2009年11月27日

ジャック・ル・ゴフ著『子どもたちに語るヨーロッパ史』

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 この本は著者の『子どもたちに語るヨーロッパ史』と『子どもたちに語る中世』の二編を一冊にまとめた本である。いずれも書名からもわかる通り子供に読ませるためにわかりやすく、簡単に書かれたヨーロッパの通史、ヨーロッパ中世史といったものであり、読む側に多少知識があると、なんだそんなことしか書いていない本かというもの足りなさある。
 著者のル・ゴフはEUの支持者のようで、ヨーロッパが現在一つにまとまろうとしているのを支持し、そうあるべき背景がヨーロッパには元々あるのだから、そうなって然るべきことだという考えが中心にある。またこの人はフランスの中世史の大家であるそうで、中世という時代のそれまであった偏見をなくそうとする意思で『子どもたちに語る中世』を書かれている。

 まずは、『子どもたちに語るヨーロッパ史』から。大体この手の通史を書く場合、まずはヨーロッパの地形的特徴から入るのが王道のようで、この本もそのようになっている。著者が言うにはヨーロッパ大陸は世界の中で一番小さい大陸で、面積は1000万平方キロメートルで地球上の地表面7%を占める。ちなみにアジア大陸は30%、アメリカ大陸28%、アフリカ大陸20%である。それほど小さな大陸だから、人の行き来も他の大陸から比べれば簡単で、古代ローマの将軍は馬に乗ってローマを出発し、ガリア、ゲルマニア、イスパニア、ブリタニアへの遠征を生涯のうち何度も成し遂げたという例を出している。現在でも飛行機がなくても自動車と高速鉄道で簡単に移動出来る大きさなのである。
 さらに広すぎない面積、海が近いこと、比較的平坦なこと、ほどほどに厳しい気候、大部分の土地が良好な経済的適性をもつこと(砂漠はなく、原生林ははるか昔に消失した)などヨーロッパ大陸の特徴といえる点を合わせて考えると、ヨーロッパがほかの大陸とちがって、非常に早くからほとんどいたるところに人が住み、利用されていたことを教える。
 このことからヨーロッパは昔から人の行き来が比較的楽にできたし、河川も日本の川のような狭くて激しい流れの河川ではないことから、その往来を更に楽にする。
 そしてここにはギリシャ・ローマ時代の文化的遺産やキリスト教という宗教がヨーロッパの基盤となり、共通認識みたいなものを生んできた。それでいる民族は違う。共通と個別が同居する地域であることを特徴として言う。だから共通を元にして統一をしようとすると、個別が反発することとなる。ナポレオンやヒットラーが政治的暴力でヨーロッパ統一しようとしても出来なかったのは、そのためであった。逆にヨーロッパは国と国民の自発的意思によって統一出来る証明だというのである。
 現在のEUとしてヨーロッパの国々が一つになろうする一方で、地方の独自性も維持するという姿勢がここにもあることを暗に示している。一つの大陸としての歴史を見ることで、それぞれ個性や地域性はあるにしても、我々は共通の歴史的要素を共有しているから、それを大きな枠としてまとまり、その中で地域性を維持するのがEUの性格だというのであろう。そのためにヨーロッパは未来があるわけだ。
 著者は最後に「どうか忘れないでください。記憶なしではよきことは起こりえないことを。歴史は公正な記憶をさしだすためにあり、そうした記憶こそが過去を通してみなさんの現在と未来を照らし出すのだということを」と言っているが、EUという歴史的実験を可能にするのは歴史であると言っている。

 『子どもたちに語る中世』ではヨーロッパ中世は五世紀から十五世紀までの千年も続いた時代であり、その前後にあったギリシャ・ローマと近世の間にある単に中間の時代で、暴力に満ち、あいまいで無知な<悪しき>時代だったと考える人がいる。しかしそうじゃないと言う。まぁヨーロッパ中世史をやる人は必ずこのことを言うのだが、その長い時間の中で、古代を脱し、近世を生む母体を作った時代であったことは間違いない。著者も「中世はヨーロッパが出現し、形成された時代でした。文明の各時代にはそれぞれ役割があり、歴史の発展の総体のなかで、ある使命を担っているのだとしたら、中世の使命はヨーロッパを<生む>ことであったといえます」と言っている。ギリシャやローマみたいに華々しさはないし、ルネサンスみたいな豪華さはないけれど、いい意味でも悪い意味でもホンと人間的であった時代だったのだ。個人的にいえばその素朴さが好きなんだけれど・・・・。

