2008年10月04日

三浦しをん著『三四郎はそれから門を出た』

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 この本というか、この書名は朝日新聞で見て気になっていた。面白い題名をつけるもんだなと思っていたのである。もちろんこれはすべて夏目漱石の小説である。三浦さんによれば、遠い昔文学史の授業で夏目漱石の代表作を語呂合わせで覚えるために使ったものだそうだ。ちなみにこれは漱石前期三部作といわれる。後期三部作は『彼岸過迄』『行人』『こゝろ』となる。
 さて、この本は今まで三浦さんがいろいろなところで書いてきたエッセイを一冊の本にまとめたもので、朝日新聞に掲載されたこのエッセイも含まれ、そのまま本の書名となった。主に三浦さんの書評といっていいだろう。
 ただ三浦さんの読まれる本は私が読む本と系統がかなり違うので、私としてはいろいろな本があるんだなというぐらいで、いくつかは除いて今後ほとんど読まない本だろうなと思う。ただ、ちょっと気になる本はいくつかあったので、さっそくメモして、後日読んでみようかと思っている。
 でもそれぞれの本の内容は別として、その内容について三浦さんが語る語り口は最高に面白い。
 基本は自分がしている“ゆる~い生活”を棚に上げて、その分ポジティブシンキングになり、過激なつっこみをいれる。それが大いに笑えるのである。ときに、この人本当に女性なのかなと思うくらい、男性的な過激さでものを言っている。出演者たちが楽しんじゃっていて、視聴者を置いてきぼりにしている最近のバラエティーよりはるかに面白かった。久々に笑わせてくれたという感じだ。
 たとえば、穂村弘さんの『本当はちがうんだ日記』を題材にして次のように語る。

 読んでいて、なんだか他人事とは思えない。たとえば私は、見知らぬ男女が親しく言葉を交わして飲み食いするという「合コン」なるものを心から憎んでいるが、そのくせ自分で出会いを演出する技にも気力にも努力にも欠け、現在使用中の化粧水は、タンスの奥に眠っていた試供品だ。
 問題は「過剰な自意識」だ。自意識が邪魔をして、「私も仲間に入れてほしい」と率直に表明することができない。楽しそうな人々をモジモジと遠巻きに眺めるのもである。
 こういう心性を、一言で表す言葉がある。「思春期」だ。この欄をお読みの中高生は、思春期まっただなかで、さぞかし生きにくい日々を送っていることだろう。しかし、いずれは思春期も終わり、楽しい青春が待ち受けているはず、と希望を抱いていると思う。残念ながら、その希望は捨てた方がいい。恐るべきことに、思春期は一生つづくものだからだ。
 その、つらくもあり情けなくもある真実が、笑いと鋭さに満ちたエピソードとなって、『本当はちがうんだ日記』に克明に記されている。

 この「三四郎はそれから門を出た」は中高生のための本の紹介ということになっているから、その年代の合わせてこのようにいっているのだ。他にも、次にようにある。

 え、もしかしてもう夏休み?いいなあ。海、山、恋、冒険と休み中の予定が目白押しかしら?いや案外夏期講習の予定だったりして。ははは、ざまあみろ(と、夏休み自体がないくせに喧嘩を売ってみた)

 気になる文章がある。

 本を売る店で働いていると(三浦さんはアルバイトして古本屋さんで働いていたらしい)、気がつくことがある。新刊、古本問わず、とにかく「本」というものを求めて集う人間は、総じてキャラクターが濃いのだ。お客さんも店員も、浮世離れしていたり、逆に欲望におもむくままに行動しすぎていたりで、見ていて飽きない。

 そうかなぁ、私も以前書店員であったからキャラが濃かったのかなぁ。そして今はどうだろう・・・・?確かに本好きにはどこか世間離れしていて、胡散臭い部分もあるので、個性的なキャラクターの人が集まる可能性は充分ある。そして本好きが本屋に勤めるというパターンが多いだろうから、買う方も売る方も似たようなキャラクターになる可能性も充分ある。まぁそれもそれで面白いと思うのだが、最近の大書店では女性には制服、男性にはネクタイを強制して、個性的なキャラを無臭化しようとしている。その結果書店員もその辺のOLやビジネスマンと何ら変わらないようになっちゃって、機械的で面白くない。検索機械の扱いは詳しいけど、本のことをまるで知らない馬鹿書店員が増えている。
 一方読む側もおかしな(あるいはつまらない)人間が増えているような気がする。三浦さんは次のように憤る。

 「趣味は読書」と、てらいなく履歴書に記入できる人々がうらやましくてならない。いや率直に言って、うらやましさが高じて憎しみすら覚える。
 「私、けっこう本読むんだ-。『冷静と情熱のあいだ』はすっごくよかったよ」なんて言う、おまえらなんてみんな死ね。合コン中の男女を横目に、居酒屋で一人、苦しい思いでビールを飲んだことが何度あっただろう。私にとっちゃあ、読書はもはや「趣味」なんて次元で語れるもんじゃないんだ。持てる時間と金の大半を注ぎ込んで挑む、「おまえ(本)と俺との愛の真剣勝負」なんだよ!

あるいは、

 私は読書を通してお役立ち知識を仕入れたいわけではなく、励ましを期待したためしはなく、癒されたくもなく、自己を肯定してもらいたくもないんじゃ!だいたいそんな甘えた精神で本を読んで、はたして楽しいのか?

 私は三浦さんのこの意見には大賛成で、趣味を「読書」と平気で言えたり、履歴書に書ける神経はちょっと私にも理解しかねる部分がある。あるいは最初から打算的に知識を得ることを期待したり、癒しを求めたりするのはどうかと思う。そんなもの読んでみなきゃわからないだろう。

 さて、ここに収録されている三浦さんのエッセイは本のことだけではない。旅、食事、映画、美容など女性らしい文章もあるのだが、やっぱり三浦節が出てしまう。「『大江戸温泉物語』へ行く」では、

 さっそく大きな風呂場に向かう。光差す真っ昼間の広大な風呂場には、大勢の裸の女性(老いも若きも)が集まっていた。あんまり裸体の数が多いから「風呂に入る」という日常的な行為も、なんだか非日常的な行為に変わる。私は湯船につかりながら、「なんかこう・・・・アウシュビッツのガス室を連想させる不吉さがあるんだよな」と思った。無数の裸体の、無防備さゆえの迫力に圧倒されたのだ。

 ここを読んだとき、飲んでいたアイスコーヒーを噴き出してしまった。何となく想像できちゃうからおかしかった。


評価
★★★★


書誌
書名:三四郎はそれから門を出た
著者:三浦 しをん
ISBN:9784591093566
出版社:ポプラ社 (2006/07/25 出版)
版型:305p / 19cm / B6判
販売価:1,680円 (税込)

2008年07月31日

村上春樹著『走ることについて語るときに僕の語ること』

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 久しぶり村上春樹さんの本を読む。私は以前せっせと村上さん本を読んでいたのだが、どういう訳かいつの間にか敬遠し始めるようになった。別に嫌いになった訳じゃないのだが、何となく読みたいという気分になれずにいたのだ。でも、自分の本棚を眺めているうちに読んでみようかなという気分になり、まずこの本を手にした。

