2012年01月03日

向井透史著『早稲田古本屋日録』

2012_01_03_01.jpg


 私は本を読む時はいつも付箋を本の表紙の裏につけておき、気になる文章や言葉などあったところに貼り付けていく読み方をしている。それはたとえば本文にマーカーなど使ってもいいし、あるいは書き込みをしてもいいのだけれど、本を汚してしまうことが嫌なのでそうしている。そして読み終えたら、その本に付箋だらけになっていることが多い。
 しかしこの本はそうした付箋がほとんど付かなかった。それはこの本にそうした箇所がなかったということではなく、付箋などつけずに本の内容を素直に感じ取るのがいいのかな、と読み始めてそう思ったからである。詩的で素直な文章は読んでいて心地よかったのである。
 年の暮れから読み始め、元旦に読み終えたのだが、最初の「大雪の夜」が本の内容のように雪はないが、ちょうど暮れの時期のことが書かれていて、どこか雰囲気が同化出来る部分があってよかったのである。この文章は著者が19歳の時に書かれたと後で知ったが、なかなか大したものである。


 「すごい雪だ。明日は営業できるかな」
 こんなことを考えているのは、年の終わりも近づく頃。大雪の日である。
 とても静かな一日であった。なにせ店のドアが開く音がまたったくしないのだから。聞こえるのは、私の打つパソコンの音だけ。外を見れば、百円均一のワゴンには雪が山盛りに積もっている。たまに通る、車の振動が積もった雪を崩していく。
 こんな状況になってくると、それほど広くない店の中は、まるでかまくらの中のようではないか。先ほどから、外の雪のひとひらひとひらを目で追うというような、無駄なことに時間を使っている。

 「いしやーきいもー」

 五十代半ばと思われるおじさんは、車から降りるなり店に入ってきた。壊れてしまった眼鏡の縁が、セロテープで固定してある。肩の雪を払いつつ「どうだい、売れているかい?」

 「見ての通りですよ」

 「そうだろうな。ここいらへんで開いているのはあんたの所だけだ。人なんかいやしないよ。寒くたって外に人が出てこないんじゃ俺も商売にならないよ」

 「兄さん、一つ買ってくれよ。おまけするから」

 営業か。ちょうど腹もへっているし、買うことにした。石焼いもの押し売り、というのもおかしくて気に入った。

 「わるいね」というと、すばやく大きな焼きいもを持ってきた。小さめのものを、ひとつ付けてくれた。これがおまけというわけだ。
 おじさんは、お金を受けとると店内をゆっくりながめた。数分してから突然おじさんは口を開いた。

 「俺って本を読むように見える?」

 「お客さんで、あまりいないタイプ」

 「見えないよな」

 「俺、昔はずいぶん本を読んだんぜ。古本屋にもよく行ったもん。自宅の近所にはさ、なじみの店もあったの。まあ事情があってこの仕事をやるようになってからはあまり読まなくなったけどさ。まぁ、読む気力なくなっちゃうんだよな、仕事の後って」

 「何時までやるんだい」

 「もう終わりです」

 「ちょっと待ってな」とおじさんは一昔前のでっかい魔法瓶と、小学生が使うようなプラスチックのコップを持って戻ってきた。
 「まあ飲めよ」
 コップから湯気が上がる。店内に、甘い紅茶の香りがひろがった。
 「いい香りですね」
 「本の香りも悪くないよな。なんちゃってな」
 「うまいこといいますね」
 おじさんは耳まで真っ赤になると、紅茶を一気に飲みほした。


 古本屋さんはいい感じの文章を書く人が多いような気がする。文章もうまいし。向井さんの本は初めて読むが、私もこういう文章が書ければいいなと思ってしまう。
 早稲田でも年に一回青空古本祭があるとは聞いていたが、向井さんは早稲田の古本屋さんで、その祭の目録作成に関わっているらしい。お祭りは9月にあるのだが、その用意は春から始めていることを知った。1年に1回の大きな催し物のため、それくらいの時間をかけなければならないらしい。もちろん日々の営業もあるわけだから、夜遅くまでパソコンを打ち、目録を作り、原稿を書く。だから店番中居眠りもしてしまうし、買い取り先でも居眠りしてしまい、気がつくとタオルケットを掛けられて、慌ててしまったことが書かれている。古本屋さんも大変だ。
 新年早々いい本からスタート出来た。


評価
★★★


書誌
書名:早稲田古本屋日録
著者:向井 透史
ISBN:9784842100661
出版社:右文書院 (2006/02/28 出版)
版型:199p / 19cm / B6判
販売価:1,575円(税込)

2011年12月21日

森田功著『やぶ医者の一言』

2011_12_21_01.jpg


 今まで手に入る文春文庫を読んできた。今回は集英社文庫である。『やぶ医者の一言』というように、今回は短い文章の中で、最後に森田さんの一言が加えられていて、それが森田さんらしい。前回がちょっとと思っていただけに、これは楽しく読めた。森田さんの診療に見える患者さんを通して、町医者とは、病気とは、医療とは、何なんだろうと思われるあたりは、森田さんらしくて良かった。いくつか書き出してみよう。ほとんどの文章で森田さんが最後に呟く一言である。


 町医者は喘息ばかりとは言ってられず、交通整理のお巡りさんのような役割を果たさなければならない。


 医者には後悔がつきものと思いなおすが、通夜の席は被告席と変わりない。私は箸を握り、盃をもったままうつむいて、時を過ぎるのを待った。


 医療を含めて、西欧文明というものを、根底から見なおす時にきているのではなかろうか。


 花粉症は、排ガスに枯らされた杉の木が、適を討っているように思えてならない。


 親戚の人たちの意見は二分したらしかった。死にかけた者を助けた、というのと、助かる者も見分けのつかないやぶ医者、というのだった。


 心配代行業も町医者の仕事らしい。


 薬を計る手は、毒物を計るように慎重であらねばならないと自戒する。


 祖父の、一見でたらめな育児に、誤りはなかったようだ。子育ては百の議論より心であると思う。


 余計な病名ばかり心配するより、つまらない症状でも正しく伝えることが、診察を受ける際には大切であろう。
 ものを言わない動物相手の獣医さんは、さぞかし診断が難しかろうと思うが、逆に犬や猫を連れた飼い主は、病人以上に口やかましいものらしい。


 広く浅い知識で、何の相談にも乗らなければならない町医者は、大病院の専門医がしみじみとうらやましい。


 と、いろんな患者の言うこと、症状を診なくてはならない町医者は、愚痴もこのようにこぼしたくなるだろう。地域に密着している分そこにいる人たちの目に絶えずさらされていなければならない分、その精神的苦痛は大変だろうと思われる。町医者は“心配代行業”というのもそうであろうし、患者さんの通夜に出席すれば、その席が“被告席と変わりない”と感じるのも、大変だなと思うのである。

 森田功さんの本はこの本を含め続けて5冊読んできた。しかしこれで森田さんの本は最後にしようと思っている。私たちはかかりつけのお医者さんをたぶん持っているだろうし、ちょっと調子が悪ければ、すぐかかれるお医者さんを持っているはずだ。そのお医者さんの苦労をちょっと知ることが出来たので、何でも思うようにいかなかったら「やぶ医者め!」と思うのはちょっと控えようかな、と思うようになった。


評価
★★★


書誌
書名:やぶ医者の一言
著者:森田 功
ISBN:9784087483659
出版社:集英社 (1995/07/25 出版)集英社文庫
版型:251p / 15cm / A6判
販売価:入手不可

2011年12月15日

森田功著『やぶ医者のねがい』

2011_12_15_01.jpg


 この本は今まで読んできた3冊とは多少感じが違っている。それまでの本は、自らの診療所に来る患者さんや、著者の近所に住む人たちを通して、病気を語り、医療を語り、人を語っていた。
 ところがこの本はそうしたスタイルを維持してはいるものの、そこから導き出される著者の意見は、大きな課題を、社会の問題、医療の問題、死の問題をとして、多少上から語っているきらいがある。例によっていくつか書き出してみよう。


 抗生剤は進歩したが、病気は薬だけ治るものではなく、基本は体力、いわゆる自然治癒力に頼るところが大きい。病気と戦うのは体であり、薬は応援団のようなものでしかない。


 でも、日々の診療活動の中で、ちょっとどうなんだろう、と思われる大きな問題、例えば学校の健康診断で、確かに児童の健康や病気の可能性がある児童をとにかく病院にかからせる体質は、別問題もあるんだと指摘する。それが次のものである。


 後日、医師会か何かのときに、副会長の取り巻きのような耳鼻科医は、「学校検診のおかげでしばらく助かりますよ」とささやいているのを耳にした。「治療のすすめ」には、儀式の他の意味もあるようだ。


 これは別に学校の集団検診に限らず、どこでも行われている健診でも同じだろう。検査の結果次第で、多少疑いがあれば、すぐ病院に行って詳しく検査してもらえ、という通知は、その地区の病院を儲からせているだろうな、と推測出来る。検診の結果異常の可能性があると書かれれば、誰だって心配し、病院に行かざるを得ない。それはそれで本当に問題があった場合、早期発見などに役立つわけだから、意味はある。それは否定しない。けれどここの副会長の取り巻きのような耳鼻科医が言うことも事実なんだろうと思われる。実際問題、再検査の結果大したことがなければ、検査費用をふんだくられて、いったい何なんだ、と言いたくなる。でも、健診が裏側の面から見ると、医者の食い扶持を稼がせているとしても、こればかりは仕方がない。もし再検査して本当にその病気のであった場合、逆に良かったということにもなる。ただあからさまに医者側にこのようにささやかれていると聞くと、腹も立ってくるだけである。
 また学者言ったことが行政の認可や許可を受けて、当たり前の治療法であっても後になって、それは間違いであったというのはこれもよく聞く。著者はこれに関して次のように言う。


 何事かが起こるたびに、学者は安易な対策を口にし、行政の責任者は太鼓判を押すが、誤りが明白になったあとで、学者や行政が責任をとったという話を聞いたためしがない。


 ただこれだって確かにそうだけれど、その当時はそれが一番の治療方法であって、他に治療方法や薬が見つからなかったのだから、ある意味仕方がない。科学の進歩が絶えず過去の治療方法を検証していくから、そういうことになる。たぶんこういうことはいつの時代にもあることだろう。そのたびに責任の所在を求められれば、学者はやって行けまい。医者にしてもそうであろう。その時最善の治療法であったものが、後に間違いであったと否定され、責任を取らされるなら、たぶん医者なんてやっていけないんじゃないかと思う。
 ただ一番困るのが患者である。そしてそのことによって患者が医者を責め、その診療科の医者のなり手を少なくしてしまい、結局患者が自分で自分の首を絞めることになってしまうのである。今小児科や産婦人科が少ないのもこんなところにあるんじゃないだろうか。
 問題を提起するのはいいけれど、むしろ言い放しの方が、無責任のような気がする。このあたりが今までの森田さんらしくない。
 次の文章も皮肉だけで済まないところが感じられた。マッサージ師がマッサージをしていて触診で病変を発見した。それは大病院で大げさな検査をしても見つからなかったことであった。それをこのように書く。


 面目を失墜したのはX病院であった。現代の技術の水を尽くした精密検査で見逃した病変が、マッサージ師の手先で発見されたのである。何の元手もかからない触診が、何億円もの検査設備を凌駕してしまった。


 これまでもこのような文章は書かれてきた。その時はそれまでの森田さんの書かれる文章から、町医者の限界を肯定した上で言われていたし、自らもひがみやねたみだと言ってきていた。だからこのように言われても、確かにそういうこともあるよね。何でも大病院が、あるいは設備の整った病院の方が安心とは言い切れないかもしれない。でも患者とすれば、徹底的に調べてくれる病院を選択するに違いない。それは仕方のないことだと思う。決して町医者を馬鹿にしているわけじゃないのだ。それを設備の整った病院を選択することが一概にベストの選択とは言い切れないというような言い方は如何なものかと感じてしまった。その点が気になった。森田さんらしくない。町医者のねたみだけとは感じられなかった。
 で、それはどうしてなんだろうかと考えてみた。今回森田さんの体調の悪さがやたら出てくる。元々ぜんそく持ちで、アレルギー体質で、それに苦しみながら患者さんを診てこられてきた。時には患者さんの方から「お大事に」と言われる始末である。
 でも今回はそれが悪化し、老齢という問題もはらみ、自らの進退を考えなければならないところに来ておられる。要するに診療の存続、自らの死の問題をどうしても見つめざる得ないところまで来ていたのである。だから笑って済ませられないところが数多く出てきてしまったのだろう。そう思う。特に後半は死に関しての記述が多いのもそのことを物語っている。


 男の平均寿命が八十歳の近づいた今、それまでに死ぬのは不届きだと言わんばかりの風潮があるが、人それぞれ寿命がある。誰もが平均寿命までと、天寿まで管理されることはあるまい。


 いまさら言うまでもないが、一日生きれば、それだけ多くの他の生命を奪うことなる。生命は相互に依存する、というのは、人間の勝手な思い上がりである。人は他の生命を収奪することでしか生存でいない。


 すべて仕方がないのかもしれない。でもちょっと残念だな。それまでの森田さんの文章にあるユーモアとシニカルさが気に入っていたので余計である。もっとも勝手なことを言っているのは私なのだが・・・。
 森田さんは大腸癌で亡くなられている。遺言により通夜、葬儀は行われず、遺体は献体されたという。


評価
★★


書誌
書名:やぶ医者のねがい
著者:森田 功
ISBN:9784167393052
出版社:文芸春秋 (1998/10/10 出版)文春文庫
版型:254p / 15cm / A6判
販売価:入手不可

2011年12月13日

森田功著『やぶ医者のなみだ』

2011_12_13_01.jpg


 ここでも町医者として開業医の苦労が書かれている。いくつか書き出してみる。


 もののはずみのふとした勘違いが、人の生命にかかわる。とくに開業医は、あらゆる事故の責めを自分一人で負わなければならない。いつ世間の非難を浴びて夜逃げという事態にならないか、いや、投獄されるようなことになりはしないか、毎日が薄氷を踏む思いである。


 二十年あまり前に私が開業したころは、往診を頼まれるとすぐ引き受けた。来院されると困る麻疹など、伝染病の多かったせいもあるが、実のところ開業資金を返すために、一軒の患家でも増やし、少しでも稼ぐ必要に迫られてのことだった。
 借金に追われなければ働かないのかと、われながら浅ましい気もするが、保険の往診点数が上がるにつれ、たのまれる件数が落ちたのも事実である。初め往診料は整髪料の半分でしかなかったが、現在は二倍近くなっている。
 実際当時と比べると医療設備が整い、検査は格段の進歩をとげた。歩けないほどの病気であれば、手当てをしながら検査をするために、入院が常識となった。そのせいもあって往診は減った。


 毎夜のように私は紹介状を書いている。紹介というよりは依頼である。あちこちの病院に、検査や治療を頼む。病院のお世話にならなければ、今では町医者の設備や技術だけではどうにもやっていけない。
 ひと昔前の町医者には、聴診器と血圧計があるばかりで、レントゲン装置さえなかった。


 機械は置いただけでは役に立たない。診断に活かすためには、それ相応の学習をしなければならない。設備投資もさることながら、勉強して機械を使いこなすまでの苦労が、町医者の片手間にはこたえる。


 こうして書かれれば、確かにそうだろうな、と思う。病気だって、ちょっとしたことでもすぐ病気にしちゃうものだから、たぶん一昔前より増えているんじゃないかと推察する。その治療方法も日進月歩だろうから、その勉強も大変だろう。診察するに当たって最新の機器を使っていないと、患者からそっぽを向かれかねない。薬の種類だって、ものすごい量に増えているに違いない。
 森田さんは次のように書いている。


 診断について、問診や視診、打聴診から病名を予測し、それに従って検査を進めるのは時代遅れだという意見がある。ひととおり検査して、検査結果に異常があったところだけを考えればよい、というのである。
 この意見に従うと町医者の存在理由がなくなる。中規模の病院も、ますます大病院化を志向しなければならない。
 医療を受ける側にも、この傾向を促進する責任があるのではないか。病院のよしあしを設備の有無で判定し、「CTがないのは病院ではない」ような言いかたがされる。


 確かに患者である我々も、町医者を信用できないとすぐ専門医と最新の医療機器がある大病院を志向する。その結果必要以上の検査をされ、検査でふらふらになってしまうのだから、この点はちょっと考えないといけないような気がする。少しでも健康で長生きしたいのは誰でも同じだろうけど、歳を取れば身体に異常が出てくるだろうし、そして人はいつか間違いなく死ぬのである。それを医療技術の進歩で多少時間を遅らせたとしても、その結果苦しい検査を受けなければならないし、死ぬことさえ、身体中にチューブが巻きつけられ、そう簡単に死なせてくれない。ぎりぎりまで心臓は動かされるのである。それが日本の最高の医療なのである。
 この本の解説は立川昭二さんが書かれているが、そこには次のように書かれている。


 それには、かならずしも最新の機器をそなえた最高の医療である必要はない。それはその病人にとって最善の医療であればいい。
 「最高」の医療と「最善」の医療とはちがう。
 最高の医療がかならずしも最善の医療ではない。そして最善の医療のほうが最高の医療よりむつかしい。そして私たちは、どちらを望むかといえば最善の医療のほうを望んでいるのである。森田さんは、このむつかしい、そして私たちがいちばん望んでいる最善の医療をやってくれる「お医者さん」なのである。


 その最善の医療を施してくれるお医者さんが永いこと往診していた八十六歳の女性を自宅で見送る場面を描いた「泣き虫」という文章がある。


 駆けつけてみると、下顎で空気を集めて飲みこむような、ゆっくりとした臨終の呼吸であった。もはや見せかけの注射をする暇さえなかった。
 すまさんの手を握った子息が「ほら、ぬくもりが消えてゆく」と、嫁や孫に呼びかけた。私は蒲団に裾に座り、膝頭を両手でつかんでうつむいた。
 「おばあちゃん」「お母さん」と口ぐちに呼びかける声を聞いていると、涙が手の甲に滴った。泣き声をこらえようとして、のどの奥で鶏の鳴くような音がした。これほどつらい仕事が世の中にまたとあるのだろうか。毎度まいど涙をこぼしながら、誰か代わってもらえないものかと思いつめる。


 こういう文章を読むと、人の病気や死に付き添ってくれるお医者さんというのが有難いな、と思う。けれど、こういうのもなかなか難しい世の中になりつつあるんだろうなとも思う。世の中あらゆるところで、効率やスピードを要求するのだから、人の病気や死も、右から左へと次から次へと処理されても、ある意味当然のような気がする。効率やスピード、利便性を競争すればするほど、そのほころびが人間の尊厳を軽くしていく。そこに利益という考えが加われば加わるほど、ますます人間の尊厳が軽視される傾向になるのはやむを得ない。
 設備のある程度整った病院付近で、胃を取られた人が多いと書かれ、そこは無胃村と呼ばれているらしい、と書かれると、笑ってばかりいられない。ちょっと考えてしまう。


評価
★★★


書誌
書名:やぶ医者のなみだ
著者:森田 功
ISBN:9784167393045
出版社:文芸春秋 (1997/08/10 出版)文春文庫
版型:251p / 15cm / A6判
販売価:入手不可

2011年12月05日

森田功著『やぶ医者のほんね』

2011_12_05_01.jpg


 初七日の前後、道で姿を見かけた夫人が用のないはずの路地へ曲がっていったが、うなだれたまま目礼も返してくれなかった。
 非力な医療を恨むことが、多少でも夫人の悲しみの軽減に役立つならばと、私は自分に言い聞かせたが、甲斐のない町医者の働きがわれながら哀れであった。


 この文章は森田さんが診ていた心疾患の患者さんが、甲斐なく亡くなってから、その夫人と道でばったり出会った時のことを書いたものである。夫人からすれば、もう少ししっかり診てくれれば、という気持ちの表れなんだろうと思う。もう少し町医者がしっかりしてくれれば、死ななくて済んだかもしれないという気持ちは、病気で失った人を思う余り、そう思いたいのはよくわかる。
 私の父親が母親を亡くした時、かかりつけの医者がもう少ししっかりしてくれれば、もっと早く癌を見つけることが出来たんじゃないのかと恨みがましく言っていたことがあるのを思い出す。何のために毎月通っていたんだ、とも言っていた。でもそれって、今にして思えば、父親の悲しみをその医者にぶつけていただけのことじゃないかと思う。そうすることで、悲しみのやり場をそこへ持っていったのだろう。だからそれは身内に言う愚痴だったし、この夫人も自分の悲しみを森田さんに見せただけであろう。
 ただそれがわかるから森田さんは、「夫人の悲しみの軽減に役立つならば」、と夫人の態度に耐えたのだ。仕方がないと。でもこれって苦しいだろうな、と思う。しかし町医者の限界というのがあるだろう。なんでも大病院だったら助かるかもしれないという患者の思いに対して、森田さんが町医者としての自分の気持ちを隠さないところはいい。


 「二カ所の大学で手術しなければと診たてた病気が、放っておいたら治るとは、どうなっているのだ」
 受話器の中で村上が罵るのを聞きながら、私はいく分は痛快な気分を味わっている。雲の上の存在のような医学部教授に向けた悪態は、胸がすく。

 医学部教授の誤りに対して、鬼の首でも取ったようにはしゃぐのは、町医者の劣等感の裏返しなのであろう。


 いずれにせよ、どう転んでも町医者は、その限界をいつも感じつつ診察をしなければならないものなんだ、わかった。町医者は個人で開業している以上、リアルに生死を突きつけられ、場合によっては、直に訴えられかねない危機さえいつも抱えているのである。


 自分の半生は刑務所の塀の上を歩いてきたようなものだという政治家がいたが、罪人にならないまでも、どちらに転んでも不思議のなかった場面が、私の半生にも幾度かあった。


 それでも森田さんは次のように書く。


 狭い塀の上を、落ちたのか落ちなかったのか、とにかく現在の町医者にたどり着いて今日まで来てしまった。学問上の業績からは遠く、地位名誉には何の縁もない、だが私はこのまま、この地で生涯を過ごしたいと念願している。


 ところで私は毎日胃腸の薬を服用しているので、森田さんの薬に関する記述は気になった。森田さんは薬に関して次のように言う。


 薬は心理的な効能もあり、飲んだり注射しただけで効いたような気がする場合が多い。


 これ、よくわかる。

 結局いつもの薬を飲むことが、特別その薬が命に関わるもの以外、案外その効能よりも、森田さんの言うように「心理的な効能」も馬鹿に出来ないように思う。飲んでいれば安心、というのがあるじゃないですか。
 次の森田さんの患者の薬に関する会話が面白い。


 「また同じ薬か」

 「同じ薬が続けられるほどいいんだよ」

 「一度飲んだだけで、がばっと治ってしまうような薬はないものかね」

 「今のところはまだないが、そのうちできるだろうから、現状維持に努めるのがいちばんだね」

 「気の長い話だな」

 「一病息災とも言うし、腹を立ててはいけない持病というのは身のためじゃないか」


 森田さんは“一病息災”という四字熟語を持ち出して、そのための薬は「長い将来を考えれば、薬は増量しないことにこしたことはない。少しばかりの薬を続けるのは、本人が病気を意識し管理してゆこうという自覚を持たせる意味もある」のだと書いている。なるほど!そうかもしれないと思った次第だ。


評価
★★★


書誌
書名:やぶ医者のほんね
著者:森田 功
ISBN:9784167393038
出版社:文芸春秋 (1996/03/10 出版)文春文庫
版型:249p / 15cm / A6判
販売価:入手不可

2011年12月01日

森田功著『やぶ医者の言い分』

2011_12_01_01.jpg


 私が森田功という人物を知ったのは、吉村昭さんの随筆からであった。この人の詳しい経歴は知らないが、吉村さんの文章を読むと、順天堂大学医学部の病理解剖を長いことされていて、その後三鷹台で診療所開き、町医者とその後の人生を過ごされた。吉村さんは森田さんをかかりつけとしていたという。広島で原爆被ばく経験を持っておられる。
 とにかくその文章を読んで、森田さんがエッセイシストでもあり、いくつかの著作もあると聞いて、読んでみたくなり手にした本が5冊である。『やぶ医者』シリーズといっていいのかも知れない。(いずれも今は新刊書店で手に入らないので、ブックオフとアマゾンのマーケットプレイスで購入した)

 私は自分が胃腸の調子がおかしくなるまで、医者というものにかかったことがほとんどなかった。だから町医者についてそれほど考えたことがなかった。かかりつけのお医者さんというのに、長いこと縁がなかったといっていい。けれどこうして歳をとって、胃腸の調子が芳しくなって、まずは近所の診療所やクリニックなどへ通った。苦しい胃カメラや大腸の内視鏡検査を我慢して受けてきた。病名は十二指腸潰瘍だとか、逆流正食道炎とか、内視鏡検査で、胃と十二指腸の間に、昔あった潰瘍が小さなこぶみたいになっていて、通りが悪くなっているとか、いろいろ言われた。いずれも胃腸科とうたっているところであったが、長いこと通っても一向に改善する雰囲気はなかった。
 病名が変わるたびに、あるいは病院を変わるたびに、薬が変わり、数も増えていったりする。そして今通っている胃と腸の内視鏡専門医のクリニックに落ち着いている。
 こうして、何度か病院を変えてみて、わかったことがある。診断というのはある意味ドクターの主観であるのではないか、ということである。特に内科ほそうじゃないかと思う。もちろん診断を下すには、それなりの知識と経験の裏付けがあってのことだとわかっている。でも、はっきりとした病巣が目に見える形であればともかくとして、私みたいななんだかよくわからない症状は診断が付きにくいのであろう。
 それでもはっきりした病名をつけなければ、保険請求もできないし、治療方法も決まらないし、薬も決まらないはずだ。そこで診断を下すに際して、かなり悩まれるだろうことは推測できる。ただその診断が大きく間違っていなければいいが、誤診まではいかなくても、治療方法や薬の選択に違うチョイスがあったのではないかと悩まないのだろうか、と常々思っていたところ、森田さんが町医者の心境をこう書かれている。


 どんな仕事をしていても運不運というものはついて回るが、町医者を開業してから二十年余り、ふしぎと私は幸運に恵まれてきた。
 なんとか今までは持ちこたえてきたものの、いつ運に見放されるかわからないという不安はたえず心の底にある。
 深夜目がさめて救急車の音を聞くと、もしや自分の診た患者ではと不吉な想像を巡らさずにはいられない。町医者をしていればいつでも、二、三人は気がかりな患者がいる。


 自分が診断した患者が、診断通りあれば、それでいいけれど、はたしてそれで間違いはなかったのか絶えず不安に駆られることがいくたびか書かれている。だろうな、と思う。いろんな患者を安心させたり、注意をしたりしているけれど、


 ひとの心配を肩代わりするのが医者の仕事かも知れないが、氏が安心して帰ったぶんだけ私は気が重くなった。やはり血液検査ぐらいすぐすべきであった。胃の透視も二、三日のうちに約束しておけば良かった。ひと月で三キロも痩せるのはただごとではない。考えれば考えるほど不安は大きくなってくる。


 こういう不安に絶えず悩まされるという医者は、自信がないなら話にならないが、そうじゃなくて、人の身体のことである。何が起こるかわからない。また一つの症状で判断を迫られる訳だから、“これだ!”という確実なことが言えることなど少ないのではないか。それに吐露する分この先生は良心的だと思うべきなのだろう。まして町医者である、いつも患者の顔が見える立場の人だから、余計に慎重になるはずだし、その責任の重さが不安を残すのだろう。

 また次の文章は素直な気持ちとして嬉しい気分がよく出ていて、私は気に入っている。


 病状が回復に向かったと聞くのは町医者にとって何よりも嬉しい。お陰さまでと付け加える人がたまにいるとなおさらだ。病気が治るのは医者のせいよりも、むしろ体に備わった自然治癒力に負うところが大きいから、感謝されても面映ゆいだけなのだが、それでも心が弾む。

 と書かれる。医者である自分の診断や治療方法が病気を治したと思うのではなく、病気が治るのはあくまでも自らの“自然治癒力に負うところが大きい”と書かれたことは、私もそうじゃないかと思っているところがあるので、やっぱりと思うのである。


 最後に薬の飲み方で気になったことを書く。森田さんのところに来る患者が、薬が効かないと言う。で、カルテを調べてみるともう薬がないことがわかるが、その患者はまだ薬は残っていると言うのである。毎食後飲む薬みたいだが、その患者は朝食べないので1日2回しか服用していないというのである。確かに朝食を食べない以上、食後30分後というわけにはいかないだろう。ちゃんと決まった時間に決まった量の薬を飲まないと効果が出ないと思われるが、この場合どうすればいいんだろう?特に若い人は朝食を抜く人が多いだろうから、この人達はどうしているんだろう?
 もっとこうした若い人は、薬など決まった時間に飲まなくても、若い分自らの自然治癒力で治せるのかもしれない。逆に慢性疾患の人はそれこそ自分の身体に気をつかうから、朝食を食べないことが少ないに違いない。むしろ薬を飲むために、食べられない朝食でも無理して食べるかもしれない。
 ところで私は今、漢方を毎食30分前に飲んでいるが、漢方は毎食30分前に飲むものが多いと聞いたことがある。なぜ漢方は毎食30分前何だろう、と思っていたら、その答えが書かれていて、納得した。


 昔よく用いられた漢方薬には、食前三十分と指示されたものが多い。草根木皮や獣の骨などを成分とする生薬は、調理された食品に比べると消化吸収が悪い。薬の吸収をよくするために、食前の三十分ほど前にとされたのだろう。

 ということらしい。


評価
★★★


書誌
書名:やぶ医者の言い分
著者:森田 功
ISBN:9784167393021
出版社:文芸春秋 (1994/06/10 出版)文春文庫
版型:237p / 15cm / A6判
販売価:入手不可

2011年11月16日

三上延著『ビブリア古書堂の事件手帖』〈2〉

2011_11_16_01.jpg


 栞子さんのシリーズ第2巻が出たので、早速買ってみた。前回は漱石全集に絡んだ大輔の祖母の話を縦糸にして話が進んだが、今回は栞子の家族、特に母親の秘密がこの巻の縦糸となって、横糸を古本に関わる人間模様を栞子が謎を解いていく。
 とにかくこの栞子は謎の多い女性で、好意を寄せている大輔にとっては、知りたいこと部分が多い。それでなくても大輔が昔付き合っていた女性と再会するにあたり、自分はこの女性に関して何も知らなかったし、その分相談相手にもなれなかったこと改めて思い知り、悔やんでいたので、栞子とは、そうありたくないという気持ちが強く働くのであった。

 さて、今回も古本に関わる人間関係の解明である。古本は四冊。坂口三千代『クラクラ日記』、アントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』、福田定一『名言随筆 サラリーマン』、足塚不二雄『UTOPIA 最後の世界大戦』である。うち本編が坂口三千代『クラクラ日記』を除く三冊である。
 まずアントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』。女子高生の小菅奈緒がビブリア古書堂にいる大輔を訪ねてくる。彼女は前回窃盗事件を起こしていて、その関係で大輔たちと知り合いになっているのだが、その奈緒が大輔に妹の結衣の書いた感想文を持って、相談に来る。その感想文は大人びた、一種の危うさを持ったものであったので、奈緒は心配していたのである。読んでみると確かに女子高校生が書くような感想文ではない。そこで大輔は本のことなら栞子に相談するに限ると、その感想文を栞子に読んでもらう。そして栞子は結衣が「この本を読んでいない!」と言うのであった。
 この本は奈緒がネット書店で結衣の代わりに購入したものであったが、この『時計じかけのオレンジ』には二種類あって、旧版はアントニイ・バージェスが書いた最終章が削除された形で出版されていた。そして新版は完全版として削除された最終章を載せて出版され、旧版は絶版となっている。その最終章はあるなしでは、話の内容が変わってしまうものであり、感想文は明らかに旧版の本の感想文であった。
 それはまずネット書店で購入したものであるから、絶対に絶版になった旧版のものであり得ない。またその文庫にはスリップが付けたままになっていた。
 これはちょっと説明がいる。通常書店で本を買うとこのスリップは書店員によって抜かれる。このスリップが在庫管理にも、注文書にも使われるからだ。けれどアマゾンなどで本を買うと、そのまま付けた形で送られてくる。スリップを付けたままだと本文が読みづらいから、普通それを外すはずだ。それが付いたままになっているということは、結衣はこの本を読んでいないということになる。そして何よりもその感想文は栞子が高校時代に書いたものだったのである。それで結衣のウソがばれる。

 福田定一『名言随筆 サラリーマン』は、著者が福田定一となっていたことで、だいたい話が読めた。福田定一とは司馬遼太郎の本名なのである。私はそれを知っていた。そしてこの本は司馬さんが隠したい本だったらしく、今では稀覯本となっている。
 そんなことを知っていたので、たぶん古本の中にこの本が混じっており、それに栞子が気がつかず、話が展開し、最後にすべてが判明するのだろう、と思ったら、ほぼその通りとなった。
 話は大輔が学生時代付き合っていた高坂晶穂と久しぶりに再会し、亡くなった父親の蔵書を処分したいと大輔に依頼するところから始まる。栞子と大輔は晶穂の実家に赴き、本の査定を始める、そこにあるのは時代小説とビジネス書が中心であった。晶穂の父親は県内でレストランチェーンを経営していたが、若い頃は職を転々として苦労していた。
 晶穂の父親の本は時代小説で多少値が付くものがあったが、ビジネス書などは役立たず値が付けられなかった。しかし栞子はその本の中に何か気にかかるものがあった。何か忘れていることがあるのだ、と思うのだがそれが思い出せずにいた。結局値の付かない本を処分がてら新古書店に晶穂が持ち込むことになるのだが、栞子たちが引き上げるとき、引っかかることを栞子が思い出し、慌てて晶穂を追いかける。そして値の付かない本の中に福田定一の本を見つけるのである。しかも本には「福田定一」と署名してある。こうなるとこの本は大変価値のある本となる。
 父親はこの貴重な本を晶穂に直接手渡したかったのであった。晶穂の父親は一時期画廊の受付の仕事に就いていたことがあった。一方司馬遼太郎は産経新聞の文化部に勤めていたので、その頃晶穂の父親と知り合った可能性がある。晶穂の父親は一介のサラリーマンから大作家となった同郷の司馬遼太郎の著書は、仕事で苦労した父親にとって「お守り」だった。その「お守り」を晶穂に渡したかったのだと栞子は推理するのである。

 足塚不二雄『UTOPIA 最後の世界大戦』では、ビブリア古書堂に本を売りに来た男が、栞子が本の査定をしている間に、持ち込んだ本をそのままにして消え去っていく。古本を買い取るにあたり「買取表」に住所や氏名を記入するのだが、この男は住所を途中にして、氏名や電話番号は記入していなかった。しかし栞子は持ち込まれた本の状態から、その男の住んでいる家の状態を推理し、男を捜し出す。
 男は亡くなった父親と一緒に藤子不二雄の漫画をコレクションしていた。店に来たときに足塚不二雄の『UTOPIA 最後の世界大戦』をいくらで買い取ってくれるか訊ねていた。足塚不二雄とは藤子不二雄の若い頃のペンネームであった。足塚とは大先輩の手塚治虫にあやかって付けたという。そしてこの本は著者にとって最初の単行本で、現存するのは十冊ほどだと言われていた。1980年に初めて古書店に現れるまでマニアに間でも幻の一冊と言われていた。それを知っていた栞子はどうしても男を訪ねなければならなかった。
 男の父親は小学生の頃、この漫画を愛読していたので、どうしてもその本を見てみたいと思い、店を訪ねるが、本は万引きされた後であった。父親は恋い焦がれていた本と再開出来なかったことがショックで、しばらくの間酒浸りとなった。
 ところが父親がビブリア古書堂に本を売りに行った時に、棚にこの本が並んでいた。値段は二千円だった。父親は店員に代金を払い、持ち込んだ本をそのままにして逃げるように店を出た。その店員は栞子と同じように男の父親の家を探し出し、訪ねてきた。店員は栞子の母親であった。栞子の母親は預かった本を届ける目的でここを訪ねたのではなく、その本を買って突然飛び出したものだから、この本は貴重な古書であることに気がついた。二千円の値札の本じゃないと気がついたから、母親が教えを乞いに来たと男は言った。 しかし事実は違うと栞子は推理した。この漫画は男の父親が持ち込んだ段ボール箱に紛れ込んでいた。それを手にした母親はすべてを理解した。すなわち初めてこの漫画本が古書店に並んだとき、万引きにあって、父親はそれを見ることができなかったと言っていたが、実は万引きしたのは父親であったのではないか。だから男の父親は慌てて逃げ出すように店を出たのである。それを察した栞子の母親は、父親を訪ね、一計を案ずるのである。つまりこの盗まれた漫画を犯人から安く買取り、それを売ってしまったということにすれば、法的に罪は問われなくなる。架空の万引き犯をでっち上げ、その本を男の父親が安く買ったとすれば、父親も万引き犯となくなるわけだ。だからこの漫画にビブリア古書堂の値札がいまだ付いているのである。その代わり栞子の母親は父親が持っていた他の貴重な漫画本を安く譲り受けるのである。
 栞子は自分の母親について次のように言う。


 「わたしの母がどういう人間か、これで分かったでしょう?古書に詳しい、頭の切れる、得体の知れない人です。・・・・十年前に姿を消したきり、連絡もありません」


 その母親が残していった本が一冊ある。坂口三千代『クラクラ日記』である。母親は自分の気持ちを本に託すのが好きだった。『クラクラ日記』を見た後母親が何をしたかわかったという。


