2006年09月29日

本棚の整理をしよう!

 ここのところ、本を買ってきては、読むか、とりあえず本棚に置いちゃうか、あるいは本棚から取り出して読んだ本を元の場所に戻さないで、ポイと置きっぱなししてしまい、本棚が雑然としちゃっている。 私の本棚は全部で60段以上あるので、どこの棚にどの本が入っていて、読んだのか、それともまだなのか、棚にしまい込んじゃうと分からなくなってしまう。しかも文庫など1段の棚に2列並べちゃっているものだから、奥の本は全く見えない状態になっている。
 で、仕方がないので、パソコンで自分の蔵書を管理している。その管理画面が下の画像である。


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 何か間延びした感じがするのは、これを作ったときその当時のモニターに合わせて800×600で作った。そしてモニターをTFTに変え、1024×768に変えたため、それに合わせてサイズを変更したらこんなになっちゃった訳である。もう一度スタイルを変えて、きちんとしたものに作り変えればいいのだけど、今度Accessの使い方をすっかり忘れちゃっているので、最初からやり直さないといけないのだ。何度か挑戦してやったのだけど、如何せん気力がないのですぐ挫折する。
 でも、これちゃんとデータが入力されていると、便利で自分の本を探すとき、著者名、書名のどちらでも探せるようにしてあるのだ。ただ当然データがきちんと入力されていなければならないし、読んだら元の場所に戻しておかないと、意味をなさない。今この状態なのである。せっかく自分にあった蔵書目録があるのだから、やっぱりきちんと使えるようにしておきたい。ちょっとこの休み、本の整理とデータベースの入力をきちんとやっておこうかなぁと思う。

 確かにこのようなデータベースは便利ではある。たとえば『スケベの研究』という本を探しているとしよう(ただしこんな本があるのかどうか知らないし、実際問題持っていないのだけど)、このデータベースを使えばすぐ場所が「A-04」の棚にあることが分かるのだ。ね、すごいでしょう!
 私は特に忘れっぽいので、同じ本を2冊買うことが多かったのが、これのお陰で、そんな馬鹿なことをしないようにはなった。
 けど、逆にこのデータベースをしっかりしたものにするためには、『スケベの研究』という本が必ず「A-04」の棚になければならない。つまり本の整理は必ずこのデータベースに基づいてしなければならず、ポイと置きっぱなしにして、そのまま忘れちゃうなんて許されないのだ。でないと検索してもその場所に本がないことになっちゃう。これ結構きついんですよね。面倒くさいのだ。で、忘れてそのままにしてしまうことがある。せっかく検索しても本がないなんていうこと、実はよくあるのです、ハイ・・・。

2006年09月23日

久しぶり

 今自宅ではADSL回線でインターネットにつなげている。しかし局から離れている関係で、スピードが出ていない。
 一方でノートパソコンを買って無線Lanをやりたいとも思っていたが、ルーターを付けてやると、とてもじゃないがインターネットに接続できないし、今のパソコンでさえ更にスピードが落ちるとヨドバシのねーちゃんに言われた。これはまずい。そのためノートパソコンを買うつもりでいたのを、今ペンディングしてしまった。まずはインターネットの環境を整えないと話にならない。やっぱり今の時代は光だよなぁ。しかしランニングコスト増が痛い。でもこのままじゃノートパソコンも無線Lanもご破算だ。どうしようか迷っている。
 でもいずれは光に変えないといけないとは思ってはいた。今がその時期なのかもしれないと強引に思っちゃうのだけど、でもなぁ・・・。どうしよう・・・


 木曜日に早く仕事を終えることが出来たので、有隣堂へ行った。メガネ女子のことを思い出したのである。実は昼休みに最近メガネ女子が人気(メガネをかけた女の子がいいというもの?)なんだそうで、その本が有隣堂に並んでいると聞いたので、見てみたいと思ったのである。要するにおじさんにはよく分からない最近の現象だなので、よく調べてみようと思ったのだ。(向学心というか、興味だけはいくつになっても旺盛なのだ)