 最初に書いた通りこの本は子供たちに聞かせるための歴史本だから、通史にしてもものすごくアバウトに書かれているし、中世史にしても質問に答える形で歴史を語っているので、ある程度歴史を勉強してきた人には物足りない。しかしいくら子供向けとはいえ、もう少し“驚き”が欲しかったなと感じた。これじゃ子供たちにとってあまりおもしろくないのではないかと思った。


評価
★★


書誌
書名:子どもたちに語るヨーロッパ史
著者:ジャック・ル・ゴフ 前田 耕作【監訳】 川崎 万里【訳】
ISBN:9784480092465
出版社:筑摩書房 (2009/09/10 出版)ちくま学芸文庫
版型:278p / 15cm / A6判
販売価:1,155円(税込)

2007年10月18日

リチャード・ローズ著『死の病原体プリオン』

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 最近は狂牛病のことをあまりうるさく言わなくなっているけれど、そもそも狂牛病って何なのだろうか。そしてそれがプリオンによって起こされるという。ではプリオンって何なんだ。
 ということで、この本を読んでみた。この本はいわゆる異常プリオンがどのように発見され、この本が発刊されるまでどのように解明されていったのかをつづったドキュメントである。まずはプリオン病といわれる病気を記してみる。

 ニューギニア東部高地フォアというところでクールーという病気に罹っていた患者がいた。歩行障害と病的笑いをする意識障害を起こしていた。この本の主人公であるD・カールトン・ガイデュシュックがこのクールーの解明のため1957年にニューギニア東部高地フォアへ乗り出すところからこの本は始まる。クールーの症状は欧米で見られるパーキンソン病、アルツハイマー病、多発性硬化症、筋萎縮性側索硬化症などの脳の退化に類似していた。このクールーはこの地域の女性や子供を中心に見られた。そしてここには食人慣習が残っていた。人を食べていたのが女性と子供でった。つまりクールーで死亡した遺体を調理して食べていたのである。ガイデュシュックはクールーで死亡した患者の脳を調べてみると、小脳およびその下部にある神経細胞が破壊されていることがわかった。

 1913年ブレスラウ修道院で下働きをしていたベルタ・エルシュカーが突然倒れた。神経学者のアロイス・アルツハイマーの助手のハンス・ゲルハルト・クロイツフェルトがベルタの病歴を記録した。ベルタは明らかに脳に障害があると判断された。死後、解剖し脳を調べてみると数百万という脳細胞が破壊されていた。クロイツフェルトは戦後学会にこれを報告した。その論文をヤコブ博士も見ていた。ヤコブ博士も同様な患者を診ていた。これは未知の病気で、クロイツフェルト=ヤコブ(CJD)と名付けられた。この病気の特徴は脳にスポンジ状たくさんの孔が見られることであった。

 スクレイピーという羊の病気がある。イギリスでの記録は1730年にさかのぼることができるらしい。この病気の症状は体がかゆくなるため体を壁や木にこすりつける。そのため毛が抜ける。さらに進行すると歩行が不安定になり、痙攣し、失明し、死んでいく。その脳を調べてみると、神経細胞は萎縮するか、消滅していた。スポンジ状態は小脳だけでなく大脳皮質まで及んでいるという。

 スクレイピーを調べた獣医学者のウィリアム・J・ハドローはミンクがたくさん死んでいるという報告を受ける。調べてみると、汚れたミンクが後ろ足を引きずり、檻の中をぐるぐる回っている。脳を解剖してみると、脳がスポンジ状になり、神経細胞が消失していた。この病気は感染性ミンク脳症(TME)と名付けられた。TMEは野生のミンクには見られない。

 1985年、イギリスの農家の一人が獣医のコリン・ホイッタカー電話をかけてくる。飼っている牛がおかしいと。普段おとなしい牛が攻撃的になり、全身の動きがばらばらで、よろめき、倒れ、もがいていた。他にも同じ症状の牛が見つかる。脳を調べてみると、スポンジ状の病変と星状グリア細胞が変性した茶色の斑点が確認できた。この病気は牛スポンジ状脳症(BSE)と名付けられた。ただマスコミがおもしろがって、この病気に罹った牛が攻撃的で、神経過敏になることから、「狂牛病」と呼びはじめた。