 「他に好きな人ができたんだと思います。『クラクラ日記』には、著者が幼い娘を家に残して、(坂口)安吾のもとへ走る記述があるんです」


 栞子はこの『クラクラ日記』を何冊も持っていた。栞子は母親が残していったこの本を古本市場に売りに出した。けれどあとになってこの本の中に直接自分宛のメッセージがあったのではないかと思い始め、その本を探し出すために古本市場でこの本が出品されると買い求めた。だから同じ本を何冊も持つことになってしまったのである。大輔はそう推理した。

 栞子さんの本は人気があり、どうやらシリーズ化されるようで、まだ続巻が出るようである。結構気に入っているので楽しみだ。そうそう秋葉原のヨドバシカメラにある有隣堂では、『ビブリア古書堂の事件手帖』の1巻と2巻が平積みにされていて、その横に栞子さんが推理した本、例えば今回の『クラクラ日記』や前巻の漱石の『それから』や太宰治の『晩年』の文庫本が一緒に並べられていた。この本を読んで、これらの作品を読もうという人のため配慮と売上アップを狙った作戦なのだろうが、なかなかやるものである。


評価
★★★


書誌
書名:ビブリア古書堂の事件手帖〈2〉栞子さんと謎めく日常
著者:三上 延
ISBN:9784048708241
出版社:アスキー・メディアワークス 角川グループパブリッシング〔発売〕 (2011/10/25 出版)メディアワークス文庫
版型:261p / 15cm / A6判
販売価:556円(税込)

2011年10月11日

三上延著『ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち』

2011_10_11_01.jpg


 この本は大分以前からお茶の水の丸善に平積みになっていて、気になっていた。でも出版社を見るとメディアワークスとなっている。要するにこの出版社、日本のサブカルチャー系出版社でゲームメーカーである株式会社アスキー・メディアワークスが、IT系出版社のアスキー(新社)を吸収合併して出来た出版社であり、現在角川グループホールディングス傘下の企業である。
 まぁどこの出版社でも読みたい本なら一向にかまわないのだが、今回は気になってはいても、内容がサブカルチャー的だと困るな、と思い、尻込みしていた。著者もネットで調べてみると「三上延(みかみ えん、1971年)は神奈川県出身のライトノベル作家。作風は全般的にホラー風味」とある。
 カバーの表紙もそれっぽいでしょう。でも気になって、ついに買ってしまった。私は古本に関するミステリーが好きでたまらないので、我慢できなくなってしまったわけだ。
 しかし内容はサブカルチャーではない、しっかりした内容の古本に関するミステリーとなっていて、予想以上の出来であった。

 話の内容は、主人公の五浦大輔が高校生のとき北鎌倉のビブリア古書堂で篠川栞子の姿に気をとめたころの話がプロローグとして始めている。
 
 大輔の祖母が亡くなり、その遺品に漱石全集があり、そこに次のようなサインがあった。

「夏目漱石
   田中嘉雄様へ」

 これを漱石のサインと勘違いした母親は一緒にはさまっていたビブリア古書堂の値札からここでこのサインを鑑定してもらい、高価なものであれば大事に取っておこうというのであった。全集は昭和31年判で、どう考えても漱石がこのときまで生きていたとは考えられないから、このサインは偽物に違いないと疑いつつ、大輔はビブリア古書堂に全集を持って行き、鑑定してもらうことになった。 ところがビブリア古書堂には彼女がいない。けがをして入院していると聞き、わざわざ病院まで訪ね、このサインの真相を聞くことになる。そこで篠川栞子はこのサインの真相を推理することになる。
 彼女が推理したサインの秘密は次の通りである。
 これは夏目漱石が田中嘉雄さんに献呈したように装っているが、実は田中嘉雄さんが大輔の祖母にプレゼントしたものではないか、と言うのである。なぜなら本を献呈する場合、本をあげる人の名前を中央に書いて、その後に著者の名前を書くのが普通であるが、これが逆になっている。ということは、大輔の祖母が田中嘉雄さんからこの全集の「それから」の巻のみプレゼントされたもので、それを隠すために、漱石の名前を書き加えたものだろう、というのであった。
 『それから』の主人公の名前は大介である。大輔の名前は祖母が付けたという。大輔は子どもの頃、祖母の部屋に入って祖母の本棚から読めそうな本を物色しているところを祖母に見つかり殴られた。そのとき祖母は「もう一度同じことをやったら、うちの子じゃなくなるからね」と言った。以来大輔は本が好きだけど、このことがトラウマになって本が読めなくなってしまった。しかしこの本は大輔の母の出生の秘密を解き開くことになっていく。

 大輔は栞子がきれいな若い女性であり、初対面の人や、本以外のことを話すことがうまくできない彼女が、本のこととなると途端に饒舌になるのに興味が引かれた。一方栞子は大輔が就活中であることを聞き、自分が今、足をけがして入院しているので、ビブリア古書堂で働いてくれないかと頼み込む。大輔はそれを当然引き受ける。ここから大輔と篠川栞子のコンビが古本の謎を解いていく。

 大輔は店番をし、持ち込まれる古本があれば、一時それを預かり、栞子に査定してもらうのと同時に、自分が本が読めないので、その本の内容を栞子に聞くことで、だんだん栞子に引かれていく。そして最終章の太宰治の『晩年』の話となる。

 大輔は栞子が階段を突き落とされたことでけがをしたことを知り、それが太宰治の『晩年』の初版本に原因があることを聞かされる。この『晩年』はビブリア古書堂で代々受け継がれてきたこの書店のコレクター品であった。
 そのとき大庭葉蔵と名乗る男がそれをゆずってくれないかと強く申し出てくるが、栞子はこの本は自分の所のコレクター本なので売ることが出来ないと言うと、暴力でそれを奪おうとして、栞子は突き落とされてしまったのである。
 そこで栞子はその男がどういう人間なのか突き止めようとし、罠をはる。大輔は協力を求められた。

 店にはせどりで貴重本を持ち込む志田という男がいるが、その仲間で二カ月前に知り合った“男爵”と呼ばれる笠原という男と一緒に店に来た。店にはあの『晩年』が並べられていた。しかし彼らはそれが復刻版の偽物と見破る。本物は栞子が病室に置いてあると大輔は彼らに言ってしまうのである。
 あとで二カ月前といえば栞子が突き落とされた頃だと大輔は気がつく。もしかしたら笠原が大庭ではないかと疑う。
 一方大庭は栞子のいる病院向かい、屋上で『晩年』を抱えた栞子栞子を追い詰めている。大輔は「たかが本のためにそこまでするかよ」と大庭に迫るが、栞子は『晩年』に火をつけ、屋上から投げ捨てた。大庭は捕まる。
 大輔らは大庭の本名が田中敏雄だと知る。もしかしたらこの男の祖父は田中嘉雄ではないかと聞くと、そうだという。祖母の恋人であり、大輔の母の本当の父親であった。田中嘉雄は古本のコレクターであり、あの『晩年』も祖父のコレクターだったと聞かされた。そして田中から栞子が火をつけた本は本物じゃないだろうとも聞かされる。本当に本が好きだったらそんなことなどできないというのである。
 それを栞子に問うと、栞子は大輔が本を読む人じゃないから、大好きな本を手元に置きたいという気持ちがわからないかもしれないと、大輔を最後で信用できなくなり、そうした芝居をしたというのであった。大輔は裏切られた気持ちになり、店を辞めた。
 大輔はまた就活活動に入るが、栞子の妹から電話があり栞子があれ以来本を読まなくなってしまい、退院しても心配だから、一度見舞ってくれないかと頼まれる。
 大輔はどうしようか迷ったが、就活の帰りに病院によると栞子がベンチで待っていた。栞子は『晩年』を大輔に預けるというのである。この本を預けることが、すなわち自分が大輔を信用するという気持ちだと言う。仲直りのつもりであった。

 この本は古本に関する小粒なミステリーだが、それでもなかなか面白かった。大輔が言ったように「たかが本のため」だから、古本に関してミステリーはそうそう大がかりになることは少ない。けれどコレクターの少々歪んだ心性が、一歩間違えれば事件を生むパターンは、それなりに面白い。


評価
★★★


書誌
書名:ビブリア古書堂の事件手帖―栞子さんと奇妙な客人たち
著者:三上 延
ISBN:9784048704694
出版社:アスキー・メディアワークス 角川グループパブリッシング〔発売〕 (2011/03/25 出版)メディアワークス文庫
版型:307p / 15cm / A6判
販売価:619円(税込)

2011年02月14日

村上春樹著『村上春樹 雑文集』

2011_02_14_01.jpg

 この本は村上さんの前書きによると、編集者との打ち合わせの時に「雑文集」と呼んでいたものを、そのまま名付けたという。内容が村上さんが作家としてデビューして30年余りあちこちに書いた、エッセイ、本の序文・解説、質問、挨拶、短いフィクションが掲載されているので、まさに雑文集なのだから、そのままでいいということになったという。
 確かにいろいろな文章がある。その中で私が一番興味を引いたのがオウム真理教についての村上さんの意見である。今更オウム真理教を取り上げるのも、どうなのかな、と思わないわけではないが、考え方が面白かったのでそれを書いてみる。
 村上さんには地下鉄サリン事件の被害にあった人々を取材したノンフィクションがある。そしてその後村上さんの作品には、オウム真理教だけでなく、新興宗教が形を変えて登場するくらい、オウム真理教は様々な影響を与えたに違いない形跡が見られる。それをどうしてなのかをここで問う訳じゃないが、オウム真理教信者の特徴を通して、人間の“危うさ”をうまくついているように思えたのである。

 彼らの多くは、「本当の自分とは何か」という出口の見えない思考トラックに深くはまりこむことによって、現実世界とのフィジカルな接触を少しずつ失っていったのではないか、と村上さんは仮定する。
 確かに今我々がいる世界には様々な情報があり、多様な選択肢に満ちている。そのため逆に何を選んでいいかわからなくなり、あれこれ取り込んでいるうちに自家中毒を起こしている。しかも現実を動かしているスピードが余りにも早く、先行する世代の積み上げられた経験がサンプルとして役立たなくなってしまっている場合が多い。
 そこにいくつかのわかりやすいセットメニューを用意してくれる強力な外部者が現れる。わかりやすいということは、選択肢を限ってしまうことであり、あれこれ悩ませないことである。それを提供したのが麻原彰晃である。そして相対性は避けられ、絶対性がそれにとって変わるのである。
 一端“迷える羊”を取り込んでしまえば、後は彼らを外部から遮断すればそれでいい。元々フィクションとノンフィクションの区別をうまくできない彼らである。ことは簡単に行われた。村上さんオウム真理教の信者にインタビューしたとき、彼らに共通の質問をしたという。

 「あなたは思春期に小説を読みましたか?」

 答えはほとんどノーであったという。そこから村上さんは次のように言う。長くなるが引用する。

 彼らはほとんど小説に対して興味を持たなかったし、違和感さえ抱いているようだった。人によっては哲学や宗教に深い興味を持っており、そのような種類の本を熱心に読んでいた。アニメーションにのめり込んでいるのも多かった。言い換えれば、彼らの心には主に形而上的思考と視覚的虚構とのあいだを行ったり来たりしていたということになるかもしれない。(形而上的思考の視覚的虚構化、あるいはその逆)
 彼らは物語というものの成り立ち方を十分に理解していなかったかもしれない。ご存じのように、いくつもの異なった物語を通過してきた人間には、フィクションと実際の現実とのあいだに引かれている一線を、自然に見つけだすことができる。その上で「これは良い物語だ」「これはあまり良くない物語」と判断できる。しかしオウム真理教に惹かれた人々はには、その大事な一線をうまく炙り出すことができなかったようだ。つまりフィクションが本来的に発揮する作用に対する免疫性を身につけていなかったと言っていいかもしれない。

 だからこそ麻原彰晃のフィクションが致命的なバグーそれはおそらく彼の魂に潜在的に含まれていたものじゃないかと想像するのだがーに汚染されたとき、彼らもまたそのバグに汚染されてしまうことになった。一人の人間の悪夢と妄想が多くの人々を同時的に同質的に包含してしまったのだ。そして彼らは麻原の妄想、あるいはその物語が発揮するブラック・マジックの命じるままに(あるいは示唆するままに)、サリンの袋を抱えて「エスタブリッシュメント」に対する虚しく見当違いな攻撃を敢行した。ひとつの大きなシステムからドロップアウトした彼らを受けとめてくれたはずの柔らかなネットは、実は危険きわまりない蜘蛛の巣だったのだ。

 しかしよく考えてみると元々「宗教」と名の付くものはオウム真理教と同じ道程を取ったと言ってもいいかもしれないのではないかと思うこともある。少なくと一つの宗教に帰依するきっかけになるのは、人々の不安や心配、絶望などのベイシックなものがまずあり、そこに宗教という名の、あるいは救いという名のフィクションが現れたときであろうと推察する。村上さんも「誤解を恐れずにいえば、あらゆる宗教は基本的成り立ちにおいて物語であり、フィクションである」と言っている。
 問題はそのフィクションにバグがないことであろう。たとえあっても、そのバグを修正できるシステムなり、個人的浄化作用を持っている限り、それは宗教として普遍性を持ち得てくるということなのだろう。普遍性を持てば「文化」も生まれてくることは歴史が教えてくれている。オウム真理教には麻原彰晃にも信者にもバグ修正機能、浄化作用を持ち得なかった。

 村上さんは地下鉄サリン事件を通して、被害者と加害者の取材をしているが、「しかし両者のどちらのヒストリーが僕の心にしみたかというと、圧倒的に『普通の人々』によって語られたものの方だった。なぜならそのような人々が語るヒストリーには、現実にしっかり根ざしたものではなくては獲得し得ない深みがあったし、奥行きがあったし、それは小説家としての僕の意識に確実にコミットしてくる種類のものであったからだ」と書いている。これを読んで妙に安心してしまった。そしてこの延長上にエルサレム賞の受賞時にイスラエルで挨拶した村上さん言葉があるように思えた。

 もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。

 卵には現実にしっかり根ざしたものではなくては獲得し得ない深みと奥行きがあるからだ。システムという硬い大きな壁がむやみやたらにそれを壊していいというものではない。


評価
★★★


書誌
書名:村上春樹 雑文集
著者:村上 春樹
ISBN:9784103534273
出版社:新潮社 (2011/01/30 出版)
版型:435p / 19cm / B6判
販売価:1,470円(税込)

2011年01月20日

森まゆみ著『読書休日』

2011_01_20_01.jpg

 また森さんの古い書評を読む。
 しかし世の中にはホンと知らない本がたくさんあるんだな、と思う。小さな志のある出版社で、いい本、面白そうな本がたくさん出ているのだ。でも私たちが手にする本はそのほとんどが大手出版社の出版物なのだ。何故そうなるかと言えば、それら出版社は資本力にものを言わせて広告を出し、書店の棚の一等地に自分のところ出した本を置かせるからだ。書店にしても、売れるものを主流に店頭に並べるから、そこからもれた本は読者の目にはふれないことなる。結局読者が本を選ぶ前に、店頭に並ぶ出版物はセレクトされちゃっているのだ。
 考えてみるとこれだけたくさんの情報が手に入りやすくなって時代に、名の知れない本がたくさんあって、それがどういう本なのかわからないのだから、不思議な世界だ。

 こういう時、例えば新聞の書評など力を発揮してくれ、埋もれている新刊を掘り出してくれるならありがたいのだが、どうも最近の新聞書評はちっとも面白くない。そもそもそこに紹介されている本を読みたいという気持ちにちっともならないのだ。このことはこの本でも森さんは書かれている。
 実は森さん毎日新聞の書評欄で、コラムを5年、書評委員を2年半、常連執筆者1年、計9年やっておられたという。ここの掲載されている文章の初出はその書評だったのかもしれない。とにかくその関係で“書評”について書かれている文章が興味深かった。
 まずここで「昔は『朝日』の書評に出ると千部は動くといわれたけどね」という話を書いている。これは私も聞いたことがあり、実際本屋で勤めていた頃、よく朝日の書評の切り抜きもって本を探している人を見かけた。日経もいたかな?今はどうなんだろう?書評自体面白くないから、こういう人は少なくなったんじゃないかと思ったりする。とにかく朝日の書評をきちんと読んでおくことは、書店員として必要なことであった。

 「新聞の書評が面白くない、という声をしばしば聞く。つい先頃まで書評を書いていた私自身も、感じないことではなかった。これを読んでみようという気になる本が一冊もないことすらある。なぜなんだろう」

 と書いて、まずは自らの経験から書く側から書評が面白くない点を考える。
 一つには文章量が少なすぎるということをあげる。要するに紙面の問題だ。紙面に制限がある以上一冊の本の書評を書く場合だいたいが、その概要で終わってしまうらしい。
 二つ目に日本の新聞の書評には批判がない、いいことばかり書いているという点を上げる。ただこれにはやむを得ないところがあるという。森さんは新聞で批判をばっさりやってしまうと、「切り捨て御免になってしまう」、と書く。要するにこれだけ巨大なメディアで批判された本の著者には反論の方法がないから、それを考えるとそう簡単に本の批判ができない、というのである。しかしよく考えてみれば、批判というか問題のある著作は最初から書評のリストにあがってこないのだろう。
 三つ目に書評委員は大学教授に多く任されてきたことをあげる。結局書評が「権威あるもの」とするためには、大学教授、著名人を採用するに限るということなのだろう。でもこれもよく考えてみると、どうして書評が「権威あるもの」でなければならないのか、よくわからない。要はその本が面白いかどうかであって、面白いならどこが面白いか、それを読者に感じさせられるかどうかだけではないかと思うのだ。読者は面白い本を読みたいのである。
 内容の知的裏付けとして大学教授、著名人の意見を求めるのは必要だろうけど、それをここでやることで、書評を「権威あるもの」とするのはどうなんだろう?知りたいのは「その本面白いの?面白くないの?」だ。決して権威じゃない。大学教授、著名人で連なる書評委員が持っている専門知識、専門用語を求めている訳じゃない。むしろそうしたものを噛み砕いて書ける人、教えられる人として大学教授、著名人を起用したのだろうと思いたいが、結局出来ずにいて、逆に一種の売名行為に似た、自分の知識をひけらかすことしかできない人選に問題があるのではないか、と思う。そして新聞側もそれが「権威あるもの」として勘違いしているから、書評が面白くなくなっているのだ。

 以上が新聞の書評が面白くない理由を森さんの意見を参考にして考えてみた。私が森さんのエッセイが好きなのは、そこに表れる森さんの意識が「生活を手放さないで生き抜く」がすべての面で感じられるからだ。だからこの本で紹介された本もそうした視点で語られるし、そもそも「谷根千」がそういう発想で創刊された。私が新聞の書評で読みたいという気持ちにさせてくれる本とは、そうした自分の生活に身近にあるものか、あるい自分の好きな分野の本だ。(ただしわかりやすく説明して欲しい)


評価
★★


書誌
書名:読書休日
著者:森 まゆみ
ISBN:9784794961594
出版社:晶文社 (1994/03/05 出版)
版型:281,4p / 19cm / B6判
販売価:入手不可

2010年12月11日

森まゆみ著『深夜快読』

2010_12_11_01.jpg


 ここのところ腰が痛いのと、寝不足も加わって、今ひとつ体調がよくない。しかも12月になって寒くなってきたものだから、休みの散歩、平日通勤前に歩くことを控えている。だからいつも休みに散歩がてらに行く近所のブックオフにもしばらく行っていなかった。
 天気もよく、多少暖かかったので久しぶりに歩いてそこへ行ってみた。以前来た時からちょっと時間が空いたので、品揃えが変わっているかもしれないという期待もあった。そこで見つけたのが森さんの本である。2冊棚に並んでいた。1冊は文庫本で読んでいたので、この1冊を買い求めた。
 表紙を開いて見るとサイン本であった。今回は前の持ち主の名前はなく、森さんの名前が丁寧に書かれている。これはいい。本自体も読んでいないものだから、ちょっとうれしくなる。
 先週いつもつきあうかみさんの買い物に行った時、ブックオフで不要な本を売り飛ばした。ほとんどがファイルマガジンで、あとは東海林さだおさんの昔から持っている本であった。雑誌はほとんど値がつかないと思っていたし、東海林さんの本にしても、同様だろうとは思っていた。けれど査定はそれ以上悪く、千円にも満たなかった。
 要するにファイルマガジンはゴミと化したわけで、査定対象にはならなかった。東海林さんの本もあまりにも古い本だから、ゴミと同じようだ。それでももう少し高く売れるとは思っていたが、まぁ仕方がない。向こうも商売である。ゴミみたいな雑誌を持ち込まれればある意味迷惑な話だろうし、古い東海林さんの本がそれほど需要があるとも思えないので、妥当なところだろう。でも今週そこのブックオフに行ってみると、辛うじて売れそうな東海林さんの本が並んでいた。それと以前に秋葉原のブックオフで買わされてしまった、吉村昭さんのサイン本(前の持ち主の名前入り)も850円で売っていた。秋葉原では105円で買ったのだけれど、おそらくサインに気がついていないのだろう。
 ということで、ちょっとブックオフにたたかれたことで、恨みもあったものだから、この森さんのサイン本はその見返りみたいなもんかな、と思いつつ読んだ。

 この本は森さんが読んできた本の書評集である。この手の本は著者がどういう分野の本を読まれるのか、そしてその作家さんの感想に興味がある。我々凡人とは違う本を読むように思えるし、またその感想も深いものがあると思いたい。
 確かにここに紹介されている本は明治の女性について書かれたもの、あるいは森さんが活動している地域、谷根千に関わる本が主に読まれ、紹介されている。その中で読んでみたいなという本が1、2冊あったが、一度その内容を見てみてから考えようと思っている。
 その中で「女性の読書は、なにも当時(樋口一葉の生活を綴っている)に限ったことではないが、やむを得ず深夜になる。私も子どもが生まれたころ、三時間おきの授乳の合間に本を読んでいた」とか、「ようやく家事が片づき、子どもたちが寝しずまる。さあこれからが私の時間、とワクワクしながら本を読んできた」と書かれている。だから『深夜快読』なのである。
 これを読んで女性、特に主婦の読書の時間というのは、家事の合間にしか都合がつかないんだな、と思った。主婦たちは家族の生活が第一に考えてくれるから、自分の時間は、そうした合間にしか見出すのが難しいのだなと思った次第。頭が下がる。
 
 さて、この本の中で紹介されている本のなかに、『ガリ版文化史を歩く』という本がある。その出だしが「小学生のころ、学級通信係でガリ版新聞を作っていた。家にヤスリ板と鉄筆と、ニスで黄色く塗った手動の刷り機を置き、休みの日にせっせと仕事をし、広げて乾かす」と始める。そんな経験を持った人には懐かしい一冊というにである。
 忘れていたな、ガリ版という言葉。確かに私も森さんと同世代なので、小学校時代、学級新聞の係であった。あの紙なんて言ったけ?、それの下にこれもなんと言ったか忘れたが、森さんはヤスリ板と言っているけど、とにかくそれをしいて、鉄筆でカリカリと文字を書く。出来上がったら、その紙を印刷室の謄写版にセットし、ローラーインクをまんべんなくひいて、わら半紙に一枚一枚印刷していく。何枚かやっているうちに、原稿の鉄筆で書いたところから破れてしまったりして、手をインクで真っ黒にして、印刷していた。あのインクの匂いは懐かしいな。確かにヨーチンみたいな修正液もあったはずだ。確かにガリ版印刷はそれなりの枚数が印刷できたけれど、いつまでもできるものじゃなかった。その点コピーとは違うし、パソコンの印刷とも違う。
 森さんは「一人一人と向き合って話すのがコミュニケーションの基本。しかし謄写版は一人が十人に、五十人に思いを伝える道具である。そこでアッという世界が広がる。しかし、それが五千人、一万人とならないところが、また謄写版の健全さである」と書いている。そうガリ版印刷には限界があって、それが適度な数字だった。小学校のプリントはみんなガリ版刷りのものだった。先生の字の上手い下手がもろわかってしまい、面白いものだった。わら半紙というのもいいな。

 最後に幸田露伴の『五重塔』をいつか読んでみたいと思っていた。この本のモデルとなった五重塔のモデルは谷中にあった五重塔である。これは、彰義隊の上野戦争にも、関東大震災にも、戦火にも耐えて残っていたが、放火心中によって焼失してしまった。私はどうもこうした貴重な建物が焼けてしまうところに、妙な興味を持つ傾向がある。しかもそれが人為的に燃えてしまったことに興味を持つ。何かやばい感じがしないでもないが、興味があるのだから仕方がない。この本ではその五重塔が燃やされた時の新聞記事が引用されている。気になるので書き残しておく。

 私の手元には新聞記事が集まっている。心中したのは目白の洋裁店ノーブルの店員長部達五郎さん(四十八)と若い針子の山口和枝さん(二十一)で、不倫の果てに女性が妊娠したのを苦にして塔に火を放ったのである。男性が持っていた裁縫用の指ぬきから、身元が判明した。

 今回はそれほど本の内容に入れなかった。というか、いくら書評とはいえ、人がどんな本を読んで、どんな感想を持っているのか知る本であるから、ただ「そうなんだ」といった感じで読んでいたから、こんな感じなった。


評価
★★★


書誌
書名:深夜快読
著者:森 まゆみ
ISBN:9784480816047
出版社:筑摩書房 (1998/05/25 出版)
版型:269p / 19cm / B6判
販売価:1,890円(税込)

2010年11月25日

三島由紀夫著『金閣寺』

2010_11_25_01.jpg


 どうしてこの単行本があるのかよく覚えていないが、たぶん古本屋さんで買ったのだろう。本の帯を見ると「復刊'83」と書いてあるから、この本は何らかの事情で復刊された本なのだろう。奥付を見ると初版は1956年の10月30日となっている。この本はその復刊かもしれない。私の持っているこの本は1983年8月20日、三十六刷である。

 さて、この本を再度読み直したのは、先の水上勉さんの『金閣炎上』を読んだからである。高校時代に読んだ三島由紀夫の『金閣寺』がどんな内容だったか思い出したかったから、手に取った。

 ここでは主人公の溝口が金閣寺の美に対する感覚というか、意識が自らの中で抜き差しならぬ存在となっていく過程が描かれ、それが破滅へと向かわせる。父から「金閣ほど美しいものは此世にない」と教え込まれた溝口は、どうあっても金閣は美しくなければならなかった。まだ見ぬ金閣にいよいよ接する時が近づくにつれ、そこですべては、金閣そのものの美しさよりも、金閣の美を想像しうる私の心の能力に賭けられた。
 しかし最初は「私はいろいろに角度を変え、あるいは首を傾けて眺めた。何の感動も起こらなかった。それは古い黒ずんだ小っぽけな三階建にすぎなかった。頂きの鳳凰も、鴉がとまっているようにしか見えなかった。美しいどころか、不調和な落着かない感じを受けた。美というものは、こんなに美しくないものだろうか、と私は考えた」のである。とにかく最初はこの程度しか金閣を感じていない。
 溝口が金閣寺に来て最初の頃は、金閣寺に向かって問うている。

 「金閣よ。やっとあなたのそばへ来て住むようになったよ」と私は箒の手を休めて、心に呟くことがあった。「今すぐでなくてもいいから、いつかは私に親しみを示し、私にあなたの秘密を打明けてくれ。あなたの美しさは、もう少しのところではっきりと見えそうでいて、まだ見えぬ。私の心象の金閣よりも、本物のほうがはっきり美しく見えるようにしてくれ。又もし、あなたが地上で比べるものがないほど美しいなら、何故それほど美しいのか、何故美しくあらねばならないのかを語ってくれ」と。

 しかし一方で、

 私には金閣そのものも、時間の海をわたってきた美しい船のように思われた。美術書が語っているその「壁の少ない、吹きぬきの建築」は、船の構造を空想させ、この複雑な三層の屋形船が臨んでいる池は、海の象徴を思わせた。金閣はおびただしい夜を渡ってきた。いつ果てるともしれぬ航海。そして、昼の間というもの、このふしぎな船はそしらぬ顔で碇を下ろし、大ぜいの人が見物するのに任せ、夜がくると周囲の闇に勢いを得て、その屋根を帆のようにふくらませて出帆したのである。
 私が人生で最初にぶつかった難問は、美ということだったと言っても過言ではない。父は田舎の素朴な僧侶で、語彙も乏しく、ただ「金閣ほど美しいものは此世にない」と私に教えた。私には自分の未知のところに、すでに美というものが存在しているという考えに、不満と焦燥を覚えずにはいられなかった。美がたしかにそこに存在しているならば、私という存在は、美から疎外されたものなのだ。

 と思うのである。

 そこに戦争の影が忍び寄り、京都が空襲でやられるという噂が立つ。「それでも金閣という半ば永遠の存在と、空襲の災禍とは、私の中でそれぞれ無縁のものでしかなかった。金剛不壊の金閣と、あの科学的な火とは、お互いその異質なことをよく知っていて、会えばするりと身をかわすような気がしていた。・・・・しかし、やがて金閣は、空襲の火に焼き滅ぼされるかもしれぬ。このまま行けば、金閣が灰になることは確実なのだ」

 金閣が空襲で焼けることを想像したとき、溝口は「私を焼き亡ぼす火は金閣をも亡ぼすだろうという考えは、私をほとんど酔わせたのである。同じ禍い、同じ不吉な火の運命の下で、金閣と私の住む世界は同一の次元に属することになった。私の脆い醜い肉体と同じく、金閣は硬いながら、燃えやすい炭素の肉体を持っていた。そう思うと、時あって、逃走する賊が高貴な宝石を嚥み込んで隠匿するように、私の肉のなか、私の組織になかに、金閣を隠し持って逃げのびることもできるような気がした」のである。

 しかし金閣は焼けなかった。焼けなかったことで金閣は今までと同じ時間の海を渡って行くこととなる。このとき、「私の心象からも、否、現実世界からも超脱して、どんな種類のうつろいやすさからも無縁に、金閣がこれほど堅個な美を示したことはなかった!あらゆる意味を拒絶して、その美がこれほどに輝いたことはなかった」、「金閣は、音楽の怖ろしい休止のように、鳴りひびく沈黙のように、そこに存在し、屹立していたのである」
 溝口は空襲で焼けなかった金閣をそれ以前と何も変わらない不変さを感じるのであった。そのとき、「金閣と私の関係は絶たれたんだ」、あるいは「これで私と金閣と同じ世界に住んでいるという夢想は崩れた。またもとの、もとよりもっと望みのない事態がはじまる。美がそこにおり、私はこちらにいるという事態。この世のつづくかぎり渝らぬ事態・・・」と感じるのであった。さらに溝口は、「美の永遠的な存在が、真にわれわれの人生を阻み、生を毒するのはまさにこのときである。生がわれわれに垣間見せる瞬間的な美は、こうした毒の前にはひとたまりもない。それは忽ちにして崩壊し、滅亡し、生そのものを、滅亡の白茶けた光りの下の露呈してしまうのである」と考えていくようになる。
 溝口は金閣に向かって、呪詛に近い調子で荒々しく叫ぶ。

 「いつかきっとお前を支配してやる。二度と私の邪魔をしに来ないように、いつか必ずお前をわがものにしてやるぞ」と。

 金閣が永遠に存在することで、そのことが美として輝き始める。その姿に溝口は圧倒されるのである。かつてそうであったように、そしてこれからもそうであり続けることが、金閣の美であった。短く、愚かな人間の一生とは決定的に違う。だから金閣の美を意識した人間はただただ恐れおののくだけなのであった。決して自分のものにならないものであった。その美が自分の中で一緒になれない絶対性を帯びている。
 しかしよく考えてみると、永遠であり続けたその美は、それだけしかない。次がないのである。これが「金閣の生は厳密な意味で一回性しか持っていない」という意味である。
 一方で人間は違う。人間は自然のもろもろの属性の一部を受けもち、かけがえのきく方法でそれを伝播し、繁殖する。人間は滅びやすいが故に、却って永生の幻が浮かぶのだ。
 金閣を作ったのも人間であるなら、それを消滅できるのも人間である。どうして人はそこに気がつかないのだろう。私の独創性は疑うべくもなかった。明治三十年代に国宝に指定された金閣を私が焼けば、それは純粋な破壊、とりかえしのつかない破滅であり、人間が作った美の総量の目方を確実に減らすことになるのである。だから、

 「金閣を焼かなければならぬ」

 のであった。

 永遠の美という妄想にとりつかれた人間の苦悩がここで描かれている。金閣の美にとりつかれ、破滅へと向かうしかない人生は、私は怖かった。


評価
★★★★


書誌
書名:金閣寺
著者:三島 由紀夫
ISBN:
出版社:新潮社 (1956/10 出版)
版型:263p / 20cm / B6判
販売価:入手不可

2010年11月08日

水上勉著『金閣炎上』

2010_11_08_01.jpg


 「私は昨夜午前何時頃か判りませんが深夜に書類と布団や蚊帳などを以て行つて金閣の北側の板戸を外し屋内にはいり私が持つて行つた書籍や蚊帳等を西側の外を開けて中に入れマッチで点火して金閣を焼いたのであります。金閣が燃へるのを見ましたが放火した原因については無意味にやりました。其後私も死ぬつもりで前に買ふてあつたカルモチン百錠を大文字山の山中で飲んだのでありますが今は苦しいですから寝かせ呉れ何もかも申します。私が放火した犯人に相違ありません。私の主観では悪い事をしたとは思ひません」

 これは昭和25年(1950年)7月2日の未明金閣寺に放火し、金閣寺、足利義満の木像(当時国宝)、観音菩薩像、阿弥陀如来像、仏教経巻などの文化財6点も焼失させた、同寺子弟の見習い僧侶であり大谷大学学生の林養賢の第一回供述調書である。
 第三回供述調書では、
一、私が金閣を焼いた事は、私の行ひを見ると見にくい(醜い)ので美に対する嫉妬の考へから焼いたのですが、真の気持ちは表現しにくいのであります。

一、私の現在の心境は金閣を焼いたことに対する責は負ふ覚悟で居ります。現在でも悪いことをしたといふ考へは余り起きません。

一、私達お互いの生活は苦しいけれども、金閣寺に毎日何百人かの人がぞろぞろ遊びに来る事に付けても或程度の嫉妬を感じて居りました。

一、私は寺の中で狂人扱いされている様な主観的考を持つたこともありました。私はつまらぬ人間だといふ事は感じ乍らも亦英雄だといふ人よりは偉い自分だといふことも時々考へが起こるのであります。
(以下略)

 たぶんこの第三回供述調書にある、養賢の金閣寺の美に対する嫉妬の供述は、三島由紀夫の『金閣寺』の重要なモチーフになっているのではないかと思われる。もっとも私が三島由紀夫の『金閣寺』を読んだのは高校の初めの頃だったので、内容の詳しいことは忘れているので、確かなことは言えない。もう一度読み返すつもりではいる。
 著者の水上勉さんは養賢と縁も深かく、在所も近かったので、何故彼が金閣寺に放火したのか、そのことをつきつめ、考えて、20年越しでこの作品となったという。

 養賢は1929年(昭和4年)舞鶴近くの日本海側に突き出た岬にある漁村・成生(現・舞鶴市)で生まれた。父親、道源は26歳で臨済宗東福寺派の正徳寺の住職となった。寺は村の人だけが檀信徒で、経済的には恵まれていなかった。そして道源は結核のためほとんどが寝込んでいた。母親の志満子は他所から嫁いできた。志満子は夫が病弱のため、道源を看病しながら、一人畑を耕していた。 道源は死の直前、金閣寺の村上慈海師に手紙を書き、養賢を金閣寺に入れてくれと頼み、養賢が中学二年の秋死亡した。
 養賢は中学途中で金閣に入り、志満子一人、正徳寺に残った。
 その養賢が何故金閣寺を放火したのか、それがこの本の最大のテーマである。ざっとその理由を書き出してみると、そこいらに見出せそうだと水上さんは言っている。

1.養賢は吃音であった。

2.母親志満子の養賢に対する過剰な期待。

3.当時の金閣寺が有していた複雑な事情

 1に関しては、どもりの人は人とのつきあい方がうまく出来ないところはあるというのは、ある程度肯ける。そのため自分の吃音を気にする余り、内にこもる性格を生むことを考えられる。
 2に関しては、夫である道源が死亡したら、妻である志満子は寺を出なければならない。それが禅宗の寺の嫁の掟であった。しかし正徳寺のある村は寒村で、新しい住職がなかなか見つからないので、そのまま志満子は残った。檀家である村民は志満子の食い扶持を負担しなければならなかったので、その不満があった。
 養賢が金閣寺を放火した後志満子にも取り調べがあったが、そこでは次のように書かれている。

 母の性格は、我儘、癇がつよく、派手好き、勝気、所謂頭痛持ちで、親族も持て余し、林も母は父の性質と反対であったと述べている。また母は村から高慢、多弁、片意地だとして好まれず、後年金閣放火事件の際も『あれの子なら放火くらいしかねないだろう』との悪評があった程である。かかる状態で母にとって経済上の苦労、村の冷遇、僻地の不便な生活、夫の病臥などは耐えがたいものがあり、田舎の生活を嫌い、町で商売でもして気楽にくらしたい、としばしば云った。そして林の将来に望みをかけ、極めて厳格かつ大切に育てると共に、我儘をさせる点があった。母は元来丈夫ではなかったが、父の病勢とは逆に次第に頑健となり肥えてきた。父母の間柄は勿論正確なことは不詳だが、性格の甚だしい相違、父の病臥、生活上の問題などよりして、必ずしも常に充分調和していたとは云えなかった。

 母は村民としばしば悶着をおこし、かつ真偽不明だが素行上に不評があった。さらに母は村民に「養賢が将来金閣寺の住職になる、私はあの子が一人前になるまで会わない」と云っていた。