 私は村上さんの“個人主義”を貫く生き方が好きである。“個人主義”というと語弊があるかもしれない。何と言っていいのかうまい言葉が見つからないが、あえて言えば、自分のやりたいことのためには、余計な雑用を極力避けて、それに専念する生き方とでも言えばいいのだろうか。
 この本は村上さんが走ることが自分の性に合っていることから、それをやり続け、そこから学んだ生き方を語る。そして専業作家になってから、走ることをはじめ、50代になって身体の衰えを感じ、老いについても考える。
 まずは何故村上さんは走るのか?「村上さんみたいに毎日、健康的な生活を送っていたら、そのうちに小説が書けなくなるんじゃありませんか?」とよく言われるらしい。村上さんは、そもそもそんな質問は、小説を書く行為が不健康な行為であって、作家たるものは公序良俗から遠く離れ、できるだけ健全ならざる生活をすることで、作家は俗世と訣別し、芸術的価値を持つ純粋な何かに近接することができるといった通念から発せられたものだろうと認識する。その上で、「要するに芸術行為とは、そもそもの成り立ちからして、不健全な、反社会的要素を内包したものなのだ。僕はそれを進んで認める。だからこそ作家(芸術家)の中には、実生活そのもののレベルから退廃的になり、あるいは反社会的な衣裳をまとう人々が少なくない。それも理解できる。というか、そのような姿勢を決して否定するものではない。
 しかし僕は思うのだが、息長く職業的に小説を書き続けていこうと望むなら、我々はそのような危険な(ある場合には命取りにもなる)体内の毒素に対抗できる、自前の免疫システムを作り上げなければならない。そうすることによって、我々はより強い毒素を正しく効率よく処理できるようになる。言い換えれば、よりパワフルな物語を立ち上げられるようになる。そしてこの自己免疫システムを作り上げ、長期にわたって維持していくには、生半可ではないエネルギーが必要になる。どこかにそのエネルギーを求めなければならない。そして我々自身の基礎体力のほかに、そのエネルギーを求めるべき場所が存在するだろうか?」と言う。だから走るのだと言う。
 その上で「僕自身について語るなら、僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走ることから学んできた。自然に、フィジカルに、そして実務的に。どの程度、どこまで自分を厳しく追い込んでいけばいいのか?どれくらいの休養が正当であって、どこからが休みすぎになるのか?どこまでが妥当な一貫性であって、どこからが偏狭さになるのか?どれくらい外部の風景を意識しなくてはならず、どれくらい内部に深く集中すればいいのか?どれくらい自分の能力を確信し、どれくらい自分を疑えばいいのか?もし僕が小説家となったときに、思い立って長距離を走り始めなかったとしたら、僕の書いている作品は、今あるものとは少なからず違ったものになっていたのではないかという気がする」と言う。
 走ることと、小説家であることが、村上さんの中では何の矛盾なもなく、同一のレベルで併存しているのだ。でも走ることに確固たる結果を求めていない。走ること、あるいは走る過程に意味があるとする。村上さんはフル・マラソンやトライアスロンの苦しさをあえて求めるからこそ、自分が生きているというたしかな実感を、少なくともその一端をその過程に見いだすことができ、生きることのクオリティーを、成績や数字や順位といった固定的なものではなく、行為そのものの中に流動的に内包されているのだという認識に(うまくいけばということだが)たどり着くことができると言うのだ。
 これがこの本の結論である。そこには華々しい結果が待っているわけではない。村上さんが言うように『ロッキーのテーマ』はどこからも聞こえてこない。向かっていくべき夕日もどこにも見えない。けれど自分が好きで走るという行為そのものに生きる価値を見いだしているように思える。
 ところで村上さんがこうだから、だから走ることを他に勧めるかといえば、そんなことはしない。これはあくまでも村上さんのやり方なのだ。村上さんは次のように言う。「しかし人には向き不向きがある。フル・マラソンに向いている人もいれば、ゴルフに向いている人もいれば、賭けごとに向いている人もいる」と。
 ここから話は学校教育あり方や、自分の学生時代の話に及んでいく。「学校の体育の時間に、生徒全員に長距離を走らせている光景を目にするたびに、僕はいつも「気の毒になあ」と同情してしまう。走ろうという意欲がない人間に、あるいは体質的に向いていない人間に、頭ごなし長距離を走らせるのは意味のない拷問だ。無駄な犠牲者が出ないうちに、中学生や高校生に画一的に長距離を走らせるのはやめた方がいいですよと忠告したいんだけど、まあ、そんなことを僕ごときが言っても、きっと誰も耳を貸してはくれまい。学校とはそういうところだ。学校で僕らが学ぶもっとも重要なことは、『もっとも重要なことは学校では学べない』という真理である」と。
 これには異論はないわけでもないが、一つの真理はついている。村上さんは「小学校から大学にいたるまで、ごく一部を例外として、学校で強制的にやらされた勉強に、おおよそ興味が持てなかった。これはやらなくてはならないことだからと自分に言い聞かせて、ある程度のことはやってなんとか大学まで進んだけれど、勉学を面白いと思ったことはほとんど一度もなかった」と言い、「僕が勉強することに興味を覚えるようになったのは、所定の教育システムをなんとかやり過ごしたあと、いわゆる「社会人」になってからである。自分が興味を持つ領域のものごとを、自分のペースで、自分の好きな方法で追求していくと、知識や技術がきわめて効率よく身につくのだとわかった」と言うのだ。

 一方で長いこと走り続けていると、いつの間にか自分の身体の変化に気がつく。
「(フル・マラソンは)今回はちょっと失敗したなというときでも、3時間40分台では走れた。ほとんど練習をしなくても、体調が多少悪くても、タイムが4時間を超えるようなことはまず考えられなかった。そういう時期が安定した台地のようにしばらく続いた。ところがそのうちに雲行きがおかしくなってきた。前と同じように練習していても、3時間40分台で走ることがだんだんつらくなり、1キロ5分半のペースになり、そしてついには4時間すれすれの線に近づいてきた。これはショックだった。いったいどうしたんだろう?それが年齢的なものだとは思いたくなかった。自分が肉体的に衰えつつあるという実感は、日常生活の上ではまだまったくなかったからだ。しかしどれだけ否定しようと、無視しようと、数字は一歩また一歩と後退していった」
 このように身体の衰えは確実に村上さんの身体にも忍び寄っていく。だから「若いときならたしかに『適当にやって』いても、なんとかフル・マラソンを乗り切れたかもしれない。自分を追い込むような練習をやらなくても、これまで貯めてきた体力での貯金だけで、そこそこのタイムは出せたかもしれない。しかし残念ながら僕はもう若くない。支払うべき代価を支払わなければ、それなりのものしか手にできない年齢にさしかかっているのだ」という考え方に至ることになる。
 そうなると残された人生の使い方にも考えが及び、「本当に若い時期を別にすれば、人生にはどうしても優先順位というものが必要になってくる。時間とエネルギーをどのように振り分けていくかという順番作りだ。ある年齢までに、そのようなシステムを自分の中にきちっりこしらえておかないと、人生は焦点を欠いた、めりはりのないものになってしまう」、自分の人生の帳尻をどうしたらうまく合わせられるかを考えるようになる。
 この気持ちよくわかるんだな。特に最近私はそんなことをよく考えるようになってきた。
 体力も精神力もある日突然(そう急にだ!)減退する。ちょっと前なら難なくできたことができなくなってくる。昔時間なんて考えたことがなかったのに、今は残りの時間をふと考えるようになってきた。あと何年かと・・・。もちろん私はまだ時間はある方だろう。けれど20年あるかどうか?このことを考えるのは結構こたえる。できる限り自分がやりたいことを優先して考えていかないといけないような気がするのだ。この本を読んで改めてそんなことを思った次第だ。


評価
★★★


書誌
書名:走ることについて語るときに僕の語ること
著者:村上 春樹
ISBN:9784163695808 (416369580X)
出版社:文藝春秋 (2007-10-15出版)
版型:241p 19cm(B6)
販売価:1,500円(税込) (本体価:1,429円)

