2012年01月23日

面白アイテム2点

 新潮文庫のYonda?ClubでZipper付きブックカバーがもらえることを知って、昨年応募してみた。応募したことを忘れていた頃、それが届く。「ネオプレン製で軽くて使いやすい。ジッパー付きで本も傷まないスグレもの」とネットに書いてあった。私は黒を申し込んだ。なかなかしゃれている。確かに面白いといえば面白いし、しゃれているといえばしゃれているけれど、わざわざ文庫をジッパー付きのカバーに収めるのはどうなのか、と思わなくもない。どこか気障な感じがしてしまう。今回は試しに付けてみたまでである。


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 もう一つ面白アイテム。これはブックオフにあった。私は司馬遼太郎さんのものを一つもらってきたが、そこには池波正太郎さん、藤沢周平さんの三つがあった。このように折りたたみ式になっている。


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 中を開くとこのようになる。


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 作家目録として司馬さんの場合300冊このリストに載っていて、これを全作品制覇しようということらしい。ということで私の記憶にある読んだと思われる本にチェックを入れてみたのだけれど、まだまだ未読の作品があるもんである。中には蔵書として持っているが、まだ読んでいない本もある。なので、これから先もう少しチェックの数は増えそうだ。
 ただこれ全部ブックオフで揃うのかな、と疑問も残る。読んでいないから読んでみようと、ブックオフに行っても手に入らない可能性の高い本もある。まぁその時は新刊書店で買えばいいだけのことなのだが・・・。
 でもこういうのは面白い。この三人だけでなく、他の作家さんもやってもらいたいな。チェックリストというのは案外役に立つものだから。

2011年10月22日

えどコレ

 江戸川区の広報に江戸川区名産品として「えどコレ」というのが掲載されていた。何だろうと思い記事を読んでみると、江戸川区に住んでいる伝統工芸品の職人さんが作ったものを、ネットで販売しているという記事であった。そしてそこにブックカバーもあり、これは面白そう、いいものがあれば欲しいなと思ってサイトに行ってみた。そこには日用雑貨からファッション、インテリア、小物と伝統職人がその技術を生かしながら作られたものが掲載されていた。


えどコレ!〔江戸川区名産品〕


 私はとにかくブックカバーにしか興味がないので、そこを見てみた。粋なデザインのカバーがあってこれはよさそうだ。材質は布の裏に和紙を張り付けたもので、「裏打ち」という技術で生まれたものらしい。これは表具(書や絵画を鑑賞したり保存するために生まれた東洋の文化で、作品に布や紙を張り、掛け軸、巻物、屏風、襖などに仕立てたもの)を作る過程で作品の裏に和紙や布で補強する技術だそうだ。さっそく気に入ったデザインのブックカバーを二つ注文してみる。


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 なるほど、紙のようで紙でない。布のようで布でない不思議な感触である。でもどちらかというと紙に近い感じで、これで強度はどうなんだろうと不安になるが、何せ伝統工芸である。そんなちゃちなものじゃないんだろう。デザインも色も気に入ったので、これが長持ちすればいいなぁと思う。ちょっと文庫を持ち歩くのが楽しくなりそうである。

 最近メイド・イン・ジャパンに興味がひかれている。ことの発端は毎日仕事に持って歩く鞄である。この鞄はヨドバシのパソコンバック売場で買った。極端に安物じゃないが、けれど高かったというものではなかった。主にサイズだけを考えて買った。値段からすれば多分中国製か東南アジア製のものだろう。
 ところがこの鞄、根性がない。パソコンバックではあるが、もう少し堅さがあるものだと思っていたのに、置くとヨレヨレになってしまう。鞄の体をなさないのだ。やっぱりちゃんとしたものを買った方がよかったのだ。一応ビジネスバックも兼ねると書いてあったから買ったのに、これじゃずだ袋みたいだ。
 で仕方なしに、鞄を買い換えることにして、物色していた。まぁそんなに高いものは買えないけれど、ほどほどの値段で、ある程度がっしりした上に軽いものがいい、と思っていた。
 たまたま近くのヨーカー堂にメイド・イン・ジャパンの鞄コーナーがあり、高いんだろうなと思いつつ、見てみるとそれほどでもない。しかも作りがしっかりしているし、軽い。さすがメイド・イン・ジャパンである。これはいいと思ったものを買った。これが今、気に入っている。
 値段的に素材はどこまでメイド・イン・ジャパンか疑わしいけれど、作った人は写真があったので間違いなく日本人の方だろう。そこまで疑う必要はあるまい。天下のイトウヨーカー堂がいい加減なことはしないだろう。少なくとも堅さもあって、軽いのはいい。
 ということでやっぱりメイド・イン・ジャパンは違うな、と実感していたところなので、この記事を読んで、どうしてもこのブックカバーが欲しくなっちゃったのだ。次に文庫本を読む時が楽しみだ。

2010年10月25日

ヤマザキマリ著『テルマエ・ロマエ』 〈1〉〈2〉

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 ローマ帝国皇帝ハドリアヌスは五賢帝の3人目の皇帝で、所謂Pax Romana (ローマの平和)と呼ばれる時代の一時代に君臨した皇帝であった。また彼の前の皇帝トラヤヌス帝の統治時代にはローマ帝国の領土が最大となった。ハドリアヌス帝はそんなローマの偉業が華々しい、平和な時代に華麗な建造物を各地にいくつも建てた。
 そんな時代に一人の浴場技師ルシウス・モデトゥス(このマンガの主人公)が作る浴場建築は、華麗で華々しい建築物に慣れてしまったローマ市民にとって、古臭いものであった。彼は自らアイディアが受け入れないものであることに傷心し、ローマの浴場につかっているときに、現代の日本の銭湯や露天風呂、あるいは家庭の浴槽にワープしてしまう。
 彼は自らがいるローマ文化は他の民族の文化など話にならないほど偉大であることを自負している。それが日本の風呂文につかると、ローマははるかに及ばないと愕然とするのである。ここが面白い。普通自らの文化に絶大なる自信を持っている人物なら、当然他の民族の文化全体と比較して、その優越感を感じるものだろう。たかが風呂文化だけを取り上げて、ローマ文化よりはるかに進んでいると感じてしまうところが、可笑しい。
 ルシウスは日本の銭湯にワープして、壁に描かれた富士山を見てヴェスビオス火山と勘違いし、銭湯に来ている平たい顔族(日本人のこと)のオヤジに瓶詰め牛乳を勧められ、そのうまさに感動する。しばらくしてローマに戻る。そしてそのアイディアを使って、ローマにヴェスビオス火山描いた浴場を建設する。湯上がりの後は牛乳を提供するアイディアももちろん使わせてもらう。その斬新なアイディアが受けて、ルシウスが作った浴場は話題を呼ぶことなった。
 その噂を聞いたローマの年老いた執政官はルシウスを呼び出し、大好きな風呂を作ってくれと依頼される。ルシウスは広大な館のある敷地を調べているうちに温泉が湧いていることがわかり、そこにつかっているとまた日本の露天風呂にワープしてしまう。そこにいる平たい顔族は露天風呂つかりながら酒を飲み、温泉卵食べている。ルシウスはそのうまさに感動する。そしておきまりのパターンでローマに戻り、その執政官の敷地に露天風呂を作り、酒を提供し、温泉卵を執政官に食べさせることで、執政官の健康を回復させる。
 あるいは日本の家庭の風呂にワープしてしまい、シャンプーハットの便利さ、垢すりタオルに感動し、そのアイディアもローマに持ち帰る。ますますルシウスの作る浴場は話題になり、今度は皇帝ハドリアヌスに呼び出される。そして兵士たちの傷を癒す風呂を作ってくれと頼まれると、今度は日本の湯治場にワープしてしまう。もちろんそのアイディアも使い、ハドリアヌスの寵愛を受けるようになる。
 一巻目はそんな忙しい日々を過ごすルシウスは妻に逃げられるところで終わる。しかしルシウスが作る浴場はどんどん話題を呼び、今度はローマ市民に喜ばれる浴場を作ってくれと、ハドリアヌス帝に頼まれる。アイディアに困っていると、今度は日本のヘルスセンターやレジャーランドにワープし、その楽しさに感動し、そのままロー市民の憩いの場としての浴場を作り更に話題を呼ぶ。
 そうなると今まであった個人が経営していた浴場が廃れていく。その実情を知らされたルシウスは今度はその個人経営の浴場のために一肌脱ぎ、またまたワープして日本の銭湯が取り組んでいる銭湯離れを回復すための運動をそのままローマに持ち込み、窮地に陥った個人経営の浴場を助ける。
 二巻目はそんな時代の寵児になったルシウスをねたむ人物に命を狙われるところで終わる。
 今は二巻目までしか出ていないので、今後どうなるか楽しみではある。しかし毎度毎度同じパターンで日本にワープし、日本の風呂文化に感動し、それをローマに持ち込む話の展開は、確かにふざけていて面白いのだが、これがずっと続くと多分マンネリ化してしまうのではないか、という恐れがある。このやり方で話を続けるには、どこか変えないとつまらなくなりそうな予感がしないでもない。
 でも今のところ、話のアイディアは奇抜で面白い。結構笑わせてもらった。ローマの風呂文化と日本の風呂文化をうまくつなげてこんな話が出来るとは思わなかった。
 このコミックの一話一話終わるごとに、著者の「ローマ&風呂、わが愛」というエッセイが載せられていて、これが蘊蓄があって良い。その一つ。

 ハドリアヌスの生きた紀元2世紀の前半辺りでは、ローマ市内だけでも大きな浴場で11ヶ所(これの殆どが皇帝の建てた公共大浴場)、個人経営などの小さな浴場が約1000ヶ所ありました。これだけ沢山の浴場がローマの街の中に存在し得たのは、高度な水道技術でローマ市内に周辺の水源から大量の水が引かれていたからなのです。

