少鬱陶しく感じないでもない。けれど選びに選び抜かれた形容詞や比喩は今もさび付いていない。開高さんが「小説は形容詞から朽ちる、生物の死体が眼やはらわたから、もっとも美味なところからまっさきに腐りはじめるように」と言ったけれど、開高さんが選んだ形容詞は、この本では、今でも朽ちていない。

 この本は開高さんの追悼集にもなっており、後半開高さんと生前交友が深かった人の文章も載せている。その中で谷沢永一さんの文章は大変興味深かった。「開高健の強運」と称す文章なのだが、開高さんが成功したのは、その作家としての才能の他に、開高さんの強運にあったのではないかというものなのである。
 たとえば開高さんが世に出るきっかけとなった作品『パニック』は平野謙という当代きっての評論家が絶賛したことに始まる。平野謙は「そんじょそこらの利いた風な口をきく甘ちょろい評論家とは格が違う」。その平野が絶賛したのである。しかも『パニック』が「新日本文学」という雑誌に掲載されていたが、「新日本文学」は、予算的な都合で常に発行が遅れた。平野はその発行が遅れた「新日本文学」が届くまで待って、開高さんの作品を見出し、絶賛したのである。
 文芸記事は毎日と朝日が争っていた時代であったらしく、当時朝日の執筆者であった臼井吉見の面目は丸潰れになり、そこから感情がもつれ、開高さんの次の作品を酷評したらしい。
 芥川賞選考においても、開高さんは強運を発揮したという。当時開高さんは大江健三郎さんと芥川賞を争っていた。評価が拮抗していた。どちらか決められない状態であった。そこで病気欠席していた宇野浩二に電話で意見を聞いた。編集者はなかなか結果が決まらず焦っていた。宇野浩二の口から「開高」という名前が出た時点で、すぐ電話を切った。芥川賞は開高さんと決まった。
 ところが谷沢さんが宇野浩二の性格からして、先に結論を言うタイプじゃないはずだと推論する。宇野浩二は「ううん、開高も良えけど、そやなあ、やはり大江やろうか」と言おうとしていたんじゃないか。それを編集者が焦っていたために、最初に開高さんの名前が出た時点で電話を切ってしまった。これで開高さんが芥川賞を受賞することになったのではないかというのである。これを読んだとき、へえ~そうなんだと思った。
 芥川賞受賞後次の作品を主催者である文藝春秋の文芸誌に発表するのが慣例となっていたが、開高さんは強度のスランプに陥り、一作も作品が描けない状態であった。開高さんはその前に講談社の文芸誌に発表する予定であった作品を横流し、発表した。当然講談社側は激怒する。以後、開高さんはきついお仕置きを科す。「開高は講談社から完全に干され続ける」と谷沢さんは書く。
 開高さんと講談社が仲が悪いというのは有名な話で、その原因がこれにあることは知っていた。私の知っている限り、講談社から開高さんの作品は『饒舌の思想』というエッセイ集しか出ていない。少なくとも私の蔵書で講談社から出ている開高さんの本はこれしかない。
 しかし他社は開高さんを見放さなかった。新潮社が「現代文学全集」の編集をするに当たり、開高さんの作品はそこにはなかった。ところが山崎豊子さんの盗作冤罪事件が起こり、急遽開高さん作品集とすり替えられたという。週刊朝日でもルポの依頼が来る。また当時潮出版にいた背戸逸夫さんに惚れられ、多くの“背戸本”と呼ばれるエッセイ集や対談集が出版される。私は何で開高さんの本が創価学会系の出版社から多く出版されるのか不思議であったが、こうした事情があったのかと知らされる。
 この後集英社の「週刊プレイボーイ」に身の上相談のコーナーを担当したり、そこから集英社のあの『オーパ!』シリーズが生まれる。
 要するに谷沢さんが言うように「彼が何らかの難局に当面するたびごとに、決定的な打開の道を与えられ、終生の理解者および庇護者が現れた」強運に恵まれていた。

 開高さんは小説家としては寡作な方だと思うが、一方で評論、ルポ、エッセイ、あるいは釣りの紀行文はよく書かれた。だから私もそっちんほうの結構付き合ってきた。もちろん小説も読んできたが・・・。
 開高さんのこれらの文章を読むといつも思うのだが、そこに書かれた文章には奥深さがあり、それを書かれた裏付けが途方もなく膨大な書物によるものだと知らされる。そしてそれを読んでみたいという気持になり、私の読書に幅が広がっていった。私のエッセイ好きも多分ここから始まっているのではないかと思っている。名エッセイは読んでいて楽しいのだ。そこに紹介された本は結構読んでいる。またそれも楽しかった。今度はどんな本を紹介してくれるだろうかと、ワクワクしながら開高さんの本を読んできた。
 いつの間にか私は開高さんの書かれるものから離れなくなった。たまたま本屋でアルバイトをしていたものだから、次から次へと開高さんの本を注文していった。ところが注文しても品切れ、あるいは絶版というゴム印の押された注文書が多く帰ってくるようになり、いつしか私は古本屋通いをはじめ、手に入らなかった開高さんの本を集め始めた。以来コレクターとして開高さんの著作が手元に数多く残ることとなった。苦労して手に入れた本だけに、私の宝物といっていい。もちろん読む楽しみも充分味わってきた。
 それが開高さんが亡くなってからはなくなってしまった。当然新刊もないから、楽しみを奪われた子供のように、つまらなくなり、開高さんから遠ざかってしまった。
 これが本当に最後の開高健の本なら、これで私のコレクターは終わることになる。後は手元にある本をじっくり読むことになるだけだ。古本で集めた本を再び読むか、それともゆっくり味わいたいと思って買い揃えた全集をひもとくか、とにかくもう一度腰を据えて読んでみたくなった。


