2011年03月30日

ちょっと休憩します。

 “あっ、地震だ”と思って、いつものように楽観していたところ、予想外の揺れに驚く。“これはやばい”と初めて思った。2011年3月11日、国内観測史上最大のマグニチュード9.0を記録する地震で、後で「東日本大震災」と名付けられた。地震と津波で多くの被災者を出し、死亡者は今の時点で1万人を超えた。福島原発は爆発を起こし、放射性物質を今だ出し続けている。

 原発が暴走し、それを止めようと電力会社の社員が頑張っているのに、この国の首相は「逃げたら、つぶれる」と脅かし、消防が原発を冷やそうと、身の危険も顧みず放水を続けているのに、「言うことを聞かなければ処分する」と恫喝する大臣まで出てくる。統制が脅かしや恫喝でしか出来ない内閣であることを改めて知らされる。
 パフォーマンス大好きな党が与党となっているもんだから、その党首である首相が地震の翌日、行っても何も出来もしないのに、ヘリコプターで視察に行き、非難され、以降身動きが出来なくなる。そう言えば最近首相はテレビに映らなくなった。

 それでもパフォーマンス大好き癖は治まらないようで、この地震で既存の堤防が意味をなさないほどの津波におそわれ、原発が壊れ、電力不足となり、節電が訴えられ、節電啓発担当相という大臣職まで作られる。が、この大臣、もとマルチタレント。口先だけは達者だから、役人をその口先で翻弄し、東京の防災用の堤防を無駄だ、といって切り捨てた人物。どのツラさげて節電を訴えるのか?

 その大臣にみんなが節電しているのに、東京ドームでのナイターはけしからんと言われ、すごすごと帰るコミッショナー。聞くところによるとこのコミッショナー、巨人の言いなりの人だとか。巨人はドームでの収入がまったくなくなってしまうことを恐れ、何とかゲームを強行しようとしたが、撃沈する。

 以来テレビはこの震災で特番続き。多くの被災者を出したため、CMも自粛され、意味のない同じCMが流れ続ける。それが繰り返されるから、気がつけばそのCMで頭は洗脳され、「こだまでしょうか、」という金子みすゞの詩が自然と口に出る。別に知らなくてもいいことなのだけれど、CMがあまりにもくり返されるものだから、あの女優が子宮頸がんを発症したのは38歳だったと覚えてしまう。おそらく日本で子宮頸がんで一番有名になった女優であろう。

 本屋ではこれだけ金子みすゞの詩が有名になったからか、店頭で平積みにされる。商魂たくましい。

 電力不足となり、さすがに「オール電化」のCMが流れなくなる。

 電力不足を補うために計画停電が実施され、いつ自分のところが実施されるのか恐々とする。節電が訴えられ、電車が間引いて運転され、都心の交通機関は毎朝超満員状態となる。駅構内が照明が落とされ、薄暗い。車内の蛍光灯も一部取り外されていた。駅から出たら、外がこんなに明るいんだ、と感じる。逆言えばそれだけ地下鉄駅構内は必要以上に照明が灯されていたということか?

 お店の入り口にある看板やネオンに照明がつかず、街全体も暗闇の中におかれた感じだ。その中で個室ビデオのネオンが煌々と光り、妙な違和感を与えている。みんな節電しているのにここだけは例外なのか?しかし誰も文句を言わない。

 自分のところがいつ計画停電の対象地域になるか、恐々とする。そのため、懐中電灯が必需品となり、普段使わない単一電池が手に入らなくなる。大型家電店が開店して人々が真っ先に行くのが電池売り場。店員が「お一人様一パックでお願いします」と言っているにもかかわらず、手には二パック持っている奴がいる。アマゾンのマーケットプレイスでは単一電池四本入りが5,980円で売り出されている。
 マイケル・サンデル教授は、その著作の最初に、アメリカのハリケーン・チャーリーで困っている人に対して、法外な値段で物を供給する業者について考えている。一つにそれに人間の欲深さに驚きを感じる人を紹介し、一方で市場でつく価格は暴利でも何でもない。それは自由な社会でサービスが提供される仕組みだから、暴利でも強欲でもない。むしろそんなに儲かるなら、どんどんそのサービスを提供する業者が増え、その分復興を早めるのだという、経済評論家の主張を提示したのを思い出す。

 地震が起こって、原発が暴走し、放射能物質をまき散らし、ついに水にもその被害が及ぶ。テレビを見ていたら、突然乳幼児は水道水を摂取しないようにというニュースが流れる。とたんに自販機のミネラルウォーターには全部“品切”れの赤ランプがともる。どこも水は品切れとなる。
 山本七平がユダヤ人になりすまし、イザヤ・ベンダサンとして本を書いた。そこには日本人は空気と水はただ、と思っていると書いていたはずだが、それを思い出す。日本で初めて水はただじゃないことを実感させられたのではないか?摂取制限は乳幼児だけなのに、いい大人が自分たちが飲むミネラルウォーターを買い集める。おかげで乳幼児が飲む水がなくなる。スーパーでは母子手帳を持っているお母さんにミネラルウォーター売ることとなる。

 テレビでは乳幼児に水道水の摂取制限を報道する一方、その道の専門家を出演させ、「今、水道水を飲んでも問題ない」と言わせる。一体誰の言うことを信じればいいのだ?

 多くの義援金募集が行われるが、その義援金送金でシステムがダウンしてしまったメガバンク。

 そうそう、地震のあったあの日、危うく「帰宅難民」になりかけたが、2時間半かけて歩いて、やっと自宅にたどり着いた。JRは地震の後、すぐすべての電車の運休を決め、それ以外の交通機関は何とかして復旧に努めていた。復旧はかなり遅くまでかかったようだけれど、それでも電車を動かした。この差は一体どこにあるんだろう?

 あげればまだまだありそうだ。

 でも確実に言えることがある。それは今まで当たり前と感じていたものが、当たり前でなくなったことである。そのことは今までの社会のシステムや人の考え方に大きな変化を生んでいくだろう。むしろ今までの社会やそれを動かすシステムがあまりにも脆弱であり、かろうじて動いていたに過ぎなかったのではないか、と思えてくる。あることが前提で動いていたそれらのものは、その前提が崩れたとき、何も機能しなくなる。その砂の楼閣の上で必要以上の快適さ、快適さを通り越して快楽を求めていたように思えて仕方がない。そこまで無理をしなくても、競争しなくても生きていけたのに、いつの間にか生きていけなくなってしまった。
 本当は目に見える形で、手で実感できる社会であるべきものを、何がどうなっているかわからないけれど、とにかく求めるものが手に入る社会に慣れてしまったことによる、弱さを露呈しただけのことのように思えて仕方がない。人のつながりを無視し、安心や安全をお金で換算する社会がまっとうなものとは思えない。また人間が何でも統制できると思う発想が、もともとおかしなものであって、人の手が及ばないもの、たとえば自然など、があることを知るべきだったのである。人が及んではいけない神の領域というのがあっていいはずで、地震や津波や原発を甘く見ていたきらいがある。そんなことをひしひしと感じてしまうのである。

 とにかく社会が大きな変化をせざるを得ないだろうという予感が私にはある。私の生活にしても、思考においても、これは大きなショックである。どうすればいいんだろう、とここのところ思う。正直なところ今は虚無感でいっぱいである。いろいろなことを毎日考える。考えるけど答えなど出ない。だから余計に虚しくなる。それでなくても今年になって、何故かわからないけれど、自分の中で思うように、あるいは今までのような生き方ができなくなってしまっていたのだ。
 本を読むことが唯一の趣味であり、生き甲斐であったのが、それができなくなってしまっている。思うように本が読めない。やる気が起こらない。確かに個人的にいろいろなことが起こっているので、それに振り回されていたところがある。

 ちょっと疲れちゃった。

 このブログにしても、最初は楽しんでやっていた。本を読むことと、それについて書くことが何の違和感もなかったから、このブログが更新できた。でも今はどこかそれが義務感と変わり、ブログを更新しなければいけないという脅迫観に変わっているところがある。そのために本を読んでいるように思えてならない。
 そんなところこの地震が起こった。ブログは自宅サーバーで動かしている。幸い自宅は計画停電の地域にまだ指定されていないが、いつか計画停電の地域に入るかもしれない。あるいは計画停電で真っ暗な中で生活を強いられている人たちのことを考えると、大した電力消費ではないが、それでもサーバーを動かしていることに、どこか罪悪感を感じる。
 ちょうどいい機会だ。自分の中でこのブログの存在が負担になり、本来の自分が本を読みたいという姿勢が変わっていってしまったことも疑問に感じ始めたこともあるから、止める方がいいのかな、と考え始めた。でも、私に本を取り上げたら、何も残らない。まったく本が読めない、というわけでもない。以前より読めなくなった、ということだけである。あれこれ考えた末、ちょっと休むことにしました。
 また元気になり、本を読んで、書きたいな、と思ったら書き込みたい。あるいはもっとゆっくりと本を読んで、ゆっくりと書き込みができればいいな、とも思っている。更新はしばらくできないかもしれなけれど、いずれカムバックしたい。

2010年12月29日

万引きに関する私なりの意見書

 書店組合から“「古物営業法施行規則」の改正案に対する意見(パブリックコメント)提出のお願い”とうFAXが入った。これは何かというと、書店で万引きされた本が新古書店に売られ、換金される傾向が強く、そのため書店における万引きを放置できない状況にあるから、新古書店で本を買い取るときに、今まで以上に規制を求めるものだ。今回の改正案は、(たぶん買い取り金額のことだろうが)一万円未満の場合、本人確認を免除されているのを取引金額の多寡にかかわらず、強制的に本人確認を義務づけるものである。 まあとにかくどんな業種であろうと万引きは看過できるもんじゃないので、それを抑制するのなら、この改正案に反対する理由はない。
 でこのFAXは意見書を求めているのだけれど、それを考えるのも大変だろうから、文章を用意しましたから、それに賛同できるなら住所と氏名を記入してFAXで送り返して下さい、という親切なものであった。もちろんこれに関しても基本的に文句を言う理由もない。どのように書かれているかというと次のようにある。

