2006年05月30日

相変わらずいたずらは続いているようだ

 サーバーのAN HTTPDのログを見てみると、相変わらずいたずらは続いているようである。今のところ手をつけていないBBSには変な書き込みがされている。まぁよくも懲りずに同じことばかりできるもんだと呆れかえる次第だ。多分自動書き込みソフトかなんか使って、書き込んでいるのだろうが、そんなことをして何が楽しんだろうか?自分がやっていることがみんなで嫌がられているのに馬鹿な奴だ。しかも自分の正体を明らかにしないで、卑怯きわまりない。
 ご丁寧に、パスワードまで設定して、簡単に削除できないようにしている。しかしこっちは管理者権限で、ごそっと削除できるのに・・・。あまりにも悪質なので、BBSのフォルダー名を変更した。これも近いうちに何とかしないといけない。
 しかしブログのバージョンアップをやむなくせざるを得なくなった関係で、『街道を行く』の7巻について書いていたのが途中で中断してしまった。こういうのって、気持ちの持続がどうしても必要なので、変に中断したので妙な具合になってしまった。これもいたずら者せいである。残念である。

2006年05月29日

何とかここまでこぎついた・・・・

 ふっ~、やっとここまでたどり着いたという感じである。この休み、このブログのとが気になって気になってしょうがなく、途中で中断しても、ブログのことが頭から離れない。結局2日がかりでここまできた。
 とりあえずMovable Type が3.2の動作確認ができたし、こうして新しいスタイルができて、ちょっと満足している。
 じつはこのスタイル偶然できあがっちゃったのだ。最初気に入ったテンプレートをダウンロードして、同じようにしようと思ったのだが、どういう訳かうまくいかない。同じようにならないのだ。理由はスタイルシートの構文が違うからだが、でもできあがったスタイルは悪くない。シンプルで飽きがこないんじゃないかなんて思ったのだ。なまじこったものにすると、すぐ飽きが来ちゃって、あれこれいじりたくなってしまうから、この方がいいような気がするのだ。ブログはみてくれじゃない、内容だ!なんて中身のないことばかり書いているくせに、そんなことを思った次第だ。
 まだまだ修正しなければならないところがたくさんあるが、少しずつ直していこうと思う。
 自分のブログがいたずらされることから始まったバージョンアップだが、お陰で、本も読めないし、テレビも見ずに、これにかかりっきりになってしまった。読みたい本もたくさんあるし、読んだ本のことも書きたいし、やりたいことがたくさんあるので、こればかりに時間を割いてばかりいられない。
 それにしてもブログのバージョンアップをしていると、不思議な感覚にとらわれる。ファイルの修正は自宅のパソコンからやっているのだが、まるで自宅のパソコンの中にあるファイルをいじっているように感じてしまう。しかしそれは遠く離れたサーバーの中にあるファイルをいじっているわけで、自宅のパソコンの中にあるファイルをいじっているわけじゃないことに気が付く。改めてネットに通じていることのすごさを感じてしまった。 それとファイルの修正はエディターでやっているのだが、そのエディターの「秀丸エディター」は本当に便利だと、これも改めて感じた。
 今この「秀丸エディター」がないと、こうして文章を書くにしても、ファイルの修正をするにしても、不便だろうなと思う。

2006年05月23日

まったく、頭にくるなぁ・・・

 DELLからPower Edge420SCの保守サービス契約期間終了のお知らせが来た。そうか、このサーバーを買ってもう1年たったんだ。
 それまであれこれホームページを作ってきて、頻繁にスタイルを変えたり、ホームページそのものを全く違うものに変えたりしてきた。つまり作っては、変え、あるいはやめてきた。考えてみたら、それまで作ってきたホームページは1年も続かなかったのだ。
 最初はプロバイダーから提供される領域でFrontPageを使って作っていた。結構手間がかかった。それをブログに変え、現在に至っている。さらにそれをMovable Type にするにあたり、このサーバーを買い、もうすぐ1年になるわけだ。実際これを稼働するのは7月からだが、その間細々とやってきたことになる。昔ならすぐ浮気ごごろをおこして、あれこれいじって変えてしまうのだけど、ここのところそういうことが面倒になってしまっているし、現状に満足しているので、そのままできた。おそらくこれからもこのままスタイルは変えないだろうと思う。

 ところでここ何日間、いたずらのトラックバック、コメントの書き込みがあって頭を痛めている。まったく何の目的でこんなことをするのか理解に苦しむ。こんな私のブログに悪戯したってしょうがないじゃないかと思うし、そんな暇があるならもっと建設的なことをすればいいのにと思う。
 コメントの書き込みは私が許可しないと掲載されないので、アホな書き込みはそのまま放って置いて、後でまとめて削除しちゃえばいいので問題はないのだけど、トラックバックは打たれた瞬間、ここに載っちゃうので厄介なのである。
 大野さんのブログにも悪戯のことが書かれていて、いろいろ対策を立てられている。相談してみたら、Movable Type 3.2にバージョンアップすることをすすめられた。しかしやり方を聞いてみると、これが厄介である。そう簡単にできそうもない。しかも聞いてみると、スタイルも変わってしまうとのこと。これは困った。かといってこのまま放っておくこともできないし、どうしたらいいのだろうか?