2008年07月02日

村井重俊著『街道をついてゆく』

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 この本は司馬さんの『街道をゆく』の編集担当であった村井さんがその6年間のエピソードをつづった本である。朝日新聞土曜日の夕刊に連載されていたものに加筆されたようだ。連載時楽しみに読んでいた。この『街道をついてゆく』という題名はうまくつけたものだと感心したものだ。
 だいたい有名作家が亡くなると、その作家の担当者やゆかりの人が、当時を偲んで思い出をつづった本が何冊も出版される。この本もそうした本である。言ってみれば“偲ぶ本”(私が勝手にそう名付けている)である。
 でも、贔屓にしている作家のことが書かれたこうした本は読んでいて楽しい。私は案外この手の本は好きな方である。特に愛読した『街道をゆく』の企画から、そしてどのように司馬さん一行が街道を歩いたのか、その担当者じゃなければ知り得ないものがここには書かれていて楽しかった。それは本文ではあまり関係ないから司馬さんの文章からも感じられないから、その裏側を知ると、“へぇ~、そうだったんだ!”感心してしまうのである。いわゆる番外編『街道をゆく』である。
 司馬さんにはいつもたくさんの出版社の編集者や新聞社の記者がついて回っていて、世の中に何か事件があると、司馬さんに意見や取材を求めてくるシーンが何回か出てくる。当然村井さんも週刊朝日の記者でもあるから、同じようにしていいのに、いつも他社の編集者や記者にスクープを持って行かれてしまう。せっかく“「街道をゆく」ファミリー”の一員になっているのだから、取材しやすいはずなのに、それをしない。むしろ司馬さんの奥さんであるみどりさんが気を利かせて教えてくれるのに、それさえもわからない。後になって自分は記者失格だと後悔する。このあたりは村井さんの性格なのだろう。
 でもそういう人だから、損得勘定なしに司馬さんとお付き合いされたのではないかとも思える。たぶんそうした村井さんだから多少呆れつつも、司馬さんはこころ許したように感じられた。村井さんは「本所深川散歩」、「本郷界隈」、「オホーツク街道」、「ニューヨーク散歩」、「台湾紀行」「北のまほろば」、「三浦半島記」、未完の「濃尾参州記」を担当された。私はこれらの街道はこのシリーズではちょっと異色なところがあると感じているが、だからこそ面白かった記憶がある。この間今まで一緒に旅をされていた須田剋太さんが亡くなられたり、移動距離もかなりあったし、そして司馬さんの死も経験される訳だから、担当は大変だったのではないかと思われる。
 司馬さんにゆかりのある人が司馬さんのことを書くとき、司馬さんからいただいた手紙をよく披露してくれる。その手紙の文章を読むとき、“あたたかくていいなぁ”といつも思っていた。こういう手紙をもらったらうれしいだろうなと思うのだ。そして街道を一緒に歩いている司馬さんの言動を読むと、なるほどこういう人だからあんな手紙が書けるんだなと思った次第だ。
 手紙は司馬さんの一つのキーワードである。司馬さんが文化功労者に選ばれたときの記者会見で「私の小説はすべて二十二歳の私にあてた手紙なんです」と語ったという。二十二歳の司馬さんは陸軍の戦車部隊に所属し、終戦を迎えたのである。作家になって「どうしてこんな馬鹿な戦いをしたのか、日本はそんなつまらない国だったのかと絶望した二十二歳の自分に対し、日本にもこんな歴史があって、こんな男たちがいたということを伝えたかった。でももう、その義務は果たしましたね」とも語ったという。村井さんはその記者会見の席にいたそうで、寂しいことを言う人だなと思ったという。
 そして「二十一世紀を生きる君たちへ」という文章にふれる。そこには「私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、二十一世紀というものを見ることができないにちがいない」と書かれている。村井さんはこの部分が好きではなかったという。私もこの本を読んだとき、えらいことを言う人だなと感じた。確かに司馬さんは二十一世紀を見ずに亡くなられたが、そうした覚悟というか、諦めは、悲壮なものがある。未来を見たくても見られない。自分には時間がない。そうしたことを切々と感じる歳になったとき、自分はどう考えるだろうかと思ったものである。
 話が横にそれた。この「街道をゆく」の裏話を読むと、このシリーズは司馬さんの下調べや興味に寄るところが大きいけれど、ただ司馬さんだけでできあがったものではなかったのだなと感じた。何人もの裏方がいたからこのシリーズはできあがったのだ。だから佐野眞一さんが『街道をゆく』を自らの足で歩かず、車に乗って、何人もお伴を引き連れた「大名旅行」だったと批判した文章を思い出し、更に腹がたってきた。いくら宮本常一を語りたいからといって、この言葉はないと思う。そもそも性質が違うものを比較するからこうした暴言を吐くのだろう。佐野さんは村井さんの本を読むべきである。


評価
★★★


書誌
書名:街道をついてゆく―司馬遼太郎番の6年間
著者:村井 重俊
ISBN:9784022504432 (4022504439)
出版社:朝日新聞出版 (2008-06-30出版)
版型:299p 19cm(B6)
販売価:1,470円(税込) (本体価:1,400円)

2008年05月26日

メンタルケア協会編『人の話を「聴く」技術』

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 今度は精神対話士の話である。もちろん精神対話士という職業名を聞いたのは今回初めてである。「精神対話士という資格制度は、1993年慶應義塾大学医学部出身の医師たちが中心になって立ち上げられました。医療行為、精神療法を用いることなく、あくまでも対等な立場で、会話(対話)を通して人の心のケアを行うメンタルケアのスペシャリストです」とこの本のはじめに書かれている。まぁ、いろいろな職業があるもんである。
 とにかくワンクール八十分徹底して、それこそ「身を差しだして」クライアント(ここでもクライアントである)の話を聞き、受け止め、対話することことだけである。そうすることで、人を苦しみから救いだし、心を癒すことをする。
 この本はそうした精神対話士がクライアントとどうのように接し、対話をするかを語ることで、普段人との会話にもそれを応用し、人間関係がスムースに運ぶテクニックを披露している。
 確かに異論があっても、説教したくても、それをせずに徹底して話を聞いてくれれば、話す相手は気分が良くはなるだろう。その上で口が滑るじゃないが、多くを語らせることによって、ことの本質が見えてくることも、言われればわからない訳じゃない。だけどそれはかなり難しいと思うし、少なくと私にはできない。たとえば外は雨が降っていても、相手が「今日はいい天気ですね」と言ったら、聞く相手は「そうですね。優しい雨が降っていますね」と言うべきだという。これは私にはできない。どこがいい天気じゃ!雨が降っているじゃないかと絶対に言ってしまう。まして気を利かせて優しい雨が降っていますねなんて言えるわけがない。だから私は精神対話士にはなれない。
 しかしクライアントは自分の話をとことん聞いてくれると、安心し、信頼し、話していくうちに問題の本質に自分で気づき、心の平安を取り戻していく。
 何かに苦しんで悩んでいる人は、そういう人がいてくれるだけでかなり気分が違うのだろう。だけど日常会話でこれを実践された場合、これは話を聞き出すテクニックであり、そこには当然何らかの下心が潜んでいるのではないかと思ってしまいそうである。だからおいおい何考えてんだ?と言ってしまいそうである。何か目的かあるんだろうと疑ってかかってしまいそうだ。
 もともと私は人と話すのが苦手である。できれば相談なんてもってきて欲しくないさえ思っている。だって正直自分が生きるだけで精一杯なのだから、人の話を聞いてやる余裕など持ち合わせてなんかいない。だから、人と話す場合、親しい仲の人ならともかく、あまり関係の深くない人と話す場合、だいたい攻撃的である。どちらかといえば話のイニシアティブを取ろうとして、まずは自分の方から言いたいことが言えるチャンスがあれば、しゃべってしまう。だって言いまくった方が楽だもの。人の話を聞いていて、言いたいことや文句もあるのに、それが言えないなんて耐えられないな。とにかく何か一言言わないと気がすまないタイプなので余計である。ということは、会話上手というのではない。でも、少しは人の話を聞く余裕は必要だよなとは思う。特にこの本を読んでそう思った。できるかどうかわからないが、まずは聞きましょうという姿勢はこれから持つことにしたい。でもかなりストレスがたまりそう!
 しかし話をするにしても、聞くにしても、やはり教養は必要なことはこれまでの三冊の本を読んで思った。それは自分の専門分野だけでなく、広い視野で物事を考えられるものが、話の内容を更に濃くするような気がする。臨床心理士にしても、精神対話士にしても技術としての内容だけでなく、広く知識を身につけないとやっていけない職業のようで、なかなか大変な職業のようだ。

 以上三冊は私としては毛色の変わった本を読んでみた。実はこの三冊は息子が大学でレポート提出のために読むべき本であったようだ。息子はレポートを提出したのだろう。もう用なしの感じで放り出してあったこれらの本を見て何となく読んでみたくなったのだ。読んでみて専門的な本ではなく、入門書的要素の強い本なので、まずは手始めにという感じで指定された本なのだろう。まぁ息子が今どんなことを大学でやっているのか、その一端でも知れればなんて思って読んでみた。今度息子とこれらの本の話でもしてみたいと思っている。


評価
★★


書誌
書名:対話で心をケアするスペシャリスト“精神対話士”の人の話を「聴く」技術
著者:メンタルケア協会【編著】
ISBN:9784796654531 (4796654534)
出版社:宝島社 (2006-10-05出版)
版型:189p 19cm(B6)
販売価:1,500円(税込) (本体価:1,429円)

2008年04月29日

宮本映子著『ミラノ 朝のバールで』

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 バールとは日本でいえば喫茶店のようなものなのだろうか?ただ、この本を読んでいると、単に喫茶店というだけのものじゃないことがわかる。イタリアの人たちにとって日常生活には欠かせない存在のようだ。宮本さんも一日の始まりをイタリア人の旦那さんとバールで始める。「イタリア人ならば誰でも、行きつけのバールというものをもっているはずである。そこに彼らは、一日に、二、三回通うこともある。
 行きつけのバールの決め手は、なんといってもエスプレッソがおいしいこと、家や職場から適度な距離にあること、バールマンの感じがいいことなども理由に挙げられる。(略)
 バールには一日何百人もの人が足を運び、その行為を繰り返す。
 一日のスタートをきる、仕事の合間に一息つく、週末の予定を立てる、お目当ての女性を誘う、サッカーの試合結果の予想を練るなど、バールはその要望に応じて姿を変えてくれる。
 もし仮に、イタリア中の町や村からバールを取り除いてしまったら、一体どんなことになるのだろう。彼らはきっと、大袈裟な身振りをして、まるで空気がなくなってしまったかのような表情になるに違いない。バールは彼らにとって空気の如きもの」という。