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 で、店内をぶらぶらしていたら、なんと『新宿鮫』の新刊が出ているじゃないか!おお久しぶりだなぁ!本の帯を見てみたら「待望の5年半」とある。そうか、もう5年半も続編が出ていなかったのか!何も言わずにそれを手に取った。かなりうれしかったので、ついでに欲しいと思っていた本があったので、ちょっと給料日まで痛いけど、文庫2冊と新書も買っちゃった。

 今年の読書計画で『街道を行く』の読破を掲げて、せっせと読んで今20巻目となっているが、もう少しで半分なのだが、このままで行くと今年中には読破できそうもない感じだ。決してこのシリーズがつまらない訳じゃない。面白そうな新刊が目に入ってきて、ついつい浮気しちゃうのだ。幸いこのシリーズは中断しても、1冊で完結しているので、いつでも次ぎ読めるという安心感があって、買ってきた新しい本を読み始めてしまうのだ。後3ヶ月でどこまで読めるだろうか?それより今読んでいる20巻目を早く読み終えて、買ってきた『新宿鮫』を読みたい。
 えっ?メガネ女子はどうなったかって?すっかり忘れてしまいました。

2006年09月22日

朝日新聞

 昨日、国旗掲揚や国歌斉唱を教育現場で強要するのは違憲であるとして、東京都教育委員会の通達や指導が、東京地裁で違法とされた。
 まったくこの地裁の裁判長はいったい何を考えているのか、頭がおかしいじゃないのと言いたくらい、馬鹿な裁判長だと思う。
 国旗掲揚や国歌斉唱は当たり前のことだろう。日本という国を思うことに、国旗や国歌は必ずや寄与するはずだ。自分たちが暮らしている国を思うこと、自分たちが日本人であることを、国旗を掲揚するとき、あるいは国歌を歌うとき、自覚させてくれるはずだ。
 だいたい日本人としてだけでなく、どこの国の人々だって、自分たちの国旗や国歌を第切にしているはずだ。それがその国の国民として当たり前のことである。ここには個人の自由など入り込む余地はない。前提として国としてのまとまりや文化があった上で、個人の自由が保障されるのではないか?
 これに関して朝日新聞の社説も呆れてしまった。そこには「日の丸や君が代はかつて軍国主義の精神的支柱として利用された。いまだにだれもが素直に受け入れられるものにはなっていない。教職員は式を妨害したりするのは許されないが、自らの思想や良心の自由に基づいて国旗掲揚や国歌斉唱を拒む自由を持っている。判決はこのように指摘した」と書かれている。
 朝日新聞は戦前、戦争を国民に鼓舞した新聞である。当時の軍司令部を支持したのだ。そんな新聞が、国旗掲揚や国歌斉唱がすぐ軍国主義につながると言うのだ。もしそうなら、なぜ国旗掲揚や国歌斉唱が軍国主義につながるのか、十分検証してからものを言ってほしいもんだ。国旗掲揚や国歌斉唱だけで、戦前、軍国主義に日本が走った訳じゃないことぐらい分かっていいものではないか!国旗掲揚や国歌斉唱を道具として、軍国主義に走らせたのはあんたらでもあったのだということを分かっているのだろうか?
 それに思想の自由は保障されるべきだけど、それは保障してくれる国があって成り立つことではないか。

 というわけで今回も朝日新聞の馬鹿さ加減には呆れてしまうのだけど、だったらそんな新聞など購読しなければいいじゃないかと言われそうである。確かにその通りだ。
 でも何で私が朝日新聞を取っているかといえば、単純に本の情報が、読書人に共有されていることが多いからである。どういう訳か知らないが、本屋で働いていたとき、朝日新聞に載っていた本ということで、お客さんによく聞かれたからである。会社の重役クラスになると日経新聞になるのだが、ごく普通のお客さんから新聞の切り抜きなど持って、本の在庫を聞かれるとき、何故か朝日新聞が多いのだ。だからその関係で朝日新聞を取っているだけのことである。もう本屋を辞めたのだから、いつまでも朝日新聞にこだわる必要がないのだけど、長年朝日新聞を読んでいるものだから、そのままになっているだけのことなのだ。