 とりあえず、トラックバックは「休止」します。


 ブログを見ていただいて、トラックバックが打てないというのは何だか申し訳ないのだけれど、事情が事情なのでお許し願いたい。

 サーバーが1年間黙々と動いてくれているお陰で、こうしてブログが維持できるのだけど、一方でこんないたずらにさらされているのを思うと何だか申し訳なくなってしまう。
 大声で怒鳴りつけたい気分なのだけど、それを表現すれば相手の思うつぼだろうから、ここは黙って対処するにこしたことがない。

2006年05月20日

検索

 考えてみると、本というのはデータベース化するにはもってこいの商品じゃないかと思う。つまりこれだけアイテム数があって、次から次へと出版されていき、どんどん消えていく訳だから、1冊の本を探す場合、きちんとしたデータベースがあれば便利でいい。
 そんなことを思ったのは、有隣堂にあるタッチパネルの書籍の検索システムに感心したからだ。
 北尾トロさんの新刊を買おうと思い、有隣堂へ行ったのだが、さてこの本がどこにあるのか探すのが大変である。ましていくら新刊とは行っても、メジャーな本でもないので、そもそも在庫があるかどうか分からない。
 で、その検索システムを使い探してみる。タッチパネルだから書名をそのままパネルに表示してある50音からひろっていく。どうやらヒットした。在庫はあるようだ。しかしどこの棚に行けばいいのか分からない。でも便利なもので、その本がある棚番号も表示されているし、それでも分からない方向音痴の人のために棚の地図まで表示される。さらに、物忘れの激しい人のために、その場所を表示した紙をプリントアウトできるのだ。つまりその紙を持って棚番号目印に探せば、お探しの本は見つかるわけだ。う~む、さすが!

2006_05_20_01.jpg


 なるほどここまでやれば、いちいち店員を探して、気を使いながら本を探してもらう必要もないし、そもそも馬鹿な店員に聞いたって、最初から分かりゃしないのだから、この機械に探してもらえば、まずは店内に在庫があるかどうかすぐ分かるし、在庫があればこうして場所まで示してくれるのだから、この方がいい。
 お店の側にしたって、こうした在庫管理を徹底することで、すべてをシステム化し、いわゆる専門のプロとして書店員を抱えなくても、アルバイトをカウンターに置いて、お客の対応だけをやらせればいいのだから、人件費のコストも抑えられるだろう。要は少ない正社員で基本を抑えておけば、後は人件費の安いアルバイトでもやれるようにしている訳である。
 書店のシステム化もここまできている。このようにやれるようになってきた訳だ。もちろんこのようなシステム化がいいのか悪いのかという議論をしているのではない。このように最近の技術を使って書店経営するところもあれば、そんな必要のない店もたくさんある。ただ、大書店が経営コストを考えながら、お客に満足な情報をこうして与えているの対して、中小書店は中小書店ができることをお客に与えているだろうかと、ふと思う。どこか、できないから仕方がないだろうといってふんぞり返っている姿が浮かんでしまう部分があるのは私だけだろうか?
 北尾トロさんの本は買わなかった。中身を見てみて、読みたいと思わなくなったのである。結局、『Dr.コトー』の最新刊と『岩波新書の歴史』、それに『武士道』の3冊を本日は購入した。『武士道』は最初岩波文庫のものを手にしたのだが、どうも字が小さく読みにくいのもあってやめ、三笠文庫のやつにした。この方が字が大きく、又内容も読みやすくしてあるので、私にむいている。

2006年05月15日

古くて結構!