 なるほどね。主人公ルシウス以外、たとえばハドリアヌスのまわりにいる登場人物は調べてみると、どうやら歴史上存在した人物らしく、一応話の時代考証はきちんとしているようだ。
 そうそう、ローマの垢すりとは金属で出来ていたらしく、垢すりベラ「ストリジル」という。遺跡でも発見されているようだ。これはちょっと痛いんじゃないだろうか?
 二巻目の最初にワープするのは日本の「男根崇拝」の祭りなのだが、ローマにも豊穣と魔除けとして男根をかたどったものが数多くポンペイの遺跡から発掘されているという。著者の「ローマ&風呂、わが愛」ではローマは日本同様多神教の国だったので、そうした土俗の信仰も長く残されていたのだろうといっている。そしてこれもお決まりのキリスト教が広まるとそうした土俗信仰が消えていったのではないかといっているのが、多分そうなんだろう。
 ちなみに、著者のヤマザキマリさんはなかなかユニークな経歴の持ち主のようで、イタリアの陶芸家の孫と結婚し、中東やイタリアポルトガルで暮らしていたようだ。その暮らしぶりもコミックで描かれているようで、ちょっと読んでみたい気がする。こんなギャグ漫画を描けるのもそうした背景があるからだろう。


書誌
書名:テルマエ・ロマエ 〈1〉
著者:ヤマザキマリ
ISBN:9784047261273
出版社:エンタ-ブレイン (2009/11 出版)(発売:角川グル-プパブリッ)Beam comix
版型:138p / 19cm / B6判
販売価:714円(税込)


書誌
書名:テルマエ・ロマエ 〈2〉
著者:ヤマザキマリ
ISBN:9784047267701
出版社:エンタ-ブレイン (2010/09 出版)(発売:角川グル-プパブリッ)Beam comix
版型:173p / 19cm / B6判
販売価:714円(税込)

2010年10月18日

週刊ダイヤモンド 10/16号

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 週刊ダイヤモンド10/16号は「電子書籍入門 読み方・買い方はこう変わる!」という特集が67ページにわたって組まれている。
 今年はi-padを始め、電子書籍閲覧端末が各社発売され、「電子書籍元年」と言われている。それに伴い、今現在電子書籍はどうあるのか、何故これほど騒がれるのか、そしてそれらが今後出版業界にどのような影響を及ぼそうとしているのか、など書かれている。なかなか読み応えのある特集であった。
 で、この特集に書かれていることを咀嚼して書いてみる。
 まず、各社の電子書籍閲覧端末の発売が華々しいがゆえに、それが逆に今の日本の出版界が抱えている諸問題をあからさまにしてしまい、だからこれじゃダメなんだよ、といった具合に、そっちへシフトすべきという流れになりかねないところを業界は危惧しているのである。では今出版界が抱えている問題とは何なのか。まずはここから話が始まる。

 そこでこの特集では「本が読者に届かない」という問題をあげる。その理由がまず、書店が近所からどんどんなくなっているという現状である。2009年には370店が新しく書店が出来、1,144店が閉店した。書店はこの10年間で6,340店が廃業しているのである。これは書店の数が1日に1店舗を上回るペースで減り続けていることになるらしい。これでは休日など下駄を引っかけて本屋を冷やかしにいくということが出来なくなったことを意味する。
 一方で減ったとはいえ全国にはまだ15,000の書店がある。ところが出版社の方が編集者の企画の貧相さや、時代にマッチした企画を見出せないためか、とにかく売る自信がないため、初版部数を絞る傾向が続いている。リスクを恐れて、初版部数は多くて5,000部で、通常は2,000~3,000部しか刷らない。ということは書店が15,000店舗あるということだと、すべての書店に新刊が行き渡らないことになる。そして多くは大書店にその新刊のかなりの部数が行くことになるだろうから、中小書店にはまったく話題の新刊や売れ筋が渡らない。
 更に今の出版業界では、“委託販売”というシステムが悪循環を生んでいる。どういうことかというと、出版社が作った本はまず卸し機能を持つ取次が買い取る。その時点で出版社にはキャッシュが入る。その後本は書店に並ぶが、ここで委託販売というシステムのため、売れ残った本が返品となって逆回りする。返品の代金は取次から出版社に請求が来ることになる。だから出版社は新刊を発売してキャッシュが入ったとして喜んでいられない。今度は返品という請求が来るわけだから、ちゃんとキャッシュの確保をしておかなければならない。それを確保するために、新たに新刊を発売し、返品の請求に備えるわけだ。結局これの繰り返しが今行われているのである。よく言われる出版社の“自転車操業”はこのことである。
 この結果、年間の新刊書籍の出版点数は年々増え続け、2009年では、この出版不況といわれる中でも、78,555点となっている。ちなみに返品率は40%を超えている。
 この出版点数の増加は、読者に本を手に取る機会を短くする。というのもいくら新刊点数が増えても、書店の棚は有限だからである。決まったスペースの中で新刊増加に対応しなければならないわけだから、棚に並べても売れ行きが悪ければ、さっさと取り除かれ返品へと回る。新刊をじっくり腰を据えて売ろうなんていうことが出来ないのである。新刊の洪水に対処するには、ところてん方式で、次から次へと押し出していくしかないのである。読者は書店で見かけた時買っておかないと、次はない状態になるのである。まさしく“一期一会”の古本屋と同じ状態になっているのである。
 書店の数が減っている。新刊の部数が減っている。新刊の点数が逆に増え続けているため、有限の棚に並んでいる時間が極端に短くなっている。これが読者に本が届かない理由である。

 ところで、毎日新聞の「読書世論調査」というものがあるが、これによると、日本人が本を読むと答えた人の割合、つまり“読書率”は常に50%程度で、雑誌を合わせると75%になるという。これは1947年以来それほど落ちていないという。ということは逆に読書人口をそれ以上に増やすことが出来ずにいる、ということなのである。いくら出版点数が増えても、読む側の割合が変わっていなければ、全体のパイは増えるわけがない。新規読者を開拓できないということは、今いる読者を各出版社は奪い合っているだけのことである。

 こんな中、電子書籍の波が押し寄せてきたのである。こんな出版界の閉塞感を打ち破るカンフル剤になり得るかもしれない、というものである。電子書籍の目新しさから新規の読者を開拓できるかもしれないというのである。パイが広がる可能性がある。しかしこれはカンフル剤だけでは済まないようだ。業界全体のシステムを変えかねないのである。
 その話に行く前に今の電子書籍ブームは今に始まったわけじゃないことから始めたい。一時話題になったことがあるのである。ところがその後下火になって、なくなったものだと思っていた。
 しかしこの特集を読んで驚いた。何と今でもコンテンツは2009年で、574億円の市場があるそうだ。これは知らなかった。では今密かにある電子書籍のコンテンツとはどんなものなのだろうか?その4分の3を占めるのがケイタイ向けのコミックだという。そのコミックの中心が「ボーイズラブ」と呼ばれる男の同性愛を題材にした成年女性向けのコミックなんだそうだ。
 要するに書店の店頭ではちょっと買いづらい本なので、電子書籍としてケイタイで読んでいるということなのだ。でもその市場(すべてがボーイズラブではないだろうが)が574億円もあるとは、やっぱり驚きだ。

 この特集には図表として、今の出版業界の「モノとカネの流れ」が載っているので、これはリアルにわかりやすいので使わせてもらう。


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 つまりこの流れを維持するためには、在庫コスト、印刷コスト、物流コストがかかっていることになる。ところが一端デジタル化の置き換えられた書籍や雑誌などは、あらゆる手段で簡単に出来てしまうし運べる。今出版業界が維持しているインフラが不要になるといってもいい。それが次にあげる図表である。これは「もう出版社はいらない?」となっているが、それだけじゃない。今、著者と読者とをつなぐ業者すべてが要らなくなってしまうのである。


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 所謂「中抜き論」である。書き手が直に発信してしまえば、あとは読者に届くシステムになってしまうのである。これは大変なことである。編集者も出版社も要らない。取次だって、今は物流と金融機能を有しているから、絶大な力を持っているけれど、紙としての本を輸送するから、それが必要であって、それさえも必要なくなる。製本・印刷業者も本が紙であるから存在価値があるが、それももちろん必要ない。更に業界の末端である書店だって、もともと欲しい本が買えないのだから、こうなれば要らなくなる。
 CDショップの例がある。CDショップの場合、2000年には4億1,405万枚から2009年には1億6,247万枚まで10年6割も売上枚数が減少している。渋谷のHMVが閉店したニュースは新しいが、その理由はここにある。ネットによる音楽配信にシフトしているのだ。電子書籍の普及はこれと同じ状況を生みかねないのだ。だから業界は恐れているのである。
 しかしだからといってただ手をこまねいてるわけじゃない。電子書籍は誰でも著者になれる可能性がある。可能性を解放することは結構なことだけれど、素人は所詮素人である。今のネットの情報がそうであるように、百花繚乱の状況を生み出し、信用がおけるものかどうか疑ってかからなければならない状況が生まれてくる。だからこそ、そんな中からその質が問われ、プロの仕事して編集者が介在して、いいものを発信する仕事が介在できる。そういう編集者の存在を維持する出版社の必要性も生まれてくるのである。印刷業界、取次にしてもいいものをコンテンツとして発信すべき仕事にシフト出来る可能性があるかどうか模索している。
 では書店はどうか?丸善の社長小城武彦社長が面白いこと言っておられる。