2006年09月20日

元祖Aボーイ

 秋葉原のたむろする奴らをAボーイというらしいのだが、それをいうなら私は20年以上も秋葉原に事務所を置く会社に勤めているのだから、それこそ元祖Aボーイだと馬鹿なことを言ったことがある。(でももうボーイじゃない。これじゃ中年になっても少年隊といっているのと同じだ?)
 その私が最近の秋葉原の変化に驚いている始末である。再開発された駅前の変わり様は驚くばかりだ。ちょっと前に、駅前の新しくできたビルで飲んだことがあるのだが、その見晴らしのいいのには驚いた位だ。店も洒落た感じだった。昔の秋葉原じゃ考えられなかった。ここに市場があったなんてもう忘れられているのだろう。そういえば最近段ボールを集めて回る、もう何年も風呂に入っていないと思われるきたないオヤジがリヤカーを引いている姿を見かけることが少なくなった。
 土曜日など駅前を歩いていると、メイドの恰好したおねーちゃんが店のパンフレットをガンガン配っている。最初どこで見たのか忘れたけど、とにかくあのメイドの恰好見たときは、唖然としたものだ。これが「萌え~!」なのかと訳の分からないことを思ったのだけど、いつのまにか秋葉原の代名詞みたいになっているし、そんな恰好のねーちゃんを見ても違和感がなくなってしまった。変な町である。本来なら危ない世界なのだろうが、それが大手を振って秋葉原にあるところが今の秋葉原なのかもしれないなんて思う。
 でもその移り変わりは激しい。そんな秋葉原の移り変わりや、影の部分など紹介してくれるサイトを見つけ(というより教えてもらったのだが)、楽しんでいる。この「夜を往け akihabara p」が気に入ったのでリンクしてある。
 このサイトの管理者は結構マメで、面白い写真を提供してくれている。岩本町で勤務されていると書かれているので、秋葉原の夜の写真を仕事の帰りでも撮られているのだろう。
 だけど、夜だとフラッシュをたかないと写らないから、結構目立つんじゃないだろうか?私なんか町中で写真を撮る場合、どうしてまわりが気になってしまうので、写真を撮るときは、できるだけ人がいなくなった時を狙ってシャッターを押したりするけど・・・。まぁデジカメの普及であるいは携帯のカメラのお陰か、カメラを持って歩くことが日常的になりつつあるから、こういうサイトも可能なのだろう。
 このサイトの過去ログに岩本町店の閉店のことがあった。閉店でシャッターの閉まった写真が載っていた。

「岩本町の二六堂は4月末で閉店 」とあり、「岩本町駅の上にあった二六堂は先月末で閉店したようです。二六堂は薬局と書店の二店舗がありましたが、どちらも一斉に閉店。何かあったんでしょうか」と書かれていた。「何かあったんでしょうか」ではなく、つぶれたんです。でもこの写真、何か懐かしかった。


http://f44.aaa.livedoor.jp/%7Eakiha/log/a200505.html


 その後「都内で着実と言うかもの凄い勢いで店舗の増えているカフェベローチェが、千代田区界隈でまた一件増えました。場所は岩本町の出入り口の直ぐ横です。ちなみに以前この場所にあった二六堂書店と薬局は跡形も無くなってます。まあ時代の流れってこんなもんなのでしょうね」としっかり書かれている。


