2009年11月05日

田山花袋著『東京震災記』

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 小沢信男さんの『東京骨灰紀行』の中にこの本の記述が引用されていた。それを読んだときこの本をあったはずだよなと思い、本棚を探し回ってみたら、確かにあった。この本も読んだという記憶はあるのだが、これもほとんど内容を覚えていない。ただこの本は持っていることは確信があった。
 というのも社会思想社が潰れたとき、当時お店にあった文庫を倒産に当たりすべて返品する時、面白そうな本を抜いて、買ったという記憶があるからだ。家の本棚には当期買った教養文庫が数冊ある。今ではきっと社会思想社の教養文庫といっても忘れられちゃっているんだろうなと思う。結構いい本を文庫本として出版していたんだけど、アドベンチャーゲームブックみたいなおかしな本を出すから潰れちゃったんじゃないかと思う。アレックス・ヘイリーの『ルーツ』を出版した出版社だといえば多少思い出してくれる人もいるかもしれない。今では古本屋の均一本の中にこの現代教養文庫をよく見かける。

 さて、この本はあの田山花袋が関東大震災後自ら歩き、又は人から聞いたことをそのまま記したものであり、元は大正13年博文館から発行された『東京震災記』を全文収録したものである。
 とにかく、この地震はその大きさももちろんだけれど、やっぱり火災の恐ろしさをひしひしと感じる。ネットでもその惨劇状況を見ることが出来るので、見てもらいたい。

http://research.kahaku.go.jp/
rikou/namazu/03kanto/03kanto.html

 それを突切ってそのまま九段の坂の上へと行った。私はとにかくそこで地震以来焼けた区域の概念をつくることが出来た。私は一面焼野原で、目の及ぶ限り殆ど灰燼になっていないところのないのを見た。ニコライ堂の半ば焼け落ちているのも、駿河台から神保町にかけて処々に建物の残骸の聳えているのも、神田明神の焼けたあとの台地のガランとしているのも、何も彼もその火災のいかに烈しかったを語り尽くして余りあるのを見た。それはそこからでは、宮城の丘陵にかくれて、南の方面は見えていなかったけれども、京橋から銀座、東京駅あたりは見えなかったけれども、概して一面その惨害のほどを知ることが出来た。『全く廃墟だ!都会の廃墟だ!』私は思わずこう口に出して言った。

 焼野原になってしまっては、何処も彼処もすべて同じであった。賑かな通りも何もなかった。大きなデパアトメントストアも何もなかった。唯、ところところに、焼残った鉄筋の残骸が無気味に立っているだけで、その向こうは、東京湾の蒼波にまでずっとひろく続いているのであった。
 それはそう大して風の吹く日でもなかったけれど、それでも焼ぼこりがすさまじくあたりに漲って、ともすれば、眼も明いていられないような濛々とした光景となった。あまつさえ、街上には電信や電車の線が縦横に焼け落ちているので、注意しないと、すぐそれに引かかりそうになった。

 『被服廠にも行って見たかね?』
 『あそこはあそこで、えらいことだがね。とてもお話にも何もならないがね。大川の岸もひどかったんだよ。厩橋から両国橋の河岸は、死屍で満たされていたと言っても好いからね。何しろ、あの川の岸まで命カラガラ逃げて来ても、川があるのでどうすることも出来なかったんだからね。運良くそこらに繋いであった舟の上に逃げても、その舟までも焼かれてしまったんだからね。あれを見ると、実際、どうすることも出来なかったのがよくわかるよ』

 『まァ、あんなものわざわざ見て行かなくっても好いだろうに・・・・』ふとこういう女の声が私のすぐ向こうでしたので、ひょいと私は顔を上げて見た。私はびっくりした。そこには黒焦げになった人間の頭ろが、まるで炭団でも積み重ねたかのように際限なく重なり合っているではないか。『あ、これだな!これが被服廠だな!』突差の間にも私はこう思った。

 とにかく当時の記録として、実際に震災を経験し、その惨状を眼のあたりした人達の言葉は生々しい。そこには写真では感じられないものがあるように思える。どうしようもない状況下で、ただただ逃げる。しかしその後の惨状を見れば半ば諦めの境地というか、そうなるべくしてそうなっただけのことだと、思うしかないのは、ある意味むなしい。

 それは人間は大切だ。それは言うも待たないことである。しかし、自然というものの大きな眼から見れば、人間も亦一つの生きたものである。火が来れば焼け、水が来れば溺れるのは、それはきまり切ったことである。それに対して自然は全く無関心である。従って被服廠跡の悲惨な光景も、自然に取っては何でもないのである。唯、焼けるものがあったから焼けただけのことである。

 何もかも壊れ、火災に遭い焼け果てたところに、地震でびくともしないものもあった。そこから田山花袋は世界に冠たる都市、東京の復興を思い巡る。

 私は丸の内ビルデングから東京駅の方へと行った。そこには依然としてもとの東京駅であった。びくともしなかった。壁すら一つ落ちていないようだった。私は一種の勇ましさを感ぜずにはいられなかった。《矢張本当に力を入れたものか、どうかということは、こういう非常の時にわかるんだ。本ものはびくともしないんだ。》こう私は口に出して言った。私はじっとして立ってそれを眺めた。
 私はつづいてこのあたりが、大東京の中心になる時代のことを頭に浮べた。この大破壊の結果として、今度こそは本当にこのあたりが立派なものになって行くのであろう。一方は日本橋に、一方は京橋に、更に他の一方は銀座へと接続して行くようになるだろう。その時こそ、始めて、外国の都会と比べて決して恥ずかしくないような都会の中心が出来るだろう。それこそ全く純粋な東京-江戸趣味などの少しも雑っていない純粋な東京が蜃気楼のようになって此処にあらわれて来るだろう。そうすれば、この大破壊も決して徒為ではなかったと言えるだろう。

しかし・・・、

 震災当時は東京の復興ということがかなり力強く言説され、その具合では、まるで違った東京-ロンドン、パリ、ベルリンなどをも凌駕するに足りるような大きな立派な東京があらわれて来そうに思われたが、現に、新聞にそのおりおりに載せられた図面などで見ては、こういう風に出来上れば、一国の首部として東京も立派なものだなど思われたが、次第にそうした計画は小さくなって、今では復興ということより復旧ということに重きを置かれるようになったので、以前の東京とはそう大して違わない東京が出来上って来そうになって来た。これは残念なことだった。

 思わず、「だろうな」と思った。日本人は大きな花火を上げるのは得意なのだけれど、いざ実行に移す段階で、利害関係などがからみ合い、当初の計画が尻つぼみになるは、昔も今も変わらない。おまけに、出歯亀根性丸出しの国民性がむくむくと頭をもたげて、あの悲惨な被服廠が観光地になっちゃところは、情けないものだ。話のネタとして行ってみないといけないということになってしまうのだ。田山花袋は次のように書いている。

 あの時から二十日乃至一ヶ月経った頃には、被服廠から、厩橋、吾妻橋の川に添ったあたり、サッポロビイルの横、枕橋附近、すべてあのトタン板を上に蔽って、ブスブスと死屍を焼く煙があたりに漲って、何とも形容の出来ない悪臭がそこを通る人に鼻を蔽わせたが、四十九日経った頃には、それがすっかり骨となって、被服廠では大きな礼拝堂が出来、花を売る人達が集り、一種東京の新名所というような形になった。一度は行って見なければ話の種にならないと言って、後には誰も彼も出かけた。初めはお前達が焼跡になんか行ったらそれこそどんな眼に逢わされるか知れないと言われた女子供まで出かけた。お詣りに行くとか、お線香を上げに行くとか言うのは、表面の理由で、皆なそれを見物に出かけたのであった。

 この年、いつもなら釣れない時期でも、ボラがいつまでも釣れたという。

 『どうも、矢張、その故じゃないでしょうかね?今年は餌が海の中に沢山あるので、それでいつまでも残っているのではないでしょうかね?』

 逃げ遅れ、川で溺死した人々の遺体がボラの餌となり、その数があまりにも多いものだから、ボラも本来深いところにもぐるどころじゃなくなるというのは、結構恐ろしい。それを思うと誰しも大漁を素直に喜べなかったという。


評価
★★★


書誌
書名:東京震災記
著者:田山 花袋
ISBN:9784390113960
出版社:社会思想社 (1991/08/30 出版)現代教養文庫
版型:288p / 15cm / A6判
販売価:入手不可

2009年09月14日

田中栞著『古本屋の女房』

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 著者が大学時代本屋でアルバイトをしていたときの、一般文芸書担当の人が偶然著者の実家に近くで古本屋を開業した。店名は“黄麦堂”という。以来黄麦堂は著者のお気に入りとなり、結局再婚するに至り、はれて古本屋の女房となった。この本はそんな“黄麦堂”の日々を、著者の育児と仕入れをつづったものである。

 どうやら著者の仕入れのラインアップは見ていると、“黄麦堂”はごく普通の街中にある古本屋さんのようである。つまり格式高い専門書を扱う古本屋さんではないようだ。だから売れ筋のコミック、ボーイズラブ(女性向けの小説や漫画で10代の少年、特に美少年の同士の間での恋愛もの、いわゆるホモもの)ハーレクイーン、フランス書院文庫(エロ小説)、時代小説などが仕入れる本として必ず書かれる。と言うことはこの手の本を簡単に仕入れるにはブックオフがもってこいなのである。だから全国各地仕入れ先に必ずブックオフが登場する。そこでセドリを行うわけだ。
 セドリとは古本屋さんが他の古本屋さんで自分のところで売る本を買い入れることである。古本屋さんが古本屋さんで本を買うわけだから、いわゆる社員割引なみたいなあるかというか、そんなものは一切ない。売値で買ってくるのである。できるだけ安いやつを見つけてきて、それに自分のところの利益を乗っけて、売るのである。
 この本は著者が何かの用で全国各地を訪れるとき、ついでに自分の欲しい本と店用の仕入れを「趣味と実益」を兼ねた古本屋行脚である。それを面白くしているのは著者が二人の子供を連れて、古本屋巡りをすることである。それがこの本の特色かと思う。ベビーカーを押しながら、むずがる子供なだめ、仕入れをする光景など、そうそうないだろうから、それがかえって珍しいく、面白い。子供連れだとトイレの問題がある。ところかまわず、「おしっこ」、「うんち」となる。だいたい古本屋さんにはお客用のトイレなどないのが普通である。だからわざわざ断ってトイレをかりるはめになる。またブックオフに頻繁に行くものだから、子供の方が、「本を売るならブックオフ♪」という歌を覚えてしまい、鼻歌にしてしまうくらいなのだ。
 しかしこのセドリは古本屋には嫌がれるという。だっていくら売値で売れても、下手をすれば売れ筋商品をごそっと持って行かれる可能性も充分ある。それはブックオフでも同じ。だからあからさまに大量に本を買うと、同業者だなということがわかり、「ご遠慮願いませんか」と言われるという。で、仕方がないので大きくなった娘さんを使って、仕入れをさせるという。
 しかし知らなかったなぁ。ブックオフにもゴールド会員のカードがあるなんて・・・。この本によると、これはブックオフで5万円以上買わないともらえないものらしい。このカードを娘さんが持って、本を買うというのには笑ってしまった。

 この本がほのぼのと感じさせるのは著者のイラストである。子供たちが古本屋さんにいるときの姿がかわいらしく描かれている。なかなかうまいものである。
 しかしこの“黄麦堂”の商品のために、著者の全国古本屋での仕入れ模様を読んでいると、特にその仕入れ内容を見ると、この古本屋の危うさを感じる。大丈夫なんだろうかと思ってしまい、そして最後に“やっぱりな”となってしまう。だいたいその仕入れがブックオフを頼りにするところは、どうしても不安を感じる。
 昔、インターネットで古本屋さんを始めた人の本を読んだことがあるが、ネット販売だから店舗を持つ必要がない。必要なのは警察に古物商の届を出すぐらい。後はどうやって仕入をするかである。それをこの人は各地のブックオフで仕入をし、自分のところの商品としてアップするのである。確か簡単な損益計算書みたいなものが掲載してあって、それを見るとせいぜい“小遣い稼ぎ”程度の利益しかなかったはずだ。
 もちろんこの“黄麦堂”は古本屋として店舗を構えているれっきとした古本屋さんだから、小遣い稼ぎとはわけが違うだろうが、ブックオフでのセドリに頼るところは、やっぱりまずいんじゃないかなと思わせる。
 さらにそのセドリを奥さんにやらせるところは、どうなんだろうと思う。旦那の方は他の仕事があって、そうした仕入ができない事情があるのだろうが、なんか奥さんの方がたくましく生きていて、旦那の方はそれに頼っている感じがしてしまう。
 実際問題、売上が低迷して、生活費さえ家に入れられない状態に陥るし、店をたたむときの旦那の対応は、まさに世間ズレしていない、浮世離れしたところがある。いいように業者にお金をふんだくられる。最後は結局こうなるのかと思いつつ、この本は終わる。
  結局“黄麦堂”はインターネット専門の絶版文庫販売の古本屋さんになっている。これだって余計なことかもしれないけれど、このご旦那にやらせているといつまで続くのかなと思ってしまう。ここでも単に本好きと商売とは違うということを思い知らされる。

 本自体、装幀も凝っているし、イラストもいいと書いた。また著者が校正のテクニック持っているので、その道の多くの人にこの本の校正を手伝ってもらっているようで、かなり手間暇かかっているらしい。が、その割には内容のてんまつが貧弱だったのは寂しい限りだ。


評価
★★


書誌
書名:古本屋の女房
著者:田中 栞
ISBN:9784582832426
出版社:平凡社 (2004/11/04 出版)
版型:217p / 19cm / B6判
販売価:1,575円(税込)

2009年05月06日

津村節子著『ふたり旅』

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 津村さんは吉村昭さんの奥様である。この本は津村さんの自伝的エッセイで、津村さんの生い立ちを語るうちに、吉村昭さんとの出会いや、一緒に作家を目指して、同人雑誌に参加し文芸活動をしたこと。あるいは吉村さんの弟さんの口添えで結婚に至ったことも書かれているし、まだ無名時代二人の苦しい下積み生活も語られる。これらは女性の目で、時には主婦の目で「吉村昭」を語ることになる。たぶん吉村さんが生きておられたら書かれることはなかったかもしれない作家吉村昭の生活臭がここにはある。もっともそれが知りたくてこの本を手にしたのだから、それはそれでいい。
 ところで吉村夫妻は、奥様の津村節子さんの方が芥川賞を受賞し、吉村さんは四度芥川賞の候補となるがいずれもだめで、結局芥川賞はとられていない。そして吉村昭さんを世に出したのは「太宰治賞」受賞がきっかけである。この点が何で「太宰治賞」なんだったんだろうと思っていた。しかしそれにはちゃんと訳があったようだ。吉村さんにとってみれば、芥川賞は新人賞だから四回以上も候補になっていればもはや新人じゃないと考えられていたらしく、そこで筑摩書房の懸賞に自らの作品二作を応募し、いずれも「太宰治賞」の候補となり、うち一作『星への旅』が受賞した経緯らしい。
 しかし戦争、そして終戦の混乱時代、作家ととして夫婦として津村さんと吉村さんは二人して歩いてこられた。その道のりは作品を書くだけでは生きていけない厳しい生活環境の下で、それでも文学の道を進むことだけを、それだけを目指していた半ば狂気化した生活は、ある意味すさまじい。生きることと文学が濃厚に結びついた世界がここにはある。文学というのはこうした世界で生まれるものなのかとさえ思った。津村さんは次のように書かれる。

 「夫婦とも小説を書くことに死物狂いだったあの頃。現在の文学の世界から思えば特殊な時代だったのだろう。そしてよく二人ともその時代を生きのびて来られたと思わずにいられない」

 それでも奥様の津村節子さんの方が芥川賞受賞と先に全国区でデビューしてしまい、吉村さんは何度も候補に挙がるけれどその都度落選。奥様の津村さんは作家として夫の吉村昭を尊敬しつつ、それでもなかなか世に出られない吉村さんを気遣う優しさこの本のあっちこっちで窺えた。
 しかし思うのだけれど作家吉村昭の“こだわり”はこうした苦労の中で、時には自分を見失うこともあっただろうけど、こういう苦しい下積み生活があったからこそ、生まれたものじゃないかと感じた。吉村さんの作品をまだそれほど読んでいないけれど、私は随筆で見られる舞台裏の取材風景を読むと、その一途さがひしひしと感じる。だから読んでみたいと思うのだけれど、そうした姿勢は吉村さんがこういう時代に生きてこられたことによるんじゃないかと思う。