 「丸善に来る前にネットでしか本を買わない時期があった。久しぶりにリアル書店へ行ってみてぞっとした。読んでおかなければならない本に気がついていなかった。ネットは買いたい本が決まっている場合にはいいが、新しい本と出会う場所ではない。ネット書店の限界とリアル書店の重要さにあらためて気がつかされた」

 このため、丸善ではネットとリアル書店との“ハイブリッド化”を推し進めていくというのである。
 アマゾンが強く主張していることは、kindle(アマゾンが発売している電子書籍閲覧端末)は「紙の本の売り上げを減らさない」ということだ。紙の本にkindle向けの電子書籍の部数を純粋に上乗せすることだというのだ。
 確かに先の毎日新聞の「読書世論調査」で見たように、読書人口が増えていない現状があるわけだから、電子書籍を通して、その人口を増やしていければ、丸善やアマゾンの言い分も分からない訳じゃない。しかしそれが出来る状況下にいるかどうか、すべてそこに関わって来る。中小書店はどうなるかといえば、これはかなり厳しくなる。だからといって電子書籍普及に反対といっているだけじゃ、時代の流れに逆らうだけで、いずれはその波にのみ込まれてしまうだろう。それが早くなるか、遅くなるか、分からないけれど、返品の入帳時間を短縮せよと言ってばかりいると、足下をすくわれる。もちろんそれも経営的に大切なことだろうけど、それと同時に書店が電子書籍に対してどう対応していくのか、大した意見や考えが出ていないのではないか、と思う。大書店はもうそのことを真剣に考え生き残りを考えているのに、これでいいのだろうか?

 最後にこの特集で気にかかったことを二つ。一つは電子書籍の利点として“ソーシャルリーディング”が出来ると書かれていること。
 “ソーシャルリーディング”とは「みんなで一緒に読書する」ということである。同じ電子書籍を読んでいる他のユーザーとネットを介して感想などを共有することである。更に気に入った文章やフレーズなどをツイッターでつぶやくことも可能だし、書き込まれたコメントを読むことできる。
 ここには、「何を読むかを決めずに書店を歩き、読みたい本を探し出して、読書に没頭するというには、今ではかなり贅沢な時間の使い方です。そんな孤高な贅沢な読み方ももちろん大事ですが、同じ本を他人がどう読んでいるか、感想を発表し合いながら読む『ソーシャルリーディング』も広がる」と書かれている。
 そうか、今の私みたいな本の読み方は「孤高な贅沢な読み方」なんだな、と思っちゃう。でも私は「それじゃいけないの?」という考えである。本来読書というのは一人で楽しめるものであって、一人で感じたり、考えたりすることが出来るところがいいところじゃないか、と思うのだ。私がイヤなのは、個人で楽しめるものさえ、みんなのものとして差し出すことなのである。そうして差し出させ、同じ意見や感想が多ければ、それを統一見解としてごり押しするところがイヤなのである。そもそも日本人は“みんな一緒”というのが好きで、人と違う意見や感想を持つと、色めがねで見る傾向がある。それを個性として認めないのだ。それがイヤだから、せめて本を読んで考えること、感じることぐらい自由でありたい、と思うのだ。
 “ソーシャルリーディング”というのはあくまでも一つの読書スタイルだと言って欲しかった。そういうことも出来ますよ、というくらいで終わらせて欲しかったと思う。一つの本で、意見や感想をシェアーすることが一般的になるような書き方はよくない。
 あと一つは“自炊”である。この“自炊”とは、自分で本を裁断してスキャンして電子書籍を作っちゃうことで、出版社が読者の満足がいくコンテンツを提供しないから自分で作るというものだ。これはちょっと前に手間暇かけて、大変なことだ、と揶揄したことがある。ただ今は専用の裁断機、専用のスキャナー(高速で読み取れるらしい)もあるらしい。ただその値段は裁断機が約3万円、スキャナーが約4万円もするらしく、これを聞くとやっぱり茶化したくなる。でももう代行サービスも存在しているらしく、商魂たくましい奴がいるんだね。

2009年09月07日

週刊東洋経済 8/29号

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 この号は特集として「アマゾンの正体」という特集が組まれている。さっそく手に入れ読んでみた。
 特集記事はアメリカでアマゾンが今どんな立場にいるのか。あるいは最近のアメリカの出版事情の説明がほとんどなのだが、それでもアマゾンの成り立ちや、アメリカの最近の出版事情がわかってなかなか面白かった。
 この特集の最初にアマゾン本社の写真がある。アマゾンの本社はワシントン州シアトルの中心街から車で10分ほどのところにある。この本社ビル、1930年代建てられた12階建ての煉瓦造りの病院なのである。確かに写真を見てみると、どう見ても病院に見える。従ってオフィスは全部個室だそうだ。従業員は昨年末で2万人を越え、手狭になったので、現在新本社が建設されているという。 アマゾンのカリスマ創業者ジェフ・ベゾス1994年7月に「カダブラ.コム」という会社を設立する。そして翌年アマゾン.コムと社名を変更した。社名をアマゾンとしたのは、アマゾン川地球上最大の川だからで、アマゾン川にあやかって地球上最大の本屋を作りたかったかららしい。まぁ、多分そういうことなんだろうなとは推測できた。
 アマゾンの社風は“ケチ”で有名らしく、その節約文化の象徴として取り外されたドアを机に作り替えて使っていること。そして経費節減に貢献した社員に「ドアデスク賞」が与えられるという。
 また、イノベーション力を喚起するために、会議室の四方の壁は全部ホワイトボードだそうで、さらに本社が元病院ということもあってエレベーターの速度が遅いため、エレベーター内にもホワイトボードが設けられているという。そこでそれを使って激論を交わすのだろう。
 アマゾンでは商品の保管・物流を担う「物流インフラ」と、データの処理・蓄積を担う「ITインフラ」が固定費の塊で、その比率は2008年12月期実績で、売上に占める割合が14%にも及ぶという。この比率が大きいのか、小さいのかよくわからないけれど、要するにこの二つのインフラにかかる費用は社内コストだったわけだ。しかしそれを社内コストだけに納めずに、それを売上に変えるのである。まず「物流インフラ」を買収した企業のために力を貸すようにする。そして「ITインフラ」では、コンピュータの機能を貸し出すクラウドサービスとして使うようにしたのである。この雑誌の説明では、クラウド(=雲)とは、インターネットでつながれた多数のコンピュータの中に仮想的なシステムやサービスを作り出す考え方のことを指す、と書かれているが、これじゃなんののことを言っているのかよくわからない。要は今までのコンピュータはユーザー(企業、個人など)がコンピュータのハードウェア、ソフトウェア、データなどを、自分自身で保有・管理していた。それをユーザーはインターネットの向こう側からサービスを受け、サービスを提供した側にサービス利用料金を払う形にするのである。サービスを提供する側は自社の強力なサーバーがあればそれができることになり、まさにアマゾンはそうしたインフラを自社の事業のために持っていたわけだから、それを事業維持だけではなく、ツールとして使うことでインフラ整備や維持にかかる経費をそこから捻出できるメリットがあるわけだ。そしてアメリカではアマゾンがクラウドサービスのトップを走っているということらしい。
 また電子ブックもかなり普及しているという。アマゾンではキンドルという端末を発売し、そこで書籍、雑誌、新聞など通常の料金より格安にコンテンツとして提供されているという。
 電子ブックは一時ソニーなどで日本でも売り出されていたが、失敗に終わっている。その事情は日本独自の事情による。しかしアメリカでは①コンテンツの豊富さと安さ、②持ち運びやすさ(アメリカのハードカバーはアメ車並にごっつく、重く運びにくいらしいし、ペーパーバックは紙質が悪く長期間の保存に適していない)、③書店に本を買いに行くのに車で1時間もかかるのはざらという事情により、電子ブックは急速に普及しているという。
 ここにはユーザーのインタビューも載っていて、キンドルが軽く、それこそ何十冊もデータとして保存でき、文字などの大きさも自由に変えられ、私みたいに細かい文字を読むのに苦労している人が重宝していると言っている。長期出張時も何冊も本を持っていく必要がなく、このキンドル一つあればいいとも言っている。
 そうなのか!私は基本的に紙という媒体そのものが好きだから、電子ブックで本を読むというのはちょっとどうかなと思っていたが、電子ブック一つあれば何冊も重い本を持ち歩くことも必要ないし、文字の大きさも自由に変えられるというのも魅力的だ。ただ問題はやはり提供されるコンテンツの数だ。それが充実していなければ話にならないだろう。