 万引き(窃盗罪)は青少年とってより悪質な犯罪への「ゲイトウェイ犯罪」といえるもので、これを撲滅することは社会にとって大きな課題です。
 日本出版インフラセンター(JPO)が調査を行い、2008年3月に「書店万引き調査報告書」として公表しておりますが、このJPO報告書によれば、全国書店の万引き被害の総額は約193億円、書店売上の1.41%と推定され、書店における売上高対経常利益率の平均は、日販が0.49%、トーハンが0.24%であることから、その3倍~6倍が万引きにあっているという計算になります。
 また、万引きの目的が最終的に新古書店での換金というのが7割を越しています。被害にあった書籍をジャンル別に分類すると、金額及びコミック、写真集・高額本で「換金目的」を裏付ける数字となっており、書店の被害は甚大です。
 警視庁が、平成21年11月1日から万引き被害の全件届出の徹底と被害届や捜査書類の簡素化を図ったことと併せて、中古図書の買取り段階で、本人確認の徹底を図るという今回の改正案は、盗品の流入を抑制する効果ができるので賛成です。

 確かに最近書店に行くと、「万引きは犯罪です!」と大きく書いてあるポスターをよく目にする。そしてここにも記されているように、書店での万引き被害は甚大であることはよく耳にする。だから今回の改正案は、万引きして換金しようとしても、足がついちゃうよ、だから万引きはやめようね、というものである。何にしてもそれが抑制されるなら反対する理由はないのだが、どうもこの意見書は数字ばかり並べて、被害の甚大さを訴えているが、今ひとつインパクトがない。私ならどう書けるだろうか?
 ちなみにこの「書店万引き調査報告書」というのをネット調べてみた。なんとこの報告書は131ページもあるので、この暮れの忙しい時に読んでいられないので、ここにある文章の数字をそのまま信用することにする。

 万引きによる被害額が約193億円というのはあまりにも大きな金額なので、あまりピンと来ない。それが書店の売上の1.41%を占めるといわれちゃうと、それが多いのかどうか余計にわからなくなる。問題は書店の売上高対経常利益率である。ここからものを言った方がわかりやすいのではないか、と思うのだ。
 ここに記されている売上高対経常利益率がこんなに低いものと思われるかもしれないが、ホンと書店にはそんだけしか利益が出ないのだ。しかしこうしてパーセンテージに表されちゃうと、やっぱり愕然とする。ただ一つ素朴な疑問のなのだけれど、日販の報告だと0.49%あるけれど、トーハンとなるとさらにひどくて0.24%になるのは何故なんだろう?日販と取引している書店より、トーハンと取引している書店の方が儲からないということなのだうか?そもそも本の粗利は日販であろうとトーハンであろうと変わらないはずなので、トーハンと取引している書店の方が経営状態が悪いお店が多いということなのだろうか?
 まあいい。経営状態を問題にしているんじゃない。売上高対経常利益率である。ネットで調べていたらこの意見書を裏付ける面白いグラフが見つかったのでちょっと拝借する。


2010_12_29_02.gif


 ここでデータを出している書店はちょっと異質といえば言える。たとえばヴィレッジヴァンガードは本屋というより雑貨の売り上げが大きいだろうから、このような高経常利益率が出ていると思われるし、ブックオフはものすごく安く買い叩いて、新刊に近いものを定価の半額で売るから、やっぱりこのぐらいの数字が出るのだろう。本当はもう少しあるんじゃないのと疑ってはいるが・・・。
 未来堂書店はイオングループの中核企業だ。あおい書店はシャノワールやカフェ・ベローチェなど経営している会社がやっている。だから数字管理は厳しそうだし、スーパーが客を寄せてくれるだろうし、コーヒーのついでに本をといった感じで、それなりの数字を出しているんじゃないだろうか?ということは一般の本屋さんの数字はやっぱりこの意見書の通りなんだろう。
 そして万引き被害の実情をもっとリアルに知るためには、日販の出した売上高対経常利益率から算出する。たとえば1,000円の本が売れたとすると経常利益は約5円である。5円ですよ。そしてこの1,000円の本がかっぱられたとすると、1,000円の売上を回収するためには同じ1,000円の本を200冊売らないとならない。すごいでしょ!このぐらい書いた方がいい。こう書けば書店での万引きは絶対に許せん、ということになるのではないか。
 
 万引きは若い奴がするものと思われるだろうが、確かに万引きははしかみたいなところもなきにしもあらずだ。だからといって許せるものじゃないのだが・・・。しかし最近は万引き犯は高齢化しているという。そうの背景には不況の波が上げられるのだろう。しかし一方で盗んだ本を簡単に換金できるところがあるということが大きいのではないか。昔はブックオフに代表される新古書店などないから、本を売るなら昔からある古本屋さんしかない。古本屋というのはどこか近寄りがたいところがあるが、新古書店はそうした入りづらいところがない。むしろあっけらかんとしていて、大きく窓口を開けて、本を買い取りますよ、といわれれば行きやすい。先に読んだ池谷伊佐夫さんが書いていたけれど、「気軽さが」そこにはある。それがチェーン店化して全国どこでもあるのだから、盗んだ本を持って行き換金すればよい。そうした気軽な換金システムがあるなら、盗んだ本を簡単に換金させないようにするのも一つの手であることは間違いない。
 そういえば、写真集もよく盗まれるらしいが、先日秋葉原のブックオフで川島なお美の写真集がワゴンにたくさんあり、105円でたたき売られていたのを思い出しちゃった。これを見たとたん笑っちゃったね。天下の川島なお美も鮮度が落ちればこんなもんだ。ブックオフもこういう本を抱えることも多いだろうから、ある意味同情もするけどね。でも、万引きの抑止力になる本人確認はきちんとやって欲しいし、実際先日私のつまらない本を売るときも身分証明書を求められた。これでいいと思う。

2010年05月03日

閉鎖

 いつまでも更新できない「どんなことがあっても、本が好き」の番外篇を閉鎖します。できなことを無理してやろうとしても、できないものだと改めて知りました。頭の中にはそれなりの企画はあったのですが、如何せん気力がありませんでした。能力的にも無理だと考えましたし、それにどこか自慢話みたいに感じたものですから、やめることにしました。
 ここでいくつかアップした文章や写真はもったいないので、リニューアルして使うつもりでおります。その時は、はは~ん、これを使ったなと思って下さい。さっそく今さっき読み終えた本に使おうかなと考えています。

2009年10月21日

実名?

 アマゾンのサイトで検索をかけると、この事件や裁判の本がリストアップされ、そしていつの間にか“酒井法子”の本となる。同じ話題性のある裁判つながりかと思えるが、肝心のこの本はない。さらに紀伊国屋書店のサイトで検索をかけてみると「該当するデータがありません」と出てくる。変な話である。ここにその本があり、ちゃんと書名もあり、著名もあり、ISBNの数字もあり、出版社も明記されているのに、データーベースにはこの本はないことになっている。おかしなものである。この二つのサイトではこの本は存在しないことになっているわけだ。しかし私はこの本を有隣堂で買った。
 どうしてこんなことになっているかと言えば、単に書名に少年法に規定された被告の実名と中学時代の写真が載っているからだ。著者は少年から実名を公表することに了解を得たから、ここに実名を書いたと言っている。一方少年の弁護団は少年は了解していない。だから少年法に抵触するから、出版の差し止めを裁判所に求めて、今争っている。つまりいわくつきの本だから、大々的に販売できな本になっていて、これらのサイトでは自ら自粛して、データーベースに載せていないのだ。
 しかしよく考えてみるとおかしな話で、この本に実名と写真が載っているのはけしからんと争っても、インターネットでちょっと検索をかければ、この少年の実名と写真がすぐヒットするのである。大体が誹謗、中傷ぽいのだが、私から言わせれば、こっちはどうなのよと言いたくなる。弁護団も片手落ちであろう。そこまでこの本に目くじらを立てているならネット方だってそれ相応の対応をすべきであろう。
 少年はあの光市母子殺人事件の被告である。そして正直な話、この本は内容のある本じゃない。単に書名に実名を載せ、本文にもフルネームが頻繁に出てくる。それだけがこの本の存在価値といっていい。つまりきわものなのだ。明らかにウケを狙った本だと見ている。でなければ、この本は読まれない本だろう。
 私は彼の弁護団がこの本の出版差し止めを求めていることは片手落ちであると書いたが、この著者だってどこか胡散臭い。実名公表を少年の了解を得たから、それでいいじゃんという、いい加減さを感じてしまう。なぜなら、著者も少年とのやりとの中で、少年の知的レベルの低さを感じているにもかかわらず、少年が実名を公表することを、本当に真剣に考えられる能力があったのか疑問に感じるのである。少なくともここに公表されている少年の手紙を読んでみて、物事をよく考えているところもあれば、いい加減なところもあるので、彼はこのことを果たして真剣に考えられる能力があったのだろうかと思うのだ。たとえ少年が自分の実名公表を真剣に考えたとしても、時にいい加減さを露呈する彼の思考能力をわかっているなら、やはり実名公表は避けるべきであったと思うのだ。要するにどっちかわからないグレイゾーンがある以上、本当の意味で彼が了解したと言い切れないのではないかと思うのだ。そう考えるから、私はこの本の著者をウケを狙ったのではないかと思うのである。
 誤解をあえて招く言い方をすれば、この事件は確かに悲惨な事件ではあるけれど、単に殺人事件であり、その裁判である。その殺人があまりにもむごいもので、しかもその犯人が少年であったことで、犯人の名前や写真が公開されないものだから、この事件の報道を聞く第三者は、想像をやたら大きくしていく。そこにマスコミがつけ込み、さらに事件をモンスター化してしまったのである。世間の注目を浴びることになったが故に、裁判そのものがおかしな方向性を帯びてしまった。つまり本来当事者の間で粛々裁判が進行して行けばいいものを、マスコミが話を大きくしてしまった。そしてそのマスメディアの一翼を担うのもこの著者である。この本を出版する意味がどこにあるのかわからない本なのに、実名公表という話題性で、裁判をさらにモンスター化してしまうと私は考えている。
 だって書名からもわかるように、『F君を殺して何になる』(私は実名を避ける)となっている以上、著者はこの本を書くに当たり、少年の死刑を最初から望んでいない。実際著者は「F君に生きてほしいと願っている」と本文に書いている。それは少年との面会や手紙のやりとりから、「単純に人情からそう思う」と告白しているのである。要するに情が移ってしまっているのである。これじゃ事件を冷静に見られる訳がないじゃないかと思う。せっかく少年の不謹慎な手紙がどのような経緯で書かれたものなのかを追求しても(これもあくまでも著者の推測にすぎないような気がする)、少年の弁護団の不誠実を問うても、これじゃ話にならない。
 著者は少年が死刑になったら、何か一つでも社会にとって得るものであって欲しいと言っているが、そこまで必要があるのかなと私は思う。単に殺人犯に裁判所が刑を言い渡し、それが執行されるだけのことではないか。それを社会に意味を持たせる必要がどこにあるというのだ。彼の刑を社会が共有する意味が見出せない。「匿名の名もなき殺人犯として死刑が執行されても、世間の人々はなんの現実味も持てない」と言っているが、それでいいと私は思う。そもそも少年がこんな悲惨な事件を起こさなければこんなことにはならなかったのだから。