評価
★★★★


書誌
書名:一言半句の戦場―もっと、書いた!もっと、しゃべった!
著者:開高 健・開高健「単行本未収録作品集成」編集委員会編
ISBN:9784087812770 (4087812774)
出版社:集英社 (2008-05-06出版)
版型:590p 21cm(A5)
販売価:3,360円(税込) (本体価:3,200円)

2008年02月21日

喜国雅彦著『本棚探偵の回想』

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 『本棚探偵の冒険』の続編。続いて読む。出だしで笑った。「本屋で不器用な店員に、買った本の帯を破られるんじゃないかとヒヤヒヤしたことは誰にもあるよね」という書き出しである。たかが本の帯と言ってしまえばそれまでなのだが、コレクターとしては本の帯も貴重なのである。本の一部なのだ。古本などこの帯があるなしで価格が大きく違ってしまうこともあるのだ。
 だからレジに本を差し出す時には店員の本の扱いに神経質になるのはよくわかる。レジ接客していると、私の手元をしっかり見ているお客がいるときがある。多分そのお客は、「おい、その本をぞんざいに扱うなよ!」といった感じで私の手元を見ているのだろう。
 しかし、店員は一連の作業をしなければならない。スリップを本から抜いて、カバーをかけたり、袋に入れて会計をする。そのスリップを抜くとき、あるいはカバーや袋詰めをするときに、帯が破れてしまうこともある。時にはとんでもない造本の本があるからやっかいである。函入り本で、その函がきつきつで本が出てこない。しかも本そのものにパラフィン紙がかかっていると、何とか取り出したものの、今度函に納めようとすると必ずパラフィン紙が破れてしまうのだ。

「本体に挟まっているスリップを取るために、函から本体を抜こうとする。抜けない。揺する。出ない、ブンブン振る。泣きたくなる。ゴトン。おい、すみませんの一言は!?スリップを探す。そっちは底だ。背を見て天か地かも判らないのかよ。お前は普段洋書専門かよ。だいたいな、その本はな、五年前からそこの棚に並んでいた本で、とっくに絶版になっていて、今からスリップを戻したって在庫ねぇよ。必要ねぇんだよ。まぁいい、それはそれ、問題は本を函に戻すときだ。パラ(パラフィン紙のこと)をクシャってすんなよ。なるんだよなこれが。絶対になるんだよ。他の店でもこの本はあったんだ。だけど、そこのはすでにクシャクシャだったんだ。客もよ、立ち読みするんじゃねぇよ、高い本を。買いもしないのに中身見るんじゃねぇよ。高い本見るときはな、保証金預けろ。免許証提示だ。あっおばちゃん、そんなに力入れたらダメだよ。ほらずれてるって。何?いいよ、他の客は。『バトル・ロアイアル』どこですかだと?目の前に積んであるだろ。ポップ立ってるだろ。赤い字で『ビートたけし主演・大ヒット公開中』って書いてあんじゃん。探すなよ、ババア。手元に注意しろよ。もういいよ、貸せよ。ほら一万円だ。釣り銭用意しろ。俺がやるよ。函には俺が入れるよ」

 書店員も結構大変なことが判るでしょう!こういう本を扱うときはかなり神経を使うのだ。でも自分が客だとそうは言っていられない。やっぱり喜国さんのように言いたくなるのである。

閑話休題

 レジで思い出した。昔大手町で公務員を相手にしていたことがある。最初勝手に配本されたエロ文庫を仕方がないので店頭に並べていたのだけれど、これが売れる。だからエロ文庫の新刊を平積みにしていた。公務員はスケベなのだ。で、それをレジに持ってくるのだが、面白いのは必ず他の文庫、たとえばミステリーなどを表にしている。絶対にエロ文庫を表にしない。本当はエロ文庫が読みたくて仕方がないのだけれど、それじゃあまりにもみっともないから、読みもしない本より、読めそうな西村京太郎の文庫本を選び、一緒に持ってくる。魂胆が見え見えなのだ。
 私は基本的に公務員が嫌いなので(銀行員も嫌いだ。これは書いたけれど・・・)、文庫二冊を受け取り、下に隠してあるエロ文庫をわざと表にしてレジを打つ。そしてそのエロ文庫からカバーをかける。本当はゆっくりカバーがけしたいところなのだが、そうも言っていられないから普段通りにやる。しかし腹の中ではあんたも好きなのねと思っていた。