 ところでこの本には敗戦で日本の指導者、軍人、知識人がいかに豹変し、その無節操ぶりが描かれていて、いささか嫌になるところがある。このことは確か吉村昭さんも随筆で書かれていたし、他の作家さんも似たようなことを書かれていたことを思い出す。

 東久邇宮首相が記者会見で、
『私は軍官民、国民全体が反省し懺悔しなければならぬと思ふ、全国民総懺悔をすることがわが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩と信じる』
 という談話が発表されたときことを私は覚えている。なぜわれわれ国民が懺悔しなければならないのだろう。私たちは月に一日だけ電休日以外、朝八時から残業して毎夜十時まで働き通し働き、牛馬の飼料のような芋がらや麬を食べ、大東亜共栄圏のため、東洋平和のための聖戦と信じて銃後を守って来たのだ。神風特攻隊や神潮特攻隊で、自ら爆弾となって死んでいった若者たちや、沖縄で重要な戦力となって死んでいった中学生や女学生も、懺悔せよというのであろうか。
 
 あるいは下宿していた少佐が軍服のままじゃ郷里に帰れないからと言うから伯父さんが一番いい背広を貸したが、そのままいつまでも返ってこないとか。佐官級の軍人たちは国民が物不足でいるのに、毎日士官学校から毛布や食料品運び出していた。
 敗色が濃くなってからも、新聞やラジオは赫赫たる戦果を報じ、有識人たちは、このいくさは東洋平和のための聖戦だと言っていたのに、臆面もなく侵略戦争だった、とまるでカメレオンのように保身のため色を変えた。
 米軍基地で働く男たちは米兵から煙草やウィスキーを買っては横流しをする。

 確かに彼らも生きるためには仕方がなかったと言ってしまえばそれまでだが、この豹変ぶり付き合わされた一般民衆はたまったもんじゃない。そして津村さんも生活のために米軍基地の米兵のためのお店で働いた以上、彼らを非難できようかというのである。生きるということがそれだけでその人の精神さえも平気で変貌させるものだと改めて思い知る。


評価
★★


書誌
書名:ふたり旅―生きてきた証しとして
著者:津村 節子
ISBN:9784000246422
出版社:岩波書店 (2008/07/25 出版)
版型:253p / 19cm / B6判
販売価:1,995円(税込)

2008年11月20日

栃折久美子著『モロッコ革の本』

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 この本はB6版のソフトカバーの本だ。いつも使っているブックカバーじゃ大きいので、新刊書店で買ったときにつけてもらったカバーを取ってあるので、適当に見つくろって、カバーをかける。しかしうまくかけられなくなってきている自分を思い愕然とする。
 私はカバーをかける場合、昔やっていたように、きちんと本のサイズにはさみを入れて折り込み、カバーがずれないようにテープで織り込み部分をとめる。その折り込みがきれいに出来なくなっている。それが出来ないと、きれいに本とカバーが合わなくなってしまい、折り込んだ部分が浮き上がったりしてしまうので、見てくれが悪い。
 どうでもいいことと思われるかもしれないが、そこは私のこだわりでもあるし、昔書店員時代きれいにカバーをかけてお客様に渡すものだ教え込まれてきたから、どうしてもこだわってしまう。
 初めて書店でアルバイトをはじめたとき、まずはこのカバーがけを教わった。教えてくれる先輩のようにきれいにカバーがなかなかかけられないでいた。だから家に帰って、新聞のチラシを使って、カバーがけの練習を何度もしたものだ。
 話はこの本と関係なく進みそうだけど、カバーがけの話のついでに、爪のことも書く。
 つい最近まで私は自分の爪を切るとき、絶対に深爪はしないようにしていた。変な言い方かもしれないけれど、多少爪を残して切った。なぜなら深爪をしてしまうと、本にカバーをかけるとき、きちんと折り込みのすじがつけられないのと、紙で指先を切ってしまうからだ。しかし、最近は多分普通の人が爪を切るように、切るようになった。爪切りにこだわる必要性がなくなったからだ。
 カバーがきれいにかけられなくなったのも、毎日カバーがけをしていた昔とは違うし、最近は市販のブックカバーをさっとかけてしまうから、要はカバーがけが鈍ってしまったのだろう。

 本棚の整理をしていたら懐かしいこの本が出てきた。何となく読みたくなり手にする。この本は大学時代友人に“いい本だよ”と勧められて読んだ。確かに読んでみて“いい本”だったと当時は思った。
 しかし今読み返してみると、それほどでもないかと思っている。
 あのときこの本が“いい本”だと感じたのは、著者が女性一人でブリュッセルでルリユール(製本)を学びに行き、言葉の不自由さの中で、何か生きることの手がかりを模索している姿が、当時自分たちがこれからどう生きていけばいいのか考えあぐね、不安の中にいたことが、この本をして“いい本”と感じたのではないかと思うのだ。たまたまここに書かれた著者の立場と自分たちがいた立場が妙に一致していたのだ。
 でも、あれから三十年近く経ってしまった現在、生きることの手がかりなどさがす前に、とにかく生きなきゃならないとしてここまで来てしまったから、今更生きることの手がかりを模索している姿を読んでも、感動もわかないのは当たり前のような気がする。多分昔読んだ本で感動した本を読み返したなら、こんなことは頻繁に起こるに違いない。
 いい本がいい本じゃなくなっていくというのは、一抹の寂しさがある。それこそ本のカバーがうまくかけられない寂しさと、私の中で一致する。
 正直読み返さなきゃよかったかもしれないと思った。昔よかった本は自分の記憶の中で“いい本”として残っていればそれでいいのかもしれない。

 栃折さんが何故、ブリュッセルでルリユールを学びに来たかというと、まず、栃折さんが話せる外国語がフランス語しかなかったこと。そのルリユールはドイツ流、イギリス流、フランス流といくつかの流れがあるうち、フランスのルリユールはとりわけ繊細で、文学書の装幀を主にして深められてきたことに心が引かれていたこと。そしてベルギーがその流れをついで、古い伝統工芸の技術がよく保存されていることで、ブリュッセルでルリユールを学ぼうとしたと書かれている。
 「ここに来る前は、製本家になるつもりは少しもありませんでした。ブック・デザインの仕事をもう少し正確にできるようになりたいと思い、洋本というものの正統的な先祖に会いに来たつもりだったのです」と初期の動機をそう語る。


 「これは昨夜ケースを仕上げたところなんだ」
 本のケースを、大きすぎず、かといって振っても出てこないなどということがないようにつくることが、どんなにむずかしいか。一点制作のルリユールよりはるかに許容範囲の広い量産本の場合でも、ちょうどいい大きさのケースはめったに見られないほどだ。これまでしてきたブック・デザインの仕事を通して、このことは身をもって知っている。
 先生がケースの背を下にして机の上に立て、口元に本を持って行って手を放すと、本は何秒かかかって静かに入ってゆき、最後にことりと音を立ててケースの中に収まった。それを手に持つと、斜めに傾けるだけで本が出て来る。その仕事の厳密さ、精度に私は驚嘆した

 先生ののものはそれとはちがって、表紙には何の装飾もなかった。特有の美しいしぼのあるモロッコ革の生地そのままのシンプルなものだったが、それだけに技術そのものが生きる。ごまかしがきかない。
 それは、動きのよい人間の手以外のものがつくれる筈のないものでありながら、そこにつくり手がいたことを忘れさせてしまうほど、自然なものに見えた。たとえば一個の果物、一輪の花のように、何でもなくただ一冊の本であった


 このように精巧にしかもさりげなく装幀された本やケースを見たとき、栃折さんは居間の肘掛け椅子の上に膝を抱えて座り、何もする気になれなくなった。


 知らなかったんだ。私は。自分がこの街へ何をしに来たのかということ。なぜ私が今ここにいるかということを。


 甘い気持でブリュッセルまできて、本物を見せられたときに衝撃はきっと堪えただろうなと思う。その衝撃を感じたとき栃折さんは何をすべきか悟ったのだろう。だから「ここにくるために今まで生きてきたような気がする。長いことかかったけれど、遠廻りをしたとは思わない」と感じられたのではないだろうか。
 最近何でもまがいものばかり見せられているから、本物の良さがわからなくなっている気がする。それで済んじゃっているところが恐ろしいと思ってしまう。もちろん知らなければ知らないでもいいのかもしれないけれど、やっぱり本物の良さ、伝統に基づいた作品などは、現代の人々が作り上げるものとは、きっとどこかつがうはずだと思いたい。そんなもにを目で見て、感じ、その技術を習得していけるのは、ある意味うらやましい。


評価
★★★


書誌
書名:モロッコ革の本
著者:栃折 久美子
ISBN:
出版社:筑摩書房 (1981/04 出版)
版型:206p / 19cm / B6判
販売価:入手不可

2008年11月12日

司馬遼太郎著『司馬遼太郎が考えたこと』2

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 続いてこのシリーズの二巻目を読む。面白いもので、確かにこうしてまとめられた司馬さんのエッセイを読んでいると“司馬遼太郎が考えたこと”が生き生き伝わってくる。それはいわゆる司馬さんの歴史観だけでなく、私生活の一部も描かれていて、結構興味深く読ませてもらった。しかももうこの頃の文章になると、私が知っている司馬さんの文章で、わかりやすく、初期の文章のような堅苦しさもない。
 さてまずは司馬さんの歴史観で面白いと思ったことを三つあげる。一つは「歴史を変えた黄金の城」というエッセイで大阪城をテーマにしたものである。
 大阪冬の陣で大阪方は秀吉恩顧の大名に応援を求めたが、ほとんどの大名は来なかった。が、牢人は来た。関ヶ原で敗北したために主家を失った武士が生活に困窮し、変の起こるのを待っていた。その大半が大阪城に馳せ参じた。司馬さんはこの決戦を「徳川、豊臣の政権争奪戦という性格のほかに、サラリーマン対失業者の決戦であった。これほどおもしろい性格をもった合戦は、世界史上類をみない」と書く。
 そして時代は徳川末期の鳥羽伏見の戦いに至る。この戦いで将軍慶喜が大阪城にいたが城を抜け出した。それを司馬さんは「大阪城をとって天下を得た徳川氏は、大阪城をすてて天下をうしなった」という。そこから司馬さんは大阪城を「信長以来、つねにあたらしい権力者の目標となり、史上数度もその総攻撃の前にさらされた。しかも、武力によって陥ちたことは一度もなく、つねに政治情勢の変化のために前時代の主権者は、この城を、出ざるをえなかった。この城が開城するとき、日本史はそのつど、つねに一変した。ふしぎな城ではないか」と書くのである。思わず“なるほど言われみれば確かにそうだ”と思ってしまった。
 もう一つは関ヶ原の合戦で、なぜ秀吉子飼いである福島正則、加藤清正、浅野長政らは家康についたのかということである。これは先の巻でも書いたことだけど、こっちの方がより現実的わかりやすかった。曰く「かれらは、感傷としては豊臣への恩義を思っているが、現実では数十万石の大大名である。家来も多い。もし政治的に失敗すれば、多数の家来を路頭に迷わさなければならない。一片の感傷で自分の処世を決するわけにはいかなかったのである。家の保存のためには、何よりも安心なのは徳川家康につくことであった」と。これが現実である。大義名分は美化されやすいけど、それだけじゃ生きてはいけない。いつの時代でも現実無視の行動はただの無茶で、そうした現実を保障する力をもっていた家康が勝つべくして勝ったということなのだろう。
 最後に司馬さんは次のように言っている。「ある種の宗教的ふんい気をもった英雄がいます。たとえば関羽、八幡太郎義家、楠木正成、上杉謙信、西郷隆盛など、もしこういう人達を主人として選んで、しかもその人物に魅力を感じてしまったばあい、人は多く命をすててしまいます」と。司馬さんの歴史小説を読んでいるとこのことがひしひし感じられるので、これもそうかもしれないなと思った。ただ幸か不幸か現代はそういう英雄がいない時代なので、本の中でしか感じられないのだけれど。

 この本には司馬さんの小説の題材がどう選ばれるのか、その小説作法がいくつか書かれている。それをいくつかピックアップして書いておきたいが、その前になぜ司馬さんが“司馬遼太郎”と名乗るようになったのか、その経緯が書かれている文章があったのでまずはそのことを書いておきたい。
 司馬さんが懸賞小説を書いたとき、ペンネームが必要となった。ちょうどその時司馬さんは司馬遷の「史記」を読んでいられた。司馬さんは史記こそ世界最大の文学と信じていたから、司馬遷の姓を借りた。名を遼とした。それは司馬ヨリモ遼(ハルカニトオシ)としゃれたらしい。しかし司馬遼では国籍を間違えられると思い、太郎をつけたという。
 その“司馬遼太郎”という名前が気に入っているかといえば、必ずしもそうでもないらしいが、名前は符丁のようなものだと悟りきっている。ただ「このフチョウに慣れてしまうと、不意に本名でよばれたりしたとき、ふりむかないことがある。本名ではもはや反応力がにぶくなっている。この本名には私は入学試験に失敗したり、兵隊にとられたり、いまでも税金をとられたりして、ずいぶん厄介をかけているのだが」と自分の本名よりもペンネームの方が世間でも自分の中でも一人歩きしていることを書いておられる。
さて司馬さんが何故歴史小説や時代小説を書かれるかである。司馬さんはまず次のように言う。「ある人間が死ぬ。時間がたつ。時間がたてばたつほど、高い視点からその人物と人生を鳥瞰することができる。いわゆる歴史小説を書くおもしろさはそこにある」と。そして「時代小説というのは、一にも二にも男の魅力、悲しさ、おかしみをえがく小説だが、私自身、そういう理由こえて、男を見物するのがかぎりなく楽しい」とも言う。
 なぜ人生を完了した男がおもしろいか。それを「すこし語弊のある言い方がゆるされるとすれば、女性は、その人生の進行中にとらえるほうがおもしろく、男性はその人生が終了してから彼をながめるほうがおもしろい」と説明するのである。
 ただ誰でも男であればいいというわけじゃない。作家として男の魅力を感じさせる男でなければならないのである。その舞台となるのが歴史の中であり、その中で男の魅力をプンプンさせる男(肉体美ではない)でなければならない。それを司馬さんは「男という生きものが、その特質のもっともおもしろい部分を発揮するときは、かれが野望に燃えたときだ。権力慾、栄達慾、求道慾、復讐慾、攻撃慾に燃えたときである。その行動がきわめてダイナミックになり、美しさも醜さもいきいきと出てくる。こういう男をえがくためにはやはりこんにちの舞台ではまずい。一時代前の「歴史」を舞台にしなければ大きく動いてくれないのである。
 しかも、変動期でなければならない。戦国時代とか、幕末とか、そういう舞台がいい。そういう時代こそ、男のアクをふんだんにもった男が時代の主流に出てくるわけで泰平の世ではだめである」と説明する。
 なるほどと思う。しかし野望や権力慾、栄達慾、求道慾、復讐慾、攻撃慾だけではダメなのだ。そこには面白くかつ美しくなければならない。だから司馬さんは坂本龍馬や西郷隆盛などは描くけど、例えば山県有朋は絶対に書かないだろうと思うのだ。山県には“美しさ”がないからだ。
 そうして選ばれた主人公はすべて魅力的なのである。司馬さんが「文学のはたらきのなかで、もっとも大きな光栄の一つは、人間の典型をつくることである」と言っているが、司馬文学の主人公は、それぞれ人間の典型を表現したと思う。


評価
★★★


書誌
書名:司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10
著者:司馬 遼太郎
ISBN:9784106467028
出版社:新潮社 (2001/11/15 出版)
版型:407p / 19cm / B6判
販売価:1,890円 (税込)

2008年06月23日

角田光代・岡崎武志著『古本道場』

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 この本単行本の時も気になっていた本であった。それが今回ポプラ社が文庫本を創刊することになり、第二弾としてこの本がラインアップされた。早速購入する。ポプラ社が文庫を創刊することに関しては、少々期待している。ポプラ社はいい本を資産としてもっているのだから、今風のネットで話題になっているものなど文庫化するより、もっているいい本をどどんどん文庫化して欲しいなと思う。

