2010年03月13日

マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-著『ロゼアンナ』

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 私が持っている「マルティン・ベックシリーズ」は二代目である。というのも最初このシリーズを読んで、その面白さを堪能した後、もう読み返すことはないだろうと思い、古本屋さんに売ってしまったのだ。ところがいつかふと思い出し、また読んでみたいなと思い始めた。こうなると是が非でも読みたくなり、またこのシリーズを買い求めたのだ。だから今手元にある文庫本5冊、単行本5冊は二代目になるのだ。そして同じ本なのだが、初版本と表紙違いの本を2冊古本屋さんで見かけたのでそれを買い求めている。
 今回このシリーズを読み直すと、これで三度目となる。今回は新たに買い求めた初版本と表紙違いの本を2冊と、それ以外に持っている二代目の本を読むこととする。

 さてこの「マルティン・ベックシリーズ」はマイ・シュ-ヴァルと妻のペ-ル・ヴァ-ル-の共作で、スウェーデンの名作警察小説である。よくエド・マクベインの「87 分署シリーズ」と比較される。もしマイ・シュ-ヴァルが死亡していなければ、もっとシリーズは続いたものと思われる。
 結局夫のペール・ヴァールーが1975年、まだ48歳の若さでこの世を去ったため、シリーズは10作となった。私はあくまでも個人的に思うのだが、結局10作にこのシリーズがとどまったことが、かえってこのシリーズをいいものとしたんじゃないかと思っている。「87 分署シリーズ」のようにだらだら続いちゃうと、どこか間延びした感じになってしまうのではないかと思うのだ。作品は以下の通り。

 『ロゼアンナ』(1965)
 『蒸発した男』(1966)
 『バルコニーの男』(1967)
 『笑う警官』(1968)
 『消えた消防車』(1969)
 『サボイ・ホテルの殺人』(1970)
 『唾棄すべき男』(1971)
 『密室』(1972)
 『警官殺し』(1974)
 『テロリスト』(1975)

 日本ではどういうわけか、第一作の『ロゼアンナ』から出版されず、『バルコニーの男』から出版され、『笑う警官』が第二作として出版されてる。
 そして普通親本として単行本があっていいのだが、これもどういうわけか『ロゼアンナ』から『消えた消防車』は文庫本しか見つからない。もしかしたらこのシリーズはここまでは文庫本オリジナルなのかもしれない。主人公はマルティン・ベック警視である。
 このシリーズが面白いのは、登場人物のキャラクターが警察という職場でも、ごく普通の冗談や会話をするところにある。だからかもしれないが、シリーズ全体で登場人物が楽しいし、警察というきな臭い職場であっても、普通に笑えるのである。そういうことだから人物たちを愛せるのである。私はマルティン・ベックの同僚のレンナルト・コルベリと、ここでは出てこないが、グンヴァルト・ラーソンが大好きである。
 さて『ロゼアンナ』の内容である。遊覧船が行き交うところで、浚渫船が女性の死体を引き上げた。司法解剖の結果、性的暴行を受けた後に絞殺されたことは判明したが被害者の身元は不明のまま捜査は行き詰まり、本庁の応援を仰いだ。ストックホルムからマルティン・ベックとその部下たちが集まり、捜査を続けるが、これといって手がかりがないまま、またしても捜査は行き詰まる。
 そん中アメリカから失踪者の照会があり、殺された女性がロゼアンナ・マッグロウであることが判明する。ロゼアンナの名前は遊覧船の名簿にもあり、どうやら、殺された後遊覧船から投げ落とされたと分かってくるが、それではいったい誰がロゼアンナを殺害したのか皆目判明しない。
 マルティン・ベックは遊覧船にロゼアンナが乗っていたことで、その他の乗客が観光目的で写真やビデオを撮っていたはずだと考える。その船に乗っていて、写真やビデオを取っていた乗客からそれらを取り寄せ、ロゼアンナに近づく人間を捜していく。そうしているうちに一人の不審者が浮かび上がったが、しかし事情聴取をしても、しらを通され、決め手に欠けた。
 そこでマルティン・ベックはその疑わしい人物に婦警を使っておとり捜査をし、罠をかけるのである。男はその罠にはまり、事件は解決する。
 あらすじをこう書いてしまうと、“なんだ”と思ってしまうが、捜査が行き詰まり、次の捜査方法を悩んで考えつき、さらにその先も同様にマルティン・ベックがどう捜査を進めていけばいいのか、苦しみながら考えるあたりは臨場感が感じれるのである。しかも特別変わった手法を取っているわけではなく、オーソドックスな捜査方法だ。だから犯人逮捕までの間がリアルに感じられた。


評価
★★★★


書誌
書名:ロゼアンナ
著者:マイ・シュ-ヴァル ペ-ル・ヴァ-ル-
ISBN:
出版社:角川書店 (1993/11 出版)角川文庫
版型:375p / 15cm / 文庫判
販売価:入手不可

2010年02月19日

久坂部羊著『破裂』

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 思惑、野望、恨みを晴らしたいと思う人が何人かがいる。それがからみ合いこの話は展開する。
 松野公造はそれまで勤めていた新聞社を退職し、ノンフィクション作家をめざしていた。社会部の記者時代、吐血し、進行性胃がんと診断された。再度別の病院で検査を受けたときは、今度は胃潰瘍と診断され、最初の医者の診断は何だったんだと怒りを覚えるし、それをその医者に言えば、「結果よかったのだからいいじゃないか」という無神経さに腹をたてる。さらに妻が妊娠し、子供がお腹の中で育たないと言われ、別の医者に行けば妊娠は可能と言われ、娘が生まれた。松野夫婦が受けた心の傷は筆舌に尽くしがたく、医者に対する不信感が医療の問題に目を向けることとなる。
 松野の医療ノンフィクションにネタを提供したのが大学病院の麻酔科の医師江崎俊であった。江崎は医師の公にされないミスを聞き回り、それを「痛恨の症例」として松野に提供していた。
 そん中、中山枝利子の父親が医療ミスで死亡したということを知る。枝利子の父親は心臓の僧帽弁置換手術を受けたが、五日後出血性心タナポナーデ(心臓を包む袋の中で出血し、その圧迫で心臓が止まること)で死亡した。その後枝利子のもとに父親は医療ミスで死亡したという内部告発文書を受け取り、父親の手術に医療ミスがあったのではないかと疑い始める。
 江崎は枝利子と会い、枝利子の父親の手術を調べ始め、父親が死亡したのは手術の際、置き忘れた縫合針が刺さって出血死した疑いがあることを知る。
 枝利子の父親を手術したのが心臓外科の助教授香村鷹一郎であった。香村は次の教授選候補であった。その選挙で香村は日々苛立っていた。手術のときもそうであった。
 香村のライフワークは“ペプタイド療法”というものであった。これは心不全に陥った心筋細胞を甦らせるものであったが、重大な副作用があった。それは心筋の再生はそれにつながる血管の内膜も増殖させ、血管が狭くなって、心臓が破裂してしまうのであった。 一方で厚生労働省大臣官房主任企画官佐久間和尚という人物がいる。彼は“厚労省のマキャベリ”と呼ばれるほど、強引な政策をそれまで推し進めてきた。そして佐久間は日本の超高齢社会へ抜本的解決策を画策する。それがプロジェクト《天寿》であった。
 プロジェクト《天寿》は人口ピラミッドも正常化、少子少老化社会の実現、政府による「寝つかない死、苦痛のない死」の保障、平均寿命の引き下げと、健康寿命との僅差化をめざすものであった。佐久間ははっきりと言う。

 「日本は超高齢化社会はなぜ発生したかおわかりですか。医療が無軌道に進歩したからですよ。医者には病気を治して命をのばすという単純な発想しかなかった。その結果、高齢者が増えすぎて、介護危機、年金破綻、老人の医療費問題、世代間のいがみ合いなどを生み出したのです。医療は進歩さえすればいいというあさはかな発想、唾棄すべき長寿礼賛の結果です。このまま老人が増えれば、日本は国を維持できなくなります。なのに医者どもは今も漫然と寿命をのばしつづけている」

 「医者は世間知らずで幼稚ですから。日本の超高齢社会だって、医者が創り出したも同然でしょう。平均寿命が世界一だなんて浮かれていますが、おかげで国がつぶれそうですよ」

 「一部ではこれを若肉老食と呼び、老人が若者を食い物にしている状況を揶揄している」

 「少子化はいいのです。問題は高齢化です。少子少老化にすれば、規模は縮小します」

 このプロジェクトには不完全な香村の“ペプタイド療法”が必要であった。不完全な“ペプタイド療法”が老人の抹殺に役立つのであった。なぜなら年寄りの心臓を一時的に元気し、若返らせ、ある日突然心臓が破裂する。何の痛みもなく、ぽっくり死なせることができるからである。そのため佐久間は香村を呼び寄せる。幸い中山枝利子が香村を訴え、裁判を起こしたのをいいことに、大学の教授職より新しくできるネオ医療センターの副所長として招く。佐久間が職権を乱用して、莫大な予算を餌にして香村を副所長にそえる。 ネオ医療センターの研究テーマは、老人に望ましい死を保障することで、確実で、苦痛で、苦痛がなく速やかで安全な、誰でも求める死を提供することあった。佐久間は医療に老人の死の落とし前をつけろと次のように言う。

 「若い世代は長生きを望みますが、それは老化の苦しさを知らないからです。現実の高齢者は大半が老いの苦しみに苛まれています。こんなにつらいのならいっそ早く楽になりたい。なのに死ねない。そんな人に生きろというのは残酷です。むかしはだれでも自然に死ねた。今は死ぬのがむずかしい時代です。医療のおかげで、苦しい長寿を生きなければならない。その落とし前をつけることも、医療の責務ではありませんか」

 この本は香村の裁判で、香村が犯した医療ミスの実体が大学という“白い巨塔”でどう隠されていくか描く一方、日本の超高齢社会の極端な解決策の恐ろしさを描いていく。医療ミステリーという立場を取りながらも、日本が今突きつけられている現実を、特に医療の進歩の極端な礼賛の落とし穴をうまく描いている。先の『廃用身』もそうだったけれど、ここまで考えないと、日本は滅びる可能性が大きいというのは、恐ろしい。佐久間の言うことを果たして簡単に押しのけることができることなのだろうか、と思う。
 ゼウスの時代から人間は増えすぎて、ゼウス自身焦っているわけだから、こういう結果になることに必然性があったのかもしれない。マルサスの人口論を持ち出すまでもなく、生物としての「人間」のあり方をどう考えればいいのだろうか。この本で「医療は反自然」と言っている部分があるが、現実を見るとまさにその通りだ。医療の進歩を手放しで喜んでいいものかどうか、考えてしまう。だから佐久間が画策するプロジェクトを単に小説の中の話として片づけられるものじゃない。


評価
★★★★


書誌
書名:破裂
著者:久坂部 羊
ISBN:9784344006980
出版社:幻冬舎 (2004/11/25 出版)
版型:450p / 19cm / B6判
販売価:入手不可 文庫本有り

2010年02月17日

久坂部羊著『廃用身』

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 この本も読もう読もうと思って、今日まで来てしまった。帯などに書いてある本の内容を読むと、ちょっとためらっちゃう部分があって、気が重くなっていたのである。しかし読んでいるうちに引き込まれてしまい、一気に読んでしまった。
 主人公の漆原糾は老人デイケアを中心とした神戸の「異人坂クリニック」の雇われ院長であった。このクリニックのデイケアに通う老人たちと接していて、廃用身である手足に苦しめられているお年寄り、そのお年寄りの介護に苦しんでいる親族、介護士を見ると、介護の未来に大きな不安を感じていく。廃用身とは脳梗塞などの麻痺で回復の見込みのない手足のことである。
 ある時脳梗塞で下半身と左上肢が完全に麻痺してしまった人がいた。この人は体重が九十キロもあり、親族も介護士もこの男の人を介護するのが大変であった。身体が重い分床ずれも起こし、それがひどくなっていく。もし廃用身の両脚と左腕がなければ、体重が五十キロくらい減らせるし、介護の負担も半分近く減る。「廃用身の切断」を選択肢が漆原の頭の中にむくむくと起き上がってくるのであった。それまでもこんな廃用身がなければいいのにと思っていたから、ますますその思いが強くなり、切断してはいけない合理的な理由がどこにあるんだろうかと考えていく。
 この男の人は親族の虐待にあって、足が壊疽を起こし、必然的に切断したほうがいいという話になって、両脚を切断した。そしてこの人が変わったのである。何か憑きものが落ちたみたいに、明るくなったのである。漆原は廃用身の切断が麻痺を起こした人に生きる希望をもたらすこと、介護する側にもその負担を軽減することを確信する。
 更に廃用身を切断することで、血流が変わったためか、脳に多くの血が流れるためか、それまでしゃべることもままならない人が言葉をしゃべるようになったりする効果を発見するのである。
 漆原は廃用身の切断にに介護の未来を見出すようになって行く。廃用身の切断はお年寄りのQOL(生活の質)を高めるものであると考えていく。そのため廃用身の切断を彼は「Aケア」と呼ぶようになる。「Aケア」のAは切断の英語「Amputation」の頭文字を取ったものである。
 廃用身はお年寄りを苦しめており、それからの解放は生活を一変させるほどの歓びだった。それまでは病気を悔い、麻痺した手足を嘆き、報われないリハビリに苛立っていたお年寄りたちが「Aケア」のあと、別人のように明るくなっていくのを確信していく。その「Aケア」の状況改善点を挙げると以下の通りになる。
・物理的に身軽になること
・気持が前向きになること
・介護者に気兼ねしなくてよくなること
・廃用身に対する嘆きが吹っ切れること
・廃用身の痛みや疼き、しびれ感、だるさなどが消えること

 しかしいくら廃用身とはいえ、人間の身体を不要だからといって、切断していいものかどうか。漆原は超高齢化社会の到来で、介護を維持していくには、何かを犠牲にしなければならないと考え、次のような詭弁を言う。

 「構造改革ばやりの昨今、企業は不要になった部門を切り捨て、効率アップを余儀なくされています。情やしがらみで成績の悪い部署や職員を温存していたのでは、全体の体力が落ちて倒産してしまいます。
 『Aケア』を身体のリストラと考えることはできなでしょうか。
 長年、働いてくれた手足を切断するのは、忠実な社員を解雇するのに等しい痛みを伴うでしょう。しかし、そうしなければ会社が倒産してしまうように、お年寄りも介護者も共倒れになってしまいます」

 「異人坂クリニック」は廃用身を切断した人が多くなり、当然それは社会の目にさらされ、非難、バッシングが始まる。それは人間の尊厳を大上段に構えているが、そのほとんどがその異様さを面白がるものばかりであった。いくら介護の破綻が目に見えていても、その解決策の一つとして廃用身の切断は受け入れられない人々の興味の対象となっていく。

 この本はそうしたバッシングに対する、「Aケア」の意味、すなわち「Aケア」が介護負担を軽減し、ひいては高齢者へのサービス向上につながり、危機的な老人介護の未来に貢献するものだという、漆原の考えを世に問おうとする原稿があって、それを本にしようとした編集者の矢倉俊太郎の「編集部註」の二部構成となっている。
 その「編集部註」で、なぜ漆原が廃用身の切断の考えに至ったのか、その彼の資質を生い立ちから追うことになった。そして「Aケア」の発案の根底には、漆原糾は合理主義者で不要なものは、徹底的排除しなければおさまらない頑なさがあったこと。さらに漆原の歪んだ嗜虐性があったことも矢倉は知るのである。漆原は患者の考えを一番に尊重して「Aケア」を勧めたが、どうもそこに追い込んでいく姿勢が明らかになって行く。患者に明るい未来を言い、人生の再出発を言うことで、患者に「Aケア」を選択させる姿が浮かび上がってくる。
 漆原もそうした自分の姿を段々認めていくこととなり、最後は「頭は わたしの 廃用身」という書き置きをして自殺するのである。
 更に「Aケア」が必ずしも明るい介護の未来ばかりをいうものではないこともわかってくる。すなわちたとえ廃用身であっても、手足がないことの不完全さに悩まされる人たちが少なからずいたことがわかってくる。

 廃用身の切断は超高齢化社会に介護という問題を考える上で究極の選択なのかもしれないが、だからといって「身体のリストラ」として受け入れていいものかどうか、考えてしまう。むしろそこまで考えないと介護の未来はないということに、危機感を感じてしまう。どちらかと言えばストーリーの怖さより、介護の未来を考えるとそっちの方が怖くなってくる。


評価
★★★★


書誌
書名:廃用身
著者:久坂部 羊
ISBN:9784344003408
出版社:幻冬舎 (2003/05/25 出版)
版型:323p / 19cm / B6判
販売価:入手不可 文庫本有り

2009年12月30日

吉村昭著『熊撃ち』

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 この本は読みたかったが、本屋で入手できなかったので、探していた。やっと見つけたのでさっそく読み始めた。
 吉村さんには『羆嵐』という作品があるが、これを読んで羆の恐ろしさが身に迫るほど恐ろしく感じたのを今でも思い出す。今回読んだこの本は『羆嵐』を書く前に書かれた本である。猟師やハンターの取材から生まれたものだった。つまりこの『熊撃ち』は『羆嵐』を生むきっかけとなった作品なのである。吉村さんも『羆嵐』は『熊撃ち』の副産物として生まれたものだったと言っている。
 この作品は七話からなり、一話一話主人公の猟師の名前をタイトルにしている。しかも主人公は実在し、物語も実際あった話だという。だからだろうか、とにかく北海道にいる羆(一話だけ内地の熊の話だ)の恐ろしさがひしひし感じられる。
 だいたいが羆に襲われた人がいて、その後羆狩りが行われるパターンなのだが、まずはその羆に襲われた現場の無惨さである。

 「娘が行方不明になってから五日目の十一月二十三日、捜索隊は、楢の木の根本にころがる無残な娘の遺体を発見した。衣服はひきむしられ、隆起していた乳房も荒々しく食いちぎられている。さらに腹部や腿や臀部など、肉のついている部分はすべて食い荒らされ、頭部にも鋭い歯の跡があり地下足袋もかじられていた」

「青年が、大鎌をふりあげた。羆と青年の体が、接近した。鎌の刃が、ひらめいた。と同時に、ゴキッという音がした。羆の掌が青年の頭部をうち、その衝撃で首の骨が折れたのだ」

 「老女を襲って肉を喰べた羆が射殺されて解体された。すると胃のなかから消化されなかった人体の表皮が出てきた。両掌に乗る程度の量だったので水でよく洗ってビニール袋に入れ、遺族に渡すことになった」

 「娘を喰い殺した羆が射殺された。解体すると胃のなかの肉は完全に消化されていたが、奇妙なものがとけずに残っていた。それは赤く固い拳のようなもので、ほぐしてみると都腰巻の繊維と毛髪のからみあったものだった」

 吉村さんの文庫版のあとがきで、「内地の月の輪熊は植物性のものを主食とするが、北海道の羆は、植物性のものを食べると同時に肉食でもある。牛、緬羊など家畜を襲い、人間も食い殺す」と書かれているが、まさにこれが証明している。その力はものすごい。とにかく羆は猛獣なのである。
 息子が羆に襲われ、その敵討ちとして一緒に猟師と山に入り、目の前にその羆が迫ってきたとき、息子を襲われた男はライフルを発砲し、絶叫しながら逃げ出してしまう。それほど素人には恐ろしい生き物であった。しかし猟師はそうした羆の恐怖に立ち向かえるほどの強靱な精神力で引き金を引き、羆を倒すのである。彼等はだいたいが寡黙であり、自然の怖さ、羆の怖さを充分に知っており、決して自然や羆を軽んじない。用意周到であり、狩りのためには、何日も山には入り、待ち続ける忍耐力を持っている人たちであった。 そんな恐ろしい羆であるが、一方で羆狩りが村の収入源であり、食糧でもあったため、羆狩りの時期が待ち遠しいところもあった。毛皮と胆嚢は高く売れたのである。
 とにかく羆がどこにいて、どうやって追い詰めていくか、その自然の厳しいさとともに、緊迫感がずんずん伝わってくる作品であった。


評価
★★★★


書誌
書名:熊撃ち
著者:吉村 昭
ISBN:9784167169268
出版社:文芸春秋 (1993/09/10 出版)文春文庫
版型:205p / 15cm / A6判
販売価:入手不可

2009年11月01日

三浦しをん著『まほろ駅前番外地』

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 この本が出たことを知ったときは、すぐ読みたいと思っていたのだが、あいにく読んでいる本があったので、今日になってしまった。あの多田便利軒の続編となれば、読みたくもなる。ただ悲しいことに詳しい内容は覚えていないが、とにかく面白くて大笑いしたことだけはよく覚えている。
 ちなみに自分のブログで検索してみると、前作を読んだのは3年前だ。3年前読んだ本の内容を忘れちゃうのもどうかと思うけれど、まぁそれだけ私の頭が老化していることなのかもしれない。幸いこうして読んだ本をブログでその感想を書き込んでいるので、検索さえすれば、当時のことがすぐ思い出せるので有り難い。早速当時書き込んだ内容を読んでみた。
 私はこの本を前作の続編と書いたが、実は続編とは違う。読んでみると、なるほど今回は、前作で多田便利軒に仕事を依頼した人の関係者の話であることがわかる。だから“番外地”と名をつけたのだろう。でも依頼者と違う視点で多田便利軒の多田や行天の姿が描かれていて、それはそれで面白かった。
 本の帯にも前作の登場人物のスピンアウトストーリーと書いてある通り、前作と同じ登場人物であっても話が別の方面のジャンルへの展開していく。そんなもんだから私は読んでいるうちに前作の依頼主や関係者の名前を思い出し、そうそう、そうだったと思いながら読んでいた。それはそれで結構楽しかった。こういう本の読み方も出来るんだなと感じた次第だ。
 私としては、地元のやくざである星とちょっと頭が温かい感じの女子高生(今風の女子高生はこんな感じなのかもしれないが)の清海との関係がアンバランスでおかしかった。その清海が携帯の充電を忘れたり、持ち歩くのを忘れたりするものだから、便利屋の多田が清海と連絡を取るのに、星の携帯に電話をかける。ちょうどその時星はやくざとしてとりこんでいるところなので、電話を取った星が「べーんーりーやぁあ!」と怒鳴るあたりは、間が悪いというか、何でやくざの星の携帯に便利屋の多田の名前が登録されているのか、おかしくて仕方がなかった。
 今回は笑いだけでなく、多田や行天のちょっと悲しい過去の部分も話の中でのぞいていて、これからどうなるのかなと思わせるところもあって、もしかしたらもう少し話が続くのかなと思わせる。私としてすぐにとは言わないけれど、もう何年かしたらその後の話が読みたいなと思う。でもシリーズものにして、話が陳腐になるのも、もったいないから(外の作家の作品でいくつも知っているので)、適当なところ話が終わるのがいいな。だってせっかく面白く、好きな物語なので、余計にそう思うのである。
 
 今回も前回同様まわりくどい感想など何もいらない、ただ単に物語を楽しんだ。笑ったり、おっ、どうなるんだと思ったり、気がついたら本が終わっていた。
 ということで、私もくどいことは書きません。ただ面白い。それだけです。私だっていつも堅苦しい本ばかり読んでいるわけじゃありませんって。いろいろ考えるのも好きですが、いつも小難しい感じでいられませんって。実はこういうのが大好きなのです。こういう話が楽しめるから本が面白のです。ハイ・・・。


評価
★★★★


書誌
書名:まほろ駅前番外地
著者:三浦 しをん
ISBN:9784163286006
出版社:文藝春秋 (2009/10/15 出版)
版型:286p / 19cm / B6判
販売価:1,575円(税込)

2009年09月21日

村上春樹著『ノルウェイの森』〈上〉〈下〉

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 書泉にこの本のポスターが貼ってあった。なんで今頃この本のポスターが貼られているのだろうとふと思う。確かに村上さんに最新刊が大きな話題になっているから、それも関係あるのかなと思ったが、よく見ると『ノルウェイの森』がその発行部数が1,000万部突破したことが書かれている。なるほどこれかと思った。
 そのポスターを見たからじゃないのだけれど、もう一度村上さんの作品を読み直してもいいかなと思っていたので、手始めにこの本を手にしたわけだ。私の持っている本は1988年8月17日の第20刷のものなのだが、久しぶりに手に取ってみると、古本の風格を帯びている。もうこれを読んで21年たったのかと、月日の流れが速いことを感じてしまう。
 この頃私はわずか10坪ほどの店の店長だった。私が持っている本は発売されて1年たった時の本なのだが、この時でもまだこの本は売れていて、仕入をしてもすぐ売れてしまい、仕入をするのに苦労していた。わずか10坪の本屋など問屋はまともに対応してくれないものだから、この本の配本なんかなかった。だからせっせと現金をもって神田村で仕入をしていた。ちょうどこの頃コミックの『東京ラブストーリー』もテレビドラマの影響もあって、それも売れていて、一緒に仕入をし、並べて売っていたはずだ。
 私は村上さんのこの本がどうしてこう長く売れ続けるのか知りたかったから、自分でも買って読んだ。ただ、今になるとそれほど本の内容が記憶にない。だから読み返すにはちょうどいいかもしれない。
 それで話はちょっと話は横道にそれるのだけれど、私の持っているこの本は上巻が赤、下巻が緑の一色で装丁され、帯が金色である。今の版もそうなのかどうか知らないが、これはクリスマスプレゼントにもってこいの装丁だ。実際当時クリスマスの時期にプレゼントにどうぞ!というのが講談社当たりから言われていたような気がする。(しかし恋人にあげて、盛り上がる本じゃないような気がするが・・・)
 ところで今回この本を再読するに当たり、そのままスキャンしたのだが、この金の帯が真っ黒になってしまうのである。そうか金色はうまくスキャンできないんだと知った。仕方がないので、私の趣旨から反するのだが、帯を取っスキャンする。

 さて、ワタナベが高校二年時の友人でキズキという仲のいい友人がいて、直子はキズキの幼友達であり、恋人であった。三人でうまく付き合っていくには一見バランスが悪そうなのだけれど、不思議なもので結局三人でいる方がうまくいく。こういうのってこの時期よくあるパターンだ。
 そして十七歳の五月の夜にキズキは自殺した。そして残されたワタナベと直子は人生の歪みに直面していく。とりあえずワタナベはその歪みを客観的に捉えながら生きていくが、直子はキズキの自殺の前に、姉の自殺を経験しているため、ワタナベより深刻な精神的に不安定に陥る。ワタナベは「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」と思うようになり、死というものが自分の人生に既に含まれてしまっているものだから、キズキの死を努力して忘れようとしても忘れ去れるものじゃないという境地になる。十七歳の時からそう考えなきゃならなくなったことは、これはかなりきつい。そこから自分の人生で失ってきた、あるいはこれから失っていくであろう多くのものを考え、そして後戻りできない事実に直面するとなると、嫌が上でも自分の人生に歪みが生じてくる。特に感受性の高いこの時期に友人の死は、間違いなく残された人に歪みを植え付けていくか、自覚させるだろう。そしてそうした歪みって、かなり怖い。それを感じるだけで、うまくうっちゃれればそれでいいのだが、もろ直面してしまうと、ただただ怖ろしいものではないだろうか。この小説はそうした歪みにどう対処していけるのか、ワタナベと直子の物語である。

 昔、たぶん中学生の頃だったと思うが、私はいつも感じていたことがあった。それは頭の中に一本の道みたいなものがあり、いつも自分はちゃんとこの道の上を歩いているだろうかと確認するのである。なんて言えばいいのか、よくわからないけど、それは私が進むべき清く正しい人生行路みたいなものだったような気がする。ときにちょっとした挫折(といっても大したことじゃなく、ほとんど失敗みたいなものだった)をすると、その道から外れた位置に自分はいると感じ、怖ろしくなったのである。何とか軌道修正してその道に戻らなければと焦った。そして今思うのだけれど、その道を外れていると感じたことはしょっちゅうで、些細なことでいつも不安に駆られていたような気がする。
 何でこんなくだらないことを書くかといえば、この本にある歪みって、たぶん私が当時感じていた不安や不安定感ともしかしたら似ているような気がしたのである。つまり私の頭の中にあった一本の道から自分がそれることは自分が歪んでいく過程だったような気がするのだ。
 私の場合、こんなくだらない感覚なのだが、おそらく誰しも若い頃にはどういう形であれ自分の歪みみたいなものに不安を感じ、恐れたことがあるんじゃないかと思ったりする。だからこの小説は若い人にとって“通過儀礼”のような一冊となって支持されているのではないかと思うのだ。
 そして長いこと人生を過ごしてきてオヤジとなった自分が今この本を読んで、むしろそうした時代が自分にも確かにあって、懐かしく思える。けれど一方でそういうピュアな気持ちがいつまでも続く方がおかしいのであって、そんなこといつまであり得るわけがないじゃないと半ばバカにするようになったことをどう考えればいいのか。喜ぶべきなのか、悲しむべきことなのか。そういうのが人生だと、どこからか聞こえそうだけど、少なくとも私はそんな風にぶりたくない。むしろこの悲しい物語を通して、かつて自分が自覚していたであろう歪みに対する不安を懐かしむのである。
 もしこの小説が今の若者の通過儀礼となっているなら、その若者はこの物語をどう感じるのか知りたくもある。またもし私の若い頃にこの本が出版されていて、読んだらどうだったろうかと思ってみたりする。直子みたいに不安に駆られるのか。あるいはワタナベのようにそうした歪みに彼なりの抵抗に共感するのか。考えてみるが、よくわからない。あるいはここにある性的描写に興奮するだけかもしれない。
 とにかく今の私はかつては共感できる部分があったかもしれないが、今となってはすれっからしのオジサンになってしまっているためどうしたって青臭く感じてしまうところはある。だからどこか懐かしい感覚でこの物語を再読する。しかしそれでも結構いけていた。

 直子が入所した療養所のルームメイトであるレイコさんの言葉がまず心に残る。

 「十九と二十歳というのは人格成熟にとってとても大事な時期だし、そういう時期につまらない歪みかたをすると、年をとってから辛いのよ」

 これって何となくわかる。やっぱり自分もそういう時期に妙な歪みかたをしたんじゃないかと思う。だからまだ諦めのつかないときは、もがいてきたような気がする。詳しく自分の歪みをここで書いても仕方がないことだから、これ以上は書かないけれど、確かにそういうことがあり、もがき苦しんできた。
 そしてたぶんそれは悲しんでいいことなのかもしれないけれど、諦めが歳と共に勝ち、歪みが当たり前となっている。かといってリセットして昔のようにもがき苦しむことを望むかと言えば、“もういい”と断るだろう。この歳になってももがき苦しむのはごめんだ。歪んでしまったものはもうしょうがない。
 直子もレイコさんと似たようなことを言っているのが印象的だった。

 「成長の辛さのようなものをね。私たちは支払うべきに代価を支払わなかったから、そのつけが今まわってきているのよ」

 直子の手紙も考えさせられる。

 「ある日私の担当医にそのことを言うと、君の感じていることはある意味正しいのだと言われました。彼は私たちがここにいるのはその歪みを矯正するためではなく、その歪みに馴れるためなのだといいます。私たちの問題点のひとつはその歪みを認めて受けいれることができないというところにあるのだ、と。人間一人ひとりが歩き方にくせがあるように、感じ方や考え方や物の見方にもくせはあるし、それをなおそうと思っても急になおるものではないし、無理になおそうとすると他のところがおかしくなってしまうことになるんだそうです」

 「私たちはたしかに自分の歪みにうまく順応しきれないでいるのかもしれません」

 「ここにいる限り私たちは他人を苦しめなくてすむし、他人から苦しめられなくてすみます。何故なら私たちはみんな自分たち『歪んでいる』ことを知っているからです。そこが外部世界とはまったく違っているところです。外の世界では多くの人は自分の歪みを意識せずに暮らしています」

 私はふと思うことがある。その歪みって、誰に対して、あるいは何に対して、歪んでいるということになるのだろうか。何かの対象となるものがあって、それに順応できないところが歪みというのであろうか。
 しかしよく考えてみると、人それぞれ人生に受ける衝撃の強度は違うはずで、その対応もまちまちであろう。またどういう形であれ、その衝撃から立ち直れる人もいれば、いつまでもそれを引きずる人もいる。そうなのだ。決して人は画一的に見られるものじゃない。そういうさまざまなタイプの人が集まって、いわゆる社会というものを形成しているわけである。だったら本来そういったことを認めていいはずのものが、いつの間にか、いつまでも引きずっている人間を隔離していく。それこそ“病気”として称して。そしてそのレッテルを貼られた人は自家中毒を起こし、自らを歪んでいると思い始め、それが高じて精神をおかしくしていく。
 自分のことを人に言いたくても、さまざまな事情でうまく表現できないことを悩む人がいる。そしてうまく言えない人を病気にしてしまう人がいるのである。だから人はそれこそ一所懸命、埋もれそうになりながらも、自分を表現していくのである。
 でも世の中にはワタナベのように自ら苦しんできた過去から歪みを自覚しながら、「みんな自分を表現しようとして、でも正確に表現できなくてイライラするんだ」と言える優しい人がいる。たとえその優しさが特定の個人対しての優しさであっても、そう言ってくれる人がいるだけでも、本来救われる。
 それに対して直子は「誰かに自分の思いを伝えたいと思い、机の前に座ってペンをとり、こうして文章が書けるということは本当に素敵です。もちろん文章にしてみると自分の言いたいことのほんの一部しか表現できないのだけれど、でもそれでもかまいません。誰かに何かを書いてみたいという気持ちになれるだけで今の私には幸せなのです」と書いている。ただ直子の人生の衝撃(姉の自殺、キズキの自殺)は、直子の性格を考えると、それに耐えうる以上のものであった。そして直子の自殺は、直子を助けようとして自らが強くなろうとしているワタナベに、追い打ちをかけることとなる。今度はワタナベが助けてもらう番となる。レイコさんや緑にである。それが読んでいてわかるものだから、この物語は救いがある。そういう意味でこの小説は読み直してよかったなと思った。ただワタナベ君ちょっとかっこよすぎるんじゃないのと思わないでもなかった。

 ところでこの小説を読み返してみて、なんだか一部どこかで読んだことがあるような気がしたのだ。確かにこれで二度目だから、当然そう感じてもおかしくないのだが、どこかに似たような村上さんの小説があったような気がしたのである。(最初読んだときはそんなことは思わなかったのだが)で、あとがきに短篇の『蛍』を肉付けしてこの小説が生まれと書かれていて、思わず“やっぱり”と思った。さっそく、手持ちの短編集を取り出して、読んでみた。そうかこの短篇がベースになっているんだと思いつつ、次はこの短編集を読み始める。


評価
★★★★


書誌
書名:ノルウェイの森〈上〉
著者:村上 春樹
ISBN:9784062035156
出版社:講談社 (1987/09/10 出版)
版型:267p / 19cm / B6判
販売価:1,365円(税込)


書誌
書名:ノルウェイの森〈下〉
著者:村上 春樹
ISBN:9784062035163
出版社:講談社 (1987/09/10 出版)
版型:260p / 19cm / B6判
販売価:1,365円(税込)

2009年07月20日

村上春樹著『海辺のカフカ』〈上〉〈下〉

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 村上さんの本を一度読み出すと絶対にはまってしまうことはわかっていた。そしてその不可解なストーリーに魅了され、呆然とし、精神的に疲れて、その読感をどう書いていいのかわからずにいることも。
 15歳の誕生日に家出をして、「世界で最もタフな15歳になる」ことを決意した「僕」と、知事さんにホジョをもらいながら生活しつつ、猫と話すことができることから迷子の猫を探す副職で小遣いを稼いでいたナカタさんの物語が交互に進む。そしてこの二人は四国でクロスし、二つの物語はやがて「入り口の石」に近づいてゆく。