 さて、喜国さんの本に戻る。この本や先の本を読んでいると、古本に限定せずとも本という<物体>は読むことに限らず他に楽しむというか遊べることが出来ることを知る。
 たとえば喜国さんは前回、早川書房のポケットミステリを一日どれほど集められるかということをしている。ただこれは購入するのではなく、今まで出版されているポケミスを古本屋だけでなく新刊書店でチェックして、全巻集めてみる。
 又は自分で欠けている本の函をオリジナルで作ってみたり、豆本を作ってみたりする。あるいは自分で集めた本から出版社を問わないアンソロジーを作ってみたり、オリジナルカバーまで自分で作り統一感を出してみたりする。
 さらにミステリーグッズとしてミステリー本の表紙をトレカにしてみたり、探偵小説のTシャツを作ってみたり、結構まめなのである。さすがここまでして本と遊びたいとは私は思わないけれど、面白いとは思う。
 その上ゲーム感覚で、神保町から水道橋の古本屋、新刊書店を一軒一軒巡ってみたり、新刊書店が危機に瀕しているから、五万円投資して、本を買いに出かけたり、いろいろとやってくれている。
 そんな中、喜国さんがブックオフにあまりいい感情を持っていないことがそれとなくわかってくる。ブックオフが、持ち込まれた本をきれいか汚いかだけで判断し、同じ値付けがされ、汚い本は捨てられ、残った本は磨かれ店頭に並べられることが気に入らないらしい。確かにそうである。ブックオフにいる店員に古本の本当の付加価値などわかるわけがないから、それは仕方がないだろう。
 それと「本が好きだから、本を邪険に出来ないから、捨てることが出来ないから」、あるいは「捨ててゴミになるなら誰かの元に言ってほしい」という気持ちから新古書店に売りに行く。そこに環境問題も絡んでくる。この本好きの微妙な感情を利用してブックオフは成り立っているというのが気に入らないらしい。
 まぁそれほど込み入った感情でブックオフに本を売りに行く訳じゃなかろうが、捨てられないし、捨てるなら、多少でも現金か出来るなら、近所にあるブックオフに持っていこうというところじゃないかなと思う。
 ブックオフに関しては賛否両論あるが、私はかなり利用しているので、その存在価値にとやかく言うことは出来ない。だからここでやめておく。


評価
★★★


書誌
書名:本棚探偵の回想
著者:喜国 雅彦
ISBN:9784575713381 (4575713384)
出版社:双葉社 (2007-10-20出版) 双葉文庫
版型:493p 15cm(A6)
販売価:859円(税込) (本体価:819円)

2008年02月15日

喜国雅彦著『本棚探偵の冒険』

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 この本は東京堂の本店はす向かいにあるふくろう店で見かけた。そのときはこの著者のことも全く知らないので、書名は気になっていたが、とりあえず買うのを控えた。でも古本や本棚に関するエッセイは個人的にどうしても気にかかる。で、後日他の本屋さんで探し求めたが、この後読む続編はあるのだが、この本は棚に並んでいなかった。何件か書店を回ったがやはり同じであった。仕方がないのでここのところお世話になっているアマゾンでこの本と続編を注文する。(ほんとこのままでいると、書店では本を買わなくなりそうだ)
 それでこの本を読んで喜国さんがギャグ漫画家であり、奥様も同じ漫画家の国樹由香さんとのことを知る。喜国さんは「横溝正史の絶版文庫を集めるために古書店通いをしているうちに、いつしか古書が人生最大の趣味になった」人で、なにせカーナビに数多く古本屋さんの所在地を登録している人なのだ。主に古い探偵小説や怪奇小説などを集めているという。
 そして変わっているなと思うところは、それを納める本棚にこだわりを持っていることである。つまり本が入ればいいというのではなく、きれいにそれら古本が収まっていないと気が済まないのだ。ネットで「潜入!本棚探偵の凄い本棚」というサイトがあるのだが、それを見てみると、なるほど確かに美しい。


http://media.excite.co.jp/book/interview/200412/
index.html


http://www.kunikikuni.com/index.f.html


 さすが友人の本棚の整理を買って出るだけあって、本棚にはこだわりを持っている。新たに購入した古本を本棚納めるために、それまできれいに美しく並んだ本を棚ごと移動させるというこだわりなのだ。さらに市販の本棚は読書家が作ったものじゃないから、棚一杯にきれいに収まらず、上部に大きなスペース出来てしまう。だから美しい自分で本棚を作るという始末。函がなくなってしまって価値の下がった古本を自分でオリジナルの函を作って棚に収めてしまうところまでやるのだ。几帳面というより多少病的な部分も感じないわけでもないが、まぁ古本が好きな人は案外こうした病的な部分を持ち合わせているような気がする。
 じゃあ自分はどうなんだと振り返っちゃうと、私は古本も集めはするが、そこまで本棚に収納することにこだわっていない。実際今は、本棚の整理をしないものだから、本棚から取り出し読んだ本を元の場所に収めず、棚に積み上げているし、そこの新たに購入した本も同様に積んだままになっている。要は“ずぼら”なのだ。
 喜国さんの本棚の整理方法で参考になったことがある。私の本棚も大工さんに任せて作ったものだから、ぴったりと本が収まらず、上部にかなりの隙間が出来る。しかも棚がダボで上下出来るのだが、そのダボ穴の間隔が結構広く取ってあるものだから、細かい調整が出来ない。奥行きもそれなりにあるため、文庫などは二列に並べている。これだと奥にある本は全く見えない。しかも上部は本を横にして収納してある。
 喜国さんの本の整理の仕方は、まず奥の本を見えるように、上部に横積みするのではなく下に横にして、高くしてその上に文庫を並べれば奥にある文庫も見えるというのだ。む~ん、確かにそうだ。その下敷きになる本はしょうもない本や読んで絶対に再読しない本を犠牲にする。これはいいかもと思った次第で、今度やってみようかなと思っている。

