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2009年02月16日

PLAYBOY日本版

 2009年2月11日の「全国書店新聞」によると、雑誌の売上は11年連続ダウンとある。特に2008年の雑誌の売上は前年の4.5%減となり2006年の4.4%を超え、過去最大の落ち込みとなったという。販売部数でみると、月刊誌が6.5%減の24億3872万冊、週刊誌は7.0%減の8億2731万冊となっているという。これだけ販売部数が減少しているのだから、当然売上も連動していいのに、全体で4.5%となったということは、雑誌の平均価格が2.4%上がったからだ。つまり雑誌の値段が高くなったということ。おもしろいのは、こうした低調な雑誌の中でグッズ付きの女性誌は健闘したという。要するに‘おまけ’が付いていないと売れないということだ。

 とにかく雑誌が売れない。休刊誌が相次いだ。「PLAYBOY日本版」も2008年11月25日発売の2009年1月号で休刊した。これはその休刊をニュースにした記事だ。



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 私も「PLAYBOY日本版」の休刊は少々ショックであった。というのも、私は「PLAYBOY日本版」の定期購読者であったからだ。創刊当時からずっととってあって、一時は棚一段以上もあった。さすがこのままじゃどうしようもないといことで、気に入っていた連載ものを切り取ってファイルイングして後は捨てた。
 といってもこれは初期の頃の話で、最近はとんと買う気にもならないでいた。というより裸ばかりでつまらなくなった。これを象徴するのが発行部数の激減でであろう。
 発表によると、75年には90万部に発行部数があったのに、ここ数年は5万5千部まで落ち込んでしまったという。これはものすごい数字である。パーセンテージにしたら全盛時の6%しか発行部数がないことになる。
 日本の雑誌は雑誌そのものの売上ではほとんど成り立たない。雑誌を支えているのは広告収入である。たとえば今フリーマガジンという無料の雑誌があるけれど、あれなどもろ広告収入で成り立っている典型的な例だ。広告を出してくれる企業はその販売部数の多さに、宣伝効果を見るから広告を出すのである。販売部数が減れば効果が見込めないから、当然企業はその雑誌に広告を出さなくなる。もっと効果のあるネットに移行するのは当然である。その広告収入が激減すれば、雑誌は成り立たない。「PLAYBOY日本版」の休刊の本当の理由はこれであろう。
 ではなぜ発行部数が激減したのか?理由は‘つまらない’からである。
 たとえばヌード写真。これもいささか食傷気味になって、新鮮さがない。要するにここに掲載されているヌード写真はネット中では似たような感じのものがごろごろしているだろうし、もっと過激なものさえ、簡単に見られる。
 でも当時はそれしかなかったのだから仕方がない?‘秘すれば花’という言葉があるが、創刊当時、見えそうで見えないヌード写真はそれなりに男として刺激的であった。
 話は変な方向に進んでしまうが、アメリカから直接輸入された「PLAYBOY」を日本の本屋さんで手に入れた友人がいた。当然ヌード写真は丸見えであるが、それを日本でそのまま発売することはできないので、あの部分に黒マジックで塗りつぶしてあった。そいつは馬鹿な奴で、その雑誌を買ってきて、シンナーで必死にマジックを落としていた。それを自慢そうに見せていたのである。たぶん高校時代の話である。
 とにかく、女性の裸の写真がそれなりのインパクトを持っていて、ある意味「PLAYBOY日本版」を支えていた部分があったような気がする。だから集英社が「PLAYBOY日本版」で成功したので、講談社でも「Penthouse」で二匹目のドジョウをねらって発売した。こちらは後発だから、さらに刺激的にする必要があったのだろう。ちょっと前には話題性のあり、今は落ち目になった日本の女性を裸にしていた。あのロッキード事件の「ハチの一刺し」の女の人を裸にして掲載したのはこの雑誌であった。ただこちらの方はすぐ休刊になった。(詳しいことは知らないが、これを引き継いだ出版社があって、その後も発売されていたという)結局こちらの雑誌は‘きわもの’であった。
 では「PLAYBOY日本版」が‘きわもの’にならずに、昨年まで何とか発刊されていたのかというと、やはり連載ものが面白かったからだろう。それにアメリカの有名作家の短篇などがここに翻訳され掲載されていたからだろうと思う。私も裸に興味がないとは言わないけれど、それはそれで、それ以上に毎月の連載ものを楽しみにしていたから、一時定期購読をしていたのだ。
 いまファイルイングしてある連載ものは開高健さんの「オーパ!」と藤原新也さんの「全東洋街道」がある。これはホント楽しみにしていて、毎月25日なるのを待ちわびていた。フォーサイスやエド・マクベインの短篇も掲載された。創刊号にはアリとフォアマンの戦いを描いたノーマン・メーラーの短篇もあったし、他にも有名作家の文章が掲載されていたと思う。