 宮本さんが十歳のときお姉さんから一冊の写真集が贈られた。その写真集はイタリアの風景、子供たち、猫の写真集で、その色彩が宮本さんを魅了した。以来その写真を撮った写真家と手紙のやりとりが始まる。写真家からの手紙はイタリアからの手紙が多く、そこに語られるイタリアはいつも人が人として生きていられる、実に人間くさい土地として宮本さんには感じられ、ますますイタリアに夢中にさせられていく。
 家庭の事情で大学をやめ、就職をしたが、ある時雑誌に「イタリアにウェイトレス募集」という求人広告見て、心を大きく揺さぶられ、二十四歳ときイタリアに渡る。
 ミラノの日本料理店で働いていたとき、カメリエレ(給仕人)のアントニオ・シネージさんと出会い、結婚する。宮本さんはシネージさんの両親と五人の姉妹と暮らし、一男一女をもうける。
 現在はシネージさんの経営するレストランを手伝いながら、イタリアで暮らしている。このエッセイはそのイタリアでの二十二年間生活をつづったものである。
 ここで描かれるイタリアでの生活は、日本では見られない熱い人間関係が読んでいるうちに懐かしくもあり、うらやましくも感じることができる。もちろん宮本さん自身そうした人との関係にうんざりしてしまうところもあるけれど、いつの間にかそうした人間関係を肯定していくあたりは、根はイタリアを愛しているんだなあと感じさせてくれる。
 宮本さんは確かにイタリアで生活はしているが、自分が日本人であることで、どこか距離を置いてながめてイタリアでの生活を語る。ただしそれは文明批評のようなさめた目で見るのではなく、あくまでもイタリアのいいも、悪いもすべて受け入れなが語りかけてくれる。だからここにつづられる文章はやさしく、あたたかい。読んでいる方も、あきれる一方、どこか“いいな”と思わせてくれる。なんでもそうだと思うのだけれど、最初から疑いの目や否定的な目で物事を見てしまうと、あら探しだけが際だってしまい、とげとげしくなる。
 宮本さんのこの文章を読んでいると、住んでいる国は違うけれど、人の接し方、生き方はどこでも同じだと言っているようである。そういうやさしさのある文章には時にはきらりと光る言葉が出てくる。

「こんな義父にめぐり合えることも、私の人生という書物の中に、以前からすでに書き込まれていたような気さえしてくるのだ」

「人間とは、ほんの些細な事にも腹を立てたり、くよくよしたり、喜んだり、希望に満ちたりしながら、日々を送るおかしな動物だ。それを大空から眺めると、我々の人生における凸凹なんて実は大したものではなく、大らかな曲線であるに違いない」

「しかし、私は絶対的な強さで信じるものがあることの幸福を思う。膨大な時の流れのなかで、ほんのわずかな一生という時の一片を公平に与えられて、コツコツと生涯を送る人間たち。めまぐるしい日々の合間に、それでもふと立ち止まることがある。誰でもそんな時が訪れる。その瞬間、人間は広大な宇宙のなかで限りなくひとりだ。信じるものとは、そんな時のためだけにあるのだと思う」

 それにしてもここで語られる会話の楽しそうなこと。そしてバールでのエスプレッソやパスタをはじめとする家庭料理は本当に美味しそうである。
 それにこの本の装丁もいい。宮本さんの一生を決定づけた写真家の写真が使われている。窓から光が差し込み、猫が二匹語り合っているかのような写真である。いかにもこの本がそうしたやさしいイメージの本であることを予感させてくれる装丁である。


評価
★★★★


書誌
書名:ミラノ 朝のバールで
著者:宮本 映子
ISBN:9784163699400 (4163699406)
出版社:文藝春秋 (2008-02-15出版)
版型:254p 19cm(B6)
販売価:1,450円(税込) (本体価:1,381円)

2008年02月13日

松谷健二著『カルタゴ興亡史』と長谷川博隆著『ハンニバル』

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 “カルタゴ”に興味を持った。
 古代地中海世界に通商国家として栄えたにもかかわらず、自分たちで自分たちのことを一切残さず、あの古代ローマ帝国を一時は恐怖におとしめたにもかかわらず、かえってそのことがローマに完全に抹殺される理由になった国、ローマを一生恨み続けた男、ハンニバル・・・。ちょっと面白くありませんか?で、入門書みたいなものを探していたら、この二冊がいいかなということで、アマゾンで注文し、読んでみたわけである。
 『カルタゴ興亡史』はいわゆるカルタゴの通史であり、もう一冊の『ハンニバル』はカルタゴといえばハンニバルというわけで、ハンニバルにスポット当てて、彼が歩んだ歴史をつづっている。
 今回はこの二冊をまとめて書いてみたい。
 といっても、カルタゴっ何って言われそうな感じがするし、何で今頃カルタゴなのと言われそうな気がする。事の発端は、先に読んだ阿刀田高志さん『海の挽歌』の影響による。あの本を読んで、もう少しカルタゴのことを知りたいと思ったのだ。それでこの二冊を読んでいて愕然としたのは、私の中でいわゆるヘレニズム文化が抜け落ちていることであった。たとえば地中海の地図である。私の中でローマのあるイタリア半島からいきなり小アジアになってしまい、そこから北アフリカと続く世界になっていたのである。つまり、ギリシア、マケドニア地域がなかったのである。今回この本にある地図を眺めていて、またカルタゴという国の歴史を知るにあたり、改めて、認識をした次第である。