 秋葉原にある交通博物館が14日で閉館した。小学校の頃都内見学で交通博物館に行ったことがあるし、自分の子供がまだ小さい頃、連れて行ったこともあった。
 靖国通りから昭和通りに出るのに、途中横道には行って、交通博物館に前を通るのだが、最近はよく人が入っているのを見かけた。多分閉館が決まって、ちょっと行ってみようという見学者が多くいたのではないかと推察する。

 ちょっと前、書泉さんが秋葉原に進出するといって、その対策を考えろと社長に言われたことがあった。その対策の一つとして、お店をリニューアルして、今風の明るくきれいなお店にするという案があった。
 確かにお店は古ぼけていたが、どうもお店を改築して明るくし、お客を確保しようとする目先だけの案には疑問があった。だって人も建物も時間がたてば古くなるのは仕方がないことであって、こんなことでお客を確保しようとする発想は、お店が古くなれば、絶えず新しくリニューアルが求められることになる。むしろ古ければ古いほどその歴史が加わるわけだし、それこそ風格が備わるもんじゃないかと思うのだ。たとえそれが機能的じゃなくても、その分人の手が必要になるわけで、人のぬくもりがそこには存在するような気がする。

 お茶の水の駅前の又調剤薬局ができるので、当社のお茶の水店もその店の対策としてリニューアルをしたのだが、これだって本来おかしな話である。患者さんはお店の新しさで調剤薬局を選ぶとしか見ていない部分がある。患者さんは信頼できる薬剤師さんがそこにいるから、多数ある調剤薬局のなかのうち当社の薬局にきてくれているのではないか。外面より中身の問題ではないかと思うのだ。その店の存在感が外面だけにあるような考え方はおかしいと思うべきだ、と思うのだ。
 確かにきれいで、新しく、最新の機能をもったお店、調剤薬局、博物館に引き寄せられる部分はあるだろうけど、どうもそれだけじゃないのではないか。もしそれだけなら、本当に民度が低いとしか言いようがないのではないか。そんな気がする。
 多分こう言えば、それは理想論だと反論されるだろう。そんなことを言ったって、お客や患者は新しくきれいで、最新の機能を持ったところに行くもんだから、そうせざる得ないのだと。そうなんだろう。でも、よく考えてみると、リニューアルが客寄せの最大のポイントになるのなら、そのお店、調剤薬局、博物館の中身はどうでもよくなってしまう可能性がある。本来は中身で勝負しなければならないのに、それがおろそかになる可能性があるのではないか。
 博物館の老朽化、結構じゃないか!暗くて薄汚い感じはするかもしれないけど、東京の下町にそうした博物館があること自体価値がある。薄汚い=不潔という発想自体貧相な発想である。明るい日差しがさんさんと差し込むガラス張りの建物だけが清潔という訳じゃないだろう。そんなことを言ったら、東京に手軽に行ける博物館がなくなっちゃうかもしれない。あるいは高いビルの中にある博物館や美術館しかなくなってしまうかもしれない。

 私はお茶の水にある大学出身なのだが、ちょっと前に校舎がものすごく近代化してガラス張りの校舎となり、それこそ都会のキャンパスといったモダンな感じなってしまった。でもあの古ぼけた、迷路みたいな校舎の方がものすごく魅力的だとさえ思っている。今の校舎には入りたいとは思わないが、もし昔の校舎が残っていれば入ってみたいとさえ思う。
 そろそろ何でも新しければいいという発想は捨てるべきじゃないか。古いものを残しつつ、中身の充実をはかるべきなんじゃないかと思う。そのため多少不便であっても、古ぼけていたとしても、いいのではないかと思うのだ。

2006年05月12日

業者さん

 私は総務の仕事もしているので、会社に必要な備品、消耗品など、それぞれどこで買うか業者を決めている。
 最近はASKULが便利なので、カタログを見てインターネットで注文してしまうことが多いけど、それでも決まったものは、いつも頼んでいる業者さんに頼んでいる。
 たとえば、名刺や封筒の印刷などは事務所の近所にある印刷屋さんに頼んでいるし、印鑑やゴム印などは自宅の近くにあるはんこ屋さんに注文する。あるいは展示用のフックなどは浅草橋の西川金太郎さんのところで、コピー紙はPDCという紙屋さんで買う。
 電話の業者さんは昔からお願いしている業者さんだし、求人広告の代理店も、いろいろな代理店などが飛び込みで入ってくるけど、これも昔からのつきあいで一社にしている。お店の工事や解体なども決まった大工さんにお願いしているし、赤帽も決まった人にお願いしている。
 それらの業者さんは大きな会社ではなく、あるいは個人商店が多い。たとえれば、電話やメールなどで「いつもお世話になっております」から挨拶を始め、「誰々さんお願いします」という回りくどい感じではなく、「ちわ!」と始め、「お願いがあるんだけど・・・」といきなり用件を言える関係のつきあいができる業者さんである。もちろん仕事はきちんとしてくれるし(当たり前のことなのだが)、こちらのわがままも聞いてくれるものだから、いつの間にか、つきあいが始まっていく。
 こう言っても、最近は大企業でも当社専属の担当者がついて、いろいろお世話になっている。あのデルコンピュータでさえ、いつのまにか当社担当だと言って、電話で挨拶があったし、NTTでさえ、担当者がついた。そうだ!今日、NTTの担当が当社の電話代を安くするためのシミュレーションを持ってくると言っていたっけ・・・。
 そんな業者さんの中に自転車のパンクや修理をお願いしているいつもの自転車屋さんに、事務所の自転車の修理を依頼した。愛用している自転車の後輪から妙な音がするようになったのだ。
 自転車を持ち込むと、さっそくつなぎを着たおやじは自転車に乗り、すぐおかしいところ判断するが、「もういい加減に買い換えたら」と言われる。私も「買ってもいいけど、これ修理したらどのくらいかかる?買った方が安ければ、買うけど」というと、「そりゃあ、直し他方が安いよ」と言うものだから、「じゃあ、直してよ」と言えば、「分かった!明日までにやっておく」と無理強いしない。
 この自転車、大正製薬の販促の景品としてもらったものなのだが、1年前までは本の仕入に使っていて、荷台に重い本をのっけて走っていたし、最近はお茶の水店へ行くときに頻繁に使っている。そして乗っている私が結構荒い乗り方をしているので、ガタがきても仕方がない。よく分からないけど、後輪を回す歯車がすり減ってしまっているらしい。だろうなぁと思った次第だ。
 で、昨日修理されたであろう自転車を取りに行く。いい感じだ。オヤジに言われてしまった。「まったく、ブレーキもすり減っているし、あっちこっちねじはゆるんでいるし、どうしようもなかったよ」と。
 「うん、分かっている。この自転車がおしゃかになったら、新しい自転車をここで買うから」と言って代金を払う。