 さて、私は本は読むものだけのものじゃないと思っている。もちろん読むことが最優先だけど、読まなくてもその本を持っているということだけで満足できるものもあると思う。その本を眺めているだけで楽しい。読むとはなしに古本を手にとって、眺め、ページをぱらぱらめくるだけでも、至福の時を感じてしまうことがある。
 古本自体、時代の荒波にもまれ、生き残ってきただけに、それだけで希少価値がある。古びてても、多少かび臭くても、それが古本の価値を高めるものじゃないかなんて思うのだ。
 今はネットでかなり楽に古本を手に入れることが出来るが、ちょっと前までは、自分で神保町や早稲田界隈の古本屋さんを歩いて捜し回った。それだけ労力と時間をかけて探して見つけ出した本だけに余計に愛着を感じてしまう。
 この本ではよく“タイムマシーンがあれば”という文句が出てくる。つまり現在ある古本が発売当時の何十倍、いやそれ以上の値段がついていること、あるいは探している本がなかなか見つからないから、当時にさかのぼって買いに出かけたいという気持なのだが、はたしてそれがいいかというとそうでもないんじゃないかと思うのだ。
 古本は時間をかけて探し回ることに価値がある。つまりたとえば好きな作家の本を古本屋で集め始めると、最初は結構集まる。しかしすべてが集まるかといえばそうでもない。なかなか手に入らない本は、やっぱりそう簡単に見つからない。それこそ何年越しで集めるものなのだ。そして探している本があったときの感動は言葉で言い表せない。私も古本集めをしていた頃そんな感動を味わったことがある。本当にうれしいものなのだ。そしてやっと見つけた本はだいたいが値段が高い。なぜならその本は古本市場で入手しにくいものだから値が張るのだ。全集などの入手しにくい巻をキキメという。そこでこの本が欲しいのだが、値段を見て驚き、買うかどうか悩み、意を決して購入する。もうそれは宝物なのだ。(やっぱり私も危ない世界にちょっと顔を突っ込んでいるかもしれない)
 それがわかるから、喜国さんが自分が欲しい本を必死になって探す気持がよくわかる。うんうんそうだよねなんて思っちゃうわけだ。そういういきさつが古本に関するエッセイには書かれているものだから、私は好きなのだ。
 そして欲しい本が集まってくると、古本探しもだんだんなくなってくる。好きな作家の本を探し求めているときは楽しいのだが、それ以外の作家に興味が移らないのだ。私もそうであった。だから古本屋街を歩くことをやめたのだ。しかし喜国さんは「選別貴族本」といって専門店で値の高い本に移っていく。そしてこの世に一つしかない「生原稿」に手を出した。
 ところがこれがちょっと怪しい代物で、本物か偽物かいろいろと情報を得て自ら調べていくのだが、どうも偽物っぽいのだ。そのときの衝撃を次のように言う。「美女が化粧を落としたら別人だったどころじゃない。パンツを脱がしたらチンコが生えていたぐらいの衝撃だ」と。大笑いしてしまった。さすがギャグ漫画を生業としているだけのことがある。


評価
★★★


書誌
書名:本棚探偵の冒険
著者:喜国 雅彦
ISBN:9784575712902 (4575712906)
出版社:双葉社 2005/01出版 双葉文庫
版型:453p 15cm(A6)
販売価:800円(税込) (本体価:762円)

2007年08月15日

菊池良生著『神聖ローマ帝国』

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 かねがね不思議に思っていたのだけれど、どうして神聖ローマ帝国はドイツだったのだろうか。少なくともローマ帝国を名乗る以上、何らか古代ローマ帝国との関連があっていいはずだが、どう考えても古代ローマ帝国とは性質が異なるように思える。
 この本の最後の方で「神聖ローマ帝国はかつての世界帝国であるローマ帝国の衣鉢を継ぐという建前にたっていた」なら、その衣鉢とは何なのだろうか。たとえば世界帝国と称すに値する領土的広さがあればいいのだろうか。あるいはローマ的理念が継承されたことを意味するのだろうか。いずれも何か違うような気がする。
 西ローマ帝国が滅んだ後、ローマ教会はそのパトロンとして強大な権力を持つ王権を必要とした。だからカール大帝を戴冠し、教会主導の元で西ローマ帝国を再興させた。当時の状況を考えれば、このことはある程度納得できる。カールも教会にだまされたとさえ思っていたという。
 しかしオットー大帝から始まる神聖ローマ帝国はどうなのだろうか。少なくともこの本を読むまでもなく、ドイツは領邦国家として、個々にバラバラの状態であって、国家としてのまとまりを欠いていた。とてもじゃないが、ローマ帝国やローマ皇帝を名乗れるものじゃなかったはずだ。
 古代ローマがヨーロッパの人々にとってアイデンティティであるからという心性で、ローマ帝国の再興の必要性を語られちゃうと、我々日本人にはよく分からない。そうなんだとしか言いようがなくなってくる。だから神聖ローマ帝国として国家の実体がなくても、ローマ帝国やローマ皇帝を名乗ればそれでいいということなのだろうか。
 さて、この本は神聖ローマ帝国の皇帝を順次ピックアップしていきながら、神聖ローマ帝国とは何だったんだろうかという問いの答えを探っていく。ただ登場人物が非常に多くて、しかも関係が複雑に絡み合っているので、読んでいるうちに何が何だか分からなくなってしまった。とてもじゃないが流し読みで理解できる本ではなかった。これはきちんと紙に書いて関係を整理して読んでいかないとよく理解ができない。じっくり読む必要性がある。時間があったら再度トライしたいところである。