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 今手元に75年7月21日の創刊号と、も2008年11月25日の休刊号がある。



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                           創刊号の写真

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                     終刊号の表表紙の写真

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                     終刊号の裏表紙の写真

 これを見ると、最後は最初と同じ表紙にしてある。創刊号は360円、終刊号は1,000円である。創刊から33年たっているのだから、雑誌の値段も大きく違って当然だし、終刊号は今までの総特集の形をとっているから、まぁ、1,000円でも仕方がないのかなとは思うが、それでも33年前は360円で買えたことは驚きだ。
 しかしこの終刊号はいったい何だ!とパラパラページをめくって見てそう思った。とにかく目新しさがない。驚きを感じさせるものがなかった。終刊号だから仕方がないといってしまえばそれまでなのだが、それにしてもひどい。
 いくら最近は買わなかったといえ、この雑誌そのもは気になっていた。最新号が発売されると新聞の広告を見たり、本屋さんで実物を見てみたりしていたが、とても買う気にならなかった。これじゃ休刊になっても仕方がなかったかなと、今になるとそう思う。企画が貧弱で、過去の栄光や雑誌のネームバリューで生き延びていた感じがする。
 休刊する前、何度か開高健さんの特集が組まれたことがある。これなども販売部数がジリ貧になってきたから、昔ヒットした開高さんを持ち出すことで、何とか帳尻を合わせたんじゃないかと思ったものだ。開高さんが生きておられれば、その企画の貧相さにきっと怒鳴りつけるじゃないかと思う。
 それにしても、最近は‘おや?!’と思わせる特集や記事がなくなっていて、読んでみたいなという気持ちになれる雑誌が少なすぎる。

2009年01月12日

直筆原稿『夏の闇』

 1月7日の朝日新聞に「没後20年 開高健の代表作『夏の闇』直筆原稿、再現し出版」と文化欄にあった。それは開高さんの代表作『夏の闇』の直筆原稿を原稿用紙408枚ををそのままの形で限定700部愛蔵版で出版したものである。定価15,000円である。発売元は開高健記念会である。

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                    梱包用の外箱に入っている

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                   梱包用の外箱をとった。原稿は箱入り

   


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                      上箱をとり、原稿の表紙を見る



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                           1ページ目



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                   原稿用紙408枚の厚さは約4センチくらい



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                           おまけの色紙



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              直筆の「出版人マグナ・カルタ九章」(これもおまけ)


 とにかくこの記事を読んで、開高健ファンとしては欲しくなり、本代を送り手に入れた。初めて原稿用紙408枚分はこんなに重いんだと感じた。梱包用の包装を解いて、中身を取り出してみると、原稿用紙一枚一枚の紙質が厚い。
 最初は直筆原稿の出版だからわざわざ紙質の厚い紙を使ったのかなと思ったが、同封されていた開高健記念会会長坂本忠雄さんの「直筆原稿『夏の闇』をめぐって」を読んでみるとそうではないらしいことがわかる。
 それはに『オーパ!』や『もっと遠く!』、『もっと広く!』の装幀を手がけた三村淳さんの提案でこの本の企画が生まれ、「原物の原寸大で四方断ちにして、紙質も原物に近いものにした」と書かれている。ということは、開高さんは結構厚みのある、しかもしっかりした原稿用紙を使われていたことになる。
 さらにそれを読んでみると、「活字離れから始まって安易に陥りがちの現在の読書傾向の風潮に対して、改めて本格的な小説の成り立ちに立ち合ってもらい、これからの文学志望者を含む、真摯な文学者に覚醒を促したい」という主旨も書かれている。しかも「今日の厳しい出版事情から既成出版社では難しい、この貴重な刊行を開高健記念会が果たせたことを喜んでいる」とも書かれている。
 だろうなと思った。どう考えても既成の出版社ではこの本は作れない本だろう。まず部数が見込めない。もしかしたら既成の出版社ではもう採算が合う本しかもう出版できなくなっているのかもしれない。
 ここにも書いてあったが、開高さんの原稿は書き直しが少ない。だからそのまま読み進めることができる。あの丸い文字が、いかにも開高さんの人柄を表しているようだ。