2006年05月08日

ブックカバー

 ブックカバーに困っている。本屋に勤めていたときは、そんなこと考えたことがなかった。とりあえずお店で本を買って、すぐ読むときは、その場で自分でカバーかければよかったし、後で読む場合、読むときにカバーをかければよかった。ところが、お店がなくなって、買っておいた本を読もうとするとき、その本にかけるカバーがないのだ。幸い文庫のカバーはお店を閉店するときに、多少多めにもらっておいたので、今のところ問題はないのだが、単行本のカバーがない。こんなことなら、もっと多くもらっておくべきだったと後悔している。
 最近は有隣堂で本を買うことが多くなったが、できる限り本にカバーをかけてもらうことにしている。それを読む本にカバーをかけ直すのである。
 ところで有隣堂では文庫のカバーはかけてもらわない。手持ちの文庫カバーがあるからだけど、このカバーは気に入らない。役に立たないのだ。10色のカラーがあるのは結構だけど(はっきり言ってどうでもいいのだけど・・・)、ただその色つきのカバーを折り込んであるだけで、すぽっととれちゃうのだ。せめてどっちか片一方でも引っかかっていれば、そんなことにならないのにと思う。こうして10色のブックカバーを作って、お客に「なんとおしゃれなんだろう」と思わせるのが目的なのだろうが、レジでどの色のカバーにしますなんて聞かれること自体鬱陶しい。
 それとかねがね不思議に思っていたことなのだが、単行本にカバーをするとき有隣堂は本にカバーをするのではなく、本のカバーにカバーをかけるのだ。だから本のカバーと一体化しているため、これも本体から簡単にとれてしまう。
 確かに本屋さんでかけてくれるカバーは本を痛まないようにすることと、人に何の本を読んでいるか分からないようにするための目隠し的な機能があると思う。(ここでは本屋さんの宣伝効果は考えていない)だから有隣堂の本にカバーのかけ方にはそれほど問題はないのかもしれないが、ただ下手をすると、本体とカバーがずれてしまうのと、本体を落としてしまうところがある。
 で、私はどうしているかというと、単行本に関しては、有隣堂でかけてもらったブックカバーをかけ直して使うことにしている。しかし所詮カバーは紙なので何度も使い回しができなし、私のカバーのかけ方は、本格的?(当たり前だ。元本屋さんなのだから)なので、本の形にきちんと合わせてカバーを付けるので、基本的に使い回しができない。そのかわり本体から外れることもない。もちろん本にダメージもあたえない。ふふふ・・・。
 しかし、棚に眠っている本を読む場合、決定的にカバーが足らない。仕方がないので、合皮の安いブックカバーを買って、それを使っている。これだと外れる心配はないのだけど、多少大きめの作りなので、表紙のカバーと本体がほんのわずかだがずれる。そのため、表紙のカバーの上の部分にシワができる。細かいことだけど、どうもそれが気になる。ついつい読んでいる途中で、本体とカバーのずれを直してしまう。やっぱり紙のカバーをきちんと付けておきたいと思うが、そのカバーがない以上仕方がない。諦めるしかない。なんかいい方法がないだろうか?