 さてこの特集はアメリカの出版事情だけでなく、日本の出版事情、それにともなうアマゾン・ジャパンの経営の魅力など少々書かれている。
 日本の出版業界は1996年の2兆6563億円をピークに市場は縮小が続いていて、2008年は2兆177億円まで落ち込み、このままだと2兆円割れは確実に来ると言われている。発行点数は相変わらず高止まりの上に、返品率は上昇し、書店数は減っているのに書店の大型化により売り場面積は拡大しているという状態が続いている。地元の本屋さんが潰れ、チェーン化している大書店がのさばり始め、本を地元でちょっと買いに行くことができなくなっている。返品の上昇は出版社のとっても大きな負担である。こうした日本の出版事情であるため、読者も、出版社もアマゾンのやり方は魅力的だし、そのためアマゾンの商機はますます広まるばかりである。
 ということはネットユーザーはさぞかしネットを駆使して本や雑誌を買っているんだろうなと思いきや、そうでもないところが日本のおもしろさである。
 アメリカではネット書店のマーケットが全体の32%にも達しているのに(それでもそんなもんなのかと思っちゃうけど・・・)日本ではネットユーザー(ここがポイントだよ)1000人にアンケートを取っても、ネット書店だけで本を買っている人は全体の1.6%に過ぎず、41.3%の人はリアル書店(要するに本屋さん)で本や雑誌を買っているという結果が出ているのだ。
 まぁこの手のアンケートってどこでどうやって取ったのか。あるいはどんなやつが回答したのか、といった問題があるので一概に「そうなんだ!」と鵜呑みにすることはできないところがあるが、しかしどこで取っても似たような結果が出るという。
 それじゃ何でリアル書店をそんなり利用するかというと、①その場で持ち帰れる、②立ち読みしてから購入できる、③送料を負担したくない、④書店で本を探すのは好き、⑤雑誌を発売日に購入したいがベストファイブなのだが、なかにはレジでカバーやしおりをつけてくれるからとか、クレジットカードでなく現金で払えるからとか、いかにも日本人らしさが現れていて面白い。
 でも利用するネット書店はアマゾンが断トツである。楽天ブックスが2位につけているが、雑誌などは楽天ブックスの方が充実しているらしく、しかも送料は一切かからないというから、これからはちょっと考えてもいいかなと思ったりした。
 しかし日本の閉塞した出版構造は、ネット書店が当たり前の方向に向かう可能性が大だろう。このままでは地元の本屋さんでは本は全く買うことができなくなり、大きな駅にある大型チェーン店か、アマゾンでしか買えなくなる気がしてしまう。アンケートを鵜呑みにすることはできないにしても、まだ本屋さんで本を買いたいという読者がこれほどいるということを日本の出版界全体で考えて欲しいところである。

2009年09月05日

文庫のおまけ

 今年の「新潮文庫100冊」Yonda?マスコット人形が届いた。これは何かというと、毎年「新潮文庫100冊」という夏休みの宿題である読書感想文のため?に読んでね、という新潮社が勝手にセレクトした100冊が各書店で売られるものである。もちろんデータに基づいてセレクトされるのだろうけど、毎年やるもんだから、そうそう内容は変わるものではないので、少しずつ内容を変えて100冊選んでいる。そしてさらに触手をのばしてもらおうと、おまけをつけている。帯についているマークを2冊分貼り付けて新潮社に送るとこれをくれる。


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 去年はエコバックであった。集英社と角川書店も似たようなイベントをやっている。新潮社はこれとは別に「Yonda? CLUB」というのもやっていて、これはカーバーに付いているマークを集めて、その数で景品が違ってくる。基本的に大した景品をくれるわけじゃなくて、だいたいが貧相であるが、それでも何かおまけがつくとなると、結構集めている人がいるようだ。ちなみにブックオフではこのマークを切り取ったやつは、大体が105円のコーナーにまわってしまうようだ。

閑話休題

 ところで本屋で何か景品やおまけ、ノベルティーグッズなどあまりもらったことがないのではないだろうか。あってもせいぜい出版社から送られてきた販促グッズで、おっ、すげえ!といった豪華景品はあり得ない。もともと出版物は“文化”みたいな偉そうな思い上がりあるものだから、そういったものには景品などは似合わないと勝手に思い込んじゃっているところがある。だからそうした景品やおまけ、ノベルティーグッズは付けるものではないという考えになる。
 で実際に法律がそれを裏付けている。「出版物小売業における景品類の提供の制限に関する公正競争規約」というものがあって、そこには「懸賞によらないで提供する景品類にあっては、100円又は取引価額の100分の7のいずれか高い価額の範囲」という縛りがあるのだ。さらに言えばもともと出版物は利益が薄いので、そうそう高いものなんかあげられるわけがないのだ。
 さらに新規オープン時などでくれるおまけなども、新しくできたんだからど~んといいものをあげればいいじゃんと思うのだけれど、これも先の規約に「開店披露、創業記念等の行事に際して提供する物品であって、正常な商慣習に照らして適当と認められるもの」とちゃんと書かれちゃっているものだから、あまり高い品物をあげるわけにはいかないのだ。ちなみに当社が新大久保に新しいお店を作ったときあげたのが、一番安いノック式の店名の入ったボールペンだった。さらに秋葉原のヨドバシにオープンした有隣堂は名前入りの付箋だった。
 ポイントや割引券なども本は定価販売を前提としているので、それをやると値引き販売になり、再販制違反となる。だからやっちゃいけないのだけれど、最近はこのあたり緩くなっているみたいだ。今時ポイントカードは当たり前だと思うのだけれど・・・。
 じゃあどうするか?書店ができないなら出版社がやるしかない。だから女性誌などは思いっきり付録を充実させる。最近は大の男にも昔を懐かしませ、その気にさせる付録を付けているものさえある。付録で釣ろうというわけである。文庫の景品もこれと同じであろう。とはいっても、ただでくれるものは、ちょっとうれしい。

 さて文庫の表紙であるカバーには新潮文庫だけでなく、講談社文庫、角川文庫、集英社文庫もそれを切り取って使うようなマークがついている。新潮社は大々的に「Yonda? CLUB」といってこれを集めれば景品をくれるといっているのだが、講談社、角川書店、集英社は何も言っていない。(ただし集英社も角川書店も新潮社同様夏休みイベントをやっていて、このときはそれぞれおまけがつく)だから何でこれがあるのか不思議であった。
 ネットで出版社のホームページにいって調べてみても、そのマークが意味するものはなんなのか、何一つ書かれていない。そして文春文庫には何のマークもない。さすが天下の文藝春秋である。本におまけなどつけるなど邪道だとでもいう感じだ。
 ただ講談社はわかった。講談社文庫解説目録の最後に、「講談社文庫特製ブックカバー」プレゼント!と書いてあって、文庫カバー折り返し部分のマークを10枚一口を送ると5色ある文庫カバーの一つがもらえるのである。ほほ~と思い、さっそく家にある講談社文庫からそのマークを切り取って送ってみたら、こんな文庫カバーが届いた。


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 私はデニムのやつをもらったのだが、確かにちゃっちいつくりであるけれど、悪くはない。しかしなんでこうしたプレゼントをやっていることを大々的に言ってないんだろうか?わからないじゃないか。だからというわけじゃないけれど、講談社文庫特製ブックカバーをもらうのにはどうすればいいかをここに書けば次のようになる。

1.文庫カバー折り返し部分のマークを10枚一口として集める。

2.住所・氏名・年齢・職業・電話番号・ブックカバーの希望の色番号(①デニム地・黒②デニム地・紺③デニム地・黄④レザー風・紺⑤レザー風・赤)を明記した上で、〒112-8001 東京都文京区音羽2-12-21 講談社「講談社文庫特製ブックカバー」プレゼント係まで封書で送る。

3.締め切りは2009年12月末日(どうも毎年12月でいったん締め切っているようだ)カバーが届くまで一ヶ月ほどかかると書いてある。

2008年10月06日

その他西郷隆盛のこと

 以前たまたま家の物置の整理をしていたら、「読売カラー百科145 歴史の旅 西郷隆盛」という小冊子が出てきた。多分読売新聞の販売所が集金の時にもってきたものだろう。それを亡くなった義父が取って置いたものだと思う。生前義父はNHKの大河ドラマであった「翔ぶが如く」のことを自分の出身地も近い関係で、楽しみに見てたから、これも読んだかもしれない。捨てるのもなんなのでそのまま取っておいたのを思い出し、取り出して読んでみた。


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 この小冊子は歴史小話を盛り込んだ観光ガイドといっていいかもしれない。書かれている歴史小話は大したことはない。いかにも読売新聞販売所が購読者に洗剤と一緒にサービスで配るといったものだ。ただ、逸話として面白いのは、「西郷の妻たち」である。
 これによると西郷は三人の妻を娶っている。最初の奥さんとは離婚し、二人目が奄美に隠れていたとき島の娘、竜愛可那と暮らしていたが、帰藩命令が出て鹿児島に戻った。竜愛可那はそのまま奄美に残った。そして小松帯刀の媒酌で後家老座書役岩山八郎太の次女イトと結婚した。明治三十一年高村光雲作の上野の西郷像の除幕式にイトも出席したそうだが、その時、「主人はあんな見苦しいなりで人前に出る人ではない」といって泣いたという。
 西南戦争に関する写真は興味深い。二枚ほど借りてみる。最初が私学校跡地と西郷終焉の地城山である。


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 次があの田原坂付近の写真。田原坂旧道の写真を見ていると、地形がよくわかる。道に政府軍、小山の上に薩軍がいたのであろうか?


