
週刊ダイヤモンド10/16号は「電子書籍入門 読み方・買い方はこう変わる!」という特集が67ページにわたって組まれている。
今年はi-padを始め、電子書籍閲覧端末が各社発売され、「電子書籍元年」と言われている。それに伴い、今現在電子書籍はどうあるのか、何故これほど騒がれるのか、そしてそれらが今後出版業界にどのような影響を及ぼそうとしているのか、など書かれている。なかなか読み応えのある特集であった。
で、この特集に書かれていることを咀嚼して書いてみる。
まず、各社の電子書籍閲覧端末の発売が華々しいがゆえに、それが逆に今の日本の出版界が抱えている諸問題をあからさまにしてしまい、だからこれじゃダメなんだよ、といった具合に、そっちへシフトすべきという流れになりかねないところを業界は危惧しているのである。では今出版界が抱えている問題とは何なのか。まずはここから話が始まる。
そこでこの特集では「本が読者に届かない」という問題をあげる。その理由がまず、書店が近所からどんどんなくなっているという現状である。2009年には370店が新しく書店が出来、1,144店が閉店した。書店はこの10年間で6,340店が廃業しているのである。これは書店の数が1日に1店舗を上回るペースで減り続けていることになるらしい。これでは休日など下駄を引っかけて本屋を冷やかしにいくということが出来なくなったことを意味する。
一方で減ったとはいえ全国にはまだ15,000の書店がある。ところが出版社の方が編集者の企画の貧相さや、時代にマッチした企画を見出せないためか、とにかく売る自信がないため、初版部数を絞る傾向が続いている。リスクを恐れて、初版部数は多くて5,000部で、通常は2,000~3,000部しか刷らない。ということは書店が15,000店舗あるということだと、すべての書店に新刊が行き渡らないことになる。そして多くは大書店にその新刊のかなりの部数が行くことになるだろうから、中小書店にはまったく話題の新刊や売れ筋が渡らない。
更に今の出版業界では、“委託販売”というシステムが悪循環を生んでいる。どういうことかというと、出版社が作った本はまず卸し機能を持つ取次が買い取る。その時点で出版社にはキャッシュが入る。その後本は書店に並ぶが、ここで委託販売というシステムのため、売れ残った本が返品となって逆回りする。返品の代金は取次から出版社に請求が来ることになる。だから出版社は新刊を発売してキャッシュが入ったとして喜んでいられない。今度は返品という請求が来るわけだから、ちゃんとキャッシュの確保をしておかなければならない。それを確保するために、新たに新刊を発売し、返品の請求に備えるわけだ。結局これの繰り返しが今行われているのである。よく言われる出版社の“自転車操業”はこのことである。
この結果、年間の新刊書籍の出版点数は年々増え続け、2009年では、この出版不況といわれる中でも、78,555点となっている。ちなみに返品率は40%を超えている。
この出版点数の増加は、読者に本を手に取る機会を短くする。というのもいくら新刊点数が増えても、書店の棚は有限だからである。決まったスペースの中で新刊増加に対応しなければならないわけだから、棚に並べても売れ行きが悪ければ、さっさと取り除かれ返品へと回る。新刊をじっくり腰を据えて売ろうなんていうことが出来ないのである。新刊の洪水に対処するには、ところてん方式で、次から次へと押し出していくしかないのである。読者は書店で見かけた時買っておかないと、次はない状態になるのである。まさしく“一期一会”の古本屋と同じ状態になっているのである。
書店の数が減っている。新刊の部数が減っている。新刊の点数が逆に増え続けているため、有限の棚に並んでいる時間が極端に短くなっている。これが読者に本が届かない理由である。