 1993年少女ヴィクトリア・リンマー学校から帰宅したところで倒れた。彼女は普段羊の肉を食べていたが、たまにはコーンビーフやハンバーガーを食べることもあった。生検の結果、大脳皮質にスポンジ状の病変があり、斑点も多数観察された。生検組織はプリオン・タンパク(PrP)の抗体には反応したが、アルツハイマー病の指標となるアミロイド抗体には反応しなかった。少女は1995年死亡した。解剖の結果、彼女の脳にはスポンジ状の病変と星状グリア細胞が大量に観察された。1996年初頭になると、彼女の他2名の青年、さらに7人もの若い人たちがBSEで死亡もしくは重傷に陥っていった。

 以上がこの本に書かれている異常プリオンに関する病気の経過である。そしてこれが恐ろしいのは、種の壁を越えて感染するということである。たとえばクールーに感染した人の脳をマウスやチンパンジーに投与すれば、脳がスポンジ状態になってしまうし、BSEが人間に感染することは今では周知の事実である。しかも動物(ヒトも含む)の身体を食べることによって引き起こされる。
 この病気を起こすのは、最初、遅発性ウイルス(スローウイルス)感染症だと考えられていた。しかし調べていくうちに、このこのウイルスには自分が増殖していくため遺伝子情報を持つ核酸がない。DNAあるいはRNAしかないのであった。そのためこれはウイルスではないとわかってきた。核酸がないため、ホルマリン,熱,紫外線に対して強い抵抗性をもっている。だから処理するのがかなり手間がかかる。
 現在ではこれらの病気はプリオンによって引き起こされるものだと考えられている。プリオンは感染性のあるタンパク粒子で,ウイルスとは別物である。命名したのは、スタンリー・ブルシナーという学者で、「プリオン」とは感染性タンパク粒子のことであって、タンパク質(Protein)と感染性(infaction)を組み合わせた造語だという。
 詳しいことはわからないが、このプリオン・タンパク(PrP)は通常神経細胞の膜の中で生産されているものらしい。この本ではこのPrPが何に使われているのかわからないとあったが、今は神経細胞の形を整えたり、神経の情報伝達に関わったりしているものと考えられているという(大野さんから聞いた)そしてこれは古くなると細胞内で分解され排除されていくらしい。
 ところがここに異常なPrPが入ってくると、自分のPrPが変質し、分解されず、蓄積していく。そして重要な細胞機能を阻害し、破壊していく。最終的には脳の細胞は死滅し、スポンジ状の孔ができることになる。これが先に挙げた病気の生成過程らしい。しかもやっかいなことに、変質したのは自分のPrPなので免疫反応が起こらないということなのだ。

 ここまでの記述は「というふうに考えられる」というもので、私が理解できたこの論理?はガイデュシュックの考えによる。面白いと思ったのは、ガイデュシュックがこのプリオン病が起こる過程のヒントを得たのが、カート・ヴォネガットというSF作家が書いた『猫のゆりかご』だったということだ。この本に登場するブリート博士が次のように言う。

「われわれがスケートをしたり、ハイボールを作ったりする氷は、たくさんある氷の形態の一つにすぎないんだ。これをアイス・ワンとでもしよう。地球上ではいつもアイス・ワンしかできない。その他の形態であるアイス・ツー、アイス・スリー、アイス・フォー・・・をどうやって作るかという種がないからなんだ。そこで考えてみてくれ。ここにわれわれがアイス・ナインと称する形態があるとする。この机ぐらい固い結晶で、融点は、そう、五五度cだ。もし雨が凍って、小さなアイス・ナインの粒になって降ってきたら、多分この世は終わりだよ」