 まぁここまでは何とか大まかに話の展開をまとめることができるが、それ以降どう考えたらいいのかかなり迷う。でも、一つこの物語を考える上で参考になることがある。たとえばナカタさんが猫と話すときのこと。

 「そうです。ナカタと申します。猫さん、あなたは?」
 「名前は忘れた」と黒猫は言った。「まったくなかったわけじゃないんだが、途中からそんなもの必要なくなってしまったもんだから、忘れた」
 「それでは猫さんのことをオオツカさんと呼んでよろしいでしょうか?」
 「なんだい、それは?どうしてオレが・・・・オオツカなんだい?」
 「いいえ、たいした意味はありません。ナカタが今ふと思いついただけであります。名前がないと覚えるのに困りますので、適当な名前をつけただけであります。名前があるとなにかと便利なのであります」
 「よくわからないな。猫にはそんなの必要ない。匂いとかかたちとか、ただあるものを受け入れればいいだけだ。それで不自由ないね」

 「田村カフカというのが君の名前であれば、ということだけど」

 「わたしの名前はわかるだろうね?」
 「ウィスキーを嗜む人なら一目見てわかるんだが、まあよろしい。私の名前はジョニー・ウォーカーだ。ジョニー・ウォーカー。世間のだいたいの人は私のことを知っている。自慢するんじゃないが全地球的に有名なんだ。イコン的な有名さと言ってもいい」

 「ホシノちゃん」
 「あんたは-」
 「そうだ。サンダース大佐だ」
 「そっくりだ」
 「そっくりではない。わしがカーネル・サンダースだ」
 「そのフライド・チキンの」
 「そのとおり」
 「よう、しかしあんた、どうして俺の名前を知ってんの?」
 「わしは中日ドラゴンズのファンにはいつもホシノちゃんと呼びかけることにしている。たとえば何があろうと、巨人といえばナガシマ、中日といえばホシノじゃないか」

 「おじさんはほんとにカーネル・サンダースなの?」
 「ほんとは違う。とりあえずカーネル・サンダースのかっこうをしておるだけだ」
 「そうだと思ったよ」「それでおじさん、ほんとは何なんだよ?」
 「名前はない」
 「名前がないと困らないかい?」
 「困らん。もともと名前もないし、かたちもない」
 「屁みたいだね」
 「そう言えなくもない。かたちのないものだから何にでもなれる」
 「はあ」
 「とりあえず、カーネル・サンダースという、資本主義社会のイコンとでも言うべき、わかりやすいかたちをとっているだけだ。ミッキーマウスだってよかったんだが、ディズニーは肖像権についてうるさい。訴訟されるのはごめんだ」
 「まあ俺もあんまり、ミッキーマウスに女を紹介されたくないね」
 「まあそうだろうな」

 つまり問題となるのは“名前”である。人や物に名前や固有名詞が付加されることによって、人はそれをそれとしか思わなくなる。猫にオオツカさんという名前が付いたとたん、オオツカさんの個性がそこに植え付けられるし、田村カフカという名の少年はどこまで行ってもこの物語では田村カフカでなければならなくなる。ジョニー・ウォーカーにしてもカーネル・サンダースにしてもその名前が出てくれば、ウィスキーの名前であり、フライド・チキンの名前となる。中日ドラゴンズのファンはホシノである。一見名前を付けることによって、差別化し、その個性を浮きだたせるようであるが、その名前を付けられたとたんそれ以外であり得なくなる。そうすることで非個性化し、ただの代名詞となる。余計なものが不要なものとして、ただ単にそのものとなるのだ。それがわれわれの日常なのだ。それで世の中が回っていて、それ以外を受け入れなくて済むようなっている。
 しかしそれは誰も知っているだけの、単に一時的に付けられた名前や固有名詞であって、本当にそれ以外のものはないのだろうか?この物語はそうした日常当たり前の世界が実はちっとも当たり前でない世界の側面を持つのではないかということを教えてくれる。それらの名前の下に隠れた世界が実はどこでもあって、ただ付加された名前によって隠されてしまっている。そんなことを感じた。そこには真の姿があるときもある。それを表現するために村上さんはいつものようにたくさんのメタファーを使い、もう一つの別の世界を作り上げ、そこに登場人物を入れてしまう。田村カフカ君にしても、ナカタさんにしても。
 日常は決して現実的ではなく、非現実的な側面を本来持っている。隠れたものがある。隠れたものには時に暴力的で、残酷なことなどをあからさまにしてしまう部分があるのだけれど、単にその行為を言葉で表すと、その言葉でしかなくなる。
 だから自ら非日常の世界に入り込んで(それは森の中であったり、井戸の中であったりして)あるべき姿が見えるまで待つ。そうしているうちに真の意味が姿を現す。これが村上ワールドじゃないかなんて思っている。

 ところで先に読んだ『ねじまき鳥クロニクル』よりこの『海辺のカフカ』の方が私は好きである。前作は人の真の姿を追求することばかりであって、どこにも物語として救いがなかったからだ。今回はナカタさんやホシノくん、大島さん、そしてカーネル・サンダースと笑い提供してくれる分、楽しく読めた。
 たとえば大島さんは最高である。

 「実を言いますと、私たちの組織は女性としての立場から、日本全国の文化公共施設の設備、使いやすさ、アクセスの公平性などを実地調査しております」
 「それで結論からまず申し上げますと、この図書館には残念ながらいくつかの問題点が見受けられます」
 「つまりそれは女性的見地から見てということですね」
 「まずここには女性専用の洗面所がありません。そうですね?」
 「たとえ私立の施設とはいえ、パブリックに開放された図書館であれば、原則として、洗面所は男女別にされるべきではないでしょうか」
 「原則として」
 「残念ながら男女別の洗面所をつくるほどのスペースの余裕はありません。今のところ利用者から苦情は出ていません。幸か不幸か、うちの図書館はそれほど混雑しないのです。もしあなたがたが男女別の洗面所の問題を追及なさりたければ、シアトルのボーイング社に行かれて、ジャンボ・ジェットの洗面所について言及なさったらいかがでしょう。私ども図書館よりはジャンボ・ジェットのほうが遙かに大きいし、遙かに混雑していますし、私の知るところでは機内の洗面所はすべて男女兼用です」
 「私たちは今ここで交通機関の調査をしているわけじゃありません。どうしてジャンボ・ジェットの話が急に出てこなくてはならないのですか」
 「ジャンボ・ジェットの洗面所が男女兼用であることも、図書館の洗面所が男女兼用であることも、原則的に考えれば、生じる問題は同じじゃありませんか?」
 「私たちは個々の公共施設の設備の調査しています。原則の話するためにここに来たのではありません」
 「そうですか。僕はてっきり、我々は原則について語りあっていると思っていたんですが」

 「ただしこの図書館では、すべての分類において、男性の著者が女性の著者より先に来ています」
 「私たちの考えるところによれば、これは男女平等という原則に反し、公平性を欠いた処置です」
 「曽我さん」
 「学校で出欠をとられるときには、曽我さんは田中さんの前だし、関根さんのあとだったはずです。あなたはこのことに対して文句を言いましたか?たまには逆から呼んでくれと抗議しましたか?アルファベットのGは自分がFのあとになっているからといって腹をたてますか?本の68ページは自分が67ページのあとになっているからといって革命を起こしますか?」

 「いいですか、僕が申しあげたいのはこういことです-小さな町の小さな私立図書館にやってきて、あたりをくんくん嗅ぎまわって、洗面所の形態や閲覧カードあらを探しているような時間があれば、全国の女性の正当な権利の確保にとって有効なことは、ほかにいくらでもみつけられるはずだ、と。僕らはこのささやかな図書館を少しでも地域の役に立つものにするべく、全力を尽くしています。書物を愛する人々のために、優れた書物を集め提供しています。人間味あるサービスを心がけています。あなたはご存じないかもしれませんが、この図書館の、大正から昭和中期にかけての詩歌の研究資料のコレクションは、全国的にも高く評価されています。もちろん不備はあります。限界だってあります。しかし及ばずながら精一杯のことはやっているのです。僕らができないでいることを見るよりは、できていることのほうに目を向けてください。それがフェアネスというものではありませんか」

 ここまで言われても引き下がらない曽我さんたちに大島さんは最後に自分が性同一障害に悩む女性であることを公にする(これは私も驚いたけれど)。さすがにそうなると大島さんの言うことに引き下がらずを得なくなっていく。
 大島さんは想像力の足らない人間をいちいち相手にしていたら、身体がいくつあっても足らないことを田村カフカ君にわからせる。その上で、「想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ。ひとり歩きするテーゼ、空疎な用語、簒奪された理想、硬直したシステム。僕にとってほんとうに怖いのはそういうものだ。僕はそういうものを心から恐れ憎む。なにが正しいか正しくないか-もちろんそれもとても重要な問題だ。しかしそのような個別的な判断の過ちは、多くの場合、あとになって訂正できなくはない。過ちを進んで認める勇気さえあれば、だいたいの場合取りかえしはつく。しかし想像力を欠いた狭量さや非寛容さは寄生虫と同じなんだ。宿主を変え、かたちを変えてどこまでもつづく。そこには救いはない。僕としては、その手のものにここには入ってきてもらいたくない」と言い切る。これはある意味この本の重要なテーマかもしれないと思う。

 あと、なんと言ってもカーネル・サンダースとホシノちゃんとのやりとりは大笑いした。

 「実はな、石はこの神社の林の中にある」
 「<入り口の石>だよ」
 「そうだ。<入り口の石>だ」
 「おじさん、それってひょっとしていい加減なことを言っているんじゃないよね?」
 「何を言うか。たわけものものが。わしがこれまでひとつでも嘘をついたか?口からでまかせを言ったか?ぴちぴちのセックス・マシンだと言ったら、たしかにぴちぴちのセックス・マシンだったろうが。それも大出血サービス料金、1万5000円ぽっきりで厚かましく三回も射精しやがって、それでもまだ人のことを疑うか」

 「でもさ、この石っていちおう神様の持ちものでしょうが。勝手に持っていったらきっと怒られるよ」
 「神様ってなんだ?」「神様ってどんなことをしているんだ?」
 「おれはそういうこと、よく知らねえけどさ。でも神様は神様だよ。いたるところに神様はいて、俺たちがやることを見ていて、良いか悪いか判断するんだ」
 「それじゃまるでサッカーの審判員じゃないか」
 「そういう風に言えるかもしれない」
 「じゃあ何か、神様ってのは半ズボンをはいて、口に笛をくわえて、ロスタイムを計っておるのか?」
 「しつこいね、おじさんも」

 「いいか、ホシノちゃん。神様ってのは人の意識の中にしか存在しないんだ。とくにこの日本においては、良くも悪くも、神様ってのがあくまでも融通無碍なものなんだ。その証拠に戦争の前には神様だった天皇は、占領軍司令官ダグラス・マッカーサーから『もう神様であるのはよしなさい』という指示を受けて、『はい、もう私は普通の人間です』って言って、1946年以後神様ではなくなってしまった。日本の神様ってのは、それくらい調整のきくものなんだ。安物のパイプをくわえてサングラスをかけたアメリカ軍人にちょいと指示されただけでありかたが変わっちまう。それくらい超ポストモダンなものなんだ。いると思えばいる。いないと思えばいない。そんなもののことをいちいち気にすることはない」
 「はあ」

 「でもさ、あの女の人は本物だよね。キツネだとか、抽象なんとかだとか、そういう面倒なものじゃねえよな?」
 「キツネでもないし、抽象なんとかでもない。実物のセックス・マシンだ。混じりけなしの愛欲の四輪駆動だ。けっこう苦労してみつけてきたんだ。安心しなさい」
 「よかった」

 しかし星野君、なかなかいい味を出している。ナカタさんと関わるうちに内面から変化してくる。ナカタさんが字が読めない代わりに星野君が読んでやり、<入り口の石>を探し出してやったりするうちに、自分が正しい場所にいるという実感がわいてくる。それをたとえてお釈迦様やイエス・キリストの弟子になった連中もこんな気分だったじゃないかと感じる。教義とか真理とかむずかしいことを言う前に、その程度乗りだったのかもしれないと思うところは、何となくわかるような気がする。おそらく星野君の考える通りだったんじゃないかと思えてくる。
 ナカタさんとの珍道中で、いろいろな景色の見え方変わり、それまで面白いと思わなかった音楽が心に沁みるようになっていく。そんな星野君を見ているとなんかその変化が話の展開とともにうれしくなっていくのが自分でも感じた。


評価
★★★★


書誌
書名:海辺のカフカ〈上〉
著者:村上 春樹
ISBN:9784103534136
出版社:新潮社 (2002/09/10 出版)
版型:397p / 19cm / B6判
販売価:1,680円(税込)


書誌
書名:海辺のカフカ〈下〉
著者:村上 春樹
ISBN:9784103534143
出版社:新潮社 (2002/09/10 出版)
版型:429p / 19cm / B6判
販売価:1,680円(税込)

2009年01月25日

渋沢幸子著『イスタンブール、時はゆるやかに』

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 私は著者のことはまったく知らなかった。ただ書名にある“イスタンブール”に惹かれた。私はこの町は叶わないだろうけど行ってみたいと思っている町である。
 コンスタンティヌス大帝が作った都、そして西ローマ帝国滅亡後も東ローマ帝国として、ビザンティン帝国の首都として続いた町。ギボンの『ローマ帝国衰亡史』の最終章で、オスマントルコのメフメット2世が「一層貴重で重要な贈り物が欲しい」と言った町、コンスタンティノポリス。一方ビザンティン帝国皇帝コンスタンティヌス11世が自ら異教徒の中で生き延びることを拒み「誰か私の首を斬り落とすキリスト教徒はおらぬか?」と絶叫した町。
 シルクロードの最終地点であり、アジアから見ればヨーロッパの入り口、ヨーロッパから見れば出口にあたる町。たぶんアレキサンダーも通っただろう町。さまざまな民族が行き交っただろう町。もともとはキリスト教の教会だったものをイスラムのモスクに変えられ、ミナレットが立つ町。金角湾、ボスフォラス海峡。そして庄野真代も“飛んでイスタンブール”と歌った。うん?
 渋沢さんはが言うように「この町では、歴史がバウムクーヘンのように幾重にも層をなし、モザイクのように入り組んでいる」のだ。たとえばグランドバザールと聞けば、さまざまな文化、風習、人種が入り乱れ、喧騒で、しかも楽しそうな雰囲気が漂ってくる。渋沢さんも「その魅力は容易に説明できるものではないが、あえて言えば、層をなす歴史の重みと、混沌の中の輝きであろうか」という。とにかく書名に“イスタンブール”とあると、なんだ、なんだと本に手が伸びてしまうのだ。
 で、読んでみてこれは楽しかった。そしてこんな旅ができるなんてうらやましかった。イスタンブールの旧市街地の町並みが残るといわれている、特にビザンティン時代のギリシア正教会の総本山であったアヤソフィア、あるいはトルコのブルーモスクや、トプカプ宮殿など訪ねられるところはうらやましくて仕方がない。
 さらに渋沢さんはトルコ内陸部、あるいはシリアやイラン国境近くまで行かれ、ティグリス・ユーフラテス川上流まで進む。そこには、オスマントルコ帝国発祥の地ブルサ。“歴史学の父”といわれるギリシアの歴史家ヘロトドス生地ハリカルナソスであったボドゥルム。トロイ。コンスタンティヌス大帝がキリスト教の教義を統一するために開いたニカイアの公会議で知られるニカイアであったイズニック。クレオパトラがアントニウスに初めて会った町、タルスス。背教者ユリアヌスがペルシャ討伐で交戦中に槍が刺さり三十二歳の生涯を終えた町、ハランと、私が知っている歴史がてんこ盛りだ。読んでいるだけでワクワクしてしまう。

 この本によると、渋沢さんはイスタンブールを中心トルコを最初に旅されたのは1981年で、ギリシアの側から列車で入られている。とにかくトルコの人はどうしてこんなにやさしいのかと思うくらい、ここでは渋沢さんに親切なのだ。よく声をかけられ、仲良くなっていくのだ。思わずほんと?と言いたくなるくらいなのだ。
 トルコ人の日本人びいきは、日本がトルコ人の宿敵ロシアを打ち破ったからだともいわれる。あるいは渋沢さんが言っているように中央アジアの騎馬民族が西に移動してトルコ人となったとして自らがその末裔だとして誇りを持っていて、その騎馬民族が東に向かって日本になったのだから同胞だというのも面白い。その同胞がアジアのリーダーとなり、世界大国になったということを誇りに思うトルコの人が多いというのには驚かされる。
 もっともこれはもう三十年近く前の話であるから、やっぱり日本人女性一人トルコを旅するのが珍しかったからじゃないかと思う方が自然である。もちろん危険にも遭遇しているが、それでもそうしたやさしいトルコの人と接して、すばらしい旅をされたことが、この本をいいものにしている。
 ところでコンスタティノープルがなぜイスタンブールになったかその由来を知った。この町をギリシア人がコンスタティノープルと呼ばず、エストムポールと呼んでいて、それがトルコに伝わり、イスタンブールになったらしい。エストムポールはギリシア語のエス・テン・ポリン(都市へ)がなまったものと言われている。しかし現在、トルコとギリシアは仲が悪く、イスタンブールと呼ばず、コンスタティノープル呼んでいるのが渋沢さんは不思議だといっているのはおかしかった。


評価
★★★★


書誌
書名:イスタンブール、時はゆるやかに
著者:渋沢 幸子
ISBN:9784101458212
出版社:新潮社 (1997/03/30 出版)新潮文庫
版型:276p / 15cm / A6判
販売価:入手不可

2009年01月22日

アガサ・クリスティー著『ABC殺人事件』

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 またクリスティーの作品に戻る。この本もおもしろかった。


今回もねたばれ注意


 Aの頭文字がつく土地でAで始まる名前の持ち主が殺され、B頭文字がつく土地でBで始まる名前の持ち主が殺される。さらにC頭文字がつく土地でCで始まる名前の持ち主が殺される。殺人現場にはABC鉄道案内が残されていた。殺人の前には必ずポアロのところに殺人予告の手紙がABCと称する人物から届いている。
 話はポアロの友人でワトソン役を務めるヘイスティングスの叙述で進められるが、途中「ヘイスティングスの記述でない」という三人称の章をはさみ、一見この殺人事件とは無関係な人物(猫背で近視のストッキングの行商人)ことが書かれる。

 この三つの殺人事件は今までポアロたちが扱ってきた事件とは違い、三人の被害者には何ら関係が見出せない。ただ犯人がABCの順で人を殺していくというもの。だからポアロは「これまではいつも、内部から調べるというのがわれわれの仕事でした。重要な点はこうです。“この死によって利益を得るのは誰か”これまではつねに“内部の犯行”でした。今回は、わたしたちが協力するようになってはじめて遭遇した、没個性的な殺人です。外部からの殺人です」と言う。つまり今までの犯人は必ず被害者を中心の人間関係の中にいて、犯行の動機もその人間関係の中にあったが、今回はまったく違うということなのだ。
 そこでポアロの提案で被害者の関係者が集まって、一見無関係な殺人事件に関連を見出そうとし、殺人事件があった日に何か思い出すことがないか、話し合いがもたれる。しかし集まった被害者の関係者は、自分達が目撃したことはすべて警察に話しているので、もうこれ以上何も思い出すことはないと言う。しかしポアロは「いえ、いえ、マドモワゼル。そうではありませんぞ。それぞれが、何かしら知っているのです。-自分たちが何を知っているのかさえわかりさえすれば。かならず何かを知っているはずです、それをつかめばいいだけなのです」と言い、自分たちが何を知りたいのかそれさえわかれば、記憶の中から新しい何かを見出すことが出来ると言うのである。そうして一人のストッキングの行商人が三つの殺人事件の現場にいたことをつきとめるのである。
 しかしこの行商人には、特にB頭文字がつく土地でBで始まる名前の持ち主を殺すには無理があった。というのも殺されたのは若い尻軽娘で、どう考えてもうだつが上がらない、しかも猫背で近視のさえない男についていくようには見えない。しかもこの時行商人にはアリバイがあった。この時この三つの殺人事件は、実は一人の人間を殺したいために、他の二人が殺されたのではないかと思うようなる。つまり“木を隠すには森”である。そのため無差別殺人を装い、何ら関係のない人間をABCの順で殺し、ポアロたちを混乱させたのである。
 ここまで来ると今度は外部犯行から内部犯行に視点が移っていくことになり、ポアロの元に集まった関係者に真犯人がいることになる。
 こうしたストリーの運び方がすこぶるうまい。ヘイスティングスの記述の記述から突如「ヘイスティングスの記述でない」という章をもうけて、ストッキングの行商人を描き、こいつが犯人ではないかと思わせつつ、しかしどこか無理があるように描いていく。
 そしてこの行商人が犯人ではないだろうと確信するのだが、ではなぜこの男は三つの殺人現場の近くにいたのだという疑問がわくし、Dのつく土地と名前の人間を殺したとき(この時の被害者はDの頭文字を持つ人間ではなかった)、なぜこの男は凶器のナイフを持っていたのか。男の自宅に家宅捜査が入ったとき、何故部屋にABC鉄道案内があったのか、なぜこの男が犯人に仕立てられたのか、など違う疑問が生まれてくる。だからページがどんどん進んでしまう。なかなかおもしろいミステリーであった。


評価
★★★★


書誌
書名:ABC殺人事件
著者:アガサ・クリスティー 堀内 静子【訳】
ISBN:9784151300110
出版社:早川書房 (2003/11/15 出版)ハヤカワ文庫―クリスティー文庫
版型:412p / 16cm
販売価:798円 (税込)

2008年12月24日

東野圭吾著『聖女の救済』

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 この「ガリレオ」シリーズが映画化されるためか、新刊として2冊このシリーズが発売された。というわけで、まずは長編のこの本から私も読むことにする。おもしろかった。
 毎度ミステリーに関して書くのに苦労する。どこがどのようにおもしろかったのかを書いちゃうと、ネタバレしてしまうから、これから読もうとする人が、もしかして私のブログを読んで、おいおいここまで書いちゃ、読む気が起こらんだろうと文句を言われかねない。でも、ある程度話の内容を書かないと、私にとって備忘録にならないので、ここは我慢してもらわなければならない。

 綾音は夫の真柴義孝から一年以内に子供ができなかったので別れようと言われる。それは二人の結婚時の約束でもあった。そもそも綾音は子供が産めない身体であったから、一年後綾音は義孝から捨てられる運命でもあった。
 そして一年後のために綾音は義孝の運命を握るべく、義孝殺害のトリックを仕掛ける。それは綾音が子供が産めなくても、義孝が綾音を必要とすれば、それを破棄すればいいし、結婚時の約束を義孝が言い出せば、それを実行すればいいだけであった。「綾音にとっての結婚生活とは、絞首台に立った夫を救済し続ける毎日であった」。そしてその救済が終わったとき、義孝は殺されるのであった。
 この小説は犯人が最初からわかっている。だから犯人がどのようにしてトリックを仕掛け、犯罪を遂行していくか、その部分の謎解きがこの本の醍醐味となる。さすがにそれはちょっと書けない。でも、トリックがわかったとき、「すごい!」と思ってしまった。こういう動機なら、またこういうトリックなら完全犯罪は可能であろうと思われた。そういう意味では充分楽しめた。

 それはそうと、ガリレオこと湯川学がどうしても福山雅治と完全に結びついちゃって、ちょっとまずいなと思った。テレビドラマを見なきゃよかったなぁと思った次第だ。
 また、内海薫がi-podに福山雅治の曲を入れて聴いているという描写は、おいおいちょっとテレビや映画を意識しすぎじゃないのと思ったが、まぁ、話は充分楽しめたのだから、許すことにする。続いて短編の方も読み始める。


評価
★★★★


書誌
書名:聖女の救済
著者:東野 圭吾
ISBN:9784163276106
出版社:文藝春秋 (2008/10/25 出版)
版型:378p / 19cm / B6判
販売価:1,699円 (税込)

2008年12月20日

井原万見子著『すごい本屋!』

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 すごい本屋とは井原さんのイハラ・ハートショプのことである。お店のあるところは和歌山県。お店までJR和歌山駅から在来線で六〇分。御坊駅というところで降りて、路線バスで川原河めで五〇分。そこからコミュニティバスに乗り換えて二〇分の平橋で下車とある。つまり和歌山駅から二時間以上かかる山奥である。この本の最初に多分お店のある村の全景の写真だろう。それがあるが、まわりを山に囲まれている。川の流れる水の音、山桜、山藤、ホタル、秋の月、神社のイチョウが黄色くなる。冬には雪。イノシシ、鹿にも出くわすらしい。
 とにかく自然が豊かなところとは想像がつくが、いったいどこにあるんだろうと思ってしまう。Google Earthで調べてみて、「えっ~、こんなところで本屋さんなんてやっていけるの?」と思ってしまった。

 この本によると、イハラ・ハートショプの前身は井原さんの伯父さんが二十二年前にはじめた本屋さんである。その時はここには図書館もなければ、本屋も車で一時間近くかけていかなければならなかったという。村の人たちは伯父さんが大阪で本屋を開業したことを聞いて、この村にも本屋さんがあればいいなあという要望に応えてできたお店だそうだ。そしてその後を井原さんが継いだ。名前のイハラ・ハートショプとは井原さんの兄弟が自動車修理工場のイハラ・ボディーショップを開いてるので、ボディーがあるから今度はハートということで決まったそうだ。
 イハラ・ハートショプは現在集落に残るたった一つの小売店になってしまっているので、村人の要望を聞いて本だけでなくお菓子や日用雑貨、味噌や醤油なども置いている不思議な本屋さんである。アイスクリームもパンも、タバコもお線香も置いている。
 本の荷物が届くのは午後一時頃。新刊配本は受けていないという。要は注文品だけということなのだろう。お客さんもその点は心得ていて、きちんと入荷を待ってくれるという。だから「この書籍の入っている箱を開ける瞬間は、とてもわくわくします。茶色いダンボール箱の横に、青い文字で顔をデザインしたトーハンマークがついているだけのシンプルな箱なのですが、私にはリボンのついたプレゼント箱のように見えます。そして開いてみて、お客さんが楽しみに待ってくれている本が入っていると、小躍りしてしまうのです」と井原さんは書く。
 店に置いてあるのは絵本各種。「文藝春秋」や「現代農業」などここでの売れ筋の雑誌。文庫、コミックもあるという。久しぶりに「現代農業」という雑誌名を聞いた。もちろん農文協の農業書も置いてあるという。思わず、「へぇ~、農文協の本とはなるほどね」と思った次第だ。農文協という出版社は農業書はもちろん、食に関する本、児童書など、意外とおもしろい本をだしている。昔、どぶろくの作り方の本をよく売ったものだ。

 とにかく山奥にある小さな本屋さんである。本の流通も都会の本屋さんみたいなわけにはいかない。流行のものや話題の本などそう簡単に手に入るわけじゃないだろう。しかしだからこそ、はやりすたりの激しい本など追いかけずに、お客さんの要望に応えられる本を置く。この店は競合店の心配もなく、顔見知りのお客さんとゆっくり対応したりして、懐かしい書店だと井原さん自身言われる。人はイハラ・ハートショプは周回遅れの最前線の本屋さんと称したらしいが、周回遅れでも、何事にも乗り遅れまいとして走りまくってきた都会の書店がどんどん潰れていく中、この和歌山の山奥で存在価値がある本屋さんが元気に頑張っておられるというのがうれしくなってしまう。
 特に子供の本には井原さんは力を入れておられる。なぜ子どもの本に力を入れるのか、この本では詳しく書かれていないが、井原さんの同級生が子供を残してわずか二年半の闘病生活後亡くなられた。その同級生は自分が子供のそばにいて何も助言できないことで、一冊の絵本に子どもたちの成長を見守って欲しいと願いを託していったことが、絵本に取り組むきっかっけとなられたようだ。
 だから村の子供たちにもっともっと本とふれあってほしいという気持になり、児童書の見本を持って、小学校に出かけ、先生ではなく子供たちに本を選ばせる。ここではあくまでも子供が主役だ。子供が自ら絵本を選び、座り込んで夢中で読む姿が描かれるけど、そこには強制された読書では見られない光景がある。ホント強制された読書はつまらない。子供が本嫌いになるのはそうした強制された読書や感想文なんか書かされるからだと井原さんは言っておられるけど、まさしくその通りだと思う。
 そうした絵本の魅力を村の子供たちにさらに伝えたくて井原さんは絵本の原画を出版社から借りて展示したり、絵本作家を山奥に招いて朗読会やサイン会などを行い、子供たちと本のふれあいの輪を広げていく。絵本の原画を見る子供たちや作家のサイン会に参加する子供たちの目がきらきら輝いているのが見えそうな気がする。
 そうした絵本の原画を借りに行くため、あるいは作家さんにこの山奥に来てもらうために、井原さんは水曜日の定休日を利用して火曜日の夜に夜行バスに乗り、東京にある絵本の出版社に協力を得るため訪ねるのである。井原さんは「田舎で暮らしていますと、あきらめなければならないことが多すぎて・・・・。それでも、本と本屋に関わっていることで、著者に会い、絵本原画を見る機会が作ることができるんだと、知りました」という。あるいは「業界が厳しいと言われるようになった時代じゃなくても、当店は最初から厳しい環境にありました。ただ黙って待っているわけにはいかないなと動いていたら、イベントを開催できました」とも言っている。そうしたイベントを通して井原さんは「子どものころの体験が、大きくなってからの自分の進む道に影響するのだな」と思うのである
 ここを訪れた作家さんは「そうか、本はラーメンやパンや醤油と同じ日用品なのだ!」と店の品揃えを見て納得するのを読んで、本は特別なものではなく、そうした日用品の一部であることに案外意味があるのではないかと思えてくる。
 都会のようにたくさんの本が氾濫していると、あまりにも情報がありすぎて、その子にとって本当に必要な一冊が見つからないのではないかと思ったりする。本との出会いも一期一会であって、それは都会であってもイハラ・ハートショプのような山奥にある本屋さんでも関係ない。どこで自分が読みたい本に出会えるか。あるいはそれを提供してもらえるかにかかっているのではないかと思う。そういう意味では井原さんは村の子供たちに本の出会いを提供しているわけだから、それだけでもすばらしいことだと思うのだ。
 何でもかんでも流行を追いかけることで疲れはて、本当に自分は何を求めていたのかさえ忘れてしまう現代にあって、いいものに出会わせることに力を注いでおられる井原さんに敬意を表してしまう。
 井原さんののそうした行為と、子供たちの輝く目が見えるいい本であった。またこの本を読んでいて絵本の持つ魅力もあらためて考えさせられた。


イハラ・ハートショプ
http://www5.ocn.ne.jp/~i-heart/


評価
★★★★


書誌
書名:すごい本屋!
著者:井原 万見子
ISBN:9784022504050
出版社:朝日新聞出版 (2008/12/30 出版)
版型:220p / 19cm / B6判
販売価:1,680円 (税込)

2008年12月16日

本多孝好著『チェーン・ポイズン』

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 駅で息子と会った。彼は大学へ行く途中、私は新宿へ本を買いに行くために、おなじ地下鉄に乗る。久しぶりに息子と話す。それまで何か気分が晴れなくて、気晴らしに本でも買いに行くかと出かけたのだが、しばらく息子と話している内に、気分が晴れ、いい心地になった。私は彼の感性、繊細さが好きなのである。
 最近なんかおもしろい本を読んだか?と聞いたら、この本を教えてくれた。持っているなら貸してくれと頼み、翌日貸してもらった。さっそく読み始める。一気に読んでしまった。最後に「あれ、おかしいじゃん?なんで?」と思った。しばらくわけがわからなかった。そして気がついたのである。私は作者のトリックにまんまとだまされていたことを。それがわかったとき、「やられた!」と思った。

 この本は高野章子が自分と同じ名前の人物が二十歳で自殺した高野悦子の『二十歳の原点』を手に取るところから始まる。

 そして誰も待っている人間がいない、単調な一日を送る女がいた。彼女は会社に行く気が起こらなくなった。行った公園のベンチに座り「もう死にたい」と呟いたとき、「本当ですか?」と声をかける人物がいた。その人物は、死ぬのを一年待ってくれたら、一瞬で楽に、眠るように死ねる薬を褒美として差しあげるという。
 女はその言葉を信じ、自分が勤めていた会社を辞る。時間つぶしに住宅街をふらふら歩いているときに児童養護施設のボランティア募集張り紙を見て、そこで一年間を過ごすことにする。

 週刊誌の編集部にいる山瀬は以前取材した突発性難聴にかかったバイオリニスト如月俊と妻と娘を無惨に殺された持田和夫がアルカロイド系毒物で自殺したことが気にかかっていた。如月俊は発病から一年半で、持田和夫は妻と娘を殺した犯人の死刑が執行されて一年後服毒自殺した。二つのキーワード、アルカロイド系毒物、一年という時間が気にかかった。何故同じ毒物なのか?なぜ一年という時間を置いての自殺だったのか?
 そして彼らと山瀬と何ら関係ない元OLの高野章子がやはりアルカロイド系毒物で、会社を辞めて一年後服毒自殺したことを知る。山瀬は高野章子のことを調べ始める。山瀬は彼ら三人にアルカロイド系毒物を売ったセールスマンがいるのではないかと推理し始めるが、それでも何故一年なのかわからなかった。
 物語は山瀬が高野章子の生前の生活を調べるのと、女がボランティアで一年過ごすことが同時に書き進められる。私は読んでいるうちに、この女が高野章子だと思いこまされてしまった。
 しかし私は山瀬が高野章子の生前付き合いのあった人物に会ったり、章子の両親に会ったりしているのに、章子が児童養護施設でボランティアをしていることが調べられないのが不思議であった。ここで高野章子と女は別人と気づくべきだったのかもしれない。

 女は施設でボランティアをしている内に、そこにいる子供たちと深い関係が築きあげられいくのを感じ始める。自分は一年後自殺をする覚悟でいる。約束の日まで今日も頑張って一日を潰した。近づいたと思っていた女が、いつかここにいる子供たちの将来も見てみたいという気持にもなる。
 そこへ園長が病気で死んでしまい、施設が解散される事態に陥る。園長の息子は施設の土地を売って、それを選挙資金にして区議会議員に打って出ようとしていた。そこで女は自分が自殺して入る保険金で子供たちの将来を保障してやろうとする。
 一方同じ施設で働く工藤たちは施設の存続を求めるホームページを立ち上げ、区政に打って出る園長の息子の中傷をそこに書き込む。怒った息子は女を襲うが、この時この女が高野章子でないことを知らされる。

 この本はミステリーの楽しみも充分堪能できたが、自殺を望む人間の絶望感にも考えさせられてしまう。山瀬が高野章子のことを調べているうちに、章子の性格がわかり始める。取材をしているうちに章子が「どんなに面倒なことでも、それで丸く収まるのなら、すべて自分が引き受けていた女性。その不器用な姿に、周囲は同情ともに、それよりも強い苛立ちを抱いてしまう女性。お線香を上げてあげたいという悼みより、お線香を上げてあげなきゃという義務感を覚えさせる女性」であることが浮かび上がってくる。そんな女が三十年以上も生きてきて、いろいろなものが溜まってしまい、自らの容量から溢れてしまったとき、自殺したのではないかという友人の言葉が重く響く。
 突発性難聴にかかったバイオリニスト如月俊にしても、、不遜で、傲慢で、けれど決して演奏に妥協しない過去の自分が、障害を乗り越えて演奏する自分をよしとしない。だから死ぬしかないという絶望感。
 妻と娘を轢き殺された持田和夫にしても、犯人が死ぬまで自分は一秒でも犯人より先に死ぬわけはいかない。犯人がいない世界を見届ける義務があると思っていた。けれど、犯人の弁護士がありもしない事実をでっち上げ、事実そのもを意識的にねじ曲げて弁護するのを見て、犯人みたいな化け物やそれを守ろうとする化け物が現実の社会にいることを知らされる。世界は何も変わらないという絶望感は、まさしく被害者や関係者でなければわからない、憤りのやり場のない絶望感がここに示される。
 そんな彼らの絶望感は何ともやりきれなかった。希望は人に生きる力を与えるかもしれないけれど、絶望はいった人に何を与えるのか。あるいは奪うのか。そんなことをふと考えさせられる本であった。


