2006年04月28日

給与計算

 当社は給与計算及び社会保険、労働保険関係の手続きすべて労働保険事務組合に委託してきた。従って、給与計算や保険関係の手続き、労働保険料の納付などすべて任せっぱなしである。だから、これらの煩雑な仕事から解放されていた。
 こう言えば楽じゃんと言われそうだが、確かにそうである。けれど、総務の仕事も任されている人間としては、これらの仕事や仕組みを知らないままでいいわけがない。それじゃプロになれないと思う。だから委託していたとはいえ、その仕組みなどはある程度自分で勉強してきたつもりである。だから給与計算の仕組みや社会保険、労働保険、税金などの仕組みも必要な範囲で理解してきたつもりである。
 なんでこんなことをいうかといえば、その労働保険事務組合を脱退して、給与計算などの業務をこれからやろうとしているのだ。何故か?簡単である。書店の廃業で従業員が減ったため、労働保険事務組合に委託している手数料がもったいなくなったからである。それと労働保険事務組合に加入していると、経営者が労災の特別加入が認められる(経営者は労働者でないので労災の加入が本来認められないのだ)ので、もし労災があった場合、労災の支給される。
 ところがうちの社長は毎週木曜日にしか会社に顔を出さないから、労災などあり得ないし、もともと労災を起こすほど危ない業務を当社はやっていない。となると、社長の保険料も無駄だ。
 しかも当社は社員の出入りが激しい会社ではないし、社会保険や労働保険の手続きもほとんどない。わざわざ高い手数料を払って、やってもらわなくても私でもできる。
 というわけで、労働保険事務組合を脱退して、今までやってもらっていた仕事を私がやろうと下準備している最中なのである。それに労働保険事務組合は結構おいしいところがある。そんな労働保険事務組合を儲からせる必要はない。それほど余裕があるわけでもないのだから・・・。
 まずは給与計算の仕組みの確認をしている。EXCELで給与明細を作ってみると、簡単にできてしまう。これで通常の給与明細としてプリントアウトしても問題はないだろう。けれど、いくら何でも体裁が悪い。
 面白いことを顧問税理士から聞いた。自社で給与計算をやるつもりでいるので、アドバイスを請うた時、その税理士の顧問先でどういう給与明細を出しているか聞いてみたのである。そうしたら、手書きで、もしくはワープロで明細を打ち出し、銀行のATMにある袋に名前を書いて渡しているところもあるというのだ。 確かにお金そのものは振込だから、それでもいいのだけど、でもちょっとなぁと思ってしまう。大企業になると、明細をメールで送ってしまうところもある。これはかっこいいが、メールアドレスを持っていない人がいた場合できないし、うちの社長みたいにメールをうまく見られない人間もいるから、ここまではできなそうだ。(それでも昨日、Windows搭載のパソコンを買おうかなんて言っていたので、いずれそういうシステムに移行できるかもしれない)
 というわけで、給与計算のソフトを買って、給与明細を打ち出し、ちゃんとした袋に入れて出す予定である。
 連休が終わったら、給与計算のソフトの導入セミナーに行ってみようと思っているし、先日は社会保険事務講習会の「算定基礎届」事務の講習会の申し込みをした。これからはちょっと仕事が面白くなりそうだ!

再就職

 前の同僚が解雇後なかなか次の仕事が決まらないで、あるいは一旦決まったのだけど、話が違い辞めざる得なかったりして、再就職が厳しい状況にあることを知らされる。確かに歳くったばあさんだし、口うるさいから、そう簡単に雇ってくれるところなど見つからんだろうとは思っていたが、失業給付が打ち切られるギリギリまで、仕事探しに奔走していた。
 その間何度かメールや電話で相談を受けてきたのだけど、どうやらやっと仕事が決まったらしい。就職先は偶然社長の知り合いのところらしく、昨日社長からその知らせを聞いた。
 早速彼女にメールを出す。就職先が決まったら教えてくれと言ったのに、何で教えないんだ!と文句をいうところから始め、とりあえずは「よかったなぁ」とお祝いの文句を書いた。
 すぐ返事が来る。いきさつと連絡が遅れたことの詫びが書かれていた。就職先が若い女性が多いらしく、多少不安も書かれていたが、ばばあ風を吹かさなければうまくいくだろう!
 とりあえずはよかったと思う。落ち着いたら美味しいものでも食べに行こうと約束してあるので、その時が楽しみだ。