ところで、毎日新聞の「読書世論調査」というものがあるが、これによると、日本人が本を読むと答えた人の割合、つまり“読書率”は常に50%程度で、雑誌を合わせると75%になるという。これは1947年以来それほど落ちていないという。ということは逆に読書人口をそれ以上に増やすことが出来ずにいる、ということなのである。いくら出版点数が増えても、読む側の割合が変わっていなければ、全体のパイは増えるわけがない。新規読者を開拓できないということは、今いる読者を各出版社は奪い合っているだけのことである。
こんな中、電子書籍の波が押し寄せてきたのである。こんな出版界の閉塞感を打ち破るカンフル剤になり得るかもしれない、というものである。電子書籍の目新しさから新規の読者を開拓できるかもしれないというのである。パイが広がる可能性がある。しかしこれはカンフル剤だけでは済まないようだ。業界全体のシステムを変えかねないのである。
その話に行く前に今の電子書籍ブームは今に始まったわけじゃないことから始めたい。一時話題になったことがあるのである。ところがその後下火になって、なくなったものだと思っていた。
しかしこの特集を読んで驚いた。何と今でもコンテンツは2009年で、574億円の市場があるそうだ。これは知らなかった。では今密かにある電子書籍のコンテンツとはどんなものなのだろうか?その4分の3を占めるのがケイタイ向けのコミックだという。そのコミックの中心が「ボーイズラブ」と呼ばれる男の同性愛を題材にした成年女性向けのコミックなんだそうだ。
要するに書店の店頭ではちょっと買いづらい本なので、電子書籍としてケイタイで読んでいるということなのだ。でもその市場(すべてがボーイズラブではないだろうが)が574億円もあるとは、やっぱり驚きだ。
この特集には図表として、今の出版業界の「モノとカネの流れ」が載っているので、これはリアルにわかりやすいので使わせてもらう。

つまりこの流れを維持するためには、在庫コスト、印刷コスト、物流コストがかかっていることになる。ところが一端デジタル化の置き換えられた書籍や雑誌などは、あらゆる手段で簡単に出来てしまうし運べる。今出版業界が維持しているインフラが不要になるといってもいい。それが次にあげる図表である。これは「もう出版社はいらない?」となっているが、それだけじゃない。今、著者と読者とをつなぐ業者すべてが要らなくなってしまうのである。

所謂「中抜き論」である。書き手が直に発信してしまえば、あとは読者に届くシステムになってしまうのである。これは大変なことである。編集者も出版社も要らない。取次だって、今は物流と金融機能を有しているから、絶大な力を持っているけれど、紙としての本を輸送するから、それが必要であって、それさえも必要なくなる。製本・印刷業者も本が紙であるから存在価値があるが、それももちろん必要ない。更に業界の末端である書店だって、もともと欲しい本が買えないのだから、こうなれば要らなくなる。
CDショップの例がある。CDショップの場合、2000年には4億1,405万枚から2009年には1億6,247万枚まで10年6割も売上枚数が減少している。渋谷のHMVが閉店したニュースは新しいが、その理由はここにある。ネットによる音楽配信にシフトしているのだ。電子書籍の普及はこれと同じ状況を生みかねないのだ。だから業界は恐れているのである。
しかしだからといってただ手をこまねいてるわけじゃない。電子書籍は誰でも著者になれる可能性がある。可能性を解放することは結構なことだけれど、素人は所詮素人である。今のネットの情報がそうであるように、百花繚乱の状況を生み出し、信用がおけるものかどうか疑ってかからなければならない状況が生まれてくる。だからこそ、そんな中からその質が問われ、プロの仕事して編集者が介在して、いいものを発信する仕事が介在できる。そういう編集者の存在を維持する出版社の必要性も生まれてくるのである。印刷業界、取次にしてもいいものをコンテンツとして発信すべき仕事にシフト出来る可能性があるかどうか模索している。
では書店はどうか?丸善の社長小城武彦社長が面白いこと言っておられる。