 「素行上に不評」とは志満子が得体の知れない男を寺に連れ込んでいたという噂である。真偽は確かめられなかったが、女一人生きていくためには、そういうこともあったかもしれない。
 先に書いたように、禅宗の寺の嫁は和尚が死んだら、収入のない寺では、性具として生きたに等しい妻は、次期住職に、着の身着のまま放逐される。林養賢の父が死亡後、正徳寺に残った母志満子が、針のむしろに似た部落の半数の白い眼をうけ、退寺を要求されつづける事情は確かにかなりつらかったであろう。
 養賢が無断で金閣寺から帰って来た時、志満子と口論となるところがある。その時志満子は、「うらが、お父さんの死んでからの寺に、どんな思いでくらしとるか、お前にかてわかっとるやろ。うらは、この世に、お前しか身内がおらん。お前が、中学を出て、僧堂へいってりっぱに修行すまして、金閣さんの住職になってくれる夢があるからこそ、こんないやなとこに辛抱できるねんや。うらがどんな目にあうとるか、お前にはわからん。半左衛門さんや、一瀬さんの、冷たい目ェを見とると死にとうなることがある」と言っていた。
 志満子にとって養賢が金閣寺の住職になることが、唯一の生きるすべだったのである。その分養賢に過剰な期待がかかることとなった。
 このことは志満子の養賢に対しての過度の期待が、養賢の放火で裏切られたとき、投身自殺をしてしまうところに見出せる。
 犯行後養賢に会うため、志満子は当時仮寓していた京都府大江山麓の尾藤部落から、実弟の勝之助に伴われ、西陣署へ面会に行くが、養賢に面会を拒否され、7月3日、失望のあげく帰村する途次、山陰線保津峡駅をすぎた汽車が断崖にさしかかったころ、車輛の連結点から、川に投身したことで死体は岩石にあたって、頭と顔をくだいた即死だった。子の罪を身をもってつぐないたい、と彼女はもらしていたという。
 当時志満子の置かれていた境遇が養賢が将来金閣寺の住職になるということだけが、生きている目的でしかなかったというのも悲しいし、逆にそれが養賢に無言の重圧としてのしかかっていたことも察せられる。
 3に関しては、水上さんは次のように書いている。

 金閣寺という禅寺が、禅僧の信奉する「百丈清規」通り清貧に甘んじ、一所不住で一切所有欲を断ち、自己見性をきわめようとする徒弟道場でありながら、「清規生活」とは逆の、戦後焼け残った宝物を見物に供する観光寺院(金閣寺はそもそもが足利将軍の建てた別荘だった。禅寺ではなかったが)として出発し、拝金主義的環境をつくっているのである。しかもその事業を差配する福司、執事らは在俗人であり、住職はこれらに寺内管理をもまかせて、彼らは、堂々と修行場である庫裡に出入りし、いちいち徒弟の日常生活に口だししていた事実。さらに、その金閣が、戦争、敗戦、占領下の混乱期に、生まれ変わろうとする国の事情とはうらはらに伝統的な権力をもちつづける相国寺一派の財源を受けもったと同時に、住職慈海師が、戦時は中国派遣慰問僧、戦後は本山宗務総長、禅門学院長などの要職を兼務、その間に、南京亡命政府の主席陳公博一行を東山商店一行などと、寺内小僧らをもあざむくよび名で寺内にかくまい、象徴ともいえる金閣舎利殿の鏡湖池に棲む鯉を食膳に供した事実、先住伊藤敬宗師のこれも世間にかくれて妻帯生活、さらに紀伊の別荘経営、これに抵抗して、妻は持たず、ひたすら伽藍経営に懸命になった慈海師の、ふたつの立場をとらえ、従業員らが、先住派、現住職派に分かれてゆく、複雑な人間関係に、自然と組み込まれてゆかざるを得なかった小僧らの日常を考えると、金閣寺での生活が、愉快であったり、楽しかったとはいえまい。

 慈海師にしても、収入の多い金閣を支配しながらも、徒弟教育には禅僧として下地をつくる建前を述べ、実生活はこれと矛盾する拝金主義ともいえる吝嗇家で、食糧、酒、タバコの不自由な時にさえ、自分だけは晩酌を欠かさず、徒弟に給仕させた。それでいてついでにその場で説教するのだから、当然師匠の生き方に絶望しても当然である。
 放火で金閣寺が焼失した後、住職の村上慈海師は新聞記者の面接を拒否していた。ただ7月3日の午後に当時産経新聞京都支局員だった福田定一とだけ隠寮で会見した。福田は後の司馬遼太郎である。
 慈海師が記者会見を拒否していたにもかかわらず、司馬さんに会ったのは、司馬さんが当時社会部記者でなく、宗教担当で以前に慈海師に会っていたことがあって、慈海師がそのことを覚えていてくれ、特別な処置に出てくれたのだろうと司馬さんは言っている。おそらく新聞記者の中で一番先に慈海師に会ったのは自分だったと思うとも言っている。
 司馬さんが小僧に案内され寺に入ったとき、庫裡の板間の壁に掛けてあった黒板に「また焼いたるぞ」と何とも言えぬ字で走り書きしてあったという。それを見た時異常な気分になり、金閣寺には、もう一つ暗いところが口をあけていたような気がしたという。
 司馬さんが感じた金閣寺のもう一つの暗いところとはこれであろう。養賢に、僧侶となる情熱が失せる原因をつきつめてゆけば、やはり金閣寺内での僧侶生活のありようが、望みをうすめていたといえるかもしれない。実際慈海師は弟子に恵まれず、出て行く弟子が多かったことも、弟子が愛想つかしたからであった。水上さんは養賢に金閣放火を決意させたものはこれだったのではないか、と思われている。
 養賢は極度の精神障害と結核が進行し、加古川刑務所から京都府立洛南病院に身柄を移され入院したが1956年(昭和31年)3月7日に病死した。水上さんは養賢と母親の志満子の墓を探したが、なかなか見つからなかったことを書いている。父が眠る正徳寺にもないし、勿論金閣寺は除籍されているので、ここにもない。墓は養賢が中学に通った道源の実家の舞鶴市安岡の共同墓地にあった。

評価
★★★


書誌
書名:金閣炎上
著者:水上 勉
ISBN:9784103211136
出版社:新潮社 (1979/07 出版)
版型:313p / 20cm / B6判
販売価:入手不可

2010年10月08日

森まゆみ著『抱きしめる、東京』

2010_10_08_01.jpg


 また森さんの新刊(といっても昔出ていたものだが)が出たので読んでみた。この本は森さんの自伝といっていい。


 よちよち歩きの子供は、好奇心で路地という路地を曲がる。ついていってみると何十年か住んでいて気がつかなかった路地があり、袋小路の奥にもアパートや長屋があった。そこにいるおばさんに、梅酒だの漬物だのごちそうになることもあった。町には奥がある。そこに人がいる。表面だけ見ていては分からない。
 大人の背の高さで立っていると気がつかないことでも、一、二歳の娘といっしょにしゃがんでみると、まるで拡大鏡でみるように、小さなタンポポやスミレやハルジョオンが眼前に迫ってくる。スズメやツバメもいた。ダンゴ虫やカエルにも久しぶりに会った。ネコの通る路地沿伝いのけもの道も、おぼろげながら見えてきた。
 この町が壊れていく、という危機感もあった。老朽化や代替りで古い建物は次々と消えていく。震災や戦炎に焼けのこった町の風景がむざむざ滅びてゆくのを見すごしにはできないという気持と、その子どもが小さくて陣地戦しかできなかったという消極的条件が重なって、地域雑誌『谷根千』は生まれた。私たちは「手に負えるメディア」をつくる楽しみを牧歌的に味わっていた。


 これが森さんたちが『谷根千』という雑誌を作り始めた理由である。
 この自伝を読んでいると森さん自身の自らの成長と共に地域と無縁になりつつあった姿が描かれている。だいたい誰でも自分が生まれ育った町とのしがらみなどがわずらわしくなってものだ。むしろどんどん離れていきたい、という気持ちが芽生えていくのは、ある意味成長の一過程だろう。しかし子供が生まれて、そこで遊ぶようになれば、嫌が上でも地域とつながっていく。まして子どもが小さければ余計に子どもの視線で町を見るようになるのはよく分かる。ここから森さんは自らが生まれ育った町と関わりを持っていくこととなる。
 時はちょうどバブル絶頂期である。森さんの住む町にも地下鉄が通り、都心に出るには都合のいい場所となっていく。路線価が上がり、固定資産税が上がり、それを支払うことができなくなり、土地を手放す。建物の老朽化と、代替わりなどが更に土地を手放す理由となっていく。そこに利便性のある場所ということで地上げ屋が跋扈し始める。まさしく「町が町が壊れていく」のである。


 大人たちは生活に忙しく、ふと信号で立ち止まり、考える。あれ、この前の家は何だったのだろう。こんどはビルにハンバーガー屋が出たんだな、と記憶をあわてて塗りかえる。そしてまた忙しさまぎれて忘れ、またある日、信号で立ちどまって、あれ、と考える。ハンバーガー屋はもうつぶれ、カラオケバーになっている。この変化の速さは何だ。こうして町は少しずつ、私たちの手を離れていく。


 町の変化のものすごい速さは、ある意味そこに住む人々のライフスタイルを変えていく。それについて行ける対応能力のある若者はいいけれど、お年寄りはそうはいかない。取り残されたこれらの人々の姿を森さんの祖父に見るのである。
 森さんは妻に先立たれた祖父面倒を見るため、一緒に暮らす。ところが祖父の行動が森さんの神経を逆なでする。ただでさえ子育てイラついている時期だったから余計である。しかし森さんは祖父の行動は、自らの意識に中で“昔のまま”だったのである。変化に対応できない分、森さんを苛立たせただけのことだと悟る。森さんは祖父と暮らすうちに、「人間はいいかげんであることによって他人をいたわることができる」と思うのである。


 私は祖父がかわいそうでならなかった。どうして人生の最後になって、こんな住みなれない共同住宅にすみ、生活習慣を変えさせられなければならないのか、追い立てた家主はもちろん、さまざまな事情とはいえ、祖父をたらい回しにした父やその兄弟たちを少し憎んだ。私がこんなことを夫に説明すると、夫はそうだよな、一度、身につけた習性ってそう変わるもんではない。


 それにひきかえ、ここに昔から暮らしている老人たちはなんて幸せなんだろうと思うのである。昔からの友達をいまだにちゃんづけで呼び、みんなこの町で死にたいと言えるのであると思うのである。
 でもだからこそ自らが生まれた町が大きく変わっていくのを嘆いた。少しでもそれまであったコミュニケーションのある町を維持したいと思うようになって行く。子どもやお年寄りを受けとめるコミュニケーションの大切さに気がつき始める。それに気がついた時、森さんの旦那さんが森さんから去って行った理由を悟っていく。
 森さんは女性解放運動の影響を受けて、結婚以来夫を変えないといけないと思いこんでいたという。そのため夫婦の会話が相手を責める闘争的なコミュニケーションになっていたという。なんで私ばかり家事をしなければならないの。子供を見なければならないの。 当然旦那さんは心を閉ざしていく。結局旦那さんは森さんから離れていった。町でのコミュニケーションの必要性を感じた時、自らの夫婦生活でも、そうではない会話が本当は必要だったんだと、思い、反省していく。町が自らの生き様を反省させていったというべきなのだろうか。
 
 東京は相変わらず“不夜城”である。24時間動きまわる人々でいっぱいである。情報の中継基地、発信基地的存在のためそうせざるを得ない。国際化、情報化、業務化は人の動きを加速する。ゆっくり、のんびり生きることを許さない。老人や子供や障害のある人をはじき飛ばし、生き馬の目を抜く町にしていく。
 森さんは『谷根千』の取材でこんな話を聞く。


 情報ってのは情けで報いると書くんでしょ。情報ってのは、人の暮らし向きのことを知ってて、さりげなく気をつかうことでしょう。地上げもそうだが、いまは人を出し抜いて、一山当てることを情報っていうんじゃないの。


 森さんは『谷根千』を作っていくうちに、「私は東京の田舎者、それでいい」と思うようになって行く。今、東京で生きていくには、本当はどうあるべきなのか、つくづく考えさせられた。

評価
★★★★


書誌
書名:抱きしめる、東京
著者:森 まゆみ
ISBN:9784591120910
出版社:ポプラ社 (2010/10 出版)ポプラ文庫
版型:315p / 16cm / 文庫判
販売価:672円(税込)

2010年09月08日

森まゆみ著・平嶋彰彦 撮影『旧浅草區 まちの記憶』

2010_09_08_01.jpg


 私は“浅草”という文字があると、どうしても自分の子供の頃によく連れて行かれた花やしきと浅草寺界隈が結びついてしまう。自分が子供の頃といえば昭和30年代後半である。戦争が終わって十年そこそこしかたっていない頃である。まだそうした雰囲気があっちこっちに残っていたような気がする。浅草寺の境内入り口には傷痍軍人が軍服姿でアコーデオンなど弾いて、物乞いをしていた。それが妙に怖くて、何であんな人たちがここにいるんだろう、と子供心に思ったものである。
 浅草六区の歓楽街もまだ健在で、多くの映画館があり、そこには艶めかしいポスターがいくつも貼ってあったし、ストリップもいくつかあって、そこに出演している女優のモノクロ写真が看板に出ていた。全体として雑然とし、いかがわしい雰囲気が古めかしい写真みたいに私の記憶に残っている。
 いろいろ調べてみると、そうした雰囲気を残していたのも、私が子供の頃までのようで、かろうじて私は子供ながら感じられたようである。
 親が遊園地へ連れて行くと言えば、花やしきであった。初詣も浅草寺専門である。昔は実家の近くから上野公園行きのトロリーバスが通っていた。小学校の一年か二年生の遠足はそのトロリーバスを貸し切って上野公園へ行った。それがなくなり都バスになって、ちょうど浅草寺の裏にバス停があり、そこから浅草寺に向かったものであった。
 だから仲見世通りに行くのは、浅草寺へお詣りしてからか、花やしきの帰りについでに寄るといった感じであった。多分当時あった歓楽街を通ったのも、その関係なんじゃないかと思われる。
 森さんの著作をいくつか読んでいると、上野とか浅草とかそれほど距離があるものではないのだなと知る。まして森さんの専門である谷根千も、行ったことはないが、近くなのである。
 そうそう、義父が亡くなって、仏壇を買わないとならなくなった時、葬儀屋に紹介された仏壇屋の店に車で案内された。その通りはいくつか仏壇屋があって、通りの先を見れば、あのコックのオブジェが見えた。合羽橋の道具街である。その時、そうかここは合羽橋に近いんだと知った。そして合羽橋は浅草にも近い。
 どうも地図が描けないのである。個々に浅草界隈を歩いているのだが、それが一つにならない。今でも我が家は初詣と言えば浅草寺へお詣りに行く。今は都営地下鉄を使って、上がったりの降りたりする薄暗い駅から浅草寺に行く。行くたびに古臭い、レトロな感じを味わう。
 いずれにせよ、私が“浅草”に妙に反応するのは、そうした背景があるからだろう。そして決して嫌いじゃない。この本を手にとった理由もその当たりにある。どこか私が記憶している浅草を感じたかったのかもしれない。
 そのため、本の感想は?、と聞かれれば、これといってない。ただ森さんの話を読み、平嶋の撮られた写真をながめながらページをめくった。こういうのも時にはいい。“へぇ~、そうなんだ”と思いながら読んだ。
 たとえば「冷やかし」という言葉がある。意味は買う気もないのに店でそれらしく振る舞い、適当に店員に商品のことなど聞いて、結局買わずに出て行ってしまう客を言う。その語源がここにあった新吉原(現在の浅草・千束)に近い、隅田川で紙を漉いていた職人たちの行動から来ているという。吉原の土手下(山谷堀)に紙漉き工場があったのだ。
 紙を漉いて仕上げるまでに、紙をしばらく水にひたして冷やしておく工程があり、これを「ひやかす」といった。この間職人は暇だったから、近くの吉原をのぞいていたという。職人たちは遊女を買うほど金はないから、ただ見て回るだけだった。ここから「冷やかし」という言葉が生まれたという話も面白かった。
 誰それがこのあたりに住んでいて、お墓もこの近くのお寺にあるとか、こういうお墓巡りを“掃苔”というらしいが、当時の歴史を思い忍ぶには案外面白いのかもしれない。確か著名人のお墓巡りの本を持っていたはずだな、と思った。
 本に掲載されている建物など、いかにも歴史を感じさせるものだけれど、これももう2年前のことだ。果たして今これらの建物はどれだけ残っているのか。またお店などももうなくなってしまっているものもあるだろうし、人々も変わっていることだろう。雰囲気だってかなり様変わりしていることだろう、と思う。そうしないと生きていけないところが日本にはあって、とにかくスクラップアンドビルドの繰り返しだから、残るのはお墓だけなのかもしれない。それだって、今後どうなるかわからないのだから、せめてこうした文章と写真が記録として残る価値はあるのだろう。


評価
★★


書誌
書名:旧浅草區 まちの記憶
著者:森 まゆみ【文】 平嶋 彰彦【撮影】
ISBN:9784582834116
出版社:平凡社 (2008/09/27 出版)
版型:140p / 21cm / A5判
販売価:1,680円(税込)

2010年08月19日

森まゆみ著『路地の匂い 町の音』

2010_08_19_01.jpg


 夏バテと夏風邪をひいてしまい、本を読む気分にもなれず、一週間無為に過ごしてしまった。本も小難しいものは読めずに、何を読んでいいのか分からずいたところ、森さんのこのエッセイを書店で見かけたので、この本を読んだ。
 森さんといえば、「谷根千」から、ちょっと前まであった町の建物、そこでの生活のあり方やその保存に力を注がれている。この本はそうした町での生活と建物の保存について書かれた雑文集である。
 森さんは1954年(昭和29年)生まれだから、私より二つ上である。だからここで描かれる森さんが子供の頃の原風景は、私にも思い至るところがあって、思わず「そうそう、あった、あった!」と言いながらいつも読んでいる。
 私はこうした昔の日本の生活風景が大きく変わったのは東京オリンピックをはさむ前後の高度成長期だろうと思っているが、ちょうどその頃、私たちは子供の時であった。だから日本にかつてあった町並みや生活風景の最後の経験者であれたのではないかといつも思っている。そのためそうした町並みや生活風景などがかろうじて思い浮かべられる世代なのである。そうしたことがかろうじて共有出来るのである。
 そんなことがあって、森さんたちが大切にする町並み、生活風景は私の思い出と重なるものだから、懐かしい。多分それが森さんの著作を読ませるのだろうと思っている。
 かつてあったそうした町並み、生活風景の中には人との関係が濃厚な部分があった。多分それはひとまとまりでまとまって生活しなければならなかった経済的事情がそうさせたのではないかと思われるが、それが日本経済が高度成長期に入ることによって、解放され、それぞれが独立して生きていくことを可能にしたのだろう。そしてそれは家族関係や親族関係、隣近所の関係を希薄にする。建物自体もそうしたことから隔離したような建物がどんどん建っていく。
 一端そうした環境が出来上がってくると、“案外楽だな”ということになってくる。ところがその内、孤独感や疎外感がじわじわと忍び寄ってくる。ここが厄介なところで、人間関係を煩わしいと思う一方、それがまったくないと不安でしようがないのだ。それでも経済が右肩上がりで上がっていき、活気があった頃はまだそうした雰囲気で誤魔化せたところがあったが、ひとたび不景気になり、経済が停滞してくると、孤独感や疎外感がどうしようもないもとなってくる。そのやり場がないことに不安で不安でしょうがなくなってくる。
 これが今かつてあった日本の町並みや生活にあった人間関係に郷愁を感じ始めている理由であろう。だから森さんたちが主催していた「谷根千」が支持され、谷中や根津、千駄木に多くの人が訪れるのだ。ここには森さんたちや町の人びとの努力により、建物だけでなく、人間関係も時代の変化を受け入れながらも残されている。これが森さんたちが言う町並み保存ということなのだ。
 得てして古い建物だけを保存すれば、町並み保存と勘違いしてしまうが、そうではない。この本の「町並み保存てなに」に書かれていることは考えさせられる。

 夫の故郷岩見沢から近い夕張に車で行った。
「ワァ、古い建物がたくさん残っていて、気持ちの落ちつくいいトコだな」と声をあげる私に、運転しながら夫は言った。
「夕張炭坑の大事故以来、炭坑は衰微してついに閉山に至ったわけだし、いま次の産業を探して必死なんだ、べつに町並みを保存しているわけじゃない。お金がないから立て替えられないだけなんだ。そういういい方は無責任だよ」
 私はシュンとした。たしかに歴史や文化の保存といったキレイゴトで町並みが残ったためしがない。日本のように新しもの好きの国民は、経済力さえあれば、家を建て替え、畳も障子も新しくする。古い町並みがあるということは、その町の沈下や停滞を意味する場合が多い。
 町並み保存に成功した所は、多くは過疎地だったり、廃村だったりする。農業、林業、水産業もふるわず、起死回生の策として古い町並みを観光資源として活用し、客を呼ぼうというのだ。

 新しいものに建て替える予算がないから古い町並みが残っているのだと言われ、町の再生のためにはそれを単に観光資源として使うしかないというのは、どこか悲しいところがある。そこには一切生活感がない。観光客がいなくなればゴーストタウンと同じではないか。森さんも「しかし正直にいうと、町並みが保存された町へ行くと多くの場合、わざとらしい、画一的、息がつまる、という感じがぬぐいきれない」とはっきり言っている。まさしくその通りだろう。むしろ「いろんな時代のいろんな様式の建物が、ズレながら混ざっていたら、けっこうバラエティに富んでおもしろい。その方が自然だ」と当たり前のことを言われている。
 そういうバラエティさはやはり、人が今も暮らしていることが大前提にあると思う。昔と現代を混ぜ合わせ、折り合いをつけながら生活している町が、私たちには郷愁感を誘う。そして今でもそうした町並みで人が暮らしていることに、どこか安心感を感じる。
 もちろんそこで暮らす人達にとって、そうした建物を維持しながら生活するのは大変だろう。でもそんな苦労も含めて、町全体が“生きている”と言えるのではないかと思う。町の歴史とはそういうものではないかと思う。

 もう一つ面白い話がこの本にあった。「天守閣の思想」で、バブル期に数多くの高層ビルを生んだ。その典型が丹下健三の都庁をあげている。森さんは「このビルの使いにくさといったらない」と言い切る。とにかく目的の部署に行くまでに時間がかかりすぎると言うのである。
 これ一度でも都庁に用があっていった人はよく分かると思う。何機もエレベーターがあるのはいいけれど、何階から上は行かないとか、止まらないとか、それぞれ違う。高速エレベーターだけれど、乗るまでに手間取るのである。第一とか第二とか、北側とか南側とか、目的の場所にストレート行けたためしがない。
 だいたいここに来るたびに不思議な感覚にとらわれる。たとえば新宿から都庁に行くと、地上を歩いているのか地下を歩いているのかわからなくなり、都庁も一階から入っているのか、それとも地下から入っているのかわからなくなる。
 大江戸線が出来て、都庁前で降りて、そのまま都庁に入れるようになっても、いったい自分はどこにいるのかわからなくなる。絶えず案内板を見ていないとならないのだ。このビルは役人が入るためのビルであり、民間人をわざと入れにくくしているビルのように思えてくる。
 ただこのビルの不便さを感じているのは民間人だけじゃないようだ。森さんは「昼休みの都庁では職員が多数、机にうつ伏せで昼寝している。忙しく疲れているわけではない。休み時間、下に降りる行き帰りに二十分かかり、都庁内の食堂は混んでいるので、持参のお弁当を食べ終わると、外を散歩したりするのをあきらめて昼寝しているのだ、と聞いてびっくりした」と書いている。
 これを読んで、“ざまあみろ!”と思う一方、休み時間がなくなるほど移動が大変なところで仕事をしていて、一日中そこにいるしかない役人が、外の状況を知り得るのかとも思う。
 このビルの机の上で都市計画を立てられるのである。認可が下りるのである。自ら率先してな無様なデザインの超高層ビルを喜んで建ているのである。だから再開発といって、馬鹿でかいビルを建てることに何の疑問も感じない。その結果どうなったか。あっちこっちに超高層ビルをおっ建て、ヒートアイランド現象を生む。そこで暖まった熱気が練馬区を日本屈指の灼熱地帯を生んでいるのである。こんなこと最初から学者の意見を素直に聞けばわかっていたことじゃないのかと思ってしまう。ここにも民間人や学者を受け入れない都庁の庁舎と同じ姿勢が、役人に移ってしまったのではないか、思えてくるのである。
 斬新なデザインの近代的ビルは機能的に見えるけれど、実はそうではなく、しかもその中で仕事をしていることで、ほとんど隔離された状態と似たものである時、果たしてそれが人間的なのかどうかを考えさせられる。


評価
★★


書誌
書名:路地の匂い 町の音
著者:森 まゆみ
ISBN:9784591119945
出版社:ポプラ社 (2010/08/05 出版)ポプラ文庫
版型:333p / 15cm / A6判
販売価:672円(税込)

2010年08月02日

三宅理一著『秋葉原は今』

2010_08_02_01.jpg


 2007年度のデータによると、秋葉原の三つの駅、すなわちJR秋葉原と地下鉄日比谷線の秋葉原、それにつくばエクスプレスの秋葉原ターミナル駅で、一日ほぼ40万人の乗降客があるという。これだけの人間が、改札口を通って秋葉原の地に足を踏み入れている。年間1億4000万人を超す勘定だ。10年前、つまり秋葉原の再開発が始まる前の1998年では12万程度であったので、再開発を経て一気に三倍の人間が秋葉原に集まるようになったという。この本によると、「秋葉原は統計上では、年間掴みで3000万人程度の人が訪れ、外国人は100万人を超える規模と予想される。世界の観光者数と比較すると、訪問者数ではパリのポンピドー・センター、ローマのサン・ピエトロ大聖堂に匹敵する」そうだ。(ローマのサン・ピエトロ大聖堂を訪れる人がそんなものなのかな、と思うが、とりあえずそのことを信用しておく)

 さてこの本はほぼ秋葉原の再開発が終わった現在、その再開発がもたらした意味を考察できる時がきたので、その過程における問題点を、秋葉原の街が成り立っていった歴史を通して考えている。それが面白かった。多分それは個人的理由によるものだろうけど、そのことは後で書く。まずは秋葉原の歴史がかなり詳しく書かれていて、知っていることもあれば、へぇ~と思えることもあったので、その当たりをまとめておきたい。
 東京に鉄道が走るようになったのは、新橋・横浜間で、1872年(明治5年)ことである。そして山手線が秋葉原に達するのは半世紀以上後の大正の終わりを迎えた1925年(大正14年)だった。半世紀も時間がかかった理由は、この地域が経済的に未発達で、政策的に重要でなかったからではなく、江戸時代から古く密集した町並みが鉄道建設を疎外したからであった。
 1890年(明治23年)に現在の秋葉原の位置に貨物駅が建設され、鉄道そのものはその時点で上野からここまで伸びる。ここは神田川が流れていて、この場所が水運の結節点として好都合と判断されたからだ。
 現在の秋葉原から「水運」というイメージを思い浮かべにくいが、現在のヨドバシカメラの敷地がそのまま昔の船溜まりに対応しており、川からそこまで堀割となって水路が引き込まれていた。東北地方から輸送されてきた貨物をここで船に積み替えて、都内各地、あるいは東京湾まで運んだのである。神田川沿いのこのあたりの河岸は神田佐久間河岸と名付けられ、材木商や薪炭商が多く店を構えていたという。(これはNHKの「ブラタモリ」でもやっていた。その時はホンと驚いた)
 さて秋葉原という地名は「あきば」と「はら」と出来ている。本来「あきばはら」であるところを「あきはばら」と読む。この界隈には江戸時代から「秋葉神社」があり、当初はそこから名前を取って「あきばはら」あるいは「あきばっぱら」と言っていたのが、いつの間にかこんにちのようになった。
 秋葉原の読み方が変わった点についても諸説あるが、一般に流布しているのは、地方から来た鉄道官僚が「あきば」の読み方を知らずに、秋葉原の貨物駅を「あきはばら」と名付けたことが原因だといういう説である。永井荷風の『断腸亭日乗』にそのことが記載されているので、それが根拠となっているという。
 では秋葉原の代名詞となっている「電気街」はいつ成立したのであろうか?
 「電気街」の前身は大正時代に遡る。ラジオ時代の到来がこの街を変えたといっていい。NHKのラジオ放送が始まるのが1925年(大正14年)、マチュア無線が許可されるのが、1927年(昭和2年)当時のラジオは真空管や低周波トランスなどの部品を組み合わせてできた簡単な装置であった。そのため回路図がわかれば誰でも作ることが出来、工学系の知識欲旺盛な人間がこぞってラジオ製作に手を染め始めた。その部品を手に入れるためには工場から卸商を経て小売店での店頭販売という流通経路の整備が必要であり、新たに「電気材料卸商」なる卸業者が登場することとなる。これらの卸商は一般消費者を対象としたわけではなかったが、ラジオブームに乗って、卸商だけでなく部品の小売りも行っていた。秋葉原電気街の最古参としてあげられるのが、関東大震災の直後に創業した「山際電気商会」(1923年創業 現ヤマギワ株式会社)と「富久商会」(1923年創業)である。山際電気商会は震災で焼け野原になった秋葉原に創業者山際弘文は新潟から上京し、故郷から妹を呼び寄せ、バラック商店を構えスタートを切った。
 この二社に続くのが、秋葉原の廣瀬無線(1925年創業)、浅草の志村無線(1930年創業)、隅田川の向こうでは谷口商店(1930年創業 現ラオックス)が店を構えた。
 大正末から昭和の初めにかけて広まったラジオ熱も日中戦争が始まり、戦時統制経済が強化され、材料の調達も困難になり、さらに店主が出征し店の維持さえ出来なくなった。そこへ1945年(昭和20年)の東京大空襲で秋葉原を含めた下町が焼け野原になった。
 が、終戦にともなって統制が解除され、日々の情報を得るためにラジオの需要が一気に増す。ラジオはわずかな部品で出来るからであった。秋葉原は交通の便がよく、戦争でインフラがズタズタになりながらも、国鉄山手線、総武線、地下鉄、都電はいかなる状況になろうともきちんと動いていたし、秋葉原はそれらの交通機関が重なり合い交通結節点を形成していたことが大きく作用していた。そこにバラックの商店街が並び、闇市を形成していた。ラジオが飛ぶように売れた。秋葉原に次々電気店が開業していく。
 古参の二店(山際電気商会、富久商会)に対して、志村無線、谷口商店、ミナミ無線、鳥居産業(1925年新宿で創業)などはもとの店舗から秋葉原に店を移す。さらに新興電気材料商も続々と参入していく。石丸電気(1945年)は戦前に山際電気商会で店員を勤めていた石丸鶴雄が、山際の店舗再開に先立って秋葉原の地に創業した。同様に角田無線(1946年創業)、サトームセン(1946年創業)、ロケット(1946年創業)九十九電機(1947年創業)、中浦電気(1947年創業)などが店を構えたのもこの頃である。朝日無線電機(1948年谷口商店から家電部門を分離して設立、後のラオックス)、新徳電気(1948年創業)愛三電機(1949年創業)も後を追う。後発組としては、小野電業(1951年創業、後のオノデン)第一家庭電器(1958年創業)などがある。変わり種は、鹿野無線で税務調査が入ったことで電気商を早々見限って1949年(昭和24年)に精肉業「万世」に転身した。それが大当たりして飲食店が珍しいこの地域で大型レストランチェーン店を構えているのは周知の通りである。
 戦後忘れてはならないのは、露店商の存在である。秋葉原方面の場合、電気部品を扱った露店商が集中したことだ。戦後の復員した通信兵が秋葉原のパーツ屋の始まりで、当時としては最先端の通信技術を身を挺して覚えた陸軍時代の経験がジャンク屋やパーツ屋と呼ばれる中古の店に結実した。
 ところがGHQは1949年(昭和24年)8月に都内の露店を一掃することを掲げて「露店営業整備計画」(露店整理令)を発布し、翌年3月までに街頭からのすべての露店を立ち退かせようとするのである。これに公然と立ち向かった人物が後に山本無線を始める山本長蔵で、交渉の末、国鉄ガード下や都の土地の獲得に成功する。それが「ラジオガァデン」、「ラジオセンター」、「ラジオデパート」高架下に全ての露店商が収まった。これらは今もある。この後電波会館ができ、更に電波会館と同じ年に秋葉原デパートがオープンする。
 さて秋葉原にはこうした電気店の他にも有名な企業が存在する。(あるいは「存在した」)たとえば日本通運の本社もここに置かれていた。
 秋葉原は貨物駅から発展し、すでに大正末の時点で貨物取扱量が都内では隅田川駅に次いで二番目だった。ば日本通運は国策会社として1937年(昭和12年)に発足している。電気街の真ん中に日通本社という構図は若干奇妙に思えるが、これも時代を追って考えると日通の方がはるかに古い歴史を有しており、物流拠点の周りに雨後の筍のように電気店や量販店が出現し、周囲を取り巻いていったということである。
1975年(昭和50年)まで貨物駅が存続して、駅に隣接して青果市場が設けられていたのが、それがなくなれば日通本社がここに位置する意味がなくなり、結果として秋葉原再開発が進行中2003年(平成15年)に本社は汐留に移転し、最終的に住友不動産によってビルの建て替えが行われた。
 凸版印刷は、秋葉原に本社を構える代表的企業である。台東区側にある市村座の隣の敷地に大蔵省印刷局出身の技術者四名が印刷会社を旗揚げし、当時の最先端技術である銅凸版法を用いたので、この社名になった。その後本社は道路を挟んで向こう側の神田和泉町に移し、現在は印刷工場は秋葉原から東京の板橋をはじめ全国各地に展開。秋葉原は純粋にオフィスのみを残している。
 同じ神田和泉町にはYKK吉田工業の本社が建っている。世界のファスナーを50%近くを供給するYKKは、創業者吉田忠雄は富山県出身で、1934年(昭和9年)にファスナーを扱うサンエス商会を設立し、後に社名を吉田工業に改める。YKKの創業地は東日本橋で、戦後になって日本橋馬喰町、浅草雷門と本社を移し、1963年(昭和38年)になって現在の地に移ってきた。
 金物系でいえば、我が国の使い捨て剃刀や包丁でトップ座にある貝印も岩本町三丁目に本社を構えている。1908年(明治41年)に遠藤斉治朗が創業し、その後、遠藤刃物製作所として会社組織となる。1949年(昭和24年)のまだ戦後の混乱が続き、秋葉原一帯は焼け野原にバラックが建っている状態の時、東京に進出し、販売会社三和商会の名で岩本町に店を構え、売上を順調に伸ばし、1982年(昭和57年)に貝印の社名に変更した。
 龍角散はその名からも連想できるように漢方薬の系譜を引き、もともとは江戸時代中期に秋田佐竹藩の御殿医を務めた藤井家に伝わる藩薬がその元となっている。藤井家では藩の進取の気風を継いで積極的に蘭学を学び、漢方に西洋の生薬取り入れこの藩薬を改良した。幕末藩医藤井正亭治の代になって、喘息の持病をもつ藩主佐竹義堯の治療のためこの薬を改良し、龍角散と命名した。
 明治の廃藩置県のよって藩がなくなったため、藩薬であった龍角散は藤井家に下賜され、藤井正亭治は神田豊島町で薬種商を始めた。現在の東神田二丁目で、以後今日まで同じ敷地を守っている。1871年(明治4年)のことで、これをもって龍角散の創業年とする。

