2011年11月25日

梶山季之著『せどり男爵数奇譚』

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 書店に『ビブリア古書堂の事件手帖』の新刊と一緒にこの文庫本が並んでいるのを何度か見た。まあ、古本に関するミステリーを店頭に一緒に並べるなら、この本は欠かすことはできまいと思う。私も気になって、自分の本棚にあるこの本を取り出して再度読むことにした。この本は文庫として発売されたとき買って読んだ。まあまあ面白かったという記憶があるが、それ以上は忘れちゃっているので、また読み直してみてもいいかな、と思ったのである。
 さてこの本はどんな本かというと、解説にうまいことこの本の紹介をしている部分があるので、それを書き出してみる。


 『せどり男爵数奇譚』は古書と古本屋をめぐる連作短編小説集である。愛書家、書痴、書狂、ビブリオマニア、異常なほど古書に取り憑かれた人々が登場するだけでなく、古書業界のさまざまなルールや逸話などが小説に織り込まれている。古書ミステリー、古書ホラーであると同時に、いわば古書に関する情報小説でもある。


 せどり男爵こと笠井菊哉の父親は戦前の成金で、いわゆる多額納税者で、それで爵位を買った。昭和16年にその父親が妾宅で腹上死して、世襲で男爵となった。父親の財産が転がり込んできたことで、古書に現を抜かすことなった。
 大学時代和本の魅力に取り付かれ、全集もので欠けている巻数を地方の古本屋で探す。その古本屋してみれば全集の端本はただのクズ本にしか過ぎないが、欠本を探している古本屋では、それが全巻揃うことで、高く売れるため、重宝された。こうして笠井菊哉は古書店主から一目を置かれる存在となっていった。

 「せどり」とは、彼が「せどり男爵」と呼ばれる所以は、


 古本屋仲間で、厭がられる商売の仕方に、新規開店の店に行って、必要な古本だけを買うのを、続に「抜く」とか「せどり」と云うですよね・・・・
 あたしはこの「せどり」の名人でしてねえ。まあ、本の値打ちを知らない未亡人なんかが、主人の蔵書を資本に、古本屋を開業すると、目星しい本をあらかた抜いて、神田や本郷の店に売りつけるわけです。
 まあ、背中を取る・・・・と云うような意味から来たんでしょうが、それで「せどり男爵」と渾名されたんですよ。


 である。とにかく古本狂うと、ミステリーにもなるし、ホラーにもなる。


 これに魅入られたら-そうですな、本の虫といいますか、こいつが取り憑いたら、もう逃れようがない。


 たとえば世界で一冊しかない本を手に入れたと思ったら、もう何冊かあった場合、どんなことをしてもその本を手に入れる。そしてその本を手に入れたら、さっさと燃やしてしまう。そして自分の手元に残った一冊を世界で一冊しかない本としてしまう。そのためには他の本を高額な値で買い取ったり、人を殺したりすることも辞さない。こうして本を破損する人を“ビブリオクラスト”と言うらしい。
 あるいは古書の持ち主が“ワ印”と呼ばれる春本を隠し持っていたりする。それをとんでもないところに隠していたりする。だからこれがミステリーとなる。
 一方ホラーとしては、世界で一冊しかない本にするために特殊な装丁にする。
 ここでは装丁に人間の皮膚を使うことで、世界で一冊しかない本としてしまう装丁家の話である。この場合本の内容よりその外観が価値を生む。
 聖書の「汝姦淫するなかれ」が印刷ミスで“not”が抜けてしまい。「汝、姦淫せよ」となってしまったものがある。これを『姦淫聖書』という。
 物語はこのミスプリントの聖書を人間の皮膚で暖かく包んでやりたいという中国人の話から始まる。皮膚を提供する女は麻酔をかけられて、男に犯されながら背中の皮膚をメスで切り取られる。まさしく「汝、姦淫せよ」を地で行った装丁の素材である。その光景を見てしまったある装丁家はその怪しい光景に魅了され、以来人の皮膚を使って装丁することに夢中となる。「人間てえものは、なにかのキッカケがあると曲がっちまう」である。
 人の皮膚で何かを飾るというのは、昔五木寛之さん小説でナチスがユダヤ人の皮膚を使ってランプシェードを作った話を読んだことがあるが、究極を極めるとこういうことになる。

 さて、最近私が聞いたことと経験したことを二つ書いておしまいにする。この本で次のようなことが書かれている。


 「また、不況が訪れそうですね」
 笠井は、セドリー・カクテル(笠井が好む変なカクテルのこと)を飲みながら小柳に云った。
 「そうなると、われわれの商売が繁昌する時だ。不況の時ほど、アレレと思うような逸品が出てくるからね。大体、“古”と云う文字のつく商売は、不況の時に強いんだ・・・・」
 小柳は、そう云って微笑した。
 不況になると、不要品を売却する人が出てくる。骨董品、書画などを、売る気になるのである。
 おそらく先祖譲りの品だとか、亡夫の残した蔵書なのであろうが、不況のさなかだから値下がりしている。
 だから売り手は、損をするのだ。
 買った側は、値打ちを知っているから、店頭に出さず、不況の嵐が通り過ぎるのを、じっと辛抱して待っている。


 私は先ほど自分の本棚の整理を大々的に行い、文庫本などほとんど処分がてら古本屋さんに売り飛ばした。そのとき、古本屋さんに聞いた。

 「今年の神田の古本市にはお宝本が豊富な年だったですってね?」

 私は何処かのタウン誌の特集で神保町の古本市に書いてあった見出しを目にしていたので、そう言ったのである。しかし来てくれた古本屋さんの社長さんは、それは今年に限らずここ数年そうだと言うのであった。理由は不景気による。景気が悪くなって、手元不如意なって、貴重な蔵書売る人が増えたというのだ。だから今まで市に出なかった本が続々出てくるようになっているという。そしてそういう人たちが増えたことによって、価格が下落して、お宝本が手に入りやすくなっているらしい。
 そして古本が買い手市場になっているものだから、引き取り価格も下落しているだけでなく、もうだぶついてか、引き取りをやめてしまっている古本屋さんもあるとも言っていた。古本屋さんも売り手の言い分を聞くことをしないで、値をふっかけられたら「だったら引き取りません」と強気にも出ているとも言っていた。
 だからであろうか?私の本の引き取り価格も低かった。けれど私が出した本は駄本ばかりなので、当然とはいえば当然なのだが・・・。むしろ私は最初から引き取り価格は気にしていなかった。引き取りに来てくれるだけで有難かったのである。
 そんな駄本ばかりの中には、多少古本的価値のある本をその社長さんは別により分けていた。これがこの本は多少値が付くだろうと思っていたものだった。この本にも「わたしには、どの本が本命なのか、わかるんです」と帳場に数冊持ってくる客の話をしている。
 そう、別に古本屋さんじゃなくても、ある程度本にふれていると、これはちょっと価値があるなとわかってくるものである。結局本に関していつもどこかに気にかけているものだから、そういったことがわかってしまうのだ。たとえば時代のニーズとか、人気があっても肝心の本が品切れや絶版になっている作家さんの本などは、多少値が付くだろうな、とわかるのである。

 もう一つが「せどり」である。この本の解説に最近はせどりが新古書店で行われていることが書かれている。実は私はそれらしき人をブックオフで見かけたのである。その日は単行本500円均一というセールが行われていた。私はそれを見たとき、しめしめ何かいい本がないかなと思い棚を見たが、棚がガタガタなのである。そして床にはいくつものカゴが置かれ、そこにごっそりと本が入っていた。どう考えても一人の人間が欲しい本を引っ張り出したようには見えなかった。そこには人が座り込んで、スマホでカゴの中の本を確認している。たぶんそこには求めている本のデータが入っているんだろう。私はこの人はここでせどりをしているんだな、と思った。
 昔ネットで古本屋さんをやっている人の本を読んだことがある。仕入れ先の一つにブックオフをあげていた。いくつも駆け回って仕入れをしていると書いてあった。これがそうなのか、と思ったのである。
 しかし本業かサイドビジネスか知らないが、こんな仕入れの仕方で商売をし、金を稼ぐのも大変そうだ。


評価
★★★


書誌
書名:せどり男爵数奇譚
著者:梶山 季之
ISBN:9784480035677
出版社:筑摩書房 (2000/06/07 出版)ちくま文庫
版型:299p / 15cm / A6判
販売価:819円(税込)

2011年11月08日

夏目漱石著『草枕』

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 山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。
 人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。矢張り向こう三軒両隣りにちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国に行くばかりだ。人でなしの国は人の世より猶住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容で、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。 住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、有難い世界をまのあたりに写すのが詩である。画である。あるいは音楽と彫刻である。こまかに云えば写さないでもよい。只まのあたりに見れば、そこに詩も生き、歌も湧く。

 世に住むこと二十年にして、住む甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏の如く、日のあたる所には屹度影がさすと悟った。三十の今日こう思うている。
 -喜びの深きとき憂愈深く、楽みの大いなる程苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片付けようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖えれば寐る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋も積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。・・・

 とまあ、この出だしは有名なのだが、よく読んでみると、屁理屈極まりない。要するに我がままの言い放題である。ああ言えばこう思う。否定すれば肯定する。思わず“どうしろと言うのだ?”と聞きたくなる。ひねくれ者の与太にさえ聞こえる。これが延々と続くのだ。超然としている、と言えば聞こえがいいが、結局どうしようもないことにつきそうだ。けだるさが全編に流れる感じだ。まるで世捨て人の戯れ言を読んでいる感じがした。

 とにかく読みづらい。主人公の観念的な思索が、仏教用語や中国の古典から引用され、表現される。そのため本文と注解をしょっちゅう行ったり来たりしなければならず、そのうち本文のどこを読んでいるのかわからなくなる。おかげでたかが170ページほどを読むのに4日もかかってしまう。途中で放り出したくもなった。

 いわゆる自分は画家で詩人であるので、一般人とは違う。世間一般の常識や考え、また情に流されずに、そこから超越した立場でものごと見ることを決めている。だから冒頭の言葉生きてくる。自ら「余はこの度の旅行は俗情を離れて、あくまでも画工になり切るのが主意であるから、眼に入るものは悉く画として見なければならん。能、芝居、若しくは詩中の人物として観察しなければならん」と言っている。
 だから那美に「御勉強ですか」と聞かれ、勉強じゃない。いい加減に開いた本読んでるだけだと主人公は答える場面があるが、それで面白のかと聞かれると、それでいいと答えるのである。

 「全くです。画工だから、小説なんか初から仕舞まで読む必要はないんです。けれども、どこを読んでも面白いのです。あなたと話をするのも面白い。ここに逗留しているうちに毎日話をしたい位です。何ならあなたに惚れ込んでもいい。そうなると猶面白い。然しいくら惚れてもあなたと夫婦になる必要はないんです。惚れて夫婦になる必要があるうちは、小説を最初から仕舞まで読む必要があるんです」

 「すると不人情な惚れ方するのが画工なんですね」

 「不人情ではありません。非人情な惚れ方するんです。小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。こうして御籤を引くように、ぱっと開けて、開いた所を、漫然と読んでいるのが面白いんです」

 主人公は人とあれこれ関わった姿勢で絵を描こうなんて思っていないのである。あらゆることから中立の立場で、何事にもとらわれずに事象を見ていこうとする。その瞬間が大切なのだ。主人公が言う非人情とはそういうことなのだろう。中立の立場と言えば聞こえがいいが、要は傍観者でありたいわけである。どうもイライラする。

 だからどうなんだ!、と言いたくなってしまう。

 それが芸術と言うものなのか?芸術だからこれほど昇華しないと表現出来ないとでも言うのであろうか?よくわからない。でもこういう屁理屈をこねる画家の絵などあまり見たいとは思わないないけどね・・・。


 ところでこの小説に神田松永町が出てくる。実は私は以前ここにあった店で働いていた。だから松永町と出てきたときは、おっ、と思った。でも床屋の親父は結構言いたいことを言っている。
 ちなみに千代田区にはよく町名や坂の由来を記したモニュメントが建っているが、松永町にも町の由来が書いたものが建っている。そこには次のように書かれている。

 ここはかつて松永町(まつながちょう)と呼ばれていました。この町名ができたのは今から三百年ほど前の元禄(げんろく)(1688~1704)のころです。

 元禄十一年(1698)、江戸城整備の一環として、鎌倉町(かまくらちょう)から西紺屋町(にしこんやちょう)(現・中央区)までの十五の町の一部を削って、外堀沿いの道が拡張されました。その翌年、これらの町に住んでいた人々が、現在の外神田一丁目(そとかんだいっちょうめ)周辺に代地(だいち)を与えられて移り住みました。このとき付けられたのが、「松永町」です。

 名前の由来については明確な記録が残っていません。明治三十三年(1900)刊行の『新撰東京名所図会(しんせんとうきょうめいしょずえ)』には、当時の人々が、新たな町に住むにあたって「松がいつも緑であるように、この町の賑(にぎ)わいも永久のものであってほしい」という願いを込め、「松永」という名を選んだのではないかと記されています。

 商人や職人の住む町として発展をとげた松永町ですが、幕府とのかかわりも深い土地でした。『文政町方書上(ぶんせいまちかたかきあげ)』によれば、町ができた当時、幕府お抱(かか)えの絵師・狩野探信(かのうたんしん)の拝領屋敷も町内にありました。狩野派は幕府や朝廷の御用絵師として栄え、探信の父の探幽(たんゆう)は、「鵜飼(うかい)図屏風」や二条城(にじょうじょう)二の丸の障壁画(しょうへきが)などで知られています。また、文政七年(1824)の『江戸買物独案内(えどかいものひとりあんない)』には、弓を射るときに用いる「ゆがけ(鹿革の手袋)」という道具をつくる御用職人・釘元又左衛門が住んでいたことも記録されています。

 明治時代には、文豪森鴎外(もりおうがい)の住居も町内にあったと伝わっており、夏目漱石(なつめそうせき)もまた小説『草枕(くさまくら)』の中で、この松永町にふれています。

 確かに書かれている。

 しかし主人公が顔を当たってもらっている髪結床の親父は次のように言っている。

 「親方じゃねえ、職人さ。所かね。所は神田松永町でさあ。なあに猫の額みた様な小さな汚ねえ町でさあ。旦那なんか知らねえ筈さ。あそこは竜閑橋てえ橋がありましょう。そいつも知らねえかね。竜閑橋ゃ、名代な橋だがね」

 まさか町の由来に漱石の『草枕』で髪結床の親父が“小さな汚ねえ町”と言っているとは書けないから、「夏目漱石(なつめそうせき)もまた小説『草枕(くさまくら)』の中で、この松永町にふれています」と書いているのだろう。漱石の作品でもふれてますといえば、なんか由緒正しいような、格が高いような感じがしてしまうが実際はこのように書かれている。


評価
★★


書誌
書名:草枕 (改版)
著者:夏目 漱石
ISBN:9784101010090
出版社:新潮社 (2005/09/20 出版)新潮文庫
版型:242p / 15cm / A6判
販売価:420円(税込)

2010年12月17日

紀田順一郎著『第三閲覧室』

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 この本はもしかしたら読んだかもしれない。読んだのはたぶん文庫だったと思うが、内容がまったく思い出せず、たまたまブックオフで見かけたので、再度読んでみた。でも意外におもしろかった。
 私の場合、新刊書店で買えない本や、値段の高い本などは古本屋やブックオフで買うことにしているのだが、いわゆるビブリオマニアというのは、一種の病気に近い。本が稀覯本あることに価値を置いている。この本はそうしたマニア化した人間の物語である。

 誠和学園大学という新設の大学の図書館で、学長が学校の経費を私物化して、貴重な古本を集め、図書館に納めている。図書館の充実が大学の格を上げるという口実を使って古本を集めていたのである。学長はその大学の創設者であったから、半ば独裁化しており、今まで自由に大学のお金を使って古本を集めていた。
 そんな貴重な本に虫が付かないようにするために、本を薬を使って燻蒸する。部屋を閉め切って行われる。燻蒸が終わって、業者が部屋を開けたとき、一人の女性が死んでいた。燻蒸の薬にやられたようであった。
 しかし燻蒸が行われる図書室に何故その女性がいたのか?そこに一冊の幻の本の存在があった。女はその幻の詩集を盗むために、図書館に忍び込んだ。
 問題はその詩集である。戦前あまり評価されてない詩人が、戦後にわかに話題となった。しかし詩人のその本は出版される予定であったが、出版社が倒産して出版されないことになり、しかもその詩人も戦地で死んでしまった。だからその詩集は世の中に存在しないものと思われていた。ところがその詩集がこの図書館にあったのだ。果たしてそれは本物なのか?それとも偽物なのか?その真贋がこの本のメインテーマになる。
 この図書館に元新聞記者であった島村は、大学の講師として勤務することとなった。彼は円本の論文を書くために、円本を求めたが、今ではそれを全巻揃いで求めるのは難しい。ちなみに「円本とは、1926年(大正15年)末改造社が刊行を始めた『現代日本文学全集』を口火に、各社から続々と出版された、一冊一円の全集類の俗称、総称。庶民の読書欲にこたえ、日本の出版能力を整え、また、執筆者たちをうるおした」ものである。今でも古本屋の均一本のワゴンの中にそのときの端本を見ることがある。
 その円本が表紙などない状態のものが多かったが、揃いで大学の図書館にあった。島村はそれを一括で借りていた。一方島村は大学の講師になったため、自らの蔵書を移動しなければならなくなり、その手伝いを結城明季子に依頼した。ところがその借りた円本が借りたものと違うことに気がつく。誰かが取り替えたのである。結城明季子がすり替えたのか?図書室で死んでいたのは結城明季子であった。明季子は死ぬ直前にダイニングメッセージらしきものをメモに書いていた。それは「見返してやる・・・」というように読めたという。
 さてその詩集である。この本が本当に幻の本であるのかどうか?犯人捜しは、この本の真贋を見極めることから始まる。ではその詩集は戦前に限定的に出版されたのか。出版社は倒産してないのだが、もしかしたら印刷、製本されていたのか?だったらこの図書館にある詩集は当時の紙とインクや活字を使われているはずであった。調べてみると紙質は戦前のものであり、インクや活字あるいは製本するに当たって使われる綴じ糸も当時のものように思われた。明季子は死ぬ間際に「見返してやる・・・」というように読めるメモを残している。そして島村が借りた円本の揃いは表紙などないものがほとんどであった。
 ところで本には“見返し”と言う部分がある。それは一般的には表表紙・裏表紙の内側に貼り付けて、本の中身と表紙をつなぎ合わせている役目をしているが、ちょっと高めのハードカバーの本には表紙をめくると何も印刷されていないものもあった。そして円本も同様であった。そう、島村の借りた円本の見返しを使ってまずはその詩集の紙を用意した。綴じ糸も同様である。では活字はどうしたか?この大学は印刷機械も町の印刷屋を吸収して持っていた。その吸収された印刷屋の印刷機械はそのその詩集を出版しようした印刷屋から買い取ったものであった。当然活字もそのときのものを持っていた。インクはカビなどを培養して古めかしく見せかけることが出来る。これでこの詩集は偽物であることが判明していく。そしてそれを知った結城明季子は自らの保身のために学長らを脅かそうとして、それを盗み出そうとしたのであった。では何故明季子は殺されなければならなかったのか。ここに大学内の権力闘争が絡んでくるのであった。

 私は古本に関するミステリーは大好きなのだが、だいたいが病的な収集癖が高じて殺人事件となるパターンである。しかしそのどこか病的なのか?それ故にどうして殺人事件となっていくのか?
 そういった本ばかりめられている場所は、異様な雰囲気醸し出す。本が古ければ古いほど、貴重であればあるほど、そこの部屋は異様になっていくようである。そして独占欲が高じて殺人事件となっていくのである。私はそんな本ばかりあるかび臭い部屋の雰囲気と一緒になって、ちょっとゾクゾクしてしまうのである。


評価
★★★


書誌
書名:第三閲覧室
著者:紀田 順一郎
ISBN:9784103063063
出版社:新潮社 (1999/07/20 出版)
版型:324p / 19cm / B6判
販売価:入手不可

2010年11月25日

三島由紀夫著『金閣寺』

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 どうしてこの単行本があるのかよく覚えていないが、たぶん古本屋さんで買ったのだろう。本の帯を見ると「復刊'83」と書いてあるから、この本は何らかの事情で復刊された本なのだろう。奥付を見ると初版は1956年の10月30日となっている。この本はその復刊かもしれない。私の持っているこの本は1983年8月20日、三十六刷である。

 さて、この本を再度読み直したのは、先の水上勉さんの『金閣炎上』を読んだからである。高校時代に読んだ三島由紀夫の『金閣寺』がどんな内容だったか思い出したかったから、手に取った。

 ここでは主人公の溝口が金閣寺の美に対する感覚というか、意識が自らの中で抜き差しならぬ存在となっていく過程が描かれ、それが破滅へと向かわせる。父から「金閣ほど美しいものは此世にない」と教え込まれた溝口は、どうあっても金閣は美しくなければならなかった。まだ見ぬ金閣にいよいよ接する時が近づくにつれ、そこですべては、金閣そのものの美しさよりも、金閣の美を想像しうる私の心の能力に賭けられた。
 しかし最初は「私はいろいろに角度を変え、あるいは首を傾けて眺めた。何の感動も起こらなかった。それは古い黒ずんだ小っぽけな三階建にすぎなかった。頂きの鳳凰も、鴉がとまっているようにしか見えなかった。美しいどころか、不調和な落着かない感じを受けた。美というものは、こんなに美しくないものだろうか、と私は考えた」のである。とにかく最初はこの程度しか金閣を感じていない。
 溝口が金閣寺に来て最初の頃は、金閣寺に向かって問うている。

 「金閣よ。やっとあなたのそばへ来て住むようになったよ」と私は箒の手を休めて、心に呟くことがあった。「今すぐでなくてもいいから、いつかは私に親しみを示し、私にあなたの秘密を打明けてくれ。あなたの美しさは、もう少しのところではっきりと見えそうでいて、まだ見えぬ。私の心象の金閣よりも、本物のほうがはっきり美しく見えるようにしてくれ。又もし、あなたが地上で比べるものがないほど美しいなら、何故それほど美しいのか、何故美しくあらねばならないのかを語ってくれ」と。

 しかし一方で、

 私には金閣そのものも、時間の海をわたってきた美しい船のように思われた。美術書が語っているその「壁の少ない、吹きぬきの建築」は、船の構造を空想させ、この複雑な三層の屋形船が臨んでいる池は、海の象徴を思わせた。金閣はおびただしい夜を渡ってきた。いつ果てるともしれぬ航海。そして、昼の間というもの、このふしぎな船はそしらぬ顔で碇を下ろし、大ぜいの人が見物するのに任せ、夜がくると周囲の闇に勢いを得て、その屋根を帆のようにふくらませて出帆したのである。
 私が人生で最初にぶつかった難問は、美ということだったと言っても過言ではない。父は田舎の素朴な僧侶で、語彙も乏しく、ただ「金閣ほど美しいものは此世にない」と私に教えた。私には自分の未知のところに、すでに美というものが存在しているという考えに、不満と焦燥を覚えずにはいられなかった。美がたしかにそこに存在しているならば、私という存在は、美から疎外されたものなのだ。

 と思うのである。

 そこに戦争の影が忍び寄り、京都が空襲でやられるという噂が立つ。「それでも金閣という半ば永遠の存在と、空襲の災禍とは、私の中でそれぞれ無縁のものでしかなかった。金剛不壊の金閣と、あの科学的な火とは、お互いその異質なことをよく知っていて、会えばするりと身をかわすような気がしていた。・・・・しかし、やがて金閣は、空襲の火に焼き滅ぼされるかもしれぬ。このまま行けば、金閣が灰になることは確実なのだ」

 金閣が空襲で焼けることを想像したとき、溝口は「私を焼き亡ぼす火は金閣をも亡ぼすだろうという考えは、私をほとんど酔わせたのである。同じ禍い、同じ不吉な火の運命の下で、金閣と私の住む世界は同一の次元に属することになった。私の脆い醜い肉体と同じく、金閣は硬いながら、燃えやすい炭素の肉体を持っていた。そう思うと、時あって、逃走する賊が高貴な宝石を嚥み込んで隠匿するように、私の肉のなか、私の組織になかに、金閣を隠し持って逃げのびることもできるような気がした」のである。

 しかし金閣は焼けなかった。焼けなかったことで金閣は今までと同じ時間の海を渡って行くこととなる。このとき、「私の心象からも、否、現実世界からも超脱して、どんな種類のうつろいやすさからも無縁に、金閣がこれほど堅個な美を示したことはなかった!あらゆる意味を拒絶して、その美がこれほどに輝いたことはなかった」、「金閣は、音楽の怖ろしい休止のように、鳴りひびく沈黙のように、そこに存在し、屹立していたのである」
 溝口は空襲で焼けなかった金閣をそれ以前と何も変わらない不変さを感じるのであった。そのとき、「金閣と私の関係は絶たれたんだ」、あるいは「これで私と金閣と同じ世界に住んでいるという夢想は崩れた。またもとの、もとよりもっと望みのない事態がはじまる。美がそこにおり、私はこちらにいるという事態。この世のつづくかぎり渝らぬ事態・・・」と感じるのであった。さらに溝口は、「美の永遠的な存在が、真にわれわれの人生を阻み、生を毒するのはまさにこのときである。生がわれわれに垣間見せる瞬間的な美は、こうした毒の前にはひとたまりもない。それは忽ちにして崩壊し、滅亡し、生そのものを、滅亡の白茶けた光りの下の露呈してしまうのである」と考えていくようになる。
 溝口は金閣に向かって、呪詛に近い調子で荒々しく叫ぶ。

 「いつかきっとお前を支配してやる。二度と私の邪魔をしに来ないように、いつか必ずお前をわがものにしてやるぞ」と。

 金閣が永遠に存在することで、そのことが美として輝き始める。その姿に溝口は圧倒されるのである。かつてそうであったように、そしてこれからもそうであり続けることが、金閣の美であった。短く、愚かな人間の一生とは決定的に違う。だから金閣の美を意識した人間はただただ恐れおののくだけなのであった。決して自分のものにならないものであった。その美が自分の中で一緒になれない絶対性を帯びている。
 しかしよく考えてみると、永遠であり続けたその美は、それだけしかない。次がないのである。これが「金閣の生は厳密な意味で一回性しか持っていない」という意味である。
 一方で人間は違う。人間は自然のもろもろの属性の一部を受けもち、かけがえのきく方法でそれを伝播し、繁殖する。人間は滅びやすいが故に、却って永生の幻が浮かぶのだ。
 金閣を作ったのも人間であるなら、それを消滅できるのも人間である。どうして人はそこに気がつかないのだろう。私の独創性は疑うべくもなかった。明治三十年代に国宝に指定された金閣を私が焼けば、それは純粋な破壊、とりかえしのつかない破滅であり、人間が作った美の総量の目方を確実に減らすことになるのである。だから、

 「金閣を焼かなければならぬ」

 のであった。

 永遠の美という妄想にとりつかれた人間の苦悩がここで描かれている。金閣の美にとりつかれ、破滅へと向かうしかない人生は、私は怖かった。


評価
★★★★


書誌
書名:金閣寺
著者:三島 由紀夫
ISBN:
出版社:新潮社 (1956/10 出版)
版型:263p / 20cm / B6判
販売価:入手不可

2010年06月15日

紀田順一郎著『私の神保町』

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 この本は一度読んだことがあり、それを処分してしまった。まぁ処分してしまったのだから、大した本じゃなかったのかもしれないが、なんか気になっていた。それでたまたま神田の古本屋さんで安く手に入れたので、再度読んでみた。

 私が初めて神保町に行ったのは多分高校一年の頃じゃないかと思う。まだ三省堂が古めかしい建物であったはずで、中も薄暗く、棚も木の棚だったような気がする。本につけてくれるブックカバーがいくつかの大学の校章が印刷されたものであったはずだ。こづかいの千円も出せば、文庫本が4冊ほど買えた時代だった。三省堂が改築されたのが、この本によると、昭和56年だという。それまでの建物は消防署から要注意の建物とされていたらしい。詳しいことはわからないが、もしかしたら消防法に引っかかるほど、火災にあうと危ない建物になっていたんだろう。
 とにかく月一回こづかいをもらう度にここに来れるという楽しみがあって、それから何度もこの町に足を運んだ。大書店で本が買えることがうれしかった。ただその頃は古本ではなかった。
 私が古本に目ざめたのは大学時代になってからで、欲しい本がもう新刊書店に手に入らなくなってから、古本を探し始めたことによる。以来大学も近所にあったこともあり、一時は働いていた店も大手町であったことから、仕入の帰りや、昼休み、あるいは帰りにここに寄って、目的の本を探していた。

 神保町という名前の由来は、江戸時代この地域に屋敷を構えていた神保伯耆守(九百石)に因む。麹町や神田一帯に住んでいた旗本は幕府から厩舎や道場用の土地まで与えられ、極めて裕福だった。特に神保氏は恵まれていたらしい。明治になってから、この地域は大規模な市区改正が施され、表神保町、裏神保町の二つの町が誕生した。最初の古書店(高山書店)が誕生したのは三年後で、創業者は有馬藩の弓師だった。ついで有史閣(のちの有斐閣)、三省堂などが開店した。それは以前『東西書肆街考』で書いた通りだ。
 昭和になって空襲を免れた噂がここに詳しく書かれているので紹介したい。セルゲイ・エリセーエフ(1889~1975)のロシア生まれの日本研究家がマッカーサーに「爆撃回避」の進言を行ったため、この地域は空襲を免れたというのだ。
 セルゲイ・エリセーエフは1908年(明治41年)から6年間、東京帝国大学国文科で学び、夏目漱石や小宮豊隆と親交を結び、後年ハーバード大学で日本語のほか日本の歴史と文学を講じ、E・ライシャワーほか知日派のアメリカ人を多数養成した。神保町にも頻繁に通ったことで知られるそうだ。
 もちろんこれは噂であって、紀田さんも、あの空襲の際神保町だけピンポイントで爆撃を回避出来るかという疑問を呈している。だからこれは伝説扱いとなっていると書いている。

 さてこの本を読んでいて面白いと思ったのは古本の陳腐化である。古本屋の在庫が陳腐になるのは、結局新刊の陳腐化に左右されるというのだ。確かに言われてみればそうだよなと思う。新刊全般が内容が陳腐になれば、それが古本となっても古本として付加価値がない。つまらない作家の本が大量に出版されれば、たとえそれが古本屋さんに回っても、それはいつまでもつまらない本であって、店の棚に並ぶより、均一ワゴンに並ぶしかないだろう。年間二万数千点、冊数にして十億四千万冊という本の洪水である。本が消耗品化しても当然である。勢い雑本ばかりになり、店内にはアダルトものや、サブカルチャーものばかりになっていく。実際そうした本や雑誌専門店が最近神保町で多くなってきている。正統派の古本屋の在庫として置ける本がないのだろう、と思う。
 
 話はちょっと違うのだけれど、私の住む近くに三軒ほどブックオフがある。最近気がついたのだけれど、これらの店では単行本のコーナーが縮小されている。一方コミックや雑誌、あるいはDVDやCDコーナーが広がりつつあるのだ。これはどういうことなんだろうか。多分単行本がここに回ってこない。回ってきても同じ本ばかりだから、わざわざ広い場所を確保するより、回転の速いコミックや雑誌、あるいはDVDやCDなどのコーナーを広げた方が効率がいい。
 つまり新刊書籍が売れていない。あってもどうでもいい本ばかりだから、棚構成が出来ないのではないかと思っている。出版不況がついにここにも及んできたのではないかと思っている。これと同様に神田の古本屋さんにおいても、古本として付加価値のある本が出てこない。いくら出版される冊数や点数が多くても、それがゴミと同様な価値しかないものばかりだと、古本屋さんも大変だろうなと思う。そして古本的価値のある本はそれが出回った頃、図書館などに納まる所に納まちゃったから、そこから先の本の移動が望めない。ブックオフでさえ、単行本の棚の縮小が行われているのである。だったら正統派の古本屋さんの仕入の大変さはある程度予想が出来る。

 これから書くことは勝手に思っていることで、根拠はない。ただそんな予感がするという話である。こうも出版不況が続くと、新刊が売れない。ということはそれが古本に回ることが少なくなる。そして本の出版点数がそれほど変わらなくても、雑本や消耗品的要素の強い本ばかり出版されていれば、古本の質が落ちる一方であろう。
 本自体の価値が短期的に陳腐化する。古書らしい古書が払底して、白っぽい本ばかりになってしまう。となればこの手のリサイクルショップはますます厳しくなるのではないかと思うのである。
 iPadが話題を呼ぶが、だからといってそうそう日本の出版物がコンテンツとして普及しないだろうとは思っているが、ただ一端堰が切れたら、どーっと進んでしまう可能性がある。そうなったとき、本というメディアはなくなりはしないだろうけど、その影響は古本業界を含め、間違いなく日本の出版業界を大きく変えることになるだろう。
 iPadというメディアはかなり興味はあるけれど、一方で本というメディアを愛してやまないだけに、それが少数派になっていく可能性があることを想像すると、一抹の寂しさを感じてしまう。


評価
★★★


書誌
書名:私の神保町
著者:紀田 順一郎
ISBN:9784794966261
出版社:晶文社 (2004/10/10 出版)
版型:257p / 19cm / B6判
販売価:1,890円(税込)

2010年04月12日

マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-著『テロリスト』

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 ついにこのシリーズ最終巻となった。最後は、今までこのシリーズで出て来た人物たちが総登場となる。テロリスト対策で全員がかり出されるといった感じだ。ただ話は単にテロ対策の話だけでなく、他の事件がいくつかあって、最後はテロ対策と話がクロスしていく。
 まず銀行強盗の容疑で、18歳の未婚の母、レベッカ・リンドの裁判で、マルティンベックが弁護側の証人として出廷する。弁護士のブラクセンによって、彼女が誤解によって銀行強盗にされてしまった経緯を説明される。
 ことのきっかけは、彼女の夫に会いに行くため渡米する費用を銀行に借りに行ったことから始まる。その時いつも携帯している園芸用ナイフを脅しだと行員が勘違いしてまったことで、彼女が銀行強盗にされてしまったと事件の真相が明かされる。
 もともとリンドはスウェーデンの社会体制に批判的だったし、社会システムにうとい生活をしていたので、行員が彼女を銀行強盗と勘違いし、彼女の持っていた大きなバックにお金を詰め込んだので、彼女は銀行でお金を借りることは簡単なことだとしか感じなかったのである。
 一方スウェーデン警視庁幹部は、秋にスウェーデンを訪問する米国上院議員の扱いに頭を痛めていた。そのため要人警護体制の視察のためグンヴァルト・ラーソンを某国に派遣した。結局ここの大統領は国際テロ組織ULAGに暗殺され、ラーソンもその爆破現場で事件に巻き込まれるが、そのテロ集団のテロのやり方を学習し、今度ウェーデンに訪問する米国上院議員のテロ対策に応用する。
 マルティン・ベックはその上院議員の警備対策本部の責任者にされる。が、ベックは目下別の殺人事件の捜査に関わっていた。映画の監督であったヴァルター・ペトルスが愛人宅で撲殺されたのであった。ペトルスが自らは有名な映画監督だと自称していたが、制作された物は有名になりたい少女などたぶらかして出演させるポルノ映画であった。当然いかがわしい部分がいくつか出てくるが、結局その映画に出演した女優の一人が、ペトルスの自宅の庭師で運転手であった男の娘だと判明する。男はヴァルター・ペトルスが一人娘を薬漬けにして、ポルノ映画に出演させたことを恨み、ペトルスを撲殺したのであった。
 事件が解決したことで、ベックは今度米国上院議員に対するテロ対策に本格的に乗り出す。国際テロ組織ULAGの要人暗殺方法が主にパレードをしている要人の通り道に爆弾を仕掛ける方法であった。テロリストは現場にいる必要がない。なぜならそこを通るのをテレビやラジオで確認することが出来るからで、その時離れたところで遠隔操作をして爆弾を爆発させればいいのだ。そのことをベックはラーソンから聞いて、トリックを仕掛ける。パレードの放送を15分ほど遅らせるのである。テレビやラジオで確認してテロリストが爆弾を爆発させたときは、もう上院議員はその場所を通過していたのである。
 ところが上院議員がスウェーデンの前王の墓所に来たとき、一人の少女が上院議員と一緒にいたスウェーデンの首相に銃を発射する。首相は即死であった。少女の名前はレベッカ・リンドであった。
 レベッカ・リンドは銀行強盗の容疑で裁判にかけられた後、住んでいたところを追い出され、子供と一緒に友人の家を点々としていたが、こんなことになる社会を作った張本人がスウェーデンの首相だと思い、彼を殺害すれば、もう少し社会がよくなるのではないかと思いはじめる。
 もともとレベッカ・リンドがアメリカに渡りたかったのは、自分の夫が脱走兵であり、アメリカに帰って刑に服していたからであり、その夫が自殺したことで自暴自棄となってしまっていたのであった。

 ということで、このシリーズを全巻読み終えた。私はこのシリーズを昔読んで面白かったという思いがあって、今回面白い本としてこのシリーズを紹介したくて再度読み始めた。しかし今は失敗であったと思っている。というのも当時夢中になって読んだ本でも、時間がたって読み返してもまた面白いとは限らないことを改め知らされたからであった。つまり読む側が、それ以降いろいろな本を読んで、変わってしまい、すれてしまったものだから、様々なところで疑問を感じることが多くなったのである。だから「これはどうかな?」と思っちゃうのである。鼻につくことが多くなってしまったのである。そのギャップが大きいものだから、こんなはずじゃなかったと感じて、このシリーズを読んでいた。
 たとえばこの本は1年に1作として10年間書かれたのだが、その間スウェーデン社会の変遷が悪い方へ傾くことを嘆くことに多くを費やしている。そのためどうしても政治色が強くなってしまう。今回それを強く感じた。昔はそんなことはある意味どうでもよく、むしろ話に展開を純粋に楽しんでいたような気がする。しかし今回はそれが妙に鬱陶しく、それがためにこの本は推理小説より社会派小説なのかと思えてしまうのであった。その点が残念で仕方がなかった。
 やっぱり昔読んで面白かった本はそのままにして置く方がいいのかも知れない。今読み返してしまうと、いろいろあらが見えてしまい、それが気になってしまう。面白い本だった、あるいは感動した本だったという思い出が無残に壊れていくのは結構寂しいものである。昔面白かったと思った本がまた読めるという期待があっただけに、この結果が残念であった。いくら読み返しても色あせない話というのは少ないのかも知れない。そんなことを思った。


評価
★★★


書誌
書名:テロリスト
著者:マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-
ISBN:9784047910904
出版社:角川書店 (1979/02 出版) 海外ベストセラ-・シリ-ズ
版型:398p / 20cm / B6判
販売価:入手不可

2010年04月07日

マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-著『警官殺し』

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 ついにこれでこのシリーズ9作目となった。
 話の内容は、独り暮らしをしていた女、シグブリート・モードが行方不明になった。失踪したのか、殺されたのか状況は分からなかったが、狭い町である。この町で彼女の行方を捜していた駐在所長のヘルゴット・オーライはシグブリート・モードは殺されたものとにらんでいた。そしてシグブリート・モードの近所に住んでいたのがあのロゼアンナを殺した犯人、フォルケ・ベンクトソンであった。彼は出所後ここで暮らしていた。当然彼はシグブリート・モードが行方不明に関わりがあるものと見られ、捜査に協力したマルティン・ベックとコルベリは、上層部の意向で彼を逮捕し、尋問を始めるが、確たる証拠が出てこない。シグブリート・モードと一緒にいたところを目撃されているが、その後が分からない。確かに彼は今でも女性に対して潔癖症であり、男を誘惑する女を敵と見なしているところは昔と変わらない。
 そして近所の森をハイキングしていたものが、シグブリート・モードの手が地面から出ているところを発見する。彼女は絞め殺され埋められていたのであった。土の中にはボロきれも発見され、ニッケルの削りくずがついていたことが後で判明する。フォルケ・ベンクトソンは疑われ続けるが、相手をするベックやコルベリは今ひとつ確信が持てずにいた。
 ベックとコルベリは、シグブリート・モードの家を捜索し、そこでラブレターらしきものを見つける。そのラブレターには「クラーク」という署名が入っていた。どうやらシグブリート・モードはクラークと付き合っていたようであった。

 そん中マルメ警察管区内で無灯火の不審車両を停止させたパトカー警官が射殺されるという事件が発生した。警官を撃った犯人の一人はその場で射殺されたが、一人はその車で逃走した。逃走したキャスパーは他の車を盗み乗り換え、捜査網を突破した。その車を盗まれた男がシグブリート・モードを絞殺したクラーク・エヴァート・スンドストレームであった。それを見つけたのはコルベリであった。実はコルベリはそれまでシグブリート・モード殺しの捜査をベックと捜査をしていたのだが、警官の射殺事件が起こった時点でこちらの捜査にかり出されたのであった。
 この時コルベリはもう刑事の仕事に見切りをつけていた。本来市民の生活を守るための仕事であった警察が、逆に人を抑圧する機関にに変質してしまったことを感じており、そのことに深く恥じるようになってしまったのだ。こんな状態ではもう警察は勤められないと判断し、退職願を提出した。

 この話はそれまで捜査が行き詰まってしまっても、まったく別のところで偶然の出来事や発見がその事件の糸を結びつけるところがある。たまたま偶然が起こったことで話がつながるのだ。正直これってあり?と思わなくもない。もっともこの傾向はこのシリーズの特色となっているところがあるけれど、どこか不自然な気がする。もしこれらが起こらなければ事件は完全に手詰まりとなってしまう。まぁ、世の中ってそういうもんだよ、と言ってしまえばそれまでだが・・・。
 それとこの物語は昔の事件の犯人や場所を登場させるところに特色がある。たとえばシグブリート・モード殺しの犯人ではないかとして、ロゼアンナを殺した犯人、フォルケ・ベンクトソン出したり、『蒸発した男』の犯人も刑期を終えて、名前を変え、新聞記者として再度登場させたりする。「マルティン・ベックは、奇妙な運命のめぐり合わせにつくづく感じ入っていた-過去に扱った二つの難事件の犯人たちと自分たち二人が、突然、それも忘れた頃になって、アンダスレーヴのような辺鄙な村で再び顔を合わせようとは」と書いているが、そういう意味では懐かしくもあるのだが、ただそれを持って話を読ませる手法は少々疑問を感じてしまう。
 もともとこのシリーズは1年に1作書かれてきたので、このシリーズで9年目になるわけで、その間の8年間の重みを感じさせようとしているのであろうか? 今回懐かしさもあってこのシリーズを読み始めたのだが、いろいろ考えることがあった。そのことは後1冊読んで、このシリーズが完結するので、そこで思っていることを書こうと思う。そうそう、サボイホテルのバーも登場したっけ!