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 もう一冊西郷に関する雑誌がある。小学館の『週刊新説戦乱の日本史』7巻の「新説西南戦争」である。今もシリーズとして刊行されているので先の小冊子とはちがい写真はきれいだ。またどこでどのような戦いがあったのか図版もわかりやすい。『翔ぶが如く』の7巻の時に使用した西郷たちの逃避行の地図はここから借りた。


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 ここでは可愛岳(えのだけ)の写真を借りる。


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 この写真を見ていると司馬さんが描いている西郷たちの可愛岳越えが、いかに鹿児島に戻るためとはいえ、壮絶な逃避行であったか想像できる。
 ところで薩軍は財政的戦略が一切なかった。このことは以前書いた。そのため戦いが長期化すると資金不足となった。そこで「西郷札」という紙幣を日向の佐土原で自ら作り発行した。これで戦略物資を調達しようとしたのである。しかしこれを使われた方はたまったもんじゃない。なぜなら他の紙幣や金銀と交換できない不換紙幣であったため、紙幣に信頼が一切なかったからだ。それを薩軍は力をもって通用させた。この「西郷札」は当時16万円ほど発行され、通用する期間が3年であった。


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 当然西南戦争後、紙屑同然となり、日向の人々に多大な損害を与えた。被害を受けた人々はその補償を政府に申請したが、賊軍の発行した紙幣に補償などできるかということで、政府がその申請をはねつけた。
 松本清張さんの初期の短編に『西郷札』というのがある。昔読んだことが確かあるはずだが、背景がよくわからなかったため、何となく読んだ記憶があるという程度にしか頭に残っていなかった。それで、松本清張全集の35巻を引っ張り出し読んでみた。


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 要は紙屑同然となった「西郷札」を集めて、政府に高値で引き取ってもらおうと企む輩の話である。その前例があったらしい。
 あの三菱の創業者岩崎弥太郎が廃藩置県でやはり紙屑同然となった藩札集め、政府に引き取ってもらい、莫大な資金を調達して、三菱を発展させたことの二番煎じを企んだのである。
 話の結末は歴史の通り、政府が買い取りを拒否したため、「西郷札」を集めた輩は破産する。それを関係者の嫉妬心など若干を加えてエンターテイメント化した作品で、読んでみて面白かった。やっぱり物語の背景がよくわかると、話も面白くなる。
 で、この話が面白かったので、この巻に収録されている他の短編もちょっと読むことになっちゃった。

2008年07月04日

2008年ジャケ買い

 結局書泉さんでシュリーマンの自伝を買った。(何故かはもう一つの私のブログに書いてあります)買い換えるに当たり、思ったことは“できれば文字のサイズが大きいほうがいいな”ということであった。もし新潮文庫版がブックオフで買ったのと同じサイズの小さな文字だったら、他社の文庫で文字が大きいやつにしようとさえ思っていた。
 幸い平成20年4月の三十八刷りは文字が大きくなっている。平成6年のと比べて、かなり読みやすい。ちなみに前の文庫本はページがとれてしまったので、そのページを今回買った文庫と比べるとこんな感じになる。(ちょっと見づらいかもしれないけど)


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 文字が大きくなればページ数も当然増えるだろうと思い、比べてみると、平成6年版は145ページ。そして今回買った平成20年版は181ページとなっている。約2割5分ほど増えている。まぁこれはこんなもんかとしか言いようがない。ちなみに「新潮文庫のささやかな秘密」によれば、90年前の新潮文庫創刊時に使われていたのは、7.5ポイントで、戦後から昭和57年までは8ポイント、昭和60年に改版して文字を8.5ポイントへ拡大し、今年から9.25ポイントになったそうである。では既存の文庫はどうなっているかというと、版を改めて、現在販売している文庫の総点数の3分の2近くは、すでに9ポイント以上の大きい文字を使用しているという。そして8ポイント以下の小さな活字を使った文庫は、早ければ年内にもなくなる予定だそうだ。ふむ、ふむ。これはいい。頑張って欲しいなあ。


http://www.1101.com/shincho/05-07-05.html


 ところで、今年の新潮文庫の100冊に限定スペシャルカバーとなって発売されている。これがなかなかかっこいい。


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 限定というから、ついつい買ってしまった。いわゆる“ジャケ買い”である。去年は集英社文庫の『こころ』が女優の蒼井優がそれらしき雰囲気を出したカバーの文庫を買っている。


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 まったく同じ本を何冊も買ってどうすんのよ!と言われそうだけど(誰だかおわかりですよね)、まぁコレクターとして買ったのだから、許して欲しいものだ。でも、今回買った『こころ』と『人間失格』はまた読みたいなとは思っているけど・・・。

2007年11月25日

「ALWAYS」と『点と線』

 昨日日本橋三越へ行く。本当は映画を見に行く予定であったが、胃の調子が良くないので、やたらげっぷが出てくる。こんな調子だと映画を見ていても迷惑をかけるだけなので、次にする。で、「ALWAYS 続・三丁目の夕日展」を見る。


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 最近はちょとした昭和ブームらしく、昭和30年代がもてはやされているようだ。ここも結構人が入っていて、展示物がよく見えない。しかもここにある展示物の説明書きを皆さん懐かしくなって読んでいるものだから、なかなか先に進まないのだ。私たちはざっと見て、外に出る。
 ところで皆さん、テレビのチャンネルを変えるとき、「チャンネルを回すよ」と言いません?本来なら「チャンネルを変えるよ」と言うべきところを「回す」というのである。これは昔のテレビがダイアル式で、ぐるぐる回してチャンネルを変えていたから、その名残で、そう言ってしまうのだ。それとも「チャンネルを回すよ」というのは私だけであろうか?
 この「ALWAYS 続・三丁目の夕日展」では鈴木オートの家の中が再現されていたが、そこには4本足のついたテレビがあった。まさしく私が子供の頃にあったテレビであった。そしてダイアル式のチャンネルがあって、よく力任せに勢いよく回していると、壊れるからと言って親に怒られたものであった。壊れれば今みたいにすぐ買い換えることもなく、近所の電気屋さんを呼んで、修理してもらう。テレビの中にはほの暗い真空管がいくつもともり、電気屋さんが電圧を測るテスターを使っているところを興味深く見ていたものであった。ハンダゴテから上る煙とにおいが懐かしい。
 帰りに地下の食品売り場で「まい泉」のヒレカツうまそうだったので買う。胃の調子が良くないのにこんなものを食べていいのか問題があるが、キャベツをたっぷり千切りにしてのせてくれればいいかななんて思う。

 さて、テレビで松本清張の『点と線』が二夜連続してやっている。新聞の番組では、昭和30年代を忠実に再現していると書かれていたので、ちょっと見てみた。
 これを読んだのは高校時代であった。あの東京駅に4分間のトリックにも感動したものだ。ビートたけしが鳥飼刑事をやるのはどうかなあと思うのだが、まあ、第一話はおもしろかった。

 本が読めない状態が続いているので、ブログの更新ができない。だから本に関するうんちくをちょっと書こうかな。
 私が高校時代この『点と線』を読んだのはカッパノベルズ版であった。いわゆる新書で読んだ。そしてこの作品が最初に発売されたときの単行本を古本屋さんの100円均一のワゴンで見つけたので、手に入れた。それがこれである。
 だいぶ痛んでいるけれど、これが『点と線』が最初に単行本として発売されたものであろう。初版は昭和33年2月であるが、私が持っているこの本は昭和35年5月の29版である。
 この本の中身をのぞいてみると、あの心中場所の香椎の海岸の写真(もちろんモノクロ)、東海道本線の時刻表が口絵にある。また今は省略されている検印もちゃんとがある。


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 この『点と線』は雑誌「旅」に連載された。この「旅」は今は交通公社から新潮社に身売りされたので、私が知っている「旅」とはだいぶ違うものになっている。
 この「旅」が日本交通公社出版局で出されていた頃、創刊65周年750号記念として復刻版が出された。それがこれである。創刊号など6冊が復刊され、セットになっている。昭和32年2月号も復刊されているが、この号は『点と線』が新連載された号である。
 挿絵はあの13番線ホームである。


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 この後『点と線』の第二話を見ることにしよう。

2007年10月20日

DS文学全集

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 新聞によると、任天堂の携帯ゲーム機のニンテンドーDS(ニンテンドーDS Liteを含む)が約348万台も売れているらしい。(このデータは総合ゲーム雑誌「ファミ通」に協力する全国3500店のゲーム機やゲームソフトの3月26日から9月23日(26週間分)までの売り上げデータをもとに、エンターブレインが集計したもの)もちろんダントツである。さもありなんと思う。ちなみにPSP(プレイステーション・ポータブル)は約107万台だという。
 ヨドバシに行くと、DSのソフト、周辺機器がかなり充実しているのを見てもわかる。面白いのは客層である。DSの方はいい大人、それこそおばちゃんまでせっせとソフトを見繕っているけれど、PSPの方はいわゆるアキバ系のリュックをしょった、うさんくさい奴がたむろしている。ハードゲーマーという感じの奴だ。
 で、私はいい大人なので、今回DS文学全集をポイントで買った。さすがマリオだけしか持っていないんじゃまずいと思っていたので、今回このソフトに飛びついたわけだ。テレビのCMを見て、かなり興味を持ってしまったのだ。
 早速家に帰ってから、ソフトをブッチと差し込んで、電源を入れてみると、最初このソフトの使い方が出てくる。ふむふむと納得しながら、収録作品を見てみる。おお、すごい!100冊というか、100作品がラインアップされている。