 さて、この本は師匠役の岡崎武志さんが弟子として作家の角田光代さんに場所を指定して、特色のある古本屋さんで指令の通り本を探させる。そして角田さんが古本屋さんで感じた疑問の答えや購入してきた本の解説を岡崎さんがしてくれるというもの。
 訪ねる古本屋さんは最初は神保町で、次に代官山・渋谷、さらに東京駅、銀座、早稲田、青山・田園調布、西荻窪、鎌倉、そして再び神保町に戻る。
 私はまずはビジネス街の東京駅地下街に古本屋さんがあること自体驚いた。それと地べたの高い銀座にも古本屋さんがあることも。 そういう町で古本屋巡りするにあたり、岡崎さんは「最短距離を、迷わず行きつくことが要求されるのはビジネスの世界。古本屋巡りは元来、資本主義の原理とも経済効率とも無縁だからな。見知った町を迷宮に変えてしまう。これこそが古本の力なり」といい、お店を探すのに迷うことも古本屋巡りの醍醐味の一つであると教える。
 角田さんの古本に寄せる文章もいい。まずは古本屋さんの百円均一の棚について書かれたものから。「百円棚は、やっぱり『用無し』本が圧倒的に多いのだ。とうに文庫になった単行本とかさ。時代に置いていかれた本というか、あるいは時代には切実に求められていたのだが、それ故に、時代が変わるとまったく用無しになってしまうもの。百円棚にあるのはそういうものだ」と書く。だから百円均一の棚にある本は「時代の置きみやげ」、「だれかの成長の軌跡」だというのはうまい言い方だな感じた。
 あるいは店内にある本から「そうなのだ、店内を歩いていると、だれかの生活に触れているような錯覚を抱く。この膨大な本をそれぞれ所有していた人たちの、本を読むという、ゆたかな時間の切れ端が、そこここにちりばめられているみたいだ」と表現する。
 あるいは古本屋さんの店内を「高田馬場に向かいながら、今日一日見せていただいたお店の前を通りすぎる。どこも戸を開け放ち、現実と微妙にずれた静寂の時間が、その向こうに広がっている」と表現する。

 そうなのだ。古本屋さんを巡って歩くときいつも感じるのは、せわしい日常を忘れさせてくれ、ふと立ち止まって、昔読んだ本のことを思い出させてくれるし、あるいは好きな作家の知らなかった本を教えてくれることだ。だから、読んだ本でも、もう一度読んでみようかなと思ったり、古い単行本そのものに、新しい発見をして、驚いたりする。それが楽しいのだ。
 また角田さんが書かれているように、ここにある本は以前の持ち主の切れ端でもあるし、あるいは時代の証言者でもある。だから新刊とは違う付加価値を、好むと好まざるに関わらず、もっている。それを探るのも楽しい。それを感じるだけで、自分の豊かな時間を過ごせるような気がするのである。私は何年か古本屋巡りをするに当たり、そうした雰囲気を味わってきた。それがたまらなく幸せ気分であった。だから角田さんがこのように言うのがうなずけちゃうのだ。

 角田さんが早稲田の古本屋さんで、「なんだなんだ、この感じ・・・。しかしなんだかわからない。奇妙な胸騒ぎを抑えつつ棚に目を這わせると、あああっ!すごいものを見つけてしまった」と開高健さんのサイン本を見つける。値段が2,500円だったという。これを読んだとき、えっ!いいなぁ!と素直にうらやましく思った。こういうこともあるんですね。師匠の岡崎さんも「やられたな」と嫉妬したくらいだ。岡崎さんも開高さんのサイン本はもっていないらしい。もちろん私もだが・・・。
 その開高さんの古い本、たとえば芥川賞受賞作品の『裸の王様』は“文藝春秋新社”から出版されている。私はこの“文藝春秋新社”って何だろうとかねがね思っていた。
 たとえば現在“河出書房新社”という出版社がある。この出版社は河出書房が倒産して、再度立ち上げたので“河出書房新社”と名乗って、現在に至っている。ところが文藝春秋は現在“文藝春秋新社”ではなくて、“文藝春秋”である。どういう経緯があるのだろうか?角田さんもこのことを疑問に思っていて、それを岡崎さんが答えてくれている。それを読んで長年の疑問が解けたので、書き置いておこうと思う。
 『文藝春秋』は当初菊池寛が私費を投じて創刊した雑誌であった。社名は“文藝春秋社”である。ところが戦後出版および用紙割り当ての実権を握っていたのはGHQで、雑誌が出せなくなってしまった。昭和二十一年、四,五月合併号の発行をもって文藝春秋社は解散する。しかし佐々木茂索を社長に、雑誌『文藝春秋』を引き継いで発行される。その際社名を“文藝春秋新社”とした。この社名は昭和四十一年四月号から社名変更として“文藝春秋”になるまで続いた。だから昭和二十一年から約二十年間に刊行された出版物に“文藝春秋新社”発行と書かれている。ということらしい。なるほどね。

 こうして古本屋さんの本を読んでいると、まだ行っていない古本屋さん、特に中央線沿線に興味が行く。時間があれば行きたいものだ。


評価
★★★


書誌
書名:古本道場
著者:角田 光代・岡崎 武志
ISBN:9784591103494 (4591103498)
出版社:ポプラ社 (2008-06-05出版) ポプラ文庫
版型:279p 15cm(A6)
販売価:588円(税込) (本体価:560円)

2008年05月07日

高野和明著『13階段』

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 樹原亮介はガードレールにバイクをぶつけ、バイクは大破し、樹原も大けがをした。それを発見した宇津木啓介夫婦は、警察に連絡するために実家に戻る。そこでは啓介の両親が頭を割られ死んでいた。その死体は犯人との格闘のためか、腕は筋肉組織一本を残しぶら下がったまま、指は全部飛散し、眼球が飛び出した、悲惨な状態であった。
 樹原亮介は保護観察処分を受けており、樹原の保護司は宇津木啓介の父親耕平であった。病院に運ばれた樹原は宇津木耕平のキャッシュカードをもっており、衣服からは被害者の血痕が検出された。樹原は宇津木耕平夫婦殺害容疑で逮捕された。
 樹原は事故の衝撃で犯行時刻の記憶を喪失していた。そのため犯行当時の記憶がなく、改悛の情で裁判官に減刑の意思表示ができず、逆に反省の色がないということで、一審で死刑が言い渡され、二審で控訴棄却、最高裁でも上告棄却となり、樹原の死刑が確定した。
 松山刑務所の刑務官南郷正二と、傷害致死で二年の刑を終えた三上純一は、樹原が冤罪の可能性があるという調査依頼を受けて、事件を調べ始める。しかも樹原の死刑執行はまもなく行われる可能性があり、時間との戦いであった。手掛かりは、死刑囚の脳裏にわずかに甦った「階段」の記憶しかない。

 この本は先に読んだ阿刀田さんのエッセイに紹介されていたものである。話の内容はこれ以上書くとネタ晴らしになってしまうので書かないが、それよりもこの本の醍醐味は、死刑がいかに執行されるかが詳しく書かれていることである。そのことが樹原が冤罪事件に巻き込まれ、死刑に処される怖さを読む側に与え、さらにタイムリミットが近いことが、恐怖を醸し出していく。
 13階段とは死刑台に上る階段のことかなと思ったのだが、そうではなく、死刑確定囚が実際死刑に処されるための手続きが13段階あることを言っている。
 この本によると、日本では現在、目隠しされた死刑囚の首に縄がかけられた直後、床が二つに割れて地下に落下する「地下絞架式」で処刑されるらしい。さらに死刑囚がいるのは、刑務所ではなくて、拘置所なんだそうだ。というのも、彼らは死刑になって初めて刑を執行されることになるので、それまでは未決囚として拘置所に収監されているという。
 死刑が実行されるとき、その刑を執行する刑務官の選定が行われる。選考基準は職務執行が特に優秀で、本人はもちろん家族にも持病がない者。妻が妊娠中でない者。喪中でない者とあるらしい。そしてこれらの基準を満たした七名の刑務官が、死刑執行前にリハーサルをする。たとえば、落下したとき、死刑囚の足が床から三十センチの高さに来るように調整したりして、実際に刑務官を死刑囚に見立てて行う。床を割るためのスイッチであるボタンは三つあり、三人の刑務官が同時にボタンを押す。三つのボタンのうち一つが本物スイッチなのだが、それが三つのうちどれかはわからないようになっているらしい。
 死刑が執行された死刑囚は、まず心肺停止を確認され、その後五分間縄にぶら下がった状態にしておかれるらしい。

 ところで最近は死刑廃止の是非がとやかく言われているが、国際的動向に比べ、日本では死刑存続を是と考えている国民が大半だというところがある。それは被害者の心情を思うことから来る同情から、または、死刑が凶悪犯罪の抑止力となるというところからくるものだろう。実を言えば私もその考えに与している。しかし、被害者の家族でない者が、簡単に死刑と叫んでいいのだろうかとこの本を読んで思ったのだ。というのも、仕事として死刑を求刑しなければならない検事や、南郷のような実際に生身の人間を殺さなければならない立場の人間の苦しみを知ったからである。死刑は誰かが執行しなければできないものなのだということを改めて知らされた。 死刑囚がお呼びがかかって、その瞬間、慟哭し、嘔吐する場面がこの本では書かれているけれど、それは自分が招いたことだから、そうした恐怖を味わうのは当然のこととしても、たとえば罪を憎む検事や刑務官が自分の仕事を粛々とこなして、死刑囚を処刑するのだと簡単に言えないことを知る。
 特に実際に刑を執行する刑務官にとって、その精神的苦悩はものすごいものだとこの本で知った。生涯癒やされぬ深手を心に負う。また世間にも自分が刑の執行者と言えない、苦しみや後ろめたさをいつも感じながら生きていくことになる。そしてその家族もやはり人様に言えない苦しみを背負いながら生きることを強いる。だから南郷が「どうしてあんな馬鹿どもが、次から次へと出てくるんだろうな?あんな奴らがいなくなれば、制度があろうがなかろうが、死刑は行われなくなるんだ。死刑制度を維持しているのは、国民でも国家でもなく、他人を殺しまくる犯罪者自身なんだ」という言葉はかなり重みがある。

 この作品は第四十七回江戸川乱歩賞作品であるが、さすが江戸川乱歩賞作品である。ミステリーとしてのおもしろさと、死刑という制度が我々が簡単に見ているところがあることを戒めてもくれ、この制度を維持していく人たちの苦しみも教えてくれた。


評価
★★★★


書誌
書名:13階段
著者:高野 和明
ISBN:9784062748384 (406274838X)
出版社:講談社 (2004-08-15出版) 講談社文庫
版型:383p 15cm(A6)
販売価:680円(税込) (本体価:648円)

2008年01月12日

ギャヴィン・デ・ビーア著『アルプスを越えた象』

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 この本は先に読んだ阿刀田さんエッセイで知った。さっそく手に入れ読んでみた。この本について感想を述べる前に、私にとっても復習の意味で、ポエニ戦争の歴史的背景を簡単に押さえておく。
 ポエニ戦争とはローマ人とフェニキア人のカルタゴと、地中海の覇権をめぐって三回に分けて戦われた戦争である。

第一次ポエニ戦争(紀元前264年 - 紀元前241年)
 当時、シチリア島は西半分をカルタゴが押さえ、東半分がギリシア人勢力の押さえていた。ここでの小競り合いから、ローマとカルタゴが地中海の覇権をめぐって23年間にわたって争うこととなる。
 陸上ではローマ軍が優勢であったが、如何せん当時のローマ軍は海軍を持っていなかったため、カルタゴの補給線を絶つ事ができなかった。ローマはギリシア移民の多い同盟諸国から軍船を供出してもらい、更に「カラス」とよばれる桟橋を用いて敵の船に乗り込む戦術によって海戦を歩兵同士の戦いに変え、カルタゴ海軍を撃破する。
この第一次ポエニ戦争の結果はローマの勝利となり、ローマはカルタゴに厳しい講和条項と多額の賠償金を課した。またローマはカルタゴに代わって地中海を支配する国になった。

第二次ポエニ戦争(紀元前219年 - 紀元前201年)
 いわゆるハンニバルによるローマ侵攻である。ハンニバルは諸部族をまとめて軍隊を養成。5万の兵と37頭の象を連れ、アルプス山脈を越えてイタリアへ進軍し、第二次ポエニ戦争が開戦する。イタリア半島各地でローマ軍を撃破し、紀元前216年のカンネーの戦いではローマを完敗させたもののすぐにローマ攻略へは向かわず、一進一退の膠着状態が続いた。その後ハンニバルはスキピオ・アフリカヌスにザマの戦い(紀元前202年)で敗れ、第二次ポエニ戦争はカルタゴの敗北に終わった。

第三次ポエニ戦争(紀元前149年 - 紀元前146年)
 カルタゴは二度の戦争で領土の大半を失ったにもかかわらず、ローマへの高額の賠償金を繰り上げて完済した。その驚くべき経済力と復興力はローマにとって脅威であった。ローマ内では大カトーを始め、ローマへの将来の禍根を断つ為、いつかカルタゴを徹底的に破壊すべき、という意見が増え始めた。そして大カトーの主張が通り小スキピオによるカルタゴを完全に滅ぼし、ローマ軍は住民のほとんどを殺すか奴隷にした。さらに土地を塩でまき、不毛の土地にしてしまった。

 以上がポエニ戦争の概略である。そしてこの本は第二次ポエニ戦争で、ハンニバルがアルプス越えをどのようなルートで越えていったかを考察した本である。


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 だいたいハンニバルが象をつれてアルプスを越える奇襲作戦は知ってはいたが、そのルートはどこだったのかなんて考えたこともなかったし、そんなことなどもうわかっているものだと思った。しかしそのアルプス越えのルートは今もって確実なルートは解明されていないという。その理由が、残っていただろうハンニバルのアルプス越えの記録がなくなってしまっていることによる。
 訳者のあとがきによると、ヨーロッパの人々はハンニバルに強い関心を今でも持っているらしく、ハンニバルが象を連れてどのルートでアルプス越えをし、ローマにたどり着いたのかというのを、日本で邪馬台国がどこにあったのかとか義経の墓探しに夢中になるようなところと同じだという。
 この本の著者はその後の歴史家ポリュビオスとリウィウスらが彼ら以前に残っていた歴史の記録から彼らが残した歴史書を元にしている。それらと他の歴史家が残した歴史書と比較しながら、気象学的、地形学的要素を取り入れて、ハンニバルのアルプス越えのルートを探っていく。
 ところでこの本の著者の経歴が気になる。いったいギャヴィン・デ・ビーアという人物はどうな人物だったのだろうか。ギャヴィン・デ・ビーアはイギリスの生物学者で発生学の大家で、大英博物館(自然史)の館長を務めた人である。つまり純粋な歴史家ではないようだ。在野の著者がハンニバルのアルプス越えを解明するのは、やはりハンニバルのアルプス越えがヨーロッパの人々にかなりの関心があることをしめすものなのかもしれない。

 まぁ、詳しいところはヨーロッパの地形が詳しくないので、正直なところ理解できなかった。この本にはそのルートを示した地図が載っているのだが、非常に見づらいし、地形がよく読み取れない。ネットで調べてみると、「ハンニバル・バルカが象と越えた峠はどこか?」とうサイトがある。(http://www.eu-alps.com/i-site/hannibal/hannibal0011a.htm)ここに色つきでハンニバルが通ったルートが示してあるので、何とか読み取れる。ただハンニバルが象を引き連れてアルプスを越えたのだから、地形図があればもっとリアルにそのルートを感じることができる。幸いGoogleマップ
でそのルートをたどることができる。
 この地図の太い赤い線で書かれたルートがこの本の著者が推測したルートである。うまい具合に山間を抜けているのがわかるけれど、ただその行程は生易しいものじゃなかったようである。ハンニバルは本当はもう少し南(地図の下の方)のラルシュ峠を越えたかったらしい。しかしそこよりも標高が高いトラヴェルセッテ峠を越えている。これは案内人にだまされてここを通る羽目になったようだ。当然危険がかなり増す。峠を越えたのは10月頃と推測されている。ここはまだ前年の残雪もまだかなり残っているし、その上に新雪が降り、兵隊、馬などが滑り落ちた。
 また大きな岩が道をふさいでいた。面白いと思ったのはこれを取り除くために、岩の周りで火をたき、酢をかけてたたき割ったらしい。
 ハンニバルに立ちふさがったのは自然だけではない。ハンニバルが通る道には先住民がおり、彼らにとってみれば、ハンニバルの進行は、いわば自分たちの縄張りを土足で上がっていくようなものである。当然彼らと戦いながらアルプス越えをすることなる。つまりハンニバルはローマと戦う前に、その行路で先住民と戦いながら進まざるを得なかったのである。
 ハンニバルは最初歩兵三万八千人、騎兵八千騎、象三十七頭(南フランス・アルル付近でローヌ川渡った時点)が、ポー川の平野に出たときは、一万八千の歩兵と二千人の騎兵を失った。象は何頭失ったのか、あるいは失わなかったのかその記録が残っていない。
 しかしこうして苦労して象を連れてきたのに、ローマと戦ってすぐ、一頭を残してすべての象は凍死してしまった。残った最後の一頭にハンニバルは乗って軍を指揮した。ハンニバルはイタリアに十五年間とどまり、ローマと戦ったが、最初こそは奇襲作戦が成功して、勝利を納めたが、いかんせん後方支援を持たない彼はその後苦戦を強いられる。そして今度はカルタゴがローマに攻められ、本国に戻る。
 帰国後ハンニバルは政治家となりカルタゴの行政改革、財政再建の為に経費節減による行政改革を徹底させて賠償金返済を完遂させた。しかし国内の彼の成功は反感者も生み出し、ローマに内通するものもあって、ハンニバルはカルタゴを脱出し、セレウコス朝シリアのアンティオコス三世の許へ走らざるを得なくなってしまう。ハンニバルはシリア軍を率いてローマと対峙するが結局は敗北する。ハンニバルは逃亡し、クレタ島、そして黒海沿岸のビテュニア王国へと亡命、その後服毒自殺した。

 ところでハンニバルが率いていた象はアフリカ象であったのか、それともインド象であったのかという論争がまじめに行われているらしい。私からすればどう考えてもインド象であり得るわけがないと思うのだが、それがそうとも言い切れないらしい。もちろんそのほとんどがアフリカ象であることはスペインで発行されたカルタゴの硬貨の図柄から検証できる。
 ところでエジプトのプトレマイオス王朝はシリアと戦争を繰り返していた。シリアは象を武装戦闘動物して使っていたが、その象が全部インド象であった。エジプトシリアと戦ううちにシリアのインド象を手に入れた。一方エジプトとカルタゴは友好関係にあり資金援助と象も送っているという。だからハンニバルがインド象を率いていなかったとは言い切れないらしい。学者の中にはハンニバルが率いていた象のうち一頭はインド象であったという人もいるそうだ。

 この本はいろいろな意味で面白かった。まったく気にもしなかったハンニバルのアルプス越えに興味を持たせてくれたし、それ以上にカルタゴやハンニバル自身に興味を持ってしまった。
 話は変わるけれど、ジャック=ルイ・ダヴィッドが描いた「アルプス越えのナポレオン」の絵の左下にはハンニバルの文字が見える。ナポレオンにしてみれば、自分もハンニバル同様アルプスを越えたことを示したかったのだろうか?