 あと『唾棄すべき男』で私はいつもドジを踏むパトロール警官で、グンヴァルト・ラーソンが「またお前等か!」と呆れる警官二人が射殺される、と書いたが、射殺されたのは一人だけで、もう一人は膝を打ち抜かれたことを知ったので、訂正しておく。生き残った彼は新しパートナーとまたパトロール警官をやるが、やっぱりドジを踏み、グンヴァルト・ラーソンに怒鳴りつけられる。


評価
★★★


書誌
書名:警官殺し
著者:マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-
ISBN:9784047910843
出版社:角川書店 (1978/04 出版)海外ベストセラ-・シリ-ズ
版型:363p / 20cm / B6判
販売価:入手不可

2010年04月06日

マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-著『密室』

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 前作で私はマルティン・ベックのとった行動が、ベックらしくないと書いて終えた。今回はベックが撃たれた傷の治療後、復帰するところから始まるが、やはりベックは撃たれたときのことが夢に出てきて何度かうなされる場面がある。その後ベックはあの時の行動を次のように考える。

 1971年4月のあの運命の日の出来事については、ベック自身、十分に分析する時間があった。その結果、自分の行動は誤っていた、道徳的にも技術的にも誤っていた、という結論に早くから達していた。その見解は、自分が認めるより早く、自分の同僚たちも抱くに至っていたということも知っている。彼は愚かな振舞いをしたからこそ射たれたのだ。

 やっぱりマルティン・ベックはあの時の行動を誤っていたと後悔していたんだと思った次第だ。そうでなくちゃまずい。

 さて今回の話は、そのベックが撃たれて、療養した後、現場に戻るところから始まる。ちょうどその頃、ストックホルムの銀行に女性と思われる拳銃を持った強盗が入り、1人を射殺し現金を奪い逃走する事件が発生した。
 当時ストックホルムでは銀行強盗が多発していて、ベックの同僚のコルベリやグンヴァルト・ラーソンらは、対策本部にかり出されていた。コルベリはベックの復帰の手始めとして、リハビリも兼ねて、密室の中で死亡したスヴェードという老人の事件をやってみろと言って、そのファイルを渡す。ベックはその老人のことを調べ始める。老人は死から二ヶ月経って発見され、しかも完全な密室で死んでいたものだから、警察は孤独な老人の自殺として片づけられようとしていた。しかしスヴェードは銃で撃たれて死んでいた。ベックはスヴェードが自殺であった可能性があったはずがない。銃器なしで自分を撃つことがそう簡単なことであるはずがないと思うのであった。しかも部屋には銃器と呼べるものが一挺もなかったのだ。これは殺人事件であると確信する。

 一方銀行強盗の対策本部では、容疑者として、マルムストレーム、モーレンの二人組みの仕業でないかと疑う。そして彼らに食べ物など物資を調達する人物としてモーリッソンという人物がいた。この男たまたま親切心で横断歩道で目の悪い老人を助けていたとき、横断補導員に泥棒と勘違いされる。結局誤解であったことで解放されるのだが、たまたまそこに麻薬警察犬が彼の持っていた食品に何かを嗅ぎつける。食品の中に麻薬が隠されていたのであった。
 窮地に陥ったモーリッソンはマルムストレームとモーレンに居場所と、次に襲う銀行のなどをしゃべることで、自らの罪から逃れようとする。捜査本部を指揮していたブルドーザー・オルソンは歓びモーリッソンの条件を呑むが、アパートにはマルムストレームとモーレン居ず、ストックホルムでは銀行強盗が起こらず、マルムで起こった。
 モーリッソンは釈放されるが、その後をコルベリやグンヴァルト・ラーソンは彼を尾行する。モーリッソンの隠れ家を見つけ、地下室であの銀行強盗で使われた銃と、そのとき女性が着ていたのと同じ服、カツラを発見する。このため銀行強盗をし、一人を射殺した犯人はモーリッソンだとされた。
 実はこの銀行強盗はモーリッソンと当時付き合っていた女の仕業であった。女はモーリッソンのアパートに一人で入り、そこで銃を発見したのであった。女はそれまでの生活苦から脱出するためには銀行強盗をするしかないとして、その行動を起こしたのだ。その時一人を撃ってしまったため、銃を元の場所に戻し、着ていた服、カツラもモーリッソンのいる部屋の地下室に置いて行ったのであった。

 マルティン・ベックの方は、スヴェードが外から射殺され、彼が倒れるときその反動で扉が閉まってしまい、完全密室となったことを知り、銃が発砲された場所を綿密に調べると、そこの薬莢があった。その薬莢はモーリッソンのところから発見された銃から発射されたものであることが鑑識から判明する。スヴェードはどうしようもない男であって、吝嗇家であった。個人で当座預金を持ち、定期的に振込があった。モーリッソンはスヴェードから脅され、金をむしり取られていたのであった。そしてモーリッソンはスヴェードの脅しに我慢できずに、最後に彼を殺したのであった。
 ベックはモーリッソンを尋問し、彼はスヴェード殺しの犯人だと自供するが、一方で銀行強盗は濡れ衣だと主張する。しかし聞き入れられず起訴される。
 裁判ではモーリッソンは銀行強盗で無期懲役となるが、スヴェード殺しは不問とされた。実はモーリッソンは銀行強盗は冤罪であり、スヴェード殺しの犯人だったのである。
 スヴェード殺しは不問とされたことで、それまであったベックの昇進の話が、まだは復帰が完全じゃないということになって、話は先送りとなった。ベック自身は現場に居たかったので、これはこれでよかったのだが・・・。

 この話はシリーズの中で『笑う警官』を凌ぐ傑作と訳者は言っているが、私にはどうも話が中途半端のような気がした。確かに話はそれぞれ込み入っていて、面白かったけれど、最後は消化不良の感が拭えなかった。


評価
★★★


書誌
書名:密室
著者:マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-
ISBN:9784047910676
出版社:角川書店 (1981/06 出版)海外ベストセラ-・シリ-ズ
版型:361p / 20cm / B6判
販売価:入手不可

2010年04月02日

マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-著『唾棄すべき男』

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 入院中の男が何者かに騎兵銃の銃剣で刺殺された。男は主任警部スティーグ・ニーマンであった。その刺殺死体は残虐そのものであった。
 マルティン・ベックはニーマンがどんな人物か調べ始めた。ニーマンに関してはベックの同僚コルベリが詳しかった。

 「きみの話を聞いていると、まるでスティーグ・ニーマンに関する生き字引みたいだ」

 「ああ、やつに関することなら、おれはあんたたちが知らないことも多少知っているとも。しかし、その話は後でいい。それよりまず、やつは最低の種類の警官、権威を笠にきた、無頼漢も同然の男だったことをはっきりさせとこうじゃないか。やつは警察全体の面よごしだよ。おれは同時代、同じ都市で、あんなやつと同じ釜のメシを食ったことを恥ずかしと思っているくらいなんだ」

 「“セレフからきた唾棄すべき男”、おれたちはやつをそう呼んでいたんだ」
 
 ベック等はニーマンの過去の捜査状況を調べていくと、ニーマンは自らの権力を笠に、民間人に対して、とんでもない行為に及んでいて、そのため法務省の護民官宛にニーマンに関する訴状が幾通も出てきた。その中に何通も訴状を出している巡査、オーケ・エリクソンがいた。
 ベックは同僚のフレドリック・メランデルを呼び出す。彼は伝説的な記憶の持ち主で、任意の特定の人間ないし主題について、自分が過去に聞いたり見たり読んだりした重要なデータを自在に選り分け、しかも淀みのない明瞭な語り口で説明出来る刑事であった。そのメランデルが言うエリクソンは次のようであった。
 彼の妻は糖尿病を患っており、いつもインシュリン注射器を持ち歩いていた。が、たまたま自分の子供を迎えに行くときその注射器を忘れてしまい、歩くことも出来ない状態になっていた。その時ニーマンがいた署の部下が彼女を麻薬で朦朧となっているか、泥酔していると勘違いし、警察に連れ込み、ニーマンは彼女を泥酔者用の独房にぶち込んでおけと命じた。そして彼女は独房で死亡した。
 以来エリクソンは人が変わり、ニーマンをはじめ誰彼構わず訴状を送るようになり、妻を殺したのは警察全体だと思うようになる。その後エリクソンは免職処分を受けた。エリクソンは射撃の名手であった。
 彼には一人娘がいたが、児童福祉局がその娘を彼から引き離した。エリクソンと一緒にいると娘の福祉上好ましくないという言う理由で。児童福祉局がそういう決定を下すに当たり、エリクソンの警察時代の上司に事情を聞き、それが決定的になった。何を隠そう児童福祉局の答申書に答えたのがニーマンであった。
 そして銃声が起こった。今まで何度かこのシリーズに出てきて、いつもドジを踏むパトロール警官で、グンヴァルト・ラーソンが「またお前等か!」と呆れる警官二人が射殺される。さらに警官が撃たれる。エリクソンは屋上から、警官を的にしてライフルで撃つ。 マルティン・ベックはニーマン刺殺事件を捜査しているうちに胸騒ぎを覚えていた。

 何か突拍子もないことが起きそうな気がしてならない。どんな犠牲を払ってでも阻止しなければならない突発事故が-

 とにかくベックたちはエリクソンのいる屋上に近づけない。しかしマルティン・ベックは自らが志願してエリクソンのいる屋上に上がり、撃たれてしまう。幸い弾はベックの身体を貫通し、出血のそれほどでなかったが、動けなくなる。ベックは自らの意識が遠のくなかで次のように思う。

 あの瞬間までベックは、自分はこの男を理解していると思っていた。この悲劇の責任の一半は自分にある、従って自分には彼に助けの手を差しのべる義務がある、と思っていた。けれども屋上の男は、もはやいかなる助けの手も届かない領域に入っていたのだ。この二十四時間のある時点で、彼は狂気の棲む世界、復讐と暴力と憎悪以外何物も存在しない世界に、決定的な一歩を踏み出してしまったのに相違ない。

 ベックを救助したのはコルベリとグンヴァルト・ラーソンであり、エリクソンは逮捕される。ただどうしてマルティン・ベックが一人でエリクソンに立ち向かわなければならなかったのか、しかも最終的にコルベリやラーソンが踏み込めたのだから、わざわざ一人で行く理由がないように思える。確かにベックはエリクソンがこうした事件を起こしたのはニーマンがいた警察であり、自分のその組織の中にいるのだから、責任の一端は自分にもあると思うのは分からないわけではないが、だからといってベックが一人でエリクソンと対峙するのは、これまでのマルティン・ベックらしくないように思えた。


評価
★★★


書誌
書名:唾棄すべき男
著者:マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-
ISBN:9784047910591
出版社:角川書店 (1980/09 出版)海外ベストセラ-・シリ-ズ
版型:247p / 20cm / B6判
販売価:入手不可

2010年03月31日

マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-著『サボイ・ホテルの殺人』

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 またマルティン・ベックシリーズに戻る。第6作目である。スウェーデンの実業家のヴィクトール・パルムグレンが系列会社の重役たちの前でスピーチをしている最中、近づいて来た男にピストルで頭部を撃たれた。そして犯人は窓から逃亡した。
 パルムグレン傘下の企業は手広く事業をしていたが、アフリカなどに武器を輸出していたと黒い噂もあった。が、とにかくパルムグレンはスウェーデンの経済界の大物であった。
 その彼が殺害されたのである。警察上層部は嫌が上でも事件を重要視せざるを得なかった。彼の殺害が政治的背景があるようにも思えたからである。そこでマルティン・ベックがマルメのサボイホテルへ派遣される。
 事件は彼の事業内容による国際的トラブルか、それとも彼の部下たちの反逆による暗殺か、いくつかの糸はあるのだが、すべて途中で切れてしまい、捜査は行き詰まっていく。
 そうしているうちにマルティン・ベックはそもそもこの事件は政治的背景とか、ビジネストラブルとか、そういう厄介なところで起こった事件ではなく、もっと単純なところで起こった事件ではないかと思い始める。
 事件直後、犯人に良く似た男が、マルメからコペンハーゲンに向かう船の甲板で、黒い箱を持って佇んでいたという情報が入るが、その男が何者か特定することが出来ずにいた。犯人が使ったと思われる銃もいくつか特定されつつあったが、これもはっきりしない。
 そんな中コペンハーゲンから送ってきた事件リストの中に、浜辺を散歩している家族の息子が砂浜に打ち寄せられた黒い箱をみつけ、中身がサボイホテルの殺人事件で使われた銃のリストの中にあった銃が入っていた。その銃は射撃練習場で使われるもので、判読しづらいが名前も入っていた。
 浜辺で見つかった銃の持ち主、スヴェンソンは、以前パルムグレン傘下の工場で働いていたが、工場が閉鎖され、解雇されていた。さらに住んでいたパルムグレン所有のアパートも策略のよって追い出されてしまっていた。マルティン・ベックは事件の動機を次のように推理する。

 「その場合、スヴェンソンは相当長期間にわたって、踏んだり蹴ったりの目にあったという事実を想起する必要があると思う。これはただ単に自分の運が悪いのではなく、ある特定の人物、ないしは集団から不当にあしらわれた結果なんだと思いはじめたとき、彼の憎悪は偏執的な敵意にまで昂まったと見ていい。言ってみれば、一つまた一つ身ぐるみ剥がれていって、最後に丸裸にされてしまったようなものなんだから」

「そしてその集団の代表がパルムグレンだったというわけか」とマルティン・ベックと一緒に捜査しているのペール・モーソンが言う。

 犯人のスヴェンソンは逮捕後、「あいつを殺してやりたいと思ったことは、あの前にもあったと思います。といって、あらかじめ計画を練っていたわけじゃありません。ところが、あそこにああやって立っている彼の姿を見、自分がリボルバーを持っていることに気づいたとき、いまならあいつを射ち殺すことなど造作もないじゃないか、という考えがパッとひらめいたんです」と言うのであった。 事件は政治的背景やビジネストラブルではなく、一人の男の恨みから起こったもので、ベックが思った通り、単純な動機であった。
 この話で妻との仲が冷え切っていたマルティン・ベックは、別居生活を一人で始めたことが書かれている。別居生活が彼を元気にし、また射殺された昔の部下の恋人とのラヴシーンもあり、ガチガチの刑事ではないことを我々は知って、どこかホッとする。こういうのも人間味があっていい。


評価
★★★


書誌
書名:サボイ・ホテルの殺人
著者:マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-
ISBN:9784047910409
出版社:角川書店 (1980/09 出版)海外ベストセラ-・シリ-ズ
版型:304p / 20cm / B6判
販売価:入手不可

2010年03月24日

マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-著『消えた消防車』

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 私が持っているこのシリーズはこの話で文庫本は終わる。後の5冊は単行本となる。(もちろんこの5冊の単行本も後に文庫になっている)まぁ、これは何の意味もないことなのだが、とりあえずこのシリーズの半分は読み終えたことになる。

 さて話の内容は、まず事件が二つある。一つはストックホルムのアパートで、ピストルで自殺したカールソンという男がいて、カールソンの筆跡で、「マルティン・ベック」と書いたメモが残されていた。ところがマルティン・ベックはカールソンと一切面識がなかった。
 そしてグンヴァルト・ラーソンは依頼されて(詳しい経緯は知らされておらず、ただ助っ人として)ある男のことを若い部下に見張らせていた。その夜は寒い夜で、見張っている警官が凍えそうになっていたので、一時ラーソンは代わってやった。その時男のいるアパートに火花が見え、爆発炎上した。ラーソンが炎が燃えさかる中、アパートにいる人間を捨て身で救助する。
 一方ラーソンに代わってもらった警官は自分が見張っていたアパートが火事になっていることを知って、慌てて消防署に連絡するが、消防署ではその通報をすでに受けているから、もうすぐ現場に着くはずだといわれる。しかし彼が現場のアパートに戻って見ると消防車は来ていない。
 グンヴァルト・ラーソンらが見張っていたのは自動車窃盗の疑いで逮捕され、証拠不十分で釈放されたマルムという男であった。そして火事はマルムの部屋から出火し、彼は焼け跡から死体で発見された。しかし検死の結果、マルムが火事になる前に既に一酸化炭素中毒で死亡していたこが分かる。マルムはガス自殺を図っており、火事はそのガスに引火して起こったものであると最初見なされた。 しかしさらに詳しく調べてみると、自殺したマルムが横たわったマットレスの中に超小型の自動発火装置が仕掛けられていた。つまり誰かがマルムを殺そうと計った同じ晩に、マルム自身自殺していたことになり、火事はその延長で起こったのであった。これで事故が事件となった。
 警察はマルムと自動車窃盗の仲間であったオーロフソンという男を探し始めるが、一向にオーロフソンの行方がつかめないでいた。オーロフソンの消息は火事から遡ること1ヶ月の間ぷっつり途絶えているのでった。
 そしてマルメの港に沈んでいる車が発見され、その中にオーロフソンの死体があった。検死の結果オーロフソンはマルムが死んだ日にはすでに殺されていたことが分かり、マルム殺しはオーロフソンでないことになった。誰がマルムとオーロフソンを殺したのか?
 捜査を続けているうちに事件の全貌が見えてくる。マルムとオーロフソン、そして「マルティン・ベック」と書いたメモを残して自殺した男、カールソンたちは自分たちが属する自動車窃盗組織が美味しいところを持っていってしまうので、組織から自立しようと考えた。が、逆にその組織に殺されたという構図が見えてくるのであった。
 そしてオーロフソンとマルム(先に自殺していたが)を殺した組織の男が再びスットクホルムに入国するとパリから連絡が入る。その時たまたまマルティン・ベックは休暇中であったので、コルベリと若い部下のスカッケが空港に向かった。ところがスカッケが不用意に動いてしまい、コルベリはその男にナイフで刺され、スカッケは銃でその男を射殺する。

 これで物語は終わってしまい、何か中途半端な終わり方であった。せっかく凝ったストーリーをこしらえたのに、この終わり方はもったいない感じでった。残念である。


評価
★★


書誌
書名:消えた消防車
著者:マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-
ISBN:9784042520030
出版社:角川書店 (1993/11 出版)角川文庫
版型:425p / 15cm / 文庫判
販売価:693円(税込)

2010年03月19日

マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-著『笑う警官』

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 今回も今まで持っている文庫本とは別に買った文庫本を読んだ。初版本ではなく、再版本である。ここでは初版が昭和47年(1972年)7月20日となっているので、ここにあげた書誌とまた異なっている。ちなみに私がそれまでに持っていた本はこれである。

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 とにかくこの本は1970年アメリカ探偵作家クラブ(MWA)最優秀長編作品賞の受賞作品ともなっているくらい、スケールが大きく、しかも単に話が大がかりになっているだけでなく、地道な捜査をきめ細かに描写していて、なるほどこれならこの賞を受賞してもおかしくないと思える。

 さてこの話の内容である。ストックホルムでベトナム反戦デモで騒がしかった雨の夜、路線バスが道路から外れて停止していた。中を覗くと瀕死の人間が一人いたが、運転手を含め乗客8人が機関銃らしきもので打ち殺されていた。そしてその殺されれた乗客の中にマルティン・ベックの部下であるオーケ・ステントルムがいた。この事件では目撃者もおらず、しかも被害者のほぼ全員が死亡しているため誰がどのような理由で狙われたのかも分からず、捜査は被害者各々の背景を調べるところから始まった。地方からも応援を頼み捜査を続けるうちに被害者の中の何人かは裏に後ろ暗い事情を抱えていることが判明したが、その中に1人だけ身元不明の被害者がいた。
 一方マルティン・ベックはこの事件の捜査を始めるに当たり、何故非番だったステントルムがこのバスに乗っていたのか疑問を持ち始める。しかもステントルムは銃をいつも持ち歩いていたという。
 ベックの同僚コルベリはステントルムの恋人オーサー・トーレルの元に行き、ステントルムの近況を聞いた。そこでステントルムが休暇を取っていて、『バルコニ-の男』での公園での連続殺人事件に加われず、しかも休暇が終わった時点で事件が解決していたことにクサっていたと聞く。ステントルムは若いだけに野心家であった。

 事件がそれほどない時期に過去の迷宮事件を調べてみろと上司から言われ、ステントルムは“テレサ事件”を追っていた。この事件はテレサという色情狂の女が娼婦に身を落とし、殺されてしまった事件で、関係者は数多くいるのだが、決定的な証拠がなく迷宮入りとなっていた事件であった。
 コルベリはステントルムが追っていたこの事件を調べ始める。テレサと関係を持った男は様々な階級の男たちがいたが、中には身を崩しアル中になって収容されている者もいた。
 以前ステントルムからもいろいろ聞かれていたその男はかなり車に詳しかった。男とステントルムとの雑談の中で、テレサ殺害時に目撃された車が、正面から見ると他の車と見間違うほどよく似ていることを聞かされ、ステントルムがそれに異常に興味を持ったことを聞かされる。
 一方身元不明の被害者の身元が割れる。ところでベックの同僚で記憶力に優れた、メランデルという刑事がいるが、その身元不明の男の名前が“テレサ事件”の調書の中に名前があったはずだと言い出すが、“テレサ事件”を再調査していたコルベリはその調書を隅々まで読んでいて、その名前がなかったはずだと言う。結局調書は1ページ抜けていた。その抜けた調書にはその男の名前があったのだ。しかもその男が乗っていた車が事件当時目撃された車と見間違えしてもおかしくない車に乗っていたのであった。ステントルムはこの男を追っていたのである。
 この男を調べているうちに一枚のレシートが見つかり、裏には頭文字と見られるB・Fという文字があった。コルベリが作ったテレサの関係者リストにB・Fの頭文字がつく名前の男は3人いた。さらに意識不明の重体になっていた男が死ぬ間際に、犯人が自分が勤めていた会社の監督の男とよく似ているといって死んでいったことが分かり、B・Fの頭文字がつく男3人のうち監督に似ている男を見つける。そしてその男は身元不明の男が勤めていた会社の経営者であり、今は実業家であった。実業家はステントルムが男を尾行していることに恐怖を持ち、その男とステントルムの抹殺を計ったのであった。

 「よし、これでどうやらきまりだな」

 といって犯人の男のであるその実業家の元へ向かう。

 事件が解決し、グンヴァルト・ラーソンは次のように言う。

 「こんなことは、誰にも話したことはないんだが、おれはこんどの捜査で洗いだした連中には、そんそこ同情を感じているんだ。どいつもこいつも、てめいで生まれてこなけりゃよかったと後悔しているようなクズばかりだが、といって連中の人生の賽の目が、ままならぬ方向にころんだからたって、そいつは連中の責任じゃあない。許せないのは、そういう連中を虫けらのようにひねりつぶす、フォルスベリみたいな手合いだ。あの豚野郎ときたら、考えることはてめえの金、てめえの家庭、てめえの会社ばかりだ。たまたま他人よりちょっと裕福だというだけで、好きなように他人をあやつれると思っていやがる。ああいう手合いはフォルスベリだけじゃない。実は何千ているんだ。そいつらはポルトガルの娼婦をしめ殺すようなヘマはやらないだけの話だ。だから、そうおいそれとおれたちの網にもかからない。出てくるのはそいつらの犠牲者だけという寸法さ。フォルスベリの野郎は例外なんだ」

 という言葉が肯ける。ところでステントルムが隠した、“テレサ事件”の調書の1ページはステントルムの机の上に隠れてあった。そこにはこの大量殺人事件犯人の名前が疑問符付きであった。それを聞いたマルティン・ベックは低く笑った。それをもっと早く見つけていればというところなのだろう。


評価
★★★★


書誌
書名:笑う警官
著者:マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-
ISBN:9784042520023
出版社:角川書店 (1985/11 出版)角川文庫
版型:433p / 15cm / 文庫判
販売価:740円(税込)

2010年03月16日

マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-著『バルコニ-の男』

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 まずは本そのものの話から。このシリーズは日本ではこの『バルコニ-の男』から発売された。理由はどうしてなのか分からないことは書いた。察するにこの本からこのシリーズを面白くするグンヴァルト・ラーソンが出てくるからじゃないかと推察するが、あくまでも私がそう思っているだけのことだ。
 で、今回読んだ本は今までのカバーとは趣を異にする。そう、今回このシリーズが発売された最初の本、すなわち初版本を手に入れており、それを読んでみたのだ。
 初版は昭和46年(1971年)8月10日となっている。ということはここにあげた書誌とは異なる。この書誌は紀伊国屋書店Book Webを参考にしているが、そこには1993年(平成5年)となっている。昭和46年と平成5年とではちょっと隔たりがありすぎる。別に紀伊国屋書店Book Webの書誌をいい加減だといちゃもんをつけるわけではないが、私は初版の実物を今手にしているのだから、正しくは1971年だろう。私が持っているもう1冊本の方を見ると、これも初版が昭和46年8月10日となっていて、昭和59年(1984年)4月30日十六版発行となっている。


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 今回は今から39年前の文庫本を読んでいるのだけれど、これが下手に扱うとページがとれてしまいそうである。この時の角川文庫はスピンがついていたことを知るが、そのスピンが寸足らずになっている。先っぽが切れてしまっている。経年劣化もここにも現れている。またカバーの背表紙も紙質が劣化し、折り込みの部分が割れたようになっている。いったいこの文庫は後何年で崩壊するのだろうか、と思った。

 さて本の内容である。マルティン・ベックはロゼアンナ事件で一緒になったアールベリーの要請でモータラへ行く途中、署による。そこには連続辻強盗を捜査しているグンヴァルト・ラーソンが、一向に見えない犯人にイラついていた。そこに電話が鳴る。自分の部屋から見える先にあるバルコニーに不審な男が立っていると言うのだ。電話をかけてきた女性はその男の風体を言うが、男は自分の部屋のバルコニー立っているだけのことで、グンヴァルト・ラーソンはだからどうしろと言うのだと怒り、電話は切れた。
 そん中、ストックホルム市内の公園で8歳の少女が暴行され殺されているのが発見された。犯行時刻と推定される日には、同じ公園にある売店の店主が頻繁に発生している辻強盗に襲われるという事件も起きていた。数日後またしても少女の死体が発見され事件は連続殺人となっていった。
 可能性としてグンヴァルト・ラーソンが捜査している辻強盗の犯人が少女を殺害した人物を目撃している可能性が出てきた。マルティン・ベックはとにかくその辻強盗の犯人を探すことを最優先にした。なぜなら少女を殺害した犯人の手がかりは一向に出てこないからである。
 そしてタレコミで辻強盗の犯人が捕まった。犯人は犯行を実行する前に綿密に狙う相手を物色していたので、公園にいたときもそこにいた人物を一人一人あげていく。そして辻強盗の証言から連続少女殺人犯の似顔絵を作成することができた。ただその辻強盗の犯人が言った連続少女殺人犯の風体にマルティン・ベックは何か引っかかる物を感じていた。
 懸命の捜査にもかかわらず、少女を殺した犯人が何物でその行方も一向につかめないまま時間ばかりが過ぎていく。市民は自警団を自主的に作り、過剰に反応する事態に陥り、マルティン・ベックの同僚レンナルト・コルベリがそんな自警団に襲われる。
 マルティン・ベックは捜査に当たり何かが気にかかっていたが、それが何なのか分からないでいた。

 「不意に、彼は身を硬ばらせた。身内を熱いものが走り抜ける。思わず息がつまった。辻強盗の逮捕以来気になっていたこと、頭にこびりついて離れなかったこと、グンヴァルト・ラーソンと分かちがたく結びついていたこと、それがいったい何であったか、突然頭にひらめいたのである。
 人相だった。
 ルンドゲレン(辻強盗の名)が述べた人相をグンヴァルト・ラーソンがまとめた要約は、一言一句、ラーソンが二週間前受話器に向かって言っていたことの反復といってもいいではないか」

 マルティン・ベックは慌ててグンヴァルト・ラーソンが迷惑電話として扱った女性との会話を思い出させる。確かに連続少女殺人犯の人相とグンヴァルト・ラーソンが聞いたバルコニーに立っていた男の人相が似ているが、今のところ関連性が見出せない。単に偶然ということだってある。刑事の勘にしか過ぎない。ただ捜査が八方ふさがりの状態である以上、その男を調べても別に損することはない。このあたりのマルティン・ベックの刑事の勘は圧巻である。そしてその勘は当たり、事件は一気に解決に向かう。

 このシリーズを面白いものにしている要因は、地道な捜査と登場する刑事たちの決断力と推理力であろう。その熟練した推理力と捜査の仕方がリアルで、なるほどと思わせるのである。そしてそれだけだと単に捜査を時系列で追うだけになってしまうが、そこに登場するマルティン・ベックら刑事たちの個性のぶつかり合いを加えることで物語を面白いものとしていく。
 この話の運び方も最初に迷惑電話と見せかけて、それが重要な証言であることを後で分からせるし、辻強盗と連続少女殺人事件をうまく組み合わせて、物語を面白くさせる。思わず“さすが”と唸ってしまう。
 また刑事たちの人間性を訴えるため、彼らの私生活の描写も忘れず書き込んで、それが読む側に登場人物をより身近に感じさせるのである。


評価
★★★★


書誌
書名:バルコニ-の男
著者:マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-
ISBN:9784042520016
出版社:角川書店 (1993/11 出版) 角川文庫
版型:340p / 15cm / 文庫判
販売価:入手不可

2010年03月15日

マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-著『蒸発した男』

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 マルティンベック・シリーズ第二弾。今回はスウェーデンが舞台ではなくハンガリーである。
 マルティンベックはせっかくの夏休みに上司のハンマルから呼び出しがかかる。外務省から依頼があって、スウェーデンの週刊誌の記者がブタペストで行方不明になっているというのである。わざわざ外務省が警察に依頼する理由はその記者アルフ・マトソンの行方不明が国際問題に発展する事態を避けたいからという。
 このあたりは少々古い話で歴史的な問題を含んでいる。第二次世界大戦が終わった後、著名なスウェーデン人が行方不明となった。当時スウェーデンではハンガリーの共産主義者の殺されたとか、ソ連の諜報機関に拉致されたとか、様々な噂が乱れ飛んだという。どうやら国際的諜報戦の匂いがするこの事件は、この本が書かれた頃でも、スウェーデンの作家や映画人の想像力を刺激していたという。実際ドキュメント映画が作成されようとして、その脚本をマイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-夫妻が書いたらしい。結局映画は放映されなかったらしいが、マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-夫妻がその時の取材を生かしてこの小説が書かれた。
 さて行方不明となったアルフ・マトソンを探し、マルティン・ベックがハンガリーに飛ぶのであるが、アルフ・マトソンはブタペストに着いて泊まったホテルから翌日違うホテルに移った後すぐ姿を消した。しかも荷物、パスポートを残して。
 マルティン・ベックは方々探し回るが、依然として行方がしれない。ただアルフ・マトソンが交際していたと思われる女性が判明するが、その女性もアルフ・マトソンを知らないといわれてしまう。そしてマルティン・ベックはある暑い晩散歩に出たときに何者かに襲われた。幸いマルティン・ベックは九死に一生を得て助かったが、襲った犯人を調べると、アルフ・マトソンはハンガリーで麻薬を仕入れに来ていたことが分かる。
 結局アルフ・マトソンはハンガリーには行っていなかった。スウェーデンで仲間に殺されていたのであった。アルフ・マトソンがハンガリーに麻薬を仕入れに行くのを知っていた犯人は、彼に扮してハンガリーに渡り、密かに帰っていたのであった。
 
 マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-夫妻が先に言ったように著名なスウェーデン人の行方不明事件を取材していた。だからこの小説でもそうした諜報事件として、話を展開できたのかもしれないが、そういう風にはしなかった。
 あとがきにおもしろことが書かれている。フレデリック・フォーサイスをどう思うか聞かれ、自分たちと作風が違うと言うのである。そう、この話をそういう国際的な諜報事件として扱うのではなく、(もちろんそれらしく匂わせておくのだが)、あくまでもスウェーデンでの痴話喧嘩の行き着く先にある殺人事件として物語をまとめるのである。普通の人間がフィアンセを侮辱され、かっとなって殺したという話にするのである。ハンガリーでの行方不明や麻薬の売人はあくまでも話のスパイスである。

 しかしやっぱり昔読んだ本の内容はほとんど忘れてしまうものだ。全体としてこのシリーズは面白かったという記憶が残っているが、個々の話の内容などほとんど記憶にない。だから読んでいて思い出すこともあるけれど、新たに推理小説を読んでいる感じになって再読したという感じではない。続いて次を読んでみようと思う。