2006年04月27日

書くこと

 こうして、読んだ本のことをああでもない、こうでもないと書きつづっているが、これが結構苦しんで書いている。こういう雑文を書くのと違って、かなり頭を使う。
 確かに自分がブログやるにあたり、好きな本のことを思うだけじゃなく、きちんと形にして残したいという気持ちがあるからやっているのだけど、これがただ単に読みっぱなしにしておしまいというわけにもいかないから、きちんと頭の中を整理して、何をどう思ったのか?あるいは何を感じたのか?それを書かなければならない。しかも読んでくれる人にそれを分かって欲しいという気持ちがあるから、いい加減な形で表すわけにもいかない。(分かりやすいかどうか、疑問だけど・・・)
 とにかくここに書くにあたり結構頭を悩ましているのだ。本を読むことは苦痛じゃないだけに、すいすい読んでいく。けれど読んだ本のことを書くとなると、ここで一時止まってしまう。今、正直「まいったなぁ」というところがある。できる限り読んだ本のことをアップしていくけれども、もし今後書き込みのスピードが遅くなったら、うまく書けないんだなぁと思ってくれるありがたいなぁ。決して本を読むことを中断したわけではないのです。ハイ・・・

2006年04月18日

お~い!みんな元気かい?

 何だかいきなり同窓会で学校の先生が言うようなセリフをタイトルを付けてしまい、変な感じなのだが、なんかそんな気分なのである。

 実は昨日岩田さんが事務所にお見えになり、思わずうれしくなってしまったのである。とにかくどうされているか気になっていたので余計である。こっちから連絡を取ればいいのだろうけど、どうしても電話を取ることが出来なかった。
 理由は簡単である。自分だけ会社に残ってしまい申し訳ない気持ちでいっぱいだからである。苦労されて次の仕事を探されていることだろうなんて思うと、とてもじゃないが受話器にのびる手を引っ込めてしまうのである。
 だから連絡がないのはいいことだからと思うことにして、きっと彼のことだから落ち着いたら連絡をくれるだろうと思っていたのだ。そうしたら昨日わざわざ事務所を訪ねてくれ、それまでお茶の水店のやっかいなタイムカードのチェックをして苛立っていたのも忘れ、思わず話し込んでしまった。彼と話しているとこちらも優しくなれるので不思議である。やっぱり彼の人徳なんだろう。近況を伺ったり、メールアドレス聞いたりして別れる。
 家に帰って彼から聞いたメールアドレスに、試しのメールを今日来ていただいたお礼を兼ねて出した。すぐ返事が返ってくる。
 そして昨日偶然にも、田中のばあさま(以前の同僚)からもメールをもらう。今就職活動中ということで問い合わせのメールなのだが、以前も同じようなメールをもらった。思わず「今度は何だ!」と思いつつ、メールを読む。決して怒っているんじゃない。どうしてかうれしいのである。昔の仲間とこうして連絡があることが・・・。

 このブログをどれだけの人が見てくれているのか分からないけど、たまには大学の友人や元二六堂書店に勤務してしていた人が見てくれていることは知っている。電話や会ったりしたときに「ブログ見てますよ」と言ってくれたり、私のブログの内容の話になったりするからである。お恥ずかしい次第だけど、やはりそういわれるうれしい。
 以前私のブログを見て何か書かないといけないと思いつつ、なかなか書けなくてと言った友人がいたけれど、そんな無理して書く必要なんかないと言っておいた。たぶん見るだけ見て何も書かないというのは申し訳ないという気持ちからそういう言葉が出てきたのだろうが、そんなこと当の本人は全然気にしていない。もちろん書き込み歓迎だけど、それよりこのブログを見て呆れられていること想像することを私は楽しんでいる。「おまえ馬鹿だなぁ!」なんて言われているんだろうと思いつつ書いている部分があるのだ。決して自虐的になっている訳じゃなく、実際問題自分でそう思うし、自分で自分に呆れつつ生きているものだから、半ば諦めてもいる。私は私でそういう自分を楽しんでいるのだから、それだけでいい。
 ただ、予想もしなかったけど、こうして私の知っている人達や昔の仲間が私のブログを読んでいてくれるということが、どこかこのブログでそれぞれつながっているような気がしているのである。なんだかそれがうれしい。だから思わず「お~い、みんな元気かい」なんて青臭いことを言ってしまったのである。