評価
★★★

書誌
書名:アルプスを越えた象―ハンニバルの進攻
著者:ギャヴィン・デ・ビーア
ISBN:9784783501855 (4783501858)
出版社:思索社 (1991-03-25出版)
版型:147,18p 21cm(A5)
販売価:どうやらこの本は新刊書店では手に入らないようです。。

2007年12月27日

高見順著『死の淵より』

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 どこのマンションのコマーシャルか知らないが、本棚に囲まれた部屋を、女の子が歩き回り、一冊本を取り出す場面がある。本棚にあるの本はいかにも古そうな本で、しかも洋書みたいな感じだ。そのコマーシャルが流れると、食い入るように見てしまう。とにかく古い本が好きだ。時間を経た本には、それだけで価値がありそうな感じがしてしまう。ふと自分の本棚を見ると、思わずまだまだだななんて思ってしまう。

 さて、ここのところスランプに落ち込んでいる。毎年何回か、あまり本を読みたくないな、なんていう気分になる時があるのだが、それはそう長く続くことはない。だいたい一週間程度本を読まなければ、すぐ本が読みたくなり、元の生活が復活する。しかし今回は重傷だ。本が読めない状態が長く続いている。
 そんなもんだから、ここのところ更新ができないでいる。しかもやっとのことで一冊の本を読んでも、今度はそれについて書くことができない。どう書いたらいいかわからなくなり、完全にパニックに陥ってしまう始末。
 だからというわけじゃないのだが、本棚の整理でもすれば、読みたい本が出てくるかもしれないと思い、棚を眺めつつ、棚に収まっていない本を収納する。
 そんなことをやっていたら、この詩集を見つけた。本の画像を見てもらえば分かる通り、かなり保存状態が悪い。箱が日焼けしてしまっている。この本は古本屋で100円均一のワゴンに収まっていたのを買った。本の状態から考えれば当然である。ただ、箱入りのため、箱は傷んでいるが中身の本は結構きれいだ。
 実はこの高見さんの詩集は高校時代に読んでいる。当時あった文庫本で読んだ(普通の講談社文庫であった。今は講談社文芸文庫にある)
 この詩集を知ったのは岩波新書の時実利彦さんの『人間であること』に高見さんのこの詩集が紹介されていて、気になって続けて読んだと思う。ただ親本である単行本のこの本は読んだかどうか覚えていないので、読んでみることにした。長い話にはついて行けないけれど、詩集なら何とか読めるかもしれないと思ったのである。

 この詩集は高見さんが食道ガンに冒され、入院し手術したときの前後に書かれたものである。ガンと闘いながら、自分に近づきつつある“死”におびえ、あるいは開き直り、諦める。その気持ちを詩に託している。まずは「死者の爪」という詩からこの本は始まる。以下気にかかる詩や、気にかかる語句がある詩を抜き出してみる。

<死者の爪>

つめたい煉瓦の上に
蔦がのびる
夜の底に
時間が重くつもり
死者の爪がのびる


<ぼくの笛>

烈風に
食道が吹きちぎられた
気管支が笛になって
ピューピューと鳴って
ぼくを慰めてくれた
それがだんだんじょうずになって
ピューヒョロヒョロとおどけて
かえってぼくを寂しがらせる


<帰る旅>

(略)

この旅は
自然に帰る旅である
帰るところのある旅だから
楽しくなくてはならないのだ
もうじき土に戻れるのだ
おみやげを買わなくていいか
埴輪や明器のような副葬品を

(略)


<泣きわめけ>

泣け 泣きわめけ
大声でわめくがいい
うずくまって小さくなって泣かないで
膿盆の血だらけのガーゼよ
そして私の心よ


<魂よ>

魂よ
この際だからほんとのことを言うが
おまえより食道のほうが
私にとってはずっと貴重だったのだ
食道が失われた今それがはっきり分かった
今だったらどっちかを選べと言われたら
おまえ 魂を売り渡していたろう

(略)

魂よ
おまえの言葉より食道の行為のほうが私には貴重なのだ
口さきばかりの魂をひとつひっとらえて
行為だけの世界に連れて来たい
そして魂をガンにして苦しめてやりたい
そのとき口の達者な魂ははたしてなんと言うのだろう


<望まない>

たえず何かを
望んでばかりいた私だが
もう何も望まない
望むのが私の生きがいだった
このごろは若い時分とちがって
望めないものを望むのはやめて
望めそうなものを望んでいた
だが今はその望みもすてた
もう何も望まない
すなわち死も望まない


<過去の空間>

手ですくった砂が
痩せ細った指のすきまから洩れるように
時間がざらざらと私からこぼれる
残りすくない大事な時間が

(略)


<巡礼>

人工食道が私の胸の上を
地下鉄が地上を走るみたいに
あるいは都会の快適な高速道路のように
人工的な乾いた光りを放ちながら
のどから胃に架橋されている
夜はこれをはずして寝る
そうなると水を飲んでももはや胃へは行かない
だから時には胃袋に睡眠薬を直接入れる
口のほかに腹にもうひとつ口があるのだ
シュールリアリズムのごとくだがこれが私の現実である

(略)


 この詩集には“赤”という言葉が何回か出てくる。“血だらけのガーゼ”、“赤いザクロの実”、“赤インク”、“カエデの赤い芽”、“車輪が赤く錆びて行く”等々。
 “赤”は病気であり、あるいは苦しみながら生きている証拠なのではないかと思った。特に本自体が古さのため薄く黄ばんでいるので、“赤”という文字が余計に際だって感じられた。

2007年11月09日

立川昭二著『からだの文化誌』

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 昔買った本を取り出し読み始める。なんか一度読んだことがあるような気もしないでもないが、まぁいいやと思いつつ、ページをめくる。昔は立川さんのファンで、結構読んだのだが、今回読んでみて、それほどでもないかなんて思った。
 立川さんのこの手のエッセイは小説など文学作品や絵画などから文化としての病気などを語る手法が多いが、今回はやたら俳句や短歌が多いなと感じていたら、このエッセイは『俳壇』という俳句の総合雑誌に連載されていたものをまとめたものと「あとがき」にあったので、なるほど、そういうことかと納得する。
 この本は「からだの文化論」、「からだの記号論」、「からだの演劇論」の三つに分かれているが、別に分ける必要性も感じなかった。要は俳句を中心に、その他の文学作品、絵画などから、日本人のからだのパーツごとに隠されているメンタリティ(心性)を語っていく。
 もちろん「からだ」を語れば必然的に「病気」も語らざるを得ない。むしろ健康な身体を蝕む病気を語ることで、今まで日本人が持っていた文化を語ることになるし、最近の劇的変化も語ることになる。立川さんは「病むとは、止むことである。働くことも遊ぶこともできなくなり、ときには食べることも動くこともできなくなる」から、「人は病むとき、その人あるいはその家族の本質をもっともはっきりと表す。人は病むとき、死に直面したとき、はじめて自己が見え、まわりの世界もはじめて鮮やかに目に映る。そして、人間社会もまた、疫病におそわれたとき、その社会特有の構造ももっとも鮮やかに露呈するのである」という。
 だからこの本でも、からだのパーツだけでなく、ヒトの病気、社会の病気の根源も探っていく。

 それでは読んでいておもしろいなと思ったところいくつか書き出してみる。
 まずは「頭」の項目である。立川さんは「日本人は、比喩的にいうと、明治以前は胸や腹で考えていたといっていい。日本人が頭で考えるようになったのは、明治以降である」という。だから「私たち日本人は、心で思っていることを『胸の内』あるいは『胸中』という言い方をする。『頭の内』とか『脳中』とは言わない。『胸に聞く』『胸が痛む』あるいは『腹をきめる』『腹が立つ』というのも、すべて心のことである」。
 胸や腹などの身体語の入った慣用句が今でも日本では日常的に生きている。それは「日本人メンタリティ(心性)の基層に脳より胸や腹を大事にする考えが依然と存在している証拠である」という。だからこそ「この辺に日本における脳死論議のむずかしさが隠されているかもしれない」という考えはおもしろい。脳が死んじゃっても、生命維持装置で胸や腹は生きているのだから、それは死とは言えないというところだろう。

 「足」の項では、「手が文化を象徴するなら、足は文明を象徴している。人間の文明は直立二足歩行することによって始まったし、足の長さや強さは文明と密接な相関関係ある」というフレーズは何となくわかるような気がする。
 ここでは日本人が高度成長期以降素足や裸足の感触失ったといい、通りを歩く下駄の音が聞かれなくなったというのは実感する。というのも私は下駄が好きであった。大学時代それこそかまやつひろしさん「我が良き友よ」のフレーズじゃないけれど、下駄を履いて通っていた。あの素足に感じる下駄の感触は何とも言えずいいものだ。それに下駄で歩くときの音もいい。それと比べると、最近の若い女性がヒールをカタカタならして階段を下りる音は、あれは甲高いだけで耳障りだ。

 「眉」の項では、「眉はヒトしかない。それだけに、眉は人間の感情をいちばんよく表す造作でもある」といい、日本人も顔の中でいちばんこだわってきたという。しかし平安時代からあと、成人すると眉を消し去るようになった。なぜか。それは「眉は微妙な感情を表す造作である。、眉を抜いたり剃り落としたりすることは、その機能を否定することを意味する。眉を通してコミュニケーションが不能になる。つまり眉を消去した人は、それぞれの社会で眉によるコミュニケーションを禁じられたことになる」。だから結婚した子供を産んだ女性や身分の高い男性や稚児などはそうしたのだという。なるほどね。ちなみにあの「モナ・リザ」にも眉がないそうである。知ってました?

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 ちょうどこの項目を読んでいたのが、電車の中であった。偶然社内で化粧している女が目に入り、私も一句思いつく。

「社内にて 化粧終えて、大欠伸」

 「眠り」の項では、東北のねぶた祭りの語源が、「眠たい」から来ているというのである。なぜかというと、昔の農民にとって眠気は労働の敵であった。農作業妨げになる。だからその睡魔を供え物と一緒に水に流そうというのがこの祭りだという。へぇ~、そうなんだと感心する。

 最後に「老い」の項。立川さんは「今日のような高齢化社会と高度医療の時代、そうした身体の老化による老いの自覚を自然に受け入れることを許さない。自然の老化現象もみな病気であるとされ、治療の対象にされてしまう。多くの人は『老人』ではなく、『病人』とされ、また多くの人は『老人』より『病人』になりたがる」という。たぶんこれは正しいのだろう。
 自分の老いを老いとしてなかなか認められないところはよくわかるけれど、歳をとると、何でもかんでも病気にされ、治療の対象にされてしまうのは困る。また自分の老化を病気だと勘違いする風潮も問題だ。医療産業の陰謀で病人を増産していることにだまされているのではないか、なんて思ったりする。


評価
★★★
 

書誌
書名:からだの文化誌
著者:立川 昭二
ISBN:9784163512907 (416351290X)
出版社:文芸春秋 (1996-02-25出版)
版型:309p 19cm(B6)
販売価:1,732円(税込) (本体価:1,650円)

☆この本は現在品切れのようです。

2007年10月12日

レイモンド・チャンドラ-著『ロング・グッドバイ』

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 同じ作品を訳者の違いで読み比べてみるということをしたのは今回初めてだ。以前『ライ麦畑で捕まえて』をやはり村上春樹さんの訳で再読したが、この場合以前の訳はだいぶ前に読んでいて、しかもほとんど内容を忘れちゃっていたので、読み比べたという感じはなかった。
 今回は続けて違う訳者で同じ作品を読んだことで、どんな違いがあるのか、その点多少興味があったが、私にはその違いがよくわからなかった。
 ただ話の内容をもう知ってしまっているので、ネタバレされた推理小説を読んでいる感じがしてしまい、なんかだらだらと読むことになってしまった。従ってもうこういうことはやめようと思っている。
 この本の最後に訳者である村上さんの長い解説があるのだが、そこに書いてあるところによると、先に読んだ清水俊二さんの訳は1958年のことであり、刊行後半世紀がたっているという。村上さんは翻訳を家屋にたとえ、25年たったら補修にかかり、50年で改築もしくは新築すべきだという。それは50年もたてば「選ばれた言葉や表現の古さがだんだん目につくようになってくる」からだという。
 また清水さんの訳にはかなり多くの文章の翻訳が意図的に省かれているらしく、今回村上さんは新築と完訳をめざす意図で、この本を訳されたらしい。
 ただ私には清水さんの訳と村上さんの訳とを比べてみてみる技量が欠如しているので、どこが省かれた部分であったかよく分からなかった。また清水さんの訳に「言葉や表現の古さ」をそれほど感じなかったし、むしろ言葉の使い方で以前からある清水さんの訳の方が今風でしっくりくるところもあるように思える。
 たとえばギャングのボスのメネンデスがマーロウが余計なことをさせないように脅かす時、「俺が誰だか知っているか、はんちく?」と言う。清水さんの訳だと「おい、チンピラ、おれがだれだか知っているか」となる。村上さんの訳の「はんちく」という言葉はなんかおかしく感じてしまった。ここは「チンピラ」の方がいい。だいたい「はんちく」なんていう言葉の意味さえ知らなかったし・・・。ちなみにこの「はんちく」を広辞苑で調べてみると「中途はんぱ」とある。半端もんというところだろうが、ギャングの脅し文句としてはちょっとぴんとこない。

 話の展開として、やっぱり不自然だなぁと思うのは、マーロウがたまたま訪れた駐車場で酔いつぶれていたテリー・レノックスと知り合い、その後何度かテリーと飲んだり、マーロウの事務所に訪ねてきたりしているけれど、そんなささやかな機会だけでテリーを自分の親友だと思い続けることである。そのためテリーが自分のふしだらな妻を殺したという容疑がかかり、逃亡に手を貸したり、彼が自殺した後(実際は違うが・・・)も彼をかばい刑務所にぶち込まれたりする。挙げ句の果てにテリーの無実を何とか証明しようとする。普通そこまでするかなぁと思えるのである。
 ただこうした不自然性を村上さんはチャンドラーがこの作品で試みた手法なんだと説明してくれている。それによると次のようになる。
「チャンドラーは自我なるものを、一種のブラックボックスとして設定したのだ。蓋を開けることができない堅固な、そしてあくまで記号的な箱として。自我はたしかにそこにある。そこにあり十全に機能している。しかしあるにはあるけれど、中身は『よくわからないもの』なのだ。そしてその箱は、蓋を開けられることをとくに求めていない。中身を確かめられることを求めているわけでもない。そこにそれがある、ということだけがひとつの共通認識としてあれば、それでいいのだ。であるから、行為が自我の性質や用法に縛られる必要はない。あるいはこうも言い換えられる。行為が自我の性質や用法に縛られていることをいちいち証明する必要がないのだ、と。それがチャンドラーの打ち立てた、物語文体におけるひとつのテーゼだった」
 つまりマーロウがテリー・レノックスとどのような友情関係を結んだかはここでは関係なく、友情関係があったという前提で話を構成するのである。そういう関係を細かく描写すれば(私はそれを求めたのだが)、よくわからないものを書くことになり、話が複雑になる。だからマーロウは事件の真相を細かく語るのである。そして物語の中の彼らの会話が、魅力的であればあるほど、マーロウとテリー・レノックスの間には友情関係があったのだということが読む側に伝わるということになる。

