2005年09月28日

復活

 やっとモニターが直ってきた。これで修理に出したのは2度目となるわけだが、もうこれっきりにしてほしいものだと思う。
 今回はどこか分からないけど、コネクターを取り替えたとあった。そういえばサポートセンターに電話したときも、パソコンからの信号がモニターにうまく伝わらない可能性があると言っていたが、このコネクターのせいでそうなったのかもしれない。前回ももしかしてこのためにおかしくなった可能性があるが、その時は修理としか明細に書いてなかったから、完全に修理できなかったのではないかと疑っている。なぜなら今回も前回同様似たような症状でモニターがおかしくなったのだから・・・。それで今回は全部取り替えたのではないかと思っている。
 さて、こうしてモニターが直ってきたので、早速書き込もうと意気込んでいたが、画像ファイルを作らないといけない。これがちょっと手間なので、明日にでもやろうかと思っている。とりあえずは復活したことをお知らせまで・・・。

2005年09月19日

またモニターがおかしくなってきた

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 この液晶モニターを買ったのはちょうど去年の今頃なのだけど、買ってそうそうおかしくなり、SONYに症状を言ったら、初期不良だと言われ、すぐ修理に出した。そして1年たった今、又画面に横に細い線が全面にはいって、全体がグレイがかってしまうようになってしまった。そうなると画面の文字など読めなくなってしまう。
 ただ、いつでもそんな症状になるわけじゃなくて、時には元に戻ったりして、何とか使えるのだが、おかしくなる機会が最近多くなってきた。もう一度SONYに電話して症状を説明すると、修理に出した方がいいと言われる。やはり修理に出せねばならないかと思い、かなり憂鬱になっている。でもこのまま放っておいても症状が改善するわけじゃないし、直すなら早いほうがいいだろうから、早めに修理に出そうと思っている。
 ですから、しばらくの間、このブログは更新できません。その間せっせと本を読むことにして、直ってから、読んだ本のことをまとめて書き込みます。
 それにしても、もうSONYの製品はあまり買いたくないな!

2005年09月17日

しこり

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 ヨドバシカメラマルチメディアAkibaが昨日オープンした。国内最大の家電量販店としてオープンしたこのマルチメディアAkibaに開店記念のセールを目当てに、約5、000人が駅出口からビルを取り囲むようにして、早朝から行列をつくり、開店時間を30分繰り上げて午前9時にする盛況だったという。
 私もちょっと様子を見に行く。初日ということもあって、かなりの人だった。今までと人の流れや車の流れが変わってしまっていたくらいだ。オープン前など何機もヘリコプターが飛んでいた。

 私は個人的に有隣堂の方に興味があって、これはすごい!と思った。約500坪のワンフロアーで、ゆったりとした店作りはさすがだなぁ!感心してしまった。聞くところによると、坪○万円という家賃らしいが、それでも落ち着いた感じで、充分なスペースをとっているところはさすが業界で上位の売上のある有隣堂だと思う。
 悪いけど、書泉の手狭さ、窮屈さと比べものにならない。これだけの高い家賃でお店を開く以上、多くのお客さんを呼ばないとならないだろうから、面白く、興味をわかせるお店になることだろう。正直本好きの私としてはたまらない!

 これから書くことは、他人から見れば、何を言っているんだと思われるかもしれない。負け犬が何をほざいていると思われるかもしれない。自分たちの能力のなさを棚に上げてものを言っているだけじゃないかと言われても仕方がない。
 ある意味それは事実だと認識している。けれど自分の気持ちの中で、払拭しがたい事実としてある以上どうしようもないから、書いてみる。
 我が社はこの地で本屋を創業したのだけど、結局今年の4月に廃業に追い込まれた。廃業の原因は、当社の力不足につきるのだけど、外的要因として書泉ブックタワーが平成6年5月にオープンしたことによる売上の低迷があげられる。どう考えても、資本力のある大書店には中小書店なんか、そう簡単に太刀打ちできるわけがない。結局、苦労しながらお店の存続をやってきたけど、書泉さんに当然のことの如く、お客が奪われ、廃業となってしまった。
 自分たちの店だから何とかしてやっていきたいと、労働基準法違反となる勤務時間をこなし、経費も削減できるものはどんどん削っていき、挙げ句の果て自分たちの給与だって削ってきた。売上が上がらない以上、そうするしかなかった。
 でも結局廃業ということになって、お店もなくなり、仲間やスタッフが解雇されるという現実を見てきた私としては、どうしても書泉さんの存在が許せないでいる。
 だから有隣堂がここにオープンすると聞いたときは、正直「やったぁ~!」と思ったのだ。有隣堂出店がを書泉さんにかなりのダメージ与えることは間違いないだろうと思ったのだ。もっとはっきり言えば、書泉さんを潰してくれるかもしれないと思ったのだ。
 とにかく自分の気持ちの中で、ただ器だけがでかくて、しょうもない店に自分たちの店が潰されたという、拭いきれない気持ちがある以上、こんなふうに思ってしまうのは仕方がない。
 これからは大書店が中小書店を食いつぶしていく一方、大書店同士が、つぶし合いをやっていく時代になるのかも知れない。そんな予感がする。