 私はこの本を読んだのは、あの少年の実際の姿に少しでも迫った本なのかなと期待したからであった。でも最初から先入観を持って書かれた本であるから、何度も言うように何も得るものがなかった。読んで無駄な時間を使ってしまったとさえ思った。買わなきゃよかったとさえ思った。幸い一時間程度読める本であったから、それで済んだけれど、もし延々と時間がかかってこれだったら、私はこの本を壁にでも投げつけたかもしれない。その程度の本であった。

 本当はどうであれ、この本を読んだのだから、きちんと書名を書いて、書誌もいつものように記して書くべきものだろうけど、アマゾンや紀伊國屋書店ではこの本は今は存在しない本になっているし、それにそれほどの本じゃないから別のカテゴリーに分類した。

2009年01月12日

「どんなことがあっても、本が好き 番外篇」オープン

 ついにというより、やっと「どんなことがあっても、本が好き 番外篇」オープンできた。とにかくプランはいろいろと頭の中にあるのだけれど、如何せんここにアップするには他のブログのように文字を書くだけですまないため、手間がかかる。いわゆる下準備が大変なのだ。だから面倒になってしまい、1年以上も放置してしまった。
 ここには「前口上」にも書いたとおり、自分が持っている本の中で、思い入れのある本の話などを書いてみたいと思っている。しかもビジュアル的にきれいにやりたいなと思っている。ただ美的感覚が欠如しているので、「おいおい、おまえのきれいってこれかよ」と言われてしまうかもしれないけれど、まぁそんなもんでしか私にはできない。できれば、こんな本もあるのかと思ってくれればうれしいと思っている。
 コンスタントに更新出来ればいいけれど、手間がかかるのと、私がずぼらな性格なところもあるので、更新に時間がかかると思います。思い出した頃にひょこっと訪ねてくれれば、更新されていることと思います。よろしくお願いいたします。

2008年11月14日

東京都書店商業組合青年部の誰かさんへ

 ネットで自分のお店や団体などを紹介するということはどういうことなのか考えた。ぶっちゃけた話、広告だろう。それはそれでいい。それならそれで、そのサイトが美しく、きれいであることが望ましい。
 例えば私の娘や息子が自分のお気に入りに入れているサイトを見ている時、横から眺めていても、やはりきれいだなと思う。ごちゃごちゃしていない。ポイントを押さえているといっていいのではないか。
 そこには大上段に構えて、主義主張など書かれていない。そんなことより売りたい商品をメインに持ってきて、いかに購買力を上げるか、そのことに重点が置かれている。

 なんでこんなことを書いたかというと、東京都書店商業組合青年部の誰だか知らないが、以前書いた本についてコメントを寄せてきたからだ。そこには“貧相なサイトを一新いたしました”とある。こんなことを書かれたのは、私が以前東京都書店商業組合青年部のサイトがひどいと書いたからだろう。
 で、一新したというサイトへ行ってみた。「?!」何がどう変わったのかよくわからない。それにきたない。いかにもスキャナーで読み込んだと思われる写真を貼り付けた感じが、汚さを増長する。
 私は個人的に(あくまでも個人的にだ)、自分のサイトに白々しく主義主張を載せられるのは、生理的に嫌悪する。“東京都書店商業組合青年部とは、 街の本屋さんを救うべく立ち上がった、愛と正義と義侠心に溢れたナイスガイの集団です”なんて書かれると恥ずかしくなる。しかも何かの総会での写真だろうと思うが、会員の赤ら顔やピースをした写真を載せることに、何の意味があるのだろう。そのためこのサイトは一体誰のためにあるサイトなのかよくわからない。
 主張したいことがたくさんあることはわからないわけでもない。危機意識をひしひしと感じられているのもわからないわけじゃない。でもそういうほとばしる意識を前面に表してしまうと、ただ醜いだけである。そういう気持は気持として抑制しておくべきじゃないかとも思う。押さえておくことで、逆に言いたいことが何なのか。あるいはここで紹介したいことは何なのかがはっきりするような気がする。
 
 以上投稿されたコメントには“ご意見伺えれば幸いです”とあるから、サイトを拝見させてもらって私の意見を言わせてもらった。 どうしてここでこんなことを書いたかというと、どこにその意見を言えばいいのかわからないからだ。東京都書店商業組合青年部のサイトに意見を言えるところがあるのかと思えば、見あたらない。まさか私のサイトを使ってやりとりをするつもりじゃないでしょうね。それに一新したサイトを見て欲しいなら、投稿するときURLぐらい入れて欲しいし、あるいはコメントにサイトのURLに入れて欲しいものだ。それが礼儀でしょう。ネットだから何でも許されるというわけじゃないと思う。だから最初このコメントを見たとき、“迷惑コメント”として削除してしまおうかと思ったくらいだ。
 これ以上書くと自分でも何を言い出すかわからないので、この辺でやめておくし、この人とのやりとりもあまり望んではいない。ただ私個人は街の本屋さんは頑張って欲しいと思っていることだけはわかって欲しいのだが・・・。

東京都書店商業組合青年部
http://www.tokyo-shoten.or.jp/index.htm

2008年09月15日

相次ぐ休刊

 朝日新聞の文化欄に「月刊誌 冬の時代 相次ぐ休刊、雑誌の今後は」という特集があった。今年になって以下の通り有名どころの雑誌が休刊を発表している。

●今年に入って休刊が発表された主な雑誌

「主婦の友」(主婦の友社、1917年2月創刊)

「月刊現代」(講談社、66年12月創刊)

「ロードショー」(集英社、72年3月創刊)

「PLAYBOY日本版」(集英社、75年5月創刊)

「広告批評」(マドラ出版、79年4月創刊)

「週刊ヤングサンデー」(小学館、87年3月創刊)

「論座」(朝日新聞社、95年3月創刊)

「ラピタ」(小学館、95年12月創刊)

「Style」(講談社、01年9月創刊)

「BOAO」(マガジンハウス、04年9月創刊)

「KING」(講談社、06年9月創刊)

「GRACE」(世界文化社、07年3月創刊)

 休刊を発表した雑誌の担当者の言うことがだいたい似ている。たとえば、集英社の月刊誌「PLAYBOY日本版」は、集英社は8月1日、月刊誌「PLAYBOY日本版」を09年1月号(08年11月発売、408号)を最後に休刊すると発表した。米・プレイボーイ・エンタープライズ社とのライセンス契約を終了させると発表した。
 「PLAYBOY日本版」は75年5月に創刊され、開高健さんの連載などが人気になり、75年には発行部数が90万部に及んだが、ここ数年は5万5千部程度に落ち込んでいたと、説明する。ただし「週刊プレイボーイ」の発行は続ける。その売り上げが激減した理由が「インターネットや携帯電話の普及などの影響もあり、男性誌を取り巻く環境が年々悪化する中、ここ数年、売り上げ部数・広告売り上げが減少傾向にありました。社としての中・長期的な展望の中で、今回の判断に至りました」としている。
 また同じ集英社は1日、映画誌「ロードショー」を11月21日発売の1月号で休刊すると発表している。「ロードショー」は「スクリーン」誌(近代映画社)とともに、スターのグラビアを中心に洋画ファンに人気が高かったが、インターネットの情報に押され、80年代、最高で約35万部だった部数が約5万部まで落ち込んでいたらしい。
 この記事では「月刊現代」の高橋明男編集長が 「世の中の流れと月刊誌のペースの折り合いが難しくなってもいました。秋葉原の殺人事件も、次の事件があれば忘れ去られる。事件後すぐ用意した原稿が、発売段階では話題にもならなかった。自民党総裁選は22日に投開票ですが、月刊現代は21日が締め切り。紙面に反映できません」「 ネットを含めて情報の流れがすごく速いし、みんな移り気になった。月刊誌を腰を落ち着けて読む感覚がなくなった」のが休刊の理由だと説明する。情報加速、読者移り気がその原因だと分析している。
 要するにインターネットや携帯電話の方が月一回の発売である雑誌より情報が新鮮で、いざその雑誌が発売になっても、その特集がもう古くなっちゃっているという現実が、これや雑誌の低迷を招いてしまったということなのだろう。この三誌の休刊だけでも、ネットの影響が大きことをいっている。
 そして日本の雑誌は他の企業の広告が支えているところがあって、その広告収入が激減し雑誌発売が維持できなくなってしまっている。つまり雑誌そのものの売上でその雑誌の発行を維持していないで広告収入に頼っているので、その収入が06年にインターネットに抜かれた現実は、もう日本の雑誌はやっていけなくなりつつあるということである。
 永江朗さんは(朝日新聞は出版界の問題を取り上げるとき、必ずこのおっさんを引っ張り出してくる)「雑誌がこの世の春を満喫する『雑誌バブル時代』が終わりを迎えた気がします」といい、「月刊誌の次は、週刊誌の選別でしょう」といっている。
 企業が雑誌に広告を出すのは、それを見てくれる人がたくさんいるからで、その広告が載っている雑誌が部数低迷していれば、当然広告を控えるか、ネットの方に移行するに決まっている。雑誌を見てくれる機会を減らしたのは、小さな街の本屋さんが減り続けたことによる。手近で雑誌が買えなくなってしまったからだ。出版社は書店が二割そこそこのマージンじゃやっていけないから、もう少しマージンをよこせと訴えても、それを無視してきたから、今度は自分の首を絞めることになったのだ。

2008年02月27日

中小書店はダムだ!

