2012年01月26日
鹿島茂著『神田村通信』
筑摩書房の宣伝雑誌「ちくま」に今、鹿島さんの「神田神保町書肆街考」が連載されていて、私はこれを楽しみに読んでいる。私は神保町の歴史にはかなりの興味を持っていて、今まで何冊かその関係の本を読んできたが、未だにしっくりと来ない部分があったが、この連載は神保町の成り立ちがわかりやすく書かれている。
だいたい町の歴史というのは地形もそうだし、住んでいた人間や町に関わった人間も大きく変わっているので、なかなか理解しにくい。ところが鹿島さんの文章はわかりやすく、丁寧に書かれているので、その変遷がよくわかる。たぶんそれは鹿島さんの文章力にもよるのかな、と思われる。で、鹿島さんの本を読んでみようと思った訳である。
鹿島さんは最初、神保町に事務所を持ち、次にここで暮らすようになった。この本はここで生活する鹿島さんの日々における雑感集とでもいうべき本だ。もちろん神保町に限らず、専門のフランス文学のことや、食や興味のあることが書かれている。こういうエッセイは読んでいて楽しい。
序章の「神田神保町ノスタルジア」に次のような文章がある。
駿河台から坂を降りていくと、低く垂れ込めた空の下、戦前のものと思われる灰色の木造三階建ての古書店の群れが靖国通りの南側にビッシリと建ち並んでいた。
大きなビルといえば、三省堂だけ。建て替える以前の古い鉄骨モルタルで、外壁はたしか薄い緑色だったと記憶する。店内に入ると、独特の匂いがした。これはおそらく当時のインクの匂いで、大量の新刊を扱う大型書店ではたいていこの匂いがしたのである。
では、肝心の古書店はというと、こちらは黴と埃の匂いに圧倒された。今では神保町の古書店もだいぶ小ぎれいになったが、この時代には、それこそ古色蒼然という形容詞がふさわしい雰囲気だった。紙質のよくない昭和二十年代の古書が中心だったせいかもしれない。黴と埃、それに古紙のすえたような匂い、これがどの店でも支配的だった。
この話は昭和四十年代の頃の話である。私もかろうじて、建て替える前の三省堂本店を知っている。私が初めて神保町に行ったのは、高校に入った頃であった。やっぱり駿河台の坂をずんずん下って行った。この先行けば、本の町が広がっているんだ、と思った。そして鹿島さんが書かれている三省堂も入った。インクの匂いまでは気がつかなかったが、ただ木製の背の高い本棚がたくさん並び、その本の量に圧倒された記憶がある。地元にあった本屋さんとまったく違う、その偉容さ驚いた。以来、毎月こづかいをもらうたびに、ここへ行った。
古本屋さんは大学時代から通い始めた。高校生ではまだ古本屋に入るという考えはなかった。しかしここで探している本が次々と見つかると、もうその魅力に取り付かれっぱなしであった。
私は大学も近所だったし、仕事場も近くだったこともあり、この時から現在までつきあっていることになる。実を言うと昨日も、天気が良かったものだから、ぶらりと神保町界隈を歩いてきた。別に探している本はないのだが、三省堂にしても、書泉にしても、東京堂にしても、店に入り、本を眺め、手に取るだけで、いい気持ちになる。古本屋さんにも当然入る。ここでもこれといって捜し物があるわけでもないのだが、棚に入っている、知っている本や、文庫本しか知らないけれど、その親本はこういう装丁の本だったんだな、知るだけでも楽しい。一回りして、靖国通りの奥にあるコーヒーチェーンに入り、持ってきた本を読み出す。
ここも節電のため、店内の照明を落としているので、日の光が入る窓際に座り、小一時間ほど、本を読んだ。ここのところ節電で、照明を落としていることが多いけれど、いくらそれがやむを得ないにしても、視力が落ちているおじさんには、電車の中で本を読むことが少々キツイ。
そうそうちょうど鹿島さんのこの本を読んだばかりだったので、思わず裏通りのビルに目がいってしまった。ちょっとくたびれたビルなど見ると、鹿島さんこんなビルの一画に事務所を構えているのだろうか、と思ったりした。こんなところで個人事務所を持てるなんてうらやましい限りだ。私は事務所を持つ理由などまったくないし、これからもないだろうから余計である。ここにいればいつでも本に触れられ、散歩や気分転換に歩き回れることが楽しいに決まっている。でも鹿島さんだけでなく、間違いなく本の冊数が急激に増えるだろうな、とも思う。