2005年09月10日

感謝と迷惑

 岩本町店がなくなって、当然お店の電話がなくなる。以前の電話番号をかけた人に迷惑をかけてはならないから、本部の電話番号の案内を流し、私が対応している。そのため本部の電話が多くなった。電話はお客さんからよりも出版社の方が多い。
 昨日も暦の神宮館から電話があった。来年の暦の仕入数の確認だろう。本屋を廃業した旨を伝えると、「そうですか。長い間お取引を頂いて、ありがとうございます」とお礼を言われた。
 だいたい、廃業を伝えると、「分かりました。失礼しました」と電話が切られるのが普通であった。今回はさすが神宮館と感心してしまったし、それにちょっとうれしかった。言えそうでなかなかこんな風には言えないものだろうけど、それをさりげなく言えるあたりは人格を感じちゃうなぁ。またそういう電話の対応を教育している会社は立派だと思う。
 というのもここのところ腹の立つ電話が多くてうんざりしているのだ。特に個人向けの投資など頭にくること甚だしい。
 まず個人名を言い、社長に取り次いでくれと言う。こっちも誰だか分からないし、かといってどうでもいい勧誘など取り次げば社長に何を言われるか分からないから、警戒して「ご用件は?」と聞く。すると「社長さんですか?」と聞かれる。ここまでくるとだいたい電話の内容が見当がつく。「違うけど」と言えば社長を出してくれと言う。私は怒りを込めて、更に「用件は?」と聞くと、相手は仕方がないといった感じで説明をし始める。が、なかなか用件を話さない。自分のところの会社の概要など言うのだ。さすがに「それで用件は何?」と強く出ると、やっと個人向けの投資の案内だというのだ。やっぱり!
 断りを入れれば、こういう奴らは、ちょっと待ってくれといった感じでいつまでも話し続ける。こっちは仕事を中断して電話の対応していることを全然分からない。自分の都合だけだ。そしてどうしてか分からないけど、この手の電話って、私が電卓をたたいて計算しているときが多いような気がする。当然途中でやめて電話に出るわけだから、電話が終わった後、どこまで計算したか分からなくなってしまい、最初からやり直すはめになる。
 相手もそれが仕事だから必死なのだろうけど、どうしても腹が立つ。飛び込みで直に事務所に来る奴も腹が立つが、だいたい電話だけでことを済まそうなんて甘い。もっとひどいのは、機械音でメッセージを流す奴、いったい何を考えているんだろうと思う。それと分かると思いっきり腹が立つ。有無も言わさず電話を切ってしまう。
 頭にくることと言えば、アダルトサイトの迷惑メールも何とかしてくれと思っている。長い文章が書いてあるので、何だろうと思って読んでみたら、そんなメールであった。最後に「詩織」という名前が書いてある。詩織?どっかで聞いたことがある名前だ。そういえば、大学時代の友人と会ったときに、迷惑メールの話があって、そこに「詩織」という名前が書いてあったというのを思い出した。もしかして友人が私のメールアドレスを教えた?なんて思っちゃった。それにしても奴と会ってそんな話の後に私のアドレスに「詩織」という名のメールが来るのは本当に偶然なのだろうか・・・?今度会ったときに詳しく聞いてみよう!