評価
★★(再度評価の必要あり)


書誌
書名:神聖ローマ帝国
著者:菊池 良生
ISBN:9784061496736 (4061496735)
出版社:講談社 (2003-07-20出版) 講談社現代新書
版型:262p 18cm
販売価:777円(税込) (本体価:740円)

2007年07月26日

川上健一著『四月になれば彼女は』

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 焼きが回ったついでに、「青春小説の名手が放つ純愛グラフィティの傑作」(とこそばゆい文句がこの本の帯に書いてあった)を読む。川上さんの本はエッセイ『ビトウィン』がかなり気にいっていて、それ以外に小説2冊を読んでいる。確かにこの2作の青春小説はそれなりに面白かったけれど、正直もういいやという感じではあったが、ついつい新作ということで買ってしまった。
 で、どうだったかというと、失敗であった。予想通りであった。だいたいもう青春小説なんて読む年齢じゃないのだ。私は。
 題名の『四月になれば彼女は』はサイモン&ガーファンクルの曲名だそうだが、さてどんな曲であったか記憶にない。家にサイモン&ガーファンクルのCDがあるが、かといって引っ張り出して聞く気にもならなかった。
 高校を卒業して、次に大学進学なり、就職なりする4月までのわずかの間の不安定な時期のことを書いた小説であるが、だからどうだというわけでもない。主人公の沢木圭太が友人の駆け落ちごっこにつきあうことから物語は始まる。そのあと、高校時代のけんか相手とけんかをしたり、友人や先生と会ったり、小学校の時好きだった女の子と再会したり、三沢基地にいるアメリカ兵とバスケットをしたり、童貞を捨てたいために、街の娼婦を捜し回ったり、アメリカ兵とのけんかに巻き込まれたりする1日を過ごす。
 そこには高校を卒業したという開放感と、高校を卒業をしたのだから早く大人になりたいという気持ちが、そうさせることを作者は書きたかったにかもしれない。
 沢木圭太は最初地元で就職する予定であったが、結局それもダメになり、めまぐるしかった1日が終わった後、東京へ行こうと決意する。
 次に朝、東京の大学に行く小学校の時好きだった女の子、二瓶みどりと再度会う。みどりが懐かしい小学校へ行きたいというので圭太は一緒に行く。校舎を見上げみどりは、「やっぱり小学生のころは楽しかったね」という。おいおい高校生の卒業したばかりで、小学校の頃を振り返るなよ言いたくなってしまった。
 自分はこの頃何をしていただろうかとふと思った。私は3年の10月にはもう大学が決まっていた(すぐ辞めちゃったけど)のでそれ以降、もう高校を卒業した感じで過ごしていた。だから圭太みたいに、高校卒業した3月から4月のわずかな期間ではなく、かなり長い期間自由に過ごしていたはずだ。そのためか圭太みたいな濃密な開放感や悩みなどなかったような気がする。とにかくこの頃には大した記憶がない。


評価


書誌
書名:四月になれば彼女は
著者:川上 健一
ISBN:9784408534756 (4408534757)
出版社:実業之日本社 (2005-07-25出版)
版型:385p 19cm(B6)
販売価:1,890円(税込) (本体価:1,800円)

2007年07月01日

北尾トロ著『ぶらぶらヂンヂン古書の旅 』

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 今回はトロさんの日本全国古本探しの旅の本である。本の題名である「ぶらぶら」は大した当てもなく、歩き回ることを意味するのだろうとはわかったが、「ぢんぢん」がちょっとわからなかった。あとがきを読んで初めて、古本屋を「歩きまわっているうちに人とも出会うし、予期せぬ体験もできたりする。なにより、いい店を発見し、ほしい本をつかみとる瞬間の、胸がヂンヂンたぎる瞬間がたまらない」とあったので「ぢんぢん」は「じんじんする」ことをいっていたんだとわかった。
 トロさんにとって古本屋さんで本を買うことは、自分の副業?のネットの古本屋のセドリも兼ねるので、我々が古本屋さんで本を探すのとはちょっと感じが違う部分があるが、それでも探している本が見つかったり、まったく知らなかった新しい発見があったりしたときの心躍る感覚は同じだろう。気持ちとしてよくわかる。それにわざわざここまで来たのだから、何か成果を出したと思う気持ちは、実際古本屋を歩き回ると確かにそう思う。
 そういうのが随所に書かれていて、ふむふむ確かにそうだと思った。これは古本屋で本を探した経験のある人しかわからないかもしれない。だから一定の成果があったとき、「小走りに駅に急ぎ、新宿行きのあずさに乗った。隣の座席に置いた、パンパンにふくらんだデイバックを叩いてみたら、ポンポンといい音がした」と書くトロさんの満足感がよく伝わってくる。