001 羅生門 芥川龍之介
002 地獄変 芥川龍之介
003 奉教人の死 芥川龍之介
004 杜子春 芥川龍之介
005 藪の中 芥川龍之介
006 トロッコ 芥川龍之介
007 河童 芥川龍之介
008 或阿呆の一生 芥川龍之介
009 カインの末裔 有島武郎
010 生まれいずる悩み 有島武郎
011 或る女 有島武郎
012 外科室 泉鏡花
013 高野聖 泉鏡花
014 婦系図 泉鏡花
015 夜叉ヶ池 泉鏡花
016 野菊の墓 伊藤左千夫
017 蠅男 海野十三
018 東京要塞 海野十三
019 海底軍艦 押川春浪
020 老妓抄 岡本かの子
021 玉藻の前 岡本綺堂
022 金色夜叉 尾崎紅葉
023 夫婦善哉 織田作之助
024 死者の書 折口信夫
025 子をつれて 葛西善蔵
026 檸檬 梶井基次郎
027 城のある町にて 梶井基次郎
028 父帰る 菊池寛
029 恩讐の彼方に 菊池寛
030 藤十郎の恋 菊池寛
031 俊寛 菊池寛
032 「いき」の構造 九鬼周造
033 牛若と弁慶 楠山正雄
034 武蔵野 国木田独歩
035 牛肉と馬鈴薯 国木田独歩
036 出家とその弟子 倉田百三
037 耳無芳一の話 小泉八雲
038 五重塔 幸田露伴
039 無惨 黒岩涙香
040 蟹工船 小林多喜二
041 堕落論 坂口安吾
042 桜の森の満開の下 坂口安吾
043 夜明け前 島崎藤村
044 次郎物語 下村湖人
045 古事記物語 鈴木三重吉
046 瀧口入道 高山樗牛
047 日本三文オペラ 武田麟太郎
048 富嶽百景 太宰治
049 走れメロス 太宰治
050 斜陽 太宰治
051 人間失格 太宰治
052 オリンポスの果実 田中英光
053 蒲団 田山花袋
054 黒髪 近松秋江
055 狂乱 近松秋江
056 あらくれ 徳田秋声
057 縮図 徳田秋声
058 不如帰 徳富蘆花
059 山月記 中島敦
060 李陵 中島敦
061 土 長塚節
062 吾輩は猫である 夏目漱石
063 坊っちゃん 夏目漱石
064 草枕 夏目漱石
065 三四郎 夏目漱石
066 門 夏目漱石
067 彼岸過迄 夏目漱石
068 行人 夏目漱石
069 こころ 夏目漱石
070 明暗 夏目漱石
071 ごん狐 新美南吉
072 手袋を買いに 新美南吉
073 花のき村と盗人たち 新美南吉
074 新版 放浪記 林芙美子
075 セメント樽の中の手紙 葉山嘉樹
076 夏の花 原民喜
077 たけくらべ 樋口一葉
078 にごりえ 樋口一葉
079 学問のすすめ 福沢諭吉
080 浮雲 二葉亭四迷
081 いのちの初夜 北條民雄
082 美しい村 堀辰雄
083 風立ちぬ 堀辰雄
084 病牀六尺 正岡子規
085 注文の多い料理店 宮沢賢治
086 オツベルと象 宮沢賢治
087 よだかの星 宮沢賢治
088 風の又三郎 宮沢賢治
089 銀河鉄道の夜 宮沢賢治
090 セロ弾きのゴーシュ 宮沢賢治
091 伸子 宮本百合子
092 ヰタ・セクスアリス 森鴎外
093 雁 森鴎外
094 阿部一族 森鴎外
095 山椒大夫 森鴎外
096 最後の一句 森鴎外
097 高瀬舟 森鴎外
098 少女地獄 夢野久作
099 蠅 横光利一
100 機械 横光利一

 これだけの作品を2,660円で買えるとはすごい(私の場合ただなのだけれど)。しかも親切にそれぞれの作品にはあらすじがついていて、まずはこれを読んで、興味がわいたら本文を読んでねといった感じだ。しかもあらすじもしっかりしてそうだ。
 収録されている作品のうち、もちろん読んだものもあるし、話の内容を知っているものもあるが、案外読んでいない作品が多い。これを全部読んだら結構すごいことじゃんなんて思ったりしている。タッチペンを左から右へずらすとページがめくれる。それが本当にページをめくっている感じなのがちょっと感心しちゃった。しかもニンテンドーWi-Fi コネクションを使えば、更に作品がダウンロードできるという。
 ふと思い出したのだけれど、最近文庫の目録を数社分手に入れて、眺めていたら「電子文庫パブリ」の目録も収録されていた。要は品切れの文庫本をダウンロードしてパソコンで読むというやつだ。もちろんダウンロードした作品はお金がかかる。お金はともかくとして、ちょっとパソコンの画面で本を読むというのは大変だ。しかしDSを端末として使うことで、もっと手軽に本が読めるんじゃないか。DSがどれだけ普及しているのか知らないけれど、わずか6ヶ月で約348万台も売れているのだから、かなりのユーザーがいるんじゃないかなんて思う。だったら余計にこれを使わない手はないんじゃないか。ゲームばかりやっていないで、たまには秋の夜長、DSで読書なんていいと思う。そういう意味でこのDS文学全集の企画は面白い。版権の切れた文学作品をこうして安価に提供してくれるなんてすばらしい!
 そして思うのだ。本屋さんがこのソフトを扱っているのだろうかと。ゲーム屋さんだけじゃなくて、このソフトは本屋さんも扱うべきなんじゃないかと思う。本というものに作品を読むこと以外に付加価値を求める人もいれば、世の中には読むという行為にメディアにこだわらない人もいる。こうした文学作品を読むことができるものなら、本屋さんは積極的に取り込んでいかないと、ますますじり貧になるような気がする。書店組合もどこかの5万か6万もする新しい世界文学全集をセットで売ることばかり推奨しないで、こういう新しいことに目を向けるべきだ。いい加減、何とか売り上げを伸ばそうと手近なセットものに手を出すのはやめるべきだ。
 私はもう一つ欲しいDSのソフトがある。それは「山川出版社監修 詳説世界史B 総合トレーニング」である。

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 先日お茶の水の丸善によったら、レジのカウンターにこのソフトが置いてあった。さすが丸善と思った次第だ。
 ところでこのDS文学全集には中経出版と出てくる。なんだ中経出版とは?もしかしたら中経出版がこのソフトの監修をしたのだろうか?私の場合、秋の夜長、本を読んだり、DSで文学作品のあらすじを読んだり、マリオやったり、ノートパソコンをいじったり、あるいは野球のクライマックス・シリーズをセ・パ両方見たり、結構忙しい。

2007年09月22日

ジャケ買い

 9月18日の朝日新聞に面白い記事があった。文庫のカバーを若い世代の心をつかむために、表紙のデザインを今風に受けるようなものにして、それが売上を伸ばしているという記事である。たとえば集英社文庫の太宰治『人間失格』のカバーを自社の人気コミック『DEATH NOTE(デスノート)』の小畑健さんのイラストに変えたところ、この夏の3カ月で10万部を突破するヒットになったという。
 まぁ最近の若い奴は本を読まなくなっているから、少しでも若い奴らの気を引こうと出版社も必死なのだろう。このことに関して個人的に言わせてもらえば、「別に読みたくなけりゃ読まなければいい」と思う。むしろ本を情操教育や教養のために是非読まなければならないと主張する奴のほうが疎ましい。それを目的にしてしまう方が嫌なのだ。結果そうなったら、それでいいだけのことだ。本は強制されて読むもんじゃない。読みたいという気持ちが大切だと思う。

 実は私も女優の蒼井優が表紙になっている集英社文庫版の漱石の『こころ』をつい先日買っているのだ。


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 しかも我ながらバカだなぁと思うのは、この漱石の『こころ』はいくつか持っているのだ。いくら好きな作品とはいえ、同じ本を何冊も持ってたってしょうがないとは思うのだけれど・・・。
 たとえば岩波の漱石全集、同じ漱石全集の新書版、袖珍本もあるし、更に和泉書院が出している当時新聞に掲載されたものをそのまま本にしたやつさえある。(当時の雰囲気でも知れればと思ったのだ)
 それでもわざわざ集英社文庫版の『こころ』を買ったのは、別に私が女優の蒼井優ファンだからじゃなくて、こういう表紙は面白いなと思ったことと、口絵の資料や年譜が面白そうと思ったからだ。(言い訳じゃなくて、本当にそう思ったのだ)各社漱石の『こころ』を出しているのだろうから、中身は同じである以上、解説や資料などに特色をだすしかあるまい。カバーも結構だけれど、このあたりを充実させることも必要だろう。そして私は集英社文庫を買ったのも、ここに惹かれたからだ。
 ところでこの記事によると、このカバーはそれぞれの物語の世界をイメージした写真を使っているという。だけど蒼井優がどこかの寂しいそうな旅館らしきところの欄干に手を当てて座っているのが、この『こころ』のどこにそんなイメージがあるのだろうか?

 こういう風にカバーに惹かれて買うのを「ジャケ買い」というらしい。確かにこういうのって面白い企画だと思う。そもそも文庫本の装幀って各社統一感を出すために装丁が同じになってしまっていて、面白くもなんともない部分がある。私は本も読むだけでなく、表の部分を楽しんでいいと思っている。かっこいい装丁の本はインテリアの一部にさえなれるもんだと思うのだ。
 うちの息子は音楽CDをたくさん持っているのだが、その収納棚がCDの表面を見せられるようになっている。いつも感心するのだが、それが意外にかっこいい。本だって何も棚に差し込んでおくだけじゃなくて、見せる部分があってもいいし、おしゃれであればいいじゃんないかと思う。(もっとも収納場所がないので詰め込むしかないのだが・・・)

2007年06月16日

開高 健監修『アンソロジ-洋酒天国』1~3

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 さて、そろそろ「洋酒天国」そのものについて書いてみたい。私がこの雑誌を手に入れたいと思っていても、なかなか手に入らなかったことは書いた。やっとの思いで、ネットの古本屋さんを介して手に入れた。
 そのためこの雑誌には思い入れが強い。以前のブログでこの『洋酒天国』のことを書いたこともあるが、なくなってしまったので、もう一度このブログのCoffee Breakで書いてみようと思っていた。たまたま小玉さんの本が出版され、それを読んだので、それじゃもう一度書いてみようと思いたった。
 といっても、私が手に入れた「洋酒天国」は14冊である。しかも入手可能なものから手に入れたものだから、号数もまちまちである。
 また、予算の問題もある。今この雑誌は古本価格で1冊平均2,000円ぐらいする。だから今のところここまでにとどまっている。元はタダの雑誌がである。
 ということで「洋酒天国」のことを書くといっても、たいしたことが書けない。ただここに便利な本がある。それが開高健監修の『アンソロジ-洋酒天国』である。この本も20数年前に出版された。当時「洋酒天国」が手に入れられなかったから、せめてこの本で当時の雰囲気を味わいたいと思って購入した。今回それを初めて読んでみた。