 確かにここに出てくる人物たちの会話の内容は魅力的だ。いくつかあげてみたい。まずはテリーがマーロウとバーに飲みに行った時の会話である。

「夕方、開店したばかりのバーが好きだ。店の中の空気もまだ涼しくきれいで、すべてが輝いている。バーテンダーは鏡の前に立ち、最後の身繕いをしている。ネクタイが曲がっていないか、髪に乱れがないか。バーの背に並んでいる清潔な酒瓶や、まぶしく光るグラスや、そこにある心づもりのようなものが僕は好きだ。バーテンダーがその日の最初のカクテルを作り、まっさらコースターに載せる。隣に小さく畳んだナプキンを添える。その一杯をゆっくり味わうのが好きだ。しんとしたバーで味わう最初の静かなカクテル-何ものにも代えがたい」

 これなどその日開店したばかりの店に入った時確かに味わえる。

 またテリーの妻の父親である億万長者のハーラン・ポッターがマーロウに言う件も今でも重みがある。
「まとまった額になると、金は一人歩きを始める。自らの良心さえ持つようになる。金の力を制御するのは大変にむずかしくなる。人は昔からいつも金で動かされる動物だった。人口の増加や、巨額の戦費や、日増しに重く厳しくなっていく徴税-そういうもののおかげで人はますます金で左右されるようになっていった。世間の平均的な人間は疲弊し、怯えている。そして疲弊し怯えた人間には、理想を抱く余裕などない。家族のために食糧を手に入れることで手一杯だ。この時代になって、社会のモラルも個人のモラルも恐ろしいばかりに地に落ちてしまった。内容のない生活を送る人間たちに、内容を求めるのは無理な相談だ。大衆向けに生産されるものには高い品質など見あたらない。誰が長持ちするものを欲しがるだろう?人はただスタイルを交換していくだけだ。ものはどんどん流行遅れになっていくと人為的に思いこませ、新しい製品を買わせるインチキ商売が横行している。大量生産の製品についていえば、今年買ったものが古くさく感じられなかったら、来年には商品が売れなくなってしまうのだ。我々は世界中でもっとも美しいキッチンを手にしているし、もっとも輝かしいバスルームを手にしている。しかしそのような見事に光り輝くキッチンで、平均的なアメリカの主婦はまともな料理ひとつ作れやせんのだ。見事に光り輝くバスルームは腋臭止めや、下剤、睡眠薬や、詐欺まがいの連中が作り出す化粧品という名のまがいものの置き場に成り果てている。我々は最高級の容器を作り上げたんだよ、ミスター・マーロウ。しかしその中身はほとんどががらくただ」

 警部のヘルナンデスが輪ゴムを取り上げ、どんどん引っ張っていき最後に輪ゴムがぱちんと音を立てて切れたときいった言葉。
「もうこれ以上伸びないという限界が、誰にもある」「どれほどタフに見えてもな。ご機嫌よう」

 あるいはその警察に向かってマーロウがいった言葉。
「ほら、すぐ黙れとくるんだ。一般市民はどなりつけておけってことか。いい加減にしろよ、バニー。ギャングや犯罪組織ややくざ連中がこうしてのさばっているのは、何も悪徳に染まった政治家がいて、そいつらの手先が市役所や議会に散らばっているからじゃない。犯罪は病気そのものじゃない。ただの症状なんだ。警官というのは脳腫瘍の患者にアスピリンを与える医者のようなものだ。もっとも現場の警官は治療のためにブラックジャックを使いそうだがな。アメリカ人はでかくて、荒っぽくて、金があって、向こう見ずな国民だし、犯罪というのは我々がその見返りとして支払わなくちゃならない代価なんだ。そいつはこれから先もずっと消えてなくなることはあるまい。組織犯罪は強い力を持つアメリカ・ドルの汚い側面なんだよ」

 自殺したと思われたテリー・レノックス偲んでマーロウがいった言葉。
「いや、けっこうだ。市のバスチーユ監獄から私を家まで送り届けてくれたときのことを覚えているか?私にはさよならを言うべき友だちがいたと君は言った。しかしまだ本当のさようならを言ってはいない。その写真複写が紙面に載ったら、それが彼に対するさようならになるだろう。ここにたどり着くまでに時間がかかった。長い、長い時間が」

「彼女に、自分自身を静かにじっくり見つめてもらいたかったのさ。そのあとどのような行動に出るか、それは本人の問題だ。私は一人の男の無実を晴らしたかったし、そのための手段の是非までかまっちゃいられなかった。誰に何と言われようとな。私を懲らしめたいと思うなら好きにすればいい。逃げ隠れはしない。ずっとここにいる」

 最後に、
「さよならを言うのは、少し死ぬことだ」


評価
★★★


書誌
書名:ロング・グッドバイ
著者:チャンドラー,レイモンド・ 村上 春樹訳
ISBN:9784152088000 (4152088001)
出版社:早川書房 (2007-03-10出版)
版型:579p 19cm(B6)
販売価:2,000円(税込) (本体価:1,905円)

2007年10月01日

レ-モンド・チャンドラ-著『長いお別れ』

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 私のもう一つのブログで古い文庫本を取り出し、読み始めたことは書いた。その取り出した本とはこの本である。そしてわざわざ棚の奥にあった本を取り出した理由もそこに書いた。
 最近やたらと昔の作品の新訳本が出回っていて、それがちょっとブームになっている。私はこの傾向は面白いと思っている。いつまでも古い文体で読まされるより、現代風の言葉で読んでみるのもいいのではないかと思うのだ。もちろん訳された当時のものが、今もそのままあるのは、出版社のお家事情もあるだろうけど、やはり訳がいいからそのまま残されていると思いたい。いわゆる「名訳」といわれるものだ。
 でもそれでも新しい訳本が出されるというところは、やっぱり何か意味あるものではないか、なんて思ったものだから、今回読み比べてみて、どう違うのか知りたいと思ったのだ。たとえばこの本は清水俊二さんの訳なのだが、それが今脂がのっている村上春樹さんが訳すと、どう変わるのだろうか。同じ作品でも様相ががらりと変わるのかどうか、それを知りたいと思ったのだ。
 で、まずは清水俊二さんの訳のこの本を読み終える。詳しいことはこれから読む村上春樹さんの訳本を読んでからまとめて書きたい。
 推理小説として話の構成は面白かったし、フィリップ・マーロウの生き方はちょっとかっこよかった。ただ映画の台本を読まされている感じがいつもつきまとうほど、彼の言動には不自然さがあるように思えるのだがどうだろう。まぁ映画を見ていると思えばそれでいいのだろうが・・・。


評価
★★★


書誌
書名: 長いお別れ
著者:レ-モンド・チャンドラ-・清水俊二訳
ISBN:9784150704513 (4150704511)
出版社:早川書房 1986/06出版 ハヤカワ・ミステリ文庫
版型:488p 15cm(A6)
販売価:882円(税込) (本体価:840円)

2007年07月29日

ジョン・ダンニング著『災いの古書』

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 元警官で古書店店主クリフ・ジェーンウェイの最新刊を読み終える。やっぱり本格派ミステリーは面白い。つまらん青春小説など屁みたいだ。
 さて、今回はクリフの恋人で弁護士であるエリンの昔の友人ローラ・マーシャルが夫殺しで逮捕されたことから物語は始まる。ローラの夫、ロバート・マーシャルはエリンの昔の恋人でもあった。
 ローラはエリンに弁護の依頼をするが、エリンにはためらいがあった。いくら昔の友人であっても、ローラはエリンの恋人であったロバートを奪った人物である。そのためエリンはまずクリフをローラの元へ行かせる。
 ロバートは蔵書家でもあった。調べてみると、本自体は大した値打ちのある本ではなかったが、そのほとんどに著者や有名人のサインがあった。つまり蔵書していたのはサイン本だったのである。
 ローラは最初自分が夫であるロバートを殺害したと自白したが、エリンやクリフ、そして地元の老弁護士のバリーはその自白に疑問を持ち始める。
 では誰がロバートを殺害したのか?そしてこの大量のサイン本は何を意味するのか?ロバートの蔵書を持ち出したバイヤーのおかげで、やがてこのサイン本に疑惑が生じ始める。
 う~ん、これ以上は書けない。書いちゃうとネタバレしてしまう。しかし、古本にまつわるミステリーは大好きだ。500ページもある本をあっという間に読んでしまった。
 これ以上話の内容には関われないので、違うことを書く。アメリカのミステリーは会話がやけに明るくて、ざっくばらんでいい。ロバートとエリンが恋人関係になった頃の話を次のように言う。

「そのとおり。あなたはアメリカの古書籍商協会に入り、各地で催される古書フェアに行くのよ。もちろん、私も同伴する。見習い兼、飢えた性の奴隷として」
「それはいい。特に最後のやつがね」
「皮肉を返したいところだけれど、あの晩、どちらがどちらを襲ったのか、思い出しちゃった」
「弁護士がすきそうな言葉を使えば、併発的な事態だったな。お互い同時にむしゃぶりついたぞ」
「あなたが玄関のドアをあけたとき、私、もう半分脱がされていたわ」
「ほんとうか?気がつかなかったな。それで通りにおっぽり出した半分は、なんだったのかな」
「パンティーは側溝のなか、ブラは消火栓に向かって放り投げたわ。ストッキング、靴、アクセサリーは歩道にまきちらしたのよ」
「どうりで気がつかなかったはずだ。きみはあの売春通りにすっかり溶け込んでしまっていたのさ」
「それで、いま、こういう関係になったわけね」

 なかなかじゃないですか!

評価
★★★★★


書誌
書名:災いの古書
著者:ジョン・ダンニング・横山啓明訳
ISBN:9784151704093 (4151704094)
出版社:早川書房 2007/07出版 ハヤカワ文庫
版型:15cm 558p
販売価:945円(税込) (本体価:900円)

2007年01月04日

滝田誠一郎著『長靴を履いた開高健』

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 あけましておめでとうございます。
 まずは今年第一発目は滝田誠一郎さんの『長靴を履いた開高健』から始めたい。
 この本は小説家開高健ではなく、長靴を履いた釣り師開高健の本に関する評論及び裏話、後日談を書いた本である。
 開高さんの釣りに関する本は主に『私の釣魚大全』、『フィッシュ・オン』、『オーパ』、『もっと遠く!』、『もっと広く!』、それとなんだかよく分からなくなってきた『オーパ、オーパ』編の5冊がメインとしてある。


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 以上が私の所有している開高健さんの釣りに関する本である。『私の釣魚大全』はこの後、『完本私の釣魚大全』として発刊される。また開高健全ノンフィクションの1巻『河は眠らない』はこのシリーズの第1巻として、それまでの釣りに関する著作をまとめたものである。収録作品は『 フィッシュ・オン』と『私の釣魚大全』と重複する。

 さて、この『長靴を履いた開高健』に限らず、開高さんの死後、開高さんに関する本が数点出版されている。気がついたものは購入しているが、この本もその中の1冊である。ただ、開高さんの死後開高さんについて書かれた本は、生前開高さんと何らかの交流があった人、たとえば一緒に釣りに行ったとかいった人たちが書いた本なのだが、この本の著者はそうではなく「いち開高ファン」であった。だからある程度距離を置いて、あるいは開高健という「毒」から逃れて、開高健という釣師を眺めている。「小説家・開高健を論じることは無理でも、釣師・開高健ならば自分の取材対象になりうるのではないかとぼんやり考えるようになった」といっているくらいだから、開高健という釣師を取材対象として、他の人たちとはちょっと違った視点で眺めているかもしれない。
 なので、時には仲間内では言いにくいことをはっきり言っている。その中で開高さんの釣りに関しての批評は、確かにそうかもしれないと思った。ここでは当時一緒に釣り仲間から貴重な言葉を添えている。
「だけど、開高さん釣りっておおざっぱなんですね。繊細さがない。おおざっぱにルアーをぶん投げて、ただグッグッとリトリープして、それで魚がガツンとくればよしというような釣りだった。いってみれば大名の釣りですよ。いつも釣れる場所で釣っていたからそれでもいいんでしょうけど。
 場荒れした川や湖でスレきった魚を相手にしているわれわれ一般ピープルは、小物1匹釣るために仕掛けや釣り方に細心の注意を払い、ありとあらゆる工夫をしている。そういう釣り師からすると開高さんの釣りはおおざっぱですよね」
 結局開高さんの釣りは本ではうまい話が自分のところ飛び込んできたように書かれているけれど、どうも違うようだ。開高さんの方から無理を言って、禁漁区で釣りをさせてもらっている。だから魚もスレていないから、大物が釣れる。
 あるいは自分の立場を利用して、出版社やウイスキー会社に無理をいって金を出させ、北米から南米へとそれこそ開高隊と称して乗り込んでいく。そこでは有名な日本の作家が来るということで、現地に詳しい人が動員される。それが開高さんが書いた釣りの本の実態なのだろう。
 つまり庶民が楽しむ釣りではないのだ。もっともそれだからいいという考えもある。我々庶民ができないおおざっぱな釣りをやって、それを本にして楽しませてくれているのだからという考え方もできるが・・・。私の場合単純に本の写真の美しさ、話のおもしろさを楽しんでいるだけであったが、現実は醜い部分が嫌というくらい、この本の中に隠れていることを知らされた。

評価
★★★

書誌
書名:長靴を履いた開高健
著者:滝田 誠一郎
ISBN:9784093411226 (4093411220)
出版社:小学館 (2006-06-20出版)
版型:271p 19cm(B6)
販売価:1,680円(税込) (本体価:1,600円)

2006年10月19日

田口久美子著『書店繁盛記』

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 田口さんのことは最近よく出版業界や書店業界を憂う対談集などで出ておられ知ってはいた。リブロからジュンク堂に移られ、現在池袋本店の副店長をされるバリバリ現役の有名書店員である。この本(ポプラ社刊)は田口さんの著作では二作目となるらしい。
 従って日々の書店業務の中で感じられることがここにつづられている。読んでいるとなるほど、今は、こういう状況下に書店員が置かれているのかと思ってしまった。私などもう現役の書店員を廃業してしまっているので、書店を語るときはどうしても思い出話から話すことが出来ないだけに、どこかうらやましい部分がある。現在の書店が置かれている状況や、日々の業務の中での出来事は、新鮮である。やっぱり現役にはかなわない。自分が経験してきた本屋の日常が妙に懐かしかったし、一方でもうこれ以上経験できないのだなぁという淋しさもあった。特にいろいろ自分のいた本屋でやりたいことがあっただけに残念である。
 店員たちと本に関する与太話なども出来ないのも淋しいものだ。
 『ハリー・ポッター』の訳者が35億円の所得隠しが新聞紙上を賑わしたとき、田口さんたちは、書店に滞留している「ハリポタ本」を集めれば税金未納分の8億円に簡単になるだろうから、それを納めたらどうか、と盛り上がったというの読んで笑っちゃった。
 これなど現場にいたら同じようなことで盛り上がっただろうなぁと思う。ちなみにどうしてこれが面白いかというと、書店にある「ハリポタ本」は買切品で返品できない。しかも欲の皮が突っ張って必要以上に仕入をしてしまったので本屋さんでは余剰在庫となっている。だからそれを集めてもらって(引き取ってもらって)現物納付してくれればいいのにという意味があるのだ。