 ところでトロさんがやっているネットの古本屋さんは私も度々利用させてもらっている。ネットで自分のほしい本が日本全国の古本屋さんから探せる効率のよさがいい。しかし利用する側はそうしたことを重宝しているけれど、逆にネットの古本屋が広まることの弊害とでもいうのか、そのことが古本屋さんがもっている性格も変えつつあることも書かれていて、ちょっと考えちゃった。
 たとえば「市の中心部から距離のあるこの店でに来るのは、クルマに頼らざる得ない。以前はここの在庫に魅力を感じ、そうやって定期的にやってくる客も多かっただろう。ところがインターネットの登場で、ほしい本は自宅で検索、注文までできるようになった。ネットを使えばこの店など比較にならない、膨大な在庫から本を探すことができる。わざわざ時間をかけて、あるかないかわからない本を探しに店まで行く必要はないのだ。その中にはぼくがネットで売っている本だって入っているかもしれない。
 立地ではなく、店主の個性でもなく、置いてある本で勝負してきた店はより巨大化・システム化して新しい客を獲得する方法か、店売は見切ってネットで本をさばいていくかの選択を迫られている」と書いている。だから以前ここには古本屋さんがあったはずなのになくなっていたり、お店を訪ねても、明らかに本が動いていないことがわかるお店に何軒か出会う。その一因がネットにあるのではないかとトロさんは考えるのである。
 また「ネットの普及が古本価格の均一化を招いているとはよくいわれることだが、実際に地方を訪れてみると、改めて現実を痛感する。相場以上の値段ではないとはわかっていても、遠方から訪ねてきた人間としては、”わざわざここで買う”動機付けがないと手を出しにくい」状況になっているというのだ。古本は新刊書籍とは違い定価がないのだから、本の状態や希少価値、あるいはお店の店主のポリシーなどで、値段がまちまちであるのが、楽しいのだが、それがどこでも同じじゃつまらない。
 ネットの古本屋を利用する我々はその便利さだけをありがたく感じるけれど、古本屋さんに限らず、新刊書店の存在感は、トロさんの言うように「その店がもっている磁力といいますか、存在感みたいなものは行ってみないとわからない。空間の濃度もそうだ。ネットでいくらでも本が買える時代、わざわざ足を運ぶ意味はそこだろうとぼくは思う」というのは、その通り!と声を荒げて強く同調しちゃう。


評価
★★★


書誌
書名:ぶらぶらヂンヂン古書の旅
著者:北尾 トロ
ISBN:9784776300342 (4776300346)
出版社:風塵社 (2007-06-30出版)
版型:222p 19cm(B6)
販売価:1,365円(税込) (本体価:1,300円)

2007年06月24日

海堂尊著『ジェネラル・ルージュの凱旋』

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 結局何だかんだといって、これで海堂さんの出版されている本すべて読んでしまったことになる。この本は内容から前回読んだ、『螺鈿迷宮』より先になる本みたいだが、『螺鈿迷宮』の方が先に出版されており、前後逆になってしまっている。でも、つきあっているうちに、登場人物に愛着がわいてきてしまい、面白くなっていくのが不思議であった。
 当然今回は東城大学医学部付属病院に話は戻る。東城大学医学部付属病院の救命救急センター部長の速水が特定の業者と癒着しているという内部告発文書が田口公平のもとに届けられたことから物語は始まる。速水は田口と同期であり、速水をジェネラル(将軍)と影でいうように、救命救急センターにとってなくてはならないドクターであり、そのことで救命救急センターに君臨していた。
 だれがこの内部告発文書を書いたのか。そしてこの内容が真実なのか。田口は真相究明に乗り出すはめになる。
 例によって一悶着には乗り気でない田口がいやが上にも真相究明に乗り出さなくてはならなくところが面白い。そして今回も白鳥がその真相にたどり着くための手助けを、いつもの調子でしている。そして味があったのは、田口と一緒にいる、定年退職後再雇用された藤原看護師であった。今回はかなり田口を手助けしている。とぼけたタヌキ院長の高階もいい。結局私は海堂さんのファンになってしまったようだ。


評価
★★★


書誌
書名:ジェネラル・ルージュの凱旋
著者:海堂 尊
ISBN:9784796657549 (4796657541)
出版社:宝島社 (2007-04-23出版)
版型:381p 19cm(B6)
販売価:1,680円(税込) (本体価:1,600円)

2007年06月16日

開高 健監修『アンソロジ-洋酒天国』1~3

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 さて、そろそろ「洋酒天国」そのものについて書いてみたい。私がこの雑誌を手に入れたいと思っていても、なかなか手に入らなかったことは書いた。やっとの思いで、ネットの古本屋さんを介して手に入れた。
 そのためこの雑誌には思い入れが強い。以前のブログでこの『洋酒天国』のことを書いたこともあるが、なくなってしまったので、もう一度このブログのCoffee Breakで書いてみようと思っていた。たまたま小玉さんの本が出版され、それを読んだので、それじゃもう一度書いてみようと思いたった。
 といっても、私が手に入れた「洋酒天国」は14冊である。しかも入手可能なものから手に入れたものだから、号数もまちまちである。
 また、予算の問題もある。今この雑誌は古本価格で1冊平均2,000円ぐらいする。だから今のところここまでにとどまっている。元はタダの雑誌がである。
 ということで「洋酒天国」のことを書くといっても、たいしたことが書けない。ただここに便利な本がある。それが開高健監修の『アンソロジ-洋酒天国』である。この本も20数年前に出版された。当時「洋酒天国」が手に入れられなかったから、せめてこの本で当時の雰囲気を味わいたいと思って購入した。今回それを初めて読んでみた。