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 さてそのカルタゴの歴史である。カルタゴは今のチュニジアに位置し、いわゆるフェニキア人の植民地であった。チュニス市街から北東約二十キロあたりがフェニキア語で“新しい町”を意味する旧カルタゴで、今はカルタゴ本来の遺跡はない。すべてローマによって破壊され、自然の地形である商港と軍港の跡がわかるだけであるという。『カルタゴ興亡史』の著者はかつてカルタゴがあった土地に立って、「その遺跡がないという事実にはなにか鬼気せまるものがある」という。
 フェニキア人は元々は今のレバノンあたりに住んでいた民族であり、場所柄、エジプトと小アジア、メソポタミアから地中海に至る終点に当たるため、交易が盛んな地域であった。特にレバノン杉はエジプトに持って行けば高く売れた。そしてカルタゴの富を作ったのは、前四世紀半ばから東方への穀物その他食糧の輸出が増えた結果だろうとされる。中心都市はチェロスである。
 カルタゴの建国伝説が面白い。チェロスの王ピュグマリオンの妹エリッサは大司祭で大富豪で、叔父であるアケルバスを夫としていた。しかしピュグマリオンはアケルバスの勢いと、財宝に目がくらみ彼を殺してしまった。怒ったエリッサは船を仕立て、財宝を積んで亡命する。長い後悔の末たどり着いたのがアフリカに一角で、伝説では原住民に一枚の牛の皮を示し、これが覆うだけの土地を譲って欲しいと頼む。原住民はそれくらいならおやすい御用と承知するが、エリッサは皮を細く切り刻み帯として広大な土地を手に入れたという。
 エリッサは土地の首長に言い寄られ悩み、自殺遂げたというが、ローマの詩人ウェルギリウスはトロヤの王子でローマの建国の祖とされているアエネアスが彼女を愛人としたという。アエネアスは神の命ずるがまま、ローマに赴くが、それに絶望したエリッサは火に身を投じた。(ここではエリッサはディドーという名になっている)
 まあとにかくカルタゴは海洋国家であり、商業をメインとして成り立っていた国家であった。そのためギリシア人やローマ人に比べてカルタゴ人は非政治的であった。さらに彼らには、特別な場合を除き軍事義務がなかった(軍隊はほとんどが傭兵であった)ことが、市民としての連帯感や相互扶助意識の欠如を生んだようである。
 カルタゴで最も崇められた神様はバール・ハモンと女神のタニトという神で、ちなみにハンニバルは「バールのお気に入り」という意味だそうだ。子供などいけにえ捧げる野蛮なところも持ち合わせていた。 地中海の地図を眺めていると、カルタゴは故郷小アジアとスペインの中間地点にあたり、ここは重要な地点であっただろうなということがわかる。そしてそのすぐ先にあるシシリー島もヨーロッパと北アフリカの中間地にあるので、ギリシアもローマもカルタゴと覇権争いせざるを得ないことがわかる。カルタゴといえばローマと戦争(ポエニ戦争)していたことばかり記憶にあるのだが、それ以前にギリシアとも長いことこのシチリアを巡り戦争をしていた。だからこの『カルタゴ興亡史』の前半はギリシアとの争いにだいぶ記述がさかれている。
 そしてカルタゴといえばハンニバルとなる。しかしこの二冊の本を読んでいて、いったいハンニバルは何を考えていたんだろうと思ってしまった。確かに第一次ポエニ戦争の敗北で、海軍の使用で失敗したこと。そして大海軍と大陸軍をともに養うのは財政的に不可能なことから、思い切って伝統の海軍を捨てて、歩兵と騎兵に重点を置きイタリアへ攻め込むには陸路を取るしかない。ローマに勝つためにはその本拠地イタリアで潰すしかないという認識に基づく計画で、わざわざアルプスを越えてローマに入り込んだのはわからない訳じゃないが、どう考えても無謀としかいいようのない作戦であったと思うのだ。確かに局部戦ではいわゆる奇襲作戦が成功しているし、ハンニバルの作戦が功を奏した部分もあるけれど、短期決戦ならともかく、戦いが長期化すればするほど、ローマ領内で戦いをすれば不利になることは明らかである。しかも相手はローマである。しっかりしたバックボーンを持っている。たとえ一時ハンニバルに敗れてもすぐ体制を立て直せる力は充分持ち合わせているのである。そしてそのようになっていく。
 『ハンニバル』の著者はハンニバルは、ローマをぶちのめすことなど考えておらず、イタリアの占領すら考えていなかった。これまでの作戦は、交渉のため有利な条件を獲得するためのものであったという。ならば少しでもカルタゴのために有利になったとき、ローマと交渉にはいればよかったはずである。たとえばカンナエの戦いで快勝したときでもよかったはずである。しかしハンニバルは全くそうした交渉をローマとしていない。もっともローマもカルタゴとそう簡単に交渉に臨むとは思えないが、ただそうしたチャンスはあったはずである。それをイタリアでローマに征服された原住民たちの反旗を待っているだけじゃ、やっぱり話にならない。結局じり貧になって、カルタゴ本国がローマの攻撃にあうようになり、本国から呼び戻され、帰って行く。
 第二次ポエニ戦争もカルタゴはローマに負けた。以後ハンニバルは政治家としてカルタゴで手腕を振るう。ローマへの賠償金を支払いため、財政改革を断行していく。そんなハンニバルはローマにとって脅威であり、ローマはハンニバルを引き渡せと要求することになり、ハンニバルはカルタゴから亡命することとなる。しかしこの二冊の本を読んでいる限り、ハンニバルはローマへの復讐を忘れていない。チャンスがあればマケドニア、あるいはシリアの国々と手を組み、ローマへの復讐を企んでいく。だから私はハンニバルはカルタゴのために戦争をしたのではなく、あくまでも自分の意地でローマと戦ったんじゃないかなんて思えてしまう。
 最後は毒杯をあおり、自殺する。そのときハンニバルは「老人の死を待っていても、なかなか叶えそうもないようだな。このあたりでローマを永遠の不安から解放してやるか」といったともいう。
 ローマは第三次ポエニ戦争で、スキピオ・アエミリアヌスはカルタゴ本土に火を放した。カルタゴは粘土壁にタールをしみこませていたため可燃性が高かく、火はそのあと10日以上も消えなかったという。金銀祭具をすべて押収し、住民を奴隷として売り払う。廃墟を鋤でならし、畦に塩まき、人も住めないようにした上に、作物も出来ないようにした。


評価
★★★


書誌
書名:カルタゴ興亡史
著者:松谷 健二
ISBN:9784122040472 (4122040477)
出版社:中央公論新社 (2002-06-25出版) 中公文庫BIBLIO
版型:253p 15cm(A6)
販売価:899円(税込) (本体価:857円)


書誌
書名:ハンニバル―地中海世界の覇権をかけて
著者:長谷川 博隆
ISBN:9784061597204 (4061597205)
出版社:講談社 (2005-08-10出版) 講談社学術文庫
版型:253p 15cm(A6)
販売価:924円(税込) (本体価:880円)

2007年11月28日

正岡子規著『病牀六尺』

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 やっとこの本を読み終える。たかだか200ページにも満たない本にずいぶん時間をかけてしまった。それは内容のむずかしさからそうなったわけではなく、ただ単に私の精神的不調によるのと、文字の細かさに悩まされた結果そうなってしまった。
 ここのところ老眼がかなり進んでいるようで、一昔買った本を読むのにかなり苦労するようになった。そろそろ眼鏡を作り直さないといけないかもしれない。

 さて、この本である。まず前置きとして次のように始まる。

「病牀六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病寐が余には広過ぎるのである。僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、痲痺剤、わずかに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ、それでも生きて居ればいいたい事はいいたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限って居れど、それさえ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪にさわる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるような事が無いでもない。年が年中、しかも六年の間世間も知らずに寐て居た病人の感じはまずこんなものですと前置きして」

 子規は明治21年8月、22才の時に喀血した。結核から脊椎カリエス侵される。子規は寝たきりの自分の世界をこのように「病牀六尺」と呼び、その病牀六尺から日常の出来事や感想などを新聞「日本」に連載した。明治35年5月5日に起稿され、死の2日前まで続いた。 この病気聞いたことがあったが、かなりの痛みを伴う。子規はその苦痛に煩悶、号泣する。その苦痛中、次のように書く。

「ここに病人あり。体痛みかつ弱りて身動きほとんど出来ず。頭脳乱れやすく、目くるめきて書籍新聞など読むに由なし。まして筆を採ってものを書く事は到底出来得可くもあらず。しかして傍に看護の人無く談話の客無からんか。いかにして日を暮すべきか。いかにして日を暮すべきか」

「病床に寝て、身動きの出来る間は、あえて病気を辛しとも思わず、平気で寝転んでおったが、この頃のように、身動きが出来なくなっては、精神の煩悶を起して、ほとんど毎日気違のような苦しみをする。この苦しみを受けまいと思うて、色々に工夫して、あるいは動かぬ体を無理に動かしてみる。いよいよ煩悶する。頭がムシャムシャとなる。もはやたまらんので、こらえにこらえた袋の緒は切れて、ついに破裂する。もうこうなると駄目である。絶叫。号泣。ますます絶叫する、ますます号泣する。その苦その痛何とも形容することは出来ない。むしろ真の狂人となってしまえば楽であろうと思うけれどそれも出来ぬ。もし死ぬることが出来ればそれは何よりも望むところである、しかし死ぬることも出来ねば殺してくれるものもない。一日の苦しみは夜に入ってようよう減じわずかに眠気さした時にはその日の苦痛が終ると共にはや翌朝寝起の苦痛が思いやられる。寝起ほど苦しい時はないのである。誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか、誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか」