評価
★★★


書誌
書名:蒸発した男
著者:マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-
ISBN:9784042520054
出版社:角川書店 (1977/05 出版)角川文庫
版型:324p / 15cm / 文庫判
販売価:入手不可

2010年03月13日

マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-著『ロゼアンナ』

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 私が持っている「マルティン・ベックシリーズ」は二代目である。というのも最初このシリーズを読んで、その面白さを堪能した後、もう読み返すことはないだろうと思い、古本屋さんに売ってしまったのだ。ところがいつかふと思い出し、また読んでみたいなと思い始めた。こうなると是が非でも読みたくなり、またこのシリーズを買い求めたのだ。だから今手元にある文庫本5冊、単行本5冊は二代目になるのだ。そして同じ本なのだが、初版本と表紙違いの本を2冊古本屋さんで見かけたのでそれを買い求めている。
 今回このシリーズを読み直すと、これで三度目となる。今回は新たに買い求めた初版本と表紙違いの本を2冊と、それ以外に持っている二代目の本を読むこととする。

 さてこの「マルティン・ベックシリーズ」はマイ・シュ-ヴァルと妻のペ-ル・ヴァ-ル-の共作で、スウェーデンの名作警察小説である。よくエド・マクベインの「87 分署シリーズ」と比較される。もしマイ・シュ-ヴァルが死亡していなければ、もっとシリーズは続いたものと思われる。
 結局夫のペール・ヴァールーが1975年、まだ48歳の若さでこの世を去ったため、シリーズは10作となった。私はあくまでも個人的に思うのだが、結局10作にこのシリーズがとどまったことが、かえってこのシリーズをいいものとしたんじゃないかと思っている。「87 分署シリーズ」のようにだらだら続いちゃうと、どこか間延びした感じになってしまうのではないかと思うのだ。作品は以下の通り。

 『ロゼアンナ』(1965)
 『蒸発した男』(1966)
 『バルコニーの男』(1967)
 『笑う警官』(1968)
 『消えた消防車』(1969)
 『サボイ・ホテルの殺人』(1970)
 『唾棄すべき男』(1971)
 『密室』(1972)
 『警官殺し』(1974)
 『テロリスト』(1975)

 日本ではどういうわけか、第一作の『ロゼアンナ』から出版されず、『バルコニーの男』から出版され、『笑う警官』が第二作として出版されてる。
 そして普通親本として単行本があっていいのだが、これもどういうわけか『ロゼアンナ』から『消えた消防車』は文庫本しか見つからない。もしかしたらこのシリーズはここまでは文庫本オリジナルなのかもしれない。主人公はマルティン・ベック警視である。
 このシリーズが面白いのは、登場人物のキャラクターが警察という職場でも、ごく普通の冗談や会話をするところにある。だからかもしれないが、シリーズ全体で登場人物が楽しいし、警察というきな臭い職場であっても、普通に笑えるのである。そういうことだから人物たちを愛せるのである。私はマルティン・ベックの同僚のレンナルト・コルベリと、ここでは出てこないが、グンヴァルト・ラーソンが大好きである。
 さて『ロゼアンナ』の内容である。遊覧船が行き交うところで、浚渫船が女性の死体を引き上げた。司法解剖の結果、性的暴行を受けた後に絞殺されたことは判明したが被害者の身元は不明のまま捜査は行き詰まり、本庁の応援を仰いだ。ストックホルムからマルティン・ベックとその部下たちが集まり、捜査を続けるが、これといって手がかりがないまま、またしても捜査は行き詰まる。
 そん中アメリカから失踪者の照会があり、殺された女性がロゼアンナ・マッグロウであることが判明する。ロゼアンナの名前は遊覧船の名簿にもあり、どうやら、殺された後遊覧船から投げ落とされたと分かってくるが、それではいったい誰がロゼアンナを殺害したのか皆目判明しない。
 マルティン・ベックは遊覧船にロゼアンナが乗っていたことで、その他の乗客が観光目的で写真やビデオを撮っていたはずだと考える。その船に乗っていて、写真やビデオを取っていた乗客からそれらを取り寄せ、ロゼアンナに近づく人間を捜していく。そうしているうちに一人の不審者が浮かび上がったが、しかし事情聴取をしても、しらを通され、決め手に欠けた。
 そこでマルティン・ベックはその疑わしい人物に婦警を使っておとり捜査をし、罠をかけるのである。男はその罠にはまり、事件は解決する。
 あらすじをこう書いてしまうと、“なんだ”と思ってしまうが、捜査が行き詰まり、次の捜査方法を悩んで考えつき、さらにその先も同様にマルティン・ベックがどう捜査を進めていけばいいのか、苦しみながら考えるあたりは臨場感が感じれるのである。しかも特別変わった手法を取っているわけではなく、オーソドックスな捜査方法だ。だから犯人逮捕までの間がリアルに感じられた。


評価
★★★★


書誌
書名:ロゼアンナ
著者:マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-
ISBN:
出版社:角川書店 (1993/11 出版)角川文庫
版型:375p / 15cm / 文庫判
販売価:入手不可

2009年12月18日

川上健一著『BETWEEN―ノーマネーand能天気』

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 この本は『ビットウィン』の文庫版。まだこのブログをやり始めた頃に読んだ。すごく気に入った。いいエッセイだと思っていたし、たぶんまた読み返す本だろうなと思っていた。
 珍しい黄緑を基調とした装丁も気にっている。装丁、中にあるイラストは南伸坊さんである。文庫本はやはり黄緑を基調としているが、イワナではなく川上さん本人ようだ。これもなかなかいい。私は本の装丁も大事だと思っているので、この本は装丁も内容もお気に入りなのだ。


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 この本の感想や面白かったところ、ホロッときたところなどは以前書いてある通りで、今回も同じように笑ったり、涙ぐんだりしてしてしまった。

 川上さんは二十七歳で小説家という肩書きを持ったが、自分では小説家だとは思っておらず、他に本当にやりたいことがあるはずだといつも思っていた。その本当にやりたいことはいったいなんなんだろうと悶々として酒に走り、飲み過ぎとストレスで肝臓を壊してしまい、無気力になってしまった。
 そうなったらなったで、健康になるまで仕事はせず、気長に構えて本当に自分のやりたいことを探そうと決める。医者の薦めもあって八ヶ岳南麓の高原に引っ越した。そこに奥さんがやってくる。奥さんがやってきて、独身時代には考えられなかった三度の野菜中心食事が取れるようになり食生活が改善し、早寝早起きという規則正しい生活、加えて気候の良さ、仕事をしない、好きな釣りとテニス、野菜作り、庭造り、野山歩き、たき火大会とくれば、ストレスなど皆無となり、都会にいた頃あれだけ通院し、あれだけ薬を飲み、あれだけ静養してもよくならなかった肝臓の数値が正常値に下がり、正常で健康そのものなった。
 その間十年間川上さんのいう「慢性的手元不如意」の状態になったが、超貧乏を愛娘と三人過ごす。お金がない分、なんでも自分たちで作らなければならなかった。家中手作りのもので溢れていた。家具も川上さんの日曜大工で作った。食べるために野菜を作り、食べるために釣りをした。そのうち自分で食べるものを自分で作る楽しみを覚えた。家族と一緒にいる時間が大切なものだと知った。村の人たちの優しさに触れ、川上さんは再生する。人としてうれしさや悲しさ、楽しさなど素直に感じられるようになる。テレビなど見ていても感極まって涙をボロボロこぼしたり、ストーリーに感動するようになる。
 そうなると物語のすばらしさを感じられるようになり、時には批評めいたことも感じたりして、自分は物語が好きだったんだとわかり始める。自分の本当にやりたかったことは物語を紡ぐことであると知るのである。そして十年ぶりに小説を書き始めるのである。
 この本を読んでいて、川上さんが超貧乏生活を余儀なくされたことが良かったんだと思った。そしてそれを理解してくれる家族の存在。楽しい仲間の存在が、川上さんにまた小説を書こうと思わせるのだと思った。そして何よりも自然の中での生活がそれを手助けしたんだと思う。
 薬は確かに一時的に数値を下げるかもしれないが、荒んだ心はきっと回復しないだろう。まして都会という不自然な世界で生きていけば、また小説を書こうなんて思わなかったに違いない。
 人の気持ちを荒んでささくれたったものにしてしまうのも、人間関係だけれど、人が人として心を回復させるのは、信頼できる家族、仲間という人間関係であるのだと思った。それを大自然が後押ししているんじゃないかなと思った。
 やっぱり自然は恐ろしいものだけど(ここでもおかしく書かれているけれど、怖い側面があることを教えてくれる)、一方で人を心身ともに育むものなんだなと感じた。

 ところでこの本の書名となっているビトウィンとはなんであろうか。読んでいると、ビトウィンとは絶対的両極端の間に自分がいて、その間をあっちこっち揺れ動くことを言っているようだ。そうした生活をしている人を川上さんはビトウィン人と呼び、自分がそうだからそうしたビトウィン人に親しみを覚えると言うのだ。

 「こうこうこうだからこうだッ、とかこれこれこうだからこっちがいいに決まっているッ、と物事を理路整然とやっつけてきっぱりと断定する人間に遭遇すると、本当かね?とつい首をひねってしまい、ついでに毛嫌いしてしまう癖が私にはある。
 己が優柔不断ということもあるけれど、両極端の間に我が身を置いて、あれこれ迷ったり、悩んだりしているビトウィン人の方に、人間的な親しみを覚えてしまうのだ」

 前回読んだときはまだ自分の評価を★の数で表すことをしていなかったし、ブログオープンのために、それまで読んできた本を一気に紹介したので、この本はその中に埋もれてしまった感じがする。もちろん私の中ではいい本だったという記憶が残ってはいるが、改めて読み返してよかったなと思った。


評価
★★★★★ 


書誌
書名:BETWEEN―ノーマネーand能天気
著者:川上 健一
ISBN:9784087463217
出版社:集英社 (2008/07/25 出版)集英社文庫
版型:212p / 15cm / A6判
販売価:499円(税込)

2009年11月20日

夏目漱石著『こころ』

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 実はこうして漱石を読んできたのはこの『こころ』を読みたくて、他の作品を読んできた。私はこの物語が大好きで、もう何度読んだろうか?そのたびに泣きたくなるのも毎度のことだった。
 ただ今回はどうだろうかと思った。これまで読んできた漱石の前期三部作、後期三部作の登場人物にかなりの不満を感じていたので、今までのように手放しで感動出来るかどうか不安であった。いずれもただ単に相手の気持ちと自分の気持ちとの間で苦悶するだけで、その先一向に光が見えないまま、終わってしまう話にいささか鼻についていたからだ。しかも彼等は生活に余裕があって、生きることに汗水流さないで済む分、普通生きることに必死の人なら、一銭でもお金を稼いでいるところを、ただ邪推や妄想の日々で終わるのである。どこか自分たちは特別なんだという臭いがプンプンしてしまうのである。それが鼻持ちならなかった。
 そう感じていたから、この『こころ』もそういう話の一つになってしまうのではないかと思ったのだ。それはとにかく好きな物語だったから、出来ればそうであって欲しくなかったのである。
 結論から言うと、今回何度目かわからないが、この物語を読んで、一番感動が少なかった。
 こうなると昔読んで感動した本を改めて読み直すというのは、時にその当時の感動に疑問を呈することもあるから、考えものだ。昔感動したからといって、読み直して同じ感動が味わえるかというと、そうでもないことが多いのかもしれない。

 さて、『こころ』である。解説によると、この『こころ』はいくつかの短編を書き継ぎ、それを合わせて総題として『こころ』とする予定で、漱石は最初にこの本のメインとなる「先生と遺書」を書いたのだそうだ。ところが片がつかなくなって、その前に「先生と私」を書き、そこで私と先生の出会いを明らかにし、次に「両親と私」で自分の父親と先生を比べることで、先生の姿をより明らかにしようとする。
 私は父が危篤と聞いて、大学卒業後すぐ国元へ帰るのだが、父親は私が大学を卒業したことを素直に喜ぶ。その姿とたかが大学を卒業したくらいでといった冷ややかな態度の先生と比較し、その冷めた態度の先生の方が、余計に偉く見えたりする。そんな私のところに先生から膨大な量の手紙が来る。それが「先生と遺書」となって結びつくことになる。そこで先生の過去が明らかにされ、自殺へと結びつく経緯を知ることとなる。だからこの「先生と遺書」が物語のメインとなるわけだ。
 まず「先生と私」で、先生との出会いを描く。「私はその人を常に先生と呼んでいた。だから此処でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮といよりも、その方が私に取って自然だからである」といって始まる。
 私は何度も先生のお宅に出入りし、先生が定職にも就かず、半ば隠遁生活している姿に疑問を感じつつ、先生ともあろう人がどうしてこんな生活をしているのか、聞きたくても聞けないまま、どこかに暗い影を感じつつ、先生の話しぶりから、先生を知ろうとする。 そんな中私は「人間を愛し得る人、愛さずにはいられない人、それでいて自分の懐に入ろうとするものを、手をひろげて抱き締める事が出来ない人、-これが先生であった」と先生の人物評をする。
 先生は私にすべてを語らなかったが、ぽつりぽつり含みのある言葉を私に投げかける。

 「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。妻以外の女は殆んど女として私に訴えないのです。妻の方でも、私を天下にただ一人しかない男と思ってくれています。そういう意味から云って、私達は最も幸福に生れた人間の一対であるべき筈です」

 先生は自分たち夫婦を本来なら幸福な人間であるはずなのに、それをそうだとは言い切らなかった。ここに夫婦の間に何か暗い影を感じさせる。

 「かつてはその人の膝の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとするのです」

 「然し悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にある筈がありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変わるだから恐ろしいのです。だから油断が出来ないんです」

 、と言ったりする。

 この新潮文庫に収録されている江藤淳さんの「漱石の文学」で、江藤さんがうまいことを言っている。こうした漱石の物語の運び方を「いわば告白しないことによって、告白し、虚構や象徴によってのみ自己の秘密を語るという、漱石独特の手法」だというのである。まさにこの物語はそうした手法を取りつつ、前作同様手紙ですべてを明らかにする方法をここでもとっているのである。

 そして「先生と遺書」ですべてが明らかになる。先生が最初から悪人なんていない。それが急に変わるのはお金のためだと言うのは、先生が両親を失って、自分を養育してくれたと恩を感じていた叔父が、先生の遺産を使い込んでしまったからだ。自分はだまされていたことを知ったから、そう言ったのであった。
 辛うじて残った遺産を処分して先生は東京に出て来る。そして母娘がいる家に下宿することとなる。最初は赤の他人である先生と母と娘はぎこちないところがあったが、その内打ち解けるようになって行き、先生もこの親子と暮らしているうちに、人間不信になっていた自分の気持ちが人間らしさを取り戻していくのを感じてくる。
 そこへ友人のKを連れてきて、一緒に住むことになった。Kは真宗の坊さんの子であったが、医者の家に養子に出された。養家ではKを医者にするために、東京に出した。ところがKはまったく医者になるつもりがなく、養家をだましながら大学で違う勉強をしつづけていた。結局Kは養家をだまし続けることが出来ず、真実を明らかにしたことで、養家の怒りを買い、仕送りが断たれたのであった。先生はKの後見人を自認していたため、Kを自分が下宿していた家に一緒に住むことにしたのである。先生は自分がこの親子の御陰で荒んでいた自分の気持を和らげてくれたことから、それをKにも望んだのである。
 ところが先生はKと宅のものが段々親しくなって行くのを見ているのが、余り好い心持ではなかくなっていく。特に御嬢さんと仲良くなって、一緒にいるところを見ると、嫉妬した。
 ある時Kから御嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた。その時先生は「私は彼の魔法棒のために一度に化石されたようなものです。口をもぐもぐさせる働きさえ、私にはなくなってしまったのです」とこの遺書で告白するのであった。先生はなんとかしなければならないと焦り、Kが学問で精進していることをよく知っている先生はKに向かって「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と言って女にうつつを抜かすKを非難する。
 その一方で、先生は自分の気持ちをKよりも早くこの親子に告白をしなければならないと思い、Kの気持を知っていながら、Kを出し抜いてこの母親に娘を嫁にくれと伝えるのであった。先生はKに勝った。しかしKをだまし、出し抜いたことに後悔する。

 「私はその刹那に、彼の前に手を突いて、謝りたくなったのです」

 そして先生と御嬢さんとの結婚話を聞いたあと、Kは自殺した。先生は取り返しのつかないことになったことを自覚する。

 「要するに私は正直な路を歩く積りで、つい足を滑らした馬鹿ものでした。もしくは狡猾な男でした」

 「おれは策略で勝っても人間として負けたのだ」

 「世間はどうあろうともこの己は立派な人間だという信念が何処かにあったのです。それがKのために美事に破壊されてしまって、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。他に愛想尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです」

 Kの葬式のあと御嬢さんは先生の妻となったが、先生後ろにはいつもKの姿があった。自分が軽蔑していた叔父と自分がKにしたことが同じであることに苦しみ続けた。毎月命日にはKの墓参りを欠かさなかったが、その内先生は“自己処罰”を思うようになる。ただ自分が死んだら妻はどうなると考えると、なかなか行動には移せなかった。だから先生は「私は妻のために、命を引きずって世の中を歩いていたようなものです」というのである。
 あるいはKとのいきさつを話せば、妻は嬉し涙をこぼしても私の罪を許してくれたに違いないと思う一方、自分の罪で妻の心を汚してしまうことに忍びなかったのであった。

 「私はただ妻の記憶に暗黒な一点を印するに忍びなかったから打ち明けなかったのです。純白なものに一雫の印気でも容赦なく振り掛けるのは、私にとって大変苦痛だったのだと解釈してください」

 そんな時明治天皇が崩御した。先生は「その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました」と書く。先生は自分が生きた明治が天皇崩御で終わったことで、その間自分が人間形成をし、叔父を軽蔑し、そして自分も叔父と同じであったと自覚するに至った時代にけじめがついたと思ったのである。あるいは乃木大将の殉死が後押ししたのかもしれない。先生はその後妻を残し、自殺するのである。“自己処罰”のために。

 ところで夏目漱石は江戸幕末の慶応3年に生まれ、大正5年に死亡した。漱石の50年近い生涯はまさしく明治という時代そのものであった。漱石は明治精神をそのまま生きてきた。だから明治天皇の崩御はかなりの影響を残したはずだ。それをこの先生に託したと言っていいのかなと思ったりする。


 今回同じ『こころ』でも新潮文庫版と集英社文庫版の写真を掲載した。読んだ方は新潮文庫であったが、集英社文庫は解説を読んで、それを参考にさせてもらった。


評価
★★★


書誌
書名:こころ (改版)
著者:夏目 漱石
ISBN:9784101010137
出版社:新潮社 (2004/03/15 出版)新潮文庫
版型:378p / 15cm / A6判
販売価:380円(税込)


書誌
書名:こころ
著者:夏目 漱石
ISBN:9784087520095
出版社:集英社 (1991/02/25 出版)集英社文庫
版型:340p / 15cm / A6判
販売価:320円(税込)

夏目漱石著『こころ』

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 実はこうして漱石を読んできたのはこの『こころ』を読みたくて、他の作品を読んできた。私はこの物語が大好きで、もう何度読んだろうか?そのたびに泣きたくなるのも毎度のことだった。
 ただ今回はどうだろうかと思った。これまで読んできた漱石の前期三部作、後期三部作の登場人物にかなりの不満を感じていたので、今までのように手放しで感動出来るかどうか不安であった。いずれもただ単に相手の気持ちと自分の気持ちとの間で苦悶するだけで、その先一向に光が見えないまま、終わってしまう話にいささか鼻についていたからだ。しかも彼等は生活に余裕があって、生きることに汗水流さないで済む分、普通生きることに必死の人なら、一銭でもお金を稼いでいるところを、ただ邪推や妄想の日々で終わるのである。どこか自分たちは特別なんだという臭いがプンプンしてしまうのである。それが鼻持ちならなかった。
 そう感じていたから、この『こころ』もそういう話の一つになってしまうのではないかと思ったのだ。それはとにかく好きな物語だったから、出来ればそうであって欲しくなかったのである。
 結論から言うと、今回何度目かわからないが、この物語を読んで、一番感動が少なかった。
 こうなると昔読んで感動した本を改めて読み直すというのは、時にその当時の感動に疑問を呈することもあるから、考えものだ。昔感動したからといって、読み直して同じ感動が味わえるかというと、そうでもないことが多いのかもしれない。

 さて、『こころ』である。解説によると、この『こころ』はいくつかの短編を書き継ぎ、それを合わせて総題として『こころ』とする予定で、漱石は最初にこの本のメインとなる「先生と遺書」を書いたのだそうだ。ところが片がつかなくなって、その前に「先生と私」を書き、そこで私と先生の出会いを明らかにし、次に「両親と私」で自分の父親と先生を比べることで、先生の姿をより明らかにしようとする。
 私は父が危篤と聞いて、大学卒業後すぐ国元へ帰るのだが、父親は私が大学を卒業したことを素直に喜ぶ。その姿とたかが大学を卒業したくらいでといった冷ややかな態度の先生と比較し、その冷めた態度の先生の方が、余計に偉く見えたりする。そんな私のところに先生から膨大な量の手紙が来る。それが「先生と遺書」となって結びつくことになる。そこで先生の過去が明らかにされ、自殺へと結びつく経緯を知ることとなる。だからこの「先生と遺書」が物語のメインとなるわけだ。
 まず「先生と私」で、先生との出会いを描く。「私はその人を常に先生と呼んでいた。だから此処でもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚かる遠慮といよりも、その方が私に取って自然だからである」といって始まる。
 私は何度も先生のお宅に出入りし、先生が定職にも就かず、半ば隠遁生活している姿に疑問を感じつつ、先生ともあろう人がどうしてこんな生活をしているのか、聞きたくても聞けないまま、どこかに暗い影を感じつつ、先生の話しぶりから、先生を知ろうとする。 そんな中私は「人間を愛し得る人、愛さずにはいられない人、それでいて自分の懐に入ろうとするものを、手をひろげて抱き締める事が出来ない人、-これが先生であった」と先生の人物評をする。
 先生は私にすべてを語らなかったが、ぽつりぽつり含みのある言葉を私に投げかける。

 「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。妻以外の女は殆んど女として私に訴えないのです。妻の方でも、私を天下にただ一人しかない男と思ってくれています。そういう意味から云って、私達は最も幸福に生れた人間の一対であるべき筈です」

 先生は自分たち夫婦を本来なら幸福な人間であるはずなのに、それをそうだとは言い切らなかった。ここに夫婦の間に何か暗い影を感じさせる。

 「かつてはその人の膝の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとするのです」

 「然し悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にある筈がありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変わるだから恐ろしいのです。だから油断が出来ないんです」

 、と言ったりする。

 この新潮文庫に収録されている江藤淳さんの「漱石の文学」で、江藤さんがうまいことを言っている。こうした漱石の物語の運び方を「いわば告白しないことによって、告白し、虚構や象徴によってのみ自己の秘密を語るという、漱石独特の手法」だというのである。まさにこの物語はそうした手法を取りつつ、前作同様手紙ですべてを明らかにする方法をここでもとっているのである。

 そして「先生と遺書」ですべてが明らかになる。先生が最初から悪人なんていない。それが急に変わるのはお金のためだと言うのは、先生が両親を失って、自分を養育してくれたと恩を感じていた叔父が、先生の遺産を使い込んでしまったからだ。自分はだまされていたことを知ったから、そう言ったのであった。
 辛うじて残った遺産を処分して先生は東京に出て来る。そして母娘がいる家に下宿することとなる。最初は赤の他人である先生と母と娘はぎこちないところがあったが、その内打ち解けるようになって行き、先生もこの親子と暮らしているうちに、人間不信になっていた自分の気持ちが人間らしさを取り戻していくのを感じてくる。
 そこへ友人のKを連れてきて、一緒に住むことになった。Kは真宗の坊さんの子であったが、医者の家に養子に出された。養家ではKを医者にするために、東京に出した。ところがKはまったく医者になるつもりがなく、養家をだましながら大学で違う勉強をしつづけていた。結局Kは養家をだまし続けることが出来ず、真実を明らかにしたことで、養家の怒りを買い、仕送りが断たれたのであった。先生はKの後見人を自認していたため、Kを自分が下宿していた家に一緒に住むことにしたのである。先生は自分がこの親子の御陰で荒んでいた自分の気持を和らげてくれたことから、それをKにも望んだのである。
 ところが先生はKと宅のものが段々親しくなって行くのを見ているのが、余り好い心持ではなかくなっていく。特に御嬢さんと仲良くなって、一緒にいるところを見ると、嫉妬した。
 ある時Kから御嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた。その時先生は「私は彼の魔法棒のために一度に化石されたようなものです。口をもぐもぐさせる働きさえ、私にはなくなってしまったのです」とこの遺書で告白するのであった。先生はなんとかしなければならないと焦り、Kが学問で精進していることをよく知っている先生はKに向かって「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と言って女にうつつを抜かすKを非難する。
 その一方で、先生は自分の気持ちをKよりも早くこの親子に告白をしなければならないと思い、Kの気持を知っていながら、Kを出し抜いてこの母親に娘を嫁にくれと伝えるのであった。先生はKに勝った。しかしKをだまし、出し抜いたことに後悔する。

 「私はその刹那に、彼の前に手を突いて、謝りたくなったのです」

 そして先生と御嬢さんとの結婚話を聞いたあと、Kは自殺した。先生は取り返しのつかないことになったことを自覚する。

 「要するに私は正直な路を歩く積りで、つい足を滑らした馬鹿ものでした。もしくは狡猾な男でした」

 「おれは策略で勝っても人間として負けたのだ」

 「世間はどうあろうともこの己は立派な人間だという信念が何処かにあったのです。それがKのために美事に破壊されてしまって、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。他に愛想尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです」

 Kの葬式のあと御嬢さんは先生の妻となったが、先生後ろにはいつもKの姿があった。自分が軽蔑していた叔父と自分がKにしたことが同じであることに苦しみ続けた。毎月命日にはKの墓参りを欠かさなかったが、その内先生は“自己処罰”を思うようになる。ただ自分が死んだら妻はどうなると考えると、なかなか行動には移せなかった。だから先生は「私は妻のために、命を引きずって世の中を歩いていたようなものです」というのである。
 あるいはKとのいきさつを話せば、妻は嬉し涙をこぼしても私の罪を許してくれたに違いないと思う一方、自分の罪で妻の心を汚してしまうことに忍びなかったのであった。

 「私はただ妻の記憶に暗黒な一点を印するに忍びなかったから打ち明けなかったのです。純白なものに一雫の印気でも容赦なく振り掛けるのは、私にとって大変苦痛だったのだと解釈してください」

 そんな時明治天皇が崩御した。先生は「その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました」と書く。先生は自分が生きた明治が天皇崩御で終わったことで、その間自分が人間形成をし、叔父を軽蔑し、そして自分も叔父と同じであったと自覚するに至った時代にけじめがついたと思ったのである。あるいは乃木大将の殉死が後押ししたのかもしれない。先生はその後妻を残し、自殺するのである。“自己処罰”のために。

 ところで夏目漱石は江戸幕末の慶応3年に生まれ、大正5年に死亡した。漱石の50年近い生涯はまさしく明治という時代そのものであった。漱石は明治精神をそのまま生きてきた。だから明治天皇の崩御はかなりの影響を残したはずだ。それをこの先生に託したと言っていいのかなと思ったりする。


 今回同じ『こころ』でも新潮文庫版と集英社文庫版の写真を掲載した。読んだ方は新潮文庫であったが、集英社文庫は解説を読んで、それを参考にさせてもらった。


評価
★★★


書誌
書名:こころ (改版)
著者:夏目 漱石
ISBN:9784101010137
出版社:新潮社 (2004/03/15 出版)新潮文庫
版型:378p / 15cm / A6判
販売価:380円(税込)


書誌
書名:こころ
著者:夏目 漱石
ISBN:9784087520095
出版社:集英社 (1991/02/25 出版)集英社文庫
版型:340p / 15cm / A6判
販売価:320円(税込)

2009年11月18日

夏目漱石著『行人』

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 続いて漱石を読む。今回も「高等遊民」の長野一郎が自分の妻の直を信じられず、直の気持が弟の二郎に向いているんじゃないかと疑うところから、この物語は始まる。そのため二郎に自分の妻と一晩泊まって、妻の気持ちを確かめてくれという、とんでもないことを頼む。頼まれる二郎もどうかと思うのだけれど、まずは一郎の猜疑心にはいささか呆れる。
 とにかく二郎は気難しい兄の言うことには逆らえないので、結果として一晩直と夜を一緒に過ごすことになり、その夜のことを兄の一郎に報告する。この時になって二郎は自分が兄から疑われていることと、自分がいくら兄の頼みごととはいえ、嫂の気持ちを確かめるなど馬鹿なことをしたことに後悔するのだが、私からすれば、「あんたもどうかしているよ」と言いたくもなる。
 それにしても漱石が人物設定する「高等遊民」という輩は、まったくどうかしているとしか言いようがない。行動することより、頭の中であれこれ考え過ぎることから、つまらん邪推が生まれ、本来なら考えなくてもいいことが自分の頭の中で広がっていき、今度はそれで身動きがとれなくなるのだから、どうしようもない。
 確かに人はあらゆることで考え過ぎることがある。ただどうでもいいことを深く思い至るところはあるにしても、これほどじゃないだろう。誰にだって“不信”はある。そのためにさまざまなことに猜疑心を抱き、さらに気持が荒んでいく。しかし一郎の直に対する疑念は異常であるとしか思えない。自分以外本当のところはわからないのが当たり前なのだが、それをわかりたいと思うところに、一郎の破綻があるのだ。
 一郎が何故妻の直の気持を疑うようになっていったのか、その原因はこの物語ではつまびらかにされていないが、ただ直の日常の態度からそう察するのだろう。でもその直がそうした態度に出ているのは、結局一郎がそうさせたところがある。一郎と一緒に暮らしているうちに身につけた処世である。それを二郎は次のように言う。

 あの落付、あの品位、あの寡黙、誰が評しても彼女はしっかりし過ぎたものに違いなかった。驚くべく図々しいものでもあった。
 或刹那には彼女は忍耐の権化の如く、自分の前に立った。そうしてその忍耐には苦痛の痕跡さえ認められない気高さが潜んでいた。彼女は眉をひそめる代わりに微笑した。泣き伏す代わりに寡黙に端然と座った。恰もその座っている席の下からわが足の腐れるのを待つかの如くに。要するに彼女の忍耐は、忍耐という意味を通り越して、殆ど彼女の自然に近い或物であった。

 二郎は直がそうなったのも一郎のせいだと見抜いているのに、直にもう少し兄に対してやさしくなれという。でも直は「だから先刻から云ってるじゃありませんか。私が冷淡に見えるのは、全く私が腑抜の所為だって」と言うだけなのである。
 
 こうして一郎の懐疑心が、家族からの孤立を生み、それとともに一郎の神経の病的変調ともいえる状態が生まれる。家族もそれを心配し、気晴らしに旅でも出たらどうかということで、一郎の友人であるHと一緒に旅に出させる。
 物語はここからHによる一郎の精神状態の記述となる。私から言わせればわざわざ一郎の精神状態をここで明らかにする必要性を感じないのだけれど(多分そうだろうなと思えるから)、まぁ、Hの言う一郎姿を書くと次のようになる。

 兄さんは鋭敏な人です。美的にも倫理的にも、智的にも鋭敏過ぎて、つまり自分を苦しめに生れて来たような結果に陥っています。兄さんは甲でも乙でも構わないという鈍な所がありません。必ず甲か乙かの何方かでなくては承知出来ないのです。しかもその甲なら甲の形なり程度なり色合なりが、ぴたりと兄さんの思う坪に嵌らなければ肯がわないのです。兄さんは自分が鋭敏なだけに、自分のこう思った針金の様に際どい線の上を渡って生活の歩を進めて行きます。その代わり相手も同じ際どい針金の上を、踏み外さずに進んで来て呉れなければ我慢しないのです。然しこれが兄さんの我儘から来ると思うのは間違いです。

 けれども、是非、善悪、美醜の区別に於いて、自分の今日まで養い上げた高い標準を、生活の中心としなければ生きていられない兄さんは、さらりとそれを擲って、幸福を求める気になれないのです。寧ろそれに振ら下がりながら、幸福を得ようと焦燥るのです。そうしてその矛盾も兄さんは能く呑み込めているのです。

 そうなのだ。一郎の今までしてきた知的生活、すなわち学問的の追求姿勢をそのまま実生活に移せば、唯単に猜疑心しか生まないのだ。このような現実乖離した生活感では、そうした姿勢がそれほど意味をなさないばかりか、時には邪魔にさえなることも一郎はわかってはいる。その証拠に「平生読み破った書物上の知識を残らず点検した揚句、ああああ画に描いた餅はやはり腹の足しにならなかったと嘆息したと云います」とHは書くのである。
 一郎はわかってはいるのだ。だけどそれが出来ずに苦しんでいる。まるで智恵だけが独立したかのように、一人歩きしている自分をわかっているのである。
 それでも自分がこれまでやってきたことは、絶対だと思うところには救いはない。だからHが一郎が宗教家になるために、今は苦痛を受けつつあるのではなかろうかと思うけれど、一郎はそれを否定する。一郎は自らやってきた生活と、実生活の乖離に苦しんでいるだけのことで、決して宗教家になるための修行をしている訳じゃないからだ。一郎はあくまでも実生活でも自らの幸福を求めてやまない人間でもあるのだ。
 結局この物語も行き着くところまで行き着いて、物語が終わる訳じゃなく、“寸止め小説”として、こうしたジレンマに苛まれたまま終わる。それ以降どうなっていくのか、読む側に考えさせるということなのかもしれないが、結局このまま悩み続け、これ以上の解決策は見出せないのではないかという予感だけが残る。後は一郎が狂ってしまうかであろう。
 漱石が描く精神の高貴さを追求する人が、実生活でのギャップに悩み続ける姿は、それだけを見れば尊い感じがしてしまう。けれど、どっぷり俗世間のしがらみに縛られている今の自分がこの物語を読むと、そういう知的生活、学問的探求と同じような姿勢では生きていくのは難しいだろうと思うのだ。むしろちっとも尊いと思えなかった。頭でっかちの戯れ言聞いている感じでもあった。


評価
★★★


書誌
書名:行人 (〔平成5年〕改版)
著者:夏目 漱石
ISBN:9784101010120
出版社:新潮社 (1996/10 出版)新潮文庫
版型:417p / 16cm / 文庫判
販売価:539円(税込)

2009年11月13日

夏目漱石著『彼岸過迄』

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 また漱石に戻る。この『彼岸過迄』というタイトルは、漱石が序文でことわっているように、彼岸過ぎまでに書き上げる予定だから、そういうタイトルを付けただけだという。だから物語の内容とは何ら関係ない。最初、田川敬太郎の就職活動を須永の叔父に依頼するところから始まるので、この物語は敬太郎の話かと思われるが、実は彼の友人である須永と従妹の千代子の物語である。敬太郎はあくまでも須永の心持ちを観察し、聞いた話を語るだけの役割である。解説によるとこの手法は『猫』と同じ手法で、それが成功したものだから、今回もその手法を使っているのだという。猫が主人を観察することでその物語は成り立ったが、今回は敬太郎に猫の役目をさせ、須永を観察することで、須永の物語となる。

 この本も高校時代読んでいる。ただ当時はなんて言うのかな、世俗とは関係のない精神の尊さというか、そんなものに感動したのだけれど、今回は少々鼻持ちならないところを感じてしまう。
 当時私は普通の高校生だから、親抱えで、生活することに何ら心配のない時であった。だから生きることが今みたいにお金と直接結びつかずにいた。そのため人間の精神のあり方、あるいは葛藤だけが、ストレートに感動を呼んだのだろうと思える。しかし今は違う。敬太郎にしても、須永にしても、叔父の松本にしても、世間離れした生き方出来る人間の戯れ事のように思えてしまったのである。
 前期三部作にも「高等遊民」という言葉が出て来る。これは漱石の造語で、意味は大学を出ても職に就こうとはせず、職業のために心を汚し、あくせくしない、余裕ある時間を持つ人に対していう言葉だ。漱石はそうした恵まれた環境に育ち、何の心配もなく高等教育を受け、卒業しても、慌てて仕事を探さなくてもすむ人間の恋愛関係だけを取り上げる。だから気持だけであって、そこには生活するために“生きる”という姿が欠けている人達ばかりの話に感じてしまう。幸い『門』だけは生活の臭いがする分、救われるが、後は、余裕のある人間の物語にしか感じられないのである。
 やたら高慢で、うぬぼれの強さが至るところで見られる。自分は高等教育を受けてきて、人とは違うんだという視線で相手を見ているところがいたるところにある。そしてそうした教育を受けることだけがそれまでの人生だったから、生活する能力はないのだと平気で言えるのである。だからそれまであれこれ考えていたのに、話が現実的になると、尻込みしてしまうのだ。

 須永の母親は千代子を子供の頃から、須永の嫁に欲しいと言っていた。それは須永が自分の息子でなかったからだ。自分の生んだ息子じゃないからこそ、血縁関係を考えて、千代子を嫁に迎えたかったのであった。須永は母親のそうした意志のもとで、千代子と過ごしてきた。子供の頃からの幼なじみだったからこそ、自分が千代子を愛しているのかどうか判断できなかったし、自分が受けてきた高等教育や甘ちゃんで育ってきた自分を省みて次のように思う。