 昨日の朝日新聞の文化欄に「草思社支援に書店の輪 業界の悪循環は今もなお」とあった。そう草思社もつぶれちゃったのだ。結構面白い本を出していて、私も何冊か草思社の本を持っている。
 ここのところ書店組合から倒産した出版社があると、緊急のFAXが届くことが多い。通常このFAXを見た組合員の書店は「やばいぞ!早く返品しなきゃ」とあわてる。その姿が目に浮かぶ。
 正直なところ「おいおい頼むよ!」とまずは自分のところの在庫が不良在庫にならないようにすることが精一杯なのだが、今回草思社の場合、たとえばジュンク堂書店の池袋本店では、約500点を並べた「草思社再建支援フェア」のコーナーを設けている。ティーエス流通協同組合(東京都千代田区)も、草思社の書籍30点をセットにし、都内の加盟店約150店から注文を募った。更に東北や関東、近畿の中小18店の共同仕入れを手がける「志夢ネット」(同文京区)も加盟店がフェアを開催中だという。つまりみんな草思社の再建に一役買って出ているのだ。それは大手書店中心の配本が進むなか、「中小にも商品を供給してくれた草思社の恩義に報いたい」ということらしいのだが、まぁ草思社が出版最大手じゃないけれども、しっかりした本を出版してきた経緯がそうさせてるんじゃないかななんて思う
 ところで私が興味があるのは、何で草思社がつぶれちゃったのかということである。この記事はその点が興味深かった。出版業界に詳しい(この○○業界に詳しいというフレーズほど胡散臭いものはないと思うのだが・・・)フリーライターの永江朗さんの話が「なるほど!」と思ったのである。
 「出版年鑑2007」によると06年は出版点数は77,417点。90年に比べて倍増したが、販売額は2割増の1兆4,904億円にとどまっている。出版社は新刊を出すと取次から前払い金が入るが、返本が(2007年の返品率は金額レベル39.4%)多いと最終的に過払いが発生し、それを埋めるためにもまた新刊を出す。 つまり問屋からお金が入るんじゃなくて、逆にお金を取られる可能性もあるから、そうならないように更に新刊を出してとりあえずプラスにするわけだ。要するに自転車操業だね。草思社の新刊も90年代前半は50点前後だったが、昨年度は過去最多の108点にまで急増したという。
 どうしてこうも返品率が高いかというと、もともとこの業界の返品率の高さは異常だったのだが、書店がこうもせっせと返品に励むのは早めに返本して、仕入れの資金を回収する動きに拍車がかかっているからである。生き残るためにやむを得ないのだ。実際90年代半ばに約2万3000店あった書店が現在は約1万7000店に激減している。
 そしてこの記事には書いてないけれど、この書店の激減が、お店に本がばらまけなくなってしまい、結局既存店に配本を依存せざるを得ない状況になり、既存店は既存店で資金繰りのため返品に励むから、どうにもならない。書店の激減はおそらく刷り部数の減少にも影響しているんじゃないかなんて思うのだ。
 90年代半ばに約2万3000店の書店があったときは、少なくとも新刊が今よりも書店にとどまっている時間があったことになるわけだし、とどまっている時間が長ければ長いほどお客の目にとまり、売れる可能性だってかなりあったはずだ。つまり永江朗さんがいうように「書店はその間、本を蓄えるダムのような役割を持っていた。だが今は、その余裕がなくなってきている」 のはそういうことなのだ。
 その上今は余計な在庫を持つなど大名商売なんかしていられない時代である。適正仕入という名のもとで、きつきつの仕入をする。そのためにコンピューター管理を徹底する。余分な分は即返品だ。売れなきゃ即返品なのだ。それでなくても出版点数ばかり増えるのだから、そうせざる得ない。
 草思社の前につぶれちゃったエックスメディアというパソコンのマニュアル本を出していた出版社なんか、自分のところの経営状態が悪化したものだから、在庫を書店に置いてもらおうとして、営業が書店回りして、「いつでも返品を取りますから、置いて下さい」と自社の本を書店に押しつけてつぶれちゃった。そのため返品できなくなって書店のおやじが怒ったくらいなのだ。
 どの業界でも寡占化するのはこういう経済状況下ではやむを得ないのだろうが、あまり中小書店をいじめていると、出版社や問屋、あるいは大書店だって自分のところの首を絞めることになることを自覚すべきなのではないかと思うのだ。

2007年12月12日

万引き

 毎月一回、書店組合から「TKYO書店人月報」がFAXで届く。普段ほとんど気にもしないのだが、今回ふと目にとまった記事があった。そこには「コミック本101冊万引き容疑」とある。書店もクリスマス、正月と忙しくなるから、万引きにご注意!という配慮からこの記事を掲載したのだろう。しかしそれにしても101冊とはすさまじい。いったいどういうことなのかよく読んでみると、被害にあった書店は私が住んでいる江戸川区の書店だと書いてある。そこを読んで俄然興味がわいた。だって101冊も万引きされたなんて、何と間抜けな本屋なんだと思っても当然でしょ。で、例のごとくネットで詳しく調べてみた。

 逮捕されたのは東京都江戸川区東小松川1丁目、米畑陽一容疑者(23)。小松川署の調べでは、2007年11月3日午後4時20分~40分ごろ、東京都江戸川区中央2丁目の「TSUTAYA江戸川中央店」でコミック計101冊(販売価格計約6万円)を万引きした疑い。作品ごとに買い取り価格を記した表を古本店で事前に入手したうえ、TSUTAYAの本売り場で約30分間、高く売れる本を下見して、店員や客がいなくなったすきに、縦約50センチ、横約40センチの袋いっぱいに本を詰めて持ち出し、駐車場に積み上げると再び入店し、また万引きした。調べに対し「借金返済に困っていた。高く買い取ってもらえるシリーズ本を狙った」と話しているという。盗んだコミックは「名探偵コナン」や「花より男子」などだった。これで101冊で6万円になるのかという素朴な疑問がわくが、まぁ他の本も盗んだのだろう。
 まんまと盗まれた本屋も間抜けだけど、実はこの犯人も間抜けであった。この犯人せっせと本を運び、古書店に売るために駐車場で本のビニールカバーを破いていた。それを近くの自動車販売店の店員が見ていて、「何だか本を大量に持ってきて外でゴソゴソやっている男がいる」と警察に通報され、御用となった。
 実は「TSUTAYA江戸川中央店」を知っている。というよりうちの息子はよくここでCDやDVDを借りている。私も一度ここに行ったことがある。だから何となく店のレイアウトも思い浮かぶし、駐車場の状況もわかる。だからあそこの駐車場でコミックに巻き付けてあるビニールを破っていたんだなと想像がつく。

 ブックオフに行くと、棚にある本にボウズ(売り上げスリップ)がそのままはさまった本をよく見かける。通常ブックオフにある本は一般読者が、書店で本を買い、それを売る。だからそこで売られる本には絶対に売り上げスリップがはさまっていない。(たまに本屋が忘れたり、売り上げスリップがちゃんとはさまっていなかったことで、スリップがなくなったものとして、売ってしまうことがある)それがちゃんとはさまったままブックオフの棚にあるということは、明らかに盗品を買い取って、売っていることになる。
 実際近所にブックオフが出来ると、万引きが増えるといって、組合で問題になったこともある。佐野眞一さん本にも、紀伊国屋の社長がこのことに触れていたはずだ。買い取ってくれ、すぐ現金化できるブックオフは万引きにとってとてもいい場所だろう。

 実は私は万引きに間違えられたこともあるし、万引きを捕まえたこともある。万引きに間違えられたのは、まだ私が本屋でアルバイトして間もない頃であった。自分が注文した本がまとめて入荷したので、それを店の紙袋に入れて持ち帰った。途中、買い忘れた本があったので、当時錦糸町の駅ビルにあった本屋さんに立ち寄った。別に店の中をうろうろしたつもりはなかったのだけれど、目的の本を買ってから、階段の踊り場に出たとき、警備員に呼び止められた。私が店の本を万引きしたと思ったのだろう。紙袋の中にある本を見せろというのだ。運が悪いことに、そこにあった本には売り上げスリップがついたままであった。当時いた店では、客注品で報奨金がついていない売り上げスリップは抜かずに、そのまま渡していた。その関係で私が買った本も売り上げスリップを抜かずに、紙袋に入れていた。しかも、買ったといっても、ツケで買ったものだから、レシートがある訳じゃない。あるのは自分で書いた店の納品書で、しかも自分のものだから、書名など書かずに、金額だけ書いたものであった。
 今だったら、そんな疑いをかけられたら、それこそ大げんかになっているだろうけど、当時はまだうぶだったので、かなり困った。自分が新橋の本屋の店員であること、そしてこの本は自分の店で買ったこと。売り上げスリップがついているのは店の事情であることを説明して、なんとか疑いを晴らした。
 それ以来、本屋に行くときは、自分が読んでいる本は、たとえカバーがついていても、鞄に入れておくこと。また本屋の責任者になってからは、店の者には、どんな本でも売り上げスリップは抜くことを指示した。
 
 万引きを捕まえたこともある。これは以前のブログで書いた。万引きを捕まえてそのまま警察に引き渡したのだけれど、私も一緒に警察に行く羽目になった。はっきり言って、万引きは許せないけれど、人を犯罪者として引き渡すのもいい気分じゃない。最初は万引き犯を捕まえて警察に引き渡したということで、何か正義を全うした感じでいたのだけれど、万引き犯と一緒に警察に行くと、これで良かったのだろうかと思い始めた。何と言えばいいのかよくわからないが、この万引き犯の人生に何らかの汚点をつける現場に立ち会ったことの気分の悪さを感じたのである。(私が捕まえた万引き犯は初犯であった)
 幸いそれ以後万引き犯を捕まえることはなかったのだけれど、やっぱりやめて欲しいな。捕まえた方も気分が良くないのだから・・・。

2007年10月12日

いまニッポンの文庫はどうなっているのか!

 今月の『本の雑誌』の「いまニッポンの文庫はどうなっているのか!」という特集は面白かった。最初の部分は日本の文庫の歴史をうだうだと書いているのだが、結論は「そもそも文庫は古典、名作を安く手軽に読めるように作られた日本オリジナルのペーパーバックである」から、「『今月の新刊』だけではなく、長く読まれる作品を長く売り続けることが文庫版元の使命なのではないか」。それなのに「現実には毎月毎月新刊がばんばん出る一方で、絶版・品切れになっていく文庫も決して少なくない」。その生存率がどんどん落ちていく現状を嘆いている。
 この特集にあげられた表をここに示してみると、文庫創刊で華々しく花火を上げ、ラインアップを充実させて発刊したはずなのに、創刊当時の文庫は角川文庫と創元推理文庫にいたっては今は全く手に入らない状況なのである。つまり生存率ゼロなのである。