 もう一度秋葉原の電気街の盛衰をつづってみる。秋葉原の電気店の主力は電気材料卸商であったが、実態として看板とは異なって卸、小売りの兼業であった。秋葉原の秘密はそこにある。つまり小売店に対しては当然、問屋の役割を果たす一方、直接店頭に買いに来た客に対しては、小売りも行った。本来小売店が計上しなければならない利益をそぎ落として、卸値で小売販売ができることが秋葉原電気店の優位な点であり、それが価格の大幅な引き下げを可能にしたのである。
 朝鮮戦争を過ぎたあたりで、日本の景気は大きく上向きに転じ、日本のライフスタイルを大きく変えていく。電気洗濯機、テレビ、冷蔵庫が「三種の神器」としてもてはやされ、それらを安く提供できたのが秋葉原であった。それが「秋葉原は安い」と評判を呼び、日本中から人々がさらに秋葉原に集まった。
 秋葉原に登場したビジネス・モデルは、家電製品をメーカーから大量に仕入れ、大量に売りさばく量販モデルであり、仕入価格を低くした分、販売数を大きくすることで利益が取れる。つまり薄利多売の商法である。今ではヤマダ電機やヨドバシカメラなどで当たり前のように用いられているこのモデルは、本来、秋葉原が発祥である。これは我が国が行ってきた販売代理店を通した系列化の方向と真っ向から対立する。しかし家電ブームが起きた1950年代半ばの時点では、メーカー側の販売態勢も未整備のため、マーケットは秋葉原に頼らざるを得なかった。その後メーカーは必死に系列化を進め、秋葉原の電気店もそれを受けいれた。しかしオイルショック後安定成長期に入って、秋葉原のマーケットしての容量はさらに拡大して、電気店側もメーカーの系列化に甘んずることなく、野心的なビジネスに打って出てくる。大型店の展開である。特に積極的だったのが、サトームセン、ラオックス、石丸電気あたりである。しかし店を大型化するといっても隣りに土地がない。だから多少距離はあっても秋葉原内であれば十分ということで、パッチワーク状に土地を入手し、二号店、三号店を出していく。これだと当時あった大店舗法に触れない。この結果1979年(昭和54年)で秋葉原全体の売り上げは年1,300億円に達している。この後パソコン・ブームが到来する。
 我が国のパソコン普及率を追ってみると、時間をかけて「徐々に」変化を遂げたというようなゆっくりした流れではなく、突如としてブームが起こったといった方がよい。パソコンの利用は1980年代後半を通しておおむね10%前後で推移していたが、1995年(平成7年)を過ぎた頃から一気に上昇し、2002年(平成14年)には70%台に達する。つまり、この7年間でかなりの家庭がパソコンをもつようになったということで、その分、売り上げが相当なものであったことは容易に推測できる。実際、電子情報技術産業協会の統計を調べてみると、この7年間の我が国のコンピュータの出荷数は総計で6,000万台に上り、そのかなりの部分が秋葉原で売られたと考えられている。
 秋葉原はパソコンで沸き返った。家電の華といわれたオーディオ関係が過当競争の段階に入り、これ以上の収益性が見込めないところに、付加価値があり将来性の高いコンピュータが登場したのである。しかしパソコンはオーディオと比べて進化の速度が速く、ビジネスとして持続させるには、メーカーから出荷台数の調整、さまざまな部品やアタッチメントの手配、専門的知識に精通した店員の配置などきちんと対応しなければならない。そこで最初に名乗りを上げたのが九十九電機で、次いでラオックスであった。更に部品系の商社からスタートしたT-ZONEである。亜細亜電子工業がトヨムラと組んで、中央通りにオープンした。ソフマップは元はビデオレンタル業から始まり、中古デジタル機器の取引、販売を通して新しい分野で伸びていく。
 もっとも華やかだったのがラオックスで、「コンピュータに関してないものはない」大型店舗「ザ・コンピュータ館」1990年(平成2年)にオープンさせた。その狙いは当たり、全国からパソコン好きの人間が殺到した。1995年(平成7年)を過ぎた頃から秋葉原では、ラオックス、九十九電機、T-ZONE、ソフマップがパソコン四天王と呼ばれた。しかし10年後にはそのうち三つが実質的に消滅するとは誰が予想しただろうか。
 以上秋葉原の繁栄を見ていくと、大量消費社会を背景として、国内で圧倒的シェアを誇るマーケットが確立したという事実がわかる戦後復興期に実質的に誕生した電機と電子の街が、半世紀の間にラジオ、家電、オーディオ、パソコンと商品を進化させ、品揃え、量、価格のいずれを取っても劣らない世界でも有数のマーケットに成長したのである。「出せば売れる」という状況が続き、少なくともつい最近の2000年(平成12年)までは右肩あがりの繁栄を謳歌してきた。「秋葉原に敵なし」とでもいうべき状態が半世紀にわたって続いてきたのである。
 しかし、その奢りが仇となったことは否めない。秋葉原であるということが無言の足枷となり、そこから全国に打って出ようとする企業が意外と少なかったのである。ラオックスやヤマギワ、九十九電機などは全国に店舗展開しているが、駅前のビルの一画に店舗を構えるといった程度で、ヨドバシカメラやヤマダ電機のスケールにはとても及ばなかった。言い換えれば、流通は地域性の中に囲い込まれ、秋葉原にあぐらをかいた状態が続いたのである。そこに再開発の話が浮上してきたのである。これからは再開発がどのように進んでいったのか。そしてその再開発が最初から問題を含んでいたものであり、その結果、再開発を望んだ電気街が日本の経済的動向もあるが、逆に自らの首を絞める結果となったことが書かれている。これがまた面白い。
 秋葉原には廃止された貨物駅と移転した青果市場跡地があった。再開発を始めるには、ある程度土地があってのことで、何よりも種地が必要で、これらがその種地となった。
 貨物駅は先に書いた通りである。青果市場は以外と知られていないかもしれない。青果市場は江戸時代から神田多町に存続し、下町一円の青果の取引をしていた。震災後復旧にもかかわらず、老朽化と不衛生な環境のため、1928年(昭和3年)に秋葉原駅の西横に、貨物駅の高架化に伴って敷地の余裕が出来、それを利用して、中央卸売売場神田分場が1.5ヘクタールに及ぶ市場が生まれた。業界筋では「ヤッチャバ」と呼ばれたが、築地市場ほど知られていない。その後1990年(平成2年)に大田市場に移るまで60年以上営業していた。秋葉原の大々的な再開発は、この青果市場の移転によって動き出した。
 駅東(貨物駅跡地)と駅西(青果市場跡地)を合わせると面積は8.8ヘクタールとなる。これは電気街とほぼ同じ面積であり、秋葉原にこれだけの用地が確保されれば、ここ一帯にそれまでにない都市空間を生み出すことが可能で、秋葉原のイメージは根底から変わると予想された。
 しかし土地所有者が違うことが後に大きな問題となる。貨物駅跡地は鉄道建設公団国鉄清算事業本部の持ち物であり、青果市場跡地は東京都である。
 JRは秋葉原に対しては、利用者の多さと立地のよさから将来的に駅ビル構想を温めているものの、鉄道事業という性格上、広く鉄道用地の外側にまで関心を示していない。何よりも、民営化の過程で国鉄時代の膨大な赤字を解消することが義務付けられ、日本鉄道建設公団を介して貨物駅の土地などをなるべく高い価格で売却することが求められている。だから、再開発の成果を地域に還元することは二の次である。
 他方、青果市場跡地を所有する東京都は地方公共団体であるので、当然ながら公共性が大きな足枷となる。企業誘致が可能な高度の情報施設を作って採算性の高い空間となすことをめざすにせよ、地域の還元は真っ先に考えないとならない。その意味で、秋葉原再開発は、たまたまJRと東京都の土地を駅を挟んで一体となったものの、水と油くらい異なる二つの巨大組織の関心が当初から違う方向に向いているという矛盾を含んでいた。
 再開発にあたり、様々な分野の人々の間で侃々諤々と行われるのだが、この間の話を読んでいると、どうも机の上のプランがそのまま、再開発に移される感じだ。現実の秋葉原とかけ離れた感じが歪めない。お偉い学者が建前を掲げても、それが地に着いたもののなるとは、普通考えにくい。
 だいたいITを金科玉条とし、関連企業の誘致、情報発信基地といったことを言えば、さも秋葉原らしいという発想が貧困であろう。考えてみれば、ITを駆使した産業や企業がわざわざ地べたの高い場所にこだわる必要はないだろう。ネットで双方がつながっていれば、場所にこだわる必要がないはずだ。どこでも情報のやりとりが出来るからである。だったらた再開発された秋葉原のビルの中にいる必要はなく、もっと家賃の安い場所でもかまわないはずだ。たとえそれがどんな僻地であってもかまわないはずだ。このあたりがIT=秋葉原という単純な発想しかできない人間が秋葉原の再開発のプランを立てても、浮いてしまうのは当たり前である。特に東京都など行政側が立てるプランはその程度である。だからど~んと大きな箱物を建てるしか能がないのである。そしてそれが出来る企業など、ゼネコンなどに限られてきてしまう。そしてますます秋葉原の地とかけ離れたものとなっていく。地域との共生など、そんなのどっかに行ってしまうのは当たり前である。
 ところで秋葉原タワーという話があったらしい。今東京スカイツリーが話題になっていて先日高さが400メートルを超えたという。まだ建設途中なのにこれだけの話題性がある。その巨大電波塔を秋葉原の敷地に建てようという話があったらしい。この本を読んでいるとそのプランの記述は曖昧なのだが、どうもそれはニュースソースの曖昧さから来ているようだ。でも地元にとって天から降ってわいた話でも、この話に沸き立った。再開発協議会を構成する電気街のメンバーは電波塔の誘致を緊急決議した。実際そのタワーの模型さえ作られている。その背景には秋葉原のイメージを根本から変えたいという地元の強い願いがあったのだ。
 というのも2000年(平成2年)を過ぎた頃から電気店の売上が急激に落ち込んでくる。バブルの崩壊の影響がこの頃から現れ、同時にパソコンの売り上げもピークを越え、過当競争の結果、量販店の業績がみるみる落ちていく時期であった。しかも街頭の風景として、それまで裏側に隠れていたオタクと呼ばれる集団が大手を振って街を歩き回り、それを見越した怪しげな風俗店が開店するようになった。今でこそ、秋葉原電気街で普通にフィギュアやアニメを扱うようになってきたが、それが顕在化し始めた2000年代初めの時点では、秋葉原の「負」の兆候として捉える人が多かった。風俗店に関する警察情報も芳しくない。このように商店街振興会、町会とも秋葉原の歌舞伎町化を本当に心配し始めた。
 そこに駅横に巨大なタワー建設の話が飛び込んでくる。タワーで科学技術のシンボルとして普通の人たちに発信出来る街に出来る。「タワーのあるような開放的な場所にはオタクは近寄らない」はずだと思え、タワー建設の話期待を寄せたのである。
 ところが長いこと時間をかけて再開発事業を進めてきた東京都側にすれば、そんな思いつきで動かれちゃ困るわけである。計画自体変更せざるを得なくなる。結局地元の熱い希望は却下された。このあたりから行政と再開発協議会との間で意見の食い違いが目立つようになっていく。
 そこへ東口の貨物駅跡地に膨大な資金調達が可能な企業として、さらに秋葉原の好立地とブランドを求めてヨドバシカメラがやってくる。つくばエクスプレス開通に眼をつけた。
 ヨドバシカメラは2001年(平成13年)10月に駅前0.5ヘクタールに及ぶ土地を購入した。この店舗が出来れば電気街最大手ラオックスの2.5倍、電気街の総売上より大きくなることが予想された。
 電気街の商売は、仕入値を少しでも下げて価格を落とし、販売数で勝負するのが基本である。ヨドバシカメラは、その規模の大きさを利用して、さらに低価格の商品を提供することが可能で、電気街の量販店にとって間違いなく大変な脅威となる。ヨドバシカメラの開店で、それまで電気街に流れていた客層が東口に流れることが大いに予想され、再開発が電気街にとって裏目に出るのではないかという懸念がささやかれるようになる。地元(電気街)は総意としてヨドバシカメラの進出に反対の意思表示をしたが、ヨドバシカメラ側はそんなの関係ないとばかり、工事を進めた。そもそも秋葉原は市場原理に基づいて多くの企業が熾烈な競争してきた土地柄で、今更新たな量販店が出来たから地元がダメになるという理屈が通らない。ヨドバシカメラは2005年(平成17年)9月16日オープンする。
 ちょうどその頃から電気街はパソコンの売り上げが一気に落ち込み、それに変わるヒット商品が出てこないところへ、東口にヨドバシカメラが出現したことで、地元の不安は現実となり、秋葉原へ来る人は増えるにもかかわらず、電気街の売上はみるみる減っていった。そしてあの秋葉原通り魔事件が起こっている。このため歩行者天国さえ中止となる。多分電気街の人通りは激減したに違いない。 量販店はそれまでの拡大戦略が仇となり、資金調達に汲汲としていた。今が手一杯の状態となり再開発、あるいはその後のデザインなどどうするかではなくなっていく。その兆候は1990年代から現れていた。

シントク電気が1993年(平成5年)の夏が冷夏のためエアコン商戦で完全に失敗し、ついに65億円の負債を抱えて倒産。

廣瀬無線電機グループのヒロセ無線も、同年廃業し家電業界から完全撤退。

ロケットは1991年(平成3年)をピークに経営状態が悪化、2000年(平成12年)に民事再生手続を行い、店舗を整理し2005年(平成17年)のは中央通り面した本店を閉鎖。まもなく家電量販から完全撤退。

第一家庭電器もバブル期が終わってた頃から業績悪化に苦しみ、首都圏を中心に200店近い店舗を擁した買う大戦略が裏目に出て、資金ショートを起こす。そしてついに2002年(平成14年)に倒産。

ラオックスも例外ではなく、バブル期には松波無線、神田無線、ナカウラ、庄子デンキといった量販店を次々と買収し拡大したが、パソコンの売り上げが一気に落ちたことで業績が悪化し、2004年(平成16年)には投資ファンドMKSパートナーズの傘下には入り、代表取締役の座を投資ファンドに譲り、「ザ・コンピュータ館」も閉鎖を余儀なくされる。2008年(平成20年)に別の投資ファンドに身売りする。投資ファンド間でたらい回しにされた挙げ句に、創業者の谷口家は経営から完全に身を引く。2009年(平成21年)6月に中国の量販店蘇寧電器に買収された。「ラオックス」は間違いなく秋葉原を示す日本ブランドである。それをラベリングして中国の顧客に発信するというのが大きな目的であった。

石丸電気もヨドバシカメラの出現で一番打撃を受けるという不安は的中し、2006年(平成18年)4月についに白旗を揚げ、ヤマダ電機に次いで業界第二位の家電量販店エディオンとの業務提携を発表し、翌年には創業者一族の株をすべてエディオンに売り渡した。

サトームセンも2005年(平成17年)に入って、ヤマダ電機の子会社マツヤデンキと業務提携を始め、佐藤一族は経営から身を引くこととなる。その直後今度はマツヤデンキが投資ファンドの傘下に入るが、2007年(平成19年)になってヤマダ電機がこの投資ファンドを傘下に収める。サトームセンはヤマダ電機の子会社となったが、翌年には完全に事業停止。

九十九電機も2008年(平成20年)に民事再生手続きの申し立て行う。負債総額110億円であった。2009年(平成21年)ヤマダ電機に事業譲渡を行う。ツクモの名前は残るものの、創業家完全に消えた。

ヤマギワ、オノデンは堅実路線貫き何とかやってきたが、ヤマギワはこの8月29日に、ヤマギワリビナ本館を閉店することを明らかにしている。秋には別地域でショールームのオープンも予定で、将来的には本社機能なども、同オープン予定のショールーム近くに移転することを視野に入れているという。ヤマギワリビナ本館の建物の今後については現在検討中。

角田無線、愛三電機のように自身の領分を守って量販せず、得意とする分野の販売に徹して、この時代の荒波を乗り切っている。

秋葉原駅前の再開発に引き続いて、旧ヤマギワ本店の跡地にソフマップ秋葉原本館(2007年)のビルが建ち、さらに旧日通本社ビル跡地に住友秋葉原ビル(2009年)が完成する。

 ということで秋葉原の再開発は電気街の衰退を招いたことになる。再開発は西口エリアに展開する電気街や商店街の面々が力を入れて取り組んでいたのが、皮肉な結果となったわけである。著者は最後に「都市計画が不在であるといわれている東京の、もっとも官とは相容れない秋葉原という土地柄で、役所の香りがプンプンとする「再開発」を云々するのはいかにも場違いな印象だが、東京都の肝煎りでともかくその事業が始まった。生き馬の目を抜くという言葉がぴったりの秋葉原の風土を相手として、まったく別の角度から大上段に構えて都市づくりを行うというのだから、やはりどう見ても不自然である。秋葉原に店を構える商店主も、そこに集まる電子マニアたちも、そして誰よりも萌えの商品に群がるオタクたちも、目の前で始まった再開発の何たるかを意識しないまま、いつのまにか現実の動きが加速され、最後には超高層が並ぶもうひとつの街ができあがったのである」と言っている。まさにその通りじゃないかなと思える。違う次元で再開発が行われ、それに希望を託し、結果振り回された電気街は衰退をしただけであった。

 私は大学卒業後29年間秋葉原の東口にある会社に勤めてきた。その間6年ほど他の地域にある支店にいたが、ほぼ秋葉原の変化を見てきている。本屋の店員として昭和通りから中央通りに出て、先にあげた有名電気店、サトームセン、ヤマギワや日本通運の本社、YKK、凸版印刷などに配達にも行った。御用聞きと同じだから、裏から担当部署に行くのだけれど、そこは薄暗く、荷物がいっぱいで通るのも大変な曲がりくねった通路を何冊も本を抱え歩いたものだ。裏方なんてそんなものかもしれないけれど、こうして秋葉原の歴史を改めて知ってみると、そうした混沌さはもともと秋葉原が持っていたものじゃないかと思えてくる。
 ヤッチャバはほとんどなくなっていたけれど、まだ一部残っていた。ヤッチャバから、あるいは家電の梱包ダンボールがたくさん出た。それを生活の糧にしている人も多くいた。集めたダンボールをリヤカーにいっぱいにして、平気で歩行者専用を歩く男がいっぱいいた。時にはそのまま店の前でダンボールいっぱいのリヤカーを止めて寝てしまうやつもたくさんいた。(今もいるけれどだいぶ少なくなった)何度もそんなやつと言い合いをしたし、警察を呼んだ。
 パソコンがブームになった頃ちょうど仕事が変わり、自分でもパソコンを必要とした。だから何度もラオックス、九十九電機、T-ZONE、ソフマップなど行って、パソコンを見てきた。当時は今と違って、パソコンの値段はべらぼうに高かった時代ある。手が出なかったから、ため息しか出なかった。新モデルが出れば興味津々であった。
 それに当時のパソコンはいろいろ手を加えることが出来たので、ちょっと改造したりして、そのためのパーツを買ってきたりした。考えてみれば今言われるオタクみたいなところがあった。この本の著者がまえがきで書いているけれど「細々とした部品への愛着が、気がついたらフィギュアへの偏愛になっていた」と言って、フィギュア文化が登場したのも秋葉原にはそれなりの必然性があったというのはよく分かる。
 そうなのだ。部品への愛着がラジオになり、家電になり、オーディオになり、パソコンとなっていった。そしてパソコンから生まれたバーチャルなものが、フィギュアとなり、美少女やメイドとなっていった。それが秋葉原の個性であった。元々は表だったものじゃない。そうした一種の裏文化的なものがある街そのものが秋葉原であった。そうした必然性を忌み嫌ったところに電気街の間違いがあり、秋葉原が持っていた個性を見失ったのである。
 そこに官主導の再開発に期待をかけすぎて、気がつけば経済動向が大き変わっていて、自分たちの足元が崩れていった。後は資本力のある量販店が電気街の秋葉原というブランドを求め、土地をさがしているところへ、一等地を売りたいと地主が出てくれば、もう太刀打ち出来るわけがない。
 もうここに来る多くの人は、そうしたモダンなビルに入っているきらびやかで清潔なお店であって、中央通りまで行く人々ではない。そこやその裏通りに行くのは少数となっていく。完全に棲み分けされつつあり、もともとあった電気街は廃れる一方であろう。学者じゃなくても、素人の私が見ても、歩いている人種が違うことがはっきりとわかる。
 個人的に言えば私は昔ながらバタ臭く、汚い秋葉原が好きだったので、いつも再開発で出来た高層ビルが異様なものとして写る。多分昔から秋葉原を知っている人は余計なんじゃないだろうかと思う。
 しかし再開発というのは恐ろしいものだと思う。そして再開発のコンセプトはなんだかんだ言っても、その土地を持っている企業や団体の意思によって決まってしまうもので、その周辺にたまたまいた人々の意見など、最終的には無視されるものなんだと思い知るのである。


評価
★★★★


書誌
書名:秋葉原は今
著者:三宅 理一
ISBN:9784875861928
出版社:芸術新聞社 (2010/06/30 出版)
版型:334p / 19cm / B6判
販売価:2,730円(税込)

2010年07月14日

村上春樹著『「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たしてちゃんと答えられるのか?』

2010_07_14_01.jpg


 村上さん本でまだ読んでいない本はなかったかな、と思い本棚を眺めたら、このやたら長い書名の本(というかこれは雑誌扱いの本なのだが)があった。このシリーズ確かこの出版社で3冊出ており、うち第一冊目はとうの昔読んでいる。ただ2冊目以降読んでいないことを思い出し手にとる。この本は村上作品の読者とファンがネットで村上さんに様々な質問を浴びせかけ、それに対して村上さんが答えるという本である。期間限定のホームページに掲載されたものを本にしたものである。
 ただ今回これを読んでみて、昔のように素直に楽しめなかった部分がある。というのも村上春樹さんの読者やファンが様々な質問や相談を持ちかけるのは、どうなんだろうと思ったのだ。いや質問はまだいい。相談が問題なのだ。特に人生のシリアスな問題を抱えている人が、村上さんにアドバイスをもらい、そこから立ち直りたい、あるいは抱えている問題から少しでも解放されたいという意識は、どうなんだろう、と思う。ここで相談を簡単に投げかける方がおかしいと思うのだ。あるいはこんなところでしか、自ら抱えている問題を相談できないことがおかしいと思わないのかと疑問を感じてしまう。
 何か勘違いをしているところはないだろうか?ここに相談を投げかける人たちは、村上春樹という有名な作家が、第三者の目で、しがらみにとらわれない立場で、適切なアドバイスをしてくれると思っているのだろうか?でもよく考えてみれば、村上さんがしがらみにとらわれないのは当たり前だ。だって当事者じゃないんだから。それを第三者の目で見たくれたと思うのだから、その方が怖い。
 でも、ふと自分が若かった頃を思い出すと、これと似たようなことがあったな、と思った。ラジオの深夜放送である。そのほとんどは馬鹿話でクスクス笑いながら聞いていたのだが、番組の終わ頃に、シリアスな投稿をDJが読み、かわいそうだ、大変だ、といった雰囲気を醸しだし、エンディングにレーモン・ルフェーヴルの“シヴァの女王”をかけて終わる。その時DJは今考えてみれば、大したことを言ってはいない。ただ同情するだけと言っていい。聞いている我々も、“頑張って欲しいな”と思うのだけだ。当たり前である。当事者でも関係者でもないリスナーがそれ以上のことを言えるわけがない。でも当時はそうした悩みや問題をリスナーとして共有していたと思っていたようである。
 そうそう、あのホリエモンの餌食にされた、ポニーキャニオンの社長であった亀渕昭信さんが当時のラジオの深夜放送を振り返って、あの頃みんなは悩みや問題を共有していたと書いた雑誌を読んだことがある。それを読んだとき“共有か”と思った。そうかもしれないけど、こう歳をとってくると、結局そう思っていただけのことで、読む側も、聞く側も、当事者や関係者の力になれるわけないじゃないと思ってしまう。若かったからそう感じられただけのことであって、大きな勘違いである。それをいけしゃあしゃあと“共有していた”と当時を振り返って書ける人の方がどうなんだ、と思ってしまう。
 多分今回もその感覚が私にあるものだから、おいおい、それはここで書くことじゃないだろうと思いつつ読んだわけで、それが妙に鬱陶しく感じてしまった理由であろう。ただ村上さんは自身が当事者でない分、責任を伴わない点はよく心得ておられて、そういう対応をしているのが読んでわかった。その点はある意味安心できた。これをがっぷり四つになって対応していたら、ホンと興醒めしてしまうし、村上さんを疑いの目で見てしまいかねない。適当に冗談を言ってスルーしているので、その点はよかった。
 今回この本は日本の読者だけでなく、台湾、韓国の村上春樹ファンの質問も掲載されている。これらを読んで思ったことは台湾や韓国の読者は、村上さんの作品に対しての質問がほとんどで、村上さんの作品に登場する不可解な人物は何かの象徴なのかとか、何かの啓示なのかという深く、重い質問している。日本人読者のような馬鹿な質問をしていない。もちろん人生相談などもない。これを読むと、いかに日本人読者はお気楽で低俗なのかと感じてしまう。日本がダメになるのもこれだけでもわかるような気がする。

 さて、それでも質問に答える村上さんに、村上春樹という作家の姿勢が垣間見られる部分があって、それが“なるほど”と思える部分がいくつかあったのでそれを書き出しておく。

 死者は多くの場合、生きている人々のありかたを多かれ少なかれ決定的に変更させていきます。その変更をまっとうに黙って受けいれることが、死者を弔うもっとも正しい道だろうと思います。

 小説というのは現実の生活には役には立たないものです。そんなもの読まなくたって、ほとんど不都合はありません。だから小説を読む習慣のない人に小説を読んでもらうというのはむずかしいことです。

 小説というのはお勉強ではありませんので、読みたくないものは読まなくてもいいのです。誰かが「これは読まなくちゃだめだよ」と言っても、それは他人の意見であって、あなたはあなたの読みたいと思うものを読めばいいのです。「違和感」があるなら、それでいいと僕は思います。
 そのうちに「何か機会があってちょっと読んでみたら、これが面白くて・・・」ということがあるかもしれません。そういうハッピーな出会いを気楽に期待しておられるのがいちばんいいのではないでしょうか?人生はそれでなくてもしんどいのですから、たかが本くらいのことで頑張ることはありません。

 でも同時に「それにもかかわらず、お前がどう思うが、そんなこと知っちゃいねーんだよ、ふん」と思わなくちゃだめです。悟った不良になりましょう(もうトシなんだから突っ張った不良になっちゃ駄目です)。いったん不良になってしまうと、そのうちやりたいことも出てきます。やりたいことをみつけて、それにあわせて人生を決めるのではなく、人生にあわせて自然体でやりたいことをみつけたほうがいいと僕は思います。根性さえきめれば、中年はそんなにつらい年代ではありません。

 僕はただ自分が好きな本を読んで、好きな音楽を聴いて、原則的に好きなことをして、自分のペースで淡々と生きているだけなのですが、それがひとつのかたちとして定着し、なにかの「現象」みたいなことになってしまうと、やはり押しつけがましくなってくるし、それではお互い困っちゃいますよね。あなたも困るでしょうし、僕も困ります。
 でもそういう表層的な「現象」は、しかるべき時間が経過すればたぶん自然に過ぎ去って、消えてしまうはずです。そしてあとに残るのは、結局は作品だけということになります。

 僕がその時代(全共闘時代)から学んだもっとも大事な教訓は「美しい言葉で力強く語られるものごとは、まず信用するな」ということです。

 さて、もう一冊このシリーズが残っているが、ちょっと気が重いな。同じスタイルで「少年カフカ」はそのボリュームに圧倒され、結局投げ出してしまったけれど、村上さんの言うように読みたくない本は読まなくてもいいかと思うが、一方で読めないというのもしゃくにさわるし、厄介だ。
 最後に安西水丸さんが描かれるイラストは、村上さんの回答をうまく茶化していて面白かった。何度か笑ってしまった。


評価
★★


書誌
書名:「これだけは、村上さんに言っておこう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける330の質問に果たしてちゃんと答えられるのか?
著者:村上 春樹
ISBN:9784022723192
出版社:朝日新聞出版 (2006/03 出版)Asahi original
版型:205p / 21cm / A5判
販売価:入手不可

2010年06月29日

森まゆみ著『貧楽暮らし』

2010_06_29_01.jpg


 森さんの『暮らし』シリーズは全部読み終えたと思ったら、新刊が出た。それがこれである。今回は前回よりかなり時間がたっており、森さんがほぼ子育てを終え、自分の仕事のスタイルも形になってきた、最近の姿が描かれている。そしてその分歳もとっているわけで、その点人生の落ち着きがここでは感じられた。
 普通こうなってくると説教がましいところ出てきたり、どこか自分の生き方を押しつけるような部分が出てくるのだが、森さんのこのエッセイにはそうしたお節介なところがなくて、よかったなと思っている。
 これはどうしてなんだろうかと思った。結局今までの森さんのエッセイを通して読んでいると、そこには自分たち親子が町のみんなに助けられて生きて来たからだと身をもって感じているからではないだろうか。だからそこには“自分だけが”というものがない。
 普通どうしたって歳をとれば、お説教がましいことの一言など言いたくもなるし、書きたくもなる。実際私だってそれを感じるときがある。その時自分でも“嫌だな”と感じる。偉そうなことを言ってみても、その背後にあるものが薄っぺらいものを自分でもわかっているから、化けの皮がすぐ剥がれる。その時はみっともないこときわまりない。だから極力そういう態度をとることは避けたいと思っている。そして平気でそういうことが言える人間を腹の中で蔑んでいる。そういう人を見るといつも「あんたそんな偉そうなこと言えるの?」と思ってしまうのだ。恥を忍んで言うという言葉もあるけれど、わざわざ恥を忍んで言う必要もないだろう。そこまで言うのは、その人の気持ちの中で“言いたい”という気持があるからだと思っている。私は自分の人生の体験や経験を、人生訓のように平気で言える人がどうしても好きになれない。
 私の性格が歪んでいるからそう思うのかもしれないが、むしろ進んで偉そうなことを言う人より、さらりと経験したことを書いて終わらせる姿の方が、私は好きであり、森さんの今回のエッセイはそういう姿勢が貫かれているので、読んでいて楽しかったし、素直にそうだよなと思えるたのである。
 たとえば『「恥ずかしい」という感覚』というエッセイでは、修学旅行のとき感じたことが書かれている。森さんのいた高校は恵まれた家の子女がほとんどで、勉強もでき、才気煥発であった。だからおしきせの修学旅行を半ば馬鹿にして、バスガイドの説明など聞かず、好き勝手におしゃべりに夢中になっていたという。
 そしてバスを降りる頃が近づくとバスガイドが挨拶した。

 「皆様、この楽しい旅も終わりに近付いてまいりました。つたないガイドでご迷惑をかけましたが、私は同じ年の方たちをご案内できて大変うれしく思っております」

 この挨拶を聞いた森さんたちはしんとなったという。みんながバスで子供っぽく騒いでいる間、自分たちと同じ年齢のバスガイドは、高校にも行かず就職し、ちゃんと社会人をやって、自分の仕事を全うしていたのである。その時森さんたちは、自分たちは恵まれた環境に甘えているだけで、同じ年齢の同性が一生懸命仕事をしているのに、話を聞かずに騒いでいた。それを思ったとき「恥」を感じたというのである。
 そしてさらりと、自分に対して恥を感じるという感覚は人間を育てると思う、と書き加えるのである。もうこれだけで、「そうだよな」と思ってしまう。
 あるいは歳をとったり、病気になったりしたことを寂しく思ったり、悲観したりするのではなく、それらが身にこたえるようになって「“ひよわさ”を獲得することになって、むしろ敏感になったのかもしれない」と書く。
 これを読んだとき、「あっ、そうか!」と思ったのである。私もそうだけれど、自分が歳をとって、若くないことを嫌が上でも自覚するようになると、一抹の寂しさを感じるのではないだろうか。ある意味逆にその反動で、歳をとった分説教がましくなるのかもしれないが、そうではなく、“ひよわさ”を感じることで、自分はいろいろな部分で、物事に敏感になれるようになり、深く感じられるようになっているんだと思うべきなのではないか、と思ったのである。そしてそれは確かにそう言えそうである。
 そう思ったとき、これはこれでいいんだなと思えるようになったのである。これはちょっとした“目から鱗”であった。歳をとったことや病気になったことを、悲観するものでもないし、だからといって無理に虚勢を張って若者ぶるのも、結構疲れるので、あるがままに物事を考えていけばいいんだなと思わされた。


評価
★★★


書誌
書名:貧楽暮らし
著者:森 まゆみ
ISBN:9784087465860
出版社:集英社 (2010/06/30 出版)集英社文庫
版型:223p / 15cm / A6判
販売価:450円(税込)

2010年06月13日

森まゆみ著『旅暮らし』

2010_06_13_01.jpg


 また森さんのエッセイに戻る。『暮らし』シリーズの最後である。先の松浦弥太郎さんのエッセイと比べて、森さんのエッセイの方が日々の暮らしが伝わってきて好感が持てる。やはり女性ならではの現実感が感じられ、理想や希望や夢を語るのはやっぱり男の方なんだなと思わせる。
 ここでは森さんが三人の子供から手が離れつつあるものだから、今まで子育て、地域の雑誌編集などで家から離れなれなかった分、旅に出る。
 子育てがあると当然家に縛られる。やりたいことなどそうそう自由に出来ないものだ。旅を長い間家を空けている訳にもいかないだろう。やっぱり生活が第一優先だからだ。でも親としての義務を果たし、自由になった分、それまで自分がしたかったことをやり始めているというのが感じられ、こういうのっていいな、と思う。
 でも自由に行動できるからといって、それまでしてきた子育て、『谷根千』の編集、発行から得たことからは離れられないようである。どうしても人とのつながり、そのあり方、長いこと残ってきた建物、景観の保存にどうしても目が向かってしまうようだ。まぁ当然であろう。そこに関わってきた時間の方が長かったのだから。だから旅先であった人々との関わりのその延長で物事を考えていくし、そもそもここで森さんが旅に出かけるきっかけがそれなんだから当然ある。
 そして森さんが考える町と人との関わり方が、私も興味がある。

 十八年、町の暮らしを見つづけてきた私も深くうなずいた。物があふれても幸せとはいいがたい。豊かになることのよって、人びとはむしろ孤立化し、助けあいや共食、家族でのもてなし、たのしい路上生活を失ってしまった。

 と書く森さんの文章は、今まで進んできた経済大国として日本が、もしかしたらとんでもない方向に日本人を導いてきたんじゃないかと思わせる。経済効率主義は、非効率で煩わしい人間関係を破壊するにはもってこいの理由だったのではないかと思うのである。物を多く持つことは、物に気持ちを奪われることであって、自分でその物を作ろうという意識を失わせる。創造力を喪失させる。すべてお金で買った方が時間も手間もかからないからだ。それらを身の回りに集め、幸せ、豊かを謳歌してきたのである。それを「ちょっと待って」と振り返らせないほど時間に追われてしまっていたから、顧みることさえなかった。
 一方的な幸福感や豊かさは、それまであった人間関係を破壊し、残ってきた町並み、建物を壊してまで追求していってしまった。厄介なことにそうした人間関係や建物を壊すのは簡単だけれど、それを築き上げるのにはものすごい時間がかかっている。だから今私たちは壊してしまったものの価値に呆然とし、それを回復するのにはさらに長い時間を要することに、半ば諦めを感じてしまっているのではないかと思われる。
 先に書いたとおり、経済が右肩あがり上がっていて、いつまでも成長できるならそれでもいいかもしれない。そんなこと振り返っていられないほど時間がなかった分、ある意味後悔しないということで幸せだったのではないか。
 そして面白いのは、こういう不景気の時代になって、それまで自分たちがしてきたことを後悔し、間違っていたんだ思う人たちもいれば、何とかこうした不景気からの脱出にもがき、さらに効率や採算を求めていく人たちもいる。
 森さんたちが残したいという景観や暮らしに思いをはせる人たちもいれば、そうした人たちの気持ちを無視して、平気で高層マンションを建てる大手ディベロッパーがいるのもそういうことによる。
 人間はというか特に日本人は一度物欲の魅力にとりつかれてしまうと、いつまでもそれにとりつかれてしまう。なくてもかまわないじゃんと思わない。ないことに不安を感じるのである。それは収入が大幅に減っても、物欲だけは衰えないものだから、今度は1円でも安いものに走ることとなる。そうして安値競争が始まり、売る側はコストを下げるために、人件費の高い日本での生産を諦め、中国で生産し、日本の経済の空洞化を招く。
 私は今の日本の閉塞感は、経済の発展が望めないことだけではなく、物欲に支配されている人たちがその欲求を満たせないことの不満から来るものだと考えている。自分の気持ちを少しでも物を持つことで幸せなれるという気持ちから解放できれば、かなり豊かになれるのではないか。余裕が出来るんじゃないかと思う。物を持つことからの開放は、大手ディベロッパーが建てるマンションだって売れなくなってしまうだろうから、そう無闇にマンションなど建てられなくなるはずだ。コストを下げることで質の悪い物を平気で売ることもなくなるだろうし、平気で鉄筋を抜いてしまうことだってなくなるはずだ。質の充実が人の気持ちを豊かにすることを重視すれば、人は豊かになれるのではないかと思う。質を求めれば当然お金はかかる。それを求めることが出来る人はそれを求めればいいし、そう夢が叶わないなら、今あるものを大切に使えばいい。どっちが価値があるかは関係ない。どっちも価値がある。どっちが豊かで幸せかという問題でもない。
 資本主義は一方の人たちを豊かにするけれど、もう片方にいる人は虐げられる。搾り取られる。一方を豊かにするために、片方では環境などを破壊してしまう。物理的生活向上を求めれば求めるほど、一方で不幸になる人がいる。“ほどほど”ということで立ち止まれないほど厄介な社会システムなんだなと思うが、かといってそれに代わるシステムを持ち合わせない我々はどうすればいいんだろうか?
 