 ところで、最近単行本の定価が高くなったと思いませんか?もう1,500円以上がざらである。これがアマゾンのせいだというのだ。というのもアマゾンでは1,500円以上本を買うと送料無料というサービスを行っている。これが新刊の定価に反映してしまい、本の定価の基準となってしまっているのではないかと田口さんは言うのである。つまりアマゾンのお陰で本の定価が上がってしまったのだ。逆に言えばそれだけ現在の日本の出版界でアマゾンの影響力が大きいことにもなるのだけど、一読者としては勘弁して欲しいものである。
 たとえば300ページそこそこのこの本でも、定価1,600円もする。(税別)で、この本はそれではすまないと思ったのかどうか知らないが、本の紙質を厚くして、さもページがありますよと見せかけている。(まぁその分コストはかかっているのかもしれないが・・・)でも、紙質が厚い分、すぐページが戻ってしまい読みづらいのだ。こういうしゃらくさいことをするなら、本の定価を下げろよ言いたくなっちゃう。
 こうなってくるとつまらない考えが頭をよぎる。まず本の定価がアマゾンのお陰で高くなる。次いで本の印刷・製本がおそらくこのIT時代である、当然以前よりも小コストで出来るようになっているのではないか。しかも本の書店正味は変わらない。おそらく卸もそうであろう。ということは、誰が美味しい思いをしているかというと出版社となる。末端の書店業界が瀕死の状態に陥りつつあるのに、出版社はそれを建前では憂いつつも、形だけで、ちっとも書店に利益を配分しようとしないのは、考えてみればひどい話のような気がするが、どうであろう?
 これも与太話である。本当は仲間とこんな話ができればうれしいと思う次第だ。

 それはそうと、最近の本屋さんの棚作りがかなり難しくなっていることを知った。それは、出版される本そのものが現代の風潮を表しているところがどうしてもあるので、今までのカテゴリーで区分分けすることが難しいジャンルが多く出てきていることによる。
 たとえば今まではサブカルチャー的存在であったものが、いつのまにか支持され存在感を示すようになっているところなど、オタク的なものが、あるいは本来低年齢層で支持されていたものが、いつのまにか年齢に関係なく幅広く認められつつあるところが、出版物にも反映され、出版されている。当然これらの出版物は、今までの本屋の棚分けにうまく収まるわけがない。しかしそれに対応しないわけにもいかないし、ある意味、本屋の棚に個性を生みだすものであるから、取り入れないわけにもいかなくなっている現状があるようだ。「ボーイズラブ」や「やおい」(男性同士の同性愛を題材とした女性向けもの)などの小説や漫画、あるいはライトノベルなどもそうであろうし、思想オタク的な私には訳の分からない分野など、どうやって本屋の棚に反映していくか、かなり難しい問題を抱えていることがあるようだ。
 でも、ジュンク堂はそれらをうまく取り入れて棚づくりをしているようで、ちょっと見てみたくもなった。


評価
★★★

2006年09月03日

高野秀行著『ワセダ三畳青春記』

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 この本(集英社文庫)は本にかかっている帯につられて買ってしまった。「酒飲み書店員さんが強力にオススメする1冊」とあるのだ。どうも書店員がすすめる本というのを聞くと、どれどれどんなもんかいと触手が伸びてしまう。自分がもう書店員でないので、どこかで書店員としてアイデンティティを求めているのかもしれない。
 まずはこの「酒飲み書店員さん」とはどんな集まりなんだろうかと気になる。ネットで調べてみると、Web本の雑誌に行き当たった。なるほど「本の雑誌」関係で集まった連中かと妙に納得してしまった。それを読んでみると、「本を読むことはもちろん、本を売ることはもっと愛し、そしてその次にお酒が好きな千葉近辺の書店員と出版社営業が集まり、売り出したい1冊をコンペで決定! 記念すべき第1回で選ばれたのは高野秀行著『ワセダ三畳青春記』です」とある。

 http://www.webdokusho.com/event/sakenomi.htm


 そういえば自分も大学時代、酒を飲みながら、あるいは講義をさぼって喫茶店に入り浸り、よく本の話しをしたことを思い出す。まぁあの時と同じ感覚なんだろう。

 このての本はいわゆる著者がある程度年齢がいって、又は時間がたって、当時を振り返ることができるときに成立する。つまり現在進行形ではなく、あくまでも過去形である。そして今よりも若い。若いからむちゃや無理ができた。それを振り返って、おもしろおかしく、あるいはもの悲しく語られる。
 ただここで振り返るとき、教育的、道徳的なことを語ってしまうと、説教がましくなってしまう。これをやったらアウトだ。あくまでもばかばかしくて、なおかつもの悲しいのがうけるだろう。読む方も教育者でないのだから、そうでなければ困る。
 で、この本もそのうけるセオリー通りの本である。早稲田にある「野々村荘」に大学時代から、3畳一間に11年間(後の3年間は4畳半に移るが)の仲間やそのアパートの住人たちの馬鹿物語である。
 家賃一万二千円、礼金なし。敷金一ヶ月分の三畳一間だから当然トイレ台所は共同だし、風呂はもちろんない。そもそも風呂にはいることさえ面倒なのだ。銭湯も毎日行けば家賃より高くなってしまうから行かない。で、どうするかといえば区営プールへ泳ぎに行くのである。

 「プールはすばらしい。使用料はたったの二百五十円。毎月一回の休館日を除いて年中無休。屋内だから、冬は暖かく、夏は涼しい。ばしゃばしゃ泳ぐと爪の先までぴっかぴかになる。しかも、濃い塩素に一、二時間もどっぷりつかれば、清潔を通り越して体内の有益な菌まで死ぬんじゃないかと心配になるくらいだ」

 こうしてヒマになるとみんなでプールへ行くことになる。ある時、区主催の水泳大会があることを知って仲間たちと河童団というチームを作り参加する。ところがみんなまともに泳げない。リレーで高野さん番になり、プールから飛び込むが、ゴーグルがはずれ、ずり下がる。この時「しまった、モモッた、モモッた!」と心の中で叫んだ。
 「モモッた」とは何かというと、「飛び込みで失敗してゴーグルがずれることを水泳業界用語で『モモる』って言うんですよ。ほら、桃屋のおじさんに似ているから」らしい。この説明を読んだとき、桃屋のおやじの眼鏡がずり下がったコマーシャルが頭に浮かび、浮かんだとたん大笑いしてしまった。うまいことを言うもんだ感心してしまった。私はいつまでも「モモッた」という文句が頭に残り、思い出すたび笑いがこみ上げてしまった。この本の面白かったのはこれだけだ。
 11年間も「野々村荘」にいると、たとえ狭く、不便であっても離れられないから、旅をしてもここに戻ってくる。「私の世界の中心は野々村荘だった。そこが母なる場所である」と感じていた。
 ところが高野さんに恋人ができるとその事情が変わってくる。それは野々村荘が狭くて、不便だからではなく、野々村荘より彼女のもとにいたくなったからである。今までは帰る場所として野々村荘とワセダがあったが、その帰るべき中心が「場所」から「人」へとずれた時、この野々村荘にいられなくなった。 たぶんこのあたりが酒飲み書店員の涙腺がゆるむところなのだろう。(ただでさえ酒を飲んで感情の起伏が激しくなっているから余計だ)

評価
★★

2006年08月08日

辻井喬著『父の肖像』

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 著者辻井喬はご存じの通り、西武グループの堤清二のペンネームである。この本(新潮社刊)は、創業者の堤康次郎を父として持つ、著者が父の伝記を書くことで”私とは何者か”をはっきりさせることを目的として書かれている。ここでの著者は楠恭二として、自分の父を楠次郎として描かれる。
 私は西武グループにはあまり興味がないので、それほど感心がないけど、あの堤義明とこの本の著者堤清二があまりにも違うような気がして不思議であった。でもこの本を読んでその理由がなんとなく分かったような気がする。

 楠次郎は滋賀県東畑郡六箇荘の出身でった。次郎の祖父清太郎は息子の死後、食い扶持を減らすため、次郎の母親を実家に帰し、弟裕三郎を広田家に養子に出し、孫の次郎と妹のふさを養育していた。
 この祖父の一生を貫いているのは自分が再興した楠家の忠誠心であり、それに基づく不屈の努力を惜しまない姿であった。その生きる姿勢は、孫の次郎も引き継がれる。
 祖父の死後、次郎は山東よりとの間長女良子をもうけた。祖父の財産を処分して東京に出て早稲田大学へ通うかたわら、郵便局を経営するようなる。そして、そこの職員岩辺苑子と内縁関係になった。その後滋賀県に置いてある山東よりと離婚し、岩辺苑子の間に長男孫清をもうけるが、やがて苑子は出ていく。 この頃から次郎は政治に興味を持ち始め、事業と政治の二足のわらじを履くことになる。政治で頭角を現すために次郎は大隈重信に近づき、大隈重信の末弟として政治の世界に出ていくことであった。
 そんな中、女性新聞記者として大隈重信の近くにいた田之倉桜と知り合い、結婚することになった。桜は大隈重信のお気に入りであったし、次郎の政治家進出に便利な存在であったのだ。
 一方で、高田馬場でうどん屋をやっていた同郷の平松摂緒と知り合い、大人の女から性の手ほどきを受ける仲となる。
 桜は身体の具合が悪く、子供を産めない身体であった。次郎は岩辺苑子の間にもうけた孫清、そして弟の広田裕三郎夫婦が死んだので、その子広田恭二を引き取り桜に養育させていく。
 広田恭二は楠恭二となり、父楠次郎の伝記をこのように書きつづる。しかし恭二は父次郎の伝記を書き続けるうちに、自分は広田裕三郎と青山れん夫婦の子供ではないのではないかという疑問を持ち始める。 では自分の本当の父親と母親は誰なのか?いろいろ模索しているうちに恭二の父親は楠次郎だと分かり始める。が、母親が誰であるか、その存在が分からなかった。そして次郎は自分の子供である恭二をどうして弟の広田裕三郎と青山れん夫婦の子供としたのか?
 恭二は自分の存在が不安定の中にあることにより、戦後共産党に入党し、楠家から自ら絶縁を申し出ていくが、結核にかかり、療養せざるを得なくなる。
 療養中、病棟にいる歌人高田美佐夫から一冊の歌集を手渡せられる。その歌集は平松佐智子という女流作家の歌集であった。恭二はその歌集を読んで、平松佐智子こそが自分の母親ではないかと思うようになっていく。
 平松佐智子は平松摂緒の娘であった。楠次郎は母親の摂緒から性の手ほどきを受け、娘の佐智子と関係を持ったのであった。
 楠次郎はこのように「不身持」であった。次郎は女性を「女の腹は借り腹」としか見ていなかった。この後次郎は桜という妻を持ちながら、しかも自分の子供でない孫清と恭二の養育をさせながら、石山治栄との間に清明(多分これが堤義明だろう)、清康、峰子の三子をもうけるのである。

 楠次郎が生きた明治末から大正、昭和と政治の流れを見ていると、明治維新の功労者である藩閥政治体質が色濃く残っていることがありありと分かる。もっと言えば、江戸時代からの庶民の考え方もそうだし、政治家が武士に変わって庶民を支配するという感覚はそのままであることを知る。基本は江戸時代と何も変わっていない。
 楠次郎にしたって、大隈重信の末弟を称していても、自分のこと、あるいは自分の一族のことしか頭にない。徹底した現実主義者であった。だから選挙権が最初は税金を納めたものしか持っていなかったのを、男子、そして女子と選挙権が拡大していくことを、次郎は女が政治のことなど分からないのに選挙権を持たせてどういうつもりなのだと苦々しく思うのである。そんなことをすれば自分が当選しづらくなるだけだとしか思わないのである。女はいい子供を産んでくれればいいとしか思わないし、自分が拡大してきた事業は自分の一族で固めて維持していくことしか考えが及ばない。
 事業の方はこれからきっとやってくるに違いない中産階級の時代に備え、箱根や軽井沢開発事業に乗り出し、東京郊外でも文化的な住宅地造成分譲に精を出し、国立に大学都市を造る。それだってすべて政治がらみの事業展開であった。
 そうして築きあげた自分の事業を次郎は「世間では東急を近代的だとか大企業らしいなどと言っているが、どの企業も五島家のものではない。そこへいくとわしの事業は全部楠家のものだ。埼京電鉄は上場しているが、それは形だけのこと、絶対の支配権はわし一人が握っている。成り立ちが違う。経営の実態を知らない、近代かぶれの学者や記者ごとき軽薄才子に惑わされてはいかんぞ。
 清明、清康、お前ら楠家の中興の祖、曾祖父清太郎の意志だけを継げ、世間の評判は一切無視しろ。そんなもの、悪ければ悪いほどよろしい」と自分の子供達に言って聞かせるのである。
 これを読んだとき、堤義明が引き継いできたのはこれだったのではないか。そのことが彼をダメにしたのではないかと思ったのである。いつまでも明治のままではなかったのである。

 645ページの本は読み応えがあった。でも面白かった。

評価
★★★★

2006年04月30日

立花隆著『滅びゆく国家』

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 この本(日経BP社刊)は日経BP社のサイトで「立花隆のメディアソシオ-ポリティクス」に掲載されたものを1冊の本にしたものである。現在もこのサイトは生きていて、バックナンバーが読める。URLは以下の通り

http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/

 この本の最初に「ことわり」としてこのサイトに著者が書き込む際、ネットの情報など私的情報から主にネタもとしている。その関係か、ゴシップ的な要素かなりあるし、情報がその時は早くアップされていたのだろうけど、状況が絶えず変化してしまい、著者の考えが著しく変わってしまう。(第四章「小泉改革の真実-その政治手法と日本の行く末」と第五章「ポスト小泉の未来-キング・メーカーの野望」は状況が刻々と変化するので、著者の考えもそれに伴って変化していくのが分かる)だから今まで読んできた立花さんの本とはちょっと違うなというイメージを持ってしまった。こんなあやふやな情報で物事を判断する人とは思わなかったのだ。もっとも最初にこの本はネット情報など私的情報から書いていると断っている以上、それでいいのかもしれない。
 確かにライブドア事件に関することも、私の知らなかったことが多く書かれていて(それを知って何になるかは別問題)、それはそれで面白かった。
 たとえば堀江容疑者とヤミ金融との関係、元々は堀江容疑者が彼女と別れたことによって、その父親から金を工面してしていたのができなくなり、急遽借りていたお金を返さなければならなくなり、その莫大なお金をヤミ金融から借りた。その関係が最近まで続いていた。
 一方今の東京地検特捜部の検事総長はロッキード事件の捜査の時にこのブラックマネーの解明で苦い思いをした人であったので、今度こそこのヤミ金融の世界を解明したいという気持ちがあったという。つまり、堀江容疑者をたかが証券取引法違反で逮捕したのではなく、地検の最大のターゲットはそこにあったという。なるほど、たかが証券取引法違反で東京地検が動くのが不思議であったのだが、東京地検がわざわざ動く理由はそこにあったのかと分かった次第だ。

 私はこの本で面白かったのは、第二章の「天皇論-女性天皇・女系天皇の行方」と第三章の「靖国論・憲法論-なぜ国立追悼施設はできないのか」である。
 最近憲法改正論が話題になっているけれど、立花さんはその必要はないし、断固憲法第九条が固守すべきという立場を取っている。
 そもそも憲法第九条の改正は自衛隊の合法化が最大の目的なのだろうが、立花さんはそんなものわざわざ改正しなくてもいいという。つまりそれは日本国憲法の性質から、それはそのままで自衛隊は合憲だというのだ。
 というのも、日本国憲法として条文に書かれているのは、極めてシンプルレベルでしか書かれておらず、細かい運用は、「法の定めるところに従って・・・」と多用されており、下位法と一体ではじめて運用されている。下位法とは最高裁の判例や内閣法制局の見解で動いているというのだ。そのため自衛隊は今ではイラクまで派遣されている。それを細かいところまで憲法に規定する必要はないというのだ。
 むしろ憲法第九条は国際法社会におけるグローバル・スタンダードであり、国連憲章第一条、第二条に記載されていることと同じなのだ。それをわざわざ戦後アメリカから押しつけられた憲法だから、今の時代にそぐわないといって、改憲する理由にはならないという。
 逆に憲法に自衛隊のことを明記した時点で、今度は日米同盟により、アメリカがおこしてた戦争へ、自衛隊をいつでも派遣しなければならなくなり、戦争の手助けをすることになってしまう。たとえば今のイギリスのように・・・。今は憲法第九条があるお陰で、日本は戦争の片棒を担がなくてもいいし、少なくと戦後60年以上、他国に戦争を吹っ掛けなかった。それは日本が明治以降近代国家になってから、一番長い間戦争してこなかったのは、憲法第九条があるからである。