評価
★★★★


書誌
書名:チェーン・ポイズン
著者:本多 孝好
ISBN:9784062151306
出版社:講談社 (2008/11/01 出版)
版型:332p / 19cm / B6判
販売価:1,680円 (税込)

2008年12月12日

吉村昭著『光る壁画』

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 この本は多分昔読んだはずだ。でも、もう一度読みたくなって文庫本を購入する。今は私も毎年一回はお世話になっている胃カメラの開発物語である。初めて読んだときは、まだ胃カメラのお世話になっていなかったから、それほど身近なものとして感じられなかったが、今は「どれどれどのようにして胃カメラ誕生したのか?」、と興味があった。
 開発は戦後まもなくオリオンカメラ(モデルはオリンパスカメラ)の曽根菊男(モデルとなった人は深海正治)のところに東大医学部附属病院分院の副手宇野達郎という外科医が胃カメラの製作を依頼するところから始まる。
 それまで胃の中を見るには、レントゲン写真を撮る方法と、胃鏡という方法、それと胃内撮影(これは実用化されていないし、失敗していた)の三つの方法があった。
 恐ろしいのはこの胃鏡という方法である。なんと口から金属の管を胃の中まで差し込んで、上から見る方法なのである。しかし金属管を飲み込むことが出来る人たちがいるのである。大道芸人の呑刀師という人たちである、よくあるでしょう、剣を口に入れて奥まで呑み込む芸をする人たちである。その人に直径十三ミリの金属管を呑み込んでもらい、管の中に光を送って胃の中を覗いたのが最初であったという。その後この胃鏡は多少改良されて、一般の患者に使われたが、食道を破ってしまう事故などが起こり、結局使用が避けられていた。
 依頼された曽根は、まずは胃の中まで入る管を、金属管ではなく、患者の苦痛の少ない素材で作り、次に胃に入った管にカメラを付けて、胃の内部を撮影する方法を、試行錯誤しながら開発していくのである。
 今みたいにファイバースコープなどない時代である。管の先に直接カメラ、六ミリフィルムを入れるマガジン、光源となる豆電球を付けるのである。人間の咽頭の広さは平均十四ミリだそうで、管はそれ以下でなくてはならない。当然管にも厚みがあるし、しかもその中に光源である豆電球と、カメラを装置しなければならないのである。
 まずは管の素材を探し、次に管の中に入るカメラ。当然レンズも極小のもとなる。電球ももちろん小さい物でなければならない。電球は小さくなればその光量も少なくなる。それを明るくすれば、今度は中のフィラメントがすぐ焼き入れてしまい、耐久性がなくなる。
 驚くのは戦後間もないこの時期に、胃カメラに付ける小さなレンズを磨いて作る人や、極小の豆電球、しかも光量があって耐久性のあるものを作れる職人がいたことである。
 おもしろいのはこの胃カメラに使う素材を当時巷にあった素材から探し、あるいは応用して、試作器を作り上げていくことである。たとえば、マガジンに入った六ミリのフィルムを一コマずつ引っ張り出す糸(シャッターの役目をするもの)に三味線の弦を応用する。またレンズが固定焦点なものだから、カメラと胃壁に一定の距離が必要となる。しかしこの胃カメラは一端胃の中に入れてしまうと、管の先端がどこにあるのかわからなかった。そのため透明なコンドームをカメラのついた先端に付けて、ふくらまし、そのことでカメラと胃壁の距離を一定にするのである。物資の少ない時代だから余計にそうしたさまざまなものを応用していく。まさしく“手作り”の胃カメラであった。
 しかし根本的な問題があった。先に言ったように、胃カメラが胃のどの部分あって、どこを撮しているのかわからないということなのである。今みたいにモニターがあって、それを見ながら操作出来ないのである。試作器を使って犬の胃を撮影しているとき、実験室の電球が切れた。その時、犬の腹がうっすらと光るのである。そうなのだ。胃カメラの豆電球が内部で光っているのである。まさしく“光る壁画”であった。偶然が胃カメラの操作方法を教えてくれたのであった。
 こうして試作器の胃カメラを犬を使って実験し、ある程度成果が出た時点で、今度は人に使うようになる。しかし何せすべてが初めてのことである。胃カメラを入れても奥まで入っていなかったりして、うまく胃の内部が写らない。それでも病院内の外科医が自ら実験台となって、胃カメラを呑むのである。こうして日本で世界最初の胃カメラが誕生したのである。
 この小説のおもしろさは胃カメラ製作に当たっての試行錯誤していく過程が描かれていることと、彼らがいた時代風景がうまく描かれているところである。その時代背景がよくわかり、いかにも戦後だなと思った

 主人公の曽根は箱根の旅館の息子でもあった。奥さんに旅館経営を任せて、自らは実験の合間に帰る単身赴任であった。この本を読んで知ったのだけれど、戦後の箱根の旅館に宿泊する人たちは、宿泊の条件として一食一合のお米を持参して、それを旅館の女中さんが計って受け取っていたという。戦後の食糧難がよくわかる。また曽根たちが東大病院に実験に行くときは、胃カメラをリュックサックに入れて背負って行くところなど、よく戦後日本を映した映画などに見られる風景である。
 またこの本では堅苦しい実験の模様だけでなく、曽根と妻の京子との人間関係も、感情も生々しく描かれていて好感をもった。いい小説であった。
 いずれにしても、この人たちのお陰で、私の胃の健康も維持されているとことがあるわけだから、感謝しなければならない。でも来年春にはまた胃の検査があることを思うと、やっぱり憂鬱だなぁ~。


評価
★★★★


書誌
書名:光る壁画
著者:吉村 昭
ISBN:9784101117171
出版社:新潮社 (1984/11 出版) 新潮文庫
版型:313p / 15cm / 文庫判
販売価:499 円(税込)

2008年12月09日

吉村昭著『わたしの普段着』

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 私はどうも一回気に入ってしまうと、凝るところがあって、続けてその作家の本を読みたくなるのである。吉村さんの本もそうである。
 実は以前にも何冊か吉村さんの小説を読んでいる。けれどどこか吉村さんの小説は堅苦しく感じていた。もちろん自分の興味のある歴史小説なので、読むことは読むのだが、続けて読みたいとはなかなかなれないでいた。
 たとえば司馬遼太郎さんの歴史小説と比べてみても、司馬さんの小説はどこかあそびがあって、話が重くなると“閑話休題”と称して、雑談ぽくなる。それがまたおもしろいのだが、吉村さんの歴史小説はそれがない。その分堅苦しいのである。もちろん司馬さんの小説も史実には忠実であろうとは思うが、司馬さんの場合いわゆる独特の司馬史観を通して物語が語られるため、その分取っつきやすい。
 その点吉村さんの小説は史実に忠実であろうという姿勢があまりにも強すぎるため、私が読後重々しく感じてしまうのであろう。 このエッセイには、「これは小説になる」と吉村さんが思ったことを、妥協を許さないほどの取材を重ねて小説として形作っていかれることが書かれている。「乗り物への感謝」というエッセイでは「私は小説の史料収集や現地踏査の必要からしばしば旅行し、全国で泊まらない県はない。遠隔地へ行く折は、もちろん飛行機に乗り、長崎には百回以上、札幌には百五十回以上、愛媛県宇和島には五十回前後行っている。
 これだけでも飛行機に乗ったは三百回になるが、南アフリカとアメリカへと、海外旅行に二度行っているし、日本各地に空路おもむくことが多いので、五、六百回になるはずである」と書かれている。
 これだけ徹底している。しかも出版社の人間に取材に行かせず、自ら出かけて行く。人任せにしない。疑問があれば、何度も取材に出かけ、その地方に残る資料をあさり、古老に話を聞き、小説を形作っていくことが書かれている。
 歴史の生き証人が吉村さんが戦史ものを書かれていた頃は、まだ何人か生存されており、その話を聞くことが出来たから、ストイックなまでに、古老の話を聞き、その事実から小説を作り上げていく。だからその古老たちが亡くなれるようになってきたら、吉村さんは戦史ものから手を引き、歴史小説の方へ転換していくのである。
 でも、歴史小説でも、徹底した史料調べは変わらない。だから吉村さんは「私は、史実そのものがドラマであると考えているので、フィクションをまじえることはしない」と言い切るのである。それだからこそどんな分野の小説でもリアリティーが最優先されているのであろう。だから吉村さんの書かれる小説にはそうした思いが詰まっているのだと知る。そうわかると、ここで何冊か紹介されている吉村さんの著作を読みたくなってくる。

 そんな吉村さんが自分自身聞き手になっているわけだから、あくまでも謙虚な姿勢であることが、ここに収録されたエッセイから感じることが出来るし、そうした吉村さんだからこそ、一人間として実生活でのさまざまな現実を素直に見つめておられる。
 たとえば「順番待ち」というエッセイがおもしろかった。そこには編集者から、吉村さんのファンである財界の団体役員と会った話が書かれている。その人は吉村さんの文庫本を見せた。図書館から借りたものだという。他に吉村さんの作品を読みたいと思っているが、貸し出されているので、今文庫本の順番待ちをしていると吉村さんに言うのである。
 それに対して吉村さんは釈然としない思いがしたと書く。彼は経済的にも豊かな人間であるはずなのに、五百円ほどの文庫本を何故書店で買おうとしないのか。そんな彼が順番待ちをしていることは、他の読書好きの人の利用をさまたげている。だからこの財界人は真の読書人の範疇から外れていると断罪する。その後彼はハイヤーで帰っていった。
 吉村さんは「私は学生時代三食を二食にしてまで書店や古書店で書物を手に入れた。書物を自分の物として所有することが、読書の喜びでもあった」と書くから、吉村さんは会わなきゃよかったと後悔するのである。

 この文庫本の紹介文に「気取らず、気負わず、殊更には憂いを唱えず。いつも心に普段着を着て、本当に知った人生の滋味だけを優々閑々と綴ってゆく」と書かれているが、まさしくその通り、自分自身、人、生活、旅、歴史、そのものをありのまま、感じたまま、言葉を紡いでいる感じであった。


評価
★★★★


書誌
書名:わたしの普段着
著者:吉村 昭
ISBN:9784101117492
出版社:新潮社 (2008/06/01 出版)
版型:324p / 15cm / A6判 新潮文庫
販売価:539 円(税込)

2008年12月03日

沢木耕太郎著『旅する力』

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 久しぶりに沢木さんのエッセイを読む。この本はあとがきに書かれているように、沢木さんが「これまでも、『深夜特急』については断片的に書いてきたり話してきた。しかし、読者から直接さまざまな質問を投げかけられ、さまざまな答えを返しているうちに、いつかそれらをひとつにまとめておこうという気になってきた。それには、読者からの質問に答えているうちに、少しずつ『深夜特急』について、ひいては旅というものについて理解が深まっていったということが大きかったかもしれない」ということで、書かれた本である。いわばあの『深夜特急』の舞台裏と旅のその後と、その旅での沢木さんの変化が書かれている。
 そのため結構興味深く読んだ。
 『深夜特急』は第一、二、三便と全三冊に分かれている。第一、二便は1986年(昭和61年)に出版され、第三便が1992年(平成4年)に出版された。第一便の出版からもう22年も経っていることに少々驚いてしまうが、第三便だけが第一、二便が出版されて6年後に出たというのも忘れていた。
 そうだった。よくお客さんに第三便はいつ出るのと聞かれたものだった。一便、二便に続いてすぐ三便も出版されるものだと思っていたが、なかなか出版されず、この本にも書かれているけれど、なかには「三便は出版さません」という書店もあったという。6年もかかれば、そういいたくなるのもうなずける。

 さて、当時若者が外国を一人旅するのに、そのバイブルともなっていた本が、小田実さんの『なんでも見てやろう』だった。沢木さんも小田さんのこの本に大なり小なり影響を受けたことが書かれている。しかし沢木さんの『深夜特急』がされると、今度はこの本が若者たちのバイブルとなっているらしい。
 で、沢木さんが重い腰を上げて自分がしてきた旅を書くにあたり、まず頭に置いたのが、アクションではなくてリアクションだったという。沢木さんは「旅を描く紀行文に『移動』は必須の条件であるだろう。しかし、『移動』そのものが価値を持つ旅はさほど多くない。大事なのは『移動』によって巻き起こる『風』なのだ。いや、もっと正確に言えば、その『風』を受けて、自分の頬が感じる冷たさや暖かさを描くことなのだ。『移動』というアクションによって切り開かれた風景、あるいは状況に、旅人がどうリアクションするか。それが紀行文の質を決定するのではないか」と考えられたのである。
 だからこの『深夜特急』は旅の過程で沢木さん何を感じ、考えたのかがそのおもしろさとなっている。
 たとえば、バンコクで赴任まもない日本人夫妻と会い、その旦那さんが「外国というのはわからないですね」、「ほんとうにわかっているのは、わからないということだけかもしれないな。知らなければ知らないでいいんだよね。自分が知らないことを知っているから、必要なら一から調べようとするに違いない。でも、中途半端に知っていると、それにとらわれてとんでもない結論を出してしまいかねないんだ。どんなに長くその国にいても、自分にはよくわからないと思っている人の方が、結局は誤らない」という話を聞いて、なるほどと思う。その言葉が沢木さんにとって旅で学ぶことのできた最も大事な考え方の一つだったと思うのである。そして旅という学校で何を学んできたかを次のようにいって最後を締めくくる。

 「私が旅という学校で学んだことがあるとすれば、それは自分の無力さを自覚するようになったということかもしれない。もし、旅に出なかったら、私は自分の無力さについてずいぶん鈍感になっていたような気がする。旅に出て手に入れたのは『無力さの感覚』だったと言ってもいいくらいかもしれない。
 いま、私はいかに自分が無力か知っている。できることはほんのわずかしかないということを知っている。しかし、だからといって、無力であることを嘆いてはいない。あるいは、無力だからといって諦めてもいない。無力であると自覚しつつ、まだ何か得体の知れないものと格闘している。無力な自分が悪戦苦闘しているところを、他人のようにどこからか眺めると、少しばかりいじらしくなってきたりもする。おいおい、そんなに頑張らなくてもいいものを、と。
 しかし、そのように頑張ることができるのも、もしかしたら自分の無力さを深く自覚しているからかもしれないのだ。そこからエネルギーが湧いてくるからかもしれないのだ」

 とにかく沢木さんは二十六歳の時ユーラシアの旅に出た。この年齢がまた大きな意味があったことを実感しているのが、なるほどそうかもしれないと思ったのだ。沢木さんは次のように言う。

 「やはり旅にはその旅にふさわしい年齢があるのだという気がする。たとえば、私にとって『深夜特急』の旅は、二十代なかばという年齢が必要だった。もし同じコースをいまの私が旅すれば、たとえ他のすべてがおなじ条件であったとしてもまったく違う旅になるだろう。
 残念ながら、いまの私は、どこに行っても、どのような旅をしても、感動することや興奮することが少なくなっている。すでに多くの土地を旅しているということもあるのだろうが、年齢が、つまり経験が、感動や興奮を奪ってしまったという要素もあるに違いない」

 その理由を「つまり、あの当時の私には、未経験という財産つきの若さがあったということなのだろう。もちろん経験は大きな財産だが、未経験もとても重要な財産なのだ。本来、未経験は負の要素だが、旅においては大きな財産になり得る。なぜなら、未経験ということ、経験していないことは、新しいことに遭遇して興奮し、感動できるということであるからだ」という。
 「未経験という財産」ってうまいこと言うなと思った。得てして未経験であることは、マイナスイメージとして評価されしまう現在だが、未経験が逆に財産にもなりうるのだと教えてくれる言葉である。

 またこの旅の後遺症が書かれているのが面白かった。これだけ劇的な旅をしてきた後だから、そうなっちゃうんだろうなと思った次第である。

 「私が旅で得た最大のものは、自分はどこでも生きていけるという自信だったかもしれない。どのようなところでも、どのような状況でも自分は生きていくことができるという自信を持つことができた。
 しかし、それは同時に大切なものを失わせることにもなった。自分はどこでも生きていくことができるという思いは、どこにいてもここは仮の場所なのではないかという意識を生むことなってしまったのだ。
 私は日本に帰ってしばらくは池上の父母の家にいたが、すぐ経堂でひとり暮らしを始めた。
 夜、その部屋の窓から暗い外の闇を眺めていると、ふと、自分がどこにいるのかわからなくなる、ということが長く続いた。そこが自分の部屋であり、家なのに、旅先で泊まったホテルの部屋より実存感がないような気がしてならなかった」

 以前書いたことがあるが、私は昔新潮社の招待で香港に行ったことがある。そこに沢木さんもゲストとして加わった。夕食の時、私もミーハー的に沢木さんに新潮社からもらった文庫の『深夜特急』一巻にサインを書いてもらった。
 翌日、マカオに向かう船のブリッジに一人で寄りかかっている姿を見かけたが、なんか場違いなところに来てしまったなというかんじを受けたものだった。今にして思えば、沢木さんは「こんなの旅じゃないよ」と思っていたんじゃないか。そんなことを考えてしまう。


評価
★★★★


書誌
書名:旅する力―深夜特急ノート
著者:沢木 耕太郎
ISBN:9784103275138
出版社:新潮社 (2008/11/30 出版)
版型:289p / 19cm / B6判
販売価:1,680 円(税込)

2008年11月18日

吉村昭著『羆嵐』

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 この本は、1915年(大正4年)12月に北海道留萌苫前村(現:苫前町古丹別)三毛別(現:三渓)六線沢で発生した日本最大最悪の熊害(ゆうがい)事件を扱った作品である。
“穴持たず”という冬ごもりの穴を見つけ損なった羆が当時の開拓民7名を殺し、3名の重傷者を出した。詳しくはWikipediaにある。


三毛別羆事件


 六線沢に入植した人たちはそれよりも北方三十キロの山間部に東北地方から入植した人たちであった。彼らは国から与えられたわずかな奨励金で草囲い小屋を建て、不毛の地に鍬を入れ、種を蒔いた。しかし蝗の襲来でわずかな農作物は全滅し、六線沢に移ってきた。
 新しい土地は以前の土地よりましではあったが、やはり自然環境は過酷であった。ここに巨大な羆が現れた。羆の存在は「草がこいの小舎に住むかれらは、穴居生活をしていた時代の人間たちと大差ない生活をしている。それは、地上に棲息する動物の一種属として、自然の変化に容赦なくさらされた生活であった。穴居していた人間たちは、強大な力をもつ肉食獣の食欲みたす存在にすぎなかった」ことを思い知らせるのである。

 12月9日、島川の妻と息子が羆に襲われた。息子の遺体はそこにあったが、島川の妻の遺体がない。羆が持ち去ったのである。「島川のおっかあをとりもどさなくちゃ」と村の男たちは遺体を山林の中でさがす。遺体を見つけた男が「おっかあが、少なくなっている」と目を血走らせて言った。島川の妻の遺体は頭蓋骨と一握りほどの頭髪、それと黒足袋と脚絆をつけた片足の膝下の部分のみしかなかった。
 それでも彼らは羆におさわれた島川の妻と息子の遺体を懇ろに回向し、埋葬しなければならない義務が生じた。なぜなら遺体を土に帰すことは、入植者であるかれらが土に根を張ることを意味しているからだ。

 「かれらの生活は、その土地の土壌に仮の根をのばしはじめていたにすぎなかった。植物は、冬の訪れとともに地表から姿を消すが、種子は土の割れ目に入って春の訪れとともに多くの芽をふき出す。それは土壌との毎年約束された合意によるものだが、かれらはそこまで土の信頼を得るに至っていなかった」
 だから、自然と彼らの信頼は彼らの身内の死体を埋葬されることの深まることができる。「土との融合は、植物の種子が地表に落ちるように死体を土に帰すことによって深められる」のである。彼らはここに入植して四年目なのでまだ一人も死者を埋葬することがなかったのだ。

 翌日男たちは、羆が明景の家を襲っているところに出くわす。

「今、中でクマが食っている」

 「音がした。それは、なにか固い物を強い力でへし折るようなひどく乾いた音であった。それにつづいて、物をこまかく砕く音がきこえてきた。
 区長たちの顔が、ゆがんだ。音はつづいている。それは、あきらかに羆が骨をかみくだいている音であった」

 男たちは銃を撃った。その後家の中へ入る。その凄惨な光景を見て、男たちの中からすすり泣きが起こる。殺されたのが誰だかわからなかったが、村落の者が無惨な肉片と骨に化していることに耐え難い悲しみを感じたのであった。

 「人々は、未開の地に村落を形成した。かれらは、荒地をひらいたが、土地は、逞しく張った木の根や石塊でかれらの鍬をこばもうとし、冬の寒気と積雪でその生活をおびやかした。それを当然のこととしてかれらは苦痛に堪え、自然にさからうこともなく生きてきた。
 しかし自然はかれらに大きな代償を強いた。先住者である羆を擁護する立場に立ち、村落の者たちを容赦なく死におとし入れた。それは、村落の者に対して加えられた制裁のように思えた。
 男たちは、自分たちのつつましい努力が自然の前に無力であることを感じた。土地を開墾し草囲いの家の中で寒気をしのいできた日々が、結局は無為なものであることを知らされたのだ」

 奇跡的に助かった明景の家の十歳の長男は、明景の家にいた臨月である斎田の妻が、羆に「腹、破らんでくれ」という羆に懇願する声を聞いた。
 わずか二日間で六名(胎児をいれれば七名)の者が殺害され、三名が重傷を負わされた。村民は村を放棄すべく、そこから非難し始める。遺体は羆が他に移動しないように、餌として村に放置された。
 
 救援に来た警察や銃を持ったたくさんの男たちは、最初自分たちの力を過信していたが、村の被害を目の当たりにする従い、恐怖におののきはじめる。屋根の雪が落ちただけで、羆の襲来だと勘違いし、怯える始末であった。区長は救援の警察や男たちがまったく役に立たないことを知り、熊撃ち銀四郎に応援を依頼する。銀四郎と区長は熊狩りに加わるが途中、彼らと別行動をする。羆がいる風上に彼らがいると、羆は彼らの存在をにおいで感じ取るからだ。銀四郎たちは風下に回り、羆を仕留める。銀四郎は二発で羆の急所を打ち抜いたのだ。
 仕留められた羆は頭の先から足先まで九尺(二.七メートル)体重百二貫(三八三キロ)の巨体であった。仕留められた羆を運ぶとき、吹雪が吹き荒れる。「クマ嵐だ。クマを仕とめた後には強い風が吹き荒れるという」一人の男が言う。

 とにかく読んでいて恐ろしさがひしひしと感じる本であった。北海道の開拓民たちが過酷な自然の中で生活している描写だけで、自然の恐ろしさを感じるのに、さらに体重383キロの羆が、人を襲い、骨を折り、肉を食いちぎる光景を想像すると、ぞっとしてしまう。話が事実に基づいているだけに、下手な恐怖小説より恐ろしかった。風や音が恐怖をさらに広げていく感じだった。


評価
★★★★


書誌
書名:羆嵐
著者:吉村 昭
ISBN:9784103242130
出版社:新潮社 (1977/05 出版)
版型:204p / 20cm / B6判
販売価:入手不可

2008年10月04日

三浦しをん著『三四郎はそれから門を出た』

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 この本というか、この書名は朝日新聞で見て気になっていた。面白い題名をつけるもんだなと思っていたのである。もちろんこれはすべて夏目漱石の小説である。三浦さんによれば、遠い昔文学史の授業で夏目漱石の代表作を語呂合わせで覚えるために使ったものだそうだ。ちなみにこれは漱石前期三部作といわれる。後期三部作は『彼岸過迄』『行人』『こゝろ』となる。
 さて、この本は今まで三浦さんがいろいろなところで書いてきたエッセイを一冊の本にまとめたもので、朝日新聞に掲載されたこのエッセイも含まれ、そのまま本の書名となった。主に三浦さんの書評といっていいだろう。
 ただ三浦さんの読まれる本は私が読む本と系統がかなり違うので、私としてはいろいろな本があるんだなというぐらいで、いくつかは除いて今後ほとんど読まない本だろうなと思う。ただ、ちょっと気になる本はいくつかあったので、さっそくメモして、後日読んでみようかと思っている。
 でもそれぞれの本の内容は別として、その内容について三浦さんが語る語り口は最高に面白い。
 基本は自分がしている“ゆる~い生活”を棚に上げて、その分ポジティブシンキングになり、過激なつっこみをいれる。それが大いに笑えるのである。ときに、この人本当に女性なのかなと思うくらい、男性的な過激さでものを言っている。出演者たちが楽しんじゃっていて、視聴者を置いてきぼりにしている最近のバラエティーよりはるかに面白かった。久々に笑わせてくれたという感じだ。
 たとえば、穂村弘さんの『本当はちがうんだ日記』を題材にして次のように語る。

 読んでいて、なんだか他人事とは思えない。たとえば私は、見知らぬ男女が親しく言葉を交わして飲み食いするという「合コン」なるものを心から憎んでいるが、そのくせ自分で出会いを演出する技にも気力にも努力にも欠け、現在使用中の化粧水は、タンスの奥に眠っていた試供品だ。
 問題は「過剰な自意識」だ。自意識が邪魔をして、「私も仲間に入れてほしい」と率直に表明することができない。楽しそうな人々をモジモジと遠巻きに眺めるのもである。
 こういう心性を、一言で表す言葉がある。「思春期」だ。この欄をお読みの中高生は、思春期まっただなかで、さぞかし生きにくい日々を送っていることだろう。しかし、いずれは思春期も終わり、楽しい青春が待ち受けているはず、と希望を抱いていると思う。残念ながら、その希望は捨てた方がいい。恐るべきことに、思春期は一生つづくものだからだ。
 その、つらくもあり情けなくもある真実が、笑いと鋭さに満ちたエピソードとなって、『本当はちがうんだ日記』に克明に記されている。

 この「三四郎はそれから門を出た」は中高生のための本の紹介ということになっているから、その年代の合わせてこのようにいっているのだ。他にも、次にようにある。

 え、もしかしてもう夏休み?いいなあ。海、山、恋、冒険と休み中の予定が目白押しかしら?いや案外夏期講習の予定だったりして。ははは、ざまあみろ(と、夏休み自体がないくせに喧嘩を売ってみた)

 気になる文章がある。

 本を売る店で働いていると(三浦さんはアルバイトして古本屋さんで働いていたらしい)、気がつくことがある。新刊、古本問わず、とにかく「本」というものを求めて集う人間は、総じてキャラクターが濃いのだ。お客さんも店員も、浮世離れしていたり、逆に欲望におもむくままに行動しすぎていたりで、見ていて飽きない。

 そうかなぁ、私も以前書店員であったからキャラが濃かったのかなぁ。そして今はどうだろう・・・・?確かに本好きにはどこか世間離れしていて、胡散臭い部分もあるので、個性的なキャラクターの人が集まる可能性は充分ある。そして本好きが本屋に勤めるというパターンが多いだろうから、買う方も売る方も似たようなキャラクターになる可能性も充分ある。まぁそれもそれで面白いと思うのだが、最近の大書店では女性には制服、男性にはネクタイを強制して、個性的なキャラを無臭化しようとしている。その結果書店員もその辺のOLやビジネスマンと何ら変わらないようになっちゃって、機械的で面白くない。検索機械の扱いは詳しいけど、本のことをまるで知らない馬鹿書店員が増えている。
 一方読む側もおかしな(あるいはつまらない)人間が増えているような気がする。三浦さんは次のように憤る。

 「趣味は読書」と、てらいなく履歴書に記入できる人々がうらやましくてならない。いや率直に言って、うらやましさが高じて憎しみすら覚える。
 「私、けっこう本読むんだ-。『冷静と情熱のあいだ』はすっごくよかったよ」なんて言う、おまえらなんてみんな死ね。合コン中の男女を横目に、居酒屋で一人、苦しい思いでビールを飲んだことが何度あっただろう。私にとっちゃあ、読書はもはや「趣味」なんて次元で語れるもんじゃないんだ。持てる時間と金の大半を注ぎ込んで挑む、「おまえ(本)と俺との愛の真剣勝負」なんだよ!

あるいは、

 私は読書を通してお役立ち知識を仕入れたいわけではなく、励ましを期待したためしはなく、癒されたくもなく、自己を肯定してもらいたくもないんじゃ!だいたいそんな甘えた精神で本を読んで、はたして楽しいのか?

 私は三浦さんのこの意見には大賛成で、趣味を「読書」と平気で言えたり、履歴書に書ける神経はちょっと私にも理解しかねる部分がある。あるいは最初から打算的に知識を得ることを期待したり、癒しを求めたりするのはどうかと思う。そんなもの読んでみなきゃわからないだろう。

 さて、ここに収録されている三浦さんのエッセイは本のことだけではない。旅、食事、映画、美容など女性らしい文章もあるのだが、やっぱり三浦節が出てしまう。「『大江戸温泉物語』へ行く」では、

 さっそく大きな風呂場に向かう。光差す真っ昼間の広大な風呂場には、大勢の裸の女性(老いも若きも)が集まっていた。あんまり裸体の数が多いから「風呂に入る」という日常的な行為も、なんだか非日常的な行為に変わる。私は湯船につかりながら、「なんかこう・・・・アウシュビッツのガス室を連想させる不吉さがあるんだよな」と思った。無数の裸体の、無防備さゆえの迫力に圧倒されたのだ。

 ここを読んだとき、飲んでいたアイスコーヒーを噴き出してしまった。何となく想像できちゃうからおかしかった。


評価
★★★★


書誌
書名:三四郎はそれから門を出た
著者:三浦 しをん
ISBN:9784591093566
出版社:ポプラ社 (2006/07/25 出版)
版型:305p / 19cm / B6判
販売価:1,680円 (税込)

2008年07月22日

阿刀田高著『新トロイア物語』

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 休み前になると、この本を読もうと決めるのだが、どういう訳か、きちんと読めない。むしろ平日の時間がない方がきちんと本を読む。休みだと時間があるものだから、だらだら過ごして、気がついたら一日が終わっていたというパターンが多いのだ。結局緊張感の欠如がそうさせるのであろう。
 しかし今回は違った。三連休である。しかも連日真夏日が続いている。これは家にいて本を読む方がいいに決まっている。で、手にした本がこの本で、厚さといい、ちょうど三連休に読むにはもってこいの本だ。
 というわけでさっそく読み始める。面白い。やめられなくなってしまう。久しぶりに休みに本を読んだという充実感を味あわせてもらった。
 実はこの本以前にも手にしたのだが、なかなか先に進まない。そのため、他に読みたい本もあったものだから、後回しにしてしまった経緯がある。しかし今回は違った。話がよくわかるのである。先に読んだ『ホメロスを楽しむために』を読んでいたものだから、知識がちゃんとあるからだ。読んでいて、“ああ、ここはあそこのあった話だな”と察しがつくのがいい。
 話はアイネイアスを主人公にしたトロイア戦争とトロイア崩壊後、西に向かい、イタリアでローマ建国の素地を開くまでの話である。これだけでもトロイア、ギリシア、そしてローマと雄大な話である。そしてたくさんの英雄が活躍する。読んでいてワクワクしてくる。
 あとがきで阿刀田さんは、日本人が外国の歴史的ヒーローを小説化するのは珍しい。しかし今日日本は欧米化しているのだから、歴史小説も「何も宮本武蔵ばかりでなくてもよかろうに」とこの本は書かれたという。しかしこの本は「現代の日本人アイネイアスの物語」だとも言い切る。だからというわけじゃないけれど、トロイア、ギリシア、ローマの英雄譚であっても、確かに英雄たちの行動は迫力があって非日本人的ではあるけれど、その思考回路はきわめて日本人的である。だからストレートに英雄たちの気持が伝わってくる。例えば、アイネイアスがヘレネがトロイア崩壊後、メネラオスのもとに戻った(トロイア戦争がヘレネの略奪から始まり、トロイアが破れ、ヘレネが元の鞘に戻った)と聞いたとき、「あの戦争は何だったのか」と思うところは英雄らしくない。むしろ日本人がよく持つ感情のような気がする。もちろんそれもいいんだけどね。
 それでも日本の歴史小説は理屈や道理が通っていないと、受け入れがたい部分があるけれど、この話は「世間では、事実ではないけれど、皆で事実と認め合っていることがある」として、それでいいではないかとしているところが話を面白くしているような気がする。少なくとも私はそれを堪能した。だってお話だもの。
 そしてここでは人間のモラルが法や慣習より優先された社会が描かれる。
「古代社会では、信頼と報復が人間のモラルを強く規制していた。知己であることはの意味は重い。その分だけ裏切りは、最も忌むべき悪として憎まれ、報復も厳しい。普遍的な法制が存在しない以上、人間同士の結び付きは信頼するか否かに懸かっていた。アイネイアスたちが、ディロス島で歓迎された理由は(アイネイアスが差し出した金銀の効能とは別に)黒耳のルドンが浜長のアニウスと懇意であったからであり、更にまたアニウスの肝煎りでキドニアへ行くことは、同じ意味合いで安全を期待できる事情であった。『俺の知り合いだ。よろしく頼む』という言伝てには想像以上の価値があったのである」と西に向かう航海で各地の知り合いが、アイネイアスの安全を保障する。それは単に信頼できる知り合いだから当然である。ただそれだけなのだ。だからこそ裏切りは信義に反する訳だからそれは死を持って償わなければならない。この話に登場する英雄たちはすべてこの単純な、信用できるか否かの人間関係でつながっている。小賢しい屁理屈などまったくない。それがなんか心地よかった。

 しかしトロイの木馬は我々が知っているようにトロイアの城内に引き込んで欲しかったなぁと思う。ここでは、木馬(トロイアでは馬がトロイア人のシンボルだから)を生贄して燃やせと言う神託で、そのようにしている。結果地震が起きて、城砦の一部が崩れ、そこからギリシア人がなだれ込むという話になっている。これはトロイの木馬の伝説が、今考えればおかしいという理由だかららしいが、お話なのだから、やっぱり燃やすのではなく、ギリシア人が忍び込んだみ木馬をトロイア人自ら城内に引き込んで、その扉をヘレネが開ける方が面白いような気がするのだが、どうであろう?
 でも、知っているたくさんの英雄たちが活躍し、戦い、そして死んでいく。生き残った者はアイエネアスを中心にトロイアの再興を求め、イタリアに向かい、それがローマ建国の先駆けとなる話は雄大で、本当に面白かった。


評価
★★★★


書誌
書名:新トロイア物語
著者:阿刀田 高
ISBN:9784062636582 (4062636581)
出版社:講談社 (1997-12-15出版) 講談社文庫
版型:697p 15cm(A6)
販売価:入手不可