 森さんの町に対する思いから大それた話になってしまったけれど、森さんがまちを「街」と書かず「町」とこだわる気持ちは、失ってしまったものへの回帰によるものだろうと思われるし、それが「ほどほど」で寸止めされた社会だった。そんな気がしてしまうのである。そして「思いやり」は煩わしい面がある反面、居心地がいいものであり、それが森さんの言う「町」なんだなと思ったのである。それが暮らしなんだなと思ったのである。


評価
★★


書誌
書名:旅暮らし
著者:森 まゆみ
ISBN:9784087464177
出版社:集英社 (2009/03/25 出版)集英社文庫
版型:264p / 15cm / A6判
販売価:539円(税込)

2010年06月11日

松浦弥太郎著『最低で最高の本屋』

2010_06_11_01.jpg


 この本は今までの本と違い、松浦さんがたどってきた道を自ら振り返り、アメリカにあるだろうと思った自由や開放感の先には自分勝手な生活しかなかったと松浦さんは悟ったことが書かれている。しかし「自由であることを実感するには、正しい生活をしなければダメだな」と思い、「社会との関わりのなかでの自由」でなければならないと考えるようになる。
 日本に帰ってきて、自分がやってきた古本屋が人に喜ばれることを肌で感じ、それが大きな喜びとなった。だったらもう少し頑張って続けてみようと思うし、もっと社会に役立つことをやりたいと考えるようになっていったと書いている。そこで社会に関わりにない仕事をしても意味がないと思い、どうすれば個人として、今の社会に正しい影響力を持てるようになれるか、を考えるようになる。それが松浦さんの言う「社会との関わりのなかでの自由」の追求であった。
 自由という言葉は好き勝手、思うままという感覚が伴う。確かにそうなのだが、その自由であるということの背後には、自らの生活はきちんとしていなければならないし、社会の責任を負っての自由でなければ、人は耳を貸してくれないはずだ。いい加減なことをやっていて、自由ばかりを主張していれば、それは単にわがままで自分勝手でしかない。
 私から言わせればそんなの当たり前じゃん、と思うのだけれど、でもその真っ当な考えに至るまで、松浦さんの考えを果たしてこの本を読む若い人どこまでわかっているだろうかと思う。どこまで松浦さんの「思考遍歴」を理解できるだろうかと思う。自由という言葉だけが一人歩きしてしまわないだろうか、と危惧するのである。
 私は松浦さんが考える自由の意味は極めて真っ当だと思っているが、ただそれをもっと強く言うべきだったと思う。その点はあまりにもやんわりと言っている分、もしかしたら義務や責任を果たさず、有りもしない自分の能力を過信してしまうやつが、そうだ!そうだ!と言いかねないじゃないかと感じてしまった。それぐらい松浦さんの本は“自由の押し売り”傾向が強いのだ。
 松浦さん個人は自由が持つ意味をちゃんと把握していても、読む側が自由という言葉だけを一人歩きさせかねないような、書き方に少々疑問を持ってしまうのである。感性の自由と行動の自由とはまったく別もんだ。それをはっきり書いて欲しかった。わかっている人だけに余計にそう思うのである。
 段々松浦さんの本に関して、私の感想がぶれていくのがよく分かる。最初はさわやかでいいじゃないか、と思い、次に若い頃に読めばワクワクしたかもしれないと書いたが、今はこういう書き方は如何なものかと思うのである。下手をすれば松浦さんのやって来たことの表面だけを捕らえて、こういう風に自由にやってきた人がいるんだと勘違いさせてしまう。いいなと思わせる。これはまずいだろう。
 夢や希望を持たせるのは結構だけれど、それを実現するためには途方もない苦労を伴う。苦しまなければならないことを、ちゃんと書いて欲しかった。そんな甘いものじゃないだろうし、誰でも人にはない才能や能力があると思わせるような書き方は、ある意味無責任だ。
 人はそうした夢や希望を少しずつ削っていき、残りをなくしていく。あるいは形を変えていく。それでも歯を食いしばって生きている人がたくさんいる。不器用に生きている人がたくさんいる。私は自由を鼓舞する人に感化され、そういう人を小馬鹿にしかねない風潮が嫌なのである。決していい人を気取るつもりはないが、下手をすればこの本はそういう意味で、間違った方向に導かないとも思うのだ。


評価
★★


書誌
書名:最低で最高の本屋
著者:松浦 弥太郎
ISBN:9784087464917
出版社:集英社 (2009/10/25 出版)集英社文庫
版型:267p / 15cm / A6判
販売価:559円(税込)

2010年06月09日

松浦弥太郎著『くちぶえサンドイッチ』

2010_06_09_01.jpg


 続いて松浦さんの本を読む。松浦さんは本業という決まり切ったことにこだわらず、自分の好きなことをやることで幸せを感じてきた人だから、それだけでも異質といえば異質だ。この人いったい何をしたいんだろうと思ってしまう。
 私は長いことどこかに所属することで安心感を得てきた人間だから、この自由さに危なさを感じてしまうのである。けれどこの人にとってはこれでいいんだろう。この本の解説で角田光代さんは松浦さんを称して「現代版JJ」と言っているが、なるほど植草甚一か、と思えば納得いく。 この本の副題が松浦弥太郎随筆集となっているが、前回の本と比べ心情的描写が多くなっている。だから随筆というより、どちらかといえば詩的感じのする文章が多い。
 こういうのが苦手である。どう書いていいのかわからないのである。確かに自由に行動し、詩的にそれらをつづる文章は魅力的だけれども、今の私はこれを素直に受けいれられないのである。どこか“青臭い”と感じてしまうのだ。こういう生き方もありますよ。こういう風に感じられますよ、といった文章を読むと私の心には「けっ!」といったものが出てきてしまうのだ。世の中あなたのような生き方が誰でも出来るわけじゃないと思ってしまうのだ。
 結局私が世の中をすねて生きて来たから、そう思ってしまうのだろう。だからもし私が若いとき、まだ世の中の酸いも甘いも知らない、夢や希望などたくさん持っていた頃にこの本を読めば、もしかしたらワクワクして読んだかもしれないなと思ったのである。きっとそうだと思う。だから決してこの本は悪い本じゃないとは思う。
 松浦さんは1965年年生まれだから、現在44歳なのかな?とにかく40過ぎのおっさんがこれだけ若々しく、みずみずしい感性を未だ持っているだけでも、驚いてしまう。私ならもし自分がこんな感性を未だ持っていたら、きっとそれをどう扱っていいのかいつも悩んでいなければならないような気がする。もし自分がこんなことを書いちゃったら(書けやしないが)、恥ずかしくて仕方がない。
 しかし松浦さんはそういう自分の感性と、現実とうまく折り合いをつけていけるから、こういう文章が書けるのだろう。多分そういうことだ。私は松浦さんの文章を読みながらそんなことを感じた。でもそれを考えるとすごいことだと思う。そうでないと雑誌の編集者なんて出来やしない。でないと、「それがルールがないルール、優雅なわがまま、というのを日常生活にちょっと取り入れてみる。それが現代社会においてとびきり爽快だということなのだ」なんて言えやしない。
 普通ならこの手の文章は投げ出してしまうのだけれど、松浦さんの場合自己主張が控え目であることが、全ての文章が謙虚だから私でも読めたのだろうと思う。だいたいこの手の文章は自己主張が激しくて、読んでいて“いい加減にしろよ”と言いたくなるのが多いだけに、その点は松浦さんの人徳なのだろうか?
 たださすが二冊ともなると食傷気味であることは事実だ。最初はよかったんだけれどね。まだ一冊残っているので正直なところまいっている。実を言うとこの後読む予定の本を最初に買っちゃったものだから、それを読む前に先に出ているこれらの二冊を読んだ方がいいと思って読んできたのだ。失敗だったかな・・・。

評価
★★


書誌
書名:くちぶえサンドイッチ―松浦弥太郎随筆集
著者:松浦 弥太郎
ISBN:9784087462906
出版社:集英社 (2008/04/25 出版)集英社文庫
版型:331p / 15cm / A6判
販売価:680円(税込)

2010年06月08日

松浦弥太郎著『本業失格』

2010_06_08_01.jpg


 ネットでいろいろ調べていたらこの松浦弥太郎という人を知った。この人は今「暮しの手帖」の編集長をやっているという。これはちょっと驚いた。というのも「暮しの手帖」という雑誌は編集長の花森安治の個人的雑誌といっていい雑誌で、この人のキャラクターで売っていた雑誌だからだ。花森安治の死後もその方針は変わっていないと聞いた。だからまったく花森安治と関係のない人がこの雑誌の編集長をやっているとは思わなかったのである。
 で、その編集長をやっている松浦弥太郎という人はどんな人なんだろうと思いこの文庫を手にした。この人の経歴が面白い。松浦さんは高校を中退して、18歳で一人あこがれのアメリカに渡り、アメリカのオールド雑誌やアートブックに魅了され、96年帰国し「エムアンドカンパニーブックセラーズ」を開業しトラックによる移動書店を始める。02年には自らがセレクトした本屋「カウブックス」を中目黒にオープンさせる。同時に、文筆家として編集、翻訳など多岐に渡り活躍し、06年、「暮しの手帖」編集長に就任。現在に至っている。松浦さんがどうして「暮らしの手帖」の編集長になったのかその経緯が知りたいところだが、それは今のところ私は知らない。
 その松浦さんに興味を持ったので松浦さんの著作で文庫本になっているものを買い求めた。これはその一冊である。その「はじめに」に書かれていることが気に入った。『本業失格』というタイトルについて書かれた文章である。

 まあそんな風に誰でも本業という肩書きはあるけれど、必ずしもそこで輝かなくても、どこか違う世界で自分だけが持って生まれた才能やちからがあって当然。本業が失格であっても、人生が失格ということはありえない。そんな角度を変えた選択肢を自分に受けいれることで、もっと人生がしあわせになるのではないだろうか。
 本業がその人の全てでもない。本業で成功しなくてもいい。本業ではないからこそ面白い。仕事についてはできるかぎり広いまなざしを持って自由でありたい。『本業失格』の意味することはまさに自由であれということだ。

 と書かれている。つまり松浦さんはそうしたポリシーから本屋という本業がありながら、それにとらわれず文筆、編集、翻訳などさまざな仕事をされているわけだ。本業にとらわれることなく、いろいろなことに興味を持つ。自分が感じるまま、自由に生きていく。 一見こう書くと、本業を持たない、あるいは本業をおろそかにする軽そうなやつと思ってしまうが、ここに書かれている文章を読むとそうではない。自由でありながら立つ姿にはしっかりと足をつけて語っているし、その背景には、たしかな読書量や人間関係から得た情報に裏付けされている。だから読んでいてちっとも軽薄感など感じない。それでいて全ての面において自分の思うがまま、しがらみにとらわれない分自由さを感じる。さわやかささえ感じてしまう。これにはちょっと驚いてしまった。こんな人もいるんだと思った。むしろうらやましいとさえ感じた。そんな人が書いたエッセイである。そこには堅苦しい人生論などぶっていないし、淡々と松浦さんの日々がつづられている。

 最近よく思うことがある。時間を割いて本を読んでいるのだから、何でも構わない、とにかく何か知識でも雑学でも得なければ損だ。あるいは何か役立つことをそこから吸収しないと読んだ意味がないといったばかりの、損得勘定で本を読むときがある。もちろんそうしたどん欲さはあってもいいし、もともと実用的な意味で本を読んでいる場合だってあるから、それはそれで否定はしない。
 でも一方でそうした本の読み方ばかりしていると、疲れちゃう。仰々しく、この本は役立ちますよ。いい本ですよ。人生を豊かにしますよ、といった本ばかりだと、本を読むこと自体嫌になってしまう。
 だからときには本を読んだことで、いい気持ちになれたというのもあっていいんじゃないかと思うようになった。読まなくてもいい。見るだけで心が和んだというのだっていい。そう思うのである。おそらく松浦さん主に扱うビジュアル系のアートブックはそういう本ではないかと思う。それはこの文庫で紹介されている本などから察することが出来る。あるいは松浦さんの文章そのもからも感じ取れる。
 いま私は本を読むことに疲れてしまうことが多いので、こうした本がぴったりくるのだ。ときにはこうした気持が安らぐ本も必要なんだと思っている。


評価
★★


書誌
書名:本業失格
著者:松浦 弥太郎
ISBN:9784087461329
出版社:集英社 (2007/02/25 出版)集英社文庫
版型:191p / 15cm / A6判
販売価:439円(税込)

2010年06月07日

森まゆみ著『その日暮らし』

2010_06_07_01.jpg


 森さんの『暮らし』シリーズ?の第二弾を続けて読む。この後もう一冊控えているので、この際まとめて読んでやろう、と思っている。このシリーズは小難しいことをあれこれ言うのではなく、ただ日々の生活を淡々とつづるだけなのだが、それがある意味魅力的だ。女性の目で見た日常を、男らしい筆使いで描くあたりがいいのかもしれない。
 さてこの本を読んでいて面白いなと感じたことを二つほど書く。その一つが「誤植さがしの昼下がり」というエッセイから。何も予定のない日曜の昼下がり、自ら出版している「谷根千」の誤植探しをしているときに思ったことが書かれている。
 森さんは「考えてみれば一冊の本は、一字一字の活字から成り、その膨大な集積である。どこでまちがいが出てもおかしくない。人間であれば、さらに私のような未熟者であっては誤りを逃れるはずがないじゃない」と言い、「書物が完全無欠を要求されるようになったのはいつの頃からか。岩波書店が誤植一つに対して賞金を出すといったことがあるそうだ。その頃からか。けれど、もし誤りのまったくない書物があるとしたら、それはそれでこわいような、物神崇拝を産むようなものだとも思う。そういうこわばりはできるだけ無縁で、もっと人間のイイカゲンさを愛していたいと思うのである」とも書いている。
 確かに不特定多数の人が読むものである。それが不完全なもの(誤植や誤字脱字など)がないに越したことはない。けれどそれがあったとしてもそれを「ああ、間違いね」といったくらいの心の余裕があってもいいような気がする。私も初版本を読んでいたとき、何回か誤植か誤字脱字を見つけたことがある。でもそれを間違いとわかって、自分の中で正しい言い回しにすればいいだけのことだと思っているし、それに目くじらたてる人は世の中にはたくさんいるだろうから、そういう指摘はその人たちに任せておけばいいと思っている。
 ましてこうして拙い文章をブログで公開している自分である。それはもう数え切れないほど誤字脱字、てにをはが抜けている箇所があるに違いないので、そんな指摘などできる資格などない。それを考えちゃったら、もうブログなど私には出来やしない。幸いこのブログは無名に近いのと、読んでくれる人が心が広い方が多いので、何とか成り立っていると思っている。
 あと森さんは自分たちが発行している「谷根千」を配達して店頭に並ぶ夜は、「(内容や記事が)町でふつうに生きている人を傷つけなかったか」あれこれ気になって寝られないという。

そうなんだ。

 掲載している内容や記事が人を傷つけてしまうこともあり得るんだなと思ったのである。このあたりの配慮はホンと大変なんだなと改めて思った。私もたとえ無名なブログで、そんな心配など無用で必要ないかもしれないけど、それでもこの点はちゃんと気をつけないといけないなと思った次第である。

 もう一点は、たぶん森さんがやっておられる「谷根千」の人気を支えているのは、かつてどこでもあった町並みとそこにある“人情”がここに残っているから、それが支持されているのだろう。人を懐かしませるのだろう。その“人情”について書かれている文章が気にかかる。

 路地の調査をしたとき、“人情”とは非歴史的なものではなく、地方から出てきた根なし草同士、助け合い融通しあわなければ生きていけないという、すなわち“まずしさ”こそ根底にあると学んだ。いきが意地と媚態とあきらめのブレンドならば、人情は貧しさと孤独とええかっこしい(あるいは他人の境遇への察し)で成り立っている。
 貧しいからこそ、狭い路地においしい煮物や揚げ物の匂いをふりまけば他人にも分けざるを得なかった。故郷から芋や豆がどんと届けば隣り近所にも配った。ベビーシッターや老人介護の家政婦を雇えないから、路地中で面倒を見た。植木の手入れのうまいひとはよその鉢にも水をまき、器用な人はよその家の縫物もし、棚を吊った。

 少し前まで私たちは人に厄介になり、迷惑をかけることをおそれなかった。そうしなければ生きていけなかった。

 ところがそうした人様の手を煩わすことをお金で換算することをやり始めた。お金を払って人様の助けを求めるようになった。逆に言えばそれだけみんながリッチになったということかもしれない。あるいはつい最近まであった誰でも自分は「中流」という意識が持てるようになったから、お金を払って、そうした人様の手を借りることにしたのである。お金を払って人様の手を借りれば、それはビジネスとなるわけだから、ある意味煩わしい関係や引け目など持たなくて済む分、楽といえば楽である。
 ところが経済が右肩上がりである時はそれが成り立つけれど、不景気になって、中流階級が没落し始めると、それが出来なくなる。これが今私たちが抱えている問題なのだ。助けが欲しいのだけれど、一度お金に換えてしまった助けを、無償に戻すことがなかなか出来なくなっている。だから昔あった人との関係、ご近所関係を懐かしむのだ。本来そうした関係はお金で換算してはいけないものだったのだ。ビジネスにしてはいけないものだったのだ、と気がついたのはいいけれど、もう遅い。多分今は後悔と回帰に人々は悩み苦しんでいるような気がする。
 今建物や公共施設のバリアフリーがやたら叫ばれているけれど、それだって考えてみれば、昔だってお年寄りはいたし、身体の不自由な人もいたはずなのに、何故今だけそう声を上げて叫ばれるのだろうか。もちろん急速な高齢化が大きな要素なのだろう。
 それが出来るならそうすればいいけれど、そうしなくても困っている人を助ける気持が誰でも持てる社会であれば、かなり問題は解決できるような気がする。少なくともちょっと前まではそうだったはずだ。森さんは「大切なことは施設の形式的なバリアフリー化などではなく、こうした“心の隔てのなさ”なのだろう」と言っているが、“人情”とは無償の人の“心の隔てのなさ”で成り立っていたと思い知るのである。


評価
★★


書誌
書名:その日暮らし
著者:森 まゆみ
ISBN:9784087462913
出版社:集英社 (2008/04/25 出版)集英社文庫
版型:243p / 15cm / A6判
販売価:499円 (税込)

2010年06月05日

森まゆみ著『寺暮らし』

2010_06_05_01.jpg


 また森さんのエッセイを読む。この本は森さん親子が本郷の駒込町にあるお寺の境内にあるマンションの一階に引っ越すところから始まる。マンションといっても内装は純和風で、境内にあるため、まわりは木々が茂り、静かな所みたいだ。ここで森さんは娘と息子二人の四人で暮らすのである。旦那さんとは離婚している。だからここでは“夫であった人”という表現で出てくる。私はこの言い方がちょっと気になってしまった。別に言い方に文句をつけるつもりではなく、“夫であった人”といって、別れた夫のこと言える森さんをその人はどう思うのだろうか、と思ったのである。すでに過去形でしかない自分を知ったとき、一抹の寂しさみたいなものはないんだろうかと思ったのである。もっともこれは男の側に言い分であって、「だから」と言われたら、次の言葉など出てこないのだけれど。それに女手一つで子供三人を育てるのは大変であろうから、それどころではないだろう。
 ただこの本は生活の厳しさといった匂いは省かれている。それは森さんの文章が生活していくその中で起こること、人との関わり、自然の移ろいなどに重点が置かれているからだろう。子供たちも子供らしく育っていくし、それを見守る母親として森さんがそこにはあり、そんな日常をさりげなく描写している。
 町がそうさせているのかどうかわからないが、人との関係がやさしいのがうらやましい。ものすごく自然なのである。人の生き様、死に様が、何というのかな、とにかく“豊か”なのである。それはお金で生まれたものでなく、本来人が持っていたものの豊かさと言える様な気がする。お金で生まれた豊かさじゃないから、ある意味“きれい”なのである。
 そういう人たちと交流を持っているものだから、森さんも都会の生活の中で人とのしがらみから生まれる、見苦しい部分を、ふと考える部分がいい。
 たとえばお寺で行われる葬式で、それを眺めて、「生きている、というのはそれだけでも大変なことだろう」と思う。生きていくだけで小さなもめごとを身体に溜め込み、それが怨念みたいになって行く。逆に自らが他人様の心に小さな怨念を積み上げていることだってあるだろうと思うのである。そして葬式は、一生かかってすこしずつ、そして山のように積もった怨念を洗い流していくように思うのである。
 あるいは「人生の片付けかたについて」では、ある人がいろいろなものを残して亡くなられ、残された人がそれを片づけるのに苦労されている光景を森さんは見る。その時「物を残して死ぬのはハタ迷惑」だと思うのである。これとは対照的に八十を過ぎた頃から身の回りを整理し、「もうじきこの世からいなくなりますから」と言って、身の回りの物を必要とする人にあげてしまう人。
 あるいは妻に先立たれ、妻の文集を作ったり、後片付けして、ある日すっとこの世から消える人もいる。森さんはそうした潔い死に方を目にして、「死ぬ前に片づけることは大切だと思う」のである。
 こういう死に方はいいな、と思う。人は生きていれば様々な物を溜め込んでしまう。所有者が生きているときは、それらは存在価値があるだろうが、その所有者がいなくなれば、それは邪魔者になる可能性がある。
 人はいずれ間違いなく死ぬ。だったら人生の整理もどこかでしないといけないな、とこれを読んでそう思った。さしあたって、私の場合は、この本だな。きっといつか処分しないといけなくなるだろう。


評価
★★


書誌
書名:寺暮らし
著者:森 まゆみ
ISBN:9784087460551
出版社:集英社 (2006/06/30 出版)集英社文庫
版型:251p / 15cm / A6判
販売価:579円(税込)

2010年04月27日

森まゆみ著『東京ひがし案内』

2010_04_27_01.jpg


 この本はWEbちくまで連載されていたのを文庫オリジナルとして出版したようだ。東京ひがし案内となっているが、メインは東京の東側の町並み、神社仏閣、明治・大正・昭和の建造物を訪ね歩いている。この本を読んでいると東京という町は京都や奈良みたいな古い歴史はないかもしれないが、江戸から明治と面白いものがまだ残っていると思わせてくれる。むしろ割と年代的に身近に感じられるものが多いし、知っている地名、建物などが出てくるので、かなり興味深く読ませてもらった。私はこういうのが好きである。

 いくつか面白い記述があったのでそれを書き出してみる。たとえば神保町界隈にはカレー屋が多い理由。「なんでカレーが流行るのかというと、左手で買ったばかりの本を読みながら右手で食べられるファストフードであるという説がある。また出版、書籍の町の人びとは食事時間が不規則で、カレーならご飯さえ炊いておけば、即座に出せるという。二日、三日煮込みましたと保ちのよいメニューでもある」とそのわけを紹介する。なるほどね。
 またこの附近は中華料理も多いともある。
 昔神田村に“餃子屋”という餃子の美味しいお店があって、よく仕入の途中遅い昼飯をここで食べたものだ。今は再開発でなくなってしまった。ネットで調べてみると、三省堂の前、靖国通りを渡った奥に本店があるらしい。
 このあたりある“伊峡”という中華料理には学生時代お世話になった。先日大学のクラス会がその近くお店であった。目印が伊峡の前と友人から聞いて、すぐ分かっちゃうのだが、それよりも30年近くたって久々に聞いたその名前方が懐かしかったし、まだ頑張って営業しているんだと感心してしまった。その日は日曜日だったのでお店の前を通ったが休みであった。
 そういえば最近は靖国通り沿いには新しい中華料理屋はいくつか目にするが、私は“餃子屋”や“伊峡”に行ってみたいな。

 後楽園に奥にある東京都戦没者霊園を訪ねて、森さんはここがあまり知られていないこと、それに伴って墨田区横網にある東京都慰霊堂のことも次のように書かれている。

 関東大震災や空襲でなくなった行方不明の遺骨を慰める墨田区の東京都慰霊堂というのがなんともやる気のない、薄暗い建物なのである。建物は伊東忠太の歴史的建造物のほうは保存改修するとして、別にちゃんとした記念館を建てて、もっと関東大震災や東京大空襲についてきちんと展示したいものだ。長崎も広島も内容のある記念館を作って、戦争を知らない世代も、外国人も訪ねやすいようにしているのだから。
 
 と書いている。私もここに行ったけれど、確かにそうだ。やる気のないためか、おばちゃんを受付において、中は薄暗かった。本当にここはもっともっと知られていいところだと思う。

 浅草について。「浅草へ行って雷門や仲見世付近には近寄りたくない。ものすごく混んでいるし、観光客目当ての新しい店がどんどん開店している。中には老舗もあるのに、見るところ、安っぽくて、こけおどしで、キッチュなのが目立つ。新撰組の半纏みたいのとか、アラン・ドロンがひっかけているようなサテンの着物とか、必勝と書いた日の丸のハチ巻。外国人観光客向け、記号としての日本」と書いている。深く同感。ここを歩いていると毎回薄ら寒くなってくる。

 この本は文庫オリジナルだから、単行本から文庫になった本じゃない。何故そんなことを書くかというと、ここに描かれているイラストがいい感じだなと思っていたので、出来れば大判の本で見たかったなと思ったのである。誰が描いているんだろうと思い、目次の下に「本文イラスト 内澤旬子」とある。この名前どっかで聞いたことがある。思い出してみると、以前読んだ松田哲夫さんの『「本」に恋して』でイラストを描かれていた人だとわかる。そうか、そう言われれば、この絵のタッチはあの人だと思った。この本を引っ張り出して見てみると、内澤旬子さんを“イラストルポライター”と紹介されていた。何だかよく分からないけれど、こういう人もいるんだ。でも絵のタッチは好きである。


評価
★★★


書誌
書名:東京ひがし案内
著者:森 まゆみ
ISBN:9784480427007
出版社:筑摩書房 (2010/04/10 出版)ちくま文庫
版型:238p / 15cm / A6判
販売価:798円(税込)

2010年04月21日

村上春樹著『1Q84』〈BOOK3(10月-12月)〉

2010_04_21_01.jpg


 BOOK1と2を読んだのが昨年の6月頃だったと思うから、このBOOK3を読むのはそれから10ヶ月後となった。どうも最近は物忘れが多くなったからかもしれないが、BOOK1、2の内容を忘れている部分が多くあって、BOOK3を読んでなかなか内容のつながりが見出せず、少々苦労する。が、ある程度読み進むと、全体に登場人物がつながっていき理解できるようになる。そうなると話は面白くなり、暇さえあればこの本を手にしていた。
 けれどこのBOOK3の内容や感想をどう書いていけばいいのか戸惑っている。例によって村上春樹さんの作品はいろいろな読み方が出来るから、これでいいんじゃないかなというのがなかなか見出せない。
 しかしこの本は虚構の世界に天吾と青豆を迷い込ませ、試練を与え、そして再会し、その虚構の世界を二人で脱出する。そんな形の恋愛小説であることは間違いない。その辺にごろごろしている現実的な描写の恋愛小説とはまったく違い、読んでいてこれからどうなって行くんだろう、とハラハラし、気がついたらそういうことだったんだと分かる仕組みになっている。
 BOOK1で、青豆は高速道路の非常階段を下り、1984年という世界からもう一つ別の新しい世界、1Q84年という世界に飛び込んでしまった。
 一方天吾はふかえりという17歳の少女が書いた『空気さなぎ』のリライトしたことで、ふかえりが言う「猫の町」に踏み込んでしまった。呼び方は違うが1Q84年と猫の町は同じである。どちらも月が二つある世界だ。二人がその世界に迷い込んだのは、お互いを探すためであった。10歳の時別れて、20年間お互いを求めていたため、この世界に迷い込むこととなった。青豆は思う。

 そして私がここにいる理由ははっきりしている。理由はたったひとつしかない。天吾と巡り合い、結びつくこと。それが私がこの世界に存在する理由だ。

 そして試練の果て二人は再会する。

 私たちはお互い出会うためにこの世界にやってきた。私たち自身にもわからなかったのだけれど、それが私たちがここに入り込んだ目的であった。私たちはいろんなややこしいものごとを通過しなければならなかった。理屈のとおらないものごとや、説明のつかないものごと。奇妙なものごと、血なまぐさいものごと、悲しいものごと。あるときには美しいものごと。私たちは誓約を求められ、それを与えた。私たちは試練を与えられ、それをくぐり抜けた。そして私たちがここにやってきた目的はこうして達成された。

 そして、

 私たちはこの世界をそれぞれに違う言葉で呼んでいたいたのだ、と青豆は思う。私はそれを「1Q84年」という名で呼び、彼はそれを「猫の町」という名で呼んだ。でも示されているのは同じひとつのものだ。青豆は彼の手をいっそう強く握る。
「そう、私たちはこれから猫の町出て行く。二人で一緒に」と彼女は言う。「この町を出てしまえば、もう昼であれ夜であれ、私たちが離ればなれになることはない」

 天吾と青豆が1Q84年で、猫の町で再会し一緒になれればこの世界を脱出するしかない。青豆は最初1Q84年迷い込んだときのことを思い出し、あの高速道路の非常階段を高速道路から探したが見つからなかった。なぜならこの時青豆は1Q84年にいたのだから。だから今度ここを脱出するときは逆に高速道路の非常階段の下から上に上がっていけばいいと思いつく。そこには確かに高速道路につながる階段があり、青豆は天吾と二人で登っていく。

 出口に出た。けれど青豆は何かが違っていることを気づく。

 私たちは1984年に戻ってきたのだ。青豆は自分にそう言い聞かせる。ここはもうあの1Q84年ではない。もとあった1984年の世界なのだ。
 でも本当にそうだろうか。それほど簡単に世界は元に復するものだろうか?旧来の世界に戻る通路はどこにもない、リーダーは死ぬ前にそう断言したではないか。
 ひょっとしてここはもうひとつの違う場所ではあるまいか。私たちはひとつの異なった世界からもうひとつ更に異なった、第三の世界に移動しただけではないのか。タイガーが右側ではなく左側の横顔をにこやかにこちらに向けている世界に。そしてそこでは新しい謎と新しいルールが、私たちを待ち受けているのではないか?
 あるいはそうかもしれない、と青豆は思う。少なくともそうではないと言い切ることは、今の私にはできない。しかしそれでも、ひとつだけ確信を持って言えることがある。何はともあれここは、月が二つ空に浮かんだあの世界ではないということだ。そして私は天吾くんの手を握りしめている。私たちは論理が力を持たない危険な場所に足を踏み入れ、厳しい試練をくぐり抜けてお互いを見つけ出し、そこを抜け出したのだ。辿り着いたところが旧来の世界であれ、更なる新しい世界であれ、何を怯えることがあるのだろう。新たな試練がそこにあるなら、もう一度乗り越えればいい。それだけのことだ。少なくとも私たちはもう孤独ではない。

 天吾と青豆が10歳のとき教室で二人だけになった。青豆は何も言わず、天吾の手を強く握る。しかしそれで終わり、青豆は転校していき、以来二人は交わることがなかった。が、この時の情景を忘れることが出来ず、以来二人は20年間お互い求めあっていた。捜し続けていた。
 そしてそれが20年となった。それぞれがそれぞれの20年を生きて来た。二人にとって1984年までまったく別の世界で生きて来た。だからお互いが再会するには、二人が1Q84年、猫の町に迷い込み、同じ世界にいなければならない。そこで始めて接点が出来るのである。そこで二人は再会し、元の世界に戻ろうとするのだが、戻ってみて、そこは元の世界でなさそうであった。
 当然である。もし仮に天吾と青豆が10歳ときから二人でいられたら問題はなかっただろうけど、そこには20年の歳月が流れているのである。だから再会し二人で生きていこうとしても元いた孤独な世界とは違って当たり前である。それが二人が出た高速道路の風景である。ただ決定的に違うのは二人は孤独でないということであった。
 結局1Q84年とは二人が再会するまでの時間であり、再会して二人で生きていこうと元の1984年戻って見れば、今度は違う1984年となったことを示している。うまい構成の仕方だと思った。
 1Q84年という時間は二人を再会させるが、そう簡単には再会させない。二人はお互いを求めていたが、青豆は追われる身であり、天吾は天吾で孤独な生活と父親の死向かい合っていた。そこに牛河という人物とタマルという人物の登場が話にエンターテイメント性を帯びさせる。
 この話に何度か出て来る「大事なものを手に入れるには、それなりの代価を人は支払わなくちゃならない。それが世界のルールだよ」という言葉は、まさに1Q84年での出来事を言っているように思えた。二人が再会するのに、その代価としてこの1Q84年があったのではないかと思えてくる。ただ代価を払うのは払うだけの価値があるからだ。青豆が身を隠している間、次のように思うのもそうだ。

 その結果、私はこうして天吾に対する激しい欲望に身を焦がしている。絶え間ない渇きと絶望の予感がある。
 これが生き続けることの意味なのだ。青豆はそれを悟る。人は希望を与えられ、それを燃料とし、目的として人生を生きる。希望なしに人が生き続けることはできない。


 この本にもいくつかひっかかる言葉があった。最後にそれを書き出しておきたい。

 「世のためになることをする人間より、ためにならないことをする人間の方がずっと多いのですから」
「あんたの言うとおりだ。この世の中、良いことする人間よりは、ろくでもないことをする人間の数としちゃずっと多い」

 自分に直接関心のない事象に関しては、記憶の寿命はびっくりするほど短い。

 たとえ力の衰えた生命とはいえ、そして意識が長期間にわたって失われているとはいえ、代謝の原理に変更が生じるわけではない。父親はまだ大いなる分水嶺のこちら側にいるし、生きているというのは言い換えれば、様々な匂いを発することなのだ。

 この二人が夫婦として結びつけられる何かしらの事情があったのかもしれない。いや、事情というほどのものもなかったかもしれない。人生とは単に一連の理不尽な、ある場合には粗雑きわまりない成り行きの帰結に過ぎないのかもしれない。


 しかしふと思ったんだけれど、これNHKの関係者はかなり怒っているだろうなと思う。少なくともこの本ではいいようには書かれていない。
 それにしても村上春樹さんの書かれる話は面白い。ますますファンとなってしまった。


評価
★★★★★


書誌
書名:1Q84 〈BOOK3(10月-12月)〉
著者:村上 春樹
ISBN:9784103534259
出版社:新潮社 (2010/04 出版)
版型:602p / 20cm / B6判
販売価:1,995円(税込)

2010年01月07日

森まゆみ著『彰義隊遺聞』

2010_01_07_01.jpg


 著者の森さんは地域雑誌「谷中・根津・千駄木」(谷根千工房)を創刊し、編集人である。そしてこの地域は上野に近い。雑誌の取材なんかしているときなど、町の古老から彰義隊の話を聞くこともあったんじゃないだろうか。おそらくそうした古老からの聞いたことがこの本を生むことになったんじゃないだろうか。
 そんなことを思いつつ、森さんが集めた彰義隊に関する話を楽しんだ。ここにあるのはいわゆる逸話である。足で集めた話と自らが彰義隊に関わる資料を調べて、うまく聞いた話と照らし合わせていく。通史として物語であったが、吉村さんの『彰義隊』を読んでいるので、この本は伝え聞いた彰義隊に参加した人々の個々の経緯、その後が語られている。言ってみれば吉村さんの『彰義隊』の肉付けみたいな感じで読んだ。

 彰義隊と朝廷軍の戦いは“必要悪”のところがあったようだ。どういうことかというと、たとえば勝海舟や山岡鉄舟、高橋泥舟ら所謂「幕末の三舟」は、彰義隊の「君恥ずかしめらるれば臣死すとき」などといって内乱を起こせば、外国にいいように乗じられ、国そのものの存亡に関わることだと考えていたけれど、

 「しかし同じ幕臣として、彰義隊の主唱者たちのやむにやまれぬ思いも、彼らは理解していた。いや勝などは、二百六十年の徳川政権に一挙区切りをつけるためには象徴的な、しかし大勢に影響のない市街戦が江戸でも必要である、多少、死んで貰おうかぐらい考えていたのではないか。
 大村や西郷も同様だったかもしれない。窮鼠猫を噛んではわが軍の被害も大きい、とわざと上野の山の芋坂口を退き口として開けておいたことも、幕府瓦解の象徴として上野戦争の限定的な性格が表れている。すでに幕府は倒れており、そのことを民衆に周知徹底させねばならぬ。実際、鳥羽伏見の戦いは京都の民衆への実物教育になった。もはや政権をめぐる戦争でも、領土をめぐる戦争でもないのである」

 と森さんは書かれている。将軍慶喜が政権を返上し、謹慎したことで徳川幕府が終わったことを示すが、それに不満をもつ幕臣たちは一矢報いるため彰義隊として集まる。兵を挙させれば、それがガス抜きにもなる。朝廷軍はそうした彰義隊の気分の高揚をある程度歓迎していた観がある。それを一気に叩く。朝廷軍が持っている当時の最新兵器で彰義隊を壊滅させれば、朝廷軍の威光を示すことになるし、同時に民衆に時代は変わったのだとわからせることにもなるのだ。だから上野戦争は必要悪だったのである。森さんは「上野戦争がなかったなら、旧幕に心を寄せる人びとや、江戸の町っ子は憤懣やるかたなかったにちがいない。彰義隊は一つのカタルシスであった。彼らは江戸最後の日を花火のように彩り、長い徳川という時代を一瞬のうちに回想してみせた」と書く。
 こうなると君を辱められたという、臣としての取るべき態度が、指揮官や戦略家、あるいは時代を見据える人にいいように利用されたことになるわけだ。崇高な志さえこんな風に使われるのだから、時代というのは残酷である。

 ところで、吉村昭さんは最初彰義隊の物語を書こうと思ったが、戦いが半日で終わってしまったことで、小説にはしにくいと一時執筆を断念したことを書かれている。(結局その後の輪王寺宮の逃避行を書くことで、この物語は成った)しかしあくまでも“みせしめ”なら、戦いを長引かせる必要はない。早く決着がつくならそれに越したことはない。だから逆に半日で終わったことに重大な意味があることになる。もし上野での戦いが長引いた場合、江戸城がせっかく無血開城となって、民衆の安全が保証されたのに、町が血の海に変わったかもしれないのだ。

 「上野の戦が二、三日もつづけば、夜に入って市中はの町民たちまで、例のヤジ馬で何かやらかしそうな塩梅だった。たった半日で決着がついたので安穏におさまり、江戸市中も修羅の巷となることを免れ、ありがたいことだ」と当時の人たちが思っていたことは本音だろう。

 本音と建て前といえば、彰義隊に参加した人々のなかには、徳川の恩顧に報いるために参加した人たちだけで構成されたわけじゃないことをこの本を読んで知らされる。もちろんこういう話はどこでもあるのだろう。

 「彰義隊の数は三千人とも四千人ともいう資料がある。あわよくばこの機に一旗揚げようとしたものもあったにちがいない。旗本の長男は官軍へつき、次、三男は彰義隊に入る。どっちへ転んでも何とか家だけは残すという両天秤で、談合の上で敵味方に分かれた家もあった。本気で山を死守しようとする武士などごく少数だった」という話もある。