http://f44.aaa.livedoor.jp/~akiha/log/a200511.html


 ここで働いていた元祖Aボーイは十二指腸潰瘍で悩んでおります。ハイ

2006年09月17日

再度胃カメラ

 症状がちっとも改善しないので、今まで通っていた病院から新しい病院へ変えたことはたぶん書いたと思う。病院を変え、診てくれる先生も変わった訳だけだから、また胃カメラを呑まなくなることは覚悟していた。で、昨日再度胃カメラを呑んで、よく調べてもらう。
 結果、当初の見たて通り、やはり胃の出口、十二指腸の入り口が通常の人より狭くなっていることがはっきり分かった。これはこの部分に以前何度も潰瘍が出来ては治り、又出来、治りと繰り返すうちに傷口が硬くなり、胃の出口、十二指腸の入り口を狭くしてしまっているらしい。言ってみれば十二指腸潰瘍らしいのだが、十二指腸そのものはきれいな状態だと説明を受ける。問題はこの部分だけらしい。
 とにかく胃の出口、十二指腸の入り口(う~ん、面倒くさいなぁ)を狭くしていることが、胃で消化されたものが十二指腸になかなか行かないものだから、胃に食べ物がいつまでも残っている状態が続き、胃酸を出し続ける。胃酸濃度が高いのもこのことによるらしい。もちろん膨満感やゲップが多いのもこのためである。
 今回の検査はビデオ録画しながら検査して、必要と思われる箇所は写真を撮ってくれた。カメラは十二指腸まで入り、そこをよく調べてから、胃に戻り、胃の状態もよく見てもらう。胃では例のポリープもいくつか見つかり、おかしな形をしているものは一部を取って、検査に回された。そして食道、喉の奥と診てもらった。そのため結構長い時間胃カメラをくわえたことになり、かなりむせてしまい、苦しくて涙が出てくる始末であった。
 とりあえず検査が終わり、待合室へ戻り、再度名前を呼ばれ診察室へかみさんと二人で入る。先ほど撮ったビデオを再生しながらより詳しく説明を受け、見にくいところはこれも先ほど撮った写真を見ながら私の喉の奥から食道、胃、十二指腸とどんな状態なのか教えてくれた。
 私はこれまで4回胃カメラを飲んでいる。5年前、区の節目検診でひっかかり、精密検査が必要と言い渡されたのが最初である。考えてみると、この検診から私の医者通いが始まったものであった。この時大腸検査でもひっかかり、以後毎年大腸の内視鏡検査はやらなければならなくなったのだ。
 さて、胃カメラである。4回の検査はすべて先生が違う。(といっても今年はそのうち2回胃カメラを呑んでいる)やり方は多少違うにしても、基本は変わらない。例のファイバイスコープを呑みこんで、ひぃ、ひぃ言いながら検査を受けている。
 問題はその後である。今での検査は今回ほど詳しい説明をしてもらっていないのである。もちろん説明はしてもらうのだが、今回ほど丁寧に説明は受けなかった。自分の胃の中をビデオで見るなんて思いもよらなかったし、写真の枚数が一枚に4箇所写ったものが9枚もらい、その都度こうなっているだろうと書き込みをして、私の胃や十二指腸の状態を説明して頂いた。
 今手元にあるこの写真を見てみると、本当によく分かる。この先生、ものすごく怖いのだが、案外親切で、信用していいのではないかと思っている。少なくとそれまで通っていた先生より、今自分の身体がどんな状況になっているから、今の症状になっているのか素人でもよく分かる。セカンドオピニオンとしてこの先生に意見を求めてよかったのではないかと思っている。十二指腸潰瘍は長くかかることを言われた。仕方がない。焦らず気長に治療してもらうことにしようと思っている。

2006年09月07日

50になって思うこと

 今日で私は50歳となった。ヨドバシに自分の生まれた日の新聞が手に入る機械がある。面白かったのでやってみたらこんなものが出てきた。


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 一面記事が社会党が鳩山首相のソ連訪問を支持するというのが載っている。まぁ大したことじゃなさそうだ。それよりも下の段の本の広告が面白い。「男性教室」という訳の分からない雑誌があって、うたい文句が「こんな本が出ますと、わたくしたち、とても困りますわ-と、全女性が悲鳴!!」とある。おおらかというか、いい加減というか、当時の大新聞の一面広告にこんな本の広告が載っているというのは面白い。今なら絶対にあり得ないだろう。
 学研からは「中学初級コース」10月号の広告もある。これはもしかしたら後の「中一コース」なんだろうか?(今でもこの雑誌あるんだろうか?)
 自分の生まれた日の天気も分かる。私は東京生まれだからこの天気でいい。それによると、晴れ時々曇り、午後からにわか雨又は雷雨となっているから、天気はくずれていったのであろう。