2008年06月05日

開高健著『一言半句の戦場』

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 本当に久しぶりに開高健さんの文章にふれる。開高さんの死後、追悼の意味も込めて、さまざまな本が出版され、どこから探してきたにかと思えるくらい、開高さんが書かれた文章を引っ張り出し、あるいは以前書かれたものを再度収録し直して、本が出版された。だからもう未収録の開高さんの文章などないだろうと思っていたら、まだこんだけあったのかと驚いた次第だ。そしてこの未収録の文章を集めたNPO法人の開高健「単行本未収録作品集成」編集委員会なるものがあること自体驚きであった。
 A5版の3段組で590ページもある本に少々たじろきながら読み始める。確かに分厚いけれど、各ページにイラスト、カットがちりばめてあるし、写真も数多く載っているので、ページの割には内容はそれほどでもない。こんなにイラストや写真はいらないんじゃないかと思えるし、トリス時代のコピーを二ページにわたり大きく掲載しているけれど、まぁ遊び心として許してもいいかと思うことにした。しかしあの「『人間』らしくやりたいナ トリスを飲んで『人間』らしくやりたいナ 『人間』なんだからナ」と名コピーを大きく掲載されると、なんか相田みつをみたいな感じがしないでもない。
 さて、今まで出版された本に未収録のものばかり集めたものだから、全体として統一感がないのは致し方ない。また対談などには同じフレーズが何度も出てくるけれど、それもご愛敬ということで読み進める。しかし大学時代よく開高さんの本を読んでいたので、やっぱり懐かしい。当時は何でも開高さんの書かれた文章や言葉を受け入れていたところがあったが、さすがこの歳になってくると、警句や膨大な語彙から選び抜かれた形容詞や比喩は多少鬱陶しく感じないでもない。けれど選びに選び抜かれた形容詞や比喩は今もさび付いていない。開高さんが「小説は形容詞から朽ちる、生物の死体が眼やはらわたから、もっとも美味なところからまっさきに腐りはじめるように」と言ったけれど、開高さんが選んだ形容詞は、この本では、今でも朽ちていない。

 この本は開高さんの追悼集にもなっており、後半開高さんと生前交友が深かった人の文章も載せている。その中で谷沢永一さんの文章は大変興味深かった。「開高健の強運」と称す文章なのだが、開高さんが成功したのは、その作家としての才能の他に、開高さんの強運にあったのではないかというものなのである。
 たとえば開高さんが世に出るきっかけとなった作品『パニック』は平野謙という当代きっての評論家が絶賛したことに始まる。平野謙は「そんじょそこらの利いた風な口をきく甘ちょろい評論家とは格が違う」。その平野が絶賛したのである。しかも『パニック』が「新日本文学」という雑誌に掲載されていたが、「新日本文学」は、予算的な都合で常に発行が遅れた。平野はその発行が遅れた「新日本文学」が届くまで待って、開高さんの作品を見出し、絶賛したのである。
 文芸記事は毎日と朝日が争っていた時代であったらしく、当時朝日の執筆者であった臼井吉見の面目は丸潰れになり、そこから感情がもつれ、開高さんの次の作品を酷評したらしい。
 芥川賞選考においても、開高さんは強運を発揮したという。当時開高さんは大江健三郎さんと芥川賞を争っていた。評価が拮抗していた。どちらか決められない状態であった。そこで病気欠席していた宇野浩二に電話で意見を聞いた。編集者はなかなか結果が決まらず焦っていた。宇野浩二の口から「開高」という名前が出た時点で、すぐ電話を切った。芥川賞は開高さんと決まった。
 ところが谷沢さんが宇野浩二の性格からして、先に結論を言うタイプじゃないはずだと推論する。宇野浩二は「ううん、開高も良えけど、そやなあ、やはり大江やろうか」と言おうとしていたんじゃないか。それを編集者が焦っていたために、最初に開高さんの名前が出た時点で電話を切ってしまった。これで開高さんが芥川賞を受賞することになったのではないかというのである。これを読んだとき、へえ~そうなんだと思った。
 芥川賞受賞後次の作品を主催者である文藝春秋の文芸誌に発表するのが慣例となっていたが、開高さんは強度のスランプに陥り、一作も作品が描けない状態であった。開高さんはその前に講談社の文芸誌に発表する予定であった作品を横流し、発表した。当然講談社側は激怒する。以後、開高さんはきついお仕置きを科す。「開高は講談社から完全に干され続ける」と谷沢さんは書く。
 開高さんと講談社が仲が悪いというのは有名な話で、その原因がこれにあることは知っていた。私の知っている限り、講談社から開高さんの作品は『饒舌の思想』というエッセイ集しか出ていない。少なくとも私の蔵書で講談社から出ている開高さんの本はこれしかない。
 しかし他社は開高さんを見放さなかった。新潮社が「現代文学全集」の編集をするに当たり、開高さんの作品はそこにはなかった。ところが山崎豊子さんの盗作冤罪事件が起こり、急遽開高さん作品集とすり替えられたという。週刊朝日でもルポの依頼が来る。また当時潮出版にいた背戸逸夫さんに惚れられ、多くの“背戸本”と呼ばれるエッセイ集や対談集が出版される。私は何で開高さんの本が創価学会系の出版社から多く出版されるのか不思議であったが、こうした事情があったのかと知らされる。
 この後集英社の「週刊プレイボーイ」に身の上相談のコーナーを担当したり、そこから集英社のあの『オーパ!』シリーズが生まれる。
 要するに谷沢さんが言うように「彼が何らかの難局に当面するたびごとに、決定的な打開の道を与えられ、終生の理解者および庇護者が現れた」強運に恵まれていた。

 開高さんは小説家としては寡作な方だと思うが、一方で評論、ルポ、エッセイ、あるいは釣りの紀行文はよく書かれた。だから私もそっちんほうの結構付き合ってきた。もちろん小説も読んできたが・・・。
 開高さんのこれらの文章を読むといつも思うのだが、そこに書かれた文章には奥深さがあり、それを書かれた裏付けが途方もなく膨大な書物によるものだと知らされる。そしてそれを読んでみたいという気持になり、私の読書に幅が広がっていった。私のエッセイ好きも多分ここから始まっているのではないかと思っている。名エッセイは読んでいて楽しいのだ。そこに紹介された本は結構読んでいる。またそれも楽しかった。今度はどんな本を紹介してくれるだろうかと、ワクワクしながら開高さんの本を読んできた。
 いつの間にか私は開高さんの書かれるものから離れなくなった。たまたま本屋でアルバイトをしていたものだから、次から次へと開高さんの本を注文していった。ところが注文しても品切れ、あるいは絶版というゴム印の押された注文書が多く帰ってくるようになり、いつしか私は古本屋通いをはじめ、手に入らなかった開高さんの本を集め始めた。以来コレクターとして開高さんの著作が手元に数多く残ることとなった。苦労して手に入れた本だけに、私の宝物といっていい。もちろん読む楽しみも充分味わってきた。
 それが開高さんが亡くなってからはなくなってしまった。当然新刊もないから、楽しみを奪われた子供のように、つまらなくなり、開高さんから遠ざかってしまった。
 これが本当に最後の開高健の本なら、これで私のコレクターは終わることになる。後は手元にある本をじっくり読むことになるだけだ。古本で集めた本を再び読むか、それともゆっくり味わいたいと思って買い揃えた全集をひもとくか、とにかくもう一度腰を据えて読んでみたくなった。


評価
★★★★


書誌
書名:一言半句の戦場―もっと、書いた!もっと、しゃべった!
著者:開高 健・開高健「単行本未収録作品集成」編集委員会編
ISBN:9784087812770 (4087812774)
出版社:集英社 (2008-05-06出版)
版型:590p 21cm(A5)
販売価:3,360円(税込) (本体価:3,200円)

2008年05月07日

高野和明著『13階段』

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 樹原亮介はガードレールにバイクをぶつけ、バイクは大破し、樹原も大けがをした。それを発見した宇津木啓介夫婦は、警察に連絡するために実家に戻る。そこでは啓介の両親が頭を割られ死んでいた。その死体は犯人との格闘のためか、腕は筋肉組織一本を残しぶら下がったまま、指は全部飛散し、眼球が飛び出した、悲惨な状態であった。
 樹原亮介は保護観察処分を受けており、樹原の保護司は宇津木啓介の父親耕平であった。病院に運ばれた樹原は宇津木耕平のキャッシュカードをもっており、衣服からは被害者の血痕が検出された。樹原は宇津木耕平夫婦殺害容疑で逮捕された。
 樹原は事故の衝撃で犯行時刻の記憶を喪失していた。そのため犯行当時の記憶がなく、改悛の情で裁判官に減刑の意思表示ができず、逆に反省の色がないということで、一審で死刑が言い渡され、二審で控訴棄却、最高裁でも上告棄却となり、樹原の死刑が確定した。
 松山刑務所の刑務官南郷正二と、傷害致死で二年の刑を終えた三上純一は、樹原が冤罪の可能性があるという調査依頼を受けて、事件を調べ始める。しかも樹原の死刑執行はまもなく行われる可能性があり、時間との戦いであった。手掛かりは、死刑囚の脳裏にわずかに甦った「階段」の記憶しかない。

 この本は先に読んだ阿刀田さんのエッセイに紹介されていたものである。話の内容はこれ以上書くとネタ晴らしになってしまうので書かないが、それよりもこの本の醍醐味は、死刑がいかに執行されるかが詳しく書かれていることである。そのことが樹原が冤罪事件に巻き込まれ、死刑に処される怖さを読む側に与え、さらにタイムリミットが近いことが、恐怖を醸し出していく。
 13階段とは死刑台に上る階段のことかなと思ったのだが、そうではなく、死刑確定囚が実際死刑に処されるための手続きが13段階あることを言っている。
 この本によると、日本では現在、目隠しされた死刑囚の首に縄がかけられた直後、床が二つに割れて地下に落下する「地下絞架式」で処刑されるらしい。さらに死刑囚がいるのは、刑務所ではなくて、拘置所なんだそうだ。というのも、彼らは死刑になって初めて刑を執行されることになるので、それまでは未決囚として拘置所に収監されているという。
 死刑が実行されるとき、その刑を執行する刑務官の選定が行われる。選考基準は職務執行が特に優秀で、本人はもちろん家族にも持病がない者。妻が妊娠中でない者。喪中でない者とあるらしい。そしてこれらの基準を満たした七名の刑務官が、死刑執行前にリハーサルをする。たとえば、落下したとき、死刑囚の足が床から三十センチの高さに来るように調整したりして、実際に刑務官を死刑囚に見立てて行う。床を割るためのスイッチであるボタンは三つあり、三人の刑務官が同時にボタンを押す。三つのボタンのうち一つが本物スイッチなのだが、それが三つのうちどれかはわからないようになっているらしい。
 死刑が執行された死刑囚は、まず心肺停止を確認され、その後五分間縄にぶら下がった状態にしておかれるらしい。

 ところで最近は死刑廃止の是非がとやかく言われているが、国際的動向に比べ、日本では死刑存続を是と考えている国民が大半だというところがある。それは被害者の心情を思うことから来る同情から、または、死刑が凶悪犯罪の抑止力となるというところからくるものだろう。実を言えば私もその考えに与している。しかし、被害者の家族でない者が、簡単に死刑と叫んでいいのだろうかとこの本を読んで思ったのだ。というのも、仕事として死刑を求刑しなければならない検事や、南郷のような実際に生身の人間を殺さなければならない立場の人間の苦しみを知ったからである。死刑は誰かが執行しなければできないものなのだということを改めて知らされた。 死刑囚がお呼びがかかって、その瞬間、慟哭し、嘔吐する場面がこの本では書かれているけれど、それは自分が招いたことだから、そうした恐怖を味わうのは当然のこととしても、たとえば罪を憎む検事や刑務官が自分の仕事を粛々とこなして、死刑囚を処刑するのだと簡単に言えないことを知る。
 特に実際に刑を執行する刑務官にとって、その精神的苦悩はものすごいものだとこの本で知った。生涯癒やされぬ深手を心に負う。また世間にも自分が刑の執行者と言えない、苦しみや後ろめたさをいつも感じながら生きていくことになる。そしてその家族もやはり人様に言えない苦しみを背負いながら生きることを強いる。だから南郷が「どうしてあんな馬鹿どもが、次から次へと出てくるんだろうな?あんな奴らがいなくなれば、制度があろうがなかろうが、死刑は行われなくなるんだ。死刑制度を維持しているのは、国民でも国家でもなく、他人を殺しまくる犯罪者自身なんだ」という言葉はかなり重みがある。

 この作品は第四十七回江戸川乱歩賞作品であるが、さすが江戸川乱歩賞作品である。ミステリーとしてのおもしろさと、死刑という制度が我々が簡単に見ているところがあることを戒めてもくれ、この制度を維持していく人たちの苦しみも教えてくれた。


評価
★★★★


書誌
書名:13階段
著者:高野 和明
ISBN:9784062748384 (406274838X)
出版社:講談社 (2004-08-15出版) 講談社文庫
版型:383p 15cm(A6)
販売価:680円(税込) (本体価:648円)

2008年04月29日

宮本映子著『ミラノ 朝のバールで』

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 バールとは日本でいえば喫茶店のようなものなのだろうか?ただ、この本を読んでいると、単に喫茶店というだけのものじゃないことがわかる。イタリアの人たちにとって日常生活には欠かせない存在のようだ。宮本さんも一日の始まりをイタリア人の旦那さんとバールで始める。「イタリア人ならば誰でも、行きつけのバールというものをもっているはずである。そこに彼らは、一日に、二、三回通うこともある。
 行きつけのバールの決め手は、なんといってもエスプレッソがおいしいこと、家や職場から適度な距離にあること、バールマンの感じがいいことなども理由に挙げられる。(略)
 バールには一日何百人もの人が足を運び、その行為を繰り返す。
 一日のスタートをきる、仕事の合間に一息つく、週末の予定を立てる、お目当ての女性を誘う、サッカーの試合結果の予想を練るなど、バールはその要望に応じて姿を変えてくれる。
 もし仮に、イタリア中の町や村からバールを取り除いてしまったら、一体どんなことになるのだろう。彼らはきっと、大袈裟な身振りをして、まるで空気がなくなってしまったかのような表情になるに違いない。バールは彼らにとって空気の如きもの」という。

 宮本さんが十歳のときお姉さんから一冊の写真集が贈られた。その写真集はイタリアの風景、子供たち、猫の写真集で、その色彩が宮本さんを魅了した。以来その写真を撮った写真家と手紙のやりとりが始まる。写真家からの手紙はイタリアからの手紙が多く、そこに語られるイタリアはいつも人が人として生きていられる、実に人間くさい土地として宮本さんには感じられ、ますますイタリアに夢中にさせられていく。
 家庭の事情で大学をやめ、就職をしたが、ある時雑誌に「イタリアにウェイトレス募集」という求人広告見て、心を大きく揺さぶられ、二十四歳ときイタリアに渡る。
 ミラノの日本料理店で働いていたとき、カメリエレ(給仕人)のアントニオ・シネージさんと出会い、結婚する。宮本さんはシネージさんの両親と五人の姉妹と暮らし、一男一女をもうける。
 現在はシネージさんの経営するレストランを手伝いながら、イタリアで暮らしている。このエッセイはそのイタリアでの二十二年間生活をつづったものである。
 ここで描かれるイタリアでの生活は、日本では見られない熱い人間関係が読んでいるうちに懐かしくもあり、うらやましくも感じることができる。もちろん宮本さん自身そうした人との関係にうんざりしてしまうところもあるけれど、いつの間にかそうした人間関係を肯定していくあたりは、根はイタリアを愛しているんだなあと感じさせてくれる。
 宮本さんは確かにイタリアで生活はしているが、自分が日本人であることで、どこか距離を置いてながめてイタリアでの生活を語る。ただしそれは文明批評のようなさめた目で見るのではなく、あくまでもイタリアのいいも、悪いもすべて受け入れなが語りかけてくれる。だからここにつづられる文章はやさしく、あたたかい。読んでいる方も、あきれる一方、どこか“いいな”と思わせてくれる。なんでもそうだと思うのだけれど、最初から疑いの目や否定的な目で物事を見てしまうと、あら探しだけが際だってしまい、とげとげしくなる。
 宮本さんのこの文章を読んでいると、住んでいる国は違うけれど、人の接し方、生き方はどこでも同じだと言っているようである。そういうやさしさのある文章には時にはきらりと光る言葉が出てくる。

「こんな義父にめぐり合えることも、私の人生という書物の中に、以前からすでに書き込まれていたような気さえしてくるのだ」

「人間とは、ほんの些細な事にも腹を立てたり、くよくよしたり、喜んだり、希望に満ちたりしながら、日々を送るおかしな動物だ。それを大空から眺めると、我々の人生における凸凹なんて実は大したものではなく、大らかな曲線であるに違いない」

「しかし、私は絶対的な強さで信じるものがあることの幸福を思う。膨大な時の流れのなかで、ほんのわずかな一生という時の一片を公平に与えられて、コツコツと生涯を送る人間たち。めまぐるしい日々の合間に、それでもふと立ち止まることがある。誰でもそんな時が訪れる。その瞬間、人間は広大な宇宙のなかで限りなくひとりだ。信じるものとは、そんな時のためだけにあるのだと思う」

 それにしてもここで語られる会話の楽しそうなこと。そしてバールでのエスプレッソやパスタをはじめとする家庭料理は本当に美味しそうである。
 それにこの本の装丁もいい。宮本さんの一生を決定づけた写真家の写真が使われている。窓から光が差し込み、猫が二匹語り合っているかのような写真である。いかにもこの本がそうしたやさしいイメージの本であることを予感させてくれる装丁である。


評価
★★★★


書誌
書名:ミラノ 朝のバールで
著者:宮本 映子
ISBN:9784163699400 (4163699406)
出版社:文藝春秋 (2008-02-15出版)
版型:254p 19cm(B6)
販売価:1,450円(税込) (本体価:1,381円)

2007年11月01日

阿刀田高著『小説家の休日』

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 初めて阿刀田さんのエッセイを読む。私は阿刀田さんの熱心な読者ではないのだけれど、最近なんか面白そうな作家なのかもしれないと興味を持っている。いずれ作品を読んでみたいと思っているのだ。
 さて、私はエッセイというのが好きである。自分にとって新しい作家の本を読むとき、まず一番最初に手にするのがエッセイである。エッセイを読めば、何となく作家の好みや考え方などがおおよそ見当がつく。そしてそれらが私の好みであれば、次に小説を手にすることになる。
 仮にちょとなぁ~と感じたとしても、すべてが否定的にならなくてすむのがエッセイのいいところのような気がする。まず全面、否定や拒否反応を起こすことはない。どこかおっ!と思わせてくれるところが必ずある。あるいはうん、そうだよねと感心したりもできるところがどこかある。小説だとこうはいかない。一つのテーマで書かれたものであると、一度拒否反応が起こるといつまでも尾を引いてしまい、最悪の場合、読まなきゃよかったなんてこともよくある。だからまずはエッセイからというのが私の本を読む場合の不文律というところだ。
 で、この本で私が感心したところを抜き出してみる。まずは松本清張さんに関する記述である。阿刀田さんが「清張さんは、知っていることはなんでも役に立ててしまうんだなあ」という感想を持つ。たとえば『砂の器』で「出雲方言の中になぜか東北地方の方言とまったく同じズーズー弁がある」という言語学的謎をみごとに利用した。阿刀田さんは「『砂の器』の発想の第一歩はあそこにあったのではないか」と考えるのである。それを読んだとき、私が以前から同じことを感じていたので、阿刀田さんもそう思いますかと、うれしくなった。
 私が『砂の器』を読んだのは高校時代である。このズーズー弁の謎も驚いたけれど、和賀の女が列車から紙吹雪をまいている記述があるが、あれが紙吹雪でないと、刑事が考えたとき、そしてそれを探すために線路をはいつくばって探すシーンを読んだとき、私はもうこの本の虜となっていたことを思い出す。

 次に、中島敦の『文字禍』のことが書かれている。この作品開高健さんがよく引用していたのを思い出す。開高さんも中島敦を高く評価していた。それを読んだとき、中島敦の作品を読みたいと思い、筑摩文庫版の作品集を買ったのだが、未だ読んでいない。今読んでみたなあと思った次第だ。
 阿刀田さんはこの『文字禍』と『狐憑』という作品からかなりの影響を受けたようである。これらを「従来の小説とは少しちがう小説だな」とか「大人の寓話みたいなおもしろさ、これはなかなか得難いものだな」と感じたという。そこから阿刀田さんは中島敦のこの二つの小説から技法を盗み取って、いろいろな形で利用してきたというのである。
 これを読んだときへぇ~そうなんだ。阿刀田さんの作品に私が以前関心を持っていた中島敦の作品(といってもまだ読んでいないのだけれど)が影響していたんだと知ったとき、なんだか阿刀田さんが身近に感じられたのである。だから中島敦の作品も今度こそ読んでみようと思うし、阿刀田さんの他の作品も読んでみたいと思うようになった。

 このエッセイには阿刀田さんの本に関する考えが至るところにちりばめられている。それは作風から、本そのものについても言及されている。様々な本を読まれて、その感想も書かれている。その中の「構造としてのミステリー」では、いわゆる謎解きはミステリーや推理小説のためにだけあるものじゃなくて、小説全般がそうだという。それを次のようにいう。

「一つの謎が呈示される。その謎が深まり解決のヒントが示され、やがて謎が解け、大団円となる。ミステリー構造と呼ぶべきものであり、これは狭義の推理小説だけではなく、広く小説全般に用いられ、ストーリーのおもしろさを醸し出す有力な方法となっている。夏目漱石の<こころ>や安部公房の<砂の女>も例外ではない。およそ小説と名のつくもので、主人公がどうなるのか、この事件はどう運ぶのか、謎の呈示とその解決に無縁なものは、むしろ少数ではあるまいか」

 なるほど確かにそういわれればそうだと思う。謎解きに特化したものがミステリーや推理小説なのだろうが、それらに限らず、小説のおもしろさはすべからくそこにつきるかもしれないななんて私なりに思った。
 あるいは「本は安いぞ」では、本が高いといわれるけれど、「本というものは、ほかの商品とちがって、それを利用する人によって価値がまるで異なる。天と地ほどちがう」というのも、よくわかる。たとえば文庫本を読み終わったとき、いい本を読んだと感じたら、これで○○○円とはかなりお得だと思う。でもまったく興味のない人にそれを言ったところで、そうか?と言われるのがおちである。本というのはそういうものなのだ。阿刀田さんは「私の思うところ、読書ほど安くて、おもしろくて、ためになるものは、ほかにそう多くはない。そのうえ、いつでも、どこでも、だれに迷惑をかけることもなく、独りで楽しむことができる。対象となる分野も、限りなく網羅的で、たいていのものがそろっている。入門から初級、中級、上級、奥義まで備わっている。読書の趣味を持っているかどうかで、一生の楽しみの総量は相当異なってくるのではあるまいか」というのは、もっともだと思う。
 だけど私は「だから本を読みなさい」なんて言いたくない。そんな偉そうな言い方をするほど本を読んじゃいないし、そもそも自分の楽しみで読んでいるだけのことなのだから、そんな教条的なことは言えない。阿刀田さんが言うように「ただおもしろいだけ、それだけで読書は価値がある」と思っているだけだ。
 そんな中、阿刀田さんは「一般論として言うのだが、小説は二十ページを読んでおもしろくなければ、読み続けることはあるまい。波長がちがっているのだ。好みに合うものを選んで読むのが第一義だ、と私は信じている」というのには、うん、確かにそうかもしれないなんて思った。
 けれど、じゃあ、そこでやめられるかというと、やめられない。もしかしたらこの後おもしろくなるかもしれないと考えたり、これがおもしろくないのは私の知識不足からくるものだろうから、読み終えた後、その知識が私に残るかもしれないと淡い期待を持ちながら我慢して読む。でも、たいがいは裏切られるか、まったく理解できなかったりする。それにお金を出して買った以上、読むなら最後まで読まないともったいないという貧乏性もそうさせる。そう簡単におもしろい本など出会えないものだ。でもまったくない訳じゃない。1冊でもそれがあるから楽しいのである。そんなもんだと思っている。

 最後に宮部みゆきさんの『模倣犯』の阿刀田さん感想が書かれているが、それが笑っちゃった。「とにかく長い。三千五百枚。長すぎるように感じた。(略)登場人物や出来事のディテールにこだわることは大切だが、そのディテール自体が読んでいておもしろい、ということも小説を読む楽しさの一つだが、そこにはおのずと濃淡があるはずだ。ディテールの表出に当たって厳しい取捨選択があるはずだ。<模倣犯>は克明すぎて、際立たせるものが際立っていない」という。私もそう感じた。多分それが宮部さんの作風なんだろうが、ある意味弱点なのかななんて偉そうなことを思う。


評価
★★★★


書誌
書名:小説家の休日
著者:阿刀田 高
ISBN:9784087474312 (4087474313)
出版社:集英社 (2002-04-23出版) 集英社文庫
版型:344p 15cm(A6)
販売価:630円(税込) (本体価:600円)

2007年10月27日

宮部みゆき著『楽園』下

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 一気に読んでしまった。後半は結果を急ぎすぎた感じがしないでもないが、案外『模倣犯』より面白かったかもしれない。例によってこの手の話のあらすじを書いてしまうと、ネタバレになってしまうので、毎度悩んでしまう。思うがままに書きつづってもいいのだけれど、それじゃあまりにも身勝手だから、何とかうまく書ければいいのだが、ちょっと頑張ってみよう。

 あの『模倣犯』の事件から9年がたっても、前畑滋子はあの連続殺人を未だに引きずっていた。滋子のショックは完全に癒えていなかった。それでもフリペのライターとして仕事を始めていた。
 そこへ萩谷敏子という女性が現れる。彼女は交通事故で死んだ12歳の息子、等が書き残した不思議な絵について、滋子に調査を依頼しにきたのだ。その絵には16年前に殺された少女の遺体の発見場所が描かれていた。
 その少女は手に余ったため実の親に殺され、自宅に床下に埋められていた。自宅が火事になり、半分が消失したとき、土井崎夫妻は娘茜を殺害し、床下に埋めたことを警察に自白した。そのとき、事件が初めて明るみに出のだ。なのに等はそれ以前に知ってしまったのだ。どうして等はまだ明らかになっていない少女の遺体がある場所を知り得たのか?
 等の描いたその他の絵を見た滋子は愕然とする。なんと網川浩一たちがいたあの山荘が描かれた絵があったのだ、そこには関係者以外知り得ないことが描かれていた。滋子には様々な疑問が生まれてくる。

等はどうして茜の遺体があった場所やあの山荘を描けたのだろうか?
土井崎夫妻はなぜ茜を殺害したのか?
さらに16年隠し続けたのはなぜなのか?
そして自ら自白しなければ茜の遺体は発見されなかったはずなのに、ここに至ってなぜ自白したのか?

 滋子は土井崎夫妻の事件の真相調べることで等の不思議な能力を解明しようとする。
 滋子は等が「意味がわからず、解釈ができないまでも、他人の記憶と心の奥を不用意に覗き込んでしまうことを、等は物心つく以前から繰り返してきた。そこにあるのは美しい光景ばかりではなかった。秘密は常に暗く、常に危険をはらんでいる。萩谷等が生きて成長してゆくことは、そのエネルギーに抗するために、自分を駆り立ててゆくことだった」と知る。
 等は土井崎夫妻以外に茜の遺体がある場所を知っている人物とある時接触し、その人物の記憶や心の奥を覗いてしまい、それを描いたのがあの絵であった。等はそのエネルギーがあまりにも強いため、殴り書きをしたような勢いで描いた。

その人物とは誰なのか?
その人物がなぜ茜が殺され自宅の床下に埋められたことを知ったのか。
その人物は16年間もなぜそのことを黙っていたのか?
そして等との関係は?

 その人物が明らかになったとき、滋子たちは等の特別な能力を確信する。土井崎夫妻がなぜ茜を殺し隠し続けたことがわかってくる。
 しかし宮部さんは『模倣犯』にしても、この本にしても、どうしようもない男、最悪の男をこれでもかというくらい描く。その最悪さを知れば知るほど、男として嫌になってくる。


評価
★★★★


書誌
書名:楽園〈下〉
著者:宮部 みゆき
ISBN:9784163263601 (4163263608)
出版社:文藝春秋 (2007-08-10出版)
版型:361pp 19cm(B6)
販売価:1,699円(税込) (本体価:1,619円)

2007年10月25日

宮部みゆき著『楽園』上

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 こちらも久しぶりに宮部さんの本を読む。詳しいことは下巻を読んでから書きます。まずは上々の滑り出しというところか・・・。読む方もこれからどんな展開になるんだろうと、ハイピッチでページが進む。


評価
★★★


書誌
書名:楽園〈上〉
著者:宮部 みゆき
ISBN:9784163262406 (4163262407)
出版社:文藝春秋 (2007-08-10出版)
版型:413p 19cm(B6)
販売価:1,699円(税込) (本体価:1,619円)

2007年10月18日

リチャード・ローズ著『死の病原体プリオン』

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 最近は狂牛病のことをあまりうるさく言わなくなっているけれど、そもそも狂牛病って何なのだろうか。そしてそれがプリオンによって起こされるという。ではプリオンって何なんだ。
 ということで、この本を読んでみた。この本はいわゆる異常プリオンがどのように発見され、この本が発刊されるまでどのように解明されていったのかをつづったドキュメントである。まずはプリオン病といわれる病気を記してみる。

 ニューギニア東部高地フォアというところでクールーという病気に罹っていた患者がいた。歩行障害と病的笑いをする意識障害を起こしていた。この本の主人公であるD・カールトン・ガイデュシュックがこのクールーの解明のため1957年にニューギニア東部高地フォアへ乗り出すところからこの本は始まる。クールーの症状は欧米で見られるパーキンソン病、アルツハイマー病、多発性硬化症、筋萎縮性側索硬化症などの脳の退化に類似していた。このクールーはこの地域の女性や子供を中心に見られた。そしてここには食人慣習が残っていた。人を食べていたのが女性と子供でった。つまりクールーで死亡した遺体を調理して食べていたのである。ガイデュシュックはクールーで死亡した患者の脳を調べてみると、小脳およびその下部にある神経細胞が破壊されていることがわかった。

 1913年ブレスラウ修道院で下働きをしていたベルタ・エルシュカーが突然倒れた。神経学者のアロイス・アルツハイマーの助手のハンス・ゲルハルト・クロイツフェルトがベルタの病歴を記録した。ベルタは明らかに脳に障害があると判断された。死後、解剖し脳を調べてみると数百万という脳細胞が破壊されていた。クロイツフェルトは戦後学会にこれを報告した。その論文をヤコブ博士も見ていた。ヤコブ博士も同様な患者を診ていた。これは未知の病気で、クロイツフェルト=ヤコブ(CJD)と名付けられた。この病気の特徴は脳にスポンジ状たくさんの孔が見られることであった。

 スクレイピーという羊の病気がある。イギリスでの記録は1730年にさかのぼることができるらしい。この病気の症状は体がかゆくなるため体を壁や木にこすりつける。そのため毛が抜ける。さらに進行すると歩行が不安定になり、痙攣し、失明し、死んでいく。その脳を調べてみると、神経細胞は萎縮するか、消滅していた。スポンジ状態は小脳だけでなく大脳皮質まで及んでいるという。

 スクレイピーを調べた獣医学者のウィリアム・J・ハドローはミンクがたくさん死んでいるという報告を受ける。調べてみると、汚れたミンクが後ろ足を引きずり、檻の中をぐるぐる回っている。脳を解剖してみると、脳がスポンジ状になり、神経細胞が消失していた。この病気は感染性ミンク脳症(TME)と名付けられた。TMEは野生のミンクには見られない。

 1985年、イギリスの農家の一人が獣医のコリン・ホイッタカー電話をかけてくる。飼っている牛がおかしいと。普段おとなしい牛が攻撃的になり、全身の動きがばらばらで、よろめき、倒れ、もがいていた。他にも同じ症状の牛が見つかる。脳を調べてみると、スポンジ状の病変と星状グリア細胞が変性した茶色の斑点が確認できた。この病気は牛スポンジ状脳症(BSE)と名付けられた。ただマスコミがおもしろがって、この病気に罹った牛が攻撃的で、神経過敏になることから、「狂牛病」と呼びはじめた。

 1993年少女ヴィクトリア・リンマー学校から帰宅したところで倒れた。彼女は普段羊の肉を食べていたが、たまにはコーンビーフやハンバーガーを食べることもあった。生検の結果、大脳皮質にスポンジ状の病変があり、斑点も多数観察された。生検組織はプリオン・タンパク(PrP)の抗体には反応したが、アルツハイマー病の指標となるアミロイド抗体には反応しなかった。少女は1995年死亡した。解剖の結果、彼女の脳にはスポンジ状の病変と星状グリア細胞が大量に観察された。1996年初頭になると、彼女の他2名の青年、さらに7人もの若い人たちがBSEで死亡もしくは重傷に陥っていった。

 以上がこの本に書かれている異常プリオンに関する病気の経過である。そしてこれが恐ろしいのは、種の壁を越えて感染するということである。たとえばクールーに感染した人の脳をマウスやチンパンジーに投与すれば、脳がスポンジ状態になってしまうし、BSEが人間に感染することは今では周知の事実である。しかも動物(ヒトも含む)の身体を食べることによって引き起こされる。
 この病気を起こすのは、最初、遅発性ウイルス(スローウイルス)感染症だと考えられていた。しかし調べていくうちに、このこのウイルスには自分が増殖していくため遺伝子情報を持つ核酸がない。DNAあるいはRNAしかないのであった。そのためこれはウイルスではないとわかってきた。核酸がないため、ホルマリン,熱,紫外線に対して強い抵抗性をもっている。だから処理するのがかなり手間がかかる。
 現在ではこれらの病気はプリオンによって引き起こされるものだと考えられている。プリオンは感染性のあるタンパク粒子で,ウイルスとは別物である。命名したのは、スタンリー・ブルシナーという学者で、「プリオン」とは感染性タンパク粒子のことであって、タンパク質(Protein)と感染性(infaction)を組み合わせた造語だという。
 詳しいことはわからないが、このプリオン・タンパク(PrP)は通常神経細胞の膜の中で生産されているものらしい。この本ではこのPrPが何に使われているのかわからないとあったが、今は神経細胞の形を整えたり、神経の情報伝達に関わったりしているものと考えられているという(大野さんから聞いた)そしてこれは古くなると細胞内で分解され排除されていくらしい。
 ところがここに異常なPrPが入ってくると、自分のPrPが変質し、分解されず、蓄積していく。そして重要な細胞機能を阻害し、破壊していく。最終的には脳の細胞は死滅し、スポンジ状の孔ができることになる。これが先に挙げた病気の生成過程らしい。しかもやっかいなことに、変質したのは自分のPrPなので免疫反応が起こらないということなのだ。

 ここまでの記述は「というふうに考えられる」というもので、私が理解できたこの論理?はガイデュシュックの考えによる。面白いと思ったのは、ガイデュシュックがこのプリオン病が起こる過程のヒントを得たのが、カート・ヴォネガットというSF作家が書いた『猫のゆりかご』だったということだ。この本に登場するブリート博士が次のように言う。

「われわれがスケートをしたり、ハイボールを作ったりする氷は、たくさんある氷の形態の一つにすぎないんだ。これをアイス・ワンとでもしよう。地球上ではいつもアイス・ワンしかできない。その他の形態であるアイス・ツー、アイス・スリー、アイス・フォー・・・をどうやって作るかという種がないからなんだ。そこで考えてみてくれ。ここにわれわれがアイス・ナインと称する形態があるとする。この机ぐらい固い結晶で、融点は、そう、五五度cだ。もし雨が凍って、小さなアイス・ナインの粒になって降ってきたら、多分この世は終わりだよ」

 つまり異常プリオンとなる成核剤がアイス・ナインなのである。今まで知られていない変化が起こったことで、プリオン病が起こったとしたのだ。
 私が面白いなぁと思ったことは、その専門分野で超一流といわれる学者がSFを読んでいて、それをヒントに自分の考えを構成していったということなのだ。おそらくそれしかわからない専門馬鹿じゃこういう考え方はできなかったんじゃないかと思ったりする。
 最後にこの本にふれられていることで怖いと思ったことを書く。「ハイテクの中の新しい食人現象」に書かれていた。この表題を読めば何のことを言っているかおおよその見当がつくかもしれない。
 ニューギニアで食人慣習が行われていたことで、クールーという病気が発生した。人を食べることによって、異常のあるプリオンを体内に入れてしまったことから起こった病気であった。ここは未開文明の地域だからそうした野蛮な行為(といっても彼らにとっては貴重なタンパク源なのだ)が行われていたからだと簡単に言い切っちゃうことはできない。
 今医療行為としてたとえば死亡した人の角膜を移植したり、他人に使った検査器具の消毒が不完全だったことで、その人がCJDだったら、角膜を移植された人や消毒が不完全な器具を使われた患者は、後にCJDで亡くなってしまう医原病が起こっている。また医療分野で次の技術革新として期待されているのが、異種臓器移植技術だと言われている。つまりブタなど臓器を人間に移植するというものだ。ここには得られる利益の方が危険性よりも大きいからという理由で進められているが、こうしてプリオン病に関する記述を読んでいると、本当に危険はないのかと思ってしまう。人はやってはならないことに手を出し始めた結果、罰が当たり始めているんじゃないかと思ったりする。
 ガイデュシュックは「ヒトの体組織そのものが感染病の原因のひとつであることを忘れてはならない。ある人から別の人に組織を移植することは、同時に感染症を移す危険が伴うのである」と警告している。
 もちろん食の危険性も充分考えないとならない。BSEは「CJDの潜伏期間を平均二五~三〇年とすると、ヒトの間での流行のピークは二〇一五年あたりになるだろう。新型CJD患者が平均年率五〇パーセントで増加していくものと仮定する。それほどありえない仮定ではない。そうすると二〇一五年に年間約二〇万人が罹病する」という最悪のシナリオも描かれているらしい。後8年後には本当にこうなるのだろうか?