 つまり異常プリオンとなる成核剤がアイス・ナインなのである。今まで知られていない変化が起こったことで、プリオン病が起こったとしたのだ。
 私が面白いなぁと思ったことは、その専門分野で超一流といわれる学者がSFを読んでいて、それをヒントに自分の考えを構成していったということなのだ。おそらくそれしかわからない専門馬鹿じゃこういう考え方はできなかったんじゃないかと思ったりする。
 最後にこの本にふれられていることで怖いと思ったことを書く。「ハイテクの中の新しい食人現象」に書かれていた。この表題を読めば何のことを言っているかおおよその見当がつくかもしれない。
 ニューギニアで食人慣習が行われていたことで、クールーという病気が発生した。人を食べることによって、異常のあるプリオンを体内に入れてしまったことから起こった病気であった。ここは未開文明の地域だからそうした野蛮な行為(といっても彼らにとっては貴重なタンパク源なのだ)が行われていたからだと簡単に言い切っちゃうことはできない。
 今医療行為としてたとえば死亡した人の角膜を移植したり、他人に使った検査器具の消毒が不完全だったことで、その人がCJDだったら、角膜を移植された人や消毒が不完全な器具を使われた患者は、後にCJDで亡くなってしまう医原病が起こっている。また医療分野で次の技術革新として期待されているのが、異種臓器移植技術だと言われている。つまりブタなど臓器を人間に移植するというものだ。ここには得られる利益の方が危険性よりも大きいからという理由で進められているが、こうしてプリオン病に関する記述を読んでいると、本当に危険はないのかと思ってしまう。人はやってはならないことに手を出し始めた結果、罰が当たり始めているんじゃないかと思ったりする。
 ガイデュシュックは「ヒトの体組織そのものが感染病の原因のひとつであることを忘れてはならない。ある人から別の人に組織を移植することは、同時に感染症を移す危険が伴うのである」と警告している。
 もちろん食の危険性も充分考えないとならない。BSEは「CJDの潜伏期間を平均二五~三〇年とすると、ヒトの間での流行のピークは二〇一五年あたりになるだろう。新型CJD患者が平均年率五〇パーセントで増加していくものと仮定する。それほどありえない仮定ではない。そうすると二〇一五年に年間約二〇万人が罹病する」という最悪のシナリオも描かれているらしい。後8年後には本当にこうなるのだろうか?


評価
★★★★


書誌
書名:死の病原体プリオン
著者:リチャード・ローズ /桃井 健司・網屋 慎哉訳
ISBN:9784794208323 (4794208324)
出版社:草思社 (1998-07-06出版)
版型:286p 19cm(B6)
販売価:1,995円(税込) (本体価:1,900円)

2007年08月18日

E・キュ-ブラ-・ロス著『死ぬ瞬間』

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 古い本を引っ張り出す。E・キュ-ブラ-・ロスの『死ぬ瞬間』である。この本は聞くところによるとホスピスのバイブルだという。かなり昔に読んだ山崎章郎さんの『病院で死ぬということ 』にもたびたびキュ-ブラ-・ロスのこの本のことが出ていたと思う。

 この本はシカゴ大学の「死と死ぬことに関するセミナー」で、講師は死にゆく患者である。そうした患者に自分が迎えなければならない死、病院の医療体制を語ってもらっている。しかしこのセミナーは最初病院側の医療スタッフから大きな反発にあう。末期患者に自分の死を語らせるなんて冗談じゃないというところだろう。ましてここの病院では「もはや助けることできない人々に貴重な時間をかけることはムダであり、まったくのナンセンス」という意識があっただけに余計であった。
 しかし患者は違った。患者は「死そのものは問題でなく、死にゆくことが、それに伴う絶望感と無援感と隔離感のゆえに怖ろしいのである」。むしろ積極的にコミュニケートすることで、自分を解放していくのである。さらにかれらのコミュニケーションが他の人々にとって重要で有意義かもしれないと思えることで、生きているうちにだれかの役に立てるという意識を生む。
 医療側も患者の生の声がフィードバックされるようになって、このセミナーの重要性を自覚し始め、患者の対応が変わっていく。

 ここでの死とは突然死を想定していない。死までの時間がある程度ある、たとえばガンのような病気で死を迎えざるを得ない患者を対象とする。
 著者は「患者を非人間的、植物的に生きるのではなく、人間的に生きるように助けることによって、かれらを助けて死なせてやることができる」という考えから、末期の患者に接する。
 そしてそうした患者は悲劇的なニュース(自分が死ぬということ)をつきつけられてから、自分の死を受容するまでの間にいくつかの段階があることをこの本で教えてくれる。以下その段階の解説である。