2007_10_12_02.jpg


 10年たつとハヤカワ文庫以外5割を超えているのは集英社文庫と創元文庫のみで、15年たって5割をキープしているのはハヤカワ文庫のみ。さらに20年たつと各社10%台で、ハヤカワ文庫の47.4%、岩波文庫38.3%は健闘しているということになる。結論として、欲しいと思う文庫は「刊行から五年以内に買っておかないと半分以上が入手できなくなってしまう」ということなのだ。ハヤカワ文庫は高い数字をキープしており、5年前でも10年前でも刊行された文庫本が100%手に入るという結果だ。だから著者としては作品が長生きさせたかったら、ハヤカワ文庫にラインアップしてもらえばいいということになる。
 こんな表を見せられなくたって、だいたいの予想はついた。とにかく品切れになるスピードが早い。簡単に目録から消えていく。ひどいものである。私などこの作品は確か○○文庫にあったはずだと昔得た知識で探してみるが、そのほとんどが手に入らない状況になっているし、自分の持っている文庫などはかなりの部分で目録から抹殺されてしまっている。
 だから発売されたら早めに買っておかないと、後で読みたいと思っても手に入らなくなってしまうから、せっせと買いだめしてしまうのだ。これが私が読む本がたくさんあるのに次から次へと新しい本を買ってしまう口実にもなっている。(実際かみさんにもそう言っているのだが、疑いの目で見られている)
 まぁ本を売る以上商売なのだから、売れない本をいつまでも作り続ける訳にもいかないのもわからないわけでもない。ここで思い出すのが、出版業界が再販制度反対の理由として、出版物は「文化」なのだから、当然再版制度が維持されなければならないという根拠である。もし出版物が「文化」ならこんなに品切れ・絶版にしていいのかということになるではないか。言っていることとやっていることが明らかに矛盾している。

 もう一つこの特集で面白かったのは、「文庫解説が減っている!?」という緊急レポートである。その表もあげてみる。


2007_10_12_03.jpg


 この表は大手5社の解説比率を対5年比で調べた数字だというが、どういう根拠かよくわからない。けれど単純に数字だけを見てみると、2002年と2007年では解説が減っていることはわかる。文庫解説の原稿料が一枚(原稿用紙のことか?)5,000円から6,000円で上限が10万円である。今どんどん初版の刷り部数が減っていて、初版1万部で800円の文庫に10万円の解説料を払うのはかなりのコスト負担になる。だから経費を削減するために文庫解説を減らして、せめて「訳者あとがき」などでごまかしているらしい。この「訳者あとがき」は翻訳料に含まれるので原稿料なしなんだそうだ。
 特に集英社文庫が解説が減っている理由は、集英社独自の文庫解説印税制度のためらしい。これは10万部を超えたものに0.5%印税が文庫解説原稿料とは別に支払われているからで、当然更にコストがかかる。だから著しく文庫の解説が減っているという。
 確かに解説は面白い部分もあるから、ないよりあった方がいいが、つまらんことをうだうだ書いているものや、自分の主張をこれでもかというくらいくどくど説明する解説なら、ない方がいい。でも、出版不況が文庫の解説にも及んでいるとは正直驚いた次第だ。

2007年07月05日

饅頭本

 昨日の朝日新聞の夕刊に次のような記事が出ていて、ネットから拾ってみた。

自費出版でトラブル相次ぐ「本屋に並ぶと思ったのに」
2007年07月04日17時53分

 「全国に広く流通」「全国の書店から注文できる」などとうたった自費出版ビジネスをめぐり、著者と出版社の間でトラブルが持ち上がっている。著者のなかには「ほとんど店頭に並んでいない」と不満を訴える人もいる。4日午前、3人の著者らが、「本が店頭に並ぶと誤解させられて契約した」として、大手自費出版社を相手取り、出版代金計約800万円の賠償などを求めて東京地裁に提訴した。

自費出版した作品を広げる徳島県の男性。全国のはずが地元の書店などにしか並ばなかった
 流通する自費出版をめぐっては、約10年前に年間数百点規模だった出版点数が、06年に年間4000点を超えるなど、市場は拡大している。インターネットの普及や「団塊の世代」の大量定年で、自己表現の場を求める人が増えているためだが、出版が増えるに連れ、営業や勧誘手法に疑問の声が上がるようになった。

 自費出版は、自分史や小説、画集などを自費製作し、身近な人に配ることが多い。一方、流通版では、著者が出版費用を負担するのは同じだが、取次業者を通して書店の注文に応じて配本されたり、書店に置かれた専用棚に並んだりする。

 流通する自費出版を担う出版社は出版相談会や、賞を受賞すると無料で出版できるコンテストを開いて出版作品を募っている。書店への営業や広告宣伝をする分、やや割高で、500部製作で、100万~200万円が相場だ。

 原告の一人、徳島県の30歳代の男性は05年夏、この自費出版社のコンテストに応募。落選後の同年末に勧誘を受け、約150万円で500部を出版する契約を結んだ。翌夏、写真とイラストを組み合わせたアート集を出版したが、都内などの出版社の直営店のほか、地元百貨店内の書店など3店に並んだだけだった。

 男性は「東京や大阪など大都市圏の書店に並ぶと思ったからこそ出版契約を結んだ。そうでなければ契約はしていない」と不満を訴える。

 同社はコンテストの落選者にも自費出版を持ちかけることがあると明示しているが、落選作品に褒め言葉を並べる営業手法に疑問の声もある。

 滋賀県に住む別の男性は昨夏、写真コンテストに応募・落選した後に出版の勧誘を受けた。「営業担当者から『こんないい写真は手放したくない』とおだてられ、舞い上がってしまった」。男性は昨年末に500部製作の出版契約を結び、手付金の100万円を支払ったが、出版社側の流通方法への説明に不信感を抱き、契約取り消しを求めている。

 元社員も「コンテストの応募者には、『表現がすばらしい』『発想がユニーク』などと褒め言葉を並べて出版を持ちかけた」と打ち明ける。

 一方、この自費出版社の社長は「著者の舞台を広げることがうちのテーマで、ベストセラー作家になった人もいる。作品ごとに全国の書店に営業をしているが、全国の書店に並べるとは約束していない。コンテストは本を出したい人のための賞で、うちの本は自信を持って流通できるものばかりと思っている」と説明する。

 流通する自費出版をめぐっては、同じように書店に並ぶことを売り物にしていた業界大手の碧天舎(へきてんしゃ)が昨年春に多額の出版費用を集めて倒産。約250人の出版が頓挫するなどのトラブルも起きている。

 ■「売れるものは少数」納得して契約を

 〈出版ニュース社代表で東京女子大講師の清田義昭さんの話〉 自費出版はだれもが自由に表現できるメディアで、出版や言論の多様性を担保する意味で出版点数が増えているのはいいことだ。内容も絵本や小説、写真集など多様化している。ただ、書店に流通しても売れるものは限られている。著者は売れるものは少ないと認識し、出版社側はどの書店にも並ぶわけではないときちんと説明し、お互いが納得して出版契約を交わすべきだろう。


 もし私が裁判員制度で裁判官になったら、即刻この訴えは却下である。理由は簡単である。どんな本を書いたのか知らないけれど、たかだが500部ぐらいで、全国の書店に行き渡るわけがないじゃないの。 それと仮に書店に配本されたとしても、その本を店に並べるかどうかの判断は書店員がする。あなたじゃないし、勧誘した出版社でもないのだ。だから、まずよほどのことがなければ置かない。ただでさえ、新刊の置き場所に困っているのだから余計である。知ってます?書店の返品率は約40%もあるんですよ!きっとあなたの本もこの中に入っちゃいますよ。
 この手の本を饅頭本というのをご存じだろうか?どうしてかというと、葬式のときに近親者に配る饅頭のように、「よろしかったら召しあがってくださいませんか」という領域の本だからである。そもそも100万から200万円のお金を出す以上、そのお金が惜しいなら、出版業界の内情ぐらい勉強しておけよといいたくなってくる。でなければ文句を言うなという感じだ。
 趣味で書いた俳句や短歌、あるいは絵など、一体誰が読んだり見たりするかというのだ!団塊の世代が引退して、それまでの人生を振り返った文章など、よほどのことがなければ面白みなどないだろうし、ましてお金まで出して買いたいなんて思わないのではないか?趣味のものは所詮趣味どまりだろうし、平々凡々の他人の人生模様など知ってどうなるというのだ。
 私の家にも死んだ義父がたぶんつきあいでもらっただろうと思える自費出版本が数冊棚にあるが、この手の本が嫌だなと感じるのは、読む側を無視した感覚が嫌なのである。自己主張しすぎる点が嫌なのである。自分の書いた本がものすごくすばらしい、あるいは自分が歩んできた人生がいかに波乱に富んで、その苦労を乗り越えてきたかをつづることで、自己陶酔しているのを感じちゃうのである。だから全国有名書店に自分の本が並ぶことを夢見ちゃう訳だ。ベストセラー作家気取りになっちゃうのだろう。
 私はよくブックオフに行くが、そこにも箱入り豪華本コーナーに明らかに自費出版本と思われる本が並んでいる。販売価格はだいたいが100円くらいだ。ということは、この手の本はその程度の価値しか見られていないということの証じゃないかと思う。そしていつでもそこにある。たぶんこの後は処分されるのだろう。
 さらに言わせてもらえば、あなた方は団塊の世代といって、苦労してきたのでしょ。だったら現実はそんなに甘くないくらい嫌というほど味わってきたんじゃないの。出版も同じですよ。ここに来て自分たちが味わってきた苦い現実を無視するのはおかしいと思いませんか?たとえこうした自費出版を請け負う出版社の詐欺まがいに近い勧誘広告を新聞などで見ても、それに乗ちゃいかんでしょう。
 出版もビジネスである以上、売れてなんぼのものだ。けれど自費出版は別だ。自費出版を請け負う出版社は、本を書いてみたいという人物を集めて、本を作らせ、その代金でビジネスをしているのだ。そのことを知るべきである。

 ちなみに佐野眞一さんの『だれが「本」を殺すのか』(新潮文庫)にも自費出版の現状と弊害が書かれている。やはり自費出版は飛ぶ鳥を落とす勢いで、そこでは自費出版の雄である文芸社のことが書かれている。それによると、文芸社の2003年の売上高五十七億円で、これは幻冬舎の六十億円よりは少し下回るが、河出書房新社や筑摩書房、平凡社の三十六億円よりはるかに上回っていて、利益の四億円はプレジデント社や医学書院にほぼ匹敵するという。それ以上に驚かされるのが出版点数で2002年の文芸社の出版点数一千六百七十四点で、これは講談社の二千九十九点についで第二位にランキングされるという。おそらく今年はもっとすごいペースで自費出版本が生まれているんだろうなぁ。
 そういえば、佐野さんの本によると、この出版社の受付には、すんなりとした足を伸ばしす美女が二人いて、色仕掛けでもしそうな感じで待っているそうですよ。