評価
★★★★


書誌
書名:死の病原体プリオン
著者:リチャード・ローズ /桃井 健司・網屋 慎哉訳
ISBN:9784794208323 (4794208324)
出版社:草思社 (1998-07-06出版)
版型:286p 19cm(B6)
販売価:1,995円(税込) (本体価:1,900円)

2007年08月28日

大澤武男著『コンスタンティヌス』

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 この本を読んでいて、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』をちょっと思い出し、なんか懐かしい気分になった。もちろんこの本はギボンの小難しい論理がない分、読みやすかった。コンスタンティヌスが生きた時代の歴史的背景や、作者によるコンスタンティヌスの心理的描写はわかりやすかった。
 
 さて歴史はディオクレティアヌス帝が始めたテトラルキア(四分割統治)から始まる。西の副帝となったコンスタンティヌスの父コンスタンティウスはディオクレティアヌス帝に忠誠を誓うために自分の息子コンスタンティヌスを人質としてディオクレティアヌス帝の元に置かされる。
 ディオクレティアヌス帝の元でコンスタンティヌスは学力、軍事力を身につけ、青年軍人として成長する。
 ディオクレティアヌス帝は帝位二十年で退位を考えていた。確かギボンはディオクレティアヌス帝が退位して畑を耕したいという希望を持っていたと書いていたはずだ。
 ディオクレティアヌス帝の退位に伴って、東の正帝マクシミアヌスも退位しなければならなくなったが、マクシミアヌスは自分の退位に納得していなかった。要するにディオクレティアヌス帝はさっさと皇帝を退位して自分の好きなように畑でも耕せばいいけれど、何で自分が一緒に西の皇帝を退位しなければならないのかと思っていた。
 ディオクレティアヌス帝退位後、西の正帝はコンスタンティヌスの父コンスタンティウスが就き、副帝にセヴィルスが就いた。しかしマクシミアヌスの息子であるマクセンティウスはイタリアの全支配権を握り、セヴィルスを退位させてしまう。マクセンティウスは父マクシミアヌスと共同統治を考えていたが、帝位はマクセンティウスが握っていた。父マクシミアヌスはそれでは満足せず、今度は父から帝位を譲り受けたコンスタンティヌスの元へ自分の娘ファウスタを連れて近づく。そしてファウスタをコンスタンティヌスと結婚させるが、やがてマクシミアヌスの野望は消滅し、残るマクセンティウスはコンスタンティヌスと対決せざるを得なくなっていく。しかしマクセンティウス軍は強大で、コンスタンティヌスの側近たちもマクセンティウスとの戦いには勝ち目はないとふんでいた。
 その上ローマでは古来軍事行動の前に占いをするのが慣例で、その占いも凶と出た。コンスタンティヌスのとっては自分の運命を切り開いてくれる神がいれば、何でもいい。そんな神が必要であった。そんな神がいれば彼にとって真の神となりえた。そんな中、秋空にくっきり輝く太陽の前方に、はっきりと十字の印、十字架を見つけた。その十字の印の上方には「汝、この印に勝て In hoc signo vince」という文字がくっきりと描かれたいた。それは彼にとって勝利の印であった。その夜、彼は夢に中でキリストから軍旗にギリシア文字でキリストを表示する最初の二文字「ク」(Ch=X)と「リ」(R=P)を組み合わせた印を掲げるように諭された。(ところでWindowsXPのXPとはこれと関係あるのだろうか?)
 そして奇跡は起こり、コンスタンティヌスはマクセンティウス軍を破る。彼は西の正帝として、しばらくは東の正帝リキニウスと共同統治を行ったが、しかしコンスタンティヌスはこの混乱した世界をまとめるにはディオクレティアヌスが始めたテトラルキアではダメで、単独で神の加護を受けた絶対的な権力を持った者が統治しなければならないと思っていた。そこで今度はリキニウスとのと戦いかが始まり、リキニウスに勝ち、コンスタンティヌスはローマの単独統治者となる。

 私がコンスタンティヌスに興味があるのは次の二点である。一つはなぜコンスタンティヌスはキリスト教を信じ、保護者(コンスタンティヌスは死ぬ直前に洗礼を受けたのでこの時点ではキリスト教徒ではない)となったのか。そしてコンスタンティヌスはなぜローマに都を構えずビザンティウムにしたのかである。
 この本の作者はコンスタンティヌスがキリスト教を信じる背景をうまく説明してくれている。まずは先に書いたマクセンティウス軍との戦いで、キリスト教のみがコンスタンティヌスに神の加護を与えたと思わせたことによる。つまりすべての古代ローマの神々はコンスタンティヌスを見捨てたのに、キリストの神々がコンスタンティヌスに手をさしのべた。この時点でコンスタンティヌスにとってキリストの神々が彼の神となった。
 もう一つは、幽閉時代にミネルヴィーナと間に生まれた息子クリスプスと自分の妻ファウスタ不倫に激怒し、自分に忠誠の限りを尽くしてくれた息子にあらぬ疑いをかけて毒殺し、自分を常に敬い、五人子供を送ってくれた妻を、いくらクリスプスと関係があったとはいえ、蒸風呂に閉じ込めて茹で殺してしまった。
 こうした残酷なやり方は、許されることのない大罪で、古来どんな神々もそうした恐ろしい罪を許してくれるとはコンスタンティヌスには思えなかったのである。しかしキリストの神はどんなに恐ろしい罪でも、本当に心から悔い改めるなら赦してくれる。そのことが心の安らぎとなっていった。(なんという身勝手な考えだろう!)
 まぁこうしたことがコンスタンティヌスの生涯にキリストの神の導きが不可欠となっていったことで、彼はキリストの神々を信じていった。そして「ミラノの勅令」でキリスト教を公認するようになっていく。
 それまではご存じの通り、キリスト教徒は迫害されてきた。特にディオクレティアヌス帝は「内外からの危機に見舞われている帝国を統治、維持してゆくためには、単なる軍事力や権力では不十分であり、支配を支える統一的、カリスマ的、神的権威が必須である、との考えに起因していた。そのため帝国の共同祭儀である神々への犠牲と神の子とされる皇帝の礼拝は欠かせないものであるが、キリスト教徒はそれをかたくなに拒否し続け、帝国の統一、支配の上できわめて反体制的であり、非協力的であったのである。
 丁度ユピテル神やヘラクレス神の息子であることを宣言していたディオクレティアヌスにとって、皇帝礼拝のあらゆる儀式を拒絶するキリスト教徒は、皇帝のカリスマ的、絶対権威を無視し、こけ下ろすけしからん輩であり、そうした信奉者団体は根こそぎにしないと、帝国の統制がとれなくなってしまうという考えであった」
 ところがコンスタンティヌスは「帝国の単独支配、統治は、唯一至高の神(キリスト)に召された皇帝の責務であり、使命である。その神の特別な加護があるがゆえに、コンスタンティヌスは初代皇帝アウグストゥス以来、どの皇帝も達成できなかった長年にわたる治世を全うしたのである」
 著者は言う。「はからずも摂理というか、アウグストゥス帝の時、この世に降誕したキリストは、その後三百年後にコンスタンティヌスという皇帝を召命することにより、初めてローマ帝国にキリスト教世界への道を開いたのである」と。
 そして「コンスタンテイヌスが断行したキリスト教の公認と保護、奨励策は、信徒の急速な増大とともに、全帝国に及ぶ教会組織を発展させ、傾斜しつつある帝国は、その支配と統一を、教会の普遍的な組織と唯一の神の権威に依存するようになっていった。教会の力を必要とするようになったコンスタンテイヌスの後継者達は、統一された教会の結集力を得ようと、次第に教会の内部、教義論争に干渉するようになり、統一された教会勢力を帝国の統治下におこうとしたのであった。
 古来の神々への祭儀では、もはや帝国の護持は達成できないことを誰でも知っていたのである。唯一絶対なる神の権威が必要とされたのである。
 明らかに新しい精神世界、イデオロギーを基盤とする秩序が生まれつつあった」

 もう一つの疑問である、コンスタンティヌスはなぜローマに都を構えずビザンティウムにしたのか。著者はコンスタンティヌスに次のように思わせる。

「あのアウレリアヌスの城壁がある限り、ローマは誰にも蹂躙されまい。そして帝国が存続する限り、都の不滅な地位と威厳は永遠に変わることはなかろう。ユピテル、ユノー、ミネルヴァをはじめとする神々の祭祀と伝統の中に生きる異教の地ローマは、果たしていつの日か、キリストの神がそれにとって代わることを許すのであろうか。帝国キリスト教会の首位に立ちつつあるローマ教会は、都の片隅で信徒を獲得しつつあるが、まだ新興宗教にすぎない。
 神々に祝され、守られてきた永遠の都がそうたやすくキリストの神に身を委ねることはまずあるまい。キリストの名を奉ずる皇帝といえども、この真実は動かしがたいのだ」と。
 だから「キリスト教信徒が多く、彼を快く受け入れ、歓迎していた帝国東方への関心を移していった。それは彼の政治的、政策的必要性にも合致していたのである」
 「ギリシア世界の主神ゼウスの娘で、角のある女ケロエッサと海の神ポセイドンの息子、ビュザスが建てた町という伝承のあるビザンティオンは、紀元前七世紀半ばにギリシア人植民地として建設された町であった」。しかもビザンティウムほど交通、軍事的にこれ以上重要な都市はなかった。この時点で「首都ローマの威厳は永遠であり、不変であったが、それはすでにローマ人のノスタルジーとなっていたのである」。それに歴代皇帝も長いことローマを不在にしていた。ローマに残る必要性がなくなっていたのである。
 これがローマからビザンティウムに都が移った理由であった。そしてローマは殉教した初代教会の二大人物、使徒ペテロとパウロの墓所がある土地として、世界帝国の首都とその文化の中心に、キリスト教会の首長が在るということは、キリスト教徒を特別にローマへと誘うこととなっていく。著者は次のようにうまいことを言って締めくくる。

「今滅びゆくローマは地上の衣を脱ぎ捨て、キリストの神の名のもとに永久に生きてゆくのである。
 永遠の都はキリストの神の代理者の都となったのである。世界帝国を支配した皇帝の権威は、今や地上における神の代理者、ローマ教皇の権威がそれにとって代わろうとしているのだ」と。


評価
★★★★


書誌
書名:コンスタンティヌス―ユーロの夜明け
著者:大澤 武男
ISBN:9784062136501 (4062136503)
出版社:講談社 (2006-11-25出版)
版型:289p 19cm(B6)
販売価:1,680円(税込) (本体価:1,600円)

2007年07月21日

重松清著『カシオペアの丘で』上下

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 読む前から、この話の展開は予想できた。幼い頃、故郷に何人かの仲間がいて、何かを共有している。夢とか希望とか特別な場所とかそんなものを。だけど、一方で危ういものもどこかにある。
 そして仲間がバラバラになり、あるものはそのままそこに残り、あるものは故郷を離れる。そして故郷を離れた一人が不治の病にかかり、故郷に帰る。当時の仲間がそこに集まり、子どもの頃を語り、病気になった仲間の残りわずかな時間を新たに共有する。
 病気になったやつは自分の人生を振り返り、残された家族の思いを語ることで、お涙頂戴という話だろうと思っていた。そして話はほぼその通りの展開をする。
 おそらく若い頃ならこんな話など絶対に読まなかったはずだ。だけど、3年ぶりの新作と聞いて、以前重松さん本を読んでいたので読んでみたくなっていた。焼きが回ったとしか言いようがない。そして感動してしまったのだ。やれやれ俺も歳をとっちゃったんだなぁと思う。

 1997年、4人の小学生は後に自分たちで名付けた「カシオペアに丘」に上り、夜空に星を見に出かける。4人の名前は俊介、敏彦、美智子、雄司。彼らはいつかこの丘が遊園地になるといいと星に願った。
 4人は大人になった。カシオペアに丘には遊園地ができ、北海道に残った敏彦が園長になり、美智子は敏彦と結婚した。俊介と雄司は東京にいる。

 この話は、「ゆるしたい相手を決してゆるせず生きていくひとと、ゆるされたい相手に決してゆるしてもらえず生きていくひと」の話なのである。そのどちらも悲しくて、苦しい。

 まずは敏彦と俊介の話である。
 倉田千太郎が経営する炭鉱で事故がある。坑内では火災が起こっている。消防団である敏彦の父親は坑内に閉じこめられている坑員助けに行って、やはり坑内に閉じこめられてしまった。倉田千太郎は炭坑を守るため、そして炭坑に依存するこの町を守るため、坑内に水を注入して火を消す決断をする。そして敏彦の父親は死んだ。倉田千太郎は俊介の祖父である。
 敏彦はこのことを知った時、俊介とけんかになる。そのとき崖から落ちて、下半身不随となり車イスで人生を過ごすことになってしまった。以後ここにいられなくなった俊介は札幌から東京へ出る。
 偶然大学のキャンパスで美智子と雄司に再会し、俊介は美智子と暮らすことになった。そして子供ができたが、美智子は流産してしまい、俊介の元を離れる。美智子は北海道に帰り、敏彦と一緒になる。
 俊介にとって敏彦には背負いきれない負い目がある。自分は敏彦の父親を殺した祖父の孫であり、いくらけんかの上の事故とはいえ、敏彦を車イスの生活を強いるようにしてしまった。更に今は敏彦の妻である美智子との関係もある。俊介は東京で恵美と一人息子哲生の3人で暮らしていたが、末期の肺ガンに冒されていた。

 カシオペアの丘にある遊園地に遊びに来た川原親子がいる。川原、典子、そして一人娘の真由。その真由が典子の不倫相手に殺されてしまう。犯人が捕まる前は、川原は典子と二人で真由を失ったことを悲しんだが、その犯人が典子の不倫相手とわかったとき、典子は川原の元を去り、川原一人、娘の死を悲しみくれる。
 雄司はその川原を取材してた。川原親子がカシオペアに丘にある遊園地に遊びに来ていたことを知り、レポーターの神内美唄(ミウ)を連れて、敏彦と美智子に話を聞きに行く。ミウにも過去があった。車を運転していたとき、老婆をはねてしまった。過失は老婆の方にあったが、老婆はその後寝たきりになり、腎不全で死亡した。ミウは自分が事故を起こさなければこんなことにはならなかったと思い、事故の事実がミウ自身の心に深い傷を残した。

 そして倉田千太郎は自分の決断で、坑内にいる人を見殺しにしてしまったことを、その後ずっと思い悩み、苦しんできた。それは自分が老いて、痴呆が始まっても、いつまでも心に残った。

 俊介、川原、ミウ、そして倉田千太郎がカシオペアに丘に帰ってくる。カシオペアの丘を離れて、時間がかなりたたったこともあり、それぞれの心の内部が変わり始め、「ゆるしたい相手」と「ゆるされたい相手」が再度時間を共有し、抜け落ちた時間を語ることで、今まで自分の負い目を自分で許せなかったことを、許し始める。相手も完全ではないけれど、許そうとする気持ちが生まれていく。それは俊介の余命少なくなってきていることが更にそうせざるを得なくした。それに触発されて、川原やミウも自分自身の心の変化が起こり始めた。
 そして相手を、自分を不完全ながら許そうという気持ちになった時、みんなはカシオペアの丘を去る。
「もうすぐ終わってしまう命がある。それを見送る命がある。断ち切られた命がある。さまよう命がある。静かに消えた命もある。その命が消えたあと暗闇をじっと見つめてきた命がある。そこから目をそらしてしまった命もある。身を寄せ合う命がある。孤独な命もある。満たされた命はない。どの命も傷つき、削られて、それでも夜空に星は光つづける」のである。


評価
★★★★


書誌
書名:カシオペアの丘で〈上〉
著者:重松 清
ISBN:9784062140027 (4062140020)
出版社:講談社 (2007-05-31出版)
版型:352p 19cm(B6)
販売価:1,575円(税込) (本体価:1,500円)


書名:カシオペアの丘で〈下〉
著者:重松 清
ISBN:9784062140034 (4062140039)
出版社:講談社 (2007-05-31出版)
版型:341p 19cm(B6)
販売価:1,575円(税込) (本体価:1,500円)

2007年07月12日

池谷裕二著『進化しすぎた脳』

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 この本について書こうと思い、書いていたのだがなかなかうまく書けずにいる。理系が全くダメな私にとって、この本のようにきちんと理路整然とまとめるのはかなり難しいのだ。何度か書き直しているうちにこんな感じになってしまった。

 私にとって、科学の最先端がいまどうなっているのか、こうした本はわかりやすく説明してくれるのでありがたい。読んでいて驚きと新たな発見があったし、知らなかったことを知る楽しさを教えてもらった。この本のオビに書いてあった文句、『しびれるくらいに面白い』という感覚を私も味あわせてもらった。
 この本は、著者の池谷さんが慶應義塾ニューヨーク学院高等部の高校生8名に行った脳科学講義の記録である。講義の参加者が高校生ということで、彼らにわかりやすく最新の脳科学がいまどこまで人間の脳にせまっているのが説明してくれる。ということは私にも比較的理解しやすいものとなっている。(もっともやっぱり難しいところはいくつかあったが、そこをさらりと流して読んでも、基本部分は何を池谷さんが言いたいのかわかった)

 私がこの本を読んで目から鱗といった感じで感じたことをいくつか抜き出したい。
 まずは一つめは、脳が他の臓器と違い、「働きがそれぞれの場所に別れて専門化している」ということである。「脳全体がいわば分業態勢をとっている」ということである。体のパーツの一つ一つが脳の中で分業されて機能しているということである。
 ということは逆に考えれば、『脳地図』(人間の体のさまざまな部位の機能が、大脳のどこに対応しているかを表す地図)は脳が決めているのではなくて体が決めているということになるらしい。つまり体のパーツが先にあって、そこをどの部分で脳が情報処理するかを割り当てているというのだ。そのため脳のかなりの部分が後天的なものというのである。
 たとえば腕がなくなってしまえば、脳自身も変わってしまう。つまり生まれ持った体や環境に応じて、脳は「自己組織的」に自分をつくりあげていくという。(ただこのたとえは生まれたときの話らしく、成人してからの話ではないらしい)
 ところでイルカの脳はかなり優れていて、脳のシワだけを見るとヒトより遙かに多い。だけど単純なことだけれど、ヒトとイルカはどちらが優れているかといえば、当然ヒトである。なぜそうなるかといえば、イルカには人間のような手もないければ指もないからだ。体がヒトほど優れていなかったために、イルカは自分の脳を十分に使い込めないでいる。その差が出ているのだという。つまり脳から見ればイルカの脳は「宝の持ち腐れ」だというのだ。だからイルカがもし素晴らしい体を獲得したら、人間はかなわないだろうと池谷さんはいうのだ。
 それではヒトは脳の機能を十分使いこなしているかというと、どうやらそうでもないらしく、やはり「宝の持ち腐れ」になっているという。つまりヒトの脳は進化の過程で他の体の部分より必要以上に進化しすぎているというのだ。進化は環境に合わせて進んできたのだけれど、それは体の話だという。そのため「脳に関しては、環境に適応する以上に進化してしまっていて、それゆえに、全能力は使いこなされていない」と池谷さんはいう。
 ではどうして脳は必要以上に進化してしまったかというと、「脳は、一見すると無駄とさえ思えるほど進化してしまっているけれど、でもそれは裏を返せば、将来いつか予期せぬ環境に出会ったときに、スムーズに対応できるための、一種の『余裕』だと考えることもできる。新しい環境や、もしくは進化や突然変異などで体そのものの形が急に変化してしまっても、余裕をもった脳は、依然これをコントロールすることができる」ようにするためだというのだ。だから「脳の過剰進化とは、いわば安全装置、そう、未来への予備みたいなものだ」ではないかと推察されている。これは一見言葉のロジックともいえそうだけれど、一方でそういう考え方ができるというのは、私にとって新鮮であった。だから、「脳はもっともっとポテンシャルを秘めている。<人間の体>という悪い乗り物に、残念ながら脳は乗ってしまった」というのは笑ってしまった。

 二番目は、自分が現在だと思っていたことが実は過去なんだということである。というのは、文字を読んだり、人がしゃべった言葉を理解したりするのに、脳では処理時間がかかっている。文字や言葉が目や耳に入ってきて、ちゃんと脳が情報処理ができるまでに、0.1秒、通常0.5秒かかるらしい。ということは、いま感じている現在は嘘で、0.5秒前世界になる。う~ん、0.5秒前とはいえ、今自分たちが認識している現在が実は過去なんだというのは驚きであった。
 しかも我々が見ている風景や文字など、実はちゃんと目からその通り見えている訳じゃないらしい。もともとその伝達機能には限界があって、さも実物のように見えていて、何ら不具合ないのは、脳がその不足している機能を補っているからで、そういう意味では人間は脳の解釈から逃れられないということになるというのである。
 では脳から支配は完璧かというと、ヒトの場合かなり曖昧だという。しかしそういう曖昧さが絶対的に必要なことらしい。たとえば、ある人物を写真のように完全に脳にインプットしてしまうと、次に会ったとき、服装や髪型が変わっただけで同じ人物とは認識できなくなってしまうというのである。脳が大まかな特徴を押さえることで、汎用性を持たせているということなのである。それを「汎化」という。そのことから記憶の曖昧さというのは応用という観点からするとかなり重要なことになる。
 人間の記憶力は他の動物から比べると例を見ないほどいい加減らしいが、それこそが人間の臨機応変な適応力の源といっていいらしい。そしてその曖昧さを確保するために、人間の脳はわざわざゆっくりと学習していき、その中で特徴などを抽出していくという。
 そしてこの「汎化」のために有利なプロセスが抽象化で、このような抽象的思考ができるのは、人間が「言語」をもっているからという。「言語」にはコミュニケーションの手段という側面と抽象的思考をするためのツールという側面を持つが、言語が抽象的思考をするためのツールという性格が「汎化」に役立っている。このことから「言語」を持ったことで、人間は応用力と環境適応力の高い動物とした。
 一方で記憶の曖昧さは、今まで思いもつかなかった別々の記憶を結びつける。これが想像と創造を生むのだ。これは正確性だけを求められるコンピュータでは望めない。

 三番目に興味を持ったのはアルツハイマー病の講義である。アルツハイマー病がなぜ発生し、その原因は何なのかを研究するにあたり、非常に明快な論理で研究が行われているのが、読んでいて気持ちいいくらいであった。
 それによると、アルツハイマー病に罹った人の脳を調べると、茶色いシミがあちこちに見え、このシミは健康な人には少ないと分かる。ということはこのシミ(老人斑)がアルツハイマー病の特徴ということになる。ならばこのシミがアルツハイマー病の原因に何らか関係しているのではないかと推論し、調べてみると、そこには「βアミロイド」がたくさん含まれていたという。この「βアミロイド」というのは猛毒で、シャーレで培養した神経細胞にこれを加えると、神経細胞が死んでしまうそうである。ではこの「βアミロイド」はどこから来るのかが次の段階になる。
 アルツハイマー病は約90%が遺伝と関係なく発生するが、残り10%は遺伝で起こるらしい。そしてその10%の患者の染色体の21番目に原因になる遺伝子が見つかった。これを「APP」という。そしてこの「APP」のアミノ酸の一部に「βアミロイド」に相当する42個のアミノ酸が含まれていたというのだ。ここで遺伝性アルツハイマー病は「APP」のアミノ酸の一カ所にミスがあり、「βアミロイド」が切り出されやすくなっているというのだ。つまり「APP」が切れて、「βアミロイド」となり、これが脳にたまり神経細胞を殺していくらしい。
 しかし「APP」の異常だけで説明できないアルツハイマー病が大多数であるので、他に原因があるのではないかということになっていく。そこで更に調べていくと、「プレセニリン」という酵素が「APP」の下の方を切るはさみの役目をしていることがわかった。一方「APP」の上部を切り取るのが「βセクレターゼ」で、二カ所切り取られることで「βアミロイド」が生まれるらしいというところまで分かってきたという。


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 ところで「βアミロイド」は、神経細胞を殺すというのだが、それはかなりの濃度がなければならないらしい。たぶんアルツハイマー病の末期には「βアミロイド」ががんがんに溜まっているのだろう。
 しかしわずかな数の「βアミロイド」でも痴呆は起こる。それがどうしてかというと、どうやら「βアミロイド」はシナプス(神経細胞の隙間)を攻撃をして、神経伝達の効率を下げ、脳全体の記憶力の低減を引き起こしているのではないかというのが最近の定説になっているそうだ。
 私が理解した範囲でいうとシナプスでは、送り手と受け手が決まっていて、送り手の方には神経伝達物質のグルタミン酸が詰まっている袋があり、そこからグルタミン酸を放出し、受け手に伝える。


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 そして放出されたグルタミン酸は「グリア細胞」が回収する役目を負う。ところが「βアミロイド」は「グリア細胞」の働きを活発にし、放出されたグルタミン酸が受け手に伝わる前に回収してしまい、伝達効率を悪くする。ということは「βアミロイド」が脳に溜まり始めると、まずシナプスが先にやられるということになる。
 こう読んでいくと、アルツハイマー病の進行が脳の中でこのようになっているんだと分かった気がする。全く関係ないかもしれないが、先日テレビで放映された荻原浩さんの『明日への記憶』よりはるかに面白い。(要するに原作も、映画もつまらなかったということ)

 そして四番目に興味を持ったのがアルツハイマー病と進化の関係に言及した部分である。進化の頂点にいるヒトがアルツハイマー病で苦しんでいる。もし自然淘汰が進化を進めたなら、アルツハイマー病は自然淘汰されていいはずだと池谷さんはいう。でもアルツハイマー病は残ってしまった。なぜか?
 池谷さんは自然淘汰は、環境に有利な個体を子孫として残すという繁殖をターゲットにしている。しかしアルツハイマー病はほとんど歳をとってからの病気であって、その人たちはもう子孫を残してしまっている。だからアルツハイマー病は自然淘汰で消えなかったというのである。
 今の人間は長生きしすぎている。本来の寿命は50歳ぐらいだろう。もしそのくらいでヒトの寿命が終わるなら、たとえ「βアミロイド」が少しずつ脳に溜まっていっても、充分天寿を全うできるはずだ。長生きするからこんなしわ寄せ出てきたのだ。だから古代人の間ではアルツハイマー病はきっと問題視されなかったのではないかという。
 そこから更に、現代の医療技術では、どんな病気であろうと障害があろうと子孫を残すことができる。つまり現代の医療技術がなければ排除されてしまうはずの遺伝子を残すことができる。このことは自然淘汰の原理に反している。そういう意味ではヒトはもはや進化を止めてしまい、その代わり環境を自分たちに合わせて変えようとしているのではないかという考えていく。

 最後に個人的意見をいわせてもらえば、こうした脳のしくみや病気など様々な研究から、更に理論立てて研究を進めて行くにあたり、その思考方法はどこで生まれたものなのかということを考えたら、それは脳のなかで組み立てられたものであろう。ということは脳の研究が脳で考えられていることになる。これって、一体どこまで解明できることになるのだろうかと素朴な疑問が生じる。ヒトの脳をヒトの脳で考える。どこか無理があり、矛盾が生じることはないのだろうか?それこそメビウスの輪に迷う込むことになるのではないかなんて思っちゃったりするのだけれど・・・。


評価
★★★★


書誌
書名:進化しすぎた脳―中高生と語る「大脳生理学」の最前線
著者:池谷 裕二
ISBN:9784062575386 (4062575388)
出版社:講談社 (2007-01-20出版) ブルーバックス
版型:397p 18cm
販売価:1,050円(税込) (本体価:1,000円)

2007年05月31日

JR福知山線脱線事故被害者有志著『JR福知山線脱線事故―2005年4月25日の記憶』

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 この本を読みたいと思った動機は、この事故の被害者しか知り得ない事実、生の感情を知りたいと思ったからである。そこにはテレビなどのニュースでは知り得ない、きわめて人間的な感情があるのではないかと思ったのである。そしてそのことはかなり重要なことであって、人間のいいところ、悪しきところが明らかにされているものだと思うのだ。
 ニュースはどうしても取材関係者の意志が働いている。関係者の考えるところでニュースが作られている。事件全体の取捨選択がどこかゆがんでいる。マスコミ自身が正義の味方、あるいは被害を弁護する、または世論の先頭に立っている優越感みたいなものが目立つ。しかしそのニュースは被害者の存在感のないニュースになっている。
 いい例が次の会見である。たぶんご存じかと思う。

http://www.youtube.com/watch?v=htNQ8rT5hWA


http://www.youtube.com/watch?v=U6W2eC1J6DE


 この怒号をあげた記者は読売新聞大阪本社の社会部の記者と聞いたが、いったい自分を何様だと思っているのだろうか?
 これら記者が現場でとった行動がこの本にも書かれている。これを読むと、これが被害者の代弁者がとる態度かと言いたくなる。ごろつきと同じである。

「そこへひとりの記者が『1両目に乗っていた方はいらっしゃいますかぁ?』と入り込んできた。その場には乗客が40~50人程いたのだが、皆その言葉に凍りついた。『この状況が読めないのか!皆、話せる状態だと思うのか!』そんな目でその記者を皆無言で睨み付けた。もちろんすぐに警察官が制し追い出したが、何だか悔しくて涙が出た」

「しばらくして(診察終えて病院からタクシーで帰ろうとしても)、『病院のタクシーはみんな待機しているみたいで、なかなかつかまらへんわ・・・』と電話があり、(略)病院前にいたタクシーは、報道関係者が乗りつけて来たものだったらしいということがわかりました。仕方がないことですけれど、血だらけのスーツで足を引きずりながら、タクシーを探してJR尼崎の駅まで歩いた夫のことを思うと、なんだかやりきれない思いです」

「歩道に出てきた私は、周りを見回した。上空にはものすごい爆音のヘリコプターが数台。救助隊よりも早く来て、現場を撮影するカメラマン。『なんでカメラを回してるんやろ。先に救助ちゃうの?』という思いと同時に怒りが込み上げてきた」

 またマスコミは知りたいと思う国民は馬鹿だから、俺たちが正しい考えを教えてやるという高圧的な態度があるように思える。そしてやることは単純で、一人を徹底的に悪者にして責め立てるのである。今回事故を起こしたのはJR西日本であるから、すべてJR西日本が悪者して、単純化してしまうのである。事故の複合的原因など追究しない。
 そんな新聞で、2005年6月19日の投稿欄に「おや!」と思うものがあった。京都のノートルダム女学院中学高校の講師たちが高校1年生約160人この事故の背景や影響についてレポートの課題を出した。そのレポートの多くがJR西日本のスピードを優先する企業体質を事故原因として挙げたけれど、中には「JRも発着時間を決めていた人も、いつも急いでいる私たちもすべて加害者」「電車が2分でも遅れたら『遅い』と思ってしまうことで、運転士や役員を追いつめることになってしまった。過密な仕事をしていることを危ないとも思わず、忠告もしなかった私たちにも非がある」という記述があったという。
 これを読んだとき、私もそう思っていた。確かに安全を無視した企業体質がこうした大惨事を起こしたことはまがうことない事実だけれど、それを要求したのは、あるいはJR西日本にサービスとして求めたのは、私たちなのである。それが便利だと思ったことで、JR西日本を利用した一面はあるのではないかと思うのだ。だから悪人をJR西日本にだけ求めるマスコミの態度はどうしても納得のいかないものが私にはある。
 ただ、そうした住民の要求に応え、サービスを提供したJR西日本の責任はもちろん回避できないけれど・・・。
 そして事故にあった乗客も事故は何だったのだろうと振り返る人がいて、単純に事故責任をJR西日本だけに求めていない人もいたことを知って、なんか安心した。そこには次のように書かれている。

「事故の直接の原因がスピードの出し過ぎであることは明白ですが、その背景にはJR西日本という企業の体質、さらにはそういう企業の存在を容認してきた私達の社会があります。時間に追われ余裕のない生活を送る私たちの社会。あの事故はいったい何だったのか。私たちはあの事故から何を学ぶべきなのか。直接は公共交通である鉄道の安全運行の重要性でしょう。しかし本当に気づくべきは事故を引き起こすこととなった社会のありようではないのでしょうか。1分、2分を争う社会。効率ばかり優先される社会。私はそれとは別の価値観があることを頭で理解するのではなく心から『実感』したのです」と。

 さてこの事故は平成17年4月25日に起こった。死者107名(うち1人が運転手)、負傷者500人以上の大惨事である。
 原因は伊丹駅でのオーバーランから始まる。ここで戻ったことによる時間のロスを取り戻そうとそれ以後かなりのスピードを出したことにより、カーブを曲がりきれず脱線した。脱線前の車内の状況を乗客である被害者は次のように語る。

「その時、誰かの『ホームが無い』と漏らした声を耳にして窓の外を見ると、線路脇に雑草が生えている景色が目に入った。かなりオーバーランしてしまった様子に、木村と顔を見合わせた瞬間、今度はいきなり体を後ろに引っ張られた。再び皆が体勢を崩した時、電車がホームに向かってバックしている事に気が付く。ブレーキも大変荒かったので、『バックする前に一言車内放送でもいれるやろ、普通・・・』と一人で憤慨していたが、まあ、焦るのも無理はないかと思い直し、車内を見回した(略)会話をしながら周りの様子に違和感を覚えはじめたのは、窓の外を流れる景色のスピードがいつもより早く感じた為だった。しかも時折、がたがたと窓が鳴っている。私は普段この路線を使うが、今までにその区間でそこまでのスピードを出された事は記憶になかった。周囲からも、不安げな声が上がりだし、それと連動するように床から振動が伝わってくる。(略)客観的に見ても、訳のわからない不安感を乗客は感じている様だった」

「私が利用しているこの快速電車は普段からよくダイヤが乱れていましたが、その日は定刻通りに電車がホームに入って来ました。しかし全く止まる気配が無く、ものすごい勢いで目の前を通過していったので『特急列車なのかな』と思いましたが、かなり行き過ぎてから急ブレーキをかけて突然止まりました。いつもなら目の前にあるはずの3両目は無く、ホームの右手に車掌の姿が見えました。この時点から何となく『この電車はおかしい・・・』と、漠然とした不安を感じていました。
 すると、荒っぽい運転で電車が逆方向に走り出し、いつもの位置よりも少し戻り過ぎた位置で停車したので、私の目の前には3両目の一番前のドアがなく、川西方向に少し歩きました。『この電車に乗っても大丈夫かな・・・』という気持ちを持ちながらも、エスカレーターから降りて来た若い女性2人が先に乗り込んだので、『電車だしそんな事はないだろう』と思い、そのままその電車に乗り込みました」

