2006年04月07日
新書のこと
『街道をゆく』の2巻をぐずぐずと読んでいると、ダン・ブラウンの新刊が発売され、どうしてもそちらも読みたくなり、2冊並行して読むはめになる。が、やはりダン・ブラウンの方が面白いから、どうしてもこちらを主流に読んでしまった。
で、それが読み終わって、又『街道をゆく』に戻ったのだが、不思議なことに案外ページが進むので驚いている。本を読むのにも、ペースがあって、いったんペースが上がるとその勢いが余韻として残っており、同じペースで読めるものだと知る。もちろん焦って読む理由なんてどこにもないのだけど、ページが思うように進むのは快い。
私は今年この『街道をゆく』をメインに読書計画を立てているが、これ一辺倒で行くつもりはない。途中読みたい本があれば、そちらに寄り道して、いわば息抜きとして違う本を読むつもりでいる。
今読んでいる後にも違う本を読むつもりでいる。もう控えているのだ。『国家の品格』、『ウェイブ進化論』などがそうだ。
ところで最近新書が面白い。一昔前だと新書といえば、岩波新書や中公新書が代表格であったが、最近は岩波新書が売れないらしい。中公新書などは今どうなっているのかよく分からない状態である。それくらい他社が新書を出していて、既存の新書は影が薄い。また競い合って新書を出しているものだから、いいものがたくさん出てきている。確かに岩波新書は読まなくなった。
昔本屋で初めてアルバイトして仕事を始めた頃、岩波新書を定期で取っている人がいた。新刊で発売された岩波新書を全部集めているのである。確かこの人は大会社の幹部職に就いていた人だ。今にして思えば、岩波の権威主義的出版物を好みそうな人のような気がしてしまう。でも、今でも新刊の岩波新書を買い続けているのだろうか?その後を知りたいものだ。
岩本町店を閉店したとき、ショタレ(返品不能品)として岩波新書がかなり残った。返品できないものだから、最後は叩き売ったのだけど、それでもかなりの数が残ってしまった。残った岩波新書を見てみると、とてもじゃないが今読みたいと思うことができない代物ばかりであった。そうなのだ。岩波新書はその時話題となった事柄を解説するようなところがある。出版された当時はまだ話題としてホットな状態だから、読む意味があったかもしれないが、時間がたってしまうと読むに堪えないものばかりになってしまう。風化してしまうのだ。
どうも当時の岩波新書はその時代の解説本みたいな性格を持っていた。だから一過性の内容になってしまっていたような気がする。そしてその傾向を今も引きずっているから、売れなくなってしまったのではないかという気がする。しかも岩波特有の小難しさがあるから余計である。(個人的には中公新書は好きだったのだけど、中央公論がつぶれて読売新聞社の買収されてから、なんだかおかしな具合になってしまった。それは文庫も同じだ。昔の中公文庫はいい作品を文庫化していた)
最近の新書は確かに今話題になっているテーマを主流する部分はあるにしても、一方で時間がたっても風化しない内容のものも数多く出てきているような気がする。
というわけで、これからも新書には目が離せない。
- by kmoto
- at 19:58
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