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1.否認
 「否認は予期しない衝撃的なニュースを聞かされるときの緩衝装置として働くのである。否認によって、患者は崩れようとするみずからを取りまとめ、やがて別の、よりゆるやかな自己防衛法を動員することができる」。たとえば自分がガンだと宣告されたとき、「そんはずはない」と否認するのは一時的な自己防衛なのである。

2.怒り
 「否認という第一段階がもはや維持できなくなると怒り、憤り、羨望、恨みなどの諸感情がこれにとって代わる。論理を追って、次の問いは”なぜ私を ”」となる。つまり「なぜ私なんだ」、「どうして私がガンにおかされねばならないんだ」という自分勝手に怒り、憤るのである。

3.取り引き
 「もしわれわれが第一段階で悲しい事実に直面することができず、第二段階で人々と神に対して憤りをぶつけたとすれば、つぎには人々ないし神に対してなにかの申し出をし、なんらかの約束を結ぶことを思いつくだろう。取り引きである。神となんらかの取り引きができれば、もしかすると、この悲しい不可避の出来事をもうすこし先に延ばせるかもしれない」と考えることである。
 つまり今苦しい治療に耐えれば、延命願望や痛みや肉体的不快感のない日々を手に入れることができるという願望を多少なりとも叶えることができるかもしれないという、自分の気持ちの中で取り引きするのである。

4.抑鬱
 「末期患者がもはや自分の病気を否認できなくなり、二度三度の手術あるいは入院加療を受けなければならなくなり、さらに症候がいくつか現れはじめ、あるいは衰弱が加わってくると、かれはもはや病気を微笑で片づけているわけにもいかなくなる。
 かれの感情喪失、泰然自若、あるいは憤怒などは、ほどなく、大きなものを失くしたという喪失感に取って代わられ」抑鬱状態になる。

5.受容
 「もし患者に十分な時間があり(突然の、予期しない死ではなくて)そして前にのべたいくつかの段階を通るのに若干の助けが得られれば、かれの”運命 ”について抑鬱もなく、怒りも覚えないある段階に達する。生きている人、健康な人に対する羨望、自分の最後にそれほど早く直面しないでもいい人に対する怒りなどは吐きつくすことができた。かれは自分をとりまく多くの意味深い人々や場所などを、もうすぐすべて失わなければならないという、その嘆きも悲しみも仕終え、かれはいまある程度静かな期待をもって、近づく自分の終焉を見詰めることができる」すなわち受容である。
 面白いと思ったのは以下の記述である。
「一生を苦労とはげしい労働のうちに過ごしてきた人、子どもたちを育てあげた人、自分のなしとげた仕事に満足している人々のほうが、平安と威厳とをもって死を受容することがより容易であったようである。 これに対して、一生を野心的に周囲環境を支配してきた人、物質的な財を蓄積してきた人、社交的なつきあいは非常な多数にのぼりながらも、生の終わりにあたって助けとなるような有意義な人間関係の少ない人などは、死の受容が容易ではないようであった」

 「これらの段階は入れ替わることはできず、必ず隣りあい、ときには重なりあっている」という。

 以上が自分が助からないと分かったときから取る人間の態度だというのだ。もちろんたぶん累計的にそういうパターンだというのだろう。でももし自分が末期のガンでもなったら、何となくこういう行動パターンを取るような気がするけれど、きっと死の受容まで悩み続けるのだろうなと思う。そう思うと、同じ死ぬならぽっくりと死んでしまいたいなぁ。もちろんそのあとの葬式など不要だ。