「オーバーランや急ブレーキ、急ぎ足の運転、そんないつもと少し違うちょっとしたハプニングを、関西弁のニュアンスで言えば『しゃあないなぁ』『しっかりせぇ』といった感じで笑っているような、本当に暖かいムードだったのだ。
 その空気が少し変化しだしたのは、塚口駅のあたり。ガタン、という大きな音とともに、電車が駅を通過する。車内がざわつき、車体が上下に揺れ、窓ガラスがガタガタと音を立てて軋みだした。時速100キロはゆうに超えているであろう速度だ。私たちは、『・・・速いな』『速いよな・・・』と少し不安げに声を揃えた。他の乗客も、ほとんどの人がひとりで乗っているにも関わらず、近く居る人と『ちょっと速いですよね』『速すぎないですか?』『大丈夫ですかね』と声を掛け合い始める。このとき初めて、車内にはっきりした緊迫感が生まれた」

「『ん?停まった?・・・ここ駅じゃないよなぁ・・・』窓の向こうは草っぱら。訳のわからないまま、電車は逆方向へ走り出しました。
 『ありゃー、オーバーランしてたんかぁ』それにしても逆走も結構なスピード。つり革をしっかり持ってないと倒れそうなほどでした。本来停まるべき伊丹駅に着いたとき、私の脳裏にはチラッと『この運転手大丈夫やろうか』とよぎりました。そして、走り出した電車はどんどん加速して行き、車内が何となくどよめき出しました。たまにしか乗ることのない私にはそれほど異常は感じなかったのですが、すでに毎日乗っている方はいつもと違うと感じられていたようです。そのどよめきで、私も初めて『そういえばすごいスピードが出ているきがするなぁ』と感じたとき、例のカーブにさしかかりました。
 『え!?、このスピード・・・曲がれるの』」

「一度大きな揺れがあり、立っていた乗客は笑いながらも大きくバランスを崩しました。信じられないことに、事故直前の異常な揺れを体験しても、乗客はまさか脱線するとは思わなかったのでしょう。仮に脱線しても『まさか自分が乗っている電車が・・・』という意識があったのでしょう。そのときまでは、尋常でない揺れを感じながらもつり革に必死につかまり、笑顔さえ浮かべていたのです」

 これを読んでいると、電車がオーバーランしたことで、この電車はおかしいと感じた人と、ちょっとしたハプニングと感じた人と別れるけれど、その後急に電車がバックしたこと、そして加速して尋常なスピードでないと感じたとき、みんなが不安に駆られる。しかし不安を感じたとしても、電車に乗ってしまった以上どうしようもない。しかしこの時点まではまさかこの電車が脱線するとまでは思っていない。そして電車は脱線した。
 脱線したときの車内の状況は乗客が乗っていた車両によってかなり違ってくるようだけれど、この手記を読んでいると、脱線し、車両がマンションに激突する瞬間は、ものすごい力乗客に加わり、人が振り落とされ、或いは飛ばされ、落ちてくる。
 「人同士がもみくちゃになりながら、痛みと衝撃に抵抗しようとしていました。まるで洗濯機の中にたくさんの人とともに入れられたような衝撃でした。まるでサンドバッグのように体中を殴られているような衝撃が続き、『どれだけ続くのか?』と思っていましたが、激しい大きな音と同時に衝撃も止み、それまでの轟音から打って変わって車内は静かになりました」

「揺れがおさまり、車体が停止すると、体の左側を下にして、地面に叩きつけられた。柔らかい。そっと下に目をやると、そこにはやはり人の山があった。誰の足か、誰の手か、誰の頭か、その下に一体何人居るのか想像がつかないほど、ぎっしりと積み重なっていた。暗い車内に背後から一筋の光が差し込み、充満したホコリが照らされて静かに光っている。気絶しているのか、死んでいるのか、呻き声すら聞こえない」

 と書かれている。人と人が重なり合って、うめき声があがり、か細い声で助けを呼ぶ。どのように救助されたのか。またその後どのようにして病院に運ばれたのか。そしてけがの状況とその治療がそれぞれ書かれている。
 ここには被害者の家族の手記も載せられている。被害者の記述も悲惨だが、事故を知らされた家族の不安がたまらない。自分の夫や娘がもしかしたらこの事故に巻き込まれた可能性があるかもしれないと思ったり、或いはとりあえずが大丈夫だけれどという連絡が被害者の携帯(この本を読んでいると携帯電話がかなり役立っていることがわかる)から連絡があるのだが、実際どんな状況なのかわからないだけにただ、おろおろする光景は、察してもあまりがある。顔を見るまで安心できない気持ちがよくわかる。

 けがが回復しても、電車に対する恐怖はなかなか消えない事実も書かれる。

「事故後とはいえ仕事が休めないので通勤はするものの、平常心では電車に乗れなくなり、ラッシュ時の電車や快速に乗る事への恐怖が出てきた。できるだけ電車に乗っている時間が少ないルートを選んで通勤したが、必然的に乗り換えも多くなり、乗り換え毎にベンチに座ってはしばらくは動けず、大阪に出るだけで2時間はかかった」

「電車に乗っていて、普段よりも速いスピードや急な停車、小さな異常を少しでも感じたら、すぐ電車を飛び降りるくせがついてしまい、途中下車をする回数がだんだんと、増えてきました。いつでも降りられるように、快速電車には乗らず、普通電車ばかり乗るようになりました」

「電車に、JRに乗ることには、以前に比べると慣れました。でも、スピードやカーブ、そのいたる瞬間にも緊張感を持って乗車していることはなんら、以前とは変わっていません。『電車に乗ることに慣れた』のではなく、『我慢して乗ることに慣れた』のです」

 そしてやりきれないのが「サバイバーズ・ギルド」と呼ばれる本来負わなくてもいいはずの罪意識が生存者に生まれてしまうことである。「あの事故での『生』と『死』は何の理由もなくほんの少しの場所の違いで分けられたのである」そしてたまたま自分は生き残ってしまったという苦悩。または自分もけがをしていたため、助け出された他の乗客が成す術もなく目の前で命の火が消えていく光景を目にするしかできなかったことによる罪の意識。
 そのことが残された者の義務として、事故を風化させないために、事故の真相を語り続ける。
 この本は最初に書いたように、人間の愚かさを書いていると同時に、人間ってすばらしいなぁと思わせる尊厳も感じさせる本であった。


評価
★★★★


書誌
書名:JR福知山線脱線事故―2005年4月25日の記憶
著者:JR福知山線脱線事故被害者有志
ISBN:9784343004048 (434300404X)
出版社:神戸新聞総合出版センター (2007-04-25出版)
版型:333p 19cm(B6)
販売価:1,680円(税込) (本体価:1,600円)

2007年05月15日

志水辰夫著『行きずりの街』

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 この本はこの本についている帯に惹かれて買った。そこには16年前の「このミステリーがすごい」の第一位の本だと書かれている。正直な話何で今頃本屋の目立つところに並んでいるのが少々不思議でもあったあった。お茶の水の丸善のPOPには16年後大ブレイクと書いてあった。私みたいにこのPOPを見て、買わされた客が多くいるのだろう。(それにしてもこの店のPOPに書かれている文句は結構触手が動いてしまうほど、うまい)

 さて16年前の「このミステリーがすごい」の第一位の本だというが、それほど色あせていない。だから結構話に引き込まれてしまう。
 郷里の塾の教え子であった広瀬ゆかりの伯母が祖母の病状が思わしくないので、今のうちにゆかりに会わせたいのでゆかりを探してほしいと波多野に頼み込むことから物語は始まる。
 ゆかりは孤児で、祖母の手で育てられていた。波多野の実家にも遊びに来た。高校卒業後、東京へ出て行ったが、波多野はゆかりの東京行きには彼女の性格を考えれば賛成できなかったが、本音のところでゆかりとこれ以上関わりたくもなかった。しかし東京でゆかりの消息がとれないと聞き、自分がゆかりを放り出してしまったのではないかという罪悪感に駆られ、東京に出て、ゆかりを探し始める。
 波多野は郷里に戻る前、都内の私立の名門学園の教師をしていた。しかし教え子の雅子と恋愛関係になり、雅子が卒業後結婚をする。それが高校でのスキャンダルとして扱われ、波多野はその高校を去った。そして雅子と別れて郷里へ戻ってきていた。
 ゆかりを捜しているうちに、ゆかりが角田という男に囲われていたことがわかる。この角田という男は波多野が去った後学園の経理部長をしていた男であった。ゆかりの行方を調べているうちに波多野は自分の追放劇が学園の陰謀であったことを知る。また、別れた雅子と再会する。
 ここから波多野は自分が追放された真相と学園の陰謀の究明が、ゆかりの行方を探るうちにあばかれていく。
 こんなに都合よく昔のことが関連するわけがないだろうと思いつつも、読んでいるうちに引き込まれていった。それに一介の高校教師がこんなにかっこいいわけないだろうとも思ったが、まぁ話としては面白かった。それに別れた雅子との会話ももの悲しく、その後の人生の哀愁がうまく描かれている。
 この本が本当に16年たってブレイクしているなら、それはミステリー的要素だけでなく、ハードボイルドの面も持っていて、しかも恋愛小説的要素を持っているからだろうか?過去の清算と再出発が最後に成就することもプラス要因かもしれない。
 ところでこの本のカバーのデザインがいい。


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 波多野が学園の教師をやっていた頃、雅子と夜隠れて会っている感じがよく出ている。あるいは探し当てたゆかりかもしれない。それほど雅子とゆかりがだぶる。


評価
★★★


書誌
書名:行きずりの街
著者:志水 辰夫
ISBN:9784101345116 (4101345112)
出版社:新潮社 (1994-01-25出版) 新潮文庫
版型:356p 15cm(A6)
販売価:579円(税込) (本体価:552円)

2007年04月25日

司馬遼太郎著『街道をゆく』40巻

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 今回は「台湾紀行」である。私は台湾について詳しいことは知らない。蒋介石が作った国だと長いこと思っていた。これがとんでもない間違いであったことを今回知る。
 今中国は台湾の存在を認めていない。「一つの中国」として、台湾を見ている。つまり台湾は中国本土の一部だと考えているわけだ。日本も田中角栄首相の時、「日中国交正常化」を整えたとき、台湾と断交した。それまで日本は、中国とは台湾を意味していたのが、これによって中国本土が中国としたのである。
 私は馬鹿だったから、台湾も蒋介石が作った国だし、同じ中国人の国なのだから、中国が主張する「一つの中国」は何ら問題のない主張だと思っていた。
 だけどよく考えてみると、中国が台湾は自分の国だというなら、台湾(中華民国)にとっても、中国大陸のすべてやモンゴルやチベットは台湾のものだと言えることになる。もちろんこれは台湾の人々が声を上げて言っている訳じゃない。司馬さん言う空想である。でも論理としては矛盾はない。ただ中国が台湾を自分の国だと主張する背景には、自国の国力にものを言わせているのところが感じる。
 司馬さんはこの紀行文で、台湾を通して、国家の起源論を考えている。

 清王朝にとって台湾は"化外の地"であった。要するに19世紀末までボートピープルや流民、棄民たちが暮らしていた島であった。国として清王朝が所有権を主張していても、ほとんど支配権などなかったといっていいようだ。言ってみれば歴史の空白地帯であった。
 1894年日清戦争が起こり、日本は台湾を植民地化した。以後50年に渡り台湾は日本の統治化に置かれた。日本は台湾を植民地化することで「文明」を持ち込んだ。児玉源太郎、後藤新平、新渡戸稲造らが統治をし、八田與一という技術者が台湾に「文明」をもたらした。
 李登輝さんが面白いことを言っている。「植民地に対して宗主国というのは、自国いいところを見せたがります。シンガポールに対する英国もそうでしたし、台湾における日本もそうでした」と。これに対して司馬さんも同意し、「そういわれてみると、古いころの日本は国力の点では分不相応に、台北において上下水道など完備させている。いい格好をしてみせたかったのにちがいない」と言っている。
 日本の敗戦という形で太平洋戦争が終わり、日本は台湾から去ることになる。そこへ中国共産党に敗れた蒋介石が大陸から「中華民国」という国名を背負って泥靴で上陸してきた。彼らは支配階級を作り、ときに本島人を殺し、凌辱し、差別した。
 地生えの本島人にとってみればたまったものではない。「中華民国」がこの小さな島にのしかかり、陳儀以下の軍人・官吏は宝の山に入り込んだ盗賊のように掠奪に奔走し、汚職のかぎりをつくした。そのさいたるものが、1947年2月28日に起こった二.二八事件であった。
 司馬さんは「漢民族にとって歴朝の国家が皇帝の私物であったように、この台湾も、ながく蒋家に私物同然だった」と言い切る。本島人の間では「犬(日本人)が去って、豚がきた。犬はうるさいが、家の番はできる。豚はただ食って寝るだけだ」という悪口が流行ったという。
 1975年蒋介石が88歳で亡くなり、長男の蒋経国が総統となる。「蒋経国は私としての権力の命数をよく知っていたようで、総統就任以前から台湾人の俊才を抜擢しはじめた」という。
 蒋経国は1985年12月に「蒋家の者が権力を継承することはない」と公言した。更にその翌々年「台湾がやがて本島人たちのものになる」と発言し、同7月に40年近く続いた戒厳令を解除し、その翌年、1988年1月に死んだ。
 蒋経国は死の4年前に後継者に台湾人で学者でもあった李登輝を副総統にしていた。総統の死後、李登輝副総統が憲法の規定で、1988年1月に新総統に就任した。
 ここに「台湾のひとびとの表情が、一挙におだやかになった」と司馬さんは言うのである。
 これが台湾の現代史である。台湾は確かに大陸から来た、蒋介石たちに支配され、中国人の国であるかのような形になったけれど、彼らは最初から「中華民国」という国を背負ってここにやってきて、居座っただけのことであった。台湾の人たちが自ら作り上げた国ではなかった。つまり「一つの中国」ではなかったことになる。李登輝さんが総統になって初めて、自分たちの指導者を得たことになる。ここに中国本土の指導者が声高に主張する「一つの中国」には無理があることを知るのである。台湾は台湾なのである。

 私もそうなのだが、その国の歴史的背景を何も知らないで、知ったかぶりしてものを言うのは恐ろしい。

 それにしても、このシリーズを読んできて、司馬さんが入れ込み具合の強弱がよく感じる。今回の台湾紀行はかなり熱かった。その分台湾が抱える歴史的諸問題がよく分かり、中国が主張することが、そう簡単な問題でないことを知らされる。


『街道をゆく』40巻の「台湾紀行」は週刊「街道をゆく」の9巻に収録されている。


評価
★★★★

書誌
書名:街道をゆく〈40〉/台湾紀行
著者:司馬 遼太郎
ISBN:9784022568083 (4022568089)
出版社:朝日新聞社 (1994-11-01出版)
版型:502p 19cm(B6)
販売価:1,785円(税込) (本体価:1,700円)

2007年02月03日

北尾トロ著『キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか』

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 これでトロさんの最後の本。しかしこれは最高に面白かった。回を重ねるたびに面白くなってきて、今回は本当にのびのびと書いているから、大笑いできた。この本のコンセプトは次の通り。
 日常生活のなかに「やってみたいけど、ちょっと勇気がいる」、「ついためらってしまう」些細で微妙な、ほとんどどうでもいいことで、やってやれないことはないが、少々度胸がいり、恥ずかしさに打ち勝たなければならないことを、今回やってみようということなのである。だから普通やらない。けれどどこかでやってみたいという願望がある。そういったことを今回トロさん自身がやってみようというわけである。
 具体的には、知らないオヤジに話しかけ飲みに誘う。ゴールデンウィークのお台場で孤独な男たちと人生を語り合いたい。公園で子供たちと遊びたい。電車でマナーの悪い乗客をしかりとばす。激マズそば屋でまずいと言う。馬券売り場のベンチを陣取るオヤジに着席権を主張する。ちょい知り他人に「鼻毛が出てますよ」と言う。皐月賞に30万円1点買いをして、JRAの封印付きの札束を手にする。人前で自作の詩を朗読する。就職活動をする。高校時代好きだった女の子に今になって好きだという。母親の恋愛時代の話を聞く。高校時代イジメた担任教師に謝るなどである。
 最初の2つは、確かに急に見も知らぬヤツが近寄って話しかけたら、そりゃあ警戒するわなと思うから、トロさんに話しかけられた側の態度は、怪訝な顔をして当然無視する。これは私もそうだろう。腹の中では「なんだこのオヤジ?」と思うはずだ。まず知らない人間が話しかけてくるなんてシチュエーションは想定していないからだ。
 大人が子供と遊びたいというのも難しい。確かに子供と遊ぶのって楽しい。昔息子が小学校の頃、一緒にバトミントンをやっていて、そこに息子の友達が来て、一緒に遊んだときことを思い出すと結構楽しかった。トロさんの気持ちはよく分かるが、今の時代変なヤツが多いから、子供の方も親や学校で嫌というほど注意されているはずだ。そんなオヤジが来たら充分警戒するだろう。そうそうつきあってくれるわけがない。まずは自分が変なおじさんでないことを相手に分かってもらう努力をしないといけない。それがなかなか難しい。何度か失敗し、やっとの思いで三角ベースの野球に参加させてもらっている。
 電車の中でのマナーの悪さは深刻だ。トロさんが遭遇したのはロン毛のあんちゃんたちで、携帯電話で大声で話すは、足を組んでそのかかとが当たるは、最悪である。トロさんもそうだし、その他の乗客も苦々しく感じている。注意したいけどつるんでいる奴らから逆ギレされるんじゃないかとか、いろいろ考えてしまう。怒りたい。怒らねばならぬとものすごい葛藤である。そして我慢ができなくなって「いいかげんにしろ!」と怒る。怒られた側は最初きょとんし、文句を言いつつ、静かになり、携帯をやめる。
 嫌だったのはこの後である。トロさんが電車を降りようとしたとき、このロン毛たちがトロさんを腹いせに押したのである。当然トロさんは前に手をついて倒れる。電車はそのまま駅を出る。そのとき電車の中の乗客たちがトロさんを見て、笑っているのである。さも余計なことをしたからそうなったんだといった感じで。マナーの悪い乗客より、こちらの方がたちが悪い。たぶんこれが現実なんだろう。
 近所のそば屋は夜遅くまでやっていて便利なのだけど、激マズの店である。そこでここは一発言ってやらねばと思い、悩むのだが、なかなか言えない。そりゃぁそうだ。まずいと思ったら、次から行かなければいいのだ。で、やっとの思いでトロさんが言った言葉は「味が濃すぎませんか」、「もう少しなんというか、食べやすい味にしてもらえば、ありがたいというか」である。まぁそんなもんだろう。お金を払っているのは客であるトロさんなんだからもっと言えるはずだけど、やっぱりここまでだろう。むしろよく言った方である。
 相手のことを考えたりすると言っていいはずのことが、言えないのである。電車の中で「ブラのひもが見えていますよ」も言えない。言えばトロさんが言うように「このエロオヤジ」とあらぬ誤解をされかねないからである。笑ったのは次である。
「でも、まだブラはいい。夏になると、もっと絶望的な状況にブチあたるのだ。
 腋毛の剃り残しである。何日か手入れを怠っているうちにプチプチ伸びてきた腋毛。ノースリーブを着た相手はまったく気づかずに髪をかきあげたりしている。その一瞬を見逃さず、剃り残しを発見してしまったオレの目のバカバカ。
 言えん。絶対、無理だ。そして、その結果、彼女はヘタすりゃオフィスや通勤電車内で、男どもの好色な視線を浴び続けることになるのである」
 同姓の友達同士なら、それは指摘しあうのだろう。友達なら言える範囲がぐ~んと広くなってくるからだ。でも男同士でも、前にいる男の鼻毛が出ていること気になっても、やっぱり「鼻毛が出てますよ」なんて言えない。それを指摘された人はものすごいショックだろうと思うからだ。まぁ気になってもやり過ごすのが無難と言うことになっちゃうわけだ。
 とにかくどうしてこんなことを思うのかあきれちゃうのだけど、それが面白い。人前で自作の詩を読むというもの。
「これはたまりませんよ。自分がそれをやると考えただけで赤面っス。
 だってさあ、詩だよ。詩人の方々には申し訳ない、悪意などないんだけど、個人的には、これほど人に言いづらい職業は珍しいと思う。たとえば女のコに尋ねられたらどうするんだ。
『何をやっている人ですか?』
『詩人です』
『は?』
『詩人なんです』
『は、はぁ・・・・詩人さんですか』
 変わり者だと思われても女のコを責めるのは酷な気がする。だいたい職業を聞かれてためらいもなく『詩人』と答えるだけで、いまの日本では相当の開き直り、ガッツというものを要するのではないか」
 これは言えてる。もし私が相手の職業を何らかの理由で尋ねることがあって、尋ねたら「詩人」ですと答えられたら、次の言葉が出てこないと思う。
 でトロさんは自作の詩を披露するのである。これがまたよくわからない詩なのだが、それでも、詩を作り、披露することに一時はやみつきになってしまうあたりが面白い。
 長くなっちゃったけど、最後にもう一つ。トロさんが高校時代好きだった女の子(もう主婦で子供もいる)を何とか探し当て、高校時代好きだったことを告白するというもの。 再会して話しているうちに、もうかなり昔のことだから、割とさらりと言える。ところがその人からも「私も好きだった」と言われてしまう。そこから様々な妄想が始まる。もしあの夏好きだと言っていたら、自分の人生はどうなっただろうかといった感じで。問題は次の文章である。
「ぼくたちは、それからも精力的に話をした。外はとっぷり暮れてきて、あとわずかで夜に突入する。食事に誘うのが礼儀だろうか。いやいや。やめておこう。いまのテンションで食事なんかしたら、頭の中が17歳になったぼくは何をしでかすかわかりゃしない。クラス会などで再会した分別ある男女が、盛り上がって思わず不倫してしまうのは、きっとこんな状態のときだと思う。夢を見ている感覚なのだ。
 ぼくは吉野さんと不倫したいのか自問してみたけど、答えはノーだった。きれい事を言うわけじゃないけど、ぼくは彼女が幸せそうで満足なのだ」
 クラス会の後の不倫の過程は笑っちゃうが、後半は文章的にトロさんらしくない。でもこれはきっと本音なんだろうと思う。常識人なのだきっと。トロさんは・・・。


評価
★★★★


書誌
書名:キミは他人に鼻毛が出てますよと言えるか
著者:北尾 トロ
ISBN:9784344407992 (4344407997)
出版社:幻冬舎 (2006-06-10出版) 幻冬舎文庫
版型:307p 15cm(A6)
販売価:630円(税込) (本体価:600円)

2006年09月29日

大沢在昌著『狼花』

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 5年半ぶりの新作(光文社刊)である。そのため主人公の鮫島はともかくとして、登場人物を忘れてしまっている。たとえば鮫島恋人でロックグループの「フーズ・ハニー」のヴォーカル昌がいたことさえ忘れていた。ただ今回は携帯電話でしか登場していない。それはそれでいいのではないかと思っちゃう。男がハードボイルド的に行動しているのに、一方で女とちゃらちゃらしちゃまずいだろう。
 さて、このシリーズの5巻目『炎蛹』の登場した仙田勝が、今回再登場する。仙田は「泥棒市場」といわれる、外国人窃盗団がかっぱらってきた盗品をさばくマーケットを中国人女性の明蘭と作り上げていた。
 そのマーケットを広域暴力団の「稜和会」は乗っ取りを狙っていた。
 一方多発する外国人犯罪に手を焼いていた警察は、彼らを取り締まるためにその「泥棒市場」を「稜和会」が乗っ取ることを望んでいた。というのも、「稜和会」が「泥棒市場」を把握すれば、警察は「稜和会」を押さえることで、外国人犯罪者を一挙に把握できるからである。その方針で鮫島の同期であるキャリアの香田はは「稜和会」に近づき、「稜和会」と手を結ぼうとする。香田にしてみれば、外国人犯罪者を毒を以て制そうとしたわけである。
 そんな中、ハシッシュの運び屋であったナイジェリア人が仲間に新宿で殺され、持っていたハシッシュを奪って逃げた。鮫島はその捜査にあたったが、そのうち、仙田のマーケットの存在を知り、それを「稜和会」が狙っていることをかぎつける。しかもそれを影で助けようとする同期の香田の存在も知る。
 こうして鮫島は仙田と「稜和会」、そして「稜和会」と手を結ぼうとする香田と対立しつつ、一気にクライマックスへ突入していく。

 もうこれ以上書いてしまうと、完全にネタばれになってしまうので、ここまでにしておく。話はテンポよく展開していき、最後までだれないで、充分楽しめた。
 私は単純なので、こうして鮫島が「稜和会」と格闘している場面になると、「やったれ!やったれ!」と、まるでやくざか警察がやくざに対する時に使う言葉で応援してしまった。(まったく我ながら呆れる)こういうハードボイルドは単純に楽しめるので、気分転換にはもってこいだ。しかも思い入れが激しいので余計だ。


評価
★★★★

2006年09月20日

沢木耕太郎著『危機の宰相』

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 私は沢木さん新刊が出ると無条件で買ってしまうところがある。しかもこの本(魁星出版刊)今まで聞いたことのない出版社から出ているので、今のうちに買っておかないと後でなかなか手に入らないかもしれないという思いがあって、本屋で見かけたときすぐ買ってしまった。
 ところがこの本、いずれじっくり読みたいと思って全巻買ってある「沢木耕太郎ノンフィクション」の7巻に収録されているのだ。「やってしもうた!」と思った。それを知ったのは著者のあとがきを読んでからであったが、この本の経緯が書かれており、へぇ~そうなんだと知ったこともあった。
 この本は沢木さんの初の長編だったのだ。今まで沢木さんの初の長編は『テロルの決算』だと思っていたが、そうではなくこの『危機の宰相』だったのだ。ただ本としてきちんと刊行されるのは「沢木耕太郎ノンフィクション」まで待たなければならなかったらしく、それを今度魁星出版版として出版されたらしい。しかも1960年代を描いたものとして、体制側の提出した夢と現実としての「所得倍増」の物語(つまりこの本のこと)と、右翼と左翼の交錯する瞬間としての「テロル」の物語(『テロルの決算』のこと)、そして60年の安保闘争の中での学生運動とメディアの絡み合いが生み出した「ゆがんだ青春」の物語(未完)の三部作となる予定だったという。しかし沢木さんは『テロルの決算』を書いた後、歴史ノンフィクションから足が遠のく形になった。

 ということで、この本が沢木さんの著作でどんな位置をしめるのか知らなかったわけだが、買ってしばらくの間、内容が、政治的ノンフィクションなので、これはちょっとすぐ読めないなぁと思っていた。しかしたまたま半藤さんの『昭和史』を読み終えていたので、その歴史的背景が自分なりに頭の中に入ったので、この本が読めると思い、読み始めた。読んでみたらこれが意外に面白かった。

 この本は池田勇人の「所得倍増」計画がいかにして生まれたのか考察したルポルタージュである。
 池田勇人は1960年岸信介内閣総辞職の後、第58代内閣総理大臣に就任し、第1次池田内閣が発足させた。その後第60代と3期にわたり内閣総理大臣を勤めた。
 池田の総理大臣の道はそう簡単に得られるものではなかった。大蔵官僚として大蔵省に入省したが、当時大蔵省のエリートコースは旧制第一高等学校から東京帝大に入学し、大蔵省に入ることであった。しかし池田は旧制第一高等学校の進学に失敗し、熊本の第五高等学校に入学し、京都帝国大学に進んだ。この時点で大蔵省では池田は傍流にならざるを得なかった。しかも奇病に罹り、完全に人生のloser(敗者)となってしまった。
 この池田をloserとするなら、後に池田のブレーンとなった田村敏雄、下村治もloserであった。彼らは大蔵省に入省しても、田村は満州へ行ってしまい、そのまま終戦を迎え、ソ連の捕虜となってシベリヤに抑留されてしまう。当然出世街道から外れてしまった。下村は結核のため、長いこと休まなければならなくなってしまったことで、やはり出世かられてしまう。しかしこの三人が結びつくことで、池田の「所得倍増」が生まれるのである。
 そもそもこの「所得倍増」という当時としてはかなりインパクトのあるキャッチコピーがどうして池田の政治方針となったのか?沢木さんは1959年1月3日の読売新聞に載った中山伊知郎のエッセイだったのではないかと推理する。そこには「福祉国家という大目標は今日も依然として未来像の中核たるべきものであると思う。ただ貧乏のただ中で如何に福祉国家に接近するか、この問題に直面するとき、この未来像には一層具体的な形が与えられなければならない。その具体的な形として、私はあえて賃金二倍の経済を提唱してみたい」とあった。これを読んだ池田はこれは夢物語ではなく、実現可能だという「勘」が働き、これこそ探していたものだと確信する。後は池田のこの「勘」に理論が結びつけばいい。この理論を提供したのが下村治であった。池田と下村を結びつけた仲介者が田村敏雄であった。
 田村敏雄はシベリヤの抑留から日本に帰ってきたが、公職追放の指定を受けてしまう。そこで同期入省の池田勇人が大蔵大臣となっていたので、相談に行き、大蔵財務協会の理事長となる。その後池田の個人後援会である宏池会を作り、その活動に専念する。池田を総理大臣にすることを夢とするのである。その田村が大蔵省に凄い奴がいると聞いた。それが下村治であった。
 下村は「日本経済には素晴らしい成長力がある」と見ており、戦後行き過ぎとなりがちな総需要をいかにして総供給力の範囲内に押さえるかに課題が置かれたが、今は充実した供給力をいかにして健全な経済成長として実現するかを問題とすべきだとする。つまり充実した供給力を生かすためには、国が統制して需要を抑えるのではなく、需要を増やせばいいとしたのである。この下村の理論が田村を通して池田の政治方針となったのである。
 1950年代はとにかく復興であった。食うことに困り果てていた時代を克服することが最大のテーマであった。その努力を日本全体が行うことにより、少しずつ経済が豊になり、朝鮮戦争という神風も吹いた関係で、戦争のダメージから日本経済は復興する。そんなときやっと日本人が政治に目が向くような余裕もできたので、岸内閣の強引な安保条約改定はまた戦争を招くのではないかという不安に国民はかられ、安保闘争となっていった。国民は国に経済成長を求めたのである。それが60年代であった。そこに池田勇人が「所得倍増」を打ち出し、経済成長を更に延ばすことを最大のテーマとした。それは日本経済がこの時点でそれだけの土壌を持っていたことを認識していたから言えたのである。
 下村はそれをちゃんと見ていたのであった。「下村はこの『反安保』のうねりを、自分たちがどこへ向かって進んでいけばよいのかわからない国民の苛立ちだ、と見ていた。『日本国民の生きる道はちゃんとあるのだということを明示すれば、その苛立ちは消える』という固い信念があった。池田の手になる『所得倍増』がそのひとつの道になるはずだった」と沢木さんは言う。
 その結果、必ずしも一本調子ではなかったけれど、日本経済は下村の予測通り高い成長を続けたのである。

 この本を読んでいると、政治理念というか方針というのが、その時々の状況をどれくらい把握しているかで、それによって成功するか、失敗するかがよく分かる。そのためには現実をきちんと見ている人が政治家のブレーンにいることが如何に重要であるか思い知らされる。しかも学者ではなく下村のように、官僚の中に、しかも傍流にいたのである。それを見いだした田村も凄いし、田村を自分の所に置いた池田勇人も人間を見る目があったというべきかもしれない。
 また政治が国民に意識されたときは、ろくな時代ではないのではないかとも思う。つまり政治が国民の前面に出てきてしまった場合、統制や足かせを要求するのではないかと思う。池田勇人は下村の理論に従い、国が統制して需要を抑えるのではなく、民間の意志に任せ需要を増やせばいいとしたことで、経済成長を促した。沢木さんが池田の側近的存在の前尾繁三郎の『政治のつれづれぐさ』の「政治とは何か」の一節をあげているが、そこには次のように書かれている。

「人間は本来自由を欲する。自由であることによって努力が生まれる。努力なくして進歩はない。また、努力しても進歩のない世の中にしてはならない。それはできるだけ各人の自由を拘束しないようにしまければならないし、また、できるだけ平等にして競争のしがいのあるようにしなければならない。しかし、集団としては拘束、時に強制を必要とする。ところが存外原則が忘れられて、強制によって計画的に事をはこべば最も能率的であるかのように錯覚する。これは本末転倒で、逆に非能率となり、また、その不自由さに耐えられなくなる。かかる人間性を無視した政治は、政治ではないが、これがまた真の政治とまちがえられている」

 まさしくその通りだろう。真の政治は表舞台でない方がいいし、国民に意識されないほど政治が行われている方がいいに決まっている。(だからといって情報を公開しないで、好き勝手なことをしていいということではない)要は政治が国民を束縛しないことなのだ。その時国民は自由に人間らしく生きていけるし、必然的に国の繁栄を促していくのではないか。少なくとも池田はそうしたのだ。

 たまたま今日は次の総理大臣が決まる日である。私たちは新しい総理大臣が何をしてくれるか期待しすぎる部分があって、彼の政治方針がよく見えないと不安になっているところがある。しかしそうではなく、我々が彼らを動かすことをしなければいけないのではないかと思う。J・F・ケネディが大統領就任演説で「あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか」という姿勢を本来持つべきなのではないかとも思う。(なんだかまた脱線してしまった感があるが・・・)

評価
★★★★

2006年08月10日

久坂部羊著『無痛』

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 話しはこの本と関係ないところから始めたい。まだ岩本町店があった時、その店で書籍の仕入の手伝いを始めた頃だったと思う。久坂部羊さんの新刊『破裂』がたまたま神田村の問屋に3冊あった。私は久坂部羊さんがどんな作家なのかも知らなかったし、どんなジャンルの本を書かれているのかさえ知らなかった。
 でも、本の奥付を見て、これは新刊だなと判断した。しかもこの出版社の新刊は問屋からの配本がないことも知っていたので、その3冊を仕入、店頭に並べた。
 翌日の新聞広告に久坂部羊さんのこの本が載った。さっそくお客さんからこの本の在庫を聞かれ、他のスタッフはこの出版社の配本がないことを知っていたので、在庫がないことを詫びていたのを聞いて、私は在庫があることを伝えた。その後そのスタッフは私の仕入能力をほめてくれたので、我ながら有頂天になったのを覚えている。もちろん残りの2冊もすぐ売れてしまった。

 というわけで、この久坂部羊さんの著作は気になっていたのだが、今回初めて久坂部羊さんの新刊を読んだ。多少猟奇趣味的なところがあるが、読んでみて面白かった。

 神戸市内閑静な住宅街で一家四人の残虐殺害事件起こった。凶器は2本のハンマーであった。被害者はこの家の主人である石川昭次、妻の彰子、5歳の長女舞、3歳の長男公平であった。昭次の致命傷は脳挫傷で分厚い後頭部が一撃で粉砕され、挫傷は小脳から脳幹まで及び、殴打の衝撃で脳底動脈が破裂し、左右の眼球にも出血があった。妻の彰子は前頭骨と左頭骨を破壊され、先切りハンマーの先端が脳室まで達し、顔面にも攻撃が加えられ左眼球の脱転、両頬骨の複雑骨折、上顎骨歯槽粉砕の状態であった。舞の頭頂部には直径6センチ陥没骨折があり大人の拳ほどの空洞ができており、脳が飛び散っていた。公平は頭の右半分がほとんど消失していた。
 事件後8ヶ月たった頃、精神障害児童施設に収容されていた14歳の少女がこの事件の犯人は自分だと告白する。これを聞いた警察には刑法39条が重くのしかかり、捜査に嫌な空気が漂うようになる。
 その少女、南サトミの担当であった、臨床心理士高嶋菜見子は医師為頼英介に通り魔から助けられる。為頼は人を見るだけで症状が分かる天才医師であった。通り魔から高嶋親子を救ったのも、通り魔の顔見て、危ないと判断し、非難させたのである。
 そしてもう一人為頼と同様に見るだけで症状が分かる医師がいた。白神メディカルセンター院長白神陽児がいた。そして彼の病院で働く彼もいた。
 例によってこれ以上書いてしまうとネタばれになってしまうから、ここまでにしておく。