 「彰義隊は、兵糧も資金もそう困っていなかった。(困っていたという話もある)どうせ戦いになれば命はないものと思っているから、毎夜のように吉原へ通っていたという。(そうして実際戦争になった時は帰って来られなくなってしまった武士も多くいた)そうだとすれば上野の山の出入りは、夜もかなり自由だったと思われる」

 彰義隊に参加した兵士の思惑はさまざまであった。本当に志あるものだけの集まりではなかった。時に彰義隊が「烏合の衆」と呼ばれる所以はこのあたりにあるのかもしれない。ただ彰義隊と朝廷軍の上野の山での戦いは幕末最後のあだ花だったと思えなくもない。戦に敗れ、死んでいった彰義隊の隊員は、しばらくの間遺体を見せしめのため放置されたことを思えば、余計にそう感じてしまう。悲しくない戦争なんてないだろうけど、戦う個人に意味はあっても、全体としてさらしものみたいなところがある戦いだったし、滅びていくのが宿命であったのに、それでももがいているように思えたから、そういう意味でむなしく、悲しい戦争だった。


評価
★★★


書誌
書名:彰義隊遺聞
著者:森 まゆみ
ISBN:9784101390239
出版社:新潮社 (2008/01/01 出版)新潮文庫
版型:418p / 15cm / A6判
販売価:619円(税込)

2009年12月09日

森まゆみ著『とびはねて町を行く』

2009_12_09_01.jpg


 この本は先に読んだ『「谷根千」の冒険』の番外篇といっていいのかもしれない。「谷根千」を始めた森さんを含め三人の主婦たちが合わせて10人の子育て、その子の成長をつづっている。母親は「谷根千」の編集・出版で忙しいものだから、事務所の谷根千工房で子供たちはみんな一緒に育ってきた。手の空いている仲間が他の仲間の子供の世話をするのである。一緒に食事をしたり、お風呂まで仲間の家で入ってくる。その上町が10人の子供たちの面倒を見ている。「谷根千」を通して、町の人々とつながりが出来、そのつながりから、森さん達の子供も町の人とつながっていくのである。
 母親が「谷根千」の仕事で忙しいものだから、子育て一辺倒というわけにもいかない。それで子供たちは子供なりに自立いていくのである。親の目が届かないことをいいことに、好き勝手にやっていく。それこそ自由奔放にだ。親が「まったく子どもっていいもんだ。際限なく無駄な時間が使える」と感じられるくらい、子どもなりに生きていく。そんな中しっかりと自我に目ざめ、自立していくのである。
 確かに仕事で忙しいけれど、だからといって子供ことを心配しないわけじゃない。親として当然心配する子供将来など、寄り添ってあげられない分、それこそ真剣そのものだ。でも子供の方はそうした環境の中でしっかりと育っていく。その分みんなで協調して生きていく。たくましく育っていく。
 おそらく一昔前の親と子供の関係というのはこういうものであったのではないか。今はいつでもどこででも親が子供についてくる。ただ心配で心配でという気持だけなのだ。そこにあるのは親の気持ちだけであって子供の自立なんか関係ない。

 話はちょっとずれてしまうけれど、昨日かみさんからおもしろい話を聞いた。我が家では今長男が就活中である。だから夫婦の会話として就活の話が話題となる。なんでも会社の合同説明会に子供の親がついていくそうである。そのため会社側は親の控え室を設けなければならないとか。
 これを聞いて、この親たちはいったい何を考えているんだろうかと思った。また子供も子供でここままで親がかりでないと生きていけないのかと思った。就活をしている子供もその親も、そんな自分たちを会社が雇ってくれると思っているのだろうか。親がいないと生きていけない子供をどうして会社が雇うか。そんなボランティアみたいな会社がこのご時世あるわけがないじゃないか。一人で自立できない人間を雇うわけがないじゃないか。
 ちょっと考えればわかりそうなものだと思うが、それでも親は自分の子供が心配だからここまでついていく。子供も親が側にいれば安心なんだろう。
 そういう世の中になっているのである。だからこの本に書かれている子供と親との関わり合いがものすごく自然な姿に映るのである。
 
 一方で親の方もそうして自立いていく子供たちを、心配ではあるけれど、成長の一過程として見る心構えも必要なことも知らされる。

 「一年ほど前、娘が『社会主義』に興味を持った。見ていると図書館に行って、マルクス、レーニン、向坂逸郎、不破哲三、安東仁兵衛、とにかく社会主義と名をついた本をあれこれ借りて読んでいる。
 このラインナップでは頭が混乱するゾーとは思ったが黙っていた。玉石混淆、くだらないものを含めてとんでもない順序で乱読し、考えるからこそ自分が鍛えられるはずだ。子どもに上から精選した優良図書を『正しい』順序で与えても力がつかない。
 進む道も読書と同じで、遠回りしたり、寄り道したり、行き止まりでひき返したらいい。
 そう思うのは、仕事柄、無駄なくエリート校を卒業して良い地位についた人に会う機会が多いが、たいていは面白くないし幸せそうでないからである。むしろ町の工場主や商店のおばさんや職人、芸人の方がずっと世渡りの智恵もあるし、人間として魅力的だ」

 このくらいの心構えがなければ本当はいけないのではないか。親もそうだし、学校の教師だってそうだ。子供たちをどう育てて行っていいかわからない。どう教えていけばわからないものだから、なんでも無難な方法をとる。あるいは多少の危険も子供には冒険として楽しいはずだし、身をもって堪えれば、次から同じことをやらなくなる。多少痛い目にあう方がいいのだ。だけどただ危険だからといって、すべてを禁止してしまう。多少人に迷惑をかけてもいい。それで怒られれば、しちゃいけないんだなと思えるはずだ。
 いきおいなんでも禁止しちゃうものだから、今は子供の方は森さんの言うように「人はより個人主義になり、かかわりを恐れるようになった」のだ。

 ところで男親は娘の成長にどきっとすることがある。特に母親と娘の会話に、男としてむやみに触れちゃいけないものを感じたことがある。ちょっとドキッとするのだ。

 「最近、中学生の娘の胸のふくらみが気になる。母親にそんなことをいわれるのは嫌だろうな、と思いつつ、
『そろそろブラジャーをしたほうがいいんじゃない?』
 と、おずおずと提案すると、娘は、
『お母さんこそ、そろそろブラジャーしても無意味じゃない』
 フンと鼻で笑った」


評価
★★★


書誌
書名:とびはねて町を行く―「谷根千」10人の子育て
著者:森 まゆみ
ISBN:9784087477719
出版社:集英社 (2004/12/20 出版)集英社文庫
版型:279p / 15cm / A6判
販売価:入手不可

2009年12月03日

松本健一著『増補 司馬遼太郎の「場所」』

2009_12_03_01.jpg


 また松本さんの司馬遼太郎論を読む。一部は前回読んだ本と重なる部分があるが、なかなかおもしろかった。それに自分の好きな作家について批判されると、頭にくる時があるが、松本さんの場合そういう心配がないので安心して読めるので有り難い。
 おもしろいと思ったのは、司馬さんは純文学畑ではあまり評価されていなかった事実である。著者は次のように言う。

 「司馬の生前に文芸雑誌でかれを特集したものは、たしかほとんどなかったのである」

 「この扱いは、純文学とか文壇というような世界では、司馬遼太郎が文学者としてはあまり評価されてこなかった実態を物語っているのではないか」と言っている。つまり司馬文学は純文学とは違うということなのだろう。言われれば確かにそうなのかなと思う。司馬さんの書かれる小説は純文学雑誌にはなじまない。
 では司馬さんの書かれる作品はどこに位置するのだろうか。それを著者は大衆文学に位置するものと考えられる。大衆文学というと純文学と比較すると一つ格下のように思われるが、大衆文学が果たす役割の重要性、その持つ性格を松本さんは次のように言う。

 「明治以後の史学が最終的にたどりついたのは、右に皇国史観であり、左に日本的な唯物史観であった。前者が、明治国家を伝統的な権力であると位置づければ、後者は、その半封建的なブルジョア国家から権力を奪取することをいうのである。とすれば、つねに権力から裏切られつづけた民衆は、そのどちらにも拠ることもできない。このとき、大衆文学は、右に寄ることも左に走ることもできない民衆の生活のなかのエトス(肉声)を汲みあげて、「その日その日の出来心」で権力にむきあうヒーロー像を描いたのである。そのことによって、在野史学のかぼそい継承者となったのである」

 「大衆文学はたしかに、伝統や習慣や既成文化といったものを無視できない。民衆の生活が、これらに大きく規制されているからだ。しかし、これらを無視できず、それらの現実のありようとして描くことは、民衆にこび、へつらうということではない。プロレタリア文学運動における芸術大衆化運動のテーゼは、この点を見誤っているのだが、それはともかく、こういった伝統や習慣や既成文化に入りこみつつ、かれらを紙のうえで解放してやることが、大衆文学に課せられた課題なのだ。
 とすれば、大衆小説作家が伝統や慣習や既成文化にしばられた民衆の生活のなかのエトスを汲みあげる回路をもっているかどうか、これが大衆小説作家の資格として問われることである。そのかぎりでいえば、司馬遼太郎という歴史小説作家は、在野史学、大衆文学の正統を踏んだ作家ということができよう」

 つまり大衆文学はがちがちに権力に縛られた民衆が、物語の中で心を解放する役割を負ってきたと言うのである。そして「司馬遼太郎の歴史小説は、こういった在野史学なり大衆文学の正統を踏んでいる」というのである。司馬さんの作品が「一般うけがするということの意味は、時代の雰囲気を呼吸している大衆がその時代に応じて読み換えられる、ということである」というように、時代時代に応じて支持された。それは司馬さんが大衆の表情や動向を巧みに分析できることを意味している。
 民衆に支持された大衆文学は時代を反映するから、司馬さんの前には吉川英治がいたが、大きく括れれば同じ路線であるけれど、その姿勢は決定的に違う。吉川英治は戦争を支持し、司馬さんは戦争を忌み嫌った。それは時代が求めた結果と言っていいだろう。
 また塩野七生さんが司馬遼太郎さんを「高度成長期の日本を体現した作家」と評したことがあるらしいが、確かに司馬さんの作品は彼等の心証として心地よい感覚を与えたに違いない。
 また司馬さんが描く“気概”ある男たちは、男の美学として、美しく映るから、心地よい。そこに滅びの美学も加わるから、余計である。
 司馬さんはそうした大衆が今何を求めているのか、それに敏感に反応した。時代に反応した。そのための分析は鋭かった。しかし単に時代に反応し大衆が求めている作品を書けばいいというものでもない。あくまでも徹底的にディテールとして事実にこだわった。でもそこに登場する人物の心は司馬さんの心であろう。時にはそれを無批判的に信じ、受け売りする人々も出たくらい、司馬さんの作品は支持されたきた。だから逆に司馬さんは余計に史実にこだわらなければならなくなる。その資料調べのすさまじさは有名だ。一時神田の古本屋街で資料を買いあさったため、その資料が古本屋街でなくなったという逸話がある。

 司馬さんは時代に敏感であった。だから時代とともに自分も変わらざるを得なかった。それを松本さんはうまく振り分けて指摘されているので、それを書いて終わりにしよう。

 「司馬さんの文学的遍歴を、私は四つの段階に分けて捉えています。まずは『梟の城』に代表される、伝奇ロマン的色彩を持った大衆小説作家としての時代。次に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』といった、歴史上の人物にスポットをあてたヒーロー小説作家としての時代。そして『坂の上の雲』のように歴史そのものを鳥瞰して描く、歴史小説作家の時代を経て、最後は、小説家というよりは、むしろ文明批評家としての仕事をなさっていた。その遍歴は、作家そのもの転変であるとともに、それぞれ1950年代~60年代、60年代末から70年代、80年代20世紀末までの、日本の大衆のエトスのおおよその移行に見合った作家活動になっていると思われます」

 こうして司馬さんの作品を紹介され、その背後のあるものを指摘されると、また司馬さんの作品が読みたくなる。私は高校時代から司馬ファンであるが、まだまだ読んでいない作品がたくさんある。それをじっくり読んでみたいなという気持にさせられた。


評価
★★★


書誌
書名:増補 司馬遼太郎の「場所」 (増補新版)
著者:松本 健一
ISBN:9784480423115
出版社:筑摩書房 (2007/02/10 出版)ちくま文庫
版型:266p / 15cm / A6判
販売価:798円(税込)

2009年11月25日

森まゆみ著『「谷根千」の冒険』

2009_11_25_01.jpg


 「谷根千」とは谷中、根津、千駄木のコミュニティー雑誌のことで、著者によるとミニコミ誌とは違うらしい。そもそもコミュニティー雑誌とミニコミ誌の違いがよく分からないが、とにかく単に情報誌とならず、この地域の特有の文化や歴史を語りながら、ここで暮らす人達のための雑誌を自分たちで作りたいということから、この谷根千に住む著者をはじめ三人の主婦が始めた雑誌である。
 この本はその「谷根千」がどうして生まれるようになったか、その創世記の苦労を主に語っている。彼女らは子育てをしながら、地域に根ざした雑誌作りをモットーとし、この地域の文化や歴史をここに住む人達から取材する。幼い子供を抱いて取材し、子供を負ぶって出来上がった雑誌を自転車で雑誌を置いてくれるお店に配達するのである。時にはお腹の中に子供がいる状態で、近所の人に危ながられながら、自転車に乗って配達していた。多分こういう時は自分たちが苦労して作った雑誌が出来上がり、早くお店に置いて欲しいという気持ちから、危険とかいう意識より、とにかく意識が高揚していたんだろうなと思う。雑誌作りは大変だけど、楽しくて仕方がないという気持がよく伝わってくる。利益とかそんなことより、とにかく自分たちが作った雑誌を読んで欲しいという気持の方が強かったに違いない。
 今ではこの谷中、根津、千駄木という地域は、震災や戦災にもそれほどあわず、古き良き時代の下町の面影を残しているといって、結構話題になっている。谷中墓地があるものだから、多くの寺が残っているし、鴎外や漱石など明治の著名人も多く住んだ場所なので、その文化的話題性に事欠かない。だからテレビなどよく特集番組を放映している。
 ただそれは現在の話で、森さん達が雑誌作りを始めようとしていた頃は、「谷中と上の桜木は台東区、根津・千駄木・弥生は文京区、日暮里は荒川区、そして田端は北区とここは四区の区境。それだけに区役所からは遠く、行政サービスは薄く、おもしろいことにどの区の人も「○○区のチベット」とよんでいるよう」な地域なのであった。またそうした区境だから、行政上統一的な文化保存が行われない。でもここにはたくさんの文化や歴史もあり、そこで暮らしている人達からさまざまなことを聞いていけば、おもしろい雑誌が出来るだろうなと思う。

 昔書店員だった頃、仲間で雑誌を作ったから置いてくれませんかというのがよくあった。私は自分が仕入の権限を持っていたから、仕入条件さえ合えば、出来るだけ置いていた。けれどこの手の雑誌は大体続かないようで、最初のうちは新しい号が出たら前の号の精算に見えるのだが、いつの間にか新しい号も出なくなり、精算さえ来なくなるパターンが多かった。こっちもいつまでも古い雑誌を置いておくわけにもいかないし、かといって商品を預かっているわけだから、捨ててしまうことも出来ず、処理に困ることが多かった。
 森さん達はとにかく三年間は持ち出しであっても、続けよう。雑誌を置いてくれているお店にこうした迷惑をかけないようにしようと決めているところは立派だなと思った。
 資本も何もない主婦が地域のための雑誌作り、確かに大変だろう。けれど自分たちの雑誌を作るというのはきっと楽しいに違いない。それにこの地域はとにかく歴史がある。だから雑誌のテーマにことを欠かない。しかも当時を知っている古老も多くいる。だからおもしろい雑誌が出来てくるのも、肯ける。森さんも次のように言っている。

 「私たちのささやかな『谷根千』にしたってわれながら自費出版でよく続くと思う。そして出版そのものが目的でなく、それによって利益が上がるというものでもなく、やはり本を出すプロセスの楽しさつらさ、取材して調べることの新鮮なよろこび、人との出会い、自己形成というものが私たちにこれをやらせている」

 ちなみに1984年に始まったこの「谷根千」は2009年94号で終わっている。詳しくは以下のURLで見て下さい。


http://www.yanesen.net 谷根千ねっと


 さてこの本で興味を持ったことがいくつかある。まずこの雑誌の性格から、その地域に住む人達のことを聞き回って記事を書いている。けれどそういう聞き書きではよく誤解が起こる。実際雑誌が発売されてから、記事の内容に苦情が来たらしい。だから新しい号が発売されて一週間ぐらいはどこからか苦情の電話が鳴るんじゃないかと不安に駆られたという。まぁそれはちょっとした誤解から生じたことだろうと思われるが、やはりそういうことはいくら校正の時に神経を使っていても起こりうるだろうなあと思う。まして地域雑誌だから、雑誌の内容にはかなり神経を使われたことだろう。

 この雑誌の名物に「自筆広告」というのがあるらしい。自分たちの町のことが載った本をどう紹介したらいいのか悩んだ末、著者自身に広告を作ってもらうコーナーらしい。そこで日暮里に住んでおられた吉村昭さんに「自筆広告」を依頼した。広告料は無料なのだが、吉村さんは広告原稿とともに、一万円が同封され「無料広告代、ご笑納下さい」と添え書きがあったという。これを読んだとき、いかにも吉村さんらしいなと感じたのである。いくら無料とはいえ、吉村さんには広告料を出さずにいられなかったに違いない。「無料広告代」がいい。

 「谷根千」で鴎外の特集を組んだとき、『青年』に出てくる色川国士というどこかの議員さんの家はどこかという疑問に答えてくれた色部義明という人を訪ねたことがここに書かれている。色部?どこかで聞いたことがあるなと思って読んでいたら。協和銀行の頭取だった人だと思い出す。実際森さん達は大手町の協和銀行本店の役員室を訪ねている。
 どうしてこの会長のことを知っているかといえば、うちの会社がこの本店の売店に本屋さんを出していたことがあって、確か頭取が書いた本を売らせてもらったのを、当時の店長から聞いていたからである。それが記憶にあったのだ。妙なところでつながっていることに驚いた次第だ。

 最後に谷中の五重塔のことを書く。谷中には五重塔があった。その塔は1793年に建てられ、江戸の四大塔の一つと言われた。江戸の大火、彰義隊の戦争、関東大震災、戦災にも耐えて谷中墓地に建っていたのである。ところが昭和32年7月6日未明不倫の清算のため、放火心中のため全焼してしまった。その心中者は未だに悪く言われているという。

 「高い薪をつかいやがって」

 「何も心中するなら枝ぶりのいい木も鉄道も近くにあったのに」

 「でも不謹慎ないい方だが、塔が五色の炎を飛ばし、身もだえして昇天するさまはそれはそれは美しかった」

 以来ここには塔の跡はあるが、未だ塔は再建されていない。私は何で塔が再建されないんだろうと思っていた。よく昔あった建物が再建される例をよく聞くので、ちょっと不思議であった。でもこの本を読んで、五重塔再建運動はあったことを知った。
 しかし再建には何十億ものお金がかかる。そのためにはきちんとした体制を作っておかなければ、再建など覚束ない。それにたとえ塔の再建がなったとしてもそのときに再開発や地上げ、あるいは跡継ぎがいないという理由で、この町に住んできた人たちがいなくなったら、住民のシンボルであった塔の再建の意味がない。それよりもこの町に普通の人々のコミュニティーを残すことに時間を使いたいと森さんたちは思ったらしい。
 なるほどそういうことだったんだと納得した。


評価
★★★


書誌
書名:「谷根千」の冒険
著者:森 まゆみ
ISBN:9784480037237
出版社:筑摩書房 (2002/05/08 出版)ちくま文庫
版型:287p / 15cm / A6判
販売価:756円(税込)

2009年11月01日

三浦しをん著『まほろ駅前番外地』

2009_11_01_01.jpg


 この本が出たことを知ったときは、すぐ読みたいと思っていたのだが、あいにく読んでいる本があったので、今日になってしまった。あの多田便利軒の続編となれば、読みたくもなる。ただ悲しいことに詳しい内容は覚えていないが、とにかく面白くて大笑いしたことだけはよく覚えている。
 ちなみに自分のブログで検索してみると、前作を読んだのは3年前だ。3年前読んだ本の内容を忘れちゃうのもどうかと思うけれど、まぁそれだけ私の頭が老化していることなのかもしれない。幸いこうして読んだ本をブログでその感想を書き込んでいるので、検索さえすれば、当時のことがすぐ思い出せるので有り難い。早速当時書き込んだ内容を読んでみた。
 私はこの本を前作の続編と書いたが、実は続編とは違う。読んでみると、なるほど今回は、前作で多田便利軒に仕事を依頼した人の関係者の話であることがわかる。だから“番外地”と名をつけたのだろう。でも依頼者と違う視点で多田便利軒の多田や行天の姿が描かれていて、それはそれで面白かった。
 本の帯にも前作の登場人物のスピンアウトストーリーと書いてある通り、前作と同じ登場人物であっても話が別の方面のジャンルへの展開していく。そんなもんだから私は読んでいるうちに前作の依頼主や関係者の名前を思い出し、そうそう、そうだったと思いながら読んでいた。それはそれで結構楽しかった。こういう本の読み方も出来るんだなと感じた次第だ。
 私としては、地元のやくざである星とちょっと頭が温かい感じの女子高生(今風の女子高生はこんな感じなのかもしれないが)の清海との関係がアンバランスでおかしかった。その清海が携帯の充電を忘れたり、持ち歩くのを忘れたりするものだから、便利屋の多田が清海と連絡を取るのに、星の携帯に電話をかける。ちょうどその時星はやくざとしてとりこんでいるところなので、電話を取った星が「べーんーりーやぁあ!」と怒鳴るあたりは、間が悪いというか、何でやくざの星の携帯に便利屋の多田の名前が登録されているのか、おかしくて仕方がなかった。
 今回は笑いだけでなく、多田や行天のちょっと悲しい過去の部分も話の中でのぞいていて、これからどうなるのかなと思わせるところもあって、もしかしたらもう少し話が続くのかなと思わせる。私としてすぐにとは言わないけれど、もう何年かしたらその後の話が読みたいなと思う。でもシリーズものにして、話が陳腐になるのも、もったいないから(外の作家の作品でいくつも知っているので)、適当なところ話が終わるのがいいな。だってせっかく面白く、好きな物語なので、余計にそう思うのである。
 
 今回も前回同様まわりくどい感想など何もいらない、ただ単に物語を楽しんだ。笑ったり、おっ、どうなるんだと思ったり、気がついたら本が終わっていた。
 ということで、私もくどいことは書きません。ただ面白い。それだけです。私だっていつも堅苦しい本ばかり読んでいるわけじゃありませんって。いろいろ考えるのも好きですが、いつも小難しい感じでいられませんって。実はこういうのが大好きなのです。こういう話が楽しめるから本が面白のです。ハイ・・・。


評価
★★★★


書誌
書名:まほろ駅前番外地
著者:三浦 しをん
ISBN:9784163286006
出版社:文藝春秋 (2009/10/15 出版)
版型:286p / 19cm / B6判
販売価:1,575円(税込)

2009年10月15日

松本健一著『司馬遼太郎を読む』

2009_10_15_01.jpg


 ちょっと漱石に疲れたので息抜きとして違う本を読む。
 書店の棚には司馬さんの解説本が数多くある。さすが“国民的作家”だけある。(これに匹敵するのが村上春樹さんであろうか)それこそ司馬さんの作品を一つでも読んだら、解説本を書きたくなるんじゃないかというくらいある。でも私にはこれらの解説本には胡散臭いところが感じられる。そもそも解説本まで読んで、司馬さんの作品を読みたいと思わないし、司馬さんの作品に限らず解説本というやつには、どこまで信用していいのか疑問にさえ思っている。
 しかし松本さんは違う。私が松本さんを知ったのは、「週刊『街道をゆく』」の解説でであった。その解説のわかりやすさは司馬さんの作品にかなり精通されているからこそ、出来るんだなと思い、結構楽しみにして毎週読んでいた。以来松本さんの司馬作品の解説に興味を持つようになった。

 さてこの本の最初にまえがきとして、松本さんの講演が収録されていて、面白いことが書かれている。
 
 日本の近・現代文学、とくに小説はといえば「私小説」、「わたくし小説」でして、極端にいえば「わたしを見てくれ」(look at me)という文学です。
 ところが、司馬さんは「私を見てくれ」という形で小説を書いていないのですね。じゃあ、どういう形で書いているのかというと、「私のことなんかよりも歴史を見てください、歴史の中にはこんなにすてきな漢達(おとこ)がいる、こんなに素晴らしい人間達がいる、こんなに光を放っている歴史上の人物がいるじゃないか」というのです。
 つまり「私を見てくれ」ではなく「彼を見てくれ」という小説であります。ですから、彼の物語り、つまり「his-story」は「history」、すなわち「歴史」の小説が多い。多いというよりも、それが司馬文学の本質である、ということができるだろうと思います。

 しかし司馬さんの作品は単なる無味乾燥の「歴史」じゃない。そこには漢達の血が通うかのように、確かにその時代に人が生きていた、という感じを読む側に持たせてくれる。つまり司馬さんは日本の「もう一つの物語」を書いたと松本さんは言うが、「私の見てくれ」をもっと具体的に言えば、「私の好きなあの人物、あの漢達の物語を聞いてくれ」なのだと松本さんは言う。そこには司馬さんの「私」がそれを熱く語らせているのであろう。司馬さんがそこにある人物たちにあこがれ、美学、いきざまに感動を受けているから、物語自体が最初は抑えが利いていても、次第に熱くなる。まさにその思いがその人物たちの一番クライマックスと呼応しているから、読んでいて感動もさらに大きくなるのである。

 司馬さんの「もう一つの物語」は、それまであった歴史上の人物の人気を変えた。たとえば30年前まででは、歴史上人気のあった人物は西郷隆盛であったのが、司馬さんの『竜馬がゆく』が書かれれば、西郷を抜いて、坂本竜馬が一番の人気となった。あるいは新撰組と言えば近藤勇であったのが、『燃えよ剣』が新撰組の副長であった土方歳三を人気に持ち上げた。さらに日露戦争では東郷平八郎から秋山好古、真之兄弟に光を与えた。一方乃木希典をそれまであった“軍神”からただの軍人として“無能”、あるいは“狂人”と位置つけた。光を与えたと言えば高田屋嘉兵衛や河井継之助など、数多くいる。
 個人的なことを言えば、私が日本史に興味を持ったのも司馬さんの作品を読んできたためと言っていいし、日本人である自分が自分の国の歴史をないがしろにしていたことを反省したのであった。今ではもう少し日本史を勉強すべきだったと後悔さえしている。
 それくらい司馬さんの作品から日本を、日本人を愛していることを感じられるのである。むしろ愛おしいと言っていいくらいだ。だから後半生はそういう思いから日本を憂う批評をしつづけてきた。警句を発し続けてきた。

 私はそれなりに司馬さんの作品や批評文を読んできたつもりだけれど、まだまだ読みたい本があると思った。小説にしたって、ここに紹介された作品で読んでみたい本がいくつもあった。これから先が楽しみである。
 またこの本の後半は『街道をゆく』の解説となっているが、そこには「司馬さんの『街道をゆく』の面白さは、かつてそこに生きていた人びとが、いまもそこに生きている、とでもいった風韻が伝わってくるところにある。学者だったら、かつてあった人といま生きている人とは同じではない、時代がちがう、などと真面目に(バカ正直に)いうことだろう。
 そういう学者を尻目に、司馬さんは読者を時空をこえて、連れさる」と松本さんは言っているが、これも全巻読んだものとして、まさにその通り!と諸手を挙げて賛成してしまう。また読み直したいほどだけど、全巻はきつい。でも興味のあるところ読み直してもいいかなぁと思ってしまう。
 そんなことを思っていたら、ふと先日神田の古本屋さんで、「司馬遼太郎全集」全巻がワンセット17万円で出ていたの思い出した。それを見たとき思わず足が止まってしまったが、17万はすごい。とてもじゃないが手を出せる金額じゃない。さらに全68冊をどこに置けばいいのか、それも考えなきゃいけない。ただ「いいなぁ!」と思いつつ、その店を後にしたのであった。


評価
★★★


書誌
書名:司馬遼太郎を読む
著者:松本 健一
ISBN:9784101287317
出版社:新潮社 (2009/10/01 出版)新潮文庫
版型:224p / 15cm / A6判
販売価:420円(税込)

2009年09月28日

村上春樹著『村上春樹全作品』〈3〉

2009_09_28_01.jpg


 先に読んだ『ノルウェイの森』のもとになった短編『蛍』を読みたくなり、この短編集を取り出して読んでみた。多分ここに収録されているのは、村上さんの初期の短編なんだと思われる。『中国行きのスロー・ボード』と『蛍・納屋を焼く・その他の短編』に収録された作品がここには収録されている。もちろんいずれも昔読んでいる。個人的には「午後の最後の芝生」、「シドニーのグリーン・ストリート」、「蛍」が懐かしく、よかった。
 「午後の最後の芝生」は主人公の僕がアルバイトで芝刈りのアルバイトをやっていて、アルバイトして最後の仕事の風景を描いている。僕はとにかく徹底して自分が納得するまで仕事をする。だから機械よりも手作業が多くなる。必然的に他の人より時間がかかるが、その分仕事は丁寧なのだ。
 中年の女がいる庭の芝生を刈りに行くのだが、その芝生はそれほど延びてはいない。けれどとにかく刈ってくれと頼まれる。結構うるさそうな女なのだ。でも僕が刈った芝生を見て、彼女の死んだ亭主のように芝生を刈るという。そして彼女は僕を部屋に入れ、ビールとサンドイッチをご馳走し、多分自分の娘の部屋を僕に見せ、僕にどんなイメージが湧くか尋ねる。ただそれだけの話なんだけれど、なんかいい感じの物語であった。
 暑い日差しのなかで、ラジオかけ、ショートパンツ一枚で芝生を刈る情景。その後の彼女にご馳走されたサンドイッチとビールが美味しそうであった。そして仕事が終わり刈り上がった芝生の表面が絨毯のようになめらかになっている情景など、素直に頭の中に浮かんでくる。
 僕はその時彼女と別れたばかりであった。彼女から来た別れの手紙の内容を休憩中思い出す。

 「あなたのことは今でもとても好きです」

 「やさしくてとても立派な人だと思っています。これは嘘じゃありません。でもある時、それだけじゃ足らないんじゃないかという気がしたんです」

 これ言われたり、感じたりしたことありません?若い頃間違いなく相手が好きであっても、どこか相手にもの足りなさを感じることって、あるでしょう・・・。

 「シドニーのグリーン・ストリート」は、羊男が趣味で探偵をしている僕に、羊博士にかじり取られた耳を取り返してくれという依頼をしにくる。羊男が懐かしい。また羊男の話を読みたくなちゃったなぁ。

 「蛍」は僕がいる学生寮の同室人が近所のホテルで放された蛍を捕まえた。それを彼女に渡せば喜ぶよということで僕に渡す。『ノルウェイの森』ではワタナベ君の同室で、国立大学で地図学を専攻し、国土地理院への就職を希望する生真面目で潔癖症の突撃隊”になる。
 この「蛍」でも『ノルウェイの森』もその蛍を彼女にあげることはできなかったのだけれど、『ノルウェイの森』もよかったけれど、この「蛍」ももの悲しくていい。(当たり前か!だって『ノルウェイの森』はこの短編を肉付けして書かれたものなんだから)

 思うのだけれど、村上さんの小説はいわゆる“ムラカミワールド”として非現実的な舞台設定で物語が始まるけれど、でもそこに登場する人物たちは我々と同じ現実で生活している人と同じである。きわめて現実的で、生活感あふれる人たちなのである。だから舞台は非現実的であっても、ものの考え方、感じ方はストレートに読む側に入ってくる。いや、舞台が非現実的だからこそ余計に私小説的部分は心に響いてくるような気がする。ごく普通にあることなのだ。それが強調されて読む側に届くといっていいのかもしれない。妙に納得しちゃったりしてね。特に喪失感はずんと心に響くし、そのやるせなさはよくわかる。むなしさといってもいいかもしれない。そしてそういった喪失感は誰しも経験しているだけに、つらさがよくわかる。


評価
★★★


書誌
書名:村上春樹全作品 〈3〉 ― 1979~1989 短篇集 1
著者:村上 春樹
ISBN:9784061879331
出版社:講談社 (1990/09/20 出版)
版型:56p / 21cm / A5判
販売価:3,150円(税込)

2009年09月21日

村上春樹著『ノルウェイの森』〈上〉〈下〉

2009_09_21_01.jpg


2009_09_21_02.jpg


 書泉にこの本のポスターが貼ってあった。なんで今頃この本のポスターが貼られているのだろうとふと思う。確かに村上さんに最新刊が大きな話題になっているから、それも関係あるのかなと思ったが、よく見ると『ノルウェイの森』がその発行部数が1,000万部突破したことが書かれている。なるほどこれかと思った。
 そのポスターを見たからじゃないのだけれど、もう一度村上さんの作品を読み直してもいいかなと思っていたので、手始めにこの本を手にしたわけだ。私の持っている本は1988年8月17日の第20刷のものなのだが、久しぶりに手に取ってみると、古本の風格を帯びている。もうこれを読んで21年たったのかと、月日の流れが速いことを感じてしまう。
 この頃私はわずか10坪ほどの店の店長だった。私が持っている本は発売されて1年たった時の本なのだが、この時でもまだこの本は売れていて、仕入をしてもすぐ売れてしまい、仕入をするのに苦労していた。わずか10坪の本屋など問屋はまともに対応してくれないものだから、この本の配本なんかなかった。だからせっせと現金をもって神田村で仕入をしていた。ちょうどこの頃コミックの『東京ラブストーリー』もテレビドラマの影響もあって、それも売れていて、一緒に仕入をし、並べて売っていたはずだ。
 私は村上さんのこの本がどうしてこう長く売れ続けるのか知りたかったから、自分でも買って読んだ。ただ、今になるとそれほど本の内容が記憶にない。だから読み返すにはちょうどいいかもしれない。
 それで話はちょっと話は横道にそれるのだけれど、私の持っているこの本は上巻が赤、下巻が緑の一色で装丁され、帯が金色である。今の版もそうなのかどうか知らないが、これはクリスマスプレゼントにもってこいの装丁だ。実際当時クリスマスの時期にプレゼントにどうぞ!というのが講談社当たりから言われていたような気がする。(しかし恋人にあげて、盛り上がる本じゃないような気がするが・・・)
 ところで今回この本を再読するに当たり、そのままスキャンしたのだが、この金の帯が真っ黒になってしまうのである。そうか金色はうまくスキャンできないんだと知った。仕方がないので、私の趣旨から反するのだが、帯を取っスキャンする。

 さて、ワタナベが高校二年時の友人でキズキという仲のいい友人がいて、直子はキズキの幼友達であり、恋人であった。三人でうまく付き合っていくには一見バランスが悪そうなのだけれど、不思議なもので結局三人でいる方がうまくいく。こういうのってこの時期よくあるパターンだ。
 そして十七歳の五月の夜にキズキは自殺した。そして残されたワタナベと直子は人生の歪みに直面していく。とりあえずワタナベはその歪みを客観的に捉えながら生きていくが、直子はキズキの自殺の前に、姉の自殺を経験しているため、ワタナベより深刻な精神的に不安定に陥る。ワタナベは「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」と思うようになり、死というものが自分の人生に既に含まれてしまっているものだから、キズキの死を努力して忘れようとしても忘れ去れるものじゃないという境地になる。十七歳の時からそう考えなきゃならなくなったことは、これはかなりきつい。そこから自分の人生で失ってきた、あるいはこれから失っていくであろう多くのものを考え、そして後戻りできない事実に直面するとなると、嫌が上でも自分の人生に歪みが生じてくる。特に感受性の高いこの時期に友人の死は、間違いなく残された人に歪みを植え付けていくか、自覚させるだろう。そしてそうした歪みって、かなり怖い。それを感じるだけで、うまくうっちゃれればそれでいいのだが、もろ直面してしまうと、ただただ怖ろしいものではないだろうか。この小説はそうした歪みにどう対処していけるのか、ワタナベと直子の物語である。

 昔、たぶん中学生の頃だったと思うが、私はいつも感じていたことがあった。それは頭の中に一本の道みたいなものがあり、いつも自分はちゃんとこの道の上を歩いているだろうかと確認するのである。なんて言えばいいのか、よくわからないけど、それは私が進むべき清く正しい人生行路みたいなものだったような気がする。ときにちょっとした挫折(といっても大したことじゃなく、ほとんど失敗みたいなものだった)をすると、その道から外れた位置に自分はいると感じ、怖ろしくなったのである。何とか軌道修正してその道に戻らなければと焦った。そして今思うのだけれど、その道を外れていると感じたことはしょっちゅうで、些細なことでいつも不安に駆られていたような気がする。
 何でこんなくだらないことを書くかといえば、この本にある歪みって、たぶん私が当時感じていた不安や不安定感ともしかしたら似ているような気がしたのである。つまり私の頭の中にあった一本の道から自分がそれることは自分が歪んでいく過程だったような気がするのだ。
 私の場合、こんなくだらない感覚なのだが、おそらく誰しも若い頃にはどういう形であれ自分の歪みみたいなものに不安を感じ、恐れたことがあるんじゃないかと思ったりする。だからこの小説は若い人にとって“通過儀礼”のような一冊となって支持されているのではないかと思うのだ。
 そして長いこと人生を過ごしてきてオヤジとなった自分が今この本を読んで、むしろそうした時代が自分にも確かにあって、懐かしく思える。けれど一方でそういうピュアな気持ちがいつまでも続く方がおかしいのであって、そんなこといつまであり得るわけがないじゃないと半ばバカにするようになったことをどう考えればいいのか。喜ぶべきなのか、悲しむべきことなのか。そういうのが人生だと、どこからか聞こえそうだけど、少なくとも私はそんな風にぶりたくない。むしろこの悲しい物語を通して、かつて自分が自覚していたであろう歪みに対する不安を懐かしむのである。
 もしこの小説が今の若者の通過儀礼となっているなら、その若者はこの物語をどう感じるのか知りたくもある。またもし私の若い頃にこの本が出版されていて、読んだらどうだったろうかと思ってみたりする。直子みたいに不安に駆られるのか。あるいはワタナベのようにそうした歪みに彼なりの抵抗に共感するのか。考えてみるが、よくわからない。あるいはここにある性的描写に興奮するだけかもしれない。
 とにかく今の私はかつては共感できる部分があったかもしれないが、今となってはすれっからしのオジサンになってしまっているためどうしたって青臭く感じてしまうところはある。だからどこか懐かしい感覚でこの物語を再読する。しかしそれでも結構いけていた。