 子規の苦痛は看病している家人である母親や妹の律に半ば八つ当たりとも言える文章となって表れる。「我々の家では下稗も置かぬ位の事で、まして看護婦などを雇うてはない、そこで家族の者が看病すると言っても、食事から掃除から洗濯から裁縫から、あらゆる家事を勤めた上の看病であるから、なかなか朝から晩まで病人の側に付ききりに付いて居るというわけにもいかぬ。そこで病人はいつも側に付いていてくれという。家族の女共は家事があるからそうは出来ぬという。まず一つの争いが起る。また家族の者が病人の側に坐っていてくれても種々な工夫して病人を慰める事がなければ、病人はやはり無聊に堪えぬ。けれども家族の者にそれだけの工夫がない。そこでどうしたらばよかろうという問題がまた起って来る。我々の家族は生れてから田舎に生活した者であって、もちろん教育などは受けた事がない。いわゆる家庭の教育ということさえ受けなかったというてもよいのである。それでもお三どんの仕事をするような事はむしろ得意であるから、平日はそれでよいとして別に備わるを求めなかったが、一朝一家の大事が起って、すなわち主人が病気になるというような場合になって来た処で、たちまち看護の必要が生じて来ても、その必要に応ずることが出来ないという事がわかった。病人の看護と庭の掃除とどっちが急務であるかという事さえ、無教育の家族にはわからんのである。まして病人の側に坐ってみたところでどうして病苦を慰めるかという工夫などはもとより出来るはずがない。何か話でもすればよいのであるが話すべき材料は何も持たぬからただ手持無沙汰で坐って居る。新聞を読ませようとしても、振り仮名のない新聞は読めぬ。振り仮名をたよりに読ませて見ても、少し読むと全く読み飽いてしまう。ほとんど物の役に立たぬ女共である。ここにおいて始めて感じた、教育は女子に必要である」となってしまうのである。もちろん子規もそれが八つ当たりだと認識しているようで、「苦痛は誰も同じことと見えて黒田如水などという豪傑さえも、やはり死ぬる前にはひどく家来を吃りつけたということがある」として、自分もそうなっちゃったというところだろう。まあ病人は、自分の病気で精一杯で、得てしてわがままで、自分勝手だから、仕方がないのかもしれない。
 しかし先日読んだ立川昭二さんの本には、「これほど痛み苦しんで子規が死んだ直後、長いあいだ看病していた母八重は、子規の遺体に触れたとき、『サア、もう一遍痛いというておみ』とかなり強い調子で言ったという。かたわらにいた河東碧梧桐は『水を浴びたような気がした』と書いているが、息子の痛みをわが身の痛みとして痛んできた母親のこの一言は、まさに鬼気迫るものがある」と書かれていている。
 子規に言わせれば無教育の母や妹だったかもしれないけれど、子規の痛みを自分の痛みとして、家族として共有していたことは、これを読むだけでも充分わかる。子規の闘病生活は家族にとって凄惨なものであっただけに、子規の死をそう簡単に受け入れられない。子規に対する愛情からこうしたすごみのある言葉を発したのではないかと思うのだ。妹律は、子規の死後どこかの女子校の先生になったと確か司馬さんの本に書かれていたと思う。
 それでもいつも苦痛に悩まされている訳でもなく、小康状態のときもあり、そんなときは俳句や絵の批評をしたり、自分で鉢植えの植物など写生したりしている。俳句のことはよくわからないけれど、子規が描いた絵はちょっと見てみたいなと思う。
 また驚いたのは、元気なときの食欲である。
「(朝)牛乳一合、麺麭すこし。午後卯の花鮓。豆腐滓に魚肉をすりまぜたるなりとぞ。また昼寐す。覚めて懐中汁粉を飲む。晩飯、飯三椀、焼物、芋、茄子、富貴豆、三杯酢漬。飯うまく食ふ」とある。これを読んだとき、えっ、ご飯を三杯も食べたの!と思っちゃった。まあ食欲のあることはいいことだろうけれど、それにしてもすごい。私など晩飯でお茶碗一杯が関の山なのに。明治の日本人のたくましさを感じる。


評価
★★


書誌
書名:病牀六尺
著者:正岡 子規
ISBN:
出版社:岩波書店 1984/07出版 岩波文庫
版型:193p 15cm(A6)
販売価:420円(税込) (本体価:400円)

☆この本は現在品切れのようです。

2007年10月27日

宮部みゆき著『楽園』下

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 一気に読んでしまった。後半は結果を急ぎすぎた感じがしないでもないが、案外『模倣犯』より面白かったかもしれない。例によってこの手の話のあらすじを書いてしまうと、ネタバレになってしまうので、毎度悩んでしまう。思うがままに書きつづってもいいのだけれど、それじゃあまりにも身勝手だから、何とかうまく書ければいいのだが、ちょっと頑張ってみよう。

 あの『模倣犯』の事件から9年がたっても、前畑滋子はあの連続殺人を未だに引きずっていた。滋子のショックは完全に癒えていなかった。それでもフリペのライターとして仕事を始めていた。
 そこへ萩谷敏子という女性が現れる。彼女は交通事故で死んだ12歳の息子、等が書き残した不思議な絵について、滋子に調査を依頼しにきたのだ。その絵には16年前に殺された少女の遺体の発見場所が描かれていた。
 その少女は手に余ったため実の親に殺され、自宅に床下に埋められていた。自宅が火事になり、半分が消失したとき、土井崎夫妻は娘茜を殺害し、床下に埋めたことを警察に自白した。そのとき、事件が初めて明るみに出のだ。なのに等はそれ以前に知ってしまったのだ。どうして等はまだ明らかになっていない少女の遺体がある場所を知り得たのか?
 等の描いたその他の絵を見た滋子は愕然とする。なんと網川浩一たちがいたあの山荘が描かれた絵があったのだ、そこには関係者以外知り得ないことが描かれていた。滋子には様々な疑問が生まれてくる。

等はどうして茜の遺体があった場所やあの山荘を描けたのだろうか?
土井崎夫妻はなぜ茜を殺害したのか?
さらに16年隠し続けたのはなぜなのか?
そして自ら自白しなければ茜の遺体は発見されなかったはずなのに、ここに至ってなぜ自白したのか?

 滋子は土井崎夫妻の事件の真相調べることで等の不思議な能力を解明しようとする。
 滋子は等が「意味がわからず、解釈ができないまでも、他人の記憶と心の奥を不用意に覗き込んでしまうことを、等は物心つく以前から繰り返してきた。そこにあるのは美しい光景ばかりではなかった。秘密は常に暗く、常に危険をはらんでいる。萩谷等が生きて成長してゆくことは、そのエネルギーに抗するために、自分を駆り立ててゆくことだった」と知る。
 等は土井崎夫妻以外に茜の遺体がある場所を知っている人物とある時接触し、その人物の記憶や心の奥を覗いてしまい、それを描いたのがあの絵であった。等はそのエネルギーがあまりにも強いため、殴り書きをしたような勢いで描いた。

その人物とは誰なのか?
その人物がなぜ茜が殺され自宅の床下に埋められたことを知ったのか。
その人物は16年間もなぜそのことを黙っていたのか?
そして等との関係は?

 その人物が明らかになったとき、滋子たちは等の特別な能力を確信する。土井崎夫妻がなぜ茜を殺し隠し続けたことがわかってくる。
 しかし宮部さんは『模倣犯』にしても、この本にしても、どうしようもない男、最悪の男をこれでもかというくらい描く。その最悪さを知れば知るほど、男として嫌になってくる。


評価
★★★★


書誌
書名:楽園〈下〉
著者:宮部 みゆき
ISBN:9784163263601 (4163263608)
出版社:文藝春秋 (2007-08-10出版)
版型:361pp 19cm(B6)
販売価:1,699円(税込) (本体価:1,619円)

2007年10月25日

宮部みゆき著『楽園』上

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 こちらも久しぶりに宮部さんの本を読む。詳しいことは下巻を読んでから書きます。まずは上々の滑り出しというところか・・・。読む方もこれからどんな展開になるんだろうと、ハイピッチでページが進む。


評価
★★★


書誌
書名:楽園〈上〉
著者:宮部 みゆき
ISBN:9784163262406 (4163262407)
出版社:文藝春秋 (2007-08-10出版)
版型:413p 19cm(B6)
販売価:1,699円(税込) (本体価:1,619円)

2007年08月10日

森鴎外著『雁』

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 この小説で気になるのは、ここに登場してくる人物たちがいる土地柄である。
 まだ大学(東京大学)が下谷にある頃、藤堂屋敷の門長屋が寄宿舎になっていた。そこは上野動物園の檻のような格子がはまっていた。寄宿舎には小間使いがいて、学生たちは彼らに買い物を言いつける。その小間使いに末造がいた。末造が学生たちに金を貸したりしているうちに高利貸しと成功する。
 練塀町にお玉という娘がいた。母を亡くして父親と二人で暮らしていた。父親は秋葉の原で飴細工の屋台を出していた。末造はまだ高利貸しとして成功する前にお玉と出会ったことを思い出した。
 しかしお玉に婿入りがあった。巡査であった。ところがこの巡査国元には妻子がいた。それを知ったお玉は井戸に身を投げるといって大騒ぎをし、この練塀町にいられなくなる。ある時末造が練塀町のこの家に行くと「貸屋差配松永町西のはずれにあり」という張り紙がしてあり、お玉親子はそこにはいなかった。西鳥越に引っ越していたのである。
 末造はお玉を妾として欲しいと掛け合い、お玉は末造の妾となる。ただ末造が高利貸しだということはそのときは知らされなかった。末造は無縁坂にお玉を囲う家を借りる。
 私は以前松永町にあった本屋で仕事をしていたこともある。練塀町はその隣であった。そして今いる和泉町は、藤堂和泉守高猷の屋敷があった。そして松永町の本屋で働いていた頃、配達も手伝っていて、無縁坂付近まで自転車でせっせと本郷の坂を登っていた。そうした関係から何か妙に親近感があった。