 「『洋酒天国』は昭和三十一年に創刊。現サントリー株式会社の前進である<洋酒の寿屋>のPR誌である。
 その頃はようやく電気冷蔵庫と電気掃除機が登場しはじめ、ドブロク、バクダン、焼酎の時代がやっと終わって、トリスバーがニッポン国の夜を北から南まで蔽っていた。そしてPR誌はまだ氾濫せず、プレイ雑誌もまたなかった。飲んで、騒いで、ワカル、ワカルといって肩をたたきあったあげく、深夜の駅のベンチにゲロを吐いて倒れる。すべての男たちはかなしくも旺盛にこの姿態にいそしむしかなかったのである。
 ここにおいて寿屋は一念発起。ドリンカーの民度向上をめざしてヨーテンの発刊を思いたち、トリスバー、サントリーバーへかよわなければ手に入らない、夜の岩波文庫(?)とでも呼ぶべき快文書の出版と流布に没頭することと相成った。これがヒット、またヒットし、終刊後も古書市場でバックナンバーが高額で取引される放射能を帯びるまでになったのは、ヨーテン同人の一人として欣快至極」

 と開高さんがこの本の最初に書いている。「夜の岩波文庫」とはよく言ったもんだと思うが、なかなかうまい言い方だ。ここに書かれているように、バックナンバーが古本業界で高値で取引されている。それはトリスバーで無料で配られたことで、わざわざ持ち帰って保存しておくような奇特な人が少なかったのではないかと思うのだ。まして酒がはいっている以上、その場で楽しんでおしまいといった感じだったのではないか。そのため古本市場に出回る部数が少なくなったのではないかと推察する。

 さてこのアンソロジーを3冊読んでみて、その豪華執筆陣に驚く。よくもこんな小雑誌にこれだけの執筆陣がそろったものだと思う。この本に収録されているだけでも、大宅壮一、小松左京、都築道夫、吉田健一、荒正人、戸板康二、星新一、獅子文六、安岡章太郎、犬飼美智子、安部公房、檀一雄、北杜夫、大藪春彦、團伊玖磨、伊丹十三、稲垣足穂、淀川長治、田村隆一、吉行淳之介等々の面々である。
 これらの人たちのエッセイを読んでいると、確かに戦後10年はたって、テレビ、冷蔵庫、掃除機が普及し始めても、「もはや戦後ではない」と経済白書がいっていても、戦争や戦後を引きずっていると感じた。話の内容が植民地時代の中国や東南アジアであったり、まだ外貨規制があり、なかなかヨーロッパやアメリカに行くことが出来ない時代に、そこへ行った人たちの経験談が多い。たぶんこういうのを読んで、「なるほど今はヨーロッパやアメリカではこうなんだ」とページをめくりながら酒を飲んでいたのだろう。 
 ただ、このアンソロジーの3巻目の「ウィスキー・ミニ百科」にトリスバーのことを「昭和30年前後に生まれ、爆発的な人気を呼んだ大衆的なハイボールスタンドのこと。今日のウィスキー・ブームを育てた。『やすく、うまい』で、サラリーマンや学生が気軽に入れ、安心してくつろげ、洋酒の飲み方まで教えられる道場だった」と書いてあるを読んで、開高さんが言うように、ドブロク、バクダン、カストリなどいかがわしい酒を飲まされ、しかもぼられ、安心して酒など飲めない、人々の気持ちもささくれたっていた時代から、トリスバーでこの『洋酒天国』を読んで感心し、掲載されているヌードグラビアに驚嘆できるようになったことは、時代が変わりつつあったんだと感じることが出来る。そういう雰囲気を想像しながらこの本を読むと面白いものがある。


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 グラビアは今の男性週刊誌から見ればおとなしいものだけれど、この折り込みのグラビアがないとクレームがきたという。酒にはつきもののあっち方面のジョークも、今でもクスリと笑わせてくれる。

 ところで、この『洋酒天国』を古本屋で探し回っていた頃、面白い本を見つけた。それが『洋酒マメ天国』というやつである。


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 いわゆる豆本である。写真が実物大だ。この豆本が3冊が1ケースに入っている。


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 全36巻。中身もお見せしたいのだが、どうも装丁が悪く、大きくページを開くと割れてしまうので、出来ないのが残念である。
 奥付を見てみると、昭和42年となっているから、これも40年たっていることになる。これはさすがに無料配布というわけにはいかないらしく、サントリー直営ビアホール、サントリー・チェーンバーに申込書が置いてあったらしく、4セットを1年間で1,200円で配布していたらしい。つまり1冊100円ということだ。なかなかかわいらしく、コレクションとして楽しんでいる。

評価
★★★


書誌
書名:アンソロジ-洋酒天国 1酒と女と青春の巻
著者:開高 健監修
ISBN:9784484300085 (4484300087)
出版社:TBSブリタニカ 1983/12出版
版型:239p 19cm(B6)
販売価:892円(税込) (本体価:850円)