 僕は常に考えている。「純粋な感情程美くしいものはない。美くしいもの程強いものはない」と。強いものが恐れないのは当り前である。僕がもし千代子を妻にするとしたら、妻の眼から出る強烈な光に堪えられないだろう。その光は必ずしも怒を示すとは限らない。情の光でも、愛の光でも、若くは渇仰の光でも同じ事である。僕は屹度その光の為に射竦められるに極まっている。それと同程度或いはより以上のの輝くものを、返礼として彼女に与えるには、感情家として僕が余りに貧弱だからである。

 千代子が僕の所へ嫁に来れば必ず残酷な失望を経験しなければならない。彼女は美くしい天賦の感情を、有るに任せて惜気もなく夫に注ぎ込む代りに、それを受け入れる夫が彼女から精神上の営養を得て、大いに世の中に活躍するのを唯一の報酬として夫から予期するに違いない。年の行かない、学問の乏しい、見識の狭い点から見ると気の毒と評して然るべき彼女は、頭と腕を挙げて実世間に打ち込んで、肉眼で指す事の出来る権力か財力をつかまなくっては男子ではないと考えている。単純な彼女は、たとい僕の所へ嫁に来ても、矢張そう云う働き振を僕から要求し、又要求さえすれば僕に出来るものとのみ思い詰めている。

 そんな煮え切らない須永に対して、千代子の縁談話が出てくると、今度は相手に嫉妬するのである。けれどその相手と競争して千代子を奪い取ろうと考えない。

 僕は断言する。若しその恋と同じ度合の激烈な競争を敢えてしなければ思う人が手に入らないなら、僕はどんな苦痛と犠牲を忍んでも、超然と手を懐ろにして恋人を見棄ててしまう積でいる。男らしくないとも、勇気に乏しいとも、意志が薄弱だとも、他から評したらどうにでも評されるだろう。けれどもそれ程切ない競争をしなければ吾有に出来にくい程、何方へ動いても好い女なら、それ程切ない競争に価しない女だとしか認められないのである。

 競争して勝った側の男につく女なら、そんな尻の軽い女なら、価値のある女には思えないと考えるのである。これって、どうよ、と言いたくなる。こういう自分勝手な考え方しかできないのが“高等遊民”なら、こいつら馬鹿かと言いたくなってくる。逆を言えば、これほど自分の都合よく物事を考えられるのはある意味うらやましい。さすが“高等遊民”である。ホンと頭でっかちとはこのことである。人間が生きるということは、もっとドロドロしているはずだと思うのだけれどね。
 しかしまったくの馬鹿じゃないようだ。須永は自分のこういう生き方が出来たのも、余裕がそうしてくれたことを、尊敬する叔父である松本の姿を見て思うのである。

 叔父は世俗に拘泥しない顔をして、腹の中で拘泥している。それを外に出さないのは、財産の御陰、年齢の御陰、学問と見識と修養の御陰である。

 あるいは今まで生きてきた姿がどこかおかしかったかも知れないと、小間使の作を見て思うのだった。ただその見方も、傲慢そのものなのだが、おかしいと思うだけでも多少救われるかもしれない。

 固より好い器量の女でも何でもなかった。けれど僕の前に出て畏こまる事より外に何も知っていない彼女の姿が、僕には如何に慎ましやかに如何に控目に、如何に女として憐れ深く見えたろう。彼女は恋の何物であるかを考えるさえ、自分の身分では既に生意気過ぎると思い定めた様子で、大人しく坐っていたのである。

 自分の腹は何故こう執濃い油絵の様に複雑なのだろうと呆れたからである。白状すると僕は高等教育受けた証拠として、今日まで自分の頭が他より複雑に働らくのを自慢にしていた。ところが何時かその働きに疲れていた。何の因果でこうまで事を細かに刻まなければ生きて行かれないのかと情なかった。僕は茶碗を膳の上に置きながら、作の顔を見て尊とい感じを起した。

 これが明治の知的階級の一般的な考えであったのだろうか。もっと自分の気持ちに素直になれば生きやすいんじゃないかと思うのだが・・・。知識がそれを邪魔するというなら、そんな知識など捨て去ればいいじゃんと思うのだけれど、そうしたらそれまで生きてきた証がなくなっちゃうから、そうもいかないのだろうか?
 それともそもそもそんな考え方さえ生まれないのかもしれない。高等教育は人間らしさや素直さをどこか否定してしまうところがあるのかもしれない。彼等の行動は頭の中で考えた行動しか出来ないところがあるし、そうであることが当たり前のような危うさがある。人間なんてそう簡単に割り切れるもんじゃないと思うのだけれど・・・。だから悶々とするでしょうが。まして人の気持ちなんて、どうなるかわかるものでもないはずだ。どうも私は生活感抜きで、物事を考えられない人間で、精神の高貴さだけを受け入れられない俗っぽいところがあるようだ。


評価
★★★


書誌
書名:彼岸過迄 (改版)
著者:夏目 漱石
ISBN:9784101010113
出版社:新潮社 (1983/09 出版)新潮文庫
版型:328p / 16cm / 文庫判
販売価:459円(税込)

2009年11月05日

田山花袋著『東京震災記』

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 小沢信男さんの『東京骨灰紀行』の中にこの本の記述が引用されていた。それを読んだときこの本をあったはずだよなと思い、本棚を探し回ってみたら、確かにあった。この本も読んだという記憶はあるのだが、これもほとんど内容を覚えていない。ただこの本は持っていることは確信があった。
 というのも社会思想社が潰れたとき、当時お店にあった文庫を倒産に当たりすべて返品する時、面白そうな本を抜いて、買ったという記憶があるからだ。家の本棚には当期買った教養文庫が数冊ある。今ではきっと社会思想社の教養文庫といっても忘れられちゃっているんだろうなと思う。結構いい本を文庫本として出版していたんだけど、アドベンチャーゲームブックみたいなおかしな本を出すから潰れちゃったんじゃないかと思う。アレックス・ヘイリーの『ルーツ』を出版した出版社だといえば多少思い出してくれる人もいるかもしれない。今では古本屋の均一本の中にこの現代教養文庫をよく見かける。

 さて、この本はあの田山花袋が関東大震災後自ら歩き、又は人から聞いたことをそのまま記したものであり、元は大正13年博文館から発行された『東京震災記』を全文収録したものである。
 とにかく、この地震はその大きさももちろんだけれど、やっぱり火災の恐ろしさをひしひしと感じる。ネットでもその惨劇状況を見ることが出来るので、見てもらいたい。

http://research.kahaku.go.jp/
rikou/namazu/03kanto/03kanto.html

 それを突切ってそのまま九段の坂の上へと行った。私はとにかくそこで地震以来焼けた区域の概念をつくることが出来た。私は一面焼野原で、目の及ぶ限り殆ど灰燼になっていないところのないのを見た。ニコライ堂の半ば焼け落ちているのも、駿河台から神保町にかけて処々に建物の残骸の聳えているのも、神田明神の焼けたあとの台地のガランとしているのも、何も彼もその火災のいかに烈しかったを語り尽くして余りあるのを見た。それはそこからでは、宮城の丘陵にかくれて、南の方面は見えていなかったけれども、京橋から銀座、東京駅あたりは見えなかったけれども、概して一面その惨害のほどを知ることが出来た。『全く廃墟だ!都会の廃墟だ!』私は思わずこう口に出して言った。

 焼野原になってしまっては、何処も彼処もすべて同じであった。賑かな通りも何もなかった。大きなデパアトメントストアも何もなかった。唯、ところところに、焼残った鉄筋の残骸が無気味に立っているだけで、その向こうは、東京湾の蒼波にまでずっとひろく続いているのであった。
 それはそう大して風の吹く日でもなかったけれど、それでも焼ぼこりがすさまじくあたりに漲って、ともすれば、眼も明いていられないような濛々とした光景となった。あまつさえ、街上には電信や電車の線が縦横に焼け落ちているので、注意しないと、すぐそれに引かかりそうになった。

 『被服廠にも行って見たかね?』
 『あそこはあそこで、えらいことだがね。とてもお話にも何もならないがね。大川の岸もひどかったんだよ。厩橋から両国橋の河岸は、死屍で満たされていたと言っても好いからね。何しろ、あの川の岸まで命カラガラ逃げて来ても、川があるのでどうすることも出来なかったんだからね。運良くそこらに繋いであった舟の上に逃げても、その舟までも焼かれてしまったんだからね。あれを見ると、実際、どうすることも出来なかったのがよくわかるよ』

 『まァ、あんなものわざわざ見て行かなくっても好いだろうに・・・・』ふとこういう女の声が私のすぐ向こうでしたので、ひょいと私は顔を上げて見た。私はびっくりした。そこには黒焦げになった人間の頭ろが、まるで炭団でも積み重ねたかのように際限なく重なり合っているではないか。『あ、これだな!これが被服廠だな!』突差の間にも私はこう思った。

 とにかく当時の記録として、実際に震災を経験し、その惨状を眼のあたりした人達の言葉は生々しい。そこには写真では感じられないものがあるように思える。どうしようもない状況下で、ただただ逃げる。しかしその後の惨状を見れば半ば諦めの境地というか、そうなるべくしてそうなっただけのことだと、思うしかないのは、ある意味むなしい。

 それは人間は大切だ。それは言うも待たないことである。しかし、自然というものの大きな眼から見れば、人間も亦一つの生きたものである。火が来れば焼け、水が来れば溺れるのは、それはきまり切ったことである。それに対して自然は全く無関心である。従って被服廠跡の悲惨な光景も、自然に取っては何でもないのである。唯、焼けるものがあったから焼けただけのことである。

 何もかも壊れ、火災に遭い焼け果てたところに、地震でびくともしないものもあった。そこから田山花袋は世界に冠たる都市、東京の復興を思い巡る。

 私は丸の内ビルデングから東京駅の方へと行った。そこには依然としてもとの東京駅であった。びくともしなかった。壁すら一つ落ちていないようだった。私は一種の勇ましさを感ぜずにはいられなかった。《矢張本当に力を入れたものか、どうかということは、こういう非常の時にわかるんだ。本ものはびくともしないんだ。》こう私は口に出して言った。私はじっとして立ってそれを眺めた。
 私はつづいてこのあたりが、大東京の中心になる時代のことを頭に浮べた。この大破壊の結果として、今度こそは本当にこのあたりが立派なものになって行くのであろう。一方は日本橋に、一方は京橋に、更に他の一方は銀座へと接続して行くようになるだろう。その時こそ、始めて、外国の都会と比べて決して恥ずかしくないような都会の中心が出来るだろう。それこそ全く純粋な東京-江戸趣味などの少しも雑っていない純粋な東京が蜃気楼のようになって此処にあらわれて来るだろう。そうすれば、この大破壊も決して徒為ではなかったと言えるだろう。

しかし・・・、

 震災当時は東京の復興ということがかなり力強く言説され、その具合では、まるで違った東京-ロンドン、パリ、ベルリンなどをも凌駕するに足りるような大きな立派な東京があらわれて来そうに思われたが、現に、新聞にそのおりおりに載せられた図面などで見ては、こういう風に出来上れば、一国の首部として東京も立派なものだなど思われたが、次第にそうした計画は小さくなって、今では復興ということより復旧ということに重きを置かれるようになったので、以前の東京とはそう大して違わない東京が出来上って来そうになって来た。これは残念なことだった。

 思わず、「だろうな」と思った。日本人は大きな花火を上げるのは得意なのだけれど、いざ実行に移す段階で、利害関係などがからみ合い、当初の計画が尻つぼみになるは、昔も今も変わらない。おまけに、出歯亀根性丸出しの国民性がむくむくと頭をもたげて、あの悲惨な被服廠が観光地になっちゃところは、情けないものだ。話のネタとして行ってみないといけないということになってしまうのだ。田山花袋は次のように書いている。

 あの時から二十日乃至一ヶ月経った頃には、被服廠から、厩橋、吾妻橋の川に添ったあたり、サッポロビイルの横、枕橋附近、すべてあのトタン板を上に蔽って、ブスブスと死屍を焼く煙があたりに漲って、何とも形容の出来ない悪臭がそこを通る人に鼻を蔽わせたが、四十九日経った頃には、それがすっかり骨となって、被服廠では大きな礼拝堂が出来、花を売る人達が集り、一種東京の新名所というような形になった。一度は行って見なければ話の種にならないと言って、後には誰も彼も出かけた。初めはお前達が焼跡になんか行ったらそれこそどんな眼に逢わされるか知れないと言われた女子供まで出かけた。お詣りに行くとか、お線香を上げに行くとか言うのは、表面の理由で、皆なそれを見物に出かけたのであった。

 この年、いつもなら釣れない時期でも、ボラがいつまでも釣れたという。

 『どうも、矢張、その故じゃないでしょうかね?今年は餌が海の中に沢山あるので、それでいつまでも残っているのではないでしょうかね?』

 逃げ遅れ、川で溺死した人々の遺体がボラの餌となり、その数があまりにも多いものだから、ボラも本来深いところにもぐるどころじゃなくなるというのは、結構恐ろしい。それを思うと誰しも大漁を素直に喜べなかったという。


評価
★★★


書誌
書名:東京震災記
著者:田山 花袋
ISBN:9784390113960
出版社:社会思想社 (1991/08/30 出版)現代教養文庫
版型:288p / 15cm / A6判
販売価:入手不可

2009年10月23日

本多孝好著『真夜中の五分前』〈side‐A〉〈side‐B〉

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 続いて本多さんの本を読む。実はこの本単行本で以前読んでいる。この本を読んだのは、まだ岩本町に当社の本屋があったときであった。お店の手伝いをしていて、この本が結構売れていたので、どんなものなのか興味を持って読んだのだ。その時は今風の若者を描いた物語なんだなというくらいしか思わなかった。今回本多さんの書かれる本に引かれるようになって、改めて読み直してみた。そして変な表現だけど、ちょと淡々とした悲しみに酔いしれてしまった。妙に自分の気持ちに素直になれない僕がいとおしくなってしまった。倦怠感の中で失った悲しみを引きずるといった流れが、物語自体どうってこともないのに、“こういうのって、あるよなぁ”と思わせる。

 主人公の僕は大学時代、秋月水穂と付き合っていた。水穂は僕の部屋にある目覚まし時計を五分遅らせた。

 「普通、目覚まし時計って、進ませるんじゃないか?起きて、時間を見たときにちょっと慌てられるように」

 「時計は全部、五分遅らせることにしているの」

 「だって、人より、ちょっと得した気にならない?あら、あなたもう十時なの?私はまだ九時五十五分よって」

 「いい考えだ」「三十分遅らせよう。それなら時間通りに着く」

 「三十分は駄目よ」「三十分遅らせたら、世界に追いつけなくなるわよ。五分くらいがちょうどいいの」

 僕は水穂を交通事故で失った。水穂が亡くなったことはショックであったが、何故かそれがそのとき、それが悲しと感じられなかったし、もちろん泣けなかった。
 それでも僕は社会人となる。ある時近所の公営プールでかすみと知りあう。僕はそれまで付き合っていた原祥子と別れたばかりであった。原祥子は僕に「そう。狂ってるのよ。あなたの部屋にある目覚まし時計と同じ。ほんの五分くらいだけどね。ちょっとだけ、でもきっちりと狂っている。二人でいるときは気づかない。五分先にある本当の時間より心地いいくらい。でも私は、五分先の世界の住人で、五分遅れたあなたの世界では暮らせない」といって離れていった。
 かすみは僕に妹の結婚祝いのプレゼント見つくろってくれと頼んでくる。妹のあかりと双子であり、同じ遺伝子を持つものだから、お互い何を考え、どのように行動するか、すべてわかってしまう。それがしゃくなものだから、あかりには想像のつかないプレゼント僕に選ばせ、驚かそうとしたのであった。
 実はかすみはその妹の旦那となる男に恋をしていたのであった。その思いを断ち切るためにかすみは僕とつきあい始める。僕も普段クールにしているが、どこかで水穂のことを引きずっていた。その証拠に今でも部屋にある目覚まし時計は五分遅れたままだ。
 僕のいる会社は社内抗争みたいなものがあり、上司の小金井さんが取締役に就くという人事の噂が流れる。普段はバリバリのやり手の女上司である小金井さんが以後、ぼーっと過ごす姿を見かけるようになる。詳しく聞いてみると、十年間も自分を目の敵にしている同僚に恋しているというのであった。一方かすみは同じ遺伝子を持った妹の恋人に恋している三年間を過ごしてきた。僕のまわりに来る女性は、いったい何なんだと眩暈を通り越してげっぷが出そうだった。ここで〈side‐A〉がいったん終わる。

 〈side‐B〉では、僕は今までいた会社を去る。小金井さんも同じ会社を辞めていた。テレビでスペインで電車事故があったというニュースが流れる。スペインにはかすみと妹のあかりがちょうど旅をしていた。まさかと思ったが、かすみは事故に巻き込まれ死に、あかりは旦那の元へ帰っていた。しかしあかりの旦那である尾崎さんは帰ってきたのはあかりではなく、かすみではないかと疑い始める。それを僕のところへ相談を持ちかけられたとき、かすみが生きている。そして好きだった妹の夫の元で暮らしている、と思った。顔やスタイルの見分けの付かないほど似ていて、同じ遺伝子を持っているためか、考え方や感じ方も同じ。そして二人は仲のいい姉妹だったから、何でもお互いのこと話し合ってきた。だからかすみがあかねとすり替わっても、出来ない話ではない。
 あかねなのか。それともかすみなのか。尾崎さんは疑心暗鬼にとらわれ、あかねの元を去って行く。あかねも自分が事故のためか自分があかねなのか、それともかすみなのかわからない状態になっていた。

 ある時元上司の小金井さんと偶然会う。小金井さんは僕がプロデュースした店に行ったことを伝え、もし自分がまだ上司なら合格点を出しただろうけど、個人的には二度と行きたくない店だと言い、「君、少し休みなさい」とも言われる。僕はある意味“壁”にぶつかっていた。だから小金井さんの提案を受け入れ、三日間休みことにする。土日をはさんで五日間休むのだが、これといって何する訳でもない。ふと学生時代水穂と一緒に行った喫茶店へ行きたくなり、そこでマスターと水穂のことを話した。そして感じたのである。
 秋月水穂。それは確かにいたはずの人にもかかわらず、確かにそこで僕の前に座っていた人にかかわらず、ひどく現実感のない存在になっていた。今という地点から連続する時間を遡っても、その人には辿り着かないように思えた。

 水穂の法事に行けなかったことを思い出し、すぐ水穂の墓参りする。そして僕は初めて泣いた。水穂を失ったこと。かすみを失ったことで。二人を愛していたことを。初め二人をそれぞれ失った時は、確かにショックであったけれど、それは涙を流すほどの悲しみとはならなかった。しかし、この時初めて二人を失ったことに涙を流したのであった。二人を失った直後はそのことのショックが大きくて、茫然自失とでもいうのか、何をしていいのかわからない状態だった。
 その後立ち直るべく、忙しい中に自分を放り込んで、その喪失感から逃れて生きていくと、本当の自分を見失うことになるのかもしれない。人はちゃんと手続きを経て、泣くときは泣き、笑うときは笑うという作業をしないと、真っ当になれないのかもしれない。逆にその手続きを後に回せば、その分揺り返しがさらに大きくなり、かなりきつくなる。そんなことを感じると、ぐっと来てしまった。
 その後僕は遅れた五分間を水穂とかすみために使うことにするのである。

 僕は枕もとの目覚まし時計に目をやった。十一時五十五分。だったら世界はもう明日を迎えているのだろう。世界から取り残された五分が静かに僕を包んでいた。再び体を横たえ、僕は目を閉じた。完全に閉ざされた闇の中で、かすみのことを思い、水穂のことを思った。一日のたった二百八十八分の一くらい、そんな風に使っても許されるだろう。

 僕は今でも最後の五分間だけ、かすみのことを思う。水穂のことを思う。そのとき、そこにいた自分のことを思う。その時間は、僕の胸に静けさと穏やかさを運んでくれる。一日の二百八十八分の一だけ、僕はその静けさと穏やかさの中でじっと身をひそめ、自分の中から湧き上がってくるものにそっと身をゆだねる。僕はこれからも色いろなものを失っていくだろう。けれど、僕はそれらを一日の小さなかけらの中に集め続けるだろう。小さなかけらはやがて結晶となって、僕を形作ってくれるだろう。そんな気がしている。そして残りの二百八十七は、今の僕のために使い、今の僕が愛する人のために使っている。

 失ったことの悲しみを忘れたがために、それをわざと遅らせた五分を使って、それを思い出すという考え方がものすごくすてきに思えた。


評価
★★★


書誌
書名:真夜中の五分前―five minutes to tomorrow〈side‐A〉
著者:本多 孝好
ISBN:9784101322513
出版社:新潮社 (2007/07/01 出版)新潮文庫
版型:227p / 15cm / A6判
販売価:420円(税込)


書誌
書名:真夜中の五分前―five minutes to tomorrow〈side‐B〉
著者:本多 孝好
ISBN:9784101322520
出版社:新潮社 (2007/07/01 出版)新潮文庫
版型:89p / 15cm / A6判
販売価:380円(税込

2009年10月14日

夏目漱石著『門』

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 さて、漱石の前期三部作の最後となった。前回の『それから』では、友人関係と親子関係を失い、社会的制裁を受けてまでも代助が友人平岡からその妻である三千代を奪うところで終わった。
 そして今度は主人公を変えて、代助が宗助となり、三千代が御米となって、半ば世間から隠れた夫婦生活からこの物語は始まる。つまり野中宗助は安井の妻であった御米を奪った。そして二人は夫婦となったが、その瞬間から「彼等は親を棄てた。親類を棄てた。友達を棄てた。大きく云えば一般の社会を棄てた。もしくはそれ等から棄てられた。学校から無論棄てられた」のであった。
 「宗助と御米とは仲の好い夫婦に違なかった。一所になってから今日まで六年程の長い月日をまだ半日も気不味く暮した事はなかった。言逆に顔を赤らめ合った試は猶なかった。二人は呉服屋で反物を買って着た。米屋から米を取って食った。けれどもその他には一般の社会に待つ所の極めて少ない人間であった。彼等は、日常の必需品を供給する以上の意味に於いて、社会の存在を殆ど認めていなかった。彼等に取って絶対に必要なものは御互だけで、その御互だけが、彼等にはまた充分であった。彼等は山の中にいる心を抱いて、都会に住んでいた」のであった。
 人の女房を奪った男と、夫を裏切った女は、世間の目から隠れてひっそりと暮らすしかなかった。彼らの負い目がそうさせた。だから「二人の間には諦めとか、忍耐とか云うものが断えず動いていたが、未来とか希望と云うものの影は殆ど射さない様に見えた。彼等は余り多く過去を語らなかった」

「その内には又きっと好い事があってよ。そうそう悪い事ばかり続くものじゃないから」

「我々は、そんな好い事を予期する権利のない人間じゃないか」

 その上に御米の三度の流産でさえ、特に御米は自分たちが犯した罪のせいだと考えるようになった。

 彼女は三度の胎児を失った時、夫からその折りの模様を聞いて、如何にも自分が残酷な母であるかの如く感じた。自分が手を下した覚えがないにせよ、考え様によっては、自分と生を与えたものの生を奪うために、暗闇と明海の途中に待ち受けて、これを絞殺したと同じ事であったからである。こう解釈した時、御米は恐ろしい罪を犯した悪人と己を見なさない訳には行かなかった。そうして思わざる徳義上の呵責を人知れず受けた。

 御米は子供がなかなか授からない不安から易者に占ってもらえば、「貴方には子供は出来ません」、「貴方は人に対して済まない事をした覚えがある。その罪が祟っているから、子供は決して育たない」と言われるのである。

 『それから』にしてもこの『門』にしても、こうも厄介な人間関係を求め、そのためそれまであったすべてを失うことになっても、好きな女性といっしょになるというのが、どうもよく分からない。それは私の中に面倒なことを避ける性質や打算的な考えから、そう思うのかもしれないが、ここまでして三角関係にならなきゃならない強い求めが、そうあるのだろうかと思うのだ。まぁそれだけ純粋と言ってしまえばそうなのだろうけど、その純粋な気持ちを維持すればするほど、その後はただ不幸になるということのような気がするのである。
 幸せというのは精神的つながりだけで求められるものなのかとさえ思う。関係が成ったときは、所謂成就感で一杯にも成るかもしれないが、結局それに払う代償はその後永遠に続くことになる。いつも不安に怯え、後ろめたさを持ちながら生きていくことが、どこが幸せなのかと思うのだ。その不安や後ろめたさは、二人の関係を解消したって、多分一生当の本人たちに残るであろうから、結局一度そういう関係になってしまったら、その後は、この本の解説にあるように「この日常には、希望もないが絶望もない。激しいものは何もない。彼らには過去がある。時間がそれを癒やすこともないが、かといってそれが劇的におそいかかってくるわけでもない。結局なしくずしのまま老いていくような予感がこの作品にはある」のである。
 そう、一時は激しく燃え上がり、求めあったとしても、その過程に問題があれば、いや世間が認めなければ、如何に自分たちの気持ちが純粋であっても、その後にはそれに対する負い目を背負いながら生きていくしかないのである。ラブストーリーだけでは生きてはいけない。結果そのまま老いていき、死ぬしかないのである。
 やりきれないのは、そうした負い目から救いを求め、もがくことなのだ。宗助が御米の元夫である安井の影に怯え、禅寺に入っても、何も得られなかったように「自分は門を開けて貰いに来た。けれど門番は扉の向側にいて、敲いても遂に顔さえ出してくれなかった」し、「彼は門を通る人ではなかった。又門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった」のであった。


評価
★★★


書誌
書名:門 (改版)
著者:夏目 漱石
ISBN:9784101010069
出版社:新潮社 (2002/11 出版)新潮文庫
版型:311p / 16cm / 文庫判
販売価:380円(税込)

2009年10月11日

夏目漱石著『それから』

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 長井代助と平岡は中学時代から友人であった。特に学校を卒業してから兄弟のように親しくしていた。その後平岡は三千代と結婚し、勤めていた銀行の地方勤務となった。しばらくの間代助宛に平岡から便りがあったが、そのうち間隔をおくようになり、最後は来なくなる。そして平岡は銀行を辞めて、夫婦で東京に戻ってくる。。
 当然平岡は生活のために仕事を探しまわる。仕事が決まるまで、三千代は代助にお金を工面してもらうこともあったが、平岡は新聞記者の職につく。しかし平岡は家に帰るのも遅くなり、三千代にかまうことさえしなくなる。いやもう東京に戻るって来るまでに、平岡と三千代の関係は冷め切っていた。

 代助は椅子に腰を掛けたまま、新しく二度の世帯を東京に持つ、夫婦の未来を考えた。平岡は三年前新橋で分かれた時とは、もう大分変わっている。彼の経歴は処世の梯子段を一二段で踏み外したと同じ事である。まだ高い所へ上っていなかっただけが、幸いと云えば云う様なものの、世間の眼に映ずる程、身体に打撲を受けていないのみで、その精神状態には既に狂いが出来ている。始めて逢った時、代助はすぐにそう思った。

 もともと代助は行動するに当たり哲学的に物事を考えて行動するタイプであったが、こと三千代に関しては感情的にならざるを得ず、落ち着いていられない。平岡夫婦の関係、三千代の健康状態が、精神状態が不安で仕方がなくなってくる。無頓着でいられなくなる。しかし代助は最初は穏便な方法で平岡と対峙する。

「不断は今頃もう家に帰っているんだろう。この間僕が訪ねた時は大分遅かった様だが」

「まあ帰ったり、帰らなかったりだ。職業がこう云う不規則な性質だから、仕方がないさ」

「三千代さんは淋しいだろう」

「なに大丈夫だ。彼奴も大分変ったからね」

「そんな事が、あろう筈がない。いくら、変ったって、そりゃ唯年を取っただけの変化だ。なるべく帰って三千代さんに安慰を与えて遣れ」

「だって、君がそう外へばかり出ていれば、自然金も要る。従って家の経済も旨く行かなくなる。段々家庭が面白くなくなるだけじゃないか」

「家庭か。家庭もあまり下さったものじゃない。家庭を重く見るのは、君の様な独身者に限る様だね」

この言葉を聞いたとき、代助は平岡が悪くなった。あからさまに自分の腹の中を云うと、そんなに家庭が嫌なら、嫌でよし、その代わり細君を獲っちまうぞと判然知らせかった。

 しかし代助には本心が言えなかった。その分なんのために平岡に会ったのかさえ、このときの会談が偽善と思うようになる。もっと本音で平岡と対したかった。「もし思い切って、三千代を引合に出して、自分の考え通りを、遠慮なく正面から述べ立てたら、もっと強い事が云えた。もっと平岡を動揺る事が出来た。もっと彼の肺腑に入る事が出来た。に違いない。その代わり遣り損なえば、三千代に迷惑がかかって来る。平岡と喧嘩になる。かもしれない。
 代助は知らず知らずの間に、安全にして無能力な方針を取って、平岡に接していた事を腑甲斐なく思った」のであった。

 代助がなまじ自分自身を知識人たるべきであるべきであるという生きざまが、結局そのような曖昧な態度を取らざるを得なかったのだ。だから「代助は昔の人が、頭脳の不明瞭な所から、実は利己本位の立場に居りながら、自らは固く人の為と信じて、泣いたり、感じたり、激したり、して、その結果遂に相手を、自分の思う通りに動かし得たのを羨ましく思った」にであった。
 しかし「彼は自分と三千代との関係を、直線的にに自然の命ずる通り発展させるか、又は全然その反対に出でて、何も知らぬ昔に返るか。何方かにしなければ生活の意義を失ったものと等しいと考えた」。
 でも三千代との関係を得ることは自らを社会的危険に陥れることでもあった。いくら三千代が同意しても、友人の妻を奪うことの道義的責任が伴う。社会的制裁を受けることになる。もちろん平岡との友人関係は消滅する。
 さらに代助は生活の糧も失うことにもなる。何故なら代助は父親の援助で生活をしてきた。だから定職も付かずに思索家として過ごせた。ところが父親の事業による政略結婚の話が代助に持ち上がっていた。それを断って三千代を選べば、父を裏切ることとなり、必然的に生活の糧を失うこととなる。代助は考えあぐねた末、それでも三千代に自分の思いを伝えることを決意する。「今日は始めて自然の昔に帰るんだ」と胸の中で言う。

 「僕の存在には貴方が必要だ。どうしても必要だ。僕はそれだけの事を貴方に話したい為にわざわざ貴方を呼んだのです」

 「僕はそれを貴方に承知して貰いたいのです。承知して下さい」

 「余りだわ」という声が手帛の中で聞こえた。

 「僕は三四年前に、貴方にそう打ち明けなければならなかったのです」

 「僕が悪い。堪忍して下さい」

 「残酷だわ」と云った。

 「いや僕は貴方に何処までも復讐して貰いたいのです。それが本望なのです。今日こうやって、貴方を呼んで、わざわざ自分の胸を打ち明けるのも、実は貴方から復讐されている一部分としか思いやしません。僕はこれで社会的に罪を犯したも同じ事です。然し僕はそう生まれて来た人間なのだから、罪を犯す方が、僕には自然なのです。世間に罪を得ても、貴方の前に懺悔する事が出来れば、それで沢山なんです。これ程嬉しい事はないと思っているんです」
 
 「仕様がない。覚悟を極めましょう」

 次に代助は平岡と対峙する。しかし平岡はなかなか代助と会おうとはしない。三千代の病気が悪化し、看病をしていたという。代助は三千代に対する自分の気持ちを正直に伝え、三千代も自分と同じであることを伝える。平岡は今三千代の症状が良くないので、回復したら三千代を渡すから、それまでは三千代に会わないでくれと言い、代助も同意する。
 ところが代助は三千代の病気の状態が良いのか悪いのかわからない。もし悪いのであればと思うと、いてもたってもいられない。そのうち代助は三千代の症状がかなり悪く、平岡は代助に三千代を会わせるときは、遺体となった三千代を会わせるのじゃないかと思うようになり、恐怖に戦く。
 そんなところに代助の兄が平岡の書いた代助の父宛の手紙を持ってきた。そこには代助が自分の妻を奪っていった顛末が書かれており、それを読んだ父親は、さらに激怒し、勘当同然を言い渡す。代助の恋はかなり高い代償を払わされて、この物語は終わる。

 この物語も明治の知識人が自らのプライドがなかなか素直な自分を受けいれることを許さないところがミソで、もう少し最初から素直な気持ちで代助が三千代に接していれば、こんなことにならなかった。自分の三千代へ恋心と平岡との友情を天秤にかけて、友情の方に傾いてしまう。いや無理にでも傾けさせたところから、代助の悲劇は始まったのだ。
 本来人が持っている恋心をストレートに表現することを明治の知識人はそれこそ下等な人間、無教養な人間のすることだと考えたのかもしれない。多くの知識は理性として、そうした人間の感情をコントロールするもので、それが出来て知識人だと考えたのかもしれない。もちろんあからさまに、そうした感情を、言えることが人間的かといえば、そうじゃないだろうけど、でも感情と知識はまったく別物だと考えたい。あれこれ考えすぎるものだから、結果まどろっこしくてかなわない。頭でかっちもいいところで、読んでいてもうちょっと自分に忠実で、素直な気持ちで接すればいいのにと思っちゃう。まぁそれだけ明治の知識人は、哲学的であったのかもしれないし、その分格調は高かったということなのだろう。でなければこんなことは考えまい。

第一、日本程借金を拵えて、貧乏震いしている国はありゃしない。この借金が君、何時になったら返せると思うか。そり外債位は返せるだろう。けれども、そればかりが借金じゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。そうして、無理にも一等国の仲間入りをしようとする。だから、あらゆる方向に向かって、奥行きを削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじ張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。その影響はみんな我々個人の上に反射しているから見給え。こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。悉く切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使われるから、揃って神経衰弱になっちまう。話をして見給え大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えやしない。考えられない程疲労しているんだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴っている。のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。日本国中何処を見渡したって、輝いてる断面は一寸四方も無いじゃないか。

 これは漱石の有名な明治批評と何かで読んだことがある。このように当時の風潮を代助は批判しているのだが、言っていることはまさに自分のことじゃないかと思えてくるのである。そしてある程度代助はこれらが自分に当てはまると考えてはいるものの、それでもどこか違うと言っているかにとれる。それが三千代との関係を複雑にしたのに。


評価
★★★


書誌
書名:それから (改版)
著者:夏目 漱石
ISBN:9784101010052
出版社:新潮社 (1992/05 出版)新潮文庫
版型:302p / 16cm / 文庫判
販売価:420円(税込)

2009年10月06日

夏目漱石著『三四郎』

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 司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』の第一巻のあとがきに次のような言葉がある。

 このながい物語は、その日本史上類のない幸福な楽天家達の物語である。やがてかれらは日露戦争というとほうもない大仕事に無我夢中でくびをつっこんでゆく。最終的には、このつまり百姓国家がもったこっけいなほど楽天的な連中が、ヨーロッパにおけるもっともふるい大国の一つと対決し、どのようにふるまったかということを書こうとおもっている。楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。

 ある意味この『三四郎』の主人公である小川三四郎にも同様な夢が見られる。ただしきわめて俗っぽい夢なのだが・・・。

 三四郎には三つの世界が出来た。一つは遠くにある。与次郎の所謂明治十五年以前の香がする。凡てが平穏である代わりに凡てが寝坊気でいる。尤も帰るに世話はいらない。戻ろうとすれば、すぐ戻れる。ただいざとならない以上戻る気がしない。云わば立退場の様なものである。三四郎は脱ぎ捨てた過去を、この立退場の中に封じ込めた。
 第二世界のうちには、苔の生えた煉瓦造りがある。片隅から片隅を見渡すと、向こうの人の顔がよく分からない程に広い閲覧室がある。梯子を掛けなければ、手の届きかねるまで高く積み重ねた書物がある。手擦れ、指の垢、で黒くなっている。金文字で光っている。羊皮、牛皮、二百年前の紙、それから凡ての上に積った塵がある。この塵は二三十年かかって漸く積もった貴い塵である。静かな月日に打ち勝つ程の静かな塵である。
 第二の世界に動く人の影を見ると、大抵不精な髭を生やしている。あるものは空を見て歩いている。あるものは俯向いて歩いている。電車に取り巻かれながら、太平の空気を通天に呼吸して憚らない。このなかに入るものは、現世を知らないから不幸で、火宅(この世。現世。娑婆(しやば)。 ▽煩悩(ぼんのう)に悩まされることを、火事になった家にたとえる)を逃れるから幸いである。
 第三の世界は燦として春の如く盪いている。電燈がある。銀匙がある。歓声がある。笑語がある。泡立つ三鞭(シャンパン)の盃がある。そうして凡ての上の冠として美しい女性がある。

 つまり第一の世界は熊本時代の三四郎であり、第二の世界は広田先生や野々宮がいる世界である。浮世離れしてひたすら学究肌の人たちが住む世界のことをいうのであろう。そして第三の世界は三四郎にとってもっとも心のから望んでいる世界で、そこに入り込むためにわざわざ熊本から出てきたのだ。だから自分がこの世界の主人公であるべき資格を有していると思っている。そしてそこに一緒にいる女性が美禰子でなければならない。
 この物語はそういう世界での話である。しかしいわゆる立身出世の話ではなく、むしろ第三の世界に入ることを望んではいるけれど、三四郎にはまだそうした資格がないことに悩むわけである。特に美禰子の気をなんとか引きたいと思っていても、「自分と野々宮を比較してみると大分段が違う。自分は田舎から出て大学へ這入ったばかりである。学問という学問もなければ、見識と云う見識もない。自分が、野々宮に対する程な尊敬を美禰子から受け得ないのは当然である」と田舎から出てきたばかりの自分を卑下してしまう。だから美禰子から馬鹿にされている様でもあると思ってしまう。三四郎は美禰子との格の差を感じてしまうわけである。それは与次郎の言うことに何も言えない三四郎の姿からも読み取れる。与次郎は次のように言う。