2005年09月06日

懐かしむ

 ここのところ、目が悪くなったことや、物忘れといった自分の身体で年齢的な問題?が起こっていること書いた。何を回りくどいことを言っているのかと思うが、要は歳をとったということだ。ならもう一つそれに付け加えよう。
 さだまさしさんの本を読んでいるときに、頭の中で「精霊流し」が流れていたと書いた。そのうち本当に聴きたくなってしまったのだ。たしかCDがあったはずだと思い、探しまくり、聴いてみる。う~ん、懐かしい!思わずいいじゃないかと思い、i-podに入れる。だけど、このCDには「精霊流し」が入っていない。それと曲名を忘れちゃったけど、「たばこをくわえたら、あなたのことを突然思い出したから~」というやつ、なんていったっけなぁ忘れちゃったけど、あれも聴きたいと思った。
 又CDを探しているうちに中村雅俊さんのCDも見つけちゃって、「ふれあい」や「俺たちの旅」なんか懐かしく聴いちゃった。う~ん、こんなに懐かしがっていいのだろうか?何か嫌だなぁ。恥ずかしいなぁ。だけどこうして昔聞いた曲を聴いていると、妙に興奮してくる。ちっとも興奮するような曲じゃないのだけど、懐かしさがそうさせるのかもしれない。
 変に興奮したので、最後に好きなビゼーの「アルルの女」を聴いて締める。別に懐古趣味に走っている訳じゃないけど、考えてみたら明日49歳の誕生日だ。もう50に大手がかかってしまった。こうなるのもやむを得ないのかもしれない。やれやれ・・・。

2005年09月02日

抜け落ちる

 大野さんがゴルフ場で自分の帽子を忘れたことを書いているが、大野さんの場合、忘れた場所ははっきりしているが、それがどんな場面で帽子を置き忘れたか、その部分の記憶が抜けているというのだ。自分でもそんな時がある。

 先日大学の友人から壊れたパソコンが復活したから、私のブログのURLを再度教えてくれというメールがあった。パソコンが壊れてデータが吹っ飛んでしまったのだろう。
 そこで、私は返事を書き、それはよかったと書いたのだが、余計なことにデータのバックアップはちゃんとしておいた方がいいとも付け加えた。
 問題は、この余計なことを、以前パソコンが壊れたと聞いたときに書いたのではないかということなのだ。つまり同じことを2度彼女にメールしたのではないかという不安に苛まれている。
 確かに以前に同じことを書いた記憶がある。問題はそれを送信したかどうかで、その部分が完全に抜け落ちている。メールソフトの「送信済み」を見てみるが、履歴にはない。もしかして「送信済み」の履歴を整理しているときに、削除してしまったことはないだろうかといろいろ考えてしまう。もし同じことを書いていたら、ごめんなさい。

 ところで、私は文章を書くとき、下書きが必要な人で、今もこうして「秀丸」で書いている。頭で浮かんだ文章をそのままキーボードで文字にするのだが、このとき出来上がった文章を、再度見直しているうちに、嫌になっちゃってそのままボツにしてしまうこともあるし、大幅に書き直したりする。
 今回のメールにしても同じように書いたことは覚えている。ただ、それをそのまま生かして、メールしたかどうかは覚えていない。その部分が完全に記憶が抜けているわけだ。つまり一部は記憶にあり、他の一部が完全に記憶にないのは、何だか自分の脳にどこかなくなってしまっている部分があるんじゃないかなんて思ってしまい、ちょっと恐ろしい気がしてしまう。昔もそうだったのだろうか?そのあたりもはっきりしない。これはかなりやばいんじゃないかなんて不安になる。
 他人が私を見て私だと思うのと、私が自分自身を意識するのは全く別もんだろう。私自身は鏡でも使わない限り、自分自身を見ることが出来ない。では私はどうして自分を意識するかと言えば、頭の中にある様々な考えや感情が私を形成して、それが自分だと思うことで、自分の存在感を意識しているわけだ。まさしくデカルトが言ったように、Cogito ergo sum (我思う故に我あり)だ。それがちょっとやばくなってきているんじゃないかと思うと、私自身の存在感が自分で意識できなくなっちゃうじゃないかという不安に駆られているわけだ。
 確かに年齢的な問題だからどうしようもないし、元々忘れっぽいのだからちょっと抜けていたって仕方がない。
 ただちょうどさだまさしさんの『解夏』のなかの「サクラサク」で主人公の父親が痴呆症、いや今は認知症っていうんだっけ、とにかくそれになって所々記憶が抜け落ちていく姿を読んだ後だっただけに、ちょっと気になっている次第だ。こういうのはやっぱり嫌だなぁ。
 横山秀夫さんの『半落ち』で、主人公の奥さんが同じ病気になり、自分の子供の命日さえ忘れてしまい、自分が壊れていくことを悲しんで、殺してくれと頼む姿が思い出される。まぁちょっと考え過ぎかもしれないけど・・・。