 さて、50になって、一番痛感するのは、とにかく目が悪くなってきたことだ。そろそろノートパソコンでも買おうかと思い、パンフレットを集めているのだが、そのパンフレットの細かい文字が見えない。今日も虫眼鏡を取り出して、それを見ていた。こうしないと見えない自分がここにあること、それだけ歳をとったことを思い知らされる。
 それに十二指腸潰瘍である。今ピロリ菌の除菌をやっているのだが、この薬のお陰で、お腹の中で戦争でも起こっているんじゃないかと思われるくらい、調子が悪いし、食欲不振、気持ち悪い状態が続いている。あと2日続けて除菌の薬を飲まないといけないわけだが、まだ2日もあるのかと少々うんざりもしている。 どうして十二指腸潰瘍なんかになってしまったのだろうかと思っちゃう。様々な要因がそうさせてしまったのだろうとは思うが、やっぱり精神的なストレスもあるのではないかと思う。特にこの1年私にとって最悪の年で、精神的にかなり疲れている。自分が一生の仕事として本屋さんを選び、それに従事してきたわけだけど、それがたたれ、仕事のモチベーションが低下しているのを、なんとか気持ちだけでも取り直してやっていこうとしていた自分がこの1年であった。でもやっぱりきつかった。いつも落ち込み、なんとかしなけりゃと思い、気を振りただしてやってきた分、それがストレスとして蓄積していったのではないかと思う。これからもこんな状態が続くと思うと、いい加減気持ちの切り替えを本格的にしないと身体が持たない。そう思う。
 この歳になって、再度本屋にチャレンジすることなど、本屋さんの現状を考えればとてもじゃないが難しい話だ。となれば、今の仕事をそつなくこなしていくことを考えないといけないだろう。しかも今までのように会社のためなんて馬鹿なことを考えると、それこそいくつ身体があっても足りやしない。
 正直もういいと思っている。生活のためにこの会社で仕事はするけれど、会社のために自分のすべてをかけてしまうことはもうやめようと思っている。昨年大学の友人と何回か会う機会に恵まれ、その時友人にも同じことを言われた。

閑話休題
 何人かの友人に50歳になってしまったことをメールした。まぁご無沙汰しているので、ご機嫌伺いのつもりだったのだが・・・。
 その友人で会社の社長をやっている奴がいる。こやつよほど暇なのか、すぐメールを返してくる。(そういう自分はどうなんだと言われそうだけど・・・)「年齢は毎年増えるものですから、あきらめて下さい」と書かれていた。ちくしょう!

 また、たまたま昨日大野さんと自分たちの会社について話す機会があって、彼も会社のためなんてもう考えていないというの聞いて、やっぱりと思ったのと同時に私と同じだと思った次第だ。
 私はこれからどうやって生きていけばいいのか考えてしまうけど、そろそろ自分のために生きていく準備をしてもいいのかなぁと思っている。自分がやりたいこと(大したことじゃないけど)をやれる環境を整えていくことを考えるべきだと思っている。これからは自分の残りの人生をどうやって生きていくか、その道筋でも探していかないといけないと思っている。今日からそれを考えて生きていこうと思う。

2006年09月03日

除菌

 新しい先生のところで胃酸とピロリ菌の数値を調べるために血液検査をしてもらった。前の先生のところでも血液検査はした。けれど今にして思えば何のために血液検査をしたのかその目的がよく分からない。今もその結果表を持っているけれど、どう見ても普段健康診断で行われる血液検査の検査項目と同じである。そもそも血液検査で胃酸とピロリ菌の数値を調べられることさえ知らなかったので、先生に血液検査だけでそんなことが分かるんですかと聞いてしまったくらいなのだから・・・。もちろん先生は分かるからやるんだといとも簡単に言う。
 その結果、検査項目のガストリンというのが、基準値37~172pg/mlなのに、私の場合270pg/mlもある。つまり胃酸過多ということらしい。これはある程度言われていたので、予想通りというところだ。一方のピロリ菌の数値を示す検査項目ヘリコパクターピロリIgG抗体濃度というやつが300.0U/ml以上となっている。これは明らかにピロリ菌が私の身体にいらっしゃることになる。


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 私の母は胃がんで死んだ。父親もピロリ菌の除菌をしたという。これは明らかに家系か家庭環境によるものではないかと思う。
 ということで、昨日病院へ行って、今後のスケジュールを聞くと、まずは除菌をしようということになり、今日から1週間除菌のための薬を飲むこととなった。昨今何でも除菌が流行っている。まさか自分の胃を除菌するはめになるとは思わなかったけど、これでピロリ様がお亡くなりになれば有り難い。ただ除菌率が80~70%の確率だからどうなるか分からない。その後、又胃カメラが待っている。まったく、今年は大変な年になっている。