 さて話は、「古い話である。僕はそれが明治十三年の出来事だと云うことを記憶している」とまずは僕の回顧から始まる。僕と同じ下宿「上条」にいる岡田という男がいる。岡田は美男で几帳面な性格であった。岡田はその性格柄か、散歩も決まった道を歩く。その散歩道である無縁坂の一軒屋でひっそりとしたた一軒屋の窓から、いつも通りをながめている末造の妾となったお玉がいた。
 お玉は最初末造が高利貸しで財を成した人物と知らされなかったが、近所の噂で末造の素性を知ってしまう。よく分からないがこの頃は高利貸しというのは嫌われた職業のようだ。そのことからだんだんお玉は末造から心が離れ、うわべだけは末造に従っている振りをしつつ、自己に目覚めていく。そんなときお玉は散歩で歩いてくる岡田のことが気になり始め、散歩中の岡田を心待ちするようになっていき、岡田もお玉のことを意識し始める。
 末造が買ってきた紅雀のつがいを蛇がねらっているのをたまたま散歩でここに来た岡田が退治したことから、二人は言葉を交わすが、いっこうに事態は進展しない。お玉は末造の留守の間に岡田ともっと近づこうとし、岡田を待っていたが、岡田は翌日ドイツへ行ってしまう。お玉と岡田のはかない恋ははこれで終わるのである。
 ところでなぜ鴎外は鳥かごに入った紅雀を持ち出したのだろうか?そして不忍池で岡田が投げた石が当たって雁が死んでしまうことを書いたのだろうか?深読みしすぎかもしれないが、鳥かごに入った紅雀は末造に囲われているお玉自身を投影しているように思えるし、石が当たって死んでしまう雁は、お玉が岡田に近づこうとして、末造から自由に飛び立とうとしたが、結果成就しないことを意味しているように思えるのだが、どうであろうか?
 こういう意味深な小説って、今の小説にはないような気がする。どうしても現代小説はストレート過ぎる。でもこういうのって好きだなぁ。一見関係ない描写に見えて、実は本筋を浮きだたせる手法は、奥ゆかしい。さすが明治の文豪である。


評価
★★★


書誌
書名:雁
著者:森鴎外
ISBN:9784101020013(4101020019)
出版社:新潮社(1948-12-07)  新潮文庫
版型:144p 15cm(A6)
販売価:300円(税込) (本体価:286円)

2007年05月14日

松井秀喜著『不動心』

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 これも以前書いたかもしれないが、私が日本のプロ野球をテレビで見なくなったのは、松井が大リーグに行っちゃってからで、面白みがなくなってしまったからだ。
 その松井が2006年5月11日、レッドソックスのマーク・ロレッタの打球をスライディングキャッチする際、左手首を骨折してしまった。連続試合出場記録1768試合で途切れてた瞬間でもあった。



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 この本はその骨折から125日間、手術、リハビリの間、松井秀喜というメジャーリーガーが何を考え、どうしてきたか、そしてそれを乗り切ってきたものは何かを、自身語ったものである。
 読んでいて感じたことは、松井自身がどんな状況下においても基本がぶれないというところがすごいなぁと思った。
 アクシデントなど自分ではどうにもできないことを思い悩むのではなく、自分自身をコントロールできるところで最大の努力をしていくこと。そしてそうしたアクシデントも「人間万事塞翁が馬」のことわざのように、人にとって何が災いで、何が福かはそのときだけではわからないもので、災い転じて福となすこともできることを切々と訴えている。松井自身、そうして過ごしてきたことを、自分の野球人生を振り返って語っていく。
 たとえば松井といえば甲子園で5打席連続敬遠が有名だが、あのとき、「打ちたい」、「勝負してくれ」と思ったという。結果全国制覇という夢が破れ去ったけれど、あの連続敬遠で松井秀喜は日本中から注目される存在となった。そのおかげで長嶋監督の目にとまり、巨人への入団となったのではないかと思うという。
 また読んでいて、へぇ~と思ったのは、松井は日本のプロ野球では阪神に入団したかったと知った。でも巨人に入団した。しかし何年かして、もう阪神の縦縞のユニフォームを着た自分が想像できなくなったという。逆に巨人に入団し、長嶋監督に鍛えてもらったことに感謝するのである。ドラフトで自分の夢がかなわなかったことを嘆くのではなく、まさしく「人間万事塞翁が馬」で前に進んできたと振り返る。

 ところで、今高野連が特待生を厳しく断罪しているが、おそらく野球での特待生がどうしていけないのか不思議に思っている人が多いんじゃないかと思う。野球がうまく、その才能がある生徒をどうして待遇しちゃいけないのだろうかと思う。野球がうまいだけじゃないだろう。さらに一流選手になるために、相当の努力をしてきているはずだ。野球馬鹿かもしれないけれど、一芸に秀でるためにはたくさんの汗や涙を流してきてそこまでなったはずだ。それに報いるのがなぜ悪いのかよくわからない。そうした能力のある選手をさらに強化してよりよい選手なるならそれでいいじゃないか。何も教科書を手にすることだけが教育じゃあるまい。むしろのほほんと高校生活を送っている奴からから比べれば、もっとシビアだろう。 松井がイチローと対談したときに、イチローが大リーガーで「吐き気を催すことがある」と言っていたという。それほど追い詰められて野球をやっている。松井も「ケタ外れの尊敬や待遇を受ける一方で、それなりのパフォーマンスを見せられなくなったときは、本当に容赦がない。むしろ多大な敬意や待遇を受けていればいるほど期待も大きいわけで、それがダメだったときの反動、結果が出なかったときの扱いはシビアです。これまでヤンキースに4年いただけで、それは痛切に感じます」という。だから結果を出さないとならないし、結果が出れば、尊敬も得るだろうし、莫大な年俸もその証となるものだと思う。高校球児だって同じだろう。結果が出なけりゃ、特待生の待遇だって外されるはずだ。
 少なくとも馬鹿になれない、どうでもいいやつが多い世の中で、一つのことに一所懸命努力していることに、報うことがなぜ悪いのか。できる人に結果を出した分、報うのは当たり前だ。だから松井にしてもイチローにしてもメジャーリーグで一流選手であれるんじゃないかと思う。いつまでも、「みんな同じ」という考え方は、すべてをだめにする。夢がなくなってしまう。(本当はこんなことを書くつもりはなかった。しかしあまりにも馬鹿な高野連の幹部に腹がたったので書いてしまった)


評価
★★★


書誌
書名:不動心
著者:松井 秀喜
ISBN:9784106102011 (4106102013)
出版社:新潮社 (2007-02-20出版)
版型:189p 18cm 新潮新書
販売価:714円(税込) (本体価:680円)

2006年11月23日

光原百合著『十八の夏』

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「ああ、明日香ちゃんち?便所みたいなにおいがしとったな」
 父親である水島高志は再婚したいと思っていたさくら書店の佐倉明日香のうちはどうだったかとたずねたとき、一人息子の太郎はそう答えた。
 自分が明日香と再婚したくとも、息子の太郎が嫌がればどうしようもないと思っていた。高志はこの太郎の言葉を汚い言葉、悪意を感じさせる言葉と受け取り、明日香にまつわるすべてへの反感だと受け取った。
 しかしある日、大家さんが金木犀を持ってきたときに言った言葉で、自分が愚かな思い違いをしていたことを知る。大家さんは最近の子供はこの金木犀の香りをトイレのにおいと感じるらしいと言うのであった。トイレの芳香剤はどこでもあるものだから、そのにおいが本物の花の香りより、より多くトイレで嗅ぐことが多いからである。
 太郎は明日香の家の庭にある金木犀の香りをトイレの芳香剤と同じだと感じたため、「便所みたいなにおいがしとったな」と言っただけことであった。決して悪意から発した言葉ではなかった。大家さんがそう言ってくれなければ、高志は太郎の言葉を誤解したままであった。まさしく「ささやかな奇跡」であった。