 『夏の闇』は89年12月に亡くなった開高さんの弔辞を読んだ司馬遼太郎さんが、天が開高さんに与えた才能をこの一作を書くことで返礼に十分ではないかと思わせるほどの作品と、その作品を絶賛したものである。
 内容は、ベトナム戦争で戦争の悲惨さから自己を見失った「私」が、ドイツの大学で博士論文を書き上げた「女」と10年ぶりに再会した。ベルリンで別れるまで二人はひたすら眠り、食べ、交わり、そして「私」はまたベトナムの戦場へ帰って行くというものである。作品は当時文部大臣賞を打診されたが、開高さんはそれを辞退した。確かエッセイで作家が国から賞をもらってはならないということを書かれていたと思う。しかしこの作品は世界各国で翻訳され出版されている。

 私はこの作品は作品集と全集はもちろん、単行本でも持っている。



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 さらに特装版も古本で手に入れた。それがこれである。



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 これは当時2,500部作成され、2、440部までは、奥付の検印紙に肉筆で”Ken”とサインされていて、残り60部は漢字で「私」とサインされているらしい。私の持っているのは”Ken”とサインされているものである。割と低価格で手に入れることができたと思う。



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 この本は一部アンカットになっている。一部開封されているので、そのため古本価格が安くなったものと思われるが、私が唯一持っているアンカット本である。



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 ちなみに本のページがアンカットになっている理由は、この本が特装版ということだろうが、もともと本はアンカットで出版されていた。栃折久美子さんの『モロッコ革の本』に詳しい説明が書かれている。

 「ヨーロッパでは、本はもともとアンカットの仮とじ本の形で出版され、それを買った人が自分の好みの革装本に仕立てさせる、ということが、ごく当り前の習慣として長い間つづいていた。国王や貴族はおかかえの製本師を持ち、紋章入りの豪華な本をつくらせていたし、街の製本師もたくさんいた。製本の工業化は、十九世紀に入ってからはじまった。
 革に代わる材料として、表紙用のクロスが発明されたのは、一八二〇年代のことだと聞く。製紙機の発明は一八〇〇年頃、最初の活字鋳造機がつくられたのは一八二二年といわれている。ややおくれて実用化された写真製版を加えると、書物の歴史にとって劃期的な四つの発明がここで出揃ったことになる。書物は大量につくることがずっとやさしくなり、その外形も、今あるものとほぼ同じになった。
(略)
 ちょうどその頃、日本に西洋式の製本術が伝えられた。(略)アンカットの本をペーパーナイフで開きながら読み、個人の所蔵本としてルリユールさせる、あるいは自分でルリユールするという楽しみは、ついに日本では読書につながる習慣にはならなかった」

 ということで、ヨーロッパでアンカット本の習慣が衰退し、大量生産される本の技術が広まった頃、その技術だけが日本に伝わったことを教えてくれる。今ではヨーロッパでもアンカットの仮とじ本も少なくなっているようだ。この本は特装版ということで、わざわざアンカットの本を作ったのだろう。

2009年01月10日

前口上

 私のやっているブログで「どんなことがあっても、本が好き」の中にcoffee breakというのがある。別に私のブログは堅苦しいことは書いていないのだけれど、文字ばっかりじゃいい加減うんざりしてしまうのではないかという意味で始めたものである。
 けれど、ちょっと一休みではなんか物足りない感じでいた。もうちょっとうまくできないものかとかねがね考えていた。
 私は本は内容だけではなく、外観の装丁やその本にまつわる話も結構気になるタイプで、しかもそれらはその本を構成する一部でもあると思っている。だからそうしたことを中心に何か書けないかなと思うのだ。できればビジュアル的にきれいなものを作れないかなと思うのだ。
 幸い去年デジカメを買い換えた。以前のデジカメよりコンパクトで、扱いも簡単だから、気ままに写真が撮れる。そんな写真をうまく使って私の本棚である“小宇宙”のおもしろさを披露したいなと思うのだ。この“小宇宙”は私にとって憩いの場であり、安らぎの場所でもあるから、どうしても思い入れが強いのだ。
 これからがここにどんな感じでブログを更新できるか、かなりの不安があるけれど、企画として考えていることができればいいなぁと思っている。もちろん、この企画は私の本棚にある本からのものだから、どうしても個人的、あるいは独断的になってしまうだろう。それでも私が自分の持っている本の思い入れなどを書いてみたいのだ。
 見切り発車みたいな感じで、始めるが、とにかくやってみようと思う。