2006年09月14日

日書連プライベート・ブランド

 日書連がPBとして『窓際のトットちゃん』と『だいじょうぶ だいじょうぶ』を講談社と提携して出す。完全買切制でマージン40%にするらしい。これはマージン拡大と適正配本の実現が最大の目的らしい。まぁそれはそれでいいけど、これってPBか?今頃何で『窓際のトットちゃん』なんだろうか?本気で売れると思っているんだろうか?書店がせっせと注文して平積みするだろうか?もし私が店主なら絶対に注文しない。これを日書連のPB商品として売り出す方がおかしい。
 『窓際のトットちゃん』は1,260円の定価だそうだ。ブックオフなら間違いなく、100円均一の棚にきっと入っているはずだ。マージン40%に欲がくらんで手を出すとえらいことになりそうな商品である。
 試みとしては面白いし、支持したいけど、日書連のPB商品とするなら、新しい作家なり、あるいは既存の作家の新作をPB商品とすべきじゃないかと思うのだけど、どうだろうか・・・?日書連幹部はこれらの本が本当に売れると思っているのだろうか?正直なところ聞きたいものだ。
 これは講談社が提携しているけれど、何となく推察できる。『窓際のトットちゃん』は750万部も売れた本だから、十分儲けたことだろう。ここでいくらかでも売れれば、マージン40%を出しても、痛くもないのではないか?そんな「げすの勘ぐり」をしちゃうのだけど・・・・。この2冊が平積みでど~んと積んであったら欲に目がくらんだ中小書店だと見た方がいい。読者をバカにするのもいい加減にして欲しいもんだ。

 とここまで書いて、どう考えてもいくら無能な本屋さんでも、この2冊を平積みにして売るようなことはしまいと思い直した。やっぱりこれは常備品として棚差ししてある本を粗利の高い本と入れ替える程度だろう。よく考えてみれば、これでいいのかもしれない。いわゆるロングセラーの本をどんどん日書連のPB商品としてくれれば、それを逐次入れ替えていけばいい。そして気がついたときは、棚にあるロングセラーの本は粗利の高い日書連のPB商品に替わっていて、書店の儲けが幾分増えることになる。たぶん日書連の幹部はそれをねらっているのかもしれない。もしそうなら、日書連の幹部もなかなかやるじゃん!

2006年09月10日

阿部謹也さん死去

2006_09_10_01.jpg


 今朝の朝刊に阿部謹也さんが4日の日に亡くなったという訃報が載っていた。思わずえっ!と、絶句する。まだそんな歳じゃなかったはずだと思い新聞を読んでみると71歳だという。急性心不全だ。
 私は阿部さんの著作が大好きで、新しい本が出れば必ず買って読んでいた。特に『ハーメルンの笛吹き男』にはかなり衝撃を受けて、なるほどこんな考え方もあるんだと目を開かされたものだ。
 その民衆の姿をできる限り生き生きと描く著作は、他の歴史書では顧みられなかったみずみずしさがあった。それまでの歴史が上段から視点で描かれたのに対して、中世ヨーロッパの民衆はどんな生活をしていたのか、そこから中世ヨーロッパの社会史を構築していく阿部史観にものすごい魅力を感じていた。
 その民衆への視点が日本にも向けられ、「世間とはなにか」に及んで、阿部さん独自の日本文化論?を展開していった。

 セミナーで阿部さんがたくさんのカードを引っ張り出し、講義をしていたのを思い出す。たぶんそのカードには講義の内容の資料がたくさん書かれていたのだろう。それを見てなんだかものすごくかっこよく見えた。いろいろな資料から抜き出されたことがそこには書かれているのだろうと思ったのだ。
 これからの著作も楽しみにしていただけに、非常に残念である。心よりご冥福をお祈りします。

2006年09月07日

「全国小売書店経営実態調査」その2

 もう書店組合の批判を書くのはやめようと思っていたところに「全国小売書店経営実態調査報告書」のアンケート結果が全国書店新聞に載っていた。
 もともとこの「全国小売書店経営実態調査」は組合に加入する中小書店にアンケート形式で配られ、それに答えたものが「全国小売書店経営実態調査報告書」としてまとめられたものである。実は我が社にも送られてきたのだが、もう書店業を廃業したので、捨ててしまった。
 でもこの全国書店新聞に載っている「全国小売書店経営実態調査報告書」を見て、こんなアンケートであったのかと、捨てなけりゃよかったと後悔した。というのも、このアンケートはいくつかの答えがあって、該当するものを選ぶ形式だったようで、聞いてることが、ちょっと他の業界には知られたくないなぁというしろものであった。
 たとえば、「書店の現状」のなかのアンケートで「電子機器の使用状況」というのがある。電子機器は何を使っているかと聞いているのである。で、その答えがふるっている。ファックス、パソコン、コピー機等々なのだが、ファックスが電子機器なのかと思わず考えてしまった。いくら何でもファックスを電子機器としてリストアップするのかなぁと情けなくなってしまった。まぁ、電話なんて項目がないだけでもましかと思ったりするが、それでもちょっとなぁ・・・。
 要するに組合が考えている電子機器とはこの程度なのだ。でもさすがファックスは93.2%も所有しているので、少々安心したりする。でもこのIT時代にこの程度のインフラしか用意されていないことを恥ずかしく思うべきで、これじゃ今の時代中小書店が生き延びていくのは難しいのではないかと思っちゃう。
 ちなみにパソコンは71.8%と所有しているけど、そのパソコンを何に使っているかといえば、書籍の検索77.3%、受発注管理60.4%、出版社・取次の在庫情報確認が57.4%と続く。要するに情報を得るために使われている。誰だっけ?書店は情報発信基地であるべきだなんて言った奴。ちっとも情報を発信などしていないのだ。ちなみにホームページ管理・運営が22.3%、電子商取引(この言い方も何か変だけど)が9.5%しかない。
 このアンケートの結果をどのように生かしていくのか知らないけど、もう少し組合あげてインフラの整備を急ぐべきではないかと思う。

2006年08月31日

北海道書店商業組合編『中学生はこれを読め!』

2006_08_31_01.jpg


 昨日本屋タウンから本が入荷したという連絡メールが入った。注文したのは例の『中学生はこれを読め!』(北海道新聞社刊)である。さっそく有隣堂に取りに行く。
 注文してから約2週間で入荷である。その間お盆休みも入っているので、まぁ早い方だろうと思う。少なくと3週間待って、手配できなかったという返事をもらうよりも、2週間待って本を手に入れた方がうれしいに決まっている。セブンアンドワイよ、よく覚えておけよ!

 さて、この本だけど、どうして私がこの本を見てみたいかと思ったかといえば、くすみ書房さんが始めたこの「中学生はこれを読め!」の内容を詳しく知れればと思ったからであった。
 しかしこの本(本といってもブックレットみたいなものだのだが)が北海道書店商業組合が出したと聞いて、ある程度予想していたことが当たってしまったようだ。
 つまりこの本のほとんどが「北海道の書店員おすすめの120冊はこれだ!」にページが費やされていて、くすみ書房さんの「これを読め500選 いま、この本を読もう!」が最後にリストとしてあるだけなのだ。何となく分かりません?くすみ書房さんが始めたこのイベントが新聞に掲載され、全国的に話題になったので、北海道の書店組合がそれに便乗して、北海道の書店員に声をかけ、おすすめ本出してもらい、この本にしてしまったのだ。つまり私が期待した内容とはまったく違うものになってしまったわけだ。
 で、この「北海道の書店員おすすめの120冊はこれだ!」を見てみると、たとえば北海道の書店員を東京の書店員に変えても、たぶん同じ本を、おすすめ本としてあげるだろうという感じなのだ。これが「ほほう!さすが北海道の書店員がすすめる本だ」というのが1冊でもあれば、読む価値があるのだけど・・・。挙げ句の果てに、北海道の書店の紹介や書店員の顔写真(しかし本屋ってどうしてこうぶっさいくな女性店員が多いのだろうか?)が掲載され、うざったいたらありゃしない。
 ここまで便乗するなら、せめて北海道でおすすめの本というのがあってもいいような気がする。苦労して手に入れたのにこれじゃ何にもなりゃしない。
 くすみ書房さんが始めたこのイベントが全国の本屋さんでもやってみようということになりつつあるというのを書店新聞で読んだ。でも、せっかく全国展開するなら、何も金太郎飴みたいに同じ本の紹介などやっても面白くない。その地方地方の面白本でも紹介してくれればいいのにと余計なことを思った次第だ。

2006年08月17日

セブンアンドワイで本は注文しない方がいいよ

 くすみ書房さんの『中学生はこれを読め』という本ををセブンアンドワイで注文したことは以前書いた。ネットで注文したのが先月の25日。まぁ出版社が北海道新聞社だから時間がかかるのは仕方がないとは、ある程度覚悟はしていたが、あまりにも遅いので、ここのところ毎日専用の「お届け状況ページ」を開いて、いったいどうなっているんだと思っていた。525円の安い本だからあまり真剣なってないんじゃないかという疑問さえ浮かぶ。
 そうして今朝又日課みたいに「お届け状況ページ」を開いたら愕然とした。なんと「お届け状況」に「お取り消し」となっていて、書名に取り消しの線が引かれている。なんだこれ?


2006_08_17_01.jpg


 詳細を確認したら、「大変申し訳ございません。出版社・メーカーから取寄せていましたが、商品を確保することができませんでした。誠に勝手ながらご注文をお取り消しとさせていただきます」となっている。


2006_08_17_02.jpg


 いったいどういうことなんだ。そもそも「取り消し」ってどういうことなんだ!お客の側が取り消しするなら、よくある話だけど、受け手側が、注文主の意向を無視して取り消しとは、あまりにも横暴じゃないか!文句を言ってやろうと思ったのだが、待てよ、こういうことって私だけでなく他にもたぶんあることかもしれないと思った。そのためセブンアンドワイは自衛策を講じているはずだ。で、利用規約を見てみたら、ありました。第16条 商品等に関する免責の3に次のような記述がある。
「弊社が利用者から承ったご注文商品について、弊社または出版社等の在庫状況の変動等により品切れや入手不可能となった場合、弊社より当該ご注文を解除できるものとします。ただし、複数冊ご注文いただき、その一部の商品が手配不可能となった場合は、その商品のみご注文を解除するものとします。」
 だから私が文句を言ったら、これを盾にちゃんと利用規約に書いてありますよと言うんだろう。つまり自分のところの横暴な行為を正当化できるようにしてあるのだ。
 だったら、在庫確認を25日にしておいて、3週間後、品切れのため取り消しとは、あまりにも返事が遅すぎるのではないか。
 しかも昨日までは、7月25日の「出版社・メーカー在庫確認」から矢印がのびていて、集品、最寄りのセブンイレブンへとなっていて、「もうしばらくお待ち下さい」となっていた。(その画像をとっておけばよかった)
 しかしこのように今日になって7月25日に「品切れのため取り消し」の画面になっているのはどういうことなだろう。確かに品切れは出版社の事情にあるにしても、在庫のあるなしの確認はそんなに時間のかかるもんじゃないだろう。もしこのように7月25日に品切れが分かっていたら、私は他をあたることだって出来たのである。3週間も待たなくてもよかったかもしれない。
 少なくても今日になって7月25日の品切れ通知はおかしい。あまりにもいい加減すぎないか!天下のセブンイレブンが平気でこういうことをするんだなと思った。
 ネットでの商売には便利であることはもちろんだけど、実体のないものだから余計に信頼性というのは重要なことじゃないかと思う。こんなことをしていて信頼性などありゃしない。思わず東販にいた鈴木さんにあんたこんなことしていていいの?と聞きたくなっちゃう。あなたならこういう行為がとんでもないことぐらい分かるでしょう。ちょっと前の書店新聞で鈴木さんがネットでの本の管理を訴えていたシンポジウムの記事を読んだけど、あんたまずは自分の足下をきちんと見ないと、言っていることが絵に描いた餅になっちゃうよ。
 所詮本の取引を片手間でやっているからこんなことを平気でやれるのだろう。多分アマゾンじゃこんないい加減なことはしまい。
 で、仕方がないので、もう一度「本屋タウン」で検索してみたら、ヒットした。最初はこの『中学生はこれを読め』を検索したら、データがないと出た。多分地方の出版物だったため、データに載せるのに時間がかかったのだろう。もう一度ここで注文する。受け取りは有隣堂だ。果たして有隣堂はどうだろうか?