 この「ささやかな奇跡」が読みたくてこの文庫本(双葉文庫)を買った。水島高志は全国にチェーン展開する書店の主任で、亡くした妻の大阪の実家の近所にあるアパートに引っ越してきた。高志が買い物帰りに町を歩いていたときにさくら書店を見つけ、そこに佐倉明日香がいた。
 高志は妻を亡くしたし、明日香は結婚式の日取りまで決まった相手がいたが、交通事故で亡くし、その後夫となるはずであった男の子供がお腹の中いることに気がついたが、死産であった。この短編はそうした訳ありの男女の、しかも大人の書店員の恋愛小説である。こんな小説を読むのは初めてであったが、でも、ちょっとよかったかもしれない。

 この文庫には他に、「十八の夏」、「兄貴の純情」、「イノセント・デイズ」が収録されている。「十八の夏」は第55回日本推理作家協会賞(短編部門)の受賞作であったが、私はいまひとつといった感じであった。この作品より「イノセント・デイズ」のほうが推理小説としては面白いと思う。「兄貴の純情」も悪くない。
 著者の「あとがきに替えて、感謝の言葉」が収録されているが、そこの最後に、「できればほんの少しでも”人生も満更悪くない”と思っていただけたとしたら、これ以上の幸せはありません」と書かれていたが、確かに最後に”満更悪くない”と思えた短編集であった。


評価
★★★

2006年08月12日

三浦しをん著『まほろ駅前多田便利軒』

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 私のもう一つのブログで書いたようにこの本(文芸春秋社刊)を神田の三省堂本店で買った。直木賞を取った作品だから読んだわけではない。実は以前から題名に惹かれ、帯の内容紹介を読んで、面白そうな本だなぁとは思っていた。私の中では購入図書のリストに入っていたのである。
 で、せっかく三省堂まで来たのだから、何かめぼしい本がないかと思い、結局この本を買った。買って家に帰ったら、この本がサイン本であることが判明する。(別にどうでもいいのだけど・・・)

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 いやぁ~、久しぶりに全編笑わせてくれる本であった。面白かった。読んでいるうちに昔テレビでやっていた「傷だらけの天使」を思い出してしまった。
 地域に密着して仕事をする便利屋として多田啓介は、バスの間引き運転を疑っている岡から、その運転が間違いなく運行予定表通り運転されているかどうか、その実態を調べてくれという仕事の依頼を受ける。
 この仕事の前に実家に帰省するからチワワをその間預かってくれという仕事の依頼を受けていたので、チワワと一緒に岡に家に行く。
 多田は正月にこんな依頼をしても、バスの間引き運転が行われるわけがないと思う。何故なら正月に運転すれば、たぶん正月休みに仕事をしたということで、バスの運転手には特別な手当が出るはずだから、そんなことするはずがないからだ。
 多田はバスの運転状況を調べるのに夢中になっていた為に、チワワのことを忘れてしまい、探し回る。チワワは高校時代の同級生であった行天春彦が抱いていた。行天は行く場所がなく、多田の事務所に泊まることになる。
 これから多田と行天の同居生活が仕事とともに始まる。チワワの飼い主は約束の期日になっても現れず、飼い主は夜逃げをしていた。多田の事務所にもう一匹同居者が加わった。
 とりあえずはチワワの飼い主を捜したのだが、結局チワワの新しい飼い主を多田と行天は捜すはめになり、自称コロンビア人のルルという娼婦がチワワがほしいといってくる。ルルはどう見てもコロンビア人には見えない。行天が「なんでコロンビア人なの」と聞けば、ルルは「コロンビアの女を運ぶルートがあるのよぅ。あたし、国では毎日、フェンスの向こうを見ていたんだ。これを越えればアメリカだわ。って。すっごくたくさんの星が見える夜、あたしは友だちとフェンスを越えた。そしたらマフィアが待っていて、コンテナに積まれて、着いたら日本だったのぉ」と言う。多田はその話を聞いて、コロンビアはアメリカとはつながっていないぞと思う。
 チワワのもとの持ち主の子供に新しい飼い主を捜して、今度まほろ市に来たとき、新しい飼い主を紹介してあげるからと多田は言った以上、その飼い主が娼婦じゃまずいと行天に言う。行天はなぜ娼婦じゃまずいの。職業に貴賤などないでしょうと言い返される。
 結局チワワはこのルルと一緒に暮らすハイシーに手渡された。彼女らは小さな犬を飼いたかっただけにチワワは大事に飼われた。元の飼い主であった子供が訪ねてきたとき、最初はルルとハイシーに戸惑ったが、すぐに彼女たちが自分のチワワを大切に育ててくれることが分かったし、自分をもてなしてくれるルルとハイシーたちと仲良くなった。この事務所で起こることはすべてこんな調子進んでいく。

 塾で帰りが遅くなるので、子供を迎えに行ってほしいという仕事の依頼がくる。こんな物騒な時代なので子供の帰りが不安だというのである。しかし子供の方は、家では帰りにはちゃんと迎えがつけているという親の見栄で多田たちに頼んだこと見抜いていた。両親は共稼ぎで帰りが遅かった。
 ある時多田はその子が塾へ行くバスの中で見かけたが、挙動がおかしいのに気づく。彼は座席のシートの間にスティック状の砂糖のようなものを隠していたのだ。覚醒剤の売人の手助けをしていたのであった。成り行き上、多田と行天は子供を救わざるを得なくなり、以前ハイシーにつきまとっていた男を行天が締め上げたことがあり、その男から、覚醒剤の売人の元締めを捜し出す。
 子供にもう手を出さないこと、残っているスティック状の砂糖を受け渡す条件として、売人に自分たちがいつも行っているお弁当屋でノリ弁18個とシャケ弁23個を買ったら、その時一緒に渡してもらうからという条件を多田が出し、行天は「多すぎ」と思うのだった。
 その覚醒剤の元締めが女子高生を多田の事務所に連れてきて、かくまって欲しいというのだ。その女子高生、まほろ市で起こった両親殺害事件の犯人と同級生であった。マスコミやクラスメイトがうるさいので星(覚醒剤の元締め)に助けを求めたらしい。身の安全を考えるならその元締めの所にいた方がいいはずだと多田は思うのだが、そのやりとりがふるっている。

「星くんは、『俺はカタギじゃないから、清海に迷惑がかかる』って」
「カタギじゃないやつと女子高生が、なんで知りあいなんだ」

 これにはさすが吹き出してしまった。しかも電車の中で(恥ずかしかった)
 妙な人間と遭遇する確率が高い気がするのは、便利屋の仕事柄なのか、行天のせいなのか、多田は自分の仕事を振り返るのだが、ボケかましているところがあっても、押さえるところは押さえているし、締めるところは締めている。多田にしたって、行天にしたって、ちょっと性格的にぬけてるところはあるけれど、極めて常識的なのである。その二人が、非常識な世界に巻き込まれるから、この話は面白いのだ。
 もともと便利屋に依頼する仕事って、本来自分たちで出来ることがほとんどだろう。それをわざわざお金を出して頼まなければならないところに、もう常識外のことが発生していて、その家族の暗い部分を垣間見ることになってしまう。しかも多田にしても行天にしても自分たちの過去を引きずりながら生きているところに、この話が面白いだけでなく、悲しみをにじませている。


評価
★★★★★

2006年07月19日

宮部みゆき著『理由』

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 この話は、北千住の高層マンション「ヴァンダール北千住ニューシティ」のウエストタワー2025室に関わった、それぞれ理由ありの人間達をめぐる話である。事件後関係者のインタビュー形式で話が進んでいく。
 6月のある嵐の夜この「ヴァンダール北千住ニューシティ」のウエストタワー2025室で一家四人殺人事件が起こる。殺された家族と思われる一家はそのマンションの持ち主小糸信治一家ではなかった。この2025室の住人はまわりが知らないうちに小糸信治一家から砂川一家に入れ替わっていたのである。殺されていたのは砂川一家と思われた。
 何故持ち主である小糸信治一家がおらず砂川一家がここに住んでいたのか?そして何故彼らが殺されなければならなかったのか?事件はこのマンションをめぐって謎と化していく。

 捜査が進むに当たり、この「ヴァンダール北千住ニューシティ」のウエストタワー2025室が競売にかけられていることが分かった。小糸信治は苦労してお金をやりくりしてこのマンションの一室を手に入れるが、もともと彼にとって分不相応な物件であり、しかも彼自身金遣いが荒く、その上妻静子も派手好きで、ブランド好きときていたので、破綻は時間の問題であった。結局借り入れた返済が出来ず、手に入れたマンションは競売にかけられ、彼ら一家はそこを出て行くはめになる。
 しかし小糸信治には見栄があり、何とかこのマンションを手放さないでいい方法がないかと模索しているときに一起不動産の早川一起社長と知り合う。彼は