 さてこの本は、いわゆる「死ぬ瞬間」を待っている患者だけでなく、その家族、親族も、ほぼ同様な行動パターン、思考パターンを取ることを言っている。ただ残される側はその死で終わらない。著者は「家族の要求(ニーズ)は、病気の発端から変化を始め、多くの面で変化を続け、それらは死のあとも長く尾をひいていく。それゆえに、家族メンバーはそのエネルギーを支出を経済的に行ない、エネルギーがもっとも要求されるときに当たって折れるほど張り切らないようにすべきである」と介護する家族の配慮も忘れない。
 しかし家族や親族ができる限りの治療を望むことや、少しでも長生きして欲しいと思う気持ちは、末期患者に取ってみれば時には苦痛のなにものでもなくなってしまうこともあるという。患者の方は現実を直視ししようと努力しているのに、家族や親族の方が厳しい現実をなかなか受け入れられない。このギャップに患者の方が悩むという。時には自分の死の受容を困難にさせるという。
 こうして言われると、双方の気持ちはよくわかる。わかるけど困難な状況に陥った時、愛する家族を簡単に失うことができないという気持ちが、逆に患者を苦しめているなんて、なかなか理解しにくいと思う。
 著者は言う。「わたしたちのめざすゴールは、つねに患者とその家族とを助けて、ともども危機を正視し、この終焉という現実の受容を、同時的に達成させるということでなければならない」と。


評価
★★★


書誌
書名:死ぬ瞬間 死にゆく人々との対話
著者:E・キュ-ブラ-・ロス/川口正吉訳
ISBN:9784643920529
出版社:読売新聞社
版型:315p 19cm
販売価:1,528円(税込) (本体価:1,456円) 絶版

2007年06月22日

リリー・フランキー著『美女と野球』

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 この本はブックオフで見つけた。今は河出文庫でも出ているはずだ。でもこの本は悪いけど、老舗の新潮社や文藝春秋からはたぶん出版されないだろうと思った。河出書房だから出版されたのではないか思っちゃった。
 確かに大笑いできる。電車の中で読んでいると笑いをこらえるのが大変だった。とにかく話は下ネタがほとんどで、しかも表現がストレートだから、ちょっと女性には勧められないかもしれない。でも、あまりにもストレートだからか、それともリリーさんの文章の性格からか、話は陰湿で暗い感じが一切せず、むしろあっけらかんとして、乾いた笑いであった。たまにはこういうのもいいかもしれない。
 あとがきによると、この本はリリーさんのデビュー作であったらしいのだが、出版が遅れて、3冊目に出版されたらしい。
 ここにはオカンこと、リリー・ママンキーの話がいくつか出てくる。オカンが近所の潰れた貸衣装屋さんからもらってきたイベント用のタキシードをリリーさん元へ大箱の段ボールで送ってきた話。オカンがガンになり、手術前にハワイに行ったこと。手術後、病室から手鏡を通して見えるライトアップされた東京タワーの話。オカンがみんなで花札を楽しんだ話。など、あの『東京タワー』で出ていた情景がここにもある。
 全体的にふざけた感じで書かれているけれど、人や物事に距離をおいて見ていることがわかる。リリーさんのスタンスは極めて常識的で、まじめだ。今回は揮発性の笑いを楽しんだ。


評価
★★★


書誌
書名:美女と野球
著者:リリー・フランキー
ISBN:9784309263564 (4309263569)
出版社:河出書房新社 (1998-11-20出版)
版型:236p 19cm(B6)
販売価:1,365円(税込) (本体価:1,300円)

2006年05月03日

ライザ・ロガック著『「ダ・ヴィンチ・コード」誕生の謎』

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 最近書店の平台を見てみると、モナリザの顔が表紙になった本がいくつも並んでいる。ちなみにamazonで「ダ・ヴィンチ・コード」と検索すると、類似本がたくさん出てくる。このようになっているのは、明らかにダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』の影響のためであることは明らかで、しかも近々映画も公開されるから余計である。
 類似本は、ダ・ヴィンチやモナリザの秘密や謎解きなどがほとんどのようで、それらを買ってまで読みたいと思わないが、この本(角川書店刊)はダン・ブラウンの自伝なので、この点それまであった類似本とは違にする。どちらかといえば、ダン・ブラウンがどうのようにして『ダ・ヴィンチ・コード』を書くヒントを得たのか、そっち方が知りたかった。
 著者のライザ・ロガックという人がどういう人か、又ダン・ブラウンとどういう関係にある人なのかよく分からないが、この本を読んで分かったことをいくつかあるのでそれを書いておく。