セブンアンドワイで本は注文しない方がいいよの続きを読む

2006年08月09日

神保町界隈の地図の載ったブックカバー

 辻井喬さんの『父の肖像』を読み終えた。645ページの分厚い本だ。例によって市販の合皮のブックカバーをかけてみたが、この本があまりにも厚いので、本の裏表紙にわずかしかカバーがかからない。まぁ気にしなければ別に問題はないのだけど、どうも不安定だ。仕方がないので有隣堂で買った本につけてもらったカバーを引っぺがして再利用する。やっぱり紙のカバーは手にしっくりくる。きちんとテープで留めるので、カバーが外れる心配もない。つくづくブックカバーは紙の方がいいなぁと思っちゃう。
 そういえば、三省堂で三浦しをんさんの本を買ったら、神保町界隈の地図の載ったカバーをかけてくれた。

2006_08_10_02.jpg


 本のカバーにもはいろいろなデザインがあって、コレクターがいるのも分かるような気がする。今回の神保町界隈の地図の載ったカバーも面白い。
 このブックカバーの地図はJRお茶の水駅から北の丸公園まで網羅してあり、神保町の古本屋、お店が中心に載っている。でも、うちのお茶の水店はない。和同会薬局やコトブキ調剤薬局の名前はあるけど・・・。このカバーの左下にこの地図は株式会社第一通信社というところが制作したものをブックカバーにしているので、おそらくよく町中にある道路案内の会社が作ったものだろうか?だとすれば、お金を払わないとお店の名前は載せてくれない。うちはそんな広告費は出さない主義なので、当然掲載されないから、当たり前か!うむ~、残念!

2006年07月26日

セブンアンドワイで本の注文をしてみる

 北海道新聞社の『中学生はこれを読め!』が出版された。例のくすみ書房さんがリストアップしたパンフレットを北海道書店商業組合編で出版したものである。ネットでもこのリストは見ることもできるが、実際本として出版されたものを見てみたいと思ったのだ。
 しかしこの北海道新聞社の本をどうやって手に入れるかである。今日書肆アクセスに寄って在庫を聞いてみたが、まだ入荷していないという。なかなか北海道の出版社の本を東京で手に入れるのは難しい。
 でも、ネットが普及した時代である。ネットで直接北海道の出版社に注文できることはできる。しかしこの1冊を手に入れるために、代引手数料200円と送料300円がかかる。確かに北海道から私の手元に来るわけだから、それなりの送料がかかるのはやむを得ない部分がある。けれど本の定価が525円なのに送料が代引手数料含め500円かかるのはどうもなぁと思っちゃった訳だ。アマゾンでも注文できるのは分かっていたが、とりあえず他に欲しい本がないから、これ1冊だけでいいのだ。こういうとき手数料というのは考え物だ。まして本代と同じくらい送料がかかってしまうわけだから余計である。
 で、セブンイレブンで注文したのだ。近所のセブンイレブンで受け取れば送料無料なのだ。どうせ毎日通勤時に店の前を通るのだから、これを使わない手はない。さっそくネットでセブンアンドワイで注文した。便利なもんだ。しかも商品が「到着する前日」になったら、到着予定日をメールで知らせてくれるのだ。後はこの控えを持って525円だけ支払えばいいのだ。もちろん今注文した本がどの流通過程あるのかも分かるからうれしい。この控えにはバーコードが印刷されており、多分お店ではこれをスキャナーで読み込んで簡単に会計ができるようになっているのだろう。すごいものだ。

2006_07_26_01.jpg


 欲しい本をどうやって手に入れるか、今は書店だけでなくネットという媒体を使って一番いい方法が選択できるのは面白い。これからもいろいろな方法で本の注文をやってみたい。

2006年07月05日

「全国小売書店経営実態調査」

 全国書店新聞の2006年7月1日号に、「全国小売書店経営実態調査」の調査結果が掲載されている。予想通り、経営状態が悪化していると感じている書店が「悪くなった」62.5%、「やや悪くなった」23.1%と経営状態の悪化を全体の85%以上が感じていることになる。
 その理由の最大の原因が「客数の減少」が84.2%と突出して高く、次いで「大型書店の出店」が44.7%、「立地環境の悪化」が40.0%、「ベストセラー・売れ筋商品の入荷難」が35.2%となっている。つまり自分のところは悪くなく、外的要因が原因だといっているわけだ。
 そして日書連に望む対応が、「書店マージンの拡大」が59.6%で、次いで「客注品の迅速確実化」が51.4%、「出版物再販制の擁護」が44.9%、「適正配本」が40.3%となっている。

 面白いのが、この「全国小売書店経営実態調査」の回収率である。組合員6,949名に対して回収数が2,028票の29.9%しかないということなのである。7割がこの「全国小売書店経営実態調査」を無視したか、意味のないものとみたか、とにかく協力しなかったということなのである。「全国小売書店経営実態調査」という全国が聞いて呆れる。
 何でこうなるか?簡単である。アンケート調査票を組合員に郵送して、送り返してねという手の抜いたことをやったからである。日書連が本当に全国の書店の実体を知りたいと思うなら、日書連幹部自ら赴いて、全国の書店を調べるべきなのである。それでなくとも家族総出で朝から晩まで働いている書店が、こんなことに関わっている時間なんかあるわけがない。こんな調査票を書くなら、返品伝票を書いた方がはるかにましだ。(今は無伝票だから、返品伝票は書かなくてもいいのだけど、それでも1冊でも返品を作った方がましだ)それで出てきた結果がこれで、経営が悪化したのは人のせいにして、改善するには自分の力ではできないから、問屋や出版社に頼み込むしかないのである。呆れちゃう。
 ちなみに日書連に希望することとして「情報化の推進」は10.2%、「書店人・従業員の教育・研修」は7.3%、「協業化の促進」は4.0%しかない。

 一方でこの新聞には北海道のくすみ書房さんの「中学生はこれを読め!本屋のオヤジのおせっかい 札幌から全国へと拡大」という記事も掲載されている。遅いちゅうの!このくすみ書房さんのことは先日朝日新聞に掲載されていたのを、私は書いた。今頃業界の新聞がくすみ書房さんのことを記事にするのは、どういう神経をしているんだろう。こうした成功例をどんどん掲載して、他の書店経営に参考になるよう業界新聞が率先して記事にして知らすべきだと思うのだが、どうだろう?
 まぁ、取材記事なので読んでみた。読んでみたさすがだなぁとあらためて感心しちゃった。「中学生はこれを読め!」という独自の企画以外にも、「なぜだ?売れない文庫フェア」なんていう売れ筋ランク外の文庫フェアもやっているらしい。その結果売れない文庫が売れ始め、前年比20%減の売上が15%増に転じたという。またこれ以外にも「名作をBGMに」と店内で岩波文庫の朗読会もやっているという。なんだかジャネット・ワトソンのブック・アンド・カンパニーというニューヨークで最も愛された本屋さんのことを思い出しちゃった。この本屋さんのことはリン・ティルマンの『ブック・ストア』(晶文社刊)に書かれている。
 くすみ書房の久住社長は言う。「身の回りにいくらでもチャンスはある。見つけたらすぐ実行。実行し始めたらヒト・モノ・情報・・・すべてが集まってくる。いま町の本屋さんが元気がない。こんなときこそ誰もやらないことをやる勇気が必要」と。まったくその通りだと思う。

 私は本屋さんの組合活動に基本的に疑問に思っている。だから何度も批判してきた。何度か書店組合の千代田支部の会合に出席したこともある。確か書泉さんの秋葉原出店に対して、組合に何とかしてくれと頼んだと思う。当時として情けない話ではあるが、自分のところでは書泉さんの出店に対して対抗策がなかったし、能力さえなかったから、組合に何とかしてくれと頼み込むしかなかったのである。(だから最終的に本屋を撤退せざるを得なかった。それまで競合店がなかったことでのほほんと本屋を続けていたつけが回ってきたのである)
 でも、最終的には書泉さん出店を認めざるを得なかったし、せいぜい営業時間の短縮ぐらいしかできなかった。
 今にして思えば、書泉さんが秋葉原に出店することは自由だし、規制する理由なんてない。そんなことより、こうした大書店の出店に対して、中小書店が団結してどう生き残っていくか、そのことを真剣に考えるべきだったのではないかと思うのだ。中小書店が組合を通して一つにまとまって、それこそ中小書店のまとまりが大書店のような機能を持てるようにすればいいのである。資本力の小さな書店が大書店に立ち向かうことなど、所詮無理な話だ。だけどそれぞれのお店がまとまって一つの機能をもった書店になれば、十分対抗できるし、いまだに大書店の出店に対して悩まされている中小書店があるのだから、余計にそうすべきであると思う。
 そのために書店組合に望むべきことは、「書店マージンの拡大」とか、「客注品の迅速確実化」とか、「出版物再販制の擁護」、「適正配本」とか目先のことばかりじゃなくて、「情報化の推進」、「書店人・従業員の教育・研修」、「協業化の促進」を最優先にやらなければならないと思う。
 年会費を何万円もとっておいて、その会費を納涼大会や観劇会などに使ってしまっているようじゃお話にならない。いい加減に目を覚ますべきだ。