 「『洋酒天国』は昭和三十一年に創刊。現サントリー株式会社の前進である<洋酒の寿屋>のPR誌である。
 その頃はようやく電気冷蔵庫と電気掃除機が登場しはじめ、ドブロク、バクダン、焼酎の時代がやっと終わって、トリスバーがニッポン国の夜を北から南まで蔽っていた。そしてPR誌はまだ氾濫せず、プレイ雑誌もまたなかった。飲んで、騒いで、ワカル、ワカルといって肩をたたきあったあげく、深夜の駅のベンチにゲロを吐いて倒れる。すべての男たちはかなしくも旺盛にこの姿態にいそしむしかなかったのである。
 ここにおいて寿屋は一念発起。ドリンカーの民度向上をめざしてヨーテンの発刊を思いたち、トリスバー、サントリーバーへかよわなければ手に入らない、夜の岩波文庫(?)とでも呼ぶべき快文書の出版と流布に没頭することと相成った。これがヒット、またヒットし、終刊後も古書市場でバックナンバーが高額で取引される放射能を帯びるまでになったのは、ヨーテン同人の一人として欣快至極」

 と開高さんがこの本の最初に書いている。「夜の岩波文庫」とはよく言ったもんだと思うが、なかなかうまい言い方だ。ここに書かれているように、バックナンバーが古本業界で高値で取引されている。それはトリスバーで無料で配られたことで、わざわざ持ち帰って保存しておくような奇特な人が少なかったのではないかと思うのだ。まして酒がはいっている以上、その場で楽しんでおしまいといった感じだったのではないか。そのため古本市場に出回る部数が少なくなったのではないかと推察する。

 さてこのアンソロジーを3冊読んでみて、その豪華執筆陣に驚く。よくもこんな小雑誌にこれだけの執筆陣がそろったものだと思う。この本に収録されているだけでも、大宅壮一、小松左京、都築道夫、吉田健一、荒正人、戸板康二、星新一、獅子文六、安岡章太郎、犬飼美智子、安部公房、檀一雄、北杜夫、大藪春彦、團伊玖磨、伊丹十三、稲垣足穂、淀川長治、田村隆一、吉行淳之介等々の面々である。
 これらの人たちのエッセイを読んでいると、確かに戦後10年はたって、テレビ、冷蔵庫、掃除機が普及し始めても、「もはや戦後ではない」と経済白書がいっていても、戦争や戦後を引きずっていると感じた。話の内容が植民地時代の中国や東南アジアであったり、まだ外貨規制があり、なかなかヨーロッパやアメリカに行くことが出来ない時代に、そこへ行った人たちの経験談が多い。たぶんこういうのを読んで、「なるほど今はヨーロッパやアメリカではこうなんだ」とページをめくりながら酒を飲んでいたのだろう。 
 ただ、このアンソロジーの3巻目の「ウィスキー・ミニ百科」にトリスバーのことを「昭和30年前後に生まれ、爆発的な人気を呼んだ大衆的なハイボールスタンドのこと。今日のウィスキー・ブームを育てた。『やすく、うまい』で、サラリーマンや学生が気軽に入れ、安心してくつろげ、洋酒の飲み方まで教えられる道場だった」と書いてあるを読んで、開高さんが言うように、ドブロク、バクダン、カストリなどいかがわしい酒を飲まされ、しかもぼられ、安心して酒など飲めない、人々の気持ちもささくれたっていた時代から、トリスバーでこの『洋酒天国』を読んで感心し、掲載されているヌードグラビアに驚嘆できるようになったことは、時代が変わりつつあったんだと感じることが出来る。そういう雰囲気を想像しながらこの本を読むと面白いものがある。


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 グラビアは今の男性週刊誌から見ればおとなしいものだけれど、この折り込みのグラビアがないとクレームがきたという。酒にはつきもののあっち方面のジョークも、今でもクスリと笑わせてくれる。

 ところで、この『洋酒天国』を古本屋で探し回っていた頃、面白い本を見つけた。それが『洋酒マメ天国』というやつである。


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 いわゆる豆本である。写真が実物大だ。この豆本が3冊が1ケースに入っている。


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 全36巻。中身もお見せしたいのだが、どうも装丁が悪く、大きくページを開くと割れてしまうので、出来ないのが残念である。
 奥付を見てみると、昭和42年となっているから、これも40年たっていることになる。これはさすがに無料配布というわけにはいかないらしく、サントリー直営ビアホール、サントリー・チェーンバーに申込書が置いてあったらしく、4セットを1年間で1,200円で配布していたらしい。つまり1冊100円ということだ。なかなかかわいらしく、コレクションとして楽しんでいる。

評価
★★★


書誌
書名:アンソロジ-洋酒天国 1酒と女と青春の巻
著者:開高 健監修
ISBN:9784484300085 (4484300087)
出版社:TBSブリタニカ 1983/12出版
版型:239p 19cm(B6)
販売価:892円(税込) (本体価:850円)

書誌
書名:アンソロジ-洋酒天国 2傑作エッセイ・コントの巻
著者:開高 健監修
ISBN:9784484300092 (4484300095)
出版社:TBSブリタニカ 1983/12出版
版型:219p 19cm(B6)
販売価:892円(税込) (本体価:850円)

書誌
書名:アンソロジ-洋酒天国 3ウイスキ-ここにありの巻
著者:開高 健監修
ISBN:9784484853017 (4484853019)
出版社:TBSブリタニカ 1985/03出版
版型:221p 19cm(B6)
販売価:892円(税込) (本体価:850円)


☆いずれも入手不可のようである。

2006年10月07日

須田剋太

 『街道をゆく』を読んでいて、残念だと思うことが二つある。一つは司馬さんが訪れた地域の地図が掲載されているのだけど、非常に見づらいのだ。わかりにくい。あまりにも部分的なので、極端な話そこがどこにあるのかさえわからない時がある。最初読んでいた頃はいったいどうしていたのだろうと思い出そうとしたが、よく覚えていない。たぶん百科事典の地図帳を開いて調べたのかもしれない。今は週刊「街道をゆく」に詳しい地図が載っているので、それを見て、あぁ、ここなのか!とわかるようになった。
 こういう紀行文はわかりやすい地図があった方がいい。私の読んでいる『街道をゆく』は旧版なのだけど、新装版もたぶん焼き直しだろうから、同じなのではないかと思う。せっかく新装版でだすなら、せめて地図だけはしっかりしたものをつけてほしいものだけど、どうなのだろう?
 もう一つは、須田剋太さんの挿絵がモノクロであることが非常に残念なのだ。司馬さんより先、須田さんは1990年に亡くなられているので、この『街道をゆく』の挿絵はそこまで掲載されている。その後安野光雅に替わられている。安野さん絵は何度も見たことがある。あのグリーンを主調とした、色盲の検査の時使うような絵である。(私はルノワールもそうなのだけど、このての甘ったるい感じの絵が苦手なのだ)
 しかし私はこの『街道をゆく』を読むまで須田剋太という画家は知らなかったので、色調がよくわからない。晩年は抽象画を主に描かれていたというが、各地の風景をかなりダイナミックに油絵で描かれているのはモノクロの挿絵でもわかる。わかるだけにカラーで見てみたいとかねがね思っていた。又司馬さんと一緒に旅をされて、何度も須田さんの人柄が描写されているが、これがいい味をだしていて、このシリーズに花を添えている。
 で、なんとか須田さんの絵を見てみたいと思い、ネットで検索すると、あるんですね。『大阪府現代美術コレクション須田剋太司馬遼太郎と歩き描いた日本の原風景【街道を行く】挿絵原画全作品集』というものである。早速注文してみた。全4巻で1万円は痛かったが、届いた画集を見て、買ってよかったと思った。


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 この画集、社団法人近畿建設協会というわけのわからないところから出版されている。どうしてこんなところから須田さんの画集が出ているのか、この社団法人近畿建設協会の理事長の「ごあいさつ」でその経緯がわかる。

「社団法人近畿建設協会は、建設事業普及推進のための広報活動をはじめとする各種公益事業や河川・道路等の建設行政の補完的な役割を通じて、微力ではありますが社会に貢献して参りました。このたび須田剋太画伯の挿絵を集大成する任に当たりましたのも、須田画伯の画業を後世に伝えるとともに司馬遼太郎氏が歩いた「みち」の挿絵を通して道の重要性を啓発し、道路事業の円滑な推進に寄与するために他なりません」とある。

 なるほどそういうことでこの社団法人近畿建設協会で須田さんの画集が組まれたわけなのだと納得するが、この理事長の「ごあいさつ」を読んで、もしかしたら司馬さんは苦笑されているのではないかと思ったりした。
 というのも日本各地を司馬さんが歩かれて、何度もその風景が壊されていくのを嘆いておられる。その破壊者の親分みたいな建設協会から『司馬遼太郎と歩き描いた日本の原風景・・・・』なんて書かれたんじゃ、まるでこうして画集で残したから、どんどん開発をしちゃいますよ。あるいは日本の自然を壊しちゃったけど、ごめんね。元はこんな感じだったよ、といわんばかりのような気がしてしまう。
 でも趣旨はともかく、画集としてのこれらの本は、今後『街道をゆく』を読み進める上で、又楽しみが増えた感じだ。
 ちょうど今読んでいる、「南蛮のみちⅠ」の挿絵はカラーで見るとこんな感じである。


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2006年08月27日

サイン本

 三浦しをんさんの本を買ったら、サイン本であったことは最近書いた。これと同じように以前石田衣良さんの『アキハバラ@DEEP』も買ったらサイン本であったことを後で気が付いた。