書誌
書名:アンソロジ-洋酒天国 2傑作エッセイ・コントの巻
著者:開高 健監修
ISBN:9784484300092 (4484300095)
出版社:TBSブリタニカ 1983/12出版
版型:219p 19cm(B6)
販売価:892円(税込) (本体価:850円)

書誌
書名:アンソロジ-洋酒天国 3ウイスキ-ここにありの巻
著者:開高 健監修
ISBN:9784484853017 (4484853019)
出版社:TBSブリタニカ 1985/03出版
版型:221p 19cm(B6)
販売価:892円(税込) (本体価:850円)


☆いずれも入手不可のようである。

2007年06月07日

小玉武著『『洋酒天国』とその時代』

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 昔秋葉原でお店に出ていた頃(私はこの会社に入社したときの最初の店が秋葉原店で、その後飛ばされ、再度この店に戻ってきているが、今回は最初の頃の話)、お客さんさんで中井さんという、近所の近畿日本ツーリストに勤めていいらっしゃる人が、昼休みよくお店に来ていただいた。この人、私と読む傾向が似ていて(といっても私など太刀打ちできなほどのものすごい読書家なのだが)、何の本を求めているかだいたいわかった。だから何々の本が入りましたよとよく声をかけていた。
 その中井さんは開高健のファンであって、「洋酒天国」を持っていると聞いて、うらやましかったのを覚えている。当時私はこの「洋酒天国」を持っていなかった。
 私は開高健さんのファンになって、開高さんの本を集め始めていた頃であった。通常の本の流通ではもう絶版や品切れを起こしている本もかなりあったので、古本屋通いをして、かなりの開高さんの本を集めることができたが、開高健さんや山口瞳さんが編集した「洋酒天国」だけはなかなか手に入らなかった。ネットが普及して、ネットの古本屋さんが現れるようになると、全国で本を探せるようになった。そんなこともあって、数年前、数冊念願がかなってこの雑誌を手に入れることができた。

 この本の著者小玉さんは当時「洋酒天国」の編集に関わったことを知る。「洋酒天国」がどのような経緯で発刊され、どう編集されたか、その内情を語ってくれているが、ただ物足りない。私としてはもっと「洋酒天国」の裏話などを知りたかった。この本はどちらかというと、「洋酒天国」が発刊された時代背景やその執筆者である当時の有名人や文士を描くことに重点が置かれる。昭和30年代の時代考証みたいな感じだ。
 それでも昭和30年代という時代が秘めていた要素は面白かった。なるほどと思ったくらいである。特にサントリーという会社が昭和30年代をうまくつかんで躍進していったことがよくわかった。そして「洋酒天国」という雑誌も編集者やスタッフが自らの身体で昭和30年代を感じ取り、それを雑誌の編集に生かしていたことが、ヒットの要因であったこともわかった。著者は「その頃のことを回想する時。開高はよく『同時代が私の身体の中にあった』と言っていたが、たしかに次代が動き始めているのを、開高健は身体で感じながら文章を書き、雑誌作りをやっていた」と言っている。つまりこの雑誌は昭和30年代という要素が生んだものであった。
 「洋酒天国」は今から50年前の昭和31年4月10日に創刊された。そして同39年まで61号(合併号があるので60冊)が刊行された。
 私が「洋酒天国」という雑誌に興味を持ったのも、自分が昭和31年に生まれたというのも多少関係がある。自分が生まれた時代がどんな時代であったのか知りたいという思うところは誰にでもあるのではないかと思うが、偶然にも「洋酒天国」が発刊された年が私の生まれた年であったので、この本を読んで分かり始めた。
 ではこの本から「洋酒天国」を媒体として昭和30年代を探ってみる。
 昭和30年度の経済白書にはあの有名な文句「もはや戦後ではない」が載っているが、終戦から10年もたてば、戦後の混乱、貧困からも徐々に解放されつつあり、多少生活のゆとりもできてきた。個人が自分たちの生活を楽しむことが出来つつあった。
 そんな中「洋酒天国」が創刊された。もともと寿屋(現サントリー)では出版というメディアを自分の企業の文化として取り入れていた。それは経営者である佐治敬三という人が「企業経営や生活文化を考える上で一番大事な勘どころ、つまり人間と文化を<編集>することを、生涯を通じて片時も忘れることができなかった」ところに由来する。
 「洋酒天国」の発刊の前に、寿屋は「ホームサイエンス」という家庭婦人向け科学啓蒙雑誌を出版していたし、「発展」という販売促進用ダイレクトメールの小冊子も手がけていた。「ホームサイエンス」の編集部員として、後に開高健さん奥さんとなられる牧羊子さんがいた。開高さんは牧さんの後釜として寿屋に入社し、最初は「発展」の地方取材など、下積みの仕事に明け暮れていた。つまり寿屋は「洋酒天国」の出版が初めてではなく、それ以前にもう手がけていたのであった。
 そしてウィスキーのトリスが支持され、全国各地でトリスバーが出来てくる。そもそもウィスキーのトリスが支持されたのは、それまであったバクダンとかカストリとかいわれた得体の知れない酒を飲むしかなかった人々がトリスというウィスキーを廉価で飲めるようになったからである。
 私