 女性天皇の容認にしたって、元々国家がああだこうだというものではないという。憲法第一条に「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とあるのだから、世論調査で8割以上が女性天皇容認するという結果が出ている以上、国民の総意はもうこの時点で明らかである。
 それに最近男系維持論者が男系天皇がみな神武天皇と同じY染色体伝えてきたところに万世一系の天皇の本質があるという論理もおかしいという。
 つまり神武天皇のY染色体を受け継ぐ人は今の天皇家だけかということなのである。もし仮に神武天皇以来今上天皇まで125代の血筋がつながっていると仮定した場合、歴代の天皇がそれこそ仮に2人子供を持ったとしたら、Y染色体を受け継いだ子供は2、4、8、16、32、・・・と世代数だけ倍々ゲームで子孫が増えることになる。これを計算していくと、神武天皇の子孫は2の125乗人いることになる。これはゆうに今の日本の人口を上回る。もちろんこの中には女性が半分以上いるだろうけど、それを考えても、神武天皇以来のY染色体を持った人間が、日本にはゴロゴロいることになるはずだ。従って神武天皇のY染色体を受け継ぐ人は今の天皇家だけという論理は意味をなさない。これを読んだときは大笑いしてしまった。

 さてまたしても「靖国問題」である。私は小泉首相の靖国参拝は個人の意志に基づくものだから問題ないという姿勢には異議を唱えた。それはどう考えても詭弁だとも言った。中国や韓国が「靖国問題」を批判するのは内政干渉だという小泉首相の主張もおかしい。なぜなら日本国民の総意で小泉首相が靖国参拝をしているならともかく、首相個人の意志で靖国参拝をしているのだから、それを内政干渉という方がおかしい。だいたい隣国が止めてくれと言っているのに、それを無視して靖国参拝を行う小泉首相の姿勢を批判しているのだ。
 なぜ中国や韓国が小泉首相の靖国参拝を批判するのかよく考えるべきだと思う。A級戦犯が靖国神社に合祀されているからである。そして日本はこのA級戦犯を裁いた東京裁判をどんな事情であれ、それを認めたからサンフランシスコ条約を批准した。これによって、戦後日本は国際社会からの復帰を許されたのだ。日本が仕掛けた戦争は国際法違反であるから、当然それは裁かれて当たり前だし、戦争責任を問われても当然なのである。被害者である中国や韓国はそれを監視する立場にあるのだ。どんなことがあってもA級戦犯が祀られている靖国神社を認めるわけにはいかないのだ。

 何故中国がこうまで靖国参拝にこだわるのかよく考えれば分かる。中国の現代は日本の侵略戦争を期にして始まったといってもいいのではないかと思う。
 中国はそれまで清王朝という非漢民族に支配されていた。清王朝の末期になると、欧米各国の植民地政策で国自体がぼろぼろにされ、漢民族の自立を促すようになりつつあった。そこへ更に日本が中国を蹂躙するが如く侵略し始め、多くの中国の人達を殺害してきた。その中で抗日戦争として民族が自立し始め、ここから現代中国が生まれてきた。
 日本民族は他民族に支配された歴史を持たない民族である。(戦後連合国側に支配されたというかもしれないが、あれは支配されたというには、あまりにも甘い支配だったし、その為に多くの日本人が殺害された訳じゃない。中国人民がなめた辛酸、多くの人民の血が流された事実から見れば、比較になんかならないと思う。
 だから日本国民は感覚的に中国人民の感情が理解できない。しかも自分たちのことしか考えないアホな国民だから、中国や韓国が「わかってくれ!」と声を張り上げれば張り上げるほど、「俺たちには関係のないことだ!」と思ってしまうし、疎ましく感じてしまう。挙げ句の果てに首相でさえ「どうしてなんでしょうね~」という始末なのだ。
 今は、日本はもう戦争世代がかなりの数で減ってしまっているし、戦争を経験してきた人達も正しい情報を与えられてこなかったから、中国や韓国の苦しみを理解できなくなっている。だから「いつまでも昔のことばかり持ち出すなよ」という意識が日本国民に出てきてしまうのだし「俺たちには関係ないよ」という考え方になってしまうのだ。

 そうなったのは歴史教育に問題があるからだと思う。日本の歴史教育は人類の誕生から古い順に進めていくから、複雑な現代までなかなか行き届かない。実際に高校の歴史教育など、限られた時間で人類の誕生から現代までやるものだから、肝心の現代に時間が割けない。本当から言えば、今生きている我々にとって現代史こそ大切なのにおろそかにされているのが現状ではないだろうか?
 私は中国や韓国が現代史を重視しているのに比べて(当然なのだが)、日本は軽く考えていないだろうか思ってしまう。
 感覚的に日本人が中国や韓国の感情を理解できないなら、せめて「歴史」は被害者、加害者の立場はあるにしても、歴史的事実は共有できる。そのために現代史を重視すべきだと思うし、それこそが隣国である中国や韓国のことを少しでも理解できるきっかけになるのではないだろうか?日本の歴史教育の仕方を変えない限り、いつまでたっても日本人は「俺たちには関係ないよ」という考え方しか持たなくなってしまうと思うのだ。中国や韓国が日本の歴史教育に口をはさむのも当然だと思う。
 もし日本の歴史教育がしっかりしたものであったなら、天皇も行かない靖国神社に日本の首相が参拝することが如何に馬鹿げたことなのか分かるというものだ。意地になったって、何も生みやしないと思う。
 何だか偉そうなことを言ってしまった。こんなつもりじゃなかったのだけど、この本を読んでいてあまりにも日本の首相がひどいからついつい大声を張り上げた形になってしまった。
 私は自分でも現代史をもっともっと勉強できればなぁと思う。

評価
★★★

2006年04月24日

樽見博著『古本通』

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 よく考えてみると、古本屋さんの利用方法というのはいくつかありそうである。最近の私の古本屋さんの使い方は、安い本を買うことにある。本屋を辞めて、社員価格で本が買えなくなったことと、自由に本が手に入らなくなったことで、主にネットで、高価な本は、できるだけ安い本を探し、購入することにしている。
 ちなみにこの本は三和図書で大山君(大山さんの息子さん)の好意で社員価格で売ってもらっている。
 でもこういう形での古本屋さんの使い方は、ある意味邪道かもしれない。本当は「蒐書」のために古本屋さんを使うべきだろうと思う。私も以前は自分が欲しいと思っていた本で、本屋さんで入手できない本を古本屋さんで探し、購入してきた。実際私はこの本(平凡社新書)の著者が編集者を勤めていた「日本古書通信」を一時購読していたことがあった。そこに掲載されている古本の目録が目当てで購読していた。
 当時ここに目録を掲載している古本屋さんに、欲しい本があったときは、はがきを出して購入希望を伝える。しかし、当時は(今はよく知らない)購入希望者が多かったのだろう。抽選となり、だいたいがもれてしまう。記憶では一度だけここに目録を掲載していた古本屋さんから本を買ったはずだ。
 ところが最近ネットでの古本屋さんが多くなり、簡単に自分の欲しい本がわざわざ古本屋さんに行かなくても、簡単に閲覧できるし、そのまま欲しい本があれば、ワンクリックで自宅まで宅配便で届くようになった。そうなると、欲しい本を探すだけでなく、欲しい本がどれだけ安く買えるか比較することができ、予算の関係から、当然安い本を買うことになる。そうしているうちに、新刊ではないけど、町の本屋さんでも注文すれば手に入る本でも、このサイトに掲載されていれば、多少安く買えることが分かり始める。こうして高額な本を古本屋さんのサイトで買うことを覚えたのである。つまり古本屋さんの使い方が変わってしまったのだ。
 著者はこの本で「古本屋の本来の仕事は、本を安く売ることではなく、その本の価値を評価して高く売ること」であると言っているが、最近は古本の値段が崩れてしまっているのだという。それは従来の店頭販売、目録販売、即売会という古本販売方法に、ネット販売が加わったことによるという。
 確かにネット販売は確かに若い読者層を開拓するけれども、ネット上では、同一の古本が簡単に一覧できてしまうので、そのことが安売り競争の様相を帯びてしまう。つまり私みたいな人間が多くなることで、古本の値崩れが生じ始めている訳だ。このことは蔵書が高く売れない状況を作り出し、古本が市場に出なくなってしまう悪循環を生むことにもなる。
 ブックオフが著者の著作権料を蝕み、著者に正統な著作権料が入らなくなることで、作家の生活権を脅かし、いい作品が生まれなくなるのと同じである。
 自分が今やっていることが、目先だけのことにとらわれて、結果としていい結果を生まないことは分かっている。当然自分が今やっていることは正当化できないし、弁解もできないだろう。

 この本で紹介される古本屋さんはブックオフに代表される新古本を取り扱う古本屋さんではない。いってみれば、昔からある古本屋さんである。それこそ正統派の古本屋さん(こんな言葉があるのか知らないけど、便宜上使っている)のことである。
 ここで、この業界がどのような仕組みになっていて、仕入がどのように行われ、その値段がどのように設定されるか説明してくれる。しかし売値を付けるにあたり正当な評価をしなければならないから、価格決定にはそれなりの知識と経験を必要とする。その手助けをしてくれるものとして、個人書誌(作家の作品で、本にされたもの、又は何かの雑誌に掲載された文章などを詳しく説明したもの)が役に立つらしい。
 実は私も1冊この個人書誌というやつを持っている。開高健さんの書誌である『開高健書誌』である。この本の中にも『開高健書誌』のことが書かれている。確かにこの書誌は役に立つ。インターネットや古本屋さんから送ってきてくれる目録を見るとき、この書誌を参考にすることがある。


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 しかしこの書誌、問題があることは以前のブログで書いたことがあって、そのことがここでふれられているので、やっぱりそうだろうと思った次第だ。
 それは何かというと、「開高健の著書目録では通常の書誌的事項の他、作品集や随筆集は各文章の初出まで記載し、印刷者製本者、各章の頁数まで記録したもので、雑誌掲載作品もその号数はもちろん、頁数をすべて記している。現物確認はそこまで徹底しているが何故か再版についての言及や書影はない」そこまで徹底して開高さんの書誌を作り上げているのに、片手落ちの部分が惜しいし、この後出版された開高さんの本に対しての、追補的なものが欲しいものだと思っている。

 さて最後に、蔵書のことについて書きたい。私の本が増え始めたのはいつのことからだろうかとふと思った。間違いなく、私が本屋さんで働くようになってから、私の本は増え始めた。それまで読みたい本があっても、親からもらっていた小遣いをほとんどつぎ込んでも、足らなかった。
 一息できるようになったのは、高校三年の時アルバイトしてからである。そして大学時代本屋さんでアルバイトするようになって、毎日欲しい本を目にするようになって、手当たり次第買っていった。
 一方、お客さんが一昔前の本を注文して、よく「品切・重版未定」、あるいは「絶版」という版元の答えのついた注文書を見て、自分も欲しい本があったら今のうちに買っておかないと「品切・重版未定」、あるいは「絶版」になって手にできなくなってしまうという危機感を感じていた。幸いバイト代を本代につぎ込めるので、いい気になって本を買っていた。
 当然読むペースより購入するペースの方が多いから、本は増えていく。それは「いつかじっくり読みたい本」として棚を占領していった。
 私の本棚にある蔵書はこうして、「いつかじっくり読みたい本」と、「読んでよかった本」そして「読んで損した本」が棚に占めている訳である。
 最近は本棚のキャパシティーに限界を感じ始めたので、「読んで損した本」は迷うことなくブックオフに売り飛ばすことにしているが、処分したい本がまだ結構ある。もちろん今まで2度ほど古本屋さんに本を売って処分しているが、それもだいぶ以前の話で、今の私の本棚は「いつかじっくり読みたい本」、「読んでよかった本」そして「読んで損した本」が雑然と並んでいる。
 ところがこの本を読んで、蔵書の精度を上げることを知った。「生きた蔵書であるためには、不要な本は極力処分し、自分の適量を維持しながら、毎日欠かさず書棚を点検するよう努めることが大切だ」という。そのためには「蔵書は売ったり買ったりして徐々に質を高めていくことが大切である」という。「蔵書を売ることに抵抗を感じる人は多いし、頑なに手に入れた本は手放さない人がいる。ブックオフの登場で、本を処分することの抵抗感は大分薄れてきたが、慣れないうちは、購入した金額と処分した時の価格の余りの差ということもあって、実際にはなかなか踏み切れないものである。しかし、不要な本、将来的にもおそらく読まない本は、はっきり言えば紙くずに過ぎない。不要な本百冊処分して、その代価で今必要な本一冊を買うほうが、明らかに有効で、かつ楽しい。一度欲しくて買った本は、買ったことで一度満足し、読むことで二度満足しているのである。それをたとえ買った時より安く売ることになっても損ではない。この感覚が古本と上手に付き合う最も大切なポイントである」という。うちのかみさんに読んで聞かせたい文章である。
 こうして「蒐書散書」を繰り返すことが、自分の蔵書の精度を増し、蔵書として「筋」が通っていることになり、その蔵書の持ち主が死んだとき、処分しやすいという。著者はいう。「処分しやすい蔵書は、持ち主本人にも、遺族にとっても良い結果を招く」と。
 こうなると、私の蔵書は処分に困るものになりそうだ。早いこと何とかしないといけないのかもしれない。

評価
★★

2006年02月26日

茶木則雄著『帰りたくない!』

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 この茶木則雄の『帰りたくない!』(光文社 知恵の森文庫)の副題に「神楽坂下書店員フーテン日記」とある。これを読んだからこの文庫を買ったのだが、書店の話、本の話などを期待していただけに、あっさり裏切られた。
 何のことはない。自分のところの奥さんと、日常のどうでもいいやりとりを書きつづったものであった。自分がギャンブルで遊びすぎて、奥さんに愛想尽かされ、罵られるパターンである。こういう手近なところで笑いを取るパターンは、最初はいいにしても、全編これだと辟易してしまう。もういいよと言いたくなってしまう。
 茶木さんはミステリー専門書店店長(後に退職)で、書評家らしいのだが、この本には最初ところはミステリー本を紹介しているけど、その話をすぐ家庭内の話、特に奥さんとの会話に関連づけられてしまう。
 そもそもミステリー本を紹介しても、中途半端で、ちっとも読んでみようなんていう気にならなかった。後半になると、そのミステリー本さえ紹介されなくなってしまう始末。失敗であった・・・。

評価
×(ブックオフ行き決定!)

2006年02月22日

エドワード・ドルニック著『ムンクを追え!』

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 この本(光文社刊)を読むまで知らなかったのだが、闇で取引される盗難美術品の総額は年間40億から60億ドルにものぼり、その規模は麻薬、武器に次いで第3位に位置しているらしい。
 1994年2月12日リレハンメル冬季オリンピック開催初日、ノルウェーが世界の注目を浴びた日、ノルウェー国立美術館でエドヴァルト・ムンクの『叫び』(時価7,200万ドル、約86億円)が盗まれた。このときノルウェー国立美術館ではムンクの作品展が開かれており、それまで美術館の3階にあった『叫び』を2階の窓際に移し、さも盗んで下さいといった感じで展示されていた。犯人は外からはしごを掛けて、いとも簡単にそれを盗んだ。犯人は犯行後「手薄な警備に感謝する」というメッセージを残すくらいに・・・。
 この本を読んでいると絵画を盗む方法はかなり雑なやり方で行われているようだ。美術品を盗む割には、ドアや窓をぶち破ったり、銃やライフルをぶっ放したりして、大さっぱだ。
 私は絵画など美術品を盗むのは、組織的な犯罪だろうと思っていたが、どうも違うようだ。どちらかといえばコソ泥が世間をあっと言わせたい愚かな虚栄心が名画を盗む動機であるようだ。だから彼らは本当の価値が分からない輩である。しかもノルウェー国立美術館のように、美術品ほど盗みやすいものはないらしく(世間の人に絵を見てもらうということは、泥棒にとってみればさも盗んで下さいといっているのと同じだからだ)、しかも捕まっても罪が軽いらしい。
 いくら警備を万全にしていたっても、泥棒にとってみればいとも簡単に絵を盗むことが出来てしまうのだ。事実あのルーブル美術館の『モナ・リザ』でさえ盗まれたことがあるくらいなのだから。
 そして盗んだ絵をどう現金化するかそれが問題になってくる。世界に一つしかない絵画を盗んでもその処理に困るはずだ。何故ならその絵は明らかに盗まれた絵であると分かるからだ。だから美術館に買い取ってもらうか。あるいは保険会社に買い取ってもらうか。それとも闇のブローカーに流すかして、犯人はお金に変えていく。
 盗まれた絵画は闇で取引され、「密輸品が現金で売買されるとはかぎらず、たとえば麻薬の運び屋への報酬として絵画を渡すこともあるし、大がかりな取引で現金のかわりに使うこともある。あるいは一万ポンドの借金を抱えた泥棒が、盗んだ絵で返済するケースもある」という。
 一方闇のブローカーから盗品の絵画などを買い取る富豪は、その自分の欲望を満たすために盗品の絵画などを買い取る。盗まれた絵画は時価総額がジャンボジェット機が買えてしまうほどの価値があるだけでなく、世界に一つしかないものだから、たとえそれが盗品であっても、それを自分だけが所有しているという満足感がそうさせる。そしてそのように個人に所有された絵画は絶対に公開されない(当たり前であるが・・・)その所有者一人がその絵を前にして楽しんでいるのだ。だから一度盗まれた絵画はなかなか発見できない。
 そんな絵画の回収に挑むのは、ロンドンの美術特捜班(アートスクワッド)のチャーリー・ヒル達だ。
 チャーリー・ヒルは以前盗まれたフェルメールの『手紙を書く女と召使い』を回収している実績があった。