昔はここに来るのには国鉄お茶の水駅からここまで歩いてくるしかなかった。今は交通の便がホンと良くなり、簡単にここに来られる。ということはここに住んでいれば、簡単にどこでも行けるということだ。だから再開発され、大きなマンションが建ったのだろう。
面白かったのは、鹿島さんがここで暮らすために南向きの部屋を避けたということである。通常日当たりなど考えて、部屋は南向きを求めるが、神保町に関しては北向きがいいという。何故かというと、神保町は夏が耐え難いからだそうだ。神保町はかつて「大池」と呼ばれていたことからも明らかなように、周りを高台に囲まれる谷間になっている。そのため夏になると猛烈な暑気が低地に溜まるらしい。おまけに車道も舗道もアスファルトになっているから(過激派学生が舗石を剥がして暴れたため)、太陽の照り返しが猛烈だからという。しかも最近は高層ビルが皇居側に建ち並んでいるので、海からの風も吹いてこないし、冷房のため室外機の熱風もそれに加わる。だからここでは北側がいいのだ。
もちろん冬は寒いが、夏の暑さより我慢できる。もとより暖房設備が充実しているから寒さにも問題ない。さらに最初から北側を希望しているから、建設中のマンションの抽選に当たりやすいという特典もつくから面白い。
そういえば「神田神保町書肆街考」にも神保町の地形のことが書いてあった。だから“なるほど!”と思ってしまった。
最後に、「神田神保町にあるべき書店形態」が面白かったので、それを書いてみたい。それは鹿島さんの新しいタイプの書店形態の提案である。鹿島さんは神保町にデパート方式ではなく、パルコ式の集合的新刊書店を望んでいるのである。パルコといえば専門店であるが、書店もそうあるべきで、大型書店のように何でもありますよ、といったデパート方式より、こちらの方がよろしいのではないかという。長くなるが引用してみる。
なぜなら、私が夢想するパルコ方式の集合書店では、本を選び、仕入れ、棚に並べてディスプレイーするのは、それぞれ、深い専門的な知識を有するプロの読書人であり、選書にもディスプレイーにも各人の哲学と美学が発揮されるに違いないからだ。つまり、それぞれの専門店の店主が独自性を発揮して店づくりをすることができるというわけである。
いいかえれば、書店経営がそのまま自己表現になり得る可能性があるということだ。経営はもちろん独立採算制だから、店主の責任において、この本は絶対におもしろいから小出版社の本でも断固置く、あるいはこれは売れ筋だが内容空疎だから並べないというような我がまま許される。
そして、このように選別と排除のシステムを独自に働かせて選書とディスプレイーを行うことは、ある種のコレクションに通じる。そして、コレクションである以上、そこには個性が生まれる。いや、個性というよりも、私の用語を使って「ドーダ!」といったほうが正確だ。「ドーダ、オレ(わたし)の選んだ本はスゴイだろ。マイッタカ!」という、自己愛に発する「認められたい」願望である。
この「ドーダ」が重要なのである。つまり書店主の「ドーダ」が感じられる棚揃えの専門店なら、その「ドーダ」自体が売り物になるというわけだ。
もちろん「ドーダ」が個性として、売り物になることはよくわかるが、これを行き過ぎてしまうと、まったく売れない書店になってしまうから、そこはバランスが必要になることも、著者は後で付け加えている。神保町では古本屋さんはこの方式である。だから新刊書店もそうあっていいのではないか、というのである。
大書店が闊歩する業界になりつつあるので、中小書店が生き残るには、この方法しかないかもしれないが、こと神保町では新刊書店は別にこの方式でなくてもいいような気がする。ここは三省堂を中心に大型書店で、新刊の情報を得て、それを手に出来るところであって欲しい気がするからである。個性派専門店もいいけれど、それなら別に神保町である必要はない。そんな気がする。
むしろ大型書店と古本屋さんが共存している町で、世界に類のないほど本の在庫が、新刊と古本がここにある、というのは魅力なのではないか、と思うのである。
評価
★★★
書誌
書名:神田村通信
著者:鹿島 茂
ISBN:9784860292188
出版社:清流出版 (2007/12/25 出版)
版型:270p / 19cm / B6判
販売価:1,680円(税込)
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- by kmoto
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