 この本(幻冬舎刊)を読んで、医者はここまで本当にできるのかと思ってしまったし、医療という名の行為に精通していれば、死体の処理などこうも簡単にできるのかと思ってしまった。
 そして医療とは何なのか?治療行為とは、といろいろ考えさせてくれる。
 為頼医師は一目見るだけで病状が分かるだけに、病人の命が助かるかどうかもその瞬間見えてしまう。だからどんな治療をしても助からない病人には余計な治療はしないし、それをするのは医者の欺瞞でありおごりだと言い切る。為頼は自虐的に「治る病気だって、見えないほうがいいんですよ。見えない医者は、自然に治った病気でも自分が治したつもりになれますからね。幸福な錯覚です。見えない医者はそうやって自信を深め、威厳を持ち、貫禄をつける。患者から見れば、立派なお医者さまというわけです。わたしは患者が自力で治ったものを、自分の手柄になどとてもできない」と言う。
 私は今まで医者というのは病気を治してくれるとずっと思い続けていた。確かにそういうこともあるだろうけど、最近はそうじゃないのかもしれないと思い始めている。というのも、もしかしたら自分の病気を治すのは自分の自助力ではないかと思うようになってきたのである。自分の身体に病気を克服する力があれば少なくとも症状は改善するのではないか。その力が病気を治すのではないかと思うのだ。もちろんその科学的裏付けは説明できないけど、なんかそんな気が最近している。医師はその手助けはしてくれるけど、病気を治すのではないと思うのだ。だから為頼医師が言うこの台詞には、妙に納得してしまう部分がある。
 一方の天才医師白神陽児の存在も考えさせられる。彼の経営する白神メディカルセンターは新聞でも取り上げられる私立総合病院で、医師も設備も充実しているだけでなく、独自の方式で一流ホテル並みのサービスを提供している。だからここに来る患者は社会的地位のある人間であった。白神は為頼に言う。

「為頼先生、口はばったいことを申し上げるようですが、快適さ、安全、高品質にはお金がかかるんです。医療だからといって、よいものを安くなんて絵空事です。よい医療を受けたければ、それだけの対価を支払わなければならない。当たり前のことでしょう」

「もちろん、最低限の医療は平等に保障されるべきです。それが保険診療でしょう。つまり保険診療はセイフティネットなんです。保険で最高の医療をカバーしようなんて、行きすぎです。そんなことを考えるから、国民の医療費が年間三十五兆円にもなるし、一方で国民は医療にお金がかかることを忘れてしまう。大した稼ぎもないのに、レジャーや子ども塾代に金を使って、それで医療は国にお願いしますなんて、ムシがよすぎますよ。きちんと医療のために貯蓄をしたり、民間の保険に入って、お金を準備している人もいるんですからね。そういう患者さんが、質の高い医療を受けられるようにすべきです」

 これもこの通りなんだろうなぁと思う。赤ひげ先生をいつまでも要求すべきじゃないと思う。分相応の医療の提供を受けるべきかもしれないと思う。

 そしてこの本のもう一つのテーマである刑法39条の問題がある。刑法39条とは、(1)心神喪失者の行為は、罰しない。(2)心神耗弱者の行為は、その刑を減軽するというものであるが、最近は何かにつけこの刑法39条が前面に出てきてしまっていて、それこそ悪用しているとしか思えないほどだ。
 とにかく常識では考えられない犯罪が起こると、その加害者をすぐ精神鑑定して、事件の時は心神耗弱の状態だといって、その責任を問わないところが多すぎるのだ。それに加えて少年法もそれその手助けをしてしまう。とにかく最近の刑事裁判はこの刑法39条の大安売りである。
 もし自分の家族がこの刑法39条に該当する犯罪者に殺されたりして、無罪なんてなったら納得できるだろうかと思う。まず絶対に納得などできるわけがない。それを考えたら、こんなに頻繁に刑法39条を連発していいのだろうかと思うのだ。刑法39条を少年法に変えてもいい。まず絶対に納得などできるわけがない。言ってしまえばこれらの法律は犯罪者を守る法律でしかない。
 この本の捜査一課の警視仁川康男が言うように「責任能力のない人間を罰することは、非人道的なことなんや。それは罪の償いやない。ただの報復や。それがどれだけ恐ろしい人権侵害につながるか、わかるやろ」と言われても、絶対に納得できないだろうと思う。確かにこの本にも紹介されていたけど、精神の病でもしかしたらこの病気で人を殺してしまうかもしれないという恐怖を抱えて暮らしている人や家族がいることも分かる。けれどそれでもと、やっぱりと思う。
 まして最近の風潮のように何かにつけ精神鑑定なんて話しを聞くと余計である。さらにその精神鑑定の曖昧さを知ると、どうでも鑑定できてしまうじゃないかと思うのだ。
 高嶋菜見子の元夫、佐田が菜見子に復讐するにあたり、「ふつうでは理解できない残酷な殺し方すれば心神喪失と判定されるのか」といって幻覚とか幻聴があるふりをして、精神科の通院歴を作っておけば無罪になると、悪用できてしまうのだ場面があるが、まさしく最近はこのパターンが多いのではないかと思う。
 一方で佐田は面白いことも言っている「『物事の善悪を判断する能力が失われていた』というのは変だ。というか、当たり前のことだ。善悪の判断が失われているからこそ、酷い犯行をやるんじゃないか」と。まさしくこの通りだと思う。とにかく最近はあまりにもこの刑法39条を盾にとって、犯罪者を擁護することが多すぎる。

評価
★★★★

2006年08月08日

辻井喬著『父の肖像』

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 著者辻井喬はご存じの通り、西武グループの堤清二のペンネームである。この本(新潮社刊)は、創業者の堤康次郎を父として持つ、著者が父の伝記を書くことで”私とは何者か”をはっきりさせることを目的として書かれている。ここでの著者は楠恭二として、自分の父を楠次郎として描かれる。
 私は西武グループにはあまり興味がないので、それほど感心がないけど、あの堤義明とこの本の著者堤清二があまりにも違うような気がして不思議であった。でもこの本を読んでその理由がなんとなく分かったような気がする。

 楠次郎は滋賀県東畑郡六箇荘の出身でった。次郎の祖父清太郎は息子の死後、食い扶持を減らすため、次郎の母親を実家に帰し、弟裕三郎を広田家に養子に出し、孫の次郎と妹のふさを養育していた。
 この祖父の一生を貫いているのは自分が再興した楠家の忠誠心であり、それに基づく不屈の努力を惜しまない姿であった。その生きる姿勢は、孫の次郎も引き継がれる。
 祖父の死後、次郎は山東よりとの間長女良子をもうけた。祖父の財産を処分して東京に出て早稲田大学へ通うかたわら、郵便局を経営するようなる。そして、そこの職員岩辺苑子と内縁関係になった。その後滋賀県に置いてある山東よりと離婚し、岩辺苑子の間に長男孫清をもうけるが、やがて苑子は出ていく。 この頃から次郎は政治に興味を持ち始め、事業と政治の二足のわらじを履くことになる。政治で頭角を現すために次郎は大隈重信に近づき、大隈重信の末弟として政治の世界に出ていくことであった。
 そんな中、女性新聞記者として大隈重信の近くにいた田之倉桜と知り合い、結婚することになった。桜は大隈重信のお気に入りであったし、次郎の政治家進出に便利な存在であったのだ。
 一方で、高田馬場でうどん屋をやっていた同郷の平松摂緒と知り合い、大人の女から性の手ほどきを受ける仲となる。
 桜は身体の具合が悪く、子供を産めない身体であった。次郎は岩辺苑子の間にもうけた孫清、そして弟の広田裕三郎夫婦が死んだので、その子広田恭二を引き取り桜に養育させていく。
 広田恭二は楠恭二となり、父楠次郎の伝記をこのように書きつづる。しかし恭二は父次郎の伝記を書き続けるうちに、自分は広田裕三郎と青山れん夫婦の子供ではないのではないかという疑問を持ち始める。 では自分の本当の父親と母親は誰なのか?いろいろ模索しているうちに恭二の父親は楠次郎だと分かり始める。が、母親が誰であるか、その存在が分からなかった。そして次郎は自分の子供である恭二をどうして弟の広田裕三郎と青山れん夫婦の子供としたのか?
 恭二は自分の存在が不安定の中にあることにより、戦後共産党に入党し、楠家から自ら絶縁を申し出ていくが、結核にかかり、療養せざるを得なくなる。
 療養中、病棟にいる歌人高田美佐夫から一冊の歌集を手渡せられる。その歌集は平松佐智子という女流作家の歌集であった。恭二はその歌集を読んで、平松佐智子こそが自分の母親ではないかと思うようになっていく。
 平松佐智子は平松摂緒の娘であった。楠次郎は母親の摂緒から性の手ほどきを受け、娘の佐智子と関係を持ったのであった。
 楠次郎はこのように「不身持」であった。次郎は女性を「女の腹は借り腹」としか見ていなかった。この後次郎は桜という妻を持ちながら、しかも自分の子供でない孫清と恭二の養育をさせながら、石山治栄との間に清明(多分これが堤義明だろう)、清康、峰子の三子をもうけるのである。

 楠次郎が生きた明治末から大正、昭和と政治の流れを見ていると、明治維新の功労者である藩閥政治体質が色濃く残っていることがありありと分かる。もっと言えば、江戸時代からの庶民の考え方もそうだし、政治家が武士に変わって庶民を支配するという感覚はそのままであることを知る。基本は江戸時代と何も変わっていない。
 楠次郎にしたって、大隈重信の末弟を称していても、自分のこと、あるいは自分の一族のことしか頭にない。徹底した現実主義者であった。だから選挙権が最初は税金を納めたものしか持っていなかったのを、男子、そして女子と選挙権が拡大していくことを、次郎は女が政治のことなど分からないのに選挙権を持たせてどういうつもりなのだと苦々しく思うのである。そんなことをすれば自分が当選しづらくなるだけだとしか思わないのである。女はいい子供を産んでくれればいいとしか思わないし、自分が拡大してきた事業は自分の一族で固めて維持していくことしか考えが及ばない。
 事業の方はこれからきっとやってくるに違いない中産階級の時代に備え、箱根や軽井沢開発事業に乗り出し、東京郊外でも文化的な住宅地造成分譲に精を出し、国立に大学都市を造る。それだってすべて政治がらみの事業展開であった。
 そうして築きあげた自分の事業を次郎は「世間では東急を近代的だとか大企業らしいなどと言っているが、どの企業も五島家のものではない。そこへいくとわしの事業は全部楠家のものだ。埼京電鉄は上場しているが、それは形だけのこと、絶対の支配権はわし一人が握っている。成り立ちが違う。経営の実態を知らない、近代かぶれの学者や記者ごとき軽薄才子に惑わされてはいかんぞ。
 清明、清康、お前ら楠家の中興の祖、曾祖父清太郎の意志だけを継げ、世間の評判は一切無視しろ。そんなもの、悪ければ悪いほどよろしい」と自分の子供達に言って聞かせるのである。
 これを読んだとき、堤義明が引き継いできたのはこれだったのではないか。そのことが彼をダメにしたのではないかと思ったのである。いつまでも明治のままではなかったのである。

 645ページの本は読み応えがあった。でも面白かった。

評価
★★★★

2006年07月21日

石井美樹子著『中世の食卓から』

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 本棚を整理していたら、この『中世の食卓から』(筑摩文庫)を見つけた。何となく面白そうだったので、読んでみた。蘊蓄があって、なかなか興味のある本であった。
 さっそく面白い話を紹介しよう。ヨークシャーのウェイクフィールドの降誕劇に登場する羊飼いたちの会話である。場面はベツレヘムの近郊の原野。この年、冬が厳しく、おまけに疫病の流行のため羊が殆ど死んでしまい、羊飼いは飢えに苦しんでいた。羊飼いは互いに不満をぶちまけ、とうとう口論になってしまったが、一人の羊飼いの提案で午餐の宴を始めた。

羊飼い二
とにかく宴会を始めよう。
口論はやめて、おれたちの口に
おまんまをあげようぜ。
とっておきのものを出すぞ。
見ろ、こいつは猪の味つけ肉。

羊飼い一
辛子をつけて食うとうまいぞ。
さあ、食おう。
これは牛の足、ソースがきいている。
スパイスをまぶして焼いた雌豚の脚。
レバー入りのブラッド・ソーセージ二本。
相棒よ、喜べ。
もっとあるんだ。
腐った雌羊の肉もある。
食いしんぼうにはたまらなくうまい肉。
食えよ。

羊飼い二
この袋のなかには、ゆで卵と焼肉が入っている。
牛のしっぽちゃんとあるだろうな。
うれしい、あった。
このスパイスはうまいから、なくなる前に食っておこう。
それに豚の鼻二つ。
モモ肉なしの兎。

羊飼い三
こいつはがちょうの脚。
卵黄をまぶした鶏肉に、珍味の山うずら。旦那衆向けの果実入りパイ、こいつはどうだ。
牛レバーのスライスに酸味のきいたジュース。
上等のソース、
こいつがありゃ、
ぐーんと食欲が増すというもんだ。

羊飼い二
おい、ヒーリー産のエールがあるぞ。
いいか気をつけろ。飲みすぎると、
悪酔いするぞ。

羊飼い一
こいつはすごい!
景気づけになる。


 まるで飢えた羊飼いの宴じゃないようだ。しかもここに出てくる食べ物は当時下層階級から上流階級までのご馳走、珍味である。どうしてこんなに持っていたのだろうか?
 答えは、自前の食べ物に貴族や金持ちの施し品が加わってこんな宴の食べ物になっているのである。
 当時の貴族や金持ちは貧しい者に施しをすることで、自分たちの魂の救済を得ようとしていた。もちろんキリスト教の影響である。
 ヨーロッパ中世時代、上流階級から下層階級までほぼ100%がキリスト教徒であったから、生活のあらゆる面でキリスト教の影響を受けていた。もちろん食生活においても同様である。
 たとえば復活祭前の四十日間の四旬節である。この期間人々は荒野で四十日間断食して苦行したイエスに倣い、断食を始める。断食と言っても一日二回の食事を一回にし、肉、肉に関わるもの(ミルク、バター、チーズなど)一切口にしない。ただ、魚だけはよかった。
 どうして魚はいいのかというと、水に棲む魚は中世の人々にとっては聖なる生き物としてみられていたからである。神がアダムとイブの裏切りに怒り、二人を楽園から追放し、彼らとともに生まれ、育った被造物すべて呪われた。しかし魚介類は神の呪いを受けずに済んだ。水の中に棲んでいたからである。水は罪を清める力を持っていると考えられたのだ。だからノアの時代、汚れた世界を清めたのも水であったし、人の子が洗礼という水の儀式によって神の子となるのだ。
 また「最後の晩餐」に象徴されるように食べることは魂を交換しあう儀式と考えられたから、この儀式(会食)に臨むには、魂も手も汚れていてはならない。だから水で手を洗ったのである。(当時まだフォークが普及していないから、手でつまんで食べていた。)

 中世は今の朝食は存在しないらしい。ディナーをヌーンにとった。ヌーンとは夜明けから9時間後(none=noon)のことをいい、もともとは夜明けから9時間後(nine)に行う礼拝のことをいった。つまりディナーとは夜明けとともに始まる労働を終え、一日の無事を神に感謝して祈りを捧げてから食べる食事であった。だいたい正午から午後3時頃に食べる食事でった。これが一番大切な食事であった。その後太陽が沈んでから軽い食事サパー(supper)をとった。以後翌日のディナーまで食事をしない。この間の食断ちをファストと呼んだ。
 現在の朝食はこのファスト(fast)をやめて(break)食事をとるようになったことで、ブレックファスト(breakfast)と呼ばれるようになった。

 さて、四旬節である。この時期みんなが肉を断ち、魚を食べるようになるので、魚の需要が高まる。当然その需要を満たすためには、たくさん取れる魚がないといけない。それがにしんであった。だからにしんは「魚の王様」として君臨する。しかしみんながにしんを求めるのでにしんの値段が急騰する。そのため四旬節の前ににしんを買い込み、塩漬けにして保存しておくのが当時の主婦の知恵であった。しかし毎日にしんの塩漬けだと、いい加減嫌になってくる。
 そしてにしんが立ち去る頃(四旬節の終わりに)、待ちに待った復活祭である。飲めや、歌えと浮かれて楽しむ。ブリューゲルの「謝肉祭と四旬節の喧嘩」という絵にあるような世界が広がるのである。

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 大好きなブリューゲルの絵を紹介したので、もう一つ当時の農民の宴の模様を描いた「農民の婚宴」も紹介しちゃおう。この絵、ブリューゲルの絵の中でかなり気に入っている。


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 さて、さらに気になった部分がある。それは豚である。中世のパリは町全体が「豚小屋」であった。今では中世の街角はノスタルジーを感じさせるけれど、当時は生ゴミや汚物はみんな通りに捨てられていた。生ゴミ入れやトイレなど備えた家などない時代であった。そこへ豚がそれらの生ゴミや汚物を食べていた。言ってみれば豚は町の「清掃車」だったのである。つまり当時の通りは汚物にまみれ、豚があっちこっち徘徊していたのである。
 このことは学生時代読んだ何の本か忘れてけど、ヨーロッパ中世の生活を記述した本にも書かれていて、この記述を読んで昔読んだ本のことを思い出した。
 ところがカペー家のフィリップ王子が馬に乗っていたときにそんな豚につまずいて、落馬して死んでしまった。それ以来、町中で豚を放置することが禁じられたが、このことは豚の自家飼育が禁止されたことになり、養豚業者の成立を促す。しかし、養豚業者の飼育費(町中に放り出しておけばえさ代はただである)や運搬費など上乗せされるから、豚肉の値段が高くなってしまった。しかも自家飼育に比べ、肉は固く、新鮮さに欠け、味が落ちる。しかも値段が高い。そこで安い腐った肉が以前より頻繁に出回るようになった。そして腐った肉の臭いを消すためにスパイスが今まで以上に必要になったという。
 阿部謹也さんの本で屠殺業者が賤視されたことが書かれていたのを以前書いたが、賤視された理由は、こんな事情のためもあるのかもしれない。

 砂糖と爪楊枝の話も面白かった。中世砂糖の代用品は蜂蜜であった。砂糖は高嶺の花であった。砂糖を口にできるのは王侯貴族だけであった。当然虫歯になるのも王侯貴族だけであった。従って虫歯は一種のステイタス・シンボルとなった。だから虫歯で歯が穴だらけになって、そこに食べ物のかすがたまるものだからどうしても爪楊枝が必要になった。人前で歯をほじくるのは行儀の悪いことではなく、富裕であることの印にもなった。当時の爪楊枝は使い捨てではなく、金属製で、ブローチのように彫刻や宝石がついたもので、それを帽子につけて持ち歩いたそうだ。
 そう言えばスプーンとナイフも原則としてマイスプーン、マイナイフとして食事に招待された客は持参したそうだ。


評価
★★★★

2006年06月28日

東野圭吾著『容疑者Xの献身』

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 いやぁ~、評判通り面白い本であった。
 大学時代その能力を高く評価されたが家庭の事情で大学に残れず、高校の数学の教師となった石神哲哉はアパートの隣に住んでいる花岡靖子・美里親子が元夫で、富樫慎二殺人のアリバイ工作を手伝う。
 数学者である石神が行ったトリックとはどんなものなのか?何故石神は何の関係もない花岡親子の手助けをするのか?石神の大学時代の同窓生でもあった物理学者湯川学がそのトリックに挑む。そのトリックはハッとするものであった。最後は思わずうなってしまった。
 これ以上書くとネタばれになってしまうから、書かないけど、とにかく面白かったので、一気に読んでしまった。
 東野さんの本を読むのは『白夜行』とこれで2作目であるが、偶然かどうか分からないけど、東野さんが描く男はどうも女に利用されてしまう悲しい男である。『白夜行』に描かれた男には救いがなかったような気がするが、今回の本は最後石神に救いがある。最も悲しいものであったが・・・。
 この物理学者湯川学は以前の作品にも登場しているらしく、是非読んでみたいと思った。
 ところでこの『容疑者Xの献身』(文藝春秋刊)の舞台は私が通勤に利用している都営新宿線沿線で、しかも私が住んでいる近くが舞台である。篠崎駅、瑞江駅、一之江駅と近所なのでものすごく親近感があった。又通勤時にその新宿線でこの本を読んでいると、これら駅の名前が出ていると不思議な感じがした。
 もし私が近所の本屋で働いていたらこのことをPOPにして大々的に売りたいと思うが、どういうわけか近所の本屋さんではそんなPOPは見ていない。たぶん知らないのだろう。なんだかもったいない気もするが、所詮地元の本屋の程度なんてそんなものなのかもしれない。
 と、どうでもいいことを書きました。いつものように内容を延々と書いてしまうとネタばれになってしまうので、こんなふうになりました。後は読んで下さい。
 

評価
★★★★ 

2006年05月12日

司馬遼太郎著『草原の記』

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 また寄り道である。が、完全な寄り道ではなく、前回の『街道をゆく』の5巻の続きというか、その後の本がこの『草原の記』(新潮社刊)である。
 1973年に司馬さんはモンゴルを訪ねたとき、通訳をしてくれたのが貿易省の役人であったツェベクマさんであった。
 それから19年たって、司馬さんはツェベクマさんの半生をこの本で語ることになった。それはツェベクマさんの半生を語ることは、モンゴルの近現代史を語っていくことになるからだ。それだけツェベクマさんは激動のモンゴルの近現代史を生きたといってよく、時代に翻弄され人生を送られた。
 前回の『街道をゆく』の5巻で、モンゴルが中国、ロシア(ソ連)の二大大国に挟まれていることを地図帳で確認したけど、そこに日本も加わり、様相は複雑を呈していく。
 ツェベクマさんはバイカル湖の近くのブリヤード・モンゴルの村に生まれた。幼時にロシア革命の余波を受け、両親に連れられ満州のホロンバイル草原に逃れたが、満州事変の砲声を遠くで聞きながら満州国の西辺に住むようになった。
 日本の満州支配が崩壊した後、次にやってきたのが中国共産党であった。ここでブルンサインさんと出会い、一人娘のイミナさんをもうける。
 この時点でツェベクマさんは生まれたときはロシア国籍であり、ついで満州国籍となり、更に中国国籍となった。
 しかし中国には文化大革命の嵐が吹き荒れ、夫のブルンサインさんは中国共産党に拉致され、逮捕されてしまう。その最大の原因が、日本で教育を受けて、日本語が達者だったことが災いしてしまう。
 ツェベクマさんはイミナさんを連れて、モンゴルに逃れようとするが、当時のソ連も、中国も相談相手にならなかった。彼女にしてみれば、「モンゴル人がモンゴル人の国に行って、なにがわるいのでしょう」という道理を言ってみても、「あなたは偉大な中国の一員です」と言われてしまう。ツェベクマさんにとってみれば自らの意志で中国国籍を取得したわけではなく、自然と政治的動乱に巻き込まれてそうなっただけのことなので、といってパスポート返還してしまう。以後無国籍となった。
 ツェベクマさんはモンゴル人民共和国の夫の友人の家に泊まっていたが、やがてモンゴル外務省からウランバートル・ホテルのフロントの仕事をしろということで、そのまま20余年つとめた。母と娘は10年間は無国籍でいたが、その国に10年住めば国籍がとれるという国際法のお陰で10年後モンゴルの国籍をとった。
 その間夫のブルンサインの消息はわからなかった。ツェベクマさんは「陰膳」を供えて無事を祈りつづけた。1984年頃にブルンサインさんが生きているという消息を得る。しかしブルンサインさんは監獄生活で身体が不自由となり、再婚し、新しい妻に面倒をみてもらっていた。
 ツェベクマさんはこの二人をモンゴルに招待しようと決める。ただし招待するのは自分ではなく娘のイミナさんにさせるのである。ツェベクマさんはブルンサインさんの奥さんではなくなっても、イミナさんはブルンサインさんの子供だから、あなたが、娘として招待しなさいとイミナさんにいうのである。
 このあたりは本当に時代の流れの酷さを感じてしまう。陰膳を供えて、夫の無事を祈りつづけて、その無事が確認できても、妻として夫をむかいいれることができないのだ。
 しかしモンゴルにきたブルンサインさんはそれどころではなく、獄中生活で身体がぼろぼろになってしまっており、寝床をすぐ用意しなければならない状態であった。夫の後ろから入ってきた女性も信じがたいほどの老婆であったこともあって、運命の残酷さを感じるだけであった。ブルンサインさんは数ヶ月後ブルンサインさんの腕の中で息を引き取った。
 ツェベクマさんは夫が自分のもとで死ぬためにここまできたと気が付いたのである。それはまるでチンギス・ハンやその子孫たちがその昔中国や中央アジアに進出した後、すぐモンゴルに戻ったように、モンゴルの地に「北帰」したのと似ていると司馬さんは締めくくる。

 この本はツェベクマさんの半生をつづった本ではあるが、それは後半のクライマックスにあって、それまではモンゴルの歴史解説書的な要素が強い。もっともツェベクマさんが生きた激動の時代を説明するためには、それくらいページを割かないと説明しきれないというところかもしれない。なかなかいい本であった。


評価
★★★★

2006年04月28日

梅田望夫著『ウェブ進化論』

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 続けて新書を読む。とにかく最近新書が面白い。今回の梅田望夫さんの『ウェブ進化論』(筑摩新書)も面白かった。

 IT産業はインテルの創業者ゴードン・ムーアが1965年に提唱した「ムーアの法則」に今も支配されているという。
この「ムーアの法則」とは、もともとは「半導体性能は一年半で二倍になる」というものだったが、現在は「あらゆるIT関連製品のコストは、年率30%から40%で下落していく」という意味に転じ、それが現在まで続いている。
 この「ムーアの法則」に支配された現代はオープンソース・ソフトウェア登場により、リナックスに代表されるソフトウェアの無料化、ブロードバンドの普及による回線コストの大幅下落、検索エンジンの無料サービスと、ITに関する「必要十分」な機能のすべてを、コストを意識しないで誰でも手に入れることができつつある。著者はこのことを「チープ革命」の恩恵を蒙るようになったという。
 この「チープ革命」の恩恵は、みんなが持っているパソコンや周辺機器やインターネットの基本機能に組み入れられ、文章を書く、写真を撮る、語り・対話・議論を録音する、音楽を作る、ホームビデオで録画する、映像を作る、これらすべてが誰でも、廉価で、もしくは無料ででき、それをインターネット上に置くようになってきた。つまり表現者がものすごい数となって、インターネット上に玉石混淆の状態で置かれている。
 一方こうして様々なことが自由に表現できることは、今までのような既存のプロフェッショナルな権威が揺らいでくることにもなる。レベルの高い参加者がネット上で語り合った結果が、権威サイドが用意する専門家(大学教授、新聞記者、評論家など)によって届けられる情報より質が高いこともあり得るようになってくる。そうなってくると、プロフェッショナルな権威であることにあぐらをかいているだけでは、見捨てられていくことにもなり、絶えず切磋琢磨していかないとプロフェッショナルでいられない状況が出来上がってくる。

 ここに面白話を著者は載せている。マイクロソフトのビル・ゲイツの十代の頃パーソナルコンピュータの可能性に感動し、Googleの創始者である、ラリー・ページとセルゲイ・ブリンはインターネットに、つまりパソコンの向こうにある人々や情報という「無限の世界」に感動した。これは世代間の差ではあるが、ビル・ゲイツは未だにインターネットの「こちら側」へのこだわりを捨てきれずにソフト開発続けていく。
 ところがGoogleは違う。ネットの「あちら側」に土俵を置き、戦略を立ていくから、ネットスケープのように、マイクロソフトにたたきつぶされることはないし、既存の思考回路にとらわれることもない。
 ここで問題になってくるのは、ネットの「あちら側」にどれだけの価値があるかである。あるいは価値を置くかである。
 たとえばIBMがパソコン事業を中国のレノボ・グループ(漢字で書くと変換が難しいのでカタカナで書いた)に売却したのは、「誰でもいいから中国で作って世界に安く供給してくれればいい」というアメリカIT産業の姿勢を示している。そんなことよりも、今は、あるいはこれからは、ネットの「あちら側」の付加価値を視野に入れているわけだ。
 余談ながら、日本は相変わらず基本は「電子立国日本」であり、未だにハードウェアに命をかけている日本があることを知らされた。著者は言う。「モノづくりの強みの発揮に専心し、そこにしか生き場所がないと自己規定するあまりに『こちら側』に没頭しているのが、現在の日本のIT産業の姿とも言える」と。

 それではネットの「あちら側」の付加価値は一体何なのだろうか?その前にネットの世界では、現在「三大法則」のルールで発展しているという。その「三大法則」とは何か?
第一法則:神の視点からの世界理解
第二法則:ネット上に作った人間の分身がカネを稼いでくれる新しい経済圏
第三法則:(≒無限大)×(≒ゼロ)=Something あるいは消えて失われていったはずの価値の集積

 このルールに基づき、今ネット世界は発展しつつあるのだ。これを説明する。まず第一法則の「神の視点からの世界理解」とは、「全体を俯瞰する視点」のことをいい、ネット事業者がその利用者が今、どんなサービスをネット上で利用しているか、その情報が、利用された時点でリアルタイムで情報として集積されることをいう。あるいはGoogleで検索された情報が、今何が旬なのか、検索された時点ではっきりしてしまい、それが情報として生かされていくことをいう。言ってみればネット事業者やGoogleがジョージ・オーエルの「ビック・ブラザー」の役目をしているということなのである。それは情報が旬なだけ、ビジネスチャンス即つながるほど価値がある。
 第二法則の「ネット上に作った人間の分身がカネを稼いでくれる新しい経済圏」とは、ネット上に自分の分身=ウェブサイトを作れば、自動的に稼いでくれるシステムのことである。最近毎日お昼の弁当を買う、弁当屋さんが楽天のデリバリーサービスに登録して、メールでお弁当の配達、予約が結構入ってきて、忙しくなったと聞いた。しかもそれは広範囲に注文が入ってきて、今まで以上のお客さんの範囲を拡大しているという。これなどはまさしくいい例じゃないだろうか。
 第三法則の「(≒無限大)×(≒ゼロ)=Something あるいは消えて失われていったはずの価値の集積」とは、おそらくネット上で一番大きな意味を持つものとして考えられる。
 たとえば、一億人から1円くれれば、1億円になるが、確かに1円ぐらいならもらえる可能性は大きいかもしれないが、一人ひとりに「1円くれませんか」とお願いするコストを考えると、1円もらうために1円以上のコストがかかってしまう。だからリアル世界ではこのことは非現実的なのである。ところがその「1円くれませんか」というコストが1円よりずっと安ければどうだろう?
 あるいは1万人の企業が企業価値を生みだすために費やされる時間は1日、8万時間(1万人×8時間)になるが、1000万人なら、28.8秒、1億人なら3秒弱で1万人の従業員をかかえる企業と同じ時間で、企業価値が生みだされることになる。3秒なんかすぐたってしまう。このことは「放っておけば消えて失われていってしまうはずの価値が、つまりわずかな金やわずかな時間の断片でといった無に近いものを、無限大に限りなく近い対象から、ゼロに限りなく近いコストで集積したら」リアル世界で要した金や時間を簡単に生みだすし、それ以上のものを生みだすのである。これがネットの可能性であり、付加価値なのだ。
 著者が一つの例を出している。日本の書籍のベストセラーを、横軸には1冊あたり5ミリ、縦軸に1000部あたり5ミリというグラフを書いた場合、まず縦軸は200万部で10メートル超すことになる。ところが、横軸はどんどん売れた部数が少ない本が永遠と並ぶことになる。しかもかなりの距離で。(つまりその年の書籍発行部数が多くなればなるほど、その長さは長くなる)まるで長いしっぽを持った恐竜のようになる。これを「ロングテール現象」という。

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 しかしアマゾン・コムの売上の半分以上が、売上部数13万位以降の本からあげていると聞いたとき、このロングテールが馬鹿にできないことなるだろう。  今までは大きな数字のものを押さえておけば、そこから出てくる利益の大半を稼いでいると考えられたけれど、そうではなく、もし低コストで細かい数字を集めることができれば、それはビックビジネスになるのである。
 これははっきり言ってリアル世界では不可能なことであり、ネットだからできることなのである。
 もしかしたらこのことは既存の考え方さえも変えてしまうかもしれない。大局的に物事をつかんでいれば、モノの本質が分かったような今の風潮が、実は違ってしまう場合さえあるのである。ネット世界の可能性は我々が現在持っている考え方を大きく変えてしまうようだ。

評価
★★★★

2006年04月25日

熊田紺也著『死体とご遺体』

熊田紺也著『死体とご遺体』


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 もう一冊今月の平凡社新書を読む。熊田紺也さんの『死体とご遺体』である。熊田さんの職業は「湯灌サービス」である。これだけ言って、この職業の内容が分かる人はちょっとすごいんじゃないかと思う。少なくとも私は知らなかった。 「湯灌」とは、「遺体を沐浴させて、洗い清める」ことで、葬式のオプションに加えられているらしい。「湯灌」は、古くは宗教儀礼として行われていたらしく、現代では殆ど消滅してしまったとのことである。
 確かに私の母の葬式のときに「湯灌」が行われたという記憶がない。記憶がないということは、多分「湯灌」という儀式が行われていないことなのではないかと思う。母は病院で死に、臨終後、看護師さんが「これから遺体を清めますから」といって、一旦、我々遺族を病室から出したのを覚えている。このとき看護師さんが母の遺体を清めたのだろう。その後自宅へ帰り、うちのかみさんや弟のかみさんがエンジェル・メイク(この言葉もこの本を読んで知った)という死化粧をした。
 著者によると、この「湯灌」が広まった経緯を次のように説明する。
 「一般の人は湯灌とはどういうことなのかも知らない普通の時代となったのだが、それが葬儀の一部をなすサービスとして復活したのは、1980年代のことだという。互助会系の葬儀社にいた人物が独立し、需要を確信してサービスを始めたのが最初らしい。やがて1995年、阪神淡路大震災が起こり、損傷の激しい多数の遺体が生じた。それを見た関西の葬儀社が「公益社」が業務の一環として湯灌サービスに取り組むようになったのが、現代に湯灌が広まるきっかけをつくった。
 80年代に湯灌サービスを始めた人物は、老人介護の入浴サービスから着想を得て、実行に移したという」

 なるほど、こういう経緯で「湯灌」が広まったとすれば、私の母の葬式のときはまだ広まっていない時代であったから、私が知らないのも当然である。
 「湯灌」がどういう形で行われるか、この本に図があるので、ここに載せてみる。

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 以上が「湯灌」の形なのだが、著者は最初からこのサービスを提供する職業に就いていたわけではない。元はCM制作会社の社長さんだった。バブル期はかなり羽振りがよかったが、バブル崩壊後、会社は倒産し、二千万の借金を残すはめになった。借金返済のため在宅入浴サービスの仕事に就く。しかし雇われているだけでは借金返済のメドがつかなかった。そんなとき、出前で遺体を風呂に入れる仕事があり、しかも介護サービス4~5倍の収入があると聞き、奥さんをパートナーにして、「湯灌サービス」の会社を起こすようになった。
 「湯灌サービス」といっても、ただ単に遺体を風呂に入れればいいだけじゃない。人間の死は様々な死がある。きれいな遺体ばかりじゃない。病死、事故死、自殺、他殺と損傷の激しい遺体もたくさんある。それらの遺体を修復できる限り修復し、遺体を清め、納棺していく。そこには現代の「死」事情が垣間見られる。
 たとえば、著者の奥さんが言う。「あるお宅へうかがったとき、ご家族がおばあちゃん、おばあちゃんと泣きながら、皆さんでワーッと集まっておられました。そこで湯灌をしたんですが、部屋の隅のほうでお嫁さんがポツンと小さくなっておられたんです。そのとき、私はピンときました。じっと黙りこくってはいるが、おばあさんの世話をずっとなさってきたのはあのお嫁さんだろう、と。他家へ嫁いでいかれた娘さんたちにしてみれば、おばあさんは私の母のお母さんだという気持ちが強いでしょう。でも、介護はあのお嫁さんだろう。それがわかるので、湯灌が終わったとき、私はその方のそばに行って、大変でしたねえ、ご苦労さまって声をかけてさしあげました。そうしたら、その方、私のこの手を握って、いきなり泣き出されました。だれかに長い介護のことをわかってもらいたいというか、いろいろな思いがたまっておられたんでしょうねえ」とあった。
 又著者が言うには、様々な遺体を湯灌してきて、破損の激しい遺体であっても感情的にならなかったけれど、子供の遺体だけはどうしてもいたたまれなくなし、一番辛いという。「子どもの死は最大の逆縁だ」と言う。だろうなあと思う。 「湯灌」は遺族にとって、死者との絆を確認する作業であり、遺族が死者に最後にしてあげられる思いやりでもあることを知る。
 ところがこうした職業には非賤視するところがある。著者も奥さんも友人や近所つきあいなどを失ってしまう。だけど著者は「いまのおれは掛け値なしの人間なんだぜ、どうだ、ざまあみろ」と思うと言い切る。それはバブル期に華やかな虚業に踊らされていた時と比べて、「地べたからものを見る爽快さ」があるという。


評価
★★★★

2006年04月07日

ダン・ブラウン著『パズル・パレス』下巻

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 ダン・ブラウンの作品を読んでいると、ほんと時間が経つのを忘れる。話を細かく区切って、いいところで話は終え、この後どうなるんだと思わせつつ、違う場面で話を進める。もちろんここでも、いいところで切り替えられてしまう。こうして、又元に戻って期待を持たせつつ話を進めていく。こんな感じで最後までワクワクしながらページをめくってしまう。
 このパターンはダン・ブラウンの作品全編、基本的に変わらないが、うまいやり方だと思う。

 NSA(国家安全保障局)は全世界のEメールを国家の安全のためという理由で傍受してきた。ところがEメールがNSAに傍受されていると世間に広まり、Eメールを傍受されても読むことができない方法が考えられた。それが公開暗号技術で、このソフトを使って暗号化されたEメールは単に意味のなさないテキストの羅列になってしまう。そしてこれを通常の文章に戻すにはパス・キー(鍵)があれば簡単に戻すことができるが、NSAにあるコンピュータではパス・キーを特定し、暗号化された文章を解読するのに膨大な時間を要するようになってしまった。
 危機感を感じたNSAはスパーコンピュータ「トランスレータ」を開発し、暗号化されたEメールを解読し始める。もちろん世間には「トランスレータ」の存在を隠したが、このEメールの傍受はNSAの内部でも批判が起こり、元NSA暗号解読員であったエイセイ・タカンド(日本人の設定になっているけど、名前に無理がある。そして彼の父親も)は「デジタル・フォートレス」という「トランスレータ」を使っても解読不能のソフトを開発した。
 「デジタル・フォートレス」では解読される文章が絶えず変化するので、たとえパス・キーを特定してもコンピュータは該当する文章が認識できないのだ。しかもネット上で、「デジタル・フォートレス」で暗号化された「デジタル・フォートレス」が公開されいる。もしこの「デジタル・フォートレス」が世界に普及すれば、NSAの「トランスレータ」は無力化する。
 NSAの副長官トレヴァー・ストラスモアは「トランスレータ」のファイアーウォールを解除してまで、「デジタル・フォートレス」を解析させる。

 何故トレヴァー・ストラスモアそうまでして「デジタル・フォートレス」にこだわるのか?「デジタル・フォートレス」の生みの親である元NSA暗号解読員であったエイセイ・タカンドの目的は?、そして「デジタル・フォートレス」の真の正体は?「デジタル・フォートレス」のパス・キーは何か?