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 基本的にサイン本というやつには興味がない。ないけど、サイン本を頂いたことはある。以前お店に山藤章二さんのお姉様がお店に来てくれて、弟さん山藤章二さんの新刊が出ると何冊かまとめて買われていった。私はただその注文を受けただけなのだけど、山藤章二さんのサイン本を2冊頂いた。私の個人名が入っているサインは、たぶん私がそのお店から他の支店に異動になったとき、その時頂いたものだと思う。


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 沢木さん文庫本のサインは自分からもらった。新潮文庫の売上に貢献したので、香港に招待されたのでる。夕食後、沢木さん講演があり、その後近くに座られたので、サインを頂いた。私は沢木さんのファンなので唯一大切にしているサイン本である。(山藤さんには申し訳ないが・・・)
 ただ、この文庫本、新潮社から香港旅行に招待されたとき寄贈された本で、今にして思えば、ただでもらった文庫本に著者のサインをもらうなんて、ちょっとずうずうしかったかもしれない。


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2006年03月12日

街道をゆく

 今年の私の読書目標に司馬遼太郎さんの『街道をゆく』を最初からきちんと読んでみたいと書いた。そろそろ実行に移そうと思っている。
 今までこのシリーズを読んでいないわけではなく、気の向いたときに、気ままに読んでいた。でももう一度最初からきちんと読んでみたいと思った。その理由は、昨年からファイルマガジンとして週刊『街道をゆく』が出版されたの購入し続けて、もうすぐ全巻完結するので、それと合わせて読んでみたいと思ったのだ。
 このファイルマガジンがあると、司馬さんが訪れた街道をビジュアルで見られるので、合わせて読めば、より一層理解しやすいんじゃないかと思ったのだ。それをこれからやってみようと思う。

 さて、その前にこの『街道をゆく』であるが、今このファイルマガジンが刊行されるにあたり、新装版として新たに発売されている(文庫でもある)が、私の持っている『街道をゆく』はもちろん旧版のやつである。しかもそれは殆ど古本屋さんで購入した。当時はまだ司馬さんが存命で、そのためかこのシリーズはどこの古本屋さんでもワゴンなどでごろごろしていた。それを古本屋さんをのぞくたびに順番に集めていったのである。そうしたらちゃんと集まったのだ。それがこれである。
 

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 全43巻で、最終巻の「濃尾参州記」は結局未完の遺作となってしまったが、1971年から「週刊朝日」に1、147回、26年間掲載された。その範囲は日本の各地の街道だけでなく、韓国、モンゴル、中国、台湾、バスク、スペイン、ポルトガル、オランダ、ベルギー、アイルランド、アメリカのニューヨークと足を伸ばしていった。
 この写真にも写っているが、『街道をゆく』人名・地名録と『「司馬遼太郎・街道をゆく」エッセンス&インデックス』というぶ厚い本がある。どちらもこのシリーズを読みやすくするためのいわば補助的な本である。ただし、『街道をゆく』人名・地名録は1巻から31巻目でしかフォローしておらず、正直な話何でこんな中途半端な本を出したのだろうと思う。出来れば全巻をフォローした人名・地名録が欲しいところである。あるいは『「司馬遼太郎・街道をゆく」エッセンス&インデックス』にちゃんとした人名・地名録を付けるとかすればいいのではないかと思ったりする。もっとも週刊『街道をゆく』が出ているので、その必要性はないのかもしれないが・・・。

 とにかくこの43巻を読み始める前にウォーミングアップとして読むべき本、週刊朝日の別冊「司馬遼太郎の遺産 街道をゆく」(「日々是」に書いた10年前の雑誌とはこれである)、とその文庫版を読むことから始めようと思う。

2006年02月19日

週刊新潮はただ今発売中です

 全国書店新聞で、2005年の出版物販売状況を紹介している。それによると、2005年の出版販売額は全体で2兆1964億円で前年比2.1%ダウンである。(2004年は8年ぶりに前年を上回っていたが1年で逆戻りした)この2005年の販売総額は15年前の1990年と同水準だという。特に週刊誌の売上低迷がひどく、前年比7.1%の大幅減である。

 そんな中、先週ラジオで「週刊新潮は明日発売です」というCMが「夕焼けこやけ」の茜蜻蛉(あかとんぼ)の曲と一緒に流れてきた。最初は久しぶりにこれ聞いたなぁと懐かしがっていたのだが、しかし何で急に昔やったCMをラジオで流すんだろうとちょっと不思議であった。(このCM今ならインターネットで4種類のバージョン聞けます。URLは http://book.shinchosha.co.jp/50th/index.html

 たまたま新潮社の広告雑誌「波」を見ていたら、「週刊新潮」が今年創刊50周年を迎えたらしく、そのために昔のCMを流していることが分かった。そして木曜日に、「週刊新潮」の別冊で「創刊号」完全復刻版が発売された。


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 この別冊は創刊50周年記念として、「週刊新潮」はこうして創刊されたというエピソードを加えて、なかとじに創刊号が入れられている。この創刊号を見ると当時30円で発売されていたことがわかる。


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 特にこの「週刊新潮」はこうして創刊されたというエピソードは面白かった。「週刊新潮」は出版社が出す初めての週刊誌で昭和31年2月に創刊されたのであった。それまでは新聞社が出す週刊誌、「週刊朝日」、「サンデー毎日」しかなかった。要は週刊誌はニュースソースがしっかりしている新聞社しか毎週出せないものだと思われていた。それを出版社が毎週出すというのだから、かなり大きな賭であった。
 簡単に週刊誌を出すといっても、編集者、記者、カメラマン等の確保、それを作る印刷所の確保、販売ルートの確保などをしっかりしなければ、販売実績など生まれない。その苦労話がエピソードして掲載されている。
 また新聞社系週刊誌とは違うコンセプトをはっきりさせる必要がある。それが「人間の本質は色と欲だ」である。こうして「週刊新潮」は50年続いてきた。そしてこのコンセプトは今の他の週刊誌に連綿と続いていることになる。
 「週刊新潮」といえば、谷内六郎さんの特徴ある表紙絵である。これも毎週描かれるわけだから大変だったろうと思う。谷内さん表紙絵は25年続き、その数1330枚余りになったという。

2005年08月12日

『ローマ帝国衰亡史』

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 この『ローマ帝国衰亡史』(筑摩書房刊)は、1976年に第1巻が中野好夫さんの新訳で刊行されたのだが、最終巻の11巻(刊行が始まった頃は10巻の予定だった)が刊行されるまで18年かかった。だいたい筑摩書房のシリーズものはかなり長い年月をかけて刊行されるのだが、この本はある意味異常という事態で、そんな年月がかかってしまっている。
 しかし、このギボンの『ローマ帝国衰亡史』がこれほど刊行に年数がかかったのにはわけがある。まず、訳者の中野好夫さんが亡くなられたこと。そして確か筑摩書房が倒産。(この出版社何度か倒産している)
 その後を継いだ、新しい訳者朱牟田夏雄さんも5巻から6巻と訳されて、亡くなられた。そして第三走者として中野好之さんが最後まで訳を引き受けられた経緯がある。その為18年もかかってしまったのだ。以下時系列で記述すると以下の通りになる。

1976年11月 第1巻刊行開始 中野好夫訳(以下4巻まで中野好夫訳)
1978年5月  第2巻
1978年7月  筑摩書房倒産
1981年9月  第3巻
1985年2月  中野好夫死去
1985年10月 第4巻
1987年3月  第5巻 朱牟田夏雄訳(以下6巻まで朱牟田夏雄訳)
1987年10月 朱牟田夏雄死去
1988年10月 第6巻
1990年3月  第7巻 中野好之訳(以下最終巻まで中野好之訳)
1991年5月  第8巻
1992年4月  第9巻
1993年4月  第10巻
1993年9月  第11巻

 というわけで波瀾万丈の本なのだが、購読者としてはたまったもんじゃない。だって版元の筑摩書房が2巻刊行後、倒産してしまったので、このシリーズは以後ちゃんと刊行されるのだろうかと不安だった。何とか3年後3巻が発売され、安心したところへ、最初の訳者の中野好夫さんが亡くなられる。そして4年待って、朱牟田夏雄さんの訳で第4巻が発売された。ところがその朱牟田夏雄さんも亡くなられた。こりゃあもうダメだと思っていた。幸い、1年5ヶ月後中野好之さんが後を引き継いでくれて、後は1年おきに新しい巻が刊行された。
 この本は元々大学時代に読もうと思っていた本であったのだが、こうも刊行が遅れに遅れると話しにならない。結局大学時代には読めなかったことになり、そのまま本棚に置かれることになってしまったのである。
 ギボンのこの『ローマ帝国衰亡史』は実を言うと岩波文庫で刊行されていた。ところが当時つまり私が、大学時代は「品切れ重版未定」の状態で、手に入らなかった。
 しかし、岩波書店はよくリクエスト復刊といって、現在品切れだけど、要望が多いと、もったいぶって一時的に復刊するのだ。1988年にこの『ローマ帝国衰亡史』が全巻セットで復刊されたのだ。

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 私は半ば筑摩書房のこのシリーズは諦めかけていたので、仕方なしにこの復刊された岩波文庫の『ローマ帝国衰亡史』を買った。従って、『ローマ帝国衰亡史』は岩波文庫版と筑摩書房のと2セット持っている。(ちなみに、この『ローマ帝国衰亡史』は現在、筑摩学芸文庫でも読める)
 
 というわけで、曰く付きの本を読んでみたくなった。もちろん古典の部類に入る本だけに今までみたいにそう簡単にページが進むまない。でも今1巻を読んでいるのだけど、何とか読めそうな気持ちでいる。こういうのをゆっくりと読むのもいいじゃないかと思っているし、読み疲れたら、ちょっと一休みしても、次の巻に入るにはそれほど問題はないように思えるので、じっくりと読んでいきたいと思っている。