2006年06月01日

東京都書店商業組合の「第30回通常総代会資料」

 東京都書店商業組合の「第30回通常総代会資料」を手に入れた。この中で「事業報告書」が興味がわく。

2006_06_01_03.jpg


 以下私が興味を覚えた部分を書き出してみる。

ネット書店の市場規模は2000年の約70億円から20004年に420億円に成長し、2005年は500億円を越えるのが確実視されている。

アマゾン上陸の2000年から5年間の書店倒産件数は204件、書籍販売市場は2.2兆円~2.3兆円とほぼ横ばいだが、倒産数はその前5年間より5割ほど増えた。その倒産は資本金1億円未満の小規模店が大半

出版物の売上額がマイナスに転じたのは1997年で、2004年には『ハリー・ポッター』の5巻が出版され一時持ち直したものの2005年再度マイナスにとなり、2兆1,964億円に落ちた。これは15年前の水準。ところが、書籍の刊行点数は増え続け、2005年は7万6,528点(前年比2.6%増)で、1990年の倍近く増えている。売れないのに数だけ増える現象は、減る売上を点数でカバーしようとする「自転車操業」の状態に陥っているため。このことは本の洪水の弊害を招き、書店に新しい本が溢れ、1冊の本が棚に並ぶ期間が短くなる、本の短命化を招いている。そしてこのことは大量の本が置ける巨大書店を生み、オンライン書店を成長させ、街の本屋さんを廃業に追い込む一因となっている。

書籍の推定販売金額は9,197億円、前年比2.5%減。(これは前年がハリー・ポッターなどの発売で好調であった反動)実際は2003年の水準。推定販売部数は7億3,944冊。

2005年ベストセラーは『頭のいい人、悪い人の話し方』、『さおだけ屋はなぜ潰れないか』、『下流社会』、『バカの壁』、『靖国問題』、『ワルの知恵本』、『野ブタ。をプロデュース』、『生協の白石さん』などで、価格が1,000円以下の安価な本が売れ行きが好調。このことは販売冊数に比べ販売金額が伸び悩む現象となる。新刊の平均価格は1,191円となり、2004年より26円(2.1%)下落した。

書籍返品率2.0ポイント増の38.7%で2003年の水準に戻った。

新刊1点あたりの発行部数は5,200冊で、前年比で100冊減少しており、「点数増・部数減」の傾向は変わらない。

雑誌(月刊誌、週刊誌合計)の推定販売金額は1兆2,767億円で、前年比1.8%減と8年連続マイナスを記録した。要因は長期不況、中小書店の廃業、インターネットやフリーペーパーの普及、若者人口の減少、商材不足などがあげられる。内訳は月刊誌が0.1%のマイナス(ただしコミックもこれに含まれ、これの好調に支えられていて、雑誌そのもは依然振るわない)の9,905億円。週刊誌は7.1%のマイナスの2,862億円。

雑誌の返品率月刊誌が1.0ポイント前年より増加して34.4%、週刊誌は1.5ポイント増加して27.3%となった。

月刊誌の発行部数は推定で0.3%のプラス。週刊誌は5.0%のマイナス。増刊号、別冊、ムック等は5.1%のマイナス。

付録は別添・綴じ込みとも増加し、年間実施回数は9,000点になり、定期雑誌のほぼ半数が何らかの形で付録を付けたことになる。

創刊・復刊は前年より15点少ない201点だが、2号以降振るわないケースが殆どであった。ただパズル雑誌の創刊・復刊19点と空前のラッシュとなり、総銘柄数77点となった。

休刊・廃刊が140点で、モーター誌、パソコン誌、ティーン誌が多く占めた。

 と、まぁこんな感じで2005年の出版業界、書店業界を総括している。要するにいい話はないということである。本が売れないのに出版点数は増えている状況は、書店に本があふれ出ることを意味し、店頭に並ぶ時間が短くなってしまい、欲しいときにはないということにもなるし、発行点数が多くても、部数が少ないという「点数増・部数減」の傾向は中小書店には新刊が回ってこない状況を生みだす。一方でネット書店は本を店頭に置くということがないだけに、点数の多さをカバーできる。ロングテール現象を起こしても、かえってそれが売上に貢献することになるから、ネット書店が伸びるのもうなずける。
 雑誌の売上低迷は確かにネットの普及、R25に代表されるフリーペーパーの普及が大きくひびいているだろうなぁと思う。実際木曜日の帰りの電車内でR25読んでいる人が多い。ただより安いものはないからね。
 週刊誌が大きく低迷している原因として中小書店の廃業をあげているが、確かに中小書店はよく週刊誌を売っているからだろう。週刊誌を発行している版元はこのあたりをよく考えて、中小書店の支援を考えないといけないのではないかと思う。
 雑誌が売れないから付録を付けて何とか読者の関心を向けさせようとしているのだろうが、それは結局中身が薄っぺらだと自分でいっているもんじゃないかと思っちゃうけど、どうだろうか・・・。定期雑誌のほぼ半数が何らかの形で付録を付けているということは、それだけ書店に付録をとじさせる余計な作業を強いていることも知ってほしいもんだ。
 しかし、この「事業報告書」、誰が書いたのか知らないが、ここにあげられているデータのほとんどが、新聞報道や他の団体が出した数字をあげて書かれているのが気になる。 今時リアルタイムで自分のところの営業成績が分かる時代である。少なくともこの資料はこれら新聞報道や他の団体がデータが出なければ自分では書けないことになる。書店組合が自分のところのデータを自分で把握していない証拠であろう。情けないといったらありゃしない。自分の団体の資料を自分で抑えられない団体って、いったい何なのだろうか?組合員が減少していることを嘆く前に、今現在、組合員(中小書店)が置かれている現状を把握できないのだから、対処のしようがないのではないか?おかしな団体である。

2006年05月27日

Movable Type 3.2にバージョンアップ

 ここのところ、いたずらの書き込みや、トラックバックに悩まされていると書いた。とりあえず応急処置としてトラックバックの休止をして、やたら打ってくるトラックバックに対処した。
 書き込みは私の許可がないとこのブログには掲載されないので、まず無視することにして、後で削除していた。
 昨日もトラックバックができないからか、いたずらの書き込みが数件あった。それを管理画面から一気に削除する。まるでゴキチャンがたくさん入ったゴキブリホイホイをごみ箱に捨てるような爽快な気分にはなるのだが、いつまでも同じ事ばかりしてられない。もともと非建設的な作業なので、できればこんな無駄なことはしたくはない。
 ということで、Movable Type が3.2にバージョンアップをすることにした。昨日からあれこれやって、やっとバージョンアップに成功する。やっぱり私には難しかった。それでもなんとか形まではできあがったので、後はかっこいいスタイルを決めて、いい感じのものにしたいと思っている。
 このブログに訪れている方には「あれっ?」と思われるかもしれませんが、ただ今鋭意工夫中ということでご勘弁下さい。

2006年05月07日

「中学生はこれを読め!」

2006_05_07_01.jpg


 昨日の朝日新聞に久しぶりに面白い本屋さんを紹介していた記事があった。
 札幌市の「くすみ書房」の久住邦晴さんは「最近の中学生は本を読まないと言うが、うちには彼らのコーナーがなかった」と気がつき、お薦めを500冊リストアップし、「本屋のオヤジのおせっかい 中学生はこれを読め!」と手作りのカードをつくってアピールする。
 これが話題を呼んで、北海道では街の小さな本屋からチェーンの大型書店まで60店、静岡では130店が参加。愛知は10月から約100店で展開する見通しになったという。
 こうした発想になったきっかけは、中学生が本屋に来ないのは中学生用のコーナーがないからで、自分たちが悪いからだと、その発想を逆転させた。そして持ち帰りできるリストを店に置き、推薦本に共通の帯を巻く工夫をする。この結果、顔見知りの常連も増え、リストを手にした親や教師から、「お薦めは」と聞かれるようになったというし、青森県や群馬県の中学校や図書館からも「使わせてほしい」とのメールが来るようになったという。ネットでも紹介されているから、是非見てみて欲しい。URLは下記の通り。

http://www.k2.dion.ne.jp/~sa-shibu/

 リストを見てみると、児童書から、一般書まで幅広い。どこかの団体が推薦する本と違い、リストを見ているだけで、この人の読書経験が生きているようで面白い。ただどこどこの団体が「推薦する本です」と読んだこともないのに、いい本ですなんて店頭に並べるのと違い、やはり自分が読んでよかった、面白かったというしっかりしたものがあるから、なるほどと思わせるものがある。
 又店主自ら自分で読んだ本だから、自信を持って人に薦められるであろうと思う。このあたりはしっかりと地に足をつけている分強みがある。

 全国書店新聞の4月21日号に日書連加盟の組合員が今年4月1日の時点で355店減って全国で6、683店になって、20年前の半分になった(ピークは昭和61年の12,953店舗あった)という嘆きの記事が載っていたが、売れないでつぶれていくのは、エロ本やコミックといった簡単に売れる商品しか置かないから、どんどんじり貧になっていくためであって、この「くすみ書房」みたいな、何故売れないのか、よく考え、それに対処する工夫がないからではないかと思ってしまう。
 本屋さんだって、やはりお店の経営者の資質や読書経験が問われて当たり前で、ただ単に本を並べりゃいいというもんじゃないと思う。

2006年02月26日

『LOVE書店!』

2006_02_26_02.jpg


 あなたをもっと本好きにする、書店員がつくるフリーペーパーとして、『LOVE書店!』を手に入れた。
 これを手に入れて知ったのだが、本屋大賞実行委員会は、長期的に安定した活動を目指し、その活動理念に添うNPO法人となったそうである。それからこのフリーペーパーがたぶん生まれたのだろう。
 しかしこの『LOVE書店!』を見てみると、どうも『本の雑誌』のフリーペーパーみたいな感をぬぐえない。確かに最初は本屋大賞は『本の雑誌』から生まれたわけだから、仕方がないにしても、こうしてNPO法人となった以上、そろそろそこから脱却した方がいいのではないかと思う。
 せっかく現場書店員から、既存の文学賞(特に直木賞がおかしい)という声が上がって作られた賞なら、どこかに偏ったところがあってはならないのではないかと思う。あくまでも書店員がつくることを徹底してもらいたいものである。だからNPO法人になって独立したことはいいことではないかと思う。
 この『LOVE書店!』がもっと面白くなって、内容のいいものが出来ること期待したい。URLは以下の通り

全国書店員が選んだ いちばん!売りたい本 本屋大賞

 http://www.hontai.jp/