 と最後のぎりぎりまでハラハラさせてくれる。これ以上書いちゃうとネタばらしなっちゃうからここでやめます。やっぱりダン・ブラウンは面白い。
 
評価
★★★★

2006年04月05日

ダン・ブラウン著『パズル・パレス』上巻

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 ダン・ブラウンの新刊を読む。新刊といってもこれはどうやら、ダン・ブラウンのデビュー作であることを知る。
 読んでいて、なるほどダン・ブラウンはここからスタートしたんだなと分かった。まだ上巻しか読んでいないので、詳しいことは下巻を読んでから書くことにするけど、ひとつだけ書きたい。
 確か『天使と悪魔』での解説か、あるいは書評か何かで、この作品をトム・クランシーとウンベルト・エーコーを足して2で割った作品と評していたのがあったと思うが、この『パズル・パレス』を読んでいると、元々ダン・ブラウンがトム・クランシー的な作家であったんじゃないかと思えた。ただ、トム・クランシーが軍事テクノロジーや諜報機関に熟知して作品を書き上げ、あの『レットオクトバー』や『今そこにある危機』などを書いたけど、結局そこまでだったから、読者にあきられてしまったような気がする。
 私も最初はすごい!と感心して読んだけど、そればっかに終始してしまった結果、いい加減食傷気味になってしまった。そのため彼のその後の作品は「みんな同じ」という風に映ってしまった。
 多分ダン・ブラウンにしても、この路線でいったら、ここまでであったのではないかと思う。マニアックな軍事テクノロジーや諜報機関は読者を限定してしまうところがあるから、多くの読者を獲得するには別の要素を必要とする。ダン・ブラウンの場合、ラングトンシリーズを書くことで、多くの読者を獲得したのではないかと思う。
 彼はラングトンシリーズに方向を見いだし、トム・クランシー的な要素にエーコー的な歴史の闇を加えて、『天使と悪魔』や『ダ・ヴェインチ・コード』を書いたので、風化を免れたところがあるように思える。
 以上、ダン・ブラウンの作品が読まれる理由を自分なりに考えてみた。

評価
★★★★

2006年03月22日

夢をつかむイチロー262のメッセージ編集委員会著『夢をつかむイチロー262のメッセージ』

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 昨日、WBCで日本はキューバに圧勝し、ついに初代世界チャンピオンに輝いた。


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 野球は嫌いじゃなかったけど、巨人に松井がいなくなってからほとんどナイター中継を見なくなっていたから、中継を最初から見たのは本当に久しぶりでテレビにかじりついて野球を見た。だから、イチローが試合に先立っていろいろなことを言っていたのを知ったのもこのときである。
 アジア・ラウンドを前にした2月21日にイチローが発した「むこう30年。日本には手が出せない。そんな感じで勝ちたい」と言ったと聞いたとき、思わずよく言ったと思った。この言葉を韓国は挑発と受け取ったらしいが、私に言わせれば、勝負事である。政治じゃないのだ。このくらい言ったっていいじゃないかと思う。日本人が発する一言一言に目くじらたててクレームをつける方がおかしい。
 イチローはこの本(ぴあ刊)で似たような言葉を発している。
 「勝負の場で力の差を見せつけるのがいちばんです。/野球に限らず何でも実力の差を見せてしまえばいいと思います」と。
 アジアの国々を見下しているのではない。野球に限らず、勝負事に関して言っている言葉だと思うのだ。それをすぐ政治的要因に結びつけてしまう国民性に問題があるのではないかと思う。もちろんそんな風にナーバスになっているところは分からない訳じゃないけど・・・。

 こんな訳でこのWBCを盛り上げたのやっぱりイチローだったんじゃないかと思う。これだけのことを言い放ったのだから、韓国との試合で2連敗してしまったとき、「僕の人生において一番屈辱的な日でした」というのも、よく分かる。韓国との試合に負けたとき、イチローが吠えたところが映されたけど、まさしく本当に悔しかったに違いない。
 だから3度目の韓国戦どうしてもリベンジしないとならない。イチローが同じチームに3度負けるわけにはいかないと言えば、「そうだろう、そうだろう」とうなずいちゃう。だから俄然力が入って3度目の韓国戦で俄然テンションが上がって、応援モードになる。 韓国戦とき、どうしても出かける用があって、かみさんが買い物をしているときに私はテレビ売場に行って、中継を見ていた。まさしくこんな感じである。

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 韓国に6-0で勝ったときイチローが「勝つべきチームが勝たなくてはいけない。そのチームが僕らだと思ってました。今日負けることは、日本のプロ野球にとって大きな汚点を残すことと同じですから、最高に気持ちいい」と言ったときまさしくそうだろうと思った。この日、イチローが打席に立つたびに地鳴りのような大ブーイングが浴びせられたけど、試合後のインタビューでイチローはそのブーイングに対して、「ああ、もう、大好きだね、最高!もうちょっと強いブーイングの方がよかったね。今日はちょっと足りなかったね」と言い放つのはさすがである。イチローはこの本で言っている。

 「プレッシャーのかかる感じはたまりません。/ぼくにとっては最高ですよね。/ものすごく苦しいですけど」

 またこうも言っている。

 「『達成できないのではないか?』という逆風、最高です。/『がんばれ、がんばれ』という人がいるより、僕は、/『できないでいてくれ』という人がいる方が熱くなる」

 言っておくけど私は韓国に恨みなどない。

 キューバ戦の時は墓参りに行かなければならなかったから、車の中でラジオで中継を聞き、早めに切り上げ、家に帰ってテレビで中継を見た。1点差に追い上げられたとき、「これはやばい!」と思ったが、ここでもイチローが追加点を入れるヒットを放ち、思わず「よ~し!」手を打つ。

 今回ほどイチローの発する言葉が気になることはなかった。だからこの本を読んで今までのイチローの言葉を感じたいと思ったのだ。以下この本に書かれているイチローの言葉で「さすが!」と思われるものを書き出してみる。

 「第三者の評価を意識した生き方はしたくありません。/自分が納得した生き方をしたいです」

 「自分のプレイに驚きはありません。/プレイそのものは自分の力の範囲内です。/第三者からこれだけの評価を受けたことに驚いています」

 「自分のやっていることは、/理由があることでなくてはいけないと思っているし、/自分の行動の意味を、必ず説明できる自信もあります」

 「ひとりの人間のできることは、かぎられています」(「世の中の流れに乗って、なにかを変えるきっかけを作ることはできたとしても、ひとりの力で世の中を変えることは無理です。ぼくもかつては自分の力を過大評価していました」)
 「誰かを勇気づけようとしたのでもなく、自分を満足させようとした結果、/世の中の人に、なにかを感じてもらえて、たのしんでもらえたわけです」

 「いい評価のほうに惑わされたくありません。/いつまでも初心では、それは成長してないともいえますから」

 「ぼくは常に自分にプレッシャーをかけてきましたし、/どんな状況でも動揺することはあまりないはずです」

 「やれることはすべてやったし、手を抜いたことは一度もありません。/常にやれることやろうとした自分がいたこと、/それに対して準備ができた自分がいたことを、誇りに思っています」

 「苦しいことの先に、あたらしいなにかが見つかると信じています」

 「力を出しきることは難しですよ。/苦しくて、苦しくて、倒れそうになります。/でも、それをやめてしまったら終わりです。プロの資格はなくなりますね」

 「自分のしたことに人が評価をくだす、それは自由ですけども、/それによって、自分を惑わされたくないのです」

 「プレイを見るだけで、なにを語ろうとしているかわかる選手は、かっこいいと思います」

 と、イチローらしい言葉がふんだんに書かれている。しかし、やっぱりことをなした人間の言葉は重みがある。
 この本を読んでいて、ちょっと元気が出た。落ち込んだときなど読む本としていい本だ。

評価
★★★★

2006年02月28日

永江朗著『菊池君の本屋』

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 読んでいて、涙が出そうになった。別に泣くような本じゃないことは分かっている。けれど、自分が経験して「むなしいなぁ」と思ったことが、著者である菊池さんが言っているので、ちょっと涙腺がゆるんだのだ。
 それは、こうである。「一時期業界で盛んに提唱された”勧める販売”はいやだ。ぼく自身、セールスマンとして昔やったことがある。だからああいうことがいかに辛いかということが骨身にしみてわかっている。サラリーマンの頃一軒一軒自転車で回ったりした。チラシを持って、テッシュを持って、家庭を回って、『定期購読してくれませんか』ってやったのだ。その結果がNHKテキスト『基礎英語』なって言われるとガックリきちゃう。それをやって注文書を書いて、伝票切って、集金して来て、と全部やった。
 女房が『SOPHIA』の創刊号を150部とったり、『日本大歳時記』を50セットとったりもしている。だからいかに大変か、プレッシャーがあっていやな方法か骨身にしみてわかっている。(略)結果として『SOPHIA』を100部売ったとしても10万円ぐらい。それで2万円の儲けだ。2万円儲けるためにあんなに必死ならないといけないのかと思うとやっぱり辛い」

 私も昔新大久保店がオープンしたとき、その前に近所にポケットテッシュを一人あたり段ボール一箱分テッシュをまいてこいと言われ、やったことがある。みんなでテッシュをまいたのだけど、その時の虚しさといったらなかった。こんなことして一体何になるのだろうかと思っていた。どう考えてもお店には来ないだろうと思える離れた距離のところまで、テッシュをまいた。
 又秋葉原の駅前で、確か講談社から出ていた『日本の天然記念物』という豪華本のチラシを日販の営業マンとまいたことがある。あの時も同じ気持ちでいた。しかもその時は直接手渡しである。受け取ってなんかくれないのだ。当たり前だ。朝通勤時間の忙しい時に、だれがそんなつまらないチラシなど受け取ってくれるか。いつまでもチラシが減らないものだから、悲しいたらありゃしない。それでいくつ予約が取れたのかといえば、ほとんどなし。分かってはいたが、それでもやらなければならないのだから、虚しい。辛かった。それを思い出したのだ。だって本って、嗜好品だから、自分の興味のない本なんて欲しいと思わないはずだ。まして勧められて買うもんじゃないと思っているから余計である。その本がどこか、あるいは何か訴えかけるものであればともかく、仮にあったとしてもごく一部の読者だけであって、多くの人が興味を示すなんて難しい話じゃないかと思うのだ。
 それ以来、私がお店の責任者となってからは、一切そんなことはしないようにした。いくら問屋や出版社、あるいは社長にやれと言われても、受け付けなかった。それをやらなければならない人のことを思うと、とても出来なかった。配達のついでに本を勧めることもさせなかった。
 菊池さんのヴィレッジ・ヴァンガ-ドは変わった本屋さんだけど、この本を読んでいて、菊池さんはとことん本屋さんなんだなぁと思うのと同時に、自分が辛いと思ったことは、絶対に従業員にさせないというポリシーはすばらしいと思ったのだ。そんな辛いことをしなくても、違う方法があるはずだというわけである。それがヴィレッジ・ヴァンガ-ドというお店で実現していると思った。
 新刊にしてもそうである。小さな本屋さんだと売れ筋の新刊など殆ど手に入らない。それに対していらだちを覚えるなら、既刊本で売ればいいと思っていた。もちろん新刊が全くないというわけにもいかないから、多少手に入れる方法を模索したけど、そればっかり追い続けると、いずれ行き詰まる。それが分かっていた。だから既刊本で、その本屋独自のプレゼンテーションが出来れば、きっと売れるはずだと思うし、それがその店の個性にもなると思うのだ。それを菊池さんはやっておられる。菊池さんは言う。「ようするに一つでも多くのものを買ってもらいたいのだ。『こういうモノがあるんだよ』とプレゼンテーションしたい。お客が見た時に、ここはわかっているいるなと思わせたい。95パーセントの客が気がつかなくても、5パーセントの客がわかってくれればいい」と。だから「本屋のセンスは、この本の隣になにを置くかで決まる」という。その隣に置くのが本だけでなく、雑貨であったり、CDであったりするわけだ。本屋では本の隣は本を置かなければならないという固定観念があるから、行き詰まるわけだけど、別に本でなければならない理由などどこにもない。これがヴィレッジ・ヴァンガ-ドが成功した理由だろうし、個性だと思わせる。
 事実本以外のグッズの売上が大きいのが分かる。この本にはヴィレッジ・ヴァンガ-ドイーストの月別売上が示されているが、それを見てみると、グッズの売上は全体の50.2%~45.5%を占める。つまりお店の売上の半分は雑貨、CDなどのグッズの売上なのだ。それだから粗利益も通常の本屋が20%弱なのに30%もあるというのもうなずける。だからといって、それら雑貨をメインにしている訳じゃない。あくまでも本を中心に雑貨の配置、品揃えを考えているという。何故なら、「本が出るということは、世間にそれ(グッズ)を受け入れる状況ができているということ」だからと言う。つまり基本は本屋さんなのである。 でも、こういうグッズを置くというのはどうしてもマーケティングがしっかりしていなければならないはずで、しかも利益率が高いということは、リスク(たとえば全て買い取らなければならないなど)もかなり高いはずだ。ということはそのあたりリサーチもしっかりしたものでなければならないし、それをどうやって売るか、それをきちんと考えないとならない。このあたりは楽しさもあるけど、厳しさも当然伴っていくはずだ。
 それに伴って置かれている本もかなりセレクトされていて、いわゆる定番といわれるその店の売れ筋の本も通常の本屋さんとは一線を引いている。この本の後ろに「定番1200」というのがあり、そこにはヴィレッジ・ヴァンガ-ドの売れ筋一覧が記されている。これを見てみても、普通の本屋さんとは違うよなと思ってしまう。このあたりが新刊ばかりを追わない姿勢となっていくのだろうと思われる。

 この本(アルメディア刊) は先に読んだ『ヴィレッジ・ヴァンガ-ドで休日を』の実践編といった感じの本で、12年前の本であっても、今でも様々な方向性を示してくれているような気がする。もっと早く読んでおけばよかったかなと思った。

評価
★★★★

2006年02月22日

エドワード・ドルニック著『ムンクを追え!』

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 この本(光文社刊)を読むまで知らなかったのだが、闇で取引される盗難美術品の総額は年間40億から60億ドルにものぼり、その規模は麻薬、武器に次いで第3位に位置しているらしい。
 1994年2月12日リレハンメル冬季オリンピック開催初日、ノルウェーが世界の注目を浴びた日、ノルウェー国立美術館でエドヴァルト・ムンクの『叫び』(時価7,200万ドル、約86億円)が盗まれた。このときノルウェー国立美術館ではムンクの作品展が開かれており、それまで美術館の3階にあった『叫び』を2階の窓際に移し、さも盗んで下さいといった感じで展示されていた。犯人は外からはしごを掛けて、いとも簡単にそれを盗んだ。犯人は犯行後「手薄な警備に感謝する」というメッセージを残すくらいに・・・。
 この本を読んでいると絵画を盗む方法はかなり雑なやり方で行われているようだ。美術品を盗む割には、ドアや窓をぶち破ったり、銃やライフルをぶっ放したりして、大さっぱだ。
 私は絵画など美術品を盗むのは、組織的な犯罪だろうと思っていたが、どうも違うようだ。どちらかといえばコソ泥が世間をあっと言わせたい愚かな虚栄心が名画を盗む動機であるようだ。だから彼らは本当の価値が分からない輩である。しかもノルウェー国立美術館のように、美術品ほど盗みやすいものはないらしく(世間の人に絵を見てもらうということは、泥棒にとってみればさも盗んで下さいといっているのと同じだからだ)、しかも捕まっても罪が軽いらしい。
 いくら警備を万全にしていたっても、泥棒にとってみればいとも簡単に絵を盗むことが出来てしまうのだ。事実あのルーブル美術館の『モナ・リザ』でさえ盗まれたことがあるくらいなのだから。
 そして盗んだ絵をどう現金化するかそれが問題になってくる。世界に一つしかない絵画を盗んでもその処理に困るはずだ。何故ならその絵は明らかに盗まれた絵であると分かるからだ。だから美術館に買い取ってもらうか。あるいは保険会社に買い取ってもらうか。それとも闇のブローカーに流すかして、犯人はお金に変えていく。
 盗まれた絵画は闇で取引され、「密輸品が現金で売買されるとはかぎらず、たとえば麻薬の運び屋への報酬として絵画を渡すこともあるし、大がかりな取引で現金のかわりに使うこともある。あるいは一万ポンドの借金を抱えた泥棒が、盗んだ絵で返済するケースもある」という。
 一方闇のブローカーから盗品の絵画などを買い取る富豪は、その自分の欲望を満たすために盗品の絵画などを買い取る。盗まれた絵画は時価総額がジャンボジェット機が買えてしまうほどの価値があるだけでなく、世界に一つしかないものだから、たとえそれが盗品であっても、それを自分だけが所有しているという満足感がそうさせる。そしてそのように個人に所有された絵画は絶対に公開されない(当たり前であるが・・・)その所有者一人がその絵を前にして楽しんでいるのだ。だから一度盗まれた絵画はなかなか発見できない。
 そんな絵画の回収に挑むのは、ロンドンの美術特捜班(アートスクワッド)のチャーリー・ヒル達だ。
 チャーリー・ヒルは以前盗まれたフェルメールの『手紙を書く女と召使い』を回収している実績があった。


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 チャーリー・ヒルにとって絵を盗んだ犯人を捕まえることは二の次で、まずは絵を回収することが最大の目的である。だから誰がやったかは問題でなく、絵がどこにあるかそれが最大の目的となる。チャーリー・ヒルにとって絵を探す目的は、世界の人々に見てもらうようにすることだけであった。
 その回収方法だが、チャーリー・ヒルがその絵を欲しがっている大富豪の代理人や画商などに扮して、盗品の絵画などを持っている犯人達とコンタクトする囮捜査である。当然そこには危険が伴うが、それでいてチャーリー・ヒルはまるでゲームを楽しんでいるようだ。
 ただ絵の回収にはその絵の知識が必要で、事前に回収すべき絵に関して様々な情報を得ていく。犯人達から渡された絵が偽物か本物か瞬時に判断しないとならないからだ。しかしチャーリー・ヒルは「画家について詳細に調べるのは、この仕事の大きな楽しみの一つである」という。
 絵を盗んだ犯人達とのコンタクトはさすがスリルがある。取引の場面は手に汗にぎる。そして盗まれた絵を目にしたときは、「本物の名画を手にしたとき、凄い絵だということが瞬時に理解できる。絵そのものが教えてくれるんだ。優れた絵画は、見る者にそれだけ強い衝撃をあたえるものだ」という。
 私はこの本で、チャーリー・ヒルが犯人達とどう接触し、絵を回収していくかを読むのを楽しんだ一方で、絵画に関するうんちくも楽しんだ。
 たとえばムンクの『叫び』にかんして、なぜこんな絵が描かれたのかに興味を覚えた。(もともとこの本を買ったのはムンクの『叫び』がテーマになっているからで、もし他の絵のことだったら読まなかったかもしれない)だから「ムンクはなぜ『叫び』を描いたか」が一番面白かった。


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 エドヴァルト・ムンク(1863-1944)は生涯、不安におののきながら生きた人だった。ムンク一族は精神の病という不幸につきまとわれていた。ムンクの日記には「病と狂気と死は、私揺り藍を見守り、それ以後もずっと私の人生につきまとってきた天使たちである」と書かれている。
 そのムンクがどのような目的で絵を描いたのか。それは「人間の外面的特徴を描くのではなく、苦悩や感情を描く」ことで作品を発表し、自身の苦悩を世にさらけ出していったのである。
 特にムンクは女性関係では、いつも悩み苦しんでいた。特に貧乏画家であったムンクは、トゥラ・ラーセンという、コペンハーゲンの裕福な名家の一員で、虚栄心の強い女性と激しい恋に落ち、3年間交際した後、別れた。彼女はムンクを仮病を使っておびき寄せ、よりを戻さないと自殺すると銃を持ち出し、口論の上もみ合いになり、銃が暴発してしまう。弾丸はムンクの左中指の第一関節から先を吹っ飛ばしてしまった。(幸いムンクは右利きであった)

 こうして苦悩上書き上げた絵は、作品めがけて腐った果物を投げつけられるほど不評であった。『叫び』にしても、多くの人から批判され、フランスのある新聞は、まるで排泄物を指でなすりつけたような印象をあたえると酷評された。さらに空に描かれている赤い部分には、鉛筆で「この絵は頭のおかしい人間が描いたにちがいない」といういたずらさえ書き込まれている。
 確かにムンクの絵は見る人にとってみれば、ひどい絵のように見える。この『叫び』を見ても、そう思われても仕方がない。事実その描き方は、急いで筆を走らせたためか、中心に描かれている人物の顔の部分は、よく見ると厚紙(カンバスじゃないのだ)の地肌が透けている。しかもムンクは自分の作品の扱いは無神経で、作品を床に投げつけたり、踏みつけたり、何年間も雨風に曝したまましていたり、湯気の立つスープ鍋の蓋代わりにしたりしていた。
 『叫び』を完成したのは深夜だったため、疲労困憊のムンクが画架の近くにあった蝋燭吹き消すと、作品の上に蝋が飛び散った。今でも『叫び』にはその蝋の雫が絵の右下残っているそうである。(こうしたいたずら書きや蝋燭の跡は、絵が本物であるかどうかの貴重な判定材料になる)
 ところで、私が一番興味を引いたのが、次の部分である。
 それは1883年8月27日午前10時2分インドネシアのクラカト火山が噴火し、火山島の殆どを吹き飛ばした。その火山灰が世界中の空を覆い、その結果、日没時の太陽が燃えるような強烈な赤い光を放つ怪現象が起した。翌28日のニューヨークタイムズには「夕方5時過ぎ、西の地平線が鮮やかな緋色に輝きはじめ、空と雲が真っ赤に染まった。通りを歩いていた人々はこの異常な光景に驚き、あちこちの角に集まって、西の空を見つめた。・・・・雲はしだいに血のような赤に染まり、それを映す海もまた血の海を思わせる色に変わった」という記事が掲載されている。30日付のオスロの新聞では、「昨日から今日にかけて、オスロの西の空に強い光が見られ、多くの人が火災だと考えた。だが、実際には、これは日没後の太陽光が大気中の塵に反射して起こった現象である」と報じている。
 そしてムンクはこの『叫び』を描いた時のことを次のように回想している。「ひどく疲れたので、私は立ちとまって手すりに寄りかかった。濃紺の闇に沈むフィヨルドとオスロの街を眺めると、その上空に、まるで剣から滴る血のように、真っ赤な雲が垂れこめていた。友人はすでに先に行ってしまった。私は独り立ちつくし、恐怖に震えていた。すると、自然を貫く大きな叫び声が聞こえ、いつ果てるともなく続いた」と言っているのである。
 この散歩の日時が1883年、1886年、1891年の説がある。もし1883年だとしたら、ムンクの『叫び』の背景にある夕日は、当時非常に珍しい自然現象であった可能性がある。つまりムンクはこの現象を見て、『叫び』を描いたのではないかというのである。もちろん確かなことは分からないが、少なくとも精神を病んでいたムンクがこの自然現象を目撃していたら、かなりのショックを与えた可能性がありそうである。そしてその時の印象を『叫び』に描いたのではないかという推理は面白かった。

 この本を読んでもうちょっとムンクのことを知りたいと思った。他にムンクのことを書いた本を読みたくなった。(こうしてどんどん興味を覚えるから、次から次へと本を買ってしまうのだ。そしてその本の収納に悩まされるのだ。やれやれ・・・)
 
評価
★★★★

2006年02月13日

菊池敬一著『ヴィレッジ・ヴァンガ-ドで休日を』

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 いやぁ~、久しぶりに笑わせてくれた本であった。この『ヴィレッジ・ヴァンガ-ドで休日を』(新風舎文庫刊)の親本は98年に出版されていたらしく、もうそれから8年もたっているわけだからヴィレッジ・ヴァンガ-ドもだいぶ変わっていることと思うが、それにしてもこの社長のポリシーは最高であった。なんだか昔の椎名誠を更に硬派にした感じであった。私はこういうおじさんの不良は大好きだ。(デビューしたての椎名誠もそんなことところがあって、結構気に入っていたのだけど、最近どうも教師ぽくなっちゃって気に入らない)
 この本はこの業界を多少でも知っている人なら、腹を抱えて笑える本である。ちなみにちょっと笑ったところを書いちゃう。まずはお店編から・・・。

 万引きに対する対応の仕方も面白い。小・中・高生は家に連絡し、大学生は彼の春秋をおもんばかって、ビンタ一発ですましているという。大人、これは処置に困る。彼らを諭せるほど人生経験を積んでいないからだ。(うむ~、よく分かる!)

 社員たちの前で菊池さんが言う。

「俺たちのやっていることは全く新しい消費を創出しているんだ。V・V(ヴィレッジ・ヴァンガ-ドの略)の売上は国民総生産の0.00000001パーセントの価値を新たに創り出しているんだ」
社員たちの目が光らないので、
「本というのは特別な消費財なんだ。まず、本を売ることに矜持を持とう。コンビニで本を買うようなセンスの悪い奴は相手にするな」
少し光ってきたので、
「お前たちは自分の棚にある本をどこの本屋で買ったか覚えているか、残念ながら俺も覚えていない、ヴィレッジ・ヴァンガ-ドで本を買ったお客さんが、たとえば20年経って、その本を手にした時、20年前のヴィレッジ・ヴァンガ-ドのことをまざまざと甦らせて、覚えていてくれる、そんな本屋になろう」
夜行動物のように光ってきたので、
「ところで、俺も年で疲れてきたので、冬はハワイ、夏はカナダで生活させてくれ」
突然彼らの目は曇りだすのである。

 これはかなりいいこと言っているし、全くその通りだ!と諸手をあげて賛成しちゃうし、最後の落ちも面白い。

 ある日菊池さんが塩野七生さんの『ローマ人の物語』を読んでいて、カエサルの『ガリア戦記』を読みたくなり、自分の店にあることを思い出し買いにいく。しかし菊池さんはヴィレッジ・ヴァンガ-ドでは殆ど本を買わないという。何故かというと自分の読みたい本を置いていないからと言いきり、久々にお店で買うと社員に「社長が本を買うのは珍しいですね」と言われる。しかし菊池さんは言われっぱなしになっていない。「ちゃんと一割引いたか」と言い返すのである。
 あるいは支店の日報の下に主な出来事を書く欄があって、たとえば「寒い!あまりにも」とアルバイトが書いているのを見ると、一号店だけは冬季手当を出してやろうと思い、「客数が少ないのは学生が休みになったせいでしょうか」という店長のコメントにはすぐ電話して「毎年同じ案件だからな」と釘をささなければならないと書く。

 これだけ出店数が多いと資金繰りはかなり大変だろうと推察するが、銀行とのやりとりも最高である。

「銀行はいいよな。あなた方はお金をお金に変えるだけだから。僕らはお金を物に変え、物をお金に変えるという面倒なことをやらなければならない。つくづくうらやましいよ」
「そういう考え方もあるんですね、いやぁ知らなかった」

 先日、ある銀行がきて、決算書を見るなり、「忙しいでしょう」とニヤッと笑いながら言った。なかなかスルドイ奴である。
「決算書見ただけでわかるんだ」
「わかりますよ、社長さんの1カ月が手にとるように。月に10回は銀行に走っているでしょう?」
「いやあ参ったなぁ。すごいもんだなぁ」
「利益が出ているのに、キャッシュフローが足りない。典型的な自転車操業ですね」
「いや、うちはオートバイ操業と言っている。倒れたら死ぬ」

 なかなかのものである。こういう旦那さんをもっている奥さんも大変だろうが、「なにも専務取締役」といわれても、しっかり理解して、サポートしているのがうかがえる。だから「本屋の明るいお悩み相談室」のオーナーのお悩みで、売上低迷から夫婦仲がぎくしゃくしてきたという相談に、奥さんの内助の功をきちんと認めるべきだとしっかり言っている。
 こうして菊池さんはどんどんお店を出店していく。「『客は来てくれるだろうか?』という不安は、ない。どのみちマーケティングで本屋やっているのではない。『僕らが楽しいだから客もきっと・・・』という思い上がりで10年やってきた」と言う。
 ヴィレッジ・ヴァンガ-ドというお店は、「店全体がノスタルジーしているのだ。若者には『オールドニュー』、おじさんたちには『涙もん』なのである」そういうお店づくりをしている。だからお店にはアメリカの50,60年代の骨董品(車やバイク、ビリヤード等)を置き、雑貨も合わせて、本だけでなく様々なものを組み合わせてお店づくりをしていく。
 私はヴィレッジ・ヴァンガ-ドという本屋さんの名前はもちろん知っていたが、実際そのお店に入ったことがないので、一度行ってみたいなぁと思う。

 さて最後にこの業界のパスティーシュと、この本の第2章「本屋の明るいお悩み相談室」で笑ったところを書いておしまいにする。まずはこの業界のパスティーシュから・・・。

「今日さ、あれ、なんたっけ、す、SMAPの写真集何冊入った?」
「俺んとこは3冊入って午前中に売れちゃったよ」
「僕のところは10冊入りました」
「なんであんたのところが10冊でうちが3冊なの?おかしいなぁ。トーハンの加藤君に電話しなくちゃ」
「いえ、僕のところでは予約をとっていましたから、全然足りないんですよ」
「何冊予約とったの」
「一応38冊ですけど」
「すごいなぁ。ベストセラーズに電話しなくていいの。三省堂にドーンと積んであったよ」
「もう諦めていますよ。これが終わったら図書券で買いにいきますから」

 ちょっと解説すると、この話はSMAPの写真集がたくさん入荷した本屋さんに図書券で買いにいくというのがミソなである。というのも書店は図書券を95掛で仕入れ、95掛で問屋経由で引き取ってもらうシステムになっている。つまり図書券を多く売って、回収は少ない方が得なのである。そこで95掛で仕入れた図書券をもってそのSMAPの写真集を買えば、5%引きで本を買ったことになるし、あるいは回収した図書券でもいい。それを引き取ってもらえば5%損しちゃう訳だから、それならそれを使ってSMAPの写真集を買った方が得ということなのだ。
 これを読んだときは本当に大笑いしちゃった。それはそうと、昨日三省堂の本店へ行ったのだが、棚の位置を変えていて、訳が分からなくなっていた。何でこんなことをしているんだろうと思った。以前の棚の配置の方がいいような気がする。棚の配置を変えたものだから、自分の探している本がどこにあるのか分からなくなっちゃったじゃないか。それになんだか汚く感じたのだけど・・・。

 「本屋の明るいお悩み相談室」は菊池さんのお遊びだろうが、これもかなり面白かった。
 まずは読者の悩みの中で、生まれてこの方教科書以外本を読んだことがない28歳のサラリーマンが「俺はバカでしょうか」という質問に対して、はっきり「貴方は本当のバカです」と言い切るし、バイトの悩みでは、店長が高い本が売れたらバンザイやハイタッチをして困るという悩みには、「お前が悪い。15,000円の本が売れたらハイタッチくらい当然だろうが」と答える。これも腹を抱えて笑ってしまった。

評価
★★★★★ 面白い、最高!
★★★★ いい!これは好きだなぁ
★★★ まあまあ。
★★ ちょっとなぁ・・・。
★ 面白くない
× 読むのに値しない。時間がもったいなかった。こんな本出版するな!

で今回は★★★★です。これからはこんな感じで独断と偏見で評価しちゃおうと思う。

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