2006年04月17日

使い捨て

 もうスギ花粉はだいぶ楽になりつつある。が、昨日などは、最後のあがきか、まだいつもの症状が出る。
 今年も使い捨てマスクのお世話になった。例のカッパマスクである。ところでこの使い捨てマスクいつ捨てればいいのだろうか?
 たとえば使い捨ての本家といえば、代表格として使い捨てカメラがあるけど、この場合、フィルムがなくなって、撮影できなくなった時点で「おしまい」と、ある程度「おしまい」がはっきりしている。
 ところがマスクは微妙である。使っている人がもういいと思えばそのまま捨ててしまえばいいのだが、私みたいにけちくさい人間は一度使ったくらいじゃ捨てるのはもったいないなぁと思い、もう一度使ってしまう。下手をしたら更に使い続けることもある。
 確かによく考えてみると、花粉症対策用のマスクである。何度も使うものじゃないかもしれない。だって使えばこのマスクの表面にも花粉が着いてしまっているはずだから、再度使うときには表面に花粉が付いているマスクを使っているわけで、中に入り込んだら意味をなさない。やはり一度使ったら捨てるべきなんだろう。が、そう思うけど、なんかもったいなくてもう一度使いたくなるのは、これは性格の問題か?ただ単にけちなのか?それこそ一度使ったらもう使えなくなるといったシステムが組み込まれていれば(システムというほど大げさなものじゃなくてもいいけど)そんなことで悩まなくても済むのにと思うのは私だけだろうか?

2006年04月07日

新書のこと

 『街道をゆく』の2巻をぐずぐずと読んでいると、ダン・ブラウンの新刊が発売され、どうしてもそちらも読みたくなり、2冊並行して読むはめになる。が、やはりダン・ブラウンの方が面白いから、どうしてもこちらを主流に読んでしまった。
 で、それが読み終わって、又『街道をゆく』に戻ったのだが、不思議なことに案外ページが進むので驚いている。本を読むのにも、ペースがあって、いったんペースが上がるとその勢いが余韻として残っており、同じペースで読めるものだと知る。もちろん焦って読む理由なんてどこにもないのだけど、ページが思うように進むのは快い。
 私は今年この『街道をゆく』をメインに読書計画を立てているが、これ一辺倒で行くつもりはない。途中読みたい本があれば、そちらに寄り道して、いわば息抜きとして違う本を読むつもりでいる。
 今読んでいる後にも違う本を読むつもりでいる。もう控えているのだ。『国家の品格』、『ウェイブ進化論』などがそうだ。
 
 ところで最近新書が面白い。一昔前だと新書といえば、岩波新書や中公新書が代表格であったが、最近は岩波新書が売れないらしい。中公新書などは今どうなっているのかよく分からない状態である。それくらい他社が新書を出していて、既存の新書は影が薄い。また競い合って新書を出しているものだから、いいものがたくさん出てきている。確かに岩波新書は読まなくなった。
 昔本屋で初めてアルバイトして仕事を始めた頃、岩波新書を定期で取っている人がいた。新刊で発売された岩波新書を全部集めているのである。確かこの人は大会社の幹部職に就いていた人だ。今にして思えば、岩波の権威主義的出版物を好みそうな人のような気がしてしまう。でも、今でも新刊の岩波新書を買い続けているのだろうか?その後を知りたいものだ。
 岩本町店を閉店したとき、ショタレ(返品不能品)として岩波新書がかなり残った。返品できないものだから、最後は叩き売ったのだけど、それでもかなりの数が残ってしまった。残った岩波新書を見てみると、とてもじゃないが今読みたいと思うことができない代物ばかりであった。そうなのだ。岩波新書はその時話題となった事柄を解説するようなところがある。出版された当時はまだ話題としてホットな状態だから、読む意味があったかもしれないが、時間がたってしまうと読むに堪えないものばかりになってしまう。風化してしまうのだ。
 どうも当時の岩波新書はその時代の解説本みたいな性格を持っていた。だから一過性の内容になってしまっていたような気がする。そしてその傾向を今も引きずっているから、売れなくなってしまったのではないかという気がする。しかも岩波特有の小難しさがあるから余計である。(個人的には中公新書は好きだったのだけど、中央公論がつぶれて読売新聞社の買収されてから、なんだかおかしな具合になってしまった。それは文庫も同じだ。昔の中公文庫はいい作品を文庫化していた)
 最近の新書は確かに今話題になっているテーマを主流する部分はあるにしても、一方で時間がたっても風化しない内容のものも数多く出てきているような気がする。
 というわけで、これからも新書には目が離せない。