 「馬鹿だなあ、あんな女を思って。思ったって仕方がないよ。第一、君と同年位じゃないか。同年位の男に惚れるのは昔の事だ。八百屋お七時代の恋だ」

 「何故と云うに。二十前後の同じ年の男女を並べてみろ。女の方が万事上手だあね。男は馬鹿にされるばかりだ。女だって、自分の軽蔑する男の所へ嫁に行く気は出ないやね。尤も自分が世界で一番偉いと思っている女は例外だ。軽蔑する所へ行かなければ独身で暮らす外に方法がないんだから。よく金持ちの娘うあ何かにそんなのがあるじゃないか。望んで嫁に来て置きながら、亭主を軽蔑しているのが。美禰子さんはそれよりずっと偉い。その代り、夫として尊敬出来ない人の所へは始から行く気はないんだから、相手になるものはその気でいなくっちゃ不可ない。そう云う点で君だの僕だのは、あの女の夫になる資格はないんだよ」

 美禰子にはそれほど気位があるわけじゃないだろうと思いたい。むしろまわりにいる男どもがそういう目で彼女を見てしまうところが彼女の不幸なのかもしれないと思う。ただたとえ美禰子が三四郎に気持を寄せているにせよ、女性特有の“からかい”の部分があるような気がする。それは彼女の性格なのかもしれないし、あるいは気になる男の気を引こうとしてのいたずら心からかもしれない。 いずれにしてもこの時代の男女関係は、惚れたはれただけで成り立つものじゃなかった。特に三四郎のような成り上がり的な考えを持つ人間にとってはそうなんだろう。まして田舎者というコンプレックスの塊のような三四郎にとっては美禰子に恋心を持ったのが早すぎたのだ。もう少し三四郎が出世して成功者でもなっていれば、こんな負い目など持たなくてすんだのかもしれない。ただ思うに三四郎みたいな考えの持ち主になると、そうなればなったで、今度はきっと人を見下すようになるのではないかと思ったりする。
 そんなことを予感させるものだから、この物語を単に人を愛するというだけでなく、俗物的な立場がものをいう世界の恋愛物語と受け取ってしまう。ここに描かれる世界は恋愛成就と出世が結びついている感じがしてしまい、それがどこかやりきれないのである。
 たまたまこの物語では三四郎が置かれている立場が、これからという立場であって、その時に美禰子に恋心を持ってしまったから、どうにも出来ないだけのことである。美禰子も三四郎に恋心を寄せるにしても、結局二人に間には何もないからといって、それが淡い恋心を描いた青春小説とは読めないのである。
 私はこの物語をこれで三度読んだことになるが、漱石の作品の中では嫌いな小説だ。私は物語に精神的な崇高さをどこか求めているのかもしれない。いい歳こいてまだまだ私は青臭い。いかんなと思った次第である。


評価
★★


書誌
書名:三四郎 (改版)
著者:夏目 漱石
ISBN:9784101010045
出版社:新潮社 (1992/05 出版)新潮文庫
版型:298p / 16cm / 文庫判
販売価:340円(税込)

2009年09月21日

村上春樹著『ノルウェイの森』〈上〉〈下〉

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 書泉にこの本のポスターが貼ってあった。なんで今頃この本のポスターが貼られているのだろうとふと思う。確かに村上さんに最新刊が大きな話題になっているから、それも関係あるのかなと思ったが、よく見ると『ノルウェイの森』がその発行部数が1,000万部突破したことが書かれている。なるほどこれかと思った。
 そのポスターを見たからじゃないのだけれど、もう一度村上さんの作品を読み直してもいいかなと思っていたので、手始めにこの本を手にしたわけだ。私の持っている本は1988年8月17日の第20刷のものなのだが、久しぶりに手に取ってみると、古本の風格を帯びている。もうこれを読んで21年たったのかと、月日の流れが速いことを感じてしまう。
 この頃私はわずか10坪ほどの店の店長だった。私が持っている本は発売されて1年たった時の本なのだが、この時でもまだこの本は売れていて、仕入をしてもすぐ売れてしまい、仕入をするのに苦労していた。わずか10坪の本屋など問屋はまともに対応してくれないものだから、この本の配本なんかなかった。だからせっせと現金をもって神田村で仕入をしていた。ちょうどこの頃コミックの『東京ラブストーリー』もテレビドラマの影響もあって、それも売れていて、一緒に仕入をし、並べて売っていたはずだ。
 私は村上さんのこの本がどうしてこう長く売れ続けるのか知りたかったから、自分でも買って読んだ。ただ、今になるとそれほど本の内容が記憶にない。だから読み返すにはちょうどいいかもしれない。
 それで話はちょっと話は横道にそれるのだけれど、私の持っているこの本は上巻が赤、下巻が緑の一色で装丁され、帯が金色である。今の版もそうなのかどうか知らないが、これはクリスマスプレゼントにもってこいの装丁だ。実際当時クリスマスの時期にプレゼントにどうぞ!というのが講談社当たりから言われていたような気がする。(しかし恋人にあげて、盛り上がる本じゃないような気がするが・・・)
 ところで今回この本を再読するに当たり、そのままスキャンしたのだが、この金の帯が真っ黒になってしまうのである。そうか金色はうまくスキャンできないんだと知った。仕方がないので、私の趣旨から反するのだが、帯を取っスキャンする。

 さて、ワタナベが高校二年時の友人でキズキという仲のいい友人がいて、直子はキズキの幼友達であり、恋人であった。三人でうまく付き合っていくには一見バランスが悪そうなのだけれど、不思議なもので結局三人でいる方がうまくいく。こういうのってこの時期よくあるパターンだ。
 そして十七歳の五月の夜にキズキは自殺した。そして残されたワタナベと直子は人生の歪みに直面していく。とりあえずワタナベはその歪みを客観的に捉えながら生きていくが、直子はキズキの自殺の前に、姉の自殺を経験しているため、ワタナベより深刻な精神的に不安定に陥る。ワタナベは「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」と思うようになり、死というものが自分の人生に既に含まれてしまっているものだから、キズキの死を努力して忘れようとしても忘れ去れるものじゃないという境地になる。十七歳の時からそう考えなきゃならなくなったことは、これはかなりきつい。そこから自分の人生で失ってきた、あるいはこれから失っていくであろう多くのものを考え、そして後戻りできない事実に直面するとなると、嫌が上でも自分の人生に歪みが生じてくる。特に感受性の高いこの時期に友人の死は、間違いなく残された人に歪みを植え付けていくか、自覚させるだろう。そしてそうした歪みって、かなり怖い。それを感じるだけで、うまくうっちゃれればそれでいいのだが、もろ直面してしまうと、ただただ怖ろしいものではないだろうか。この小説はそうした歪みにどう対処していけるのか、ワタナベと直子の物語である。

 昔、たぶん中学生の頃だったと思うが、私はいつも感じていたことがあった。それは頭の中に一本の道みたいなものがあり、いつも自分はちゃんとこの道の上を歩いているだろうかと確認するのである。なんて言えばいいのか、よくわからないけど、それは私が進むべき清く正しい人生行路みたいなものだったような気がする。ときにちょっとした挫折(といっても大したことじゃなく、ほとんど失敗みたいなものだった)をすると、その道から外れた位置に自分はいると感じ、怖ろしくなったのである。何とか軌道修正してその道に戻らなければと焦った。そして今思うのだけれど、その道を外れていると感じたことはしょっちゅうで、些細なことでいつも不安に駆られていたような気がする。
 何でこんなくだらないことを書くかといえば、この本にある歪みって、たぶん私が当時感じていた不安や不安定感ともしかしたら似ているような気がしたのである。つまり私の頭の中にあった一本の道から自分がそれることは自分が歪んでいく過程だったような気がするのだ。
 私の場合、こんなくだらない感覚なのだが、おそらく誰しも若い頃にはどういう形であれ自分の歪みみたいなものに不安を感じ、恐れたことがあるんじゃないかと思ったりする。だからこの小説は若い人にとって“通過儀礼”のような一冊となって支持されているのではないかと思うのだ。
 そして長いこと人生を過ごしてきてオヤジとなった自分が今この本を読んで、むしろそうした時代が自分にも確かにあって、懐かしく思える。けれど一方でそういうピュアな気持ちがいつまでも続く方がおかしいのであって、そんなこといつまであり得るわけがないじゃないと半ばバカにするようになったことをどう考えればいいのか。喜ぶべきなのか、悲しむべきことなのか。そういうのが人生だと、どこからか聞こえそうだけど、少なくとも私はそんな風にぶりたくない。むしろこの悲しい物語を通して、かつて自分が自覚していたであろう歪みに対する不安を懐かしむのである。
 もしこの小説が今の若者の通過儀礼となっているなら、その若者はこの物語をどう感じるのか知りたくもある。またもし私の若い頃にこの本が出版されていて、読んだらどうだったろうかと思ってみたりする。直子みたいに不安に駆られるのか。あるいはワタナベのようにそうした歪みに彼なりの抵抗に共感するのか。考えてみるが、よくわからない。あるいはここにある性的描写に興奮するだけかもしれない。
 とにかく今の私はかつては共感できる部分があったかもしれないが、今となってはすれっからしのオジサンになってしまっているためどうしたって青臭く感じてしまうところはある。だからどこか懐かしい感覚でこの物語を再読する。しかしそれでも結構いけていた。

 直子が入所した療養所のルームメイトであるレイコさんの言葉がまず心に残る。

 「十九と二十歳というのは人格成熟にとってとても大事な時期だし、そういう時期につまらない歪みかたをすると、年をとってから辛いのよ」

 これって何となくわかる。やっぱり自分もそういう時期に妙な歪みかたをしたんじゃないかと思う。だからまだ諦めのつかないときは、もがいてきたような気がする。詳しく自分の歪みをここで書いても仕方がないことだから、これ以上は書かないけれど、確かにそういうことがあり、もがき苦しんできた。
 そしてたぶんそれは悲しんでいいことなのかもしれないけれど、諦めが歳と共に勝ち、歪みが当たり前となっている。かといってリセットして昔のようにもがき苦しむことを望むかと言えば、“もういい”と断るだろう。この歳になってももがき苦しむのはごめんだ。歪んでしまったものはもうしょうがない。
 直子もレイコさんと似たようなことを言っているのが印象的だった。

 「成長の辛さのようなものをね。私たちは支払うべきに代価を支払わなかったから、そのつけが今まわってきているのよ」

 直子の手紙も考えさせられる。

 「ある日私の担当医にそのことを言うと、君の感じていることはある意味正しいのだと言われました。彼は私たちがここにいるのはその歪みを矯正するためではなく、その歪みに馴れるためなのだといいます。私たちの問題点のひとつはその歪みを認めて受けいれることができないというところにあるのだ、と。人間一人ひとりが歩き方にくせがあるように、感じ方や考え方や物の見方にもくせはあるし、それをなおそうと思っても急になおるものではないし、無理になおそうとすると他のところがおかしくなってしまうことになるんだそうです」

 「私たちはたしかに自分の歪みにうまく順応しきれないでいるのかもしれません」

 「ここにいる限り私たちは他人を苦しめなくてすむし、他人から苦しめられなくてすみます。何故なら私たちはみんな自分たち『歪んでいる』ことを知っているからです。そこが外部世界とはまったく違っているところです。外の世界では多くの人は自分の歪みを意識せずに暮らしています」

 私はふと思うことがある。その歪みって、誰に対して、あるいは何に対して、歪んでいるということになるのだろうか。何かの対象となるものがあって、それに順応できないところが歪みというのであろうか。
 しかしよく考えてみると、人それぞれ人生に受ける衝撃の強度は違うはずで、その対応もまちまちであろう。またどういう形であれ、その衝撃から立ち直れる人もいれば、いつまでもそれを引きずる人もいる。そうなのだ。決して人は画一的に見られるものじゃない。そういうさまざまなタイプの人が集まって、いわゆる社会というものを形成しているわけである。だったら本来そういったことを認めていいはずのものが、いつの間にか、いつまでも引きずっている人間を隔離していく。それこそ“病気”として称して。そしてそのレッテルを貼られた人は自家中毒を起こし、自らを歪んでいると思い始め、それが高じて精神をおかしくしていく。
 自分のことを人に言いたくても、さまざまな事情でうまく表現できないことを悩む人がいる。そしてうまく言えない人を病気にしてしまう人がいるのである。だから人はそれこそ一所懸命、埋もれそうになりながらも、自分を表現していくのである。
 でも世の中にはワタナベのように自ら苦しんできた過去から歪みを自覚しながら、「みんな自分を表現しようとして、でも正確に表現できなくてイライラするんだ」と言える優しい人がいる。たとえその優しさが特定の個人対しての優しさであっても、そう言ってくれる人がいるだけでも、本来救われる。
 それに対して直子は「誰かに自分の思いを伝えたいと思い、机の前に座ってペンをとり、こうして文章が書けるということは本当に素敵です。もちろん文章にしてみると自分の言いたいことのほんの一部しか表現できないのだけれど、でもそれでもかまいません。誰かに何かを書いてみたいという気持ちになれるだけで今の私には幸せなのです」と書いている。ただ直子の人生の衝撃(姉の自殺、キズキの自殺)は、直子の性格を考えると、それに耐えうる以上のものであった。そして直子の自殺は、直子を助けようとして自らが強くなろうとしているワタナベに、追い打ちをかけることとなる。今度はワタナベが助けてもらう番となる。レイコさんや緑にである。それが読んでいてわかるものだから、この物語は救いがある。そういう意味でこの小説は読み直してよかったなと思った。ただワタナベ君ちょっとかっこよすぎるんじゃないのと思わないでもなかった。

 ところでこの小説を読み返してみて、なんだか一部どこかで読んだことがあるような気がしたのだ。確かにこれで二度目だから、当然そう感じてもおかしくないのだが、どこかに似たような村上さんの小説があったような気がしたのである。(最初読んだときはそんなことは思わなかったのだが)で、あとがきに短篇の『蛍』を肉付けしてこの小説が生まれと書かれていて、思わず“やっぱり”と思った。さっそく、手持ちの短編集を取り出して、読んでみた。そうかこの短篇がベースになっているんだと思いつつ、次はこの短編集を読み始める。


評価
★★★★


書誌
書名:ノルウェイの森〈上〉
著者:村上 春樹
ISBN:9784062035156
出版社:講談社 (1987/09/10 出版)
版型:267p / 19cm / B6判
販売価:1,365円(税込)


書誌
書名:ノルウェイの森〈下〉
著者:村上 春樹
ISBN:9784062035163
出版社:講談社 (1987/09/10 出版)
版型:260p / 19cm / B6判
販売価:1,365円(税込)

2009年09月09日

フレデリク・フォ-サイス著『オデッサ・ファイル』

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 何で今頃こんな古い本を引っ張り出すのだと言われそうだけれど、引っ張り出して読む理由が出てきたからだ。実は本棚を整理していたら、探していた切り抜きが見つかったからだ。それは二枚ある

「ユダヤ人強制収容所長ロシュマン パラグアイの病院で死ぬ」

 【ブエノスアイレス十一日=鈴木(俊)特派員】パラグアイの首都アスンシオンから伝えられたところによると、十一日付のアスンシオンの新聞「ABCカラー」は、第二次世界大戦中ナチスのユダヤ人強制収容所長として約四万人のユダヤ人を殺害したかどで追われているエドワルド・ロシュマン元ナチ親衛隊(六三)が十日、アスンシオンの施療病院で死亡したと報じた。ロシュマンは先月四日、アルゼンチンで逮捕されたと一部外電で報じられたが、これは誤報で、その後、西独政府の引き渡し要請を受けて、アルゼンチン司法当局からロシュマンに対する逮捕命令が出されていた。
 ABCカラー紙によると、ロシュマンとみられる人物は十日朝、医療費を支払えない患者を収容するアスンシオンの施療病院で心筋梗塞のために死亡した。この人物は七月二十日ごろ、パラグアイに入国、同二十六日からフェデリコ・ベルナルド・ウェゲネルの名で同病院に入院していたという。この名前はロシュマンが先にアルゼンチンに入国した際使用していた偽名として、アルゼンチン当局が確認しているが、同紙によると、この患者は同じ名前の運転免許証を持っていた。また同紙が病院で遺体を調べたところ、両足の指が合わせて五本欠けているなど、身体的特徴もロシュマンのそれと一致するという。
 ロシュマンはナチ占領下のリガ(現ソ連ラトビア共和国)のユダヤ人強制収容所長をつとめ、一九四一年から四三年までにユダヤ人約四万人を殺害したとされるナチス親衛隊将校。ベストセラーとなったフォーサイスの「オデッサ・ファイル」にも登場することでも有名。 昭和52年(1977年)8月12日 読売新聞夕刊
 

「ナチのロシュマン既に死亡」 パラグアイ

   【ブエノスアイレス十九日=UPI共同】国際刑事警察機構(ICPO)は、十九日、今月十日、パラグアイの病院で心臓発作のため死亡した男が、第二次世界大戦中にラトビア共和国のリガで行われたユダヤ人大量虐殺の責任者エドアルト・ロシュマン元ナチ親衛隊(SS)大尉だったことを確認した。同機構によると、死亡した男の指紋は、ロシュマンがアルゼンチンでの亡命中に使っていた変名のフェデリコ・ベグナーのものと一致することが判明した。 昭和52年(1977年)8月20日 読売新聞夕刊
 

 この本を読むのはこれで三度目となる。フォーサイスの著作はほとんど読んでいるが、私はこの『オデッサ・ファイル』が一番のできだと思っていた。しかし今回また読み直してみると、そうでもないのかなと感じてしまった。確かにストーリーテラーの本領発揮で、ぐいぐい引き込まれて、ページが進む。フィクションとノンフィクションの境目が見分けが付かないほどリアルで、臨場感たっぷりなのだが、どうも最後がいただけない。実は私はこれまでこの最後の場面が気に入っていたのだが、今回はやけに鼻につく。説教くさく感じてしまった。


閑話休題
 実はこの本、私が初めて本屋さんで注文して取り寄せた本であった。いきさつは、最初フォーサイスの代表作『ジャッカルの日』を銀座の映画館で見て、すぐ原作を買い求め、その後フォーサイスの本を読みたいと思った。そして当時錦糸町の駅ビルにあった栄松堂書店で探し求めたのだが、この本だけが棚になかった。店員に在庫を聞いたのだが、在庫切れだと言われ、そのまま店員のペースに巻き込まれて注文することになってしまったのだ。私は本を注文して取り寄せられることを当時全く知らなかったのだ(まだ私は書店員ではなかった)
 たぶん一週間が過ぎた頃だったと思うが、その書店からはがきが届く。本が入荷したという通知である。当時ははがきで入荷を知らせていたのである。それを持ってカウンターに来てくれというものであった。
 それから約22年たった現在は、ネットで注文してネットで入荷の知らせが届く。先日セブンアンドアイで雑誌のバックナンバーを注文した。ご存じかもしれないが、だいぶ以前に私はセブンアンドアイでひどい目にあい、以来絶対にここでは本は買わないと誓ったのだが、ついにその誓いを破ってしまった。というのも、雑誌一冊690円をアマゾンで買えば送料が発生するし、今のところ他に抱き合わせで買う本もなかったので、ちょっとここでは買えないなと考える。じゃあ書店で注文するかと考えてみたものの、なんか手続きが面倒に感じた。それに書店に雑誌を注文すると、時間が書籍より時間がかかると自分たちの時の経験から思っているので、それはちょっと困る。すぐ読みたかったのである。(もちろん今は私が書店員の頃より改善されているだろうから、雑誌でも入荷時間は短縮されていると思いたい)
 でやむにやまれずセブンアンドアイで雑誌を注文せざるを得なくなったわけである。そこには入荷には当日から2日と書かれている。これに釣られたわけである。ネットから細かい入力をして、雑誌を受けとる店を指定する。そして“お客様控”をプリントアウトすればバーコードの付いた控えが出てくる。
 そして入荷のメール届き、指定の店に行って、印刷した控えを見せる。店ではその控えにあるバーコードをレジで読み込み会計をする。確かに注文して2日で手元に届いた。
 注文の仕方、入荷の通知、そしてレジでのやりとり、すべて22年前と大きな違いがある。それをわずか22年でこうも変わるのかと考えるか、22年も経っているんだから、進歩して当たり前と考えるか、それぞれ違うだろうけど、私の場合“こうも変わるのか”と思う方である。だからその違いを感心して書くのである。
 さてそんな思い入れのある本をまた読みたくなり手にとって読んだ。例えば本棚の整理をしてたりすると、昔読んだ本は気にかかる。読んでみようかなと思い、読み始めるのだが、今回のように昔えらく感動した本だったのに、読み直してみると“そうでもないな”と思うことがある。
 これが問題なのだ。読み直したいと思うのは、その本が面白かった、あるいは感動したという記憶があるからだと思う。けれど読み返してみてそれほどでもないと思うと、いったい俺はこの本にどうして感動したんだろうと思うのだ。何か昔の思い出が壊される感じがする。もちろん最初に読んだ頃と今とではあらゆる面で違うわけだし、それなりに歳をとってきたせいで、ひねてきているから仕方がないのだろうけど、どこか寂しい感じがする。思い出は思い出として残っていた方がいいような気がするのである。
 そんなことがあるものだから、今昔読んで面白かった本を読み直したいと思う本が数冊あるのだが、さて読み直していいのかどうか、考えあぐんでいる。

 さて、本の話である。話は1963年11月22日ケネディ大統領暗殺のニュースから始まる。そしてこの日一人のユダヤ人が自殺した。ケネディの暗殺ニュースを聞いた後、ペーター・ミラーは偶然にそのユダヤ人自殺現場に遭遇する。そしてそのユダヤ人の日記を手にし、そこに記された文章からある重大な事実を見つける。
 自殺したユダヤ人の名前はサロモン・タウバーといい、リガのユダヤ人強制収容所にいた。サロモン・タウバーはそこで多くのユダヤ人である同胞が虐殺されるのを目撃したし、自分の妻も自らの手で毒ガス車に押し込んだ。そうするしかなかったのである。タウバーは自分が生き残るためには、ユダヤ人でありながら、ここに連れ込まれたユダヤ人を監視するカポとなり、辛うじて生き残った。
 しかし終戦後ある意味ユダヤ人を裏切った自分をタウバーは許せなかったので、ひっそりと暮らしていた。そんな時リガのユダヤ人強制収容所長であったエドワルド・ロシュマンを町で見かけたのである。
 ロッシュマンは、終戦二度も捕まるのだが、何とか逃げ出し、復興した西ドイツで事業に成功し、それなりの立場の人間となっていた。ロッシュマンを手助けしたのはオデッサ(Organization Der Ehemaligen SS-Angehorigenの略。「元SS隊員の組織」という意味)であった。終戦間際ナチス第三帝国は崩壊が近いと知ると、それまで略奪してきた潤沢な資金でSSの高級幹部を守る組織を作っていた。それがオデッサであった。オデッサは最初ナチスの殺人鬼たちの逃亡を手助けしたが、その後彼らを連合軍の占領下にあるドイツに戻し、新しいドイツ連邦の各社会層に再定着させ、社会的にも政治的にも力を持つようさせた。ロッシュマンもその一人であった。彼らは相変わらずドイツ民族の優秀性を説き、ユダヤ人を抹殺しなければならないという考えを捨てていなかった。
 当時西ドイツはアメリカのケネディの意向で武器をイスラエルに輸出していたが、当然政治的に力をつけた元ナチスの高級幹部にとっては面白くなく、さまざまな妨害をしていた。またエジプトは当時イスラエルと対立しており、オデッサの幹部はエジプトに武器に必要な科学技術を裏で提供していた。そんな時ケネディが暗殺されたのである。
 一方ペーター・ミラーはロッシュマンをどうしても探し出さなければならないと思い、戦後ナチ狩りをしているさまざまな機関に接触し、ロッシュマンの行方を探す。そしてイスラエルの諜報機関と接触し、元ナチスに化けてオデッサと接触を図る。しかしオデッサもミラーの動向を知り、ミラーを抹殺しようとする。このあたりが物語を白熱させる。
 物語の題名である「オデッサ・ファイル」とは元ナチスを逃亡させるために身分を偽るために偽造パスポートを作った印刷屋が、自分の身の保全のために残した記録である。それをミラーは手に入れ、ロッシュマンの居場所にたどり着く。
 ロッシュマンと対面したミラーは、ドイツ人であるミラーがナチ狩りをしていることが誤りであり、ここでもドイツ民族の優秀性を説き、ドイツが戦後復興したのもそうしたドイツ民族の優秀性からだという詭弁を語る。
 ミラーはサロモン・タウバーの日記に一部をロッシュマンに読ませる。そこにはロッシュマンが迫ってきたソ連から逃げだそうとしたとき、一陸軍大尉がロッシュマンの言うことを聞かず、雪の埠頭で射殺した情景が書かれていた。その一陸軍大尉がミラーの父親であった。ミラーがロッシュマンを追う理由がここにあった。

 この本は昭和49年(1974年)に日本が訳が出版されている。何が言いたいかと言うと、最初にあげた新聞の切り抜きが1977年のものだから、それ以前にフォーサイスはロッシュマンのの動向をよく知っていたことになる。例えばロッシュマンがリガからの逃亡で雪の中を逃げた。その時足の指が凍傷になり、切断していることもきちんと書いているし、ミラーやナチ狩りをする専門機関から逃亡するために、南アメリカに逃亡したことも書かれているし、その偽名もフェデリコ・ベグナーだったことも書いてある。そしてこの新聞の切り抜きにはそれが全部書いてある。私はフォーサイスの取材力に圧倒されるのである。そして取材した事実をうまく組み合わせ、この迫真の物語を作ったのだと思っている。


評価
★★★


書誌
書名:オデッサ・ファイル
著者:フレデリク・フォ-サイス 篠原慎訳
ISBN:9784047910331
出版社:角川書店 (1981/02 出版)
版型:374p / 20cm / B6判
販売価:入手不可。文庫有り

2009年08月31日

吉村昭著『七十五度目の長崎行き』

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 先日大学の友人と飲んだとき、どうしてそんな話になったのか忘れてしまったが、ワープロが文章を書けなくさせているかどうかの話になった。要するにワープロのお陰で、辞書は引かなくなるし、文章もいかにもワープロで書きましたという無個性の文章しか書けなくしているというのである。かたくるしい文章で、普段絶対に使わない漢字がやたら並んでいる。それは誰でもワープロで簡単に文章が美しく書けるようにと、ワープロ自身が余計なお節介だと言えるほどの機能があって、それを使えばそれなりの文章が書けてしまうからだというのが、三人のうち一人の意見であった。そして私ともう一人がそうじゃないという意見である。(こいつと意見が合うのは珍しいのだが)
 確かにワープロはお節介の押し売りのような機能がたくさんあって、自分で文章を考えなくても、アシスト機能が満載されているので、ある程度の文章は書けてしまう。また辞書も引かずにすむ。でも、最終的に自分の書いた文章を確定し、enterキーを押すのは当の本人である。これでいいと押すわけで、その決定権は文章を書いた人物にある。ということは、たとえワープロにアシストされた文章でもそれで良ければそれが当の本人の文章となる。それが悪文かどうかはワープロの機能のせいではなく、書いた本人の資質が大きな影響が大きな作用すると思う。だから基本的にワープロがいい文章を書かせないとは絶対に言い切れないはずだ。
 ではワープロ任せの文章ではなく、あくまでもワープロを文章を書く道具として使い、読んでいて心地よいいい文章が少しでも書けるかどうかは、その人がいかにいい文章にふれあっているかどうかにかかっていると考える。つまりある程度文章を書く人は、他の人の文章にどれだけ多く接しているかにかかっている。そこで読んでいていい文章だなと感じれば、あるいは自分もこうした文章が書きたいなと思えばその人の文章のまねをすればいい。そういうことなのだ。すべてはいかにいい本を読んでいるかにかかっている。そこですばらしく簡潔でやさしいく、しかも内容を的確に表現している文章をに出会えれば、いかに自分の書く文章が悪文かわかるはずだ。
 何度も言うが、決してワープロが汚い文章を書かせるのではなく、書いた本人がいい文章にふれあっていないから、どうしようもない文章が出来上がるのだ。そういう意味では読書というのは大切なことになる。
 実際私もやっとそのことがわかり始め、本を読むことの大切さのひとつを感じている。ましてつたないながらもこうして文章を書いている以上、やっぱり少しでもいい文章でありたいと思うようになっている。だからひところよりは、ワープロで選択できる難しい漢字は使わないようにしているし(だって普段絶対に使わない漢字を、たまたまワープロが簡単に選び出してくれただけのことで、それがなければそのためにわざわざ辞書を引かないでしょう。ひらがなで十分ならそれでいいはずだ)アシスト機能できる限り外しているし、できなければ基本的に無視している。

 さて、そういう意味では私にとって吉村昭さんや阿刀田高さん、司馬遼太郎さんのエッセイは最高の教材なのである。私は小説の中でなかなかいい表現だなと感じることができない人なので、日常の生活の中から生まれるエッセイの方が、より身近に感じられ、あっ、そうか!こんな風に書けばいいんだと思うことが多くある。だからエッセイが好きで、特に最近はこの三人が先生となっている。少しでも自分が書きたいことを、この三人作家さんたちみたい表現できればいいなと思っている。
 そして今回も吉村昭さんの紀行文を読んでいる。この紀行文は吉村さんの最期の紀行文集となるらしい。というかもう新しい旅の文章はすべて出版されてしまっているので、それでももれてしまった、ミニコミ誌や機関誌などに掲載された吉村さんの短い旅に関する文章をかき集めたもののようだ。まぁ、その過程はどうでもいい。要は吉村さんが書かれた文章を味わえればいいのだ。それだけである。
 吉村さんの旅の目的はほとんど小説のための取材旅行である。その旅の途中で見た風景のすばらしさ、地元の人とのふれあい、地酒と美味しい料理の話である。そこは開高健さんとは違う。開高さんは言葉にできなほど美しい風景とか美味しい料理だとは、小説家であれば絶対に言ってはいけないという主義の人である。だから言葉を尽くして何とか表現しようとする。そのため時には饒舌過ぎるほどの表現になってしまう。ところが吉村さんにはそんな気負いはない。地元の小料理屋に入って、美味しいお酒と料理を単に“美味しい”と書くだけである。もちろんその素材の新鮮さなどは書いているが、それ以上の表現はしない。旅に関する全体の感想も最期に“いい旅であった”と書くだけである。
 でも読んでいる方もそう感じるのである。そこには個々の細かい表現にこだわるのではなく、全体からそう感じさせるテクニックがここにはあるような気がする。後は読む方で自由に想像すればいい。きっとすばらしい風景なんだろうなとか、これは美味しいんだろうなと思わせるのだ。
 文章表現というのは言葉だけで表現するのと、文章全体から感じ取られる方法があるんだなと改めて思う。そういう意味からすれば、文章というのは奥深いもんだ。
 書かれているものから何か読み取ってやろうとがつがつするのも結構だけれど、そうではなく、全体の雰囲気から“いいなぁ”と感じるのも、それこそいいと思う。私は吉村さんの随筆はそうして楽しんでいるし、今回も同様に楽しんでいた。
 またこの紀行文は先に書いたように、そのほとんどが吉村さんの小説のための取材旅行である。だからここに書かれる文章を読んでいると、その小説を読んでみたくなる。
 それにしても吉村さんがよく行かれる北海道や長崎は死ぬまでには絶対に行きたいと思う。長崎は特に行ってみたくなった。もし長崎に行ったら国に帰った昔の友人に会いたなとも思った。会えるだろうか?


評価
★★★


書誌
書名:七十五度目の長崎行き
著者:吉村 昭
ISBN:9784309019277
出版社:河出書房新社 (2009/08/30 出版)
版型:229p / 19cm / B6判
販売価:1,680円(税込)

2009年07月29日

村上春樹著『遠い太鼓』

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 この本は買ってからすぐ読んだはずである。しかしこれといって記憶に残っているものがなく、自分の本棚を見ていて、村上さんがギリシア、イタリアに滞在されていた頃のことが書かれていたんだと思い再度手に取った。
 村上さんは1986年から1989年の3年間に、ギリシア、イタリアで過ごす。この時村上さんは『ノルウェイの森』、『ダンス・ダンス・ダンス』の長編を書くためにここに来ている。つまり観光ではなく、あくまでも小説の執筆のためこの地に来ていたのである。だから私が期待する紀行文とは少々趣を異にする。もともと村上さんは自ら「だいたい僕は遺跡というものに興味がないのだ」と言っているので、そうした観光を期待していると裏切られる。
 例えばアテネ。村上さんはアテネを次のように書く。

 アテネといえば人口三百万を数えるギリシャ随一の都会(これは実にギリシャの総人口の三分の一近くに相当する)ではあるけれど、観光客が通常動きまわるエリアに限って言えば、それほど大きな町ではない。たいていの歴史的遺物は歩いて行ける距離にあるし、ごく控えめに言っても三日あれば目ぼしいものは全部見て回ることができる。この街は大昔ポリスのまわりに、まるで磁石に鉄屑がくっつくように近郊住宅が付着して、そのまま無定見にぼわぼわと発展したような都市だから、観光客にとって興味ある場所ははっきりと中心部に限られているのである。だって近郊住宅地部分なんか見にいったってしかたがないから(たとえばあなたが東京に来た外人観光客だとして、ひばりヶ丘だとか多摩プラーザだとか西国分寺だとかわざわざ観光に行きますか?)普通の人はアクロポリスに登って、プラーカでレッツィーナを飲んでムサカを食べて、町をぶらぶら歩いて、土産物屋をのぞいて、シンタグマ広場でお茶を飲んで、リカビスト山からアテネの夜景を見て、その後時間と興味のある人は国立考古学博物館を見物して、それでおしまいである。

 と素っ気ない。

 ただイタリアの“いい加減さ”が面白く書かれる。特にローマでの生活事情は日本とはかなり異なるため、読んでいてやはり呆れてしまう。村上さんの友人が「なにしろローマって二千年がかりで腐敗しつづけているような都市だからね、腐敗にも年季がはいっているんだ」というくらいだから、並大抵のことじゃないみたいだ。
 ローマの駐車事情もかなりひどいようだ。路上駐車は当たり前。少しでもスペースがあればなんとかしてそのスペース車を入れる。もちろんぶつけたってまったく気にしない。そもそもバンパーなんていうものはぶつけるためにあるもんだと考えている。二重駐車なんていうのも日常茶飯事みたいだ。
 つまり駐車場がローマにはないのだ。「どうして存在しないかというと、まずだいいちに街そのものが狭いからである。狭い上に、建築物の規制が厳しいから、現代的な駐車用のビルなんて建てることができない。街中の建物はほとんどが歴史的建築物みたいなもので、言うまでもないことだが、歴史的建築物にはもともとガレージなんてついていない。
 それから地下を掘り下げて駐車場を作ろうとしても、これがなかなか作れない。少し地面を掘るとすぐ何かの遺跡が出てくるからである」らしい。

 なるほど!

 また泥棒にも頻繁にあう。観光ガイドブックには「注意しなさい」と書かれているけれど、それは「世界の何処でも同様である」、「常識を働かせればいいのです」くらいのアドバイスではすまない町みたいだ。「ここではどれだけ注意しても、どれだけ常識を働かせても、それを越えた災難がちゃんとふりかかってくるのだ」という。「私は断固『冗談言っちゃいけない』と思う」と言い切る。タクシーだって料金をかなりぼるみたいだ。
 私はイタリアにはあこがれるけれど、今もこんな状況だと勘弁して欲しいなと思う。そういえば以前読んだ井上ひさしさんのイタリア紀行文にも、空港に着いたとたん旅行バッグを盗まれたことが書いてあったから、状況はそう変わっていないのかもしれない。
 泥棒やスリなどに注意しながら暮らす生活は疲れるし健全じゃないと言う村上さんの言葉はまさにその通りだと思うので、なんとかならないのかなと思う。もっともこれがすべてではあるまい。真っ当なイタリア人だっているはずだし、この本ではそういう人たちのこともちゃんと書かれている。
 そうした人たちを通して、村上さんがいたイタリア人とギリシア人との比較論が面白かった。

 僕の見聞したかぎりではギリシャ人というのは比較的混乱しやすいタイプの人種である。なんとかうまく物事をこなそうという意志はあるのだけれど、すこし事態が込みってくると収拾がつかなくなって混乱し、ある場合には怒り始める。またある場合には落ち込んでしまう。こういう点ではイタリア人と正反対である。イタリア人は始めから物事をうまく処理しようという意志が希薄なので、それがうまくいかなくても殆ど混乱しない。

 へぇ~そうなんだ!