2006年09月02日

見つからない

 水曜日の夜、仕事が終わって、かみさんと待ち合わせて、ヨドバシの8階にある天風でお好み焼きを食べる。帰りに欲しい本があるので有隣堂へ寄りたいと言うから、有隣堂に寄る。
 かみさんがその本がどこにあるか店員に聞こうとするから、私はレジの人間に聞いたってアルバイトだから分かりゃしない。それより検索機で調べれば、すぐ分かると言って、検索機で在庫の確認をしてみる。案の定在庫がないと出る。でも、その本じゃなくても同じことが書いてある本があればといって、関係する用語を検索機にかけ、棚番号を調べ、そこへ行ってみる。かみさんはこの検索機に、今の本屋さんって本当に便利になったわねとえらく感心している。これで調べれば店内の在庫が一発で分かり、親切に棚番号が書いたものがプリントアウトできるからだ。ある意味これがあるから、在庫管理をしっかりしておれば、パート・アルバイトに仕事が任せることができる。本のことをよく知る必要性などないのだ。
 で、どうしてもその本が欲しいらしく、翌朝、「あの本注文してくれない」と頼まれ、さっそくネットで「本屋タウン」のサイトから注文する。
 金曜日には入荷のメールが来たので、帰りに有隣堂にそのメールをプリントアウトした紙を持って、サービスカウンターへ行く。ところがその本が取り置き棚にないのだ。カウンターのねえちゃんが二人ががりで探すのだが見つからない。一人は棚を何度も捜しているし、もう一人はカウンターにあるパソコンで、本当に本が入荷しているかどうか確認したりしている。入荷は確認できたみたいだ。でも本が棚から見つからない。「少々お待ち下さい」と言われ、今度は責任者らしき人間を呼び出し、「本屋タウン」の事務局に電話を入れている。
 私は、今の時間帯に日販の関係者がいるわけがないだろうと思いつつ、彼らの行動を眺めている。この時点で私は、本は間違いなくここにあるだろうと思った。ただかみさんが欲しがっていた本が、所謂背表紙のある本ではなく、薄っぺらいパンフレットみたいな本で、そのため棚を眺めていても見つけることが難しい本だと予想した。あるいは薄い本なので、他の本や雑誌に紛れ込んでしまっている可能性がある。
 責任者は意を決したらしく、私のところへ来て、謝りながら、見つけ次第送りますと言う。まぁそれでも構わないがと思ったが、ちょうど交代なのか、他の女性店員がカウンターに入ってきて、周りが慌てているのを見て、自分も取り置き棚を見て、すぐかみさんの本を見つけた。やっぱり予想した通り、背表紙のない、中綴じの薄っぺらい本であった。責任者は何度も頭を下げ、私にその本を渡す。
 私はこの間怒ったかというとそうではない。(いつも怒っているわけじゃないよ)こういうことって書店員時代よく経験した。担当者がいなくて、お客さんが本を取りに見えて、取り置き棚を探すが、見つからない時がよくあったのだ。そういう時って、だいたい薄っぺらい本か小さな規格外の本で、探す方が既成概念で、本ってこんな感じだろうと思いこんでしまうから、そこからはずれた本はなかなか見つけにくいのだ。経験者ならこのことが分かるべきだと思うが、サービスカウンターにいるねえちゃんにそれを期待するのは無理かもしれない。慌てて来た責任者も、客の対応にはそつなくこなすけれど、おそらくそれほど本の業務には関わっていないのかもしれない。
 きちんと担当者が常時そこにいれば問題はないのかもしれないが、そもそもこのお店はそういうコンセプトで作られていないことを知っている。だから検索機を置いて、客に在庫を調べさせ、店員に余計な仕事をさせないのだ。レジカウンターにいる人間は本を客から受け取って、カバーをして会計すればいいだけだし、在庫管理の人間は、入れるべき棚に本をきちんと入れればいいだけの仕事しかしない。だから店員に本の知識など求める必要性などないのだ。誰でも簡単にできる仕事を安い賃金でパート・アルバイトにさせて、人件費の削減を徹底しているのだ。ただこういうのって、どこかほころびが出てしまう時もあるだろう。たまたまそれに私は当たっただけのことだ。