 直子が入所した療養所のルームメイトであるレイコさんの言葉がまず心に残る。

 「十九と二十歳というのは人格成熟にとってとても大事な時期だし、そういう時期につまらない歪みかたをすると、年をとってから辛いのよ」

 これって何となくわかる。やっぱり自分もそういう時期に妙な歪みかたをしたんじゃないかと思う。だからまだ諦めのつかないときは、もがいてきたような気がする。詳しく自分の歪みをここで書いても仕方がないことだから、これ以上は書かないけれど、確かにそういうことがあり、もがき苦しんできた。
 そしてたぶんそれは悲しんでいいことなのかもしれないけれど、諦めが歳と共に勝ち、歪みが当たり前となっている。かといってリセットして昔のようにもがき苦しむことを望むかと言えば、“もういい”と断るだろう。この歳になってももがき苦しむのはごめんだ。歪んでしまったものはもうしょうがない。
 直子もレイコさんと似たようなことを言っているのが印象的だった。

 「成長の辛さのようなものをね。私たちは支払うべきに代価を支払わなかったから、そのつけが今まわってきているのよ」

 直子の手紙も考えさせられる。

 「ある日私の担当医にそのことを言うと、君の感じていることはある意味正しいのだと言われました。彼は私たちがここにいるのはその歪みを矯正するためではなく、その歪みに馴れるためなのだといいます。私たちの問題点のひとつはその歪みを認めて受けいれることができないというところにあるのだ、と。人間一人ひとりが歩き方にくせがあるように、感じ方や考え方や物の見方にもくせはあるし、それをなおそうと思っても急になおるものではないし、無理になおそうとすると他のところがおかしくなってしまうことになるんだそうです」

 「私たちはたしかに自分の歪みにうまく順応しきれないでいるのかもしれません」

 「ここにいる限り私たちは他人を苦しめなくてすむし、他人から苦しめられなくてすみます。何故なら私たちはみんな自分たち『歪んでいる』ことを知っているからです。そこが外部世界とはまったく違っているところです。外の世界では多くの人は自分の歪みを意識せずに暮らしています」

 私はふと思うことがある。その歪みって、誰に対して、あるいは何に対して、歪んでいるということになるのだろうか。何かの対象となるものがあって、それに順応できないところが歪みというのであろうか。
 しかしよく考えてみると、人それぞれ人生に受ける衝撃の強度は違うはずで、その対応もまちまちであろう。またどういう形であれ、その衝撃から立ち直れる人もいれば、いつまでもそれを引きずる人もいる。そうなのだ。決して人は画一的に見られるものじゃない。そういうさまざまなタイプの人が集まって、いわゆる社会というものを形成しているわけである。だったら本来そういったことを認めていいはずのものが、いつの間にか、いつまでも引きずっている人間を隔離していく。それこそ“病気”として称して。そしてそのレッテルを貼られた人は自家中毒を起こし、自らを歪んでいると思い始め、それが高じて精神をおかしくしていく。
 自分のことを人に言いたくても、さまざまな事情でうまく表現できないことを悩む人がいる。そしてうまく言えない人を病気にしてしまう人がいるのである。だから人はそれこそ一所懸命、埋もれそうになりながらも、自分を表現していくのである。
 でも世の中にはワタナベのように自ら苦しんできた過去から歪みを自覚しながら、「みんな自分を表現しようとして、でも正確に表現できなくてイライラするんだ」と言える優しい人がいる。たとえその優しさが特定の個人対しての優しさであっても、そう言ってくれる人がいるだけでも、本来救われる。
 それに対して直子は「誰かに自分の思いを伝えたいと思い、机の前に座ってペンをとり、こうして文章が書けるということは本当に素敵です。もちろん文章にしてみると自分の言いたいことのほんの一部しか表現できないのだけれど、でもそれでもかまいません。誰かに何かを書いてみたいという気持ちになれるだけで今の私には幸せなのです」と書いている。ただ直子の人生の衝撃(姉の自殺、キズキの自殺)は、直子の性格を考えると、それに耐えうる以上のものであった。そして直子の自殺は、直子を助けようとして自らが強くなろうとしているワタナベに、追い打ちをかけることとなる。今度はワタナベが助けてもらう番となる。レイコさんや緑にである。それが読んでいてわかるものだから、この物語は救いがある。そういう意味でこの小説は読み直してよかったなと思った。ただワタナベ君ちょっとかっこよすぎるんじゃないのと思わないでもなかった。

 ところでこの小説を読み返してみて、なんだか一部どこかで読んだことがあるような気がしたのだ。確かにこれで二度目だから、当然そう感じてもおかしくないのだが、どこかに似たような村上さんの小説があったような気がしたのである。(最初読んだときはそんなことは思わなかったのだが)で、あとがきに短篇の『蛍』を肉付けしてこの小説が生まれと書かれていて、思わず“やっぱり”と思った。さっそく、手持ちの短編集を取り出して、読んでみた。そうかこの短篇がベースになっているんだと思いつつ、次はこの短編集を読み始める。


評価
★★★★


書誌
書名:ノルウェイの森〈上〉
著者:村上 春樹
ISBN:9784062035156
出版社:講談社 (1987/09/10 出版)
版型:267p / 19cm / B6判
販売価:1,365円(税込)


書誌
書名:ノルウェイの森〈下〉
著者:村上 春樹
ISBN:9784062035163
出版社:講談社 (1987/09/10 出版)
版型:260p / 19cm / B6判
販売価:1,365円(税込)

2009年08月13日

松田美智子著『新潟少女監禁事件』

2009_08_13_01.jpg


 この本は平成2年11月13日に新潟県三条市で当時小学校4年生の女の子の行方不明となり、その後9年2カ月後、平成12年1月28日に同県柏崎市で発見され保護された事件の記録である。犯人は本ではSとなっているが、佐藤宣行(当時37歳)である。何故この男の名前をSとするのかよくわからない。たとえ精神的病気をかかえていたとしても、もう最高裁で責任能力ありとして刑が確定しいるのだから、Sとする必要はないと思うのだが・・・)

 基本的にこの著者は犯人の裁判を傍聴することで事件の真相に迫る手法をとっている。私はこの犯人が何故9年2カ月も少女を監禁し続けたのかその理由を知りたいと思ってこの本を読んだ。しかし得てして犯罪者の心理は理解できないのが、ここでもあった。我々正常な人間にとってこの犯罪が裁判所の判決(一審)が言うように「動機も自己中心的かつ身勝手極まりなく、酌量の余地は皆無」と感じても、犯人にとってはそんなの関係ないというところなのだろう。犯人が少女を長期間監禁したことを監禁と思っていないのだから話にならない。いけしゃあしゃあと女の子が自分を怖がっているとは思わなかったと言うのであるから、「どうして?」という疑問には答えてくれるわけがないのである。
 我々はことが起こる度にそのわけを知りたいと思うし、何故それが起こったのか、筋の通った理由があるものだと思うところがある。けれどその筋の通った理由というのは、我々一般の人たちの常識範囲内で説明され、その範囲内で理解できることなのだ。そこから逸脱した論理や理由は当然理解不能となる。もちろん犯人側にとってはそれが正当な理由であってもだ。
 そうすると次にどうするかといえば、犯罪者の生い立ちや生活環境に理由を見出そうとするし、病気の有無を確認し始め、そこに問題があれば、「それだ!」とわかったような感じになってしまう。どうしてもどこかでわかりたいのだ。しかし果たしてそれで本当にわかったことになるのだろうか?単純な恨みつらみならはっきりしているから、ことは簡単だろうけど、他人の内面なんて理解できるものなのか、私には疑問に思えてくるときがある。

 さて、事件は少女にとって残酷なものであったことは疑いのない事実だけれど、私はどちらかというとこの犯人の裁判の方が面白かった。裁判は最高裁までいく。一審では懲役14年の判決が出る。ただし当時逮捕監禁致死傷罪の最高刑が10年の懲役刑(現在は15年)だったので、それでは少女が9年2カ月監禁されていたことを考えれば、あまりにも刑が短すぎる。そこで窃盗罪を合わせて併合罪とすれば、逮捕監禁致死傷罪の10年から五割を加算して15年にできることから、検察は求刑を15年と要求し、それでもまだ足りないということで、「未決拘置日数を刑期に1日も加算すべきじゃない」と異例の意見を加える。裁判所はほぼ検察の意見を認め、逮捕監禁致死傷罪で懲役14年の判決を下した。(未決拘置日数は刑期に加えられた)
 ところが控訴審では、それが破棄され、懲役11年の判決が出る。高裁の言い分は、逮捕監禁致死傷罪の最高刑が10年である以上、それ以上の刑期を下すのは刑法上の解釈の誤りだとしたのだ。併合罪を構成する個別の罪について、その法定刑を越える趣旨のものとすることは許されないというのだ。だからあくまでも逮捕監禁致死傷罪は10年が最高刑であり、それに窃盗罪をその法定刑の範囲内で加算すべきで、逮捕監禁致死傷罪の1.5倍は間違いだとしたのだ。そしてこの犯人の窃盗罪は軽微なものなので1年とし、合わせて11年としたのである。
 面白いのは高裁はこの逮捕監禁致死傷罪が10年であることが国民感情として軽すぎるとするなら、法律を改正するしかないと逃げ道を作っているのである。
 当然検察は最高裁に控訴する。当たり前である。最高裁は今度高裁の判決を破棄して、改めて懲役14年の判決を下す。但しこれは刑期の14年は同じだが、一審の判決を完全に支持したのではない。
 最高裁は併合罪の解釈について、それぞれの罪に個別の刑を合算するのは誤りで、法律上認められない。あくまでも全体を統一して処罰すべきだとしたのだ。当たり前である。窃盗罪として、この犯人が盗んだものは監禁した少女に着せるためのキャミソールなのだ。こんなこと最高裁まで行かなきゃわからないのかと思ってしまう。その上で逮捕監禁致死傷罪と窃盗罪を併合罪加重を行った場合、懲役3月以上15年以下となるので、14年が相当という判決を出したのだ。
 法解釈というのは不謹慎かもしれないがおもしろいものである。同じ14年の刑期でも地裁と最高裁で解釈の仕方が違うのだ。裁判というのは我々一般人からすると“茶番劇”みたいなところがあるんじゃないかとこの本を読んでいて思ってしまう。例えば高裁での弁護側の言い分には呆れる。監禁が9年2カ月も続いたのは、警察の不手際であって、今回偶然事件が発覚したため9年2カ月で済んだというのだ。確かにそうかもしれないけど、だからといってそれで済む問題じゃない。さっさと犯人を捕まえれば刑が軽くなったという弁護はおかしい。いったい弁護というのは何のためにするのだ。被告の人権を擁護するのは結構だけど、どう考えても酌量の余地のない犯罪に弁護はおかしいだろうといつも思う。行きすぎを抑制するのが弁護の仕事なら、それをすればいいのであって、ただクライアントの要求で刑を否定したりするだけだったら、いる意味がないのではないか。いつもニュースを見てそう感じるのである。結局弁護士も商売なのであろう。クライアントの要求が通ってなんぼなんだな、きっと。


評価
★★★


書誌
書名:新潟少女監禁事件―密室の3364日
著者:松田 美智子
ISBN:9784022616081
出版社:朝日新聞出版 (2009/02/28 出版)朝日文庫
版型:322p / 15cm / A6判
販売価:777円(税込)

2009年07月29日

村上春樹著『遠い太鼓』

2009_07_29_01.jpg


 この本は買ってからすぐ読んだはずである。しかしこれといって記憶に残っているものがなく、自分の本棚を見ていて、村上さんがギリシア、イタリアに滞在されていた頃のことが書かれていたんだと思い再度手に取った。
 村上さんは1986年から1989年の3年間に、ギリシア、イタリアで過ごす。この時村上さんは『ノルウェイの森』、『ダンス・ダンス・ダンス』の長編を書くためにここに来ている。つまり観光ではなく、あくまでも小説の執筆のためこの地に来ていたのである。だから私が期待する紀行文とは少々趣を異にする。もともと村上さんは自ら「だいたい僕は遺跡というものに興味がないのだ」と言っているので、そうした観光を期待していると裏切られる。
 例えばアテネ。村上さんはアテネを次のように書く。

 アテネといえば人口三百万を数えるギリシャ随一の都会(これは実にギリシャの総人口の三分の一近くに相当する)ではあるけれど、観光客が通常動きまわるエリアに限って言えば、それほど大きな町ではない。たいていの歴史的遺物は歩いて行ける距離にあるし、ごく控えめに言っても三日あれば目ぼしいものは全部見て回ることができる。この街は大昔ポリスのまわりに、まるで磁石に鉄屑がくっつくように近郊住宅が付着して、そのまま無定見にぼわぼわと発展したような都市だから、観光客にとって興味ある場所ははっきりと中心部に限られているのである。だって近郊住宅地部分なんか見にいったってしかたがないから(たとえばあなたが東京に来た外人観光客だとして、ひばりヶ丘だとか多摩プラーザだとか西国分寺だとかわざわざ観光に行きますか?)普通の人はアクロポリスに登って、プラーカでレッツィーナを飲んでムサカを食べて、町をぶらぶら歩いて、土産物屋をのぞいて、シンタグマ広場でお茶を飲んで、リカビスト山からアテネの夜景を見て、その後時間と興味のある人は国立考古学博物館を見物して、それでおしまいである。

 と素っ気ない。

 ただイタリアの“いい加減さ”が面白く書かれる。特にローマでの生活事情は日本とはかなり異なるため、読んでいてやはり呆れてしまう。村上さんの友人が「なにしろローマって二千年がかりで腐敗しつづけているような都市だからね、腐敗にも年季がはいっているんだ」というくらいだから、並大抵のことじゃないみたいだ。
 ローマの駐車事情もかなりひどいようだ。路上駐車は当たり前。少しでもスペースがあればなんとかしてそのスペース車を入れる。もちろんぶつけたってまったく気にしない。そもそもバンパーなんていうものはぶつけるためにあるもんだと考えている。二重駐車なんていうのも日常茶飯事みたいだ。
 つまり駐車場がローマにはないのだ。「どうして存在しないかというと、まずだいいちに街そのものが狭いからである。狭い上に、建築物の規制が厳しいから、現代的な駐車用のビルなんて建てることができない。街中の建物はほとんどが歴史的建築物みたいなもので、言うまでもないことだが、歴史的建築物にはもともとガレージなんてついていない。
 それから地下を掘り下げて駐車場を作ろうとしても、これがなかなか作れない。少し地面を掘るとすぐ何かの遺跡が出てくるからである」らしい。

 なるほど!

 また泥棒にも頻繁にあう。観光ガイドブックには「注意しなさい」と書かれているけれど、それは「世界の何処でも同様である」、「常識を働かせればいいのです」くらいのアドバイスではすまない町みたいだ。「ここではどれだけ注意しても、どれだけ常識を働かせても、それを越えた災難がちゃんとふりかかってくるのだ」という。「私は断固『冗談言っちゃいけない』と思う」と言い切る。タクシーだって料金をかなりぼるみたいだ。
 私はイタリアにはあこがれるけれど、今もこんな状況だと勘弁して欲しいなと思う。そういえば以前読んだ井上ひさしさんのイタリア紀行文にも、空港に着いたとたん旅行バッグを盗まれたことが書いてあったから、状況はそう変わっていないのかもしれない。
 泥棒やスリなどに注意しながら暮らす生活は疲れるし健全じゃないと言う村上さんの言葉はまさにその通りだと思うので、なんとかならないのかなと思う。もっともこれがすべてではあるまい。真っ当なイタリア人だっているはずだし、この本ではそういう人たちのこともちゃんと書かれている。
 そうした人たちを通して、村上さんがいたイタリア人とギリシア人との比較論が面白かった。

 僕の見聞したかぎりではギリシャ人というのは比較的混乱しやすいタイプの人種である。なんとかうまく物事をこなそうという意志はあるのだけれど、すこし事態が込みってくると収拾がつかなくなって混乱し、ある場合には怒り始める。またある場合には落ち込んでしまう。こういう点ではイタリア人と正反対である。イタリア人は始めから物事をうまく処理しようという意志が希薄なので、それがうまくいかなくても殆ど混乱しない。

 へぇ~そうなんだ!

 この本を再度読み直して感じたことはこの程度なので、結局昔読んでそのままにしてあると記憶に残らなくてもしかたがなかったかなと思った次第だ。


評価
★★


書誌
書名:遠い太鼓
著者:村上 春樹
ISBN:9784062033633
出版社:講談社 (1990/06/25 出版)
版型:497p / 21cm / A5判
販売価:1,890円(税込)

2009年07月22日

村上春樹著『もし僕らのことばがウィスキ-であったなら』

2009_07_22_01.jpg


 最近ヨーロッパのどこに行きたいかと聞かれたら、アイルランドとギリシアとイタリアと答えるような気がする。大学時代なら間違いなくドイツ、特にバルト海に面した地域だったのだが、何故か今は当時の興味はない。
 特にアイルランド、J.M.シングの『アラン島』に描かれた景色を見てみたい。自然の荒々しさを間近に感じたい。その過酷な自然の中で生活している人々を見てみたいと思うのだ。わずかな土を大切に運び、強い風で飛ばされないように石垣を作り、作物を作っている姿を見てみたいと思う。妥協のない敬虔な祈りを捧げるカトリック世界を感じたい。よくそう思うのだ。
 そういう気分で自分の本棚を眺めてみると、村上さんの紀行文にこのスコットランド、アイルランドの紀行文とギリシア、イタリアの紀行文があるのを見つける。ギリシアの方は読んでいるのだが、当時はギリシア、イタリアにあまり興味がなかったためか、あるいは村上さんの本が記憶に残らないところがあるためか、とにかく内容がどんなものか覚えていない。ちょうど今ハルキフリークの状態なので、この2冊を読むことにする。手始めにこの本だ。

 この本はスコットランドとアイルランドでシングルモルトのウィスキーを飲みに行く旅である。私はお酒がほとんど飲めないので、ウィスキーに詳しくないのだが、それでも奥様の撮られた写真がいい雰囲気を出している。パブと前足を揃えた猫の写真がいい。猫の写真を見たとき、思わず指で頭をなでてしまった。
 昔本屋でアルバイトを始めたとき、先輩に新橋のパブに連れて行ってもらったことがある。もちろんパブなんて行ったのは初めてである。薄暗い店内のカウンターに座ったと思う。ウィスキーの瓶を逆さに吊してあって、そこからウィスキーをグラスに注ぐ。初めてバランタインを飲んだ。何年ものか忘れちゃったけれど、グラスにわずかに注がれ、大きな氷が溶けて、ウィスキーの琥珀色が氷が溶けた水になじむのが目に見えて不思議な感覚であった。当時は何でこんな少ししかウィスキーを入れてくれないのだろうと疑問に思っていたくらい、何も知らない時であったが、それでも店の雰囲気は今でも記憶に残っている。多分アイルランドでのパブもこんな感じなんだろうなんて思った。
 この先輩は私をいろいろなところに連れて行ってくれたが、連れて行ってくれたお店はみんないい雰囲気の店であったような気がする。薄暗く、騒がしくない、落ち着いてお酒が飲め、話ができた。今でもできるなら当時連れて行ってくれたお店に行ってみたいなという思いに駆られるけど、場所もわからないし、お店だってあるかどうかわからない。だってもう30年近くたっているから。でも私の中で静かにお酒を飲むなら(そんなに飲めないけど)、当時連れて行ってくれたお店であって欲しいと思う。今はやりのショットバーは狭く、やかましくてしかたがない。(いいところへ行っていないんじゃないのと言われればそうかもしれないけど・・・)
 本の中に、よれよれの背広を着てパブのカンターに座り、ポケットから一杯分のコインを正確に出し、バーテンダーが逆さに吊したボトルからシングルモルトのウィスキーをグラスに注ぎ、出されたお金を数えることなく取る。バーテンダーも男も一言も発しない。しかし男は出されたウィスキーをゆっくり飲む。村上さんはその男を見て次のように書く。

 老人はウィスキー・グラスを手に取り、静かに口に運んだ。水で割らなかった。チェーサーもとらなかった。店の中はひどくにぎやかだったのだけれど、それはほとんど気にならないようだった。多くの人がやるように、カウンターにもたれたまま後ろを振り向いて、店内をぐるりと見回したりもしなかった。そこに存在しているのは、彼と、彼の手の中にあるウィスキーだけだった。もしそのパブに彼以外にだれ一人客がいなかったとしても、おそらくまったく気にならなかったに違いない。
 見たところ、彼は話し相手や顔見知りの仲間を求めてこのパブに来ているわけではないようだった。というか、顔見知りの仲間というようなものがいるのかどうかさえあやしいものだった。でもひとつだけ、確信を持って僕に断言できることがあった。それは彼が完全にくつろいでいるということだった。こんなにくつろいでいる人を見かける機会は、長い人生の中であまりないだろう-と言えるくらいくつろいでいた。

 この手の話、なんか以前別の作家の本で読んだことがある。誰だったか忘れてしまったけれど。でもいい感じだなと思った。


評価
★★★


書誌
書名:もし僕らのことばがウィスキ-であったなら
著者:村上 春樹
ISBN:9784582829419
出版社:平凡社 (1999/12 出版)
版型:119p / 20cm / B6判
販売価:1,470円(税込)

2009年07月20日

村上春樹著『海辺のカフカ』〈上〉〈下〉

2009_07_20_01.jpg


2009_07_20_02.jpg


 村上さんの本を一度読み出すと絶対にはまってしまうことはわかっていた。そしてその不可解なストーリーに魅了され、呆然とし、精神的に疲れて、その読感をどう書いていいのかわからずにいることも。
 15歳の誕生日に家出をして、「世界で最もタフな15歳になる」ことを決意した「僕」と、知事さんにホジョをもらいながら生活しつつ、猫と話すことができることから迷子の猫を探す副職で小遣いを稼いでいたナカタさんの物語が交互に進む。そしてこの二人は四国でクロスし、二つの物語はやがて「入り口の石」に近づいてゆく。

 まぁここまでは何とか大まかに話の展開をまとめることができるが、それ以降どう考えたらいいのかかなり迷う。でも、一つこの物語を考える上で参考になることがある。たとえばナカタさんが猫と話すときのこと。

 「そうです。ナカタと申します。猫さん、あなたは?」
 「名前は忘れた」と黒猫は言った。「まったくなかったわけじゃないんだが、途中からそんなもの必要なくなってしまったもんだから、忘れた」
 「それでは猫さんのことをオオツカさんと呼んでよろしいでしょうか?」
 「なんだい、それは?どうしてオレが・・・・オオツカなんだい?」
 「いいえ、たいした意味はありません。ナカタが今ふと思いついただけであります。名前がないと覚えるのに困りますので、適当な名前をつけただけであります。名前があるとなにかと便利なのであります」
 「よくわからないな。猫にはそんなの必要ない。匂いとかかたちとか、ただあるものを受け入れればいいだけだ。それで不自由ないね」

 「田村カフカというのが君の名前であれば、ということだけど」

 「わたしの名前はわかるだろうね?」
 「ウィスキーを嗜む人なら一目見てわかるんだが、まあよろしい。私の名前はジョニー・ウォーカーだ。ジョニー・ウォーカー。世間のだいたいの人は私のことを知っている。自慢するんじゃないが全地球的に有名なんだ。イコン的な有名さと言ってもいい」

 「ホシノちゃん」
 「あんたは-」
 「そうだ。サンダース大佐だ」
 「そっくりだ」
 「そっくりではない。わしがカーネル・サンダースだ」
 「そのフライド・チキンの」
 「そのとおり」
 「よう、しかしあんた、どうして俺の名前を知ってんの?」
 「わしは中日ドラゴンズのファンにはいつもホシノちゃんと呼びかけることにしている。たとえば何があろうと、巨人といえばナガシマ、中日といえばホシノじゃないか」

 「おじさんはほんとにカーネル・サンダースなの?」
 「ほんとは違う。とりあえずカーネル・サンダースのかっこうをしておるだけだ」
 「そうだと思ったよ」「それでおじさん、ほんとは何なんだよ?」
 「名前はない」
 「名前がないと困らないかい?」
 「困らん。もともと名前もないし、かたちもない」
 「屁みたいだね」
 「そう言えなくもない。かたちのないものだから何にでもなれる」
 「はあ」
 「とりあえず、カーネル・サンダースという、資本主義社会のイコンとでも言うべき、わかりやすいかたちをとっているだけだ。ミッキーマウスだってよかったんだが、ディズニーは肖像権についてうるさい。訴訟されるのはごめんだ」
 「まあ俺もあんまり、ミッキーマウスに女を紹介されたくないね」
 「まあそうだろうな」

 つまり問題となるのは“名前”である。人や物に名前や固有名詞が付加されることによって、人はそれをそれとしか思わなくなる。猫にオオツカさんという名前が付いたとたん、オオツカさんの個性がそこに植え付けられるし、田村カフカという名の少年はどこまで行ってもこの物語では田村カフカでなければならなくなる。ジョニー・ウォーカーにしてもカーネル・サンダースにしてもその名前が出てくれば、ウィスキーの名前であり、フライド・チキンの名前となる。中日ドラゴンズのファンはホシノである。一見名前を付けることによって、差別化し、その個性を浮きだたせるようであるが、その名前を付けられたとたんそれ以外であり得なくなる。そうすることで非個性化し、ただの代名詞となる。余計なものが不要なものとして、ただ単にそのものとなるのだ。それがわれわれの日常なのだ。それで世の中が回っていて、それ以外を受け入れなくて済むようなっている。
 しかしそれは誰も知っているだけの、単に一時的に付けられた名前や固有名詞であって、本当にそれ以外のものはないのだろうか?この物語はそうした日常当たり前の世界が実はちっとも当たり前でない世界の側面を持つのではないかということを教えてくれる。それらの名前の下に隠れた世界が実はどこでもあって、ただ付加された名前によって隠されてしまっている。そんなことを感じた。そこには真の姿があるときもある。それを表現するために村上さんはいつものようにたくさんのメタファーを使い、もう一つの別の世界を作り上げ、そこに登場人物を入れてしまう。田村カフカ君にしても、ナカタさんにしても。
 日常は決して現実的ではなく、非現実的な側面を本来持っている。隠れたものがある。隠れたものには時に暴力的で、残酷なことなどをあからさまにしてしまう部分があるのだけれど、単にその行為を言葉で表すと、その言葉でしかなくなる。
 だから自ら非日常の世界に入り込んで(それは森の中であったり、井戸の中であったりして)あるべき姿が見えるまで待つ。そうしているうちに真の意味が姿を現す。これが村上ワールドじゃないかなんて思っている。

 ところで先に読んだ『ねじまき鳥クロニクル』よりこの『海辺のカフカ』の方が私は好きである。前作は人の真の姿を追求することばかりであって、どこにも物語として救いがなかったからだ。今回はナカタさんやホシノくん、大島さん、そしてカーネル・サンダースと笑い提供してくれる分、楽しく読めた。
 たとえば大島さんは最高である。

 「実を言いますと、私たちの組織は女性としての立場から、日本全国の文化公共施設の設備、使いやすさ、アクセスの公平性などを実地調査しております」
 「それで結論からまず申し上げますと、この図書館には残念ながらいくつかの問題点が見受けられます」
 「つまりそれは女性的見地から見てということですね」
 「まずここには女性専用の洗面所がありません。そうですね?」
 「たとえ私立の施設とはいえ、パブリックに開放された図書館であれば、原則として、洗面所は男女別にされるべきではないでしょうか」
 「原則として」
 「残念ながら男女別の洗面所をつくるほどのスペースの余裕はありません。今のところ利用者から苦情は出ていません。幸か不幸か、うちの図書館はそれほど混雑しないのです。もしあなたがたが男女別の洗面所の問題を追及なさりたければ、シアトルのボーイング社に行かれて、ジャンボ・ジェットの洗面所について言及なさったらいかがでしょう。私ども図書館よりはジャンボ・ジェットのほうが遙かに大きいし、遙かに混雑していますし、私の知るところでは機内の洗面所はすべて男女兼用です」
 「私たちは今ここで交通機関の調査をしているわけじゃありません。どうしてジャンボ・ジェットの話が急に出てこなくてはならないのですか」
 「ジャンボ・ジェットの洗面所が男女兼用であることも、図書館の洗面所が男女兼用であることも、原則的に考えれば、生じる問題は同じじゃありませんか?」
 「私たちは個々の公共施設の設備の調査しています。原則の話するためにここに来たのではありません」
 「そうですか。僕はてっきり、我々は原則について語りあっていると思っていたんですが」

 「ただしこの図書館では、すべての分類において、男性の著者が女性の著者より先に来ています」
 「私たちの考えるところによれば、これは男女平等という原則に反し、公平性を欠いた処置です」
 「曽我さん」
 「学校で出欠をとられるときには、曽我さんは田中さんの前だし、関根さんのあとだったはずです。あなたはこのことに対して文句を言いましたか?たまには逆から呼んでくれと抗議しましたか?アルファベットのGは自分がFのあとになっているからといって腹をたてますか?本の68ページは自分が67ページのあとになっているからといって革命を起こしますか?」

 「いいですか、僕が申しあげたいのはこういことです-小さな町の小さな私立図書館にやってきて、あたりをくんくん嗅ぎまわって、洗面所の形態や閲覧カードあらを探しているような時間があれば、全国の女性の正当な権利の確保にとって有効なことは、ほかにいくらでもみつけられるはずだ、と。僕らはこのささやかな図書館を少しでも地域の役に立つものにするべく、全力を尽くしています。書物を愛する人々のために、優れた書物を集め提供しています。人間味あるサービスを心がけています。あなたはご存じないかもしれませんが、この図書館の、大正から昭和中期にかけての詩歌の研究資料のコレクションは、全国的にも高く評価されています。もちろん不備はあります。限界だってあります。しかし及ばずながら精一杯のことはやっているのです。僕らができないでいることを見るよりは、できていることのほうに目を向けてください。それがフェアネスというものではありませんか」

 ここまで言われても引き下がらない曽我さんたちに大島さんは最後に自分が性同一障害に悩む女性であることを公にする(これは私も驚いたけれど)。さすがにそうなると大島さんの言うことに引き下がらずを得なくなっていく。
 大島さんは想像力の足らない人間をいちいち相手にしていたら、身体がいくつあっても足らないことを田村カフカ君にわからせる。その上で、「想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ。ひとり歩きするテーゼ、空疎な用語、簒奪された理想、硬直したシステム。僕にとってほんとうに怖いのはそういうものだ。僕はそういうものを心から恐れ憎む。なにが正しいか正しくないか-もちろんそれもとても重要な問題だ。しかしそのような個別的な判断の過ちは、多くの場合、あとになって訂正できなくはない。過ちを進んで認める勇気さえあれば、だいたいの場合取りかえしはつく。しかし想像力を欠いた狭量さや非寛容さは寄生虫と同じなんだ。宿主を変え、かたちを変えてどこまでもつづく。そこには救いはない。僕としては、その手のものにここには入ってきてもらいたくない」と言い切る。これはある意味この本の重要なテーマかもしれないと思う。

 あと、なんと言ってもカーネル・サンダースとホシノちゃんとのやりとりは大笑いした。

 「実はな、石はこの神社の林の中にある」
 「<入り口の石>だよ」
 「そうだ。<入り口の石>だ」
 「おじさん、それってひょっとしていい加減なことを言っているんじゃないよね?」
 「何を言うか。たわけものものが。わしがこれまでひとつでも嘘をついたか?口からでまかせを言ったか?ぴちぴちのセックス・マシンだと言ったら、たしかにぴちぴちのセックス・マシンだったろうが。それも大出血サービス料金、1万5000円ぽっきりで厚かましく三回も射精しやがって、それでもまだ人のことを疑うか」

 「でもさ、この石っていちおう神様の持ちものでしょうが。勝手に持っていったらきっと怒られるよ」
 「神様ってなんだ?」「神様ってどんなことをしているんだ?」
 「おれはそういうこと、よく知らねえけどさ。でも神様は神様だよ。いたるところに神様はいて、俺たちがやることを見ていて、良いか悪いか判断するんだ」
 「それじゃまるでサッカーの審判員じゃないか」
 「そういう風に言えるかもしれない」
 「じゃあ何か、神様ってのは半ズボンをはいて、口に笛をくわえて、ロスタイムを計っておるのか?」
 「しつこいね、おじさんも」

 「いいか、ホシノちゃん。神様ってのは人の意識の中にしか存在しないんだ。とくにこの日本においては、良くも悪くも、神様ってのがあくまでも融通無碍なものなんだ。その証拠に戦争の前には神様だった天皇は、占領軍司令官ダグラス・マッカーサーから『もう神様であるのはよしなさい』という指示を受けて、『はい、もう私は普通の人間です』って言って、1946年以後神様ではなくなってしまった。日本の神様ってのは、それくらい調整のきくものなんだ。安物のパイプをくわえてサングラスをかけたアメリカ軍人にちょいと指示されただけでありかたが変わっちまう。それくらい超ポストモダンなものなんだ。いると思えばいる。いないと思えばいない。そんなもののことをいちいち気にすることはない」
 「はあ」

 「でもさ、あの女の人は本物だよね。キツネだとか、抽象なんとかだとか、そういう面倒なものじゃねえよな?」
 「キツネでもないし、抽象なんとかでもない。実物のセックス・マシンだ。混じりけなしの愛欲の四輪駆動だ。けっこう苦労してみつけてきたんだ。安心しなさい」
 「よかった」

 しかし星野君、なかなかいい味を出している。ナカタさんと関わるうちに内面から変化してくる。ナカタさんが字が読めない代わりに星野君が読んでやり、<入り口の石>を探し出してやったりするうちに、自分が正しい場所にいるという実感がわいてくる。それをたとえてお釈迦様やイエス・キリストの弟子になった連中もこんな気分だったじゃないかと感じる。教義とか真理とかむずかしいことを言う前に、その程度乗りだったのかもしれないと思うところは、何となくわかるような気がする。おそらく星野君の考える通りだったんじゃないかと思えてくる。
 ナカタさんとの珍道中で、いろいろな景色の見え方変わり、それまで面白いと思わなかった音楽が心に沁みるようになっていく。そんな星野君を見ているとなんかその変化が話の展開とともにうれしくなっていくのが自分でも感じた。


評価
★★★★


書誌
書名:海辺のカフカ〈上〉
著者:村上 春樹
ISBN:9784103534136
出版社:新潮社 (2002/09/10 出版)
版型:397p / 19cm / B6判
販売価:1,680円(税込)


書誌
書名:海辺のカフカ〈下〉
著者:村上 春樹
ISBN:9784103534143
出版社:新潮社 (2002/09/10 出版)
版型:429p / 19cm / B6判
販売価:1,680円(税込)

2009年07月10日

村上春樹著『ねじまき鳥クロニクル』〈第1部〉泥棒かささぎ編・〈第2部〉予言する鳥編・〈第3部〉鳥刺し男編

2009_07_10_01.jpg


2009_07_10_02.jpg


2009_07_10_03.jpg


 最新刊の村上さんの本を読んだので、読みそびれていた以前のこの本のことが気になり、手にする。第一部、二部はわりとすらすら物語の中に入っていけたのだけれど、三部になるといささか疲れを覚え、読み終えたときには疲労感いっぱいであった。
 いったいこの本はなんなんだ!というのが正直な感想である。これをどうやって自分の感想を書けばいいのか正直困っている。うまく書けないけれど書けばこんな感じだ。

 村上さんの小説はいつも大切な人、あるいは大切なものを捜し回るというパターンが多いが、今回もそれである。主人公の岡田亨が失踪した妻クミコを探しに行く。そして物語は様々な世界に我々を連れて行ってくれる。現実と非現実。過去と現在。それぞれが交錯する。それは我々が当たり前と思っている、今いる世界が、まるで回転扉ようにそれが回ると簡単に非現実的な世界や過去へと変わる。つまりそれほど確かなものじゃないということ教えてくれる。というか、今現在がどこか非現実的なことで成り立っているところがあるし、過去の蓄積が現在を成り立たせているところがあることを教えてくれる。
 我々のいる世界が実は理不尽で、残酷で、理解しがたい部分があまりにも多くあり、ちっともリアリティーじゃないことを思い知らされる。そういう世界がこの物語では、「ねじまき鳥」の存在を通して語る。

 「ねじまき鳥」は大きな力を持っていた。人々は特別な人間しか聞こえないその鳥の声によって導かれ、避けがたい破滅へと向かった。そこでは、人間の自由意志などというものは無力だった。彼らは人形が背中のねじを巻かれテーブルの上に置かれたみたいに選択の余地のない行為に従事し、選択の余地のない方向に進まされた。その鳥の声の聞こえる範囲にいたほとんどの人々が激しく損なわれ、失われた。多くの人々が死んでいった。彼らはそのままテーブルの縁から下にこぼれ落ちていった。