「丸善に来る前にネットでしか本を買わない時期があった。久しぶりにリアル書店へ行ってみてぞっとした。読んでおかなければならない本に気がついていなかった。ネットは買いたい本が決まっている場合にはいいが、新しい本と出会う場所ではない。ネット書店の限界とリアル書店の重要さにあらためて気がつかされた」
このため、丸善ではネットとリアル書店との“ハイブリッド化”を推し進めていくというのである。
アマゾンが強く主張していることは、kindle(アマゾンが発売している電子書籍閲覧端末)は「紙の本の売り上げを減らさない」ということだ。紙の本にkindle向けの電子書籍の部数を純粋に上乗せすることだというのだ。
確かに先の毎日新聞の「読書世論調査」で見たように、読書人口が増えていない現状があるわけだから、電子書籍を通して、その人口を増やしていければ、丸善やアマゾンの言い分も分からない訳じゃない。しかしそれが出来る状況下にいるかどうか、すべてそこに関わって来る。中小書店はどうなるかといえば、これはかなり厳しくなる。だからといって電子書籍普及に反対といっているだけじゃ、時代の流れに逆らうだけで、いずれはその波にのみ込まれてしまうだろう。それが早くなるか、遅くなるか、分からないけれど、返品の入帳時間を短縮せよと言ってばかりいると、足下をすくわれる。もちろんそれも経営的に大切なことだろうけど、それと同時に書店が電子書籍に対してどう対応していくのか、大した意見や考えが出ていないのではないか、と思う。大書店はもうそのことを真剣に考え生き残りを考えているのに、これでいいのだろうか?
最後にこの特集で気にかかったことを二つ。一つは電子書籍の利点として“ソーシャルリーディング”が出来ると書かれていること。
“ソーシャルリーディング”とは「みんなで一緒に読書する」ということである。同じ電子書籍を読んでいる他のユーザーとネットを介して感想などを共有することである。更に気に入った文章やフレーズなどをツイッターでつぶやくことも可能だし、書き込まれたコメントを読むことできる。
ここには、「何を読むかを決めずに書店を歩き、読みたい本を探し出して、読書に没頭するというには、今ではかなり贅沢な時間の使い方です。そんな孤高な贅沢な読み方ももちろん大事ですが、同じ本を他人がどう読んでいるか、感想を発表し合いながら読む『ソーシャルリーディング』も広がる」と書かれている。
そうか、今の私みたいな本の読み方は「孤高な贅沢な読み方」なんだな、と思っちゃう。でも私は「それじゃいけないの?」という考えである。本来読書というのは一人で楽しめるものであって、一人で感じたり、考えたりすることが出来るところがいいところじゃないか、と思うのだ。私がイヤなのは、個人で楽しめるものさえ、みんなのものとして差し出すことなのである。そうして差し出させ、同じ意見や感想が多ければ、それを統一見解としてごり押しするところがイヤなのである。そもそも日本人は“みんな一緒”というのが好きで、人と違う意見や感想を持つと、色めがねで見る傾向がある。それを個性として認めないのだ。それがイヤだから、せめて本を読んで考えること、感じることぐらい自由でありたい、と思うのだ。
“ソーシャルリーディング”というのはあくまでも一つの読書スタイルだと言って欲しかった。そういうことも出来ますよ、というくらいで終わらせて欲しかったと思う。一つの本で、意見や感想をシェアーすることが一般的になるような書き方はよくない。
あと一つは“自炊”である。この“自炊”とは、自分で本を裁断してスキャンして電子書籍を作っちゃうことで、出版社が読者の満足がいくコンテンツを提供しないから自分で作るというものだ。これはちょっと前に手間暇かけて、大変なことだ、と揶揄したことがある。ただ今は専用の裁断機、専用のスキャナー(高速で読み取れるらしい)もあるらしい。ただその値段は裁断機が約3万円、スキャナーが約4万円もするらしく、これを聞くとやっぱり茶化したくなる。でももう代行サービスも存在しているらしく、商魂たくましい奴がいるんだね。