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 チャーリー・ヒルにとって絵を盗んだ犯人を捕まえることは二の次で、まずは絵を回収することが最大の目的である。だから誰がやったかは問題でなく、絵がどこにあるかそれが最大の目的となる。チャーリー・ヒルにとって絵を探す目的は、世界の人々に見てもらうようにすることだけであった。
 その回収方法だが、チャーリー・ヒルがその絵を欲しがっている大富豪の代理人や画商などに扮して、盗品の絵画などを持っている犯人達とコンタクトする囮捜査である。当然そこには危険が伴うが、それでいてチャーリー・ヒルはまるでゲームを楽しんでいるようだ。
 ただ絵の回収にはその絵の知識が必要で、事前に回収すべき絵に関して様々な情報を得ていく。犯人達から渡された絵が偽物か本物か瞬時に判断しないとならないからだ。しかしチャーリー・ヒルは「画家について詳細に調べるのは、この仕事の大きな楽しみの一つである」という。
 絵を盗んだ犯人達とのコンタクトはさすがスリルがある。取引の場面は手に汗にぎる。そして盗まれた絵を目にしたときは、「本物の名画を手にしたとき、凄い絵だということが瞬時に理解できる。絵そのものが教えてくれるんだ。優れた絵画は、見る者にそれだけ強い衝撃をあたえるものだ」という。
 私はこの本で、チャーリー・ヒルが犯人達とどう接触し、絵を回収していくかを読むのを楽しんだ一方で、絵画に関するうんちくも楽しんだ。
 たとえばムンクの『叫び』にかんして、なぜこんな絵が描かれたのかに興味を覚えた。(もともとこの本を買ったのはムンクの『叫び』がテーマになっているからで、もし他の絵のことだったら読まなかったかもしれない)だから「ムンクはなぜ『叫び』を描いたか」が一番面白かった。


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 エドヴァルト・ムンク(1863-1944)は生涯、不安におののきながら生きた人だった。ムンク一族は精神の病という不幸につきまとわれていた。ムンクの日記には「病と狂気と死は、私揺り藍を見守り、それ以後もずっと私の人生につきまとってきた天使たちである」と書かれている。
 そのムンクがどのような目的で絵を描いたのか。それは「人間の外面的特徴を描くのではなく、苦悩や感情を描く」ことで作品を発表し、自身の苦悩を世にさらけ出していったのである。
 特にムンクは女性関係では、いつも悩み苦しんでいた。特に貧乏画家であったムンクは、トゥラ・ラーセンという、コペンハーゲンの裕福な名家の一員で、虚栄心の強い女性と激しい恋に落ち、3年間交際した後、別れた。彼女はムンクを仮病を使っておびき寄せ、よりを戻さないと自殺すると銃を持ち出し、口論の上もみ合いになり、銃が暴発してしまう。弾丸はムンクの左中指の第一関節から先を吹っ飛ばしてしまった。(幸いムンクは右利きであった)

 こうして苦悩上書き上げた絵は、作品めがけて腐った果物を投げつけられるほど不評であった。『叫び』にしても、多くの人から批判され、フランスのある新聞は、まるで排泄物を指でなすりつけたような印象をあたえると酷評された。さらに空に描かれている赤い部分には、鉛筆で「この絵は頭のおかしい人間が描いたにちがいない」といういたずらさえ書き込まれている。
 確かにムンクの絵は見る人にとってみれば、ひどい絵のように見える。この『叫び』を見ても、そう思われても仕方がない。事実その描き方は、急いで筆を走らせたためか、中心に描かれている人物の顔の部分は、よく見ると厚紙(カンバスじゃないのだ)の地肌が透けている。しかもムンクは自分の作品の扱いは無神経で、作品を床に投げつけたり、踏みつけたり、何年間も雨風に曝したまましていたり、湯気の立つスープ鍋の蓋代わりにしたりしていた。
 『叫び』を完成したのは深夜だったため、疲労困憊のムンクが画架の近くにあった蝋燭吹き消すと、作品の上に蝋が飛び散った。今でも『叫び』にはその蝋の雫が絵の右下残っているそうである。(こうしたいたずら書きや蝋燭の跡は、絵が本物であるかどうかの貴重な判定材料になる)
 ところで、私が一番興味を引いたのが、次の部分である。
 それは1883年8月27日午前10時2分インドネシアのクラカト火山が噴火し、火山島の殆どを吹き飛ばした。その火山灰が世界中の空を覆い、その結果、日没時の太陽が燃えるような強烈な赤い光を放つ怪現象が起した。翌28日のニューヨークタイムズには「夕方5時過ぎ、西の地平線が鮮やかな緋色に輝きはじめ、空と雲が真っ赤に染まった。通りを歩いていた人々はこの異常な光景に驚き、あちこちの角に集まって、西の空を見つめた。・・・・雲はしだいに血のような赤に染まり、それを映す海もまた血の海を思わせる色に変わった」という記事が掲載されている。30日付のオスロの新聞では、「昨日から今日にかけて、オスロの西の空に強い光が見られ、多くの人が火災だと考えた。だが、実際には、これは日没後の太陽光が大気中の塵に反射して起こった現象である」と報じている。
 そしてムンクはこの『叫び』を描いた時のことを次のように回想している。「ひどく疲れたので、私は立ちとまって手すりに寄りかかった。濃紺の闇に沈むフィヨルドとオスロの街を眺めると、その上空に、まるで剣から滴る血のように、真っ赤な雲が垂れこめていた。友人はすでに先に行ってしまった。私は独り立ちつくし、恐怖に震えていた。すると、自然を貫く大きな叫び声が聞こえ、いつ果てるともなく続いた」と言っているのである。
 この散歩の日時が1883年、1886年、1891年の説がある。もし1883年だとしたら、ムンクの『叫び』の背景にある夕日は、当時非常に珍しい自然現象であった可能性がある。つまりムンクはこの現象を見て、『叫び』を描いたのではないかというのである。もちろん確かなことは分からないが、少なくとも精神を病んでいたムンクがこの自然現象を目撃していたら、かなりのショックを与えた可能性がありそうである。そしてその時の印象を『叫び』に描いたのではないかという推理は面白かった。

 この本を読んでもうちょっとムンクのことを知りたいと思った。他にムンクのことを書いた本を読みたくなった。(こうしてどんどん興味を覚えるから、次から次へと本を買ってしまうのだ。そしてその本の収納に悩まされるのだ。やれやれ・・・)
 
評価
★★★★

2006年02月10日

『本屋さんの仕事』(太陽レクチャー・ブック005)

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 この太陽レクチャー・ブック005の『本屋さんの仕事』(平凡社刊)は全体がビニールで装丁されていて、シンプルでありながら、おしゃれな本だ。この太陽レクチャー・ブックの案内を見てみると、『グラフィックデザイナーの仕事』、『フォトアートの仕事』、『北欧インテリア・デザイン』、『アートの仕事』と、この本以外グラフィック関係に重点を置いたシリーズのようだ。となると、この『本屋さんの仕事』というのは、ちょっとコンセプトが違うんじゃないかと思えるが、要はアートやグラフィック関係の本を多く扱った新進の本屋さんをテーマにしたものだから、このシリーズから逸脱しないことが分かった。

 ところでその昔作家や学者、あるいは有名人の書斎の写真を載せた雑誌があった。たぶんその雑誌のコンセプトは、あなたもこんなに本に囲まれた書斎をお持ちになったら如何ですかというものなのだろう。まだバブルがはじける前の時代だったから、それは夢じゃない時代だった。またどういうものか男というのはこういう自分だけの書斎というのにあこがれるところがあるので余計にいいなぁと感じるのである。
 その写真を見ていつも思ったのだが、本ってインテリアになるんだなぁということであった。ごっつい洋書が並んでいる本棚を見ていると、特にそう思う。
 何でこんなことを書くかというと、最近の本屋さんって、個性的であることを強調することで、妙に洒落ていて、スマートなのである。この本にある個性的な本屋さんの写真を見てもそう思うし、最近よく行くヨドバシカメラにある有隣堂にしたって、そう感じてしまう。なんかゆとりの空間を演出することが流行みたいだ。

閑話休題
 いきなり閑話休題なんて始めちゃったけど、思いついたので書く。閉店した岩本町店のことである。
 当時の店長から、お店を手伝って欲しいといわれて、お店のレイアウトを変更した。私は古いタイプの本屋さんでは、この店は生き残れないと思ったので、思い切って在庫を減らし、ゆとりのスペースを作るべきだと提案した。というのも今までみたいに、大きな棚があって、そこにジャンル別に分類して詰め込めるだけ詰め込んだ棚なんて、それほど意味を持たないと思っていた。本屋は図書館じゃないので、これでは本という情報がお客様に伝わらないし、自分達もただ勝手に問屋から送られてきた本を棚に埋めるだけの作業しかしていないのだから、ちっともクリエイティブじゃないと思うのだ。自分達がお客様にどうやって一冊一冊の本を手に取ってもらうか。関心を持ってもらい、買っていただけるか。それをしないかぎり、中小書店は生き残るのは難しいと思うのだ。少しでも自分達が何を伝えたいかそれをしなければならないし、そういう環境を作るべきだと思ったのだ。そこにはゆとりの空間がどうしても必要になるので、大きな棚はじゃまなのである。
 しかしそうして作ったスペースは、うちの社長にとってはもったいないらしく、全体が貧相に見えるじゃないかと批判された。おそらく古いタイプの書店主にとって本屋には大きな棚があって、そこに必要以上の本がぎっしりつまっているのが当たり前という既成概念がこびりついているのだろう。結局この件に関しては、最後まで認めてくれなかった。
 本当はもっと早くこうした棚づくり、スペースの確保、自分達が積極的に伝えることをやればよかったのだろうけど、結局遅すぎた。けれど今でもこれは間違っていないと確信している。

 さて、問題は本の棚である。それは個人のものであろう、書店の棚であろうとも、どのように構成、演出していくかで、だいぶイメージが変わってしまうということなのだ。何故かというと、本1冊はもうそれだけで完成された商品であり、中身をいじることはできない。となると装丁などうまく使って、どうやってビジュアル的にうまく見せるか。あるいはどのジャンルに、どのように陳列するかによって、棚の構成が豪華にも、貧相にもなってしまう。もっとも個人の蔵書の棚を成金趣味的に豪華に見せるのはどうかと思うけど、本屋となると本の棚をどう構成し、アピールするかによって売上に影響が出てくるはずだ。
 最近のように大書店がどんどん出店してきて、今まであった中小書店が潰れていく現状のなかで、一方でこうした独自のカラーを出した、既成概念にとらわれない本屋さんが生まれている。いわば新しいスタイルの本屋さんが生まれているのだ。
 どうしてこういうことになっているのだろうか?
 面白い数字を出してみよう。1997年の書籍・雑誌の売上は2兆2千億円といわれており、この数字は1991年と同じレヴェルである。一方出版点数は2003年実績で7万数千点で、1991年の4万点と比べると大幅に増加している。そんな中、本の値段は殆ど値上がりしていないので、1991年と同じ売上をあげるには、今は一点数あたり約倍売らないと維持できないことになる。
 この7万点という出版点数は、1日に換算すると、平均200点、土日の休みを考慮すると、平日300点の新刊が生まれていることになる。その一方で現在流通している本のアイテムが50万~60万といわれているから、それに毎日200点~300点加わっていくのである。これを考えると、書店業がいかに大変な職業であるか分かろうというものである。
 逆に返品を考えてみると、これもひどい状況である。いわゆる返品率が平均40%を越えているのが現状で、これは放って置いても売れる本を含めての数字だから、新刊だけで60~80%の返品率になるという。
 こうなると儲かるのは、本の配送を請け負っている運送業者だけで、書店業界は完全に硬直化している。
 それでいて利益率は20%弱しかなく、そこに経費を考えれば利益なんて出やしない。当然書店員給与だって、他の業種からすれば低い水準で押さえられてしまう。もう本屋なんてやってられないという状況がこれだけでも見えてくる。そこへもってきて、町の本屋さんというのは戦争から帰ってきて、あるいは戦後学校を卒業して開業した一代目が多く、それらの人達が70歳を超え始め、身体も動かなくなってきたし、景気も悪いし、跡継ぎもいないし、儲けも出ないからやめようということでどんどん廃業していっているのである。
 この様に書店業界は完全に硬直化する一方で、大書店の寡占化が進み、町の本屋さんは廃れる一方になっている。そんな中、だからこそ既存のシステムや考えにとらわれない自由な発想で書店を作る人達がいる。あるいはもう既存のシステムや考えが機能しないから、自分達の思うように本屋をクリエイトしてしまう、そういう人達が出てきているのだ。この本はそういう新しいタイプの本屋さんを本では紹介している。
 だから今までのように立地条件に依存することなく、マンションの一室で自分達の店を開いたり、自分達が得意とする分野に特化し、いわばマニアには知る人は知るといった感じで、商品構成の棚を作り、それこそわずかなスペースでお店を開いたりしている。そこには本だけじゃなく、CDや雑貨、ギャラリーなどをうまく組み合わせて本をうまく演出している。そのためわざわざ海外で自らアートの本を仕入れてきたり、新刊と古本をうまく組み合わせていく。全くもって自由な店作りをしている。店内の写真を見ても、普通の本屋さんとは全くイメージが違う。
 そしてそれらの店に共通していることはネットで自分達のサイトを丁寧に作り上げ、そこでお店の情報を公開し、機能させていることである。それはお店の補完的な存在ではなく、場合によってはお店そのものを変えてしまうほどの性質を持ったもなのだ。
 URLを紹介しますので、ちょっと見てみて下さい。

 ユトレヒト http://www.utrecht.jp/

 洋書ハクネット代官山店 http://www.hacknet.tv/

 BOOK246 http://www.book246.com/

 タコシェ http://www.tacoche.com/

 古書 日月堂 http://www2.odn.ne.jp/nichigetu-do/

 恵文社一乗寺店 http://www.keibunsha-books.com/vvb/index.html

 さすがプロだなぁと思わせるサイトである。この方面に能力を遺憾なく発揮していると思う。それに比べて書店組合の青年部が作っているサイトの貧相なこと。こんなサイトなら公開しない方がいい。ちなみに東京都書店商業組合青年部のURLは以下の通り。同じ若者が作っているとは思えないほどで、思わず「あぁ~」と目を覆ってしまった。

 東京都書店商業組合青年部 http://hon-ya.org/Seinenbu/index.html

 それにしても、こうして元気で若い人達が本屋をやっている一方で、やっぱり書店業だけではお店を維持できず、自分達の能力を他の業種で生かし、あるいは利益率の高い雑貨を置いたり、又はギャラリーなどをお店に作って、その場を貸すことで場所代を稼ぐことで、何とかお店を維持している現実は、既存の中小書店と変わらない。それくらい本屋さんは儲からない。彼らが本屋さんをやっている理由が、本屋をやりたいという志と、この仕事が好きだからだけじゃ悲しい。出版社の社員が高額の給料を取っているのに、何で本屋で働く人間だけが薄給であるのか。それを何とかしないといけないのではないかと思う。出版社の人間だけがプレゼンしプロデュースしている訳じゃない。それで給料が高いというなら、本屋さんで働く人も同じである。出来上がった本をお客さんに情報として提供し、棚を演出しているのだから、やっていることは同じだと思うのだ。いつまでも薄給で置いておくこと自体おかしな話だ。働いても儲からない商売のままでいいわけがない。

 ここまで書いてふと思ったのだけど、もしかしたらあのホリエモンは本屋で働いている人からすれば、案外恵まれていたのではないかなんて思っちゃったりする。だって、自分が働けば働いただけ、目に見えて自分のお金が手にできたのだから・・・。
 そういえばお茶の水の丸善でホリエモンの書いた『稼ぐが勝ち』の文庫に次のようなPOPを見かけた。「0から100億円へ/ボクのやり方・・・・/捕まっちゃった」と。誰が書いたのか知らないけど、思わず笑っちゃった。うまいもんだ。でも、これを書店の人が書いたと思うとなんだか悲しいものがある。