 この本を再度読み直して感じたことはこの程度なので、結局昔読んでそのままにしてあると記憶に残らなくてもしかたがなかったかなと思った次第だ。


評価
★★


書誌
書名:遠い太鼓
著者:村上 春樹
ISBN:9784062033633
出版社:講談社 (1990/06/25 出版)
版型:497p / 21cm / A5判
販売価:1,890円(税込)

2009年07月14日

吉村昭著『関東大震災』

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 関東大震災の焼失図を見ると、東京市の大半が焦土をしめす朱色がべったりと塗りつけられている。が、その中に浅草観音境内、石川島、佃島、神田区和泉町、佐久間町一帯が焼失をまぬがれていたことがわかるが、殊に和泉町、佐久間町の地域が、広大な朱色の焼失地域の中で焼け残り地区を示す白地のままであるのがひどく奇異なものに映る。
 この一区画の焼け残りは、関東大震災の奇蹟とさえ言われた。

 和泉町、佐久間町の見事な焼け残りは、好条件に恵まれていたが、住民たちの努力によるものであった
 環境条件として、町の東北隅に内務省衛生試験所、三井慈善病院があって、それらが耐火構造建物であったので防火に有利であったことも幸いした。また北側には道路をへだてて三ツ輪研究所、郵便局、市村座劇場の煉瓦造りの建物が一列に並び、それらは後に焼けたが防火壁の役目を果たした。
 さらに南側は神田川で、対岸に煉瓦造りの建物が並び、その向う側には広い道路が走っていたので、火流を防ぐことも比較的容易であった。
 それに水道は杜絶したが、神田川と秋葉原貨物駅構内から神田川に通じるドッグがあって、水利に恵まれていたことも幸運だった。 しかし、住民たちが、四囲を完全に火に包まれた中で町内にとどまり、火と戦ったことは大きな賭であった。もし防火に失敗すれば、町内には炎がさかまき、全員焼死することが確実だった。
 最初に火が起ったのは和泉町三ツ輪研究所で、隣接の内務省衛生試験所等にも移ったが、水道の水が断たれていなかったので、住民たちはバケツ注水でこれを消しとめた。
 午後三時頃になると、本石町方面から火が迫り、神田川をへだてた地域と東龍閑町、豊島町一帯を西から東に焼きはらった。丁度佐久間町二、三、四丁目は、その大火災の風下にあたっていて、重大な危機におちいった。
 住民たちは、神田川の水を汲み上げ、極力消火につとめた。そのうちに民家に飛火して炎をふきはじめたが、住民は一致してこれを消しとめた。
 また他の一隊は、神田川を越えて柳原電車通りに防火線をしき、道路の南側で火流を阻止することに成功した。
 日が没し、町の周囲には大火災が乱れ合った。
 午後十一時頃、神田明神方面から猛火が津波のように轟々と音を立てて迫ってきた。その火炎は遂に佐久間町一丁目の一部を焼き、秋葉原駅構内をなめつくして和泉町の袂まで燃えてきた。
 そのままでは平河町が焼きつくされてしまうので、住民たちは死力をつくしてバケツの水を浴びせかけ、ようやく九月二日午前零時頃消しとめることができた。
 さらに朝五時頃、浅草左右衛門町、向柳原方面から延焼してきた火が美倉橋通東側に及んだので、それに面した家屋を破壊し、西側に火が移るのを防止した。
 二十時間にわたる火との戦いで、住民たちの疲労は濃かった。足腰も立たずに座り込む者が多かったが、その日の午後三時頃、最大の火炎が浅草方面から和泉町目がけて襲ってきた。
 住民たちは、声をはげまし合い和泉町方面に集まった。少数の外神田警察署員をふくむ数百名の住民たちに、老人、婦人も加わり、あくまでも町を死守しようとかたい決意のもと大火炎の迫るのを待ちかまえた。
 その時、町内の帝国嘲筒(そくとう)株式会社にガソリン消防ポンプが一台あることが判明した。それは、同社が八月二十九日に完成し目黒消防署に納入予定のポンプであった。
 住民たちは、同社重役の快諾を得てポンプを借受け、まず火の迫る以前に同町の西側に注水した。
 やがて、火炎がすさまじい勢いでのしかかってきた。
 住民たちは、ポンプ注水すると同時に家屋を破壊し、また数百名の住民は二列縦隊をつくって七個の井戸から汲み上げた水をバケツで手送りし、全力をあげて消火につとめた。
 火との戦いは八時間にも及び、その夜の午後十一時頃火勢を完全に食いとめることに成功した。その結果、千六百余戸の家々が東京市の焦土の中で焼け残ったのである。この奇蹟的ともいえる和泉町、佐久間町の焼け残りは、すべて住民の努力によるもので、消防署は防火活動に全く従事していない。

 長い引用をした。この大火災は関東大震災によるものである。

 大正十二年九月一日、午前十一時五十八分四十四秒、東京市内に設置されていた中央気象台と本郷の東大地震学教室の地震計が突然生き物のように動き始めた。
 振動は、押し寄せる津波のように果てしなく盛り上がり、地震計の針が動き出してから十五、六秒後には想像を絶した激烈さまでたかまった。
 その瞬間、戦慄すべき現象が起った。中央気象台は明治九年以来地震観測をおこなっていたが、観測室におかれていた地震計の針が一本残らず飛び散り、すべての地震計が破壊してしまった。
 地震学教室の地震計も、すさまじい烈震にその機能は大混乱におちいっていた。すでに初期の微動が始まった直後、地震計の針の大部分は記録紙の外に飛び出し、さらに震動が激化すると同時に破損してしまっていた。

 地震発生時が午前十一時五十八分四十四秒という正午寸前の時刻であったので、各家庭では竈、七輪等に火をおこして昼食の支度をし、町の飲食を業とする店々でも客に出す料理を盛んに作っていた。そこに大地震である。今よく言われる“グラッときたら火を消す”という余裕などなかった。倒壊した家では、圧死からのがれるだけで精一杯で、竈や七輪におこっていた火の上に木材や家財がのしかかり、たちまち火災が起った。
 その上、この日は風向が南又は南東で、風速は低気圧の影響を受け十メートルから十五メートルとかなり激しい日であったため、さらに火災が広がった。
 そしてこの本を改めて読んで知ったことなのだけれど、火災を引き起こした最大の原因が学校、試験所、研究所、工場、医院、薬局等にあった薬品類であった。それらが地震で棚等から落下して発火した。特に学校からの出火は最も多く、蔵前片町の東京高等工業高校(三カ所)、富士見町の日本歯科医専門学校、明治薬学専門学校、牛込区市ヶ谷の陸軍士官学校予科理科教室、本郷区の東京帝国大学工学部、同大学医学部、同医学部薬学教室(四カ所)、同医学部外来患者診察室、麹町区の麹町高等小学校、芝区の慈恵会医科大学、小石川区の専修高等女学校、日本女子大学からそれぞれ出火した。

 震災で引き起こされた火災は東京中を焼きつくすのだが、奇跡的に焼け残った地域が私の会社のある神田和泉町であった。私は以前からこのことに興味を持っていて、何度か調べたこともある。だからここに長い引用を引いたのだ。ここが焼け残ったのは、確かに環境条件がよかった部分もあるけれど、ここに住まれる住民たちの努力があったからで、私の会社の先代の社長が書いた震災による消火活動の手記を読んだとき、初めてそのことを知ったのであった。


 【和泉町防火奮闘記】神田和泉町(故)持田光太郎
 関東大震災の翌日、大正12年9月2日午後3時ごろ、浅草方面からの猛火が和泉町に迫った。町と道路一つ隔てた凸版印刷は焼け落ち、市村座も燃え始めている。水道は断水し、井戸水はあったがバケツ以外に消火器具はなく、町内の青年たちは猛煙の空を仰ぐばかりだった。
 このとき、「そうだ。ポンプがある!」と父喜太郎(当時51歳)が叫び、近くの帝国ポンプ会社が目黒消防署に納入することになっていたガソリンポンプ車を、下水道局和泉町ポンプ場に、みんなで運んだ。そこの浄水プールを水源に、それぞれ100メートル近いホース2本を延ばし、筒先は佐々木高太郎さん(当時40歳)と私(当時26歳)が握った。
 「市村座の火を消せ!」、「町を守れ!」などの声が飛ぶなか、私は市村座前の道路を阻止線とするしかないと考えた。佐々木さんは六尺ふんどし、私は紺色の水兵服(軍艦「長門」の元乗組員だった。)を着て、駆け巡り、放水を続けた。やっと町への延焼を食い止めたのは、5時間後か、8時間後だったか、よくおぼえていない。
 ポンプ車といってもガソリンがなければ動かない。父は自転車で、自動車修理工場や自転車店をかけ回り、ガソリンを集めてきた。当時、東京市全体にポンプ自動車38台、水管自動車17台、手引水管車28台しかなく、神田地区には一台の余力もなかった。事実、「神田地区消防隊従事なし。」の記録がある。
 いま振り返ってみると、家族をみんな上野に避難させ、大人たちが心おきなく協力して活躍できたこと、町内から二か所出火したがすぐ消し止めたこと、南に神田川、北に広い庭のある三井慈善病院が自然の防壁になったこと、火勢のいくつかが旨く一角を避けたこと、しかしなんといってもあのポンプ車の威力がすごかったと思います。そして、あの時の父の存在も忘れられません。(『目でみる千代田区の歴史』 東京都千代田区教育委員会)


 さて、この震災で焼死者が一番多くあったのが本所区横網町にあった被服廠跡であった。ここは陸軍省被服廠の建物があった場所で、被服廠移転にともなって大正十一年三月逓信省と東京市に払い下げられ、一周三百メートルのトラックのある近代式運動公園や小学校等が建設される予定になっていた。
 二万四百三十坪余の広大な敷地は三角状で、附近の人々は絶好の避難地と考え、地元の相生警察署員も同地に避難民を誘導した。そのため被服廠跡には多くの人々が家財とともにあふれたが、火が四方から襲いかかり、家財に引火し、さらに思いがけぬ大旋風も巻き起って、推定三万八千名という死者を生んだ。この数字は、関東大震災による全東京市の死者の五十五パーセント強に達する。
 これはすごい数字である。わずかな地域で東京の半分以上の死者をここで出してしまったのである。吉村さんは「関東大震災の東京市における悲劇は、避難者の持ち出した家財によるものであったと断言していい」と言い切る。
 さらに避難者が持ち出した家財は東京にかかる橋を焼きつくすことにもなった。この当時東京にあった橋は「総数六百七十五で、地震によって墜落又は破損したものはわずか十八にすぎなかったが、火災によって三百四十の橋が被害を受けた」のだ。橋の上で家財に引火した火から逃れるために、人々は川に飛び込み、溺死者を多く生んだ。その数は「東京市(郡部を除く)の死者数の最大のものは焼死者で五万二千百七十八名、それにつぐ死者数は溺死によるもの五千三百五十八名で、圧死者七百二十七名の七.四倍弱にも達している」という。

 江戸には大体百年おきに大地震が起こっている。関東大震災と同規模の大地震であった安政二年の大地震でも、大火が起こっていて、火災が起こった箇所は六十六カ所で、関東大震災の八十四カ所と著しい差はない。しかしの焼失面積は、関東大震災の方が十九倍というすさまじさであった。
 しかも江戸時代にくらべて大正時代の方がはるかに消防能力は秀れていたのだが、地震による水道管の破裂によって消防力はほとんど無に帰していたし、家屋の密集度も増していたこともあって、火災は自由に四方八方へのびたのである。
 江戸時代に防火のため火除原と称された広場や広い道路(広小路)が作られていたのに、それが無駄な場所と考えられ、いつの間にか民家で埋められてしまい、防火思想が江戸時代より後退していたのである。これを見るだけでも明治という時代が何もかも慌てて造られ、後々のことも考えずに、体面だけ形だけでも繕った時代であったことを知らされる。
 寺田寅彦は関東大震災の大災害は、歴史的に考えれば前例が繰り返されたにすぎず、それは人間の愚かしさから発していると述べている。過去の人間が経験したことを軽視したことが災害を大きくした原因であり、火災に対する処置などは、むしろ江戸時代より後退していると嘆いた。
 さらのこの後起こる朝鮮人襲来の流言も、それを冷静に考えれば全く信ずるに足りないものであることぐらいわかるはずで、日本人が科学的な判断をもたぬために起こった不祥事であったと非難する。
 震災にかこつけて朝鮮人が襲来してくる。あるいは井戸に毒を投げ込んだという風説は、震災というパニック状態で起こったものであろうが、そうした風説が人々に信じられた背景がそこにはあった。
 明治三十七年二月に締結した日韓議定書の締結以来その併合までの経過が朝鮮国民の意志を完全に無視したものであることを、日本の為政者も軍部もそして一般庶民も、を十分に知っていた。また統監府の過酷な経済政策によって生活の資を得られず日本内地へ流れこんできた朝鮮人労働者が、平穏な表情を保ちながらその内部に激しい憤りと憎しみを秘めていることにも気がついていた。そして、そのことに同情しながらも、それは被圧迫民族の宿命として見過ごそうとする傾向があった。その鬱積した憤りをこの大震災に当たり、朝鮮人が日本人にたたきつける公算があると思えたのだ。
 朝鮮人襲来説は、横浜市内で発生し、それが強風にあおられた野火のように東京府から地方の市町村へすさまじい速度でひろがった。それは、政府、軍部、警察関係者にも信じこまれて各種の通信等によって裏づけられたため、庶民はその流言を事実と思いこみ、朝鮮人をはじめ日本人、中国人の虐殺事件をひき起した。
 その後、政府は朝鮮人に関する風説が全く根拠のないものであることを確認して、流言を打ち消すことにつとめ、殺害事件の発生を防止することに努力した。
 しかし、大災害後の混乱で理性を失った庶民は、官憲の注意にも耳をかさず凶行をつづけていったのである。
 責任の根源は、政府、軍部、警察関係者にあったが、同時に騒擾を好む一部の日本人の残虐性が悲惨な事件を続発させたのである。
 犯罪も多発した。震災で人々は家屋や職を失い、生活するために盗みを行った。焼け跡に行って、金目のものを掘り出したり、食糧や金目のものを持っている人を脅したり、あるいはそれらが高く売れるため、私利私欲に走り値段を高額に引き上げたりした。人心はすさみ、賭博、売春も行われた。
 これは阪神淡路大震災の時も似たようなことが起こっている。生きるためにはやむを得ないといってしまえば、その言葉がどこか正統性を帯びているように思えるけど、多分これは日本人特有の“自分だけがよければいいのだ”という身勝手さと、日頃えせヒューマニズムで理論武装している人が本性を現せばこういうことになるのだ。当時も今も何ら変わっちゃいないことを改めて思う。


評価
★★★


書誌
書名:関東大震災 (新装版)
著者:吉村 昭
ISBN:9784167169411
出版社:文芸春秋 (2004/08/10 出版)文春文庫
版型:347p / 15cm / A6判
販売価:570円(税込)

2009年05月26日

小路幸也著『東京バンドワゴン』

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 結局ブックオフに売り飛ばしてしまったこの本を再度購入するはめになった。最初にこの本を読んだきっかけは、何かで本屋さんを舞台にした小説の紹介を読んで、いくつか続いて読んだ中にこの本があった。まとめて本屋さんを舞台にした小説を読んだものだから、いいものも悪いものも一緒になってしまったのだろう。だいたいこの手の本の紹介は手前味噌が多く、業界関係者がこぞって自分の職場が舞台になっているというだけで、“いいよ”となってしまうところがある。実際この時何冊か読んだはずだが、それほどよかったというものはなかったと思う。
 この本にしても、再度読み直してみても単独で読んだら大したことはない。ただこれがシリーズになって何冊が話が続いていると、いつの間にかその話に毒されちゃって、面白いじゃないかと思うようになってしまった。そのほのぼのとした大家族が繰り出す話が、その人間関係を伴って、話を面白くしてくれる。しかも肩の凝らない人間関係の話だから、読んでいて心地よい。それがわかったからこのシリーズは自分の本棚に収めておこうと思ったし、きっと続編も出版されるだろうから、それも楽しみにできる。
 ただ売り飛ばした第一弾が自分の本棚にないのはどうにもまずい。泣く泣く買い求め、再度読んで本棚に収めた。これでシリーズ全巻揃ったので、安心である?
 さて、再度このシリーズ第一弾を読み終えて、以後ホームドラマ的話の展開になるこのシリーズなのだが、まだこの巻は多少ミステリー的要素がちょっとしたスパイスとして利いていて、面白かった。潰れた旅館にある大量の蔵書の整理を頼まれ、値付けに行くのだが、翌日その本が全部消えていて、整理を頼んだ人物もいなかった話も、大した話に展開しなかったけれど、どたばたホームドラマの中でスパイスとなってよかったと思う。
 とにかくもう売った本を再度買い求めるなんてバカなことはやめて、自分の目利きをしっかりしたいなと思う。とにかく増え続ける本の整理が一番最初にあるものだから、読んでつまらなければすぐ売っちゃえと考えちゃうけれど、少々考えなければならない。


評価
★★★


書誌
書名:東京バンドワゴン
著者:小路 幸也
ISBN:9784087753615
出版社:集英社 (2006/04/30 出版)
版型:277p / 19cm / B6判
販売価:1,890円(税込)

2009年02月20日

沢木耕太郎著『ミッドナイト・エクスプレス』

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 沢木さんの『深夜特急』第一便から三便までは単行本が発売されたとき、それぞれ読んでいる。今回それを再読してみようと思ったのは、ここのところ紀行文にはまってしまっている関係で取り出してみたのだ。
 この本は単行本三冊を一冊にまとめてあるので、結構なボリュームだ。なんだかちっともページが進まない感じがしてしまったが、気がついたら4日で読み切っていた。
 私は勘違いをしていて、沢木さんがユーラシア大陸を最初からバスを使ってロンドンまで旅をしたものだと思っていた。ところが沢木さんのこの旅の最初の趣旨はインドのデリーからロンドンまで乗り合いバスを使って旅をすることであって、デリーまで直接飛行機を使って行くこともできたが、途中降りることもできることを知って、まずは香港、マカオ、マレー半島、シンガポールに寄って、そしてデリーに向かい、そこからロンドンまで乗り合いバスを使って旅をした。
 ただ香港、マカオの記述が、特にカジノでのやりとりがおもしろかったので、そっちにばかりに記憶に残っていて、本当はここは“おまけ”みたいものだったのだと改めて知った次第である。

 私は観光旅行しかしたことがないので、こうした“放浪”の旅にはあこがれてしまうところがある。しかしこうした長い旅には、いわゆる人の一生みたいなところがあるんだなと感じた。
 どういうことかと言えば、旅の最初のころには、沢木さんが出会うものすべてにワクワクしいた。時には自分の子供の頃を思い出したり、相違点を見出したりして、新鮮であったのがよくわかる。

 「カルカッタの子供たちのボロから突き出したしなやかな手足を見るたびに、ただ体を動かしていればよかった時代の幸せさを思い出さないわけにはいかなかった。(略)
 路上で遊んでいる子供たちを見ていると、少年時代の自分を思い出す。しかし彼らがかつての私たちと違っていたのは、なにかしら仕事を持っていたことだ。彼らは、働く合い間に、時間をかすめとるようにして遊んでいた」

 旅をする前の自分の生活環境とまったく違うものと接すると、それがいかにも自分を縛っていたものではないかと思うようになり、訪れた土地の人の生活方法に従ううちに「またひとつ自由になれた」と感じるのである。一方で自分の旅の仕方も反省する。

 「もちろん、『金がない』と言うだけなら、私は自分が卑しいとは感じなかっただろう。私がその台詞を使う時、どこかでその相手の親切を期待するところがあったような気がするのだ。ほんの少しであっても、金のない旅人が土地の人の親切を受けるのは当然だという思いを抱いていなかったかどうか。私には『いや』と言い切れる自信がなかった。『金がない』という台詞を使わない時にも、相手の親切を期待する気持が態度に滲み出ていたのではないだろうか。(略)もしそうだったとすれば、それは手を出さないというだけの物乞いにすぎないのではないか・・・・」

 しかし旅を続けるうちに、自分の旅の姿がある意味無責任なものではないかと思うようになってくる。そう感じたとき沢木さんの胸には虚無感が生まれてくる。それを同じような旅をするヒッピーの体から発する臭いから次のように言う。

 「ヒッピーたちが放っている饐えた臭いとは、長く旅をしていることからくる無責任さから生じます。彼はただ通過するだけの人です。今日この国いても明日にはもう隣の国に入ってしまうのです。どの国にも、人々にも、まったく責任を負わないで日を送ることができてしまいます。しかし、もちろんそれは旅の恥は掻き捨てといった類の無責任さとは違います。その無責任さの裏側には深い虚無の穴が空いているのです。深い虚無、それは場合によっては自分自身も無関心にさせてしまうほどの虚無です」

 そのうち、訪ねた土地の人の親切が煩わしくなっていく。

 「私たちのような金を持たない旅人にとって、親切がわずらわしくなるというのは、かなり危険な兆候だった。なぜなら、私たちは行く先々で人の親切を『食って』生きているといってもよいくらいだったからだ。『食う』という意味は二重である。ひとつは、文字通り人から親切によって与えられる食物や情報が、旅をしていくために、だから異国で生きていくための必須だということ。もうひとつは、人々の親切が旅の目的そのものになっているということ。つまり私たちのようなその日ぐらしの旅人には、いつの間にか名所旧跡などどうでもよくなっている。体力や気力や金力はそこまで廻らなくなっていることもあるが、重要なことは一食にありつくこと、一晩過ごせるところを見つけること、でしかなくなってしまうのだ。しかし、そうであっても、いやそうだからこそ、人が大事だと思うようになる。旅にとって大事なのは、名所でも旧跡でもなく、その土地で出会う人なのだ、と。そしてまさにその人と人の関わりの最も甘美な表出の仕方が親切という行為にはずなのだ。
 ヒッピーとは、人から親切を貰って生きていく物乞いなのかもしれない。少なくとも、人の親切そのものが旅の全目的にまでなってしまう。それが、人から示される親切が面倒に感じてしまうとすれば、かなりの重症といえるかもしれなかった」

 いつの間にか沢木さんは自分の旅に新鮮さを感じられなくなっていくのがわかる。このころから沢木さんの旅は幼年期、少年期が終わっていたのだ。
 この本には「深夜特急ノート」が付録みたいな形で収録されている。そこに「しだいに好奇心が摩耗し、全身が蝕まれていくような気がする」という書き込みがある。長旅はいつの間にか初期の新鮮さや好奇心を失わせていくようだ。それを沢木さんは次のように言い表している。

 「旅がもし本当に人生に似ているものなら、旅には旅の生涯というものがあるのかもしれない。人の一生に幼年期があり、少年期があり、壮年期があり、老年期があるように、長い旅にもそれに似た移り変わりがあるのかもしれない。私の旅はたぶん青年期を終えつつあるのだ。何を経験しても新鮮で、どんな些細なことにでも心震わせていた時期はすでに終わっていたのだ。そのかわりに、辿ってきた土地の記憶だけが鮮明になってくる。歳をとってくるとしきりに昔のことが思い出されるという。私もまたギリシャを旅しながらしきりに過ぎてきた土地のことが思い出されてならなかった。ことあるごとに甦ってくる。それはまた、どのような経験をしても、これは以前にどこかで経験したことがあると感じてしまうということでもあった」

 この旅での成果は「ほんとうにわかっているのは、わからないということだけかもしれない」というタイで暮らす日本人男性の言葉じゃないかと思った。そして長旅は、非日常が日常化してしまう部分があり、旅が終わった後、旅をする以前の日常に戻れないのではないかという不安を残す。

 「私にはひとつの恐れがあった。旅を続けていくにしたがって、それはしだいに大きくなっていった。その恐れとは、言葉にすれば、自分はいま旅をという長いトンネルに入ってしまっているのではないか、そしてそのトンネルをいつまでも抜け切ることができないのではないか、というものだった。数カ月のつもりの旅の予定が、半年になり、一年にもなろうとしていた。あるいは二年になるか、三年になるか、この先どれほどかかるか自分自身でもわからなくなっていた。やがて終わったとしても、旅という名のトンネルの向こうにあるものと、果たしてうまく折り合うことができるのかどうか、自信がなかった。旅の日々の、ペルシャの秋の空のように透明で空虚な生活に比べれば、その向こうにあるものがはるかに真っ当なものであることはよくわかっていた。だが、もう、それらのものと折り合うことが不可能になっているのではないだろうか」
 
 これはかなり怖いところではないだろうか?


 ところで最近私はイスタンブールにあこがれていることは書いたが、沢木さんも当然ここを訪れている。ここにたどり着いたとき次のように書かれる。

 「いま私はアジアからヨーロッパへ向かっている。春の初めにアジアの端の島国から出発した私は、秋の終わりにヨーロッパのとば口に差しかかろうとしている。この船でこのボスポラス海峡を渡り切れば、東ローマ帝国の都であったかつてのコンスタンチノープルに到着するのだ。
 しかし、その重層的な歴史が塗り込められているはずの街は、夜の深い闇に覆われて何も見えない。対岸は、丘にでもなっているのだろうか、ところどころに点々と灯が見えるだけだ。その灯はいかにも心細げで、かえって丘の暗さを浮き出させるばかりのように思えた。
 <あれがヨーロッパなのか・・・・>」

 「ヨーロッパからアジアに向かう者も、アジアからヨーロッパに向かう者も、陸路をとる限り必ずこのイスタンブールを通過することになる。つまりイスタンブールはユーラシアを旅する者にとっての交差点になるというわけなのだ」

 またトルコの人々の親切さをこれまで何度も読んできたが、沢木さんも「だが、居心地のよいもっと大きな理由は、イスタンブールの人々の、というより、トルコの人々の親切が挙げられるだろう」と言われている。

 最後に沢木さんがミケランジェロの「ピエタ」を見られたときの感想が印象的であったので、それを書きたい。


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 「私は、これがミケランジェロ二十五歳の時の作品であるということに衝撃を受けた。自分とほとんど同じ年頃の若者がこのようなものを作り上げたということは信じがたかった。この世で一番美しい女性を造形したのが、今の私とほとんど同じ年頃の十五世紀人だったというのだ。
<こんなものがこの世に存在していいのだろうか・・・・>
 私は胸の裡で呟いた。この世の中に天才などというものがいるとは信じたくないが、この『ピエタ』を作った人物にだけはその呼称許さざるをえない、と思った。『ピエタ』は、天才が自分の才能を開花させていく過程での一作品という以上の意味を持っている。恐らくは、それが天才の出発点であり、到達点であり、同時にすべてでもあるという作品なのだ。しかし、二十代の半ばにこのような作品を作ってしまったミケランジェロは、それ以降の長い人生の中で、果たしてこれ以上のものを生み出すことができたのだろうか」

 沢木さんはこの「ピエタ」を見てしまってからはミケランジェロの他の作品、たとえばバチカン宮殿にあるシスティーナ礼拝堂の天井画やダビデ像はつまらないものに見えたという。
 ただそのダビデ像の前にはミケランジェロの未完の作品である大理石の塊があった。その大理石の塊には男のレリーフのようなものが浮き出ており、男の体にはミケランジェロがふるったノミのあとがくっきりと残っていた。それを沢木さんはが見て「ミケランジェロの振るうノミのひとふりひとふりが、男に肉体を与え、生命を吹き込んでいったのだ。その時、ミケランジェロは神に近い存在となる。大理石の男にとってはミケランジェロこそが神である、といってもよい。
 それにしても、創るということがなんと凄まじいことか」と感想を述べる。これを読んでいると、実際に本物を見ていなくても、真の作品を作り上げるという行為の神聖さを感じてしまう。


評価
★★★


書誌
書名:ミッドナイト・エクスプレス 沢木耕太郎ノンフィクション〈8〉
著者:沢木 耕太郎
ISBN:9784163649207
出版社:文芸春秋 (2004/09/30 出版)
版型:734p / 19cm / B6判
販売価:3,465円 (税込)

2009年01月15日

アガサ・クリスティー著『オリエント急行の殺人』

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 続いてクリスティーの作品を読む。この作品は読んでいる。(多分高校生の頃だろうと思う)おぼろげながら内容が頭に残っているからだ。しかし詳しいことは忘れてしまっているので、結構おもしろく読ませてもらった。

ねたばれ注意

 話は、ポアロが乗ったオリエント急行が大雪のため立ち往生しているとき、列車の個室で刺殺された男が見つかる。男は12カ所も刺されており、その傷口は軽いものもあれば、致命傷になるほどの深い傷もあり、しかも刺した利き手が右利きのもあれば、左利きのものもある。犯人は単独犯かそれとも複数犯か?大雪で動けなくなったオリエント急行は外部とまったく連絡が取れなくなっている。 ポアロはオリエント急行を運行する会社の重役から捜査の依頼を受ける。まずは被害者の身元がはっきりする。アメリカで三歳の女の子を誘拐し身代金を要求して、二〇万ドルという莫大な金を手にしたが、女の子は死体で発見された。当時母親は妊娠していたがこの事件のショックで早産し、お腹の子は死児で、母親も死んでしまった。夫は絶望のあまりピストル自殺をした。まったく関係のなかった子守の小娘が疑われたが、それを苦にして飛び降り自殺してしまう。被害者はその誘拐犯の首謀者であった。
 ポアロはの寝台車の乗客から事件当時の話を聞き、「真っ赤なキモノを着ている者」を見たとか、「女のような声をした、小柄な、色の浅黒い男」を見たと言う証言を得る。乗客の証言を聞いていると、みんなが疑わしい部分がある。誰が嘘をついているのか?しかしポアロたちには乗客の証言を確かめるための手段がない。なぜなら列車は大雪のため止まっており、外部と連絡が取れないからだ。だからポアロは事件を推理するしかないのである。 そして推理した結果、犯人たちは乗客の一人を除いて、車掌も含めて全員でしかあり得ないという結論に至る。動機は、この列車の車両に乗っていた乗客全員があの幼児誘拐事件の関係者だったのだ。そのためこの殺人事件は綿密に計画されたものであり、唯一の例外は大雪で列車が止まってしまうということだったのだ。

 む~んん、こんな大がかりな殺人事件ってありか?と思ったが、事件の真相がわかったとき、やはりそれしかあり得ないし、その真相は被害者の刺し傷の数が物語っていることを気がつくべきであった。そういう意味では一本取られてしまった。エンターテイメントとしておもしろかった。これはクリスティーのファンになってしまいそうだ。


評価
★★★


書誌
書名:オリエント急行の殺人
著者:アガサ・クリスティー 中村 能三【訳】
ISBN:9784151300080
出版社:早川書房 (2003/10/15 出版)ハヤカワ文庫―クリスティー文庫
版型:429p / 16cm
販売価:777円 (税込)

2008年12月12日

吉村昭著『光る壁画』

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 この本は多分昔読んだはずだ。でも、もう一度読みたくなって文庫本を購入する。今は私も毎年一回はお世話になっている胃カメラの開発物語である。初めて読んだときは、まだ胃カメラのお世話になっていなかったから、それほど身近なものとして感じられなかったが、今は「どれどれどのようにして胃カメラ誕生したのか?」、と興味があった。
 開発は戦後まもなくオリオンカメラ(モデルはオリンパスカメラ)の曽根菊男(モデルとなった人は深海正治)のところに東大医学部附属病院分院の副手宇野達郎という外科医が胃カメラの製作を依頼するところから始まる。
 それまで胃の中を見るには、レントゲン写真を撮る方法と、胃鏡という方法、それと胃内撮影(これは実用化されていないし、失敗していた)の三つの方法があった。
 恐ろしいのはこの胃鏡という方法である。なんと口から金属の管を胃の中まで差し込んで、上から見る方法なのである。しかし金属管を飲み込むことが出来る人たちがいるのである。大道芸人の呑刀師という人たちである、よくあるでしょう、剣を口に入れて奥まで呑み込む芸をする人たちである。その人に直径十三ミリの金属管を呑み込んでもらい、管の中に光を送って胃の中を覗いたのが最初であったという。その後この胃鏡は多少改良されて、一般の患者に使われたが、食道を破ってしまう事故などが起こり、結局使用が避けられていた。
 依頼された曽根は、まずは胃の中まで入る管を、金属管ではなく、患者の苦痛の少ない素材で作り、次に胃に入った管にカメラを付けて、胃の内部を撮影する方法を、試行錯誤しながら開発していくのである。
 今みたいにファイバースコープなどない時代である。管の先に直接カメラ、六ミリフィルムを入れるマガジン、光源となる豆電球を付けるのである。人間の咽頭の広さは平均十四ミリだそうで、管はそれ以下でなくてはならない。当然管にも厚みがあるし、しかもその中に光源である豆電球と、カメラを装置しなければならないのである。
 まずは管の素材を探し、次に管の中に入るカメラ。当然レンズも極小のもとなる。電球ももちろん小さい物でなければならない。電球は小さくなればその光量も少なくなる。それを明るくすれば、今度は中のフィラメントがすぐ焼き入れてしまい、耐久性がなくなる。
 驚くのは戦後間もないこの時期に、胃カメラに付ける小さなレンズを磨いて作る人や、極小の豆電球、しかも光量があって耐久性のあるものを作れる職人がいたことである。
 おもしろいのはこの胃カメラに使う素材を当時巷にあった素材から探し、あるいは応用して、試作器を作り上げていくことである。たとえば、マガジンに入った六ミリのフィルムを一コマずつ引っ張り出す糸(シャッターの役目をするもの)に三味線の弦を応用する。またレンズが固定焦点なものだから、カメラと胃壁に一定の距離が必要となる。しかしこの胃カメラは一端胃の中に入れてしまうと、管の先端がどこにあるのかわからなかった。そのため透明なコンドームをカメラのついた先端に付けて、ふくらまし、そのことでカメラと胃壁の距離を一定にするのである。物資の少ない時代だから余計にそうしたさまざまなものを応用していく。まさしく“手作り”の胃カメラであった。
 しかし根本的な問題があった。先に言ったように、胃カメラが胃のどの部分あって、どこを撮しているのかわからないということなのである。今みたいにモニターがあって、それを見ながら操作出来ないのである。試作器を使って犬の胃を撮影しているとき、実験室の電球が切れた。その時、犬の腹がうっすらと光るのである。そうなのだ。胃カメラの豆電球が内部で光っているのである。まさしく“光る壁画”であった。偶然が胃カメラの操作方法を教えてくれたのであった。
 こうして試作器の胃カメラを犬を使って実験し、ある程度成果が出た時点で、今度は人に使うようになる。しかし何せすべてが初めてのことである。胃カメラを入れても奥まで入っていなかったりして、うまく胃の内部が写らない。それでも病院内の外科医が自ら実験台となって、胃カメラを呑むのである。こうして日本で世界最初の胃カメラが誕生したのである。
 この小説のおもしろさは胃カメラ製作に当たっての試行錯誤していく過程が描かれていることと、彼らがいた時代風景がうまく描かれているところである。その時代背景がよくわかり、いかにも戦後だなと思った

 主人公の曽根は箱根の旅館の息子でもあった。奥さんに旅館経営を任せて、自らは実験の合間に帰る単身赴任であった。この本を読んで知ったのだけれど、戦後の箱根の旅館に宿泊する人たちは、宿泊の条件として一食一合のお米を持参して、それを旅館の女中さんが計って受け取っていたという。戦後の食糧難がよくわかる。また曽根たちが東大病院に実験に行くときは、胃カメラをリュックサックに入れて背負って行くところなど、よく戦後日本を映した映画などに見られる風景である。
 またこの本では堅苦しい実験の模様だけでなく、曽根と妻の京子との人間関係も、感情も生々しく描かれていて好感をもった。いい小説であった。
 いずれにしても、この人たちのお陰で、私の胃の健康も維持されているとことがあるわけだから、感謝しなければならない。でも来年春にはまた胃の検査があることを思うと、やっぱり憂鬱だなぁ~。


評価
★★★★


書誌
書名:光る壁画
著者:吉村 昭
ISBN:9784101117171
出版社:新潮社 (1984/11 出版) 新潮文庫
版型:313p / 15cm / 文庫判
販売価:499 円(税込)

2008年11月20日

栃折久美子著『モロッコ革の本』

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 この本はB6版のソフトカバーの本だ。いつも使っているブックカバーじゃ大きいので、新刊書店で買ったときにつけてもらったカバーを取ってあるので、適当に見つくろって、カバーをかける。しかしうまくかけられなくなってきている自分を思い愕然とする。
 私はカバーをかける場合、昔やっていたように、きちんと本のサイズにはさみを入れて折り込み、カバーがずれないようにテープで織り込み部分をとめる。その折り込みがきれいに出来なくなっている。それが出来ないと、きれいに本とカバーが合わなくなってしまい、折り込んだ部分が浮き上がったりしてしまうので、見てくれが悪い。
 どうでもいいことと思われるかもしれないが、そこは私のこだわりでもあるし、昔書店員時代きれいにカバーをかけてお客様に渡すものだ教え込まれてきたから、どうしてもこだわってしまう。
 初めて書店でアルバイトをはじめたとき、まずはこのカバーがけを教わった。教えてくれる先輩のようにきれいにカバーがなかなかかけられないでいた。だから家に帰って、新聞のチラシを使って、カバーがけの練習を何度もしたものだ。
 話はこの本と関係なく進みそうだけど、カバーがけの話のついでに、爪のことも書く。
 つい最近まで私は自分の爪を切るとき、絶対に深爪はしないようにしていた。変な言い方かもしれないけれど、多少爪を残して切った。なぜなら深爪をしてしまうと、本にカバーをかけるとき、きちんと折り込みのすじがつけられないのと、紙で指先を切ってしまうからだ。しかし、最近は多分普通の人が爪を切るように、切るようになった。爪切りにこだわる必要性がなくなったからだ。
 カバーがきれいにかけられなくなったのも、毎日カバーがけをしていた昔とは違うし、最近は市販のブックカバーをさっとかけてしまうから、要はカバーがけが鈍ってしまったのだろう。

