秋葉原にある交通博物館が14日で閉館した。小学校の頃都内見学で交通博物館に行ったことがあるし、自分の子供がまだ小さい頃、連れて行ったこともあった。
靖国通りから昭和通りに出るのに、途中横道には行って、交通博物館に前を通るのだが、最近はよく人が入っているのを見かけた。多分閉館が決まって、ちょっと行ってみようという見学者が多くいたのではないかと推察する。
ちょっと前、書泉さんが秋葉原に進出するといって、その対策を考えろと社長に言われたことがあった。その対策の一つとして、お店をリニューアルして、今風の明るくきれいなお店にするという案があった。
確かにお店は古ぼけていたが、どうもお店を改築して明るくし、お客を確保しようとする目先だけの案には疑問があった。だって人も建物も時間がたてば古くなるのは仕方がないことであって、こんなことでお客を確保しようとする発想は、お店が古くなれば、絶えず新しくリニューアルが求められることになる。むしろ古ければ古いほどその歴史が加わるわけだし、それこそ風格が備わるもんじゃないかと思うのだ。たとえそれが機能的じゃなくても、その分人の手が必要になるわけで、人のぬくもりがそこには存在するような気がする。
お茶の水の駅前の又調剤薬局ができるので、当社のお茶の水店もその店の対策としてリニューアルをしたのだが、これだって本来おかしな話である。患者さんはお店の新しさで調剤薬局を選ぶとしか見ていない部分がある。患者さんは信頼できる薬剤師さんがそこにいるから、多数ある調剤薬局のなかのうち当社の薬局にきてくれているのではないか。外面より中身の問題ではないかと思うのだ。その店の存在感が外面だけにあるような考え方はおかしいと思うべきだ、と思うのだ。
確かにきれいで、新しく、最新の機能をもったお店、調剤薬局、博物館に引き寄せられる部分はあるだろうけど、どうもそれだけじゃないのではないか。もしそれだけなら、本当に民度が低いとしか言いようがないのではないか。そんな気がする。
多分こう言えば、それは理想論だと反論されるだろう。そんなことを言ったって、お客や患者は新しくきれいで、最新の機能を持ったところに行くもんだから、そうせざる得ないのだと。そうなんだろう。でも、よく考えてみると、リニューアルが客寄せの最大のポイントになるのなら、そのお店、調剤薬局、博物館の中身はどうでもよくなってしまう可能性がある。本来は中身で勝負しなければならないのに、それがおろそかになる可能性があるのではないか。
博物館の老朽化、結構じゃないか!暗くて薄汚い感じはするかもしれないけど、東京の下町にそうした博物館があること自体価値がある。薄汚い=不潔という発想自体貧相な発想である。明るい日差しがさんさんと差し込むガラス張りの建物だけが清潔という訳じゃないだろう。そんなことを言ったら、東京に手軽に行ける博物館がなくなっちゃうかもしれない。あるいは高いビルの中にある博物館や美術館しかなくなってしまうかもしれない。
私はお茶の水にある大学出身なのだが、ちょっと前に校舎がものすごく近代化してガラス張りの校舎となり、それこそ都会のキャンパスといったモダンな感じなってしまった。でもあの古ぼけた、迷路みたいな校舎の方がものすごく魅力的だとさえ思っている。今の校舎には入りたいとは思わないが、もし昔の校舎が残っていれば入ってみたいとさえ思う。
そろそろ何でも新しければいいという発想は捨てるべきじゃないか。古いものを残しつつ、中身の充実をはかるべきなんじゃないかと思う。そのため多少不便であっても、古ぼけていたとしても、いいのではないかと思うのだ。