○ダン・ブラウンは1964年ニューハンプシャーエクセターで、数学教師の父と、宗教音楽家の母のあいだに生まれた。

○ダン・ブラウンが生まれたニューハンプシャーは大学の秘密クラブ、フリーメイソンのロッジ、合衆国政府初期の権力者が密かに集まった場所であった。

○ダン・ブラウンの両親は教育を重んじて、暗号や謎の解明を楽しむ家族であった。

○ダン・ブラウンが子供の頃学んだフィリップ・エクセター学院の教育目標が「ルネサンス的教養人」を世に送り出すことであったこと。

○そこで文章は「簡潔なほうがいい」と作文方法を学んだ。そのため後にダン・ブラウンは記者や作家に文章を書いて成功する秘訣を聞かれたとき「パソコンの削除キーを惜しみなく使うこと」とよく語った。

○フィリップ・エクセター学院卒業後、スペインのセビーリャ大学へ1年間留学し、美術史を専攻する。その時一人の教授が「最後の晩餐」のスライドを見せ、イエスの右に座っている人物は、ヨハネでなく女性で、マグダラのマリアであり、この絵のどこにも葡萄酒の杯が描かれていない事実にふれた。

○その後シンガーソングライターの夢を追ってハリウッドに移り住むが、音楽業界に肌が合わないことを悟り、地元ニューハンプシャーに戻る。

○夫人のブライズは「ダ・ヴィンチマニア」とダン・ブラウンにいわせるほど、ダ・ヴィンチに強い関心を持っていたこと。

○ダン・ブラウンの作品は『パズル・パレス』、『天使と悪魔』、『デセプション・ポイント』、『ダ・ヴィンチ・コード』と4作あるが、そそれ以外に2作のユーモア本があること。

○ダン・ブラウンは音声認識ソフトで作品を書いていること。

○『パズル・パレス』はダン・ブラウンがいたフィリップ・エクセター学院で友人が学校のコンピューターからネットワークに接続して、国家の現状を批判するEメール友人に送り、それをシークレットサービスがかぎつけ、その友人に話が聞きたいと尋ねてきたことからヒントを得ていること。(これは『パズル・パレス』の解説にも書かれていた)

○アメリカでは作家もどうしたら自分の本が売れるか、エージェントや出版社を自ら探し、自作の売り込みをあれこれ手段を変え行うこと。

○『パズル・パレス』、『天使と悪魔』、『デセプション・ポイント』は思ったより売れなかったこと。

○題材を見つけたら、資料をインターネットで探したこと。

○2005年ヨハネパウロ二世が死去したとき、新教皇選挙の詳細やその秘密を報道するにあたり『天使と悪魔』に書かれていることを参考にして書かれた記事があったこと。

○『天使と悪魔』がローマのガイドブックがわりに使われたこと。

○ダン・ブラウンが小説をどのように練り、組み立てるか、その方法は以下の通り。
1.一に舞台、二に舞台、三に舞台-読者を未知の世界へ誘え。

2.きれのいい場面展開を-つねに物語を動かしつづけよ。

3.劇的な謎はひとつに絞れ-ひとつの煉瓦で土台を築け。

4.三つCで緊張感を生み出せ。
時計(Clook)-時間に追われる状況で人物を動かせ。
るつぼ(Crucible)-登場人物を閉じこめて熱しろ。
契約(Contract)-読者に約束し、それを守れ。

5.蘊蓄をちりばめよ-教える前に学べ。調査の上にも調査を。

6.情報を織りこめ-説明は小出しにして呑みこみやすくしろ。

7.推敲を重ねよ-最も愉快な工程。第一稿を終えたら、見なおしていじりまわせ。

○2001年9月11日の同時多発テロはその秋に期待をこめて出版されたフィクション、ノンフィクション、『デセプション・ポイント』も含めて、あらゆる記述が薄っぺらくしてしまった。

○『ダ・ヴィンチ・コード』の空前の大ヒットはそれまでかんばしくなかった『パズル・パレス』、『天使と悪魔』、『デセプション・ポイント』がどんどん売れるようになった。(たぶんこれは日本でも同じかも)

○ダン・ブラウンはラングトンをシリーズものとして小説のプロットやあらすじをすでに12も用意している。ただし1作が3年半かかっているので12作書き上げる頃はダン・ブラウンは80歳近くなってしまう・・・。

○第5作の題名は「Solomon Key」と決まっている。


評価
★★