 ねじまき鳥は実存するんだ。どんな格好をしているかは、僕も知らない。僕も実際にその姿を見たことはないからね。声だけしか聞いたことがない。ねじまき鳥はその辺の木の枝にとまってちょっとずつ世界のねじを巻くんだ。ぎりぎりという音を立ててねじを巻くんだよ。ねじまき鳥がねじを巻かないと、世界が動かないんだ。でも誰もそんなことは知らない。世の中の人々はみんなもっと立派で複雑で巨大な装置がしっかりと世界を動かしていると思っている。でもそんなことはない。本当はねじまき鳥がいろいろな場所に行って、行く先々でちょっとずつ小さなねじを巻いて世界を動かしているんだよ。それはぜんまい式のおもちゃについているような、簡単なねじなんだ。ただそのねじを巻けばいい。でもそのねじはねじまき鳥にしか見えない。

 ここでは説明できない、あるいは納得できない現実がどこかあって、それは「ねじまき鳥」が人間の意志に関係なくねじを巻くから、そうなるのだというのだ。岡田亨の妻クミコが失踪するのも、岡田亨が理解できる範囲のものを超えた何かであり、彼の回りに集まってくる変わった名前の登場人物も、彼の理解を超えた何かを持っているか、不可解な(あるいは異常な)過去の持ち主であるが故、ある意味なかなか理解しにくいものがそこにはある。
 でも、世の中というのはそうした雑多な世界にいる人々で成り立っているところがあるのだ。だからわかったようで実は誰もわかっちゃいないということなのだ。
 それでも何とかわかりたい。理解したい。失踪した妻を捜し出すために。だから笠原メイが岡田亨の苦悩を次のように言うのだ。

 あなたはいつも涼しい顔をして、何がどうなっても自分とは関係ないという風に見える。でも本当はそうじゃない。あなたはあなたなりに一生懸命闘っているのよね。

 この物語に登場する人物たちの話、過去に経験してきた悲惨で、残酷な体験は、その人物たちの思想形成に多大な影響を今現在に及ぼしたけれども、聞く側の人間にとって、それを完全に理解できないものである。そんな状態の人間の集まりである世の中がどうして確かなものなのか?世の中そのものが複雑怪奇となっても不思議じゃない。
 でも、そうであっても少なくとも自分が愛している妻だけはどうしても理解したい。二人の間だけは“確かなもの”でありたい。そういう気持だけは伝わってくる。多分それが岡田亨の闘いなのだろう。


評価
★★★


書誌
書名:ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編
著者:村上 春樹
ISBN:9784103534037
出版社:新潮社 (1994/04/12 出版)
版型:308p / 19cm / B6判
販売価:1,680円(税込)


書誌
書名:ねじまき鳥クロニクル〈第2部〉予言する鳥編
著者:村上 春樹
ISBN:9784103534044
出版社:新潮社 (1994/04/12 出版)
版型:356p / 19cm / B6判
販売価:1,890円(税込)


書誌
書名:ねじまき鳥クロニクル〈第3部〉鳥刺し男編
著者:村上 春樹
ISBN:9784103534051
出版社:新潮社 (1995/08/25 出版)
版型:492p / 19cm / B6判
販売価:2,205円(税込)

2009年06月18日

村上春樹著『1Q84』〈book 2(7月-9月)〉

2009_06_18_01.jpg


 舞台はジョージ・オーウェルが1949年に書き上げた『1984年』の東京。青豆という女性と天吾という男性の話が交互に語られる。
 最初この二人はクロスすることはなく、1984年の生活がそれぞれ描かれる。青豆はスポーツジムのインストラクターで、“必殺仕事人”みたいな裏の顔を持つ。天吾は予備校で数学を教えていて、かたわら小説を書いていた。
 青豆はその“仕事”に向かう途中で首都高の渋滞に巻き込まれる。青豆の乗ったタクシーの運転手はこの渋滞から抜け出す方法が一つあることを伝える。高速道路の非常階段。青豆はタクシーを降り、その階段を使って渋滞の高速から抜け出す。タクシーを降りるとき運転手から覚えて欲しいことがあるといって次のように言われる。

 で、そういうことをしますと、そのあとの日常の風景が、なんていうか、いつもとはちっとばかし違って見えるかもしれない。私にもそういう経験があります。でも見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです。

 そして青豆は高速道路の非常階段を下りた。この時から青豆は1984年という世界からもう一つ別の新しい世界に飛び込んでしまった。青豆が名付けた1Q84年という世界へ。Qはquestion markのQだ。疑問を負ったものだ。
 一方天吾は知り合いの出版社の編集者の小松から、ふかえりという十七歳の少女が書いた『空気さなぎ』のリライトを持ちかけられる。天吾はその小説にもともとひかれる部分があったので、それを引き受ける。そしてその『空気さなぎ』は世に放たれ新人賞を受賞し、ベストセラーとなる。この時から天吾も1Q84年という世界へ足を踏み入れてしまった。

 読売新聞の6月16日から19日かけて村上春樹さんの独占インタビューが掲載されている。私はこれを面白く読んだ。そこには「罪を犯す人と犯さない人とを隔てている壁は我々が考えているより薄い。仮説の中に現実があり、現実の中に仮説がある。体制の中に反体制があり、反体制の中に体制がある。そのような現代社会のシステム全体を小説にしたかった」と村上さんは言っている。
 さらに9・11のテロでツインタワーがあれだけあっけなく崩壊する映像を何度も見せられるとふとした何かの流れで、あの建物がない奇妙な世界に自分が入り込んでしまったと感じる人がいてもおかしくないと言う。特に日本の場合、1995年に阪神淡路大地震、オウム事件が立て続けに起こり、「自分はなぜ、ここにいるんだろう?」という現実からの乖離を、世界よりひとあし早く体験したんじゃないかとも言う。
 そうなのだ。自分では確かな現実だと思っていても、何かの拍子でそれが不確かなものに感じてしまうことがある。今日は2009年6月18日の木曜日という確かな日であっても、感覚的に昨日とは違う一日になってしまうことだってあり得る。あるいはちょっと前とは何かが違うと感じることだってある。青豆や天吾が1984年から1Q84年という世界に入り込んでしまうこの奇妙な小説は実はちっとも奇妙じゃないのではないかと思わせる。
 この小説はちょっとした非日常から新しい世界に紛れ込んでしまった男女のラブストーリーである。だから面白い。ちょいとそこらにごろごろしているラブストーリーでない。
 二人には二十年前に接点があった。同じ小学校のクラスメイトであった。しかし青豆は母親が加入している『証人会』という宗教団体の布教活動に日曜日の度引き回されていた。一方天吾の父親はNHKの受信料の集金人で、やはり日曜日の度に引き回されていた。どちらも子供連れの方がやりやすかったからだ。二人は同級生が日曜日に楽しく遊んでいるのにと思うとそれが辛く、恥ずかしかった。そのためクラスのは友人がいなかった。通りでお互いすれ違ったこともあった。
 あるとき教室で二人だけになった。青豆は何も言わず、天吾の手を強く握る。しかしそれで終わり、青豆は転校していき、以来二人は交わることがなかった。が、この時の情景を忘れることが出来ず、以来二人は二十年間お互い求めあっていた。捜していたのである。

 言葉ではうまく説明はつかない意味を持つ風景。俺たちはその何かにうまく説明をつけるために生きているという節がある。

 それでは何故青豆が1Q84年という世界に引き込まれたのか?そのことを知るのは、青豆が「さきがけ」という宗教団体の教祖を抹殺する依頼を受け、その行動に移ったとき、その教祖から知らされる。教祖はすべてを知っていた。その上で青豆を招き入れ、すべてを語るのである。
 それは天吾がふかえり(教祖の娘)の『空気さなぎ』をリライトして世に出してしまったことで、リトル・ピープルなるものが世間に知れ渡ることとなり、リトル・ピープルが天吾を危険人物とみなした。
 青豆の方は天吾の物語を語る能力によって、レシヴァ(受け入れるもの)の力によって1Q84年という別の世界に運び込まれてしまったと言うのであった。なぜなら青豆と天吾がお互い強く引き寄せあっていたからだ。リトル・ピープルのとって青豆を1Q84年に引き込むのは簡単で、単に1984年から1Q84年に路線を切り替えるだけでよかった。
 もともとリトル・ピープルなるものを導き入れたのふかえりで、リトル・ピープルを知覚する「パシヴァ」となった。そしてふかえりの父親である教祖(リーダー)がリトル・ピープルを受け入れるもの(レシヴァ)になった。そのためリーダーはリトル・ピープルの代理人となり「さきがけ」という宗教団体の教祖のような存在となる。
 そのため青豆がリーダーの抹殺すると、リトル・ピープルにとっては代理人を失うことになる。リーダーの代わりがまだ見つかっていないから、リトル・ピープルは早々自分の代理人を捜す必要性が出てきてしまい、天吾を抹殺するどころでなくなる。すなわちそれが天吾を守ることとなる。
 しかし「さきがけ」にとってリーダーが殺されれば、組織として黙ってられなくなる。どんなことをしても青豆を捜そうとするに違いない。
 ここでリーダーは青豆に自分自身を守るか、それとも天吾を守るか、二者択一を迫る。一度1Q84年に引き込まれたら、1984年に戻る道はない。なぜならこの世界に入るドアは一方にしか開かないからだ。
 青豆は予定通り、リーダーを殺し(リーダーもリトル・ピープルの代理人となっているため肉体的苦痛に悩まされており、自らの死で、そこからの解放を望んでいた)、天吾を守る。
 “仕事”のあと、青豆は高円寺のマンションに身を隠す。高円寺には天吾とふかえりが一緒にいたが、二人は完全にクロスすることはなかった。かろうじて、青豆が自分を捜している天吾の姿をベランダ越しに見かけるだけであった。
 そして青豆は自分を1Q84年に引き込んだあの高速道路の非常階段がある場所を訪れるが、そこには非常階段はなかった。the endである。青豆は自殺しようとする。

 私はこのようにこの物語をラブストーリーとして読んだ。しかしここで描かれる物語の中には、村上さん特有の存在感と喪失感がある。

 天吾は言った。「小説を書くとき、僕は言葉を使って僕のまわりにある風景を、僕にとってより自然なものに置き換えていく。つまり再構成する。そうすることで、僕という人間がこの世界に間違いなく存在していることを確かめる。それな数学の世界にいるときとはずいぶん違う作業だ」

 青豆は言った。「でもね、メニューにせよ男にせよ、ほかの何にせよ、私たちは自分で選んでいるような気になっているけれど、実は何も選んでいないのかもしれない。それは最初からあらかじめ決まっていることで、ただ選んでいるふりをしているだけかもしれない。自由意志なんて、ただの思い込みかもしれない。ときどきそう思うよ」

 私も歴史の本を読むのが好きです。歴史の本が教えてくれるのは、私たちは昔も今も基本的に同じだという事実です。服装や生活様式にいくらかの違いはあっても、私たちが考えることややっていることはそれほどの変わりはありません。人間というものは結局のところ、遺伝子にとってのただの乗り物であり、通り道に過ぎないのです。彼らは馬を乗り潰していくように、世代から世代へと私たちを乗り継いでいきます。そして遺伝子は何が善で何が悪かなんてことは考えません。私たちはただの手段に過ぎないわけですから。彼らが考慮するのは、何が自分たちにとっていちばん効率的かということだけです。

 たとえばこういうことです。ある年齢を過ぎると、人生というのはものを失っていく連続的な過程に過ぎなくなってしまいます。あなたの人生にとって大事なものがひとつひとつ、櫛の歯が欠けるみたいにあなたの手から滑り落ちていきます。そしてその代わりに手に入るのは、とるに足らんまがいものばっかりになっていきます。肉体的な能力、希望や夢や理想、確信や意味、あるいは愛する人々、そんなものがひとつまたひとつ、一人また一人と、あなたのもとから消えて去っていきます。別れを告げて立ち去ったり、あるいはある日ただふっと予告もなく消滅したりします。そしていったん失ってしまえば、あなたにはもう二度とそれらを取り戻すことができません。かわりのものを見つけることもままならない。こいつはなかなかつらいことです。時には身を切られるように切ないことです。川奈さん、あなたはそろそろ三十歳になる。これから少しずつ、人生のそういう黄昏れた領域に脚を踏み入れようとしておられる。それが、ああ、つまりは年をとっていくということです。その何かを失うというきつい感覚が、あなたにもだんだんわかりかけているはずだ。違いますかね?

 それと喪失感に伴う無気力感もいい。

 新聞は「起こった」ことについては積極的に取り上げるが、「続いている」ことについては比較的消極的な態度で臨むメディアである。だからそれは「今のところたいしたことは何も起こっていない」という無言のメッセージであるはずだった。


 世界は世界で勝手に進ませておけばいい。用事があったらきっと向こうから言ってくるはずだ。

 私はこれらの文章が好きだ。
 最後にもう一度読売新聞の村上さんのインタビューから気になったところを書いておく。
 ここには(ソ連崩壊後の)マルキシズムという対抗価値が生命を失い、マルキシズムに代わる座標軸としてカルト宗教やニューエイジ的なものへ関心が高まったんじゃないかと村上さんは言っている。原理主義も世の中がカオス化するにあたり、シンプルな原理主義は確実に力を増しているとも言われている。
 さらにネットの普及は匿名で無責任な意見が集中する。そこにある知識や意見はカットアンドペーストされ使い回される。何よりもスピードとわかりやすさのために。
 そんな時代だからこそ、村上さんは「物語」は力を持たなければならないと言いきる。まさしくその通りだろう。そして私はここに描かれた「物語」を堪能した。


評価
★★★★★


書誌
書名:1Q84 〈book 2(7月-9月)〉
著者:村上 春樹
ISBN:9784103534235
出版社:新潮社 (2009/05 出版)
版型:501p / 20cm / B6判
販売価:1,890円(税込)

2009年06月15日

村上春樹著『1Q84』〈book 1(4月-6月)〉

2009_06_15_01.jpg


 話題の本を読む。なんとか2冊手に入れ、この休みに十分村上ワールドを堪能した。夢中になり一日中本を手放さなかった。詳しいことは二冊目を読んでから、まとめて書くつもりである。


書誌
書名:1Q84 〈book 1(4月-6月)〉
著者:村上 春樹
ISBN:9784103534228
出版社:新潮社 (2009/05 出版)
版型:554p / 20cm / B6判
販売価:1,890円(税込)

2009年05月01日

三木義一著『給与明細は謎だらけ』

2009_05_01_01.jpg


 仕事柄給与事務もやっているから、ここに書かれていることは基本的にわかっているつもりだ。だからというわけじゃないが、どうも納得できない部分もある。たとえば通勤費の扱いである。
 所得税の方は通勤費が10万円未満は非課税扱いなのだが、社会保険料計の算出に当たっては、これを給与に含めて算出する。つまり通勤費のぶんだけ社会保険料計が上がることになる。
 そもそも通勤費とは収入なのだろうかと思うのだ。社会保険料計は標準報酬月額から算出するのだが、その標準報酬月額のもととなる報酬は、賃金、給料、俸給、手当、賞与、その他どんな名称であっても、被保険者が労務の対償として受けるものすべてを含むとあるのだ。しかし通勤費は労務の対償なのかと思うのだ。だって仕事をするために移動する費用であって、決して労務の対償ではあるまい。少なくとも所得税の方で非課税としている方が合理的である。これも社会保険庁の陰謀なんじゃないかと思っている。

 しかし私はこうした事務仕事つくまでは、給与明細の仕組みなどどうなっているのか知らなかった。どのように手当が決められ、算出され、その上で社会保険料や所得税や住民税の額がどのように決められていてのかなんてわからなかった。結局気になるのは手取りの額である。最終的にいくら手元に残るかが、すべてであった。
 多分多くの方がそんなもんじゃないかと思う。それくらいややっこしくしてあるのだ。何故かと言えばわれわれサラリーマンに文句を言わせないためなのだ。税金や社会保険料の徴収に関心を持ってもらうとお役所としては困るのだ。徴収の仕組みをわざと複雑にして、煙に巻いているのだ。しかも納税の義務を本来個人にあるものを会社にさせる。税務署や社会保険事務所の仕事を会社の経理にさせること自体、職務怠慢だ。それに対して何も見返りがないのだ。あくまでも義務だとしてあぐらをかいているのである。
 そしてとにかく取ってしまえばいいわけで、そこには個人個人が税金や保険料を納めているという意識をなくさせれば、後はそのお金でやり放題というわけだ。
 だからこの著者はわれわれサラリーマンを“羊”と称するのである。これは読んでいて無性に腹が立った。専門家からすればわれわれサラリーマンはむしり取られるだけの“羊”に見えるのかもしれないが、どう考えても言い過ぎであろう。少なくと専門家であるなら、あるいはわれわれサラリーマンの立場に立つなら、こういう言い方はすべきじゃないだろう。これだけでこの人の品性が疑われる。減点★四つである。
 私はこうして給与事務をやるようになってから、あるいは自分で確定申告をするようになってから、税金や保険料を納めているという意識が生まれた。
 日本のサラリーマンはいつの間にか税金や保険料を納めているという意識を給与天引きというシステムで薄められてしまっている。だからそれがどのように使われているかなんて意識もほとんどない。もし個人で納税なりすれば、国民としての義務を果たしているという意識も生まれるだろうし、その使い道が気にかかるだろう。強いては日本の政治にも目を配るようになると思うのだ。そうなれば社会保険庁のいい加減さは絶対に許せないはずだ。
 逆にこうしたシステムをこのままにしておくと、本来義務を果たし者の対価として補償が受けられるという意識も希薄になり、いつの間にかお上がしてくれるんだから、もらえるものならもらわなきゃ損だという意識がだけが生まれてしまう。それが納税や保険料を納めた者の権利だということを忘れているのである。これらは意識の問題かもしれないが、結構こうしたことをきちんと自覚することは大切なんじゃないかと思うのだ。給与天引きという複雑で不明瞭な徴収はやめるべきだと思う。この著者がわれわれのことを平気で“羊”なんて言うのを許しちゃいけないと思うのだ。

 文句ばかりしょうがないので、読んでいて“なるほど”と“へ~え”と思ったことを書く。まずは“なるほど”とおもったことは、年末調整の話から。年末調整は年末の時点で判断する。従って婚姻届を出すなら年末に、離婚届を出すなら年が明けてからにしたほうがいいということ。つまり婚姻届を年末に出せば、その年はたとえば配偶者控除を受けることができるし、こぶつきであれば、扶養親族が増えることになる。逆にその年に離婚届を出せば、その年は配偶者控除や扶養親族控除が受けられなくなる。この論理から言えば子供も年末に生まれてくれた方が有り難いことになる。
 “へ~え”と思ったことは、最近派遣労働者が増えてきた理由というか促進した理由に「消費税」の存在が無視できないということ。通常派遣法が改正(改悪)されたことや、正規社員を少なくして派遣社員を使うことで人件費を抑制するために、派遣が増えた理由とよくされるが、それだけでなく消費税の問題も派遣が増えた理由だというのだ。
 どういうからくりかというと、消費税は事業者の売上に5%の税率で課税されるが、その際仕入をして負担した消費税は差し引くことができる。正社員の給与は仕入でないので、いくら社員に給与を支払っても消費税には何ら影響はない。しかし派遣会社に支払う派遣料は仕入となり、その分が会社の売上にかかる消費税から差し引くことができるというのだ。ということは、同じ人件費がかかるなら派遣社員を使用した方が会社としてはメリットがあるというものだ。しかもアホな社員よりもスキルの高い派遣社員の方が利益も効率も上がるしね。
 この手を利用して、派遣会社も自社の正社員の数を減らし、別の派遣会社を作り、そこから派遣してもらえば消費税負担が減る。しかもその新しい派遣会社は、設立して2年間は消費税納税義務がないので消費税がかからないのだ。そして2年たったら派遣社員を移動して、また別の会社を作る。そうすればまた2年間消費税がかからない。これを繰り返すというのだ。なるほどこれは脱法行為じゃない。頭のいいやつはうまいこと考えるもんだ。


評価


書誌
書名:給与明細は謎だらけ―サラリーマンのための所得税入門
著者:三木 義一
ISBN:9784334035044
出版社:光文社 (2009/04/20 出版)光文社新書
版型:248p / 18cm
販売価:798円(税込)

2009年03月30日

森まゆみ著『不思議の町 根津』

2009_03_30_01.jpg


 森さんの八根千続きで、今度は「根津」について書かれた本を読む。今回は前回よりかなり詳しくその歴史について突っ込んで書かれている。しかし私はこの地域と縁もゆかりもないし、ただこの地域に興味があるだけ人間だから、ここに書かれる歴史に深く感動できないところがある。つまり身近じゃないということが、実感として感じられないのである。その分が私にとって面白みが欠けてしまう。
 その歴史にはあまり興味がわかなかったが、ただこの地域も一昔前まではたとえば「この通りの中だけで生活できた」商店街があったことを知らされるのは、どこでも同じのようだ。

 今みたいにスーパーで食材、日用品などすべて揃ってしまうのと違い、ちょっと前までは、野菜や果物は八百屋、魚は魚屋、肉は肉屋、米は米屋、雑貨は雑貨屋みたいに、一つのものを扱っている店が一店舗して独立していた。しかしそれでいて通りでそれそれの店はつながっていた。だから通りが今で言えばスーパーの通路みたいだったわけだ。
 それぞれ専門店があって、それがうまくつながり、また買い物客ともつながりがあって、顔見知りであったところが、今とは違うのだろう。相手の顔を見えるというのは、下手に裏切る行為などできないことを意味するだろうし、長いつきあいが信頼関係を築くであろう。もちろん今のスーパーだっていい加減なことをやっていれば、手痛い目にあうことは同じであろうが、そこにはだれがそれをやっているか顔が見えない。ところがお店は明らかに店主やそこで働く人の顔が見える分、今以上にいい加減なことはできなかったのではないかと思ったりする。

 つい最近、久しぶりに昔子供の頃亡くなった母親と一緒に買い物に付いていった商店街を通った。昔あった多くのお店はなくなっているし、シャッターが下りているところがいくつもあり、ああ、ここも同じだなと感じたのだが、考えてみれば私がこの商店街に行かなくなったのと同様に多くの人がこの商店街に魅力を感じなくなったから、必然的にそうならざるを得なかったのだろう。
 しかしそれはこの商店街の人々の努力のなさを責めているのでなく、利用していた私たちがいつの間にかここにあった人とのつながりをわずらわしく感じ、またある意味融通の利かない不器用さにもわずらわしさを感じ始め、便利で、きれいで、値段が安いということだけで、大手スーパーに移っていったことが最大の原因だろうと思うのだ。
 だけどふと思うのだけれど、たとえば小学生の頃、塾の帰りに寄り道をして、肉屋さんで揚げたてのコロッケやメンチにたっぷりのソースをかけてもらったのをフウフウいいながら頬張ってたべたあの味は、絶対に今のスーパーにあるコロッケやメンチでは味わえないだろう。もちろんそこには“思い出”というスパイスもきいちゃっているから、多少大げさになってしまうのかもしれないが、でも間違いなくおいしさでは昔の肉屋さんコロッケのほうが美味しかったと思うのだ。
 だからなんなんだと言われてしまうかもしれないけれど、森さんがこの本のまえがきで「生活の細部を大事にした時代の一つ一つの物へのいとおしみ」を「近代合理主義とともに流し去ってしまったたらいのなかの水のうち、一すくいくらいは、やはりそれがなくては人間生きていけないようなのである」というのが、何となくうなずけちゃのである。それが今、私のとって一部は、子供の頃にあった商店街であり、近所の人づきあいであり、肉屋のコロッケやメンチカツのような気がするのである。そしてそんな郷愁みたいなものがこの八根千のどこかにあると噂やテレビで聞いたものだから、妙に心が動かされ、森さんの本を手に取ったのである。


評価
★★


書誌
書名:不思議の町 根津―ひっそりした都市空間
著者:森 まゆみ
ISBN:9784480032676
出版社:筑摩書房 (1997/05/22 出版)ちくま文庫
版型:303p / 15cm / A6判
販売価:756円 (税込)

2009年03月17日

森まゆみ著『谷中スケッチブック』

2009_03_17_01.jpg


 昔、本屋で配達をしていた頃、本郷当たりまで行っていたことがある。とにかく坂道が辛くて、荷台に多くの雑誌や本を積んで、立ちこぎで自転車で坂を登っていった。しかし少しずつ荷台が軽くなってくると、その坂道につけられた名前が、どこかで読んだ小説にあった坂道だったりして、坂道の由来を書いたプレートを自転車を停めて読んだことがある。それがなんか懐かしい。
 ネットで手に入れた地図を眺めていると、谷中は本郷の北に位置するようで、ここにもたくさんの坂道がある。そしてたくさんのお寺がある。この本にもたくさんのお寺が紹介されている。どうしてこんなにお寺が多いのかよくわからないけれど、お寺が多くあるということは、それほど時代の流れに流されない部分がかなり残っているのではないだろうかと思ってしまう。
 お寺には有名人のお墓が多い。この本の面白いところは、そのお墓を語ることで、歴史が語られるところである。ただ単に谷中の紹介だけではないのである。谷中の墓地にある有名人のお墓の一覧がこの本にはあるが、それを見ていても、思わず「へぇ~」と思ってしまう。

 地域雑誌「谷根千」というのがある。谷根千とは、谷中、根岸、千駄木をいい、「谷根千」とはこの地域の情報誌である。その雑誌を創刊した一人が森さんである。なお、この雑誌は今年終刊している。
 私はこの土地と何の関係もないところで生まれ育っているのだけれど、最近どういう訳か、この谷中、根岸、千駄木という場所が気にかかる。思い過ごしかもしれないけれど、ここには私が過ごした子供の頃の風景がまだ残っている感じがするのだ。
 この頃自分が子供頃の風景が懐かしく感じることがある。東京という変化の激しい土地に暮らしていると、いつの間にか昔あった風景が忽然と消えていて、そしてそれが当たり前になってしまう。そして気がついたら、あの風景はどこへ行っちゃったんだろうと懐かしくなる年代となってしまったからだろうか?
 とにかく再開発だなんていって、新しい背の高いビルがどんどん建って、ショッピングモールみたいなところがもてはやされるけれど、どうも私はそんなところへ行ってみたいという気が起こらない。行ってみてもただきらきらしているだけで、ちっとも落ち着かない。むしろうるさく感じてしまう。こんなところに来て何が楽しんだろうと思ってしまう。
 そんな気分になっているとき、噂で谷中、根岸、千駄木にはまだそんな一昔前の風景が残っていると聞いた。だから森さんの本を手にした。ちょっと郷愁に浸りたかったのかもしれない。
 でもこうして自分が暮らしている土地の昔をたどれるというのは何かいいなぁと思うし、昔をたどれる歴史がそこにあることがうらやましくもある。歴史も伝統もない根なし草みたいな生活をしていると余計にそう思う。だからせめて自分の子供頃の原風景に懐かしさを求めてしまうのかもしれない。ちょっと前までは鬱陶しかった人とのふれあいが妙に懐かしく思うのだ。
 結局私は新しいものについていくことに疲れてきたのかもしれないなと思うことがある。いや新しいものについていけなくなりつつある自分を自覚してきているんじゃないかと思う。それは歳をとったことの証拠かもしれないけれど、それは仕方がない。

 いずれにせよ、そのうちかみさんと一緒にネットで手に入れた地図を頼りにここ谷根千をぶらりと歩いてみてもいいかなと思った。

評価
★★


書誌
書名:谷中スケッチブック―心やさしい都市空間
著者:森 まゆみ
ISBN:9784480028556
出版社:筑摩書房 (1994/03/24 出版)ちくま文庫
版型:297,8p / 15cm / A6判
販売価:693円 (税込)

2009年02月10日

村上春樹著『雨天炎天』

2009_02_10_01.jpg


 ここのところトルコという国に興味を持ってしまい、自分の本棚にトルコに関する本がないかなと眺めていたら、この本を見つけた。自分では読んだ気になっていたのだが、どうやら読んでいなかったことに気がつく。
 この本は二冊セットになっていて、一冊がギリシアのアトス山周辺の紀行文になっていて、もう一冊がトルコの紀行文となっている。文章は村上さんが書かれ、モノクロの写真がいかにも荒涼たる風景を表現しているけれど、できればカラー写真の方がリアリティーがあって良かったじゃないかと思った。
 一冊目は「GREECE アトス-神様のリアル・ワールド」となっているが、私はギリシアにこんな土地があることさえ知らなかったし、ましてここがギリシア正教会の聖地だとさえ知らなかった。アトス山があるこの地にはいくつもの修道院がある。自然の厳しい土地の上に、女人禁制の地だから華々しさがない。恐ろしくプリミティブのようである。しかもギリシア正教会の聖地だからか、修道院にある迫害され殉教した聖人の絵画は、西側のようなオブラートに包んだものでなく、その迫害の残酷さが極めてリアルな感じで描かれているという。修道院に対する援助もほとんど途絶えているようで、補修ができないようで、荒れたままか、手入れが追いつかない状態のものもあるようだ。でも村上さんは「でもしんと静まりかえった修道院の庭を夕暮れにひとりで散歩していると、その素朴な光景がどことなく心にしみる。その単純さと、手入れの悪さが風景と馴染んでいて、とても自然に感じられるのである。西欧の寺院のこれみよがしな隙のない壮麗さには正直言って時々辟易させられるが、ここにはそれがない」という。
 さらに村上さんは「僕は宗教全般についてそれほど多くの知識を持つ人間ではない。でも個人的な感想を述べるなら、ギリシア正教という宗教にはどことなくセオリーを越えた東方的な凄味が感じられる場合があるような気がする。とくに夜中の礼拝を階段の隅からそっと覗き見ているような場合には。そこにはたしかに、僕らの理性では捌ききれない力学が存在しているように感じられる。ヨーロッパと小アジアが歴史の根本で折れ合ったような、根源的なダイナミズム。それは形而上的な世界観というよりは、もっと神秘的な土俗的な肉体性を備えているように感じられる。もっとつっこんで言えば、キリストという謎に満ちた人間の小アジア的不気味さをもっともダイレクトに受け継いでいるのがギリシア正教ではないかとさえ思う」とこのギリシア正教会の聖地に来てみて、ここにある根っこの部分で、ギリシア正教の姿を感じ取られている。
 私ももちろん詳しいことはわからないけれど、今までギリシア正教というのはどこか泥臭い部分を感じていた。カトリックのような洗練さもないし、論理的ロジックに固まった思想もないように感じている。そこにあるのは人間が絶対的な神を信じるという一点につきるような気がする。その厳しさや土俗性は小アジアの気候や風俗などがもろ反映しているのかもしれないけれど、しかしそれは人間が神を信じるという原始的で単純な形をそのままの残しているのではないかと思うのだ。“信じる”というのは本当はもっとシンプルなものだと思ったりもする。
 村上さんは旅を終えて次のように言う。「そこで暮らしていた人々や、そこでみたふうけいはや、そこで食べたもののことがものすごくリアルに目に浮かんでくるのである。そこでは人々は貧しいなりに、静かで濃密な確信を持って生きていた。そこでの食べ物はシンプルだけれど、いきいきとした実感のある味をたたえていた。猫でさえ黴つきパンを美味しそうに食べていた」と。

 2冊目は「TURKEY チャイと兵隊と羊-21日間トルコ一周」である。この本は「トルコは兵隊の多い国である」といって始まる。トルコはとにかくホットな国で、地図を見ていてもギリシア、イラン、イラク、シリアと今一番熱い国と接しているから当然と言えば当然である。多くの人種を抱え、下手をすれば人種問題で紛争が起こりかねないところだから余計である。私たち日本みたいな国とは地理的条件がまったく違う。
 そんな国をパジェロに乗ってトルコを一周する。何度も兵隊や警官の検問に捕まりながら、トルコという国を巡る。先の渋沢さんが感じたトルコの人々の“病的なほどの”親切さや人懐っこしさ、あるいは貧困なども描かれる。
 それにしても同じ国を旅しても、旅をする人によって、その国の様相が違うように感じられるのはおもしろかった。何が言いたいかと言うと、渋沢さんみたいな何でも受け入れ、ポジティブに物事が考えられる人にとって、ありのままの姿を映しているトルコという国は素朴でいい国みたいな、とにかくトルコという国を全部肯定的にとらえる。
 しかし村上さんの場合、村上春樹流の小市民的で神経質な感覚からすると、“どうなんだろう?”という疑問符付きの国になってしまう。その上で諦めというか、どうにもならないことだから、「他人の国の他人の町の話」だということになっちゃうところが妙におかしかった。一つの国を違う人が旅した本を続けて読んだことがなかったものだから、余計にそんなことを感じてしまった。
 そしてどちらかといえば、もし私がトルコという国を旅したら、きっと村上さんの側に立ったイメージを持っちゃうかも知れないなと思った。


評価
★★★


書誌
書名:雨天炎天
著者:村上 春樹 松村 映三【写真】
ISBN:9784103534020
出版社:新潮社 (1990/08/28 出版)
版型:2冊セット 21×20cm
販売価:入手不可 文庫、新装版ならあり

2008年12月18日

松本健一著『司馬遼太郎が発見した日本』

2008_12_18_01.jpg


 この本は松本さんが「週刊『街道をゆく』」の巻頭に載せたそれぞれの街道の解説を一冊にまとめたものである。だから私は少なくても読んでいることになる。が、読んでいて、こんなにつまらなかったけ?と正直思った。「週刊『街道をゆく』」を読んでいた頃は、結構松本さんの解説がためになっていたし、実際司馬さんの『街道をゆく』を読んでいたときは、かなり参考にさせてもらった記憶がある。しかしこうして一冊にまとまってしまうと、大したことは言っていないなと感じてしまった。
 ただおもしろいと思ったことが一つある。三島由紀夫事件と『街道をゆく』の関係である。たぶんこれは松本さんの仮説なんだろうけど、仮説としてはおもしろいと思った。
 1970年11月25日に三島由紀夫は「盾の会」のメンバーと自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入し、「天皇陛下万歳!」と叫んで割腹自殺した事件がいわゆる三島由紀夫事件である。
 一方司馬さんのこの「街道をゆく」の連載が始まったのは1971年1月1日号からで、当然この連載の原稿は前年の11月か12月の初めではないかと松本さんは推測されている。ということは、この三島由紀夫事件が「街道をゆく」の執筆に何らかの影響を与えているのではないかというのである。
 その根拠として松本さんは三島由紀夫が自決してからすぐ「異常な三島事件に接して」という三島由紀夫を痛烈に批判した文章を書いていることをあげている。
 三島由紀夫は昭和天皇が戦後「人間宣言」をして天皇が神でなくなってしまった日本を問題視した。三島にとって気概を持った美しい日本の象徴は天皇であるべきであって、だから自分は天皇が神であることを信じ、天皇陛下万歳と叫んで死んでいくんだとした。松本さんは三島由紀夫は天皇原理主義だったというのである。
 それを司馬さんは「私が考えている日本とは違う」ということを批判文章で言い表したというのである。司馬さんは思想に淫してはいけないし、あるいは思想のために死ぬことはあってはならない。たとえ仮にその思想が一時支持されても、所詮一種の「狂気」でしか支えられないものだというのである。
 司馬さんは三島由紀夫の思想を「美」に置き換えた方がわかりやすいとし、三島が求める「美」が戦後日本にはなくなってしまったから、自衛隊員にその絶対的な価値(天皇)の復権を促した。
 司馬さんが求める日本とは、三島が言う天皇が神である社会でもないし、高度成長期の「豊かな社会」でもない。松本さんは司馬さんは「日本人が長い歴史をかけて歩いてつくってきた『道』や『土(くに)』に、そうしたモノ(づくりの文化)に詩を、いや『美しい日本』を見出しているのである」という。
 つまりある意味この『街道をゆく』は三島が求める日本の美に対してのアンチテーゼであったのではないかというのである。そしてそれがこの『街道をゆく』の執筆の動機の一つであったのではないかというのである。

 あるいは三島由紀夫事件とこの『街道をゆく』の執筆時期が重なっていることを考えれば、そんなことも言えるかもしれない。けれどたとえそうであっても、この『街道をゆく』は高度成長期社会に作り上げてきたモノとは違い、本来日本あった、日本を日本たらしめている「不合理」的な「文化」を求め、それが高度成長という名の下に壊されつつあるから、こうした失いつつある原郷を求めて出た旅ではないかというのがしっくり来るような気がする。
 もちろん司馬さんが経験した戦争が、三島が求める天皇を神とした戦前の思想や政治体制を批判することをこのシリーズでも忘れてはいない。ということは結果として三島の思想を批判していることにもなるのだろう。何となくそう考えた方がいいような気がするのだがどうであろうか?


評価
★★


書誌
書名:司馬遼太郎が発見した日本―『街道をゆく』を読み解く
著者:松本 健一
ISBN:9784022502315
出版社:朝日新聞社 (2006/10/30 出版)
版型:232p / 19cm / B6判
販売価:1,365 円(税込)

2008年11月25日

松田哲夫著『「本」に恋して』

2008_11_25_01.jpg


 この本は著者の松田さんが“本”はいかに作られ(装幀され)るのか。そしてその本の“紙”はどのように漉かれて、本のページとなるのか。さらに本の文字を印刷するインクはどのように作られるのか。それぞれ受け持つ業者を訪ねる歩いたルポである。
 しかし今は、そのほとんどが機械化され、オートメーション化されて、中で何をしているのかわ