 本棚の整理をしていたら懐かしいこの本が出てきた。何となく読みたくなり手にする。この本は大学時代友人に“いい本だよ”と勧められて読んだ。確かに読んでみて“いい本”だったと当時は思った。
 しかし今読み返してみると、それほどでもないかと思っている。
 あのときこの本が“いい本”だと感じたのは、著者が女性一人でブリュッセルでルリユール(製本)を学びに行き、言葉の不自由さの中で、何か生きることの手がかりを模索している姿が、当時自分たちがこれからどう生きていけばいいのか考えあぐね、不安の中にいたことが、この本をして“いい本”と感じたのではないかと思うのだ。たまたまここに書かれた著者の立場と自分たちがいた立場が妙に一致していたのだ。
 でも、あれから三十年近く経ってしまった現在、生きることの手がかりなどさがす前に、とにかく生きなきゃならないとしてここまで来てしまったから、今更生きることの手がかりを模索している姿を読んでも、感動もわかないのは当たり前のような気がする。多分昔読んだ本で感動した本を読み返したなら、こんなことは頻繁に起こるに違いない。
 いい本がいい本じゃなくなっていくというのは、一抹の寂しさがある。それこそ本のカバーがうまくかけられない寂しさと、私の中で一致する。
 正直読み返さなきゃよかったかもしれないと思った。昔よかった本は自分の記憶の中で“いい本”として残っていればそれでいいのかもしれない。

 栃折さんが何故、ブリュッセルでルリユールを学びに来たかというと、まず、栃折さんが話せる外国語がフランス語しかなかったこと。そのルリユールはドイツ流、イギリス流、フランス流といくつかの流れがあるうち、フランスのルリユールはとりわけ繊細で、文学書の装幀を主にして深められてきたことに心が引かれていたこと。そしてベルギーがその流れをついで、古い伝統工芸の技術がよく保存されていることで、ブリュッセルでルリユールを学ぼうとしたと書かれている。
 「ここに来る前は、製本家になるつもりは少しもありませんでした。ブック・デザインの仕事をもう少し正確にできるようになりたいと思い、洋本というものの正統的な先祖に会いに来たつもりだったのです」と初期の動機をそう語る。


 「これは昨夜ケースを仕上げたところなんだ」
 本のケースを、大きすぎず、かといって振っても出てこないなどということがないようにつくることが、どんなにむずかしいか。一点制作のルリユールよりはるかに許容範囲の広い量産本の場合でも、ちょうどいい大きさのケースはめったに見られないほどだ。これまでしてきたブック・デザインの仕事を通して、このことは身をもって知っている。
 先生がケースの背を下にして机の上に立て、口元に本を持って行って手を放すと、本は何秒かかかって静かに入ってゆき、最後にことりと音を立ててケースの中に収まった。それを手に持つと、斜めに傾けるだけで本が出て来る。その仕事の厳密さ、精度に私は驚嘆した

 先生ののものはそれとはちがって、表紙には何の装飾もなかった。特有の美しいしぼのあるモロッコ革の生地そのままのシンプルなものだったが、それだけに技術そのものが生きる。ごまかしがきかない。
 それは、動きのよい人間の手以外のものがつくれる筈のないものでありながら、そこにつくり手がいたことを忘れさせてしまうほど、自然なものに見えた。たとえば一個の果物、一輪の花のように、何でもなくただ一冊の本であった


 このように精巧にしかもさりげなく装幀された本やケースを見たとき、栃折さんは居間の肘掛け椅子の上に膝を抱えて座り、何もする気になれなくなった。


 知らなかったんだ。私は。自分がこの街へ何をしに来たのかということ。なぜ私が今ここにいるかということを。


 甘い気持でブリュッセルまできて、本物を見せられたときに衝撃はきっと堪えただろうなと思う。その衝撃を感じたとき栃折さんは何をすべきか悟ったのだろう。だから「ここにくるために今まで生きてきたような気がする。長いことかかったけれど、遠廻りをしたとは思わない」と感じられたのではないだろうか。
 最近何でもまがいものばかり見せられているから、本物の良さがわからなくなっている気がする。それで済んじゃっているところが恐ろしいと思ってしまう。もちろん知らなければ知らないでもいいのかもしれないけれど、やっぱり本物の良さ、伝統に基づいた作品などは、現代の人々が作り上げるものとは、きっとどこかつがうはずだと思いたい。そんなもにを目で見て、感じ、その技術を習得していけるのは、ある意味うらやましい。


評価
★★★


書誌
書名:モロッコ革の本
著者:栃折 久美子
ISBN:
出版社:筑摩書房 (1981/04 出版)
版型:206p / 19cm / B6判
販売価:入手不可

2008年10月02日

ヘレ-ン・ハンフ著『チャリング・クロス街84番地』

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 昔開高健さんの古い本を探すために、神田や早稲田の古本屋さんを回ったが、それでも手に入るものは限られていた。「日本古書通信」に全国の古本屋さんが自分のところ在庫を広告として載せていているので、その中から開高さん未入手の本を探し、はがきで注文した。確か2冊ほどこの方法で手に入れたと思う。中には抽選というやつもあって、外れたのだろう。その本は入手できなかった。
 今ではネットで簡単に日本全国の古本屋さんにアクセスできるので、こんな面倒なことなどすることもなく、在庫の確認も注文も数度のクリックで簡単にできてしまう。後は数日待てば、本と請求書が送られてきて、後は郵便振替で送金すればいいし、アマゾンならそのままカード決済だから、本を受け取るだけでいい。ここには古本を売る人とそれを買う人の顔が一切見えない。
 たとえば昔やったはがきでの注文でも、注文する本の書名などを書くのは当たり前だし、最後には「よろしくお願いします」の一言ぐらいは書き添えるだろう。それだけでも何か見えてくるものがあると思いたいが、ネットの場合それが一切ない。確かにつまらんしがらみがないから、その方が楽といえば楽であるが、どこか寂しさがつきまとう。特に古本という手垢のついた本にかかわるものだから、ちょっとは人との関係が欲しいといえば欲しい気もするのである。

 なんでこんなことを書いたかといえば、この本を読んだからである。私の持っているこの本は昭和59年発売の初版本である。当時からもう24年経ってしまっている。本もほどよく日焼けして、赤茶けている。多分買ってすぐ読んだと思うけど、内容は覚えていない。先日読んだ池谷伊佐夫さんの本にこの本のことがちょこっと書かれていて、気になったものだから読み返すことにしたのだ。
 この本は、ヘレ-ン・ハンフが『サンデー・レビュー』で絶版本を専門に扱っているイギリスのチャリング・クロス街84番地にあるマークス社の広告を見て、手紙に添え欲しい本のリストと一緒に送ったことから始まる。時は1949年10月5日である。ハンフの担当となったのはマークス社のフランク・ドエルであった。ドエルはハンフの注文した本を探し出し、アメリカにいるハンフの元へ本を送る。
 ヘレ-ン・ハンフは自ら貧乏作家で、古本好きと称しているが、生計はテレビの台本を書くことで立てている。古本好きもこの本を読んでいる限り、主にイギリスの古典作家に興味があって、それらの作家たちの本をドエルに注文している。
 しかし注文した本がすぐハンフの元に届くとは限らない。結構やっかいな作家たちの本を注文しているので、ドエルはそれらの本を探し出すのに苦労している。そのためなかなかハンフの元に本が届かない。ハンフは注文した本はどうなっているの?とキャンキャン吠えるし、本を探さないで、店でぼーっとしてるんじゃないのと毒づく。
 しかしそれは悪意があるわけじゃない。私もハンフの気持はよくわかる。古本好きのとって自分が探している本がなかなか見つからないというのは、結構イライラするものなのだ。まぁその分目当ての本が見つかり、手元でその本をさわり、ページをめくり、読んでみると、うれしさはひとしおなのだが・・・。ハンフも届いた本を見て驚き、感激し、ページにペーパーナイフを入れて読み、また感動するのである。
 この本を読んでいると、当時イギリスでは食料の販売統制がおこなわれていたようである。多分戦争終了後だからだろう。ハンフはドエルに肉やハム、卵(乾燥卵というのもあるらしいが、どんなやつなのだろうか?)や缶詰などをクリスマスや復活祭などのプレゼントして送っている。それはマークス社のドエルたちが苦労してハンフが注文した本を探していることのお礼であった。
 送られてきたプレゼントはマークス社の従業員やドエルの家族に渡り、そのためハンフとの手紙のやりとりが、マークス社の従業員、ドエルの奥さんや子供たちと広がっていく。あるいはプレゼントのお返しとして、ドエルがハンフに送ったテーブルクロスは近所の老婆の手編みで、それをハンフはえらく気に入り、その老婆との手紙のやりとりもある。もちろんハンフから送られた食料品はその老婆にもお裾分けされている。
 ここではハンフとドエル関係が店とお客という商売関係で終わるのではなく、古本を介して人としての関係に変わっていくのが、心地いい。それはドエルがハンフを一番最初に“マダム”と呼び、次に“ハンフ様”に変わり、さらに敬称を省いて“ヘーレン”になっていくのでもわかる。それだけ手紙や本、そしてプレゼントやりとりがお互いを親密化していったのである。いつの日か、ハンフがイギリスに行って、チャリング・クロスにあるマークス社を訪れたいという気持にもなり、ドエルや彼の家族もそしてマークス社の社員もハンフがイギリスに来てくれることを望むようになる。
 しかしハンフのイギリス訪問はなかなか実現せず、1969年1月8日付けのマークス社の秘書からの手紙で、ドエルが死亡したことを知らされる。読む側としては、それまでハンフとドエルの手紙のやりとりが書かれていたのに、いきなり秘書からの手紙でドエルの死亡を知ることになったので、正直驚いてしまった。
 訳者である江藤淳さんは解説で次のように書かれている。

「二十年の歳月にわたってつづけられたこのほのぼのとした交友に終止符を打つのは、フランク・ドエルの突然の死である。私たちが、フランクの死を告げる手紙を見て愕然とし、もう二十年も経ってしまったのか、と思い、人はやはり死んでしまうのだな、と思わざるを得ない。この切断は鮮烈であり、ひとことのコメントも添えられていないためにかえって粛然と襟を正させられる。つまり死が、この往復書簡集に作品の輪郭をあたえたのだということができる」

 たしかにハンフとドエルの往復書簡は読む側にとって、怒ったり、謝ったり、喜んでみたり、感謝してみたりして、素直な人間性とやさしさをそこに感じさせてくれた。だからそれがドエルの死によって終わってしまう残念さを余計に感じるのである。
 ハンフは最後にイギリスに行く友人宛に「イギリスのことは長い年月夢に見てきました。ただ、かの地の町のたたずまいを見るためだけに、よくイギリス映画を見にいきました。何年か前、私の知り合いのある男性が、イギリス旅行をする人は、見ようという目的のものが必ず見られる、って言ったのを覚えています。で、私ならイギリス文学のイギリスが見たいわって言ったら、彼、うなずいて、あるともって言っていたわ。
 あるかもしれないし、ないかもわからない。今私がすわっている敷物のまわりをながめると、一つだけ確実なことが言えます。イギリス文学はここにあるのです。
 ここにある私の古書を全部お世話してくださったありがたいお方は、数カ月前に亡くなってしまいました。その古書店の店主だったマークスさんももうこの世にはいらっしゃいません。でもマークス社は依然として残っています。もしチャリング・クロス街84番地の前をお通りになるようなことがあったら、私からよろしくって言ってくださいね。そうしてくだされば、大いに感謝いたします」と書いている。
 ここでハンフが注文したは、古さもあるけどきっとすばらしい装丁の本なのだろうなと思ってしまった。ウォルトンの『釣魚大全』や『ピープス氏の日記』(私のは岩波新書なのだけれど)などは、私も持っている本とは違い、まるで他の本のような感じがしてしまった。だってハンフがあれほど待ち望んだ本なのだから。
 いい本であった。


評価
★★★★★


書誌
書名:チャリング・クロス街84番地 ― 書物を愛する人のための本
著者:ヘレ-ン・ハンフ 江藤淳訳
ISBN:9784122011632
出版社:中央公論新社 (1984/10 出版) 中公文庫
版型:233p / 16cm / 文庫判
販売価:680円(税込)

2008年09月04日

司馬遼太郎著『翔ぶが如く』 3

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 革命には膨大なエネルギーを必要とする。そのエネルギーとは、人、血、金、欲、武力、そして革命の裏付けとなる思想などであろう。そして革命が成ったとき、その余ったエネルギーを今度どうやって放出するかが問題となってくる。
 いわゆる消耗戦で、ぎりぎりのところで革命が成れば、そのエネルギーはほぼゼロとなるから、次の段階に比較的進みやすい。ところがそのエネルギーを使い果たすことなく、ほぼ温存してしまった場合、有り余ったエネルギーをどこかに放出しないと、今度は新しい政府の命取りとなる。まして結果が望んだこととはだいぶ違うとなれば余計である。西郷が持ち出した征韓論はそのエネルギー放出の一策でもあった。
 そもそも薩長の革命は、徳川幕府を倒すだけが目的ではない。幕藩体制も打ち壊し、中央集権国家を樹立して、初めて革命は完成する。その完成のためには廃藩置県がどうしても必要であった。
 廃藩置県の主役的役割を果たしたのは長州派であったが、これを実行に移すには薩摩を動かすしかなく、西郷を承知させなければならなかった。西郷にこの話を持っていったのが山県有朋であったが、西郷は廃藩置県をあっさりと承諾した。この時点で西郷は廃藩置県の承認者であった。司馬さんは「西郷はむしろ(廃藩置県に)積極的であった。かれは新政府樹立後、台閣に立つ者たちが優柔不断で、内乱終熄後何事もなしていない現状に優憤していたほどであった。あるいは維新をやった以上、歴史は藩否定にまで進展することを自覚し、自分の蒔いた種をそのようにして刈らねばならないとおもったのかもしれない」と書く。
 廃藩置県を実現するためには東京政府は兵力を持たねばならない。これよりさき政府は薩長土三藩から御親兵(のち近衛と改称)約一万人を東京にあつめていた。この兵力をもって、大改革をしようとする。薩摩軍は(島津久光をだまして)西郷みずからひきいて東上した。彼らにフランス風の軍服を着せ、階級を与え、近衛軍人にすることで、一挙に廃藩置県をやった。
 廃藩置県を明治政府がやるに当たり、その風当たりの強さが予想できたので、会議は紛糾したが、西郷は廃藩置県に反対するなら「この上は、もし各藩で異議がおこりましたならば、拙者がこの兵をひきいて打ち潰します」と言い切るのである。
 一方で廃藩置県は藩と士族階級の没落を意味し、兵を出した島津久光や薩摩系近衛軍人や士族階級の裏切りになる。それをわかった上で西郷は廃藩置県に賛成したのである。当然その恨みは西郷に向かっていいはずなのに、久光は別として、薩摩系近衛軍人は西郷を恨まない。大久保をを恨むのである。このあたりは不思議と言えば不思議である。
 西郷も薩摩士族の特権を奪ったのである。だから西郷自身「衆恨は私一身にあつまるでしょう」と言ったという。西郷は廃藩置県による士族の不満を一身でなだめ、抑えることに苦心しぬいた。「西郷はこの分のあわぬ作業のために内心傷だらけになってしまったにちがいない」と司馬さんも言う。
 その上、岩倉や大久保は廃藩置県に安堵して、政府ぐるみといったほどの大陣容で外遊してしまったのである。西郷は留守をさせられ、留守中の最大の問題は不平士族の反乱をおさえることであったが、西郷にとってこれほど苦しい仕事はなかった。こうした西郷の苦しみに薩摩系近衛軍人や士族階級は情義を感じたからであろうか、彼らの憤りは西郷には向かなかった。
 一方で彼らの功績がなければ、廃藩置県も出来なかったし、岩倉や大久保たちが大きな顔して為政者ぶっていられないはずであった。ところが、長い外遊から帰ってきた連中は、西郷のその苦しみを理解してやらなかった。特に大久保が理解すべきであったが、大久保は情緒感覚に天性欠けるところがあったため、それに対して冷然としている。だから不満は政府及び大久保に向かってしまった。西郷も配下の近衛軍人と同様憤りを覚えたであろう。
 その西郷が、近衛軍人や士族たちの憤りを他にむけるために征韓論をもち出した。西郷としてはこれ以外に、これ以上おさえつづける自信がなかったのである。その征韓論を大久保が蹴った。その理由は今日本が極東において武力紛争など起こせるほどの国力がないからであった。
 司馬さんは面白いことを書かれている。
「この明治初年の征韓派・非征韓派のあらそいは、ごく簡単な図式として考えることもできなくない。
 明治四年に出発した岩倉大使以下の洋行組が非征韓論者であり、日本に残留した西郷隆盛以下が征韓論をとなえたということである。海外に出れば一目瞭然に世界になかの日本というものが把握できるはずであり、いまの時期に極東で武力紛争をおこすことがどういう意味をなすかということがわかるはずであった」と。そして西郷は去った。しかし不満のエネルギーは蓄積する一方であった。それをなんとかしようと、大久保利通と西郷従道(西郷隆盛の弟)らによって台湾出兵が行われる。
 ことの発端は、明治四年十月那覇港を出港した宮古島船、八重山島船あわせて二隻が暴風のため漂流した。そのうち宮古島船が台湾の南端に打ち上げられ、高砂族に襲撃され五十四人が虐殺された。「報復のため、出兵すべきだ」という意見が出始める。しかし日本はこれをどう処理していいかわからなかった。ここに厦門の米国総領事のリ・ゼントルという南北戦争あがりの山師的人物がけしかける。台湾を取れというのである。西郷従道は台湾を日本領にすることは考えていなかったが、征伐することを考ええる。それも国内の不満分子を連れて、そのエネルギーを台湾に向けさせようとしたのである。「要するに、汽船いっぱいに壮士(薩摩系近衛軍人や士族階級の不満分子)を乗せて台湾の高砂族をなぐりつけにゆくだけのことを、従道は考えていたのである」。
 これは基本的に西郷隆盛が主張する征韓論の主旨と何ら変わらない。従道は征韓論に反対であったが、征台論は国内に沸騰する征韓気分を鎮めるためのものであった。行く先が違うだけのことであった。
 しかし大久保はこの話に乗った。乗ったどころの話じゃない。率先して征台に乗り出す。西郷従道は台湾に出兵する。そしてそこそこの戦いで征台は終わるのだが、大久保は中国清に自ら赴いて、管理不足だと喧嘩を売る。挙げ句の果て賠償金五十万ドルを分捕ってしまうのである。この巻はここで話が終わる。

 それにしてもこの話は西郷隆盛と大久保利通の衝突がメインとなっている。そのためこの二人の人物が魅力的な人物として描かれ、他の人物は馬鹿、あるいは二流の人物に感じさせられる。
 西郷や大久保以外、あるいはそうなのかもしれない。
 たとえば江藤新平がある。江藤は西郷が去った後、自らも東京を去る。その後佐賀の乱を起こす。維新政府を倒そうと考えるのだが、江藤自身立ち上がれば、西郷も立ち上がると勝手に思ってしまう。
 しかし機が熟していない。西郷はそのことがわかっていたが、江藤はわからなかった。だから江藤は西郷に「私が言うようになさらんと、あてが違いますぞ」と怒鳴られるのである。
 今立てば、大久保の思うつぼで、明治政府の兵力を強力にするだけのことであった。大久保は征台の前に、自ら佐賀に出向き、乱を鎮圧する。そして江藤をみせしめにするため、政府に逆らえばこうなるんだぞとさらし首にするのである。いわば西郷たちら不平分子に対するみせしめになっただけであった。
 


書誌
書名:翔ぶが如く 3
著者:司馬 遼太郎
ISBN:9784163617305
出版社:文藝春秋 1985/08 出版
版型:356p 19cm(B6)
販売価:入手不可

2008年08月31日

司馬遼太郎著『翔ぶが如く』 2

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 明治という新国家に内蔵している問題を司馬さんは次のようなものだったと言う。
「歴史的にいえば明治政府ほどつらい政権ない。どの時代の革命政権も前時代より租税を安くするところから施政を出発させるのが普通であるのに、旧幕府よりもはるかに民衆の財政負担を重くせざるをえなかった。その最大の理由は明治革命の主目的が近代国家になるためのものであったからだ。やってみたものの、近代国家というのはべらぼうに金がかかるものだった」

「それらの無理は、百姓たちにしわよせされた。このため各地で一揆がしきりにおこった。軍費を負担させられるだけでなく、旧幕府もそれをしなかった徴兵の義務を百姓に課したのである」

 しかも始めたばかりであったから、体制が整っていない。その上幕末から大して時間が経っていないものだから、意識として未だ江戸時代をを引きずっているといっていい。そこに征韓論の是非の根拠がある。つまり大久保側からすれば、国としての体制も整っていないし、金もない状態で征韓論を認めれば、戦争に行きつくことは必死である以上、そんなことができるわけがないと主張する。大久保は国家を数量計算で見ようとする実際面から離れず、西郷の主張するところと次元を異にしていた。
 一方で「西郷の立論は現実への把握がとぼしく、多分に実際面において堅牢でなかったが、しかし西郷の哲学的論理からすればそれこそ実際的であり、なぜなら日本民族はこれによってこそ苦難を経て草木とともに一新するだろう、維新の意義はそこある、極端にいえば日本民族の半ばが戦火に倒れるともアジアの一新に役立てばそれでよい」といわゆる精神論で征韓論を主張する。
 要は征韓論の是非は現実面でいくか、精神面でいくか、それによってスタンス決まってしまうのであった。しかし「廟議は、討論において結局大久保が優位に立った。金がないからだめだ。という、財政面から押しつづけてゆけば、いかにすぐれた政策案でも無力にならざるをえない」のである。
 が、征韓論は一度勅許が条件付きで降りている。西郷にすれば、これ以上何をする必要があるかというのが心情であった。だから西郷は以前のような行動はしない。その点、前に私は不思議だと書いた。そうした態度を西郷が取ったのは「『公明正大の正論が堂々とまかり通る政府であるはず』というのが、西郷の多分に願望をこめた政府観で、そういう政府をつくるためにおびただしい流血のすえに成立した政府なのである。その政府を作った西郷としては、太政官政府を幕府のように見たくはなく、まして幕府を倒したときのやり方をこの政府に対して試みようとは思わなかった」からだと司馬さんは説明する。なるほど。自分が作った新政府は、誠意を持って主張すれば意見の通る政府であって欲しいし、そうでなければならないはずだとする西郷のなら、これ以上余計なことはする必要はなかったのだろう。


閑話休題
 この巻は征韓論を通して西郷と大久保の意見の戦いを描くことメインにしているが、同時に西郷、大久保の人物像にも当然ふれる。司馬さんはまず大久保について次のように言う。
 「かれは日本国の政綱を攪るにあたって、一見無数のように見える可能性のなかからほんのわずかな可能性のみを摘出し、それにむかって組織と財力を集中する政治家であったが、同時に不可能な事柄については、たとえそれが魅力的な課題であり、大衆がそれを欲していても、冷酷といえるほどの態度と不退転の意志をもってそれを拒否した。にべもなかった」と。だからこそ「やがて大久保は、彼が予感したように、殺されるべき人物であった。大衆は政治についてのこのような生真面目な明晰者を好まないというおそるべき性格をもっている。大衆は明晰よりも温情を愛し、拒否よりも陽気で放漫な大きさを好み、正論よりも悲壮にあこがれる。さらに大衆というものの厄介さは、明晰と拒否と正論をやがては悪として見ることであり、この大衆の中からいずれは一個の異常者が出現し、匕首を握るかもしれなかった」という。
 一方西郷は「本気で正義が通るものだと思っていたし、本気で人間の誠実というものは人間もしくは世の中を動かしうるものだと信じていた。(略)げんにかれは幕末にあっては自分のその部分を電光のようにきらめかせることによって人間をも集団をもまた世の中をもうごかした。西郷が放射するその雲間のきらめきのようなものを、ひとびとは政治的人間の徒類のなかでほとんどありうべからざるものとして感じた。西郷においてひとびとがなにか神聖なものを感じていたのは、そういうことであろう」と人々が西郷に引きつけられる理由の一つを説明する。さらに、「西郷は単なる仁者ではなく、その精神をつねに無私な覇気で緊張させている男であり、その無私ということが、西郷が衆を動かしうるところの大きな秘密であった。人間は本来無私ではありえず、ありえぬように作られているが、しかし西郷は無私である以外に人を動かすことができず、人を動かせなければ国家や社会を正常な姿にひきすえることはできないと信じている男だった」。西郷の人望は西郷の無私によって動かされたものによるのだろう。
 ところで西郷たち革命家には革命家が持つ特別な精神体質があるように思えると司馬さんはいう。曰く「革命家というのは、やはり特異な精神体質をもつものであるかもしれない。西郷、大久保、木戸などは、旧幕府が一見盤石な重みをもっていたときに志をおこし、奔走し、法網と偵吏と刀槍のなかをくぐりぬけるという血みどろの前歴もっている。同時代でかれらよりもはるかに学殖があった者や志の高かった者もいたし、あるいは徳望をもった者いたが、しかしそれらのひとびとが日常の常識的世界の安らかさのなかで過ごしているときに、この連中のみは、誰に頼まれたわけでもなくまるで天命を受けているがごとくして異常の行動をしつづけてきた。この連中が、常識的世界から出てきた連中と交わるのは明治以後である。交わりつつも、ついに交わりきれないものがあるのは、この連中を動かしてきた志ーある種の肉腫ーのようなものが邪魔をするのかもしれない。さらに西郷のように、その肉腫の疼きで行動してきた過去のさまざまな過程において、結果として旧主の島津久光を裏切るかたちになったり、あるいは生死を共にした多くの下僚(桐野ら)とのあいだに理屈を越えた恩愛の情が生じてしまっている」という。(その点「板垣退助や副島種臣にはその前歴が革命家ではなく、単に藩勢力の代表者として入閣していたに過ぎないので、そういう過去から持ち越してきた厄介な荷物はなかった」と彼らとは人間が違うんだよといっている)
 伊藤博文に関しても、「この時期の伊藤には軽快な政治処理能力はあるにしても、西郷や木戸が持ち、むしろそれによって苦しんでいる哲学は持たなかった。志士仁人の時代は過ぎ、すでに処理家の時代がきている。新国家に山積している解決困難な諸問題や諸事務を解決するにさしあたっては哲学は不要であり、処理家の手腕を必要とした。伊藤が、西郷退治の黒子として活躍しているのは、処理家が登場しようとしている新時代を象徴しているといっていい」と伊藤の台頭を説明する。西郷自身「自分はもはや世の進運に役立たぬ旧物」と感じていたが、そんな中征韓論は西郷にとって最後の情熱を傾けられるものであったし、存在感が示せるものであった。しかしそれは明治政府にとって命取りになるので、何とか阻止せねばならないことでもあった。西郷は「旧幕府より明治政権を小さく見ていたが、旧幕府がすでに歴史的生命をうしなっていたのに対し、明治政権は弱小ではあったが、誕生してまだ若々しくある。若いというのは、この誕生したばかりの権力を懸命に守ろうとする情熱が権力内部に横溢していた」ことを軽く見ていたのだろう。それが西郷の敗北につながったわけだ。

 さて、廟議は翌日に持ち越されたが、西郷、大久保とも一歩も引かず、三条が「万策尽きました」と西郷の征韓論に決定したのであった。
 どの後大久保は紋服を着用して三条に自ら辞表を手渡した。三条は封書の中身を見て絶句する。とりあえず詳しい話を聞きたいと、大久保を中に招き入れようとするが、大久保は「いいえ、ここで失礼します」、「これにて」と背をひるがえした。大久保にとって、自分が西郷と対決するにあたり、参議となり、しかも信用おけない三条や岩倉が反征韓論の立場に豹説しないという念書まで書いたのに、それを裏切った。だから大久保にとってこの態度は当然であった。
 ところが三条がこのあと倒れてしまう。伊藤は三条が偶然にしろ倒れたことをいいチャンスとして利用する。三条の代理をしたのは岩倉具視であった。岩倉に太政大臣職を代理すべき旨の勅命が下る。
 そんな岩倉の元へ副島種臣、江藤新平、板垣退助らは西郷を誘い、訪れる。廟議で決定した征韓論を早く上奏しろというのである。岩倉は「あすにも上奏いたす」と四人に言うが、それは岩倉自身に説を上奏するということであった。つまり岩倉も征韓論が愚論と考えているが、とりあえずそれを実施するには日本海軍、陸軍の整備が整うまで猶予するというものであった。これに対して江藤新平は岩倉は三条の代理なのだから、三条が決めたことを実行すべしと迫る。そうでなければ三条へ不忠実であり、廟議を侮辱するものだと言い切る。
 ところが岩倉も腹を据えている。岩倉は三条より代理を頼まれたわけではない。もしそうなら江藤の言うとおりであろう。しかし自分は天皇より代理を命じられた。代理という名称はついているけれど、岩倉は三条から独立した存在であって、政治の最高責任者が変わったのだから、自分の考えを天皇に上奏できると主張するのである。
 このとき別室ではこのやりとりを聞いている人物がいる。桐野利秋である。西郷がこのとき連れてきた。岩倉への脅しである。桐野は幕末中村半次郎といい、「人切り半次郎」と恐れられるほど、多くの人を切ってきた人物である。こんな人物が別部屋で岩倉と西郷らの話を聞きながら、刀の柄をかちゃかちゃやっているのだからたまったもんじゃない。しかし岩倉は耐えた。そして話が尽きた頃、一座をにらみまわし、「わしのこの両目の黒いうちは、おぬしたちが勝手なことをしたいと思ってもそうはさせんぞ」岩倉の生涯の中でもっとも凄味のある一言を吐く。これで勝負は決まった。四人の参議は席を立つ。そのとき西郷は「右大臣、よく踏ん張り申したな」と言ったという。まさしくその通りであり、たぶん西郷の性格柄、このときの岩倉に感動したのだろう。「もうなにも申さぬ。勝手になされ」と辞した。岩倉はちゃらちゃらした公家ではなかった。幕末動乱の中を生き抜いてきた人物であった。だからこそこの言葉には凄味がある。
 このあと西郷は東京をひきはらうべく行動する。ただ一人暇乞いに行く。幼なじみであり、維新ではともに戦い、征韓論では政敵となった大久保利通である。このとき大久保のもとには伊藤博文がいたが、伊藤が席を外そうとすると西郷はかまわないという。西郷は大久保に次のように言う。
「一蔵(大久保)どん、おいはくにへ帰っど」
「辞表を送っておき申した」
「今後の国事(あとのことは)、よろしゅう頼んみやげ申す」
これに対して大久保は、怒気をみせ、「それは吉之助どん、おい(俺)の知った事か。いっでんこいじゃ(いつでもこうじゃ)。いまはちゅう大事なときにおまんさぁ、逃げなさる。後始末はおい(俺)せなならん。もう、知った事か」と言い放つ。西郷は「仕様がない」とつぶやいて立ち上がった。
 この日が両者の永遠の別れとなる。私はこの場面思わず絶句してしまう。妙に二人のこの会話に感動してしまった。

 この二人には征韓論に関しては妥協点が見いだせなかった。相反するだけである。結果として大久保が勝ち、大久保は自分が描く国家建設に邁進する。日本が近代国家となるためには、まだ国内に国民意識がない。だから制度もそうだけど、国民の意識も近代的なものに変えていかなければならない。その面倒を国が見るようにするのである。言ってみれば国民は馬鹿だから、国や政治家、役人が教え、面倒見てやるということである。確かに維新直後ではそうする必要があったかもしれない。けれど大久保が倒れた後、その意志を歪曲して継いだ山県有朋がおかしくしてしまい、その意識は現代になっても残っている。日本が今でも政治家、役人がやり放題の国家なのはこのためである。彼らの国民を小馬鹿にした態度も未だ持ち続けているのも、明治以来のものではないかと思う。
 もし西郷の征韓論が通っていたら(この時点で現実にはあり得ないのだが)、西郷がもっていた精神のあり方が日本人に植え付けられていたかもしれない。そうすれば、今の日本人はもっともっと自分たちに自信を持ち得たかもしれないし、もっと謙虚であり得たかもしれない、と思ったりする。


書誌
書名:翔ぶが如く 2
著者:司馬 遼太郎
ISBN:9784163617206 (4163617205)
出版社:文藝春秋 1985/08出版
版型:354p 19cm(B6)
販売価:1,600円(税込) (本体価:1,524円)

2008年08月29日

司馬遼太郎著『翔ぶが如く』 1

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 西郷隆盛のことを知りたいと思った。それでこの本を読みはじめる。実はこの本を手に入れてから三巻までは読んでいる。ところが明治政府の台湾出兵あたりから面白くなくなってしまい、頓挫してしまった。今回は気合を入れて読んでみようと思っている。
 さて、この巻で気になる問題は征韓論と、明治維新を成し遂げ、新国家を建設した志士たちがどういう人物たちであったかである。
 まずは征韓論である。征韓論がわき上がる背景にはいくつかの理由がある。征韓論は「日本の幸福」と「韓国の幸福」ももたすものだと考えられていた。
 日本は明治維新をやって富国強兵をめざした欧化政策をとった。それを朝鮮に向かって「貴国もそうせよ」と迫ったのである。それは革命の輸出であった。「『韓国の幸福』とは韓国の国家組織も社会制度も世界から見れば老化しており、このままだと、ロシアの南下によって併呑されてしまう。そうなる前に韓国を開国させ、世界性をもたせ、ともに列強の侵略ふせぐことであった」。そのためには「朝鮮の政府を伐って朝鮮人民の目を醒ませ、この人民に維新政府をつくらせてそれと同盟するよりほかない」という考えに至るのである。
 最初朝鮮側に対して、「日本側はあくまでも鄭重な折衝法をとった。しかもいささかの野心もなく、友好と親切から出た働きかけであった。しかし朝鮮にとっては余計なお節介であった。朝鮮国の支配者にすれば、開国すれば国内体制がくずれるのである。どの国の支配階級が、自分の支配体制の崩壊を賭けてまでして他国の変な親切をうけいれるであろう。
 折衝は明治初年から足かけ六年つづいた。朝鮮側は毎度峻拒し、毎度罵倒した。結局は日本の壮士気分を激発させる結果をみた」。
 日本のこの気分は秀吉の無知の段階から少しも出ていない。朝鮮人が「倭奴(ウエノム)」と呪いの言葉を持って日本人を見るようになったのは豊臣秀吉の朝鮮討入の「壬辰倭乱」以後であったが、加害者である日本側はその後朝鮮とその民族を知ろうとする努力怠っていた。
 その上「日本における外交問題は、他の国におけるそれとはよほどちがった概念と性質をもっているといえるかもしれない。外交が技術であるよりも国民的情念の表現、もしくは情念によるヒステリー発作というにちかい性質をもっているのではないかとさえ思える」と司馬さんが言うように、特に「革命早々の日本国家の運営者たちは、むしろ感情で動いた。感情が政治を動かす部分は、論理や利益よりもはるかに大きかった」から、征韓論は日本における重要な課題となっていったのである。その急先鋒が西郷隆盛であった。
 西郷は征韓論が「日本の幸福」をもたらすと考えていた。そもそも倒幕運動や明治維新はあまりにも短時間で達成してしまったため、薩摩軍人たちはふりあげたコブシのやりばもなくて鬱屈していたし、旧幕府側の士族階級もこの後行われる政策、「たとえば諸大名の版籍奉還があって、のち諸大名および士族階級が土地人民の支配権をうしなうという廃藩置県がおこなわれた。これらに並行して徴兵制度が布かれ、士族階級の最後の名誉であった武の特権までうばわれ、庶民に転落した」事実は当然不満の種となった。
 変な言い方であるが、もう少し倒幕運動や明治維新に時間がかかっておれば、多くの志士や士族階級たる武士に犠牲が出ていただろう。そうなれば、彼らの存在そのもの数がぐっと減ってしまい、維新後起こる彼らの不平不満など少数意見になっていたかもしれない。もちろん会津などには多大な犠牲が出たけれど、総じてあっけなく明治維新がなってしまったことが、後で大きな問題を抱えることなったわけである。
 西郷隆盛はそうした不満や悲鳴をある程度仕方がないと理性では思うのだが、一方でそれを見るに忍びなかった。それは司馬さんが言うように「西郷は『旧階級と旧階級の精神』というものを率いて幕府を倒した。ところがそれによって出来あがった新国家が自分を生んだ『旧階級と旧階級の精神』を圧殺した」ことの煩悶でもあった。
 確かに革命にはある程度の犠牲はやむを得ないところがあることは事実であるが、その犠牲を単に仕方がないことだとは西郷は受けいられなかったのである。不満や悲鳴の声を西郷は聞いてしまったのであった。「西郷は革命の成功者でありながら、革命が当然ひきおこすおびただしい惨禍のほうを一身でひきうけよう」とし、「巨大な感情量をもって幕府を倒した西郷は、革命の成功で無用になったその超人的感情量を、維新によって没落した士族階級への憐憫にむけたのである」と司馬さんは言う。
 そんな西郷の自己矛盾(革命には犠牲がつきものというのと、それを放っておけないという気持)と、志士たちの高揚した気分のはけ口と全国二百万人以上といわれる没落士族を救う解決策が征韓論であった。西郷はそれに飛びついた。
 さらに言えば、明治新政府の誕生と、廃藩置県は薩摩藩の島津久光に対しての裏切りでもあった。事実久光自身、西郷や大久保を裏切り者と罵っていた。特に西郷は久光の罵倒に自分の身の置き場所がなく、絶えずそれを探していた。つまり西郷自身自分が死ぬことを望んでいた。自分が遣韓大使として朝鮮に渡れば、必ず殺される。それはそれでいいと思っていた。いやそうあって欲しいと願っていたところがある。西郷が朝鮮で殺されれば、日本の重鎮が殺害されたのだから、朝鮮出兵の大義名分も整うことにもなると考えていた。
 ここで面白いと思うのは、西郷は明治革命政府で陸軍大将、近衛提督で明治の陸軍を掌握していた。やろうと思えば、これらの軍事力をもっ自分の主張する征韓論を簡単に押し通すことが出来たのに、ただ自分を遣韓大使に任命してくれと閣議でひたすら哀願泣訴するのである。幕末あれほど根回し、策を弄し、力にものを言わせた人物がただ嘆願するのである。この豹変ぶりはどうしてなのだろうかと思うくらいである。
 この巻では岩倉具視が参議木戸孝允や大蔵卿大久保利通らを伴って欧米諸国を巡っている間(いわゆる岩倉使節団のこと)、その留守を預かっていた三条実美に西郷が迫り、困り果てた三条は西郷を遣韓大使として派遣する旨を了解し、天皇の勅旨を得るまでで終わる。但しこれには岩倉らが帰国するまで待って、再度討議するという条件がついていた。西郷はそれでも天皇の許可が下りたのだから、自分は遣韓大使として派遣されるだろうと思っていた。

 ところで明治維新で活躍した人物たちを司馬さんはどう書いているだろうか。例によってわざと話を逸脱したり、あるいは休んで登場人物たちについて語る手法でこの小説は書かれているが、それが面白いのでいくつか書きたい。
 まずは西郷隆盛である。司馬さんは西郷を「幕末の西郷には維新後の国家設計の青写真などなかった。せいぜいうちに王道楽土をつくり、外は列強のあなどりを防ぐ、というだけの輪郭の不明瞭なものであった。倒幕についての政略ではあれだけ緻密で雄大な構想と着実で地道な実行形態をとりつづけたこの人物が、新国家設計については一見まるで手ばなしの無能な姿を見せる」と言い、「西郷は政治は才略より人格であるという考えをとった」と語る。
 一方大久保利通については「大久保は、官僚専制思想家である。日本の町人百姓はまだ、欧米の人民ではない。未熟なること犬猫同然である。
 と大久保は考えていた。犬猫を欧米なみの『人民』に向上させるまでに三十年かかる。憲法も自由も権利もそれからのことだ、それまでは有司(官吏)専制という指導主義でゆかざるをえず、内務省は犬猫的な日本を欧米なみの日本たらしめるための強力な権力機構たるべきである、というのが大久保の思想であった」と言う。
 木戸孝允は「つねに大困りの憂鬱屋であったが、包容力もあった。木戸は意見の人であったが、しかしその意見に長者の風があったことは、これは一つの根から出ているとみていい」と評する。
 三条実美に関しては、「その実歴からどういう抱負も器量も能力もひき出せない。ただ誠実であった。この誠実さは富家の婿養子に適いていたが、しかし一国の太政大臣としては悲劇的なほど無能であった」と手厳しい。
 山県有朋や伊藤博文に関しては、司馬さんは結構厳しい評価を下しているように思える。司馬さんはまず、「(幕末)その奔走家としては西郷や大久保のほかに長州の木戸孝允、土佐の坂本龍馬などがいて、幕府をたおした。倒したあと、かれらのうごきがにわかに鈍くなり、代わってうごきが活発になるのはかれらの後輩たちで、そのうち頭をあげてくるのはみな議論下手だがしかし実務の才の横溢した連中であった。とくに長州人が多い。伊藤博文と山県有朋がその双璧であろう」と言う。半ば皮肉混じりで「革命期に最後まで生き残るのは、この種の実務的な出世主義者であるかもしれない」と自分の思いを語る。
 特に山県に関しては「日本の三権分立の政体をやがて破壊するにいたる『軍人勅諭』を山県憲法発布に先立って明治十五年実現している。(これは)軍隊をもって天皇の私兵であるかのごとき印象をあたえしめている。(略)昭和期に入ってこの勅諭が政治化した軍人をして軍閥をつくらしめ、三権のほかの『統帥権』があると主張せしめ、やがて統帥権は内閣をも議会をも超越するものであるとして国家そのものを破壊せしめるもとをつくった」と言い、さらに「国権主義は山県がまず種をまき、大久保がそれを苗にした。やがて西郷・大久保・木戸の死後、権力を得た山県がおもう存分ふるまってそれを鬱然たる大樹に仕上げてしまったのだが、この国権主義というのは、国民を国家という鋼鉄のたがで締めあげ、締めあげることによって近代国家を速成でつくりあげようとする思想で、結局はこれが日本国家をつくり、太平洋戦争の敗北によって敵国から打ちくだかれるまでつづく」と言い切る。
 これは多分司馬さんが常々言っている「あの馬鹿な戦争(太平洋戦争)を起こしたのは誰なんだろう?」と自分が体験した戦争経験を振り返ると、多分ここに突き当たるのではないかと思う。その思いが山県に批判的なるのではないだろうか。司馬さんが描いてきた幕末の志士たちには、志があって、熱い情熱があり、更に「滅びの美学」を持ち合わせた人物たちであった。決して伊藤博文や山県有朋などの実務家など描きたくもなかったのではないかといつも思う。


書誌
書名:翔ぶが如く 1
著者:司馬 遼太郎
ISBN:9784163617107 (4163617108)
出版社:文藝春秋 1984/02出版
版型:356p 19cm(B6)
販売価:1,600円(税込) (本体価:1,524円)

2008年08月21日

司馬遼太郎著『殉死』

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 歴史というのは非情なもので、ある程度時間が経って、その後の変化などを加味して時代考証をしたとき、例えば指揮官が有能な人物であったか、あるいは無能であったか、はっきりとしてしまう部分がある。そういう意味では乃木希典という人物は指揮官としては無能な人物であったようである。ただ明治天皇が崩御した後、追って殉死したという一点のみで、乃木という人物を過大評価してしまったところがあるようである。
 司馬さんはこの本で乃木希典という人物がどういう人物であったかをこの本で語る。従ってこの本は小説とは違う。これは推測なのだが、長編『坂の上の雲』で集められた資料から、乃木希典のことが独立して、この人物評伝となったのではないだろうか?
 乃木希典はわずか六カ月しか洋式軍事教育を受けていない。ただこの時代他の者もこの程度の軍事教育しか受けていないから、乃木だけがひどいというわけではないらしい。しかし乃木の筋目がものをいった。つまり乃木は長州人であったことが大きく、しかも乃木は吉田松陰の師匠玉木文之進と濃い縁続で、乃木が十六歳の時玉木文之進の内弟子となったため、松陰の相弟子でもあった。この筋目は明治という時代のとって抜群の筋目であった。つまり乃木の出世は自分の出自が明治新政府でものをいったからなったものであった。決して能力や才能で出世した人物ではなかった。そのため司馬さんは「乃木希典は軍事技術者としてほとんど無能にちかかった」と断言する。ただ「詩人としては第一級の才能にめぐまれていた」と皮肉混じりで付け加える。
 「乃木希典は本来が実務家よりも詩人であるために、つねに自分を悲壮美のなかに置き、劇中の人物として見ることができた。自分の不運に自分自身が感動できる」タイプで、「自己美の完成のために絶えずそこに意識を集中してきた。かれは軍事技術者よりも自己美求道者であった」。「乃木はもともと死のなかに唯一華やぎを求める思想家であり、死を美として感じてはじめて自分の生を肯定できる低の行者であった」から、「自分の軍事能力に(あるいは不運に)絶望するとき、つねに自殺を思い、自殺によって自分を恥辱から救いだし、別の場所で武人としての美の世界に入ろうとする衝動が、反射的におこるようであった」。
 こんな軍人らしくない人物を指揮官にし、日露戦争の旅順攻撃を任せたのである。もともとこの戦争では旅順は陸軍の目標にはなっていなかったらしい。ただ海軍の要請で、旅順を攻撃目標にした。陸軍が旅順に停泊している軍艦をたたいてくれれば、海軍はやがてやってくるバルチック艦隊だけと戦えばいいからである。乃木は旅順に到着し、一日かせいぜい三日もあれば陥落できると大本営に連絡したが、完全要塞化している旅順は落とせなかった。何と陥落に百五十余日もかかり、六万人死者を出したのであった。しかも児玉源太郎力がなければ、攻略さえ難しかった。これを無能と言わなければ何と言えばいいのかと言いたくなる。
 そして自分の能力なさを自殺することで自らを救おうとし、銃弾がばんばん飛んでくる前線に何度も立とうとするのであった。そのたびに部下が止めにかかる始末であった。
 乃木希典とはその程度の人物だった。こんな人物を指揮官として頭に置き、戦ったのである。部下や兵士たちはたまったもんじゃない。
 ただそう思うのは現代の私たちである。乃木に従った部下や兵士たちは「封建の世が去ってまだ遠くなく、しかも封建の世に躾られた節度と、権威への服従心と、つねになにごとかを仰ぐ心をもち、つねに崇敬すべき対象をもち、もしその崇敬すべき心がわずかでも自分において薄らげば天地がくずれるのではないかという畏怖心をあわせもっていた」人々であった。だから乃木に従ったのである。そういう意味ではたとえ乃木が無能であっても関係なく、もともと「動機が美であれば結果はさほど重視しなくてもよい」という倫理観で人間関係が成立していたのである。
 そして乃木もそうした倫理観を明治天皇にもっていた。だから天皇が崩御すれば、殉死するしかなかったのだろう。乃木が天皇を崇敬すればするほど、天皇は心地よかったに違いない。明治天皇は乃木の無能さをたぶん知っていたのであろう。しかし乃木が持つ倫理観は天皇にとってみれば「ういやつ」という気持ちにさせたに違いない。山県有朋や伊藤博文、西園寺公望、桂太郎などは能力の提供者として明治天皇に仕えたが、乃木希典は誠実の提供者として仕えただけであったと司馬さんは言い切る。
 そして殉死は先にキーンさんが言ったように、乃木をして天皇や皇室への忠義者とさせた。これは昭和の軍閥には有り難い存在であった。能力もないのに自分が作り上げた「美」に酔いしれるだけでもたちが悪いのに、殉死までも忠義の体現者と崇められるのだから、余計にたちが悪い。


評価
★★


書誌
書名:殉死
著者:司馬 遼太郎
ISBN:9784163006208 (4163006206)
出版社:文藝春秋 1981/08出版
版型:206p 19cm(B6)
販売価:1,500円(税込) (本体価:1,429円)

2008年07月06日

ハインリッヒ・シュリーマン著『古代への情熱』

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 この本は高校生の時に読んだ。とにかく子供の頃思い描いたことを一生かけて成し遂げていくシュリーマンの意志の強さと、そのために努力を惜しまない姿勢に、高校生なりに、感動していた。こんな人もいたんだというところである。
 あれから三十年以上の年月が経って、改めて読み返してみた。昔と同じ感想しかもてなきゃ、それだけ進歩していないことになるので、しゃくなところもあるけれど、やっぱり“すごいな”の一言に尽きる。
 この本の副題には「シュリーマン自伝」とついているが、シュリーマン自身が自分のことを書いたのは、「少年時代と、商人としての人生行路」だけで、後の部分は適当にシュリーマンが書き残して文章をはさんで、その後のシュリーマンの活動を描いている。最初の部分と、その後の文章が読んでいて、視点がが違うな、明らかに第三者が語っているなと感じたのは、こうした理由からである。この本の原題を直訳すると「死までを補完した自叙伝」となるらしいから、なるほどとうなずける。
 さて、ハインリッヒ・シュリーマンは1822年にプロイセン王国のメックレンブルク・シュヴェリン州(現メクレンブルク=フォアポンメルン州)ノイブコウ生まれ、父親はこの町のプロテスタントの牧師であった。シュリーマンはこの町に伝わるさまざまな伝承話に子供の頃から興味を持っていて、言い伝えで途方もない財宝が隠されているという話を聞いて、何で掘り出そうとしないのだと父親に尋ねていた。子供の頃からそんな傾向を持ち合わせていたようである。
 八歳の時ゲオルク・ルートヴィヒ・イェラーの『子どものための世界史』という本をプレゼントにもらい、そこにアイネイアースが父アンキーセースを背負い、アスカニオスの手を引いてトロイを脱出する挿絵を見て、トロイの遺跡の存在を確信する。以来シュリーマンはトロイのことを考え続け、いつかトロイを発掘するという夢を持ち続ける。
 しかし個人で遺跡を発掘するには莫大な資金を必要とする。シュリーマンはギムナジウムを退学して商人の徒弟になる。その後、オランダの貿易商社に入社した。以後クリミア戦争もあって、巨万の富を得た。
 その間トロイを発掘するための勉強は欠かさず、特に自ら考えた音読による文章を丸暗記し、多国語を理解する。覚えた言葉は、ドイツ語のほか、英語、フランス語、オランダ語、スペイン語、ポルトガル語、スウェーデン語、イタリア語、ギリシア語、ラテン語、ロシア語、アラビア語、トルコ語だという。
 そうしてトロイの発掘の資金が貯まると、さっさと事業をたたみ、トロイの発掘にかかることになる。ペロポネス半島のヒッサリクの丘にトロイがあるだろうと推測する。それは「彼にとってホメロスに関する言葉は福音書であり、彼は堅くそれを信仰していたから、『イリアス』の詩句にぼんやりと示される地形は、自由に創作する詩人の空想の産物にすぎないのではないかという学者たちの疑念など、てんから問題にしなかった」からである。ホメロスの記述がすべてであり、その合致しそうな地形があれば、それがトロイがあった場所であると信じて疑わなかった。そしてどんどんヒッサリクの丘を掘り進める。この本を読んでいると、この丘にはトロイだけでなく、その後ギリシア、ローマ時代にも町が作られていたようだ。シュリーマンはトロイの遺跡を発掘するのが究極の目的であったから、そうした遺跡を破壊してその下にあるだろうトロイ遺跡を発掘していく。しかしそのシュリーマンの発掘の仕方は現在批判されているようだ。
 1873年にいわゆる「プリアモスの黄金」(トロイアの黄金)を発見し、伝説のトロイアを発見した。また1876年にミケーネでアガメムノンの黄金のマスクを発見した。


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 シュリーマンはトロイ遺跡を発見し、(実際はシュリーマンがトロイの遺跡だとしたのは、それ以前のものだったらしいが)古代ギリシア以前にエーゲ海に文明が発達していたことを証明することとなった。
 ドイツ人のルードルフ・フィルヒョーは「正しい前提から出発したか、それとも誤った前提から出発したかということは、今日では無意味な問いである。成功によって彼が正しいと判定されただけではなく、彼の調査の方法も正しかったことが実証されたのだ。いや恣意的であったかもしれないし、しかしこの心情の欠点、これを欠点と言ってよければだが、この中にまた彼の成功の秘密もひそんでいたのである。たしかな、いや熱狂的な信念につらぬかれたこの人を除いて、一体だれが、長年にわたるああいう大事業を企て、資材からああも莫大な資金を投じ、果てしなく積み重なっているように見える廃墟の層を掘りぬいて、はるか下に横たわる原地盤に達したであろうか。もし空想力にスコップが動かされなかったら、焼けた町は今日なお地中深く埋もれているであろう」というのは、まさしくその通りである。
 それにしても先のシャンポリオンにしてもこのシュリーマンにしても何かにとりつかれないと、それもとことんとりつかれ、発見に到る。凡人にはただただ呆れるばかりなのだが、いってみれば狂気のなせるワザかもしれない。


評価
★★★


書誌
書名:古代への情熱―シュリーマン自伝
著者:ハインリッヒ・シュリーマン/関 楠生 訳
ISBN:9784102079010 (4102079017)
出版社:新潮社 (2004-09-05出版) 新潮文庫
版型:181p 15cm(A6)
販売価:380円(税込) (本体価:362円)

2008年06月20日

フレデリク・フォ-サイス著『神の拳』下

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 どうも感激がわかない。出版された当時はきっとワクワク、ハラハラしながら読んだに違いなのに、今回読み直してみると、それほどでもない。

 1990年8月にイラクがクエートに武力侵攻し、国連の度重なる撤退勧告を無視したため、翌1月17日にアメリカを中心とする多国籍軍によるイラクへの爆撃(「砂漠の嵐」作戦 operation desert storm )が始まった。この本はいわゆる“湾岸戦争”を舞台にした話である。
 もともとイスラエルの情報機関モサドが抱えていた内部通報者で、イラクの幹部である“ジェリコ”から、湾岸戦争でイラクが何を考え、どんな兵器をもっているかという情報を今度はイギリス、アメリカの情報機関が彼から得ようとする。その情報の直接の受け渡しするのがマイク・マーティンである。マイクは最初クエートに入った経緯は先に書いた通りで、その後バクダッドに潜入する。ジェリコは多国籍軍に貴重な情報をもたらしてくれるが、その情報の中にフセインが核兵器を所有して、発射準備をしているという情報が入った。それがフセインのとっておきの兵器“神の拳”であった。
 詳しいことはわからないが、核兵器を自国で作る場合、濃縮ウランを作る必要性があり、それには時間がかかる。多国籍軍は計算からイランが核兵器を持てるわけがないと推定していたが、それが可能であるとわかると、空爆後、歩兵を投入すれば、甚大な被害が及ぶ。マーチンらは核弾頭を積んだロケット基地の正確な位置を知らせるため、一度バクダッドを脱出した後、再度イランに入る。

 この本は今読むと、明らかに失敗作であろう。というのもイランはその後大量破壊兵器である核兵器も生物兵器も所有していないことが明らかになったからだ。
 ここにフォーサイスの現代の紛争地域を舞台にした小説そのものが、ただ単に情報戦のすごさや兵器のすごさを描くだけになってしまっている不満がある。確かに当時としてはタイムリーで、新鮮味もあっただろうが、結局こうして時間が経って読み返してみると、古びたエンターテイメントとしてしか楽しめない。正直な話、読み返すに耐えないものになってしまっている。風化してしまっているように思えてならないのだ。
 最初からフォーサイスの作品はこんな危ない要素を含んだ作品ばかりだったのだろうか?違うと思う。少なくとも初期の三部作はそうではなかった。少なくとも歴史というものに濾過された事実を駆使して、描かれた作品は今でも読み応えがあると思うのだ。歴然たる事実の重みとでもいうものが、ものを言うものだから、読んでいても読み応えがある。
 今の時代を描くエンターテイメントを要求されると、こういう結果にならざるを得ないのかもしれない。トム・クランシーが兵器のすごさばかりを描くことで、一時話題になって、もてはやされたけれど、いつか結局それだけじゃないかということで、飽きられしまった。それとも一過性のものとして、命をかけるプロの仕事を楽しめばいいのだろうか?なんかフォーサイスもトム・クランシーと同じ道を歩みつつあるんじゃないのかなと心配してしまう。


評価
★★


書誌
書名:神の拳〈下〉
著者:フレデリック・フォーサイス・篠原 慎 訳
ISBN:9784047912205 (4047912204)
出版社:角川書店 (1994-06-01出版)
版型:425p 19cm(B6)
販売価:入手不可 文庫ならありそうです。

2008年06月16日

フレデリク・フォ-サイス著『神の拳』上

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 急遽忘れてしまったフォーサイスのこの本を読むことにした。まぁ、14年前に読んだ本を、主人公を忘れたということで、慌てて読む必要もないとは思うのだけれど、気になるので読むことにしたわけだ。
 今回も詳しいことは下巻を読んでから書きたいと思うのだけれど、一つだけ書きたい。
 主人公のマイク・マーティンには学者である弟がいる。名前はテリー・マーティンという。テリーは中東の学者で、アメリカやイギリスの情報機関のオブザーバー的存在で、中東で何かあると、それらの情報機関から意見を求められる。先に読んだ『アフガンの男』でも、アフガンでアルカイダが9.11以降の大規模なテロが行われる可能性が出てきて、アフガニスタンでの情報が欲しいということで、情報機関の人間を忍び込ませたいが、適当な人間がいないかと意見を求められ、兄のマイク・マーティンがいると言ってしまう。
 マーティン兄弟の母方の祖父はインドのダージリンにお茶の栽培のため入植したイギリス人であった。この祖父インド人の娘と恋に落ち結婚してしまった。当時イギリス人はインドの植民地支配者だったので、インドの娘と結婚することは驚天動地の騒ぎとなった。
 祖父テレンス・グランガーとインド人の娘の間に、一人娘のスーザンが生まれた。スーザンはイラク石油会社の経理をしていたナイジュエル・マーチンと結婚しバクダッドで暮らし、二人の男の子をもうけた。それがマイクとテリーである。マイクは母方の遺伝子を受け継いで、髪と眼は黒く、肌はオリーブ色で、当時のイギリス人コミュニティーの悪童から“アラブ人そっくりだ”と冷やかされた。
 マーティンはパブリックスクールを卒業した後、パラシュート部隊入隊し、その後厳しい訓練の後、SAS(空軍特殊任務連隊)に配属される。バクダッドで子供時代を過ごした関係で容姿もそうであるが、アラブ人並みにアラビア語がしゃべれた。
 だからテリー・マーティンはアフガンに潜入する人物として兄のマイク・マーティンが適材と言ったのだ。しかし危険きわまりない地域でスパイ活動するわけだから、見つかれば命はない。自分の兄を推薦したことをテリーはひどく後悔し涙する。
 ところがテリーのおしゃべりはこれが初めてではなく、実はこの本でも同じことをしているのだ。いやこの本が最初であった。イラクがクエートに侵攻したとき、クエートの情勢を知るために、スパイとして適している人物として、兄のマーチンを推薦しているのだ。そしてひどく後悔する。
 こんな危険なところに自分の一言で兄を派遣させてしまったことを後悔したら、普通二度と同じことはしないんじゃないのかなぁと思うのだが、どうだろう?それをいくらそそのかされたとはいえ、また自分の兄の名前を出しちゃうなんて、一体テリー・マーティンという人物はどういう神経をしているのか、正直呆れかえるばかりであった。
 それともマイク・マーティンを再び『アフガンの男』で使うためには、フォーサイスとしては同じ手を使うしかなかったのだろうか?それにしてもちょっと安易すぎないか?と思った次第だ。


書誌
書名:神の拳〈上〉
著者:フレデリック・フォーサイス・篠原 慎 訳
ISBN:9784047912199 (4047912190)
出版社:角川書店 (1994-06-01出版)
版型:414p 19cm(B6)
販売価:入手不可 文庫ならありそうです。

2007年12月27日

高見順著『死の淵より』

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 どこのマンションのコマーシャルか知らないが、本棚に囲まれた部屋を、女の子が歩き回り、一冊本を取り出す場面がある。本棚にあるの本はいかにも古そうな本で、しかも洋書みたいな感じだ。そのコマーシャルが流れると、食い入るように見てしまう。とにかく古い本が好きだ。時間を経た本には、それだけで価値がありそうな感じがしてしまう。ふと自分の本棚を見ると、思わずまだまだだななんて思ってしまう。

 さて、ここのところスランプに落ち込んでいる。毎年何回か、あまり本を読みたくないな、なんていう気分になる時があるのだが、それはそう長く続くことはない。だいたい一週間程度本を読まなければ、すぐ本が読みたくなり、元の生活が復活する。しかし今回は重傷だ。本が読めない状態が長く続いている。
 そんなもんだから、ここのところ更新ができないでいる。しかもやっとのことで一冊の本を読んでも、今度はそれについて書くことができない。どう書いたらいいかわからなくなり、完全にパニックに陥ってしまう始末。
 だからというわけじゃないのだが、本棚の整理でもすれば、読みたい本が出てくるかもしれないと思い、棚を眺めつつ、棚に収まっていない本を収納する。
 そんなことをやっていたら、この詩集を見つけた。本の画像を見てもらえば分かる通り、かなり保存状態が悪い。箱が日焼けしてしまっている。この本は古本屋で100円均一のワゴンに収まっていたのを買った。本の状態から考えれば当然である。ただ、箱入りのため、箱は傷んでいるが中身の本は結構きれいだ。
 実はこの高見さんの詩集は高校時代に読んでいる。当時あった文庫本で読んだ(普通の講談社文庫であった。今は講談社文芸文庫にある)
 この詩集を知ったのは岩波新書の時実利彦さんの『人間であること』に高見さんのこの詩集が紹介されていて、気になって続けて読んだと思う。ただ親本である単行本のこの本は読んだかどうか覚えていないので、読んでみることにした。長い話にはついて行けないけれど、詩集なら何とか読めるかもしれないと思ったのである。

 この詩集は高見さんが食道ガンに冒され、入院し手術したときの前後に書かれたものである。ガンと闘いながら、自分に近づきつつある“死”におびえ、あるいは開き直り、諦める。その気持ちを詩に託している。まずは「死者の爪」という詩からこの本は始まる。以下気にかかる詩や、気にかかる語句がある詩を抜き出してみる。

<死者の爪>

つめたい煉瓦の上に
蔦がのびる
夜の底に
時間が重くつもり
死者の爪がのびる


<ぼくの笛>

烈風に
食道が吹きちぎられた
気管支が笛になって
ピューピューと鳴って
ぼくを慰めてくれた
それがだんだんじょうずになって
ピューヒョロヒョロとおどけて
かえってぼくを寂しがらせる


<帰る旅>

(略)

この旅は
自然に帰る旅である
帰るところのある旅だから
楽しくなくてはならないのだ
もうじき土に戻れるのだ
おみやげを買わなくていいか
埴輪や明器のような副葬品を

(略)


<泣きわめけ>

泣け 泣きわめけ
大声でわめくがいい
うずくまって小さくなって泣かないで
膿盆の血だらけのガーゼよ
そして私の心よ


<魂よ>

魂よ
この際だからほんとのことを言うが
おまえより食道のほうが
私にとってはずっと貴重だったのだ
食道が失われた今それがはっきり分かった
今だったらどっちかを選べと言われたら
おまえ 魂を売り渡していたろう

(略)

魂よ
おまえの言葉より食道の行為のほうが私には貴重なのだ
口さきばかりの魂をひとつひっとらえて
行為だけの世界に連れて来たい
そして魂をガンにして苦しめてやりたい
そのとき口の達者な魂ははたしてなんと言うのだろう


<望まない>

たえず何かを
望んでばかりいた私だが
もう何も望まない
望むのが私の生きがいだった
このごろは若い時分とちがって
望めないものを望むのはやめて
望めそうなものを望んでいた
だが今はその望みもすてた
もう何も望まない
すなわち死も望まない


<過去の空間>

手ですくった砂が
痩せ細った指のすきまから洩れるように
時間がざらざらと私からこぼれる
残りすくない大事な時間が

(略)


<巡礼>

人工食道が私の胸の上を
地下鉄が地上を走るみたいに
あるいは都会の快適な高速道路のように
人工的な乾いた光りを放ちながら
のどから胃に架橋されている
夜はこれをはずして寝る
そうなると水を飲んでももはや胃へは行かない
だから時には胃袋に睡眠薬を直接入れる
口のほかに腹にもうひとつ口があるのだ
シュールリアリズムのごとくだがこれが私の現実である

(略)


 この詩集には“赤”という言葉が何回か出てくる。“血だらけのガーゼ”、“赤いザクロの実”、“赤インク”、“カエデの赤い芽”、“車輪が赤く錆びて行く”等々。
 “赤”は病気であり、あるいは苦しみながら生きている証拠なのではないかと思った。特に本自体が古さのため薄く黄ばんでいるので、“赤”という文字が余計に際だって感じられた。

2007年10月23日

司馬遼太郎著『街道をゆく 夜話』

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 今年の5月以来司馬さんの本を読む。この文庫は今月の新刊で、広告には文庫オリジナル、『街道をゆく』の入門書と書かれていたので、私としては読まないわけにはいかなかった。
 文庫オリジナルといっても司馬さんはもう亡くなられているので、新たな文章などあるわけがなく、生前、雑誌などに書かれたものをかき集めたものである。主に司馬さんの紀行文が集められているため、『街道をゆく』の入門書といっているのだろう。

 さて、この文庫の文章にあった言葉が気になる。それは「一隅を照す。これ則ち国宝なり」というものである。これは最澄がいった言葉と聞いている。私が初めてこの言葉を聞いたのは、中学校の修学旅行で根本中堂の関係者が修学旅行の団体客に説明するガイドからだった。
 そのときはこの言葉がどんな意味なのか聞き漏らしたのだが、どういう訳か「一隅を照す。これ則ち国宝なり」という言葉がただフレーズとして心に残っていた。その後何度か本などでこの言葉を目にしたので、今はもちろん言葉の意味は知っている。
 今回司馬さんの文庫本を読んでまたこの言葉を目にしたので、ちょっと詳しく調べてみようと思った。
 正確には、「径寸(けいすん)十枚これ国宝に非ず、一隅を照らすこれ則ち国宝なり」という。最澄の「天台法華宗年分学生式」の冒頭に出てくる言葉だという。最澄の師、唐の湛の著「止観輔行伝弘決」にある話を踏まえているという。昔魏王が「私の国には直径一寸の玉が十枚あって、車の前後を照らす。これが国の宝だ」と言ったところ、斉王が「私の国にはそんな玉はない。しかし、それぞれの一隅をしっかり守っている人材がいる。それぞれが自分の守る一隅を照らせば、車の前後どころか、千里を照らす。これこそ国の宝だ」と答えたという。これをふまえて、 お金や財宝は国の宝ではなく、家庭や職場など、自分自身が置かれたその場所で、精一杯努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、何物にも変えがたい貴い国の宝である。一人一人がそれぞれの持ち場で全力を尽くすことによって、社会全体が明るく照らされていく。自分のためばかりではなく、人の幸せ、人類みんなの幸せ求めていこう。「人の心の痛みがわかる人」「人の喜びが素直に喜べる人」「人に対して優しさや思いやりがもてる心豊かな人」こそ国の宝であるという意味なんだそうだ。これに感銘した東洋思想家の安岡正篤は「賢は賢なりに、愚は愚なりに、一つのことを何十年と継続していけば、必ずものになるものだ。別に偉い人になる必要はないではないか、社会のどこにあっても、その立場立場においてなくてはならぬ人になる。その仕事を通じて世のため人のために貢献する。そういう生き方を考えなければならない」との見解を述べているという。
 まぁ例によってネットで調べてみるとそういうことになる。

 なんでこの「一隅を照す。これ則ち国宝なり」という言葉を持ち出したかというと、この本にはそういう人物が書かれているからである。
 歴史上有名な人物はたくさんいる。それぞれの功績によって名を残したわけだが、でもそういうたくさんの有名人に隠れてしまい、光が当たらない人物もいたということを言いたかったのだ。そしてそれが目立たないのは、やってきた仕事が地味であったり、報われなかったことももちろんだけれど、それだけでなく、その人物が奥ゆかしい部分がそうしているのではないかと思ったのだ。
 たとえば秋月悌次郎という人物がいる。秋月はいってみれば幕末、会津藩の外交官であった。幕末、会津藩はやりたくもない京都守護職を引き受けた。当時京都は薩長の志士がたくさん集まっており、治安が悪化していた。その京都の治安を守るのが京都守護職であった。京都の治安を安定したものにするために、新撰組と一緒に薩長の志士を斬った。そのため戊辰戦争で会津藩は恨みを買い、あの凄惨な会津戦争となり、その後も新政府にいじめられてきた。
 京都守護職を会津藩が引き受けたとき、秋月悌次郎が抜擢された。その理由がふるっている。秋月が機略縦横の才があることではなく、むしろ無さすぎることがその理由だろうと司馬さんは言う。ただ江戸である昌平黌に長いこと在籍したため、寄宿舎の舎長になり、全国各藩から来る者と顔見知りになり、知人を多く持っていた。こうした経歴が秋月を抜擢した理由だっただろうと司馬さんは推測されている。
 当時京都では薩長の志士がたむろしていたと書いたが、最初は長州藩が京都で幅をきかせていた。それが面白くなかった薩摩藩は敵である国家警察の会津藩と手を組んだ。「薩会同盟」である。この同盟を結ぶために薩摩の高崎佐太郎が秋月悌次郎のもとへ訪ねてくる。以後同盟はなり、長州藩は一時京都から追い出される。しかしご存じの通り、坂本龍馬の斡旋で今度は薩摩と長州が手を結び、倒幕運動となり、会津は朝敵とされ、凄惨な目に遭う。
 維新後秋月はその人望により東京に呼ばれ、仕官したが、旧会津藩がひどい目に遭っているのに自分だけが官を得るのは忍びないとやがて辞する。その後熊本で漢文の先生をする。秋月は小泉八雲から「神様のような人」と称されるが、「ある日、秋月は教壇にたって、いつものように本をひろげることもせず、よほど時間が経ってから、じつは昨夜、文久三年以来三十年ぶりに友人が訪ねてきて、そのため終夜、痛飲してしまった、といった。秋月が詫びているのは、要するに下調べができなかったために今日は授業を勘弁してもらいたい、ということで、かれはていねいに一礼すると教室を出て行った」。
 このとき訪ねてきた友人というのが高崎佐太郎であったという。司馬さんは秋月が痛飲したのは「薩会同盟」の当時を語り合ったためだろうという。しかし「薩会同盟」は結局薩摩藩にだまされたのと同じなのだが、「秋月は高崎を前にしてそういう恨みもいわず、ひたすら当時を懐かしみ、翌日の授業もできないほど飲んでしまった」という記述を読んで涙が出そうになってしまったのである。
 こういう話のたぐいはおそらく歴史というものの中にかなりの数が埋もれているのだろう。秋月悌次郎は人物として面白みはないかもしれないが(事実司馬さんは秋月を小説として書けないといっている)、人物であった。薩摩の高崎佐太郎にしたって、薩摩藩からすれば二流の人物だ。その高崎に藩の一大交渉を任せたのは、もし何かあった場合、高崎に詰め腹を切らせればいいということで人選されたようだ。しかし二人は当時すべき仕事をしたのである。そういう意味で二人は会津藩にしても薩摩藩にしてもなくてはならぬ人物だったのだろうと思う。ただ結果が悲惨であったということだ。それだけに晩年のこの再会は悲しい。
 私はこの文章を読んだだけでこの本に満足した。


評価
★★★


書誌
書名:街道をゆく 夜話
著者:司馬 遼太郎
ISBN:9784022644190 (4022644192)
出版社:朝日新聞社 (2007-10-30出版) 朝日文庫
版型:381p 15cm(A6)
販売価:735円(税込) (本体価:700円)

2007年08月18日

E・キュ-ブラ-・ロス著『死ぬ瞬間』

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 古い本を引っ張り出す。E・キュ-ブラ-・ロスの『死ぬ瞬間』である。この本は聞くところによるとホスピスのバイブルだという。かなり昔に読んだ山崎章郎さんの『病院で死ぬということ 』にもたびたびキュ-ブラ-・ロスのこの本のことが出ていたと思う。

 この本はシカゴ大学の「死と死ぬことに関するセミナー」で、講師は死にゆく患者である。そうした患者に自分が迎えなければならない死、病院の医療体制を語ってもらっている。しかしこのセミナーは最初病院側の医療スタッフから大きな反発にあう。末期患者に自分の死を語らせるなんて冗談じゃないというところだろう。ましてここの病院では「もはや助けることできない人々に貴重な時間をかけることはムダであり、まったくのナンセンス」という意識があっただけに余計であった。
 しかし患者は違った。患者は「死そのものは問題でなく、死にゆくことが、それに伴う絶望感と無援感と隔離感のゆえに怖ろしいのである」。むしろ積極的にコミュニケートすることで、自分を解放していくのである。さらにかれらのコミュニケーションが他の人々にとって重要で有意義かもしれないと思えることで、生きているうちにだれかの役に立てるという意識を生む。
 医療側も患者の生の声がフィードバックされるようになって、このセミナーの重要性を自覚し始め、患者の対応が変わっていく。

 ここでの死とは突然死を想定していない。死までの時間がある程度ある、たとえばガンのような病気で死を迎えざるを得ない患者を対象とする。
 著者は「患者を非人間的、植物的に生きるのではなく、人間的に生きるように助けることによって、かれらを助けて死なせてやることができる」という考えから、末期の患者に接する。
 そしてそうした患者は悲劇的なニュース(自分が死ぬということ)をつきつけられてから、自分の死を受容するまでの間にいくつかの段階があることをこの本で教えてくれる。以下その段階の解説である。


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1.否認
 「否認は予期しない衝撃的なニュースを聞かされるときの緩衝装置として働くのである。否認によって、患者は崩れようとするみずからを取りまとめ、やがて別の、よりゆるやかな自己防衛法を動員することができる」。たとえば自分がガンだと宣告されたとき、「そんはずはない」と否認するのは一時的な自己防衛なのである。

2.怒り
 「否認という第一段階がもはや維持できなくなると怒り、憤り、羨望、恨みなどの諸感情がこれにとって代わる。論理を追って、次の問いは”なぜ私を ”」となる。つまり「なぜ私なんだ」、「どうして私がガンにおかされねばならないんだ」という自分勝手に怒り、憤るのである。

3.取り引き
 「もしわれわれが第一段階で悲しい事実に直面することができず、第二段階で人々と神に対して憤りをぶつけたとすれば、つぎには人々ないし神に対してなにかの申し出をし、なんらかの約束を結ぶことを思いつくだろう。取り引きである。神となんらかの取り引きができれば、もしかすると、この悲しい不可避の出来事をもうすこし先に延ばせるかもしれない」と考えることである。
 つまり今苦しい治療に耐えれば、延命願望や痛みや肉体的不快感のない日々を手に入れることができるという願望を多少なりとも叶えることができるかもしれないという、自分の気持ちの中で取り引きするのである。

4.抑鬱
 「末期患者がもはや自分の病気を否認できなくなり、二度三度の手術あるいは入院加療を受けなければならなくなり、さらに症候がいくつか現れはじめ、あるいは衰弱が加わってくると、かれはもはや病気を微笑で片づけているわけにもいかなくなる。
 かれの感情喪失、泰然自若、あるいは憤怒などは、ほどなく、大きなものを失くしたという喪失感に取って代わられ」抑鬱状態になる。

5.受容
 「も